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いやはや、大変な世の中になりましたね。 今政府が推し進めている憲法改正草案に「緊急事態条項」を盛り込もうと画策しています。 卑劣にも567騒動最中のドサクサを利用してです。 もし「緊急事態条項」が創設されれば、以下の事柄が「内閣の裁量」として独断で行うことが可能となります。 1.国会を廃止して内閣独裁化を図る。 2.選挙が永遠になくなる。 3.ネット批判禁止(政府を批判する者は投獄) 4.警察が現場で処刑出来る権限が付与される。 5.兵務を老人や女性や子供にも強制する。 このまま憲法改正が行われると、今まで享受してきた国民の「人権」や「自由権」は奪われ、「個人資産」は没収されて「奴隷や家畜」のごとく政府の意のままに扱われていきます。 今後行われるであろう「一極集中独裁指導体制」のやり口は、戦時中にヒトラーが自国で推進してきた方法と何ら変わらず全く同じではないですか。 政治の舵取りは「ナチスの手口に学べ」と宣った政治家が過去にいたようたが、今の政府は一体全体国民に何を報いようとしているのか。 「武士は食わねど高楊枝」という武士道精神の奥義は我々が良く耳にしている言葉である。 例え空腹であっても、その体を表に示さないという美徳な精神なのだ。 古来より受け継がれてきた「武士道精神」というものが、今は跡形もなく消えてしまった。 為政者として国民に示すべき資質である「倫理規範、無私の奉仕、誠実な生き方」というものが、片鱗すらも見せずに政治家のなかから消えてしまった。 今やまさに「やまとの国」に終末観が漂いはじめてきている今日この頃である。シークワーサー 業務用 原液 オキハム 2Lの3本入り【送料無料】沖縄県産のシー...楽天で購入シークワーサーに含まれている成分【ノビレチン】(強力な抗酸化作用)(血糖値上昇抑制)(脳のアミロイドβ沈着抑制による抗認知症)など…、相乗効果により細胞が生き生きと若がえります!
2021年12月23日
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テレビ・ラジオ等のメディア媒体を使って、近日中に全世界に「緊急放送」が流れるらしという情報を得ました。 放送の主体は「米軍を率いるトランプ大統領とQアノン(J.F.Kジュニア)そして宇宙連合軍」。 Youtubeなどでは、その通の人たちで「話題沸騰」している件なのですが、一般の人々にとっては「蚊帳の外」におかれていると言った状態で大変心配です。 発表される内容は、ややもすると「腰を抜かし気絶しかねない」、とてつもない内容のものになるかも知れない。 まさに「天と地がひっくり返ってもおかしくない」内容らしいのだ。 NESARA・GESARA(国家経済安全保障改革法・地球経済安全保障改革法)発動によって、世界の政治・経済システムが180度変わってしまうというのだ。 現在までにFRBが採用している詐欺的金融システムとなっているSWIFT制度を終了させ、新しくQFS(量子金融システム)へ移行させ金本位制度を確立するというもの。 さらに、全世界の国々の一人一人に毎月一定額が振り込まれる仕組みのUBI(ユニバーサルベーシックインカム)制度を採用することや、今までD.S側に隠されてきた高度な宇宙テクノロジー(UFOの飛行原理・過去や未来を覗く事ができるルッキンググラス・人の細胞が数十年若返り、病気が全く無くなってしまうメドベット(3種類)など一万件以上)の情報開示があるらしい。 また、地下で暗躍しているレ〇〇〇〇ンに対して結果的に組してきた人々は、発覚後に軍〇〇判にかけられ、即刻〇〇されているようです。(地下に潜んでいた爬〇〇〇類の掃除も宇宙連合軍の下でほぼ終了した模様) 尚、緊急放送は一日24時間(8時間×3回に分けて)を10日間に渡って放送され、その間、数日間の停電やネット遮断も伴うということらしいので、何日分かの「水や食料の確保」と手元に多少の現金所持が必要となります。 信じるか・信じないかの世界感が漂ってきていますが…。 取り急ぎお知らせします。シークワーサー 業務用 原液 オキハム 2Lの3本入り【送料無料】沖縄県産のシー...楽天で購入ノビレチン(強抗酸化作用)の強力な働きで、細胞が生き生きと若がえります!
2021年06月18日
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言葉には魔力があり、人の心を癒すことも、挫かせることもいともたやすく行ってしまう。 時には誰しもその場の感情に任せて,無分別な言葉を発してしまうような事態に直面することがある。 しかし、言い終わってから「シマッタ!」では後の祭りなのだ。 「口は災いの元」と言われる所以もそこにあるのだが、言葉を発する際にはその言葉の意味をよく吟味し、公私違わず慎重に用いることが重要なのだ。「そんなことは分かっている!」という声が聞こえてきそうだが、言わずもがな、「理性と感情の動物」である人間は時として判断力を欠き、それらの平行バランスを失ってしまうことが少なくない。 会社での一例を上げてみよう。 白熱した会議の場で発言を求められた一社員が場の空気を和ませようとして、上司に対してウィットのつもりで「猿も木から落ちる」や「弘法も筆の誤り」という言葉を発してしまった。 上司の性格にもよるだろうが、「不敬な輩!」「無礼千万な奴だ!」ということになり、発言した社員はその後の人事考課に重大な影響をもたらすことになりかねないのである。 状況次第では「降格人事」や「左遷」の憂き目にあってしまいかねないところだったのだ。 一般社員どうしの会話ならともかく、「上から目線の上司や先輩」を前にして発してしまったから後の始末が大変だったのである。 本人が「的を射たつもり」で使った言葉が、結果、災いをもたらしてしまったのだ。(実際小生がサラリーマン時代に務めていた会社で、上記のような事例に遭遇したことがあった。) 何も会社ばかりではない。 「家族間のコミュニケーション」においてもしかり。 ちょっとした言葉の「あや」で気まずくなることが儘ある。 そのような場合でも「親しき中にも礼儀あり」で、無礼な振る舞いなどはせず、グットこらえて慎むべきなのだ。 人の発する言葉にはその人物の「品格・人格」が如実に反映されてしまうから怖い。 ましてやその人物が雲上の人ともなれば、言霊はさらにその重みを増して人々の上にのしかかってくるであろう。 いつでも、どこでも、「人格者」と称せられる人たちは、己の発する言葉に重い責任を持たなければならない。 我われも言葉を発する際には、心して慎重に使う習慣を心がけたいものである。
2021年02月12日
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ただいま新型コロナウィルスが世界中に蔓延し、人々は「コロナ・コロナ」でもがき苦しんでいる最中にあります。 そして政府は訳のわからない筋の通らない施策を実行中。 だから、右を向いても、左を見ても、どこを向いてもコロナウィルス蔓延中!何から何まで真っ暗闇、これでは「若者たちに夢や希望を語れ」と言っても語れる訳がありません。 しかし、このまま手をこまねいていてはならないのです。 老いも若きも積極的に自己防衛しなければウィルスと戦っても簡単にノックアウトされてしまいます。 しかも自己防衛をやるからには積極的にやらなければダメなのです。 外出中のマスク着用は当たり前として、帰宅後のうがい・手洗い、アルコール消毒などなど、日々の励行が大切…。「あっ、忘れた!」ということがあってはいけないのである。 今やっておくべき一番重要なことは「体の免疫力を少しでも高めておく」ということなのだ。 コロナウィルスが体内に侵入し感染・発症した場合、内蔵や血管の細胞がズタズタにやられてしまうそうです。 侵入してきたウィルスに対し、なぜか免疫細胞が過剰反応を起こし暴走してしまうのが一因らしいのです。 それゆえ回復したとしても予後が非常に悪いと言われている。 新型コロナウィルスに対抗できる有効手段については、マスコミが日々取り上げているのだが決定打となるものはなく、やらないよりはマシという程度のものと認識している。 しかし先般、これは特にコロナウィルスに有効ではなかろうか! というものがテレビで解説されていたので、以下に簡単に報告しておきます。 それは「日本茶(緑茶)」なのです。特にお手頃な「煎茶」が良い。 緑茶には色々な成分が含まれていて、タンニン・サポニン・カテキン・カフェイン・ビタミンCなどなど…、あるのですが、特に緑茶の「カテキン」とうい成分がウィルスに対抗する大変重要な物質となっているそうだ。 緑茶に含有されている何種類かのカテキンのうちでも、最も重要な成分が「エピガロカテキンガレート」という長い名前を持つ成分なのだ。 体内に侵入した「新型コロナウィルス」に真向から対抗して「やっつける」ということである。何とも頼もしい成分ではないだろうか。 小生も緑茶大好き人間なので、やや濃いめに入れたお茶を習慣的に朝夕一杯ずつ嗜んでいる。 緑茶習慣は日本人の特権であり、既に飲んでおられる方はもとより、習慣のない方々にも是非この機会にお勧めいたしたい。 他にコロナウィルスに有効な手段として医学界で言われているのがビタミン類の摂取である。 特に「ビタミンD」の摂取は新型コロナウィルス感染症に対して効果があると言われていますが、まだ有効かどうかの確認はされていないらしいのです。 ただ、欧州20か国の報告よると、ビタミンD値の国民摂取量が大きいほど新型コロナウィルス感染症(Covid-19)に対する罹患率・死亡率が低いとの調査結果がでているとのことである。 しかしビタミン類の摂取はウィルスばかりではなく、多方面にいろいろな役割を果たしていますから、毎日規則正しくバランス良く摂取したほうが絶対に良いのです。 蛇足になりますが、免疫賦活の最強手段は何といっても「春うこん(100%)」ではないでしょうか。 病気の種類や症状によって、一日の「うこん摂取量」が微妙に違ってくるのには、いまいち神経を使いますが…。 小生も長年続けておりますが、風邪はもちろんのこと、これといった病状には未だお目に掛かっておりません。 しかし粉末は大変苦いので、苦手な人には苦手でしょう。(顆粒もありますが…、) 「良薬口に苦し!」と昔から言われていますので…。 当方は価格も手ごろな粉末を定期的に購入し、オブラートに包んで毎日飲用しております。 手前勝手なご紹介をさせて頂きましたが、「健康長寿」に格別な興味をもたれる皆様、ご奇特な諸兄様におかれましては是非ともお試し下さい。
2020年08月01日
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冬真っただ中にある今頃の季節、老体の身には非常に堪えるものがある。 家にいても朝晩の寒気は容赦なくひしひしと骨身に染みわたってくるではないか。 骨皮筋右衛門ほどではないが、体型がいつの間にか骨と皮しかないほどの細身になってしまった。 数十年前だったら、筋骨隆々の体格であったと自負しているのだが、今はどの部位に触れても「肉や脂肪分」などと言うものが殆ど見当たらないのである。 試しに自分の肩に手を置いてみると、皮膚の直下にごつごつとした骨を感じてしまう。筋肉も申しわけ程度に付いているぐらいなので、要するに骨と皮なのである。 これでは家人に凝った肩を揉んでもらおうにも、触れたとたんに直ぐに分かってしまうので、恥ずかしいやら、情けないやらで頼めないではないか。 企業戦士として辣腕を振るった(ほどではないが!)時代もあったが、リタイアー後の人生では運動らしい運動をして来なかっただけに、今になってつけが回ってきた感じである。 あぁ~!何と無情なことか…、。 さて話は変わるが、お腹が空いてくると食べたくなるのがラーメンである。 最寄りのお店から買ってくれば、季節に関係なくフルシーズン食べられる手軽さがあり、 即席の名のとおり時間をかけずにすぐ出来てお腹を満たしてくれるところが素晴らしい。 自慢にならないが、小生のブランチはほぼ毎日がこれの繰り返しなのだ。 主食が「ご飯」と「ラーメン」、「副菜」「主菜」がなく炭水化物オンリーの食事になってしまうのは致し方ないところである。 食べ方は決まっていて、「スープ・麺・ご飯」の感触を口の中で楽しみながら、ひたすらこの順番を繰り返していく。まさにラーメンライスにおける「醍醐味ここに有り!」なのである。 生めん、カップ麺、袋入り即席麺など、いろいろ市販されているのだが、とにかく自分好みのものを買ってくる。 通常は「お湯を注いで添付の出汁を入れてお終い」式のラーメンなのだが、ところがどっこい!それでは面白くない。 さーて、ここからが腕の見せどころ。ラーメンの真骨頂といきたいところのはずなのだが、…。 美味しさを引き出すために、調味料にひと工夫・二工夫こらすのと、味を引き立たせるための具材を入念に選別し、その試行錯誤を繰り返しているのであるが、今いちどうしても「シャキッ!」とした食材の味が伝わってこないのだ。 う~ん、ラーメンが醸し出す「独特の香りと風味」というものが、出ていないし、出せないのである。 ならばと、街の食堂を時々行脚して回るのだが、どのお店も「まあ旨い」と言える範疇で、どうしても自分好みの味ではないのだ。 しかしここで安易な妥協をしてはいけない。一度や二度の失敗、いや何十回失敗を重ねようと諦めてしまっては元も子もなくなってしまうので、意を決して続けることにしたのである。 「継続は力なり」ではないが、もしかしたら努力の成果が「一瞬の閃き」として、すぐそこまでやってきているかも知れないのだ。 「これが究極のラーメンだ!」という味を引き出すまで、辛抱強く「男のロマン?」を追求していこうと思っている。 「高がラーメン!」 されど「ラーメン!」 長いなが~い坂道を駆け上り、頂を極めようともがいている一人の人物が今ここにいるのである。
2020年01月25日
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師走に入ったかと思ったらもう年の瀬である。 時の経過のなんと早いことか。「光陰矢の如し」の感がぴったりくる今日この頃ではないか。 ところで話は変わるが、日本には古来から「四字熟語」や「諺・格言」なるものがあるのだが、使い方によってはニュアンスが微妙に違ってくることがあり、これが大変面白いのだ。 日本語には同じ意味合いで使われている諺が沢山あり、例えば、「弘法も筆の誤り」と「猿も木から落ちる」というのがある。 これは「優れた人物でも時には失敗する」という例えなのだが、仮にこの「猿も木から落ちる」という諺を会社で使ったとしよう。 部下や年下に用いるならばともかく、うっかり会社の上司や先輩を前にして使ってしまったらどうなるだろうか。大変厄介なことになる。 上司の性格にもよるだろうが、「不敬な輩!」「無礼千万な奴!」ということになり、場合によっては「降格人事」や「左遷」の憂き目にあってしまいかねないのだ。 駄洒落のつもりが一転して、取り返しのつかない悲惨な結末に終わってしまうケースも考えられる。 諺に限らず、「日本語の使い方・用い方」は上下関係、或いは公私に違わず細心の注意が必要なのである。 少々硬い話になってしまったが、気分を変えてみよう。 小生若かりし頃には、生徒達の間で「諺」をモジッテ遊ぶことが流行になっていた。 国語の授業が全然つまらなかったので面白くしようと、ある生徒が時間中に突然周囲の仲間に切り出したのだ。 「弘法も筆の誤り」や「猿も木から落ちる」では面白くもなんともないから、「弘法も木から落ちる」「猿も筆の誤り」でいこうぜと…。 すると、ぜんぜん違和感なく理に適っているように思えてきたから不思議である。 諺の掛け合わせを擁護する訳ではないが、屁理屈を強引に通すと次のような意味合いになる。 人間はもともと類人猿の時代から木登りが得意な動物でもあるし、猿の方はというと、昔の「日光猿軍団」ではないが、調教次第では筆使いが上達することだって可能なのである。 下手をするとその辺の連中よりは数倍も達筆になれる可能性を秘めているかもしれないのだ、…と。 毎日痛勤電車に揉まれ、会社では上司の顔色を伺いながら、「積極果敢に業務に取り組む」振りをする繰り返しでは面白くも何ともないではないか。 ストレスが溜まりつづけ、肉体の老化を一層加速させていくことになる。 「脳細胞を活性化」する上でも、定期的に「発想の転換」を取り入れることが大切なのだ。 諸兄も、脳細胞活性化の一助として「ウィットに富む会話」を構築して、周囲を和ませてみては如何だろうか。
2019年12月26日
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<歳月人を待たず!」(時は人の都合など待ってくれない。) この諺は我が世代にとってはとても辛辣な響きを呈している言葉である。 限りある人間の寿命からして、とくに齢を積み重ねてきた者にとっては無常な響きとなって心の中にこだましてくるのではないだろうか。 我われロートル世代においては(といっても私個人のことであるが…、)「昔むかし…、」で始まる「古き良き時代」に心がどうしても回帰してしまう傾向が強いようである。(心理学では「良形視の作用」の働きといっている) 小生もしかり、戦後の混乱がまだ尾を引いている昭和20年代前半に産声を上げた「団塊の世代」と呼ばれる人類の一人であり、今では遥か遠い向こう側に行ってしまった感さえ否めない世代の人間なのである。 社会の荒波に揉まれ「企業戦士」として辣腕を奮い、日本の経済成長の一翼を担ってきたのだ、と当時を回帰され自負されている御仁もおられるのではないだろうか。 また当時(昭和30年代後半~)の日本といえば、舶来文化の影響をまともに受けていた時代でもあった。 芸能面を見てみると、海外では「グループサウンズ」が全盛を極めており、「ザ・ビートルズ」、「ローリングストーンズ」「ベンチャーズ」など、そして国内では少し遅れて「ブルーコメッツ」や「スパイダーズ」「ザ・タイガーズ」などなどエレキ文化の花が満開、踊りでは「ゴーゴー」や「モンキーダンス」などが流行りだしていて、正に「日本中が舶来文化のるつぼ」と化していたと言っても過言ではなかったのである。 相まって若者たちの間では、エレキギターを始め、フォークギターやクラシックギターなどの楽器が大いに持て囃され、国内でも一大潮流を形成していった。 では早速タイムマシーンに乗り昭和40年代前半にワープして、当時の空気に浸ってみよう。 関東平野のとあるキャンパスに降り立った。団塊世代の若者たちがグループで集まって交流を楽しんでいるようだ。 将来の夢や希望を語り合っているのだろうか。 さらに近づいて観察していると、若者たちの真剣な眼差しや情熱がひしひしと伝わってくるではないか。 当時の趣味・娯楽は人それぞれ「十人十色」であったが、手軽さからか、多くの学生がギターを所有しており「ポップス・歌謡曲・フォーク」など、それぞれ得意なジャンルの曲を思い思いにコピーして楽しんでいた時代でもあった。 小生も「ギター」という楽器には当初から憧れを抱いていて早く入手したかったのだが、「音色の良い楽器」は例外なく高額でとても手が出せなかったし、かといって価格相応のそれなりの音色しか出ない楽器には興味も関心も全くなかったのである。 長らくアルバイトをしながらコツコツ貯めたお金でようやく納得の楽器を購入し、難解な旋律の曲に取り組み初めていった。 学内には趣味を一にする仲間が数人いて交流を重ねていたのであるが、ある時「ギター演奏」のことが話題に上ったのである。 議論が白熱しだして「技巧や奏法」へと話が盛り上がり、とうとう「それぞれの腕前の披露」へと話がエスカレートしてしまった。 仲間の一人が「課題曲」を提示し、その曲を「誰が最も早くマスターし、上手に弾けるかやってみようではないか」ということで話がまとまったのである。 何日かして再び一同が会し、いよいよ課題曲である「禁じられた遊び」の主題歌(愛のロマンス)を披露することと相成った。 曲を奏でる「手は強張り、顔は引きつり」で演奏中は皆必死の形相で、内心穏やかならざるものがあったのであるが、それでもスター気取りで何とか弾き終わり、互いが心の中で、「俺の腕に敵う者は居るまい」と有頂天になっていたのである。 小生は一歩距離を置いて、高い見地から眺めていたのだが、蓋を開けてみて「ビックリ」、 いや「案の定」とでも言おうか。 腕前のほうはと言うと、どれも皆「団栗の背比べ」であった。 演奏テクニックに「キラリと光る」「滲み出る個性」などというものは、誰一人持ち合わせていなかったのである。 結論は…? と言えば、 アッ ハッ ハ~! やはり所詮は 素人、「同じ穴の狢」、 「目糞、鼻糞を笑う」の類であったのだ。 血気盛んなあの時代にはもう二度と戻れないのだが、しかし思いを馳せることはいつでも可能なのである。 誰にも必ずやってくる青春、しかし二度と戻ることの出来ない青春…、う~ん…、 でもしかし、「いやぁ~、青春時代って本当にいいもんですねぇ…!」
2019年10月26日
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日本語に「意地」という言葉がある。 辞書によるとその意味は「気立て、根性」など、本来は良い意味に使われるべきものなのだが、「意地悪、意地っ張り、意地汚い、片意地」など、頭や尻に余分な語がくっついて形容詞や動詞になったとたんに悪い意味合いになってしまうのである。 意地と言えば、誰にでも一つや二つ思い当たる節があると思うのだが、小生にもあるのだ。 国語が好きだったこともあって、高校入学当初から「単語力・語彙力」を高め、人よりも少しでも抜きんでてやろうと悪心を抱いていたのである。 そこで思いついたのが「国語辞典」の通読なのである。 当時、国語辞典は「岩波・角川・三省堂」などが主流で、この三社でシェアの殆どをカバーしていたのだが、小生のものはマイナーな「講談社」であった。 このマイナーな辞書を購入するきっかけとなったのは、クラスに仲良くしている友達がいて、その彼が「とても引き易くて見やすい辞書があるよ」と言って見せてくれたのだ。 寸借してパラパラめくり使用感を確かめたのだが、やはり「見やすく、引き易く、意味も分かりやすかった」ので、一ぺんに気に入ってしまったのである。 購入した当初は物珍しさも手伝って、暫くの間は辞書を鞄に入れて毎日家と学校を往復していたのであるが、しかしいつも辞書が「真っ新」というのがどうにも気に入らなくなり、毎日のように色のついたポールペンで辞書の説明文を線でなぞっていくようになったのである。 気が付いたら殆どのページが赤や青の線だらけのオールカラーになって、記述内容の判別ができなくなっていたのである。 教科書・参考書も然り、色の線引きした箇所は覚えたつもりになって一人自己満足に浸っていたのであるが、これも「若気の至り」いや「変わり者」というところだろうか。 酷使に堪えた辞書も半世紀を過ぎた今では装丁も脱落し、ページがバラバラの状態になってしまったのだが、創意工夫でかろうじて形状を維持させ体裁を保たせている。 「こうなったら意地でも…!」というのが偽らざる心境なのだ。 大げさではあるが、半世紀以上も人生を共にしてきたこの辞書は小生にとって片時も手放せない伴侶であり、「座右の書」としてもこの期に及んでますます愛着が増し加わってきている次第である。
2019年08月07日
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「サプリメント摂取」は現代では健康志向の人たちにとって、欠かすことのできない必要条件になっているようである。 手前味噌になるが、その根拠の一端を「活性酸素」の例から披露しておこうと思う。 今はどうかわからないが、「怒る人は早くボケる」と昔の人々は良く言ったものだが、その原因となるのが怒ることによって脳内に多量の活性酸素が発生し、脳細胞に大きなダメージをもたらすからだそうだ。 人間は脳を活動させるときに大量のエネルギーを消費し、その時「酸素」も大量に消費して、その際「酸素の一部(2%程度)が脳内で活性酸素に変化」すると言われている。 活性酸素は生命を傷つける(殺し屋)とも称されており、「病気」も「老化」も一重にこの危険因子の影響が大きいのである。 頭蓋骨を断面図で見たとしよう。すると一番外側周囲を覆っている頭脳が新皮質の「知性脳」と呼ばれる部分、そしてその中側が2番目に位置する旧皮質「情動脳」といわれる「喜怒哀楽」の感情をつかさどっている部分に分類されるのである。 その情動脳の「喜怒哀楽」の部分のうち、「喜」と「楽」は免疫機能を増強させるホルモンを分泌するといわれているので大変有難いのだが、問題は「怒」と「哀」の感情をつかさどっている部分にある。 常日頃から「怒ったり、悲観ばかり」しているような人間においては、「怒」と「哀」の感情が大動員され脳内に活性酸素を多量に発生させて、脳細胞をたっぷり傷つけているというわけである。 「酸化現象」は有機物だけでなく無機物においても同様であり、長年にわたり大気に晒されつづけた鉄などは最後にはボロボロに錆びて朽ち果ててしまうのである。 つまり「老化」現象の一端は活性酸素にさらされた細胞が酸化することから始まるのであり、そのさい我々が積極的に防御策を講じなければ引いては「認知症」へと波及していくことになるのだ。 「怒」と「哀」の感情を極力避け、喜びや楽しみを沢山味わえる生活を築くことが大切なのだが、浮世の世界ではそれも儘ならない。 しかし諦める必要はないのだ。我々の前に「イチョウ葉エキス」という救世主が登場してくれたのである。 簡単な能書きを記すと、イチョウ葉には活性酸素に対する「抗酸化作用」はもとより「活性酸素の消去」、脳細胞の死滅を最小限に抑えて「脳卒中予防」に最大限貢献する有効成分が盛りだくさん含有されているとの研究成果が欧州の医学界で発表されているのだ。 1970年代において既にヨーロッパでは実用に供されていてドイツやフランスでは大きな成果・実績をあげていたのである。 イチョウの青い葉には色素成分「フラボノイド」や、精油成分「ギンコライド」「ビロバライド」など芳香漂う有益な成分が多々含まれており、それぞれ「中枢神経」を整え、「脳内情報伝達機能」を高め、「毛細血管拡張」作用による「血栓の予防」などにも貢献してくれているのである。 そう言えば、イチョウの木の樹齢ってとてつもなく長い気がしたのだが、(数千年…?)、成分の何かが関係しているのだろうか…、? 一方、青魚に主として含まれている、DHA(ドコサヘキサエン酸)にもイチョウ葉エキスと同様の効果が期待できる成分がある。 DHAには「動脈硬化の抑制」や「赤血球を柔らかくする」働きがあり、単独で摂るよりもイチョウ葉エキスと一緒に摂ることで2~3倍の相乗効果が期待できるのだ。 ならば我々も使わない手はない。巷を探せば当該サプリはわんさか出てくるではないか。(と言ってもどれでも良いわけではなく、真贋を見極めることが大事…) もしパワフルに長生きしたければ「脳細胞活性化」に欠かせない有効成分が盛沢山の「イチョウ葉エキス」と「DHA」を毎日摂取するよう心掛けたい。 足腰鍛錬のために「ウォーキング」を日課に加えても良し。しかしそれと同時に、傍らに脳の活性化を促す強力な助っ人「イチョウ葉エキス」と「DHA」を備え置き、「90、100歳は当たりまえ~」と豪語できる人生を送ってみようではないか。 参考書 : 脳 細 胞 は 甦 る… 三 石 巌 :イチョウ葉エキス… 矢沢一良
2019年06月18日
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「春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは 少し明りて紫だちたる雲の細くたなびきたる。 夏は夜。月のころはさらなり~、…」 平安時代中期(1000~)、皇后定子に女官として仕えていた清少納言の随筆「枕草子」最初の一節である。 「夜がほのぼのとあけ、山ぎわが白んでゆき、紫色の雲がほそくたなびいている景色が良い…、」とは、なな何と情景が映画のシーンのように瞼に焼きついて浮かんでくるではないか。 書き始めにつづく「夏・秋・冬」の情景も作者の鋭い観察眼と描写力が貫かれており、「いとおかし」の世界を淡々と構築していくのであるが、しかし…、う~む、何と文筆の才に長けた人物なのであろうか。感服以外に言葉が見つからないのである。 ところで話は変わるのだが、「春」と言えば「あけぼの」ばかりではない。 日本人にとって「桜」を忘れることはできない。 桜の花は日本民族の象徴とされ、時代とともに歩んできた長い歴史を持っていて、古くは古事記や万葉集にその記述があり、当時は神聖なものとして扱われていたようなのだ。 平安時代の頃から一般庶民にもひろく「花見の文化」が浸透するようになったと言われており、やがて時代が下るに従い鑑賞の仕方にも変化がみられ、「木の下での宴会」を楽しむようになっていったようなのである。 昔人は、暦の「1月・2月・3月」は「いく・にげる・さる」と呼んで時間の慌ただしさを表現していたというのだが、その慌ただしさの感覚はまさに4月(疾走?)の「桜の花」にも言えることなのだ。 小生も今年こそは「満開の桜」を十分堪能しようと機会を伺っていたのだが、タイミングを外してしまい、出かけていったものの敢えなく「葉桜鑑賞」に終わってしまった。 ところで、桜の花が日本人に好まれる理由は何か。一つには「散り際が潔い」ということらしい。 未練がましく何時までも咲いているということはなく、時がくれば一斉に散ってしまう。その辺りに日本人気質とでも言おうか心意気を感じるのであろうか。 4月も足早に終わり、季節は新緑が目に眩しい5月へと移っていく。 「目に青葉、山ほととぎす、初鰹」 (山口素堂) が到来する。 新緑の山間では「かっこう」の声が響きわたり、都会の大地では見上げた空から「ピーチク、パーチク」と小鳥たちの心地よいさえずりが、人々の心を和ませてくれるに違いない。 ゴールデンウィークは雑踏を離れ、「風情ある日本の四季」を堪能できる絶好の機会かもしれない。 時には我々も心の滋養のために、平安時代の女官よろしく、「おくゆかしき」世界に身を託してみるのは如何だろうか。
2019年04月23日
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戦後の混乱がまだ尾を引いていた昭和20年代前半、富国強兵の一環か?政府が勧めてきた「産めよ増やせよ」の号令下で第一次ベビーブームが到来したのである。 その立役者となった「団塊の世代」と呼ばれている人々も早70代を迎え高齢者となってしまった。 日本人の平均寿命も延びてはいるのだが、いまいち体のどこかが芳しくないという所謂、半健康人とも言うべき人たちが増えているという。 人生長生きするのもいいのだが、長生きの仕方が問題になってくるのではないだろうか。 長患いで寝た切り状態では周囲に迷惑がかかるし、かといって足腰は元気だが頭脳のほうがいまいち芳しくない、というのではこれまた不都合きわまりないのである。 経年劣化ではないが、高齢化に伴って「心身の健康バランスをうまく維持しながら生活していく」ことは、並大抵なことではないのだ。 そのためには、まず「足腰の筋力維持」と「脳細胞の活性化を図る」ことを最優先にすべきである。 簡単な方法として、十分な「睡眠とバランスのとれた食事」を心掛けること。家庭内でのトレーニング(ラジオ体操・スクラッチ・スクワット・瞑想…など)を短時間でも毎日励むこと。 キン肉マンになりたい人は別だが、スポーツジムなどに通わなくても筋力の維持・強化は家庭内でも十分図れるのである。 また、人にはそれぞれ一定の「生活リズム」というのがあり、そのリズムを崩さないように保ちつづけることも大切なのだ。 さらに資本投資を惜しまないのであれば「サプリメントの継続摂取」も健康体を保つうえでは非常に有効な手段となる。 人間は誰しも年齢を重ねるごとに心身の老化が始まり、終いには肉体が醜態化していくのであるが、しかしそこで諦めてはいけないのだ。 自分にちょっとした「創意工夫と努力」があれば、老化の進行速度を大幅に遅らせ、健康体を維持しながら「悠々自適」の余生を送ることだって可能なのである。「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」…(上杉鷹山) 全てはこの言葉どおりなのだ。 現代科学を多いに信用し利用しようではないか。
2019年02月16日
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クリスマスが終わったと思ったら、もう目前に来年が迫っているではないか。なんと時間サイクルの早いこと。この調子でいくと「盆・暮れ・正月」とやってきて、お次は「梅・桃・桜」ついでに「菖蒲」の節句も「アっ!」という間に通り過ぎて行ってしまうのだろう…。さて、毎年恒例の「忘年会・新年会」など、年末・年始はお酒を飲む機会が増えるのだが、今年も上から下まで酒による失態・醜態が紙面をにぎわしていたようだ。12月27日の朝日新聞(日刊)に時宜にかなった記事が載っていたので紹介してみよう。酒席での「無礼講」に関する記事である。大辞林によれば、「無礼講」とは「身分・地位の上下などを考えないで行う宴会。堅苦しい礼儀を抜きにして行う酒盛り」とある。「和食文化国民会議」の熊倉功夫氏によれば、「酒は元々、主に祭りなどのハレの日に共同体で飲まれ、つながりを確認しあう手立てだった」と話し、そこでは酔うまで飲み、飲ませるのが「礼儀」。壁を越えて互いに交流するため、「無礼講」も組み込まれていたという。ただ何でも許されていたわけではなく、昭和初期の文部省「国民礼法」に関わった徳川義親氏の著書では「酒席で人が暴れている時は自分も暴れるべきだが、そこにも礼儀があり、人の頭を踏みつけたりしてはいけない」と記していた。要は「あくまで一定ルールのもとで許されるのが無礼講」なのである。「飲み会」は普段親しい仲間だけでなく、上司や男女といった異質な人と交流し、幅を広げる機会であり、ある程度の緊張感を持って飲むことで、自分を鍛えることが出来る。…「酒文化研究所」狩野卓也氏の弁。2017年度は過去最多の1万7000人の急性アルコール中毒者が病院に搬送されたという記録が残っている。鬱積を晴らすために「無礼講」でノミュニケーションだなどと安易な企画で飲み会を行うことは現に慎まなければいけないのである。度を越した酔態の行き着く先は「辞職・降格人事・左遷」延いては「拘〇所・刑〇所」が待っている。酒のせいではないのに責任回避の言い訳にされてきた、「酔っていたから」は今では許されなくなり、批判されてしまうのだ。今月、鉄道事業者がユニークな標語を張り出した。「お酒の失敗じゃない。あなたの失敗です」と…。諸兄よ、節度ある習慣を!
2018年12月29日
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長い間人間をやっていると、「奇人・変人」に遭遇することが間々あるものである。 今日はその話をしよう。 ●▲年ほど前に小生がある金融機関に勤めていた頃のことである。 午前中の仕事も一段落し、いつものように同じビル内にある社員食堂で昼食を取ることにした。 お昼時の時間帯が不規則なこともあって、この日は食堂内の顔ぶれがいつもとは少し違っていた。 少し早目にテーブルに着いて食事を取っていた庶務課の親爺二人が、向い合ってなにやら面白可笑しな雑談を交わしながら、昼食メニューの焼き魚をガツガツと美味しそうに頬張っていた。 辺りに空席もなかったので、仕方なく小生もその親爺の斜め向かいに陣取り食事を取ることにした。 暫くしてふと周りを見ると、その親爺の傍らに置いてあったセルフサービス式のお茶葉の入った大きなヤカンが目に留まったのである。 喉を潤そうとそのヤカンに手を伸ばし拝借したのだが、次の瞬間、庶務の親爺が意地悪そうな目付きでジロリとこちら睨んだのである。 開口一番その庶務の親爺曰く!「さ~て、飲めますかな?」と意味深な発言をしたのだ。 心の中で、「この親爺いったい何を言っているのだ!」と、最初は発言の趣旨が良くわからなかったのだが、ヤカンに入っていたお茶をついで見て「ビックリ」!! 湯飲み茶碗に注いだお茶の色が「真っ黒」だったのである。 「何だ!これは?」と思いつつも、仕方なく一口飲んでみたのだが、さらに「ビックリ」!! 「苦い・渋い」を通り越して舌が痛み出してきたのである。 流石に「無類の渋茶・苦茶大好き人間」の小生も一口で飲むのを止めてしまったのであるが、あの親爺は平気な顔をして、しかも憎々しい顔つきで美味しそうに飲んでいるのである。 後日、またもや食堂で例の親爺に出くわしてしまったのだが、幸運にも先般の「真っ黒」の原因を目撃することに相成った。 給湯器の傍らで見ていると大きなヤカンに大きな茶サジで、矢継ぎ早にお茶葉を入れること十数杯!! しかも、その給湯器からヤカンに入れた「お湯の量は」といえば、自分達だけの分量なのか、わずか500ccにも満たない程度であったのだ。 あの名物親爺が定年を迎えてから、かれこれ数十年の月日が流れてしまった。 恐らくこの地上の舞台から姿を消しておられるのではないだろうか。 しかし、もし健康体でいるのであれば、今頃どこで何をしているのだろうか。 ふと当時のことが脳裏に思い浮かび、他人事ながら気になっている次第である。
2018年12月19日
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間もなく秋も終わり、冬の季節が到来しようというのに…、何だこの異様な暑さは! 空を見上げると赤くない白熱の太陽がギンギラ銀に輝いているではないか。昔の「真っ赤な太陽」はどこにいったのだろうか?昨今の環境からして、太陽に長時間素肌を晒しつづけ皮膚を焼くなどということは細胞に大変なダメージを与えてしまい、ましてや「こんがりきつね色」などという自慢げな表現など洒落にもならないのだ。紫外線のシャワーをじゃぶじゃぶ全身に浴びて、わざわざ体細胞を死滅させていることに等しいのである。地上にある「鉄筋」を想像してみたことがあるだろうか。長い期間大気に晒された結果、やがては表面から腐食が始まり最後は中身までボロボロになって朽ち果ててしまうのだ。同様のことが毎日体内でも起きているのですよ。なぜなら体内でも活性酸素が発生しており、発生した場所にある細胞がどんどん死滅していくのです。細胞をダメージから守る対策は色々あるだろうが、一例として小生が実施している「サプリメント摂取」を述べてみたいと思う。まず第一番目は、朝・昼・晩と3回に分けて「ビタミンC(水溶性)」の摂取。二番目はビタミンCの摂取と同時に「ビタミンE」も同じく摂取。ビタミンE(脂溶性)の場合は化学合成品では効力がなく、天然品のDアルファトコフェロールの摂取が必須。三番目は「グルタチオン」の摂取。体内に発生する強力な活性酸素を防護するとともに「デトックス効果」(毒物の体外排出)も期待できるのである。これら全てを摂取するのは体内での有酸素運動の際に必ず発生する「活性酸素」 を退治するためのものである。とくに肝臓内に大量発生する「活性酸素」こそが我々の細胞にダメージを与え、生命を脅かす元凶なのであるが、これをやっつけてくれる掃除屋(スカベンジャー)の役割を担っているのが上記の「ビタミン群」なのだ。「活性酸素元凶説」を主張していた分子栄養学を専門とする「三石巌」という物理学者の言説によれば、高年齢層の予防医学はひとえに「活性酸素対策」にあると明言してはばからなかったのである。人体に取り込まれたもろもろの有害な「食品添加物」は肝臓で解毒・分解されて体外に排泄されるのであるが、その働きの際に肝臓内に「活性酸素が大量に発生」すると主張しているのである。著者は我々に対し毎日大量のビタミン(EとC)を摂取するよう促しており、老化を少しでも遅らせるために1日の摂取量をビタミンC1200mg・ビタミンE1200IU(国際単位)(800mg)を上限に摂るようにと進言しているのである。但し、ビタミンCの場合は天然型でも合成品でも効果は同じだが、ビタミンEに関しては合成品では全く効果がないため、天然型(ナチュラル)のDアルファトコフェロール成分に限定されるとの結果が出されている。さらに注意しなければならないことがある。体内に発生する「活性酸素」の量に対抗できる分量のサプリメントが必要となるのだ。「多勢に無勢」とならないように、常に多めのサプリ摂取を心掛けておいた方が良いことは言うまでもない。そうしなければ、体内の活性酸素に負けてしまい、元の木阿弥になってしまうからだ。薬事法の規制により国内では食品の範疇に区分されているサプリメントだが、欧米での摂取は盛んで「ニュートラシューティカル」(準医薬品的)として位置づけられているのも頷ける。老後に至り、蓄えが沢山出来たとしても、「頭が冴えなかったり、体力が弱々しかったり」では悠々自適の人生は送れないのである。老化が関係していると言われる「人間の遺伝子に組み込まれたプログラム変更」は現代医学では不可能であるが、リタイア後の人生はせめて「サプリメント」の有効活用で少しでも細胞を若々しく保ち、充実した人生を全うしようではないか。参考文献:脳細胞は甦る(三石 巌)
2018年11月06日
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地球上の此処かしこで極端な異常現象や異常気象が続いている昨今だが、ここ日本でも例外ではないようだ。いやはや暑いあつい! 夏だから当たり前に暑いのであるが、ここ数日の気温上昇を見ると「暑い」というより「熱い」と表現した方が適当かも知れない。地球環境が常軌を逸して、いよいよ過激になってきたような気がするのだが…、さて、話は変わって食事の話題になるが、小生の食事は毎日至ってシンプルなのだ。朝食メニューと言ってはおこがましいが、「即席カップラーメン」が定番なのである。お湯を注いで3分間待ってそのまま食べてもいいのだが、少々工夫をしている。カップ麺に自家製の調味料や具を適当に混入しアレンジして食べている。しかしこれがまた中々に旨いのだ。「ジャンクフード」の感がしないでもないが、美味しければそれで良いではないかと最初のうちはそう思っていたのである。しかしある時、ふとカップの外面に印刷してある表記に目がいった。カップの上蓋や側面に「栄養成分表」と隣接して「原材料名(食品名)」を表示しなければならない記載欄がある。ただこの欄には重要な決まり事があって、最初に記載する食品名は原材料(にしめる重量の割合)の多い物から順に記載しなければならないことになっている。「即席めん」の場合は「最初は油揚げめんからスタートし、最後にくるのはたいがい「加工でんぷん」が多い。原材料の羅列が終わると続いて「食品添加物(調味料からスタート)」が順番に記載されることになっているのだが、さて、ここをじっくり観察していて、またまた小生ふと気がついたのである。これって人体に有害な添加物ではないのかなぁ~、って疑問に思い、調べてみたら案の定「ブラック」だったのだ。その添加物が何かって!それは【カラメル色素(他の着色料より色ムラなくきれいに着色させることができる。が、しかし(四-メチルイミダゾール)という発がん性物質を含有しており…微量でも遺伝子に作用し障害が発生し癌化】という添加物なのだ。これを毎日とり続けていたら後々大変なことになるのではないかということに気付いたのだ。何が言いたいかと言うと、小生が毎朝食べ続けているカップ麺を仮に1年間続けたとしたら、合計365個を食べたことになり、その商品に含有されている発がん性濃厚な【カラメル色素】をそれだけ多く体内に蓄積することになるのだ。因みに平成12年1月に厚生省(現厚労省)が調査した(マーケットバスケット方式による年齢層別食品添加物の一日摂取量の調査)結果によると体重10kgの幼児が一日に摂取している食品添加物の平均量は12630mg(12.63g)と発表されている。1年間で4609950mg(4.6kg)を摂取。なんと幼児の体重の約半分の量の添加物を食べている計算になるのだ。ならば成人男子はというと……、 推して知るべしであろう。仮に一人が1日10g摂取したとして1年間で3.6kg以上も食べていることになる。(食品添加物は食べ物ではないし、できれば使われないのが良いのだが…)人体に有害な食品添加物は上記したものばかりではない。他にもまだ「ワンサカ」あるのだ。我々が店内で生鮮食品や加工食品を購入する際、手に取って真っ先に着目する点は、「賞味期限・消費期限」が表示されている箇所ではないだろうか。期限が短くないか、迫っていないかと…、その確認は確かに大事なことではあるが、しかしそれで終わってはいけないのである。スーパーやコンビニの加工食品を購入する際には、容器包装に表示されている「食品添加物」の欄(原材料名/のあとにつづく後半部分に表記)」にも必ず目をとおすことである。列記されている食品添加物の摂取が、今後「人体・健康にどのような影響をもたらすのか」など、思料した買い物の仕方を身に着けておいても損はしないのだ。
2018年07月15日
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「若葉薫る五月!小鳥のさえずりが大空に響き渡り、心地良いそよ風が街行く人々の頬を撫でてゆきます。皆様如何お過しですか?」と、ラジオから流れてくる女性パーソナリティの声! 端午の節句も終わり五月も早半ば、爽やかな新緑の季節がやってきた。 シンガーソングライターの「中島みゆき」の曲に「時代」という歌がある。 味わいのあるとても良い詩だと思うのだが…、この歌詞の中に「時代と風」とういフレーズが幾度となく現れる。 「~、そんな時代もあったねと、いつか話せる日が来るわ~、だから今日はくよくよしないで、今日の風に吹かれましょう。~」というフレーズ。 この「時代」と「風」という言葉には切っても切れない関係がついて回っているような気がするのだ。 しかも人を引き付ける魔力が潜んでいるようだ。 例えば、我々が会話で良く用いる言葉で「風の便りによれば~」と表現すれば、セピア色に褪せた過去の時を感じさせるし、「そよ風に乗って~」と表現すれば、ライトグリーンの春風が「今時何かを運んできてくれるのでは」との薄っすらとした期待感が待っている。 「時代」と「風」がコンビを組めば、そのうえさらに情緒感の極みが待ち受けているのだ。 「郷愁の念、恋人たちの出会いや惜別、季節の移り変り」などの文句を曲のフレーズに織り込んでしまえば占めたもの。 リスナーはセンチメンタルな気分この上なくさせられてしまうのである。 こうなってしまえば歌手が歌っているのではなく、言葉が勝手に歌っている感さえ否めなくなってくるから不思議なのだ。 ここまでで、何か取り留めのない持論を展開してしまったようで大変恐縮なのであるが…。 地球星が誕生して以来、地上という舞台に無数の人類が登場しては去っていった。 この繰り返しがこれから幾星霜続くのであろうか。未来永劫に続くのだろうか…、などと考えていると浮かんでくるのがあのフレーズなのだ。 「そんな時代もあったねと~、だから今日はくよくよしないで、今日の風に吹かれましょう。~まわるまわるよ時代はまわる~」 平成30年という時代も「時の流れ」の中で、何事も無かったかのように過ぎ去って行くのであろうか。 七そじ八そじの人生終焉にさしかかり、感傷的になっている己の頭の中を「時代と風」のフレーズがたった今ふっとよぎって行ったのである。
2018年05月12日
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今年の桜はあっという間に満開になってしまった。家の周りに何本か桜の木があるのだが、悠長に構えていたら「散り際」さえも見られないで終わってしまいそうである。ところで最近、またまた「相撲界」が世間を賑わしているではないか。 メディアが連日トップニュースで「親方問題」をズームイン。より重要な「政界ニュース」は片隅に追いやられ、「雲散霧消」してしまいそうな勢いである。さて相撲と言えば、明治時代に生きた八百屋の店主「長兵衛」が思い浮かぶ。【長兵衛は通称を「八百長(やおちょう)」といい、大相撲の年寄・伊勢ノ海五太夫と囲碁仲間であった。 囲碁の実力は長兵衛が優っていたが、八百屋の商品を買ってもらう商売上の打算から、わざと負けたりして伊勢ノ海五太夫の機嫌をとっていた。 しかし、その後、回向院近くの碁会所開きの来賓として招かれていた本因坊秀元と互角の勝負をしたため、周囲に長兵衛の本当の実力が知れわたり、以来、真剣に争っているようにみせながら、事前に示し合わせた通りに勝負をつけることを八百長と呼ぶようになった。(ウィキペディアより引用)】 大相撲の歴史を紐解いてみればわかるのだが、人々が「ちょんまげ」を結っていた江戸時代の初期から、相撲取りは全国を行脚して多くの庶民を楽しませてきたことが記録されている。 そもそもこの大相撲は「国技」とされているのだが、いったい「スポーツ」なのか「興行」なのかといった疑問が浮かんでくる。 もし「興行」と定義するならば「ショー」と言った意味合いが強くなり、高額な入場料を支払って来場された観客に対し、如何に楽しんでもらうかということが主眼となり、そうであれば「勝敗よりもシナリオが大事ということになるのではないか」というのが小生の私見なのだ。 しかし、大相撲を「競技」としてみた場合、180度視点が変わってくる。開会式の「選手宣誓」で「我々選手一同はスポーツマンシップに則り、正々堂々と戦うことを誓います。」などの宣誓は古来からの「柔・剣・合・弓」などに見られる武士道に通じるものであり、アマ・プロの垣根を越えて「フェアプレー」の精神が要求されているのである。ところがしかし、勝負事の世界に「利害(利権)」が絡んでくると「八百屋の長兵衛」ではないが、必ずしもそうは言っていられなくなるから大変だ。それは何も「勝負師だけの世界」のことではない。右を見ても左を見ても絡み合っているではないか。大変に厄介で始末に負えない生物、それが人間なのだ。
2018年03月29日
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「人生は筋書きのないドラマである…」と、その昔テレビの対談で自分の一生を回顧していた女優がいた。 「浪花千恵子」という今では知る人ぞ知る、「上方女優」が述べた言葉である。 体験談を語っていた時代は一般家庭にようやく白黒テレビが普及し始めた昭和30年代中頃のことだったと思う。 当時のことは今となっては曖昧で定かではないのだが、確か毎回ゲストを招き「人に歴史あり」とかいうニュアンスの番組だったように記憶している。 対談のあらすじは、「家が貧しく口減らしのために、幼くして自分が弁当屋へ女中奉公に出された苦労話から、その後たどった紆余曲折の人生へと」話が展開されていくのである。 「貧しい家庭環境で育て上げられて、かわいそうな人だったんだなあ」と、当時は子供ながらにそう思ったものである。 さて、良きにつけ悪しきにつけ母親の胎内から「おぎゃ~」と生まれ出たならば最後、長いなが~い時を刻みながら、我々は地上という舞台で終焉までドラマを演じ続けていかなければならない宿命を負っているのである。 脚本・演出・監督・配役などなど、全て自分が担うわけだが、どのように自己を表現するかは大変重要な問題となってくる。従って、演出を生かすも殺すも能力(自分)次第ということになるわけだが、男女に限らず人間たるもの、この世に生まれたからには欲望の一つや二つは必ず持ち合わせているものだ。 昔から良く言われる「一旗揚げる・故郷に錦を飾る」などの文言はその典型であり、またそれが人情とも言えるものなのだ。 では当の小生はどうかと言うと、すでに人生の終盤に差し掛かり、今さら「闘志や野望」などと言われてもやり切れないことこの上ないと思っていたのだが、… しかし「惰性に流されて生きていくのは罪だ。」このままでは終われないと考え直し、一念発起し3年前にクラシックギターを習い始めたのである。 街の音楽教室で腕を磨き「人生という晴れ舞台」で一花咲かせてみようと、ただ単純に思い立ったのである。 取るに足らない成果かもしれないが、努力の甲斐あって今では楽譜を見ないで27のギターコードを瞬時に押さえられるまでになったのである。 しかしまだまだ道のりは長く、一花も咲かせられないかもしれないが奮闘努力中である。 尚、人生ドラマの違う一面を「当該リンク」にて展開中である。 お暇な御仁はこちらのほうも一度覗いてみて下され~! いや~、人生って本当に「摩訶不思議で面白いドラマ」なんですね~!
2018年02月01日
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早いもので今年も残すところあと半月となってしまった。巷間では忘年会もそろそろ終盤に入り、酒の席で失態を演じ悔やんだ御仁も中にはいたのではないだろうか。失態で思い出したことがある。ある年の秋の社員旅行の際の出来事である。大手企業の子会社でもあり、社員数もかなりいたのだが、福利厚生の一環として会社側が毎年旅行を企画していたのである。その企画に毎年200名近くの社員が応募し参加していた。今年度選出された旅行幹事数名が、計画を練り観光地を決めていた。出発当日は早朝から会社前に集合し、観光バス数台に分乗して風光明媚な東北地方のとある温泉地に向かったのである。途中休憩をはさみながら、日も暮れかかる夕方近くにやっと目的地のホテルに到着した。それぞれが思い思いに各部屋で支度を整え、晩さん会に臨む準備をして過行く時を楽しんでいた。部屋割りは当然のごとく、会社役員はそれぞれに個室があてがわれ、我々一般社員はいくつかの部屋に数人づつ分かれて宿泊するすべになっていたのである。全体で行う集合晩さん会も終え、その後、場所を変えて酒好きの連中たちによる「懇親会」らしきものが始まった。部屋のテーブルの上には酒・ビール・ウィスキー・おつまみなどが華やかに並べられていた。ひとしきりして、その大部屋に社長がやってきた。旅行の際に恒例となっている講話が始まったのである。会社の現状や今後の展望などを簡単に述べ、社員の労をねぎらったあと、「さあ皆さん、今夜は無礼講で賑やかにやって下さい。」とのたまったのである。それに呼応して社員も思いおもいに酒を酌み交わし和やかなひと時を楽しんでいた。社長もしばらくその場で仲間に加わり和気あいあいの時が流れていったのである。酔いも回り始め酒席も佳境に差し掛かったころ、ある一人の社員が、何を思ったのか、いきなり社長の頭を掌で思い切りはたいたのだ。社長の周りに陣取っていた役員の一人が、「何をするんだね、君は…、」と、周りで見ていた社員はただ唖然とするばかり。当然のように社長は怒ったのだが、その社員が曰くには、「今夜は無礼講で!」と言ったではないですかと。一瞬で場は白けてしまった。周りの執り成しで取り合えず社長の怒りも収まったのだが、翌朝、社長の機嫌がどうにもすぐれないのである。2日目の観光バスの中でも社員のヒソヒソ話が続き、景勝地の観光どころではなく、昨夜のその話で持ち切りになってしまった。後日談になるが、素朴で実直な若手社員が旅行中にやってしまった社長への行いが100%人事考課に反映されてしまったのである。プロパー社員一期生であった彼は勤続年数も永く、持前の技術も優秀で周囲から認められた存在だったのだが、昇進が完全にストップし出世の道が絶たれてしまったのを今でも覚えている。同期入社した他の社員との比較は言うに及ばず、後輩社員にまでも追い抜かれてしまったのだ。 「親しき中にも礼儀あり」 と言うではないか。いかに「身分に構わず、礼儀なしの宴会」だといえども、浮世の社会はそれを許さないのである。れっきとして身分階級が存在しており、無礼講と言えどもそれは礼講の意味なのである
2017年12月16日
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もうかれこれ半世紀も前になるだろうか。 将来への夢と希望で胸がはち切れそうなほどに満ちみちていた、高校生時代のことである。 当時、巷間に流れていた音楽といえば、当然のように歌謡曲や演歌が主流となっていた時代であった。 しかもそれらが庶民の間に娯楽の一部として定着し大いに持て囃されていたのである。 1960年代初頭のころからだろうか、日本人の海外音楽に対する意識にも少しづつ変化の兆候が見られ、やがて鎖国が解けたかのように舶来リズムが怒涛となって流れ込んできたのである。 海外のソロシンガーでは、英国の「クリフリチャード」米国の「エルビスプレスリー」、国内では「美空ひばり」コーラスは「ダークダックス」、雨後の竹の子のような勢いで突然始まったグループサウンズは「ザ・ビートルズ」「ザ・ベンチャーズ」、国内では「ザ・スパイダーズ」「ザ・タイガース」などなど、面目躍如の活躍が始まっていた。 女性シンガーも沢山現れていた。有名なところでは反戦歌の女王だったフォークシンガーの「ジョーンバエズ」シャンソン界の「シャルルアズナブール」「シルヴィバルタン」カンツォーネでは「ボビーソロ」「ジリオラチンクェッティ」などなど、世界中が音楽で盛り上がり一見すると平和な時代でもあった。 庶民の音楽熱の余波は音響機器メーカーにも影響を与え、技術発展に貢献していった。 記録媒体は、当初雑誌などに付録で付いてきたソノシートから始まり、やがてシングルレコード盤、LP盤へと拡大し、再生機器のほうもレコードプレーヤーからコンポーネントステレオへと発展していった。 録音機器も当初はリール式テープレコーダーが各社から発売されたのだが、人気が沸騰してきたため、どのメーカーでも予約待ちの状況が続いたのである。(カセット式テープレコーダーなどという機器は当時はまだ開発されていなかった) 余談になるが、この時代において小生にも恋焦がれていた女性シンガーがいたのである。 彼女の名は ”地中海の妖精”と謳われた、「ヴァシリキア・ヴィッキー・パカタナシュー」である。 ギリシャで生まれ育った彼女は両親と共にドイツハンブルクに移住し、その地で第12回ユーロビジョン・ソング・コンテスト、で入賞しグローバルデビューを果たした。 ポールモーリア管弦楽団の演奏でもお馴染みの 「恋はみずいろ」は彼女の大ヒット曲でもある。 日本で発売された彼女のレコード盤は、LP・シングル盤ともに今でも大切に我が家で保管している。 願わくば、懐かしいあの頃にもう一度戻りたいなあ~…!」というのが偽らざる心情である。
2017年10月16日
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外国人の母国語はたいがい一種類の言語から成り立っており、日常のコミュニケーションなどもそれで十分用が足りているのだが、日本語の場合には摩訶不思議かな、「ひらがな」「カタカナ」「ローマ字」のほかに中国から伝来した「漢字」などの文字が賑やかに混在し母国語として成立しているのである。 書面などに記述した場合「ひらがな・カタカナ」のみでも何ら問題なく意思疎通を図ることができるのだが、そこにさらに漢字が加わることによって意思疎通の密度が重厚になってくる。 また「四字熟語」や「諺・格言」なるものが日本には古来から沢山存在しており、使い方・用い方によっては言葉のニュアンスが微妙に違ってくるから面白い。 同じ意味合いで使われている「諺」の中に、人物の例えでいうと「弘法も筆の誤り」というのがあり、動物の例だと「猿も木から落ちる」というのがある。 意味合いから言うとどちらも「その道に優れた者でさえも時には失敗することがある」という例えなのだが、この「猿も木から落ちる」という諺を年下や後輩に用いるならばともかく、うっかり上から目線の上司や先輩を前にして使ってしまったら大変なことになる。 上司の性格にもよるだろうが、「不敬な輩!」「無礼千万な奴だ!」ということになり、場合によっては「降格人事」や「左遷」の憂き目にあってしまいかねないのだ。 言葉には魔力があり、人の心を癒すことも、挫かせることもいともたやすく行ってしまう。「口は災いの元」と言われる所以でもあるが、言葉を発する際は良く吟味し公私違わず慎重でありたいものである。 さて、硬くなってしまったので、ここらで気分を変えて駄洒落を一席披露。 小生の若かりし頃に、「諺」をモジッテもて遊ぶやり方が一時的に流行ったことがあった。 上記の場合でいくと、「弘法も筆の誤り」や「猿も木から落ちる」では面白くもなんともないので、「弘法も木から落ちる」「猿も筆の誤り」とするのである。 すると、ぜんぜん違和感がなくピッタリと理に適っているように思えてくるから不思議なのだ。 屁理屈で言ってしまうと、次のようになる。 人間はもともと類人猿の時代から木登りが得意な動物でもあるし、猿の方はというと、「日光猿軍団」ではないが、調教次第では筆使いが上達することだって可能なのである。 下手をするとその辺の連中よりは数倍も達筆になれる可能性を秘めているかもしれないのだ。 世知辛い世の中! 時には「発想の転換」を試みることも必要だ。 毎日、痛勤電車に揉まれ、会社では「積極果敢に業務に取り組む振り」をして机に向かっているだけでは面白くも何ともないではないか。ストレスが溜まる一方である。 この世の中すべてはタイミングなのだ。諸兄もウィットに磨きをかけ、たまには職場仲間を愉快にさせてみては如何かな。
2017年08月19日
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昔からよく「怒る人は早くボケる」と言われます。 怒ることによって脳内に多量の活性酸素が発生し脳細胞がダメージを喰らうからでしょう。 人間は脳を活動させるときに大量のエネルギーを消費しますが、その時に「酸素」も大量に消費し、その際「酸素の一部(2%程度)が脳内で活性酸素に変化」します。 活性酸素は生命を傷つける(殺し屋)とも称されており、「病気」も「老化」も一重にこの危険因子のせいなのです。 活性酸素の有力な発生源となっている頭脳を断面図で見ると一番外側周囲を覆っているのが新皮質「知性脳」、そしてその中側が2番目に位置する旧皮質「情動脳」といわれる「喜怒哀楽」の感情をつかさどっている部分とされています。 「喜怒哀楽」のうち、「喜」と「楽」は免疫機能を増強させるホルモンの分泌があるというメリット付きで有難いのだが、問題は「怒」と「哀」である。 常日頃から怒ったり、悲観ばかりしているような人間は脳内に活性酸素が多量に発生して、脳細胞をたっぷり傷つけているというわけである。 繰り返しになるが、「老化」という現象は体の細胞が活性酸素にさらされ、酸化することが最大の要因と言われており、同様に鉄も酸化すると錆び、ついにはボロボロになってしまう。これなども化学的には老化現象(経年劣化)の典型なのである。 人生を同じく生きるならば、「怒」と「哀」を極力避け、喜びや楽しみを沢山イメージして生活を盛り上げていくことが大切なのだが、修羅場の社会では中々難しい。 そこで社会に一役買って出てくれたのが、「イチョウ葉エキス」のサプリメントなのです。 イチョウ葉には活性酸素に対する「抗酸化作用」はもとより「活性酸素の消去」、脳細胞の死滅を最小限に抑えて「脳卒中予防」に最大限貢献する有効成分が盛りだくさん含有されているのです。 青い葉には色素成分「フラボノイド」や、精油成分「ギンコライド」「ビロバライド」など芳香漂う有益な成分が多々含まれており、それぞれ「中枢神経」を整え、「脳内情報伝達機能」を高め、「毛細血管拡張」作用による血栓予防などにも貢献してくれているのである。 ならば使わない手はないのだ。巷を探せば当該サプリはわんさか出てくるではないか。(と言ってもどれでも良いわけではなく、真贋の見極めが大事…) もし長生きしたければ「脳細胞活性化」は必須条件である。 ウォーキングの実践ばかりではなく、傍らに「イチョウ葉エキス」を備えおき「80、90は当たり前」と豪語できる人生を送ろうではないか。 参考書: 脳 細 胞 は 甦 る… 三 石 巌 :イチョウ葉エキス… 矢沢一良
2017年07月07日
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齢を重ねるごとに気になってくるのが健康問題なのだが、ここにきて最近俄かに気になりだしたのが、「食品添加物」の問題である。 今更始まったことではないが、なにぶんにも毎日、口にするものだけに気になり出したらもう止まらないのである。 好奇心も手伝って、早速書店で関連書籍をあさり二冊ほど探し出して買ってきたのだが、イヤハヤ、有るわあるわ…!! 日本で認可されている添加物のその数なんと390種類を超えているのである。 調味料・酸味料・膨張剤・増粘多糖類・酸化防止剤・甘味料・発色剤・合成保存料・合成着色料などなど…、並べだしたら切りがないくらいの種類があるのだ。 これらの添加物は我々が毎日まいにち口にする食料品に添加されているものばかりなのだ。 もちろん厚生労働省が健康上問題ないとして認可しているものばかりなのだが、成分中には長年の摂取で「発がん性」が疑われているものも少なからずあるのだ。 一例であるが、漬物の「沢庵」、色鮮やかな黄色っぽさを出すために合成着色料の「黄色4号」が使われている。しかしこの成分が研究者のあいだでは「発がん性」が指摘されているのである。 もう一つ、砂糖の200倍以上甘いとされる人工甘味料の「アスパルテーム」別名「パルスイート」「ニュートラスイート」などの名称で、「カロリー0」の文言で「ダイエット食品」に良く使われているのであるが、これなどはアメリカの学者が「マウスを用いて実験」した結果では、「脳腫瘍・脳細胞破壊」の現象がみられたことが医学誌に発表されているのである。 通常それらの添加物は、体内に入ると「肝臓」で解毒・分解して体外へ排出(デトックス作用)されるのであるが、酵素の種類によっては、一旦体内に入ると分解されずに肝臓や膵臓などの臓器に留まり、そのまま蓄え続けられていくものもあるのだ。 しかし中には自然植物や自然食品の中から食品添加物としてうまく食材に活用されている例もある。例えば甘味料に用いられる「ステビア」「カンゾウ」、着色料として使われている「くちなし」「カロチン」「紅麹色素」などなど…、人体に無害なものもあるのだ。 もちろんそれらが無害であるからとか、厚労省が認可しているから安全・安心などという保証はどこにも無いのである。 平成12年1月の厚生省が調査した結果によると体重10kgの幼児が一日に摂取している食品添加物の平均量は12630mgで1年間で4609950mg(4.6kg)でなんと体重の半分の量の添加物を食べているのです。ならば成人男子はというと……、 推して知るべしなのである。 これらの添加物、「塵も積もれば山となる」の例えどおり、仮に一人が1日3g摂取したとして1年間で1kg以上も食べていることになるのだ。(食品添加物は食べ物ではないし、できれば使わないのが良いのだが…) われわれ店頭で食料品を手に取って真っ先に目にするところは、「賞味期限・消費期限の表示欄」なのだが、それだけではいけないのだ! 「食料品」は我々が毎日口にしなければならないものであるからして、安全性が確認されていてもいなくても、短期間ではなく長いスパンで考えることと、加えてスーパーやコンビニの加工食品を購入する際には、容器包装に表示されている「食品添加物の欄」に必ず目をとおし、人体・健康にどのような影響を与えるかを考えながら買うという習慣を常日頃から持っておくことが大切である。
2017年05月20日
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科学や医学の発展と相まって、日本人の平均寿命が戦後から飛躍的に延びた結果、とうとう「高齢化社会」という時代が到来してしまった。 健康志向の高まりで巷間には多種多様な健康食品が氾濫し、体力や筋力の維持増進を謳った健康器具やスポーツ施設などが賑わいをみせている。 美容・健康のための実践方法はまさに「十人十色」、老若男女を問わずベストマッチを期待してのぞんでいるのであろう。 ブームに乗じて関係業界は商品拡販を狙ってあの手この手を駆使してくる。 「雨後の竹の子」のように類似品も沢山出回ってくると、自分なりの基準というか、「コンセプト」をしっかりと確立しておかないと、商品選びの際にどれが偽物か本物かの区別すらつけられず、いよいよ訳が分からなくなってしまう。 結局最後はどの商品も「似たようなもの」との邪推から、値の張らないそれなりの物で妥協してしまうということになりかねない。 けして安い物が悪く、高い物が良いということではないのだが、病気を予防し、健康を買い取るために我々はみなこぞって、「虎の子」をはたいて先行投資をしているのである。 安い費用で高い効果を生み出せるのが一番理想的方法なのだが、世の中そうは問屋が卸さないのである。 「費用対効果」を期待して先行投資をするのは良いが、それに見合うだけの効果が期待できなければ騙されたということになる。 加齢とともに年金生活のウエイトが高くなってくるのも事実だけに、高い費用をかけた分だけ、確実に高い効果を生み出してもらわなければ困るのだ。 真贋を見抜く眼力だけは常日頃から磨いておこうではないか。 「少子高齢化社会」にあって、周囲に迷惑をかけずに健康な日々を送ることは高齢者の務めであり、責務でもあるのだ。
2017年03月15日
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いや~!いよいよ押し迫って参りましたね。何かと慌ただしい師走ですが、あと4日で平成29年の幕開けです。 年の瀬も押し迫ってくるとどうしても話したくなるのが、「イカ食材」の話。 そこで一席! 四方を海に囲まれた「島国日本」は、漁業資源の宝庫。 なかでも我々日本人に欠かせない食材の一つが「イカ」なのだ。 「煮て良し、焼いて良し、生で良し、味も良し」と四拍子揃っている軟体動物のイカは栄養バランスが大変良く、調理や加工もしやすく消化もよいので、少し臭いはするが弁当のおかずとしても長方されているのである。 そのうえ、良質で高蛋白なアミノ酸と、肝臓の機能を高め血圧を降下させるタウリン(アミノエチルスルホン酸)という物質も豊富に含まれているので、酒好きの人間にとって利用しない手は絶対にないのだ。 小生も週に一度は近くのスーパーへ出かけ、生鮮食品売場を覗いてなるべく色の黒っぽいイカ(鮮度が良い)を探して二三杯買ってくる。 皮を剥ぎ細切りにして刺身にし、耳・ゲソは醤油・胡椒で味付けして炒め、酒の肴として賞味するのだが、これが何ともいえぬ美味なのである。 そして最後の一品は…、 何と言っても「イカの塩辛」。 はらわたを加えた一品は 「酒肴に良し、ご飯に良し、お茶に良し」で兎に角、えも言われぬ最高の味覚に変身するのである。作り手によっては如何様にも風味が変化する代物なのだが、はらわたの裏ごしが結構面倒で大変な作業となる。 またこの「塩辛」という代物は、調理方法を少し変えただけで「納豆」と並んで嫌いな人には大嫌いな代物に変身してしまうから大変である。 かといってオーソドックスな「紀○」や「桃○」のブランド品では食べていても何か今ひとつピンとこない物足りなさを感じるのだ。 よし! 年明け早々にでも「自家製塩辛」を試してみるか。 ともあれ、大晦日の夜は「除夜の鐘」を聞きながら、市販の塩辛で我慢の一杯といこう!! 「JON ちゃんのリラックスサイト!」へもどうぞ!
2016年12月28日
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晩秋の夕方ともなれば辺りもすっかり暗くなり、肌寒さがひしひしと老体の身に染みわたる。今年も残すところあと2ヶ月余りとなってしまった。 という訳で、季節もいよいよ冬場に突入の今日この頃…、食欲の話を一つ! 秋の味覚の代表格は「サンマ」「松茸」ということに世間の相場は決まっているが、どれもこれも値が張って中々庶民の口には入りにくいのだ。 そこで「食欲の秋」に我々の胃袋を手っ取り早く満喫させてくれる打ってつけは、何と言っても安価で美味しい「ラーメン・ライス」ということになるのだが、主食が「ご飯」、「副菜」がラーメンということになり、炭水化物のオンパレードとなってしまう。 しかしこの「ラーメン・ライス」なる定食は、スープの味加減ひとつで不味くも美味しくもなる代物なのだ。 それでは食べ方をご紹介しよう。 自宅では「即席麺」プラス「ご飯」を準備するだけと至ってシンプル。自分好みでいくと、「即席麺」の定番は「チャルメラ(明星食品)」か「サッポロ一番(サンヨー食品)」ということになる。 即席麺のゆで時間は3分から4,5分といったところだが、小生はゆで時間を若干少なめにして、どこぞの市販調味料の「豆板醤」や「シャンタン」などを適宜追加し味ミックスで召し上がっているのだが、なかなか良い風味である。 街の食堂を利用する際などは、たまに「素ラーメン(醤油味)」に「ライス」を注文するのだが、その際でも「出汁」の調味ウォッチをかかさないようにしている。 自分流の美味しい食べ方は、まず最初にラーメンのつゆをひと口飲んでスープ味を確認、 次に麺を口に運び、その後「ご飯」を思いっきり口に含んで咀嚼し、「スープ・麺・ご飯」の感触を口の中で楽しみながら、これを繰り返すのである。 その際、具として乗っかっている1枚のチャーシューは貴重なので、前後半で半分づつ食べるようにするのが味噌である。(一気に食べるとなくなってしまう。) お店によっては、チャーシューの他に「海苔」「鳴戸」「野菜」などがのっかているので、例えば海苔などはご飯にくるんで食べるなど、一工夫して食べるのも美味しいやり方なのだ。 とどのつまりは外食も自炊も要は「出汁の摂り方」次第ということになる。 人生何事も経験が大事! 読者諸兄よ! 騙されたと思い、一度や二度は自己流で工夫した美味しい「ラーメン・ライス」の味をお試しなさってはいかがかな、!?
2016年11月04日
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いやぁ~、暑い、あつい…、日本全国本当に暑い夏になりましたねぇ! 熱中症は家も外も同じように危険です。 熱中症予防のためにまずやることは、水分・塩分を十分補給すること、そいて涼しい場所に身を置くよう心がけましょう。 しかし、水分補給にアイスやかき氷もいいですが、こういう時期には却ってじゃんじゃん食べて体力維持につとめるに限ります。 そこで栄養価の話を一つぶちましょう。 栄養価で一番気になるのはタンパク質なのだが、このタンパク質はただ摂れば良いというものではなく、摂り方があるのだ! 「プロティンスコーア100」という摂り方なのです。 超簡単に説明すると、一日の必要摂取量を「20種類のアミノ酸の量の比」と同じ比率になった食べ物を摂ればいいのです。 プロティンスコーア100でないタンパク質を摂れば、アミノ酸の過不足が起こります。 アミノ酸の不足状態が持続しますと、やがて栄養障害に陥り、真っ先に知覚中枢である脳に敏感に反映されていくことになります。 そこで良質のタンパク質10gを摂るために必要な優等生の食べ物は何か! 分子栄養学に基づく分析の結果100点満点の第1位に輝いたのは「半熟の卵」(必要量79g)でした。(同じく「しじみ」も第1位) あとに続くのは、サンマ(96点)(52g)、イワシ(91点)(63g)、マトン(90点)(68g)、豚肉(90点)(83g)、アジ(89点)(56g) etc.…、 暑い夏だからこそ却って毎日じゃんじゃん食べて体力つけて、酷暑の時期を乗り切りましょう。
2016年08月09日
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爽やかな春の風が肌に心地よく感じられる「若葉香る5月」もいよいよ最終章に入りました。 ここ数日のお天気は初夏を思わせるようなうだる陽気に様変わり! いよいよ「若葉から新緑へ」季節交代がはじまろうとしている今日この頃である。 今頃の季節は何を始めても良いという感覚が自分の中にあり、何かしなくてはという衝動にかられ、数年前からやり始めたのが「ベランダガーデニング」である。 手始めに小さなプランターに土を入れ、適当に水をやり、「うまみ菜の種」をぱらぱらと蒔いて植えてみた。 種まきシーズンが長いのでいつ蒔いてもOKなのと毎朝1回の水やりだけで済むので世話する手間が省けるのが中々良いのだ。 たかが「ベランダ菜園」ではないか、などとバカにしてはいけない。 小生のコンセプトに「趣味と実益を兼ねる」というのがあって、上手くいけば青々とした瑞々しい菜っ葉が、美味しい味噌汁の具として1~2週間後には食卓に上る段取りなのだ。 未だ数センチだが、成長が早いので今後数十センチに成長した「うまみ菜の勇姿」を、いずれ小生の「ホームページ」でお披露目することにしよう。 「乞う!ご期待!」と言ったところである。
2016年05月20日
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現代では凄くポピュラーな「諺」なのだが、なぜか出典がわからない人が非常に多いことわざがこれである。 「為せば成る、為さねば成らぬ何事も…」(ナセルはアラブの大統領なり、などとその昔は語呂あわせでよく遊んだ) 第九代米沢藩主、「上杉鷹山」の名言である。 日本ではそれほど知名的な人物ではないのであるが、彼の有名なアメリカ大統領の、ジョン・F・ケネディが最も尊敬していた人物であったとも記されている。 上杉鷹山の政治家としての手腕は、歴史書を紐解いて読んでみると良く解る。(小生はさわり程度にしか読んだことがないが…) 藩士・農民など、一切の身分を問わず学問を学ばせ、飢饉に備えて非常食の普及や藩士・農民へ倹約の奨励など民生対策にも力を注ぎ、天明の大飢饉(江戸時代の中頃1782~1788天候不順で冷害や干ばつが続いた)の際には、一人の餓死者も出さずに乗り切ったのだ。 さらに破綻寸前の藩財政を建て直し借債を完済した偉大な藩主であったのである。 鷹山の特に凄いところは、今日の政治家がするような、「ブレーンに政策を丸投げし、書かれた原稿を棒読みするだけ…」というようなことはせず、自らが中心になって動き、途中で挫折することなく最後まで成し遂げたところにあるのである。 語弊になるが、何事につけ「当たり前のことを当たり前にやらない」ことが常套手段のようになっている今日、「汗水たらして働く」という言葉にどれほどの人が共感するだろうか。 むしろ、「手を抜く・楽をする」という言葉に魅了される人の方が圧倒的に多いのではなかろうか。 このような時代だからこそ、鷹山の名言が光り輝いてくるのである。 「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは、人の為さぬなりけり」 自分が汗をかき必死に努力する姿勢に勝るものは何もないのである。 この言葉は一生涯、私の「座右銘」として傍らで輝いているのである。
2016年04月11日
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年齢が進むにつれ、自分も栄養補助食品と言われているサプリメントを摂取する回数が増えてきた。 予防医学の普及と共にというか、はたまた時代の流れなのか、あらゆるビタミン剤やミネラル類が巷間に氾濫している。 ネット通販あり、新聞広告あり、店舗ありで、自分好みのものをさがすのに全く事欠かない。 栄養補助食品とはいっても、あくまでも薬の範疇であるのだが、薬事法の絡みでいくら効果があっても能書きに効能を謳ってはいけないことになっているのである。 また飲み方にしても「服用する」のではなく、「お召し上がり方」になっている。 チラシ広告などを覗いているうちに、あれも良い、これも良いということになり、気が付くといつの間にか沢山買い込んでしまっている自分がいるのだ。 「あっ! しまった!」… といったときにはあとの祭りである。 少ないお小遣いから資金を捻出している小生にとっては、これではたまったものではない。 ということで現在召し上がり中の補助食品(1日12種類40粒ほど)を思い切って8種類30粒ほどまで減らして見直しを図ったのである。 これでかなりお小遣いの負担が軽くなって良かったのだが、反面、「不老長寿」を目指して頑張っている小生にとっては日増しに健康面での不安が募り、心が重くなっていくような気がしているこの頃なのだ。
2016年03月07日
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小生が未だ若かりし頃のサラリーマン時代の話である。 社員食堂でのワンシーンである。 お昼時間が迫るころになると気もそぞろ、誰しも時計の針に目がいってしまうものであるが、その日は特に空腹なこともあって、何回となく部屋の中にある大時計に目がいってしまったのだった。 我慢しきれず、少し早めに離席し社員食堂に向かった。 時間が早かったせいもあり、その日の食堂の顔ぶれはいつもとは少し違っていた。 ガラス越しに展示してある「昼食メニュー」の中から日替わり定食の「A定食」を注文した。 空腹も手伝い、この日に限っていつもは注文しない「納豆」を追加でオーダーしてしまったのである。 一人いそいそとテーブルで食べ始めたのであるが、折り悪くと言おうか、小生のテーブル横に他部所のY部長とその仲間数人がやってきて陣取り、何やら雑談しながら食べ始めたのである。 小生、別段気に留める事もなく食べていたのだが、ひとしきりして仲間との会話が途切れたせいか、急に部長が横目でチラリとこちらを眺め、「怪訝そうな顔」でひとこと話しかけてきたのである。 ”君は納豆を食べているけど好きなのかい”? 余計なお世話と思いながらも小生はすかさず、「はい大好きです!」と答えた。 すると部長は含み笑いをしながら、でかい声で一言、「日本人だなぁ~、君も…」と、のたまったのである。 仕方なく小生も愛想笑いを浮かべながら、すかさず斬り返えした。 「フン! 納豆嫌いは日本人じゃねーよ、大きなお世話だぁ~!」…と、 もちろん心の中で呟いたのである。
2016年02月09日
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「歳月人を待たず」という一見、薄情そうな諺が存在するのだが、その所為なのか、この齢になるとどうしても「昔むかし…」の世界に回帰してしまうことが多いようだ。 戦後の混乱がまだ尾を引いている昭和20年代前半に産声を上げた「団塊の世代」と呼ばれている人種も、今ではとうに還暦を飛び越えて時代の向こう側に行ってしまった。 社会の荒波に揉まれ「企業戦士」として辣腕を奮い、日本の経済成長の一翼を担ってきたと自負されている御仁もおられるのではなかろうか。 我々が20歳そこそこであった頃の昭和40年代当時は海外でも日本でも「グループサウンズ」が全盛を極めており、海外では「ザ・ビートルズ」、「ローリングストーンズ」「ベンチャーズ」などが、国内では「ザ・タイガーズ」や「スパイダーズ」「テンプターズ」などなど、さらに踊りでは「ゴーゴー」や「モンキーダンス」などが大流行し跋扈していたのである。 相まって若者たちの間では、エレキギターを始め、フォークギターやクラシックギターなどの楽器が大いに持て囃され一大潮流を形成していたのだ。 では早速タイムマシーンに乗ったつもりで昭和40年代の日本にテレポートし、その当時の空気に浸ってみようではないか。 関東平野のとあるキャンパスに降り立った。そこには我々団塊世代の若かりし頃の学園生活が展開されているではないか。 耳を澄ましてみると、学園内のあちこちから学生たちの和やかな談笑が聞こえてきた。将来の夢と希望を語り合う若者たちのエネルギーで、キャンパス内は燃えさかっていたのである。 当時は多くの学生がギターを所有しており、「ポピュラー・歌謡曲・フォークソング」など、得意なジャンルの曲を思い思いコピーして楽しんでいたのである。 ご多分に漏れず小生も「ギター」という楽器に憧れていて、アルバイトをしながら貯めたお金でいち早く楽器を購入し、難解な旋律の曲を苦心しながら独学で習得し徐々にレパートリーを増やしていったものである。 学内には趣味の合致した学友が数人いて交流を重ねていたのであるが、ある日ある時「ギター演奏」のことが話題に上った。 「奏法や技巧」へと話が盛り上がり、とうとう「それぞれの腕前の披露」へと話がエスカレートしていったのである。 学友の一人が「課題曲」を提示し、その曲を「誰が最も早くマスターし、上手に弾けるかやってみようではないか」ということで話がまとまった。 何日かして再び一同が会し、いよいよ課題曲である「禁じられた遊び」(愛のロマンス)の腕前を披露することと相成った。 曲を奏でる「手は強張り、顔は引きつり」で演奏中は皆必死の形相で、内心穏やかならざるものがあったのであるが、それでもスター気取りで何とか弾き終わり、互いが心の中で、「俺の腕に敵う者は居るまい」と有頂天になっていたのである。 小生は一歩距離を置いて、高い見地から眺めていたのだが、蓋を開けてみて「ビックリ!」、どれも皆「団栗の背比べ」であったのだ。 演奏テクニックに「キラリと光る」個性などというものは、誰一人持ち合わせていなかったのである。 結論は…? と言えば、 アッ ハッ ハ~! やはり所詮は 素人、「同じ穴の狢」、 「目糞、鼻糞を笑う」の類であった。 青春って…、本当にいいものですねぇ…!
2016年01月09日
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いや~! 今年もとうとう土俵際まで押し切られ俵一枚で残しているという感じですよね。明日はいよいよ平成28年の幕開けか~。 何とも慌しい大晦日ですが、おせち料理作りもほぼ終えたところで食材のお話をひとつ! 四方を海に囲まれた「島国日本」は、漁業資源の宝庫なのだが、なかでも我々日本人に欠かせない食材の一つが「イカ」。 「煮て良し、焼いて良し、生で良し、味も良し」と四拍子揃っている軟体動物のイカは栄養バランスが大変良く、調理や加工もしやすく消化もよいので、少し臭いはするが弁当のおかずとしても長方されているのである。 少し硬い話になるが、学術書には「イカ、タコなどの軟体動物には良質で高蛋白なアミノ酸と、肝臓の機能を高め血圧を降下させるタウリン(アミノエチルスルホン酸)という物質も豊富に含まれている」とある。 補足説明になるが、wikipediaによるとタウリンは「人の体内で胆汁酸と結合し、タウロコール酸となって食物の消化作用を助け、神経伝達物質としても大活躍する一方、血液に含まれている白血球の一種である好中球が殺菌の際に放出する活性酸素や過酸化水素放出を抑えるといった作用もある。」ということも記してあった。ついでに、「するめの表面に出る白い粉はタウリンが凝縮」しているのだそうだ。 という訳でタウリンには肝機能を整える作用があることから、酒好きの人間にとってイカはうってつけ食材パートナーであり、アルコールを飲む際に利用しない手はないのである。 小生も週に一度は近くのスーパーの生鮮食品売場を覗き、なるべく色の黒っぽいイカ(鮮度が良い)を探して二三杯買ってくる。 本体の皮を剥ぎ細切りにして刺身にし、耳・ゲソは醤油・胡椒で味付けして炒め、酒の肴として賞味するのだが、これが何とも言えず美味なのである。 そして最後の一品はというと何と言っても「イカの塩辛」なのだが、しかしこの「塩辛」、調理方法を少し変えただけで「納豆」と並んで嫌いな人には大嫌いな代物に変身してしまうから大変である。 イカのはらわた(内臓)を加えた塩辛は何とも言えない風味があり、小生には絶品の味なのだ。 「酒肴に良し、ご飯に良し、お茶に良し」で兎に角、えも言われぬ最高の味覚に変身するのである。 さてそこで、自家製塩辛はこれから取り掛かるのであるが、レシピなどを見てみると作り方は結構簡単そうである。 作業手順としては、 ● 取り出したイカの内臓にたくさんの塩をまぶして「すのこ」の上などに置き、一晩冷蔵庫に寝かせて余分な水分を抜き取ること。またイカ本体も皮をむき塩を振って一晩冷蔵庫でねかせる。 ● 翌日取り出してイカのはらわたの中身を搾り出し、酒、みりん、塩などの調味料で味付けして、イカ本体の方も食べやすく小切りに裁いて、容器にいれてかき混ぜる。 ● 2~3日冷蔵庫で保存し、1日に1回程度取り出して容器内の塩辛をかき混ぜる作業を行うと次第に熟成発酵した美味しい塩辛が出来上がるのである。 一度自家製の塩辛を玩味したならば、もはや「紀文」や「桃屋」のブランド品などは全然まったく「お呼びでない!」になってしまいそうな気配なのである。 よし! それでは年明け早々にでも「自家製塩辛」を試してみるか。 ともあれ、大晦日の夜は「NHKの紅白と除夜の鐘」を聞きながら、日本人の味覚にピッタリあった「イカの塩辛」で一杯やるか!! 「JON ちゃんのリラックスサイト!」もご覧アレ~。
2015年12月31日
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2015年も「アッ!」という間に過ぎちゃいましたね…。という会話があと2か月ちょっとで聞かれそうな感じがする今日この頃なのであります。 つい先日、地元の神社で初詣を済ませたばかりだったのに…、というような感覚が体の隅に残っているのであるが、なんでこんなに早いんだろう。 年を追うごとに強く感じることだが、一日を刻むテンポの何と速いことか。 さて小生、その昔少しばかり旧約聖書をかじったことがあります。最初のページに「創世記」という記述がありますが、その部分を覗いてみると、「エデンの園」と呼ばれていた楽園の地が登場してきます。 神はその場所で最初の人間である男の「アダム」とアダムの骨の一部分をとって、男の補助者として女の「イブ」を創造されました。 両者は神によって祝福され、夫婦としてその地で「永遠に生き永らえることのできる命」と「快適な生活」とを保証されていたのでありますが、ある時、アダムが「神の掟」に背いたために神から大変な激怒を買い、両者とも「エデンの園」を追放されてしまったのです。 「楽園の地」を追われた二人は「下界の地」で苦労しながら食物を得ることになりましたが、遺伝子配列が最初の神の意図どおり「永遠の命」に近かったためでしょうか、900歳以上生き永らえたと聖書には記述されているのです。 現代科学と言おうか、医学と言うべきか、正に技術の発達には目を見張るものがあり、ヒトゲノムの塩基配列解読や農作物遺伝子(DNA)の自由な組み換え技術もすでに完成し確立されていると聞いています。 さらに 人間の一細胞を培養して、全く同じ人格、容貌の同一人間を作り上げるクローン技術も確立されていると聞いている。 ということは、何も人間の齢は今日においても70~80歳に限定されなくてもよいのである。なので、ごく近いうちに、人類が倫理感を超越し技術の枠を駆使した結果、自由自在に遺伝子操作をして人間型クローンやアンドロイドを大量生産するようになるかも知れない。 そうなれば、現在の人間の平均寿命(70~80歳)も飛躍的に延び、「1000歳」ということも十分実現可能な範疇になるかも知れないのだ…。などと、「時間に翻弄」されながら戯けたことを考えているうちに今年も足早に過ぎ、「アッ!」という間に2016年がやってくるのである。
2015年10月14日
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イヤ~! 暑い 暑い! 夏といえば、ひと昔前に巷でみなが良く歌っていた「麦わら帽子の夏休み! 田んぼの蛙も夏休み~、」という軽快なテンポの曲があった。 わが青春時代に流行っていた吉田拓郎の「夏休み」という曲である。 あまりにもテンポが良すぎて乗りがいいので、ついつい季節感も無しに「冬場」でも鼻歌まじりに歌ってしまうほどの曲なのである。 しかしその夏も終盤に入ってしまったのだが、気圧配置は依然として南の高気圧が優勢で夏の余韻は今しばらくつづきそうな気配である。 酷暑に続いてこれからの季節、油断ならないのが台風なのだ。 今年の台風の特徴は南洋上で2個同時に発生する傾向があり、列島を左右から挟み撃ちにして二面攻撃してくる感じがしないでもないのだ。 そこで台風ばかりではないのだが、「防災対策」の一助となるのが、身の回り品の「整理整頓」である。 緊急時にさっと持ち出せるように、常日頃から「必需品一式」を枕元において置くのである。 うわ~! 火事だ、台風だ、地震だ、津波だぁ~、と、いざとなった時の対処法である。 昨今のご時勢…! 一寸先に何があるかわかりはしないのだ。 「必需品一式」が常に枕元に準備されていれば、心身にゆとりができスッキリするではないか。 「備えあれば、憂いなし」である。 遅ればせながら小生も最近その大切さをようやく悟り、「防災対策」のための「整理整頓」を遣り始めた次第である。
2015年08月24日
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日本人の健康志向に拍車を掛けるように、巷間には多種多様の健康食品やグッズが氾濫し、体力の維持増進を図るための健康器具や施設などが乱立し、今では新聞や雑誌の広告欄は「サプリメント・美容クリーム」などアンチエイジング一色の様相を呈しているのである。 ブームに乗り遅れまいと、「製薬会社」を筆頭に「食品会社」や「清涼飲料会社」、「酒造会社」、はたまた畑違いと言おうか、「光学機器メーカー」など、多種多様の業種まで入り乱れての販売合戦が展開されているのである。 若々しさをいつまでも保ちたいと願うのは誰しも同じだ。それは「人情」と言うものである。 「十人十色」と言われるように、老若男女、皆が夫々、健康や美容のため、そして不老長寿を目指して自分に叶っていると思われる仕方で実践しているのであろう。 順調に売上額が伸びてくると、産業界では更に「あの手この手の秘策」を絡めて、あらゆる商品を展開をしてくるものである。 そこでいつしか「雨後の竹の子」のように巷間には「類似品・紛い品」の類が沢山出回り、自分なりの「基準」というか、「コンセプト」というものをしっかりと確立しておかないと、どれが本物か偽物かの区別すらつけられず、いよいよ訳が分からなくなってしまうのである。 結局最後はどの商品も「似たり寄ったり」であろうとの邪推から、値の張らないそれなりの物で妥協してしまうということになってしまう。 別に安い品物が悪く、高い物が良いと言っているのではなく、「真贋」を見抜く知恵を働かせてもらいたいのである。 安い費用で高い効果を生み出せるのなら、それが一番理想的なのだが、世の中そう甘くはない。 病気を予防し、健康を買い取るために我々はみなこぞって、「虎の子」をはたいて先行投資しているのであるからこそ、「高かろう・悪かろう」では困るのである。 もし、「費用対効果」の法則性が投資額に対して存在しているならば、 「アンチエイジング」に 高い費用をかけた分、高い効果を生み出してもらわなければ困るのである。 益々高まっていく少子高齢化社会にあって、理想論ではあるが、余生は「介護生活など無用・心身ともに健康で充実した毎日・そして最後はピンコロで閉じたい」と願うのも老齢者ゆえの人情というものである。
2015年07月18日
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「健康管理」や「予防医学」といったジャンルに幼い頃から大変関心があった小生なのだが、いざそれを実践しようという段になるとやはり二の足を踏むことしばしばだったのである。 ある日、会社の文庫に十数冊の新刊本が入荷し一斉に書棚に並べられた。 何気なしに近づいてふと見ると、その中に「脳細胞は蘇る」三石巌:著というタイトルの書籍が目に飛び込んできた。後にこの一冊の書籍が「分子栄養学」に基づく、「健康管理・予防医学」を実践する動機を小生に作ってくれたのである。 聞きなれない学術名で戸惑うことしきりなのだが、「分子栄養学」とは簡単に言えば、「分子生物学」と「量子生物学」との考え方によって構成された「科学としての栄養学」のことをさしている。 それで毎日実践していることと言えば、なんのことはない。「ビタミンCとビタミンE(天然品)」 を大量摂取していることと、半熟卵を毎日欠かさず食べるように努めていることぐらいである。 人類の大敵である「ボケ・老化・病気」など、人間の細胞を蝕む元凶がおなじみの「活性酸素」なのだが「ビタミンCやビタミンE(天然品)」にはこれらの悪さを完全に抑えてしまう働きがあるとのこと。 であるから、小生が特に留意している点といえば、食物摂取によるほかに栄養補助食品といわれるサプリメントからの補給も欠かさないように心掛けているのである。 食物からの摂取だけでは、一日の必要量がバランスよく賄いきれないからである。 また逆に、「ビタミンAやB1、B2」などの過剰摂取が身体に弊害をもたらす事実も知られているのであるが、「ビタミンCやE」であればそれほど気にする必要はないのだ。 過剰摂取した分は体内に滞留して悪さをすることなく、時間と共にすんなり対外に排出されてしまう。もったいないと思うかも知れないが、ビタミンCを大量に摂取する必要性の方がより大きいのだ。 一つとして、会社での仕事の悩みや人間関係の悩みなどから、 ストレスを溜め込めば、溜め込むほどに「ビタミンC」が体内で大量消費されるということが科学的なデータから実証されているという事実も知っておいたほうが良いであろう。 更にまた、ビタミンCやEは「抗酸化作用」のほかに「風邪・インフルエンザウィルス」などに強力に対抗する勢力ともなっているし、体内で「コレステロールの血中濃度を下げる働き」や「ステロイドホルモンやインターフェロンを作る働き」もある。 とにかく、ビタミンであろうがミネラルであろうが不足に陥った場合には「身体のいたるところに不具合が生じて」もおかしくはないのだ。 この本の著者、「三石巌」氏によれば、「ボケ防止・ストレス予防対策」の一環として「脳細胞を常に活性化」させておくためには毎日2グラム(2000ミリグラム)程度のビタミンC摂取が最も効率が良いと述べている。 その著者自身が毎日この「ビタミン」摂取を実践することにより、満95歳まで生き永らえて見事に「サプリメント効果」を実証してみせたのである。 今からでも遅くは無い! 諸兄におかれても「分子栄養学」を実践し、「サプリメント効果」を実証してみるのは如何であろうか。 是非一度ごお試し アレ~!!
2015年06月11日
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まだ5月だというのにいったいこの暑さは何なんだろう…! もしかして待ちきれない「夏」がフライングしてしまったのか。 昔から日本の5月は「春うらら」の季節と相場が決まっていたのだが…、いま夏がきてもらっては多面的に困るのである。 まさかこのまま「エンドレスサマー」になってしまうのでは…。 前置きはこれぐらいにして、今日は小話を一席披露いたそう。 モラルやマナーの欠如といった問題が時折紙面を大きく賑わしている感のある昨今の日本であるが、親切心で行ったことが、相手から「余計なこと、大きなお世話」と思われることが間々あるものである。 下記の事例は小生の体験ではないのだが、表題を良く突いていると思われるので載せておこう。【 先日、バスの一番前の席に座っていると、年配のおばさんが、走ってバスに乗 り 込 んできました。 私の席の横で、「ハァ~ハァ~」言っていたので、私はとっさに、立ち上がり「どうぞこちらに座って下さい」と丁寧に席を譲ろうとしました。 すると、おばさんは、「いえ。結構です。こっちに座りますから」と一言。 はっ!と思い後ろを見ると、なんと!いつのまにか空席だらけになっていました。 私は用もないのに次のバス停で降りました。 それ以来、一番前の席には絶対座らないようになりました。】 このケースは、周囲への「観察力・注意力」の不足が問題だったのである。 相手が望んでもいないのに自分の思い込みにより、「優しさを押し売ったり、押し付けたり」するのは、実は「迷惑」以外の何物でもないのである。 自分が味わう「満足感」とは対象的に、相手は「不快感」で満たされてしまうのである。 何も公共輸送機関(乗り物)ばかりとは限らない。 似たような事例は他の場面でも見られると思うのだが、人間社会においては避けて通れないシーンである。 失笑を買わない為にも、諸兄におかれては常日頃から心身を鍛錬し、相手の「心を読む術」を正確に身に着けておこうではないか。
2015年05月25日
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ゴールデンウィークが終わったばかりなのだが、ここ数日のお天気は初夏を思わせるような気候!この時期日本列島に「台風6号が上陸」って、一体全体、日本の気象はどうなっているのだろうか。 「光陰矢の如し!」とよく言われるが、早くも一年という時間が、ここまでで半分近くを消化してしまった今日この頃なのだ…。 螺旋のような時の経過に感化されてといおうか、ここにきて齢からくる焦りというものもあり、何かしなくてはという衝動にもかられ、やり始めたのが「ベランダガーデニング」という訳なのだ。 小生のコンセプトである「趣味と実益を兼ねる」に則って、手始めに小さなプランターに土を入れ、適当に水をやり、「小松菜の種」をぱらぱらと蒔いて植えてみた。 たかが「ベランダ菜園」とバカにしてはいけない。 上手くいけば青々とした瑞々しい菜っ葉が、美味しい味噌汁の具として数週間後には食卓に上る段取りなのだ。 数十センチに成長した「小松菜の勇姿」を後日、小生の「ホームページ」でお披露目することにしよう。 「乞う!ご期待!」と言ったところである。ポイントサイト「ハピタス」Amazon商品の自己購入で1%のポイントバック!
2015年05月13日
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ここ関東地方もそろそろ花見のシーズンも終わり、気が付くと暦も一年の三分の一が過ぎ去っているのだが、時の経過の何と早いことか…。 もうかなり昔のことになるが、小生がサラリーマンをやっていた頃の話である。 ある日の夕方、職場の仕事も早々に片づけ、いつものように気の合う仲間数人で会社近くの居酒屋に飲みに出かけたのである。 その日もお決まりのコースを頼み、上司の悪口をつまみにしながら和気藹々で飲んでいたのであるが、暫くして酒のつまみも無くなりかけてきた頃、先輩のM氏が「茄子のお新香」2皿を追加オーダーしたのである。 間もなくしてテーブルに「お新香」が運ばれてきたのだが、見ると頭の部分に「へた」が付いていたのである。 小生、お新香には目がないのだが、その時はあれこれ話に夢中になっていて「茄子のお新香」の存在をすっかり忘れていたのである。 やがて話も一段落し、さてお新香を頂こうとテーブルに目を移してみると、当のお新香は肉厚な先端部分から中間部分までがすっかり無くなり、へたの付いたやや硬い頭の部分しか残っていなかったのである。 仕方無しにそのお新香に手を伸ばし、へたを取り除いて食べようとした時、突然 先輩M氏が「ちょっと待った! へたを取らずに食べるように…!」と語気を強め進言してきたのである。 小生、「茄子のお新香」は大好物なのだが、「へた付き茄子」に限り大嫌いなのである。 何故かと言えば、口のなかで噛んだ瞬間に「茄子の皮とへたのミスマッチ的な感触」が口いっぱいに広がり、いや~な感覚が後々まで残ってしまうからである。 しかしこの場は、「先輩の意見に逆らうことは後々得策ではない」という思いが瞬間的に頭をよぎり、仕方なくへたのついた茄子を口の中へと運んだのである。 途中、吐き出しそうになったのだが、M氏に表情を読み取られては不味いと思い、ここはグッと堪え飲み込んでしまった。 後味の悪さがいつまでも口中で尾を引き、それ以後全く酒が進まなくなってしまったのである。 それとは対象的にM氏はその後も「生ビール」を何杯もお代わりし、「へた付き茄子」を美味しそうに食べているのを見るにつけ、腹がたったことは言うまでもない。 しかし反面、医学的見地から見てみると「茄子のへた」には有用な働きがあるということも知られている。 舌をかみそうな長い名前なのだが、「プロテアーゼインヒビター」という物質が「へた」に含まれていて、その物質は炎症を静める効果があり、へたを焼いたものを「口内炎や歯痛」の患部につけると炎症がおさまり、さらに焼いたへたに塩を混ぜて歯茎に塗れば「歯槽膿漏の予防」にもなるということである。 歯の弱いお方には朗報であろうと思う。 茄子のへたも要は使い方次第。 スーパーや青果店で買ってきた茄子の「へた」はへたに捨てないで、有効活用したいものである。
2015年04月21日
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家にばかり閉じこもっているのも体に毒とばかり、春麗らかな4月のある日、「花見」を兼ねて久し振りに家族で近場のテーマパーク的なアート公園を訪ねてみた。 目的の場所は家から車を走らせて約20分ほどのところにあり、文化の中心的な都市の一角に設置されていて、行楽シーズンともなれば大勢の見物客で賑わう場所のはずなのであるが、この日は平日ともあって人影もまばらとうい感じであった。 園内に入って、「ビックリ」! 桜並木は一列にきれいに整備されていて、木のまわりには花壇がつくられていて色々な花が競い合うように咲いている。なんともはや美しい公園なのだ。 配布の栞を覗くと、何でもこの公園の企画・設計は世界的に有名な某一級建築士の手によるものと書かれてあった。 園内に生い茂っている桜の木はどれも満開。あちらこちらに目をやり、カメラアングルを気にしながら持ってきたデジカメでシャッターを切り続けたのであるが、ビューティフルを連発しどおしであったのである。 これで来た甲斐があったというものだ。 公園内を足の向くままに一通り散策し、その後芝生に寝転んで麗らかな春の感触を楽しんでいたのだが、雲ひとつない快晴の空に広がるスカイブルーの蒼さは、園内に咲くピンク色の桜とマッチしてえも云われぬハーモニーを醸し出していたのであった。 束の間とはいえ、この日の「花見」は浮世の出来事を一瞬とはいえ忘れさせてくれたのである。 小生にとって良いストレス解消策になったことは言うまでもない。
2015年04月07日
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いや~、またまたロングブランクでブログの更新が遅れちゃいました。こんなご時勢では気が進まないことも結構あるのだよ。「歳月人を待たず」といったところであろうか。 さて、最近になって無性に楽器が恋しくなり、若かりし頃に愛好していたクラシックギターを押入れの奥から引っ張り出してきたのであるが、ケースを開けてみてビックリ!! 中の付属品からギターの弦までカビだらけなのだ。 めげずに手入れをして何とか弾ける状態にして、演奏しようとしたのだが、まったく手が動かないのである。それもそのはず、コードからドレミファの音階まで、音楽をすっかり忘れてしまっていたのである。 楽器を手にしなくなってから、もうかれこれ数十年の歳月がながれているので仕方がないといえばそれまでなのだが、…。しかし、う~ん悔しい~。 よし近くのカルチャーセンターに出かけてレッスンの申し込みをして「再起をかけよう」と思い、行ってみたのだが、女性講師のおばちゃんが教えていました。 小生は即スルーしましたが、やるからには、三日坊主では絶対にいけないのだ。「継続は力なり」という言葉をよく耳にするのだが、この言葉、物事の本質をよく捉えた言葉でありますぞ。 童話にでてくる「ウサギとカメ」ではないが、普段から地道にコツコツと努力を積み重ねていくことが物事を習得する最善の方法であり、早道なのだ。 人間という動物、どうも時経つうちに「手を抜く、楽をする」に流されてしまい、結果的に物事の習得を遅れさせたり、挫折させてしまっていることが多い。 「努力は天才に勝る」という言葉がある。「継続する努力」が己の「賜物」をいち早く光り輝かせていくことにつながるのだ。小生も若干の刺激を受けてたった今、さあやるぞ!!という心境にいたったところであるが、その後はどうなっていくのかわからないところだ。 昔から寄席などの小噺に「早寝、早起き、早飯、早糞、芸のうち」などと使われてきているが、「寸劇」つまり、ちょっとしたことが身を助けるということが長い人生をやっていると間々あるものである。 普段からの弛まぬ努力と汗によって(つまり継続することによって)、ある時突然に「第六感」といわれる「一瞬の閃きやインスピレーションにより、天賦の才能が天からのご褒美としてやってくるかも知れないのだ。 人間この世に「おぎゃ~」と生まれてきたからには、皆が夫々「己の埋もれた賜物」をいち早く発見し、努力と汗を惜しまず研鑽し、「世のため、人のため」に貢献してもらいたいものである。 JON ちゃんのリラックスサイト!! もご覧下さい。
2015年03月08日
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いや~!いよいよ押し迫って参りましたね。あと2日寝ると平成27年の幕開けです。 何かと準備に慌ただしい師走ですが、おせち料理の準備ついでに食材のお話をひとつ! 四方を海に囲まれた「島国日本」は、漁業資源の宝庫。なかでも我々日本人に欠かせない食材の一つが「イカ」なのだ。 「煮て良し、焼いて良し、生で良し、味も良し」と四拍子揃っている軟体動物のイカは栄養バランスが大変良く、調理や加工もしやすく消化もよいので、少し臭いはするが弁当のおかずとしても長方されているのである。 学術書には「イカ、タコなどの軟体動物には良質で高蛋白なアミノ酸と、肝臓の機能を高め血圧を降下させるタウリン(アミノエチルスルホン酸)という物質も豊富に含まれている」とある。 補足説明になるが、wikipediaによると[人の体内で胆汁酸と結合し、タウロコール酸となって食物の消化作用を助け、神経伝達物質としても大活躍する一方、血液に含まれている白血球の一種である好中球が殺菌の際に放出する活性酸素や過酸化水素放出を抑えるといった作用もある。」ということも記してあった。ついでに、「するめの表面に出る白い粉はタウリンが凝縮」しているのだそうだ。] という訳でタウリンには肝機能を整える作用があることから、酒好きの人間にとってイカはうってつけのパートナー食材であり、アルコールを飲む際に利用しない手はないのである。 小生も週に一度は近くのスーパーの生鮮食品売場を覗き、なるべく色の黒っぽいイカ(鮮度が良い)を探して二三杯買ってくる。 本体の皮を剥ぎ細切りにして刺身にし、耳・ゲソは醤油・胡椒で味付けして炒め、酒の肴として賞味するのだが、これが何とも言えず美味なのである。 そして最後の一品はというと何と言っても「イカの塩辛」なのだが、しかしこの「塩辛」、調理方法を少し変えただけで「納豆」と並んで嫌いな人には大嫌いな代物に変身してしまうから大変である。 イカのはらわたを加えた塩辛は何とも言えない風味があり、小生には絶品の味なのだ。 「酒肴に良し、ご飯に良し、お茶に良し」で兎に角、えも言われぬ最高の味覚に変身するのである。 「紀文」や「桃屋」のブランド品では何か一味物足らない。 よし! 年明け早々にでも「自家製塩辛」を試してみるか。 ともあれ、明日の夜は「除夜の鐘」を聞きながら、市販の塩辛で我慢の杯といこう!! 「JON ちゃんのリラックスサイト!」も是非ご覧アレ~。
2014年12月30日
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いや~、またまた2カ月のご無沙汰になりました。 今年も残すところあと○○日という時期になって参りました。(まだ少し早いか?) 脳の活性化シリーズも今回が第3弾です。 人間が生きていく為にはどうしても必要な栄養源があり、それが「タンパク質」という物質なのである。 もちろん栄養の主役であり、これが欠如すると人間は人体の構造上生きていけないようになっているのだ。 タンパク質は20種のアミノ酸が作る鎖のような物質であるので、そのアミノ酸のどれが欠けても生体の機能に重大な影響を与えること必死なのだ。 しかもこれはただのタンパク質ではなく「良質」でなくてはならないのであるが、では、良質タンパク質とは何だろうか。 それは、体が要求する20種類のアミノ酸の量の比と同じ比率になったアミノ酸を含むタンパク質のことなのだ。 言い方を変えれば、「プロテインスコア100」のタンパク質ということである。 これを食べていれば、どのアミノ酸も過不足なく供給されるということになる。 一日に必要なタンパク質は体重の1000分の1なので、例えば、体重が60kgのひとは一日に6gが必要量ということになる。しかも「良質」でなくてはならないのだ。 「プロテインスコア100」のタンパク質を持つ食品としては、「卵」と「しじみ」があるのだが、特に「卵」の場合は半熟卵が100点満点になる。 しかし、毎日「卵」と「しじみ」だけを食べているわけにはいかないでしょう。 そこで少し良質度がダウンするが、プロテインスコアが96~85と比較的高い食品群に、「さんま、いわし、マトン、豚肉、カジキ、あじ、鶏肉、いか、そば」などがあり、それらをうまく摂取するのもよい方法なのだ。 毎日の食事で人それぞれ色々な物を食しているので、タンパク質の良質度は低くてもそこそこ賄われているので健康上さほど心配する必要はないのだが、しかし、効率良くプロテインスコア100を摂取するためには上記の食品群が参考になると思う。という訳で食生活を少し気配りすることで、毎日の健康を維持し続けることが可能なのである。諸兄たちも是非この機会に「プロテインスコア100」のタンパク質摂取を心掛けてみては如何かな。 参考書:脳細胞は甦る…三石巌
2014年11月19日
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いや~! 2ヶ月のご無沙汰です。 季節も夏から秋に突入し、いよいよもって巷の街路樹も色づき始めてきた今日この頃如何お過ごしですか。 小生、常々感じていることなのだが、日本の四季って本当にいいですね~。夫々に情緒や意味合いがあって、木や草花に話しかければ何故か語りかけてくれるような気がしています。 さて、今回は「脳の活性化シリーズ」第2弾ですが、「活性酸素」の話について二言三言述べておきます。 よく怒る人は早くボケると言います。 人間は脳を活動させるときに大量のエネルギーを消費しますが、その時に「酸素」も大量に消費します。 その酸素消費量のうちの約2%は「活性酸素」になります。 活性酸素は生命を傷つける「殺し屋」とも称されていて、「病気」も「老化」も一重にこの「殺し屋」のせいということになるのだ。 この危険因子の有力な発生源となっているのが、「情動脳」という喜怒哀楽をつかさどっている部分にある。 「喜」と「楽」は免疫機能を増強させるホルモンの分泌があるというメリットがついているのだが、問題は「怒」と「哀」である。 常日頃から怒ったり、悲観ばかりしているような人は脳内に活性酸素が大量に発生して、脳細胞を傷つけているわけなのだ。 人生を同じく生きるならば難しいかも知れないが、「怒」と「哀」を極力避け、喜びや楽しみを沢山イメージして生活を盛り上げていくことが大切なのだ。 「笑う門には福来る」と言うではないか。 長生きしたければ、笑いなさい!は「的を射た真実」と言えるのだ。 参考書:脳細胞は甦る…三石巌
2014年09月30日
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人間の健康維持・管理はなかなか大変なものである。加齢を重ねるごとにどんどんと身体のあちこちが蝕まれていくのであるが、特にどこが悪いというのでもないが、「身体が疲れる、身体がだるい!」などの症状を夫々に抱えているものである。 これは体内で悪さをする「活性酸素」が一因なのだ。という学説を主張していた一人の学者がいたのである。 その人の名は「三石巌」という物理学者ある。 彼の専門は「分子栄養学」という分野なのであるが氏の著書によれば、高年齢層の予防医学はひとえに「活性酸素対策」にあると明言してはばからないのである。 人体に取り込まれたもろもろの有害な「食品添加物」は肝臓で解毒・分解されて体外に排泄されるのであるが、その働きの際に肝臓内に「活性酸素」が大量に発生すると主張しているのである。 この肝臓内に大量発生する「活性酸素」こそが我々の細胞にダメージを与え、生命を脅かす元凶なのであるが、これをやっつけてくれる掃除屋(スカベンジャー)がビタミン群なのだ。 定年を迎えサラリーマン生活に終止符を打った後、悠々自適な人生を過ごすために、著者は我々に対し毎日大量のビタミン(EとC)を摂取するよう促しており、さらに読み進めていくと老化を少しでも遅らせるために1日の摂取量をビタミンC1200mg・ビタミンE1200IU(国際単位)(800mg)を上限に摂るようにと進言しているのである。 但し、ビタミンCの場合は天然型でも合成品でも効果は同じだが、ビタミンEに関しては合成品は全く効果がないため、天然型(ナチュラル)のDアルファトコフェロール成分に限定されるとのことである。 老後に至り、蓄えが沢山出来たとしても、頭が冴えなかったり、体力が弱弱しかったりでは充実した生活は送れないという訳である。 心身の健康バランスが大切なのは何も高齢者ばかりではなく、老若男女すべての人に非常に大切なものなのであるが、その一助となっているのが栄養補助食品と呼ばれる「サプリメント」なのである。 老化が関係しているとされる「人の遺伝子に組み込まれたプログラム」の変更は現代医学では不可能であるが、リタイアー後の人生はせめて「サプリ」の有効活用で「活性酸素対策」を万全にし、充実した人生を全うしたいものである。 今からでも遅くはない! 諸兄たちも予防医学を兼ねて、ビタミンCとEの大量摂取を試してみて「シミ・シワ・タルミの除去」ばかりではなく、体内に「次から次と発生する活性酸素」をやっつけて健康体を維持していこうではないか?!
2014年07月05日
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時の流れが早いなぁ~…。などとぼんやり考えていたら思い浮かんでくる言葉があった。 「歳月人を待たず」である。 この諺の何と薄情な、いやなんと無情なことか! 戦後の混乱がまだ尾を引いていた昭和20年代前半に産声を上げ、「団塊の世代」と呼ばれている人たちも、すでに還暦を通り越し、今では遥か向こうに行ってしまったではないか。 かつては「企業戦士」として、社会の荒波に揉まれ積極果敢に辣腕を奮い、第一線で大活躍してきたと自負するつわもの達なのだ。 ご多分にもれず、小生もその時代の人間なのであるが、どうもこの齢になると昔むかしの世界に入り込んで「懐古趣味」に耽ってしまうのである。 そこで、次いでといっては何だが、タイムマシーンに乗って昭和40年代の日本を覗いてみようと思う。 それでは、「昭和40年代」へ「ズームイン …」!! 降り立った先は関東の一角にある、とあるキャンパスであった。そこには「団塊の世代」と呼ばれている大勢の若者たちがいた。 構内のあちこちから和やかな談笑が聞こえてくるではないか。エネルギッシュな会話の一端からそれらは将来への「夢や希望」の語らいなのであることが感じとられたのである。 当時は海外や日本でも「グループサウンズ」が全盛を極め、巷間では「ゴーゴー」や「モンキーダンス」なる踊りが一世を風靡し跳梁跋扈していたのであった。 エレキギターを始め、フォークギターやクラシックギターなどの楽器が大ブームを呼び、多くの若者に支持され持て囃されていたのである。 当時は学生の多くがギターを所有しており、「ポピュラー・歌謡曲・フォーク」など、得意なジャンルの曲をそれぞれ思い思いにコピーし楽しんでいたのだ。 ご多分に漏れず小生も「クラシックギター」に大変な魅力を感じていたので、デパートなどでアルバイトを重ね蓄えたお金で友人が所有していたやや高級なギターを譲り受けたのである。 独学ではあったが、難解な旋律の曲を苦労の末習得し、レパートリーを徐々に増やしていったものである。 学内には趣味や性格が一致した数人の学友がいて交流を重ねていたのであるが、ある日「ギター演奏」のことが話題に上った。 話は次第に白熱し、やがて「奏法や技巧」へと論点が移っていき、とうとう「それぞれの腕前の披露」へと話が展開していったのである。 学友の一人が「課題曲」を提示し、その曲を「誰が最も早くマスターし、上手に弾けるかやってみようではないか」ということに話がまとまったのである。 何日かして再び一同が会し、いよいよ課題曲である「禁じられた遊び」の腕前を披露することと相なった。 曲を奏でる「手は強張り、顔は引きつり」で演奏中は皆必死の形相で、内心穏やかならざるものがあったのであるが、それでもスター気取りで何とか弾き終わり、互いが心の中で、「俺の腕に敵う者は居るまい」と有頂天になっていたのである。 小生は一歩距離を置いて、高い見地から眺めていたのだが、蓋を開けてみて「ビックリ!」、どれも皆「団栗の背比べ」であったのだ。 演奏テクニックに「キラリと光る」個性などは誰一人持ち合わせていなかったのである。 結論は…?と言えば、やはり所詮は素人、「同じ穴の狢」、「目糞、鼻糞を笑う」の類であった。{過去記事を一部加筆修正のうえ掲載}
2014年04月20日
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いやー、もう4月も半ばになってしまいました。 桜の花も散り初め、葉桜に変わりはじめてきた今日この頃です。 こんな長閑でいい時節に家にばかり閉じこもっているのはもったいない。「いざ屋外へ!」、ということで先日近場にある「海沿いの公園」に「花見」に行って参りました。 目的の場所は家から電車に乗って30分ほどのところにあり、花見のシーズンともなれば土日は大勢の見物客で賑わう場所なのだが、その日は平日の園内にもかかわらず、たくさんの観光客でごった返しており、満開に咲いた桜の木の下はどこも超満員。「立錐の余地もなし」とはこのことをいうのだな! 公園内を足の向くままにひととおり散策した後に、お昼になったので適当な場所に陣取り、待ちかねていた手弁当を広げ美味しく頂き、一休みして、重い腰を上げまた園内散策に出かけたのだ。 公園内の敷地面積はかなり広く季節の花々や緑木(広葉樹、針葉樹)も多いので、ゆっくりみて歩くとなると丸1日の散歩コースになってしまうほどなのである。 園内に生い茂っている草花に目をやり、カメラアングルを気にしながらデジカメでシャッターを切り続けたのであるが、いざ、帰宅後に再生してみると、どういう訳かぼやけた被写体が半分以上あったのだ。 折角シャッターチャンスを狙って写したものばかりだったのでガッカリである。 なんで! なんで何だ!? 結論が出た。要は己にカメラセンスなど皆無なのである。 束の間ではあったが、「浮世の出来事」を一瞬忘れさせてくれる時間を持てたことは心身ともに良いストレス解消策になったのである。 お疲れ目のお方はこちらもどうぞ!! ↓Jonちゃんのリラックスサイト!!
2014年04月12日
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2月も早なかば、立春もとうに過ぎたというのに季節はまだまだ冬である。 朝晩はもとより、日中でも外の気温は2、3度程度。 「おお寒う~、」の凍てつく感覚がずーと続いおり、小生の頭の中はいつも「早春賦」(春は名のみの風の寒さや~…、)の合唱が続いている今日この頃である。 ところで食い物の話になるのだが、この時期、旬の食材と言えば「寒しじみ」や「あさり」などがある。 調理の仕方はいろいろだが「炊き込みご飯」や「味噌汁」にすると美味しいこと請け合いなのだ。 栄養価が抜群な健康食材なのだが、何といっても「特有の薬効成分が豊富」なのが特筆ものである。 両者に共通しているのが、「タウリン」いう栄養成分である。 「血液中のコレステロールを低下」させ、肝臓内での「解毒機能の向上・動脈硬化の予防」に有効なのだ。 さらに、「あさり」にはビタミンB12が豊富で「赤血球の生成や中枢神経の維持、脂肪の代謝」を促すという効果があるほか、あさりが含有している「グリコーゲン」には疲労回復効果もあるのだ。 一方の「しじみ」にも同様に豊富なミネラル・ビタミン類「カルシウム・マグネシウム・鉄分・リン・コバルト・ナイアシン・ビタミンB1・B2・ビタミンD・Eなどなど…」、豊富な栄養成分が含まれており、「肝臓機能の改善・強化に貢献しているのは元より、「眼精疲労の改善」「利尿促進」「二日酔い解消」と、取り上げたらきりがないほど抜群の効能・効果を期待できるのである。 さらに二日酔いには「しじみの味噌汁」と「梅干し」の同時摂取が良いとされている。なぜかというと「相乗効果」が発揮されるらしいのだ。 肝臓の中に入ってきたアルコールは脂肪に変化し、肝臓内に蓄積されるのであるが、「梅干し」に含まれる「ピクリン酸・クエン酸」が肝臓の機能を高め、アルコールや疲労物質の乳酸を体外に排出させ、味噌汁(原料の大豆)に含まれる「コリン」という物質がレシチンという物質を作り、その「レシチン」が、脂肪に変化したアルコールが肝臓内に付着し蓄積されるのを防ぐ働きがあるからだとか。 とどのつまり、「梅干し」の成分がアルコールを肝臓から排除し、「味噌」の成分が肝臓内に付着した脂肪を取り除く働きがあるということである。 さらにさらに「しじみ」には、「イノシトール」という成分が「肝臓への脂肪付着を予防」し、「コハク酸」と呼ばれる成分では「胆汁の分泌を促進する効果」があるのだ。 諸兄におかれては是非とも朝食メニューに今が旬の「あさり・しじみ汁」を供し、味覚を楽しむと同時に、二日酔いからの開放を味わい、「日本人に生まれてよかった!」の素晴らしさを実感してみては如何であろうか。
2014年02月17日
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「人生は筋書きのないドラマである」と言う言葉を耳にしたことがある。 昔の上方役者「浪花千恵子」が語った言葉なのであるが、よくよく考えてみると、みなくても、全くそのとおりなのである。 この世に生を受け、自分という存在に気づいた瞬間から人間の歴史が始まり、時の経過と共に長いながいドラマが地上で展開されていくのである。 一度ステージ(地上)に上がったら最後、終焉まで監督・脚本・演出・配役まで全て自分で賄いながら、延々とドラマを展開させていかなければならないのである。 人間たるもの、この世に生まれてきたからには、野望の一つや二つは持ち合わせているものである。 「よし、俺はこの世で一つでかいことを仕出かして一旗あげてやろう」とか、「俺の実力はこんなものじゃない。今に世間をアット言わせてやろう」などと人知れず野望や闘志を抱いているものなのだ。 なぜならば、それが人情というものだからである。 昔から良く言われている「一旗揚げる・故郷に錦を飾る」などの文句は、野望や闘志の現れの典型であろうと思う。 この世という舞台で己をどのように表現するか、演出するかは、その人自身が決めることになるのだが、舞台での演出を生かすも殺すもその人(自分)次第ということになる。… … などと堅ぐるしく思い巡らしていると、すでに人生の終盤に差し掛かり、野望や闘志を失った小生にとってはやり切れないこと一塩である。 「この世でこのまま惰性に流されて生きていくことは罪である。不味い!」 そこで小生、一念発起し、「60の手習い」ではないが、来春よりギター教室へ通って腕を磨き、「人生の演出」に一花咲かせて舞台を面白くしてみようと思い立ったのである。 因みに、ドラマの一部を既に下記リンクにて展開中である。お暇な御仁は是非一度ご覧下され~! いや~、人生って本当に「摩訶不思議なドラマ」なんですね~!人生はドラマなのだ!!
2013年12月31日
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