全22件 (22件中 1-22件目)
1
・・・普段あまり接することができないことは沢山ある、殆んど接しないままのことのほうが圧倒的に多いのがホントだろう。“追加”桜井よし子女史プログの驚愕! 中国商売内容の実態!!!投資も友好もすべて“人質”冷酷非情と現世利益追求、これが中国のやり方だhttp://blog.yoshiko-sakurai.jp/こんなやり方じゃ~商売・商取引? なんて言えないだろうが・・・驚くばかり。“桜チャンネル”さんの無料視聴okの中、アジアの歴史動画を選択してみました。http://www.ch-sakura.jp/soumou.php現在のアジア各国がと、喧伝されているけれどホントにそうなのか?疑問に思っていたけれどメディア報道以外と違う捕らえ方もあることに気付かされ、結局いままで一知半解な不正確な情報でイメージしていたことを知らされる。木を見て森を見ない、森を見て木を見ない、そんな歴史に対する見方を続けているのかもしれないが、情報は沢山あったほうがより事実に近づけるはずだから。新鮮見解、こんなアジアに対する見方も一方では在る、うねりは始まっている、今。台湾、“新台湾と日本、時を越えた絆”動画(以下、桜チャンネルより)http://www.ch-sakura.jp/asx/shintaiwan.asx独立アジアの光東南アジアの歴史と現代http://www.ch-sakura.jp/asx/dokuritsuasia.asx自由アジアの栄光インド・ミャンマー独立史http://www.ch-sakura.jp/asx/jiyuasia.asx・・・“桜チャンネルは宝の山、積年の澱を払拭する逆パンドラの箱、かもネ”クライン孝子の辛口コラム Vol.43 情報戦にあまりに無防備な日本― 白表紙本流出で思うスパイ天国ぶり ― (産経新聞 2005年4月2日「正論」より転載) 「ベルリンの壁」崩壊直後だったから、かれこれ十五年前の話になる。そのころ、旧東ドイツ最後の北朝鮮大使だった人物にインタビューを申し込んだことがある。東ドイツという国家が消滅し、大使を解任された彼には一種の解放感があったらしい。気軽にOKしてくれた。ところが、最初に会う場所を「グリニッケ橋のちょうど真ん中、白線のあるところ」と指定したのには、苦笑してしまった。 実はこの場所、東西ドイツの境界にある橋で、冷戦中は大物小物を問わず、頻繁にスパイ交換に利用されたいわく因縁つきの場所だったからだ。インタビューも盗聴の危険を避けるため、歩きながらという用心ぶり。事前に集めた彼のプロフィルには、ポツダム所在の俗称スパイ養成大学卒とあったから、その筋の人物とは気付いていたが、これほど徹底しているとは思いもしなかった。 その彼の話がまた衝撃的だった。「日本と北朝鮮は表向き国交がないが、その実、水面下では多くの北朝鮮人が半ば公然と日本に出入りしている。主な目的は日本での情報収集と世論操作だ。何しろ日本は音に聞くスパイ天国だからね」というのである。 この話とは、一見関係なさそうに見えて、実は私にはたいそう気になるのが、ここに来て再燃している新しい教科書問題である。 日本では検定申請された教科書は、公正さを保持するため、どの会社の教科書かが分からないよう表紙を白くし、検定結果発表まで公表を関係者に禁じている。それなのになぜか、入手先を明らかにできないはずのこの白表紙本の一つ、扶桑社の中学歴史教科書(「新しい歴史教科書をつくる会」編)申請本の全文コピーが、いとも簡単に海外にまで流出したのである。 韓国では、「アジアの平和と歴史教育連帯」(代表・徐仲錫成均館大教授)なる市民団体の連合組織に手回しよく渡っており、彼らは早速に内外のメディアを集めて記者会見を開き、「前回の検定時より歴史がさらに歪曲(わいきょく)された」と、ひたすら一方的な反日批判を展開してみせた。 ちなみに前回の検定とは、扶桑社が初めて検定に参入した二〇〇一年のことで、当時は同社の白表紙本をいち早く入手した朝日新聞と毎日新聞が、ネガティブ報道を繰り返し、中韓両国による日本への執拗(しつよう)な内政干渉につながった経緯がある。こうした外圧を当て込んで一方的に自国の弱体化を図る行為は、欧米諸国ではケースによって反国家的破壊活動、スパイ活動と認識されることもある。 ドイツもそうで、スパイを取り締まる「連邦憲法擁護法」(別名・スパイ防止法)により、その取締機関として憲法擁護庁と連邦情報庁が設置されている。国内において国の安全を脅かす自国民および外国人による危険な活動を監視したり、対外的な側面から、政治、経済、軍事、軍事技術分野の諸外国に関する情報を諜報(ちょうほう)手段を用いて収集し分析したりしている。こうすることで“目に見えない敵”による国家破壊工作から自国と国民を保護しているのだ。 ところが不思議なことに、日本にはこれに相当する取締法も機関もない。スパイ行為は野放し状態で、内外、とりわけ近隣諸国のスパイにとっては格好の活動舞台となっている。 朝鮮総聯中央本部議長を務める徐萬述氏や、在日本朝鮮民主女性同盟中央本部委員長で元愛知県本部委員長の金昭子氏など、在日朝鮮人組織の要職にある計六人が、何と国交のない北朝鮮の国会議員(最高人民会議代議員)として活動しているという事実をどう考えればいいのか。 世界の常識とは到底相いれない異常な状態を放置し続けている日本は、諸外国から奇異の目で見られている。 これなど、日本の情報=防諜(ぼうちょう)整備がいかに欠落しているかの典型的な例といっていいが、従来の歯がゆいばかりの優柔不断な対北弱腰外交も、突き詰めればその延長線上にある。それもこれも、外交上の対抗策としての有利かつ決定的なカードとなる情報が不足しているからだ。古今東西を問わず、諜報と防諜は表裏一体の関係として国家存亡のカギを握っている。 「スパイ防止法」については、自民党が一九八六年六月に法案を作成、国会に緊急上程した経緯があるが、その後立ち消えになっている。とりあえずこの案をベースに再度立法化を急ぐ必要があろう。スパイ天国・日本の汚名返上は日本の安全保障上、不可欠であるだけでなく、同盟国に対しての責務でもある。世界情報戦、日本は世界の常識からかけ離れているその最たるものが『スパイ防止法』が無い事なんだろうネ。ガラス張りの国家、聞こえはいいけど結局国民の努力の結晶は、流出しっぱなしなのです。が、それでもこの技術力・経済力は凄いとしか言いようがないネ。・・・・・翳め取られ続けても尚、追従を許さないのですから驚く。
2005年05月31日
コメント(0)
・・・久々に降り始めた雨。既存のメディアの偏向・捏造・我田引水的な利敵報道内容に飽き足らずと言うか、あきれ返り既存の押付けられた概念が如何に国益を損ね、未来への道を誤らせるものかを糾弾し始めた正論が陸続と発信され、そんな新刊本が正常化への一里塚だろうか。昨年発足したSPの『桜チャンネル』での放映も、新生日本丸に寄与することは明らかで、毅然たる日本を確認・構築する為には欠かせない。真贋混在する我々の身辺と情報過多に陥った状況の中、その混乱に乗じて都合の良い方向へ作為的に誘導しようと策謀する輩は何処の国にもいる。スパイ天国の日本のように雲霞の如く、国家のあらゆる組織・政治家・メディアへの浸透を許してきた国家は無いだろう。西村真吾議員の報告 以下。対馬で迎えた日本海海戦百年目の日 ここ数日間のことを次の通りご報告します。 五月二十六日、羽田から飛行機に乗り福岡へ飛ぶ。そして各地から集まった同志と博多駅で集合し、直ちに福岡県津屋崎にある東郷神社に参拝する。 この神社の境内には玄界灘に突き出た丘がある。明治三十八年五月二十七日午後二時、この丘から十八歳の安部正弘青年が、固唾を飲んで我が連合艦隊とロシアのバルチック艦隊との海戦を目撃する。砲声は殷々と玄界灘に響いていた。 その後、安部青年は東京に出て大学に学ぶが、あの時に沖で戦っていた東郷平八郎元帥と会うことをえた。 学業を終えて郷里に帰った安部正弘氏は、東郷元帥の偉業を海戦海域を遙かに見晴らせるこの丘周辺に止めようと志を立て、大正十一年から五十年の歳月をかけて、この丘を中心とする広大な土地を取得して、ここに東郷神社を建立し、三笠会館や宝物館を建てた。 私どもは、安部正弘氏の娘さんである内田久美宮司の導きで東郷神社に参拝し、海戦海域を見晴るかす丘に登った。私は、玄界灘に向かい、大声で「元寇の歌」を歌った。「四百余州を挙る、十万余騎の敵、国難ここに見る、弘安四年夏の頃・・・」 この東郷神社には、連合艦隊旗艦「三笠」の三十センチ主砲の先端一メートルほどが保存されている。 これは、百年前にこの沖で敵艦隊旗艦「スワロフ」に砲弾をぶっ放した本物の砲身である。 かつては、完全な形の三十センチ主砲がここにあった。しかし敗戦後、連合軍がこれを持ち去り蓮根のように裁断し鉄屑として処分した。ここに残るは、辛うじて取り戻すことができた先端の一メートルである。 この東郷神社で、小倉からご老体を酷使して駆けつけられた加藤三之輔翁と会い、お話を聞くことができた。 翁は、大陸における武装集団の頭目であった夕陽と拳銃の伊達順之助の若き盟友であった。近いうちに、シナ大陸を自らの肌で知っている翁の本格的聞き取りを作成するつもりである。 二十七日、対馬最北端に移動し、午前十時三十分海上自衛隊の掃海艇に乗り込む。金子長崎県知事、対馬を選挙区とする友人の山田正彦衆議院議員、ロシア大使、ウクライナ大使らが乗船する。掃海艇二隻とフェリーに乗り込んだ一行と無数の漁船は、海戦海域に向かう。 そして、海域上で日本側挨拶、ロシア側挨拶を終え、黙祷。弔砲発射、そして「海ゆかば」のメロディーが流れる中、全員が洋上に献花した。私は、靖国神社の酒を洋上に注ぎ、自分も飲んだ。 二十七日には、対馬に来れない仲間が、大阪護国神社で海戦祈年祭を行っていた。また、横須賀の戦艦「三笠」でも慰霊祭が行われていた。そして、私どもが出席した対馬では、対馬の地元の人が「日本海海戦百周年記念事業実行委員会」を結成して、三年越しの準備の末の式典が行われた訳である。 日本政府が何ら動かない中で、郷里にちなんだ世界史的偉業を顕彰しようと立ち上がった対馬の同志のご苦労に敬意を表する次第である。まことに、ご苦労様。 ところで、この四月、海上自衛隊の練習艦隊は、イギリスを目指して出航していった。イギリスを目指す理由は、イギリス政府の実施するナポレオンとイギリスの雌雄を決したトラガルファー海戦勝利二百周年記念観艦式に参加して、観閲官であるイギリス女王陛下の観閲を受けるためである。 しかし日本政府は、イギリス政府の実施する観艦式には参加しても、トラファルガーの勝利を凌ぐ勝利とイギリス自身が認めた日本海海戦勝利百周年記念観艦式を実施しようという発想さえなかった。 これは歴史を失った外務省と歴史的使命感を欠落させた政治の複合作用である。 掃海艇の上で、このことを考えるとどうも腹立たしく、また、掃海艇乗組員の諸君には失礼ながら、この海域にたった掃海艇二隻とは、と、しみったれた感じになってきたので、掃海艇司令に、トーゴーターンをしてみてくれとか、景気づけに機関砲を「派手に撃ってくれ」とか、いろいろ提案してみたのである。 翌二十八日の対馬での予定をこなして本日、堺に帰っているのであるが、その間、谷内外務次官の発言で韓国が反発したとか厚生労働政務官の森岡君の発言で中国が反発したとか報道されていた。「A級戦犯は犯罪者ではない」との森岡君の発言に対しては「野党も反発」と報道されているから「情けない」と思いながら対馬にいた。 二十八日に対馬で読んだ朝日新聞の社説は最低であった。「もう朝日新聞に購読料を払う必要はない。購読は止めた方がいい」と自信を持って言える。 谷内次官の発言も森岡政務官の発言も、当たり前のことだ。谷内次官の発言などは、これほど問題点を親切に指摘した発言はないのであるから、自ら顧みる心さえあれば、韓国国会議員は「友邦からの老婆心」と感謝すべきなのだ。 また、本日日曜日の朝のTVでは、「靖国神社に参拝すべきか否か」を、未だに大まじめにやっている。 毎日でも自然に参拝すればいい、 これにきまっているではないか。 学者の出る幕か。 NHKには、日本人の学者と、中国人の学者と、学者と官邸人間との間を行ったり来たりして既に身分が解らず旗幟も解らない元役人がでていた。 もっとも、このごろ日本のTVによく出てくる日本語のうまい中国人は、中国共産党の広報官がレッテルを日本の大学教授に変えただけのが多い。日本人大学教授にも、中国や北朝鮮の広報官がいるのであるから致し方ない。 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ 我が国の刑事司法上の問題点は、被害者への配慮がないことであるとよく指摘される。最近その声が多い。その反省の上に立って、被害者への配慮とケアーが重視される。 罵声を浴びても、社長は土下座して一件一件回る。 社会的な重大事故においては、マスコミは、その土下座の現場を撮りたくて群がる。 仏様がお棺のなかに横たわる家の中にテレビカメラがひしめく喧噪の中で、社長は土下座する。 しかし、マスコミの群がる中で、土下座される被害者の身になって思うならば、この状況設定こそ、被害者への配慮が無い最たるものであろう。 仮に、マスコミの前では土下座するが、マスコミのいないところでは知らん顔の社長ならば、被害者はもっと傷つく。 反対に、マスコミのいるところでは嘆き悲しんだふりをして土下座を要求し、マスコミがいなければ笑って酒を飲んでいるのは「被害者」ではない。(思い出した次の光景はこれに近いか? 前に議員会館の前で座り込んでいた、従軍慰安婦であったという朝鮮の老婦人達は、カメラの前では地面をたたいて泣いていたが、カメラがいなくなるとケロッとしてたばこを吸っていた) これらの「社長」や「被害者」が土下座をしたり要求したりするのには、「誠意」とか真の悲しみとは無関係の何か他の思惑があるのである。 事故や犯罪という明確に被害者と加害者が別れる事例においても、形式だけの「誠意」や「配慮」を要求すれば、往々にして被害者がさらに傷つき窒息させられたり、反対に被害者が「被害」を道具に脅迫し恐喝する加害者になる場合がある。 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ 本日のTVにおける靖国神社に参拝するか否かの議論における参拝否定論は、被害者への「誠意」や「配慮」を求める論理に似ていた。 では、百歩譲り、その論理にあわせて中国を「被害者」で日本を「加害者」として、中国は如何なる「被害者」なのであろうか。 答え・・・中国政府は、他の目的のために土下座を要求する類の「被害者」である。 理由・・・戦後中曽根内閣まで、歴代総理は靖国神社に参拝し、天皇陛下の御親拝も幾たびかあった。中国が真の「被害者」であるならば、記憶の新鮮なその時に参拝反対を叫んでいたはずであるが、中国政府は、全く問題にしていなかった。 よって、結論・・・中国の要求通り(恐喝か?)「謝罪」し靖国参拝を止めても何の解決にもならない。 仮に、事故や犯罪における加害者と被害者の関係に日中両国を措定したとしても、以上の結論に帰結せざるをえない。 つまり、日本人が、被害者への配慮と思って贖罪感から行う行為(例えば土下座、靖国参拝断念)は、中国政府という「被害者」により他の目的に利用されてきたのである。 そして、本日における議論も、驚くべきことに、未だ、被害者へのケアー論にとどまっている。(日本のマスコミは、謝罪の現場に群がるのが好きなあまり、謝罪の場面を何が何でも作り出したいのであろうか。しかし、本件は、列車事故ではない。) 十年一日の如しというが、十年前の国会謝罪決議の際、「子供の頃、悪いことをしたら『ごめんなさい』といいなさいとお母さんから言われたではないか」と党の部会で発言した元総理大臣がいた。 あっけにとられて、彼の顔を見た。その時彼は、「ごめんなさい」といえば、丸く収まるのだから素直になれと我々に説教するのだった。 私は、その時、国際政治においては、謝罪すればそこで終わるのではない、そこから始まるのだ、だから国家が謝罪する必要はないと言った。 結果は、十年たって、どちらの言うとおりになったか。元総理の母親も、十歳の時「ごめんなさい」と言えば、二十歳になっても「ごめんなさい」と言い続けなさいとは教えなかったはずだ。彼は確か、今は自民党にいると思うが、この頃はいるかいないかも分からない。 つまり、村山富市氏をはじめこの元総理も、十年後はおろか、一ヶ月後のことにも責任をとらない「政治家」で、今も昔も、謝罪せよ、とか、靖国参拝反対を言っている人には、こういう「良心的」な人がいる。 以上、長々と書いてきて、正直嫌悪感を覚える。 もう書く必要はない。 本質は、中国共産党のプロパガンダであるからだ。 中国人民に対する二十世紀の最大の加害者は中国共産党である。その中国共産党が、自らの加害の歴史を隠蔽しながら、日本を加害者としてマスコミの前で土下座させ、日本は中国の前に屈服しているという序列を確固としたものにしたいのだ。 ただそれだけのことであるのに、我々は、良心と倫理観に関する次元で延々と議論している。 私も、ここで長々と書いてきた。もう止める。 中国共産党よ、種明かしはすんだ。世界のマスコミも、分かってきた。 日本の朝日というマスコミだけを見て、三流ピエロのように、まだまだ興行ができると思いこんだらえらい目に遭うだろう。疑いをせず既存のマスメディアに寄りかかってきた、その事から来た悪弊害とも言えるが、我々のそんな状況に乗じ逆用しサイレント・マジョリティへ捏造を浸透させる為に延々と利敵情報を流し続けてきたのでしょう。しかし、ここにきて海外のメディアも、周辺諸国から搾取され続ける日本へのエールを送り始めているのです。ただし危ない状況だと教えられないと目覚めないのは頂けない、がしかし、後は自覚と自助努力の覚悟が何処まで発揮できるかだ。・・・火はボウボウ、幾ら平和の惰眠に呆けていてたとしてもネ。
2005年05月30日
コメント(0)
・・・梅雨前の清々しい天気が続いているが、国際政治は雷雨鳴り止まず。それもこれも、日本側の対応にも問題があるのだろう。気骨・毅然・国家を代表するという『志』に関るものかも知れない。『国家』『国益』以前、個人の思惑が最優先課題のごとく、政治を矮小化している現状ではいつまで経っても他国の思惑に振回されることからは抜出せないだろう。無骨でゴツゴツ・ボキボキ『日本の国益を確保』、右顧左眄し付和雷同し物分りの良い言動で対処することは商人に任せておけば良くパフォーマンスを演じる腐心だけでは。物売り商人じゃなく『国家・国民・国益』を背景に泰然自若とし政治をすればよいのだが、商人の如く『国家』をモノのように切売りしている風にしか見えない。国内では各々の党の方針に則って激論を交わすのはかまわないが、対外的には一枚岩で望む覚悟と気骨を示すことが、政治への国民の信を得ることにつながる。現在のつまらない確執と大局観を失った議論には辟易してしまう、がここに元民社党委員長塚本三郎氏のようにゴツゴツ・ボキボキ・朴訥な中にも『国益』という概念を忘れずいうべきことは言う姿勢を堅持してもらいたいものだ。『外交は武器を待たない戦争だ』元民社党委員長塚本三郎先生より寄稿いただきました。中国に何を言われても、まともに反論できないどころか利敵行為を行う現在の与野党の政治家の軟弱と背信と比較していただきたい。反論すべきは反論する政治家が却って相手国の信頼を得るということの証明です。 http://www.hirakawa-i.org 平河総研会員募集中 塚本三郎(特別寄稿) ト小平を怒鳴った日本人 中国大陸と台湾 与党・野党を問わず、日本の政党代表が人事交替すれば、例外なく北京詣でをするのが慣例となっていた。なぜ訪中をするのか、その真意が判らない。訪中を快く思っていなかったとき、私の処にも、民社党委員長として訪中の招待状が来た。もちろんお断りした。三度目の招待状に外務省は、三度礼を尽くしての招きであるから、訪中して下さらないかと要請して来た。中国に特別の悪意を抱いていた訳ではないし、既に以前二度訪中しているから、その後の中国の変化を視察することも良い勉強になると、訪中を承諾したのは、昭和六十二年九月のことである。当時、日中間で「光華寮」問題が燃え盛っていた。 光華寮は、戦前、京都大学が管理していた中国人留学生寮で、中華人民共和国成立前に中華民国が購入、登記したが、中国支持の寮生を退去させたことから訴訟となった。寮生側は建物の所有権は中国政府に継承されたと主張。一審は寮生側が勝ち、二審は逆転、最高裁で係争中であった。 ここで中国は、唯一の政府は北京の中華人民共和国であると日中平和条約で明記されており、日本の相手国は北京である、しかるに、日本に台湾の建物が存在することは、中国に二つの政府のあることを日本政府が認めたことになる、これは日中条約違反だから、光華寮は「北京政府のものであるから返せ」と主張して譲らなかった。 当時、北京を訪れた日本の政府関係者は、いずれも、中国の強引ともいうべき要求に手こずっていた。 そんなとき、私は人民大会堂でト小平氏をはじめとする中国代表と会談することになった。首脳会議はト小平氏側は約五十名、日本側は約二十名であったが、発言者は、ト小平氏と私の二人だけである。もちろん、双方に通訳が一人ずつついていた。ト氏は高齢のうえ、耳が遠いし、声も余り大きくないから、双方に一個ずつマイクが用意されていた。 ト氏は、「中国は私が約束をすれば、必ず国家として、その約束を果たします。先日イギリスのサッチャー首相が中国に来られました。私が約束したことは、必ず責任をもって解決しますと言われました。サッチャーさんは立派な人です。(つい数ヶ月前、香港を中国に返すと約束された)日本はそういうことができないから困っております。今までに、中曽根総理も、二階堂副総裁も、竹下幹事長も、皆さん約束されても、いまだに実行されていないので困っております」と、まず発言された。 私は、「お話は、光華寮のことでしょう。それは日本で裁判中ですから、判決がくだされるまで待ってください」と答えた。 私の返事にト氏は「アメリカは大統領と議会と裁判所の三つの政府があります。われわれはどの政府を信用してよいかわかりません。日本もアメリカのような、悪いところをまねないようにしてください」と言った。 中曽根康弘(首相)さんも、二階堂(副総裁)さんも、竹下(幹事長)さんも皆さんが約束されて帰られたが、いまだに実行されない、私は約束したら必ず実行いたします、いったい日本は、どこと話をすればよいのですか、と言うのだ。中国に、日本の三権分立が全く理解されていないことが明らかとなった。あまりにも政治意識の隔たりが大きいのに驚き、私は大声で「もし中曽根首相が、日本で、光華寮を中国に返す、と発言されれば、その日のうちに中曽根さんは、総理大臣を辞めさせられますよ」と言い返した。ト氏は、それがどんなに大変なことであるかに気づいていない。 私は続けて「日本人の目から見れば、ト閣下が一軍の責任者であっても、国家を代表される地位にはない。でも閣下の発言によって、中国を代弁され、それが実行されれば、一言の非難も申しません。しかし、日本では、光華寮の帰属は、ただいま裁判で争っている最中です。したがって、裁判で決着するまで待ちなさい」と諌めた。するとト氏は、若し裁判で我が方が負けたらどうしますかと、問われた。 私は「中国が勝てば、おめでたいことです。万一負ければ、日本政府の代表が、台湾から、それを買い受けるか、別の寮をつくって交換してもらい、そのうえで貴国にお返しになる心づもりでしょう」と中曽根、二階堂、竹下の三氏の立場を考慮して、日本を代表する三氏が、決して偽りを申しているのではないことを説明した。 まさか、日本政府の代表の軽率な言葉を攻める発言をする気はなかったから。 ト氏は「国家の存立に関するこんな重大事を、金銭で解決してほしくありません。政府の力で返還していただきたい」と強引に主張される。 そこで私は「日本政府は、中国の立場を考慮して、感情的にならぬよう、柔らかく聞き、必ず実行しようとしているに違いない。中国は一つであることは、日本政府も、私も厳守するつもりです。 京都にある台湾による所有権は、もし台湾を独立国家と認めれば、裁判所は、日中条約により中華人民共和国への返還を決めるでしょう。しかし、台湾が単なる民族の集合体で、独立国家と認められなければ、北京政府である御国に返ってまいらぬと思います。したがって、判決が確定するまでは、日本政府は実行に移すわけにはまいりません。いかに北京政府が強力であっても、日本にある建物は、日本の法律に従っていただかなねばなりません。日本政府代表が再三約束をされたのは、閣下の無理強いを断れば、日中双方に溝ができるからと遠慮して、実行を延ばし、ひたすら裁判の結果を待っているのですよ」と説明した。 するとト氏は「だから日本は、アメリカと同じように三つの政府を使い分けている。政府代表が約束しながら、裁判所の決定を待てと言われれば、どちらを相手にし、信用したらよいかわかりません。イギリスのサッチャーさんのようにしてくださらないか」と食い下がってこられる。 耳の遠いト氏に向かって、私はさらに大きな声で、「閣下、見苦しいから、もうそんな主張はおやめなさい。中国には中国の政治のやり方があるから、ト閣下の言を信用いたします。しかし日本には日本の政治の仕組みがあります。いずれの所有であるかの争いは、裁判所で決めることに日本では決まっております。日本と中国との平和条約の第一条には、内政不干渉と約束してあります。日本の政治の方式を批判されることは、条約違反であり、閣下は条約違反の第一号となりますから、この話は、もうおやめなさい」と語気を強めて叫んだ。 そして続けて、「民主政治は、政府と裁判所とが別々の権利をもって独立しており、政府もだれも、判決に横車を押すことはできません。私は中国の政府に対して一言なりとも、非難はいたしません。 同様に、日本政府の誠実な取り組みを非難されても、日本政府としては対応できません。お互いに、内政不干渉こそが体制の異なる国の大人の付き合いと認めたではありませんか」「これ以上、申されることは条約違反となり、閣下は日中条約違反の第一号となります」と大声で叫んだ。 この私の語気に、ト氏は、やっと気づき、「ああそうでしたね。昨日は五時間にわたって私共の若者に話してくださったそうですね。塚本閣下の話はよくわかりました。もうこの話は一切申しません」と、潔く打ち切ってくださった。 実は前日、私たちは大内書記官を含む五名で孫平化・日中友好協会会長以下、全メンバーと論争を重ねていた。 私たちは、日本の大学を卒業された孫平化会長に対し、あなたは三権分立の日本の政治体制を十分に承知しておきながら、ト小平氏に、日中の違いをなぜ説明しないのか、と論じた。孫平化氏は、台湾の代表名中華民国と登記されている光華寮の不当をなじったが、「国という名は、政府を代表しているのか、それとも、民族集団の代表者名なのか、それは裁判所の判決を待つべきだ。台湾代表の経国氏でも、個人名に国と名づけられている。総統の弟の緯国も国名でなく個人名である。日本と中国との体制の違いを非難するならば、われわれは共産主義の非道についていくらでも論ずるが、それは双方の友好のためにはならない」と、遠慮なく五時間余にわたった話し合いを行った。日本の民主政治体制を説明しない君達は宦官だと責めた。遂に彼らは、民社党の代表団に押されっ放しで、別れたのである。 この模様がト小平氏に報告されていたのである。 昨夜、もうこれ以上の話し合いはやめましょう、と打ち切り発言をしたのは、孫平化氏であった。最後の決着はどうあろうとも、言うべきことをはっきりと主張することが、本当の友好親善の道であると信じて、私たちは一歩も引かなかった。 光華寮については、前夜の日中友好協会での話し合いの報告を受け、これ以上論じても、無理であることをト氏は悟られた。 「もうこれ以上、いっさい光華寮については言いません」というこの一言は見事であった。 事実、連日、日中の報道をにぎわせたこの事件は、ト小平氏の結びの一言で消えた。 われわれとの会談は、予定を二十分も超えて終った。帰り際に、出口まで見送ってこられたト小平氏は、「今日はじめて、日中間の政治のやり方の違いがわかりました」 「違いがわかるということは、素晴らしいことです」 「塚本閣下、時々北京に来て、教えてください」 と、丁寧にねぎらってくださった。 そう言われると、われながら、かえって大声をあげて大人げなかったと振り返り、ト小平氏の人心をつかむ術に感心した。 横で同席してくれた中江駐中国大使も大変うれしそうであった。会談を終えて、中江大使は「私の外交官としての最後の任地で、こんな大問題を残したまま退任しなければならぬことを残念に思っていましたが、民社党一行のおかげで無事に解決して、生涯の思い出になり感激です」と、わざわざ宿舎を訪ねてお礼を言ってくださった。 後日、社会党、公明党の代表が北京を訪ねたとき、光華寮問題を尋ねても、ト小平氏は、「この問題はもう語りたくない」という発言をされたのを新聞で読んだ。寝た子を起こす無責任な野党は、日中間の友好より、自分の言動が大切のようだ。 『塚本三郎』、この気骨の人。 爪の垢でも煎じて飲んでもらいたいものだね~現職の政治家には・・・。
2005年05月28日
コメント(0)
・・・現在の周辺諸国との問題の一端は、おおよそ原因は周辺諸国に郷愁を感じ加担するメディアと、それに同調する人々の集団が、日本という蜜に集ってくる蟻のようにジワジワと連携浸透してきた結果だ。それを無視し放置してきたツケが昨今の状況だ。日本の中の反動勢力を利用して国益から周辺諸国もまた日本を貶める言動を繰返しエスカレートしてきた。お互いの利害が一致した国内勢力と周辺諸国が連動し長年続けてきた集大成?が今なのだろう。しかし、その甘いオブラートで包れていた真意が実は、糖衣錠のように中身は苦く、恐ろしい劇薬?だったことに気付き始めた。そんなことで長い間甘い部分だったがここに来て苦い毒が現れ、劇薬の中毒患者が溢れ始め遅まきながらブレーキを踏まなければ崖から転落する恐怖から、やっと服用することはいけないと悟り始めた昨今でしょう。国内のあらゆるところにそんな勢力が蔓延っていることに気付き驚くと共に、良くこんなレベルで済んでるな~なんて思いも湧いてくる。あちこち検索したり、他サイトを覗いて見ると水面下で蠢く妖怪のごとく、これでもかと湧いてくる。見るだけで嫌になるけれどしょうがないネ、これって。日本も高い授業料払ったようだけども、やり過ぎてくれたお陰で気付き反面教師・他山の石にできることに感謝しかない。日本の弱点を教えてくれたってことで、ホントは日本を大好きなんじゃないのかな~、少々のことじゃ目覚めない日本に心ならずも鉄槌を下してくれた周辺諸国への深謝は忘れマジ。日本の対外政策もまたひとつ深みが増した新展開へと進むことでしょうが、大幅な勢力図の入れ替えも在ることでしょうしその時に、今迄と同じように周辺諸国と付き合うかどうかは、新たに日本人が決めることになるでしょう、苦い経験からネ。国内においてもまた、事実が明らかになるにつれ自然に落ち着くべきところに落ち着く、自然淘汰が進むことでしょう。今の日本は攪拌された泥水、原因さえ分かれば早い後は時間が味方になるハズ。現在の混乱の元の一端ですが、wmpがあれば見れます、捏造・歪曲・作為的報道がどのように行われるのか時系列的に纏めている秀逸で面白い。以下。★南京大虐殺、従軍慰安婦が朝日新聞によって捏造され外交問題に発展するまでの過程。 http://gazo05.chbox.jp/news-movie/src/1115870763333.wmvもう、粗製濫造・日本人の為にならないつまらないギャグのようなメディア報道は、いままで以上に選別して見るようにしようっと・・・。月刊誌では『正論』『諸君』があったがまたここにきて、ワック・マガジンから月刊誌『WILL』もでた。我々が知りたい・知るべき・染色されてない情報が満載、左右上下問わず等質等量にリベラルな視点から思考できるよう配慮されている、三誌共秀逸。“朱に交われば紅くなる”の至言どうり、現在の濁った水が澄んだなら友も選んで付合わなくちゃいけないようですね・・・福沢諭吉の予言のように・・・。やっと消え去り始めた日本経済への“吸血鬼”“コバンザメ”の存在がネ(^^;。【追記】未だに「教科書検定書き換え事件」はあったと思い込んでおられる御仁が論説主幹の朝日新聞は、四月二十六日付の朝刊で、「『つくる会』歴史教科書『事実ゆがめる』学者ら反対声明」という見出しをつけ、次のように報じた。(これって、「教科書検定書き換え事件」は朝日がマッチポンプだったことが周知なのに、厚顔無恥を超えているね・・・ホント困ったもんだ) 「歴史学者や歴史教育者の有志62人が…扶桑社の歴史教科書について、『事実をゆがめる教科書に歴史教育をゆだねることはできない』とするアピールを出した」 が、仮に歪めた個所があるとすれば、先生方は事例を列挙して示されるべきだし、朝日にしても、先生方のお名前も事例紹介も怠り、アピールの文言だけ報じたのでは、一方的な宣伝に加担している、と謗(そし)られても致し方あるまい。 そんな朝日が、以て範とすべき見事なコラムがニューズウィーク誌(日本語版)四月二十七日号に載っていた。筆者はジェームズ・ワグナー同誌副編集長。 氏は、温家宝首相が「日本は歴史を直視すべきだ」と促し、「歴史を尊重する国だけが、国際社会でより大きな責任を果たすことができる」とのたもうたことに対し、次のように書いておられる。 「この主張には基本的に賛成だが、よく真顔で言えたものだ」「中国政府も、自分たちの都合に合わせて歴史を書き換えてきた。過去を直視することが国連安全保障理事会の常任理事国になる条件なら、中国にもその資格はない」 氏はこのコラムを、今は「意地の張り合いなどしている場合ではない」「安保理が目的どおりの働きをするにはどうすればいいか。それを考えるほうが先決だ」と締めておいでになるが、朝日には何故こんなコラムが載らないのか。同紙が溶けてしまおうと、当方の関知する所ではないが・・・知られ始めたね。【追記】徳永圀典氏の秀逸なシナ分析論文によるシナの実態と行末について・・・。http://www.ncn-t.net/kunistok/ 日本海新聞 潮流 寄稿 平成17年5月 2日 私見「中国経済」1、中国の経済成長が地球規模の経済を牽引している。中国は自由民主の資本主義国に非ず、一党独裁の共産主義による「似非ーえせー資本主義」は人類未経験の経済実験であろう。2、資本主義は英国を嚆矢とし国民にキリスト教的倫理が背景にあったから成功した。3、中国の外貨準備は日本に次ぎ世界第二、約七千億ドル。これは、営々と汗を流して蓄積したものでは必ずしもない、冷戦終結により世界の資本が行き場を求めて人件費格安の中国に怒涛のように流入したのが契機の外貨バブルもある。4、日本の近代化が大成功したのは江戸時代の人的、倫理的社会基盤が完成していたから容易に適応できた。英国産業革命による近代技術と近代法以外の日本文化は西洋より優れていた。5、中国は言論の自由は無く政府・共産党に操作された世論扇動、統計欺瞞・海賊版・賄賂等の反自由、反倫理、金銭不正の横行する民度の低さがある。国営企業、軍部企業が商活動を寡占し、共産党独裁で動き、伝統的賄賂、成功者の公私混同多発の非近代社会性が大きく残存する。要するに社会基盤が後進性のままで世界の外資が流入している現状。6、経済は心理学の要素が極めて高く、また資本は極めて臆病。歴史を見ても無限に成長が継続する事はあり得ずバブルは必ず例外なく破綻したのは事実。7、前提与件とも言うべき事態を列挙したが、次に中国の現状を列記する。数年前、北京空港が黄砂で閉鎖されたのは砂漠化の兆し。黄河下流域に最早や水流もなく河原で井戸を掘り水を汲み上げている。今まで日本人ほど風呂に入らなかった中国人も最近のOLは朝シャンして出勤する。なにせい、人口は13億である、長江の流れを変える大運河を作り北部へ水を流そうとしている。石油資源が不足し原油の国際的暴騰の引きがね国となった、為に日本の領海侵犯を平気でする。食糧自給は難しいと発表したがこれは世界の食糧を食い荒らす予告。利益の為に無秩序に公害の元である石炭を工場で燃やし、大領土で火のつくようにやるから影響は甚大、地球生態系に及ぼす環境悪影響は絶望的に必至。おまけに、世界的軍事覇権を求めて公表軍事費だけでも13%の年率で強化。オリンピックや万博を目指して、日本の資金貢献も巨大な都市の表通りはピカピカでも裏道路は昔のままの不潔さも残る。一台1億円する車を買う金持ちもおれば、農村地帯は一日100円で暮らす非共産主義的不平等が存在。これらの社会的矛盾は破滅的な引きがねとなり得る。百家争鳴の国民性の中国人、英国とか日本のような秩序ある国民資質が培養されていないから統制が利かない、総体的に道義・倫理に欠け百家争金の社会となっている。自由な中での秩序なぞ、求めるほうが無理。8、オリンピック・万博までは何とか自制しつつ経済運営をするであろう。ここから、経済は心理学となる。これだけ世界マネーが流入したのは資本利益を求めるためである。みんなが、トコトンそう思えばうまく行くであろうが、利益というものは皆があげられるものではない。誰かが利得したら誰かが必ず損する。資本とは臆病であるという真理が効いてくるのはこれからである。マネーにとても敏感な白人資本は、潮時を常に考えているのではないか。そして、情緒的で、決断の遅い日本の資本は、後のババを掴むハメにならなければいいがと懸念する。独裁共産主義の国で資本の逃避が起きると、逃避に遅れた国は、手遅れになる事態は容易に想像できる。中国大銀行の巨大不良債権、また中国に於ける日本企業には頗る付きの不良債権もあるやに聞く。反日中国への過度の食糧依存・製造業移転・目先の利益に溺れ事が彼らの対日生殺与奪の剣となる究極の国益損傷を怖れ、また財界の国益無視の姿勢を深く憂慮する。今年は元の切り上げが問題化か。軍事覇権を米国と争う構図が明快、また多岐に亘る矛盾を内臓しているが、矛盾は必ず破綻する。中国は地球生態系・人類平和共存の致命的撹乱要因になりつつある。鳥取木鶏クラブ 代表世話人徳永圀典と、現在発生している日本叩きは、まさに、シナ自国問題のすり替えに過ぎないことが分かるはずだ、この鋭い分析を無料で覗けることに感謝したいと思います。元のレート問題、シナに進出企業の行末を斟酌せずば、火中の栗を拾うことになるやも知れず、経団連のトヨタの会長のような顰蹙を買う一連の発言も媚中感覚からなのだろう。また徐々にトヨタを買わないという人達も、一連の発言から湧き上がっているようですから、で公的立場の発言を忘れ他者をも巻きこむことなきよう願いたいものです。自社の利益からの発想で、よってたつ日本の国益からの発言ではないのだろうネ。
2005年05月26日
コメント(0)
・・・これはどうだろう?共産主義者が計画を作り社会主義者が実行し資本主義者が資金を出す・・・という、笑えない現実が今も深く静かに進行している?のです。官僚統制国家日本の面目躍如の一端がここに記されている、下記に。西村真悟の時事通信5月23日本日の産経新聞「正論」に注目・・・歴史を背景に大構想は成り立つ No.195 平成17年 5月23日(月) 本日の産経新聞には、屋山太郎氏の正論、まことに正論、 「日本外交を『海洋国家連合』に転換せよ」が掲載された。 この論考は、聖徳太子以来の我が国家の姿と中華世界の本質から説き起こす、視野雄大な構想であり、久方ぶりに「まさに、我が意を得たり」の感がする。要するに、我が海洋国家たる日本は、ブラックホールのような大陸の中華圏とは、「近所付き合いはするが距離を保ったほうがいい」、これに尽きるのである。 しかるに、昨日もテレビニュースを観ていると、与党の幹事長二人が北京に行って中国首脳の待ち受ける部屋に伺候して握手してもらい、にやにや笑って頭を下げている。そして、「靖国参拝の姿は、見たくない」とか「靖国は、日本人の信念の問題ではなく、今まで積み上げてきたものが一挙に崩れるかという問題なのだ」とか、はっきり言って脅迫されている。 思えば小泉さんが、八月十五日に靖国神社に参拝すると言っていた頃も、同じように与党幹事長(そのころは三人)が、北京に行って同じように言われていた。十年一日の如き姿である。 他方、野党の姿はどうか、民主党の日の当たる表面には、明らかに社会党的、市民派的な要素だけがでており、予算委員会で、「中国における反日暴動は、小泉さん、貴方が靖国神社に参拝するからだとは思いませんか」と、党首が中国人のような質問をする始末である。 本当に、民主党に所属していることが恥ずかしくなったような質問であった(幸いその時は福岡の補選に入っていて委員会室にはいなかったが)。 よって、この与野党の表面にでた惨状にうんざりしているところであったから、屋山氏の正論に接して、「久方ぶりにスカッとした」次第である。 さて、屋山氏も言っておられるが、福沢諭吉の中華圏に対する「脱亜論」は現在においてもポイントを突いているのである。ということは、中国・朝鮮は、百年前から変わっていないということになる。 また、我が国と大陸側つまりシナと朝鮮の間には、正式な国交は無いのが原則であって、国交が始まってからは日が浅いのである。イギリスやフランスという、「欧米列強」のほうが我が国より遙かに古い国交の歴史を持つ。 まさに、我が国が万世一系の天皇を戴く日本であるのは、大陸と違うから日本でありうるのだ。 我が国が、食文化として人の肉を食ったり、宦官というおぞましい政治制度を持たなかったのは、まさに、特に菅原道真以来、意識的に、国策として、この大陸と距離を置いたからである。 この歴史的理解の上で、海洋のアジア連合という構想を提示したのが本日の屋山論文である。 そして、私は確信している。我が国の未来を開く戦略は、この海洋連合構想の上で成り立つと言うことを。 さて、この構想が我が国の歴史だけから来る独りよがりなものではないことを示すために、次にASEANとは何かということを、その歴史から触れておきたい。 そのASEANの起点は、1965年9月30日のインドネシアにおけるクーデターである(9・30事件という)。 当時、世界の三大共産党は、中国共産党、ソビエト共産党そしてインドネシア共産党であった。そして、インドネシア大統領のスカルノは容共的であった。 そこで、中国共産党は、周恩来の指導で、インドネシアを共産化するための謀略を開始する。それが、1965年9月30日の共産クーデター・武力蜂起を引き起こす。この日、決起した共産党軍は、ジャカルタを制圧し大統領宮殿を占拠し、まさにクーデター成功寸前であった。 しかし、ほとんど成功しかけたクーデター軍は、四十二歳のスハルト少将の決断によって首都から排除されることになる。そして、以後、百万人とも三百万人ともいわれる人々が殺される血みどろの内戦の末、スハルト少将が勝利し、スカルノを退位させて大統領に就任して、治安と平穏が回復された。 仮に、インドネシアの共産クーデターが成功しておれば、赤道下の東西五千キロに及ぶ群島国家インドネシアが共産化するのである。 そうすれば、南のインドネシアと北の中国に挟まれた、現在のASEAN地帯は、簡単に中国共産党の支配下に吸収されていたのだ(既にそのころ、ベトナムはもちろん、ラオス、タイ、ビルマなどの山岳地帯には中共から共産ゲリラが送り込まれていた)。 結局、インドネシアの9・30事件の帰趨が、東南アジアが一挙に共産化するか否かの鍵を握っていたのだ。 従って、日本人はあまり知らないが、インドネシアはアジアの要衝であり、9・30事件で共産党が勝つかスハルトが勝つかは、日本を含むアジアの運命が懸かっていたのである。 さて、9・30事件に勝利したスハルトは、共産化の脅威を力を合わせて防せぐ為の国家連合を構想し、同じマレー語のマレーシアに呼びかけ今のASEANを結成していくのである。 従って、ASEAN結成の当初の共通認識と目的は、「反共」・「反中共」である。それが、二十世紀後半の共産党の脅威が収まってからは、「共存共栄」になっていく。(中国の南のアジアつまりASEAN地域は、歴史的に中国の圧迫を受け、二十世紀には、中国の脅威が共産化の脅威と成っていたのである。この地域は、中国と中国人による圧迫を遙か昔から「南下問題」といっている。中国人が、北から、侵入してくるからである。) 既に明らかなように、中国大陸の南のアジアは、海洋に面したアジアである。そして、この海洋地帯が、歴史的に中国の圧力を受けていて、20世紀後半には反中共の目的の元にASEANという国家連合を結成してきている。 従って、日本と台湾とASEANは、海洋という地理的な共通点と共に、歴史的な共通点を持つのである。つまり、中華圏とは異なるアジアであり民主主義と自由経済という共通項を持っているのだ。 よって、海洋国家連合は、まさに自然な歴史の流れのなかにあるもっとも現実的で自然な共存共栄の構想といえる。 ところで、共産化から社会主義市場経済に移行し、現在、外国資本を吸収して景気のいい中国は、ASEANに対してFTA(Free Trade Agreement)自由貿易つまり中国とASEANの国境を経済的にとり払うことを提唱している。これは何を意味しているのか。 その歴史から、明らかであろう。 ASEANから見れば、これは伝統的な「南下問題」の一種である。中華の独善的権力と中国人というイナゴの群れのような利にさとい連中が、一挙にASEANを食い荒らす方策、つまり「南下問題」である。 中国から見れば、9・30事件の雪辱である。つまり、ASEANを中国の領域に入れる方便である。 いずれにしても、政治的自由のない「社会主義市場経済」とASEANとの間で、FTAはあり得ない。 最後に、屋山論文には、「前外務事務次官がインドネシア大使のときに、大使の部屋に『全ての道は北京に通ず』という書を飾っていたという。」という一文があった。 それを読んだ時、駐インドネシア日本国大使館の大使の部屋に、「大道通長安」という額が掛けてあったことをまざまざと思い出した。 この額を見た日は、スハルト大統領退陣の日の翌日で、ジャカルタには数日前の三千カ所の放火による煙が未だたちこめていた。 私は、朝、ホテルから出て自動小銃をもつ兵士の群れの中を歩き、日本大使館の前にきた。すると、インドネシア兵が五名ほど銃を構えてたむろしている。しかし、大使館は、如何に外から呼びかけようと、扉を閉めたまま開こうとしない。 私は、携帯電話で東京の外務省に電話して、「こういう騒擾状態の時こそ、邦人の便宜のために、邦人が門の前に来れば、大使館は直ちに門を開かねばならないのではないか」と伝えた。 すると、大使館の中から「日本の外交官」が出てきて、門を開け中に入れてくれた。その時、大使の部屋で、まさに見たのが「大道通長安」の額であったのだ。 インドネシア市内の争乱の中を歩いてきた私は、入る前と入ってからの両方とも、この大使館の感覚に唖然としたわけだ。 インドネシアは、9・30事件以来、中国の勢力を排除するために漢字の使用を禁止している国である。そして、この度の暴動は、人口の二パーセントほどの華僑に、経済の98パーセントを握られている国民の不満が爆発した結果である。従って、焼き討ちの対象は、ほとんど華僑の店であった。 つまり、インドネシアは、反共であり反中国なのだ。しかるに、そのインドネシアの首都ジャカルタの日本大使館の中は、「大道通長安」で、全ては中国様に草木もなびく、という意味の額が掛けてあるのであるからあっけにとられた。 このインドネシア争乱の中で出会った、漫画のような日本の外交官の感覚が屋山氏の論文を読んで懐かしく甦った次第である(スハルト退陣前後のジャカルタの状況と日本大使館の姿は、拙著「海洋アジアの日出づる国」426ページを)。 すべてこんな按配?なのであるが知らされないままなのだが、ここにきてボロボロと漏れ始めている“千畳の堤も蟻のひと穴から”なのだろうか。異常に赤化された状況・情報が浮上しつつあるのです、日本も共産国家か?・・。
2005年05月25日
コメント(0)
・・・戦後、約40年間歴代首相が日本国に殉じた英霊の御魂を、鎮魂感謝の意を奉げるために『靖国』へ参拝し続けてきた。しかし、1985年当時中曽根首相がシナの懇意の政治家への配慮から参拝を中止した。けれど逆にそんな共産権力闘争に巻き込まれた政治家への配慮からの行為がその後のシナの国益と共産政権維持の宣伝に利用されることになったのですが、たかだか20年足らずのことで、それまでは歯牙にもかけなかったことだ。以後、政治利用できると気付いたシナ中共は、日本国内の媚中派を煽り『靖国』問題を外交カードに利用し、事後法で裁判の体を成していないリンチ裁判、『極東軍事裁判』での戦争犯罪人などという捏造された造語、A,B,C級戦犯などという意味不明な造語を振りかざし、後、延々と日本の英霊の御魂と国益を貶めてきた。そんなレジテマシーの無い事後法で捏造した判決を振りかざし脅し続ける国家もさることながら、日本の国内にもそんな国家に加担する勢力が存在し続けている、その現状を看過していることのほうが異常にも思う。が、しかし、ここにきて周囲の海は日本を呑み込もうとするほど波高しで、津波のように押し寄せるご都合主義の歴史観を振りかざした周辺諸国の異常さに気付き始めた現実が現在の混乱の元だろうし、“反面教師”の役割を十分に果たしてくれている。疑うことを知らない日本人を冷酷無比な国際政治・外交の現実に覚醒させてくれたことは感謝するしかないが、国民が目覚め知ることによって現在まで国内で加担し続けてきた勢力は、どんな言い訳を用意しているのだろうか・・・。現在は必死で最後の悪あがきを演じているのだろうが、赤裸々に成りつつあるネ。あらゆる場面で、あらゆる事への見直しが急速に進んでいる現状の流れは変えられないし、無傷ではいられないのだろう。歴史と国家、思想のブレーンウオッシュされた染色を洗い流す作業が始まったのだから、壮大な頭と心のスクラップ&ビルドのゴングは既に鳴らされたようだ・・・。染み付いた色を洗い流すことができる『チャンネル桜』には、真実と智の原石がゴロゴロ転がっているのです。つまらない手垢にまみれた『創られた事実』じゃなく、『生無垢の真実』があるがそれを磨くのは手に入れた己の責任ですが・・・眼から鱗が何枚落ちるのか。URLをコピペして動画で観て下さいね、地平が広がるはずだ・・・以下。チャンネル桜/桜ライブラリー内にある教科書問題を憂う人士の方々の集い。http://www.ch-sakura.jp/onlinetv_sakura.phpこれで良いのか、日本の教科書~検定基準から近隣諸国条項を削除せよ!(平成16年3月25日)http://www.ch-sakura.jp/asx/koredeyoinoka_nihonno_kyoukasho1.asx渡辺昇一氏(第一部)●開会●国歌斉唱●開会の挨拶石井公一郎(教科書改善連絡協議会会長)●基調講演渡部昇一(上智大学名誉教授)(第二部)●意見表明クライン孝子(ノンフィクション作家)高橋史朗(明星大学教授)西岡 力(東京基督教大学教授)(第三部)●意見表明清水誠一(北海道議会議員)古屋圭司(日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会会長)森高康行(愛媛県議会議員)●激励のメッセージ上田清司(埼玉県知事)松沢成文(神奈川県知事)●文部科学省への「近隣諸国による干渉から歴史教科書を守るための要望書」採択●閉会の挨拶山本卓眞(教科書改善連絡協議会副会長)●閉会日本も狭い国土に、また地域集中し人口密度が濃くなるのか、溢れんばかりの人の群れに揉まれ続ける日々の中で、気を張り過ぎるのと異質なヒトに疲れることに気付かず疲れが浸透し神経衰弱・心神喪失を引起す現象が表出。捻じ曲がった事実を埋め込まれたならば、尚更、心身の齟齬を発生させるのでしょうか、現在のこの湧上る異常な犯罪の列挙を聞くにつけ隔世の感を思う。何でもいいけど、染色された、心の貧しくなる教育はやめて欲しい、ものだネ。利害損得を指針にして生きることは、鳥と獣の両方から嫌われたという寓話がイソップにあった様に、現在日本の状況とあの寓話をよくよく考えてみることも大事だろうネ。鳥なら鳥、獣なら獣。たとえ自分がコウモリであったとしても、そういう風に見せるようにしなければなるまいが、利害損得からの動機では何時までもコウモリのままだろう。それは心の擬似色・保護色みたいなものだろうが、それだって精神のタフがなければすぐにカチカチ山の狸さんのように尻尾が出てしまうから、中途半端はいけないみたいで、やるには命がけだろう。
2005年05月25日
コメント(0)
・・・「おわびの一言もない」帰国、 中国副首相帰国で町村外相談。 町村信孝外相は24日午前の記者会見で、中国の呉儀副首相が小泉純一郎首相との会談をキャンセルして帰国したことについて「おわびの一言もない。『悪かった』と言わないと人間社会はふつう成り立たない。信頼すべき人間同士の付き合い方がこういうことかという思いがする」と、重ねて不快感を示した。 外相は「日中関係重視の姿勢の表れとして、先方から首相に会いたいという希望があった。言っていることと現実に起きたことは相当開きがあるとの印象を持たざるを得ない。残念なことだ」とも指摘した。 ダッチロールを始めたのか中国外交は、先日の反日デモ以来中国外交の稚拙さが露呈しつつあり、国際社会から疑問視されることになった。 国内問題、共産一党独裁政冶と商業資本主義の導入の矛盾の矛先を日本へ向けてきたツケが噴出してきたようだ。 外国資本・技術の導入で発展を続けてきたが、自国の技術力の蓄積がなく人民元の低レートがあって初めて成り立っていた資本・技術の導入に元の切り上げ圧力とともに、中国市場参入魅力が薄れ、且つご都合主義の人治主義への疑問が取りざたされるようになってきた。 戦後軍拡を続け核・宇宙ロケット、チベット侵攻領土化・ウイグル地区弾圧、朝鮮戦争、ベトナム侵攻、南沙諸島、カンボジア、各国との領土紛争等々。 日本の平和目的のODAを他国へ自国ODAとして利用し、また自国の軍需産業への投入により生産した武器を他国へ売却し続けているのですから、なにおかいわんやですネ。 情報も一部の上層部が握り知らせずに現在まできたが、外国資本導入とともにそれも抑えきれなくなりつつあり、貧富の格差の拡大とともに各地ではデモが頻発、官僚汚職が横行・激増し、一部上層の情報を握る者達の崩壊を前提にした行動として汚職で築いた莫大な資産が海外へ、ここにきて流出し続けているのです。一旦緩急あれば即、海外逃亡の準備として既に行動を起こしている情報もあるようだ・・・あの強烈な『愛国教育』の成果?はどうしたのだろうか・・・ネ?【追加】をもうひとつ虎視眈々と対米対抗覇権主義を貫いているようだね、これ。中国は「核戦争を決意」ー六ケ国協議はまやかし。中国の軍関係週刊誌「軍事博覧報」によると、中国軍関係者の話として、中国が台湾統一に向けて軍事行動を起こす際、米国が介入することを勘案して、「核戦争」も含むあらゆる局面を想定して準備を進めていると報じている。また、米国軍に日本が後方支援した場合、即「対中宣戦布告」と見なして、日本を攻撃対象とすることも明らかにした。また、米国軍が、いったん台湾の問題で軍事的に介入した場合、中国は、セルビア、モンテネグロ、イラン、リビア、キューバ、北朝鮮などと同盟を結び、これら諸国に中国の核技術を提供し、ロシアを含めて世界的な反米軍事攻撃体制を築くとしている。矢張り、中国は北朝鮮の核開発を支援していると思われる。六ケ国協議はまやかしに過ぎないことが明確化された。平成17年3月5日日本国民の税金がODAとして彼の国へ渡り、結果として“核ミサイル”を数百発照準を合わされているのです日本へ、知っているのでしょうか皆、そんな報道は当然されない状況は、日本に報道機関・メディアって有るのだろうか?と思うネ。何を考えているのかホント、煮ても焼いても食えない国だね・・・ホトホト・・。・・・と、こんなのはどうでしょう・・・。 ■排外デモは無力感の表れ 二、三の私の中国人の友人と知的会話を楽しむ想定で、今度のデモのことを考えてみたい。 友人の中には現在の中国の政策を弁護するのに巧みな高度な国際政治の専門家もいるし、天安門事件以来逼塞(ひっそく)しているらしい民主運動家もいる。歴史を遡(さかのぼ)ると、中国の反日デモでは、五・四運動がある。 これは反日運動であると同時に時の軍閥政府に対する反政府運動でもあった。当時日本の進歩的インテリ吉野作造は、日本人自身が明治以来官僚軍閥支配と闘って来た事を想起して、「隣邦民衆の同じ運動の成功を切に祈る…。官僚軍閥の手より解放されて初めてここに両国間の強固なる国民的親善は築かるべきである。従来の所謂親善は、実は却って本当の親善を妨ぐる大障害であった。」と言っている。 現在の中国体制派のインテリ諸氏に、この発言について同感を求めるのは無理なことは知っている。しかし天安門事件直前の頃の雰囲気ならば、民主化した中国と日本との間で、政治や利権にからむ友好人士間の関係でなく真の友好関係を築こうという呼びかけは理解されたであろう。 他面、この五・四運動以降の反日運動は日本人の反中国感情の源となった。それまで日本人は、孫文を初めとする辛亥革命の志士たちを陰に陽に支持してきたので中国革命家とは仲間意識があると思っていた。ところが中国民衆の反日運動を目の前にして、日本は国家主義に再び目覚めた。昭和維新運動を主導する北一輝などがその例である。 中国が反日運動をすれば、日本人の国家意識が強くなる、これは極めて単純な作用反作用である。今回の反日デモも当然そういう効果はあると覚悟しなければならない。 その後戦争に至るまで日本が経験したのは国民党の公然たる政策だった排日侮日運動であった。 これを、外国の研究者に、どう説明するのか、私は長い間苦しんだが、十数年前パレスチナにインティファーダが始まってから容易になった。インティファーダは武器を持たないパレスチナ人がユダヤ人に抵抗するために取った戦術であり、ユダヤ人との商売や接触をボイコットし、いやがらせをしていたたまらなくさせる作戦である。 満州事変前には、日本人に対する、食料品などの販売拒否、婦女子に対する投石、凌辱(りょうじょく)、などがあり、その結果、相当数の日本人は引き揚げ、日露戦争以来の日本の権益は風前の灯となった状況があった。つまりインティファーダと同じ状況だったと説明すると、欧米人はすぐに理解できる。 この状況は、日本との衝突を絶対に避けようという信念のあった汪兆銘などが抑制させた時期もあったが、概(おおむ)ね盧溝橋事件まで続いた。 ただこの時期のことは今の中国の参考にならないし、また参考にすべきではないと思う。パレスチナ人もあの頃の中国も弱かった。武力で抵抗しても忽(たちま)ちにたたきつぶされただろう。 したがって中国は国際法的には戦争と言えないギリギリの手段で日本人をいたたまれなくさせて追い出そうとしたのである。東京裁判で日本の弁護側があれは日本の自衛のためだと主張したのはその意味である。 しかし今の中国はもう押しも押されもしない大国である。こんな手段で自己主張する必要は全くなくなった。 考えてみれば、中国でこの種の排外デモが起こり始めたのは、今世紀初頭の団匪(だんぴ)の乱以来中国が半植民地化したことに対する民衆の憤りからである。中国が世界的帝国であった四千年の歴史ではこの種のことは寡聞にして聞いたことがない。はっきり言って、コンプレックス、無力感の表現といって良い。 話は変わるが、今問題となっている扶桑社の歴史教科書の前の版には反米的な箇所があった。米国の或る会議でこの話をしたら、出席していたアメリカ人が、本当に異口同音に言った。「アメリカの悪口など世界中で言われているから気にしないよ」 この時は、「さすが大国民、参った」と思った。その寓意は、日本人にも、中国の友人達にも解って欲しいと思う。 =おわり NPO法人岡崎研究所所長・岡崎久彦 ◇ 外務省きっての論客として情報調査局長、サウジアラビア、タイ大使など歴任。平成4年退官。7年に正論大賞受賞。『戦略的思考とは何か』(中公新書)など著書多数。 彼の国の実態を正しく伝えてくれているメディアはあるのだろうか、延々と報道規制を掛けられ批判を書くと国外追放になる為批判は書けずにきた、その延長に現在があるが日本ではブラックボックスのままなのです。結果として、かけ離れた事実を垂れ流してきたし、逆に嬉々として加担してきたそんな報道の内容から真相を知ることはできない、又、そうされてきたようだ。けれど、いつも騒動ばかり起こして忙しい国だね周辺諸国はみんな。騒がしく騒動を起こしていなければならないなんて、まるでサメのように泳ぎ続けなければ死んでしまうのと同じなのだろうか?せめてマグロなら美味しいけれど・・・周辺諸国は食べれるの?・・・。
2005年05月24日
コメント(0)
・・・信奉する思想・体制への帰属意識から報道内容はかくも偏向している事が、国内でも知れ渡りお為ごかしの奇麗事じゃないことがバレバレになってきた。また、米国での大統領選とかコーランの扱いの誤報で反米デモなどで人まで死んでいる状況が生まれ大問題に発展している。国内でもそんな偏向報道で訴訟沙汰が相次ぎ発生し、報道神話が次々と崩れていることは報道の実態が知れ渡ることで、主要メディアも思い込んでいたほどには真実を語っていないことが分かった。・・・伝える側の都合の良い情報しか発信してなかった事が分かった・・・。都合の良い創られた事実を伝えていた?という事実があからさまになったことはこの時期タイミングとしては良かったのだろう。チョッと古いですが都知事石原慎太郎氏が、そんなメディアの取材について記している。以下・・・。 2003年6月2日発売の産経新聞より転載 産経新聞社HP http://www.sankei.co.jp/ 「あきれたメディア事情」 新聞やテレビといった報道機関が第四権力といわれ出したのは大分以前のことからだが、それにつれて日本のメディアが、権力としての責任においての自戒の上に洗練され質的にも向上してきたという実感はほとんどない。 特に政治という社会工学的にもっとも影響力の大きな分野においての、それを運営遂行している政治家に関する報道の、その使命に比べての低劣さには唖然とさせられることが多い。そうした報道の当事者たる記者たちの関心は、国民の知る権利の代行 として取材の中で発露されるべきなのだろうが、彼らの知的水準が低劣だと報道の内容そのもののレベルもそれなりのものにしかなり得ない。 しかし取材を受ける当の政治家の側にいかなる引け目があるのか、彼らを相手にする政治家の多くが、大層我慢強くまともに相手をしているのには驚かされる。そしてそれがまた彼らの低劣な取材ぶりを増幅している。 特定の政治家を立ち話でつかまえて行う取材を「ブラ下ガリ」というが、向こうの勝手でつかまえて行うには大方の質問がひどすぎる。特に目につくのが官邸でのそれで、かつて森総理時代、小渕総理の後継者としての決定が密室的だったということで最初からメディアは意識して小意地の悪い扱いようだったが、ことあるごとに、ごくごく若い記者たちが群がり総理をとり囲んでテープレコーダーを突きつけ、「一体いつ辞めるのか」と繰り返していた。あれはもはや取材ではなしに国民に代わっての (?)うさ晴らしじみたものだった。 そんな手合いがどこへいくにもぞろぞろつきまとっていて、ある年の正月、昔からある「自由社会研」の新年会に遅れて出向いたら、会場の料亭の玄関口に記者たちがたむろしていた。中の廊下で総理とすれ違い二言三言立ち話して別れたが、会が終わって出てきたらまだいる記者たちが群がってきて、総理と会ったが、どんな話をしたのかと執拗に尋ねる。面倒だから、「話は密談」とつき離したら、「どんな内容の密談ですか」、と真顔で聞き直してきたのにはあきれた。いつかも、同じ森総理を羽田空港に近い開かずの踏切に連れだし、都市再生の手立ての象徴としてこうした致命的な渋滞の解消に国家も関心を持つべきだと建言し総理も同意しその場で予算措置もできたが、引き揚げる途中彼に同行してきた女の記者が近づいてきて、「あの、あそこで総理と一体何を決めたんですか」とまともに尋ねたのには驚いた。 「君はどこの社の誰だ。目的も知らずにここまでただついてきたのか」といったらバツ悪そうにそそくさと姿を消してしまったが。彼らにとっての取材努力なるものがいかなる形であるのか、馬鹿々々しくて想像する気にもならない。 記者クラブ主催の記者会見といういかにも日本的な特権的閉鎖的な習慣が、彼らの自惚れと怠慢を育ててしまったのだろうが、彼らの上にいる者たちははたしてその実態を承知しているのだろうか。巣立ちもできぬ雛鳥ではあるまいし、記者と名乗ってただ口を開けていれば相手は恐縮し問われたことに必ず答えて餌をくれる、いやくれるべきだと思いこんでいるとするなら、もはや滑稽としかいいようない。 昔、中川一郎が急死し、仲間で密葬の準備をしている最中に自殺と知って全員ショ ックを受けた折、それを聞きおよんでメディアが私邸に殺到してきた。代表して私に会見をというので拒否したら、先輩の長谷川四郎さんがここは皆のこれからのためにも堪えて付き合ってやれ、というので大雨の中傘をさして門の前まで出かけたら、一 番前に立った当時著名なTという女性のキャスターがマイクをつきつけ、いきなり、 「大変ですねえ、何かひとこと」。私は怒って、「これはそこらの芸能人の結婚式と は違うんだ。わざわざ人を呼び出してそんな質問があるか、帰れっ」と怒鳴りつけた。 それを見て後ろに潜んでいた男の記者たちからまあまともな質問が出たので答えはし たが、昨今なんで大方の男の記者たちはぶら下がりの取材に、いつも小奇麗な女の記者を正面にたててくるのだろうか。 かつて小選挙区制度に猛反対して党の総務会から出てきたら玄関ホールで記者たちにつかまった。あの時も先頭切った若い女のキャスターがこちらの喉元にマイクを突きつけ、「あなたは守旧派ですねっ!」、と弾劾調で叫ぶ。むかついたから、「お前さんどこの誰かは知らないが、人にものを尋ねるときは社名と名前を名乗ってするのが礼儀だろうに。家で親の育て方が悪いのか、会社の教育が駄目なのかは知らないが」 といってやったら仏頂面でいちおう名乗ったので、もう一度質問を繰り返させ、「君ね、相手を良く見てからものを尋ねろよ、この俺がシキュー派だって。俺は男だよ、 シキューなんてないよ、正確に報道しといてよね」、いささか品が悪かったが茶化してやったら周りは大笑いだったが、件の記者は怒り心頭の様子だった。それくらいし ないとこちらの気持ちも治まらないことが多々ある。 かと思えばかつての私の「第三国人」発言問題などは記者の功名心というよりも売名衝動で、一般紙の休刊日を狙って他の娯楽紙に、私の発言に無いことまで書き添えてことを煽り立てた結果だった。大災害が首都を襲った際の治安問題については言及はしたが、かつて関東大震災の折の朝鮮人への殺害事件については記者当人が書き添えたもので、「朝日」などそれに踊らされたメディアや特定組織もあったが、記者当人のインターネットでの反石原キャンペーンには冷静な市民から激しい非難が集中し たようで、しまいに身の危険まで感じたのか当人から私あてに、奥さんの身にまで危 険が及びそうだとか、私はあなたが好きになりかけていたのにとかの詫び状まで届いての醜態だった。 こちらもあの意識的に偏向した報道に正式抗議を準備し手続きをとっていたが、当の記者の個人的詫び状までが揃っては相手社も一方的な非を認め正式に謝罪せぬわけにいかなかった。 こんな程度のメディアが、国の命運を左右しかねぬ政治の中枢の出来事を、「報道」 と称していじくり回している実態を国民は一体どう承知したらいいのだろうか。これも所詮昨今の教育しつけの荒廃がもたらしたものなのか。 ・・・・・・・・この後、TBSの捏造報道で訴訟に発展勝訴しているし、その他諸々のメディアとの係争があり、報道の信憑性が取りざたされることになったことは蒙を啓いてくれた出来事でもあった。以前から思想・体制側に都合の良い報道が流されていたことは、公然の事実であり最近では安部・中川氏への幼稚な朝日の捏造NHK記事問題が浮上したが、自社の紙上ですら説明責任を果たさず、裁判を盾に有耶無耶のままだネ、確か・・・。今も昔も変わらずに情報の重要性は変わらない。孫子の兵法『敵を知り、己を知らば、百戦危うからず』なんてことは誰でも知っているが、よくよく理解するには底が深い至言だが、今こそ現在の日本に重く圧し掛かっている至言のひとつだネ。普段の生活だって情報の質と量は非常に大切なのですし、ましてや外交・国策の方向・国の大計にはより一層精度の高い情報が求められるのはあたり前だ。権謀術数の情報戦は神経戦でもあり非常に疲れる。そんなときは35才で逝った天才、埋葬の時には墓守だけだったと伝えられている薄幸の天才『モーツアルト』。B・ワルター指揮の「ジュピター」でも聞いて落ち着くのもいいかも。しかし、35才で逝った天才の音楽を演奏したり指揮をすることで、世界中で何人が豪邸に住み名声を得ていることか・・・これを思うと悵然たらぜるを得ないネ。チョッと古いがカラヤン、ベーム、ジョージ・セル、ブルーの・ワルター、クーベリックのジュピターもある。人生は独断と偏見に満ちていると知るべき、なんてのもあるが、情報も音楽も固定してはいけない?高い感性力の醸成が必要なだけのようだ・・・。
2005年05月21日
コメント(0)
・・・激しい地殻変動を余儀なくされている現在の日本で、その萌芽は既に一~二世代前よりマグマのように歴史の底で緩々と胎動していたのですが、何事も地表に芽を出さずば大半の人は気付かない、が、気付いている人達もまたいたのです。緩慢な動きは眼に止まらない、それが人の常だが本当に大事なことはゆるゆるとジワジワと真綿で首を絞めるように経ち現れることが多い。歴史のうねりのタイムスパンは、日常生活の時間の中ではなかなかその萌芽に気付くことはできないのですが、気付いたときには手遅れが大半で現在引起されている周辺諸国間との複雑な問題そのものも既に種は蒔かれていたが、関心が薄く放置していたツケなのかも知れないネ。知っておくことは遅くないと思う、知の蓄積のひとつに・・・以下。楽天HP。>http://plaza.rakuten.co.jp/yuuta1614/diary/200502050000/<このHPは日本に住んでる韓国人についての現状を知ってもらう為に作りました [ カテゴリ未分類 ]。 ずばり日本に住んでる韓国北朝鮮人は帰化済み含めて100万人いると言われてます。実に日本に住んでる130人に1人の割合です。その多くは日本名を使って日本人になりすましてる人が多いので、周りから見れば韓国人と分からないでしょう。 在日犯罪 元警視庁勤務桜チャンネル内の投稿スレッド。 http://www.ch-sakura.jp/bbs_thread.php?ID=5796&GENRE=sougou全員強制送還を 吉田文書考(吉田首相のマッカーサー宛て「在日朝鮮人に対する措置」文書考) http://www.marino.ne.jp/~rendaico/nityoseizishico/yoshidabunsyo.htm上のページをよくご覧下さい。1949年当時、日本国内で収監されていた在日半島人犯罪者の数は、7000名以上(しかも、常時)いたのです。さらに故・吉田茂は、このマッカーサーに宛てた文書の中で、1XXX年~1948年5月末までに、9万1235名の朝鮮人が犯罪に関与したという数字を、具体的に列挙しているのです。故・吉田茂首相当時から、否、それ以前から在日半島人は、とにかく犯罪者だらけだったのであります。私は今こそ、故・吉田茂氏の意を汲み取り、日本政府が日本国内の半島出身者全員を朝鮮半島へ強制送還するべきである、と考えます。半島出身者は犯罪者だらけなのです、昔から。 ・・・それとか・・・福沢諭吉の1885年に有名な「脱亜論」を。かつて明治の偉人「福沢諭吉」は1885年に有名な「脱亜論」を発表し、「支那朝鮮は我日本のために一毫の援助と爲らざるのみ、、、」と述べている。120年も前の事でる。このように考えるとかの国は昔から小は個人的な犯罪から、大は国家の犯罪に至るまで世界の嫌われ者であり続けている。福沢諭吉の脱亜論の結論の部分を引用する。輔車唇歯とは隣國相助くるの喩なれども、今の支那朝鮮は我日本のために一毫の援助と爲らざるのみならず、西洋文明人の眼を以てすれば、三國の地利相接するが爲に、時に或は之を同一視し、支韓を評するの價を以て我日本に命ずるの意味なきに非ず。例へば支那朝鮮の政府が古風の専制にして法律の恃む可きものあらざれば、西洋の人は日本も亦無法律の國かと疑ひ、支那朝鮮の士人が惑溺深くして科學の何ものたるを知らざれば、西洋の學者は日本も亦陰陽五行の國かと思ひ、支那人が卑屈にして恥を知らざれば、日本人の義侠も之がために掩はれ、朝鮮國に人を刑するの惨酷なるあれば、日本人も亦共に無情なるかと推量せらるゝが如き、是等の事例を計れば、枚擧に遑あらず。之を喩へば比隣軒を竝べたる一村一町内の者共が、愚にして無法にして然も殘忍無情なるときは、稀に其町村内の一家人が正當の人事に注意するも、他の醜に掩はれて湮没するものに異ならず。其影響の事實に現はれて、間接に我外交上の故障を成すことは實に少々ならず、我日本國の一大不幸と云ふ可し。左れば、今日の謀を爲すに、我國は隣國の開明を待て共に亞細亞を興すの猶豫ある可らず、寧ろその伍を脱して西洋の文明國と進退を共にし、其支那朝鮮に接するの法も隣國なるが故にとて特別の會釋に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に從て處分す可きのみ。惡友を親しむ者は共に惡友を免かる可らず。我は心に於て亞細亞東方の惡友を謝絶するものなり。 『時事新報』1885(明治18)年3月16日 まさか120年前のことが、今の現実に当てはまるとは驚きでもあり、犯罪率が異常に多い事もDNAにかかわっていることであると再認識をする次第である。日本人はもっと歴史認識をして、事実を積み上げて、朝鮮人を排除すべきである。 ・・・・・・・・・・・と、桜チャンネルからの抜粋・・・“知恵の悲しみ”と言う至言あるが、知らないほうが良かったと思うことの方が多いのが平和な日常生活なのかもしれない。良いところ、美しいところ、気分の良いところだけ見て生きて往くことのほうが幸せだ。けれど現実はそれを許さない状況が次々と湧上るのですが日本の現状がそれに相当するのだろう。善意・善悪、正義・不正義の価値観が相容れない、旧来からの日本人同士の阿吽の呼吸と信頼という根本姿勢が通用しない状況が表出し、シャイでナイーブな国民性に付込む強かで恐れを知らない強欲なそれらに蹂躙されることになっている。家には鍵すら掛けず、女子供でも夜道も安心して歩けたそんな時代は、伝説のように遠くの彼方へと消えていった。凶悪犯・殺人などたまに紙上を揺るがすことがあった程度で、そんな記事が日常茶飯事で麻痺しちゃった感覚が恐ろしい。時代と共に日本人も変質したこともまたあるのだろうが、激越・過激な多発する凶悪犯は日本人の変質なのか、それだけだろうか・・・。犯罪集団を手引きし送込んでいる周辺国家の組織があり、また、それに加担している国内の組織もまたあると言う。気付かなければ不正はあたり前、正直者は気が利かない間抜けのように思われる風潮が醸成されたのは、何時・何から始まったのだろうか精神の崩壊現象は・・・。国内のあらゆる組織もまた不正・逮捕されたりすることもまた、茶飯事になっているこんな現状は、日本国家のメルトダウンと言わずに何というのだろうかネ・・。・・・国家も人も液状化現象で崩れ、メルトダウンで雪のように融けて往くか?。
2005年05月20日
コメント(0)
・・・国連常任理事国入りを巡り喧々諤々の論議で、アジアでの先の大戦に於いてのことで中・韓・朝などから日本には資格はないとまで言われ、そしてそれを世界中のメディア・華僑を通じて配信され続け各国のデモに繋がっているようだ。まぁ、全て我田引水的な言動がバレバレになりつつあり、自発的なデモ?といいつつ自国に矛先が向き始めるとキッチリと統制を取る素晴らしさ。最初からできるじゃない、見てみぬ振りをしていた?のだろうと、見抜かれちゃいましたネ、それにもともと自発的デモなんて概念は一党独裁国家で選挙すら行われることのない統制国家には選択の自由はないのですから詭弁だったのだネ。日本人の精神腐らす「靖国」の譲歩 ■中国が批判する真の理由は何か 《国の殉死者祀らぬ国とは》 靖国参拝問題が外交問題になるという奇妙な現象が起きている。これを“政治解決”しようという動きまである。そもそも、その国に殉じた者を祀(まつ)るという行事は民族固有のしきたりや伝統、文化に基づくもので、その行事を他国が許すとか許さないという話ではない。小泉首相は委細構わず、日本国の伝統に従って靖国神社に参拝すべきだ。 十八世紀末のフランス革命まで、ヨーロッパには「国民国家」というものはなかった。一七八九年に始まる「フランス革命」は従来の身分制社会を否定し、主権在民、単一の法体系、議会を中心とする「国民国家」(ナシオン)と呼ばれる統治システムを生み出した。このシステムの優位性はナポレオンの欧州大陸制覇によって証明され、ヨーロッパ中の王が進んで国民国家への体制改革を認めることになる。資本主義経済と「国民国家」を組み合わせたヨーロッパ諸国は世界で圧倒的優位に立ち、植民地獲得の「十九世紀的世界」を現出した。 日本もペリーの来航をきっかけに、一気に国民国家建設に突き進む。もちろんアジアでは日本だけが国民国家の建設に成功した。成功した理由は日本人が世界情勢の変化を読み取り、それに対応するための明治維新の大改革を乗り切り、日清、日露の戦争にも勝ったからだ。 靖国神社はその前身の招魂社以来、国民国家建設に殉じた人たちを祀っている。(1)戊辰戦争(2)日清戦争(3)日露戦争(4)大東亜戦争。これらの戦争で亡くなった人たちのおかげで現在のわれわれがある。大東亜戦争の敗戦は悲惨だった。悲惨だったからこそ、われわれが得た教訓も大きい。 小泉首相は靖国に参拝して「二度と戦争を起こさないことを誓う」という。しかし国家が続く限り、五番目の戦争が起こるかもしれない。われわれは覚悟し、それに備えなければならない。五番目以降に亡くなった人たちをもう祀らないというような国民国家がどこにあるのか。祀りをやめた国家は建国の精神を引き継ぐことをやめたのだから、いずれ滅びる。 いま首相に靖国参拝をやめろという人たちは国家の生命よりも日中関係を尊重しろということのようだ。 《国民国家とは言い難い国》 北城恪太郎氏、小林陽太郎氏よ、最も大切なものを捨てて、あなた方が得たいものは新幹線の売り込みなのか、工場の建設許可なのか、商売上の利益なのか。経済界のリーダーとは歴史観の欠落したさもしい人物ばかりなのか。 東条英機首相らA級戦犯を分祀すればいいという説がある。東京裁判自体、国際法に反するもので認めないが、仮に東条首相の戦略の失敗が敗戦を招いたとしても、われわれは彼の失敗のおかげで十分に賢くなった。 中国の首脳たちは「A級戦犯が祀ってあるから靖国参拝に反対だ」という。ならば戦犯を外せばよいというのか。過去から未来に至る永遠の祀りを途切れさせることが、日本人の精神を腐らせ、日本を滅亡に導くと知っているのだ。 中国はA級戦犯合祀(ごうし)以後も、大平、鈴木両政権、そして中曽根政権の初め二回までは首相参拝を認めていた。それがなぜ、教科書問題に文句をつけ(一九八二年)、靖国参拝に難癖をつけることになったのか。理由は簡単である。中国はいまだ「国民国家」を形成していない。資本主義経済に切り替えたように見えるが、「主権在民」というもう一つの条件が欠けている。これでは国民国家建設に至る燃えるような民族的熱気やそれと表裏するモラルの高揚は期待すべくもない。 《経済でも崩壊寸前の中国》 中国の現状は、政治的にも経済的にも社会的にも崩壊寸前にある。このところ中国経済を分析した書物が二十冊以上も出ているが、明るい見通しや未来を示すものは一冊とてない。にもかかわらず、朝日新聞や日本経済新聞には日本からも含めて、投資の失敗例が一例も載らないのはなぜだろう。かつての中国報道のように日本のマスコミに対して中国政府が見えざる統制をかけているのか。 『やがて中国の崩壊が始まる』を書いたゴードン・チャン氏は「中国の経済改革なるプロセスは共産党のエリートたちが権力を金銭に変えるという異様な収奪だった」と言う。いまその不満は中国中に燃えさかっており、二〇〇四年一年間で中国で起きた暴動は五万-十万件にもなるという。貧富の差は激しく、自殺者の四割は農村地帯の女性だという。中国政府は民衆の怒りの声を日本に向けるために、靖国問題を煽っているのだ。 (【正論】政治評論家・屋山太郎[2005年02月28日 産経新聞東京朝刊] ) ・・・・・・・。 首尾一貫、理路整然、秘密主義じゃなく明確な筋の通る政策を打ちださなければ、これからも不可解さと不透明さが不支持を増やすことになるのだろう。自国民に対する残虐非道なことはヒタ隠し、チベット、ウイグル人への迫害同化政策、他国への侵攻・侵犯、1945年大東亜戦争以後も戦争と紛争を繰返してきた事実はすべて『愛国無罪』で片付けてきたのだろう。『愛国』ならば何でも許す、と国家が許可しちゃう国なのだから、凄い。自国に不利益になるようなことは、何十年経っても戦後保障だの靖国だの常任理事国だのいつまでも大騒ぎする、他国からの恩は自国民に知らせず情報隠蔽・歪曲は当り前なのだから、自国民の思想もコモンセンスからの逸脱もむべなるかな。比較する情報がないのだからしょうがないが、まるでいかがわしい宗教に洗脳された国家のようだ、情報の威力は一番知っているはずだが何時も自国民は後回しか知らされずに終わるのが常だ、統制国家はすべて耳栓と目隠しをされている。日本・こんな自由な国を、そんな不自由な国へと、思想傾注している方々が居る?なんて理解できないし、まわし者としか思えない・・・ネ。中・韓・北朝をいままで散々礼賛・おもねり・あおってきたそんな歪曲幻想報道もやり過ぎたのか、歴史と現実を直視する人々が増え、かえって事実に眼を向けさせることになりこの流れは変わらないだろう。日本の政治家も、そんな国の政治家の国益なら、との執念を煎じて飲んでみるのも必要?かもしれない、淡白・単純で。・・・唯一の“他山の石”かもね・・・。
2005年05月19日
コメント(0)
・・・世界中にはいろんな国と事情があるし、国内にもまた様々な組織と人々が日々生きている。優勝劣敗、競争原理だけでは不毛の殺伐とした人間関係が残るだけでもあり、虎視眈々と利害損得だけで日々過すことは人は耐えられない。故に国際法・条約、憲法、社会規範、道徳、TPO、商法ルール、等一連の様々な細かいルールが網の目のように整えられることになるのですが、日常生活ではそんなことは意識せずに生きている状態が安定と言う。そんな一連のルールに不備があると不正不満が噴き出ることになり、噴き出る矛盾を解消するために公権力と武力で鎮圧するしかない状況が生まれる。矛盾は何処の国でも抱えているが、自国の矛盾を解消するに他国に責任転嫁することは法治国家とは言えない。外交交渉で他国間問題は国際法に則って条約を結び解消するしかない、でなければ武力衝突・戦争しかないのです。政治家の役割は自国の矛盾を解消することと、他国間の矛盾を外交交渉で解決するしかないのです。国家建設へ向けて展望を開陳し、希望を与えると同時に耐えることも必要と説得することもまた重要な役割なのです。けれど責任転嫁している間は、自国の歴史への尊厳も失われ政治の成熟も国民の意欲も民度も醸成することは出来ない国家になる、最悪な緩慢な消滅の道への選択をしたことになる。なので政治家への期待も役割も重要になるのです。産経正論欄『付き合わぬのも外交政策の選択肢』、加地伸行氏の論。今も変わらぬ阿Qの世界中国における四月の反日デモについて、多くの論評がなされてきたが、私はあのデモの性格について別の見解を抱いた。報道映像を見ていると、日本大使館への投石を規制しないものの、護っている中国警備陣に対して、デモ参加者が罵倒している様子もなく、また、跳ね上がり者が出てきて突っかかったりもしていなかった。そんなお嬢さんデモでは意味がない。かつての日本の学生運動では、60年安保のときでも、昭和40年代前半の大学紛争においても、跳ね上がり者が警官隊と肉体的に衝突したものだ。しかし、四月の反日デモとやらには、そんな根性は見えなかった。私は思った。植民地の香港を実力で奪還する根性のなかった中国人の本質がそこにある、と。すなわち、命ぜられたままに投石して権力の意向に沿う・・・<阿Q>(何も分かっていない愚か者という、魯迅が描いた一般中国人像)の幼稚な姿だ。『荘子』人間世篇にこうある。「彼 まさに嬰児為らんとせば、亦之と与に嬰児為れ」と。(相手が赤ちゃんのような幼稚な態度を取ろうとするならば、こちらもよしよしと赤ちゃんと同じような態度で接するのがいい、大人が教えるというような無理は禁物、と言った意味である)国際ルールに疎い幼稚さ中国人は国際社会というものが理解できない。古来、国家間の紛争は絶えず、戦争はなくならない。けれども、現代社会では講和条約というルールを作っている。たとい憎しみ戦った仲であっても、講和条約を結ぶと、その中身についておたがい不満があったとしても我慢をし、締結以後、過去について国家としては蒸し返すことをしないで付き合ってゆくというのが、国際社会のルールであり、そこに講和条約の意義がある。日中平和友好条約、そして日韓条約はそれに準ずるものである。それが分からない幼稚な彼らは日本とどう付き合おうというのだ。無法なヤクザでも、手打ち式が終われば、過去を水に流す<仁義>を心得ている。今の中国人には無法はあっても仁義はない。共産主義者だから、おそらく仁・義・礼・智・信は追放して忘れてしまったのだろう。こういう中国と、ついでに言えば韓国とも、これからどうつきあってゆくべきか。前引の『荘子』人間世篇は、これでもかこれでもかと言うほど多くの例を挙げて、人為的なこと、無理なことは禁物ということを説いている。そうなのだ、相手が幼稚であるなら、なにも無理に仲良くする必要はない。日本はその道を選ぶべきである。すなわち、中国や韓国とは、十分な距離をあけ、友好などというきれいごとを言わず、栄光ある孤立の道を選ぶことである。と、述べると、中国との経済関係をすぐに持ち出す人がいる。愚かな話である。というのは、現代中国の決定的な二大欠陥が分かっていないからである。求められた時のみ対応をまず第一欠陥は、中国経済には依然として民族資本の蓄積がないことだ。これでは「愛国」が聞いて呆れる。外国資本下の<植民地根性>のまま、独り立ちできない構造なのである。第二欠陥は、研究開発のための投資をしない点だ。研究開発には膨大な金銭が必要な上に、成功するかどうか分からない。そういうことに中国人は絶対に金銭をかけない。つまり、今の中国からは独創的な独自のモノは生まれないということだ。常にコピーするだけである。こうした二大欠陥がある以上、中国は日本に見放されると終わりなのである。民族資本により研究開発をして新しいモノを生む日本が必要と言うことだ。いや、中国だけではない。世界の多くの国が日本を必要としている。だから、光栄ある孤立をする日本に対して、それでも必ず先方から求めてくる。その注文に限定して応ずればいいのであって、外へ出かけてゆく必要はない。いわば、一種の鎖国をすることである。もちろん国軍の認知もできない日本が国連にしがみつくのは滑稽である。末席の一国としてでいい。不良外国人は入国させないようにしよう。そのように退くのも外交であり、経済であり、そして政治なのである。日本国首相はどっしりと国内問題に腰をすえよ。人間世篇に曰く、たとえば日本は「その能(高い能力)を以って〔皆にたかられ、かえって〕その生(生きてゆくこと)を苦しむ者なり」と。・・・・・加地伸行氏・・・・・・・・・と、いうような一文の寄稿しているのです。結局、対日友好が必要なのは、むしろ中・韓なのだ、と論を展開しているのですが、現状のメディアの論陣からはでるはずもないものでしたが、産経新聞紙上に堂々と掲載されるご時世になったことは喜ばしいことだ。つまらない自虐史観と自己規制の国益を損ね続けてきたニューマ“呪縛”から、解き放たれつつあることは歓迎できるものだろう。けれど一方では従来の延長線上から抜けきれないで断末魔の必死の巻き返しを断行し続けているモノに加担するものもある。民主主義も社会主義も万全じゃないし、矛盾と安定と人間の尊厳が少しでも多く保障されるほうを望むのです。現在発明された思想の中ではタマタマの民主主義だったが絶対じゃない、けれどいまだ次は提出されていないだけだ・・・ネ。
2005年05月18日
コメント(0)
・・・鳥取木鶏クラブ 代表世話人 徳永圀典氏の日本人・人間の本質を突くご高説には頷かざるを得ない説得力がある。現状に欠落している“何か”を見事に言い当てているのですから、よほど心せずばならないし見過ごす事は出来ないのです。日本海新聞 潮流気候 平成17年 4月1 日禍福終始を知る私の座有銘の一つ、「ソレ学ハ通ノタメニアラザルナリ。窮シテ困(クル)シマズ憂エテ意(ココロ)衰ザルガタメナリ。禍福終始ヲ知ッテ惑ハザルガタメナリ」荀子の言葉である。人間の能力で知能は最も大切だが学ぶのは通ぶる為ではない。こうすれば、こうなる、ああすればああなるの古今の栄枯盛衰の理法を歴史や人物に学び、苦しい時に憂うばかりで心の力を衰えないようし、惑うことのないようにする。私はこのように自戒し学問は歴史に極まると思っている。人間の本質とは何かも考え抜いた。現役時代は地位学歴が気がかりだが、人間本来から洞察すると所詮、それらは本質的なものではなく、仮りの姿に過ぎないと分かる。お金があっても、地位が高くても、立派な学歴があっても、バブル崩壊時、人間の表皮に過ぎない、これら仮りのものが崩れ落ちた高位高官・政治家・財界人を数多く見てきた。その人達は表皮が剥がれてみて、人間の本質を痛いほど知り、本当の人間とは、と噛みしめたに違いない。学ぶとは単なる「知識や学歴・資格を獲得すること」だと思っては大間違いではあるまいか。現代は資格社会であり、それらは経済的に大いに役立つ。然し、幾ら表皮を厚くしても、人間本質の自覚が薄いと上述のようなことになる。享楽が手を変え品を変えて我々に迫っている現代、更に表皮ばかり追及して行くと、人間は幸福となるのか。それは極めて明白で、毎日、報道される殺人事件は、表皮のみ追い続けた結果であることを如実に証明している。生活が享楽、安易になれば人間は次第に頽廃し堕落し遂にものを考えなくなって行く。ただ目先の利便、安易、快楽を追っかける。わが国の経済が発展し、世紀の奇跡とか言われていたが、いつの間にか危殆に瀕し、漸く立ち直ったと思いきや、2007年以降の人口減少による国力下降の大転機が迫っている。経済的繁栄というものは曲者で、精神、道徳を伴わない繁栄は、必ず大きな失敗堕落を招いている。経済繁栄を自慢した日本人が、いつの頃からかエコノミック・アニマルなどと軽蔑され、やがてエロチック・アニマルになった。最近は社会の指導的立場の人々にその多発が出現した。これらの人間劣化を乗り越えるには、どうするか。一つのことが抜けているからどうにもならない。それは、良心であり、正義というものではないか。日本人として、或いは一社会人として、良心を持つ、正義を持つ。こういう精神奮起がなければ個人も社会も自滅を免れまい。いま日本人には良心・正義が歴史に見ないような頽廃に直面しており、特に正義の感動が失せてしまっている。だから日本の未来は重苦しい。内に享楽社会特有の現象が多発し、暗澹たる雰囲気がたちこめてきた。我々は未来に対して進んで有責でなくてはなるまい。背骨をピンとして、下品になった政治の革新を要求し、みんなが最大公約数的希望の持てるようになれないものか。進歩したが純朴さも失わぬ地方、品性ある溌剌たる生徒や教員、ゆかしい国史や伝統を大切にする、健康で清潔な大都市、親愛に溢れる行政府・議員、このような日本に戻れないものか。それには、人間の本質的なものは何かということを、家庭も社会もしっかりと自覚することからではないか。その人間の本質とは、「明朗・清潔・正直・同情・勇気・義侠・反省・忍耐等の徳性、これらが人間の本質」だと自覚することからではないか。能力のうち最も大切なものは知能だが、これらの徳性に比べると枝葉である。理解、推理、記憶、想像、注意力等は幼児の初期から発達するが、鍛錬しないと早くから停滞するのは明白だのに、ゆとり教育をする。人生は習慣の織物、躾の意義はこの良い習慣を幼児の時から養うことであろう。型の鋳込みが伝統的な近道である。そこから個性あるヒラメキが生ずる。徳性と知能、そして良い習慣で自己を確立し禍福終始を知ることができるのではあるまいか、時既に遅く、わが身を顧みて恥入るばかりだが。(鳥取市)鳥取木鶏クラブ 代表世話人 徳永圀典もやもやが腑に落ちる一文の筆頭だろうネ、これは。今日は、三回目のアップですが書かない日もあるのでたまにはいいだろう、と。
2005年05月17日
コメント(0)
・・・鳥取木鶏クラブの徳永圀典氏は警鐘を鳴らし続ける筆頭に位置する一人だろう。歴史を現状に鑑み、日本の現在と未来により好くつなげる為に如何にすべきかを日々模索し提言をモノしている、内容は広く・深く・高邁な志をバックボーンにあるべき日本の姿をエネルギッシュに訴えかけている。簡潔明瞭にして清明な提言を見ていただきたい、以下。・日本精神の復活こそ肝要 一国平和主義の破綻は明白我国にはサムライ精神というものがあり、武士道として新渡戸稲造氏が発刊した書物は、武士道、即ち日本道徳の価値を広く世界に高めたものだ。その精神が、白人の植民地とならず短期間に戦前の列強となり一等国民になった所以であろう。武士道は日本では、いわば宗教に相当すると言われる。我々の正邪、善悪の観念を形成しているのはこの武士道の精神に在ると思われる。武士道は我国の一千年の進化を経て形成されたもので日本固有の立派な道であり、近世の成功の主たる精神要因と信じる。いずれ、このホームページでも、少し触れて見たいと思っている。武士道こそ日本人の歴史、文明における最善のモラルと言って憚らない。我国の現今の、この退廃はこの精神の消滅に在る。現在の日本は、昭和20年の敗戦のように焦土ではないので国民は平然としているが、マネーの経済敗戦の結果、日本各地のビル・ゴルフ場・企業が二束三文で外資に渡り、見えない焦土である事を強く自覚する要がある。私は、米国が、日本国民のマネーを米国に取り入れて米国の繁栄に貢献すべく、不良債権の解決を迫り金融解体を暗黙で迫っているのが実態だと思う。米国は口に出していないが、それしか米国の当面のマネー流入手段はない。日本は本当に戦わなくてはならない。米国と戦争するのではない、同盟は必要だ。ブッシュはテロ以来実質的に第四次世界大戦に突入している。ブッシュが、イラク戦争に反対しているドイツとフランスを古いヨーロッパと言った。これは、中近東、アフリカの利権は戦前からヨーロッパのものであり、彼らがユーローを創りだして、米ドルの弱体化を狙ったがその戦略的反撃だと私は思う。米国がイラク即ち油田地帯を押さえれば世界は大変化する。そしてロシアと組み米国の世界的ヘゲモニーは完全に確立する。中国など、米国の技術の前では赤子であろう。インド、ロシア、アフガン把握による中国包囲網は着実に進展している。ここ10年の間に米国は世界覇権を完成しようとしていると思う。日本がマネー面での格好の資金源であろう。戦うと私は言ったが誰と戦うのか。戦争すると言う意味ではない。外交戦争である。考えて見るが良い、中国と北朝鮮の核保有で、日本は手も足も出なくなっている。北朝鮮などは日本の実力の20分の一程度、韓国は九州程度の経済力である。その国に国民を拉致されるなどは平和主義を標榜しているからである。悪事には断乎として対応するサムライ精神の欠如、国民を守る為には場合により戦争する意志の欠如に在る。それは一国平和主義のことである。社民党や民主党の言う、一国平和主義は完全に破綻した。拉致、靖国、竹島、尖閣問題を見れば明白である。普通の国であれば、北朝鮮の核の基地を爆撃するであろう。中国に対して、OECDの援助など絶対しない。靖国神社に総理が参拝するのを干渉されるなど日本国民の精神の問題ではないか。戦後日本人の精神の退廃は恐るべきものがあり、それが経済交渉を含めて、あらゆる国際問題に波及している。中国・韓国・北朝鮮と外交するのには、断乎とした伝来の日本精神が絶対不可欠である。日本精神の復活こそ、緊急課題である。平成15年2月1日徳永圀典・・・と、もうひとつ。・毛沢東の発言今年が日中国交回復30年となる。私の記憶では、時の田中角栄総理が、中国の周恩来首相と、固い固いちぎれんばかりの握手をした。そして、周恩来という、大人―たいじんーというに匹敵する素晴らしい人物が言った、シーシータイタイ、子々孫々まで日本と友好し覇権を求めないと。そして、親分の毛沢東に田中角栄総理が、日本の侵略を謝罪したが、毛沢東は「謝る必要はない。あなた方は我々を助けたのだ」と応じた。30年代、中国の内乱で、毛一派の共産党が、西安事変を機に、中華民国の蒋介石総統を監禁、息を吹き返し、遂に蒋政権を台湾に追放し内乱軍の共産党が中国全土を奪取した事を指すものであろう。あれから30年、日本は毛沢東、周恩来の言を信じ、蒋介石が中国として放棄してくれた賠償を勘案し、惻隠の情で政府援助を続け今日まで総計6兆円に喃々とする資金を提供してきた。処が、近年は江沢民元主席は来日して謝罪を求めたり皇居で非礼な言語を発した。靖国神社の参拝という民族の習慣さえ一々干渉する。政府援助の事は中国国民に知らせないばかりか、唯一の国定教科書で国民を幼少の時から酷い反日教育をし続けている。これでは真の友好な関係など生まれる筈がない。一方日本は戦後、中国にどのように振舞ってきたか。日本は中国に内政干渉したことは絶無。台湾に武器を提供していない、それどころか台湾の一民間人さえ来日ビザの発給を遠慮する。日本は民主国であるが、中国には民間はない、全て共産党の指導の基に外国の民間関係を左右している。簡単に中国の言い分を信じてはならぬ。これを知らない日本人ー官も民間もーの油断は甚だしく隙を衝かれて国民がいいようにされていると断言できる。忘れてはならない、中国は共産主義国家なのだ。この毛沢東、周恩来たちはタイジンであった、彼らの発言から見ると、近年の中国は日本の援助資金が欲しいから一々嘴を挟むのだと思える。共産党の元祖達は日本が謝る必要はないと断言したし覇権は求めないとさえ言ったのに忘れているのは中国だ。日本は、もういい加減にキチントした態度をしようではないか。あの毛沢東さえ、謝罪は不要と言ったのだ。この言葉を日本人は思い出して問題を明快にしなくてはならない。平成15年2月9日・・・・・・・・・・歴史的史実を前提に理路整然と鋭く本質を抉り出し、フルコースのようにテーブルの上に過不足無く曝け出してくれるのですが、われわれが消化不良を起こさないように心して読了せずばと思わせられるほどページの背後の気迫を感じる。何時もこのような人達の一文をin/net上で無料で見ることが出来る、そんな僥倖にあることを嬉しく思うのです。・・・これからも読み続けたい貴重な一文のひとつですネ。
2005年05月17日
コメント(0)
・・・ここまで来ている日本の状況をどう読むか。この、■平河総合戦略研究所メルマガ■の内容のもまた、我々に新たな知の水平線を切開く何事かをもたらしてくれるものと思います。『甦れ美しい日本』、郷愁を伴った響きを失って久しい現状の日本。人は一瞬の生の光芒の中で何を残すのかはそれぞれですが、後世のことも考えに入れた言動をすることも現世に生きてるものの責任だろう。これを読んでどう思うのか、それもまた夫々だろうと思う・・・以下。 ☆☆ 私たちは書きたいから書くのです ☆☆☆ < 目次 > 村上和雄(特別寄稿)科学の現場で実感したサムシング・グレート1.佐藤守コーナー 「大東亜戦争の真実を求めて」その102.松永太郎コーナー 憲法をめぐって 3.奥山篤信コーナー 民主党代表 岡田克也という人 その24.西山弘道コーナー 「ある政治家の軌跡」5.花岡信昭コーナー 「コンスタンティン」が示すもの6.有馬尉彰コーナー 日本のケーブルテレビ事業を取り巻く事業環境と変化 =米国通信会社2強時代の次にくるもの=7.山崎行太郎コーナー ケインズの「乗数効果」論を否定するフリードマンの 「恒常所得仮説」理論8.桜井裕子(寄稿) 戦後補償は済んでいる(上)9.立売堀こぼれ話10.ある女子教員の嘆き☆筑波大学名誉教授で遺伝子学の世界的権威村上和雄先生の書き下ろし特別寄稿掲載されています。先生の論文を読ませていただきますと,いつも元気が湧いてきます!☆☆青葉ひかるのニコニコプラン2525計画推進協議会に賛同を! http://www.2525plan.jp/ ☆ ☆一般公開掲示板-BBS-http://imbbs3.net4u.org/3/sr3_bbss.cgi?cat=10819hirakawa☆ウェッブサイト< http://www.hirakawa-i.org >☆筆者のプロフィールはこのサイトご参照ください。平河総研会員募集中です。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━─特別寄稿 村上和雄 科学の現場で実感したサムシング・グレート------------------------------------- 笑いが健康に良いということは、かなり昔から知られていました。しかし、笑いが本当に病気を治しているという科学的な証拠は乏しいのです。私どもは、これを是非、科学的な分野として切り開きたいと考えました。そこで、2003年に私どもの「心と遺伝子研究会」は吉本興業とジョイントイベントを行いました。それは、笑いによってどの遺伝子のスイッチがオンになるのかを調べる実験です。 1997年、私は精神的な因子が遺伝子のスイッチのオンとオフに関与するという仮説を発表しました。ポジティブな因子は良い遺伝子のスイッチをオンにし、ネガティブな因子は良い遺伝子のスイッチをオフにするという二つの仮説です。 ポジティブな因子とは、喜び、楽しみ、愛情、信念、祈り、感謝などで、ネガティブな因子とは、苦しい、辛い、ねたみ、怒りなどがあります。 この仮説を立証するためには、証拠が必要です。それを考えていた時、吉本興業の社長に出会いました。そして、これを笑いで証明できないかと考え実験にとりかかったのです。 その結果、「笑い」が糖尿病のほとんどを占める2型糖尿病患者の食後血糖値の上昇を大幅に低下させること見出しました。そして、その際に「笑い」によってどの遺伝子のスイッチがオンになって、どの遺伝子のスイチがオフになったかを直接つきとめることに成功しました。 これらの結果を、ダライ・ラマ14世が主催する「仏教と科学者」との対話でも話しました。私の話は、法王や招待者の1人であるアメリカの男優リチャード・ギア氏も大変興味を持ってくれました。 いま、人の遺伝子の解読がほぼ終わり、天才の遺伝子暗号と、普通の人の遺伝子暗号を比較することができますが、両者の差は、せいぜい千個に1個位です。さらに言えば、意味があるのは1万個に1個くらいだと思われています。もちろん、その1万個に1個の差がその人の能力や体力に大きな影響を与えますが、それにしても0.1%とか、0.01%の差は、言ってみれば誤差の範囲です。 私たちの遺伝子は、38億年前から連綿と進化を続けながら、現在の私たちにつながっているのです。途中、一度でも途切れていたら、私たちの存在はありません。途切れないまでも何処かでアクシデントがあれば、人間として誕生してくることはできなかったのです。すなわち、人間として生まれたと言うことは、それだけですでにエリート中のエリートなのです。 ただ、残念なことに私どもの遺伝子のスイッチはほとんどがオフになっています。それを、オンにすることができれば、人間はみんな自分の花を咲かせることができるのです。 私たちの遺伝情報は約30億の化学の文字で書き込まれていますが、それが1グラムの2千億分の1という極微の空間に書き込まれているのです。これを可能にしたのは、人間ではなくサムシング・グレートの働きといわざるを得ません。 眠っている良い遺伝子をオンにするのに大切なことの一つは、自分の命、自分の生きていることが、いかに凄いものであるかを知ることであると思っています。私はこのことを、科学の現場で実感しております。昭和38年京都大学大学院農学研究科農芸化学専攻、博士課程修了。バンダビルト大学医学部助教授 筑波大学応用生物化学系教授となり、遺伝子の研究に取り組む。昭和58年高血圧の黒幕である酵素「レニン」の遺伝子解読に成功、世界的な業績として注目を集める 日本学士院賞受賞 筑波大学名誉教授 平河総合戦略研究所名誉顧問著書に、「科学は常識破りが面白い」(光文社)、「人生の暗号」「生命の暗号」(サンマーク出版)、「生命のバカ力」(講談社+α新書)など・・・と、もうひとつ。4.西山 弘道「ある政治家の軌跡」------------------------------------- 閣僚も務めた白川勝彦氏が、5月1日に行われた新潟県十日町市の市長選挙で惨敗した。立候補者5人のうち、4番目、5番目がアテ馬だったから、事実上の最下位だった。本人もショックだったろう、普段、饒舌な白川氏だが、「敗軍の将語らず」で今後のことも含め、今、沈黙している。 白川勝彦氏といえば、自民党宏池会の中堅として活躍、加藤紘一氏の懐刀として、村山自社さ政権成立に奮闘した。すなわち、当時、社会党左派だった野坂浩賢氏に接近、野坂氏が村山氏に働き掛け、首相就任のOKを取り付けた。白川氏と野坂氏を結び付けたのは、当時、社会党代議士だった伊東秀子氏で、伊東氏は白川氏と東大法学部の同窓であり、共に弁護士になった。そういう意味で、白川氏は、いわば村山自社さ政権の“影の立役者”といえるだろう。その論功行賞か、次の橋本政権の時、白川氏は自治大臣・国家公安委員長まで上り詰めた。 しかし、白川氏の得意絶頂もここまでだった。次の総選挙で落選する。その背景には、白川氏がこの頃から、自民党内に「宗教を考える会」を結成、反創価学会・公明党の立場を鮮明にしたことがあった。白川氏のこの“反学会宣言”が学会の怒りをかい、彼の選挙区が学会の重点包囲網となり、落選の憂き目を見たのである。白川氏の選挙区、十日町は立正佼成会の創立者、庭野日敬氏の出身地である。白川氏は学会包囲網に対抗して、立正佼成会の支援も得たが、当選には届かなかった。 浪人になった白川氏はこの後、自民党を離党、平成13年の参議院選挙に新党「自由と希望」を結成して比例区に出馬する。47万票取ったが、これまた落選、再び浪人生活に入る。去年11月、白川氏の周辺に奇妙なことが起こる。白川氏が白昼、東京・渋谷を歩いていたところ、制服の警察官数人に取り囲まれ、“職務質問”を受けるという事件が起こった。国家公安委員長経験者が職質を受けるという前代未聞の“珍事”だが、一部には都議会公明党が警視庁に“職質”を指令した、という説もあるが、真相はわからない。 白川氏は東大法学部卒の弁護士出身、「新憲法代議士」の著書もある通り、自民党内では異端の“護憲派”代議士であった。その舌鋒の鋭さから、“自民党全共闘”などとも言われたが、エキセントリックなところはあるものの、要は常識的なリベラル人士である。左翼的なところもあるが、私が彼を買うのは、リベラル・自由を守るため、創価学会・公明党と徹底的に闘う、その一途さだ。勿論、今の自公連立政権にも反対している。しかし、先の統一補選、山拓氏の例にみられるように、今や自民党は公明党の助力なしには選挙にも勝てないところまで落ちぶれた。自公は今や、連立どころか、“融合”まで進んでいる。その公明党・学会に取り込まれる“自民党の危機”を声高に叫んでいた白川氏の“政治家の軌跡”を見ていると、巨大宗教団体に刃向かう報復の恐ろしさというものさえ感じてくる。 衆議院で落選2回、そして参議院、地方選挙でも苦杯を舐めるとなると、常識的には再起は難しいだろう。しかし、私は日本が宗教全体主義国家になるのは、見たくない。まだ59歳、ここは好漢、白川勝彦氏の再起を期待したい。・・・・・・・・・・それぞれの方々が「書きたいから書く・・・」という、シンプル且つ素朴な疑問を提出している各々の一文は、われわれの日々身近な疑問を解くヒントにもなり得てて、そして面白くてためになり頭を柔らかくしてくれるのです。基本的に日本人は外人のようにお喋りじゃないが、国際化のこの時代交流が進み田舎でも他国の人がタクサン住み着いている現状では、寡黙がいいなどと言ってはいられない。意識は稲妻、舌はカタツムリ?なんてのんびりしていると、饒舌な他国の人の前では自国民でありながら意見も意思もかき消されてしまい、存在すら声高な一群によって消滅させられるのですから、今の時代“寡黙の美徳”なんて悠長に構えているときじゃ無さそうなんだがネ・・・。現在は紙の中の戦争ですが、饒舌の思想を身につけ言うべきことを言わなければ、武器を持った戦争へと進展し“流血の惨事”が来ないとは言えない状況だ。日本人同士では今もこれからも“沈黙は金”足りえるのだろうか・・・ネ。
2005年05月17日
コメント(0)
・・・驚く情報がタクサン日々出てきて麻痺した感覚に慣らされちゃってしまい、少々のことではびっくりしない鉄面皮な心になってしまいます、悲しいことに。そんないつも曇りガラスを通してしか見えない状況に置かれている我々ですが、情報開示化が声高に叫ばれ徐々に密室の情報が漏れてくることになった昨今、けれど知らないほうが良かった?なんて言うこともまたタクサン表出している。あなたがお持ちの情報、教えていただけますか。 日本国民はひたすら騙され続けている。 02年に北朝鮮を脱出して日本に帰国した元日本人配偶者の平島筆子さん(66)が18日、 中国・北京の北朝鮮大使館で記者会見し、北朝鮮に再び戻る意向を明らかにした。平島さんは「私は日本にだまされて行った。共和国(北朝鮮)には子供たちもいて、平壌に戻ることが幸せだと思った」と語った。中国に渡航した経緯や北朝鮮大使館に入った経緯などは明らかにしなかった。 平島さんは1959年12月の帰国事業で在日朝鮮人の夫と北朝鮮に渡り、02年12月に北朝鮮北部の両江道から中国に脱出した後、03年1月、日本に帰国した。平島さんは会見で「日本では会いたかった妹にも古い友達にも会った。しかし、日ごとに子供たちへの思いが募った」と北朝鮮に戻る理由を述べた。そういえば北朝鮮に再び戻った平島さんに平沢勝栄議員が旅費を出し、 北朝鮮に帰す手助けをしたと西村眞吾議員が言ってましたね。 本当のところは実際のどうなのでしょうか?あと西村眞吾議員は信用してよい議員なのでしょうか?→平沢は、警察官僚時代はパチンコのプリペイドカード導入に奔走し、朝鮮人集団に大量の偽造カードを作られて大失敗したとても優秀なお方です。拉致問題に関しても、近づいてユスリタカリ、最後はカニ食ってポンというすばらしい業績をあげられました。いまや岡田の脱税を見逃す代わりに警察利権となったパチンコメーカーアルゼとは、非常に仲がよく、安定した生活を提供される基礎ともなっていたりします。亀井と並び、インチキ警察官僚もとい、すばらしい官僚の鏡のようなお方です。 西村氏に関しては、知ってて話さないということはたくさんあるでしょうが、”カニ食った平沢”と比べてはかわいそうだと思います。下記サイトにて日本人なら是非とも見るべきFlashアニメ(実写付)があります。ラストサムライ同様、日本人の誇りと気概を感じる本当にすばらしい映像ですので是非ご覧ください。大日本帝国の最期第壱幕 大平洋、波風立ちてhttp://www31.tok2.com/home2/teiteitah/emp_jp-1.html第弐幕 帝国皇軍 斯く戦へりhttp://www31.tok2.com/home2/teiteitah/emp_jp-2.html第参幕 ~日はまた昇る~http://www31.tok2.com/home2/teiteitah/emp_jp-3.html※明治から昭和の初期の日本人は、世界を相手にしていたと痛感しました。 東アジアの無駄に馬鹿でかい貧乏国や未だに自国統治もできない半島国家がいますが、日本人は本当にすばらしかった。純粋な日本人が誇りと気概を回復し、成りすまし売国奴の『人権擁護法案』や『外国人参政権案』の悪法が不要なのはいうまでもありません。→日本の国は誰のものでしょうか?正解は、「日本人のもの」。朝鮮系日本人でもアフリカ系日本人でもスペイン系日本人でもいいでしょう。しかし、ここが大事です。「日本人」というのは、「日本に絶対的な忠誠を誓い売国行為を行わず、納税の義務を果たすもの」をいうのです。シナや朝鮮などのぼんくらに言い含められているような国ではどうしようもない。 国民の皆さんが一人ひとり、意識を持つことで国は変わります。自民党に任せておけばいいという時代でもありません。利権がらみで日本がうまく回った時代も確かにありました。しかし、まだ日本人はモラルと心があった。今はそれがない。その時代に旧態依然とした自民党の「政党マフィア」がのさばってもしょうがないのです。ああ、もちろん民主党は党だとも思っておりません。個別の議員の方にはいい人もいるのですが、党はだめですね。「 ま た 韓 国 か ! 」といいたくなります。 ほくでんが原発メンテに韓国企業を導入するという愚行に引き続き、今度は日本の治安を揺るがす愚行を日本政府がやらかしてくれました。韓国人観光ビザ、免除恒久化へ 関係修復狙い/治安対策カギ 政府は14日、愛知万博開催期間限定で実施している韓国人観光客の査証(ビザ)免除措置を万博終了後も継続、恒久化する方針を固めた。6月に韓国で行われる日韓首脳会談で、小泉純一郎首相が盧武鉉大統領に表明する。観光振興に加え、韓国が強く求める観光ビザの恒久免除を実現し、領土問題や歴史認識などで冷え込む両国関係の修復を図る狙いもある。今後、韓国人スリ組織の入国阻止など治安をどう確保するかが課題となる。↑ご報告させていただきます。→ほんと、バカな国です。バカすぎて何もいえません。北に対しては、国内テロとのバランス上発言が微妙になるのもわかりますが、南に対してそれをする必要などまったくない。今度は、シナと北朝鮮のスパイが韓国パスポートでバンバン入国してきますよ。小泉はいったい何を考えているのか。国際交流と治安維持、つまりは「日本人のための」国益を考えてこのような決断を?ちがうでしょう。小泉の血も朝鮮の血なんじゃないかい?「心配が的中、国土交通省」 本日の産経新聞朝刊に「お墨付き保険に疑問、北朝鮮の船」の記事がでました。 「改正船舶油濁損害賠償保険法」により日本へ入港する船舶の保険加入を義務付けましたが北朝鮮の船舶が加入した保険会社は、事故がおこっても保険を支払わず裁判が多発していると報じています。 このことは国土交通省のなかでも北朝鮮船舶の加入した保険に疑問視する声があったそうです、この産経新聞の記者の取材にも国土交通省担当官は明確な回答をしていません、やはり北朝鮮の宗教と噂の多い創価学会、公明党の北側がやりそうなことです。 創価学会の信者も多く官僚(国土交通省ほか他の省庁))にいることから、国益に反する行政が行われていると思います、日本人拉致被害者の会が聞けば断腸の思いでしょう、この国土交通省の北朝鮮船舶が加入した保険での入港許可は確信犯と思います。 是非みんなの力で「売国奴国土交通省の北朝鮮船舶入港許可」を取り消しましょう、みんなで抗議のメールを送りましょうではありませんか、参考までに総理官邸の「ご意見承り欄」のアドレスを添付します。http://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html→はっきり言うと官邸も朝鮮なのでどうしようもないんですがね。まぁそれはさておき、”北側”なんてふざけた名前の大臣だ。そのまんまなのだろうと思うが。。。金を払わないというのは朝鮮人の特徴です。金を払わなくとも自分はいい思いをする、人は騙してもかまわない、自分さえよければいい、これが政治的に安定したことのない大陸人の考え方です。その証拠に一時携帯電話で伸びた朝鮮人のコピー屋のナントカ通信の社長はマイバッハに乗っています。 これらの人間は日本人社会の秩序を乱すのみでなんら日本人のためにはなりません。朝鮮人どもも、いかにも毛唐の先進的な考えのように思わせ、「競争」「資本主義」「弱肉強食」「規制改革はすばらしい」と言っています。役人の規制利権はもってのほかですが、規制改革をして朝鮮人が利権を持っていくなら、まだ日本人の役人に利権を上げて金をぐるぐる回したほうがましです。 競争がいいとかそれが資本主義だとか言うのは毛唐思想の勝手な考えであり、競争なんかなくとものんべんだらりと過ごしていても、日本の国益がそれでいいのならいいのです。どうせ頑張ったところで毛唐アメリカ国債を買わされて終わりでしょう。何のために日本人は生きているのか。日本人のためでしょう。毛唐やシナ、半島のために働く日本人などいやしません。【nikaidou.com】今週の週刊ポストに北朝鮮が6/15までに核実験をする旨の記事が掲載されていました。核開発は中国が支援しているような内容でしたが、同文には6/25(朝鮮戦争勃発日)-7/27(休戦協定日)の間は反米月間と定めて何かしらの動きがあるようです。 一方で韓国が6/19に対馬の日を施行したり、日本にとっては国家存亡の危機のような気がします。 このような現状の裏情報などがありましたら掲載をお願いいたします。→前に新月の日に攻撃開始したからと言って、次もそうするとは限りません。大体、イラク兵よりも弱く、北朝鮮軍への弱体化工作も浸透しているのにわざわざそこまでする理由がありません。作戦は知りませんが、どうせ攻撃するならば、夜中に日本海のイージス艦からバンバンミサイルを打ち込んで、ある程度消えてから海兵隊を投入ということもできます。新月にこだわるのはいかにも数字欲しさの週刊誌という感じもぬぐいきれません。もちろん、新月の特に攻撃を開始する作戦もありますが。名前:小林泰剛旧姓:木村、養子縁組で姓を変更(前回の犯行が原因がどうかは不明) 学校へは母親がベンツで送迎。 執行猶予中に状況(仕送り40万円) 前回の犯罪は何故か執行猶予(不思議、何故だろう?) ■木村一族 (青森 木村一族でぐぐれ) 両親:保育園2 つ、経理学校1つ経営祖父:警察署の署長木村文男(守男の父 自民党元衆議院議員) 木村守男(前青森県知事 自民党元衆議院議員) 木村太郎(自民党衆議院議員 当選3回 森派 現在、農水政務官) 他政策秘書に守男の実弟 元青森県議の松森 守男の元秘書など 木村守男元青森県知事はセクハラで辞任whttp://www.toonippo.co.jp/tokushuu/kimura/木村太郎は自民党青少年特別委員会副委員長whttp://www1.biz.biglobe.ne.jp/~k-taro/ 木村一族は地元では絶大な権力を持っている。 犯人が執行猶予になったのもその影響が濃い↑2ちゃん拾い、ほかに地元民のあいだでは 実母は自殺 小林姓は空手道場の主に金払ってたのみこんだとの情報が五所ヶ原筋の情報として流れてきました。→血は争えないですね。前の事件で執行猶予になったのは、1000万の示談金と優秀な弁護士のせいでしょう。弁護士という職業もどんなもんですかね。加害者の人権ばかり叫ばれて、被害者はないがしろ。弁護士といえば、悪徳弁護士の特集が朝日で始まる予定らしいですが、どこまで書けるのか見ものです。@@@@@@日本の液状化現象が進んで沈没?しつつあるのか、良くなる前兆?としての現状なのかは不明なのですが、様々な軋轢を跳ね除けながら民度の高い日本人・パラドックスの国日本ならば尚、良い前兆としての現在のカオス現象なのだろう。善悪に関らずあらゆる場面でメッキが剥がれ始めた動揺と焦燥感が根底にある、それがまた情報のパワーなのだろう。アラビアのロレンス、「ロレンスは傑出しているけれど、彼の内面ではあらゆる要素がバラバラに、それぞれ特異に発達している。なんという悲惨であろうか・・・」と、ロレンスの性格のはなはだ複雑、天才的分裂を示していて彼の書き残したものを読んで深々とため息をついた人物が居たそうですが、まさに現状の日本を表しているようだ。ロレンスがオートバイのBMWで散花したが、バイクの魅力にひかれ乗り回しても「危険だからヨセ」と言われれば降りることは出来る。けれど危険な状況になっている日本からオートバイのように降りることは出来ないのです。日本国から降りることが出来ないのであれば、ハンドリングをもっと上手に出来るようにしなければいけないのですから、もっと知る・ノウハウをマスターすることが重要なんだろう。
2005年05月16日
コメント(1)
・・・書き忘れたのですが昨日も『桜魂』より抜粋し記述させていただきましたが、本日もまた添付させていただきますがあらゆる問題に教訓を垂れられる朝日さん、が、逆に鋭いご指摘を浴びせられる昨今の状況はイッタイ何を意味している?のだろうか。独特の思想で教訓を垂れて啓蒙し続けることにもやはり限界があると言うことなのだろうネ。それが通用しなくなったときには武力革命かな・・・日本には残存するそんな周辺諸国が海を挟んで対峙しているのですが、メッキが剥がれて錆が浮いてきているようですが製品としては売れませんね・・・メッキが剥がれちゃネ。★★★ 桜 魂 ★★★ nippon7777.exblog.jp◆「戦後ドイツ神話」に惑わされるな 事実に反する朝日社説の空想論 拓殖大学 海外事情研究所教授 佐瀬昌盛平成17年5月13日(金) 産経新聞《信じがたい不勉強の産物》 五月三日の憲法記念日、『朝日新聞』社説は昨今の改憲論議に不満らしく、こう論じた。「旧西ドイツは戦後10年ほどの間に憲法を改め、再軍備に踏み切った。東西冷戦の最前線に位置し、西側陣営の圧力があってのことだが、それには徹底したナチスの断罪と隣国との和解が大前提だった。米国と仲良くやってさえいればよかった日本とは根本的に異なっていた」。 『朝日』好みの「ダメな日本は立派なドイツを見倣え」論の一種だが、この記述は厚顔な大ウソであるか、信じ難い不勉強の産物であるかのどちらかだ。武士の情で以下、後者の想定の下に論評する。 まず、事実関係。米英仏の占領下にあった西ドイツは戦後四年にして基本法(憲法)を制定、部分国家の道を歩む。詳論は省くが早くもその際、独立回復後の義務兵役制による再軍備を示唆する意味深長な文言が、ドイツ人自身の手で書き込まれていた。翌一九五〇年の朝鮮戦争勃発(ぼっぱつ)で西ドイツ再軍備論争が燃え上がるが、実はそれ以前にアデナウアー首相はソ連による事実上の東ドイツ再軍備に危機感を抱き、自国再軍備に向けて観測気球を上げていた。他方、米国で西ドイツ再軍備必要論が本格化したのは、朝鮮戦争勃発後のこと。 この順序が重要なのだ。「西側陣営の圧力」で西ドイツが再軍備したのではなく、不安に駆られた西ドイツが再軍備を望んだのである。『朝日』説は明らかにあべこべ。 だが、西ドイツ政権と米国の息が合っても、ことは思うにまかせなかった。なにせ隣国フランスが猛反対したからだ。ただ、事態放置はできない。そこでパリはドイツ人の国防主権は認めないが、西ドイツを西欧防衛目的に使うという一見妙案、つまりプレヴァン案に走る。米国も譲歩、同提案は欧州防衛共同体条約となり、ボンを含む西欧六カ国が署名した。そこまできてボンは再軍備のための憲法改正作業に向かった。《非ナチ化は戦勝国の政策》 しかるに、ドイツ人が再び銃を手にするのはやはり嫌だと反発したフランス国民議会が五四年八月末に条約批准を拒否、ことは暗礁に乗り上げた。結局、情勢を静観してきたイーデン英国首相が「ときの氏神」として事態を収拾、ボンは国防主権を回復して翌五五年五月にNATOに参加し、西ドイツ再軍備はようやく軌道に乗った。 つまり、ドイツ人の望んだ再軍備は「西側陣営」に喧騒(けんそう)を生み、フランスからはむしろ反対圧が働いたのだ。これは戦後欧州国際関係史の常識なのだが、『朝日』はこの常識を知らない。だからこそ、ドイツ再軍備には「徹底したナチスの断罪と隣国との和解が大前提だった」などと無茶苦茶が書ける。 こんな「大前提」説を聞くと、ドイツの歴史家たちは仰天するだろう。なぜなら、少なくとも戦後二十年間、「徹底したナチスの断罪」なぞドイツにはなかったからだ。戦後の「非ナチ化」はドイツ人の自発行為ではない。それは戦勝国の占領政策であり、わけても米国が最も熱心に、ただし、独善的に進めようとした。ドイツ人はやむなく従ったが、「米国にはナチスが分かっていない」との腹ふくるる思いを抱いた。対抗的に台頭したのが「ナチス犯罪にドイツ人の集団の罪はない」との主張だが、ここでは深入りしない。ただ、戦後二十一年目には、「非ナチ化」された元ナチ党員が連邦首相になった事実は指摘しておこう。 さらに念のために言うと、再軍備を実現したアデナウアー首相は内外からの批判にもめげず、かつてナチス人種法解説をものした高官をその能吏性のゆえに首相府長官として一九六三年まで重用し続けた。これまた、戦後ドイツ史の初歩的知識に属する。《和解先行の再軍備に非ず》 ドイツ再軍備にとり「隣国との和解が大前提だった」というのもでたらめ。今日のドイツが諸隣国、とくにフランスと良好に和解しているからといって、一九五〇年代中期にもそうだったと見るのは空想だ。先述したように当時、独仏はまだそれができていなかった。独仏和解が動き出すには、ドイツ再軍備から七年後の一九六二年夏のドゴール・アデナウアー初会談が必要だった。しかも、ドゴール仏大統領は当初、きわめて慎重だった。独仏和解が「大前提」で西ドイツの憲法改正や再軍備が成ったと書いている歴史書がいったいどこにあるのか。 『朝日』よ、かくもでたらめな「戦後ドイツ神話」を掲げ、日本国民に偉そうな説教を垂れるのは、恥ずかしいことではないか。※「知は力なり」という言葉がぴったりの文章だと思う。知っているという事は、やはり重要な事で、常に学びを忘れてはならないという事を、改めて肝に銘じなければならないと思った。全てを知るわけにはいかないだろうが、一歩でも前進する自分でありたいものだと、もう一度学びへの情熱が蘇って、感謝したいと思う。上記の歴史など、ほとんど知らない私など、朝日がそう書いても反論する知識がないため、忸怩たる思いのままであるが、世の中は広いもので、嘘はきっちりばれるものだ。まさに「網(あみ)、呑舟(どんしゅう)の魚を漏らす」という事にはならなかった。こうやって、心ある人たちが、朝日の嘘を暴き続ける事は大事だし、ブログでもHPでも朝日の事を言い続けていると、必ず「山の奥にも風は吹く」で、噂というものが巡って、購読者が減る事になるだろう。さて朝日だが、要するに、「A級戦犯の断罪-つまり靖国参拝の中止」、「隣国との和解-支那のご機嫌を取れ」という、さすがは支那新聞らしく、支那のためなら嘘でも騙してでも、何でも書きますという結果になった。最近ネットのおかげで、朝日の悪行が天下にさらされることが本当に多くなったが、この20数年こんな事を続け、読者を騙し、洗脳し続けてきた罪は重い。いつの日か、必ず鉄槌が下される日が来ると確信する。昨日、「私たちは、報道内容に疑問が多い、朝日新聞を購読しません!!」というのぼりを発注した。これを持って、街頭演説をしようというものだ。これをなびかせて、街頭で活動が出来ると思うと、わくわくする。そう遠くないうちに、このブログに大きく写真を掲載したいと思う。一枚数千円で、10枚作っても5万円くらいで、世の中のお役に立つと思えば安い物である。 @@@以上@@@素晴らしい本文記述と賛同の感想の一文に共感を覚えるのです。現状打開の為に何事かを進めようとしている人達の一団がこのように居る事は、非常に明るい展望を感じるのです。それくらい現状が歪められた社会風土の中にいることを意味するのですが、違和感を抱きおかしいと思う人達が動き始めているのです。行動へ移す為の歴史の真実と情報収集を怠ることなく続け、与えられた・創られた事実からの脱却を図ろうと連携し始めているようなのです。in/netの発達が我々に独占・秘匿・歪曲・捏造された真実が暴かれ、知るべき功罪含む情報を提供されることになってきたのです。それだけに知りえた情報を判断・評価・加工することには重い責任が発生するが、情報の自由化のこの時代既存のメディアといえど従来の延長ではソッポを向かれるだけだろう。従来の睥睨する傲慢さで教訓を垂れても歯牙にも掛けられない?そんな状況が拡大してきていることの意味を知らなければ、それくらい読者の知のレベルと民度が上昇してることを見縊ってはいけない。あらゆる場面で垣根が低くなりつつある状況は、国も組織も我々も鎧を脱がされつつあることでもあり、例え着ていてもスケスケの鎧でしかないのですから・・・。精神の旅、イマジネーションをもっとリファインし高める必要があるし、事物と自然と人間についてもっと知らなければならない。国も組織も人の勝負も結局は心の勝負であり、修行僧のように精神の旅は終わりのない修行の連続なのだろう。・・・発展進歩しても石田梅岩の心の世界を忘れまじだろうか・・・・・・・。
2005年05月13日
コメント(0)
・・・国内の染色されたニュースソースを基に判断し続けていると、ずれすら気づかず判断すら捻じ曲がったものになるようだが、歪曲・画一化された報道の中で久々に“蒙を啓かされた”一文に出会った。“朱に交われば赤くなる”そんな状況を作り出そうと必死でありとあらゆることをし続けている、既存のマスメディアから溢れかえる情報は操作された常識という世論を作り上げる。が、どんなにエネルギーを時間を人を傾注しようとも、西尾幹二氏のようなたった一人の秀逸な論文ひとつで日本刀のような切れ味で贋物を一刀両断に切り捨てることが出来るのです。信じ込ませようと画策した積年の妄想・妄言を見事に切り捨てている論には、久々に胸のすく思いだネ・・・。論は東西南北・上下左右と無数にあるけれど、それを提出できる国・日本は素晴らしいのです。が、周辺の大騒ぎしている国にそんな土壌があったのでしょうか一国でも・・・あるのは創られた事実しかないはずだが・・・・・。以下、一読を。◆敗戦国に謝罪の義務はありえず 二重謝罪招く首相のおわび表明 【正論】評論家・西尾幹二平成17年5月11日(水) 産経新聞≪喜べない欧米からの評価≫ 四月二十二日、バンドンの首脳会議で小泉首相が例によってわが国の「植民地支配」と「侵略」を謝って以来、私はずっと胃の腑(ふ)になにか消化の悪いものがたまっているような気分から解放されない。中国の無法に耐えて謝ったからではなく、謝罪演説が欧米で評判がいいと分かってかえって私は気分がすぐれない。 中国が反日暴動に謝罪しない傲慢さで世界の非難を浴びていたさなかだったので、小泉演説は大人の印象を与え、政治的に点数を稼いだ。米紙ウォールストリート・ジャーナルは二十五日、「今度は北京が謝罪する番」と書いた。欧米や国連の論調はたしかに小泉氏に好意的だった。それだけに私はだんだん腹が立ってきた。中国の強圧的無礼に屈した形になったことより、外電が歓迎したことのほうが私にははるかに不快だった。 アジア・アフリカ会議の出来事で欧米人がアジア人である日本人に点数をつけている。しかもドイツと比較している。そしてそれを日本人が喜んでいるような構図全体がこのまま固定したらひどくまずいな、と思った。アジアへの「植民地支配」と「侵略」をしたのはいったいどこの国々だったというのであろう。 最近しきりに考えるのは、第一次世界大戦と第二次世界大戦とでは勝者の態度に異変が見られることである。 第一次世界大戦では四年にわたって悲惨な戦争をして、最後には毒ガスまで出て、ヨーロッパは焦土と化した。インドの詩人タゴールは文明がもたらす非文明、ヨーロッパの野蛮を指摘した。ヨーロッパの内部からも強い反省の声がわき起こり、「西欧の没落」という本が書かれ、不戦条約も作られた。 しかし第二次大戦の後で欧米の勝者の中から反省の強い声が出てきたであろうか。惨劇の規模は前の戦争よりずっと大きかったのに、ナチスの悪口ばかり言って、ついに異なる戦争をした日本まで巻き添えにして、大量破壊史を展開した欧米人は、自己断罪を回避した。アジア・アフリカへの「植民地支配」と「侵略」を日本の首相が謝るのはおかしいのではないか。≪究極の選択としての戦争≫ ここで「謝る」とか「わびる」とかはどういうことかを原則から考えてみたい。 国家同士も市民社会と同じように謝るべきことはある。幼児が罪を犯せば親が謝るようにクリントン前大統領は沖縄で起こった米兵による少女暴行事件に直ちに謝罪した。韓国の少女ひき逃げ事件ではアメリカはやり方を間違え、それが引き金で盧武鉉大統領を誕生させてしまうというヘマをしでかした。国家としての謝罪行為はいかに大切か。 けれども、国家との間で断じて謝罪してはならないことが一つだけある。それは戦争に対してである。戦争は言葉の尽き果てた最後に、言うべきことを言い尽くし、屈辱を重ね、反論も謝罪も当然した揚げ句の果てにどうしようもなく、とうとう最後の手段として戦火の火ぶたが切られるという究極の事態であろう。 勝敗は言葉とは別の手段、暴力で決する。敗者は反論を封じられる。海外の権益を奪われ、賠償を取られ、領土を失い、その他あらゆる屈辱が強いられ、外交上の発言力は低下するし、国益は守りにくくなる。苦しんだ揚げ句、やっと講和条約が結ばれる。これが「謝罪」である。≪ドイツも戦争は謝罪せず≫ 当然ながら、もうこれ以上二度と「謝罪」ということはあってはならない。なぜなら双方言い分を出し尽くした結果一致せず、相手を互いに不当と信じて突入するのが戦争であるから、事後の謝罪はあり得ない。謝罪する余地がないから戦争になったのではないか。敗者は暴力に屈しても内心に多くの不満を残し、正当性の感情を蔵している。つまり敗者には敗者になる前からの理があって、結果に必ずしも納得していない。不服従の感情を抱き続けている。 それを鎮め癒すために講和がある。講和は勝者には報復の確認だが、敗者には二重謝罪を防ぐための確約である。戦後六十年も経て日本の二重謝罪三重謝罪が当然視されるのは、地球上で日本を抑えつけておこうとする「戦争」が続いていることの何よりもの証拠であろう。日本が今後謝罪を繰り返すことは将来の戦争に道を開く行為である。 なおドイツはナチスのホロコーストには謝罪しているが、侵略戦争には謝罪していない。賠償金も支払っていない。最近各国からドイツに賠償要求の声が上がっている。ドイツは講和さえ結んでいない。戦後処理はやっとこれから始まるのである。間違えないで欲しい。@以上@創られた事実から解き放たれ始めたことで、既存の常識が瓦解しつつあり次々と隠された真実が浮上し、その相乗効果で瓦解のスピードが加速する、そのことは喜ばしいことだが不利益を被る人たちは一層騒ぎ立てるのでしょう、これからもまた。世界中の中で日本が謝罪に明け暮れている歪な状況が際立ち、日本人の精神性に付込み更に脅迫まがいの強弁で、示談後の決着に強請りたかりで蛇蝎のごとく難癖をつけ、日本だけを標的にして大騒ぎしている周辺諸国には辟易・ウンザリし騒げば騒ぐだけ自国と自民族を貶めることに何故気づかないのだろうか?西尾幹二氏の言う外交という言葉の戦争の果てに武器を持つ戦争があるのです。戦争は国家対国家の討ち入り・喧嘩なのです、戦争終了時には両成敗しかないにのにも関らず、戦勝国が敗戦国を裁くなんてことを合法めかしてやり始めた時から嘘が始まったのです極東軍事裁判は。そして抗争に勝った方から裁判官を出し負けたほうを裁くなんて、当時から裁判の名に値しないものなのです、これは単なる“リンチ”で裁判じゃない。法律は事後立法で裁き、尚且つ戦勝国に都合の悪い証拠は全て却下し出させない。当時からこの裁判の不当性を糾弾していた他国の裁判官も何人かいたが、昨今裁判のレジテマシーに疑問を呈する声は増している、裁判?否、敗戦国へのリンチだとネ。これからは特にご都合主義の事実は根拠と論拠の信憑性への厳しい検証がなされることだろう、よいことだネ。そんな捏造裁判ででっち上げられた戦犯、A,B,C級戦犯なんて元々幽霊なのですから“幽霊みたり枯れ尾花”なのですが、それに乗じる勢力に都合の良いように利用され続けてきたのです。生産手段も重要だが、情報というものの重要性を再認識する必要が思い知らされる。良質で正しい情報を手に入れることが出来れば戦争すら回避することが出来るのですから、孫子の兵法に在るがごとくに。“外交は容を変えた戦争だ、ただし情報を持たない外交は、ワインを持参で食される羊だ”今日まで骨までしゃぶられてきた日本だがこれからどうなるのだろうか・・・。国際政治外交はそんな場ですが、それに耐えられる外交をしてきた、ハタシテ?。
2005年05月12日
コメント(0)
・・・世界中で外交戦が繰広げられている現状ですが、小泉総理が訪露し第二次大戦勝利60周年記念式典がモスクワの赤の広場での開催へ出席した。大東亜戦争最終局面において日ソ不可侵条約を一方的に破り樺太・北方四島へ武力侵攻し満州の日本軍を60十万あまりシベリヤ開発へ連行し強制労働へ追いやり、10万余りの人達を強制労働と飢えと厳寒の環境から死に追いやったのです。戦後十数年もそんな強制労働でシベリア開発へと日本人を追いやり、恬として恥じないし現在も尚、樺太・北方四島を占拠したまま強弁をふるっている国家が現在のロシアなのですから、心情的にはそんな国の第二次大戦勝利60周年記念式典への参加は控えてもらいたいものです。しかし、各国主脳が一堂に会する場は外交という国際政治が裏には控えている、故に現在風雲急を告げる国際情勢にはどんな打開策が開けるやも知れない多面性がある、その功罪を考えると出席したほうが良いのでしょう。実際の武力を使う戦争が国際情勢の中で厳しく監視されつつある中で、武器を持たない戦争・外交戦と情報戦による各国報道機関を使い各国の人々の思考をコントロールするという高等戦術を使い、自国へと捏造してまで利益誘導するという考えると恐ろしいカルト教団のごとくマインドコントロールが的確に浸透し始めている状況が生まれているのです。のほほんとしているその間に我々の足下から崩れ落ち始めている?そんな現状に気づいている人がどれだけいるのだろう?国内も国外も反日へと策動する魑魅魍魎の組織が日夜跋扈していることを、蠢いていることを・・・。昨今、そんな水面下で蠢き策謀する事象がインターネットによりリトマス試験紙の様に浮彫りに成りつつあるが、それでも氷山の一角で一方では現在も既存の組織へと浸透し続けている、政治といかがわしい宗教団体を隠れ蓑にしつつ進めている。クライン孝子女史の一文をみると、日本が如何に太平楽な状況なのかが窺がえる。■2005/05/10 (火) 小泉総理、訪露で又も欧米で点稼ぎ それでもまだまだ不十分! 日本政府よ、国民の為に目を醒まして!5月9日、第二次大戦勝利60周年記念式典がモスクワの赤の広場で開催され、朝から実況テレビに噛り付いてみていた。かつての敵味方が一堂に並んでの式典。プーチン大統領・ブッシュ米大統領夫妻を中心にシラク仏大統領、シュレーダー独首相夫妻、べレスこー二伊首相小泉総理、そしてシナの首相が最前列に並んでいる。独のテレビでもブッシュ大統領と小泉総理が肩をたたき親しく談笑しているそれに続いてプーチン、シュレーダー、シラクが相ズチを打つ和やかなシーンが放映され、改めて、小泉総理の欧米における人気の高さを確認し、ほっとしました。それに比べてシナの温首相でしたっけ、孤立してましたね。「反国家分裂法」と官製反日ヤラセデモ以後、シナに対する評価が今一つかんばしくなく、式典ではその様子を見事に浮き彫りにしていました。招待されながら旧ソ連に対する恨みをまだ忘れていない国が欠席したにも拘らずこの式典が、世界外交の場として、重要な役割を果たしことは明白で小泉総理、日本の点稼ぎに大いに貢献されたと思います。とりわけシナとギクシャクしている最中だけに!一方、日本では親しくして頂いているトップクラスの大物の方から以下のようなメールを頂戴し、シナによる日本でのマスコミ抱き込み作戦が着々と浸透し、しかも効果を挙げているとのことで、愕然としています。その実態ですが、>この所、朝日 毎日 東京 日経 に総理の靖国参拝反対論が続けて載ったそうです。 中国の 王毅 大使が本国からの指示でマスコミ各社に盛んに働きかけているとの情報が半月程前にありましたが、早くも効を奏しつつある様です。マスコミの幹部も接待攻勢に乗せられているかと怒り、嘆きです。近く読売 産経 との意見交換をしたいと思っています<さらに上海の方からは>4月16日の上海反日デモは近くで朝から1部始終が見られ、デモというよりRIOTという方がふさわしい忌まわしいものでした。デモ隊に勝るとも劣らないほどの公安がいながら、ニヤニヤと笑いながら遊び半分にながめているだけで暴徒を逆に煽っているような様子を見るとまさに官製デモでした。 ところで今日メールいたしましたのは、連休明け海外旅行から帰ってみると毎日見ていた桜チャンネルがアクセスできなくなってしまいました。どうも中国政府の検閲にひっかかってしまったようです<今一つ、米国での反日の実態です。>はじめまして、アメリカ カリフォルニア在住の一児の母親です。日本での反日デモのニュースはこちらでもテレビ、新聞、インターネットなどで見聞きしていました。ドイツとはやや事情が異なるようで、中国系アメリカ人が報道業界にかなり入り込んでいる事も関係しているのか、中共よりの偏向報道が多く腹立しくは感じていました。が、まさかアメリカで自分達がこんな目に遭うとは思ってもいませんでした。4月の半ば過ぎ、娘(3歳)と二人でランチしようと中華料理店に行きました。お昼前だった事もあって、店内には私と娘、もう一グループしかおらず、”すいてて良かったねー!”などとお話しながら案内係が来るのを待っていました。席に案内され、メニューを渡されました。娘の事を訛の強い英語で”可愛いわねー!”などと誉めニコニコして対応していました。ランチスペシャルでいいかー、と思い注文すると、娘が”白いご飯が欲しいー!”と日本語で言ったので、私も日本語で”じゃあどれにするのよ~?”などと返すと、今まで普通に接していたウエイトレスの表情が一変し日本人?と聞いてきました。そうだと答えると、注文を取るとプイと行ってしまいました。(風貌で判断して彼女は当初私達を白人系と思ったようです。)注文を取るとプイと行ってしまいました。しばらくしてお茶を持ってきたのですが、それを注ぐときに故意としか思えないような仕草で茶碗を倒し、それが娘にかかってしまいました。娘は”あつーい!”とワンワン泣き始め、驚いた私は娘が大丈夫なのを確認し、女を見上げると何と薄笑いを浮かべているではありませんか!怒りを抑えきれない私は強い調子で抗議しました。それに対して、中国語で捲し立てはじめました。それを聞きつけた客の2人の男(中国人)も私達のテーブルにやってきて一緒になって英語で罵りはじめました。彼らは支離滅裂な怨念の感情論に走り、ヒートアップしてきて今にも殴りかかってきそうな勢いでした。私の頭に一瞬デモ隊の姿がよぎり恐ろしくなり、ただ娘を脇でしっかりと抱えて黙っていました。娘も恐ろしさの余りかもう泣いていませんでした。奥のレジ方に見えた老夫婦(多分オーナーだと思います)は無感情な表情をして見ているだけでした。今すぐにここを出なければと思い娘の手を取りその場を立ち去ろうとした瞬間に後ろから男の一人が私の長い髪を鷲づかみにし、ほぼ引きずるような状態で店の入り口まで連れて来られました。私は反射的に抵抗しながら娘の手を離さないようにするのが精一杯でした。娘は小さいので脚がもつれ途中何度も転んでしまいそれでも一生懸命小走りしながら”ママ、ママ”と小さい声で言っていました。ドアまで来ると私達は蹴り出されるような形となり娘は地面に叩きつけられました。店の女性が何か捨て台詞を言い私達に向かってフォーチュンクッキーを投げつけました。私のような無力な日本人は成す術も無く憤慨するばかりです。子供や女性に平気で暴行を加え平気な民族に日本が乗っ取られてしまって良いのでしょうか?中共工作員がは日本政府を操つり、日本国民の魂を本気で潰しにかかっているのです。日本政府よ、国民の為にも目を醒まして下さい!<さてそこで柳瀬氏から>五月八日のメール(マガジン)を読み、ドイツでのシナ、朝鮮の学生の反日デモに対する行動に深く感銘しました。昨日は「日本政策研究センター」の岡田邦宏氏による・・ここがおかしい中国・韓国歴史教科書・・の講演を聴く機会がありました。呆れてばかりではいけないのでささやかですが行動に移したいと思います<というなか、フランス在住の留学生渡辺さんから>フランスまたはその近辺に在住の皆さん、今こそ日本の現状について語り合いませんか』≪一人ひとりの意識が明るい未来を創ります≫クラインさんの日記に南仏のMさんとありましたが、その方とも意見を交換できたらと、思います。lapetitechouetteblanche@yahoo.co.jp 宜しくお願い致します<ジワジワと足下を崩し続ける武器を持たない戦争、情報戦にスパイ防止法すら持ちえない日本が、スパイ天国の日本が、諸外国の餌食になっていないなどと能天気に思う人は居ないだろうネ?まさか。日本の伝統のひとつ隣人を信頼し合う、という日本人同士の阿吽の呼吸で鍵すら掛けずに家を空けていた時代はとっくに昔になっている。そして今は必要以上に日本人同士に不信感が蔓延りつつある状況は、イッタイ何処から生まれたのだろうか・・・。そして、国家にすら鍵を掛けずにきたツケが、外国人犯罪の驚異的な増加へと繋がり刑務所すら満杯という現状を招いているのですが、外国人にとっては犯罪天国となりさがった日本?にとって国家の鍵といえる『スパイ防止法』を立法するしかない、それほど悪化した治安状況から被害を受けているのは日本人なのです。お人好しだけで国際社会を生きられるなどと思うほど、世界は甘くないのですし民度も違いすぎるのに狼の群れに徒手空拳でノコノコ葱を背負って餌食になりに行く人は居ないだろう現実を知れば尚更。北朝に拉致された方々も、拉致を認めたにも拘らず何時まで経っても帰国させ無い北朝と、他人事のように動かない日本政府。これほど国家を貶められているのに動かない国家戦略の裏には、暗闇で蠢く勢力に篭絡されているのじゃないかと勘ぐられてもおかしくないし、また反日のスパイによる謀略が日本の政策に反映しているからじゃないのか?と思う。今、国民のほうを向いている政治家が何人いるのだろうか?我田引水的な声の大きい周辺諸国へ烏合することばかりで、日本の政治家として国益と日本人への配慮はイッタイどうしたのだろうか、大人しいから何時も後回しになっている?のか。国内への配慮を忘れ、他国への斟酌ばかりを優先し続けると大人しい日本人だって怒髪天を突く、そんな事態が起こらないともいえないね、これじゃ。そんな曖昧で自立できない日本の状況を憂い、属国意識から自立を訴えて割腹自殺した天才作家三島由紀夫氏。現在そんな三十数年前の杞憂が現実のものになりつつあるし、国家に対する思考停止・放置してきたツケが三島由紀夫の指摘どうりに日本に降りかかってきている。日本国民の民度は高いが、国民すら守れない日本政治の政治的民度は無に等しい。そのギャップをこれから埋める作業が続くのでしょう、放置してきた付けは余りにも大きいし『スパイ防止法』をまず立法化することからでしょうネ。
2005年05月10日
コメント(0)
・・・複雑で不可解な事件事故が多発し、我々の知りえる表層の情報では分析解析処理しきれない問題が次々湧き上がってくる今日この頃です。全てへの解は無理でも通呈する基本を押さえておく事は必要なことでもある。それには問題を分析解体できる情報源が無くてはならないのは論をまたない。西村真吾議員のメルマガから、既存のマスメディアと異なる内容をご紹介したいと思います、以下。足下を確認する必要性・メーデーで申したこと 五月一日堺高石地区のメーデー式典に参加。 私は、労働組合こそ、会社や企業は誰のモノかということを確認すべきであると訴えた。 「諸君らが働く会社は、諸君らの知らない日本全国また世界に散在する株主のモノなのか、それとも、そこを職場として人生の多くの時間を過ごして生活する諸君らのモノなのか、労働組合なら、明確にすべき時だ」 即ち、最近のマネーゲームで話題をまいたライブドアの「ほりえもん」の論理でいくと、会社は株を過半数所有している者のモノである。 従って、株式過半数所有者は、自由に勝手に会社を従業員とともに売り払い金にすることができる。つまり、従業員も株主の所有物なのだ。 この前提からするならば、会社の労働者は、労働を売り賃金をもらうという存在に過ぎず、株主が所有する会社の機械等の設備つまり物的設備と同じ人的設備であり、必然的にマルクスが言う労働を売る人間味を削がれたプロレタリアートそのものとなる。 このマルクスの労働者観に基づく共産主義運動は、十九世紀に生まれ二十世紀前半に猖獗を極めて大惨害を生み出したが、二十世紀末に、その誤謬のゆえに崩壊した。 今は、形骸化した共産主義の「たてまえ」の外皮をかぶった露骨な「権力」だけが、中国や北朝鮮で存在しているだけだ。 さて、私は、株式所有者(マルクス的表現では、資本家)が、会社を自由に売却し、リストラと称して分割して一部分を廃棄し、その結果として金さえ多く株主に入るならば、如何に失業者を生み出しても「辣腕」と評価される風潮もしくは文化は、現小泉内閣では奨励されても、日本社会のもっとも優良な部分をどぶに捨てることになる。 と考えている。 このようなことは、物を作らなくなった(作れなくなった)、アメリカのニューヨークを中心とするマネーゲームの世界、即ち、極めて特殊な限られた世界でのみ通用するゲームであり、売る方も、売られる方も、ともにマネーゲームをしていて恨みっこなしの前提があって通用するだけである。 しかし、ライブドアの騒動では、商法の「出資した者が株主になり会社ができる」という会社形成の理想モデルにもとづく形式的論理が裁判所までまかり通り、我が国の全株式会社においても、一夜にして過半数の株式を買い占めた者が、会社の所有者として会社を売買するのも自由であるとの論理が、あたかも、新しい金儲けのスタイルと喧伝されたのである。 しかし、「ものつくり」により、立国しうる我が日本において、この論理が通用するならば、十九世紀に生まれ既に大惨害によって誤謬を証明されたマルクスの論理が、二十一世紀に甦ることになるではないか。 即ち、会社という労働者の生活基盤を自由に売買しあるいは消し去って金にできる資本家は、十九世紀にマルクスが描いた血も涙もない資本家のモデルそのもので、他人の悲劇を踏み台にして金儲けしか考えていない労働者の敵である。従って、この敵を撲滅しなければ、労働者の生活は守れない、全国のプロレタリアートよ、団結してブルジョア・資本家を潰そう、革命だー、ということになる。 この資本家万能・株主万能のライブドア的思考に対して、「そんな馬鹿なことがあるか。 労働者は、売買の対象ではない。 会社は、我々従業員のものだ。我々は、株主万能のマネーゲームから 勤労者の職場と生活を守らねばならない」と、労働組合とくに連合がナショナルセンターであれば、声明を発すべき場面であった。 しかし、ついにその声明はなかった。 よって、冒頭の通り、メーデーの場でこの問題を提起させてもらった次第である。 私は、会社という我々の生活と社会を成り立たせている人の共同体を、ライブドアの騒動を切っ掛けに見つめ直すことが、明日の生き生きした社会実現のために必要であると考えている。 特に我が国においては、あらゆる会社というものは、社会的存在であり、公共的存在であるということを強調されなくてはならない。 会社は、雇用を生み出し、生活に必要な製品やサービスを生み出して社会に提供する。我が国は、世界から資源を集めて製品を生み出す会社の働きによって成り立っている。 従って、この社会的、公共的存在を、株主のモノであるから、一般的に自由に売買ができるとみることはできない。これは自明のことと思うのだが・。 食糧難の時代には、米は極めて社会的な物資となる。それを買い占めて餓死者が出始めるまで売り惜しみ、買った値段の一万倍の値段で売り出すのを我が国社会は認めてこなかった、これと同じである。 ところで、我が国では裁判所まで株式万能至上主義の形式論理でライブドア騒動を乗り切ろうとしたのである。 よって、この論理が、社会的実態つまり現段階において万民が当然とする会社の観念に如何に反するかの実例を見つめよう。 今、JR西日本鉄道の列車転覆事故の大惨事に関して、連日、マスコミのテレビカメラの前で、頭を下げて「申し訳ない」と謝罪しているのは誰であるか。 それは、会社の社長である。また、従業員の代表である労働組合の委員長である。誰も、このことに異論はなく違和感を感じていない。 しかし、JR西日本は、株式会社なのだ。よって、このJRという会社の所有者が株主であるならば、所有者の大株主が出てきて「申し訳ない」と頭を下げるべきではないか。しかし現実はそうはならない。 JRに限らず、私鉄の事故、関西電力の事故、○○会社の事故などの株式会社の事故において、例えば年金生活や未成年の大株主がかき集められて、私の所有物が事故を起こしましたと、テレビカメラの前で謝罪することはない。 しかし、これはおかしいではないか。自分の持っているモノから事故が発生して死亡者がでたならば、その所有者が謝るのが当たり前ではないか。 だが現実には、事故に際して、反省し小さくなっているのは、その会社の社長以下役員と従業員であり、社会もそれを当然としている。 このような現実は、ライブドア流の「所有の論理」を貫けば、説明できない。つまりライブドア的論理は実態にそぐわないのだ。 ここに我々の多くが、ホリエモン的言い草に違和感を深めた理由がある。 実は、この「所有者の無責任」が、株式会社を株式会社たらしめる「株式の本質」なのだ。この株式の所有者即ち株主は、会社の行為に関して一切責任を負わず無責任であることが株式会社なのである。 従って、会社の事故で何百人死亡しようが、株主は全く責任はない。このように、本質的に無責任でありながら、会社の所有者であるという一面だけを拡大して万能化して、会社の売り買いは株主の自由であるという論理を貫くのは虫が良すぎて無理であると私は思う。 さらに、会社は株主のモノであり、それ以外にないとするならば、会社は、株主に配当する為だけの存在となる。 そうであれば、ただ多く儲けて多く株主に配当することだけが会社経営の目的となり、その目的を達成するために過密ダイヤで列車を走らせることも奨励されることになるのであろうか。むしろそうしない経営者は無能ということになる。 しかし、このような株主至上主義の経営の論理は、現にあるJR西日本への批判の通り、強く非難されるのだ。 我々は、JRの現在進行形の事故報道に、違和感を感じていない。大株主も、自分に責任があると思って報道を見てはいない。 そもそも、JRは株主の所有だとすれば、「所有者出てこい」となるはずであるが、けっしてそうはならない。 また、JRは株主のモノであり、従業員は「人的設備」に過ぎないのであれば、事故当時、JRの勤務時間から解放された従業員がボーリングをするのは勝手ではないか。しかし、我が国では、株主がゴルフをしていても非難されず、従業員がボーリングすれば非難される。 これは何を意味しているのか。「株主は会社ではなく、従業員が会社」であることを意味しているのだ。 以上の、現在進行中のJR事故報道の実態から見ても、次のように把握するのが妥当であろう。 会社は、単なる金銭を株主に配当するためにだけあるのではない。会社は株主の所有物ではなく、社会に必要な製品やサービスを提供して従業員の生活の場を提供する「社会的存在」である。 軽佻浮薄な、マネーゲーム現象がマスコミでもてはやされるからといって、会社の社会性という本質が見失われてはならない。 また、この度のマネーゲーム現象が、若い者が何百億という大金を動かしたからか、資本主義の新しい未来を開くものとの見方があるが、これは反対である。即ち、企業の社会性の自覚こそが、資本主義の新しい未来を開くのである。 企業をただ売買の対象とするマネーゲーム的思考は、既に述べたように十九世紀のマルクス主義的企業観・資本主義観であり、資本家と労働者の敵対関係を固定化する古色蒼然たるものであり、歴史が示す通り、この路線上に社会の崩壊はあっても未来はないのである。 以上、「小泉構造改革」路線のなかで、我が国の会社文化、資本主義文化の、最良のものが没却される風潮を、ライブドア騒動を切っ掛けとして指摘することができればと思い書き連ねた。 「小泉構造改革」とは、自らの足場に自信が持てない路線、つまり欧米化主義の盲目的自己否定であり、結局は政策ニヒリズム路線だ。 明治以来、我が国では、この欧米化という名の自己否定が、「鹿鳴館」のように理由もなくちやほやされることがある。現在は、マネーゲームがそれである。 しかし、日本型資本主義システムの明るい未来は、勤労者が職場を自らのモノと思って生き甲斐を感じ、労使一体となって社会有用な製品やサービスを生み出そうと励むところに開かれる。 我が国は、株の売買やマネーゲームによって存立する国ではなく、物作りによって成り立つ国なのだ。 @以上@本質が霧の中に沈んだままのそんな事象が多いが燭光は見え始めてているようだ。ライブドア問題、列車事故問題等々表層の論議は喧しいが、本質へのアプローチが抜けていることが多く、また、作為的方向性を孕んだ報道が流されていることも多々ある、そのことに気付き始めた人々の増加が唯一日本の未来への希望といえるのかもしれないネ。作為的に無視され、遠ざけられてきた質の良い、本当は知らなければ成らない情報が白日へ出始めてきたことにより、従来の報道内容への疑問が現在の報道機関への信憑性へと、真贋を問う現象が湧上っているモノに繋がっているのだろう。列車事故後の記者達の一連の質問にも正義を振り回し傲慢さが滲み出ている応答は、事実だけを知りたい我々にとって裁判官でもない記者達の正義感を振回す色付きの記事なんて辟易する。報道機関も記者たちもそんなに正義感を振回す、教訓を垂れるほどの素晴らしいモノだったのだろうか?被害者の方々への報道姿勢、また加害者側立場になった鉄道関係者側へ強い糾弾姿勢には傲慢と独善を感じる。こんな時こそ淡々と事実を掘起こす事に徹するべきで、糾弾してほしい等とは望んでいないのです、事実から正しい解を導き出す報道しか望んでいないし、突然、報道機関も記者も水戸黄門になられても困惑する。我々の望んでいることは良質な情報だけで、後はそれなりに判断するだけです、判断結果を誘導されたいとは誰も思っていないはずだ。
2005年05月06日
コメント(1)
・・・連休中の晴天続きは非常に人間活動的になり、春早い虫たちの目覚め啓蟄のように人間にとっての『啓蟄』がこの季節なのかもしれないネ。桜もこの季節に満開を謳歌し、また夏早いこの時期に既にこれから来るであろう季節への準備を整えているのですから、さりげなく精緻な自然の回天を内包しているその素晴らしさを感じずにはいられない、四季という自然の英知を・・・。もう直ぐ毎年繰返される『靖国』参拝問題の是非論が喧しく、また、それを周辺諸国への配慮?などという国益を損ねる論調に気付かずにハタマタ作為的に論じ立てる周辺諸国へ加担する勢力が跋扈し始める季節でもある。数年前に書かれた石原慎太郎氏の一文を読み返してみて、色褪せない内容に今日ここに記させていただきます。賛否両論あるけれど虚心坦懐に読んでみることも良いのかと思う。石原慎太郎 【「靖国」を思う】 また8月が来て、国家を代表する総理大臣の靖国神社参拝がことさらかまびすしく論じられているが、私にはこの問題の本質がいつの間にか歪められてしまったような気がしてならない。公人として靖国に参拝すると明言した小泉総理の去就の是非を、国の内外がことさらに云々するのは異常としかいいようない。その論点の主なるものは、合祀されたA級戦犯の靖国における資格の問題、引いてはあの東京裁判の合法性であり、次いでは信教の自由と政教分離をうたっている憲法との兼ね合いだろうが、第一にあの裁判を一方的に行った戦勝国の欧米自身が、彼等の仕立てたアメリカとカナダの弁護人が当時の冒頭弁論であの裁判自体の正当性について疑義を述べそれが強引に封殺されてしまった事実からしても、かつては敗戦国であった日本の総理の靖国参拝に、今日無関心のまま沈黙しているのを見れば推測自明のことである。ただ帝国主義推進という近代の歴史原理のままに列強に加わった日本によって植民地化された支那や朝鮮の後裔たちが、帝国主義推進の元凶をも祭るとする靖国神社の、総理という権威における肯定に反発しているのは感情的には理解出来ても、それは歴史を遡行しての反発であって歴史の重層性を無視した論でしかなく、日本が犯した過去の歴史における過ちへの反省を総理の行為が否定するものでも決してない。 「靖国」参拝はむしろ日本にとっては内面的問題であって、国家という次元における自己確認のよすがに他ならない。今日の日本という国家が形成される過程で、戦争を含めていろいろな出来事がありさまざまな犠牲が払われて来た。それを正確にたどり熟知することでのみ健全な自己認識が生まれてくるのであって、戦争という国家最大の出来事のために生命を賭した先人を悼み感謝するという行為が、国家経営のための基本行事であることを否定する者は誰もいまい。 そうした生者と死者の関わりは現実を超えた、いわば観念におけるものである限り、必然宗教の様相を帯びてもくる。しかしそれを国家的行為としての普遍性あるものにするために出来る限り宗教色を省こうという意向も当然有り得よう。しかし靖国の性格が宗教でしかないというのは日本における神道の意味合いを理解せぬ論でしかない。 日本に普遍しているアニミズムこそが神道の本質であって、その氾神論はいろいろな物事に対する人間の畏敬の念を表象しているのであり、この風土と合いまって日本独特の融通無下な価値観を生み出してきた。それがこの国の文明と文化の発展にいかに寄与してきたことか。その限りにおいて神道的アニミズムは今現在個々人がそれぞれいかなる宗教を奉じていようと、その生活、その情操の根底を決定的に規定しているいわば国家民族のDNAであって、それを否定してかかるのは個々人の自由だが、その自由の故に自らの属する国家民族の本質を否定尽くせるものでありはしない。 だから反対の人々は、参拝を行う者を黙殺していれば良いのだ。ことさら外国の立場まで斟酌してその行為を否定してかかろうというのは、実は自分に唾するようなものでしかない。 調べてみると中曽根総理まで実に多くの日本国総理は公人として靖国を参拝しているのに、その間は一向に間題とはされなかった。中曽根時代にいたって中国や韓国が国家として成長充実して国家意識が増幅してくるにつれ、過去の関わりへの謝意が国家対国家の交渉の条件の一つにことさら加味されるようになってしまい、それに呼応するマゾイスティックな勢力も国内にしょうけつし始めた。 つい先日あるテレビでの各党の幹事長たちのこの問題に関する討論を聞いたが、滑稽なのは多くの者が過去の国際条約等を持ち出し、論の糧にしようとしていることだった。 過去にいかなる条約がいかなる状況の中で取り決められていようと、その解釈が今日における国内問題を是非する決定的なアプリオリとなり得るというのは間違いである。ならば、決して極論ではなしに、いったんとり決められた国際関係を我々はある時点で解消するなり改定する自由も無いということにしかなり得ない。いかなる人間も国家もその過去に決定的に拘束されるなどいうことはあり得ない。それは個人や国家の人格と尊厳に関わる基本的な問題である。それを無視して保たれる国際関係なぞ隷属でしかない。他国からいわれるまま、それをも無視して「靖国」を論じる者は実は国を売っている者でしかない。 総理の靖国参拝は、トインビーが奇跡ともいった日本という近代国家建設の歴史的功績への、子孫としての真摯な答礼に他ならない。それによる、功罪含めた自らの歴史への自主的な認識を、いかなる他国他民族も損なう権利などありはしない。 後は現今の日本を代表する総理の行為をそれぞれの日本国民がどう眺めて受け取るかである。総理はことさら揚言せず、黙って堂々と参拝をすませばいい。そして、国靖かれと願って亡くなった尊い死者たちもまた、無言でそれを眺め深くうなずいてくれることだろう。 @@@ 以上 @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@この素晴らしい季節を愛でる事の出来る日本も、即席ラーメンのごとく一夜にして出来たものではないことは誰でも感得できるが、安心も安全も社会インフラすべてが我々の大先輩たちの営々とした血の滲む、膨大な生霊が命を賭して成遂げたものなのです。何を勘違いしているのかそのことに考えを巡らせる事すら忘れているのか、出来なくなったのか定かではないが上澄みを掬うような安易な発想と生き方が蔓延り、先祖伝来の継承してきた財産を食い散らかしているだけのように感じる今日この頃。日々、くる日もくる日もマスコミを賑わす膨大な記事を眼にするだけで、すべてが支離滅裂、バラバラ、グチャグチャでセンセーショナルに書き立てるそれに毒され、陰湿で巨大な渦に巻き込まれ押し流され、もうどんな権力も指導者もこの流れをどうすることもできないように感じる。世の中の発する『陰鬱な波動』をそれぞれが無意識に受け取り感得し尚一層深く沈潜させるという悪循環に嵌ってる、人・日本・世界中に蔓延っているが打開が出来ず呻吟している、そんな状況なのだろうか昨今の喧しさは。『もう疲れ果てた・・・』なんて事を良く聞くが、鋭い時代感覚を持合せている人たちは特にそうだろう、この底なし沼の中に嵌った現代では特にネ。こんな時代だからこそ、頭の前に手を使うことが必要で、座る前に立つことが必要なのでしょう、至言に博打でもいいから手を使えと言った先人もいた。どんな時代もその時代の今日的な問題を抱えて乗越えてきた事も確かですから、決してこの時代だけの問題じゃ無さそうですが、ただ大半が人類の精神性の強靭・忍耐・知恵・経験を読み解く力にかかっているように思う。人類の歴史と人の一生は愚行の連鎖でもあり、愚考・愚行の無限のつながりだ。この愚行の知恵の輪を読み解くことが出来ないのが人類・われわれの宿命でもあるし、これからもまた愚考と愚行の無限の連鎖を続けることになるのでしょう。人が賢くなれるのは昨日までに対してだけで、今日と明日に対しては永遠に我々はウロウロと迷える子羊なんだろうネ・・・。しかし先人からの伝承、先人の魂は歴史で色褪せることは無い事実だ。この時代、英霊の魂を鎮魂するに、何故?憚る必要があるのだろう・・・か・・。
2005年05月04日
コメント(0)
・・・ジョークとか皮肉だとかと同じように賭博もまた人生には必要なスパイスのひとつだろうと思う。最近はせせこましい賭博ともいえないイジマシイものに小金を掛けては博打の真似事をすることで鬱憤を晴らしている?状況が散見されるのですが、現代人を平和と小金が人をして小振りにしちゃったのかもしれない。まぁ、人それぞれなので好きなようにやったらいいのですが、パチンコで車中に子供を置き去りにして炎天下に放置し死亡させたりなどと言う記事が頻発していたが、また今年も起きるのでしょうか、困ったもんだ。『人生には真の魅力はひとつしかない。それは賭博の魅力である』などと言う名言・迷言があるのですが、広い意味ではひとつの心理を言い得ているのでしょう。これはボードレールの至言なのですが、人類発生以来の悠久の時間を人は賭博・博打を友に生きてきていたことは間違いないのです、何時の時代もまた。本質的には日本ではギャンブルは出来ない事になっているので、勢い小振りの賭け事へと走るためにパチンコなどへ主婦も含めて雪崩込む事になるのでしょうか。最近は株もギャンブルのように捉えている人々もいるようですし、会社もM&Aとか言いつつ合法的な賭博にしているアメリカ流を取り入れてきたようですが、社会全体が頽廃的風潮を呈して来つつあるからなのでしょうか、こんな風潮はすべからくネ。ボードレール自身が『パリの憂鬱』とか『悪の華』など、文明社会の頽廃を鋭く且つ痛烈に抉り出したのですが、19世紀のフランスに於いてさえ既に文明の頽廃という今日的な社会性を提出する眼を持合せていたのは流石です。しかし、賭博をしないからと言って人はギャンブルそのものに興味が無いわけじゃないだろうし、様々な賭けをしつつ生きているのです。その際たるものが人生という、自分の人生そのものを意識・無意識に賭けの対象にしている?のだろう、人生そのものがギャンブルなのだろう最高の。昆虫は人間がつけたランプの火に向かい飛び込み焼死んでしまうが、人は己自身という存在から火を発して己を焼くのです。焼き尽くしたいと思っても焼き尽くせないで、焼き尽くす前にいつも一歩手前で帰ってきてしまうこともまた大半なのだが。毎回それの繰返しとも言えるのですが、いつかそれがヒステリックに短絡反応を起こす、そんな日が来るのじゃないかと思うがそれまたギャンブルであり、結局人生そのものがギャンブルなのに気付くことになるのでしょう。それくらい生きていくって事は大変なことの証明なのだろうが、経験しなければ判別できない事もまた多々あるのが人生だろうしネ。けれど香辛料を入れ過ぎた料理は食えなくなる、カレーライスであれ何であれそうであるが、とは言え香辛料というものはすべて芳しい。芳しい、そんな香辛料のひとつがギャンブルなのだろうと思うが、程ほどにしなければ人格破壊が発生するのですから考慮も必要で、人生も食えなくなるネ。香辛料も入れすぎては食えなくなるが、古今東西、古今から言い古されてている心理の一つにあるらしいが、マージャン、ドボン、花札、サイコロ博打など、やればやるほど、回数が多くなればなるほど、確率としては±半々になるのですから。なので、一生かかってサイコロ博打をやったところで、それはやらなかったのと同じ結果?を招くだけなんだ。けれど、やっている間のスリルがあっただけ人生に深みが増したと言えるし、ギャンブルをやらない人生よりもその分芳しくなったと思えるが・・・。しかし、ギャンブルが香辛料であれば、そんな香辛料に情熱を傾注し人生を掛けるには主客転倒とも言えるし、刺身のツマじゃなく人生そのものに情熱を注ぐほうが良いようにも思うが、人それぞれだろうし難しいもんだこれは。山が、そこに山があるから登るんだ、なんて言っていた男がいたが、人生の通り道にギャンブルが在った?そんなもんだろうと思うギャンブルは。人生のスパイスとしての賭博でありギャンブルなのでしょうか。いづれにしろスポーツ、読書、グルメ、恋愛、麻疹のように一度くらいは罹ってしまうものなのだろうし、どの時点で覚醒できるか、酔ったままで人生を終えるかの違いだろう、これはスパイス・香辛料なんだからネ。“美しい顔には汚れた心がある”なんてのもあるし“悪銭身につかず”ってもネ。
2005年05月03日
コメント(0)
・・・北朝が日本に向けてミサイルを発射したそうですネ、お疲れさんです。落下地点は自国の領海内へ落ちたようですが・・・破れかぶれ?か・・・。・・・休みが続くこのごろ、エアーポケットのように空白を抱えている人達もタクサンいることだろう。忙しさにかまけて整理できないことをするにはちょうどいいのですが、また時間があると直ぐにだらけてしまうのもまたホントのことだ。激動するこの世界で稼動し続けることを背負わされているが、その勤勉さと相俟って知らなくても良いことを知りすぎ、けれど知るべきことは知らされないこともまた確かだけれど・・・。マーク・トウェインの『パパラギ』の中に、「我々は虹を見ても、未開人が抱くような敬虔な気持ちを持つことが出来ない。というのも、虹がどうして出来きるか知っているからだ。我々は、そうしたものを詮索することによって獲得したのと同じだけのものを失っている」と、文明による文明人の悲哀を喝破しているのですが、現代の先進国における一面を見事に言い当てているようだ。虹がナゼできるかを知ったが故に、虹についての初発の感動を失った悲哀なのだろうネ。すべてにおいて当てはまることでもあり、我々は何かを得れば何かを失う、という仕掛けからは逃れられないようで、我々の文明は文明人の行先はイッタイ何処なんだろうかしら・・・ネ。だから、我々は何のために生きているかを延々と問い続けることになっているのでしょうか、今も昔も変わらずに。無限の答えが在り、また、永遠に答えが見つからない古くて新しい問い、だネ。永井荷風がなにかの中で「一度くずれると二度と良くなることはないですからネ、云々」と記してあった。一度腐った人はどうにもならぬ?と言うことなのだろうと思うが、『・・・・、作後贅言』かなにかだったっけな・・・忘れた・・・。腐った人がどういう人なのかはそれぞれですが、たとえば酒でも酢でも、チーズ、クサヤ、塩辛、うるか、納豆、糠ずけ、味噌、醤油などは腐敗の段階を通過している。腐敗といってもそれは発酵なのであって本当に腐っているわけじゃない。けれどこの段階を通ったものは底の入った一段も二段も上等の含みの深い味になる。したがって、人生の悲哀を辛酸を舐めた大人に愛される?味に成るものが多い。ここに貴腐という言葉があるのですが、これは『プーリチュール・ノーブル』の訳で、白ブドウ酒について起こる現象なのだそうだが、起こる年もあれば起こらない年もあるのだ。特殊な菌にブドウがついて、普通の年のブドウよりも一段階上等の手こんだ味を創り出してくれるそうだが、非常によろしいそうで、なので『貴い腐敗』と呼ぶわけだ。(酒飲み助には願ったり叶ったりだね貴腐は・・・)我々の周辺にはタクサン在るけれど気付かずに過しているが、発酵の段階を経たものはすべからく大人に愛される味のものが多いのです。文明とか人間もこの段階を経る、通過しないと醸しだされる風味の無い底の浅いモノしか提出しない。それが何によってもたらされるかは、人それぞれだろう。そして同じ経験をしても、貴腐を出来る人と出来ない人とがある。やってみなければわからないことだ、だからなるべくタクサンの人やイロイロな事物にぶつかって経験を積む必要があるのでしょうか。それを通過する為に必要なことといえば、めんどうなこと、うっとうしいこと、いやな事を避けて通らないことで、むしろこれを歓迎するくらいでなければいけないようなのですから、いよいよ厄介だネ、貴腐を獲得するには・・・。現代のように便利で機械化された世の中になってからはいよいよ、手を使わず頭だけでやり過ごす世の中の状況が蔓延り、これからも科学の発達でますます面倒なこと、鬱陶しい事、嫌な事を避けて通る状況がでてくるけれども、人間が貴腐の段階を経る前に腐敗しちゃう?ことにならないだろうか・・・心配だネ。腐敗と発酵、発酵もせずに朽ちてゆくならハイエナにでも食べられたほうがいいのですが、現実には腐敗と発酵の違いすら分別不能の世の中に成り下がりつつあるのか、発酵すら出来ずに朽ちてゆく文明も国も人間もタクサン蔓延ってる?・・・杞憂ならいいけどネ。長い間コミュニストを支配してきたスターリン理論にこんなテーゼがあった。“上部構造は下部構造によって導き出され、下部構造は上部構造によって規定される”これはスウィフトが『ガリバー旅行記』の中で“反政府陰謀検挙心得書”というある学者の論文を用いて、緑色のウンコをする奴は王さまを殺したい奴なので反体制派だからそいつらを逮捕してしまえば国は丸く治まるはずだと記している。人間は感情と思考やらがトイレでの創作物へと甚大な影響を与えることから、その学者が試しに“王様を殺したい”と思いウンコをしてみたら緑色のウンコがでた、したがって緑のウンコを出す奴は反体制派だと気付き論文を書いたのだった。現代の日本もこんな単純なテーゼで括れる幸せな時代はこないだろうし、複雑すぎて当の国民も政治家も闇夜から抜け出れず永遠に迷路の中だろう・・・か、ナ。
2005年05月01日
コメント(0)
全22件 (22件中 1-22件目)
1
![]()

