シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2010年01月14日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 通常の自我意識の表層下には、将来、その表面へと押し寄せる可能性のある魂に深く根ざした過去の経験からなる生活がある。

 では、この魂生活が表に現れて来たとき、何を語るのか?

 この無意識的な魂生活の宇宙的根拠を理解できたなら、魂の奥底から生じるように感じられる魂生活とは、「月」紀の進化期に設定されたが、「地球」紀になって初めて人間に浸透した存在を打破する存在である、とわかる。

 そして、「月」の本性と「地球」の本性との相互作用を把握するとき、古「月」から「地球」の存在状態へと精神的にもたらされた存在とは何かを説明できるようになる。

 覚えておくべきことは、今述べたように、荒廃の緩和のためには、絶えず(新しい)像(イメージ)が浮かび上がる必要があった、ということである。この事実を理解すれば、非常に重要で意義深い概念に至る。

 つまり、渇望と空虚の苦しみの中で、「憧れる」魂は、次から次へと生じる一連の像(イメージ)により満足させられ、この「憧れ」を調和の中に保つ、という概念に至るだろう。

 (人間は退屈という苦痛から逃れるために、憧れを絶えず新しい像から生みださざるをえない)

 そして、像(イメージ)がいくつか生じ、しばらく留まるが、その後、魂の奥底で再び古い「憧れ」が目覚め、運動霊が新しい像(イメージ)を呼び起こす。すると、新鮮な像がまたしばらく存在するようになるが、結局、更に別の像(イメージ)への憧れが新しく生じてくる。

 この魂生活の側面について、重要なことは、絶えず新しい像によって「憧れ」が満足させられたとしても、この際限なく続く流れに終わりはない、ということである。



 言い換えれば、「地球」として惑星的に体現した相状態であり、そして、そこでは運動霊の活動により導かれる像が憧れを満足させるが、そのような相状態は、つまり、「救済」の相と呼ぶべき状態によって置き換えられる必要がある。

 実際、これから見ていくように、以前の「地球」の体現である「月」紀存在が「憧れの惑星」と呼ばれ、そして、それは無限に続き、決して終わらないプロセス(経過)を通して満たされる「憧れ」だが、それと同じように、「地球」は「贖いの惑星」と呼べる。

 人間が人生を通して地上的な意識の中で生きるとき(その意識は既に見てきたように、ゴルゴダの秘儀による「贖い」の行為を眼前にもたらす)、「贖い」への「憧れ」を絶えず生じさせる存在が、魂の奥底から生じてくる。

 それは意識の表面には通常意識の波があり、その下の魂生活という海の底から押し寄せ、まるで魂の岩盤(防波堤)が「憧れ」の形を取って生きているかのようである。

 そして、この「憧れ」は、それを満足させてくれる宇宙的存在への(それは無限に続く像の連なりにより慰めるだけでなく、最終的に満足させてくれる存在でもある)「供犠」を遂行しようと飽くことなく熱望しているかのようである。

 地上に生きる人間として、「贖い」に対する「憧れ」の雰囲気を、実際に感じ取ることができる。そして、これらの雰囲気は人間が経験できる最良のものである。実際、地上に生きる人間の中で、今日、この「憧れ」を感じる人たちが(特に、現代「1910年」において)、人智学的な運動に参加している。

 外的(物質)世界においては、通常の表面的意識を満足させる、あらゆる全ての認識を学ぶ。しかし、無意識から波として脈打って来るのは、外的な事情によっては決して満足させられることのない人生の中心的な根拠(基盤)を切望する何かである。

 けれども、この中心的根拠(基盤)を獲得可能にするのは人生における特別な出来事だけでなく、その全体に関与する普遍的な科学(叡智)を手に入れたときだけである。

 今日、魂の奥深くで生じるもの(波や「憧れ」)は(それは高次意識へと上昇することを求める)、世界の中に生きる普遍的事象と交わるように、させられる必要がある。もし、 この接触がなされなければ、達成不可能な何らかの「憧れ」が魂の奥底から生じてくるだろう。

 この意味で、人智学は魂の奥底に生きる「憧れ」への1つの回答でもある。

 そして、世界の中で生起している事象の序章は、過去の時代にあった、ということを考えると、今日生きている人々が、自身の魂の中にある「憧れ」の力を、人智学により和らげようとしていること(特に、そのような魂の力が意識的な気づき(認識)を越えた領域にあり、そのような「憧れ」が脅威となり、人間を消耗させようとしているということ)は、人智学徒にとって驚くべきことではない。



 他方、今日では、像への憧れを和らげ、絶望を沈黙させ、それを退治するようなものが、その魂の中に滴り落ちている。過去においては、 この一連の像の行進が止むのを待ち望み、そして、その像が益々大群となって居座れば居座るほど、それが止むのを更に待ち望むことしかできなかった。

 例えば、ハインリッヒ・フォン・クライスト(1)が友人に宛てて次のように書き送っている記述を見ると、彼が、魂の「憧れ」の中に、香油のように自らを注ぎ出す精神的叡智を手に入れることができなかった時代に生きていたことを、次のような言葉で表現していることがわかる。

1)ハインリッヒ・フォン・クライスト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%88

 「この地球上で幸せになりたいって? そんなことを言う奴がいたら、恥を知れ!とでも言いたい。全てが死で終わるところで、そんな目的に向かって努力するなんて、いかにも先が読めない、ご立派な人間がすることだね。

 人は出会い、三度の春をお互いに愛し合い、そして、永久にお互いから逃げ出す。愛がないのに、その努力にどんな価値があるというのか。ああ、何か愛以上の、幸せ以上の、名声以上の、xyz以上の、何か、人の魂が夢想さえもできないようなものはないのか!」



 「ああ、静止した瞬間よ、教えてくれ、これは夢なのか? 夜、仰向けになって見る二枚の菩提樹の葉のなかには、その先見性において、思考が捉え、言葉が表現できるよりも、遥かに豊かな見通しが広がっているではないか。よし、何か善い行いをしよう。そして、それをしながら死のう!」

 「人間は既に無数の死の1つを死に、そして、未来にもまた死ななければならない。まるで、1つの部屋から別の部屋に行くようなものだ。ほら見てごらん、僕には世界が大も小もなく一緒くたに箱詰めにされているように見える。」

 これらの言葉で表現された「憧れ」は、この人物を促し、その友人に宛てた、この手紙を書かせた。けれども、この精神(クライスト)は、現代の魂が精力的な理解力をもって人智学に近づくような形では、まだその「憧れ」に対する充足を見つけだせなかった。

 というのも、この精神は、百年前に、まず友人のヘンリエッテ・フォーゲルを撃ち、次に 自分を撃って、その生涯を閉じ、いまから1世紀前に、彼の亡骸は最初に葬られたヴァンシー河岸にある寂しい墓の下に眠っているからである。





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Last updated  2010年01月19日 15時10分11秒
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