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【雨の糸 大気紡ぎて 梅雨に入る】【約束を 違えし傷み 四葩かな】まるまる茸暑いというよりも、蒸している。梅雨だからしかたがないと、すっかり覚悟を決めるほど降るでもなし、気持ちよく晴れるでもなし、ただただ湿った空気ばかりが体にまとわりつく。どんなに悪態をついてみても始まらないのだが、季節は季節なりの気候であってほしいものだ。大雨に見舞われ土砂災害などがあいついでいる所があると思えば、降るべき雨がまったく降らずに空梅雨の様相を見せている所もあるらしい。茨城でも、梅雨らしい雨はなかなか降ってこない。降りそうで降らない。この季節に可憐な花びらを密集させて、色鮮やかに咲く紫陽花も、いつもの誇らしげな表情は影をひそめ、なんとなく元気がない。降り続く雨をスポットライトのように浴びて咲く紫陽花。なんだか主役をのがしてしまった女優さんのようだ。それでもせいいっぱいに色を移し、七変化のまたの名をそのままに、健気にも美しい姿を見せてくれていた。埼玉県幸手市・権現堂の紫陽花。この権現堂は、川に沿った堤・約6kmに渡って、大正時代に植えられた3000本余りのソメイヨシノが、春には見事な風景を見せる。菜の花と桜が一時に見られる場所として、全国でも有名なのだそうだ。満開の時期にはたくさんの人出でにぎわい、週末には国道が渋滞するほど。そんなにぎやかな春が過ぎると、まさに祭りのあと、あまりに淋しいということで、平成8年頃から紫陽花が植栽された。最近では5000株以上の紫陽花が、新緑に染まる桜の木の下で、鮮やかな姿を誇っている。まだまだ小さな株も多く、一部ではまばらな感じはぬぐえないが、紫陽花が咲き揃っている間を散策するのはなかなか風情がある。お休み処では、縁台で冷たい飲物をいただいたり、わらび餅やくずきりなども食べられる。売店の前に、ここに植えられている60種以上の紫陽花が、鉢植えに展示してある。紫陽花は数え切れないほど、種類が豊富だ。「十二単」「墨田の花火」など日本らしい名前が多いのもなんとなく紫陽花らしい気がする。墨田の花火キヨスミサワウズアジサイ(別名おかめ)未来名は知らない。薄緑色の紫陽花「あじさい」の名の由来は様々あるらしいが、「あづさい」からきているという説がある。「あづ」は「集まる」という意味。「さい」は「真の藍(さのあい)」。つまり、藍色の花びらが集まった花ということ。土壌の性質によって花の色が変わるという紫陽花だが、白から水色、青、紫、赤と色が移っていくのだから、一概に土の性質ばかりとは言えないかもしれない。花言葉は「移り気」「移ろい」。あまり名誉な言葉ではないけれど、「辛抱強い愛」「耐える愛」なんていうのもあるから、辛抱しぬいて耐えに耐えたあとにきっぱりと気を移すということなのだろう。と、思っておこう^^;。俳句の二句目。若かりし頃、結婚を考えていた恋人がいたにもかかわらず、新たな恋に身を投じてしまった我が身を思い返してしまった。「移り気」という花言葉に、思わず傷みとともにその当時を思い出し、詠んだ一句。当時は傷みなどほとんど感じずに、心の趣くまま、本能の趣くままに突っ走っていただけの若さという残酷な時代だった。二十年以上過ぎた今になって、そんな想い出に傷みを伴なうのも、まだまだ生身の心を抱えているということか。人の傷みを思いやる余裕もなかった自分への懺悔、あるいは悔恨...なんにしても、そんな理屈で整理できない時代を経たからこその今があるのだろう。紫陽花を見つめながら、自分勝手に輝いていた頃を、傷みとともに懐かしく思い出したのだった。花に見えるのは実は「ガク」 真ん中の地味な小さいつぶが花
2005年06月29日
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古河総合公園ちょっと頑張れば歩いて行けそうな距離にある『古河総合公園』。花菖蒲が満開だと聞いて、出掛けて行った。以前、全国でも指折りの桃林があり、桃祭りが行われると紹介したあの公園だ。広い公園の北側の一角、白や紫の花菖蒲が満開に咲き、華やかな空気がいっぱいだ。 3月には、甘い香りをただよわせながら、公園を桃色に染めていた桃林も、今は新緑の林となり、花菖蒲の向う側で夏の訪れを告げている。菖蒲と緑の桃林との間、蓮田が見える。《昭和26年(1951)に大賀一郎博士が、古蓮の実を発掘し発芽させたもので、周辺の土質などから約2,000年前のものと推定されています。大賀博士の名にちなみ「大賀蓮」と名づけられました。》緑一色に見える蓮田だが、近くに寄ってよく見ると、そちこちに薄ピンクの蕾の姿が...今にも開きそうなものも多い。今朝早くに見に行った父によれば、今日は咲いてなかったとのこと。でも、明日にはきっといくつかの花を見ることができるかもしれない。大きな蓮の花を見つめていると、無宗教の私でも、偉大なる誰かに守られて生きているんだろうと確信してしまう。小ぶりな花が一輪だけ咲いているのを見つけた。公園の南側には、御所沼が広がる。「園内での釣りは禁止」という札が立っているにもかかわらず、水辺には釣り人が多い。フナやバスが釣れるとのこと。牛蛙が低い声で鳴いていて、なんとものんびりした雰囲気だ。この御所沼の裏側にあたる雑木林の中を抜けると、国と県の重要文化財に指定されている旧家屋が二棟保存されている。旧飛田家(18世紀前半建築と思われる)は、茨城県最古の「曲がり屋」と呼ばれる造りの萱葺き屋根の家。エル字型をした建物で、土間に続く曲がったところには、「馬小屋」があり、農作業の道具などが置かれている。土間の続きには板張りの囲炉裏の部屋があり、その脇に小さな小部屋、その奥に座敷。中はひんやりとして風も通り、汗ばんだ肌に心地いい。昔は、生活のパートナーであった馬も、同じ屋根の下で暮していたんだね。もう一軒の旧中山邸は、もう少し早く1670年代に建てられたらしい。玄関から続く勝手回りの土間から上がると、広い板張りの部屋の一角に「まぶし織り機」というものが置いてある。蚕に繭を作らせるために、藁を使った「まぶし」というものの中に蚕を入れていた。この「まぶし」は藁を波型に次々と折ったもので、蚕はこのくぼんだ所に繭を作る。この「まぶし」を作るための機械だ。また、縁側の表戸は引き戸ではなく、下の部分を内側に持ち上げ、そのまま天井に固定する吊り戸というものだった。昔は大方がこんな方式になっていたのだろうか。竈の周りには、臼や杵、釜などの煮炊きの道具や、農具、半纏など、当時使われていたものが所狭しと展示してあり、家具等も当時のままのものが置いてあって生活の様子がうかがえる。園内には、軽食レストランもあり、休日には露店も出るが、けっこうなお値段なので、お弁当や飲物は持参したほうがいい。ツガイの孔雀が飼われているので、運がよければオスの孔雀の見事な求愛のポーズを見ることができる。レストランの向かい側にある「富士見塚」に登れば360度の景色が広がり、那須の山々や赤城山、日光連山などの北関東の山はもちろん、空気の澄んだ日には遠く富士山も見える。この富士見塚では、子供たちがダンボールなどで芝すべりを楽しんでいた。塚のふもとには、アスレチックや人工の小川が造られていて、水遊びをしている子供たちの歓声が響く。古河公方の館跡、重要文化財の二棟の家屋、古河城のお掘りを復元した御所沼、天然記念物の大賀蓮、古河公方五代足利義氏の墓が残る徳源院跡、季節の花々、かぶと虫などが捕れる雑木林、アスレチックや水遊び...約25haの敷地に見処、遊び処がいっぱいだ。休日には地元バンドのライヴや和太鼓の演奏等のイベントも行われている。お天気のいい日には、出掛けてみてはいかがだろう。==========================================気づけばなんと二週間ぶりの日記。メールやコメントでご心配くださったみなさん、ありがとう。二か月あまり過ぎ、仕事にも慣れてきたが、夏めいてきたこの頃の蒸し暑さで、まだまだ体がついていけてないようだ。なかなかパソコンに向かう気にもなれず、バタンキュー(^^;) 体力には自信があった私だけど、なんだか情けないなぁ。毎日栄養ドリンクのお世話に。まるでオヤジだあ~(笑)とにかくもう少し頑張れば、なが~い夏休みが待っている。気合いいれていくぞ~~~!
2005年06月19日
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埼玉県川越市を訪れた。室町時代に建てられた川越城の本丸御殿なども残る、歴史のある街だ。江戸時代には、北の守りとして有力な大名が配置され、新河岸川の舟運による物資の供給地として重要視されていた。そのため、江戸との結びつきは深く、江戸文化が随所に取り入れられている。川越藩は17万石を誇り、商業の盛んなにぎわいを見せる街として発展していった。私の住む所からは車で1時間余りの距離。友人とともに3人で出掛けた。朝方降っていた雨も、徐々にやむ気配を見せ始めた9時過ぎに出発。川越に到着した10時半には薄日がさす絶好のお天気となった。「小江戸」と呼ばれるこの川越市には、歴史的景観を誇る「蔵造りの町並み」がどっしりと軒を並べる一番街という通りがある。江戸の頃、物資の集散地として栄え、商業によって発展してきた街であることをうかがわせる重厚な蔵造りの大きな商家が連なり、しっとりと落ち着いた景観を見せている。蔵造り資料館上の写真は、一番街のほぼ中央に位置する「蔵造り資料館」。軒並みこのような蔵造りの家が連なる。電線がないこともあり、まるでタイムスリップしたような感覚になる。川越市のシンボルである「時の鐘」と呼ばれる高い櫓の鐘撞き堂が、ひときわ高くそびえ、1日4度(午前6時、正午、午後3時、午後6時)6回ずつの鐘の音を響かせている。折りよく資料館の2階を見学していた私たちは、蔵の窓からこの「時の鐘」が正午を告げるのを見ることができた。昼間の喧騒の間を縫うように聞える鐘の音は、寛永の当時と同じように「時」を告げる音として、人々の生活の中に溶け込んでいるようだ。蔵の二階の窓から見た「時の鐘」真下から見あげたここ川越の名物は「さつまいも」。芋料理を食べさせてくれるお店がたくさんあるというので、「ささ川」という料理屋さんへ。「芋ごのみ」というランチの三段弁当を注文。一番上には刺し身、下段には芋ご飯、真ん中の段にはさつま芋を使ったお料理が並ぶ。さつま芋が色々な形に工夫されていて、彩りもよく美味しくいただいた。川越を訪れた一つの目的である「菓子屋横丁」へ向う。この横丁へ一歩踏み入れると、今度は昭和の時代へとタイムスリップしたようである。明治時代初めから駄菓子を製造していたこの場所は、昭和初期には70軒以上の店舗があったといわれているが、店が減った最近でも独特な雰囲気があり、せんべいを焼く香り、ラムネの文字、だんごの香ばしい匂い、大きな麩菓子、手毬のようなかわいらしい飴など、なんともノスタルジックな気持ちにさせられる。匂いに引き寄せられるように、一件の駄菓子屋に入り、だんごとお茶をいただいた。この建物は、なんと百年以上前に建てられたということだが、部屋の中は昭和の香りに満ちている。右から左に横書きに「ライオン歯磨」と書かれた大きな看板や、昭和十年に開催された川越競馬のポスターや、当時実際に使われていた紙芝居の道具などが、所狭しと置いてある。昭和34年製造の私と同じ年の白黒テレビが、何気なく部屋の隅にあったりする。ちゃぶ台に置かれただんごを頬張りお茶をすすっていると、裸電球の灯りの下で、子供の頃へと戻ってしまったような気がした。昭和マニアにはヨダレを流さんばかりのお宝の山だ。駄菓子屋菓子屋横丁芋羊羹、芋納豆、芋せんべいなどのさつま芋を使用したお菓子を、漬物屋さんでタマネギ(これはめちゃ美味しい^^)やセロリの漬物をと試食を繰り返しながら買い求め、街並みに感心しながらブラブラしているうちに、なんだか雲行きが怪しくなってきた。3時半というのにまるで夕刻のような暗さ。こりゃあ、来るぞ! と急いで駐車場へと引き返し、車に乗り込むのと同時にどしゃ降りの雨に。もう一つ、是非とも訪れたかった「喜多院」は4時半でしまってしまうということで、今回はおあずけ。食べ歩きに終始してしまったので、時間がなくなってしまったというのが真相だ(^^;) 江戸城から移築された「徳川家光誕生の間」や「春日局化粧の間」、五百羅漢など見どころも多い「喜多院」が時間切れになってしまったのはなんとも残念だったが、川越城跡や数々の美術館など訪れられなかった場所とともに次回に持ち越しだ。小江戸巡回バスというレトロなバスや、半纏を着た粋な車夫が操る人力車にも乗ってみたい。今回は食いしん坊の食べ歩き旅ということで良しとしよう♪
2005年06月05日
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