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・・・時間が経つのは早くもう夜中になってしまった。 むかしは竹馬、ビー玉、かくれんぼ、おやつに(仏さんに頂きますして)ちゃっかりお供えを失敬したり、勉強などする暇がなく近所の悪がき同士で暗くなるまで外で飛び回っていた。 夏は川遊びも土遊びもドロドロになって遊び、家路へ帰り際には畑の大根、ニンジン、を抜いて食べた、甘くて美味しかった。ジャガイモとかトウモロコシなども川で泳ぐときに、火を焚き体を温めると同時に焼いて食べた。 スイカもトマトもイチゴも田舎で畑のものは何でも勝手にとって食べたが、怒られなかった。近所のガキどもは何処そこの家のガキだと顔を知られているし、親同士も知らないわけじゃない。採って食べるといっても多かが知れていることなので見てみない振りをしていてくれたんだろう。愉しかった。 川で釣りをしたり潜ったり貝を採ったり、やることは沢山あった。後先考えずに夢中になって遊んでいたあの頃から、今もまだ遊びにとりつかれたまま酒を飲むようになったぐらいでなんにも変ってない、進歩なしだ。 少年時代から現在まで遊び続けてきたが、昔のほうが安上がりだったのにズッーと愉しかった気がする。いまは遊びも贅沢になってただでは遊ばしてくれない世の中になってしまったようだしネ。 こうしてみると悠々と凄く贅沢な遊びをしていたんだなと感心しちゃう。 嫌なことも沢山あったろうと思うが、不思議なことに昔のことはヤナことは雲散霧消して愉しいことばかりが思い出されるが何故だろうか、まぁ、ヤナことより楽しいことのほうがいいに決まってるけどね。 この道やゆく人なしに秋の暮れ 芭蕉 たった十七文字でしかないが、少年時代に遊んでいてだんだん薄暗くなってゆき、心残りがありつつも帰る道すがら、けれどほかに誰も歩いて居ない夕暮れ深い道を、トボトボと家路へと向かう寂しさを思い出すネ。 宴の後の寂しさを毎回、小さく、大きく、感じていたようだ。 人生は短くて、大事にしなくちゃモッタイないな~なんてガラになく思う今日この頃でした。
2006年01月31日
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・・・きょうも冬晴れで明るい陽射しがふりそそいでいる。 北半球は寒波来襲でイロイロな齟齬をきたしているが、この東洋の端っこにあるブーメランのような国にも大雪が落ちてきていて、もう少しで全国雪に埋もれてしまいそうだ。 豪雪とその他諸々があって、もう少しで太平洋の底に自沈しそうだネ。 面白くてためになるプログを見て欲しい。以下。京都の芸妓 しんこ どす 堪忍えぇhttp://www4.diary.ne.jp/user/469850/■2006/01/30 (月) ホリエモン事件はオガミヤ隠しとちゃいますかあ このオガミヤがらみのマンションいんちき事件 オガミヤのあせり オガミヤの狼狽 反コイジミン勢力がオガミヤと手を握ってホリエモン事件の急展開させたんとちゃうんどすかああ おかしいいぜ まだオガミヤ関連誰も逮捕されてまへんでえ 証拠隠滅時間稼ぎどすわあ 一方ホリエモンなんでこないに早いんどすかああ おかしいまったくおかしいどすええオガミヤを叩き潰さんと日本はよくなりまへん■2006/01/29 (日) NHKやらせやめてんかあ 誰が払うかいな この糞番組 昨日の夕方NHKみてたら偽善そのものの年増アナが放送料に関して最近不払いの連中がNHKの番組を見直してやっぱりNHKや戦後60年の特集などNHKの力やゆうて不払いが減ってきたと大嘘つき でたらめゆうなあそれとNHKの不正についてがたがた明朗にしてどうのこうのとばっかりあのなあNHKよ問題なのはお前らの頭なんやあ 思想が悪いんやあ しかもサヨクやオガミヤの少数派の思想ばっかり組んで国賊売国放送やってるのが問題なんであって金銭の不正などそれに比べれば小さな問題どすわあ 問題を摩り替えるなこの野郎 この胸糞わるい婆ばあ司会はよう定年でやめさせんかい 見るのも不快なこの偽善者 NHKそのものやああ うちは絶対はらいまへんでえ どないなことになっても今までの売国番組ある限りはらいまへんわ サヨク系一掃 クニヤなど首 番組の反省のないNHKなんか誰がみるものかあ ふざけるなあ オガミヤ サヨクの追放どすわあ・・・豪放磊落、謹厳実直、単刀直入、竹を割った物言い。こういう言い方は男に対しての賛辞?だろうと思っていたけれど、これを見ると女性の方が直線・直情的だな、と、思わせられるネ。 でも、その内容は至極尤もで共感できることが多い。プログがこんな風に広まらなければ知りえなかったことで、世の中の裏側、報道の胡散臭さ、隠された事実などは到底既存のメディアからは知ることは出来ないことを教えさせられることになる。 ギリシャ神話に『メドゥーサの首』というのがあったが、それを思い出した。メドゥーサの首を一目でも見れば石に化するという恐ろしい首のことで、もとはゴルゴンという怪物で女怪のひとりで髪毛は蛇の塊。(・・・睨まれても石に化するとも言われるが) ギリシャ神話の英雄ペルセウスに首を切られ獲物にされた。その後、アテナ女神の盾につけられていた、ゴルゴンの盾、というものだが、この神話には複雑な一面があり怪物とも、女神ともとられているので一概にいえない。 メドゥーサという名前も「治める婦人」という意味もあり、女王のことでもあるのでもともといい意味なのだろう。対峙する相手によって善悪どちらがでるかは相手次第だろうし。 しんこ姉さんのプログを読むとメドゥーサの首を見たように固まってしまうかもしれないが、実は憂国の志からであり現在の日本のあり様に深い憂慮、危機感を感じていることから発しているものと思う。 ぬるま湯の中でズブズブになり官民上げて倫理観を喪失した現況に我慢がならず悪人には「メドゥーサの首」になり、善人には「女神」になるという善悪具有の鋭い魔よけの人とも言え頼もしい限りだネ。 なにごとも有耶無耶になり闇の中へ吸い込まれてゆく状況に、メドゥーサの首は立ち塞がり眼光鋭く睨んでいるのかもしれない。 これからも愉しみに訪れたいプログです。 そんなことは政治家に求めたいことなんだけれど、誰かいます?
2006年01月30日
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・・・夕闇が迫ってきたと思いつつ薄暗くなりつつある空を眺めていると、タバコをゆっくりと吹かす間も無く闇に包まれた。陽の落ちるのははやい。 むかし資本論を読んだことがあったが、大部でもあり内容も詳細で難解で理解するまでいかなかった。(一知半解のままだ・・・もういいか) けれどマルクスの言うところを実践すれば、余程の大金持ち国家じゃなければ継続維持することは無理だろうことは理解できた。高度の生産性のある企業群を抱え資源も豊富で、当然人的資源も優秀で意欲的な人材が豊富で供給が続かなければ国家経済も続かないと。 なぜなら国中のあらゆるものすべてを平等に、平均・平準化しようとすれば膨大な資源と資産を生み出す手段がなければ続かず、日本で例えれば大都会の東京と閑散とした地方の、あらゆる製品の価格を一律にし継続することなど到底不可能だから理想と現実を読み違えていると考えた。 希望的理想論であって、計画・生産性・物流の現実の複雑さを統御することは神様でなければ無理なことで、これは夢想だと理解した。 コーヒーを飲むのに大都会も田舎のお店も同じ値段で飲めることは嬉しいが、その価格差を埋めるために延々と差額を補填し続けることなどできないのですから、それが全製品について言えることなのです。 ソヴィエトも74年間実験を続けたが無残にも多大な犠牲を払った末に、皮肉にも計画通り「計画経済」は破綻したのだった。残ったのは焦土。 環境格差を埋めることができずに世界中の人々が呻吟し続けているが、いくら石油もさまざまな資源も世界一の埋蔵量を抱えていようと、人を物とか資源としか見ない思想の元では意欲は湧かないだろうし、特権階級以外のその他大勢の国民はついて行けないだろうネ。 理想は必要だが現実との乖離を埋めるのに、人の命で購うなど人権蹂躙を繰返すだけだった、思いつきの理論の実践など何の意味もないことだ。 そんな歴史的大失敗が反面教師としてあるのに、現在も信奉し実践している国家が在り、それに加担し続ける勢力があがき続けていることは、いったい何を意味するのだろうネ。 アダム・スミスの“神の見えざる手”なんてのを知っていれば、人知ですべて解決できるなんて無謀な発想は生まれなかったかもしれないが・・・。 そんなマルクスのことについて愉しめる一文を、以下。━━━━━━━━━━━マルクスの当り馬券━━━━━━━━━━━マルクスの言うことを聞いて「革命」を実行した男が何人かいた。ソビエト・ロシアのレーニン、中国の毛沢東、キューバのカストロ、ヴェトナムの偉い人(失念)。だが21世紀はこれら共産国の失敗披露の過程である。世の中が資本主義では国民はテレビで総白痴化すると、大宅壮一(故人)と共に言い当てた所だけが当った。マルクスの当り馬券である。100年前、日露戦争でラッパ手だったという祖父がよく言っていた。「犬は自分の食い扶持を背負えない」。犬は大食であるが、背骨が弱いから1日食べる量を背負うことは出来ない。そこへ行くと人間は自分で食べる分を稼ぐはおろか、何人分をも生産する能力を持っている。だから人間を1人分の賃金で雇えば資本家は何人分をも儲ける事が出来る。これは爺さんが教えたのではなくドイツ生まれのユダヤ人経済学者カール・マルクスがロンドンの図書館で仕上げた「資本論」のエッセンスである。私が間違って入った大学はマルクス信奉者なるが故に東大を追われて来た教授だらけだったので朝から晩までマルクスを叩き込まれた。幸いにして私はマルクスの間違っている事を3日で見抜いたので、以後、父親のように社会党に染まらずに済んだ。人間の欲は食欲と性欲しかないとすればマルクスは正しいが、残念ながら所有の欲、異性を独占したい欲、他人より幸せでいたい欲なども否定しがたい欲望である。だからソビエトは瓦解し、共産中国は!)小平による資本主義中国になって大発展を続けている。ヴェトナムだって南を占領後、田地田畑を国有化したら途端に米の輸入国に成り下った。農民が生産意欲を失ったのである。驚いた共産党は田畑の所有権を農民に返した。途端に米の生産高は飛躍的に上がり、元の輸出国に戻った。「所有」とか「支配」とかがいかに人間を支配しているか、人間とは悲しい生き物かを知れば、共産化は不可能と知るべきである。私と違ってマルクスを信じた人たちは東京都知事選挙で石原でなくおばさんを担いで、がっかりした。担いでも駄目だということが分からなかったのである。70になっても分からないと言うことは永遠に分からないだろう。20の時から知能指数が進んでいない。それはさておき、マルクスの言った事でたった1つ当ったことはブルジョワ新聞は大衆に迎合せざるを得ないから真実を伝えることは不可能だとの喝破である。また評論家大宅壮一はテレビは日本人の総てを白痴にすると喝破した。マルクスの言うブルジョア新聞とはとりもなおさず朝日、読売、毎日、産経、東京、日経、それにテレビの全社のことである。かつて日本人3人がイラクで人質にされた事件を見て、マルクスにも当り馬券があった、凄いのは大宅壮一だとつくづく思ったものだ。イラクで日本人3人が人質になった事件で、独り1人気を吐いていたのは産経新聞だけであった。酔っ払いの友人が来て朝日はオカマ、毎日はインポ、読売だって腰抜けだ、憲法改正の元気はどこへやったと喚くから、まあ、そう怒りなさんなとなだめたが、真実は酔っ払いにあるかも知れない。各紙の論旨は腰が据わっているとは言いがたいからである。 テレビはすべからく世論なるものの迎合者に成り下った。ところがイラク問題だけは世論の方がまともなので新聞もテレビを戸惑った。久しぶりに世論が立ち直ったからである。FM東京が若者を対象にアンケートを行った所、高校生の88%がイラクからの自衛隊の撤退の必要は無いと応えたそうだと、産経が報じている。そうだとするならマスコミは世論を読み違え世論に置いてきぼりを食ったのである。失態である。古舘何某の世論迎合ぶりは完全にずっこけた。酷いのは私の古巣のNHKだ。はじめから自衛隊派遣反対をとなえなければ視聴料聴取反対運動が起きるとみたのか、「国際貢献」云々を殆んど無視した。その上で人質事件が起きるや、何をとち狂ったか「可哀想、人命尊重」一点張りで、彼らを行くなと制止していた外務省のことなど、てんから無視し、事件を矮小化するのに懸命だった。腰が据わってなかった、と言うより腰が普段から無いのである。事件は予想された。しかしマスコミはそれを軽視した。イラクでのアメリカのやることにことごとく反発する事が正義のような姿勢を執った。そうした方が読者や視聴者の共感が得られる、抗議の電話が来ないと踏んだからである。ところが抗議は人質になった3人の無謀を攻めるものがほとんどで、同情論を圧倒した。とくに「うちの息子を助けないで置いて、自衛隊は人道支援をしている、と言うのはおかしい」と言った北海道の少年の母親の言い分は世論を転換させるほどの力があった。“一国平和の反戦教育”“自己中心主義”の最たる戦果を物語っていたからである。一時、政府部内に「やらせ」説が流れたのはこの発言が有ったからである。野党の主張をするために敢えて拘束に応じたのではないか、と。人道支援を自衛隊はやりに行ったが、危険なところだから武器を持たない、一般人はイラクへは行かないで下さい、と政府は何度も警告を発していた。小泉首相によればその回数は14回に及んだと言うことである。それでも行ったのは政府を無視したわけだが、命に危険が迫ったら、助けるのは政府だとは余りに勝手だ。政府とか国とかと軽く言うが、それはとりもなおさず私たち自身のことではないか。マルクスの主義に従えばマスコミはすかさず同情論を展開しなければ視聴率を稼げなかったし、販売部数の維持は難しかった。ところが世論の反応は逆に出た。「私の身体なんだから売ろうと曝そうと勝手じゃない」。援助交際の理論と同じ事を言って行ったのが3人だったことを親が証明して見せたので世論は「なにーツ」となった。私の周囲でも初め、人質になった人や家族への同情論があったが、政府の制止を振り切ってまで行ったのに、拘束されたとなったら今度は政府のそれは責任だとする論理の展開に最初はあきれ、最後は怒った。寄せられるメイルもことごとく怒っていた。家人はテレビを見なくなった。新聞週間が来るたびにマスコミは「真実」の自己防衛で化粧するが、真実は売れなければ単なる風説に過ぎなくなる。いつでもはたしてマスコミは真実を伝えているか。「こう主張すれば世論の支持が得られるのじゃないか」という空論を打ち立て、その陰に隠れて視聴率を獲っているだけではないか。販売政策の押し売りではないか。「真実の厚化粧」である。だからホリエモンに利用された。逮捕されたらされたでワイドショウを組んで利用している。マスコミから真実を汲み取る事は不可能だ。マスコミに生きた事のある者だけに余計に腹立たしい。「ブルジョワマスコミ」に関する限り、マルクスの言っていることには説得力がある。(了) 渡部 亮次郎 発行周期 不定期(原則日曜日行) 御意見・御感想はchomon_ryojiro@yahoo.co.jp 購読(無料)申し込み御希望の方は 下のホームページで手続きして下さい。 http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm バックナムバーは http://www.melma.com/backnumber_108241/ ・・・マルクスの予言が当たっているものもあるようだが、人の命を蔑ろにした理論も政策も試行することすら値しないことだネ。 このメルマガは何にもおもねらず中身の濃い内容が盛りだくさんで無料。思想と商業主義に被れた数多ある報道機関のご都合主義の記事が多い中、左右陣営を知り得た貴重な事実がここにあるようだ。 偏向せず、また清濁併せ呑むことから視野も広がることは誰でも経験済みだろうし、日々知らない事を知りたいと、何ごとかと格闘し続けているのもまた人だろう。 日々、愉しみつつ勉強させてもらっている貴重なメルマガの1つです。
2006年01月28日
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・・・陽射しの明るいおだやかな日だ。 『2・22日は竹島の日』、だが、日本人どれだけ知っているだろうか。 長年、竹島問題で近隣県、特に島根県は被害甚大で漁業関係者には拿捕されたり、韓国軍に銃撃され死亡者まで出ている悲劇的な状況が続いている。 現在も国家の支援さえままならずに孤立無援状態でありながらも、近隣県と同県の積年の被害、韓国側のご都合主義の歴史捏造と歪曲による言論の煽動から、やむにやまれず立ち上がったのが一年前だった。 もう間も無く「竹島の日を定める条例」が可決され一周年が来るが、紆余曲折があって可決されたが周知徹底せずば意味は無い。 『応援』『声援』『支援』してあげたいものだ。 日本人は大人しく、揉め事を嫌う性質からか、何事にも付け込まれ易く、外交問題でも圧し込まれて臍を噛んでいる状況が続いている。 竹島、北方領土、尖閣諸島、樺太の半分も含め無法に占領されたままで現在まで来ている。 主権国家とはとてもいえないほど陵辱されたままだ。そして沖縄もシナの領土だとか、対馬は韓国領土だとか、ロシアは樺太のことは言わないし北方四島は言いがかりだとか、もう言いたい放題だネ・外務省ってあったっけ?積年の憤怒「竹島の日」に寄せて~澄田信義知事 フォトしまね2006年 ~竹島は日本の領土です~ http://www2.pref.shimane.jp/kouhou/photo/161/index.html 昨年の2月定例島根県議会において「竹島の日を定める条例」が可決されました。 この条例は、竹島の領土権確立に向けて、本県が長年、国への要望活動を行ってきたにもかかわらず進展がなく、このままでは「竹島問題」が風化してしまうことから、国民世論の啓発を図り、国における積極的な取り組みを促したいという多くの県民の願いにより制定されたものです。 竹島については、日韓両国がそれぞれ自国の領土であると主張していますが、韓国が一方的にいわゆる李(り)承(しょう)晩(ばん)ラインを設定した1952年以降、多数の日本漁船が拿(だ)捕(ほ)されるなど、韓国による実力支配が続いています。 この困難な問題を解決するためには、まず歴史を正しく検証し、互いの主張は主張として理解した上で、理性的に議論を進めることが重要であると考えます。 私は、こうした議論を進めていくための土台づくりが必要であると考え、専門知識を有する方々による「竹島問題研究会」を設置しました。 この研究会では、竹島問題に関する客観的な研究・考察や、日韓両国の主張を体系的に整理するとともに、韓国の研究者との意見交換などによる相互対話も進めていただきたいと考えています。 もとより領土問題は、すぐれて国家間の問題であり、両国の外交努力により平和的に解決されるべきものです。 このため、国に対しては、国民の理解を深める取り組みや、粘り強い外交努力をお願いするとともに、国際司法裁判所に判断を仰ぐべきではないかとの提案も行っているところです。 本県と韓国・慶尚北道は、互いに竹島が自らの管轄下に属していると主張している自治体同士ですが、この点は互いに承知した上で、深く長い交流を礎(いしずえ) とし、1989年に姉妹交流の契りを交わしました。 以来、さまざまな交流や協力活動を行い、互いの信頼関係を築いてきました。両県道を中心とした日韓の交流は、一層活発になされることが歴史の流れであり、我々の責任でもあると考えます。 私は、自治体間の交流と領土問題は切り離して進めていくべきであり、交流はさまざまな主体により幅広い分野で続けていきたいと呼びかけてきましたが、竹島の日の条例制定に伴い、慶尚北道から本県との姉妹提携を撤回するとの声明が発表されました。 極めて残念なことでありますが、私はこの条例の制定を契機に、日韓両国が是は是、非は非として、冷静に議論し、理解を深めながらこの問題の解決を目指すことが、真の親善交流にもつながると信じており、本県から慶尚北道との姉妹交流を断つことは一切考えていません。終始一貫、「誠」を持って接したいと思います。 現状では、友好関係の改善には時間がかかると思われますが、県内では、韓国の学校との交流の再開や、県内企業と韓国企業が合弁会社を設立するなど、うれしい動きもあります。 国と国との外交交渉の進展に期待するとともに、県としては、幅広い交流により相互信頼に基づく友好関係を創り上げたいと考えております。 この「フォトしまね」が、竹島問題の早期解決と国際協調の重要性を考えていただける契機となりますよう願います。 ~比較/日韓両国の教科書~ 島根県が昨年3月制定した「竹島の日条例」は図らずも、日韓両国の同島(韓国名・独島)に対する認識の差を浮き彫りにした。評価の一方、関心の低さから、「なぜ今、条例制定か」といった戸惑いも少なくなかった日本に対し、韓国は国を挙げて猛反発した観が強い。背景には「教育」の違いがある。 日本で竹島の領有権問題を扱うのは現在、中学校で公民、地理各1社、高校で現代社会、日本史、地理、政治経済の計8社11の教科書に過ぎない。小学校の教科書に記述はない。 しかも、質、量に乏しい。「日本政府は韓国政府と交渉し、竹島周辺の水域は、とりあえず両国で共同管理する暫定漁業水域とした」(中学・地理)などと、数行程度で、現状の紹介にとどめているケースが目立つ。 対する韓国は、中学の国定の国史教科書で1ページを割き「日本は露日戦争中、一方的に独島を日本の領土に編入した」と記述。さらに、高校の検定の近・現代史教科書は「(日本は)教科書にまで独島を『竹島』と表記し、自国領土のように歪(わい)曲(きょく)している」と主観を込める。 日本の小学校に当たる初等学校でも、道徳や国語などで扱う。 このため、島根県は2004年、国に「竹島問題を積極的に扱うよう、学習指導要領で取り上げてほしい」と要望。こうした働きかけが実り、06年度から使われる中学校の教科書では、公民3社、地理2社が竹島問題に触れた。 それでもなお、韓国との「教育の厚み」の差は歴然としている。竹島の領有権問題の現実的な解決策である「対話」を重ねるには、自国の主張や歴史認識を「知る」ことが出発点。そのためにも、教育の重要性が増している。 沢山の犠牲者を出し積年の鬱憤からの行動には余程のモノが含まれていることだろうと思う。他国との外交問題なのに国家としてどうしようとしているのか、梨のつぶてで国家が国民に説明すらないのは何故だろう。 島根県のHPを覗いてみると歴史的経緯が客観的に理解できる。冷静に歴史的文献から紐解いて説得力のある主張を述べている。 真贋抜きに韓国民に教育で刷り込みを行い、火種をマッチポンプよろしく止む事を知らない強引で高圧的な言辞、そのココロはなんだろうかネ? 海図上の領海線も、領土も他国に好きなように仕切られて抗議の声すら聞こえてこない日本。国家でやるべき事を地方の県に先を越されてしまい、これも『官から民』への改革のひとつじゃないですよね、まさか。 面目丸つぶれ、中央省庁の完敗で、こんな先行行動なら地方分権化を推進した方がいいよね、“百年河清を待つ”だから中央官庁、外務省の動きは国益の概念からチョッと外れているようだし、島根県の快挙だろう。 島根県って日本だったよね?・・・外務省。内部問題で忙しいのかな? 【2・22日は『竹島の日』、応援したいネ、島根県】
2006年01月28日
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・・・ちょうど、日付を跨いだところ。 深夜プラスワンということで岡崎氏の品のある一文を記してみたい。 最近、サムライ、武士道、武士、などと懐古主義のように復古主義のように話題が多い。三島由紀夫の話題もまた盛り上がっているし、皇室典範の改正についてもこれまた話題沸騰し、ついでに憲法改正も熱を帯びている。 まぁ、日本の転換点にさしかかっているからだろうか、津波のように大波が押寄せてきて日本丸にものんびりと乗ってられない昨今だ。 岡崎久彦 「百年の遺産-日本近代外交史(73)」【連載を終わって】 新たなアイデンティティーを (産経新聞2002年6月26日掲載) ペリー来航から占領の終わりまで、ちょうど百年、それからまたちょうど五十年経ちましたが、この間、日本はいまだに自らアイデンティティーを見いだせないでいます。 最近でも、日米同盟の維持に反対でない人々の間でも、反米的言動が多いのは、どこかに日本のアイデンティティー、あるいは日本外交の主体性を見いだそうという心情があるからでしょう。 たしかに、その前の日本には強烈なアイデンティティーがありました。世界に誇る文治社会を作った徳川三百年、明治の忠君愛国、日本人自らの手で達成した大正デモクラシー、アジアの霸者(はしゃ)として矜持(きょうじ)を持った戦争期、そして全体を貫くサムライ精神です。 それが今は失われているのです。 米国と協力しようとしまいと、それは日本が自然権を行使できる自然体の国家となれば、自分で国益に基づいて判断することです。 それなのに、自分で自分の手を縛っておきながら、自らを責めず、よその国--日本の重要な同盟国--に恨(うら)み言(ごと)を言い、楯ついてみせて主体性を求めるという惨(みじ)めなことになっているのが現状です。≪淵源は占領期≫ その淵源(えんげん)を探ると、それは占領期にあります。占領中の改革の中でも、言論、結社の自由、婦人参政権、労働組合法、農地解放などは、日本社会成熟の歴史的必然と、戦争と敗戦という社会の激変の結果として、占領軍の指示や新憲法を待たず、日本側のイニシアチブで着手され、明治憲法の下に法制化されたもので、これは、そのまま日本の社会に根づいています。 それに反して、歴史的必然でもなく、日本人の意見でもなかったもの、即ち言論統制、公職追放はもとより、財閥解体、自治体警察などはすぐ消え去ってしまいました。 結局、日本人がいまだに納得もせず、違和感を持ち続けているのは、憲法九条と東京裁判です。これに憲法と一体のものとして考えられている教育基本法を加えることもできましょう。これがアメリカの占領が終わってからも、今度は、国際的国内的左翼勢力によって維持、増幅、定着されてきたことが問題です。 憲法九条と東京裁判には、たしかに日本の中の左派、平和主義者の支持はありました。しかし、それは既成事実があったうえでの支持であり、戦後どの時点をとっても、国民の自発的意見を問えば、そんなものが国民多数の選択になった可能性は、客観的に言ってゼロでした。 憲法九条は、幣原喜重郎以外誰一人関知しないことです。昭和天皇から共産党に至るまで、日本人の誰の発想にもなかったことです。これに反対すれば、追放される可能性に脅(おび)えて、国会議員は黙々として賛成し、厳しい言論統制の下で、それが日本側の意思であると、国民に教え込んだだけです。憲法は押し付けかもしれないが、内容は国民が歓迎したなどという占領中の宣伝が作った神話とは、ほど遠い実態でした。 東京裁判の判決こそ、日本人は誰一人として関知しないところです。中立国も交えない、戦勝国だけの裁判官が、日本国民が家も食糧もない窮乏(きゅうぼう)のドン底にあった時期に、占領軍の絶対権力を背景に、戦時中の宣伝そのままの浅薄な歴史観をもって、敗戦国の歴史と伝統を凌辱(りょうじょく)し、破壊する快を貪(むさぼ)った、一方的、杜撰(ずさん)極まる裁判だった、と言って、決して不正確ではないでしょう。 この憲法を改正すること、それに時間がかかるならば、まずこの憲法による知的頽廃が生んだ種々の憲法解釈を全て洗い流すこと、そしてすでに平和条約の下の判決執行義務は、全て終わった東京裁判を過去の歴史とすること、それができて初めて、日本は自らのアイデンティティーを見いだし、国家としての主体性を回復する基礎ができましょう。 占領後五十年も経って、まだこんな状況なのは不甲斐ないと感じますが、振り返って歴史の例を見てみると、どうもそういうもののようです。≪まだ必要な時間≫ 文化の最盛期というのは、古今東西の歴史で、戦乱の百年後に訪れています。 漢の武帝、唐の玄宗の時代、日本の元禄等、皆そうです。どうして百年もかかるのかと不思議に思っていましたが、戦後五十年の今の日本をみればわかります。 関ケ原の戦い(一六〇〇年)の五十年後といえば、由井正雪の乱(一六五一年)です。関係者は皆、関ケ原戦後生まれですが、まだ戦争の長い影をひきずっています。 戦乱の影響のかけらもない、井原西鶴、近松門左衛門、尾形光琳、松尾芭蕉、関孝和など元禄をになう世代が生まれるのは、一六四〇、五〇年代です。 戦後五十年経って国会でも新聞でも議論されているのは、憲法九条といい、靖国といい、戦争の後遺症がほとんどです。こんなものが残っているかぎり、新しい文化の創造の時期はまだ来ていないのでしょう。 われわれの世代の任務は、戦争、占領の残滓(ざんし)を払拭(ふっしょく)し、これから出てくる新しい世代が、その上に何ものにも捉(とら)われない鮮烈な線が引けるような真っ白なキャンバスを用意することでしょう。 それが偏向史観排除の真の目的であり、私の念願です。 おわり「百年の遺産-日本近代外交史」 戦後六十年の現在も占領政策の呪縛から抜け出られずに、木の葉の船のようにふらふらよれよれ流されっぱなしで、丸木船のような日本丸が大海に浮かんでいる。 まぁ、楽観的に考えると今迄、ナニゴトがあってもサーカスの綱渡りのようにタイトロープ上を絶妙なバランス感覚で切り抜けてきた日本人は、これからも更に経験を生かして切り抜けられるものと思う。 不思議な国民性が発揮されるし、あの天才のアインシュタインも日本を愛し、世界中の国の中でも一番好きだと公言していたのですから、それなりの魅力があるのだろうネ。 今年はモーツアルト生誕250年だとか。アインシュタインもモーツアルトが大好きだったし、天才のモーツアルトも日本を知っていれば好きになったはずだろう。 アイちゃんにモーちゃんが天国で日本の話を聞いて、日本の行く末を祝福してくれてるはず。 ジュピター交響曲でも聴こうか、カラヤンかセルか、ワルターもいいしクーベリックもある。魔笛もいいけどやはりジュピターだな。でもフィガロもジョバンニもトゥッテもいいし気分しだいもあるしね。 35才で逝った薄幸の天才モーツアルトは埋葬にには墓守だけだったと伝えられているが、悲しい。アイちゃんはモーちゃんの事を『どこか別の世界からこの世界へ仮住まいにやって来て、また、逝っちゃった人だ』と生前言っていたそうだが、天才は天才を知るってことか・・・。 なので、アイちゃんも、モーちゃんも結局日本が好きだということで・。
2006年01月28日
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・・・勝てば官軍、古今東西の歴史は勝者によって書かれている。 歴史は勝者の論理だ。勿論、日本史とて例外なく勝者の論で成り立っている。勝者側が統治する世の中になるが故に勝者への賞賛・礼賛が語り継がれることになる。 畢竟敗者側の歴史は無残悲惨なものしか残らない。 長い歴史を誇るシナも、百花繚乱の戦国時代も焚書はあたり前で、政権が変るとそれまでの歴史は塗り替えられ、抹殺・否定されることは当然、歴史の断絶の連続だ。継ぎ接ぎの歴史でまるでジグソー・パズルのピースだ。 シナの歴史は新興国家群の興亡から、統治する民族が変わり文化が変わり栄枯盛衰、百花繚乱で、シナという地域での新興国家群の歴史があると言うことだろうか。今は強権力で統治しているように見えるが不安定だ。 一時期あった日本の戦国時代も群雄割拠で領地の争奪戦を繰返していたが、地方豪族同士の切り取り合戦で、日本人同士での争いで歴史も文化の断絶は無いといえる。『天皇』という存在が連綿としてあったからだが。 とはいえ勝者に都合の良い風潮はつくられ、関が原の合戦での敗者「石田三成」は長年すこぶる評判が悪いように受け取られていた。敗軍の将ゆえに致し方ないところもあるが、事実はどうなのかの一端が記されている。 「石田三成」 第二次朝鮮出兵の途中で秀吉は死んだ。その後の政治は五大老、五奉行で行うことになった。念のために言っておけば五大老とは徳川家康、前田利家、小早川隆景(彼の死後、上杉景勝)毛利輝元、宇喜多秀家である。 いずれも代表的大大名であり、豊臣政権の実力ある相談役ではあっても、日常の実務を行うのではなかった。日常の政治事務、つまり内閣に当るような仕事は五奉行がやっていた。 事実、五奉行は秀吉の政治執行機関であるから、秀吉が実質的に天下統一を成しとげて関白になった天正十三年(1585年)頃にすでに発足している。これに反して五大老の方は、秀吉が晩年に、自分の幼児秀頼の後見を頼むという意味で作ったので、文禄四年(1595年)のことであった。 つまり五大老・五奉行といっても、五奉行の方が十年も古い制度であり、秀吉が関白になってからのすべての行政は、この五奉行が中心になって行われたのである。豊臣政権を会社にたとえるならば、秀吉が社長で五奉行が取締役である。この取締役のうち、石田三成の実力はぬきん出ているから、石田三成がただ一人の専務取締役、他の四人が常務取締役に当るといってよいであろう。 五大老は大株主の相談役である。秀吉の部下の諸大名は、福島正則でも加藤清正でも、それぞれの支店をまかされた取締役支店長ぐらいである。本店の業務は五奉行がやる。その筆頭専務が石田三成と考えておけばだいたいの見当がつく。 もちろん石田三成も戦国の武将であるから戦場でも大いに働いている。柴田勝家を破った賤ヶ岳(しずがだけ)の合戦でも大谷吉継らと奮戦している。後世「賤ヶ岳の七本槍」というのもかなりいい加減で、福島正則も、大谷吉継も石田三成も入っていない。入っていないのは後に徳川家に潰されたからであろう。 一説には元来は「賤ヶ岳の九本槍」といわれ、これには石田三成も大谷吉継も入っていたとされるが、関ヶ原の戦いで家康と戦った人間をたたえることは徳川時代には差し障りがあったのだろう。事実、徳川時代に石田三成をほめた文献は皆無と言ってよく、例外的に評価しているのは水戸黄門こと徳川光圀だけである。彼はこう言っている。 『三成は憎むべき人間でない。人はそれぞれ自分の主君のために忠義を蓋すということなのだ。志を立てて、事をなした者は、たとえ敵であっても憎むべきではない。これは、君臣ともに心得ておかねばならぬことである。』 水戸光圀は何しろ御三家の人だから、三成を弁護するようなことを言っても幕府のおとがめはなかったのである。 三成は堺奉行をやっていたが秀吉の九州征伐に従軍、25万の大軍のために―――日本はじまって以来の大軍のために―――食糧・弾薬など、少しの遅滞もなく補給した責任者の中心は三成であった。 日本軍は明治以来、兵站(へいたん)、つまりロジステックスを疎かにする悪癖があり、この前の戦争でその弱点は極限に達したが、その一因は、石田三成のような才能を顕彰する習慣が、徳川時代に消されていたことにあるのかもしれない。 また秀吉の小田原征伐、つまり北條攻めの時も、三成は館林城や忍城(行田)を落としている。あざやかな戦勝とはいかなかったように見えるが、秀吉は満足して、その後の陸奥の検地を三成と浅野長政にまかせている。 秀吉は朝鮮遠征軍にも三成を派遣しているから、秀吉の目には三成は優秀な参謀将校に見えていたに違いない。なかでも三成の能力を十分に発揮したのは、秀吉死後に、朝鮮にいた全部隊を無事に引き揚げさせたことである。太閤死後の状況の中で、しかも軍事情勢不利の中で、大量の船を手配するなど、一切の指揮をとったのは三成であった。 秀吉から見ると戦場に強い武将などいくらでも見つけることができた。しかし検地などの行政事務や大軍を動かすロジステックスをちゃんとやれる部下こそが貴重だったのだ。それで三成は参謀本部勤務になる。 それが朝鮮で明の大軍を相手に死闘をやってきた実戦部隊長たちの気にくわない。秀吉死後の加藤清正や福島正則の三成に対する反感はそこにある。家康はその亀裂を見て取り、そこに楔(くさび)を打ち込み、豊臣家を潰したのである。 秀吉が死んだあと、秀頼の天下になると誰が信じたろうか。いつまでも家康が秀頼の下にいると誰が信じたろうか。家康はすでに250万石だ。前田家だってその半分にも及ばない。家康を倒さなければ豊臣家の明日はない、と確信したのは三成一人である。 関ヶ原の戦いは三成が十分勝てる戦だった。明治の日本陸軍の指導にやってきたメッケルも、関ヶ原の布陣を見て、「西軍の勝ちだろう」と言った。敗れたのは小早川秀秋の裏切りだけのためである。更に言えば、グズな毛利輝元が大坂城から出てこなかったからである。 20万石足らずの中大名の三成が、十倍以上の大大名の家康を向うにまわして、十分勝てる戦争を構築したのだ。三成と一緒に仕事をしたことのある人は彼の側についた。いざ敗れる時も、石田軍は最もよく戦った。これは三成がいかによい殿様であったかを示すものである。とにかく「天下分け目の戦」をしたことのある日本人は三成と家康しかいないのである。 渡部昇一 むかしの歴史を現在の価値尺度で測ることはできない。知ってる事実から類推するしかなくいつまでも真相は藪の中だ。 しかし、歴史の中には妄想を逞しくさせる熱いロマンを感じるものが、埋まっていることも確かでいよいよ“もしも”の想像を掻き立てられるネ。 それが、勝者の論理で書かれたものだとしても、魅力を感じる。
2006年01月27日
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・・・久々の冬晴れだ。 冬の関東は素晴らしい冬晴れが多い。空気がキーンと透明に張詰めて、抜けるような青空は眺める人々のあらゆる呪縛から解放させえる何ものかを放射している。そしてあらゆるしがらみを飲み込んでくれそうな空。 すべてをクレンズするかのような冬晴れの大空だ。 生々流転、容のあるものは例外なく崩れゆくのが運命で、そのまま在るがままでいられるものは一つもない。変化し続けざるを得ない状況に生きている中で、変わりゆく根底に深々と横たわっていて人として道を踏み外さずに歩むことができるものは倫理観が在ってはじめて生き続けられる。 文明も科学技術も高度に発達し、瞬時に地球の裏側でもコンタクトができて、孤島に住み人と交わらなくても科学の粋を集めた最先端の生活も可能だ。 憲法、法律、システム、ルール、常識、あらゆる縛りが社会には存在するが、表裏一体ですべてのものが成り立っているこの世界ではこれらのものは表の対人問題解決方でしかない。 対外的解決法はそのように体裁を整えられて現在に至るが、内面的で人として如何にすべきか、ということに関してはおざなり、お任せの域を出ずミーイズム全盛の現在は特に個人を尊重するあまり個に委ねたままだ。 法体系全般も社会通念全般も存在する理由は、国家と集団と人と人が生き易く住み易くするための同じ土俵上で対等に暮らす為の最低限を定めたものだろうが、共通した倫理観が個人の根底に在って初めて意味を成すものだ。 共通概念ともいえる倫理観の暗黙の了解の箍が緩むことは、社会基盤を崩すことにつながり恥も外聞もなく、脱法も掟破りも、あらゆる枠を平気で何故それが存在するのかを、知ってか知らずか簡単に踏み越えることになる。 必死で努力し優秀で汗も涙も情熱も注ぎ込んで生きている人達が何故かくも簡単に道を踏み外すのか。昨今の頻発する事象は生きていく上で必要不可欠な、そんな倫理観の欠如からのものとしか思えない。・・・失くしてはならないもの、それが何かを考えさせられた。◆【正論】日本社会を蝕む倫理教育の欠如 忘れられた高度信頼社会の土台 中谷巌 平成18年1月26日(木) 産経新聞≪日本人の美意識とは相反≫ ライブドア・ショックと耐震強度偽装問題が日本社会を揺るがせている。関係者の犯罪の中身については厳密な検証が必要であるにしても、これほど堂々と人を欺き、裏切ることが日常化した日本という国の行く末に不安を抱いた人も多いのではないか。 問題の根幹は少なくとも二つある。ひとつは、この十数年、様々な分野で規制緩和が推進されてきたが、それに伴う法体系の整備や企業の自由な行動を監視するためのインフラが不十分という問題だ。 日本社会は規制による「事前チェック」の体制から、自由化と「事後チェック」の体制に移行する必要があるが、それがまだ不十分にとどまっている。これは所轄政府機関の怠慢であり、早急に「市場の番人」としての体制を創りあげる必要がある。 もう一つのより重要な問題は日本人の倫理欠如だ。「悪いことをしても露見しないならやっても良い」とか、「隙(すき)あらば人を欺いても、うまい汁を吸おう」という考え方は、もとより伝統的日本人の美意識からすれば許容できないところである。 『武士道』の著者、新渡戸稲造はこう書いている。 「武士道の本性、すなわち算術で計算できない名誉を重んじるという特質は、近代の経済学以上に、はるかな真実の教えを人々に教えた」(原文は英文、奈良本辰也訳) ただし、倫理欠如は日本固有の問題というより、人類普遍の問題だ。プラトンの『国家』には自分を透明人間に変身させる不思議な指輪を拾った羊飼いギュゲスの話が出てくる。ギュゲスは透明人間に変身すれば悪事が露見しないことを良いことに、結局、国王の地位にまで上りつめてしまう。「悪いことをしても露見しない時に、人はいかに振る舞うべきか」。これこそプラトンが『国家』で展開した正義論の核心であった。 戦後のいわゆる民主主義教育は、こうした倫理の基本について教えることを回避してきた。およそ教室では「人は何のために生きるのか」「どのように生きなければならないか」といった哲学的話題がまともに取り上げられることはなかった。≪教養教育の欠如も一因か≫ そのようなカリキュラムは意図的に切り捨てられたといってよい。この倫理教育の欠如こそ、日本社会をむしばみつつある病の温床であり、いま世間を騒がせているライブドア事件や耐震強度偽装問題の根本に横たわる問題ではないだろうか。 明治維新を切り開いた先人たちは、今日の日本人とは違ったようである。西洋文明を吸収するため派遣された岩倉具視遣欧使節団の若き一行は、英語が流暢(りゅうちょう)に話せたわけでもなく西洋流のマナーを身につけていたわけでもなかった。しかし、彼らの多くは四書五経をはじめとする古典に親しみ、教養豊かであった。 教養とは「人はいかに生きるべきか」といった人間存在の根元について思索することで培われるものである。彼らの立ち居振る舞いは西洋流のマナーにはそぐわなかったが、「教養が滲み出ていた」ため欧米各地で熱狂的に歓迎されたという(泉三郎著『堂々たる日本人』)。 残念ながら、現代の日本人が立ち居振る舞いの優雅さによって、あるいはその教養の豊かさによって、外国の人たちに感銘を与えたという話は寡聞にして知らない。そういう人が皆無とは言わないが、戦後教育が知識詰め込み中心で、心や倫理の問題を教える教養教育が欠如したものであったことに責任の一端があるように思えてならない。 ここで重要なことは、市場経済を支える最重要のインフラは、市場参加者の倫理だという点である。フランシス・フクヤマは著書『信なくば立たず』(加藤寛訳)のなかで、日本の経済発展を支えた最大のポイントは、日本が高度信頼社会であったことだと指摘した。≪相互信頼欠けば発展なし≫ 互いの信頼を裏切らない誠実な精神風土があったから、身内でもない人に企業経営を任すことができた。それがファミリービジネスを専門経営者による大企業ビジネスにいち早く引き上げる重要な要素になったというのである。逆に、人々の間で相互信頼が欠如する場合には、取引コストがかかりすぎるために市場経済は発展しない。 ライブドア事件や耐震強度偽装問題は、高度信頼社会の土台を揺るがしかねない危うさを秘めている。日本という国を礼節を弁(わきま)えた高度信頼社会にとどめておくには何が必要なのか。これこそ今、日本が取り組むべき最重要な政策課題なのではあるまいか。(三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長、多摩大学学長 なかたに いわお) それぞれが倫理観を持ち合わせていると言う暗黙の了解がなくば信頼感などは醸成されようもなく、それが無くば疑心暗鬼での不信の日々を送ることになるが、それが安心安全で健全な社会を構築できることになるとは思えない。 人と人が出会い関係を続けるならば己を磨き研鑽し合い、謙虚と謙譲を感謝と共に発揮せずば、動物の交わりと同様に力の優劣に終始することになる。 優勝劣敗、弱肉強食、競争原理の過度の浸透から、人のもつ本来の優しさも思い遣りも、そして失くしてはならない倫理観までも失いつつあるのかもしれない。 性急に結果を求める現在のこの社会、いかにしても人は促成栽培はできないし使い捨てでもない。熟成、醸成、貴腐、などと味わう為にはジッと待つ至福の時間が有るように、人にもそんな時間が必要なのだろう。 混沌の加速するこの日本列島、さまざまな外圧を“臥薪嘗胆”し“蜀犬、日に吠ゆ”の心境で“汗牛充棟”で倫理観の涵養に勤めるときなのかも知れない。 そして“端倪すべからず”と言われる、国家に成ればよいだろう。
2006年01月27日
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・・・あまり、眼にしたくないことだが事実なのでしょうがないね。 日本も犯罪国家になりさがりたいのか、それをまた加速する政策になるのか、この国をどうしようとしているのだろうね。・・・害(外)務省が売国の限りを尽くし韓国ビザ免除。 【1/26(木)6:30】 <匿名さんより> お疲れ様です。早速ですが…http://www.sankei.co.jp/news/060116/sei101.htmこのニュース、下衆の勘繰りでは「ヒューザー証人喚問」や「宮崎勤の最終判決」そして「ライブドア粉飾」に合わせて埋没されることを期待するかの様に発信されたせいか、あまり知られていない様に見受けられます。言うまでもなく私はこの様な愚策には賛成できません。【犯罪件数の多さ】【悪質な犯罪】これらに関しては言うまでもないでしょう。「強盗団」の記事やATMへの隠しカメラ設置等新聞を広げれば毎日必ず「韓国人の犯罪」の記事が見つかる状態でも『11月分までのデータでは「特に問題ない」(外務省幹部)』のでしょうか?日本国の重要文化財を盗んでそれを返却しない、という行為は「特に問題ない」のでしょうか?また、外務省の連中は、被害にあっても届けず泣き寝入りしている、というケースを意図的に除外しております。【在日コミュニティによる幇助の可能性】また、連中は在日韓国・朝鮮人による手引き(暴力団等犯罪組織構成員中、かなりの割合が在日朝鮮人)で行為に及んでいるとも考えられます。北朝鮮による日本人拉致事件の際、彼らが工作員を支援していたことからも自明。コミュニティと共生することよりも目先の利益のために外道を繰り返し、それでいて微塵にも罪の意識を持たない連中。日本国内の治安悪化に貢献することはあっても、その逆はありえないでしょう。【対日本人犯罪に対する罪悪感の希薄さ・欠如】倫理観の欠落した朝鮮人のこと。日本人に(経済的・精神的・肉体的な)危害を加えるという行為を抑止するがために、良心・善意に訴えても残念ながら徒労に終わるでしょう。国ぐるみで捏造された「朝鮮民族ファンタジー」の世界で年がら年中白日夢を見ている連中に、倫理を求めるのは無意味。【マスコミの怠慢】大手マスコミは在日韓国・朝鮮人が罪を犯したとしても「通名で」あるいは「外国人、とだけ表記」しています(例外は産経新聞等ごく少数)。このニュースを報じたのも私が知る限りでは唯一産経新聞のみ。それもWeb版のみです。犯罪被害が発生したエリアの沈滞、韓国人犯罪であるにも関わらず「日本社会の病巣」と摩り替えてしまうこと、そして、他の真っ当な外人に対する言われ無き差別等の弊害が発生するだけです。【自衛・防御手段の欠如】警察官は事実上発砲を許されない状態(正当防衛での発砲でも非難するバカが居るのは…)。そして、我々市井の者は銃刀法等でがんじがらめに縛られたりして防御手段も持てない状態。我々は黙って彼等のなすがままで居ることを強要されるだけ?【かの国と我が国の法律に対する観念の相違】先日韓国では「親日的と判断された場合には財産を没収する」という『事後法』が成立しました。嬉々として事後法を成立させてしまう国の国民の良心に訴えて日本国の法律を遵守させるのは、正直言って不可能でしょう。総連や民潭の様に、日本に寄生しながら「祖国」に忠誠を誓うことを公言する連中の存在を見ても自明。日本の知的所有権や技術を堂々と侵害し、かつ、それをかの国の裁判所に訴えてもマトモな判決が出ない状態。このビザ免除を実施する件については、今まで国民に対して一度も納得のいく説明がなされた痕跡はありません。多くの日本人ならビザ無しが当たり前となっている米国等でも韓国人のビザ無し渡航は認められていないにも関わらず犯罪者の輸入を行う外務省の魂胆が理解できません。このニュースを知ってからというもの、自衛のための拳銃入手・所持の可能性を検討し始めている私が居ます。。。(以上、乱文失礼しました)→外務省は売国奴の朝鮮野郎とシナに骨抜きにされたバカがほとんどの勢力を占めているので、いうだけ無駄でしょう。国民全員で『売国省ですか?』と電話すれば外務省もビビルと思いますが、なかなか難しい。ところで、南朝鮮人にビザ免除すると犯罪が増えますよね。そうすると警察は「発砲」という形での事件解決やむなしという方針に進むでしょう。それならば別にビザ免除は一時的であればいいのではないか、という話もありますね。犯罪者が来て一時的に治安が悪く・・・で、害人犯罪者にはどんどん発砲。で、朝鮮人の犯罪は多すぎるといって、再度ビザ有に。でも一度発砲文化が出来ているのでそれは変わらない・・・ま、考えすぎですね。【nikaidou.com】 今まで外圧でしか変ることができない日本だったし、これからも早々変るものでもないのだろうから、外圧を逆手に取った方が何事も早く解決できるのかもしれない。 エンドレスの論議を続けても得るものはないが、外圧となると即、小異を捨てて大同に付く、日本人相手には我がままになるが、外人相手には卑屈に素直になってしまった。 外圧により大同団結し試練を乗り越えてきたことも多いので、善悪を問うことはできないようだが、耳を貸す柔軟性だけはあるうちは希望はある。
2006年01月26日
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・・・全国で連日大騒動を繰広げている事件事故ももぐら叩きのように、おきてから大騒ぎするのが常だ。もう少しそうなる前に何とかならないのかといつも思うが、それくらいタガが緩んでしまっている現状なのだろう。 立派な門構えだが内実はシロアリに侵食されいつ崩れてもおかしくない状況を迎えているのか、獅子身中の虫を太らせすぎたのは当の日本人そのものでもあり自業自得ともいえるが、近年の一連の事象の詳細から本質が見え初めてきているし、もっと本質に近づいた議論がなされると思いたい。 ただし、連日発生する事象報道を見るにあたって、報道姿勢から強い放射能を浴びどんな色にも染まり易いという事を弁えた方がいい。沢山ある料理店も自分の舌で、味覚で選択せずばいつまで経っても真贋見分けがつかない。 たくさんある情報もそれなりに取捨選択せずば、易々と報道姿勢の強い放射能を浴び変色変異、異型で原形を留めないように、国家と大衆が増殖させられることになる。そんな歪がいまの軋轢を生んでいる、原点回帰へと。宗教から他民族まで、日本に巣食う「害人」を退治しよう!在日犯罪を無くせば朝鮮人差別などない。 【1/26(木)6:00】 <朝鮮人の一人さんより> たまたま、お話を読みました。しかし、ところどころに「朝鮮人」を悪者?恐い人?として書かれておりますが、やめてください。朝鮮人も沢山おります。北朝鮮の朝鮮人もいるし、好きで日本に渡った朝鮮人も脅されて戦争の手伝いをしたものも日本国籍を持つ朝鮮人もおります。芸能活動をしている朝鮮人も沢山いるし、徳のある方もおります。イロイロ・・・イロイロです。 そして、子供たちも沢山、朝鮮人がおります。儒教の教えを心の奥に、純粋に血縁の守りを通して朝鮮人を日本でしている場合もあります。儒教が好きな日本人も沢山いらっしゃいます。日本で生まれても生まれながらに朝鮮人になるのは生まれてきた子供のせいですか?イッパヒトカラゲに朝鮮人をまとめないでください。拉致をした朝鮮人何かをした(悪い)朝鮮人と明記してください。子供達がイジメに逢います。心当たりの無い差別を受けます。歩いていてカッターで切り付けられたりしちゃうんです。悲しいことです。 このHPは悪い人だけを取り上げているのですよね?では、善人の朝鮮人達までも悪意をぶつけて苛めるのはやめてください。分類の明記をお願いします。恐ろしい犯罪者の日本人がいたからとて、日本国土全部の日本人が極悪人ではないですよね?書いてる方も日本人であれば、極悪人の日本人と同類なのですか?心遣いをしてください。どうかご理解ください。宜しくお願い申し上げます。※名前やアドレスはとても書けません。(デタラメです。)名乗らぬ無礼をご了承の程お願い申し上げます。→カッターで切られるって、朝鮮総連の自作自演じゃないですか。チマチョゴリ切られたとかでしょう。子供が差別されるって、当たり前でしょう。ここは日本なんだから、民族が違えば差別されるの当たり前。世界中どこでもそうですよ。差別した上で、人間として認めるんでしょう。あなたは差別差別といいますが、誰が差別される原因を作っているのかよく考えたほうがいい。子供が差別されるといいますが、本サイトは名指しで子供をいじめたりはしませんよ。まぁ、最近の生意気なガキの場合は、せいぜい中学1年くらいまでが子供でしょうね。おとなしい人や、逆に犯罪をおかすガキはこの限りでもありませんが。昨日国会で、在日フィンランド人で日本国籍をとったツルネンマルテイ議員が代表質問をしてましたが、フィンランド系日本人、と普通に言っていますよ。朝鮮人だけはなぜ「朝鮮系日本人」というだけで差別になるんですか。日本にいながら、日本の恩恵で暮らしていながら「日本のサッカーは負けろ」だのいうでしょう。そりゃ、いい人いるのは百も承知ですよ。総連メンバーにも草はいますしね。ですがね、朝鮮人は戦後半世紀以上、歴史捏造から犯罪行為から、駅前土地の収奪からサラ金自殺者から、一連のファンドだのITだののインチキまで、血が悪すぎる。そして、自分が恩恵を受けているこの日本への感謝がない。日本人に帰化しても日本に忠誠を誓わない。誓わないのが当たり前と思っている。そんな連中相手にまともに相手するわけないでしょう。本サイトで名指ししている朝鮮連中が、成りすまして犯罪を犯すのをやめ、在日連中が全て日本に忠誠を誓うのならば、誰も何もいわないでしょう。最近のITやら新興企業連中で、孫をはじめアメリカ留学してきた朝鮮の血の連中というのは、株のインチキばっかり学んで、アメリカではアメリカ国籍をもらうときに「アメリカに忠誠を誓います」という署名をすることは知らないフリをする。結局、都合のいいことばかり「アメリカではスタンダードだから」というのです。世界のスタンダードは、国籍が変わったらその国に忠誠を誓うことです。誓わないでやれ差別だのカネよこせだのいうばっかりでしょう。いい人がいるなら、表に出てみなさいよ。え?他の朝鮮人同士で差別されるから嫌だ?誰が差別してるのかって、もともとは朝鮮民族同士で差別しあってるんですよ。【nikaidou.com】 二階堂コムの内容は過激に思えるかもしれないが、事実を知ればそんな風には決して思わないだろう。 いかに今まで沢山の隠蔽されてある無数の事実があり、報道内容も歪曲された物をあてがわれ、捏造された事実をも浴びせられて続けてきたかを知れば当然かと思う。 そんな報道も報道姿勢も何の為に、何を、誰を、どこの国家を利するために成されるのかを、各々報道内容を比較・見比べることから透けて見えてくる。 結局、どこの国家もそれぞれ各々の国の大衆の為に国益と安全を確保するのに奔走する。日本の安全安心・国益、それが脅かされている現状を見ると、いままでの曖昧な選択と選別から脱却せざる得なく厳しさを増すし、これからもその流れは加速するだろう。 国家の存亡を握る政治、長年主導権を握ってきた自民党も、政権獲得のために連立政党の選択から、国家盛衰の基盤に立った連立政党選択をせずば真の保守本流が泣く。 報道はあらゆるものと大衆との結節点で、社会のフィルターとも言える役割が厳然としてある、それが汚れてはいけないし。が、それを逆用し我田引水を謀ろうとし始めることから世の中が捩れ混乱を招く。 それを狙って謀略を仕掛ける国家・勢力があり、一方またそれに加担する勢力がいることから内部崩壊が加速される。 織田信長も当時の情報の評価を革めた。あの時代で情報がいかに重要だと認識していたことはさすが天才といわれる所以だろう。 信長から何百年経った今もまだ、らっぱも忍者もスパイも好き放題に踊りまくれる日本という国はどうなんだろうか?そんなに秘密のない国家なのか日本は。 軍事機密漏洩問題などが在るので秘密はあるのだろうネ。日本の企業秘密は秘密じゃない、とすら言われ続けてきていたが今はどうだろうか。 最低スパイ防止法は不可欠で情報戦略はどこの国家も最重要問題だろう。 ・・・安心安全な国家百年の大計をうち立てて欲しいものだ。
2006年01月26日
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・・・こんなのはどうだろう? 二階堂ドットコムでは老後も安心して暮らしてゆける日本を取り戻そうと、体を張って警鐘を鳴らし続けている憂国の士が集うプログです。 いつも、平和ボケした日本人を覚醒させる一文を記している。必見。宗教から他民族まで、日本に巣食う「害人」を退治しよう! ライブドアに目をそらされ、朝鮮ビザなし開始! 【1/24(火)5:50】 <sunさんより> 小泉による着実な朝鮮人の日本のっとり計画は進行しているようです。真の日本人の皆様方、テロ・嫌がらせ・成りすましには十分中をして戦闘に備えましょう!日本入国ビザ、3月から永久免除されるもよう(中央日報)http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=71806&servcode=400§code=4003月に免除恒久化 韓国人ビザ(東京新聞)http://www.tokyo-np.co.jp/00/sei/20060117/mng_____sei_____002.shtml<いしさんより> ライブドアの一件も興味ありますが、紛れるように共同通信等が報じている「政府が韓国人へのビザ免除恒久化を検討している」というニュースは本当なのでしょうか? もちろん全ての韓国人が危険だと思っているわけではありません。でも危険な韓国人がますます流入してくるようになるのでは、と真剣に生活の不安を感じています。少しでもいいので近いうちに取り上げて頂きたいテーマです。(それともすでに取り上げられていて皆さんご存知なのでしょうか?)<山椒小粒さんより>■韓国人のビザ、3月から免除恒久化へ 日本政府 http://www.sankei.co.jp/news/060116/sei101.htmこれ以上、日本国内で犯罪者を増して良いのでしょうか?己の身は己で守れと言う事でしょうか?子供達でさえ外で遊べない状況の昨今、大人でさえ恐ろしくて外に出かけられないどころか家の中に居ても安心できません。戦後のどさくさに下記のようなことをしてきた奴らですよ!「山口組三代目 田岡一雄自伝」より 通りすがりの通行人の目つきが気に食わないといっては難くせをつけ、無銭飲食をし、白昼の路上で集団で婦女子にいたずらをする。 善良な市民は恐怖のどん底に叩き込まれた。 こういった不良分子は旧陸海軍の飛行服を好んで身につけていた。袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首に巻きつけ、肩で風を切って町をのし歩いた。腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器を引っさげた彼らの略奪、暴行には目にあまるものがあった。 警官が駆けつけてきても手も足も出ない。「俺たちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人が何をいうか」警官は小突き回され、サーベルはヘシ曲げられ、街は暴漢の跳梁に無警察状態だ。一瞬、ぎくりと立ちどまり、悲鳴のあがる方角に走った。 途中で四、五歳の女の子が泣きながら夢中で駆け寄ってきた。「どないしたんや」「おかあちゃんが、おかあちゃんが」少女は私に泣きじゃくりながらしがみつく。この世のものとは思えぬ女の狂気じみた悲鳴がきこえつづけていた。「ここにいるんやで。ええな」私は少女をその場において一目散に走った。少女の母親は木立の中で数人の男に犯されていた。飛行服の男たちだった。 GHQ,自衛隊の前身の警察予備隊、山口組が鎮圧しなければ収まらないほど暴れてくれた朝鮮人に謝罪と賠償を。→ホントひどい国です。ヒューザーも朝鮮人ですが、今度はその犯罪者ごとどんどん日本に来させようというのですから。小泉の政策は一見正しいようで、その裏で危険なことをしていることが多いという証左ですね。これはしかし、恒久的になどというのがおかしいです。そんなもの、後の歴史状況によっては即停止することだってありえるのに、余計なこと言うなこのバカ官邸と言ってやりたいですね。今や、暴力団のトップですら朝鮮人です。韓国人といえば、レイプ率世界一の汚名を返上できずにいる民族。北の朝鮮は、日本人を拉致し、覚醒剤を製造し、核爆弾を製造し、さらにはアメリカの偽札を作る「国際犯罪テロ国家」です。日本国内では、チマチョゴリ切り裂き事件のでっち上げなどを平気で行うのが朝鮮の血です。本サイトが常々言っていたように、堀江のような朝鮮系の人間は嘘を平気でつきます。カネのためなら何でもありの血、それが朝鮮の血だということに、日本人もいい加減に気づかなければならない。アメリカ人はとっくに気づいていますよ。日本国民は人を信じすぎるのです。非常に危険な韓国人の血が我が日本に自由に入国できるとなると、日本人は人を疑うことを覚えねばなりません。非常に残念なことですが、政府がこの体たらくですからどうしようもありません。実は本サイト内外から「今の政権は何をするかわからない。もう官邸、小泉の悪口は書くな」と言われておりますが、あえて書きます。「小泉君、なぜ君は韓国人をどんどん招き入れるのかね」と。今年の8月15日に小泉が靖国に参拝しても、それよりも多くの朝鮮半島犯罪者が我が日本に流入するようでは本末転倒です。このようなことは他の誰もが書きません。ですから、誰かが書かねばならんのです。ネットは匿名でずるい、とよく言われます。しかし、身の危険を負ってまで書くことなどできやしません。みなさん、レイプ魔韓国人が日本に自由に入ってくる危険性を訴えてください。日本人の身は日本人で守りましょう。【nikaidou.com】 もう、日本の中でやりたい放題ですな、いったい誰の、どの民族の国家なのだろうかネ。 いい加減目覚めなければ、大陸国家に隷属されてしっまってからでは遅いのだけどね・・・知ってか知らずか、無関心ではいられないはずだが。
2006年01月24日
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・・・きょうは何時もより少し暖かく感じる。 ここ数日の冷え込みからか残雪は相変わらず鎮座しているが、雪もクリーニングせずば純白は取り戻せないほど汚れているようだ・・・。 日本中の格好の餌食になっている“ホリエモン”も確かに法治国家に住んでいるなら順法精神を蔑ろにしたのでは、正しく結果責任を取らされて当然だろう。 マスコミも持ち上げたり、おとしてみたり、忙しいことだ。マスコミがそれだけ情報に通じているなら、なぜ、流行にながされた報道しかできないのだろうか。週刊誌の方が鋭い視点が見られるのにテレビも新聞も鈍い。 それがプロの仕事ならば一歩も二歩も先んじた洞察力を開陳せずば、週刊誌とどこが違うのか存在理由が薄れる一方だろう。プライドで記事は書けまいに。 時間つぶしと紙面の消化には格好の話題だったようで、視聴率と部数を伸ばした貢献度にはホリエモンに足を向けて寝れないだろうね。ホリエモンの功罪をキッチリと総括して見せてもらいたいものだ。 報道の功罪も含めて納得させてもらいたいものだが・・・無理だろうな。 虚業と実業、銀行などは虚業の代表格で実業の生産会社の利益と世に中働く人達の貯蓄を集めて、利益を上げている。当然、実業の如何によって左右されるものだが、金融の複雑さゆえ本業のバンカーには勝てず、企業経営者は言いなりにならざるを得ない。 これを本末転倒、主客転倒といわずなんと言おうか。 実際、各々の企業は市場原理に曝されて生産効率、リストラ、ありとあらゆる事を仕掛けてきたし今も続けている。必死に企業の生き残りをかけて利益を上げようと自転車操業を余儀なくされている現状で、虚業のバンカー達は一時代前の悪代官のように締め付けるが、いざ自分達が不利益を被る事態になると身をかわすのが早く税金を注入させ切り抜けてきた。 延々とゼロ金利政策で身を守り、年金生活者・金利生活者を蔑ろにしたまま風雪を凌いでいるが、その間社会全般の経済は破綻に近い状況に追いやられたようで、中小企業倒産・自殺者の激増と虚業を救う為に過度な犠牲が払われているようだ。 実業があっての虚業なのに、官僚の政策を糊塗するために橋本内閣時代の総量規制から日本は崖下へまっさかさまになってしまい、キッチリ責任も説明もなされていない現状には、今だ呻吟している人たちにとっては納得いかないだろう。 日本経済の実態である実業を守れば、虚業は立ち直るのに逆に虚業を守っても日本経済は立ち直らないし、立ち直ったように見えても虚像でしかない。 資源のない国家が国民によい暮らしをさせてあげたいと思っているなら、外貨を稼ぐのは技術力しかないのです。生産・加工・製造の技術力を如何に開発・増強してゆくかが国の将来を担保する事を忘れてはいけない。 あくまで銀行業務はお金の流通業務の昔の問屋の位置づけでしかなく、経済を支えお金を生み続けているのは日夜研究開発に呻吟し、国民の大多数の無名の大中小の会社で物を造りつづける企業の技術力で成り立っている。 そんな立ち位置の虚業のはずの銀行が実業を差し置いて前面に出てくることが、本末転倒・主客転倒といわず何と言おうか。本来あくまで補佐・輔弼の立場でしかないのですから、実業がスムースに運営できるようにと。 生産・製造を見下した意識と無意識の態度が蔓延っていないのかと思う。 無意識下に潜んでいる傲慢不遜な人間の性が、生き残りの中で醜くも表出させてしまう制度・システムが内蔵されているのが優勝劣敗・競争の原理・資本主義、なのかもしれないが、それの中和剤はモラルしかないネ。“富與貴、是人之所欲也、不以其道得之、不處也” 論語、里仁第四。“富と貴(たっと)きとは、是れ人の欲する所なり。其の道を以てこれを得ざれば、処(お)らざるなり” 『富と貴い身分とはこれはだれでも欲しがるものだ。しかし、それ相当の方法(正しい勤勉や高潔な人格)で得たのでなければ、そこに安住しない。』 読下し文現代語訳、岩波文庫、金谷治訳注『論語』。・・・こんなのが現状の日本人に忘れ去られているが必要なモノなのかも知られないネ。 いまの日本のニューマ(空気、山本七平曰く)は、拝金主義の蔓延から、汚い、汗、疲れる、危険、時間が掛かる、面倒など楽じゃないことはみんな厭で、簡単に手っ取り早く結果を求めることに熱中し、人を出し抜くことは少々違法でも発覚せずば構わないという風潮が根底にあるようだ。 ヤマハの不正輸出、マネーゲームから発したマンション問題、ライブドアの狂騒。政治の怠慢、官僚の腐敗、企業の利益のためには売国すら辞さない国家意識の欠如、等々。 政・経・産・学と、ずぶずぶに泥沼に嵌っている日本は、スパイ防止法もなく無防備で、大陸国家から仕掛けられた狡猾な工作の罠が効き始め、まんまと嵌り込んでしまい、いよいよ抜けられなくなってきたのだろうか。 歴史・教育・宗教を切り口にして工作活動を続け成りすまして中枢に蔓延り、力を削ぐ為に画策し続ける輩が何の制約も受けず活動を続けられる国家は世界中どこにも無い日本だけだ。 最先端技術も何もかも、資本を投入せずに日本で出来上がったものを奪う、嘘と捏造でお金も奪う。 人も技術もお金も、いわれない言いがかりと捏造により流出し続けているのですから、弱体化しないほうが不思議だ。 人間の悲しい性を否応なく見せ付けられる昨今の出来事から、人知で如何ともしがたい鬱屈した気分を味わうことになるが、どんなときでもやるべき事をしていることで後は“ケ・セラ・セラ”の心境でいく。 まぁ、最悪の事態になっても天運とか、天網恢恢疎にして漏らさず、なんてのを信じるしかないね・・・あってくれればの話だが・・・。
2006年01月24日
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・・・あまりスッキリとしない曇りがちな日だった。 生まれながら天運を授けられてこの世に現われる人も稀にいる。偉人・英雄・豪傑・天才などは歴史の中に輝いている。そんな偉人伝を読むとワクワクどきどき、時間の経つのも忘れ夢中になったものだ。 そんな世界中の英雄・豪傑が跋扈した時代が再現されるわけではないが、まるで自分がその時代で生きて主人公になったつもりで、稀有壮大な心境に被れ物語に没頭した。心がタイムスリップできた昔の時代が懐かしい。 翻って現代の英雄たる人物は何処に隠れているのだろうか。世の騒動を引起す人たちはたくさん居るが、一時の盛隆を極めたそんな輩も底が浅いのか数年で馬脚を現すことになり、無意識に英雄を待望するそんな風潮に舞い上がらされていたこと気付き、流行モノと同じにまた次の時代の寵児へと大衆の意識は向かわさられることになる。最初から作られた流行だからネ。 やはり時の技は贋物を削ぎ落とす鋭さを隠し持っている。『男の顔は履歴書で、女の顔は請求書だ』といったのは大宅壮一だったが、鋭い言葉だ。苦労、辛酸、責任、こういうモノが男の顔をつくってゆく。 ぐずぐずに腐った先進国よりも、苦しい開発途上国のほうが、男の顔にいい顔がしばしば見受けられるのはこの辺からくるのだろう。つまり男の顔はある意味では不幸の産物だともいえる。 不幸を担う意思がなければ、いい顔はつくれないともいえる。男の顔は芸術品のようなもので、したがって当然、ほろ苦みというのは、もろもろの体験から滲み出てくるものだろう。 その手始めには、すべからく身銭を切ることからだ。ラーメン一杯、水割り一杯、みんな自分の身銭でやることだ。毎夜毎晩、夜の街へと数知れず繰り出して、銀座、新宿、その他もろもろ日本全国で酒を飲んでいるが、社用族が大半だろうと思われる。近頃はすこしは減っているのだろうか。 社用で会社にツケを回して会社の金で酒を飲んでいると、新入社員も重役も同じ顔で何ら変らない。己の身銭で酒を飲む、バクチをする、遊ぶ、金には絶大な魔力がある。 使った金は、必ずどこかで生きているものだ。ムダに流れてゆくことはまずない。何らかのかたちで現われてくる、同時に金を使わなければ何も残らないということも言えそうだ。 英雄・豪傑、男の顔をつくるには手始めには、すべからく身銭を切りよく遊び、よく学び、不幸を担う意思が必要だろう。 ・・・次元が違う、天授されたナニモノかを持ち合わせて生まれてきたのだろうか・・・理解の外だネ・・・以下。「明治天皇」 ナポレオンとか織田信長とかの場合は、リーダーとしての偉さがよくわかる。ところが、エリザベス一世とか、明治天皇とかの場合、つまり世襲の君主で、偉大な時代を開いた人物の場合は、リーダーとしての偉さを具体的に指摘することが甚だ難しい。 こういう場合の偉さを示す言葉としては、漢の高祖劉邦の偉さを説明した韓信の言葉が一番説得力があるように思われる。それは「将ニ将タル」人物ということである。この話を『史記』によって簡単に紹介すれば次のようになる。 漢の高祖とその部下で武功第一の将軍である韓信がいろいろな武将の能力について語り合ったことがあった。その時、高祖が韓信に向って、『私はどのぐらいの軍勢の将としてふさわしいだろうか」とたずねた。すると韓信は「陛下は十万人ぐらいの軍勢の将としてふさわしいと思います」と答えた。すると高祖は韓信に向って「お前はどのぐらいの軍勢の将としてふさわしいか」と聞いた。すると韓信は、いけしゃぁしゃぁとこう答えた。「私の場合は、軍勢は多ければ多いほどよく使いこなせます」と。すると高祖は、むっとして問い返した。「それはおかしいではないか。それならなぜお前は私の捕虜になり、そして今、私の家来として働いているのか」その時の韓信の答えがすばらしい。 「陛下は兵士たちの将には向いておられません。陛下は将たちの将に向いている方であります。これはいわゆる天授というものであって人間の努力でどうとなるわけのものではありません。」これこそ千古の名返答である。漢の高祖は智謀においては張良に及ばず、ロジスティックスにおいては蕭何(しょうか)に及ばず、実戦においては韓信に及ばなかった。しかしこういう人たちが高祖を一生懸命に助けて漢という大帝国を作ったのであった。このようにすぐれた人物たちを上手に使いこなすリーダーのことを、韓信は「将二将タル」人物と言ったのである。 ではこういうリーダーシップはどのようにしたら身につくのであるか。韓信は「それは天が与えてくれるもので、人の力では何ともできないものです」と言っている。 天授にして人力でないリーダーシップとは、今の言葉で言えばカリスマである。この単語は元来ギリシャ語で「神が与えてくれた恩寵」という意味であった。 この言葉をミュンヘン大学教授であったマックス・ウェーバーは遺著『経済と社会』(1922)の中で、「リーダーシップや権威を持つ恩寵、あるいは力量」という意味で初めて使った。ここから「忠誠心や熱狂的感激を起こさせる能力」という意味で広く用いられるようになった。つまりカリスマとは有能な部下を感激させて使いこなす天授の能力である。 西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、岩倉具視などの維新の大人物をはじめ、大山巌、東郷平八郎、乃木希典などなどの軍人や、一般の兵士や国民全部を奮起させる「ある何物か」を明治天皇は備えておられたと思う。 明治天皇の父帝である孝明天皇も極めて秀れたお方であったことが知られている。しかし孝明維新ではなく、明治維新が起こったのである。 それは「時の運」というものもあるに違いない。黒船来航の前にお生まれになっていたら、明治天皇にいかにカリスマがおありになっても、明治維新は起こらなかったに違いない。「時機が熟した時」に生まれ合わせるのもカリスマの一特徴であろう。 カリスマの原義はあくまでも「天授の恩寵」であって、丁度よい時機というのも天授のものであって、人力ではどうすることもできないのである。 たとえば1867年(慶応3年)に孝明天皇が急になくなられて、十五歳という年少の天皇として明治天皇が即位なさらなかったら、徳川幕府をなくすことはできなかったであろう。この年の12月9日の夜に小御所会議があって、山内容堂などの唱える「徳川慶喜を加えての新政府」という意見にみんなが賛成しそうになった。 その時、山内が調子に乗りすぎで「この会議に徳川慶喜を加えていないのは悪質な陰謀であり、天皇がお若いのをいいことにして権力を盗もうとしている」という主旨のことを言ってしまったのだ。 この「天皇が若いのをいいことにして」という発言を岩倉にとがめられて、山内はあやまってしまう。ここから一挙に話は幕府を武力で討伐することに流れて明治維新になるのだ。 明治天皇が丁度そのときにまだ少年であったこと、また周囲のものに熱烈な忠誠心を起こさせる性質をお持ちになっていたこと・・・これが明治維新の成功、つまり近代日本の誕生、ひいては白人絶対優越の世界的アパルトヘイト崩壊への出発になるのである。つまり明治天皇のリーダーとしての偉さは、マックス・ウェーバーのカリスマという概念、あるいは韓信の言う「将二将タル天授の素質」という考え方以外では説明のしようがないのである。 渡部昇一 世界史・日本史でも時代の転換点においては天の配剤か、人類史に名を残すリーダーが忽然と姿を現すことになる。人知で推し量ることはできないそんな偉人らの活躍で、どれほど人類が救われてきたことだろうか。 まいた種がすぐに刈り取れないように、何事も寒肥を効かす事を忘れ、促成栽培が持て囃されている現状からは、いい男の顔もましてや偉人も出てくるのが恥ずかしいほどインスタントすぎるのかもしれない。
2006年01月23日
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・・・きのうの残雪がそこここにある。うす曇で寒々しい景色が落ちてる。 都会では雪が降ると交通機関が麻痺する。滑って転倒した人が何人いる、車がスリップして何件の事故があったかと、降雪時には大騒ぎすることになる。 人も車も飛行機も電車も自転車も三輪車もバイクも一輪車も動けない。 ・・・ただし、雪が降ると都会では、お子チャマの天国になるみたい。 普段からそんな状況になれていないのだから、転倒も事故も交通機関の麻痺も当然といえば当然なのだろう。年に何度あるやなしやの状況でしょうがないといえるけれど、毎年雪国では半年、雪と格闘する。 雪国では否が応でも風雪と仲良くしなければ生きられない。昼間でも雪が降ると薄暗く凍えた手にスコップを握り締めて、雪がふる度に除雪をしなければドアも開かずに出入りもままならなくなる。 毎年そんな格闘を延々と続けている状況は、今も昔も相変わらずお決まりの風景だ。雪のなかで淡々と生きてゆくしかない人達は諦観、悟りのような心境で愚痴もこぼさず、恨み言も漏らさずに淡々といつも冬を何事もなかったかのように乗り切っている。 その忍耐力はお坊さんの修行のようでもあり、石田梅岩の言説のように生活・仕事を通じて自己の成長を遂げる、品格を高めることが生きてゆくうえで大切なことで、人生は修行の場なのだ。と、石門心学での高説の実践を雪国ではそんな高邁な理論も知らずに、淡々とこなしているのです。 そんな修行?を続けている雪国の人達の精神力、忍耐力と、自然から学んでいる理論より実践、即行動しなければ家にも出入りできないことから、無口で黙々と働く性癖が身に付いたとも言える。 自然に対し愚痴を言おうと聞いてくれない、それでいて自然は人間にたくさんの重荷を背負わせる。淡々と黙々とやらなければ生きられない、追い込まれた状況が人を強くするのだろう。 味わい深い人物をつくる栄養素のひとつかもしれないネ。 雪国というハンディキャップも近視眼的に見れば大変な重荷に映るし、実際も見た目以上に過酷だ。が、利害損得の判断を違えて見ればまた別の側面も見えてくるようで、何が幸いするのか解らないものだ。 雪国の人達の日常は、まるで修行僧と何処が違うのだろうと思う。 雪国、田舎、都会、便利不便利など格差は歴然としてあるが、単眼的に見比べられるものでもないだろうし、物理的な側面だけがすべてじゃないだろうと思う。どちらも両面備わっているのだから。 雪国の人たちが黙々と雪との格闘の姿をみると、なぜか“戦場のカメラマン”を思い出す。 武器を持たずにカメラにすべてを預け、己の眼と勘だけを武器にして戦場の最前線に飛び込み地獄図の一瞬を切り取ってくる、カメラマン。 各地の戦争を、弾の飛んでこないお茶の間で、ぬくぬくとお酒を飲んだり、お喋りしながらテレビの中の戦争を、あ~デモナイ、こ~デモナイと思いつきの議論を繰返すことに慣れてしまって、実感の伴わない架空の頭の中の戦争にしてしまっている。 都会にいてテレビの中で、雪国の人達の雪との格闘を見る感覚と、戦争をテレビの中に映る悲惨な状況と、捉え方がどう違うのだろうかと考えてしまう。 感性の麻痺、想像力の欠如、ミーイズムの蔓延、など言われ、日常生活に追われ人に構っていられない状況もあるのだろうが、戦争も災害も事故もあらゆるものがリアリティを失ってしまったようで、ギリギリの生身の人間がなぜか恋しくなるネ。 社会の変化と共に人間も変質したのかも知れないなどと大胆に考えるョ。 凶暴な自然を相手にスコップひとつ片手に立ち向かう雪国の人達。 武器にもならないカメラひとつで地獄へ飛び込んでゆくカメラマン。 時代の流れ拝金主義、利害損得だけでは推し量ることはできないだろう。 知らない戦場のカメラマンを含め無数にいるが、激戦地へ凄惨なロマンを求めて赴いた彼らから無言のメッセージを伝えられたはずで、無名の武器を持たない戦士だった彼らは、竦んで立ち上がれない我々を守るため戦場へ。 峰弘道、沢田教一、秋元敬一、ラリー・ロバーツ、ロバート・キャパ、など戦場へ飛び込んでいった。命を懸けて何を残したかったのか、何が残されたのか、我々は何を受け取ったのだろうか。 雪国にも住んでいず雪との格闘も知らず、戦場のカメラマンを克って出る勇気もなく、ひたすら頭の人としてアームチェアーで見続けてる大多数の人達はどんな風に映っているのだろう、どんな醜態を曝しているのだろう。 まず彼らは、貴腐がたりないと言うだろうね・・・たぶん、そうだ。
2006年01月22日
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・・・こんな事実がある事を知っている、知らされているのだろうか。 アジア共栄圏だとか、中・韓との友好とか、煽られ、浮かされ、最も重要な事実を隠蔽されたままでの都合のよい友好などあるはずもない。 現在までも周辺諸国からは強権力を振るった蛮行など数知れず行われ、大人しくそれに甘んじ否応なく受け入れさせられてきた経緯があった。 しかし、ここにきて状況が一変し始めたようで、事実と思わされてきたことが事実とはかけ離れたもので、捏造と隠蔽歪曲の結果であったことが露わになりつつある。 妙な軋轢を生む必要はないし、友好は大切で進めなければいけないが、信頼を得るためには根本に嘘を含んでいたり、歪曲された姿からは友好も信頼も醸成されることはあり得ない。 逆に溝を深めるだけであり、友好と逆の結果しかもたらさないだろう。 お気に入りの中にある『アジアの真実』から。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~・日本人が忘れてはいけない歴史 李承晩ライン ~侵略、殺戮行為を正当化する韓国の思考~ 1952年 李承晩、平和線を宣言:東亜日報(韓国語) 1952年に入ると日本の漁民らは、4月28日を指折り数えて待った。米サンフランシスコで日本が連合国側と第二次世界大戦終結のため1951年9月8日に締結した講和条約が、その日に発効するからだった。 日本を占領した米国のダグラス・マッカーサー将軍は、日本の漁民らが本土周辺の決まった線を超えて操業することができないようにした。「マッカーサー・ライン」と命名されたこの線は、講和条約発効と同時に廃止されることになっていた。 1952年1月18日。100日後には日本海は日本漁民らの畑になるところだった。まさにこの日、海の向こうの、戦火に包まれた大韓民国の臨時首都釜山から、青天の霹靂のようなニュースが飛び込んできた。 大韓民国の李承晩大統領が、「確定した国際的先例に基づき、国家の福祉と防御を永遠に保障しなければならない要求によって」、海岸から50~100マイルの海上に線を引き、「隣接海洋に対する主権宣言」を行なったのだ。 日本側は唖然茫然だった。日本はこれを「李承晩ライン」と呼んで、撤廃を強力に要求した。友邦である米国や中華民国も非難したが、李承晩はびくともしなかった。 むしろ韓日間の平和のためのものだとして、「平和線」と呼んだ。日本政府が漁民らに「李承晩ライン」を無視するように言うと、韓国政府は軍艦まで動員して「平和線」を越える日本漁船を容赦なく捕えた。 その過程で日本の漁民1人が死んだりした。1961年までに拿捕された日本漁船は300隻を超え、抑留された日本人は4000人に近かった。 平和線は、切迫した漁業保護が生んだ産物だ。当時、国内の漁船全体の総トン数は10万トン、それさえも大部分が無動力船だった。日本は総トン数200万トンで、そのうちかなりの数が韓国警察船より速い新鋭船だった。マッカーサー・ラインが消えれば韓国の漁業が沈むことは必定だった。 とはいえ、平和線は漁業保護のみを狙ったものではない。平和線の内側に竹島を含めたのが絶妙だった。講和条約の「日本が放棄する地域」に竹島を入れるようにとの要求が拒否されると、先手を打ったのだ。 切羽詰った日本は10日後、「韓国の一方的な領土侵略」だとして「竹島問題」を争点化したが、もはや機先を制された後だった。 抗日闘士李承晩の快挙である平和線が、韓日国交正常化条約調印(1965年6月22日)とともに歴史の中に消えると、我が国の国民は鬱憤を吐いた。「得たものは金であり、失ったものは平和線だ」と。 54年前の今日一方的に制定された、あの悪名高き李承晩ラインを正当化する韓国側のこの論評には驚かされます。 李承晩ラインとは、1952年に韓国の李承晩が日本海に一方的に引いたラインであり、本来日本が操業できる漁場を一方的に韓国のものとし、そこに入る日本漁船は武力を持って排除すると通告したものです。 これは国際法無視もはなはだしい韓国の暗黒の歴史の一ページです。 この結果、多くの日本漁船が韓国に不当に武力攻撃され、328隻が拿捕され、漁民44人が死傷しました。 しかも、拿捕された日本の漁民を解放する条件として韓国が出してきた要求は、収監されている凶悪犯を多数含む、大量の在日韓国人犯罪者を無条件に釈放することと、在日韓国人全体に在留特別許可を与えることでした。 日本政府は国民を助ける為、止む無くそれを呑みました。つまりこれは現在の在日問題の根底に関わる事件でもあるのです。そして日本領土である竹島を韓国が不法占拠し、現在までに繋がる竹島問題を生み出したのもこの李承晩ラインがきっかけでした。 この明らかな主権侵害と侵略行為、及び殺戮行為は、本来は戦争になってもおかしくない状況です。しかし戦後間もない状況というのもあり、日本は強盗のなすがままにするしかありませんでした。それを見越して韓国は大罪を平然とした顔で犯したのです。 我々日本人は、決して忘れてはいけない歴史です。 驚くべきは、上記の論評をはじめ、韓国ではこの国際的に許されることではない侵略・殺戮行為を、漁業保護と竹島獲得の為にやむを得なく、しかも大変有効であったと大いに評価し、露ほどにも罪の意識を感じていないことです。 捻じ曲がった歴史観と共に、日本に過去の侵略の反省をと主張してくるのに対し、自国が日本に対して行った大罪については、反省するどころか評価する。上記の韓国人自らが書いている東亜日報の記事をよく読めば、韓国が国際法を無視して一方的に行ったということが何箇所かに明記してあります。 しかし、論調はそれに触れることはなく、正当化し、このラインを失ったことを嘆くような言葉で締めくくられています。 なぜ事実を知っているにも関わらず、自国の非に気づくことができないのでしょう。この姿勢には救うべき言葉も見つかりません。結局は、他の歴史問題についても同じなのです。 韓国は絶対的に正しい。日本が正しいわけはない。 という、自大主義、小中華主義とも言われる捻じ曲がった概念が思考を支配している為、事実がわかっていても正常な判断ができないのです。この記事にて、韓国の本質を改めて思い知らされました。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~以上。 このような事が友好という美名の下に知らされずに隠蔽されているとするならば、かなりの考え違いだろうネ。 昨年は日韓友好年という事で交流を深めようと、さまざまな催しが行われてきたが、実際に友好は深まったのだろうか。逆に知ったが故に嫌韓の意識が増幅したのではないだろうか。事実を知ったが故に。 それまではアメリカ、ヨーロッパへと先進国への熱い視線を送り続けてきたが、アジアへの関心は低く専門家以外は詳しい情報を持ち合わせてなかったことにも起因していた。 眼をアジアに転じ、知りはじめてその内情の胡散臭さに驚くばかりで、友好を煽るのであれば短兵急な戦略は逆効果しか生まない。 歴史・文化的背景には埋めがたいものがあり、嘘から生まれた友好は仇花でしかないはずだ。 友好は事実を受け入れらることからすべて始まるもので、誰かのためのご都合主義の友好などは真の友好にはつながらないだろう。 特に情報化時代の現代において、真実を直視する度量が必要だ。
2006年01月21日
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・・・ついに おちてきた。ふわふわ ゆれながら ゆき が おちる。 雪が降り積もると白い街が現われる。浄化されたかのように街に静謐が訪れるのが幸いだ。 降り続ける雪を見ていると、なぜか物悲しくなってくる。クリスマスソングよりもアダモの歌を思い出すのは何故だろうね・・・。 純白な雪が降り続く中、心待ちしながら切迫した心情を、淡々とふる雪の中で静謐さゆえに湧き上がる愛惜と悲哀を、積りゆく雪の中へ押し込んでしまいたい心情が物悲しくも、しんしんと胸に去来し降り積もってゆく。 人はやはり愉しいことよりも、悲しいことの方が強く心に刻まれるからだろうか、それともそのときの心情にたまたま合致した結果だろうか。 いつもどこかで何かに触発されたり啓発されたり、日々、考えるともなく無意識に繰返される日常のチョッとしたことから、それぞれに遠い昔の記憶が蘇えることがある。 デジャ・ヴュのように初めての事なのに、既に以前同じ場面に遭遇していたかのような錯覚とか、記憶違いによる単なる思い込みをそうだと信じ込んでみたりする。 けれど人それぞれに何かを見たり聞いたりすると条件反射のように蘇える記憶があるに違いない。 それが歓喜なのか悲哀なのかは解らないが、きっと有るはずだが湧きあがる喜びのほうがいい。心に深く沈潜していた密やかな悲哀は思い出したくはないものだが、それでも悲しみも時を経て限りなく懐かしくなることもある。 喜怒哀楽の日々の中で転々悶々、夜寝ることもできず、しかし、どうしても他人と接触し、手と足で働き、かつ頭も働かせ、何とかしてお金を手に入れなければこの世では生きてゆけない。 そんなギリギリの中で生きてゆくうえでは、強く記憶に働きかけることは諸々起こりえることだろう。 長年生きつづけることで積りゆく雪のように想い出も積りゆく。そしてそんな想い出も落ちる雪を見たり、音楽を聴いたり、お喋りをしたり、お魚釣りをしていたりすることで、心のもやもやの中から蘇えることになる。 そんな、あれ、これ、それ、を思い出すのも生活に追われつつも、手も足も頭も全身で働いているからであって、感嘆も驚愕も悲哀も憤怒も落胆も生きてゆくうえでの肥やしになっていることに考えが至れば、すべて懐かしい想い出に変るのだろうし、感謝すら湧きあがることになる。 失敗も成功も、勝利も敗北も、そんな経験を味わう為に生まれてきたのですから、経験することに怯えていては次に飛躍する肥やしは得られない。 “若き日に旅をせずば、老いてなにをか語らん”やってもいないことは語れないし、蘇える想い出にも成り得ない、まず、座るまえに立つことだろう。 そして、泥に咲く花のように、純化された想い出が心に残ることになる。 今夕まで雪は降り続ける。ゆき、ユキ、雪。魔法のように一瞬で、雑踏と眼前の情景を純化してくれる。 いつのまにかふる雪、雪景色がもたらすそれぞれの心象風景があっていいじゃないか、それぞれに。 雪の静謐。 雪見酒、また、これで次の一歩が踏み出せそうだネ。
2006年01月21日
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・・・きょうは明るくて寒い日だ。 ふらふらと昨夜は一杯飲みに行った。なじみのお店でお銚子を何本か倒した。知り合いの先輩の方に本を頂いた。その先輩の方も本好きで以前からいろいろな本の話をしたり、仕事の話をしたりと、たまに顔を合せると静かに話していた。 先輩は通勤電車の中で読むことが愉しみでさまざま読んでいて、小説が映画化されたものより小説の方が好きとか、鉄道員(ぽっぽや)など、たくさんの薀蓄を語ってくれた。いつもとても味がある話をしてくれる。 退屈しのぎにこれを読めと本を一冊頂いた・・・感謝。 小沢昭一のエッセイ『散りぎわの花』の一冊。遊びと軽みの事を少年時代から今に至るまで邂逅。遊びと交友関係を軽妙洒脱に現在の心境を閉じ込めてある一冊だ。 ユーモアに溢れてて笑わさられるが、同時に人生の機微を考えさせられる内容を含んでいて、遊びと軽さの中に人生がキッチリと根を張っていて人間の奥深さを改めて教えられた本だ。 小沢昭一の『小沢昭一的こころ』でTBSラジオで長年放送されていて、放送内容からファンは多く、多芸と交友関係の広さも並じゃない。 『散る桜 残る桜も 散る桜』 (散りぎわの花の中から) 棺を覆うて定まる、なんて至言があるが、遊びも大事な人生の構成要素なのだからあまり白い眼で見ないで愉しもう、と、そんな気になる一冊だ。「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 ◎小誌の購読は下記サイトから。http://www.melma.com/backnumber_45206/中国のハリウッド映画、政治工作が静かに着実に成功 こんどは「南京」の嘘放送が世界に映像で流れる危険性 下記は読売新聞の記事である。【上海=加藤隆則】旧日本軍による1937年の南京事件を題材にしたハリウッド映画の制作が決まり、来年12月の事件70年に合わせ、世界で同時公開されることが明らかになった。(一月)18日付の上海紙「文匯報」が報じた。 同紙や制作協力する江蘇省文化産業グループによると、映画のタイトルは「南京・クリスマス・1937」で、当時、南京にいた米国人宣教師の目を通して、旧日本軍が行った中国人への殺害行為を描くストーリー。クリント・イーストウッドが監督を務め、同氏と「マディソン郡の橋」で共演したメリル・ストリープの出演が予定されている。 中国では旧日本軍が南京を包囲した12月13日を「南京大虐殺記念日」としており70年にあたる来年は、各種行事が行われる予定。 (2006年1月18日23時23分 読売新聞) (宮崎正弘の寸評)嘘放送を映像で固定し、世界の人々を洗脳させる役割があるのが、映画の恐ろしさ、ましてクリントとメリルは『マディソン郡の橋』の名コンビ、ま、おじぃちゃんとおばぁちゃんとではありますが。 米国内で反対の意見広告とか、日本側の反論を、政府がやるべきで秋がきた。 ♪(読者の声1)ヒューザーだのライブドアだのの狂騒の陰でとんでもないことが進行していますね。「韓国人のビザ、3月から免除恒久化へ 日本政府 http://www.sankei.co.jp/news/060116/sei101.htm 」 なんという血迷った考えでしょう。あの国の犯罪率の大きさをどう考えるんでしょうか。来日する韓国人数は台湾人の1.5倍ですが、犯罪検挙数は7倍以上、不法滞在者数は6倍以上、入管法違反は15倍以上、というデータがあります。また、国際的な統計に照らして、人口あたりの強姦発生率は、韓国は日本の10倍近くに達します。 娘をもつ父親として、このような国からのビザなし渡航を容認するなど、日本政府の自国民に対する誠意を疑います。そもそも、世界的にみても、韓国人に対する入国審査は厳しくなっている潮流にあります。同盟国たる米国がその最前線でしょう。欧州も同様です。なぜ、日本だけが逆行するのでしょう?また、昨今の韓国の政治状況をみていると、北朝鮮による政治工作を勘ぐらずにはいられません(反日騒ぎなどよりそっちの方が重大です)。そんな国からビザなしで人がやってくるなど、想像するだに身の毛がよだちます。ほんとうに世も末です。情けなくってしょうがない。さっそく関係省庁や聞く耳を持ちそうな議員には片っ端から抗議メールを送りましたが。http://www.e-gov.go.jp/policy/servlet/Propose 治安も守れない外交など、無意味です。 ところで、中共の暴虐を証する情報を一つゲットしました。おそらく画像処理されたものではないと思います。戦後世代の私には刺激が強すぎる映像です。もし読者の皆様にご紹介頂けるのであれば、衝撃度が強いことを事前にご理解頂きたいと思います。中国の公開処刑 http://www.peacehall.com/news/gb/china/2004/12/200412130343.shtml 国家を守るとはなにか、、、ぎりぎり最低限まで煎じ詰めれば、どのような生活環境を守るかにつきるのではないでしょうか。民主党などのボケた人たちをみると、「あんた達はこんなことが平然と毎日行われるような国に住みたいのか?家族をすまわせたいのか?」そう糾問したくなります。 (熊本 かろかろ) ・あらゆる面に浸透し嘘で固めた反日を広めようと画策し続ける、その執拗な精力には感心するが、そんな後ろ向きにエネルギィを消費するよりも共同・協調・共生の方向へ向かわせようと、何故思わないのだろうネ。 人生は短いのに、どうしてなんだろうか・・・そんなに生き急いでネ。
2006年01月19日
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・・・今日は、はんぶん晴れ、はんぶん曇り、でした。チョッと寒い。 ホリエモン騒動で東証は売買停止になったそうです。結構尾を引くようですね。むかしよりも世の中複雑になったというか、密度が濃くなったのか、知らないことも多くなってしまい、何がおきるのか解らない時代だネ。 文明が進んで人間が主役なのか、文明の進歩が主役なのか解らない。 世の中が複雑すぎることで、あれも、これも、それもありすぎついて行けないことが、無関心・無気力・無感動・無責任・無節操を生んでいるかも知れないし、複雑すぎることにスタートから諦めていることが多く、最近はスタートにすら付かないという事態が起きている。 だから逆説的にポジティブ・シンキングなどの“前向き”などという言葉が流行るのだろう無意識に感じているからだろう。 競争社会があたり前になってきた反動だろうし、拝金主義の蔓延もあるのだろうし、ファクターは色々あるだろうが、生きる選択肢が少ないことも問題だ。 オリジナリティといいつつも横並びを無意識に進めて、外見を他と違う事を極端に嫌う生活観から抜け出せない。むかしの村八分が日本人のDNAに刷り込まれているとしか思えないネ。・・・違ったっていいじゃないかと。 不況といわれる一方では、ぬるま湯で、マッタリした退屈な世の中で、ヒーローを求めていることもあるのだろう。 まぁ、あんまり複雑になると、だいたい思考停止になる人が多いので、複雑な問題にぶつかったら、一旦休んで、流れに任せてあんまりマジメに取り組まない方がいいんじゃないかな。急がば回れ、ってこともあるし。 問題山積の現在のような状況の時には、問題を放り出して一杯飲んでから考えてもいいんじゃないかな~、そのほうがいい知恵が出そうだネ。 えぇ~い、一杯、飲みに行ってこようっと。行ってきます。 ・・・みんなは、マジメにやってくれ・・・今日は、という事で。
2006年01月18日
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・・・今日は、人間の尊厳を崇高に謳い上げた20世紀最高の演説を見てください・・・聞いてください・・・なにも説明は要らない。ここから、キング牧師の当時の演説が聞けます↓・・・臨場感あるよ。 (音声)http://www.americanrhetoric.com/speeches/Ihaveadream.htm ↑はポートランドにいるアラキさんの日記から頂きました。(リンク済み)http://plaza.rakuten.co.jp/arakiai5/ m's New York cafe nycafe.exblog.jp(トラバしてくれたョ) ↓キング牧師の略歴を書いてくれているョ。 http://nycafe.exblog.jp/3388576 <参考> 日本語訳です。20世紀最高の演説に選ばれた、「マーチン・ルーサー・キング・ジュニア牧師」の演説です。1963年8月23日。25万人のワシントン大行進の後、ワシントンDC、リンカーン記念館にて。I have a dream私には夢がある。that one dayいつの日かthis nation will rise upこの国が 立ち上がり,and live out the true meaning of it's creed,わが国の信条である次の言葉の真の意味を,現実のものとする夢が。 "We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal".『私たちはこれらの真理を自明のことと考える。すなわち,全ての人間は平等に造られている』(アメリカ独立宣言の一節)(歓声)I have a dream私には夢がある。that one dayいつの日かon the red hills of Georgia,ジョージア州の赤土の丘の上で,the sons of former slavesかつての奴隷の子孫たちとand the sons of former slaveownersかつての奴隷主の子孫たちとが,will be able to sit down together at table of the brotherhood.共に兄弟愛のテーブルに着くことができるようになるだろうという夢が。I have a dream私には夢がある。that one dayいつの日かeven the State of Mississippi, a state sweltering with the heat of injustice,このミシシッピ州も, このような不正義の暑さにうだっておりsweltering with the heat of oppression,このような抑圧の暑さにうだっている この地域でさえもwill be transformed into an oasis of freedom and justice.自由と正義のオアシスに変えられる日が来るだろうという夢が。I have a dream私には夢がある。(歓声)that my four little children私の幼い四人の子どもたちが,will one day live in a nation where they will not judged by the color of there skin but the content of their character.彼らの肌の色によって評価されるのではなく,彼らの人格によって評価される国に住めるようになるだろうという夢が。I have a dream today!私には今日,夢がある。(歓声)I have a dream that one day私には夢がある。いつの日かdown in Alabama with vicious racists, with its Governor having his lips dripping with the word of interposition and nullification悪意に満ちた民族主義者に牛耳られており,連邦の決定に対して知事の口から「干渉」とか「取消し」という言葉しか出てこない このアラバマ州においても,.One day right there in Alabama, little black boys and black girlsいつの日か幼い黒人の少年たち・少女たちが,will be able to join hands with little white boys and white girls as sisters and brothers.幼い白人の少年たち・少女たちと手をつなぎ, 兄弟姉妹として歩ける日がくるだろうという夢が。I have a dream today!今日,私には夢がある。(歓声)I have a dream that one day "every valley shall be exalted,私には夢がある。 『いつの日か 谷はすべて身を起こし,every hills and mountains shall be made low, the rough places will be made plain,山と丘は身を低くせよ。 険しい道は平らに,and the crooked places will be made straight, and the glory of the Lord shall be revealed, and all flesh shall see it together."狭い道は広い谷になれ。 主の栄光がこうして現れるのを, 肉なる者は共に見る』(イザヤ書40:4-5)This is our hope.これが私たちの希望なのである。This is the faith that I go back to the South with.こういう信仰を持って,私は南部に帰る。With this faithこういう信仰があれば,that we will be able to hew out of the mountain of despair a stone of hope私たちは絶望の山から希望の石を切り出すことが出来る。With this faithこういう信仰があれば,we will be able to transform the jangling discords of our nation into a beautiful symphony of brotherhood.私たちはこの国の騒々しい不協和音を,兄弟愛の美しいシンフォニーに変えることが出来る。With this faithこういう信仰があれば,we will be able to work together,私たちは共に働くことができる。to pray together,共に祈ることができる。to struggle together,共に闘うことができる。to go to jail together,共に監獄へ行くことができる。to stand up for freedom together,共に自由のために立ち上がることができる。knowing that we will be free one day!いつかは自由になると信じることができるのだ。(歓声)This will be the day...その日こそ,(歓声)This will be the day when all of God's childrenその日こそ,全ての神の子どもたちが,will be able to sing with new meaning, "My country, 'tis of thee,あの歌を新しい意味を込めて歌うことができる日となるであろう。 『わが国,それは汝のもの,Sweet and of liberty, Of thee I sing麗しき自由の国。 われは汝を讃える。Land where my fathers died, Land of the pilgrims' pride,わが父祖たちの死せる国, 巡礼父祖の誇れる国,From every mountainside,すべての山腹からLet freedom ring." And if America s to be a great nation,自由の鐘を鳴り響かせよう』 もしアメリカが偉大な国になるのであれば,this must become true.このことが実現しなければならない。So let freedom ring from the prodigious hilltops of New Hampshire.だから,自由の鐘を鳴らそう ニュー・ハンプシャーの大きな丘の上から。Let freedom ring from the mighty mountains of New York.自由の鐘を鳴らそう,ニューヨークのそびえ立つ山々から。Let freedom ring from the heightening Alleghenies of Pennsylvania!自由の鐘を鳴らそう! ペンシルヴァニアのひときわ高いアレゲニー山脈から!Let freedom ring from the snow-capped Rockies of Colorado!自由の鐘を鳴らそう! コロラドの雪を頂くロッキー山脈から!Let freedom ring from the curvaceous slopes of California!自由の鐘を鳴らそう!カリフォルニアの曲がりくねった坂道から!Not only that. Let freedom ring from Stone Mountain of Georgia!それだけではない。自由の鐘を鳴らそう!ジョージアのストーン・マウンテンから!(歓声)Let freedom ring from Lookout Mountain of Tennessee!自由の鐘を鳴らそう!テネシーのルックアウトマウンテンから!(歓声)Let freedom ring from every hills and molehills of Mississippi,自由の鐘を鳴らそう!ミシシッピのすべての丘やモグラ塚からも!(歓声)and from every mountainside!山腹のいたるところで自由の鐘を鳴らそうではないか!(歓声)Let freedom ring and when this happens.私たちが自由の鐘を鳴らせば,(歓声)When we allow freedom to ring,私たちが自由の鐘を鳴らすことができたとき,(歓声)when we let it ring from every village and every hamlet,その時にはすべての村という村で,すべての集落という集落で,from every state and every city,すべての州という州,街という街において,we will able to speed up that day when all of God's children,神の子どもたちとなったすべての者らが,black men and white men, Jews and Gentiles, Protestants and Catholics,黒人も白人も,ユダヤ人も異邦人も, プロテスタントもカトリックも,will be able to join hands and sing in the words of the old Negro spiritual,すべての者らが手に手を取って,あの古い黒人霊歌を口ずさむようになることであろう。"Free at last! Free at last! Thank God Almighty, we are free at last!"『自由だ!自由だ! 全能の神に感謝すべきかな。 私たちはついに自由になった!』(歓声) 我々が忘れ去っているモノ、人間の生きる根源を訴えている素晴らしい演説です。 心を動かされない人はいないと思います。以前、キング牧師の肖像画、畳半畳分くらいの大きさの油絵を戴き実家に飾っていたことがあったのだが、今回『精神世界の鉄人』の一説にキング牧師のことがあり、想い出したので演説と共に記してみた。・・傑作の証明、時代を超えて訴求するものが溢れている。
2006年01月17日
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・・・今日は阪神大震災から十年以上経った衝撃の日だ。 ただ、静かに黙祷をするだけだ。 人生なかばで心ならずも人災とも言える震災の犠牲になられた方々、残されたわれわれは多数の命を犠牲にしたままで、果してその教訓を生かしているのだろうか。 この十年の間には無数の非難批判が語られ、記録されたが、天災だけで済まされてしまい、ほんとうに人災の余地はないのか?そのことに関しても今も尚、書かれ、残されている。 この楽天日記を書いている“トイモイ”さんも毎年この日に記している。生々しく当日自身の体験、地震のすさまじさと街のビルの倒壊と火災と荒廃。 人々のそんな中でも生き続けるしかない状況を冷徹に焼付けた一文を、今日も記していた。自身も震災の真っ只中にいて片方の目で己を守りつつ、もう片方の目で周囲を冷徹に捉えていた内容には驚くね。 時の総理、冷静さを欠き事態を掌握不足が如実だった村山総理と交代しても、それ以上の成果を挙げただろう。そんな比較は“トイモイ”さんに失礼かナ・・・。 日本産“シーラーカンス”は何処にでもいるようで、時代遅れと思い居酒屋でヨチヨチ飲んでいるわれわれよりも、もっと遅れた発想でも生きて行ける人達が居るなんて羨ましいね。 震災当時の首相も日教組のドンも時代の先端を走っている心算なのだろうが、他から観たら実は一周も二週も遅れた先頭ランナーとしか見えていないのですから、世間との意識の乖離の認識不足でしょうか。 もっとも、シーラーカンスも生き延びるためには、変化に対応しなければ何億年前のままでは死に絶えていたはずなのですから、変化している。 周回遅れの先頭ランナーとの比較も“シーラ”ちゃんに失礼か? ・・・・・・・とにかく驚く。・・・以下。日教組新しい歴史教科書をつくる会」のチラシに掲載されている平成13年度の教科書採択において発せられた北朝鮮擁護の教育委員や日教組等のコメント安本ゆみ・杉並区教育委員「事実かどうか分かっていない北朝鮮の拉致を載せるのはいかがなものか」江森陽弘氏・町田市教育委員「事実かどうかわからない拉致事件を教科書に使うのはまずいと思う」日教組『教科書白書2001』「(扶桑社の公民教科書は)北朝鮮敵視の立場に変更はありません。 それどころか一ページを割いて、『北朝鮮による日本人拉致問題』というコラムを意図的に掲載しています。」平成15年1月30日木曜日晴れ △ 奈良市などで開かれていた日教組の第五十二次教育研究全国集会は二十八日、四日間の日程を終了して閉幕しました。 この時に平和教育分科会では、北朝鮮による拉致事件についてゲストとして出席した高嶋伸欣琉球大教授は、産経新聞などのメディアの拉致報道を批判したほか、配布資料で「救う会」も非難したそうです。 相変わらずの日教組のアホウぶりです。 槙枝元文・日教組元委員長は北朝鮮を「この国には泥棒がいない。泥棒とは富の片寄ったところに発生する。この国には泥棒の必要がないのである。泥棒も殺人犯もいないから警察官もいない。 交通整理や怪我(けが)人のために社会安全員が街角や交差点に立っているだけ」(『チュチェの国 朝鮮を訪ねて』)と讃美し、北朝鮮礼賛は大韓航空機爆破や拉致などの国家犯罪が発覚した後も続き、平成三年には北朝鮮から「親善勲章第一級」をもらっています。 その後も昨年の金正日総書記誕生六十年の祝賀メッセージで、金日成元主席について「わたしは訪朝して以降、『世界のなかで尊敬する人はだれですか』と聞かれると、真っ先にキムイルソン主席の名前をあげることにしています」と強調。 日本の自衛隊は否定するくせに、金ブタの軍隊については、「強い軍隊を率いることは国の自主性を堅持するうえで欠かせないこと」「人民のなかにはいって現地指導されている姿などをもっと積極的に共和国は報道すべきではないでしょうか。キムジョンイル総書記のすばらしさをアピールしたほうがよいと思います」と進言している(『キムイルソン主義研究』百号)。 といっているのですから、この槙枝元文という男は何を考えているのでしょうか。な~んにも考えていないのでしょう。こんな日本にいるよりも地上の楽園の北朝鮮の偉大なる首領様の元に早く行けばいいのです。その時はぜひともOne-way ticketでお願いいたします。帰ってくるな!!このようなアホな先生に教えられた生徒がかわいそうです。 組合員の中には、日本国内のあの気狂い思想の主体思想信奉団体である「日本教職員チュチェ思想研究会連絡協議会」に所属する者もおり、歴代会長は日教組関係者です。 拉致事件を唯一取り上げている教科書を「北朝鮮敵視」と決めつけたり、今年度の運動方針にも、北朝鮮の官製教職員団体である「朝鮮教育文化職業同盟」との交流を掲げているのですから、このような気狂い組合に属している教職員がまだいるのです。 こんな教師に子供をあずけて、教育されたらどうなるのでしょうか。・・・未来を担う人材を育てなくてはいけない最重要な位置にあり、若くても先生と曲がりなりにも呼ばれ、そしてそんな団体の長がまるで食えないこんな発想と発言を開陳できるなんて、素晴らしい組合、団体だ。 羊のような子供の中に、まるで空腹のライオンの群れを放ったようだ。・・・・・無残な荒廃はここからスタートだったのかもしれんネ・・・
2006年01月17日
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・・・青い空が広い。意外に寒さも厳しくないようだ。 冬季オリンピックももうすぐ開催される。出場選手たちが画面を賑わしている。四年に一回というチャンスしかないため出場するには実力はもちろん、天運も必要なようで悲喜こもごものドラマが展開されている。 実際、オリンピック本番が問題なのだが、出場枠を巡る戦いからオリンピックは始まっている長い闘いが続いている。大変なことだ。 見る者はちゃっかりと極楽の環境の中で酔いつつ眺め、あーだ、こーだとお気楽に俄か評論家気取りで口舌をクルクルまわす。 選手達は四年の集大成とギリギリの緊張感の中である意味人生を掛けて競技をしている。だからこそ、観る側を感動させることが出来るのだろうし、ドラマが生まれるのだろう。 創ることのできない、究極のドラマが魂を揺さぶる、強烈な記憶と共に。 オリンピックの純粋に魂の揺さぶられるような感動とは懸け離れているけれども、人間の心の片隅に在りながら誰もがなかなか逃れられない弱い一面に入り込む無数に在るカルト教などは、同じ人間でも無垢の純粋と作為の不純を見事に対比しているかに映る。 カルト教などは人間の作為の限界を物語っているのかもしれないね。・・・以下、引用。酒たまねぎや店主一杯飲み屋の親父の酒と酒の日々 <のんべえ日記>http://www.tamanegiya.com/nonnbee.html朝鮮統一教会の人さらいと洗脳による日本侵略 1月5日木曜日晴れ × 昨年九月九日の産経新聞の社会面に、同社のソウル駐在員である黒田勝弘氏の非常に興味深いそして、我々日本人に朝鮮人の思考、行動、それに伴う脅威というものについて考えさてくれる記名記事がありました。それを切り取ってあったのを忘れており、スクラップブックを整理しておりまして出てまいりました。非常に重大な記事と判断いたしますので、全文を引用し紹介させていただきます。以下引用 「在韓日本人、10年で倍増 半数統一教会関係者か」 韓国在住の日本人が急増している。この十年ほどの間で倍増しており、しかも在韓日本人の半数以上は集団結婚などで韓国にやってきた統一教会(世界基督教統一神霊協会)の関係者とその家族といわれる。 韓国居住日本人の中心を占めるようになった統一教会関係者の存在が今後、韓国社会や日韓関係にどのような影響を与えるのか関心が集まっている。 在韓日本人の数が大きく増えだしたのは一九九〇年代に入ってから。在韓日本大使館の統計(在留届け基準)によると、それまで六千人ほどだったのが一九九五年には初めて一万人台になり、今年は二万一千人と倍増した。 関係筋によるとその背景は、統一教会の集団結婚で韓国にきた日本女性とその子供の急増だという。とくに近年、出産で子供が増え、日本大使館では新たな旅券発行に追われるほどだという。 在留邦人の職業など詳しい内訳は不明だが、日本大使館筋によると、長期滞在の在留邦人二万一千人のうち半分以上にあたる約一万一千人ほどが統一教会関係者でないかと推定している。 統一教会関係者は韓国人と結婚してもほとんど日本国籍を維持し、子供も日本国籍にしているという。このため新たに生まれた子供にも日本旅券が必要なため、日本大使館は定期的に地方に職員を派遣し臨時の旅券発給業務をしているほどだ。 女性を中心とした統一教会関係の日本人の多くは韓国の地方に在住し、日本語通訳など社会活動もしている。ただ、日韓関係で問題が起きると記者会見をし「毒島(日本名竹島)は韓国のモノ!」と叫んだり、教科書問題では「韓国国民に謝罪する」と声明を発表するなど反日活動が目を引く。日本国籍を維持している理由は明らかではないが、布教や財政上の理由などから有利と判断してりうためとみられている。以上引用終わり 産経新聞朝刊社会面よりソウル黒田勝弘氏の記名記事 いかがでしょうか。 統一教会は日本女性を宗教で洗脳し罪悪感をもたせて南朝鮮に連れて行き、嫁の来ての無い農村部の男性と結婚させられます。南朝鮮の国籍を取得しても、連中にとっては何のメリットも無い事から、日本国籍をそのままにさせておいていることをこの記事は知らせてくれます。 日本女性と南朝鮮人男性とのカップルが多く、その逆は少ないことでもこのカルト宗教の異常さが出ています。 これは、今後、日本に朝鮮人夫と移り住み、日本国内で活動しやすくする事を視野にいれているためでしょう。 この項の写真は「日本人女性のジョル 」と題された二〇〇五年三月一日付けの朝鮮日報に掲載された写真です。http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/03/01/20050301000052.htmlその写真のキャプションには「韓国に滞在する日本人女性60人が1日、京畿(キョンギ)道・議政府(イジョンブ)のペヨン小学校を訪れ、日帝当時苦痛を受けたお年寄りたちに「ジョル」(韓国伝統の礼の仕方)をしている。」とあります。 普通で考えて日本人としては異常としか思えないこのような行為も、産経新聞の記事にもありますように、日本人でありながら、「日韓関係で問題が起きると記者会見をし「毒島(日本名竹島)は韓国のモノ!」と叫んだり、教科書問題では「韓国国民に謝罪する」と声明を発表するなど反日活動が目を引く」と南朝鮮で反日行動をくり返す洗脳された統一教会信者の日本女性であればすべて納得がいく写真です。 そして、そんな洗脳されたキチガイのような反日の母親に育てられた日本国籍を持つ子供が、国籍こそ日本人であれ、日本人としての正常な歴史観、感覚を持っているとは到底思えません。そのような子供がどんどん増やされているのです。 我々は、朝鮮人のカルト宗教による静かな日本侵略ともいえることが現在進行形という形で行われていることを意識すべきです。・・・統一教会といい、創価学会といいカルトは怖い!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・引用・以上。 普通に生活していても、知らず知らずに常識という曖昧なものに感化されることになるが、それは大勢の暗黙の了解事項なのでそうそう道を逸脱することは無い。無言の大衆の知恵というものの一つだろう。 カルト教の怖いところはその教団でだけ通用する常識(教義)に頭と心がからめとられてしまい、教団以外では通用できない精神状態になることだ。 飛びたい気持ちはわかるが軸足まで移しちゃうと戻れないネ。 圧倒的多数の常識をもとに生活している側から見ると、理解に苦しむ非常識と映る。常識は超えられなければならないがホドホドに飛んでもらいたいものだ。信じる分には何を信じようとかまわない。 あくまでも軋轢を生まないようひっそり、主流ではないことは確かだし。
2006年01月17日
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・・・時代の寵児たるホリエモンが、本物のスターになった? 昨年から時代の先頭を走り続けていたホリエモンだったが、こんな報道が走り出したが・・・・・・・。今年は外務省、警察庁、法務省のネタが出る。ライブドア本社に東京地検特捜部の強制捜査 【1/16(月)16:13】 現在、ライブドア本社に東京地検特捜部の強制捜査が入っている。ライブドアが行った株式100分割に関してのインサイダー疑惑という話だ。証券新聞の会社、一部の証券会社が関連している件であれば、本サイトが昨年5月より持っている資料があるので随時公開していく。堀江の身柄がとられるかどうかについては現在取材中で未確認だが、逮捕の公算が非常に高いと思われる。とりあえず速報まで。(16:41続報)情報が錯綜している。東京地検特捜部は任意捜査だと言っているとの話有。証券取引法違反容疑も、100分割の件という話もあり、株式交換の話もあり、現場を含めて混乱中です。(16:57続報)堀江は本社を離れ、別のところで特捜部の聴取に応じている模様(17:05続報)容疑の一部が「風説の流布」であるとの話。最高検との協議で、今日は逮捕はないという話が流れている。また、自民党の武部が捜査当局に難癖をつけているという(自民党のイメージが下がるため)ために、今日は堀江の逮捕がないという自民党筋の話もある。東京地検の強制捜査までは評価するが、本サイトでも昨年再三報じてきた大鶴特捜部長であるだけに、その先にいけるかどうか見ものだ。【nikaidou.com】 ・・・二階堂コムで流れてたので野次馬気分で載せたのですが。 若者にも人気者で、昨年来報道を賑わしてきたが、どういうことなんだろうか?これもまた政治決着が待っているのだろうか、意味深だね。 時間が解決するのだろうが、どうなることやら。
2006年01月16日
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・・・きょうは陽射しがないだけ寒く感じる。 むかしベトナム戦争があった。世界中を巻き込み大論争が持ち上がった。 北ベトナムと南ベトナムが国を二分して戦った。結局北のほうが勝った。当時ベトナムはフランスの植民地であり、作物の農民の選択の余地はなくフランスの都合でゴム園を奨励され、ベトナム全土でゴム栽培が大規模につくらされていた。 ベトナムは植民地であり白人領主国フランスの強権力の押付けで、農民は作りたい物もつくれずに鬱屈し、国家経済は搾取されどん底に疲弊した状態だった。 白人の植民地政策は400年間続いていたが、第二次世界大戦後には次々と植民地政策から抜け出て国家の独立を果たしていったが、ベトナムは依然として戦後もフランスが植民地政策を続けていた。 周囲の国家が独立を果たしてゆく中で依然としてベトナムは植民地のままで、国民の憤懣が高まり独立の機運が高まり、フランス政府一国では収めることができなくなり、盟友のアメリカに泣きつきフランスの介入依頼でアメリカはべトナム介入を決定したのだった。 ベトナム戦争の背景には、ひとつには植民地政策に対するベトナム国民の憤懣があったが、もうひとつには第二次世界大戦後の東西対立、民主主義と共産主義との対立があり、当時は世界の約半分が赤化される程の勢いで共産主義が勢いづいていた。 その勢いでベトナム人民の憤懣を利用し共産主義国家は、植民地政策でベトナムは搾取されていると解放の旗印の下に、共産主義の総本山ソヴィエト・中国が北ベトナムに肩入れし、武器の援助、経済援助を続け北と南に分かれて戦争が勃発した。 そして結果は西側アメリカの敗退となって、ベトナムは共産主義国家になった。 ベトナム戦争では反戦平和運動活動が盛んになり、反戦運動はアメリカ国内はもとより世界中で巻き起こった。日本も例外ではなく、べ平連を筆頭に反戦運動の機運が高まった。 このころから、反戦・平和・原水禁などの活動が活発になり、市民団体、各々の組合なども参加するようになっていつた。このような活動の背景には東西冷戦の陰が色濃く出ている。 結局自陣営の勢力を拡大しようとする思惑が強く働いていて、体制の違う民主主義に工作活動を仕掛けて転覆させようとあらゆる組織・個人に接触し篭絡させようと目論んだのです。 現在もその思想にからめとられた組織も個人も残存していて、その軋轢が現在の混乱の基でもある。 社会の混乱、公教育の荒廃、モラルの低下など、国家挙げて毎日そんな話題に事欠かなくなった背景には、東西冷戦の負の遺産が有るともいえる。 戦争に加担したアメリカはその後遺症でしばらく立ち上がれなくなったほど凋落してしまった。が、当事国のフランスはさっさとアメリカに代理戦争をまる投げしたまま、しらんふりを決め込んでいたようだ。 フランスの老獪な政治に、若いアメリカが丸め込まれた如くだったが、世界情勢から言えば当時アメリカは東西対立の一方の雄だったので民主主義・資本主義を防御するためには止むを得なかったのだ。 そんな風に共産主義を広めるためには手段を選ばず、暗躍し煽り立てて騒動・暴動を煽動することに傾注したし、ゲリラ戦は得意なところだ。現在でもそんな活動・策略を他国に仕掛け人心撹乱を組織だって行っている。 日本国内にも思想に染まり策略に加担したり、謀略をすすめる組織もある。個人思想はかまわないし民主主義の手続きを踏んで、思想信条を実現する分にはいいが、早く結果を求めるあまり非合法へと走り組織だって暴力を必ず介在させることになり、血なまぐさい革命思想へ点火することになる。 ベトナム戦争は世界中に大論争を巻き起こしたが、結果として人々の意識も変化せざる得なかった。植民地政策・人権・平和・戦争・共産主義・民主主義・市民活動など、それまでの世界観を一変するほどの変化をもたらした。 ベトナム戦争後に世界中の人々の意識の中では哲学者になったが如く、国家、人類、人間などを否応なく考えさせられることなった。毎日報道される戦争の実態の悲惨・凄惨・酷薄な状況をこれでもかと見せ付けられ、変らないではいられなかった。 そんな世界中を巻き込むほどの酷烈な戦争をやらかした南北ベトナムも、北ベトナムの民族解放を旗印にした共産主義勢力が勝ったが、そんな酷烈な戦争が終わって人民は喜んでいるのかと思いきや、解放後にその人民がオンボロ船で南シナ海の荒波へ『ボート・ピープル』と化して大量に脱出したのだった。 当時のベトナム戦争は酷烈でのべつまくなしに地獄だ、地獄だと叫ばれて、それくらい猛烈な戦争の間でもボート・ピープルは出なかった。 とするならば、戦争が終わっているのに、戦争以上に酷烈な状況が生まれてきているからと見た方がいいのだろう。すくなくとも、そういう現実が出てきたのだろうと。 全人民にとってはどうかわからないが、ある種の人々にとっては体ひとつで南シナ海へと逃げ出したくなる状態があると見るべきだと。それがどういうことなのかがわからないので困っちゃうけれども。 ベトナム戦争中に、コミュニストがやってくればどうなるか、ということを語ったベトナム人がたくさんいた。そのうちのいくつかの意見をまとめると、お坊さんの話が多かったが、『アメリカがベトナムにいると困る・・・戦争があるから。しかし、アメリカがベトナムから出て行っても困る・・・コミュニストが来るから・・・』という話だった。 この種の意見を言う人は多かった。しかし、当時の報道機関はただひたすらアメリカを罵倒し、ハノイを支持し、べトコン万歳を叫ぶだけだった。 そうして、その結果、彼らの望むようにハノイがサイゴンを取ったわけだれど、それ以後に起こったことについては、誰もなにも言わなくなった。 他国に起こった現象について非難する場合でも、賛成する場合でも、こういう態度であっていいのか悪いのか、その点を考えさせられるネ。 それと、ハノイ政府は一説によると、国を逃げ出したい人はどうぞご自由に、ただし金塊を何百グラムか出せ、というような言い方をしていたらしい。 つまり、単に国を捨てているわけではない。逃げてゆく国民を強奪し、無一文にした上で荒波へ放り出しているわけだ。峠の山賊よりもまだひどい話だ。 ハノイは戦時中を含めソヴィエト、中国、北朝鮮、東ドイツ、いろいろな社会主義国家から、武器や弾薬、資金援助を受けた。ところが世の中ただで物をくれる奴なんてありゃしない。後で必ず見返りを出さなければならないんだ。 この点相手ははなはだ貪欲なもんだし、シベリア開発のための人員をハノイに要求したらしい。バナナや椰子の国の人間が、吹雪の中のシベリアへ行って働かなければならないわけだ。 ハノイは見返り物資を何ももっていないんで、国民を提供しようということ。それで、シベリアへ行きたくないばかりに、南シナ海へ飛び込んでゆく人々が大勢出てくる、と、そんな説明も聞かされたこともある。 ともかく、何もかも隠してしまう独裁政権の国であるから、そこで起こった現象についてはどこまで本当のことなのか、大きな声で議論することはできない。 しかし、戦後ハノイ政権から、ボート・ピープルが南シナ海へと大脱出を敢行したことは事実だ。 そして、あれほどハノイを支持しアメリカを罵倒し続けていた人達の声が聞こえなくなったのは、なぜだ? ボート・ピープルの発生は、何故だ? 命がけでも祖国を捨てなければならない強烈な抵抗の闘士、断固として泣き寝入りをしない強烈な意思を宣言した『ボート・ピープル』。革命ごっこをする人達から見れば一番好ましい人々ではないか、なぜ脱出したのか?
2006年01月16日
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・・・ほんとに困った国です。 内政干渉をこんな風にまるで属国のように要求して憚らない。驚くばかりだ。 台湾も一度も統治したことがなく、政治体制も違う国家でありながら、いままで強引な横槍ですべてを覆してきた中共の傲慢さには厭きれるばかりだが、逆に必死さがなにを物語っているのか? 中国共産党の崩壊も近いのだろうか、北京オリンピックの開催も危ぶまれているし、共産圏のボスとして存在を誇示するのには経済が重要だし、西側に擦り寄れば共産独裁が崩壊するし、大きな矛盾に直面し国内問題を肥大化させ苦慮している状況はよく解る。 でも、政治体制も違い属国でもないのです、いろいろ厳命?は必要ない。【要求】日本政府は李登輝氏への入国審査を行うな 台湾の声編集部読売新聞が1月11日、李登輝氏訪日の観測記事を掲載したことを受け、中国外交部の孔泉報道官は12日、「もし日本が李登輝の訪問を許したなら、日中関係は更に緊張したものとなる」と警告し、「いかなる理由であれ日本は李登輝にビザを発給してはならない。人間というものは過去を見れば現在がわかる。現在を見れば将来もわかる。李登輝がいかなる人物であるか、日本側もよく知っているはずだ」「我々は、日本政府もまた、台独分子などに講演や活動の場を提供しないことを求める」などと、相も変わらず大騒ぎだ。読売新聞によると、台湾観光客へはノービザが認められている今日、なお日本政府は李登輝氏の入国は「審査対象になる」「日本での政治活動の有無などを確認したうえ、李氏の入国の是非を判断する」との見通しのようだ。つまり前回の訪日と同様、「記者会見しない」「講演しない」「政治家と会わない」との三条件を李登輝氏に呑ませようとの模様だが、これが上述のような中国側の強い意向に配慮したものであることは言うまでもない。中国は李登輝氏を「台湾独立の広告塔」だと罵倒するが、「台湾は中国の不可分の領土」という宣伝の虚構を暴いてきた李登輝氏を、この国はよほど怖いらしい。そもそも台湾独立とは中国国民党支配体制の残滓を取り除き、中国の侵略を拒んで達成するという台湾の「住民自決」の問題であって、外国である中国にはこれを非難する権利は一切ない。李登輝氏が「広告塔」であろうがなかろうが、日本政府はこのような覇権主義国家の指図などに、日本政府は耳を傾ける必要などないのである。中国はこれまで、李登輝が、世界の国の中でも、とくに日本にだけには行かせてはならないと表明してきた。それは中国が、台日運命共同体の理念を説く李登輝の日本人への大きな影響力を知っているからだ。中国は台日両国が、反中国覇権主義で提携することを何よりも恐れているからこそ、ここまで妨害に躍起になるのである。日本政府は自らの安全をも脅かすこのような中国覇権主義を黙認していいのだろうか。中国に言われるままの「入国審査」など、日本にとっては主権の放棄であり、自由・人権の理念の否定であり、中国への属国化への道を開くものであることを知るべきだ。日本が妥協を重ねるごとに、中国の要求はますます拡大する一方である。今後李登輝氏が訪日するという段階となれば、日本政府は主権国家として、ノービザを適用して淡々とそれを受け入れればいいのである。―――――――――――――――――――――――――――――――――――――李登輝氏への入国審査取り止めを要請を!■小泉純一郎総理大臣(首相官邸) 〒100-0011 東京都千代田区永田町2-3-1TEL:03-3581-0101FAX:03-3581-3883メール http://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html■安倍晋三内閣官房長官(内閣官房)メール http://www.iijnet.or.jp/cao/cas/jp/goiken.html■麻生太郎外務大臣(外務省) 〒100-8919 東京都千代田区霞が関2-2-1TEL:03-3580-3311 TEL:03-3592-1651(大臣直通)メール http://www.mofa.go.jp/mofaj/comment/index.html■内閣府(首相 官房長官)・外務省(外務大臣)「電子政府:各府省への政策に関する意見・要望」窓口http://www.e-gov.go.jp/policy/servlet/Propose●参考「台湾の声」【主張】許されざる李登輝氏への入国審査 ※読売記事も収載http://www.emaga.com/bn/?2006010031384922001809.3407『台湾の声』http://www.emaga.com/info/3407.html『台湾の声』バックナンバー http://taj.taiwan.ne.jp/koe/『日本之声』http://groups.yahoo.com/group/nihonnokoe Big5漢文 勘違いと、キチガイは何処にでもいる?という至言を思い出したが、他国に干渉する暇があるなら、自分の頭のハエを追ってたほうが衛生上、よっぽどいいのではないだろうかネ? 中国王大使さん、歴史を勉強し直してください。 早急に自国へ打電し、『台湾』は民主主義の独立国家であり、北京オリンピック開催?のタイミングで中共に決別、絶縁状を送られるとね、世界は信義を見てると打電すべし。
2006年01月15日
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・・・数日ぶりにお昼は暖かくなってきた。 寒さが少し遠のき暖かくなるのは歓迎だが、豪雪地帯ではそれがまた逆に雪崩を呼ぶということで対策に追われているようだ。皮肉なことだがどうしょうもないが現地で生活している方々には、自宅においても外出時にもそれなりの御注意をしてくださいとしかいえない。経験則を生かしてくださいとしか・・・。 ・・・中国の宣伝担当相、王大使のこと。 重要なので掲載します。 日本に何しに来たのか就任早々大上段に振りかぶり、あることない事を豪語してきた美男子の中国王大使ですが、最近本国の方が暴走気味で王大使の出番が少なくなったのか報道で見なくなったのは淋しいことだ。 本国の方が王大使のような人達の集団ですから、王大使が日本で一人吼えるよりも数億倍の迫力ですから当然負けちゃいますね。 ・・・これはもう、しょうがないでしょう。それに最近形勢不利のようで声も小さくなっているんでしょうか、笑える鋭いブラック・ジョークが愉しみだったのに遠慮せずに思っている事を言募ってもらいたいものです。 日本は民主主義の国なので嘘とか騙すことさえしなければ、自己責任で自由に発言してもよいのですからドンドン発言して欲しい。日本には強制収容所はないし、逆に周辺諸国からは日本の刑務所は別荘と勘違いされて入りたがる人達もたくさんいるようです。当然お宅の国からも沢山ネ。 犯罪者にも人道主義で臨み、衛生管理も食事も環境も最高なのですから羨ましがられるようです。拷問もないし。(これは好いことなのかな?) 王大使と渡辺先生の対談記事を見ましたので掲載させてもらいますが、今後の御活躍を祈ります。・・・くれぐれも御自愛方を。・・・渡部昇一先生と在日中国王大使との対談・・・ 雑誌「到知」1月号によると、渡部先生は昨年、中国の王大使と話し合う機会があったとの事であり、一文をものしておられる。重要なものであり、ここに披露して記憶しておく。 雑誌「到知」1月号10頁、渡部昇一先生寄稿文の中から引用する。タイトルは「歴史の教訓」引用ページは同誌114ページからである。 王毅・駐日中国大使は正面から答えなかった 過日、知人数人と駐日中国大使の王毅閣下を囲んで会食し、話し合う機会があった。その中で、中国が日本批判の口実にする歴史認識に関連して、私は発言した。シナ事変を始めたのは日本でなく、中国の側であるということである。盧溝橋で最初に発砲し、攻撃を仕掛けたのは中国側であるということ。それが上海に飛び火して戦火が拡大していくのだが、この上海の飛び火は中国側の正規軍が日本人居留地を攻撃したものであること。これらを私は事実をあげて述べた。東京裁判もこれを認め日本のシナ事変の開戦責任を問うことはしなかった。それを問えば、戦勝国である中国側の責任があらわになってしまうからだ、とも述べた。 王毅大使はじつと聞いていたが、それだけだつた。これについて、なんの発言もなかったのである。 王毅大使が盛んに口にしたのは、小泉首相の靖国神社参拝問題だつた。容認することはできないというのである。知人の一人が、国のために尽くして命を捧げた人を慰霊するのはどこの国でもその国の宗教的習慣に従ってやっていることで、それに口を挟んで批判するのはいかがなものか、内政干渉ではないかと言うと、王毅大使はしきりにかぶりを振った。そうではない、小泉首相が靖国神社に参拝して戦没者を慰霊するのには、問題を感じていないと言うのである。 では、何が問題なのか。靖国神社には七人のA級戦犯が合祀されている。それが中国国民には国民感情として許せないのだ、というのが王毅大使の答えだった。 そこで私は、A級戦犯とは何かについてやや詳しく述べた。東京裁判がA級戦犯とした罪状は平和に対する罪、つまり戦争を計画した罪、戦争を準備した罪、戦争を始めた罪である。日本はポツダム宣言を受諾して降伏したのだが、ポツダム宣言には確かに戦争犯罪人を裁くという条項がある。しかし、ポツダム宣言が発せられた当時、戦争を計画したり準備したり始めたりすることを戦争犯罪とする条項は、国際法のどこにもなかった。つまり、東京裁判はなんの根拠もなしにA級戦犯と決めつけたのである。ついでに言えば、戦争を計画したり準備したり始めたりするのが犯罪であるという国際法り取り決めは現在もない。A級戦犯なるものが、いかに根拠がないものであるか、ということである。これは日本だけが主張していることではない。国際社会も東京裁判が無法で根拠がないものだったことを認めているのである。その表れが昭和26年に調印されたサンフランシスコ講和条約の第11条である。そこには、東京裁判に代表を出した関係国の一か国以上の同意があればA級戦犯を釈放していいと定められているのだ。事実、講和条約が成立すると、A級戦犯として判決を受けた人たちは直ちに釈放された。もちろん関係国の過半数も同意したのである。これは有り体に言えば、A級戦犯はなかったということである。実際、犯罪受刑者は恩給や遺族年金の対象にならなかったのだが、国会決議を経てA級戦犯とされた人たちにもこれらが支払われることになったのだ。また、A級戦犯として終身刑の判決を受けた賀屋興宣は政界に復帰して法務大臣を努めた。同じく禁固七年の判決を受けた重光葵は副首相兼外務大臣になり、昭和31年の日本の国連加盟の際には、日本代表として国連で演説を行った。では、A級戦犯を入閣させるとは何事だとか、A級戦犯か日本を代表するのはけしからんとか、どこからか非難の声が出ただろうか。中国も何も言わなかった。A級戦犯はなかったことを認めていたからではないか。 歴史認識も靖国問題も中国の政治的駆け引きの道具である。 ただ、取り返しのつかないことがあった。A級戦犯として死刑の判決を受けた七人である。刑はすでに執行されてしまっている。なんの国際法的な根拠もなく死刑にされたのだ。本来なら関係国に損害賠償を請求していいぐらいのものである。もちろんその関係国には中国も含まれる。この七人は国際社会の無法によって命を奪われた犠牲者で、国のために死についたのである。戦没者ではないが、講和条約発効以前に敵の手で殺されたのである。そこで靖国神社は昭和受難者として合祀し、慰霊することにしたのである。靖国神社にはA級戦犯など祀られていない。国のために命を投げ出して尽くした人びとが眠っているだけである。このどこが問題で、どこがいけないのだろうか。私はこのように述べたのだが、これにも王毅大使の正面からの答えはなかった。ただ「国民感情が許さないのだ。国民感情が」と、それを経文のように繰り返すばかりだった。 これは口にする機会がなかったが、では、その国民感情とはどのようなものなのか、である。愛国教育などによって政治的につくり出された妄想ではないか。当らずと雖も遠からず、だろう。日本側にだつて国民感情があることを忘れているのだ。 僅か三時間余だつたが、王毅大使と話し合ってつくづく感じたことがある。 それは、中国が日本に対する際の切り札に使う歴史認識や靖国参拝問題は、中国の心底からの思いから出たものではないということである。あくまでも政治的駆け引きの道具として出してきているのである。このことは私のような政治も歴史素人の言うことを、中国を代表して日本に来ている大使が論理的にはね返せないところによく表れている。 はね返さないのではない。はね返せないのである。 中国に対しては毅然とした態度で、とはこれまで繰り返し言われてきたことである。このことを確認した次第である。 完 『徳永日本学研究所』より引用 http://www.ncn-t.net/kunistok/ 王大使が歴史認識などと大上段に構えて言募っても、渡辺昇一氏の眼前で論議するには無理がある。時間さえゆるせばすべて理路整然と喝破されるだろうし、今回の反論できないことは当然だ。 中国が言募ってきたことは“砂上の楼閣”で根拠が嘘で固められたことなのだから“千畳の堤も蟻の一穴”のように戦後六十年かかって作り上げて来た堤も崩壊し始めたのも自業自得だろう。 ナメクジに塩、のように嘘・捏造・歪曲隠蔽も白日の下では溶けて行く。 よく隣国は口を開けば常套句“歴史を鑑とし・・・云々”と言募る。 しかし、そのココロは?、言い募る方が歴史を知らないか歪曲・捏造し大人しい日本人に声の大きさだけで保障賠償だと在りもしない戦後処理を言募ってきたことが、バレバレになりつつあるのが今日この頃だ。 それに加担してきた日本人もいたし、政治外交戦略などと言う言質に載せられてきたことも確かだが、激動・変革時には今まで裏だったものが表に出てくるものなので、これから加担してきた者達は住みにくくなるようだ。 逆説的に周辺諸国が大騒ぎしてくれたお陰で、隠蔽されていた事実と真実が浮彫りになってきたのですから感謝しかないか。 これからは日本も国内外とも理論武装して臨まなければならず、その場しのぎのツマラナイ言質を取られることがないようにしてもらいたいものだ。
2006年01月15日
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・・・雨がやみ少しは暖かくなるようだ。 世界に唯一の神話にも通ずる日本の天皇家。有象無象すべてに影響を与え続けてきた日本固有の天皇の存在。 その数千年単位で継承してきた固有の存在を、どこが有識者なのかわからないが一年足らずで皇室典範改正を拙速しようとする目的が解らない。 稚拙、拙速と言われるも当然で、有識者と言われる方々が開かれた状況で意を尽くし結論を出したのならよいが、開かれた皇室を目指すと言いつつ日本の根源たる『皇室典範』改正については、密室の中で拙速で得られた結論をいきなり提出されても、誰も納得できるはずがないだろう。 日本にとっての最重要課題の議論が、開かれていない状況で結論を出そうなどというこの有識者会議なるものこそ、ナニモノダ??? ◇【寛仁さま ご発言要旨】 天皇さまというご存在は、神代の神武天皇から125代、万世一系で続いてきた日本最古のファミリーであり、神道の祭官長とでも言うべき伝統、さらに和歌などの文化的なものなど、さまざまなものが天皇さまを通じて継承されてきました。世界に類を見ない日本固有の伝統、それがまさに天皇の存在です。 その最大の意味は国にとっての振り子の原点のようなものだと私は考えています。国の形が右へ左へ、さまざまに揺れ動く、しかし、いつもその原点に天子様がいてくださるから国が崩壊せずにここまで続いたのではないか。 (有識者)会議の構成に私が口を挟むわけにはいきませんが、わずか17回、三十数時間の会議でこれほどの歴史と伝統を大改革してしまうことが果たして認められるのでしょうか、あまりに拙速に過ぎませんかと強く申し上げたい。「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 平成18年(2006年)1月15日(日曜日) 通巻1354号 臨時増刊号女帝容認反対、皇室典範改悪阻止 あの嵐と冷雨の日比谷野外音楽堂に豪雨をついて数千の“熱衆”14日、東京も嵐の天候、冷雨のなか、日比谷野外音楽堂に朝から数百の単位で人々がすいこまれている。開場前に「熱衆」は、すでに1500人。傘、傘、傘。炊き出しの豚汁や、ほっかほっかカイロ差し入れ。あの豪雨のなかを女帝反対デモもおこなわれ、ずぶぬれになりながらもデモにも1000人以上が参加した。カンパ箱にも浄財が多くあつまり、この熱狂は、冬の寒さを吹き飛ばす勢いだった。スピーカーも予告通り、ほぼ全員が揃った。井尻千男、伊藤哲夫、伊藤玲子、遠藤浩一、大高未貴、小田村四郎、加瀬英明、河内屋蒼湖堂、小堀桂一郎、田久保忠衛、中西輝政、名越二荒之助、西尾幹ニ、西村幸祐、荻野貞樹、宮崎正弘、三輪和雄、百地章、八木秀次、渡部昇一の各氏。一時からはじめて、一人二分という制限(守れるわけないでしょ)。それでも合計21人の弁士は100分で演説会を終えた。会は冒頭、参加者全員による国歌「君が代」斉唱で始まり、各スピーチのあと、決議文を古賀俊昭都議が代読した。満場一致で決議。会の最後には「天皇陛下万歳」を全員で三唱、そのまま参加者はデモ行進に出発、会場から銀座、東京駅まで二キロを行進し、女帝容認がいかに危険かを街ゆく人々にも訴えた。伝統重視の国民が、いよいよ立ち上がったという騎虎の勢いがあった。 ◎(当日の宮崎正弘の発言は以下の通りです)「昭和42年に文豪・三島由紀夫はバンコックに長期滞在しています。タイを拠点にラオス、カンボジアに足を延ばしています。 テレビ報道もされた東大全共闘との対決のときに三島さんは、 「諸君らが天皇を守ると言ってくれたら共闘する」と発言しましたが、文化概念としての天皇制の重要性を主張した三島に対して、左翼の学生達は冷笑しただけでした。 当時、ラオスもタイも王室尊敬の念は変わらず、とくに、パテト・ラオという共産主義ゲリラさえ、国王を推戴する「王政共産制度」なるものを模索しているように見えた、と三島さんは『文化防衛論』の最後の箇所で言っております。 三島由紀夫が取材した当時の東南アジアはいずれも政情不安とベトナム戦争の悪影響がもろにふりかかり、共産主義が猛威を振るっていました。 その後、ベトナムは共産化され、カンボジアではポルポトの二百万虐殺があった。 カンボジアは国王制度こそ存続したが、国土は荒廃し、いまのカンボジアは嘗ての歴史的文化的伝統は残っていない。荒廃の土地です。 ラオスでは巧妙に国王制度が廃止され、いまや旧国王の親族と末裔は古都のブルンパパンに生活しているだけ、その現場を筆者はみてきたばかりです。 それが現実、もし日本が女帝を認めると、そして数十年後にもし、配偶者が共産主義者であったり、外国人であったりしたら、私たちは今日のカンボジアを、あるいはラオスを笑えるのでしょうか? 『文化防衛論』のなかで、三島さんは、次のように言い残しました。 「タイの共産系愛国戦線が国王讃歌を歌って団結を固め、ラオスの三分の二を占拠する共産勢力、パテト・ラオが国王へ変わらぬ敬愛を捧げるなど、共産主義の分極化と土着化の実例を見聞した。 (中略)象徴天皇制を支持する国民が、代議制民主主義を通じて平和裡に、『天皇制下の共産政体』を容認するかも知れない。およそ言論の自由の反対概念である共産政権が、文化の連続性を破壊することは言うまでもない。文化概念としての天皇は崩壊して、狡猾な政治的象徴として利用されるか、のちに捨てられるか、その命運は決まっている。このような事態を防ぐには、天皇と軍隊を栄誉の絆で繋いでおくことが急務だ。その他に確実な防止策はない」。 この四十年ちかく前になされた三島さんの預言は、なんと慧眼であったことでしょうか。日本が崩壊しかねない危機は目の前にあります!」 ● ◎ ●参考文献:産経ネットによる>寛仁親王殿下「短期間で結論、拙速」 女系天皇容認改めて批判 「皇室典範に関する有識者会議」が女性・女系天皇を容認したことに関連し、寛仁親王殿下が10日発売の月刊「文芸春秋」2月号で、現在の男系維持のために旧皇族の復帰など「さまざまな選択肢があることを認識し、今すぐ決める必要はない」と発言し、同会議の結論を拙速と批判されていることが8日、分かった。同会議の議論では皇族からの意見を求めておらず、今回のご発言は、次期国会での典範改正審議に微妙な影響を与える可能性もある。 「天皇さまその血の重み-なぜ私は女系天皇に反対なのか」の見出しで、ジャーナリストの櫻井よしこさんと対談されている。 この中で寛仁さまは皇室の伝統を「神話の時代から延々と男系、父方の血統で続いてきた」と位置付け「この血の重みには誰も逆らえなかった」と強調。国民にも「血統に対する暗黙の了解、尊崇の念」があると主張された。 史上8人いた女性天皇と女系天皇の違いを指摘した上で、民間人が女性天皇の夫になることが続くと「一般の家と変わらなくなる」との危機感を表明。女系天皇の容認は「日本という国の終わりの始まりではないか」とし、男系維持のため、戦後に皇籍離脱した旧皇族の子孫が、断絶した秩父宮家や高松宮家の祭祀(さいし)を継ぐ形で養子として皇室に入るという方法も示されている。 寛仁さまは昨年、自身が会長を務める福祉団体の会報で、私見として女系天皇に異論を唱えるエッセーを寄せられていた。 ・・・今この時期に日本の根幹を揺るがす『皇室典範』の制度改革を拙速にもしようと画策する背景はなんだろうか? 穿った見方は様々でてきている。思想信条に絡まった話も背景に混然としてあることも確かだろう。 しかし、他国の伝統の衰退、光芒の前例が現前にある事を考えて、他山の石、とすることは四十年もまえの三島由紀夫氏の洞察からでも知恵を得ることはできるはずだ。 日本の伝統、祖先を否定するような改悪を許してはならないと思う。
2006年01月15日
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・・・久しぶりの雨。まともな雨は昨年十一月以来のことになる。 終日降っている、この時期に雨はやはりいっそう寒さをますようで、雲が厚く薄暗く陽射しが無いだけによけいに寒く感じるのです。 実際今年は寒いようで箱根山中湖も二十年ぶりに氷が張ってワカサギ釣りができるとながれてた。各地でも雪害が報告されている地方が多く、寒くてワカサギ釣りができると言う報告なら歓迎だろうが、雪害・寒波など善いほうの報告は少ない。 まだ冬もこれから本番ですが、油断せずに災害を避けるように上手く春を迎えてもらいたいものだ。厳寒も雪害も地元の人以外に説明することは難しいことなのです。約半年雪の中なので格闘せざる得ない状況だ。 拉致、災害、政治、経済、外交、年金、税制、など問題山積で、起こった問題もすっきりと解決を見たものはないようで時間が掛かる。今年は諸問題もなんとか納得できるところまで進展して欲しいものだ。 とは言え、時間が掛かることは民主主義ならではのロスコストの一端でもあるが、それにしても放置したままで風化を狙っている諸問題も多いようだが。 どの時代にも幸福論、幸せとは何か、についてアリストテレス以来数限りなく本が書かれ、今日も明日も出され続けてゆくことだろう。結婚についてもそうであろうし、世の中、愚夫・愚妻、賢夫・賢妻とは何ぞや、など、喧しく書かれ、語られ、これからも止まないであろう。 幸福論については本人が幸せか不幸せか、傍から見て決められるもじゃないし本人の気持ちしだいだ。 結婚についても結婚してみなければ、解らないものだし、一生わからないところだってあるはずだし、事前に解るものは少ないはずだ。とりあえずヤッテミナハレって、ナところでしょうか、・・・勘でネ・・・。 人生が解らないように、善くも悪しくも幸福だって結婚だって、人それぞれで解らないものだ。現代では簡単に離婚できる気風があるんだから、いくらでも試行錯誤が許されている?んだから、いい時代だョ。 しかし、、賢婦を嫁にもらったからと言って安心はできないようだ。居心地がよすぎて社会一般で活躍できないこともあるし、逆に愚妻のお陰で飛躍できた人もたくさんいるし、頭と感性で生きてる人たちにとっては、シバシバ傑作の肥やしになっていることが多い。 創作活動でいい作品を残している男がいたなら、ひょっとしたらその家庭の有様を勘ぐってみるのも、暇つぶしには賢い方法かもネ。 で、どうしてそうなるか、を、アンドレ・ジイドは言っている。『芸術は抑圧において芽を出し、拘束において花開くのだから・・・』と。 それにすべてを手に入れようと思うのは人間の性でもあるが、『天は二物を与えず』といい人生のバランス・シートは帳尻が合うようになっているようだ。バイブルだと『エホバ与えたまい、エホバ奪いたまう』と言っている。 なにかを得ればなにかを失う、なんてのもある通り、一時的には得たつもりでも時間と共に失ったものも発見するはずだし、もし発見しなければ若すぎるか、傲慢すぎるか、だろうし。欲をかいちゃいけないってことかな。 ・・・支離滅裂だね・・・、焼酎のことなどを、色付でない蒸留酒をシロモノと言い、いま焼酎が定番のようになっている。値段が安く、飲みやすく、二日酔いになりにくいところが買われているようだ。 現在横行しているシロモノは、ただのシロモノで、ほんとの焼酎はまっとうに造ってこれを亀に入れ、3~6年ほど寝かせたのはトンでもなく大化けする。これを飲んで見るとこれが焼酎なのかと驚く化け具合なのです。 それくらい化けるのだけど、如何せん現在は時間が無い、売らんが為に片っ端から蒸留器からポタポタ、ボタンボタン、落ちてくるのが待ちきれずに売りさばいているのが今の焼酎なのだから。アルコールの水割りに近い。 『神の河』『百年の孤独』とか、ほかにもたくさんそんな焼酎があるのだろうが手に入れる時には高価になっているのが難だネ。安くチュウチュウとすすれる焼酎はないだろうか。 焼酎が安酒だと言う観念にしちまったのは、まことにお粗末が特徴であるこの時代の映し鏡だと思わせられる。 ・・・飲んでみたくなってきたな~そんな焼酎を。 外国の焼酎ウオッカは筆頭だろうか、ロシアのストリチヤーナは有名、オールド・ウオッカはアルメニヤンコニャックとブレンドしてある、大理石の柱にブドウのつるが絡み付いている感じでなかなかよい。 ポーランドのヴォトカ・ヴィヴォロヴァはお国自慢のロシア人も頭を下げるほどの逸品、ズブロブカはバイソンが食べていた草、バイソン・グラスを浸してつくったもので、ほんのりと草の香りがして大草原の風を感じれるネ。 北欧へ行くとアクヴァヴィットがある。シュナップス(火の酒)の一種だ。アクヴァヴィットとは“命の水”と言う意味でもあるね。フィンランドにはフィンランディアがある。 バルカン諸国一帯にはアラックという代物がある。ウイキョウの香りをつけたもので、ストレート、水割りもよし。ギリシャではウーゾ。 アメリカにはロシアから亡命してきたロシア人がつくっている素晴らしいウオッカがある。赤と青ラベルのスミルノフがある。 カナダではインヴィジブル・ウオッカ(見えないウオッカ)がある。英語の横にフランス語でヴォトカ・アンヴィジブルと記されてる。 その命名には感心しきりだ、なぜならウオッカは透明で眼に見えず、その上あらゆるものに混ぜても身を隠して役目を果たしてくれる酒だから、見えないウオッカとはまさにその通りだろうネ。 メキシコはテキーラで、リュウゼツランの根を発酵させて蒸留したもので、サボテンにつく毛虫のオシッコが乾いて塩になったそれにレモンの汁をかけて、手の甲にのせてペロリと舐め、おもむろに一杯ひっかける。 カリブ海の方ではラムがある。ホワイト・ラムでロンリコがありロンはスペイン語でラムと言う意味、リコはうまいということ。美味いラムだ。イグレシアスの歌に「ロンニコカコーラ」、ラムとコカコーラなんてのがある。 南米にはピスコ、ピンガがある。サトウキビ焼酎で、ピスコはペルーの特産で、これはイタリアのガラッパ、フランスのオー・ド・ヴィ・ド・マールにも匹敵するほどと言われている。 ピスコ・サワーは美味しい。アジアではマオタイチュウ、フェンチュウ、パイカンル、ウーリャンイエチュウがある。 『杯のふちに口を付けたら、底まで飲め』なんて諺があったが、それが男だと。 今日は、チュウチュウ飲みすぎた、ムチャクチャナ一日だったョ。 そうだ、ドイツのシンケンヘーガー、シュタインへーガーもあったね。
2006年01月14日
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・・・世界は広く日本は情報鎖国状態のようで、「寄らしむべし、知らしむべからず」の旧態依然の報道が続いているなかで、周辺の反日国家に囲まれ染まらされた報道を浴び続けていると、いつの間にかその気になる。それがブレーン・ウオッシュの一環で、戦後通じて行われてきた経緯が存在する。 虚構のつくられた事実を鵜呑みにした結果が、今日の現実を生み出している、そのことに気付かなければこの日本沈んでゆく一方だろう、と。・・・一読することで、何かが始まるかもしれません。『アジアの真実』からの抜粋です。http://blog.livedoor.jp/lancer1/・ダライ・ラマが米大統領と会見 ~今こそ中国のチベット侵攻を国際問題に~ ダライ・ラマがきょう米大統領と会談:時事通信 マクレラン米大統領報道官は8日、訪米中のチベット仏教の指導者ダライ・ラマ14世(70)が9日、ホワイトハウスでブッシュ大統領と会談することを明らかにした。同報道官によれば、会談にはローラ・ブッシュ大統領夫人も同席する。ブッシュ氏はダライ・ラマと会うのを楽しみにしているという。 一方、ダライ・ラマはこの日ワシントンで米国の科学者らとの対話行事に出席するのに先立ち記者団に対し、中国がチベットで「非常に、非常に弾圧的な政策を取っている」と激しく非難した。 ダライ・ラマの特使ギャルツェン・ギャリ氏によれば、ダライ・ラマはブッシュ大統領に対し、今月北京で胡錦濤中国国家主席と会談する際には、チベットに真の自治権を与えるよう説得を要請する方針。マクレラン報道官はブッシュ大統領が胡錦濤氏との会談でチベットの人権問題を持ち出す予定であることを示唆した。ブッシュ大統領は2001年と03年にダライ・ラマと会っているが、中国はその都度、怒りを表明している。 ダライ・ラマは中国軍がチベットに侵攻した1959年にインドに逃れ、北部のダラムサラに亡命政権を樹立した。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用ここまで 日本が南京で30万人を虐殺したと根拠のない捏造事実を国際的にふれ回っている一方で、中国は1959年にチベットへ軍事侵攻し、そこで120万とも言われる大虐殺を行った上、95%の僧院を破壊し、経典を焼き、さらに僧院や遊牧を中心とした社会の仕組みを壊し、チベット人の土地を勝手に中国人に分配し、そこに大量の中国人を移住させて混血を進め、民族そのものを消滅させようとまでしました。そしてその政策は今も継続中です。 しかしながら、このような人類稀に見る大虐殺、文化・人権侵害政策を取っていることは長い間、正式に国際問題として取り上げられることはありませんでした。日本においてはマスコミが報道しない為、その事実さえ知らない人も多いのが現状です。イスラエルにおけるパレスチナ問題、イラクによるクルド人弾圧問題等がこれほど国際問題になっているのに対し、このチベット問題が大きな国際問題になっていないのは明らかにおかしいと言わざるを得ません。 中国はこの問題を取り上げると、国内問題であり内政干渉をすることは許さないと主張しますが、これほど道理の通らない主張もありません。他国を侵略して大虐殺を行った挙句、その民族を根絶やしにして文化や生活基盤を全て破壊した行為が国内問題であるはずはありません。 これは戦後世界が抱える最大の問題の一つと言え、国連安保理で議論されて然るべきだと思います。長い間沈黙していた日本を含んだ国際社会は中国に対して声を大にして糾弾を開始すべきです。黙認されて許される問題ではありません。戦後も一貫して軍事力で領土拡張を続け、そして今尚またその野心をむき出しにしているこの国に対し、国際社会は断固とした態度を取り、いつまでも傲慢と我侭は通用しないことを理解させる必要があります。 →この「アジアの真実」のプログ内容からは、いかにアジアの実態が汚染された報道により歪曲されるか、作為的な隠蔽の下に事実から眼を閉ざされてきたのかが解る。 しかし、この加速し続ける情報化社会において、旧態依然たる隠蔽歪曲などと言う姑息な手段も、成果を上げることはできなくなりつつあるのが現状で、結局、真贋は見抜かれ落ち着くべきところに落ち着く状況ができつつある。 自国・組織・個人に都合の良い歪曲・隠蔽・捏造など、すばやく見透かされるような時代、それが情報化社会なのだろうし、それだけ各々が情報を精査し取捨選択可能になったとも言えるのかもしれない。 日本のマスコミもつまらない勢力に加担せずに堂々と、何処の国もやっているように自国の国益を主張するようにしなければ、事実から乖離すればするほど見放される、読者の信頼を失うことになる。 批判と非難は違うように、遠慮・配慮・斟酌しすぎた報道は結局誤解と矛盾を深めるだけで、なにも解決しないことはこれまで十分学んだはずだが。 ・・・赤裸々に伝えることがスタートだろうか。
2006年01月13日
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・・・今日は厚い雲がドーンと張付いていて動きそうもない一日。 暗雲漂うと言うのか、そんな雲と化さなければいいのだけれど。 日本も景気回復といいつつ実感は得られないし、逆に貧富の格差は広がっていることは確実だろう、なんて思いは日増しに強くなっているようで、静かに見えるが実は厭戦気分に包まれ、諦めの心境に近いのかもしれないデ。 どんなことも“天網恢恢疎にして洩らさず”、時間が解決してくれるようだ。何十年目の真実などと言うのがたくさんあるし、疎にして洩らしてないのだろうね粗くても天の網は。時の力というものだろうか。ベトナム戦争での韓国兵の暴虐は隠蔽されている? 昨日、ケネデイ大統領暗殺の真相としてキューバのカストロ真犯人説が浮上している。いわゆるキューバコネクションについて、ドイツ第一国営TVが5年にわたる追跡結果を放映していました。早速これに関連して、当時のベトナム戦争(1960年 - 1975年)について(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)調べていたところ、こんな事実を発見しました。つまりあの戦争における韓国兵参戦ではかの兵士たち、ベトナムで暴虐の限りを尽くしたこと、しかし韓国の教科書には1行程度しか触れていないし謝罪や保障も全くされていないため、両国間で問題になっているというのです。この韓国が日本に対して、あれこれケチをつける資格など全くありません。もってのほかというものでしょう。ちなみにその箇所”韓国軍の参戦”の項で>韓国がベトナム戦争に参戦した影響が現在も残っている。韓国軍による虐殺や韓国軍兵士による、現地ベトナム人女性への買春やレイプで生まれた子供が、現在1万人以上存在しているが、韓国より謝罪や保障が全くされていないため、両国間で問題になっている(韓越混血児問題)。また、ベトナム戦争について、韓国の国定教科書では1行程度しかふれられていないため、韓国が戦争に参加した歴史を知らない若者は多い。その記述内容は「共産侵略を受けているベトナムを支援するために国軍を派兵した」というものである<さらに>南ベトナム側として派兵・参戦した韓国と同じく北朝鮮も北ベトナムへの支援を行ったものの、国力が韓国に比べ圧倒的に小さいためその規模は儀礼的なレベルのものに過ぎなかった<ことも記述されている。この戦争には>大韓民国の朴正熙政権はアメリカの要請により、1964年に最初の海軍部隊を派遣したのを皮切りに、1965年10月には陸戦部隊である猛虎師団1万数千を派兵して本格的に参戦。1973年3月23日に完全撤収するまでに総兵力約31万人をベトナムに投入した。韓国軍はベトナム兵などを約4万人(公式記録)殺傷し、韓国軍の犠牲者は戦死約5千、負傷約1万に上った。オーストラリアやタイ王国もアメリカの要請によりベトナム派兵したが、アメリカ以外の国としては、韓国が最大の兵力を投入した。米韓の協定により、その後、韓国政府は派兵規模に応じた補助金を得ている< :参照― クライン孝子 情報化時代に生きているこの地球上の人々は、情報網の発達で真贋が思いもよらずに突然暴露されることになるが故、情報伝達速度の遅い昔のように悠長に構えていられない。瞬時にあからさまになるようで、昔よりも正直にならなければ生きてゆけない時代になったようだ。 情報の伝播速度の加速と共に利益を得るチャンスが増すが、逆に沈没するスピードも加速しているようで、そのココロは言動の真贋が問われるからだろうか・・・他山の石としなくてはいけないね。 もっとも、こちらのように路傍の石のような名もないデラシネ、根無し草のような稼業には関係ないだろうが、古池に小石が落ちたようにチョッとした波紋は起きるので気になる。 どってことないニュースでも突飛なものも、モッタリと退屈な鏡面のような日常にすこし波紋が広がることで眠りから覚めるし、まぁ少しは廻り回って関係しているようなので気にしようかと。 善・悪事も“天網恢恢疎にして洩らさず”です。善・悪事も結局人の口から広まるようで、善・悪とも他人がいるから発生するもので一人じゃ精がない。どうせ精を出すなら人の為と想い言動したほうが良さそうだョね。 いよいよ、人の口に戸は立てられない、この情報化時代には・・・。
2006年01月13日
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・・・新春、お目出度い年明けから、日本の行く末を占う上で重要な論争が繰広げられている。 ひとつには今年の九月で小泉首相が交代するのか、新しい首相は誰なのか、はたまた小泉続投はどうなのか?と喧しい。 一方で、外務省関連記事でも熱い論争が続いているが、当事者ではないが今は起訴休職だとはいえ、やはり、現役の外交官の文章なのでなかなか迫力がある。 このくらいの迫力を持って外交に当たれば、今までのような土下座外交はなかったのではないだろうか。 惜しむらくは、国家の主権と尊厳をこれだけ侵されて、小泉首相が厳正な抗議を堂々と相手国家に突きつけないことが国民の不満だろう。 外務省からの真相は一年以上遅れて、終いには暴露されてからじゃ首相も絶句、で二の句が告げないだろうし、如何にも間が悪い状況だが国家の威信が掛かっていることなので、キッチリやって欲しいネ。 2006年 01月 12日◆起訴休職外務事務官・佐藤優 稚拙外交で隙 国権への攻撃 平成18年1月12日(木) 産経新聞 在上海日本総領事館の男性職員(電信官)が「女性問題」をネタに中国公安当局に情報提供を迫られ、自殺した事件が日中関係に激震を走らせている。 亡くなった電信官には筆者も現役時代に仕事でお世話になった。中国公安当局の罠(わな)にはめられ、死という形でしか問題を解決できなかった彼の気持ちを思うと胸が締め付けられる。ご冥福をお祈りするとともに、ご家族、近親者の皆様に衷心からお悔やみ申し上げる。 外務省はこの事件をこれまで公表しなかった理由について「遺族の強い要望」(昨年十二月二十八日、鹿取克章外務報道官会見)としているが、これはすり替えの論理だ。本件は電信官に対する人権侵害であるとともに日本の国権に対する攻撃なのだ。北朝鮮による拉致事件と同じ次元の問題だととらえる必要がある。 本人の脇が甘く、行動に問題がある場合でも、外交官は日本国家を代表している。中国公安が「女性問題」で電信官を脅し、情報提供を求めたことは、「接受国は、相当の敬意をもって領事官を待遇するとともに、領事官の身体、自由又は尊厳に対するいかなる侵害も防止するためすべての適当な措置をとる」(第四〇条)と定めた「領事関係に関するウィーン条約」に違反する。 軍人、外交官は状況によっては無限責任、つまり国益のために自己の生命を捧(ささ)げることもあるというのが国際基準だ。従って、今回の事件に関しては、故人の人格権の枠組みを超えた対応が国権の観点からなされなくてはならない。 本件について、われわれ日本人は本気で怒るべきだ。感情的にならず中国政府に非を認めさせ、謝罪させる戦術を組み立てることだ。 日本が被害者で中国が加害者であるにもかかわらず、中国側は「一年半たった今、日本側が古いことを改めて持ち出し、さらに館員の自殺を中国側関係者と結びつけているのは、完全に下心をもったものだ。われわれは、なんとかして中国のイメージを落とそうとする日本政府の悪質な行為に強い憤りを表明する」(十二月三十日、秦剛中国外交部報道官発言)と開き直っている。 中国側は明らかにウソをついている。しかし、川口順子外相-竹内行夫事務次官時代に、外務省からインテリジェンス専門家が一掃されたため、日本側の交渉技法が稚拙になり中国につけ込む隙(すき)を与えてしまっているのだ。 日本政府はまず、中国公安が電信官に情報提供を強要したことを裏付ける動かざる証拠を突きつける。そして、「中国側からの回答を待ちたいと思います」(鹿取外務報道官)などの寝言ではなく、四十八時間あるいは七十二時間の回答期限を一方的に通告し、中国側を追い込んでいくのだ。 中国側は日本世論の性格を熟知している。今後の謀略戦で、日本の有力政治家、幹部外交官の中国におけるセックス・スキャンダルがリークされるであろう。中国側の意図は、日本国民の怒りを日本国内に向け、中国の違法行為から目を逸(そ)らさせることだ。 中国筋からのリークであろうとも、それが事実ならば政治家であろうが外交官であろうが責任をとるのは当然だ。しかし、責任追及は日本人の手によって、日本国家の名誉と尊厳を棄損しない形で行われなくてはならない。現在、日中間では目に見えない「情報戦争」が行われていることを認識する必要がある。 電信官は重大な秘密へのアクセスが可能だ。事件後、暗号を変更したので安全だと見るのは甘い。空手や茶道で流派ごとに型があるように、暗号も国ごとに基本的な型がある。この型が外国、特に中国に盗(と)られた場合、暗号の切り替えでは対応できないような深刻な影響がありうるのだ。 秘密文書を運搬するクーリエ体制、内部の人間関係についても、工作機関がのどから手が出るほど欲しい情報だ。まず、この電信官が何を知っていたかについてきちんと確定しなくてはならない。その上で、「疑わしきは黒」という諜報(ちようほう)世界の基準に従い、体制を組み直す以外に術(すべ)はない。 電信官に秘密情報の提供を迫ることは「あってはならないこと」だ。しかし、インテリジェンスの世界はすべてが応用問題で「あってはならないこと」が起きることもある。その場合、情報専門家の「リエゾン(連絡係)」が裏で処理する。 「連絡係」がいない場合、大使館のナンバー2である次席がこの役割を果たす。トップの特命全権大使は国家の顔そのものなので、このような汚れ仕事に関与させないのが諜報世界での常識だ。次席が乗り出すことで日本政府が本件をどれぐらい深刻視しているかを中国側に示すのだ。 事件当時の北京の日本大使館のナンバー2は原田親仁特命全権公使(現欧州局長)だった。原田氏は旧ソ連国家保安委員会(KGB)との折衝を経験した外務官僚で、このような事件の処理には最適の人材だ。原田氏が中国側とどのような折衝をしたかが本件の真相解明においても鍵を握っている。ところが今回、原田氏が全く表面に出てこないのはどうしたことか。 毅然(きぜん)たる対応を日本政府が取り、中国に今後、インテリジェンスの国際基準を順守することが中国の国益に合致することを認識させる。これこそが真の日中友好外交だ。(寄稿) ◇【プロフィル】佐藤優 さとう・まさる 同志社大学大学院神学研究科修了。外務省入省。ソ連崩壊を挟む1988年から95年まで在モスクワ日本大使館勤務の後、本省国際情報局分析第一課へ。主任分析官として活躍したが、2002年5月、背任などで逮捕。昨年2月に執行猶予付き有罪判決を受けて控訴中。著書に「国家の罠」(新潮社)、「国家の自縛」(産経新聞社)など。45歳。 こんな国家に誰がした、って言いたいけれど、国民たるもの連帯責任は逃れられない。 過去も現在も今からでは如何ともしがたいが、これから明日からについては、少しは利巧になれるはずだ。情報も密室の隠蔽では救いようがないが、今回のように情報公開の重要性と意義を尊厳と国益の観点から共有して欲しいものだ。 歯車が壊れているのか、噛みあわないだけなのか、各個バラバラじゃなく国家として筋の通った一連の話がすっと出るように、他国に一枚岩でぶつかれる体制を組んでもらいたいものだ。 熱い外交、と見えるが、国民は白けている・・・また、と、醒めている?
2006年01月12日
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・・・冬のさむい夜には鍋をツツイテお酒を飲んで四方山話でオイルが回りゆるゆるとすくんでいたカラダと閉じていたココロがほぐれて、アタマが温かくなってくると、あ~でもない、コ~デモナイと花が咲きはじめる。 酒を飲み酔うことでいつも違う境地へお酒という発火スイッチが入り、次元の移動が始まることになるが、ただ何処で飲むのか、酌み交わす酒と相手、目の前に並ぶ料理とゆるやかでマッタリな時間が必要条件なのかも。 一番はこちらのココロの在り様が大切なことはあたりまえで、あとはおまけみたいなもので周りがどうあれ愉しむことはできる。すこし贅沢を言いたくなるのが人情だろうか。 思うような現実は毎度現われてはくれないので、現実に合わす特技を獲得すればどんな飲み屋も銀座の高級クラブへ変身するのです。まず変心だ。 いろいろ妄想の飛躍があってドンちゃん騒ぎが一段落すると、何故かいつもそばかラーメンかうどん、麺類が食べたくなる。太るのは承知しながらも飲み終わった後にススルことになるんだョ。 寒くなると酒を飲んでいないときには好きな鍋焼きうどんが思い出す。鍋が熱いときに半熟の卵をお汁を滲みさせながらチュウチュウと食べるのがすきなのです。それなのに最近、卵を鍋に落とさないで、厚焼き卵入りという鍋焼きに出会うことが多く、ガッカリしてしまう。何度も遇う。 もう、これは鍋焼きうどんの恐ろしいほどの堕落といわず何と言おうか。 鍋焼きの中へ、すでに厚焼きにした玉子を落として、イッタイ何になるんだ。 ・・・鍋で焼かずに・・・鍋焼きの意味がないじゃないか・・・。 あのガリレオ・ガリレイだってむかし法廷に呼び出されたとき“こんなものは食えるか!”と言ったんじゃないかと思ったが・・・。 コペルニクスだったらどう言うだろうかネ。“食べ比べてから証言する”なんて事を言うかもしれない。が、食べたことがないんじゃ当てにならないかもネ。・・・・・調べてみたいものだが。 それにしても、鍋焼きの中に半熟卵が入って、ぐらぐら煮えたっておツユが半熟の卵にしみこんでいるのをチュウチュウすする。それだけで冬の晩の寒さも、ひきかけた風邪も飛んでいきそうな気がするもんだけれども、厚焼き卵にはそんな親身な熱さは浸透してこない。・・・ダメだ・・・堕落だ。 ・・・誰があんなバカなものを出し始めたんだ。 そんなお店に入ったなら、おごそかに抗議しようじゃないか、このままでは文化も伝統も民族の未来も憂えられる。・・・厳かに抗議だ・・・。 ついこの間、酔ってそんなことが頭をヨギッタが、ツマラナイ事を針小棒大に膨らませやすいのがヨッパライの特技だが、でも、厚焼き卵はユルセナイな~と、酔いがさめても思う。・・・食べものの恨みはシブトイぞ~。
2006年01月12日
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・・・“嘘も百篇言えばホントになる”そんなのがあったが、同じ事を何度も言われ続けたり、聞かされ続けたりしていると、嘘もホントに聞こえてくるし、皆に言われると余計に説得力が増してくる。 これは現在のマスメディアの論調を簡潔明瞭に記している。まったく日本のテレビは!(2005年5月21日付平河総合戦略研究所メルマガ【甦れ美しい日本】NO.014掲載) 岡崎 久彦 この頃頭に来るのはテレビのいわゆるワイドショーに招かれた時である。国際情勢などに何の基礎知識もない連中が、庶民感覚とか、主婦感覚と称して喋りまくる。こっちがまともな話をしようとしても十秒、せいぜい長くて二十秒しか話せない。それ以上になると、人の話の途中でおっかぶせて発言する奴が出てくる。 世の中には、問題によって、どうしても三十秒はかけないと説明できないこともあるのだ。もともとちゃんとした説明を聞いて何かを学ぼうというのが目的ではない、おしゃべりのタネさえ提供してくれればよい、ということなら、何も言うことはないが、招ばれた方としては全くの時間の無駄である。 いわゆるワイドショーでなく、一応真面目な討論番組と言われているものでも問題がある。 アメリカのトーク・ショーは、ミート・ザ・プレスでも、フェイス・ザ・ネイションでも、よく勉強したジャーナリストが、一人の政治家か、専門家を相手に一時間近くその知識、識見を聞き出す番組である。日本も昔はそうだった。今のフジ・テレビの報道2001の前身は「世相を斬る」だったと思う。故福田恒存氏がホストを務めていた。私も出演したことがある。その頃私は外国に出たり入ったりしていたが、何時からかホストは竹村健一氏に変わっていた。それでも初めは竹村氏ひとりだったような記憶がある。 そのうちに女子アナが同席するようになり、次々に出席者の数が増えて、やがては別のテーブルまで設けてそこから発言に割り込むようになってきた。その間なぜこういう変化が起こったのか、その背後のフィロソフィーの説明は一度も受けたことはなかったが、他のチャネルも大体同じようなことになって来た様なので、それが流行りだったのであろう。 その間孤塁を守って呉れたのは、十二チャネルの渡部昇一氏の番組だったが、それも何年か続いておしまいになった。 この頃はますますひどいらしい。番組のタイトルが初めから「激論・・・」となっている。私個人は経験がないが、話している最中に「もっと激しくやりあって下さい」というサイン・ボードが表示されるときもあるという。識者の意見から学ぼうなどという姿勢は皆無で、ただ視聴者の前で立ち回りを演じてくれるだけを望んでいるのである。 これは精神的頽廃である。同じ三十分間で、アメリカの視聴者が得る情報の質と量に比べて、日本の視聴者のそれは比較にならないほど貧弱である。 アメリカの視聴者が学ぶことは、イラクの現地情勢や歴史についての専門家の知識であり、大量破壊兵器についての情報の入手と分析の手法であり、アメリカの国益、大戦略にとっての是非の論である。それに対して日本の視聴者は、自衛隊を海外に出すことの是非、対米追随の是非など、もともと誰もが知っていて、どんな素人でも一言は言えることを、大きな声で「激論」しているのを改めて見るだけである。知識も教養もテレビを見る前と後で少しも進歩していない。 その結果として両者が新たに得た情報の量はまるで違う。情報を得る手段は他にもあろうがテレビだけを取ってみれば、これを毎週見せられている日本人の視聴者の教養の蓄積がアメリカ人に劣っているであろうことは明々白々である。それを自覚して謙虚になるのならばまだしもであるが、その上で開き直ってアメリカに肩を張って見せるに至っては、恥ずかしくて見ていられない。 もっとひどい例もある。これは民放四局のうち一つだけに顕著な傾向であるが、はじめから自分でシナリオを書いて出演者にそのシナリオどおりの役を演じさせようとする。その局だけであるが、「こういう番組に出演依頼を考えているがその前にお話を伺いたい」と面会を求めて来る。私はこういう面会依頼には応じない。私の考えなどは、そこいらへんの新聞や雑誌を見れば分かる話である。ひとの時間を取ってその上で出演依頼の可否を決めるなど時間のムダである。 或る時などは、何を言って欲しいか見え見えだった。私がそれを言えばそれだけを引用することは見えているから、そうでない私の説明の部分を引用しろよ、と念を押したにもかかわらず、やはりその部分だけを引用して、それに対する反論を紹介していた。理由付けの部分まで引用したのでは私の主張に説得力が強くなりすぎるからであることは明らかだった。今後このチャネルとはよほど事前に念には念を押した上でなければ付き合わないことにしている。 つまり識者から学ぼうとする姿勢が皆無なのである。テレビ局の担当者本人は何度も徹夜するような努力はしているようであるが、本人が学校と新聞で覚えた限られた知識のなかでシナリオを書いて、それを番組の中にはめ込もうとしているだけであり、日本人の知識、教養に新たに資するところ皆無である。日本社会の恐るべきカラまわりである。 このチャネルだけでなく、もっとまともな番組でも同じようなことをしている場合が少なくない。事前に詳細なシナリオを書いてくる。そして私に見せる時はテレ笑いをしながら、「この通りにはなりませんが」という。事実その通りにはならない。 基本的には同じ問題である。識者から自分の知らない新しい知識や意見を吸収しようという姿勢がまったく無く、自分たちの限られた知識能力の範囲で番組を作ろうという考え方が背後にあるのである。 二、三日前、新聞記事で「徹子の部屋」が記録的なロング・ランを続けている理由として、事前にシナリオを作らないことにある、と書いてあった。当然であろう、それぞれ独特な人生を生きて来た個人の体験を学ぶ番組である。シナリオなど書いたら失礼である。 この経験は他山の石とすべきであろう。 結局はインターヴューアー個人の能力の問題である。福田恒存もそうだった。アメリカの番組もそれぞれそうである。それが世界の常識である。それがこんな風になった背後には。おそらく戦後日本の悪平等思想があるのであろう。私は戦後の平等思想の背後には、左翼の影響だけでなく戦時中の軍の思想があると思っている。「組織でやるんだよ。お前だけ特別な人間と思うなよ」。これは軍隊経験のある人たちの口癖であった。 そのお陰で識見のある人一人でやれば良いところを、何人、何十人の組織でやろうとするから、カラ廻りするのである。若い優秀なテレビ局員がそんなことで貴重な青春の時間を無駄にしているのはいかにももったいない。われこそが、天下に恥じない識見のあるジャーナリストた らんの気概をもって日頃の勉強に時間を使ってくれたほうが、よほど日本のためになると思うがどうだろうか。 (了) どんな風に世論が作られ、事実が作られ、真実が隠蔽され、結果歪曲された事実が真実然と定着してきたのかが、なんとなく解るようだ。 そしてその作られた事実を都合の良いように利用し、いよいよ乱造し歪曲を推し進めるために加速させてゆくことが今まで、簡単にできていたようだ。 その集大成が韓国での逆“ノーベル賞級の世紀の大捏造”問題に繋がるのかもしれない。決して他国の問題と言ってられない捏造・隠蔽・歪曲問題が日本のマスメディアを揺るがしている現状の根幹は、一体何から発生だ?。
2006年01月11日
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・・・澄んでる夜空の中、名も知れぬ星々、星座が浮き上がる。 刻々と変化し続ける寒天が描き出す悠久の大画、太古から冬の夜空は星座たちが親和する遊び場だった。・・・人は、深遠・悠久・無知を悟る。 旅なれた人もインドに行って帰ってくると、なにやらみんなタゴールのような目つき、言葉つきでものをいいだすから不思議だ。どんな軽薄短小の男でもそうなる気配を見せるようになる。 ひょっとするとインドは世界のそんな軽薄短小派をことごとく哲学者にするために、数千年、あの絶対貧乏といってよい精神と肉体を保持し続けてきいるのかもしれない。と、思うことがある。 その忍耐力には敬服するが、彼らはむしろそれを歓迎し、心の深遠としているんだから、底知れない深い精神の谷間を覗くように感じる。 そんな深い精神の絶壁のような谷間を覗いた現地を駆け抜けた方々は、日本へ帰ってからは、日本の高いビルのうえからインドの深い精神の谷を覗きつつ生きてゆくことになる。なので和製タゴールになって帰国・生活するのだろう。 深い精神の谷は心の深遠と混沌と虚無を含み、万年鍋の如く今も呑み込み、そして吐き出しつつある。悠久の夜空と何ら変らない普遍を含んでいる。 一方モンゴルは草原と羊、少しばかりの丘と河、素朴でいて勇敢。世界でもっとも広い版図を獲得した国で、日本を除くヨーロッパからアジア人の住んでいた地域の三分の二を領土とした国家だ。両国ともアジアだ。 しかし、文字を持たず記録はいっさい残っていないため、ハーンの墓稜さえ不明のままだ。世界へアジアの風は絶え間なく吹き続けているが、その風も痕跡も感じている人は少ない。━━━━━━━━━━━謝っても中国には無駄━━━━━━━━━━━ (再掲) 渡部 亮次郎 電気通信大学教授を長いこと務めた西尾幹二氏が2005年6月23日号の「週刊新潮」で言っている。「A級戦犯を分祀すると次は必ずB,C級戦犯の分祀を、その次には天皇制をなくせ、と言ってくるでしょう」。 中国は日本にとって1970年代前半まで、遠い世界だった。中国と言えば台湾のことだったし、中国がなくても日本は驚異的な発展を続けていたからである。 1960年、日米安保条約の改訂で国民が馬鹿な反応をして国が荒れたために岸信介内閣が退陣。後釜の池田勇人首相は「政治抜き」の国家運営を心がけた。 記憶にあるでしょう、所得倍増論。安保騒動で「政治」に厭いていた国民は「経済」に飛びついた。事実、電気洗濯機や電気冷蔵庫、電気掃除機を手中にして亭主、かかあともども経済の高度成長を謳歌したのだ。 その頃、中華人民共和国。昭和24(1949)年9月1日に建国宣言してわずか10年余。昭和27年多分5月にソ連から中国入りした衆議院議員帆足 計、宮腰喜助、参議院議員高良とみの3氏が中国の南漢宸と6月1日に日中貿易協定を交わしたのが日中政治交流の始まりである。 以後、昭和29(1954)年7月25日に改進党の中曽根康弘、園田直、桜内義雄らが吉田内閣の反対を押し切って中国入りするなどしたが、台湾を「中華民国」として認知している歴代日本政府は、これらすべてを「非公式」とし、特に自民党政権になってからの「親中派」は「反主流派」の代名詞だった。 昭和39(1964)年から自民党政府の担当記者となっていた私は多忙でもあったので、当時の親中派たる松村謙三、古井喜実、田川誠一、川崎秀二といった政治家たちの活動には殆ど関心を示す余裕がなかった。 松村氏らは時の佐藤栄作首相に対して、中華人民共和国との国交回復を要求する一方、国連における代表権を中華民国(台湾)から中華人民共和国に交替させることの先頭に立つよう要請していたが、台湾擁護の立場を堅持する佐藤首相は全く動かなかった。 余談だが、当時、日本の政界でやり取りされていた利権は「バノコン」だった。台湾のバナナ、韓国の海苔、それに昆布ではなくコンニャク。中国の天津甘栗(焼けば実と渋皮が剥離するのはこの栗だけ)は社会党佐々木派のそれといわれたものだ。 それが急速に動きだしたのは、昭和46(1971)年7月15日である。犬猿の仲の筈であるアメリカのニクソン大統領が「来年5月までに訪中することになった」との発表が突然、あったのである。 極秘のうちに7月9日から北京を訪れていたキッシンジャー米大統領補佐官が周恩来との会談でそのように一致したと言うのである。アメリカが台湾重視だと理解していたからアメリカに従属していた佐藤政権は完全に立場を失った。引退が早まった。 同時に外務大臣として台湾重視を守ってきた福田赳夫氏も自民党内で恥をかいた。翌年の自民党総裁選挙を前に「負」を負った。「日中国交回復」を争点にされたら全く不利になること確実となった。 総裁選挙には通産大臣田中角栄、外務大臣福田赳夫。この2人は佐藤体制の両輪だった。ほかに大平正芳、三木武夫、中曽根康弘が噂されたが中曽根は直前に降りた。「日中国交正常化」をキーワードに田中1本工作が成立した。 結果は決選投票で田中が圧勝。昭和47年7月5日。2日後の7日に田中内閣成立。それから間もない7月25日、公明党の竹入義勝委員長らが訪中し廖承志中日友好協会会長、周恩来首相らと会談。竹入氏は「非常な無理難題、自民党の要求のすべてを吹っかけたが先方は殆ど呑んだ」。日中国交回復を語るとき、竹入氏の功績を抜きにしては語れない。周恩来首相と日本人で一番長く会話を交わしたのは田中首相ではなく竹入氏だ。 創価学会、公明党はこの竹入氏を後に除名同然にしてしまった。それでいて「日中を開いた創価学会、公明党」を標榜したいために、中国側に対して阿った態度をとっていると週刊誌で批判されている。 それはともかく、訪中した竹入氏は周恩来首相に対して「代弁」する如くに自民党の主張のすべてを語ったが、周恩来はそれらのすべてを受け入れた。加えて周恩来は竹入氏に、予めタイプしてあった紙を渡し「一応、日中共同声明の原案を提示します」と言われて竹入氏はびっくりした。 しかも竹入氏が持帰った「原案」には「覇権」を求めず、「戦争賠償」も求めないなど、後に田中首相一行が「交渉」してまとめた「共同声明」の条項がすべて入っていた。 特に昨今指摘されている「内政不干渉」の条項も初めから中国が要求し、日本が了承したものである。日本が後から要求したものではない。 「当時の毛沢東=周恩来路線はそれほど対ソ戦略のために日中正常化を急いでいたと言える」ただし「中国側はやはり日本の中国侵略について、日本政府の公式の謝罪を共同声明の中に入れるよう要求してきた」(永野信利著「天皇と!)小平の握手」81ページ)。 旧田中派を初め、日本の各党はおしなべてここらを「日中友好」の原点としている。古くは日本軍による中国侵攻への贖罪意識、新しくは平和至上主義の教え。どこの国とでも「友好第一」「相手が嫌うことをしてはいけません」だ。これが間違い。 確かに毛沢東や周恩来が生きている間は、それで良かった。何しろ上海の空港まで角さんを見送りに来た周恩来は「帰ったら天皇陛下によろしく」とまで言った。日本と子々孫々仲良くして行くことが中国の国益に叶うと言う判断があった、と見ていいだろう。 しかし、いまの中国の「中日友好」の原点は日本と大きくズレて、!)小平が「4つの現代化」を訴えた1978(昭和53)年12月の中国共産党11期3中全会と、それに先立つ中共中央工作会議である。この日から中国式「資本主義共産党」が始まり、中国の変身が始まったのである。 具体的には日中平和友好条約とODA(政府開発援助)で日本から資本と技術をかすめ、べら棒な勢いで軍事大国の道を進み、かくてようやく世界に覇権を唱える準備が出来たと判断しているところだろう。 軍事力の整備は表面的な数字の3倍だと言うし、著しい経済成長は燃料の確保が緊急の課題であってみれば、日本を蹴散らして東シナ海でもどこでも不法であろうが、なかろうが進出していかざるを得ない。 最近、帰国した財界人の話だと「電力が間に合わないため、電力会社が奥地の炭田を自ら買収し、そこへ火力発電所を作ろうとしている。 石油を焚くことは禁止されているから。原子力発電の拡大は来年からのようです。経済の成長率20%と言う地域も出てきました」 時あたかも世界の冷戦構造は終わりを告げ、最大の敵はソ連ではなくなった。主な敵を超大国アメリカと定めて経済成長を続ければ、2020年ごろには核保有量でアメリカに匹敵する力を持つことが現実的になってきた。 そうであってみればアジアに覇権国は2つは要らない。自らの結束を固めるためにも日本の悪口を言い続け、国連常任理事国入りの阻止を達成しなければならないのだ。 これに対して日本の政治家は小泉首相の靖国神社参拝を止めたり、教科書を書き替えたりすれば、四海波おさまり、あの「日中友好」が再び戻って来ると思っているらしい。 また犬養毅よろしく「話せば解る」と思って、要人とのパイプの太さを誇ったりしているが、大きな間違いだ。自由や資本主義の国なら個人的な友誼関係は貴重だが、いまの中国は経済はともかく政治は断乎として一党独裁の共産主義体制なのである。 中曽根さんは在任中、靖国参拝を中止したのは当時の党総書記胡耀邦が困らないように配慮したのだと言う趣旨の弁解をしたが、効果は逆だったはずだ。「おまえは日本の鬼と個人的に通じている」と内部で非難されたはずだ。 ことほど左様に日本の政治家は共産主義というものの理論と原則を知らな過ぎる。政治的に共産党一党独裁を厳守しながら経済を資本主義にすれば緩む人民のタガの程を知らない。知るわけも無い。 それを引き締めるための方策をめぐる内部の権力闘争も経験したことが無い。そこらの大学を出たり松下政経塾を出たって理解できない。 冷徹な目で国際情勢を見れば、中国の言うとおりに謝罪をいくら続けても無駄なことは解るだろう。それでもいま訪中する馬鹿が後を絶たない。誠に情け無い。(了) タゴールのような透徹した眼で日常を哲学する深い精神性、モンゴルのハーンの如き戦略眼をもち合わせた国策を奏上する国家になれるのだろうか。 でも、その国の知恵はその国でしか味わえないし、味わわなければなるまい・・・・・・・酒も、女も、料理も、心も。
2006年01月11日
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・・・ときどき明るくなるが、寒い風と弱々しい陽射しだ。 昨年同様に年明け早々から熱く過激な外交合戦が繰広げられている。例の領事館員自殺問題の両国の認識違いが発端?だというが、認識以前の陰謀・諜報戦略がバレバレになっただけなのだ。が、外務省も身内の不祥事を隠蔽し報告すらしてない状況で、一年以上経って記事をすっぱ抜かれ慌てて抗議し始めたが、腰砕けのままの抗議で中共の手玉に取られてる現状だ。 まぁ、治外法権を気取っている外務省だから、さもありなんと思うが、こうも不祥事続きで尚、どこの国の外務省で何処の国の国益を守らねばならないのかすら判然としないような理屈を並べ立てても、キッチリ日本の国益と国民を代弁した言論を突きつける矜持を持たなければ支持は得られないだろうに、奥歯に物が挟まったようなモノの言いように終始したままだ。 ここに対日政策の一環が、中共の国家情報戦略を駆使し、嘘を弄しても自国の国益に叶うよう誘導しようと、他国を欺いてきた事実が、また、暴かれたようだ。・・・以下。 桜井よしこ女史のWEBサイトにこんなのが記載されていた。 http://blog.yoshiko-sakurai.jp/「 反日反靖国、王毅中国大使の嘘 」日中戦争最中の1937年、重慶の国民党政府の国際宣伝処に勤務し、後に著名なジャーナリストとなった米国人セオドア・ホワイトは書いた。「アメリカの言論界に(中国政府が)嘘をつくこと、騙すこと、中国と合衆国は共に日本に対抗していくのだとアメリカに納得させるためなら、どんなことをしてもいい、それは必要なことだと考えられていた」(『「南京事件」の探究』北村稔著、文藝春秋)。日本を貶め、日本こそ米国の敵、国際社会の敵であると国際社会に信じ込ませるためには、どんな嘘も騙しも正当化されると中国政府が考えていたと、中国の宣伝報道に携っていたホワイトは述懐したのだ。2005年11月24日、駐日中国大使として初めて東京有楽町の外国特派員協会で会見した王毅氏の発言を聴くと、日本を貶める虚偽の宣伝、情報の歪曲は、現在に至るまで中国政府不変の政策であることが明白だ。近代史上、日本は中国にも米国にも、旧ソ連にも、度々情報戦で敗れ、国益を損ねてきたが、それは、決して過去のことではなく、現在も同様なのだ。満席の記者を沸かせた王大使の記者会見は、情報操作を苦手とする日本の不利と悲劇を見せつけた。内外の記者200名以上を前に王大使はゆっくりした日本語で、歴史問題から東シナ海の資源開発問題まで、巧みに事実関係を歪曲した。幾つもの虚偽を、日本人記者も含めて誰ひとり、追及した者はいなかった。日本国は「世界中のメディア」の前で、またもや悪者とされたのだ。一例が靖国神社問題だ。中国は寛容な国家だが、“A級戦犯”合祀の靖国神社への“最高指導者”の参拝は受け容れ難いとして、「中国の立場ですね、継続性のあるもので、変わっておりません。1985年、このことですね、A級戦犯が祀られていることが公になってから我々も反対の立場を貫いてきております」と大使は述べた。“A級戦犯合祀が公になった85年以来”、“一貫して反対”してきたと言うのだ。だが、事実は全く違う。外敵は「ソ連」から「日本」へ靖国神社への“A級戦犯”合祀が大きく新聞で報じられたのは1979年4月19日、春の例大祭直前である。時の首相・大平正芳は記者団から、後日の6月5日には、参議院内閣委員会から、質問を受け、いずれも広く報道された。したがって、“A級戦犯合祀”が公にされたのは85年ではなく、79年4月である。一方、中国政府が靖国問題で日本に注文をつけたのは1985年9月7日、彭真全人代常務委員長が長田裕二氏を団長とする自民党田中派の訪中団に、首相の公式参拝は日中関係に「不利なこと」だからやめた方がよいと「強く警告した」のが初めてである(『靖国公式参拝の総括』板垣正著 展転社)。それ以前の中国は「反対態度を貫」くどころか、“A級戦犯”合祀や首相の参拝に触れもせず、逆に日本に軍事大国になれと要求した。典型例が1980年4月末からの中曽根康弘氏の訪中だ。氏は中国人民解放軍ナンバー2の副参謀総長・伍修権に会った。伍は日本は軍事力を強化する必要があると強調、軍事予算をGNP比1%にとどめずに2%に倍増せよと要求、大きく報道された。その前年の5月16日、時事通信の田久保忠衛氏は最高実力者、ト小平に取材したが、ト小平は、中国の周りはすべてソ連の軍事的な脅威にさらされており、日本も中国と共に立ち上がって軍事的に協力すべきだと述べた。これも大きく報道された。ト小平発言も伍修権発言も、“A級戦犯”の靖国合祀が公にされた後である。以降も中国政府は大平、鈴木善幸、中曽根歴代三首相の参拝については、85年9月まで一言も批判しなかった。ト小平発言からも明らかなように、当時の中国が最も恐れたのは旧ソ連の軍事的脅威で、その脅威に備えるために、むしろ日本も軍事大国になれと促したのだ。ちなみに、中国は1978年締結の日中平和友好条約を機に、日本から多額のODAを受け取り始めた。同条約に旧ソ連を念頭に置いた反覇権条項を入れ、二重、三重にソ連に備えようとした。79年1月1日に米国と国交を樹立。日米中の対ソ連合の形を整えた。そのことは、当時の中国の国益にかなっていた。1985年9月に靖国批判に転じたのは、中国がソ連脅威を言いたてなくとも、81年1月に就任したレーガン大統領がソ連を悪の帝国と非難し、ソ連自身、80年代前半に顕著に力を衰えさせたことが背景にある。もはやソ連を恐れなくてもよい状況になったとき、中国の外なる敵が日本になっただけのはなしだ。大使は「国と国の付き合い」では、「約束をお互いに守る必要があります」と述べた。であれば、日中両国は1972年の国交樹立時に共同声明で相互内政不干渉を誓約している。その約束を守って中国こそ即時、内政干渉をやめるべきだ。嘘に嘘を重ねる中国の手法王大使はB、C級の戦犯について「我々はいわゆるB級、C級戦犯ですね、全部釈放し、日本に帰らせたのです」と述べた。中国各地にB、C級戦犯として拘束され、命を奪われた日本兵は171名にのぼる。拘留中の病死者もいるが、圧倒的多数は処刑された。「全部釈放し」たとは、どういう意味か。大使はまた、「反日教育はありません」と言う。中国が長年、愛国主義教育に名を借りた反日教育を実施してきたことは、度々小欄でも具体的事例を取り上げてきた。反日教育否定の大使発言も虚偽である。東シナ海の資源開発問題でも、日本の主張する中間線は「もうすでに交渉を通じてお互いに認め合うラインではないのです」と断言した。中間線を認めないのは中国のみで、日本ではない。「お互いに」の表現は虚偽である。大使は日中は競合ではなく相互補完関係にあるとも語った。が、この夏、中国は日本の国連安保理常任理事国入りに断固反対し、猛烈に働きかけてアジア諸国に日本の常任理事国入りへの支持を断じて許さなかった。11月の東アジア首脳会談では、中国が日本をおさえて覇権確立を目指して熾烈な鍔迫り合いを演じた。靖国神社はその目的達成のための材料のひとつである。靖国問題を日本の歴史認識の“悪質さ”の象徴に仕立てあげ、これを国際問題とすることによって、アジア、ひいては国際社会での日本の地位を貶めたいのが中国だ。中国のあからさまな意図の前に、日本はすでに守勢に立たされている。日本語の講演にもかかわらず、日本人記者の誰ひとり、大使の嘘を正せなかったこと自体、現時点での敗北だ。中国に対するのみならず、国際社会に日本の立場と主張をきちんと伝える情報発信機能の確立を国家の緊急課題としなければ、日本は再び情報戦に敗れ、国益を損なうであろう。『週刊新潮』 '05年12月29日号 日本ルネッサンス 第196回・・・こんな隣国に囲まれている日本が一国平和主義で、他国の信義に期待して武力を持たない、などとのたまう心境が知れない。ライオンか狼に囲まれているのに手を出さないでいれば襲われない?と言募る、そんな輩が群れを成して声高に叫んでいる現状が、どれだけ情報合戦に負けているかの現われだろう。 “外交は武器を持たない戦争だ”というのが世界の常識ならば、日本が非常識だった証でもある。けれどそんな、他国の信義に期待して・・・などと言う、一国平和主義にかぶれた平和念仏を唱えている間に、現在の状況が生まれたことに気付き始めたことは歓迎すべきことなのだろう。 ・・・お屠蘇も抜けて、外交元年に相応しい対応に期待したいものだネ。
2006年01月10日
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・・・すこし雲が多く、陽が落ちてきていない、昨日より寒い。 平和を希求するのはどこの国家も民族も異論はないだろう。あえて血を流す争いをしたがる暴力的な国家も民族もいない。同胞を犠牲にし血で何かを獲得するということは余程じゃなければできないはずだ。 が、実際には世界中でこの瞬間にも何十箇所で紛争・戦いが続いていて、銃声が止むことはない。人類の歴史は戦争の歴史といってもよいくらいで、どの時代も形を変えて争いは延々と続いてきた。 何故こんなに平和を希求する声が街に溢れているのもかかわらず、銃砲の音が絶えることがないのだろう。そして争いの廃墟と惨禍が繰広げられ続けるのだろう。 戦争の悲惨と惨禍をキャパのように一瞬を写真の中に閉じ込め、世界中へ配信し人々に人間の尊厳と冷酷さをアピールしたり、世界各地の軍事博物館では諸々の戦争の歴史とか、ナチスの収容所、原爆の写真などが展示されていたりする。 一方、美術館ではそんな戦争の凄惨・悲惨さを作品に閉じ込め語り継ぐべく美術館の中に芸術として歴史にとどめている。そんな芸術作品を観ると人の精神活動に圧倒され、尊厳すら感じることになる。 そういうのを観ていると、人間を芸術に向かわせる衝動や情熱というものは、実は戦争や虐殺を行わせるものと同じ土壌に生まれるものではないかという気がして、深い絶望感に駆られることになる。 情熱をかたむけて芸術を創造し、その題材は誰もが忌み嫌う戦争の惨禍・人間の冷酷さなのだから、人間のもつ矛盾を芸術と戦争が見事に表している。 結局、悲しいかな芸術に向かう衝動と、戦争に向かう衝動は同じところから出てきているものと思う。 戦前のヨーロッパ最大の詩人であり哲学者だったポール・ヴァレリーが、こんなことを言っている。「文化とは、血を流さない想像力の戦争である」、と。 絶望を感じるほどの矛盾が、戦争と芸術が人間の精神活動の情熱によるもので同根だったとは眩暈を感じる。が、それが現実だ。 が、アウシュビッツに絶望を抱いたとしても、ゴッホやゴーギャンに希望を見出したのだろうから、カードの裏と表みたいなものだ。絶望だけしていることもない。半分だけ絶望すればよいと思う。 戦争と芸術は広大無辺な難しい論議が昔も今も続けられ、膨大な書物も書かれているが、一向に止む事を知らないほどで、それはそのまま人間の奥深さを表しているとも言える。 ようするに人間というのは、衝動によって大芸術を生んだり、大戦争や大虐殺をやらかしたりする生き物なんだということを、はっきり弁えておくことが肝要だと。 有史以前から人類は飽くことなく形を変えて戦争を続けている、そしてそれがどういうことなのかをも知りつつ、尚、止む事を知らない。 衝動と情熱が、絶望と希望を生み続けている、人間ってなんだ?。
2006年01月09日
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・・・寒さが少し緩んできたのか、風が無いからなのか、暖かい気がする。 この時期、各地の湖では風物詩となっている、ワカサギ釣りが盛んなことだろう。寒さにジッと耐えながら氷に穴を開け穴から釣上げる。 そんな釣り師が三々五々集まり、純白の湖面上に艶やかな花を咲かせ、一時の氷上パーティを開く人間達の喧騒で、氷の下で水の寒さに耐えている魚達を眠らさない。 釣りの世界も技術革新の連続で、昔のような太公望的釣りは古典の世界になってしまった。科学的フィッシングなどとノタマイ、魚群探知機・集漁機・電動リールを使った釣りがもて囃されている。 流行にながされて文明の利器で釣果にとらわれ、もっとゆったりマッタリした気分で魚とのやりとりをする、そんな心の余裕も忘れたかのように釣果に拘る。 釣り本来はどうだったのだろう・・・これも時代なのであろうか。 いろいろな釣り方と釣り人がいるので、なんともいえないが長く後世にも釣りという愉しみを残そうと思うならば、釣上げれば、釣果が増えればよいというものではないはずだ。でないと太公望は、もう生まれない。 しかし、釣りに出かけたときには釣らなければならない、それは釣り師の宿命だからしょうがない。釣らないために釣りに行くなんて釣り師はいないはずだから。たまにはいるかもしれないが稀だろう。 人生も一瞬であるが、釣りも一瞬である。合わせが早く効かないことには魚は釣れない。一瞬の攻防で、その一瞬がすべてなのだ。虚無の穴の底から魚という己の心の瞬間のキラメキを釣上げることで自分を取り戻す。 なので、釣りは日常の延長ではいけないのですが、日常も非日常も一緒くたになってしまった現在の釣りは、己に還ることは少ないのだろう。 そんなわけで魚釣りは一瞬であるが、同時に一方、ゆったりとした気持ちでなければならない。極大と極小の心の振幅を悟ることになる。 むかし、フランスの王様は、国家を治めてゆくに当り『フェスチナ・レンテ』というラテン語の諺を座右の銘にしていたという。これを訳すと“悠々と急げ”という意味になるそうで、釣り師の心境もフランスの王様と同様で、いつのまにか釣りをしながら自然も魚達も、己に係りあうすべてのバランスを無意識に魚釣りという行為でコントロールしているともいえる。 “悠々として急げ”この至言の中には奥深い知恵が詰まっている。そして様々な至言を聞いたり見たりするが「サヨナラ香水」の如く一瞬で、右から左に抜けてゆく。なかなか留まってはくれないのが難なのだが・・・。 安物の香水の代名詞「サヨナラ香水」は、つけたらすぐに散ってしまうという訳なんだが、けれど、つけてすぐに散ってしまう香水じゃなければ、浮気の時にはマズイ?のじゃないかと・・・思う。 いつまでも、しつこくネバネバネチネチと絡み付いてくる匂いをつけて、家へ帰ったならたちまち爪から火花と血が飛び散るようなことになる。 そういう事態は困るので、安物の香水だからといって遠ざけてはいけない。大事で珍重せねばならないのです。サヨナラ香水を選ぶことは、単に香水だけの問題ではなく、人と人の交わりについてもそう言えるんじゃないの。 けっして高級だけが良いわけじゃない、「夜間飛行」「タブー」「白夜」など綺羅星の如くある。「シャネル」とか「マ・グリッフ」などもある。 マ・グリッフは「私の爪」と訳すが、香水の匂いと爪の技で長い夜を愉しもうとする知恵が、この香水の命名の由来かもしれないと想像してみた。 釣り師も爪を長くして釣り糸、釣り針をつかみ易くする。そして釣果を願い整髪料を頭に振り掛けたりしてゲンを担ぐ人もいる。釣り師も香水も別次元にあるように思うが結局どこかで通底しているみたいだネ。 釣り師には高級な「マ・グリッフ」などがいいのかもしれないね、ゲン担ぎには。原始と格闘する釣りとパヒュームが合体するなんて不思議だが。 でも、浮気にはダメみたいだけれど・・・ネ、残念でした。でも「サヨナラ香水」があるじゃないか、探せば人も香水もまだまだあるはずだョ。
2006年01月08日
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・・・強い陽射しが落ちてきている。光輝。「文を作らんとするものは如何なる都会人であるにしても、その魂の奥底には野蛮人を一人持っていなければならぬ・・・」、と、芥川龍之介が記している。《芥川龍之介の箴言集『侏儒の言葉』。鋭い目と辛辣な文章が光る》 が、イッタイどんな野蛮人が芥川の心の中に住んでいたのだろうか。と気になる。 でも、魂の奥底があるかないか、が問題だ。魂に奥底があるならひょっとしたら覗くことができるかもしれないが、そして野蛮人がいるかいないかも語ることができるかもしれない。 が、魂には奥底がないはずのものと思えるので、野蛮人が住んでいるのか、文明人が住んでいるのか、それすらも分らない。 思うに、芥川龍之介が、「魂の奥底には野蛮人を一人持っていなければならなぬ」といったのは、己の中に野蛮人がいず、それを頼りにすることができずに願望としてそれを語ったのだろうか。 けれど、芥川龍之介と同様に繊細で、苦しみ抜いて此の世を去ったアメリカの作家の一人にエドガー・アラン・ポーがいる。この人は芥川と似たことについてこんな風に書いている。『真の告白をしてみようと思ってペンを取ってみたまえ。そのペンの下でたちまち紙は火を吹いて燃え尽きてしまうだろう』・・・と。 こういうことなんだろうか、魂に仕業にはとめどないものがある。頂上も奥底もあるのかないのか。あり、かつないようにも思われるし、永遠の謎だ。だからこそ文学が、芸術が求められるのだが、何十冊、何千冊、何百万冊小説が書かれても、なおかつ人は小説を書き続けていくだろうし、音楽をつくり続けていくだろう。 そして読みつづける人がいるだろうし、聴きつづける人があるだろう。 それは魂の奥底がないからである。いや、あるからである。いや、ないからである。いや、あるからか・・・・・・。 見たことがある人がいたら、そっと教えて欲しいネ、待ってます。 人々は四季折々の自然の神秘的な美にたびたび陶酔させられるのですが、芸術もそんな大自然の神秘性と美にうたれた結果、そこに作品が存在するものと思っていた。それくらい大自然の美は偉大で勝る芸術はないと。 あるとき、辞書を引いてみたら『芸術とは人間がつくり出した精神的文化現象の一つである』とあった。大自然の美は素晴らしいが、それと芸術と比較する、できるものではないことが解り、形容が誤っていたことに愕然とした。 そんな風にたくさん思い込みとか、勘違い、一知半解で知ったかぶりを臆面もなくピエロのように繰返しているんだろうな、と、ひとり笑えた。 が、しかし、ここに、こんなのを見つけたとたんにまた解らなくなった。それは、『芸術が自然を模倣するのではない。自然が芸術を模倣するのである』と。 オスカー・ワイルドの一言なのだが、どっちが本当なのかいよいよ迷路だ。《イギリスの小説家、耽美派と呼ばれ「ドリアン・グレイの肖像」ほか多くの作品を残した》 この言葉を大自然の山か、河か、海にでも持っていってよくよく噛みしめて見なければいけないようだ・・・でも長年、行くと忘れているネ・・・。 こんないい加減さでは何事もイケマセンって、反省も忘れるこの頃だし。
2006年01月07日
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・・・きょうは梵天の空があるだけだ。 雪がふりそうで降らないそんな日が続いているが、降り始めるとドカッとくるのだろうか。ホドホドにして欲しいものだが。各地で豪雪の知らせがあるが、自然に程好くとお願いをしても無理だろうし、何とか乗り越えて欲しいね。 数日前の夜中に「川鱒の川」いう映画をやっていた。 北海道の造り酒屋の一人娘(小百合)とその旦那の同級生だった男の一人息子(心平)が、小学校から高校へと成長してゆく段階で、主に描写は小学校時の川で遊び川鱒と友達になることや、人と川鱒の友情を描いた物語。 いつも造り酒屋の娘小百合ちゃんと一緒に絵を描いたり、川鱒とお話しつつ川遊びをし、川鱒との友情を深めるが、結局、川鱒がお嫁さんを見つけ去ってゆく。 実はむかし、小百合ちゃんのお父さんと心平のお父さんは親友だったが登山で事故に遇い、心平のお父さんが亡くなっていた。心平はお母さんと二人暮らし。 一方、小百合ちゃんは聾唖者で言葉が出ない。 親のそんな事情にもかかわらず子供同士は仲がよく、そんな風にいつも一緒だった。心平と小百合は以心伝心で解り合え、言葉を必要とせずに川遊びとか絵を描いたりして遊んでいた。 そんな折に学校で描いた友達だった川鱒の画が「パリ国際児童画コンクール」に入賞し、脚光を浴びることになる。が、受賞記念パーティの夜に心平の母親が自宅に帰る途中雪の中で亡くなってしまった。 酒屋の旦那の計らいで高校まで出させてもらった心平は、卒業後酒屋を手伝うが画を忘れることが出来ず仕事中に画を描ていた。そんなふうに造り酒屋の仕事に失敗を繰返し集中できないでいた。 画を忘れられないでいる心平を見かね酒屋の旦那が東京の画廊に心平を紹介し画の道を志すことになるのだが、心平がいなくなったあと一人娘の小百合が酒屋を継ぐために結婚することになった。 心平の同級生だった小百合を昔から好きだったという男が、大学を卒業し東京の就職を断りその造り酒屋に勤めていた。旦那も跡取り娘の婿にと思っていた。 が、小百合は心平にと子供の頃から心に決めていた。 そのころ心平は丁度東京のレストランの開業時に合わせ内装壁画を頼まれていた。心平の子供の頃の「川鱒」の画が気に入り壁画を頼んできたのだった。 なかなか壁画の構想がまとまらずにいたそんな心平に、小百合が結婚するとの手紙が届いた。それを知った心平は壁画の構図、二匹の川鱒が川面をジャンプする昔の川鱒の友達の別れの場面を閃き描きあげると、小百合を取り戻すために帰省した。 もう既に、結婚式の日取りも整い、心平とは小百合の祖母以外はみな反対だったが、祖母の小百合の心境を察した計らいで夜に駆け落ちを決行したのだった。 昔から釣りの知り合いだったお爺ちゃんの筏で川を下り、駆け落ちを果たそうとした。 が、やはり婚約者とその友人達が車で追ってきて捕まってしまった。 そして小百合の父親も駆けつけ連れ戻そうとするが、小百合の決心は変らず固く、婚約者も小百合も気持ちが分り諦めたのだった。そんな婚約者から小百合と心平の駆け落ちを認めてやってくれと父親が制止されてる隙に逃げ出す。 早く行けと婚約者から言われ、筏で川を下り下っていった先の海の海岸に出て広い海原を二人で見ることになった。 明るく茫洋とした海原はただ、ただ静かに佇んでいた。 光に包まれ、広く明るい海を見ていた二人の心には、なにが去来していたのだろうか・・・。 この映画は、セリフが少なく、自然描写と役者の醸しだす雰囲気で成り立っていて、とくに子供の役者が自然に純粋な役柄を演じていた。汚れを知らない純真さはそれだけで何にも変えがたい価値があるのだと思い知らされた映画だった。 中には唐突な場面もある、例えば川鱒とお話しするとか、いきなりパリのコンクールに入賞するとか、シナリオ的には多少無理があるがそんなことよりも、無駄なセリフを削り人と魚と自然の中に純粋・純真さを追求した内容は、観ていてホッとする瞬間をお年玉の如く頂いた映画だった。 いつもすぐにチャンネルを変えるが、なんとなくつい観ていた映画。 ・・・うまく伝えられないが、そんな映画だった、と。
2006年01月06日
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・・・日本について鋭い分析と進むべき方向を提示している徳永圀典氏。隘路に嵌り身動きの取れない現状を憂えて警鐘を乱打し続けている。 なかで西村幸祐というジャーナリストの寄稿文を取り上げている。 『酔夢ing Voise 西村幸祐』の本人。 作為的に嘘を延々と真実と偽り、垂れ流し続けていては社会全般まともになるはずがない。 その例示が下記にある。 『鳥取木鶏クラブ』徳永圀典氏より。 「漫画・嫌韓流」―メディアの嘘に気づきはじめた日本人―漫画・嫌韓流を読んで、今更と思う想像以上に韓国人の実態が分かってきた。本にあるように、「知れば知るほど、韓国が嫌いになる」一読をお勧めする、中々よく出来たもので確かな事実である。本の中に、西村幸祐というジャーナリストの寄稿文(反日マスコミと韓国)があり、とても正確に纏めてあり、又日本の現状認識が極めて実態に即して啓発的であり、断りもなく、ここにご紹介して、一人でも多くの方に真実を知って貰いたい。平成17年8月1日 1日 反日マスコミと韓国 西村幸祐氏 ニュースを普段からチェックしている人でも、韓国の反日騒動は「竹島問題」が口火を切ったと思うかもしれない。それも、島根県が竹島の日を制定したことで、韓国の反日感情に火をつけたと認識したはずだ。そして、教科書問題が追い討ちをかけ、韓国の反日に火を注いだと解釈し日本側の対応に不満を持つ人も少なからずいるかもしれない。 2日 ところが、事実は全く違う。なぜ、日本人が事実を認識できず、実際に起こっていることと全然違う誤った情報に囲まれてしまうのだろうか。? 実は、こんな単純な問題から、日韓関係の抱える問題点が見えてくる。 3日 昨年、12月に内閣府が10月に実施した世論調査の結果が発表された。外国との関係に関する世論調査で、各メディアが大きく報道したのは、韓国に対する日本人の親近感が史上最高のものになつたという報道だった。 4日 2004年から続いている、いわゆる韓流ブームを裏付ける世論調査として各メディアが大きく報道した。ただこの報道自体が捏造と言っても間違いないものだった。 5日 確かに、「韓国に親しみを感じる」者が過去最高の56.7%とは言え、前年調査から僅か1.7%しか上っていない。「冬ソナ」がブームと言われ、あれだけ「韓流ブーム」をメディアが演出しても、僅か1.7%しか上昇しなかつたのだ。 6日 逆に、「前回の調査結果と比較して見ると、日韓関係を「良好だと思う」とする者の割合が低下し「良好だと思わない」(31.5%→34.9%)とする者の割合が上昇している。」(内閣府調査結果)という事実を全く無視した虚偽報道だつたのだ。http://www8.cao.go.jp/survey/h16/h16-gaikou/2-1.html 7日 その証拠に、NHK―BSが6月19日に放送した「BSディベート」という番組で、放送に先立ちネットで募集したアンケートでは、韓国に「親しみを感じますか」と言う設問に93%の人が「ノー」と答えている。それが現実であるのに、なぜメディアは嘘を言い続けるのだろうか? 8日 私達は、不幸なことに、まず既存メディアの報道を疑うということから出発しなければならない。それが基本になる。既存メディアでも、特に注意しなければならないのが、朝日・日経、毎日、NHKである。特に、朝日、毎日は反日メディアと言ってもいい。日本のためになる情報を伝えず、韓国、北朝鮮、中国の立場に立った報道が多いのが現状である。 9日 NHKも中立を装いながら、北朝鮮の拉致事件は別にしても、巧妙に韓国、中国に有利になる報道をしている。虚偽報道や情報操作が行われるのは、単純に考えれば「虚偽報道」によつて利益を得る人間、組織、或いは国があるからだ。それにしても内閣府の調査をあれほどまで捻じ曲げて報道した事実を知った人は、恐怖を感じるのではないだろうか。 10日 危険水域を越えた韓国ナショナリズム実は、日韓関係の悪化は2002年W杯の共同開催から始まっていたのだ。それも、メディアの一般的な論調とは違うものだが、私は確信を持っている。 11日 日韓W杯の共同開催の成功と韓国が審判買収疑惑などがあるものの、4位という成績を収めたことで、韓国のナショナリズムが危険水位まで高まったことがその背景にある。 12日 竹島問題が表面化したのも2002年W杯終了後の8月で、韓国で竹島を国立公園に制定しようという動きがあり、切手の発行も予定された。ところが、この時点で日本の既成メディアは報道管制を布いたように一切この報道をしなかつた。 13日 盧武鉉が大統領選挙に勝った2002年12月から一層その傾向が強くなり、韓国で信じられないような法案が次々と成立していく状況も殆ど報じられない現状がある。 14日 2003年から韓国で話題になっていた、親日糾弾法と言える「反民族行為真相究明法」が可決したのは2004年12月29日だった。当初は「親日行為真相究明法」という法案名であったが、さすがに対日感情を考慮して「親日けという言葉が消えたのだが、内容的には実質的な変化はない。簡単に言えば、朝鮮半島の日本統治時代に、日本に協力した(親日的行為を行った)朝鮮人を裁くという法律だ。 15日 ある時代に生きた人々を現代の基準で裁こうという事後法という概念は、およそ近代法からかけ離れたもので、世界の物笑いになる法律だ。 16日 さらにおかしいあのは、(恐怖なのは)たとえこの法案が正しいものだとしても、日本統治時代に日本に協力した朝鮮人は、ほとんどが朝鮮の指導層的な人々であり、朝鮮のエリートたちであることだ。 17日 それも当然で、当時、日本在住の朝鮮人には選挙権も被選挙権も与えられていたのだから、朝鮮半島でも良き日本人であろうとする朝鮮人が多かったのは当たり前の話なのである。韓国独立後の国家建設で中枢を担った人達を罪に問おうというのだから、理解に苦しむ。 18日 今年になって、さらに「親日反民族行為者・財産還収特別法案」が韓国国会に提出され、親日派と断罪された人物の子孫が財産を没収されるような事態になつている。 19日 だが、善悪を別にすれば、韓国が「反民族行為真相究明法」という奇法を成立させたことは意味のあることだ、というのも、現在の韓国の危険な民族主義が既に限界点を超えていることを明らかにしてくれるし、韓国のナショナル・アイデンティティが「反日」にしか立脚していない脆弱なものだということが分かったからだ。 20日 しかもその危険な民族主義こそ、北朝鮮の従来の主張に寄り添うように醸成されてきたという点に注意しなければならない。今年になっさて韓国は1965年に締結された日韓条約の条文や成立過程を情報公開したのだが、その後の韓国人の反応は驚くべきもので、特に親北朝鮮の左翼民族主義政党や、親北メディアがこぞつて日韓条約を破棄しようと言い出している。これは韓国のアイデンティティを歴史的に否定する北朝鮮の主張と同じものなのだ。 21日 以上述べた経緯を殆どの日本メディアが報じないのは、韓国の主要メディアが北朝鮮の工作活動の影響下にあるのと同じように、日本の反日メディアの実体が炙り出されるのではないだろうか。? そういう意味で意味のある法案だつた。 22日 教科書問題に固執し、首相の靖国参拝を非難する理屈も同じもので、日本は韓国の歴史認識と同じものを持てと、日本を脅迫しているに過ぎない。特に靖国参拝を巡って、中国も激しいキャンペーンを行い、日本メディア、政治家の内側に侵食しながら、反日日本人=旧思考左翼と連携してキャンペーンを繰り広げている。 23日 神社信仰は勿論、日本独特のもので、日本のオリジナリティとアイデンティティに深く関わるものだ。神道の祭司は天皇であり、それこそ日本文化の根幹と言っていい。そう考えれば、なぜ異なった文化圏から、宗教観を無視した暴力的な反靖国キャンペーンが行われているのかが容易に理解できるはずだ。 24日 つまりそれは、中国を世界の中心とする古代の華夷秩序の冊封体制に日本を従わせようという意思であり、それに微妙に共産主義がブレンドされたものが、日本を現在襲っている教科書問題と靖国問題の本質なのだ。 25日 拙著「反日の構造」で、私は「反日ファシズム」という言葉を定義したが、まさに日本的なものを壊滅させようというファシズムがテロルの形態を取って、日本を襲撃し、その実態を反日メディアが隠蔽しているのだ。そもそも教科書問題の発端は、火の無い所に煙を立てた1982年の朝日新聞の「侵略→進出書き換え誤報」が発端になり「従軍慰安婦強制連行という嘘」も朝日新聞の1993年の捏造報道から韓国が騒ぎ始めたのである。 26日 靖国問題も全く同じであり、戦犯合祀後の1959年以降も首相参拝は普通に行われていて、A級と呼ばれた政府・軍首脳らが合祀された後も、大平首相、鈴木首相、中曽根首相と普通に参拝していたのだ。戦犯は、1952年に日本が講和条約を結び独立した後に、日本社会党の堤議員の提案で全ての罪を赦す法案が国会議員の全会一致で可決された。改正遺族援護法である。この法案の成立には、日本人の4千万人の署名があったという背景も忘れてはなにない。つまり、日本人全員の意思で「戦犯」は解放されたのだ。 27日 しかし、朝日新聞が1985年に中曽根首相公式参拝を問題にして、中国に日本批判の口実を与えたのは、韓国流に言えば「反民族真相究明法」に抵触する犯罪と言っていいだろう。歴史問題で重要なことは、共通の歴史認識を多国間で共有することではない。なぜなら、客観的な歴史認識は存在しないからだ。存在するのは客観的な事実だけであり、歴史研究の結果、正しい歴史的事実の共有は可能だ。それを保障するのは言論・思想の自由であり、北東アジアでは日本だけに赦されたもので、全体主義との闘いでもある。 メディアの嘘に気づき始めた日本人 28日 この三年間で日本人の意識も変わってきた。その背景には二つのものがある。一つは、三年前の北朝鮮の拉致事件の発覚により、それまで拉致問題を隠蔽していたサヨク反日メディアの信頼性が一気に損なわれたからだ。それと同時に、四年前の「新しい歴史教科書」への韓国からの攻撃が、北朝鮮や中国を背景とする思想的な日本侵略であることも、徐々に鋭敏な日本人が気づき始めた。 29日 二つ目は、インターネットの急速な普及により、これまで情報を寡占していた、既成メディアの嘘が暴かれ、朝日や毎日などが反日ファシズムに加担する、中国、韓国、北朝鮮という反日トライアングルの広報機関に過ぎないということも、多くの日本人は知り始めたことである。 30日 反日メディアの情報統制にもかかわらず、インターネットの普及により、欧米やアジア各国のメディアで報道されている韓国や中国のニュースも簡単に読めるようになり、日本人のネット利用者は既成メディアが報じない情報を得られるようになつた。そんな過程が、日本のメディアテラシー発達史の側面であり、いまやインターネットを利用する人とそうでない人とでは、デジタル・ディバイトという名の情報格差、そしてメディアリテラシー能力に於いて格段の差が生れているのだ。 31日 もし、日韓関係の悪化を防ぎたいのなら、今年行われている気狂いじみた、根拠なき日本の歴史教科書への内政干渉に日本政府が抗議し、韓国の歴史教育の欠陥を指摘し、韓国と正面から向き合うことが必要だ。勿論、靖国問題も同じである。朝鮮半島やシナ大陸からの日本侵略への布石に、今こそ日本人には確固たる姿勢を示すべきだ。この二、三年が山場であり、日本の独立と運命がかかっていると言っても過言ではない。 完 なににでも過剰反応し、なにでも火をつけ燃やす、過激な言動は日本人には相容れない心情だろう。それもこれもインターネットの普及によってもたらされた利益だろう。 同時に、情報を読み解く能力が求められることになった。だからこそ加工しない、恣意的ではない、素の情報が重要になるのです。加工された色つきの情報で現在の混乱を招いているのですから良く判る。
2006年01月05日
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・・・空を見上げると厚い雲が空を覆っている。 内憂外患、いろいろ課題を抱えているこの国の行きつく先は何処になるのだろう。獅子身中の虫を飼うために税金を垂れ流し、自身の体は衰弱して行く今の状況を変だと思わないのだろうか、気付かないのだろうか。 尤も気付いても個人で出来ることは限られている。しかし、だからと言って精神の隷属化だけは止めにしたいものだ。 孤軍奮闘・・・・・二階堂コムから・・・以下。http://www.nikaidou.com/index.html謹賀新年、今年もよろしくお願い申し上げます。 海外在住の日本人のほうがよほど愛国心がある 【1/4(水)22:00】 アメリカのシアトルに所用で来ているアンカーマン。本日、シアトルの日本人コミュニティでも一目置かれる人物に接触した。そこで感じたのは、「日本にいる日本人が一番情けない」ということ。例として、中国の毒ガス施設に対する1兆円の援助の話をした。 「小泉は靖国問題においては巧みに国内世論をかわしているが、われらの税金がシナ人のために送り込まれることは間違いがない。サンフランシスコ講和条約ですべて解決済みの問題を蒸し返し、日本が負担しますとわざわざ言う売国奴の外務省やら当時の村山首相やら河野洋平らの売国奴により、日本の血税がシナに流れてしまう」 と話をしたところ、相手は非常に憤慨していた。 「日本人は戦後、朝鮮人と左巻きの巣である日教組の教育によりすっかり骨抜きにされ、ワケのわからない若造が世間を騒がせ、モラルのない大手メディアの人間たちにより正しい情報が伝わらない状態となっている」 などなど、話は尽きなかったが、意外に海外在住の日本人のほうが、日本国内在住の日本人と比べると愛国意識を持っているものである。要するに「よその国にいて商売もしているのであるから、より日本に対する思いが強い」ということらしいが、げに情けなきは日本在住の日本人である事を知らされてしまい恥ずかしさにたえなかった。 実はこの人物、味の盗撮隊で紹介したいシアトルの日本料理店のオーナーでもあるのだが、時間がなくて店のほうにはいけそうもないのが残念だ。今回の米国視察中は、いわゆるアメリカの”まずい飯”を食ってうんざりしていたのだが、オーナーは私に豪勢な日本料理をご馳走してくれた。そこで、やはり日本食はうまいという自らの生理的習性を感じ、改めて日本人であることの再確認が出来た。オーナーには必ず恩返しをしようと思いつつ、今ホテルで更新しているアンカーマンである。【nikaidou.com:米国特派中のアンカーマン】 今ここのサイトが広い情報網で、高い志をもち、深い闇を白日に曝して、歪んだ日本の現状を告発し続けている。少しずつ闇が切り取られてゆく。 昨年もたくさん勉強させていただきましたが、今年もお世話になります。
2006年01月05日
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・・・ちょこっと雲がおおい日だ。 幾ら雲があってもどんな嵐の日でも、雲の上は毎日晴天だ。 ここ数年、公教育問題から端を発して、教科書問題、教育の実態、教員の実像、日教組問題、教科書問題、教科書会社と癒着問題等々、枚挙に暇がないほどの驚くべき実態が報告されている。 公教育現場は優れて隔離、治外法権的立場を維持してきたし、極端に言えば子供を学校に人質状態があるため、余程のことがない限り遠慮し異議を申し立てることは憚られる状況が続いてきた。 情報公開などが進み、公教育、学校などに抱いていた思いは実態とかけ離れた幻想で、信頼に足る状況ではないことが暴かれ続けている。 教育は国のすべての社会基盤・根幹をなす人材を養成する最重要な機関なのだが、どうもシロアリのように食い荒らされていたのだ。ということに気付く端緒となったのが『扶蓉社の歴史教科書問題』だった。 この国の政治体制を認めたくないそんな団体組織(日教組)・個人(教員)的信奉から、また、そんな思想の本家と同調する周辺諸国の介入圧力により、国家百年の大計すら民主主義国家でありながら、闇の中で左翼思想に都合のよい方向へ捻じ曲げ続け、更にこれからも続けようとしたことに対する思想闘争だったのだ。 散々戦後六十年、事実の歪曲・捏造・改竄などやりたい放題で、現在のモラルの低下の一因でもあるほどだが、今もシロアリの如く巣食っている現状は知り始めただけで、改善するのはこれからの国民の関心の維持継続しだいだろう。 一部しか転記しなかったので関心のある方は、下記のアドレスから全文を読まれる事をお勧めします。★★★ 桜 魂 ★★★ nippon7777.exblog.jp◆「正論」新春鼎談 第21回「大賞」受賞(3-1) 平成18年1月4日(水) 産経新聞藤岡信勝氏、石井竜生・井原まなみ夫妻「新しい歴史教科書」・・・もう一つは、日本という国家がどのようにして形成され、発展してきたかという視点です。日本は歴史上二回、国家形成を遂げている。一度目は、古代において中華文明と接触して、これを受け入れつつ、独自の自立的な国家をつくった。聖徳太子の設計に始まる古代国家、律令国家です。 そのことをこの本は天皇号の成立と結びつけて書いています。遣隋使が六〇七年に派遣されますが、このとき小野妹子が「日出づる処の天子書を日没する処の天子にいたす。つつがなきや」という文書を持って行きました。隋の煬帝(ようだい)は激怒した。なぜならば天子という称号が両方に使われていた。これは皇帝の言い換えですから対等です。当時の東アジアの国際秩序では絶対許されないことでした。皇帝を名乗るのは中国の皇帝だけで、周辺は属国だから王を名乗らなければいけないんです。 翌年もう一度、遣隋使を派遣する段階になって、日本の君主の称号をどうするかが問題になった。このときに使ったのが天皇という称号です。これが絶妙なのは、「天皇」の「皇」という字が「皇帝」の「皇」と同じですから、あなたと原則的には対等ですと宣言している(笑い)。だが、全く同じにはしないということで、少し相手の顔を立てている。これが天皇という称号を歴史上使用した最初の例です。 こういう史実を知らないと、日本という国にはなぜ皇室があるのか、天皇がいらっしゃるのか、その意味が分かりません。天皇号こそは日本の東アジアにおける国家的独立宣言でした。 しかも、つなぎとしての女性天皇はいましたが、血統としては一貫して男系の天皇でつながってきました。それが天皇家の子孫以外の豪族が天皇家の血筋を乗っ取ることをブロックしました。だから百二十五代続いてきた。それが日本の伝統であり、小泉首相が簡単に皇室典範を変えるなどということは、許されないと思っています。・・・何故、日本という国家が現存するのか。・・・日本に『天皇』が生まれた意味とレーゾン・デートルの意味合い。 古くて新しい問題だが、『天皇』、皇室、伝統、公教育・教員・教科書などの問題は根底に思想問題が横たわっている。相容れない思想の違いが浮彫りにならなければ枝葉末節な議論を繰返しても解決には遠いが、歴史問題も南京大虐殺問題も従軍慰安婦問題も、戦後保障問題も周辺諸国の左翼思想に被れ、取込まれた者達の集まりが画策し、それに乗じた政治家達が加担してきたことだと、喝破され、また炙り出されてきた。 この『歴史教科書問題』と『皇室典範改正』は、そんな勢力の最後の砦のようで、なんとしても素晴らしい日本という国家を解体しに掛かっているようだ・・・・・・・。 ・・・しかし、逆説の国、パラドックスの国、日本なのです。
2006年01月04日
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・・・P-1からの続きです。画像をクリックすると拡大します 過去に他の太陽系で作って、宇宙空間を飛行してきたんじゃ。そしてこの太陽系まではるばるやってきたんじゃ。そして人間養殖場である地球の回りにその旗艦の月を周回させているという寸法よ。そこから地球を観測して、養殖場の人間が順調に繁殖しているか見ているわけよ。おまえたちの中でも天体に興味のあるやつは、「月の裏側が表側に比べてふくらんでいる」こと。「隕石に衝突した跡が異常に多い」のを知っているな。これは宇宙空間を長い間飛行しているときに隕石にぶつかった跡さ。つまり月の裏を前面にして飛んできたということよ。土星の衛星の一つです。画像をクリックすると拡大します 上の土星の衛星の一つの画像を見て見ろ。片側だけに隕石に衝突した跡があるだろう。これは宇宙を飛行中に隕石をはね飛ばした時についた跡だぞ!月とまったく同じだぞ。片側だけにあばたがあるんだ。この画像では陰になって少しわかりにくいがあばたのある側が少しふくらんでいるんだ。なんで裏がふくらんでいるかといえば、隕石にぶつかることを予想して厚くしてあっただけの話しさ。どんな球形宇宙船でも、半面はふくらませてあるのさ。ふくらませてあるほうが宇宙で飛行するときには前面になるのよ。つまり隕石と衝突しても隕石をはじき飛ばすためさ。はじきとばす時には内部でも多少音が聞こえる場合もあるぞ。そうゆう隕石はよほど大きいやつだな。おれたちはなるべく大きいやつにぶつかりたいんだ。ぶつかると隕石は粉々になるんだが、中にいる俺たちは結構快感を感じるんだ。フットボールの選手同士のぶつかり合いを考えてみろ。こちらは若の花級の大きさなんだ。相手は赤ちゃん以下の大きさなんだ。その上、こちらは壁の厚さが200キロもあるんだ。どんな隕石だってぶつかればはね飛ばすことができるぞ。ぶつかるとき俺たちが快感を感じるのを理解できたか?月が宇宙戦艦であることが少しは理解できたか?何、まだわからん?じゃこれはどうじゃ。月が大きさの割には極端に軽いのは知っているか?月も地球と同じ材料からできている地球型惑星だとしたらおかしいだろう。太陽系の惑星の回りを回っている衛星は、ほとんどがみんな月みたいに大きさの割にはめちゃくちゃ軽いんだぞ。ウソだとおもったら惑星関係のホームページで調べてみろ。資料がいっぱい載せてあるぞ。どれもこれも俺様たちが作った中空の衛星だからあたりまえだろう。その他にもあるぞ。月の重心は、中心に無いのは天文ファンなら知っているな。だが、これはおかしいだろう。もし内部が溶けているのなら中心になければならんぞ。土星と木星のことも考えてみろ。なぜ、土星と木星には、同じような寸法の衛星がたくさんあるんだ。木星には39個、土星には30個が回っているぞ。前にも言ったように、土星と木星がわれわれの宇宙船製造工場になっているからよ。それがわかれば、なぜ、金星・地球・火星には、衛星が少ないのかの理由もわかるな。水星・金星は0個、火星は2個だ。これらは製造工場ではないからよ。まだまだ太陽系の惑星、衛星に関しては不思議なことがいっぱいあるはずだぞ。特に月に関しては不思議なことだらけだろう。だがあんまり詮索(せんさく)せんでいいぞ。お前たちはこわくて調査(ちょうさ)のため月には宇宙飛行士を送りこめんじゃろう。NASAは30年間も宇宙飛行士を送り込んでこないぞ。30年間だぞ。10年、月に行かないだけでも「変だな」と思うのがふつうだぞ。たとえて言えば、月は地球から見てながいあいだ好きで好きでたまらなかった「かわいこちゃん」みたいなものだ。その「かわいこちゃん」に会いに33年前にはるばるでかけて行ったわけよ。そして6回デートしたのさ。そして「かわいこちゃん」からおみやげに「月の石」をもらっただろう。ふつうならその後毎年会いに行きたくなるだろう。どんなにしんぼうづよい者でも、すくなくとも3年に1度は会いにいくぞ。だが30年間一度も行かないとしたら、相手に "ふられた"からだとわかるだろう。そうさ、相手に「きらい」って言われたんだ。「きらいだから、もう会いに来ないで」って言われたんだ。でもNASAはふられたことをだまっているのさ。ロシアなんかはじめからふられると思いこんでいるのかもな。おまえたち人間どもは、なんで地球が月にふられたか考えないんだ!なんでNASAに「30年間も会いに行かないのはおかしいぞ」って言わないんだ。ああ、そうか。おまえたちは自分の仕事やテレビを見るのにいそがしくてそんな時間がないか!そうだ、おまえたちがよけいなことを考えないようにと、おまえたちの時間をうばっておいたな。こりゃ、おれさまの作戦勝(が)ちだな。ウアハハハ、ハハハ!・・・それぞれ、ご判断を・・・。
2006年01月04日
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・・・大人の童話・寓話、どうでしたでしょうか? また、前回についでの寓話の掲載です。画像は映らずですが。・おまえたち月が宇宙戦艦であることをどうして証明するのか、と聞いておるな。それは、そのうち教えてやろう。望遠鏡で月を見ても生命活動があるようには思えんじゃろう。冷たい死の星のような印象を受けるだろう。だがそれはみんな人工物を月全体の色に統一して目立たぬようにしてあるからじゃ。だから生命活動があるなんて思えんのは無理もないさ。だが赤外線で月を撮ったらどうなると思う?一度それを見てみるか?画像をクリックすると拡大します びっくりしたろう。熱を放射していることがわかったか!?俺たちがこっそり活動しているからエネルギーを放出しているというわけさ。だが月の赤外線写真があるなんて誰にも言うな!おまえが俺様とそうとう長くつきあってきたから特別に教えてやった情報だぞ。決して他言するな!その他に月はいつも表を向けておるが不思議におもわんか。何で裏を見せないかとな。ちょっとこれを説明してやろう。地球には潮汐作用があるのは知っているな。月の引力によって潮が満ちたり引いたりするな。海水面が高くなったり低くなったりするんだ。これは月の引力によるものだな。地球も月の引力を受けるが、逆に月も地球の引力を受けているんだ。このことはわかるな。そうすると月は地球の引力によって伸びるところと縮む部分ができることもわかるか?今は月は回転していないから、地球の引力によってその伸びたり、縮んだりはしないぞ。つまりひずんだ部分は、伸びたところは伸びたまま、縮んだところは縮んだままだな。つまり変化しないんだ。だがもし月が回転していたら、地球の引力のおかげで月のひずみの部分は回転によって変わってくるだろう。つまり月の各部分が「伸びたり縮んだりする」わけだ。月の外壁は厚い特殊チタンでできているぞ。だから、そんな伸びたり縮んだりする力を受けても、びくともしないぞ。だがな、俺様たちは不死であるから、月も何億年~何十億年とその伸びたり縮んだりを繰り返すことになるわけだ。そうすると何億回、何十億回も伸び縮みを繰り返すことになるのだ。するとどんなに頑丈なものでも金属疲労が起こるのは避けられんだろう。金属疲労が起こればどうなるかわかるな。古いものを放棄して新しいものを作らねばならなくなるというわけよ。金属疲労を起こさせない唯一の方法は、「月の決まった面が地球の方に向いていればいいんだ」だから月は表ばかりを見せているというわけよ。人間どもは月が表ばかり見せている理由をいろいろ考えているぞ。だがほんとうの理由は俺様たちが制御しているだけの話さ。「月を地球の周回速度と同じ周期で自転させて、表面しか地球にむかないようにしている」だけの話しさ。そうすれば「月に対して地球からの汐力作用は働かなくなる」ぞ。太陽系には月と同じように惑星から見て表しか見せない衛星がいっぱいあるぞ。それもみんな同じ理由で惑星の周回速度と同じ周期で自転させているだけの話しさ。話は変わるが、俺様たちは死なないと言っているな。だが、月には俺様のように霊になっている超科学をもったスーパー宇宙人と、その俺様に操られている肉体を持った大分レベルの低い人間と二通り住んでいるんだ。レベルが低いといっても、この宇宙では肉体を持っている生物の中では最高レベルだぞ。だから、地球に住んでいるおまえたちとは比べものにならんぞ。地球の人間どもはたった80年の命しかないぞ。そこで不死の連中とは比べようがないぞ。だから自分たちよりどれぐらい進化しているかなんて考えるだけ無駄だぞ。80年の寿命といえば0年に近い有限だな。不死となると無限じゃろう。これでは比較のしようがないことはわかってくれるな。だが不死の連中も肉体を持っている以上事故による不慮の死の可能性があるんじゃ。これが重大問題なんじゃ。例えば、爆発によって肉体が修復不能にることもあるぞ。隕石などで肉体が破壊されてしまう場合もたまにはあるんじゃ。そんなことはめったになくとも、長い長い間には偶然そうゆう事故に遭う確率もあるんじゃ。そうなったら死ぬのは人間と同じじゃぞ。それを避けるにはどうするかだな。危険な作業はアンドロイドなどを使ってやらせるんじゃ。もう一つは、安全な住処(すみか)を製作することなんじゃ。だが、不死であれば、何千万年以上という長い時間生きているだろう。その間には、もし地表で生活したら隕石の衝突などで事故に遭う確率が100%になってしまうことは理解できるか?そこで隕石対策がいるわけだ。つまり隕石が衝突しても壊れない鉄鋼双璧を持つ宇宙船を造らねばならぬのよ。その中で生活すれば隕石に対しては安全なことは理解できるか?これでやっと文字通り不死であることができるな。もちろん、俺様のように肉体を持たない霊となり不死になれば、隕石などは関係ないぞ。だが、俺様があやつって強制的に言うことをきかせている、部下たちは、肉体を持っているぞ。肉体があるかぎり死から解放されたわけではないのはわかるな。つまり、肉体を持っていれば不死といっても霊となった不死の者に比べて一段と劣るわけよ。そこで、分厚い特殊合金の鉄鋼双璧をもった宇宙船をつくるわけなんじゃ。壁の厚さは最低50Km程度は必要になるじゃろう。だいたい200Km程度あればほとんどの隕石に対して安全になるぞ。隕石がぶつかれば少しはうるさいが、安全であることには変わりはないぞ。そこで50-200Km程度の鉄鋼双璧の宇宙船をつくることになるんじゃ。そういえば、戦艦「大和」の砲塔の鉄鋼双璧が30cmあったのを知っている人間どももいるだろう。「大和」は、あいての戦艦からの砲弾が当たっても破壊されないようになっていたんじゃ。だから浮沈戦艦などと呼ばれていたのよ。もっとも空からの攻撃でやられたが・・・ただ、こんなに分厚い鉄鋼双璧を持った宇宙船となると、本体の直径が1000Km程度以上は必要だぞ。建設の歳月も数億年もかかるんじゃ。建設期間の数億年は、肉体が不死であれば軽くクリアできるが、問題があるんじゃ。一隻を作るのに使う鋼鉄の量を考えてみろ。膨大な量がいるぞ。そうなると材料の鋼鉄の調達が難しくなるんじゃ。例えば、月型の宇宙船を作るには、地球の鉄を全て使っても不足するぞ。地球の中心には高温の個体鉄と溶融鉄があるんじゃ。だが、これを全て使っても不足するぞ。つまりな、地球程度の小型惑星から材料を調達する場合、材料不足で宇宙船は作れないということなんじゃ。そうなると、もっと大きな惑星に目をつけるわけよ。太陽系では・・・と検討すると「木星、土星、天王星」などの大型惑星が候補にあがるな。これぐらい大きい惑星だと、数隻は作れるぞ。だから新しい宇宙船の製作は、木星や土星の周囲でやるということになるな。木星や土星を破壊して内部の鉄を取り出すことは難しいぞ。だが、これらの惑星に穴を開け直接に内部の鉄を吸い上げるんじゃ。吸い上げた鉄は、途中の空間で合金の材料を混合して、作っている岩でできた球体に塗布すればいいんじゃ。この様にすれば、溶けた鉄をそのまま使えるじゃろう。もっとも、地球みたいに表面温度が低く固まっている星より、表面が固まっていない木星などの方が作業がしやすいこともあるぞ----。地球では、船を製作するときには、冷やして鉄板にしてから溶接するぞ。だが、宇宙では、そんなまだるっこいことはしないぞ。木星の溶けた鉄を直接取り出すんだ。そして宇宙空間で合金にするぞ。それを、型に塗布して一気に製作するんだ。この作業をしているところが、ハップル望遠鏡により観測されたことがあるじゃろう。テレビでも放映されたぞ。木星の側の空間に超巨大な筒状の大・中・小の物体が3つ写っていたな。だが、NASAも、それがわれわれが宇宙船を作っている現場だとは、分からなかったようだな。NASAの連中では理解するのは無理だろう。土星の輪はなんだか知っているか?あの輪は、宇宙船の型を作る材料の倉庫にしてあるんじゃ。土星の周囲に一定間隔で材料を並べてあるんだ。それが地球から見て輪のように見えるだけさ。材料と材料の間を一定間隔にしてあるぞ。だから材料同士がぶつからないんだ。地球の探査衛星もその輪を通り抜けることができたじゃろう。ところがこの輪が今年半分消えた、というニュースを聞いた者もいるようだな。実は、お人好し宇宙人たちが、半分破壊してしまったのだ。まあ戦争だから相手の軍需工場を潰すのは常套手段だから仕方ないさ。でもまだ半分は残っているぞ。木星は、宇宙船を作る材料を入手するための星だぞ。木星の中心にあるどろどろに溶けた鉄が材料になるんじゃ。その鉄を使って木星の衛星軌道が工場になっているんだ。おおそうそう、月のような超巨大な中空の球体を作る方法だ。お前たちはそれが知りたいのだろう。簡単じゃぞ。普通の人間は直径1000キロで壁の厚さが100キロもある宇宙船を作るなんて不可能だと思うのは無理ないぞ。そりゃ、地球上のように重力のあるところではとても無理だ。だが、宇宙空間の無重力の所ではそんなに難しくはないぞ。まず材料となる小さい岩をたくさん土星なんかの周回軌道にもってくるんだ。次にそれらの小さい岩を使って球体を作るんだ。小さい岩といってもほんの少し引力があるぞ。無重力空間だから、そのほんの小さい引力で互いの岩同士が簡単にくっつくぞ。これなら子供でも岩と岩を集めて球体を作れるだろう。球体ができたら、その外側を溶かして溶接してしまうんだ。これも簡単だな。次に球体の壁の一部にまっすぐな穴を中心にむかって一つあけるんだ。その穴から球体の真ん中部分の小さい岩を球体の外に運び出すんだ。これも無重力状態の作業だから簡単だぞ。そうすると中空の球体ができたことになるな。つぎに溶接した球体の外側にさらに岩をくっつけて壁を厚くするんだ。壁が厚くなったら外側をまた溶接してしまうんだ。 次に、また球体の内側の岩をはずして、さっき作っておいた穴から外に運び出すんだ。そうすると内側の空間はさっきより大きくなっただろう。つまり一回り大きな中空の球体ができたということよ。この作業を何千回、何万回と繰り返すんだ。すると球体はどんどんでかくなるだろう。もうこれいじょう大きくなくてよくなったら、外壁と内壁を完全に溶接してしまうのよ。この溶接には特殊鉄がめちゃくちゃ大量にいるぞ。だから木星みたいなでっかい惑星から材料を調達せねばならんのだ。そうゆうわけで宇宙空間では月のようにでかい宇宙船が簡単に作れるんだ。聞いてみたらお前たち人間にだって作れそうだろう。だが時間だけはめちゃくちゃかかるぞ。俺様たちのように不死の者でなくては月のようにでかい宇宙船は無理だぞ。月の大きさなんてかわいいもんだぞ。お人好し宇宙人の旗艦は地球の10倍以上もあるんだからな。もっとも俺様たちにとってもあんな超巨大なものをどうやって作ったか謎だがな。こんな小さな月でも、我が軍の旗艦(きかん)なんじゃぞ。・・・P=2に続く。
2006年01月04日
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・・・酔夜、酔昼、酔朝、酔日の連続でお疲れの正月をおくっているこちら同様の方々も居ることでしょう。大きなお世話かもしれないが、慣れない暇を持余しているそんな退屈な御仁も愉しめる、大人の童話を御紹介したいと思います。 お酒でもチビリチビリとやりながら暇つぶしに一読を。 (・・・エッチものではないョ。結構マジメな童話?) ・・・真相は不明、各々ご判断を願います・・・。NO17へっへっへ。今の人間は知らないぞ。おれたちは今の人間の前にも人間を作って遊んでいたのさ。ムー文明とかイカルス文明とかアトランティス文明などと今の人間は言っているぞ。あれはおれたちが以前にペットとして人間を育てた時の文明のことさ。今と同じようにこっそりそれらの人間の中に入って遊んでいたのさ。 それらの文明の人間も適当なところで皆殺しにしたのさ。彼らも相当文明が進んで月にやってくるようになったのさ。おれたちの秘密を知りそうになったから「こりゃヤバイ」と皆殺しにしたのさ。やつらは今の人間と同じようにクローンなんかの研究もはじめていたぞ。こうゆう時がその文明全体を消し去る潮時なのさ。あの時に作っておいた皆殺し装置が役立つぞ。へっへっへ!又「ノアの大洪水」のお出ましだ。「ノアの大洪水」の秘密だけは人間に極秘にしておいたぞ。だから誰も知らないぞ。キリスト教では「ノアの大洪水」の伝説があるな。あれは本当の「ノアの大洪水」を神様を敬うための寓話としてすり替えたのさ。だからまさか本当に「ノアの大洪水」が人工的に起こせるなんて人間は誰一人知らないぞ。地球には表面の下に3層のマントル層があるのはおれたちには常識だぞ。だがやつら人間には秘密にしてあるから知らないぞ。人間にはマントル層は600キロの厚さのものが1層あるだけだと信じさせてあるのさ。マントル層は実は3層に分かれているんだ。そして各層が200キロづつの厚さがあるんだ。そして上から数えて2層目と3層目との境界層が滑りやすいんだ。つまり潤滑油が入っているようなものだ。少しは静止摩擦があるから普通ではこの1層と2層は3層に対してすべり回転はしないぞ。だが、月から巨大なパワーを送れば回転するぞ。この地表から見て上の1、2層が下の3層上をつるりっと回転してしまうんだ。これは超極秘だぞ。今まで人間でこれに気づいた人間はいなかったぞ。また気づいたやつは皆殺しにしておいたから、どこにもこのマントル層に関する資料は無いはずだ。たとえて言えばぶどうの皮が実の部分の周りをツルリっと回転してしまうようなものさ。これでポールチェンジが起こるのさ。ポールチェンジが過去に何度も起こっているという証拠はいっぱいあるだろう。だが問題はここだ。ポールチェンジが起こると地球の大地が北極は南極に向けて、南極は北極に向けて移動するぞ。だが別に大地が移動しようと太陽が逆から昇るのが見えるぐらいでなんてことはないのさ。天体が異常に速く動くが、楽しい観光旅行と思えばいいのさ。だがここで「おれたち宇宙人が過去に火星や金星にあった水をそっくり地球に運んでおいた」のが役立つのさ。地球は水が表面の2/3もあるのは知っているな。人間は豊かな地球などと喜んでいるぞ。だがとんでもない危険があるのを知らないからこんなノーテンキなんだ。これから恐ろしいことを教えてやるからな。大地が動いてみろ、このとき海の水は慣性の法則ですぐには移動しないだろう。同じところにじっとしているな。ところが下の地面は高速で移動を開始するのだ。そうなるとじっとしている水は大地の移動する反対方向の地上に乗り上げてくるというわけさ。太平洋の水は深さ6000mもあるところがあるのは知っているな?これがそっくり陸地に乗り上げたらどうなるかわかるな!高さ6000の大津波というわけさ。6000mの津波に襲われたらいかなる地上の建物もその圧力で木っ端みじんになるぞ。水の圧力だけで6000トンだからな。これに水の移動のエネルギーが加わるのだ。人間がどこに隠れていてもいちころさ。これでわかったろう。皆殺しマシーンが組み込まれた死の惑星が地球だというわけさ。おれたちはこうやってムー文明もイカルス文明もアトランティス文明も木っ端みじんに破壊したのさ。まえたち人間はそれらの遺跡を必死に探しているな。だが、遺跡がほとんど残っていないのさ。うっしっし。この方法を完成させておいてよかった。これを又使おう。NO18 そう言えば低地の遺跡はほとんど残っていないな。だが高地には結構遺跡が残っているな。たとえばインカ帝国とかな。今の人間は言っているぞ。「3000mもあるようなこんな高いところでどうして人が住んでいたんだ」「作物も採れないし、動物はいないし寒いし」「馬鹿じゃないの」「なんで海の側の低地に住まなかったんだ?」「低地なら貝や海草、魚、野菜、動物と食料は豊富だし第一暖かい」「こんな高地に住んでいたやつの気持ちがわからん」などと言っているが、とんでもない間違いだ。もし3000mの津波が襲ってきてみろ!偶然それより高いところにいた人間は運良く命拾いをするわけだ。だが、その時見た光景は絶対忘れないぞ。遠くの山々の頂があっというまに島になってしまうんだ。そして足下には轟音をたてて水が押し寄せてくるんだ。水が引いた後だって二度と低地に降りる気持ちは起こらないだろう。そうなんだ。それを経験した人間は、みんなで相談して高地に都を作ることにしたんだ。まあこれは極秘情報にしておいたぞ。だからこんな話を今したって人間は誰も信じはしまい。おれたちの情報管理は完璧だったんだ。もうどうせ殺してしまう人間だ。あの世への土産話にこれは特に漏らしてやる情報だぞ。誰にもしゃべるな!もっともしゃべても「おまえは変人だ」と言われるだけだがな。まあ人間対策はこれで完璧だ。問題は襲ってくる宇宙連合だ。これを何とかしなくては!! どうしてあんな強力な宇宙艦隊を作れたかの秘密を知らなければ問題は解決しないぞ。それにあと何回総攻撃を仕掛けてくるんだ。 ・・・記述内容はおふざけのように思えますが、そうとばかりは言えないような真実も多分に含まれているようですが、見る側の問題だろうが・・・。 今回、17,18回分を掲載しましたが、当然、NO 1~60数回分まで在るようです。 ・・・大人の童話と思い暇つぶしにはいいだろうかネ。
2006年01月03日
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・・・おだやかな明るい陽がふりそそいでいる。風は冷たい。 地球も広いようで、日本列島が厳寒の地になっているさなか別の場所では海水浴としゃれ込んでいる所もある。陰陽、白黒、左右、上下、肯定、否定と、地球と同じように人間の意識と行動は真逆の言動を繰り返しつつ生きている。 そのときには真剣に考え真摯な態度で接し信頼を裏切らないように必死で持てる力を発揮しようと苦しくても己を鼓舞しつつ何事かに取り組む。が、残念ながらそれがその通りになるとは限らないことのほうが多い。 パラドックスの塊といえる矛盾人間は、でも、それでよいのだろう。 近代文明を手に入れた人類は、はたして何を得て何を失ったのだろうか? 我々は日々たくさんのものを手に入れ嬉々としているが、一方、砂が掴んだ指のあいだから滑り落ちてゆくように、知らず知らずにたくさんの大切なものを失っている現実を忘れまじ。 何かを得れば、何かを失う、という鉄則があるけれど、イッタイ文明人の失ったものは何だろうか、この先行きはどうなるのだろうか、などと想い描いていたらば、やはり、考えている人はいるもので『パパラギ』の中でマーク・トウェインは言っていた。 知ることによって『初発の感動』を失っている。 と言っている。要約すると。『我々は虹を見ても、未開人が抱くような敬虔な気持ちを持つことがない。というのも、虹がどうしてできるか、知っているからだ。われわれは、そうしたものを詮索することによって、獲得したのと同じだけのものを失っている』と、マーク・トウェインは喝破しているのです。 それと同時にあらゆるものが自動化され機械化された現代文明の中で、手が何のためにあるのかさえ知らない、忘れてしまったかのようだ。この文明の行き先はいったいどこなのだろうか。数千年前に孔子さんは既に警告を発している。 『バクチでもいいから、手を使え』と。 『貴腐』という単語がある。「プーリチュール・ノーブル」というフランス語では、白ブドウ酒に起こる現象のことだ。起こる年もあれば、起こらない年もある。特殊なブドウ菌がついていつもの年のブドウよりも手の込んだ味を創り出してくれるそうで『貴い腐敗』とも呼ばれている。 貴腐の段階を通過したぶどう酒は、底の入った一段階も二段階も上等の含みの深い味になる。 また、ブドウ酒以外でも『腐敗』の段階を通過したものは同じように底深い味を醸しだす。たとえば酒、チーズ、くさや、塩辛、うるか、などはもっぱら大人が酒の肴にするが、これらはすべて腐敗の段階を通過している。 醤油も味噌もピータンもそうだ。が、腐敗といってもそれは発酵なのであって、本当に腐っているわけじゃない。が、この段階を通過したものは含み深い味を獲得するのです。 食べものでさえ味を飛躍させ得る『貴腐』『発酵』という段階を通過し他力本願ながらも変身できる。人間も、この段階を通過したほうがいいが、それが何によってもたらされるのかは、人によって様々だろう。 同じ経験をしても、貴腐をできる人とできない人がある。やってみなければわからないことだ。だから何によってスイッチが入るかどうか、なるべく沢山の人や、イロイロな事物にぶつかって体験を積むしかないのだろう。 そのときに一番必要なことと言えば、めんどうなこと、いやなこと、うっとうしいことを避けて通らないことだろう。むしろこれを歓迎することだ。 文明人の失ったものを、もう一度取り戻すには手を使うしかないのだろうが、人類はあえて無意識に遠回りしていることも有得る。すべてを経験するために。 永井荷風がなにかの中で『一度くずれると、二度とよくなることはないですからね・・・』と記している。が、気迫と気力、ウェルカム・トラブルの心を忘れ去った人の負け犬根性を痛罵しているもので、気力が萎えてない人には関係ないはずだ。 人は知りすぎると交換に初発の感動を失うことになる。日々感動を味わいたければあまり知りすぎないほうが幸せなのかもしれない。けれど現代はそれを許さず、あらゆる事をマシーンのように知っている事を競い合う社会を創った人類は逆襲に遇っているように無感動という人間を量産している。 近代文明を手に入れたわれわれは、対価として人間本来失ってはならない『感動』という大切なものを希釈にさせてしまった。 『虹』を見たときの子供のときの感動を蘇えらせる策はないのだろうか。 『感動蘇生』の術かまたは機器を発明して施してもらいたいものだネ。 欲望と喪失、パラドックスの罠をいつ抜け出す事が出来るのだろうか?
2006年01月03日
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・・・お正月だから公開しますが、12/8に私書箱へのメッセージとして届いた一文です。以前から津留晃一氏の文章は好きで読んでいたのですが、あまりに良いものなので、僭越ながらうさぎ仙人の日記にも取り上げさせていただきました。 そんなときに届いた一文ですが、これもまた身に滲みる一文です。 津留晃一氏は既に永眠されておられるので、生前からの親しい方か、本人を理解されている方だと思いますが・・・もしも、ありえないが津留晃一氏本人からならこれも嬉しいものです。 人は己の経験則と知識に囚われ、周囲を見渡す時、既に自分なりの色眼鏡で見てしまうが、これは致し方ないものだと思う。 中庸、ニュートラルな心模様で、偏らない、捉われない、そこまで行きつく為の一里塚のようなものだろうと、終局はそこであっても現在はココなのだ、と、しか言えないものだろう。 届いた素晴らしい一文です、以下。 2005年12月08日13時39分 From: 津留晃一さん 正しさや正義という道徳観念、宗教的信条などの固いねばならないとか、こうあるべきだといった「考え方」という自我の鎧を、自分の力で脱ぎ去らねばならないようです。従って、あれは間違い、これは正しい、という分離思考の人にとっては、いたたまれない世界となるようです。 あなたの心の内なる世界で、善悪とか、正邪といった、もろもろの葛藤が完全に消滅したときに、二極制の葛藤の世界から人々は目覚めます。この時人々は、全体が自分であり、自分は全体の一部であるという、全体と部分の両方の意識感覚を身につけているでしょう。 今、あなたの成すべき、人類への、そして地球への最大の貢献が、覚醒することであると伝えられました。本来の自分に立ち返るということです。自分が誰であったかを取り戻すということです。限定された三次元世界の夢から覚めるということです。覚醒とはあなたの本質(宇宙意識)に立ち返ること、それは今のあなたが自ら作り上げた、あなたの諸々の信念体系からの解脱によってなされます。 すべてを許容する、あらゆるそれを受け入れるときに感じる不安と恐れが消滅したときに、次元の違う世界に到達しているのだろう。 すべての対立から解き放たれたとき、すべてが同列価値に捉えられたときが、悟りとか覚醒という次元・時限に足を踏み入れたときなんだろうネ。 それも素晴らしい心模様だし獲得したいものだが、しかし、悟りきれない低次元の中に埋没していようが、今はまだこのカオスの渦の中で呻吟しつつ生臭く生きてゆきたいものだと思う。 悟りの境地、も捨てがたい。が、今生ので『お酒』『たばこ』『御馳走』『ごちゃごちゃな人間関係』『音楽・映画・絵画』『汚れた居酒屋』etc。 みんなそれぞれ捨てがたいものがある、未練タラタラなのだからそんなに早く極めたくない(けど極めたい?極めれる?)。 もともと知り尽くした世界に安住できずに『神様』も、激変するこの人間の世界を創って経験を愉しむためにやってきたのですから、そんなに早くすべてを達観する必要なんてないモットモット今生を愉しむ事に集中したいものだネ。 そういうことで知り尽くした『神様』がよいのか、はたまたたくさん不足している『人間』のままで呻吟し続けることがいいのか、パラドックス的究極の選択だろうか・・・・・・・結論を得られるだろうか、ネ?。 いやはや、この日記はこんな事を書く予定じゃなかったのですが、方向ずれになっちゃいましたが、『神様』のその後が在ってそれがどうなのかが解らないとどうにもならない、ということだろう・・・。 天上界に飽きて人間界に戻ってくる、忘れていたものを思い出して天上界へ、そしてまた飽きて人間界へ、と、神様もメビウスの輪の上を知らずに歩いているのじゃないのだろうか?神様も人間も何ら変らないね、これって。 こんな事を上梓すると、今年は『バチ』が当るかもね・・・。 でも『神様』、許容心を忘れマジ、悟っているお方なのですからネ・。 お酒をのむと酔うのは何故だろう、先にそれを教えておくれョ・・・。
2006年01月02日
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・・・薄曇りの新年二日目になった。 最近、占いの番組が多い。いつの時代も天災・恐慌・社会不安が募ると占いが流行ることになるし、女性は特に超心理学的存在で普段からそういう状況に遭遇しているので興味と共感を覚えるのだろうか、女性ファンが多い。 女の直感、ウーマンズ・インチュイションという石器時代から今だ解明しようがない強烈な女の武器があって、これにはいつの時代の男達も恐れおののいてきた超心理学的存在、女性なのだが・・・。 占いは、といいつつも時代の転換期には誰も無関心ではいられないことになる。そして霊性についての切り口が科学万能じゃないことが最近解ってきたことで、意識の在り方ひとつであらゆる状況に影響を与えている。 たとえば科学実験での観察物と観察者との関係が密接不可分であることが量子理論では確認されているごとく、我々の見ている物質だけがこの世を構成しているのではなく、実は見えない世界が意識がこの世を創っている、という考えが徐々に広まってきた。 霊媒師?占師?昔なら胡散臭く、在り得ない存在だった霊性を見抜けれる江原氏のような人物がもてはやされ、いまは全国放送のゴールデンタイムを独占している現実は、昔では考えられないだろう。 でも、神はサイコロを振らない、とも言う。もともと人間は神であったが実体験を愉しむために肉体を纏ってこの世を愉しみに来たのだとも言われている。最初からすべて知っている事を忘れて生まれてきたと・・・。 それだけ科学万能信仰に翳りが出てきたことの影響とか、それと共に現在まで胡散臭く嫌われてきた、あの世とか霊性死後の世界などという容のない不明瞭だけれど、身近な先祖を尊崇してきた心理状態が年齢を重ねることによって共有理解が深まることのように、現在何らかの心理変化が起こっているのかもしれない。・・・街に霊性、占いの著書は溢れている。 ツアィスト・ガイスト(時代精神)という、どの時代にも起こりえるその時代ならではの歴史の潮流から発生する、皆が同時代に無意識に共有共通する概念というのが有るが、霊性に目覚めるという現代の流れはその一つかも知れない。 どの時代もスパイラル・アップし続けている人類は、X軸とY軸の交点をゆっくりと回転しながら登り続けている状態で、時代により通過領域の微妙な変化の影響から同時に心理変化を引起しているのだろう。それが時代の歴史の潮流というものだろう。 時代を一遍の額縁の中に収めることは出来ないが、一人一人の心の風景の中にはキッチリと収められている、オリジナリナルな心象風景が残存する。 心のフイルムに焼付けられた心象風景が時間の鑢にかけられて一体何枚残ることになるのだろうか、と、想うともう年末が愉しみだ。 ・・・御興味のある方はこちらへ↓『大紀元』http://www.epochtimes.jp/jp/2006/01/html/d52636.html―外国人が驚く中国の真実―【大紀元日本1月1日】外国の人々が聞けば驚く、中国の真実が次の50項目に纏めて報道された。博訊ネットが伝えた。 1. 国民収入は欧米諸国の国民に比べて数十分の1である一方、不動産価格は欧米諸国より高い。 2. 国民は住宅を保有することができるが、土地は永久に国のものである。中共当局の物権法では、住宅不動産は土地の一部に属すると付け加えられたという。 3. 国内から海外への国際電話の料金は海外から国内へのそれより10倍以上高い。これが民族工業を支持すると謳う「中国電信(移動)会社」の料金体制である。同社は更に毎年1億元ほど賃貸料を国民から徴収しているが、それにもかかわらず売り上げは赤字だという。 4. 中国は、「中華民族の偉大なる復興」、「教育にて国を栄えさせ」「教育が基本」などを唱え続けているが、実質上政府が投入した教育費総額は、アフリカの貧困国家ウガンダと同程度で非常に低い。その結果、国民自らが支払う教育費は世界トップで、非常に高額だ。 5. 官僚は国民の給料平均の3倍以上を受け取っている。 6. 官僚は年金保険の支払いはしないが、受け取る年金は国民の3倍以上である。 7. 部屋を貸し出す際、庶民は毎月、地元の派出所に対して費用を納めなければならない。(暴力団に支払う保護費と類似か?) 8. 海外テレビ番組の観賞は禁じられている。(旧タリバン政権が自国民に対して、テレビ番組観賞を禁止したときよりも少し緩い程度) 9. 国内旅行する際も「ビザ」が必要である。(香港を訪問する場合は通過ビザが、深センを訪問する場合は辺境ビザが必要) 10. 中共政権に反対する者は投獄される。(誰も町で「××党を打倒せよ」と叫ぶ勇気はないだろう) 11. 投資家たちに損失を被らせ、詐欺を行い上場した企業に対して訴えても、国家の裁判所で受理されない。(依拠する法律がないからだという) 12. 所持する住宅や不動産を会社のオフィスとして使用することは禁止。(同禁止条例はすでに上海市で実施された。すなわち、国民が所有する財産を自ら運用することはできない) 13. インターネット・カフェに入る際、身分証明書を提示しなければならない。 14. ポルノ雑誌は非合法的書物とされているが、アダルトグッズを販売する店は至るところにある。 15. バイクのナンバープレートを取得するために支払う金額はバイクの購入価格より数倍高い。 16. 海外で見ることのできるウェブサイトは、国内でも見ることができるとは限らない。(決してあなたのパソコンが故障したわけではない) 17. 携帯電話は多くかければ、支払う金額が高くなるし、使用しなくても料金を支払わなければならない。(中国国内の携帯電話会社は発信者および受信者両方の通信費用をダブル徴収するのだ) 18. 医療事故は、実際病院側が裁決を下している。(裁判所は病院側の上層部門の鑑定報告に従う)医療事故で半身不随になった少女。両親が法的手続きを行ってからすでに7年経つが、いまだに結果が出ていないという。 19. 賭博は非合法であるが、富くじは至るところにあり、それは合法である。 20. 中共政権下の裁判官がもっとも多く発する言葉は、「この件に関連する法律はまだない」である。 21. 中国の軍隊は中国共産党に属し、国家に属さないのだ。 22. 中共政権下の国民は直接選挙する権利がない。 23. 如何なる企業や会社にも、必ず「党支部書記」のポジションがある。(勿論、その者は会社の業務とは何のかかわりもない) 24. 中国では、「離職、退職した幹部」の階層があり、彼らは一般国民より優遇される。 25. この国のトップは、公の場で下手な英語をしゃべりたがる。 26. この国の新聞メディアはある政党の投資によるもので、資金はすべて納税者からの税金である。(新聞は党の代弁であるという名言が残されている) 27. 国民は勝手に引越しできない。(戸籍住所の移動もできない) 28. この国の貨幣は国際社会では流通できない。 29. 各家庭につき1人の子供しか許されない産児制限がある。(しかし、かごに子供を何人も乗せる人をよく見かける) 30. この国の国民はウソをつくことが習慣となっており、真相を知ろうとしない。 31. この国では、100人の政府職員がいれば、100人が汚職する。(賄賂、着服の金額はそれぞれ異なるが) 32. 党内の行政警告処分が刑事処分に取って代わることができる。 33. 国家は国民に対して強制的に兵役や官僚を務めさせる。 34. この国では「失業」のことを、「下崗」(シャァガン)という。(社会主義国では「失業」も「解雇」もあってはいけないので、建前としてこの言葉が使われる) 35. この国の資源は豊富だが、多くは使用不可能である。(多くは汚染されているため) 36. この国では、商業ベースのテレビ局はないが、コマーシャルの数は海外のテレビ局より数倍多い。(見せ掛けだけのコマーシャルが特に多い) 37. 国民にできる限り出来事を知らせないのがこの国の国策だ。 38. この国では30%以上の国民が、殆ど読み書きができない。 39. この国の法律では、「自白した者には寛大に、抵抗した者には厳重に処罰する」という政策がある。(しかし、実際には「権力者には寛大に、貧困者には厳重に」であるようだ) 40. この国で小さな店を開くためには100回の審査が必要とされ、会社を作るためには1000回の審査が必要とされる。(ちょっと誇張したが) 41. この専制国家は、最終的に世界中に共産主義を実現すると豪語する。 42. この国では、1家に1台カラーテレビがある。しかし、それは党の指示を受けるためである。 43. 地元(大都市を指す)の人は地方から来た人達を「よそからの出稼ぎ」と呼んでいる。(まるで地方からの人達が中国人ではないようだ。この現象は特に上海で顕著) 44. 共産党は多くの産業を独占し、自らそれを「民族産業」と称している。(例えば、通信、交通、メディア、エネルギーなど) 45. この国は、過去にアヘンの最大消費国であったが、今では世界最大のタバコ消費国となった。(喫煙人口は3億人以上、総人口との比率は世界トップである) 46. 多くの外資企業は粗悪品をこの国で販売している。なぜなら、この国で製造された品物は海外の粗悪品より粗悪であるからだ。(贋造品や偽物が非常に多い) 47. この国の政府関連部門は数え切れない程多く、それぞれの部門に費用を徴収される。(関連部門数および政府職員数は世界トップである) 48. この国では、「城管」という政府部門があり、都市管理を行っている。主な仕事は、無許可で商売する露天商などの取り締まりだが、権力を笠に着て国民を徹底的にいじめている。(多くの人は彼らを「黄犬」と呼んでいる) 49. この国の交通整理警察官は交通整理のために働くのではなく、罰金徴収のために働く。 50. 党の機関紙を真剣に読む人はいない。なぜなら、信用できる情報は、日付だけだからである。 (06/01/01 15:00) 中国語に「以人為本」と「以我為本」という言葉があり、前者は人間を大事にする事、後者は自分の地位や権利が一番重要と考える事だそうで、中国人の中で役人特に地方官僚が後者だと聞きました。 日本では考えられないことですが、中国の地方官僚はどんな無責任な手段でも躊躇せず行使する、どんな嘘でも自分の地位を守るためなら顔色を変えずに云うということです。 これでは人命尊重や人権意識、国民の知る権利や報道の自由など全て無視されている分けで話しになりません。 すべて意味があることで一概に正否、善悪など決められない。が、意識・常識の彼方の出来事のように理解の範疇を凌駕している項目の羅列だろうか・・・読み進むにつけどんな国か想像不能、解らなくなってゆくネ。 いよいよ難しい国だ、この中共という国は。 理解と判断はそれぞれ、 でもこれですこしは中共についての理解が深まったと思っています・・・?。
2006年01月02日
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・・・酒を飲んで酔いつつ醒めてはまた飲み始める、酩酊で頭に血液の代わりにアルコールが回ったチャッタみたい。本を見たり(読まずに)テレビを点けたり消したり、PCをいじってみたり、ぐずぐずのヨレヨレが一人居るのだ。 やはりお正月は以前のいろんな映画を流しているようだ。イッポンの映画も見続ける気力もなく眺めてはイロイロまわしてみるが、子供のようにすぐ飽きてしまう。(酔ったら子供と同じだ・・・ネ) 無有さんが『無有のひとり言』という不思議な一文をモノしているのを思い出したので、記して見たので暇があれば見てみるのもよいかなと。日常が不思議な感覚になること請け合いだ。 『ちょっと不思議な地球人』 http://www1.odn.ne.jp/sharla-mu/index.html 望ましい未来に繋がる今を生きる。さりげなく真剣に、そのまま、ありのままに…無有のひとり言「創造編」 分子も原子も、その集合体である細胞も、それぞれのレベルで中心から全方向へエネルギーを放出している。岩も樹木も、動物も、すべてのものが存在するためには、内部でエネルギーがぶつかり合い、数限りないパターンをとり振動している。岩も木も鉱物も、静止しているようで固体のようでも、実はとてつもなく速い動きの複合体が調和されて形を創っている。焦点をどこに合わせるかで、現象は違って見え、視点を移動させることで、創造の性質とメカニズムを知る。 原子が人間の大きさだとすると、実際の人間は100億メートル程の無限巨人になる。世界中にいるすべての人間を全部たしても足らない身長の‘宇宙的巨大人間’。その内部で絶え間なく活動する1メートル程の原子。外も内も宇宙。調和された創造と進化のプロセスそのもの‘エネルギー世界’。 平常でない精神状態にいるとき、身体の細胞レベルでは余計な仕事を強いられ、分裂と再生のリズムが乱れる。「不安」「怖れ」「怒り」「憎悪」の自己破壊力は強烈で、それが繰り返されると、細胞の活動を極端なまでに低下させ、生命を危ぶませることもある。生命活動の支えとなる精神エネルギーを浪費させないためにも、「心配」はしない方がいい。心配して解決する問題など何ひとつ無く、それが「怖れ」「苛立ち」へと発展し、病気を創り出すだけとなる。人のことをよく心配する人は、その人を愛しているのではなく、その人を通して自分を愛し、病気を愛する人。心配ばかりする人は、心の世界のデストロイヤー。 多くの人の脳に共通して刷り込まれた価値観からなる感情が、ある種のセンサーをつくり出し、それが快・喜び・満足といった感情に発展しただけに過ぎない「精神の感動」。それら精神の反応でしかない感動ゲームのようなものとは違い、すべてとの喜びの共有・一体感の中で生まれる「心の感動」。「心の喜び」を知る人は、競争や比較を選ばず、正直な想いを表現し、すべての存在を祝福する。感動するための対象をわざわざ必要とせず、「すべての存在、自由な思考、変化する今」に感動する。目に映るもの、肌に触れるもの、周りの人や出来事みんなに感動する。そして大勢の人がそうであれば、争いも貧困もない調和のとれた素晴らしい世界が生まれることも知っている。 ほんとうに病んだ人を癒したい、痛みを取り除いてあげたいと考えるヒーラーは、病気の人に喜んでもらうことが喜びだから、感謝されようとか、尊敬されようとかの低レベルの思考とは縁が無い。逆に患者に対し、感謝の気持ちで一杯になる。(最高の体験をさせてくれているし。)資格や肩書き、グッズといった形にはこだわらず、特別な場所もスタイルも必要とせず、「縁のある人がさりげなくあたり前に癒される」ことを、ただ実践するだけ。自分の存在そのものが「癒しのエナジー」だから。彼らの持つエネルギーが病気を治すというよりは、彼らの存在(意識、心)の中を、宇宙の治癒エナジーが流れ込み、それが出会う人それぞれに適合した性質の粒子に変換され、愛のエナジーとなって病んだ人を包み込む。そしてス~ッと治癒へ向かわせてしまう。一般の人から見れば、奇跡と思えるようなことでも、彼らにはあたり前の常識。宇宙の光に照らされた生命の道を、しっかりと歩む「癒し手」だから。 「経験に影響される意識の変化」にではなく、その逆の『意識によって影響される経験の変化』という新たな場所に焦点を合わせれば、1-不安の存在意義を認められなくなる。2-悩みや不安、心配ごとが消えるというより、どうでもよくなる。3-問題を解決するというより、それを問題視しなくなる。…と、いつのまにか精神のパワーがついた自分を発見するはず。「目の前の現実は、すべて自分の心のフィルター(意識)を通して具現化したもの」。そのままでいて、フィルターをかえてしまえばいい。 子供の頃の学校生活を懐かしく振り返ると、記憶の中で輝いている先生がいる。よく授業の流れを無視して脱線し、面白い話をしてくれたり、何気ない生徒の質問から授業が思わぬ展開をしてドキドキしたり…。先生はたくさんの経験と知恵で、準備することでつくられる時間じゃなく、ふと思いつくひらめきが大きな力となって人の心を動かし、かけがえのない時間を創り出すことを教えてくれた。 感動のときは、その瞬間瞬間における創造であり、過去に準備(用意)されたものを通してからは、何も生まれない。準備され、計算された言葉は、生命の無い文字の羅列。言葉は生命であり、「今」を表すエネルギー。文字の組み合わせに過ぎない生命の無い言葉は言葉じゃない。 心を開いている状態でいるかどうかを判断するひとつの材料として、「誰とでも話ができる」がある。生まれたばかりの赤ちゃんからお年寄りまで、様々な職業やキャリアを持った人たち、異なった人生観や世界観、宗教観を持った人たち。彼ら誰とでもごく自然に疲れを感じることなくふつうに話ができればOK。また心を開いているというのは、真実の自分でいるということ。自己観察があたり前の他とのハーモニー。相手の心にもその想いのエネルギーが伝わり共振し、同じことを選択する機会を持たせることができる。心を開くのではなく、開いている心。何よりも大切で容易なこと。誰もができる普通のこと。 ひとつの情報に対する解釈・理解がエネルギーとなって、その人の精神の中に取り込まれて吸収され、それがまた別な新しい情報を引き寄せ、新しい機会を創造する力に変わる。だから、必要とする情報は自分の存在そのものであり、新たな自分を経験する上での大切な思考のエネルギー(サポート)でもある。 思考は行為の原動力であり、経験を創り出すエネルギー。また、経験によって蓄積された知識・情報という物理的な要素が、思考の微妙な振れや強弱、方向付けを刺激し、次の経験を引き寄せる際の意志・選択を容易に変化させているという影響力を考えれば、思考も経験も同じ仲間、同じ性質のものだと言える。…という思考も経験。…という思考がある。 反省ばかりしている人の危険なところは、過去のある時に戻って、いくつもの後悔をつくってしまい、自分の人生に責任をとれなくなってしまうこと。不本意でしてしまったことも、とっさの思いつきで言ったことも、結局は自分の意志でそのことを選んでいるわけで、「そんなつもりはなかった」と言っても、「そんなつもりはないけどそうした」自分がちゃんとそこにいたわけだ。後悔する必要がないよう、自分の心の欲求のまま、正直な想いのまま表現すればいいのに、心のどこかで責任をとりたくないから、心に嘘をついて他に依存し、自分の考え意見を押し殺し決断するという、最悪のパターンをとる。これじゃ後悔するために生きているようなもの。反省が日課となる暗い性格の人間になってしまう。 反省することの意義は、後悔する必要のない責任ある発言・行動をするという機会を創造・経験するためにある。反省は、反省しなくてもいいことを学ぶためにある。だから弱い精神の自分をごまかさず、認めてしまうこと。そうすれば、自己弁護も無責任への許しも必要なくなる。後悔のない理解と責任ある判断・選択は、そのままの自分を受容し、そのままの自分を表現することで生まれる。反省ばかりしてた暗い表情の過去の自分が、明るく豊かになって浮かび上がってくるための大切なエネルギーは、「反省する必要のない言動」。そのためには…。こたえはいつもシンプル。 「自然と親しむ」…使い古された言葉だけど、これからもずっと使われ続ける大切な言葉。ふとしたときに、心の中に入ってきて、繰り返し思い出させられる。野原をかけ回ったり寝転んだり、木に登ったり、川や海で水遊びをしたり。誰の記憶の中にもある、自然と親しんだ時間と風景。時が過ぎて、あまりにも変わってしまった自然環境。何のために誰のためにやっているのかわからないような様々な開発。それによってたくさんの生命が犠牲となり、大地のバランスが崩れている。「自然と親しむ」…忘れてはならない心の時間と風景が奏でる「自由と喜びのハーモニー」。 ・・・たまには夢幻の中にトリップしてみることもまたよいかモネ。
2006年01月01日
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・・・今年も昨年以上に国内外とも波乱が予想されるのですが、日本のエネルギィ問題の命運を握っているシーレーン、その台湾海峡は台湾そのものを一度も統治したことがないにもかかわらずシナ中共が自国領だと言い張り、昨年は反国家分裂法まで作ってしまい、いつでも侵攻できる様にしてしまった。 しかし、民主主義国家『台湾』は世界でも指折りの親日国家なのですが、何に気兼ねしているのか、日本は台湾に対する意味不明な曖昧さをいつも残した政策・発言を繰返しているのが現状だ。 台湾海峡は日本のエネルギィ保障上からも命運を握っていることは間違いないのですが、それほど重要な位置づけである台湾の報道の無関心さもまた、どこかの国に気兼ねしているからだろうか。 昨年はあらゆるものが過去のしがらみから抜け出し始めたように、その流れもスピードを加速し、より広く・深く進展するものと思うが台湾問題もその一つだろう。 それにしても何時もシナ中共に虐められている台湾は、日本同様に民主主義国家なのですから、企業進出でも人事交流でも拡大活性化し、大切にしてあげなければいけない。そんな親日国家『台湾』なのですからネ。 その『台湾の声』から抜粋したが、日本にとって無関心ではいられない。^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^明けまして、おめでとうございます。去年の一年間は扁宋十点合意があり、反国家分裂法の制定があり、台湾の主権を確立しようとする我々にとっては決して気持ちのよい一年ではありませんでした。しかし、山あり谷ありこそが世の常であり、建国運動も例外ではありません。我々は安易な道を求めないし艱難な道も避けません。いかなる挫折があっても、建国という目標に向かっていきます。尚、建国とは、中華民国を打倒して台湾国を作るという初心も忘れてはいけません。中華民国政権にしがみつきながら、その体制を打倒することは果たして可能なのかも真剣に考えなければなりません。選挙路線以外の社会運動を、我々は疎かにしてはこなかったかと、反省もしているところです。価値あるものは苦労して初めて手に入るものです。国を作るための苦労なら、我々は喜んで頂戴します。また日本政府に対しても誠実と真実を求めていきます。日本政府の公式見解である「中国が主張する一つの中国を理解して尊重する」との表現は、八方美人的で、偽善者的です。一つの中国という虚構から離脱するように、まずは外国人登録における台湾人の国籍を中国ではなく、台湾にすること、地図帳問題を解決させることに努力します。 これは台湾のためだけでなく、台日両国がともにしっかりとした気概を持ち、アジアの平和のために立ち上がれるようにするためでもあります。 日台共栄も我々の大きな目標ですが、読者の皆さまのご支持、ご声援にはいつも励まされ、感謝に耐えません。 今年も一緒に頑張りましょう。よろしくお願いします。 「台湾の声」編集長 林建良(りんけんりょう)拝 2006年1月1日―――――――――――――――――――――――――――――――――― 日台共栄の夕べの講演で,岡崎氏は「日本は集団的自衛権を行使できるよう今からでも変えていかなければならない」と結論付けました。その心は、1.アジア諸国の驚異となっている中国の横暴をこれ以上進めさせないために、日本が集団的自衛権を行使することによりアジア諸国と協調して中国と戦う姿勢を示さなくてはならない。2.アジア諸国もちろん日本のシーレーンとして重要な台湾海峡を封鎖させないために、集団的自衛権の名のもとに台湾海峡を守らなくてはならない。3.世界一深いとされる台湾東海域を、中国潜水艦が日本に来る航路とさせないために、集団的自衛権を行使し台湾を中国の毒牙から守らなければならない。というものです。 さて、日本の防衛を考える際に度々でてくるこの「集団的自衛権」ですが、私も岡崎氏の論には100%賛成です。しかし、それを可能とするためには数々の障害を乗り越えていかなければなりません。自衛隊および自衛隊員の位置付けといった国内法の問題、中国や韓国に恫喝されても断固として日本国のために推し進める日本政府の外交能力、そして日本国民の心。 このなかでおそらく一番厄介なのが日本国民の心なのではないでしょうか。 集団的自衛権を行使するということは、日本が直接被害を受けない状態において(もちろん間接的に被害はこうむるのですが)日本の自衛隊を戦争に参加させるということです。我々日本人は,大東亜戦争でアメリカに敗れ,進駐軍の「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」により洗脳されてしまったため、「戦争」という言葉を聞いただけでも拒否反応をおこす国民になってしまいました。読者の皆様へ 「新春所感」をお寄せください。読者の皆様の「新春所感」を募集いたします。台湾に関すること、日台関係に関すること、台湾人や日本人へのメッセージなど、新年を迎えての皆様の思いをお寄せいただけたら幸いです。なお掲載に際しては実名をお載せしますが、匿名や仮名をご希望の方は、その旨をお書き添えください。お送り先 koe@formosa.ne.jp (このまま返信できます)『台湾の声』 http://www.emaga.com/info/3407.html・・・占領下で進駐軍政策が現在も日本人の心を縛っている「WGIP」は、平和という呪文で日本人の心と手足を縛ってしまうという巧妙な洗脳だったが、今もその呪縛から抜け出せないままに日本の国家政策までも縛り付けている。 しかし、昨年までの流れが加速するのなら、正しい情報で従来までの事実と真実が更に浮彫りになることだろう。それは日本にとって慶賀なことだ。 深く潜行していた隠された事実と真実が、開かれた情報化社会の中で流布することは、閉ざされた未来への闇を照らし出す一灯になることだろう。 台湾・南北朝鮮ともに日本に一時併合されていたが、保障だ賠償だ云々と捏造・でっち上げしてまでも“お金”取り続けようなどと言募っている国家・国民は韓半島の住民と国民だけだろう。 そしてシナ中共は言いたい放題、やりたい放題を繰返し、これまた歪曲・捏造・でっち上げを平気でしれっと強欲に任せて言募る国家でこれまで来たが、これからはなかなかそうはいかないようになるだろう。 ことしは、昨年まで長年つまらないプロガパンタに毒された意識からドンドン覚醒し始める年だと思うが、そんな国家達に篭絡されたり・阿ってきた政治家・評論家・マスメディアが炙りだされることになると思う。 ・・・どんなリトマス試験紙が用意されるのだろう、愉しみだ。
2006年01月01日
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・・・新年明けましておめでとうございます。 光り輝く素晴らしい初日の出。 日本一の山、富士山。 真白く冠雪した山頂に、初日の出がピンク色に染め上げた景観は素晴らしいものだ。 じつは、12チャンネルで6時丁度に、そんな富士山の映像を映し出していたが、とても好かった。実際に見に行くほうがよいのだけれど不精なのでテレビで簡単に終わらせた・・・。 日本中にはたくさん、蝦夷富士とか、なになに富士とか地方によっては幾つもの富士山があるのですが、どこの山でも初日の出は神々しいものだ。 一年の終わりと初めにキッチリと心のけじめをつけて、初日の出でスタートすることは何年生きていようと、毎年マッサラな汚れのない出発ができるようで素晴らしい風習だ。 昔は年を越したら借金は払わなくてもよかった?そんなのんびりとした時代もあったようだが、世知辛い世の中になったものだ。 いつも故郷はじっと静かに佇み、山は泰然と、河はさらさらと流れ清い水をはこんでいる。故郷のそれぞれの風景は心の中にいつも静かに蘇えるのだろうが、子供の頃の風景のままにいつも迎えてくれる故郷は、どんな風景より、その人にとっての宝物だ。 大多数の人たちが故郷から一年を始め、その年の力を蓄えてまた、年末まで突っ走ることになるのだろうが、そんな心を充填できる故郷があることは素晴らしいことだ。 美しい山河がいっそう故郷をひきたたせ、田舎での歓談の想いでを強く心に刻むことになる。 美しい故郷はそっとそのまま何時までも残したい。 語るべき故郷があることはとても贅沢なことの一つになってきたようだ。 ・・・・・・・とりあえず今年もまた始まった。
2006年01月01日
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