2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全17件 (17件中 1-17件目)
1
必要性にかられ。我が家も楽友のグループでも必要になってきたことがある。年齢が高くなると葬儀の問題。音楽のある葬儀を望む声が大きくなり、そんな曲集を作らねば、と言うことになった。歌集から選曲するだけなのだから簡単なこと、と思ったのが甘かった!歌集を調べると、大きな金槌でガァーンと殴られた感が強い。市販歌集を集めると、なんといい加減なコードがまかりとおっていることか。選曲しDTM入力だけでも大変なのに、コードの見直しに大変な時間がかかりそうだ。葬送曲というか、友人知人を送る歌が意外とないのに気が付く。無いのであれば書くしかない。歌詞を何編か書くことから始めるところです。それにしても後藤さんはどうなっているのだろうか。それにしても湯川さんはどうなっているのだろうか。報道で聞かないだけに、湯川さんのご遺体が気がかりです。祈るしかないです
2015年01月31日
コメント(0)
報道はなぜ大騒ぎしているのだろうか。人命尊重と、渋い顔で苦渋悩みぬいた表情で談話する政治家。どのチャンネルにも同じ人物が出演し、どんどんテレビ慣れするさまに興味を覚える。香田さんの時を思い出して欲しい。あの時の政府の対応を。平成16年。北朝鮮に人さらいにあった被害者らに「人命尊重」なんて言えるのだろうか。
2015年01月27日
コメント(0)
あさ起きると反射的に「窓」を開ける。ワイフの動いたと思われる家じゅうの部屋を。あさ起きると反射的に窓を開け空気の入れ替えをする自分を発見。本能的なのだろうか。ワイフの動いた場所とは、彼女の寝室、トイレ、台所、台所までの廊下。“何となく分かった気がする”とワイフがぽつり・・・このひと言、分かる人にはわかる言葉で僕も同感。ワイフはインフルエンザに感染したんです。一日前に東京のある集会に参加し、どうもそこで貰ってきたようだ。菌の恐ろしさを本能的に避ける。ハンセン病も同じだったような気がする。うつる、恐ろしい、の流言を信じた頭は消しようがない。ハンセン病の出た家は見世物効果もあって消毒され、歩いた後を消毒し、その恐ろしさを知らせる。そしてその話が独り歩きする。目に見えない菌を窓を開けて外にどれほど出るのだろうか。幸い、回復にむかっているが、仕事柄、今月はレッスンもお付き合いもお休み。幸い、僕は大丈夫だった。今のところは。インフルエンザに気をつけてください。持ち込まない。持ち出さない。特に若い人は気をつけてください。高齢者にうつすと大変ですから。
2015年01月26日
コメント(2)
昨夜からテレビに釘づけ。私は神様だ!いや私こそが神様だ!こんな自己中心の主張は世界には通用しない、と言うことだ。言語も肌色も部族も国も違い、文化も宗教も違うひとたちの間に平和顔して善意の土足で踏み入り、一方だけに人道目的の美名で援助する。援助を受けない側が怒るのも当然だろう。選挙で圧勝。一党独裁。もう怖いものはない。やりたい放題。まるで戦国時代を制覇した権力者のように。金で頬をビンタする行為は全世界の批判をかうだろう。2億ドルの身代金。240億円とはどれほどのお金なのだろうか。団塊の世代が介護要の現実にあって、幼児園不足と若い女性らが仕事もできない現実にあって、病院で長期療養もできず老老介護を強いられる現実にあって、高齢者が生きるための年金が問答無用で削減される現実にあって、よくもまぁ、240億円もの援助金を出すものだ。名首相として名を連ねるだけを夢見ているのだろうか。「油に火」の結果だろう。人類みな同じ、人類みな同じ考え、人類みな平等、と身勝手な考えの押しつけは世界には通用しないのを政治家が知らないわけがない。選挙の重みの結果であり、国民の責任。
2015年01月25日
コメント(0)
1月18日は年間第2主日。キリスト教一致祈祷週間(~25日)。(ヨハネ1:35-42)ヨハネは二人の弟子と一緒に立っていた。“ごらんなさい、神の小羊を”と言った。二人の弟子はヨハネがそう言うのを「聞いて」イエズスについて行った。(ヨハネ1:35-37)イエズスのところに泊った。(ヨハネ1:40)二人の弟子は「見て従った」のではなく「聞いて従った」。そしてイエズスの住み家に「泊った」のではなく「留まった」のではないだろうか。2千年を経てなお、見るではなく聞いて従い、イエズスに留まるのではないだろうか。二人の弟子の一人アンデレは兄弟シモンにイエズスの存在を知らせた。自分が信じるを人を兄弟に知らせた。聞いて従い、留まる場所を確信し、信じることを人に告げ知らせる。2千年を経てなお、最初の弟子たちの行為が今も続いている。イエズスの招きに聞き従い、救いをもたらせてくれる住み家に留まり、信じるを人々に告げ知らせる。現代の世にあって、このような生き方こそ、今こそ必要なことではないだろうか。“人命第一、人質解放が第一”人の命も政治の世界ではパフォーマンス。心無いきれいごと、選挙民へのパフォーマンスとしか感じられない。“人命第一、人質解放が第一”を言うのなら、隣国に何の理由もなくいきなり「人さらい」にあった人はどうなんだ?だらだらを解決しないじゃないですか!
2015年01月23日
コメント(0)
先日あるオーケストラ譜をお借りした。眼が悪いのに興味をもって譜読みする。まだ読めるだろうと。やはり難しい。それでも記憶を頼りに読みだすと、やはりいいものだ。時計を見ると3時半。全楽章を読み終えたので寝るとしよう。目が悪いのを自覚し、これが最後の管弦楽曲の譜読みとしなければ、こんなことをやっていると、本当に目を悪くするだろう。
2015年01月21日
コメント(2)
きのうは久しぶりの大相撲の途中からニュース報道となった。日本にあって一党与党の勢いか、何をやっても許されると錯覚するのだろうか。海外においても大盤振る舞い。良いことをやる、と言うのは一方的な見方で、右があれば左もある。右に2億ドルの援助をすれば、左は怒るであろう。左は言う。右に出すのなら左にも同額出せと。それにしても2億ドルは大金。一人あたま1億ドル。百数十億円。老人ホームの順番待ち。幼児の入園待ち。銀行の利子はゼロに近い。老後は自分らで考えろ。国をあてにるるな・・・なんと外づらのいいことか。人道人道と言うが、何人も殺され、そのとき大騒ぎし人道的処置をとったのだろうか。何十年前に、まったく関係なく人さらいに会った人が、いまだに帰ってこない。これって人道では?その場をやり過ごせばいいだけの政治家意識の政治屋に政治はもう任せられないのでは。そうは言っても、政治も政党も変わらないでしょうね。日本の国は日本人では何の変化も起こらない。希望は国際結婚で生れた子供たち。この子供たちに期待するしかない。金曜日の72時間の午後3時ごろ、テレビの前に釘づけですね。
2015年01月21日
コメント(0)
きのう、49才の女性の詩に曲を書いた「ランドセルの歌」の録音をした。録音と言っても我が家での素人録音である。時の流れを岸辺で傍観している時代遅れの我が身。録音機といっても一見ちゃちに見えるが、僕が知っている録音機材の何十倍の機能とか。高価なダットテープも今では使い道がない。歌にピアノとチェロ。伴奏者に譜面を渡しその場で合わせるのだから時代も変わったものである。音楽表現には何も注文を出さず、演奏者にお任せした。なるほど、それもあるね。そう言う解釈もあり、だね。現役だけに脱帽。さて録音をCDにコピーするのが難関なり。時代遅れの我が身で出来るのか考えるだけで頭痛の種です。
2015年01月19日
コメント(4)
20年前の阪神淡路大震災の恐怖を想い起す。恐怖とは、職業柄の悲しさか、恩師の作品が消失するのではないかと痛く心配した。大震災で被害にあった方々には非常識なことと非難されるが、あの時は、本当にそう思った。恩師菅原明朗先生の作品が、神戸に住む音楽家の自宅に保存されていたからだ。永井荷風と恩師菅原先生は東京の空襲で作品を消失した経緯がある。財産は全ての人に平等の悲しみではあるが、荷風と菅原先生の作品が失われたことは世界の財産だからだと思う。恩師がおられたころ、ルーマニアの革命で世界的図書館が失われた。あのさまを報道で見て、国が保存すれば安全だとは言えないことを証明するでしょ。僕も空襲で作品を失った、と切なそうに話されたのを記憶している。それから作品の保存法には工夫をこらした。でも今は文明の利器か、デジタル保存。スキャナーがある。幸いにも、阪神淡路大震災では作品の消失をまのがれたが、文化遺産の保存を大切に国は考えるべきであろう。あっちを減らして、減らした分をこっちに回す。足りなければ税金で絞りとればよい的な政治には期待すらできないから、われわれ個人がするしかないのだと確認する日となった。
2015年01月17日
コメント(0)
昨日は白っぽい雨がパラパラ。そのうち白くなり、気が付けば雪が積もり出した。いけない、運転だいじょうぶだろうか?スノータイヤだけでは安心できない。なんとか草津のふもとまでスロースローで降りると雪はない。とはいってもぬかるんで安全運転で帰宅したところです。インフルエンザ予防で病棟への入室は禁止。14日は「主の洗礼」のミサ。前日に選曲と練習。おまけに野暮用がはいったりで、日頃の準備不足に後悔。ニワトリの頭だから、また同じことをしている我が身に救いようのないバカさかげんをまた感じる。御ミサのあとに入所さん二人の誕生日をみなで祝う。神父さんがケーキを買ってきてくださった。シスターがかわいらしい祈る子供のプレゼントが。御ミサは、入所さん二人、シスター二人、壮健さん三人、司祭と聖公会司祭と助祭さんの十人。なんと小さな、なんと贅沢な御ミサだろうか。でもね、ここにはシャバの御ミサとは、何となく違う雰囲気があるんですよ。気のせいかも知れませんがね。入所さんとお茶をすすりながらの中で「患者と宗教」の話がまじめに話すことができた。ある日突然、強制収容された。一日も早く良くなって退院できるのを信じて。正門をくぐると、世間では嗅いだことのない臭いが充満する施設。壁があり、堀があり、垣根があり、服が支給され、お金もここ専用の金券・・・退院できないことを胸騒ぎで感じる。そして何十年もここで生活する。死ぬ時だけはせめてお経の中で人間らしく死にたい。これだけがせめてもの願い。そうして神社仏閣が園内に建てられた。娯楽も何も何もない園では、人としての証を信仰に委ねるのも自然だろう。小さな教会のなかに、そんな思いが漂っている、と言うのも気のせいかも知れないが。にんげんって、欲が人間なのか、年金制度ができて療養所に大きな変化が生まれた。受給できる人と、できない人があった。同室雑居室で同じように生活していた同病者の間に壁ができ始めた。受給できる人と、できない人。分け合いながら食べていた食卓、食事風景が一変したのである。この風景を想像するだけで辛くなる。人間の業。原罪。我が身も同じだから。おまけに、十数年前に裁判があった。先陣で旗を振っていた極少数の人を冷笑し冷たく見守っていた同病者らが、勝訴の勝ち組にのっかりサインをする。お金が入った。あんどの老後生活が約束された彼らの心から「信仰」の二文字が消え失せた瞬間である。この瞬間は、シャバの世界でも同じだろう。人として生きることをはく奪された先人らの苦労を後世に残そうと言う「心」は消え失せているように、少なくとも僕には感じる。でも、極少数派ではあるが「心」ある人たちがいるのが救いである。90にして信仰に芽生えた盲人を見た。来月は、「灰の水曜日」を迎えるが、年老いた求道者と共にミサに与かれること、なんと幸せな喜ばしいことか。一か月後を楽しみにしている。選曲をして練習して、心にゆとりある2月11日を迎えたいと思うところです。
2015年01月16日
コメント(0)
1時には確実に家を出て草津の療養所に向かいます。突然の出来事に時間がとられ、草津での準備もままならず、とりあえず体だけ、というところです。体は一つ。あれもこれもは出来ないわけで、結局はあれもこれも全てが中途半端。きょうは陽がいいようで、草津もだいじょうぶでしょう。あしたは3日遅れの「主の洗礼」。選曲もままならず、教会は寒いだろうから宿泊所でオルガン練習。心おだやかに、ミサを迎える準備万端。そんな日が近く来ますように。(自分の心がけ次第なのですが)友人知人が草津訪問を希望していましたが、すみませんね。今回はご一緒できません。むこうで込み入った問題があるので来月は必ずご一緒しましょう。それに、重監房跡は雪で入っていけませんし。本当は、寒い重監房跡にお連れしたいのですが。いかに寒い監房に入れられたかが分かると思うので。
2015年01月13日
コメント(2)
明日から月に一度の草津訪問。3泊4日の金曜帰宅。あれこれやることが待っているのでその準備をと早朝から資料の整理をやろうとの矢先!タンクの水が無くなったのでチェンジしようとしたが落した!飲料水を床にばらまいた!大騒ぎ!本当に大騒ぎ!明日の準備どころではない。14日の「主の洗礼ミサ」の選曲もあるし、オルガンの練習もあるし、療養所内の教会保存の願い書作成もあるし、あれもこれもで頭も体力も使い果たした。コーヒーを飲んで気分転換。僕にとって今日は何の日?おみくじの大凶かな?
2015年01月12日
コメント(2)
先人は自分の名前を音符に置き換え、それをテーマに作曲したと言う。たしかに、それもありだな。無機的音の羅列に命を吹き込むなんて、なんと素敵な遊び心か。サイコロ目(数字)に音を置き換えて遊んでみた。途中で止めにした。先が見えないし、何の意味があるのか。一日時間を費やしたが徒労とは思わず、遊んだと思えば充分楽しめたかも。でも、じっと譜面を見ていると、突拍子もない音の羅列は音の飛躍、想像の付かない音の動き、人間の感性とは別の魅力を感じるのは大発見だった。それに、同じ旋律でもリズムの変化で多彩な顔を見せてくれると言うこと。この手は使えそう。徒労ではなく大きな収穫の一日だったに訂正します。
2015年01月09日
コメント(0)
昨日は体調が良くなかった。“疲れているようだから早く休みなさい”のひと言に従って早く就寝。年末の無理が今になって出てきた感じ。4時に目が覚め、体調がいいのでそのまま起きて仕事。やり過ぎて眼が疲れたのでこれから就寝。時計を見ると朝の8時。いま日本語訳の合唱曲を編曲していて、つくづく感じることは、訳詞は音に日本語をはめ込むだけで原曲を破壊すと言うこと。別の曲になると言うこと。原曲を無視した曲になると言うこと。ある意味では、そろそろ日本語による日本の歌が出てもいいのではないだろうか。そんな期待を素直に感じます。
2015年01月07日
コメント(0)
1月4日は「主の公現」の祝日。主の公現は、東の国から来た博士「magi=賢者・博士・学者・占星術者」の訪問によって、主の降誕が広く諸国に知られることになった。マギ(賢者・博士)らはまずヘロデ王に謁見し「ユダヤ人の王としてお生れになったお方はどこにおられますか。私たちは東の方でその星を見たので、そのお方を拝みに来ました」(マタイ2・2)と遠路東方からの訪問を述べた。「ユダヤの王が生まれた!」ひっそりとお生まれになった救い主の存在だったはずが国中に知られることになった。マギらは「母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金aurum・乳香tus・没薬murramなどの贈り物を捧げた。」(マタイ2・11)マギ賢者らは「ひれ伏し拝む」procidentes adoraverunt eum だけのためにわざわざ遠路東方の国から来た。『ユダの地ベツレヘムよ、お前はユダの君たちの中で決して最も小さいものではない。お前の中から一人の君が出て我が民イスラエルの牧者となるであろう』(マタイ2・6)「ひれ伏し拝む」この行為こそ、我々に失われた信仰の姿ではないだろうか。主のみ使が夢でヨセフに現れて言った「立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまで、そこにとどまっていなさい。」(マタイ2・13)あまりの展開の速さに翻弄し従う聖家族。ベツレヘムからエジプトの距離はそう簡単な話ではないはず。乳飲み子との旅は?着のみ着のままでは?路銀は?(下世話的にはマギの宝の箱が路銀にあてられたのだろうか?)御ミサでは立つ・座る・跪く・身をかがめると一連の所作が「ひれ伏し拝む」と言うことなのだろう。“目から鱗”の「主の公現ミサ」でした。ちなみに、きょう与かった御ミサは、入祭で何語かの入祭の歌、第一朗読は日本語、第二朗読は英語、使徒書朗読は片言の日本語、説教は日本語、いまひとつの説教は英語、奉納の歌は何語かの奉納の歌、閉祭の歌は英語。ミサには流れがある。主の食卓が一連の動作で流れているはず。キリスト教がラテン語系から多国語にまで広まり、各国語での御ミサが行なわれるようになったはずが、いつのまにか元の鞘に納まった感が強い。ミサがどこに行くのだろうか?このままで良いのだろうか?キリストの食卓に招かれ複雑な思いで帰路につくのは辛いものです。
2015年01月04日
コメント(0)
元旦を世間並みのお正月を迎えたが、2日からは普段の生活。五線譜とにらめっこ。 2015年は「キリシタン信徒発見」から150年にあたる。 個人的考えを言うならば、「宗教史上の奇跡的世界遺産」と言われ「信徒発見150周年記念」と銘うってイヴェント騒ぎをするよりも、我々信徒が社会の中でキリスト者であることを知らしめる。キリスト者としての行動をとるべきで、カミングアウトするのが第一義ではないだろうか。 “我々はあなたと同じ心の者なり・・・サンタマリヤの聖像は何処にあるや”の女性のひと言で「宗教史上の奇跡」とされる信徒発見が慶応元年1865年3月17日だった。 キリシタンの長い潜伏信仰生活のすえの“復活”だった。 1550年8月15日、スペイン人のイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルが平戸に上陸(この地を聖母マリアに捧げご保護を求めた。1945年8月15日の聖母被昇天に日本は敗戦を迎えた)。日本でのキリスト教の布教が始まったが、1587年に豊臣秀吉が「バテレン追放令」を発し、1597年に宣教師とキリシタン26人を処刑する二十六聖人殉教を迎えた。さらに1614年に徳川幕府が禁教令を発令しキリスト教弾圧が本格化した。 1873年、キリシタン禁制が廃止されるまで約250年間、受難と弾圧の禁教の時代が続いた。 1867年、信徒発見のカミングアウトで浦上のキリシタンは仏式の葬式を拒否。これを機に「浦上四番崩れ」と呼ばれる4度の大迫害が起こった。浦上の信者約3400人は全国20藩に流刑となり、キリスト教信仰を捨てるよう説得されたり拷問を受けた結果、約600人が棄教を拒み殉教。約1900人は信仰を守り、約1000人は一度は転び浦上に戻りって信仰を取り戻している。 日本のキリスト教禁教政策が国際的に大きな波紋を広げた。明治新政府の使節団は米国での日米通商条約の改正交渉に失敗。その理由の一つが浦上四番崩れだった。その後ヨーロッパに渡った使節団は、至る所でキリスト教弾圧の停止を勧告され、海外からの要請圧力に明治新政府はキリスト教禁教政策の転換を迫られた。「強い者には弱い国民性」か、信徒発見から8年後の1873年、禁教令の高札をやむなくはずした。 このことは、ハンセン病にも同じことが言える。日本のハンセン病治療はカトリック司祭が始め、日本の非人道的対処に海外が批判の声を上げ初めて重い腰をあげたのと同じである。
2015年01月02日
コメント(4)
新しい年を迎え 人の輪が豊かになりますように
2015年01月01日
コメント(0)
全17件 (17件中 1-17件目)
1