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給食が済むと、食管や食器を乗せたワゴンを、各クラスの給食当番が給食室に返却にくる。1年生だけは、6年生の給食委員会の子供たちが交代で運んでくる。給食担当の先生も一緒だ。その時に今日の給食についての感想を、子供たちが一言ずつ話していく。ある日の献立【ごはん、水菜と大根の煮物、アジフライ、ボイルキャベツ、牛乳、みかん】一人の男の子が「今日の給食で一番おいしかったのは、みかんです」と言った。私は思わず、「み、みかん?」と聞き返してしまった。一緒にいた先生は、狼狽して「みかんじゃなくて他にはないの?」と聞く。その子は、首を傾げているだけだ。私が「煮物はどうだった?」と聞くと、「あ、煮物もおいしかったよ」と言う。心の中で「あのねぇ...」とつぶやいた。別の給食委員会女の子3人のグループの子たちは、給食が大好きだ。毎回、「今日の給食は全部おいしかったです」と言ってくれる。この子たちは、5年生でも給食委員会だった。給食の感想も、「おいしかった」だけではなく、「嫌いな物だったけど、カレー味だったからおいしく食べられた」とか「私は好きだけど、苦手な子がたくさんいたよ」とか「量が少なかったので、次回はもう少し増やしてほしい」など、情報をたくさんくれる。「今日は組み合わせが変だった」「味が薄くて今いちだった」など、辛口のコメントもきちんと伝えてくれる。このような情報は、実は私たちにはなかなか伝わってこない。だから彼女たちが運んできてくれる情報は貴重だ。かなり参考になるし、きちんとした意見を持っているのにも驚かされる。話を聞いてみると、3人とも食べることが大好きだと言う。食べることに興味を持っているのだ。自分で料理をすることもあるらしい。こういう子の家庭では、きちんとお母さんがお料理をして、できるかぎり家族そろって食卓を囲んでいるんじゃないかと想像する。先日、交流給食があり、私も3年生のクラスに混じって、給食の時間をともにした。給食当番の「いただきます」の声で、食事が始まった。「先生は何が好き?」(何故か私たち調理員も先生と呼ばれている^^;)とか「これはどうやって作るの?」などと、子供たちが話かけてくる。私も嬉しくなって、色々とお話をしながら食べたのだが、一人の女の子の食べ方が目についた。この日の献立は【ごはん、味噌煮込みおでん、茶碗蒸し、つけもの】。彼女は、まずご飯だけを半分ほど食べていた。ご飯だけだ。そして、おでんのお椀を持つと、それだけを全部食べた。次は、つけものを完食。残ったご飯をまたご飯だけ食べる。最後に牛乳を飲む。私は「ははぁ、これが噂に聞く“ばっか食い”かぁ」と思い、彼女に、「なんでご飯とおかずを一緒に食べないの?」と聞いてみた。「口の中で味が混ざるから」と笑顔で言う。私は「?????」状態。もう一人、こちらは男の子。なぜかご飯に手をつけない。全くだ。「どうしてご飯食べないの?」「嫌いだから」...あっ、そーもう一人、男の子。ほとんど何も食べない。牛乳のみ。全部嫌いらしい。こちらも...あっ、そーである。こんな中で、学校給食の役割って何だろうと、時々考える。週21回の食事のうち5回が給食だ。これを多いか少ないかはわからないけど、少なからず子供の食生活に与える影響はあると思う。栄養面はもちろんだけど、子供が新しい食材や料理に触れるチャンスになったり、みんなと食べることで自分と他の子との違い(好き嫌いや量など)を自覚したり、大勢で食べる時のマナーを学んだり、分け合うことや譲り合うことを知ったりと、教育的な面からもなかなかのものだ(^^)今や栄養士さんは、お上からのお達しで、栄養素の計算や衛生上の注意やお金のやり繰りなど、本来「食べる」という部分から発する業務からは、どんどん離れていってしまっている。出したい料理や、やってみたいイベントや、おいしく食べる工夫など、栄養士さんの頭の中でワクワクするようなことがたくさん渦巻いているのに、それができないジレンマを山のように抱えている。学校の近隣にある畑では、みずみずしい野菜たちが元気に育っている。この野菜を朝獲りしてもらって使えたら...農業や漁業に携わっている方を講師に招いて、どんなふうに食べ物が作られているのかを子供たちに直に教えてもらえたら...牛舎や鶏舎を見学し、命をもらっているということを学んでもらえたら...食べ物を作ること獲ることに参加し、食卓に届くまでの苦労を経験してもらったら...子供たちに食に関する様々な情報を、色んな角度から届けたいという思いがいっぱいだ。現実は、隣の畑のキャベツを給食室に持ってくるだけでも、たくさんの障害を乗り越えなければならなくて、その手順を考えただけで、気持がしぼんでしまう。まずは「隣の畑のキャベツを給食に取り入れる会」でも発足させなければ...いやはや、なんとも、である。また、なるべく旬のものを提供し、昔からの日本の行事に沿った献立をたて、季節にあった味にして食べてもらうようにしているが、教室でのきちんとした指導も先生方にお願いしたい。冬至には何故かぼちゃの煮物を食べるのか、土用の丑の日には何故うなぎを食べるのか、お月見にお団子を供えるのはどうしてか...その意味を教室でぜひとも子供たちに教えてほしい。せっかく季節ごとの献立をたてても、だた食べているだけではもったいない。給食の時間もりっぱな教育の場なのだ。結婚式ではめでたいと言って祝いの宴をもち、お通夜では故人を偲んで親しい人たちが集まってお別れの膳を囲む。私たちは食を介してコミュニケーションを育むことを知っている。アンケートでも、両親と一緒にご飯を食べると答えた子は食事が楽しいと言い、一人でご飯を食べると答える子は食事がつまらないと言う。食事に対する興味を失ってしまった子供が、どんな成長をするのか、考えただけでも胸が痛くなる。それぞれ事情はあるだろうが、できるだけ子供と一緒に食事をし、たくさんのお話をしてほしいと望むばかりである。=========================================時折寄らせていただいている楽天仲間の井上健太郎さんのHPで、本を紹介していただいた。『子供を救う給食革命』と帯にある。給食の現場の人間だけでなく、子供に関わっている人全てに、目を通してほしい本だ。教育の職に就いておられる方にはぜひぜひ。給食のことだけに留まらず、食に関する日本の現状や、子供への熱い思いが伝わってくる本だ。とにかく、食べるの大好き! という子供たちが増えてくれたら、こんなに嬉しいことはない。最後に和歌山県でのプロジェクト『未来ある子供たちのために』の一環である出前授業を受けた子供の感想文を載せておく。【今日は忙しいなか来てくれてありがとうございます。今日やった紙芝居や実験でとてもわかりやすく教えてもらって遊んでいるように勉強できたのでよかったです。今、人間ができることは、いっぱいあって、一人ひとりが一つでも環境・地球にいいことをするといいということがわかりました】(小学5年生)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【賢人訓より】 《玉琢かざれば器を成さず》...たまみがかざればきをなさず どんなによい玉でも原石のままでは光りを放たない。磨いて初めて輝いてくる。 人間もどんなに才能に恵まれていても、何もしなければその才能を生かすことはできない。学問や修行を積んでこそ生かされるのだ。
2005年01月30日
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俳句を勉強するようになってから、いかに知らない日本語がたくさんあるかということに気づいた。日本の言葉は、実に美しく心地よい響きをもっている。日本人だからこそ、感じたり気づいたりする微妙な変化を、言葉という透明な材料をつかって表現する。こんな美しい言葉を持つ国に生まれたことを、心から嬉しく思ってしまうような言葉たちを、少しずつ紹介したい。【しのゝめのほがらほがらと明けゆけば己が衣々なるぞかなしき】 詠み人知らず「衣々」「後朝」両方とも「きぬぎぬ」と読む。かつて、男性が女性のもとに通う「妻問婚(つまといこん)」だった時代、女性と夜を過ごした男性は、黎明とともに別れた。「暁の別れ」という。それぞれの衣をまとって別れるので「衣々」「後朝」の別れ。ちなみに「暁(あかつき)」は、夜を三つに分け、宵、夜中につづく三番目の夜で、夜明けのまだ暗い時間のこと。つづいて「東雲」「篠目」(しののめ)、「曙」(あけぼの)を経て「朝ぼらけ」になる。「朝ぼらけ」につづくころとして、「彼は誰時」(かわたれどき)。まだ暗くて彼は誰かわからないころという意味。「誰そ彼時」(たそがれどき)も、同じ意味だが、こちらは「黄昏時」とも書いて夕方の表現。「かわたれ時」は明け方の表現。夜が明けてゆくほんの短い時間だけでも、微妙な変化でこんなにたくさんの言葉がある。【温みなき彼は誰時や山眠る】 まるまる茸昼の輝きを少しずつ押し隠し、闇が支配する夜へと向かって行く密やかな時が流れる夕の刻。【夕されば人なき床をうちはらひ嘆かむためとなれるわが身か】 詠み人知らず「夕さり」は夕方になること。「仄暮」(ほのぐれ)はわずかに暮れかかり、「薄暮」(はくぼ)は薄明かりの残る夕暮れ。「夕間暮れ」(ゆうまぐれ)は薄暗い夕方。日が暮れそうでなかなか暮れないことは「暮れ泥む」(くれなずむ)といい、暮れ始めると「暮れ初む」(くれそむ)、暮れてから明るさが残っていることを「暮れ残る」。こんな言葉もある。「うそうそ時」は明るくも暗くもない時間。不安で落ち着かない様子も現わしているようだ。「逢魔が時」(おうまがどき)は黄昏時のこと。災いに逢う時という意味。魔に逢う時なんて、何となく不気味。日暮れとともに、一つ、また一つと家々に灯が点る。「火点し頃」(ひともしころ)だ。【したひ来る恋のやつこの旅にても身のくせなれや夕とゞろきは】 源俊頼恋しさは黄昏時につのるもの。恋する気持が、夕暮れ時に心を騒がせることを「夕轟き」(ゆうとどろき)という。【君の声風花となり夕間暮れ】 まるまる茸百人一首にも、夜明けを詠んだ歌は多い。妻問婚、通い婚という習慣があったこの時代、夜明けは、愛しい人との別れと同義語だったのだろう。後朝の別れの辛さや恋しい気持を詠み、愛する女性と過ごした甘く激しいひと夜の思いをこめ、男性の側からの恋のせつなさが伝わってくる。【明けぬれば暮るるものとは知りながらなほうらめしき朝ぼらけかな】 藤原道信朝臣夜になればまた逢えるのに、夜明けが来てひととき別れなければならないせつなさを詠ったものだけれど、それだけ相手の女性を愛しているのだろうね。別れてすぐに女性に送る文の使いを「後朝の使い」というそうだ。こんなにあからさまに、うらやましいこと...(^^;)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【賢人訓より】 《木に縁りて魚を求む》...きによりてうおをもとむ 武力で天下統一をしようとしていた斉(せい)の宣王(せんおう)に対して、孟子が言ったことば。武力で統一しようとすることは、木によじ登って魚を探すようなことだ、と。 手段や方法を間違えるといくら努力しても目的は達せられない。うまくいかなかった時には、もう一度やり方を考え直してみよう。
2005年01月25日
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勇吉(寺尾聡)は愛妻めぐみ(大竹しのぶ)を亡くした後、会社を退社し彼女の故郷富良野で「森の時計」という喫茶店を営む。一人息子の拓郎(二宮和也)が運転する車の事故で、妻を失った勇吉は、その後、拓郎とは会っていない。拓郎は、めぐみの親友朋子(余貴美子)の紹介で、美瑛にある「皆空窯」で陶芸の修行をしているが、勇吉は知らない。父と息子の間にできた溝は、あまりに大きかった。富良野の森の中に静かに佇む「森の時計」...自然の中に溶け込み、木々の間をぬける朝日や、斜めに射しこむ午後の陽射し、夕闇に浮かぶ柔かな杏色の灯りなど、どこを切り取っても絵になる風景がある。そんな「森の時計」のマスター勇吉を真ん中に、静かな時間が流れていく。お客さんがカウンターに坐ると、手挽きのコーヒーミルとコーヒー豆が置かれ、お客さんがカリカリとコーヒー豆を挽く。カウンターの中、マスターの後ろは大きなガラス窓で、一枚の絵のような景色が広がる。木のぬくもり、ストーブの薪がはぜる音、コーヒーの香り...なんともいえぬ、大人の豊かな時が流れる。ドラマの最初から最後まで、北海道の豊かな自然が溢れていて、ストーリーを追わずとも、見惚れてしまう。舞台の富良野は、ドラマの中では秋の終わり。もうすぐ、冬がやってくるという季節。紅葉に輝く木々の葉が、少しずつ散りはじめ、雪虫の姿も見える。勇吉と拓郎、勇吉の店で働く梓(長澤まさみ)と拓郎、それぞれの今後もどうなっていくのだろうかと、気にはなるが、まぁゆっくり見守っていこうという気持になる。「森の時計」の灯りが消え、勇吉が一人コーヒーを淹れる時、カウンターにはめぐみが坐り、二人きりの会話が交わされる。ポツポツと話す勇吉に、穏やかに優しい笑みで答えるめぐみ。時が止まったようなひとときに、今は亡きめぐみがやってくるのだ。素晴らしい役者さんが出演し、個性を発揮している。「森の時計」に集う常連客や、従業員、窯の主、勇吉の友人などなど、個性派揃いで、顔ぶれを見ているだけでも楽しめる。それに加えて、毎回、ゲストで様々な俳優さんが登場するのも嬉しい。第一回では時任三郎と手塚理美、今日の第二回では田畑智子と中村俊太。来月には、北島三郎も出演ありとのこと。どんな役で出るのかなぁ...音楽を担当しているのは渡辺俊幸氏。フォークグループ「赤い鳥」のドラマーとして音楽活動を開始した人だが、その後、作曲やアレンジに才能を発揮し、様々な映画やドラマの音楽を手がけている。主題歌は平山綾香の「明日」。優しい時間に流れている音楽もまた、優しい時を紡いでいる。タイトルのとおり、ドラマ全編に優しい時間がただよっている。心に刺さった刺を抜くには、充分に役に立ちそうだ。ただただ、この画面に見とれているうちに、気づくと穏やかな気持になっている。大人のドラマが、ゆっくりとすべりだした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【賢人訓より】 《上善は水のごとし》...じょうぜんはみずのごとし 上善は理想の生き方のこと。 水はどんなものにも逆らうことなく、柔軟に形を変えて、高いところから低いところへ、そしてすみずみにまで流れていく。さらに、ものすごいエネルギーも秘めている。 理想の生き方をしたいなら水に学ぼうということ。 自己主張をしすぎるとカドがたち、だれも耳をかしてはくれない。謙虚な気持をいつも忘れずに。
2005年01月20日
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本屋さんに行くたびに、いつもいつも横目でチラリと、気にはなっていた本。『バッテリー』というタイトルもさることながら、表紙のイラストも私の興味を惹いていたのだが、なんとはなしに、「まっ、いっか」と見過ごしていた。ところが、楽天お友達の123maoさんのところで、この『バッテリー』が紹介されていて、食いつくように飛んでいったら、「僕が責任をもって背中を押します」とのお勧めの言葉が...(笑) 早速『バッテリー』&『バッテリー2』とを購入。自分の球に絶対の自信を持っている、12才の少年、原田巧。傲慢ともとれるその過剰なまでの自信が、周囲の人々ばかりではなく、自分自身をも傷つけていくのだが...父の転勤で、地方都市新田市に越してきた巧。新田高校を率いて何度も甲子園出場経験を持つ祖父。新しい街で出会った友人、永倉豪。無邪気で病弱な弟、青波。父や母、新田での同級生たち。巧は、周りを取り巻く人々との関わりを、拒み、関係ないと突きはなし、ただ自分の球を投げることだけに打ち込む。無造作に体に触れられると、家族であろうとその手を邪険に振り払い、人の感情や反応を思いやる気持なんてさらさらない。自分をまっすぐに表現することしかできない不器用さ、私は、とたんに彼に惹きつけられてしまった。まだまだ少年なのに、度量の大きさを感じさせる豪も魅力的だ。巧の球に魅せられたキャッチャー豪は、ぶつかり合いながらも巧との距離を縮めていく。こんな、いなかの県大会の二回戦で負けたチームのキャッチャーじゃないか。おれの球が、そんなに簡単につかまえられてたまるかよ。そう思った巧だったが、豪との関わり合いの中で、全力をこめたボールを投げられる喜びを感じるようになる。4年生になる弟・青波。小さな頃から病弱で、母親の過剰とも思える庇護のもとに大きくなった。すぐ熱を出す、咳き込む、吐き気が襲う、たくさんの訳のわからない症状をかかえながら、育ってきた青波は、子供ながらに忍耐と諦めを身につけていた。全てを保護者に委ねてしまうことが、いちばん楽だということを体が知っている。しかし、新田に越してきてから、青波に変化が表れる。無邪気に優しい笑顔を持つこの子は、周りを和ませる術を先天的に持っているような少年だ。兄に憧れ、尊敬し、野球をしている姿に見惚れる。いつか僕も兄ちゃんのように野球がしたい...青波の中に生まれたものは...ちびちゃんながらも、こちらも魅力あふれる少年なのだ。ツッパリ少年の成功物語ではない、野球を通しての友情物語でもない、説教くさい成長の物語でもない。自分が主役であり続けること、自分の主張を通していくこと、自分の自信を絶対と信じ続けていくこと、すべてが、私たちには難しいことだ。現実と折り合いをつけ、周囲にそれなりに気をつかい、感情をおさえ、環境に順応し、諦めるべきことはムリに納得させ、そうして社会生活を送っている私たちには、すべて難しいことだ。だからこそ、巧に惹かれるのかもしれない。傲慢で、繊細で、冷酷で、一途で、稚拙で、自分を支えているものは、絶対の自信だけ。自由であることのみにこだわり、自分の中にあるものを持て余す。時に「最低なヤツ」と思わせながらも、目が離せない。「児童文学」としてジャンル分けされているこのシリーズだけど、これってほんとに児童文学なの、と思わせてくれる作品。巧の切れ長の目や、豪の大きな体や、青波の無邪気な笑顔がそこにあり、そして、梅の香り、空の青さ、木々のざわめき、マウンドを吹きぬけていく風までも、読んでいる間中、体に感じていられるようだ。今回、この『バッテリー』シリーズを読むにあたって、背中をおしてくれたmaoさんに感謝♪maoさ~ん、お先に2、3と読みましたよ~(^0^) ハードカバーですべて買ってしまいそうな勢いで、原田巧に惚れてしまった私。責任とってね(笑)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【賢人訓より】 《巧言令色鮮し仁》...こうげんれいしょくすくなしじん 愛想よいことばや表情でうまく取り繕う人は、思いやりの心のない人である。 どんなに口達者でお世辞がうまくても、誠意のないことばでは人には伝わらないし、相手にもされない。
2005年01月15日
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ふわふわとしてきて、ふにゃふにゃになって、まったりと気持よ~く、ちがう世界に行ってしまいそうになる頃...必ず、歌いたくなる...ちゃんと覚えていないくせに、ドリカムのむずかし~い歌なのに、めちゃくちゃになってしまうくせに、どうしても歌いたくなる(笑) こんなふうに言われたい...こんなふうに言ってあげたい...どっちでもいいんだ。ただ、ただ、そんな気持になってしまうの。やさしいキスをしてあなたの一日が終わる時に そばにいるね何も言わないで やさしいキスをしてそっと髪を撫でて 肩を抱いて そばにいるねあなたが眠るまで やさしいキスをして電話してくれたら 走って行くから すぐに行くからなにもかもほおりだして 息を切らし 指を冷やし すぐ会いに行くから報われなくても 結ばれなくても あなたはただ一人の運命の人今日という一日が終わる時に そばにいられたら明日なんていらない髪を撫でて 肩を抱いて あなたが眠るまでこの出会いにやさしいキスを これが運命なら (作詞:吉田美和 作曲:中村正人)あなたにやさしいキスを...私にもやさしいキスを...そして、そばにいてください...ここに...おやすみなさい
2005年01月13日
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今夜から、大河ドラマ「義経」が始まる。タッキーの美しい牛若丸姿もなかなかステキだし、義経の愛した女性・静御前の伝説が残る地に住んでいることもあって、楽しみにしている。それにしても、あまりの近さに、その伝説の場所へ行ったことがないということに、今さらながらに気づいた。母を誘う。明日の句会に提出する俳句が生まれずに苦しんでいた彼女は、渡りに舟とばかりにそそくさと出掛ける支度を始めた。戸締りをする。火の元を確認する。電話を留守電に切りかえる。靴を履く。やっと車に乗り込み、さて出発...と思いきや、帽子を忘れたと言う。待つことしばし...車に乗ってドアを閉め、今度こそ...あ、勝手口閉めたかな? ...確かめに戻る後姿に「これだからA型は...」とブツブツ。「やっぱり閉まってたよ。私、ちゃんと閉めたんだもの」明るい笑顔に、何も言えず、とにかく出発。やれやれ...まずは一番近い『思案橋』へ。国道354号に出て、古河方面と向かう。場所は総和町下辺見(そうわまちしもへみ)。ほどなく到着。普段、生活道路として使っている道なので、年中通っている場所だが、改めて見るのは初めてだ。車から降りることなく通過しているいるので、『思案橋の由来』などというものが建っていることも初めて知る。義経を追ってこの地へやってきた静御前は、ここで義経の死を知ることとなる。京へ戻ろうかこのまま行こうかと思案にくれたということだ。向掘川(むかいぼりがわ)という小さな川にかかる小さな橋で、今となっては静御前が苦悩した面影はどこにもない。その後、静は、義経の叔父が住職をつとめる高柳寺へと、身を寄せるために引き返すが、道すがら路傍の柳の枝を結んで、標としたそうだ。また、食事の際に箸として使った椿の枝を、義経のかわりに大きく育ってほしいと願い、地面にさしたという言い伝えもある。この柳は「静結びの柳」と呼ばれ、利根川べりで細い枝を風にまかせている。その隣に「静の椿」が並び、一つ二つ赤い花びらが、今まさに開こうとしていた。このあたりは字名を「静帰り(しずかい・しずかかえり)」と言うそうである。 左:運命に翻弄された静の如く、北風に揺られているか細い柳。 右:右端の黒い固まりが椿。「静の椿」と書かれた石碑と母が中ほど。暗くてなんだかわからん^^;ここから利根川沿いの道を、国道4号に抜け、利根川橋を渡る。埼玉県栗橋町だ。駅前のそば屋で、昼食をとる。メニューには、義経定食や静定食があり、改めて縁の地なのだと感じた。そば屋のお姉さんに『静御前の墓』を聞くと、この並び3軒ほど先ですよとのこと。なんと駅から徒歩1,2分のところにそれはあった。「静女之墳」頼朝に追われ、京を出る義経と静は吉野山で別れ、これを最後に二人は二度と会うことはない。別れ際に義経は、静に小さな鏡を与えて、これを私だと思って朝晩ながめるよう、言い聞かせた。 【見るとても嬉しくもなします鏡恋しき人のかげをとめねば】 静頼朝に捕らえられた静は、鎌倉に送られ、義経の居場所を詰問されるが、静は一切答えない。捕らわれの身となった静に、頼朝は舞いを所望する。鶴岡八幡宮の舞殿でのことだ。時は1186年4月6日。 【吉野山峰の白雪ふみわけて入りにし人のあとぞ恋しき】舞い終えた静は、この歌を詠んで義経を偲び、頼朝を激怒させた。この歌には本歌がある。 【み吉野の山の白雪ふみわけて入りしにひとのおとずれもせぬ】(古今集壬生忠岑)この時、静のお腹には、義経の子が宿っていた。同年7月、静は男児を出産するが、頼朝の非情な命により、使者安達新三郎によって、由井の浦に捨てられてしまう。失意のどん底にあった静は、1189年1月、いよいよ義経を追って、奥州平泉へと向かった。5月、静はようやく下河辺荘高野(埼玉県杉戸町)にたどり着き、古河の関所をめざすが、関所での取締りが厳しく、高柳(栗橋町)で一泊する。この頃、藤原泰衡の軍勢に襲われた義経は、衣川館にて自害を遂げていた。静から話はそれるが、義経が自害する直前に、弁慶と詠み交わした歌がある。 【六道のみちの巷に待てよ君おくれ先だつならひありとも】 弁慶 【後の世もまた後の世もめぐりあへそむ紫の雲の上まで】 義経死後も再会の約束をする弁慶の歌に、後世できれば戦のない紫雲の極楽で会いたいものだと、義経が歌を返したものである。さて、奥州路を下逸見(茨城県総和町)までやってきた静は、旅人から義経の死を知らされた。ここで、先の『思案橋』での話に繋がるのである。生きる望みを失い、精根尽き果てた静は、剃髪し尼となったが、京へ引き返す途中の9月15日、病のため伊坂(栗橋町)で義経の名を口にしながらこの世を去った。「静女之墳」と書かれた墓碑の後ろには、静が詠んだ歌が二首刻まれている。 【吉野山峰の白雪ふみわけて入りにし人のあとぞ恋しき】 【静やしづしづのをだまきくり返し昔をいまになすよしもがな】 (本歌:古のしづのをだまきくり返し昔を今になすよしもがな 伊勢物語)「吉野山みねの白雪ふみわけていりにし人のあとぞ恋しき」の歌碑静の墓のすぐそばには、「義経招魂碑」と生まれてすぐ命を絶たれた静の子の「静女所生御曹司供養塔」の二基もある。死して初めて、愛する者たちと一緒になった静の魂は、安らかに眠っているのだろうか。「義経招魂碑」(左)と「静女所生御曹司供養塔」(右の丸っこいの)写真の腕のせいで、暗くて何もわかりませんね^^; 【舞う蝶の果てや夢見る塚のかげ 座仏】 という句碑もある。静が最期を迎えた伊坂の高柳寺だが、現在は、光了寺として、茨城県古河市に移っている。静の遺品である「舞衣」や、鏡、守本尊などが残され、静の戒名の記録も過去帳にあるそうだ。今回、ここへも訪れたが、住職には会えず、遺品を見せていただくことはできなかった。そう遠くはない場所なので、いずれ近いうちに、もう一度訪れたいと思っている。光了寺強く時代を駆けぬけた英雄・義経と、美しく時代を舞った白拍子・静御前の恋物語。激しくも儚く、義経を愛し続けた静を、今夜からの大河ドラマ「義経」で、石原さとみが演じる。どんな静を見せてくれるのか、期待とともに見届けたいと思う。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【賢人訓より】 《多岐亡羊》...たきぼうよう 戦国時代、漢のの思想家揚朱(ようしゅ)の隣家で羊がいなくなった。一家総出で捜し回ったが、あまりにも分かれ道が多くて結局は見失ってしまった。 人の生き方も、根本はひとつなのにもかかわらず、いろいろに分かれていて、簡単にはその生き方を見つけられないものである。 どの道をとるべきか迷った時には、まず、真の目標は何であるかをよく考えてみよう。
2005年01月09日
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電話が鳴った。「はい、スナックエムです」「ママ? 一美です」「あ、一美ちゃん、こんばんは」「佳也が死んだの...」一瞬、何のことか理解できなかった。「え? 何? 佳也君がどうしたって?」「死んだのよ...」「どうして?」「交通事故。今朝、仕事へ行く前に、コンビニに入ろうとして右折したところへ、対向車に突っ込まれて...即死だったって...お通夜とか葬式、決まったら連絡するね。とりあえず、知らせておこうと思って...それじゃあ」電話は、一方的に切れた。「ママ? 一美です。修が死んだの...」数年前の電話がよみがえってきた。まるで、タイムスリップしたような感覚。一美は4つ年下の幼馴染み。店にもよく来てくれる、ちょっと工藤静香似の明るい子だ。修とは、中学の同級生で、ずいぶん長い間つき合っていた。突然、修と別れたと一美が言い、理由を聞いたことがあった。「春が長すぎちゃったのかな...」修に女ができたという返事だった。一美と修は、何度も別れ、何度も縁りを戻し、周りの誰もがいずれ結婚するものと思い込んでいた。それだけに、今度は本気なんだと聞いた時には、心底驚いた。以前にも、修が浮気をし、相手の女が一美のところに乗り込んできたことがあった。修と別れてあげるから、100万円よこせと言ってきたらしい。「100万円程度の安っぽい男なんていらないわ。勝手に持ってってちょうだい」たしか、こんな啖呵を切って、女を追いかえした。「バカみたいでしょ?」と言って、豪快に笑っていた。こんなこともあった。一時、修が、どこから手を出したものか、薬にはまってしまった。あの手この手で説得を試みるけれど、修は聞く耳を持たず、「うるせえ! 俺の勝手だろ!」と、手をあげんばかりの勢いで繰り返すだけ。ある日、修の車の中から、注射器を見つけた一美は、注射器を逆手に持ち、「修が薬をやめないんだったら、私も薬中になってやる!」体を張って、修を薬から救った。それから、修は大型免許をとり、ダンプの運転手として、真面目に働くようになった。一美が修と別れたのと言い出したのは、そんな矢先のことだった。しばらくして、一美は年下のステキな彼を見つけ、二人そろってよく店に飲みにくるようになった。修はどうしてるのと聞くと、修は修でいい人ができたようで、彼女と一緒に暮らしていると言う。楽しそうに彼と飲んでいる一美を見ながら、そんなもんかなぁ、と思う。まぁ、幸せならいんだけどね...私も自分の結婚式がせまっていて、それなりに婚約時代を楽しんでいたし、式の準備などで浮かれながらも、忙しく過ごしていた。式を二日後に控えた夜、私は店で常連客たちとカウンターで飲んでいた。電話が鳴った。「ママ? 一美です。修が死んだの...」「え? 何? なんて言ったの?」「現場で...横倒しになったダンプの下敷きになったんだって...お葬式、あさってなんだ。ママの結婚式、少し遅れるかもしれない...それじゃあね」電話は一方的に切れた。私の結婚式は滞りなくすみ、修の葬式もしめやかに行われた。二週間ほど過ぎた頃、店に一美が姿を見せた。例のステキな彼と一緒だ。「ママ、私、結婚することにした。来春なの。ママも出席してね」そして、春爛漫のある日、彼女は美しい花嫁となった。結婚した後も、一美はよく二人で店に飲みにやってきた。楽しそうな顔を見ていると、修のことはすっかり忘れて、今の幸せを満喫しているようだった。私は、少し淋しい思いを抱えながらも、これでよかったんだと、自分を納得させていた。一年半ほどの後、一美が離婚した。ある日、一美の夫だったステキな彼が一人で店にやってきた。「ママ、俺、修さんに負けたんだ」そう言って、離婚に至った経緯を話しだした。「月に一度くらい、一美が何も言わずにいなくなるんだ。どこに行ってたんだと聞いても何も言わない。そんなことが何度かあって、俺、気づいたんだ。一美がいなくなるのは決まって六日。...修さんの月命日だったんだ。問い詰めたら、墓参りに行って、ずっと修さんと話してるんだって...そんな話を聞いたら、俺、やっぱり辛くて...それから、なんとなくうまくいかなくなって...死んじまった奴はずるいよ。いいことしか覚えてないんだ...」その後、一美は佳也くんと知り合い、再婚した。男の子に恵まれ、私は今度こそ幸せになれると思っていた。電話が鳴ったのは、子供が3才になろうとする間際だった。「佳也が死んだの...」きれいな容姿を与えられ、両親に大事にされ、誰よりも明るく華やかな幸せな人生を歩いていくものと思っていた一美...今、一美は小さな居酒屋を切り盛りして暮らしている。彼女と6才になった子供を、優しく見守る人と一緒に...私はこの居酒屋に、お客となってよく飲みに行く。一生懸命に働く一美と、その姿を見守る優しいまなざしに会いに...今度こそ、幸せをつかんでほしい。神様、どうか、お願い...有線放送から、「北の旅人」が流れてくる。私はそっと、一美を見る。目が合うと、一美は淋しげな笑みを見せる。ほんの一瞬...修がとても上手に歌っていた歌。酔った一美の口癖は、「人生、明るく楽しまなくっちゃ! 前向きに、前向きにね!」私は、自分の結婚記念日がくると、決まって修を思い出す。どうか、一美を見守ってあげてください。一美を幸せにしてあげてください。一美の居酒屋は、オープンして二年。いつも常連さんでいっぱいだ。今夜も一美の明るい声が響いている。
2005年01月07日
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「あなたはどこまで日本語を知っていますか?」というテーマで、あの日本語界(?)のサラブレッド・金田一秀穂教授を講師として招き、日本語の色々を勉強していく番組だ。まずは、日常街中でよく見かける張り紙から... ≪犬のフン、しないでください≫ ≪ネコの缶詰、あります≫ ≪女性安売りデー≫最初は、何がおかしいねん? と思ってよく見ていたら...アハハハハハッ! と笑いが止まらなくなってしまった♪こんな張り紙、よく見るよね。どこにでもある風景の中に、見事に溶け込んでしまっている文章。あたり前のように通りすぎていたけど、よ~く考えたら、こんなおかしいことはない\(≧∇≦*)/さて、初笑いがすんだら、真面目に日本語のお勉強。辞書を作る時に、言葉の意味を考える。どうしたら、一つの言葉をよりわかり易く説明できるのか? ≪右≫を誰にでもわかるような説明文って、どんな表現?広辞苑では、≪右≫をひくと、「南を向いた時に、西にあたる方」とあり、新明解国語辞典では、同じような文に加えて、「この辞書を読む時、偶数ページのある側」とある。う~ん、わかり易い♪これだけを見ると、新明解国語辞典はとても親切だ。方角がわからなくても、≪右≫側がどこなのか、よくわかる。これだけを見ると、新明解国語辞典がより親切でわかり易いような気がしてくるけど、かなり作り手の主観が入っているのだ。たとえば、「おこぜ」「鴨」「赤貝」などを引いてみると、きちんと説明がされているのに、必ず「うまい」とくる。これには、一同大爆笑だった ヾ(>▽<)ゞヾ(▽^ )ゞヾ( >▽)ゞ どういうんだろうねぇ。鴨がきらいな人だっているだろうに...フフフッさて、続きましては、賢く見える敬語の使い方。例えばあなたがサラリーマンだとして、夕方、廊下でバッタリ社長に会ったら、どんな挨拶をしますか? ...私は、わからなかった。金田一教授の登場です。 「あ、社長、どうも...」一同、え? それでいいの? 金田一教授の仰るには、「...」の部分が大切で、「お世話になっております」や「お疲れさま」の気持をこめて「どうも...」と、丁寧に頭を下げるのだ。「お世話になっています」は社外の人に使うのが正しく、社内での使用は不適切、「お疲れさま」は目上の人が目下の人に使う言葉なので、これも不適切。そういう気持をこめて、「どうも」&頭を下げることで、充分なんだそうだ。敬語の方程式は f(xyz)=アルファ(敬語)f=場面(葬式なのか、道端で会ったのかなど) x=上下関係(目上なのか、上司なのかなど)y=内外(身内なのか、社内の人なのか、お客さまなのかなど)z=親しさこの4つをかけ合わせた言葉が、その相手にふさわしい敬語なんだそうだ。う~~~ん、敬語は不可解だ(XoX)【タモリの敬語のまとめ:深く考え、簡単な言葉で、態度で示す】最後に日本語の微妙な使い分けの勉強をした。寸劇風に、ゲストが表現力を発揮するコーナー。一つめは ≪アップアップする≫≪パニくる≫≪テンパる≫これを上手に表現し、金田一教授に正解をもらったのは、タモリ。緊張の度合いを現わしたこの三つの言葉は、まだ少し余裕のある≪アップアップ≫、対処のし方がわからずオロオロする≪パニくる≫、何も考えられずにかたまる≪テンパる≫が正解。二つめは ≪大笑い≫≪高笑い≫≪バカ笑い≫設定は、賄賂を渡してあった学校に息子の入学が決定した報告を聞いて≪大笑い≫をし、ライバルが落ちたことを聞いてその憎い母親の悔しがる様子を想像して≪高笑い≫、そして、憎みきれないほどの意地悪をされた姑がなくなった知らせを受けて≪バカ笑い≫するというもの。小倉優子のあほさ加減が前面に出た演技にはまいったが、真打登場で、若村真由美の迫真の演技は素晴らしかった♪ さすが、無名塾出身の演技派女優! 見事に三つの使い分けを演じて、金田一教授に大正解の大丸をもらった。たった1、2分の短い演技に、私も思わず引きこまれてしまった。すごいなぁ、女優さんってヽ(*^。^*)ノということで、新年早々、日本語のお勉強をした昨夜だったが、私もたくさん学びがあった。日本語には、擬音がたくさん使われているそうだが、言葉の種類が少ないせいらしい。≪歩く≫という言葉一つとっても、中国語なら≪闊歩≫≪徒歩≫などの種類があるが、日本語で表現する時には、≪サッサと歩く≫≪トコトコ歩く≫≪ヨチヨチ歩く≫≪ドタドタ歩く≫などと擬音を用いる。因みに、マンガなどでよく使われる静かな場面での「し~~~ん」という表現は、他国の言葉にはないそうだ。新発見だぁ♪さあ、今年はしっかり敬語を身につけ、大人の女として自立しなければ! サクサクとPCをこなし、サッサと家事をかたずけ、ルンルンと仕事をこなし、ドシドシ体重を減らし、ピッカピカな女になるぞ~~~~~!!! o(~○~;)o ハァハァ...こんな私ですが、みなさん、見捨てないで~~~、今年も遊んでねぇ\(*^O^*)/・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【賢人訓より】 《琴瑟相和す》...きんしつあいわす 瑟(しつ)は、中国に古くからある大型の琴。 琴と瑟は合奏すると、よく調和してすばらしい音楽を奏でることから、夫婦の仲がきわめて睦まじいことをいう。
2005年01月04日
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【初暦 予感の日には 丸をつけ】まるまる茸
2005年01月01日
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