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1月30日サムエル下11・1-4、マルコ4・21-25昨日はワンコイン・コンサートだった。昨年の春から久しく中断していたが、今年初めてのサロンコンサートだった。中断する一番の理由は「張り合いがない」と言うことか。太鼓叩けど踊る者少なしで、多くの労してまでの価値があるのだろうかと、ふと脳裏をかすめたからだ。それでも価値を認めるごく少数派のためにもと今回開き正しかったと思っている。小さなレッスン室に40人が集まり、生の音楽、生の音を堪能できたと思う。ここから2百メートル程のところで先週は焼身自殺があったばかりで、それも63才女性と我が身と重ね合わせる深刻な出来事。人は支え合い、人間は林のように集まっていなければ生きていけないと言うことが身近な不幸で感じたと思う。「私はお金があるから、良い子供がいるから、人様よりは豊かだから」などなどは生きる保証にはならない、一瞬にして消える幻想であると言うことを。人間の一員として支え合ってこその人であること。そんな集いになったと感じている。いつもなら演奏が終わるとすぐに帰る人たちが小一時間は会話していた。きのうは軽自動車と電車の衝突で電車が動かず、演奏家と千葉神奈川東京からも70代婦人らも来たのだ大変だったと思う。そんな中での音楽は最高のひと時だった。
2014年01月30日
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1月28日聖トマス・アクィナス司祭教会博士サムエル下6・12-15,17-19、マルコ3・31-35<1月29日 クラリネット・フルート・ピアノによるワンコインコンサート> クラリネット:岡田 渉、フルート:渡邉加奈、ピアノ:三辺 玲子久しぶりに「ワンコイン・コンサート」を開く。気楽に歩いて行ける距離で音楽が聴ける場。そんなことで30数回月に一度続けてきたが、体力的精神的金銭的にギブアップした。小さくても演奏会となると演奏家がいなければならないし謝礼も必要、会場費もチラシも、そして裏方が動かなければ成り立たない。そんなことで疲れがたまり金銭的にも圧迫しここ半年ばかり中断した。特に中断した大きな理由は「人は音楽を必要としていないのでは?」という微かな疑問を肌で感じた瞬間があったからだ。ごく少数派ではあるが音楽を楽しみにする人もいることは事実。この少数派の物言わぬ心を大切にしなければと、今年初めての演奏会を我が家で明日開く。久しぶりだけに千葉県は野田からも神奈川や東京からも聞きに来てくださる。ワンコイン・コンサートだから五百円玉持参で。ありがたいことです。先週我が家の目と鼻の先で63才の女性の投身自殺というショッキングな出来事があった。人と言う字のとおり、人は支え合ってこそ人間。人が間を明けてつかず離れず寄り添うのが人であろうか。その意味でも人が集うコミューンの場が必要であり、その一つがワンコインコンサートであるかもしれない。役者や物書きは朗読会であったり、それぞれの分野がコラボしての集いの場を作るべきだと思う。心の救いを寺院に求めても門は閉ざされている昨今。人が支え合える場として音楽があればと願っている。
2014年01月28日
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1月27日(日)サムエル下5・1-7,10、マルコ3・22-30きのうは年間第3主日、ある教会の御ミサに与かった。聖福音朗読のあとお説教ではなくこうつづいた。「ミサのあとすぐに皆さん帰られるのでこれから信徒総会を30分ほど開きます」と。信徒役員から言われたのであろう。司祭もやとわれ社長のようにただ言いなりのお飾り的存在なのだろうか・・・(今にはじまった話ではないが)。ミサはドラマ。誰もその一連の流れを止めることはできないはず。それが信徒総会で中断する。ミサが始まる前の沈黙の意義ある時間にあわただしくヒソヒソ話が耳に入る。聖書朗読者をお願いして回っているのだ。あんのじょう第一第二朗読をつっかえつっかえただ読んでいる。(事前に朗読者を決めて読んでおくことは不可能なのだろうか)。そして司祭の聖福音書朗読があって説教が続くのだが、ここで信徒総会が行なわれた。30分が過ぎ45分がすぎるも終わる気配なし。信徒総会の途中でボツボツ退席者が見かける。右にならえでプロテストの意味も含めて退席し、次の教会に急ぎ車を走らせた。何か複雑な気持ちになった。
2014年01月27日
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1月25日「聖パウロの回心」使徒言行録22・3-16、マルコ16・15-18早いものであすは年間第3週主日。今週はバタバタと日が過ぎたが幾つかのテーマが見つかったのが収穫。とくに歌詞の旋律が不思議と浮かび上がるのに驚いている。なるべくメモ書きをしているが、目の不自由がこれほどイライラをつのらせるとは思わなかった。しばらくは歌曲を書いてみようかとも思っている。5,6年前に頂いた詩があり、やっとこれを見る気にもなった。これはフィリピンはマニラで宣教している司祭が書いた詩で、いまなら書けそうな気が少ししている。とても立派な司祭で楽天ブログの初期の頃に何度か書いたことがある。きょうで5日がたった。五線譜を片手にメモリながら駅前の花屋に行き小さな花を買う。事故現場に献花。献花する人って思ったより少ない気がする。戦後生まれの同世代の女性が死を選ぶ現実を見て他人事とは思えない。焼け跡がくっきり残っている。
2014年01月25日
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1月24日「聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士」サムエル上24・3-21、マルコ3・13-19数日前の夜、我が家近くで不幸があった。真実は分からないが、我等と同年の女性と聞く。歩いて数分の距離で、恐る恐る行くと花とお線香と灯油の燃え跡が残っていた。何もできないので小さなな花を献花してきた。何年か十数年か何十年か後の我が身とダブった。
2014年01月24日
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1月21日「聖アグネスおとめ殉教者」サムエル上16・1-13、マルコ2・23-28バッハ「フーガの技法」を見ようと思っている。最後の見たのは20年前になろうか。ボロボロになるまで使い古した本だけに探したがない。岡部から引っ越ししたときに処分したのだろう。音友のミニスコアだけが本棚のすみに積まれて生き残っていたのも偶然か、見て欲しいと待っていたかのように思えた。外装は古いが中身は新本、目を通した形跡もない。それはそうだ、現代譜では僕にとって無用の長物。古い楽譜はオリジナルで音部記号もバッハの時代のドクレ(ハ音部記号)で書かれている。戦後の音楽教育は万人が平等に分かりやすくと言うのだろうか音部記号はト音部とへ音部記号だけを学んだ結果の弊害。ハ音部を習得しないと楽譜が読めない。フーガの技法を一日一曲づつ見ようかと思う。まずはハ音部記号に書き直す作業から始めないといけないので、久しぶりの、40代の頃を取り戻した気分。だがなんせ目が不自由だけに全曲は無理だろうから、6番からひも解く。いま書いている曲にも共通しているので。
2014年01月21日
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1月20日サムエル上15・16-23、マルコ2・18-22老神父を見舞った。車で一時間弱なのでしばらく訪問することを約束。そのあとシスターを訪問。再来月の約束の確認をする。訪問先で「題名のない音楽会」のビデオを観る。が少し見てギブアップ。気分が悪くなり鳥肌が立つ。気分転換にコーヒーを一杯。タイトル「日本初の管弦楽曲」。伊福部先生の「日本狂詩曲」が何たらこんたらと説明されていた。この作品は1935年だったと薄記憶しているが、1930年だったか、すでに新興作曲家連盟があったのでは?伊福部さんは21の頃。そのころ国連脱退をして「我が日本は神をも恐れず」と言ったとか言わなかったとか。神を恐れずだから先人をないがしろにし真実を歪曲するのが現代。いま生きている人に都合の良いようにでっちあげる。その結果、真実を知らない庶民はそれを信じる。どの分野でも平気でこれらがなされているのだろう。「歴史を忘れた民族に未来はない」と隣国に言われたが、ある意味で正しいと思う。伊福部先生の作品を日本初の管弦楽曲と言われれば、天国の伊福部先生がどう思うだろうか。伊福部さんが指示したその先生や先人作曲家との集いで肩身の狭い思いをしているかもしれない。伊福部さんと僕はある意味で兄弟弟子でもあるし、彼から当時の創作事情を少しは聴いているので。昨日のテレビ朝日の「黒い福音」をわずかな期待をもって観た。これも同じ。「神おも恐れない行為」。原作者松本清張は天国でどう思ったろうか。死んだ者より生きている者の欲得が一番大事と先人を無視する。作品や真実よりも視聴率が優先する。脚本は誰が書いたのだろうか。どんな目的で作られたのだろうか。げすの勘ぐりだが、主演者の演技大成功は世界が認める大監督なのだから当然で、この後に続く「東京オリンピック」のプロデュースへのレールだろうか。刑事扮する役者が中心に話が展開する。主演者にだけスポットをあてた印象だけが残った。主演の個性が存分に映像化され彼の作品とかわりはない(根がおく病で心底の狂気を爆発させる演技が個性だとはき違え、それを良しとする視聴者がいる。それは裸の王様)。1959年当時は敗戦後14年しかたっておらず、カトリック教会の雰囲気も司祭も、司祭が首にロザリオをネックレスのようにぶら下げていたのだろうか。刑事のあの気ちがいじみた態度は主演者のキャラクターが前面に出ていたように思える。役者が刑事役を演じるのではなく、役者の個性をもって刑事役を自分風に演じるのが、はたして演技と言えるのだろうか。演技とはそんなものではないはず。「神おも恐れない国民」これ以上に怖い存在はないだろう。「黒い福音」はスチュアーデス殺しの容疑者である外国人神父とその修道会への疑惑を薄れさせる結果となったように感じた。この会の最高責任者で尊者でもある神父様は天国でどう思っているだろうか。「ララ物資」が終了したのは7年前の1952年。ララ物資を利用しての麻薬がらみと面白おかしくとは如何なものか。ララ物資はもともとプロテスタント運動からでカトリックのいち修道会がどれほどの力があったのだろうか。ましては修道会ぐるみで闇売り、麻薬などを。当時を知る聖職者たちから聞いた身としてそう思う。「神おも恐れない国民」の行為は「歴史を知らない国民には未来はない」と言われても返す言葉が見つからない。いまいち松本清張を読み返そうと思っている。
2014年01月20日
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1月18日サムエル上9・1-4,17-19、マルコ2・13-17先日1月17日は、阪神淡路大震災が起こった。6434人の方が亡くなられたと言う。1995年、19年がたった。生れた子が成人式を迎える時がたった。もう過去の話し。いまさらそんな話と言う人が多いかもしれない。10年20年経つと嫌な話には耳をふさぎがち。東日本大震災も10年経てば誰も話題にしないしタブーとなろう。世間は生きていくだけで精いっぱい。人様のことなどいつまでも考える余裕はない、と言うことだろう。阪神大震災の経験が東日本大震災では生かされているのだろうか。政治では危機管理とか国民の安全を守るシステムが整備されているだろうが、邪推するとそれらのシステム団体は天下りの一環かもと疑いたくなる。阪神大震災はいまでも強烈な印象として残っている。震源地付近に楽友が住んでいる。楽友は菅原明朗先生の貴重な資料を所有している。阪神大震災が起こって僕の頭に浮かんだのは菅原先生の資料の有無。焼けたのでは、正直人間の安否よりも先に先生の資料が心配だった。菅原先生も永井荷風も大戦の戦火で楽譜を失った。その経験から資料の保管の仕方に持論があった。幸い菅原先生の資料は無事だったがその後の保存状況は分からない。みんな歳をとってあやふやになるのだろうか・・・阪神淡路と東日本大震災の霊魂を想いつつ
2014年01月18日
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1月17日「聖アントニオ修道院長」サムエル上8・4-7,10-22、マルコ2・1-12マルコ2・1の前にマルコ1・40-45にライ病者癒される、とある。新しい聖書では「癩病」が「重い皮膚病」に替えられている。名をいくら変えようが、どんな意味があるのだろうか。友人を訪ねた。こちらの用がある時に訪問するだけの細く長い付き合いになる。もう25年になるだろうか。なんとなく二人して外に出た。「盲導鈴」があった。モウドウレイは当然使われていないし、撤去する理由もないし、壊さずに風化を待つかのようだ。これが何なのか知る人もいないだろうし無関心のなか誰にも見られず立っている。そのむかし、患者は最終的には盲目になったので、道を歩く目印として交差点などに簡単なメロディーが鳴り、そのメロディーでどこの場所かが分かる仕組みだったと聞く。病気が悪くなる順に、第一の門、第二の門、第三の門と言われたそうな。第一の門は、病気が発見されたとき。絶望から自殺を考えると言う。第二の門は、病気が重くなり失明したとき。人様の介助を受ける身となり、これまた自殺の二字がよみがえると言う。発病の前途悲観を乗り越えた後にさらに前途悲観である。第三の門は、呼吸が出来なくなってカニューレを装着するとき。ノド切り三年。カニューレを付けるころには命の時が見えてくると言う。宗教地区には仏教神道キリスト教の寺社が並んでいる。ある宗派のお寺からお経が流れる。女性ひとりがもくもくと唱えている。車のナンバーから壮健さん(外のシャバの人のことをソウケンサンと言う)だろう。ここで亡くなった人たちの霊魂を慰めているのだろうか。カトリック教会の玄関は閉ざされている。盗むやからもいるだろうが、誰もが自由に入れるよう門を開けておくべきだと思う。彼とは、ほんとうに最近やっと昔のことを聞くことが出来るようになった。こちらから質問するのはタブー。25年かかった。会話の中で突然自ら話し出した。それは凄惨な描写だった。聞いていて、僕が帰宅したあと一人になったとき大丈夫だろうかと不安にかられた。こうなるのに25年かかった。解剖室跡地に立った。この国立療養所に入所する時に一筆いれると聞いた。亡くなったときは解剖すると言う誓約書だろうか。彼が中学生の頃、よくよく知っている人が亡くなった。その夜に解剖室には裸電球が灯っていたという。友人らと窓からのぞいた。はらわたをバケツに入れている最中だったと言う。いま思うに研究の為なのかどうなのか?知っている人だけに今も鮮明に覚えているとのこと。久しくこうべを垂れて祈った。焼き場跡地を見た。戦時中戦後初期は木が不足し、焼き場の木が不足したとのこと。棺桶を作る木も不足していた時代。煙突の煙の絶えたことはないと言う。そんな時代だからミカン箱位の棺桶。?ミカン箱の大きさに人間が入るの?。実に簡単、実に気の毒な話。遺体の足や腕を折って納めるのだという。それほど木が不足していたのだと言う。じつに気の毒な環境だった。いまでこそ心おだやかそうには見えるが、心の傷は今も深く残されていると言うこと。無実の罪で刑務所に入れられたようなもの。ひどい話しで、無実を知りながら日本人は目を閉じていたと言うこと。無ライ県運動を積極的に展開したのだから。ユダヤ人狩りと同じことを日本人はやっていたのだから。そんなことを話しながら国立療養所を二人して散策した。CDを聞く姿、横目で彼をのぞくと彼の目にうるおい光るものが見えた。
2014年01月17日
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1月16日(木)年間第1週サムエル上3・1-10,19-20、マルコ1・29-39きのう今日と、とても良い日。きょうはある人の門出の日。無理をせず自分らしい生活ができるよう祈りつつ。先日、DTM制作の2作品を一枚にCDダビングしていただいた。いつも何かとお世話になっている。最後は結局は彼しか頼れない。そうそう人はいるようでいのが人間社会。視力も弱く、体調もすぐれず、70を過ぎ、指先はもっと不自由で・・・。こんな人に頼まず自分でやればよいのに、我ながら自分は鬼ではないかと思うことがある。こころよく作ってくれるが、その時間を考えると大変な労力と気持ち。“言ってくれたらやってあげるのに~~”と言う人は星の数だけいるが、いざとなると彼しかお願いできない。彼は小学生のころに日本海の北国から特別列車に乗せられて東京は現東村山市にある国立療養所に強制収容された。特別列車とは揶揄で「お召列車」(天皇が乗る列車)と言われ、目的駅まで一歩も外に出ることも許されない。特別列車に乗るまで、彼の歩いた後ろから消毒薬が噴霧され人目にさらされ、そんな光景を小学生だった彼はいまだに記憶している。作品は「舌読」と「重監房の声」の二つを一枚のCDにまとめた。誰かに聞いてもらうわけでもなく、書かされて書いただけで、病者の鎮魂だけである。車中で音を聞いてみると、まずまずの出来。書法を複雑に配慮できたと思う。DTMは技術があれば生演奏と同じような表現ができる。が、僕の場合はテンポは同じ、強弱もない、音色もそれらしいだけの、のっぺらぼうな音楽になる(もともと楽譜を書くだけにDTMソフトを使っているだけ)。それでも、音楽は理解できると思う(ただし感性がなければ聞いても仕方ないだろうけど)。
2014年01月16日
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1月13日年間第1週サムエル上1・1-8、マルコ1・14-20いま一番見たいDVDは「藤十郎の恋」と「黒い福音」「藤十郎の恋」は以前に一度だけ途中だけテレビで観た。なぜ「藤十郎の恋」かと言うと、これは菅原明朗先生が音楽に関係しているからだ。どういういきさつか正式にはお琴の宮城道雄となっている。こんご機会があればはっきり知りたいと思っている。途中しか見ていないので無責任なことは言えないがその音楽は菅原先生の手によるもので、宮城道雄の手によるとは言えなかったのを記憶している。「黒い福音」は今月19日テレビ朝日9時で見られるのを楽しみにしている。今ふうの商業画像だからキャストと音楽に期待はしていない、当時の日本と宗教がどれほど表現されるか期待している。外国人神父がスチュアーデスを殺したのではと、そして国外逃亡したと、世間に大変な衝撃を与えた殺人事件を松本清張が書いたもの。あの時代と今の時代、ある意味で同じような大きな節目なような気がする。衝撃的な作品です。
2014年01月13日
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1月12日「主の洗礼」イザヤ42・1-4,6-7、使徒言行録10・34-38、マタイ3・13-1730年前の話し。菅原先生とレストランでのできごと。とつぜん会話が中断。何かが起きる気配。先生はBGMのセミクラシックの音楽を聞いているのか耳触りの不快感なのかいや~な雰囲気。僕はこのいやな雰囲気から逃れるようにトイレタイムに行っている間に先生がいなくなった。ウエイターさんに聞くと出られたとのこと。えっ、うそー、どうしようか。先生あのセミクラシックの音楽にご立腹か。瞬時に先生との会話を始めから終わりまで思い出す。先生とどんな話をして先生はどんな風だったか先生のご機嫌は先生の体調は等々・・・。心あたりはBGMのセミクラシックをそれとなく聞いている瞬間があったように感じたこと。もしかすると。先生宅に急ぎ伺うと、先生は机に向かっていた。僕の顔を見るなり“ここどう思いますか”と譜面を見せてくださった。心配が吹っ飛び譜面を拝見(当時は見ても正直理解するほどの力はなかったし、へたに変な感想を言うものなら怒られるし)。一枚リードと二枚リードの使い分け、そのバランスなど音の調合について以前に話しておられたので、そのことがセミクラシックを聞いてヒントを得た様子だった。先生は会話の中で一人沈黙することがよくあった。音楽が頭を支配するのでしょうね。頭での作曲の話しでした。
2014年01月12日
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1月11日1ヨハネ5・14-21、ヨハネ3・22-30永遠の命。「罪を犯している兄弟のために祈りなさい」洗礼者ヨハネの最後の証。「天から与えられなければ人は何も受けることが出来ない」名護市長選があす告示される。とおい南の市長選と他人事ではすまされない。多くの犠牲者がで、僕の楽友はパスポート持参で日本本土に来た、多くの不幸の歴史を持った沖縄。基地移転の是非は日本人全体の問題であること。特定秘密保護法はこんなことをブログするとひっかかる時代がすぐ近くまで来ているような気がする。きょう午前中に急きょ歯科大に治療に行く。歯は大事ですね。とくに僕はパイプをくわえるので。パイプをくわえることが出来ないのが一番つらいです。受診まちは譜面を読んだり作曲するのに至福の時。人の多いところでの作曲は頭で曲を書く。
2014年01月11日
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1月10日1ヨハネ5・5-13、ルカ5・12-16神の証。水と血と霊。癩病者の治癒。毎年暮れには疲労からか必ず弱いところに症状がでて大騒ぎするのに、昨年暮れは無事に乗り越えたと安心しているところに、元旦そうそう歯にきてます。昨夜は痛みに耐えかね鎮痛剤を飲みましたが、鎮痛剤は2時間くらいしか効かないんですね。深夜2時、4時に飲んで、いまも飲んでます。歯科大学に緊急でお願いすると今日OK、だがレッスンがあるので明日午前中にお願いしました。気持ち良い対応に感謝です。町の歯医者だと一回で済むものを何回かに分ける。それは商売だからと言えばそれまで。前回の歯科大学での治療は1時間半。料金は210円。親身になって接してくれるのが何より一番ですね。血液検査を受けた。待ち時間にマーラーの交響曲9番の第2楽章を読んだ。目が悪いからしっかり読めないが、そのおかげか、要所ポイントがなんとなく分かるような気がしてきた。マーラーもいいね。
2014年01月10日
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1月9日1ヨハネ4・19-5・4、ルカ4・14-22「郷里では受け入れられない」それで良いのかも。無に帰すだけ。僕の楽友の秀作も遺族の手で生ゴミとなった。それ良いのかも。
2014年01月09日
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1月8日主の降誕後第2主日の週1ヨハネ4・11-18、マルコ6・45-52神は愛。湖上を歩くイエズス。松本清張の「黒い福音」が放映されると聞いた。19日午後9時からテレビ朝日。松本清張の本は読んだが見たことがなく、一度見たいものと思っていた矢先だった。今年はさい先が良い。と言うか、本当は絶対見たくないが絶対見るべき。あぁ~今年も考えさせられる年になりそう。1959年春の出来事で僕は小学生で知らなかった事件。スチュアーデス殺人事件。修道会司祭が犯人かと言われた疑惑事件。良く知っている修道会だけに以前から強い興味を持っていた。
2014年01月08日
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1月7日、主の降誕後第2主日の週1ヨハネ4・7-10、マルコ6・34-44武力衝突で治安情勢が悪化する南スーダンに陸上自衛隊がいると言う。いつのまにか地球の裏側にまで日本の自衛隊が派兵されていることを問題にすべきだと思う。思えばイラク派遣で国民は大反対だったはず。そのイラク派遣が無事帰還し、あとは既成事実と次から次へと自衛隊派遣が続いているし、もうだれにも止められない現実に震えを覚える。そして南スーダンでは友軍である韓国軍からの要請で銃弾1万発を無償提供したと言う。友軍なのだから当然のことだろう。拍手を送らなければならないところだ。いやまてよ!ほんらい自衛隊が海外派遣されるべきではないのだは?ほんらい武器の輸出は禁止されているのでは?臭いものは根元から断たねば駄目!と、南スーダンに派兵させることから根本的に誤りではないのだろうか。東日本大震災での活躍で自衛隊がいつのまにか感謝され市民権を得、沖縄のオスプレイに大反対しておきながらその日本がオスプレイを持つ計画だとは、どんなレールが敷かれているのだろうか。銃弾1万発80万円。国のやることだから80万円は微々たる金額。銃弾1発がたったの80円。いやまてよ。80円の銃弾1発で人間が死ぬと言うことを。80円で人間の命が買えると言うことを。たったの80円で。80円で何が買えるのだろうか。百均では何も買えない。子どもの駄菓子か、タバコ4本分の命。何と言う辛い現実なのだろうか。南スーダンの韓国軍の発射した銃弾で人が死ねば我々日本人も射殺に加担したと言うこと。ネットショップ、リタイヤ後のエンジョイ、同じ人間なのにこうしてエンジョイライフは良いのやら悪いのやら・・・
2014年01月07日
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1月6日主の降誕後第2主日1ヨハネ3・22-4・6、マタイ4・12-17,23-25兄弟愛。神の霊。神は愛。荒れ野の試み。宣教開始。4人の弟子。病人の癒し。断捨離「律令制女性史研究」須田春子著がある。ゴミ焼却には忍びない。これはいつ入手したものだろうか。菅原先生から勧められて求めたものだから30年前だろう。マーラーの「交響曲1番~9番」、シューマンの「交響曲1番~4番」の総譜がある。眼が悪いからもう見ることはないだろう。おもいきって捨てることにする。よくもまぁー20数パートの楽譜をやったものだ。どの楽譜もメモ書きしているので人様に差し上げることも出来ない。どれもこれも思い出がよみがえるし、若いころは随分勉強したものだと自身をほめてやりたい。断捨離とは辛い行為ですね。
2014年01月06日
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1月5日、主の降誕後第2週「主の公現」イザヤ60・1-6、エフェソ3・2、マタイ2・1-12御ミサに与かりきょうこそミサ曲を歌いたいと思うのだが、いざミサが始まるとその気持ちは萎える。不快感が勝る。電子オルガンの気持ち悪い音色は人声とは溶け込まない。水と油なのだから当たり前の話し。それにあの伴奏は合唱用伴奏で単旋律には不自然だ。そんな感情が先に来ると、教会に来るのではなかったと思う。教会離れが進むのもうなずける。我が家できょうのミサ曲をリードオルガンを弾きながら自分一人でイテミサで終える。それにしてもLiber Usualisの文字と音符が細かくて見えなくなってきた。リードオルガンの調子が悪いので素人調整をした。リードオルガンの調律が出来る調律師が少なくなったのと、当然のごとく高額(うん十万)であることからリード抜きでリードのゴミを取り除くだけの作業をする。まずはこれで満足しなければ。今年は調整を自分で使用と思う。現行ミサ曲の伴奏譜を考えようと思っている。人様用ではなく自分用だけにオルガン伴奏譜を復活祭までに書こうと思う。
2014年01月05日
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1月4日主の降誕第1週1ヨハネ3・7-10、ヨハネ1・35-42あさ4時半に就寝し8時半起床。書斎の整理。古い作品が出てきた。とんでもないところにあったが懐かしい。まだほんのヒヨッ子の習作。見栄を張った気風が感じて笑える。演奏された編曲も多数出てきたが、どれもいただけない。恥ずかしく懐かしくもあった。五線譜ペンと羽ペンが出てきた。作曲の初歩でかならず習う鉛筆の削り方。電動鉛筆削り器などを使うのは愚の骨頂。ナイフで鉛筆を一本いっぽん削り、鉛筆の先にも神経を使う。五線譜ペンは、ペン先が5本になった自作ペンを作り、これでいっきに五線譜を書いていく。そのむかしは五線譜が売っているわけでもなく自分で五線譜を書いたからだ。これをやると先人の苦労が良くわかると言うもの。羽ペンも同様で、羽ペンはインクの溜まり具合が難しく、書くのも慣れるのに時間がかかる。Gペンもごっそり出てきた。作品の浄書はペン書きなのだが、Gペンを使うのが常識。五線譜ペンとか言う商品が今でもあるのだろうけど、これはいただけない。邪道と言うもの。Gペンだと音符がきれいに描ける。音符に流れが出る。ただ使い方があるので独学できるものではない。ちなみにインクは黒。もっとこだわると、墨を使う。墨には松煙墨と油煙墨があり油煙墨でなければいけない。これはこだわりではなく意味がある。来週は今年初めてのゴミ回収。楽譜などにご苦労様!とゴミ袋に入れた。身を切られる思いがあるが自分で決断することは一番の結果だろう。きょう一日の部屋掃除はこれで終わり。スクリャービンの4番が難解すぎてしばらく頭から離れないかも。あすは「主の公現」
2014年01月04日
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気が付くと4日の朝3時40分。スクリャービンの「交響曲4番」をやっと読破。コンデンス譜(オーケストラ譜をピアノ譜に書きながら)にしながらの譜読みだったのできのうから一日かかった。もう歳ですね、昔はこんなに時間はかからなかったのに。総譜をピアノ譜にするのは、この歳になると時間の無駄と言うことだ。それが分かった。時間があればCDを聞いてみようと思うが、聞く必要はないだろう。CDからは演奏者指揮者の音楽は聴けるが、作曲家の音楽は楽譜を読めばそれで充分なのだから。目のためにも、若いころとは違うのだから無理はよそう。これから寝ます。
2014年01月03日
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1月3日、主の降誕第1週1ヨハネ2・29-3・6、ヨハネ1・29-34年末恒例の紅白歌合戦のプログラムを見たが、紅組24人中7人、白組24人中10人の名前しか分からなかった。知っている歌は数えるほど。時代の流れに取り残されたのだろうか。スクリャービンの交響曲4番を見ている。目が疲れた!
2014年01月03日
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1月2日「聖バジリオ聖グレゴリオ(ナジアンズ)司教教会博士」1ヨハネ2・22-28、ヨハネ1・19-28新しい年を迎え、今年やらなければならない準備のために、まずは書斎の整理をきょうから数日かけてします。勇気をもって「断捨離」の敢行!とは言え、愛着があって捨てるに忍びがたい。勇気をもって「断捨離」の敢行!とは言え、この現状維持は良くない。とにかく数年使っていない品、見てない書籍は「断捨離」!貴重な書籍は今しばらく保存、あとは粗大ゴミか書籍買取。楽譜はどうしようか?あぁ~まよっちゃう。ルネサンス期の楽書や管弦楽スコア等々まよっちゃう。それにしても引き取ってくれる機関があれば一番良いのだが。これから来客を迎える。
2014年01月02日
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新年を迎えあれもこれもではなく、今年だけ。この歳になると来年はない。自分のやるべくことのみに専念しようと思う。2014年1月1日「神の母聖マリア」民数記6・22-27、ガラテヤ4・4-7、ルカ2・16-21昨夜から耳が疲れて苦慮。体調で味覚が分からなくなるように音も識別できなくなることがある。そんな時は音から少し離れるのが一番なのだが、こういう時こそ大事な時。いったん失うとよみがえるのは不可能とあせり、その繰り返しが耳を疲れさせマヒさせるのでしょう。耳栓をして二三日過ごします。「こだわり」はその当事者のみで、その「こだわり」を押し付けるものではないと言うこと。かといって「こだわり」の無い行為は空しい。が、どうでもいいものかもしれない。この「こだわり」は音楽にも顕著に現われる。そんなことをしているから耳が疲れ音の識別ができなくなると言うこと。「束縛から自由へ」である。
2014年01月01日
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新しい年おめでとうございます
2014年01月01日
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