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2022.10.01
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テーマ: 読書(8200)

本のタイトル・作者



言葉の展望台 [ 三木 那由他 ]

本の目次・あらすじ


プロローグ コミュニケーション的暴力としての、意味の占有
そういうわけなので、呼ばなくて構いません
ちょっとした言葉に透けて見えるもの
張り紙の駆け引き、そしてマンスプレイニング
言葉の空白地帯
すだちかレモンか
哲学と私のあいだで

「私」のいない言葉
心にない言葉
大きな傘の下で会いましょう
謝罪の懐疑論
ブラックホールと扉

引用


先ほど、哲学はレンズのようなものと言いました。私は、そのレンズを通して見た風景だけが「絶対に正しい本当の風景」だとはまったく思っていません。


感想


2022年253冊目
★★★

音声学者、娘とことばの不思議に飛び込む [ 川原繁人 ]

を読んで、久々に「言語学たのしす!」となったので同ジャンルの本を読む。

これは、哲学と言語についての随筆のような本。
言語を哲学の面からとらえる、という見方をしたのは初めてかもしれない。
われ思う、ゆえにわれあり。
その思考には言葉が欠かせない。

存在の根源たるもの。
なるほど、言われてみれば哲学とは言葉と密接にかかわっている。

著者は、哲学を「さまざまな角度で、画像度で現実を見るためのレンズ」の一つだと言う。

自分はなにものであるのか。
世界はなぜこうであるのか。

言葉にしなければ、それは「ある」けれど「ない」のだ。

著者は1985年生まれ。
まず「那由他」という名前がかっこよすぎる件について。
※那由他…サンスクリット語の「ナユタ」を音訳した、「極めて大きな数量」(ウィキペディア)
本名なのかなあ。筆名なのかなあ。いいなあ。

本の内容は、文芸誌『群像』の連載のまとめ。
著者がコロナ禍ではまったゲーム『スカイリム』にドはまりしていたときの話とか、『僕のヒーローアカデミア』の話とか、オタクが語り始めた時の熱と圧がすごくて、「私この人とお友達になれそうな気がする…」と思った。笑

「「私」のいない言葉」の章で取り上げられていた、中村桃子『「自分らしさ」と日本語』は読んでみたいと思った。
たしか中村桃子さん、卒業論文(女性の一人称とジェンダー)を書く時に参照文献で読んだ気がする。

日本語で一人称を選択するのは難しい。
私は、「わたし」と言うけれど、日常ではほぼ一人称を発しない。
意図的に欠落させて話している。
それは、「わたし」も「あたし」も「あっし」も「うち」も、あるいは「僕」であっても、自分の一人称にぴったりくるものがないから。
だから著者の「できるだけ一人称代名詞を使わない」という選択に激しく首肯した。
書き言葉では、私は(ほら、私と書いている)平気なのだけど。
話し言葉になると、心理的な抵抗感がいや増す。

英語では「I」と「You」だけでいいから楽。
けれど、

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー [ ブレイディ みかこ ]
ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー 2 [ ブレイディみかこ ]

のどちらかで言っていたけれど、英語は三人称が性別を峻別するんですよね。
あそこにいるのは、「He」か「She」か?
中学生の頃、それが分からなければどうするのだろうと思っていた。
「They」を代わりに使うという案もあるそうだけど、ややこしいわな。
そこで、英語では「新しい三人称」が生まれているそうだ。

地球、この複雑なる惑星に暮らすこと [ 養老孟司×ヤマザキマリ ]

で触れていたけど、日本語は「感情」にくっつき、英語は「事実」にくっつくのではないかという指摘。
その問題がここにもある。

私は子どもの頃から「相手の名前を呼ぶことが出来ない」という困難も抱えていて(そもそも人の名前を覚えられない。名前を呼ぼうとすると、そこがぽっかり穴あきの空白になって呆然とする感じ。相貌失認と関係あるのかもしれないし、ないのかもしれないんだけど)、日常生活で相手の名前を呼ぶこともない。
わざとそこは避けて、なるべく呼ばないようにしている。
日本語はそれでも文章が成り立つ。相手が勝手に補完してくれるから。
こんな時は最高に快適な、空気を読む社会。

相手との心理的距離感を詰めるには相手の名前を呼ぶのが良いらしいので、相手が名札をつけているときは(名前が分かるので)「○○さん」を連呼してます。笑
あざとい。

言葉は自分を定義する。
言葉は他者を定義する。
言葉は世界を定義する。

言葉を選ぶことは、言葉を変えることは、それらを変えることに他ならない。
この本のタイトル『言葉の展望台』って素敵だなあと思った。

手元にあるレンズで覗いてみる。
そこから見えるものが「正しいか」「正しくないか」ではなく。
遠くの星を眺める。

それは前からそこにあったのかもしれない―――レンズで覗く前も。
それは新星の発見かもしれない―――レンズで覗いたから。

様々なレンズで見てみることが大切なんだ。
そのレンズ自体が歪んでいないか、汚れていないか。
なにより、眺める己の眼は、曇っていないか。




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最終更新日  2022.12.03 23:34:25
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