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・・・日曜ごとに雨の日が多く、バーべキューをしようとしてから五回も流れた・準備は済んでいたのだけれど完全に中止に、そんなこともある。 もうほんとに現代はハイデッカーが言うように“輝ける闇”の中を漂う現状だが、ソレすら気付かずに、また、気付こうともせずに生きていることもまた現実だ。 911で米国の貿易センタービルが無残にも映画の一シーンのように崩れ去り、姿を消し膨大な量の瓦礫だけが残された。 今日そんなゲリラ戦、テロ攻撃が世界中で頻発し無辜の人命が日々失われている現実を電波が一瞬に地球の裏側へも休み無く伝え続けている。 局地戦などというおおらかな時代はとっくに過ぎ去り、地球全体が全て局地戦の様相を呈し安逸な居眠りを貪る場所は何処にもなくなってきた。インドでもテロにより沢山の人命が失われ残虐な様相が流れていたが、小型高性能強力化が進み、これほど頻発すればテロといいつつこれはもう全体戦争と同じだろう。 原爆ができたときから局地戦の概念が一気に吹き飛び、戦争の後方も最前線も銃後の守りも吹き飛んでしまった。銃後で国家を挙げて武器を製造していれば立派な戦闘員でもあり、現代において無関係な人は居なくなった。 人は価値観の対立する為になら相手全体を破壊するには必要なら原爆だろうと、水爆だろうとBC兵器だろうと作るし使うだろうネ、ソレが人間だし。 紛争、戦争が発生する原因はさまざまで、深く、遠く、広く、しつこく、まさぐりがたいナショナリズムに起因するものが多いのだけれど、戦争のきっかけは軽いものだったり、他愛が無かったりする。 第一次世界大戦はセルビアで一発のピストルが鳴り響いてオーストリアの皇太子が撃たれた。これがきっかけで全ヨーロッパ戦争へとなった。第二大戦はヒットラーの妄想とヒステリーから暴発した。 ひょんなことから世界大戦が勃発していることを考えると、以降の数十年にも幾つもの世界大戦が起こっていても不思議ではない。キューバ危機、ベルリンの壁崩壊、中ソ紛争、ベトナム戦争、インド・パキスタン紛争、そして現在の中国・韓国・北朝が日本へ仕掛けている我田引水論争など。 しかし、世界戦争にならずに済んでいるのは、間違いなく核兵器が抑止力として働いている為だろう。 原爆が発明されたときから解っている、これが“ダモクレスの剣”だということは。人類は巨大な剣をたった一本の馬の尻尾の毛で吊下げたその下で生活をしている。酒を飲んだり、食事をしたり、論争をしたり、そうである現状すら忘れて。 本当の世紀末現象というのが実は、原爆が発明されたそのときから始まっていたし、判明していたのです。日本に原爆が投下されたその日から。 それ以降、十九世紀が迎えた世紀末現象、長い長い、あまい甘美な無為な黄昏はなくなった。1945から既にそこに入っているのですから、ハイデッカーが言うように現代は“輝ける闇”なのだということになる。 そういうことで、我々は全体で自分自身を日々殺しつつある、そういうことだろう。 ベトナム戦争時のゲリラ戦は、赤ん坊からおばあさんまで全て戦闘員になった。核戦争の現代は押しボタン戦争と言われ、これは一切合財皆殺しすると言う意味で全体戦争になる。もはや全体戦争で無い戦争はもはやあり得ない。何処に隠れようと逃げられない時代の中で生きている。 ダモクレスの剣の下で輝ける闇の中を、都会であれジャングルであれ自ら創り上げた最大の危機の中を歩き続けることになっているようだ。 と、つらつら酒を飲みつつ考えて見たが“漂えず沈まず”で現実と妄想を往ったり来たりを繰返している。剣菱を片手に『日本外史』をものした頼山陽もこの時代に居れば、何を書くのだろうか。ダモクレスの剣がある時代に・・・。 ・・・マクベスの言う“人生は歩く影”なのかもしれない。
2005年10月31日
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・・・いまだ薄明かりの中、よれよれと蠢いている自分がいる。 雑踏の中の孤独という言葉があるけれど、静謐の中の歓喜と言う言葉は無いのだろうか、禅問答のようになってしまったが。 多くの人が、自分には「何かしなければならない事がある」と考えているようです。自分には何か成すべき使命があると考えます。あなたに成すべきことが何かあるとしたら、それは「今を100%生きる」ということであり、それ以外にあなたの成すべき事はありません。 将来のいつかあるときあなたが光るために今があるわけではなく、何か達成されたときに輝くように今が用意されているわけでもありません。今、輝くためにあなたは存在しています。あなたがするべきことは、今光輝くこと、あなたの命を今生き生きと発揮させることです。 なのにどうして今輝こうとせず、これが出来ないとダメだと決めているのでしょうか。あれがない限り不可能だとか、これさえあれば出来るのだが・・・と。「これがあれば輝けるのに」と決めているのは誰でしょう。そう決めているのはあなたです。 「いや親に言われるから」とあなたは言うかもしれません。しかし親のその意見を受け入れているのはあなたであり、あなたは親のその意見を受け入れないこともできるのです。他人の意見を受け入れ、自分を縛っているのは自分以外にはいないのだ、と気付くべきでしょう。人は元々完全に自由です。神があなたに望んでいるたった一つの願いは「あなたが100%自由であってほしい」という事であると伝えられました。 「何かしなければならないことがある」と考えただけで、人はその自分の考えから束縛を受け始めることになります。「ねばならない」ことはあなたを縛ります。あなたを不自由にしているのは、この「ねばならない」という考え方です。あなたにしなければならないことなどなにもありません。元々神そのものであるあなたに何かしなければならないことなどあろうはずがありません。神は、したいからするのであり、しなければならないからするのではないはずです。 「こんな自分を何とかしよう」、「この気持ちを何とかしなければ」、「あいつはこのままではいかん、何とかしなければ」、とこんな気持ちから行動をとっている人のなんと多いことでしょうか。これらはいずれもあなたの自我から出てくる行動であり、あなたの本質である神のなすワザではないようです。 これまで人は神のごとき人間になりたいと、多くの理想をかかげて行動してきましたが、人はこの「理想」を心に抱いたその瞬間から、実は、何とかしなければならなくなってくるのです。理想とかけ離れた自分を何とかしなければならなくなってくるわけです。 人が理想を思い描くのは今が理想的でないと感じているときであり、そのあなたの無意識下に秘められた、今を否定する「このままではダメだ」という思いが、このままではいけない困った現実を呼び寄せることとなってきます。それがあなたがこれまで体験し続けてきたあなたの現実です。 あなたがこれから還りゆくあなたの根源には、「何とかしなければならない」ことなど何もないと伝えられました。あなたは自分の根源であるハートの中心に意識を置いておきさえすれば、「どうにかしよう」という思いは瞬時に消えてしまいます。 どんな時も、あなたの成すべきことは一つです。あなたは自分自身にただ命じます。自分を意識の中心点に置くように・・・。意識の中心点とは、あなたという宇宙の特異点のことです。そこは常に創造の始まりの場であり、あなたの全てのスタートポイントです。そしてそこがあなたのゴールでもあります。 歓びは、今、ここにあります。今この瞬間には無限の歓びがあります。あなたが頑張って達成したところにも、もちろん歓びはあるのですが、それは限られた歓びにすぎません。限定付きの歓びを追い求めるゲームはそろそろ終わりにして、これからは、この瞬間の無限の歓びの発見にこそ努めていただきたいと思うのです。 黙って静かに目を閉じ、あなたの心を悦びで満たし、こう言って下さい。「私は今、完全に満たされている」と、ゆっくり2、3回この言葉を自分の内に向かってささやいていると、あなたはかたよりのないニュートラルなポイントへおのずと導かれていきます。あなたのまわりに向こうから現実がやって来るといった感覚を味わえるようになるでしょう。 あなたにとってその瞬間に必要な情報があなたの内側からやってきます。それだけが今あなたにとって一番必要な情報であるのです。必要以上の情報が来ることはありません。 本当は、今、この瞬間に、全ての情報があなたのまわりに充満しているのですが、その全てを受け取ってしまった時には、あなたの人生ゲームはそこで終わりを告げることになっているようです。 今、そこにある情報で、今、そこを遊んで下さい。あなたのハートの中心は、常にどんな時もたえず悦びを表現しようと待機しています。必要なことは本当はそれだけです。その瞬間に悦びを表現することです。その瞬間に美しさを表現することです。その時は、今を除いてはありません。そこを除いて他の場所ではありません。 今自分が何を表現しているのかに気付いて下さい。自己弁護をしている自分に気付くことです。人を批判している自分に気付くことです。自分を責め、落ち込んでいる自分に気付くことです。人によく思われようとしている自分に気付いて下さい。欲求不満の中でストレスを発散していませんか? そんなつまらないことに今というこの大切な瞬間を浪費しないでください。 あなたの大切な今という瞬間に、自分の悦びを表現していますか? 「自分は自分の悦びを表現しようと思っている。しかしそれにはこれが必要だ。だから自分は今これを手に入れようとしているのだ。イヤだけどこれが必要なのだからしかたがない」と、今この瞬間に我慢をしてはいませんか。 「仕方がないではないか」と人は言います。「事実は事実ではないか」と・・・。そうですね。そう思っているあなたがいることは事実ですから、あなたのまわりにそんな宇宙空間が事実として作られています。あなたが創造主なのですから。「だってみんなもそう思っているではないか」とあなたは続けます。もちろんその通り、あなたの創った世界ですから、あなたのまわりにあなたと同じ考えの人が集まっていて当然です。 あなたがその思いを手放したとき、あなたのまわりの現実が変わり始めます。何度もいうようですが、あなたは今、あなたの歓びを表現して下さい。今この瞬間のあなたの歓びの思いが、次の瞬間のあなたの輝く未来を創造します。その歓びの瞬間が、又その次なる歓びの瞬間を産み出し、こうして永遠に歓びが途切れることなく続くことになります。 あなたは自分の手でシナリオを書いてこの地球へやってきました。しかしその自分で書いたシナリオのことはもうすっかり忘れさっています。あなたが自分で書いたシナリオを生きたかったら、じたばたしないことです。今、あなたが頭で考えて何かを強く望んだとしても、もちろんそれは実現することでしょう。それもなかなかおもしろいゲームです。でもこれまで、さんざんその遊びをやってきたのですから、このあたりで自分が神であったときに書いた自分のシナリオに戻ってみてはいかがでしょうか。 今この瞬間を100%遊び、起きてくることに身を委ねてみてはいかがでしょう。そして、今、やりたいことをやって下さい。先のことを考えた上で、計算ずくで行動するのではなく、常識に捕らわれた行動をするのでもなく、今、本当にやりたいことをやって下さい。未来の自分をではなく、今の自分を100%愛し、自分を甘やかせてあげて下さい。 「でもこれはしてはいけないのではないかしら」という思いがわいてきたとしたら、その思いをただ単に大切にし、その思いと闘うことなく、どうしてこれをしてはいけないという考えが起きてきたのかを眺めてみて下さい。「私はどうしてこれをしてはいけないと考えているのかしら」と自分に向かって問いかけてみて下さい。その考えが、良い事とか、悪い事とかの判断を加えることなしに。そうすれば必ずいつかその答えがやってくるものなのです。 もしどうしても比較の習慣がぬけないのでしたら、自分の根源と比較してみて下さい。あなたはあなたの神の部分が考えたシナリオと、制限だらけの自我が考えたシナリオと、どちらが自分にとって有意義なことであるかを比較してみて下さい。 あなたが自分を使わなくなった時、神があなたに変わって本来の仕事をし始めます。あなたという神のシナリオが働き始めます。『津留晃一』の生前のメッセージ集を読むと、次元の違う感覚が湧いて来るようですが、けれど懐かしい思いにもかられるのは何故だろうか。 昔のあの時のように、そして昨日のように思い出す。
2005年10月26日
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・・・また沖縄方面に台風が辿り着いているようですが、台風も衰えを見せずに年々歳々大型化しているように思うが。 そんな台風から最先端科学はエネルギーを吸い取ることはできないのだろうか、人類発生の原初から食料・エネルギーの争いが飽きることなく続けられてきたし、現在の世界中の紛争も元をたどればエネルギーの奪い合いなのだから、自然界からとか巨大な台風とかハリケーンなどから力を頂くことが普通になれば、争いの大半は消滅するはずだが・・・。 けれど、そんな装置ができると既存の勢力が反対し握りつぶすのだろうが古今東西の人類の歴史から見ても、よいものが即、認知されることはなかなか無いようだが、ソレもまた人間なんだろうし。 原生動物、蠕虫、エラのある魚、イモリ、爬虫類、原始的哺乳類、毛深い猿、原始人、そして原始人以降の十数億年の全生物史を、たった十月十日で駆け抜けて生まれてくる人類は、圧倒的に効率がいいのだろう。 そんな密度の濃い圧縮された人類史を短期間に駆け抜ける芸当を見せている我々は、そんな記憶を忘れ去っているが潜在意識とDNAにはキッチリと刷り込まれているのだろう。 アメーバかミジンコかぜん虫が人類の原初だったなんて不思議だけれど、個体発生は系統発生を繰返すという説があるように、今は陸上にいる人類も生命体は海で発生したとされているんだから、人類の環境の変化も著しいがその生命力も逞しいものだ。 数十億年をかけて遠い回り道をしているようだけれども、実は必要な道程だったのだろうし、またソレを究極の効率化といえる十月十日で済ませる人類自体の効率性は対比するものが無いほどだが気付かないで居る。 そんな究極の超効率過程を経て生まれてきた人類には、何物にも代え難いオリジナリテー溢れたもので成立ち、生まれてきただけで十分といえる。 それでも結局、数十億年を含んだ人類史を肉体に詰め込んで生きている我々も十月十日で生まれてくるが、十月十日という超効率の裏には数十億年と言う気の遠くなる歳月、永遠の遠回りが成熟のために用意されていたのです。・・・が、今成熟しているのだろうか?という疑問はあるが・・・。 『成熟するためには遠回りしなければならぬ』というのもあるけれど、生まれることは、また、元に帰る旅でもあるし、永遠とそんな繰り返しを続ける旅行者かも知れない。 どれだけ遠回りすれば、どのくらい近道できるようになるのだろうか。 人類は長大なメビウスの輪の上を走り続けるマラソンランナーか・・・。
2005年10月01日
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