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【病人の快復を求むる祈】 (「公教会祈祷文」s59.17版.p.283)ああイエズスよ、主はかつてこの世にましませし時、主を信頼し奉る者に対して、常に御あわれみと御力とを現わし、その悩みを除き、憂いを慰め、病を癒し給えり。▴ 主はいつも御あわれみに充ち給うが故に、“主よ、御身の愛し給う者病めり”と叫び奉る我らの祈りを聴き給い、思召しならば、全能の御手をこの病人の上に延べ、その健康を快復せしめ給え。我ら罪人なれども、病人の快復なる聖母マリアの御取次によりて、この切なる祈りを主に献げ奉る。アーメン。
2017年01月30日
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目がさめたのが九時半。あわてて動き出す前に「朝の祈り」を唱えたところです。「病者と死者の祈り」に新しい名前が増えました。そのリストを眺めていると、日によって目に留める人の名前が違う。そのつど、何かを伝えたいことがあるのだろうか、と思う。きっと僕のことを心に留めて下さっていると言うことでしょう。人のために祈るのではなく、人が祈って下さっているということです。
2017年01月28日
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ひょんな事から「カルメル会修道女の対話」の記憶を懐かしく三十数年ぶりに思い出した。僕がドイツ留学をしている頃のことで、この作品をアナリーゼできたのは僕のまわりにフランス人がいたからでした。サティーに始まりプーランクの新しい音楽形式に強い影響を受けている頃でした。この作品の二台のハープの使い方には興味を覚えた。ハープの使い方を間違える危険性を指摘され、それが良く理解できずに終わった。また観想会に興味を覚えたのもこの頃です。帰国後に生涯の恩師と決めた菅原明朗先生から、管弦楽曲のレッスンの中で、この作品に再び出会うこととなった。日本では高価でなかなか入手できない総譜を見るチャンスに恵まれた。そして演奏時間二時間半強の総譜を一週間で全曲を写譜。ハープの使い方の危険性を恩師から得々と教えられ、ハープとの縁が切れ、写譜した総譜も今は残っていない。30年以上も経って今回、昨年12月の演奏会でハープを恐る恐る使ってみた。トラウマか僕には荷が重いと思っていたが、ハープに魅了された。この作品の使用楽器の中で思い出深いのは打楽器で、ムチとクロテイルが使われている。これらの楽器がフランス人の彼女の家にあるというので見に行きました。とんでもない家に住んでいてお屋敷、古いピアノやチェンバロ・クラヴィコード・オルガンから中世ルネサンス期の楽器等々に触れることが出来た。それにこの作品はフランス語歌詩なので、フランス人のドイツ語とドイツ語のあぶない僕との会話のドラマがあった。昔のムチで音を出すのに苦労をし、鉄のカスタネットと言われるクロテイルの鳴らし方を屋敷の執事さんや使用人さんから教わったりと、あの頃のことを思い出しました。30才の頃なので随分昔の話です。特に多くを学んだのは、劇中で使われる聖歌で、「聖霊来たり給え」「ラザロ」「アヴェマリア」「コルプス」「サルヴェ」のオーケストレーションでした。総譜をピアノ譜、弦楽譜、木管譜に編曲したのだが残しておけば良かった。後悔なんとかです。
2017年01月26日
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communicare 分かち合い物を与えることが出来ても心にある物を分かち合うことは難しい年末年始に頂いた万札を千円札に換えるべく銀行に行った。お金をおろしたのであろう知人からお金を頂いた。年の初め早々、彼女はお金を施し、僕はお金を施され、二人して分かち合えた。万札一枚がまた千円札10枚に変わり10人分が増えた。感謝しかありません。
2017年01月25日
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今月末の草津訪問でのこと。草津にはスキー客でにぎわっている。草津から少し離れた楽泉園には、夜になるとイノシシが出る。でっかいのが単独で、それに子供連れ、とにかく遭遇は危険だが、今回は2度御挨拶した。それとタヌキとキツネにも。そうとう腹が空いているのでしょうね。観光客でにぎわう草津の町中から3㌔弱に楽泉園があるが、その途中の山の中でタヌキやキツネに会う。 食べ物のない動物を見ていると思い出す。食べ物もなく家もなく仕事もなく。残飯をあさり必死に生と立ち向かっているホームレスの人たちを。できる限り彼らに千円札一枚をわたそうと。施すのではなく分かち合う千円札一枚を。
2017年01月24日
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草津から帰宅しました。20日夜にチラチラと粉雪、夜にふるのかなぁ~と思いきや、朝は一面真っ白。車は30センチほど。シスターを草津口駅に迎えに行く時、土曜日なので草津への上り坂が大渋滞。その原因は普通タイヤ。最近の草津は若者客が多いとか。素泊まりが中心らしい。コンビニがあるから。観光客は多いけどお金は落としていかないから町はうるおっているのでしょうかね?雪が心配なので21日深夜2時に草津を出発し言えに到着は6時。4時間かかりました。最近、歳のせいでしょうか疲れました。気力が無くなってきたのをお感じます。ハンセン病療養所で生活するお二人が誕生日なのでそのお祝いにシスターが訪問したわけで、僕も誕生ケーキを用意しているからバッティング!ハッピバースデ・・・とささやかなお祝いが出来ました。誕生祝で思い出すのは、療養所生活者の多くがケーキのロウソクを消したことがないということ。
2017年01月23日
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もう30数年前なので記憶があいまいだが、浪曲師と曲師(三味線)の方に何度か教えを乞うた。作曲をするうえで日本の大衆音楽のルーツを学ぶ必要があったからだ。いま歌われる歌謡曲や若者の音楽の歌唱法は、歌手が知ってか知らずか浪曲の歌い方に共通点が多いと言うことです。 今さっきBSテレビを見ていると、ひと昔前のスター歌手で、今は俳優でもある芸能界の重鎮。当時の歌を思い出すかのように歌っていた。練習もしていないのだろうし、映画を誇った昔を誤魔化すかのように曲調を変え歌う姿は見苦しい。時代を同じくしたファンにとっては嬉しく懐かしい番組であることは想像できる。 この画像を我慢して見ていると、旋律と歌詞の関係に注目。歌い方を聞いていると歌詞に思いを込めるあまり、まさに浪曲にソックリ。発声ができていないからマイクテクニックの小手先だけの歌い方。音楽は中性でなければいけない。歌い手は歌詞の内容をオーバーに表現し聞く側に押し付けてはいけない。歌詞の内容は聞く側の心にお任せしないと。この音楽の基本が理解できていないと感じました。 浪曲もそうだが、三味線の角付け、三味線演奏にも多くを学んだ。今でも心に残るのは高橋竹山さん。目の不自由な耳から学んだ演者の音楽はやはり本物ですね。最近の三味線はコンクールとか曲弾きとかパフォーマーだと思います。
2017年01月19日
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大相撲に思う 勝った力士が賞金を「さがり」に差し込んで歩く姿にクエッション。賞金はお金なのだから、お金を丁寧に扱う態度が欲しいと思うのだが、考え過ぎだろうか。 仕切り直しの時に、審判員に力士が申し訳なさそうに一礼する姿を見かけるが、どんなものだろうか。あの審判員の偉そうな態度と睨み顔から、真剣勝負の気持ちが失せるのでは。以前には見かけないことだったと記憶しているが。力士がお辞儀をする相手は、お客さんに対してであり審査員に対してではないと思うのだが、考え過ぎだろうか。審判員のしかめっ面の怒ったような顔を見ると、スポーツにみる上下関係と粗暴行為を見るようで、恐ろしくなる。
2017年01月18日
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きょうは年間第二主日。右目に不安があり運転が難しいと判断し、ミサに与かるのを止めにしました。午後3時のミサをいま考えているところです。この状態だと、目が痛くショボショボしているので運転は無理でしょう。家でじっとしているのが一番かも。叔母の遺品「祈祷集」をパソコン入力しています。とは言っても、良い方の目に雑菌が入ったので、目と相談しながらです。ありがたいことです、僕の知らない祈りが幾つもあり、作曲したい祈りがあります。書けるかどうかわかりませんが素材があることは嬉しいかぎりです。昭和7年(1932年)初版なのでボロボロ寸前、注意しながらページを開くのに疲れます。
2017年01月15日
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年末の多忙から解放され放心状態か脱力感で何もできない状態です。ケガレという言葉があります。「気が枯れる」でケガレ・気枯れと言います。気力が無くなると、やることなす事が真逆になるので、しばらく何もせずにじっとチャンスを待つしかありません。僕の場合はコントラポアンやダンノーゼルのソルフェージュ、管弦楽曲の総譜をB4に拡大して譜読みをしてやる気が出るのを待つしかありません。おまけに良い方の目に雑菌が入ったようで目を休めないといけなくなりました。
2017年01月14日
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浪曲をテレビで観た。浪曲は僕にとっては懐かしい。小学生のころゲルマニウム・ラジオ?とかを布団の中でこっそり聞いていた。あのころから不思議に思っていたのが、語り手と伴奏者が別々のことをしているようで不思議だった。僕はピアノを習っていたので西洋音楽とは違う不思議さを感じていた。 僕は浪曲と言う言葉より、浪花節と言う言葉に親近感を覚える。テレビで聞いていて考え込んだ。浪曲師と曲師(三味線)の奏でる曲が西洋音楽とは違い二声でどちらも独立している事。 浪曲師が節(フシ)と啖呵(タンカ)を各人各様の創意工夫で演じ、「浪花節を読む」という言葉通り台本はあっても楽譜がない。三下りに調弦された三味線の相方(伴奏者)である曲師との呼吸が一番重要となる。この浪曲は、明治初期から始まった大衆演芸らしいが、その母体はどこにあるのだろうか?多分あれだろうね。
2017年01月13日
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昨夜、ワイフがボストンから元気に帰国しまいた。お土産はお菓子ばかり。僕のあわい期待はパイプ煙草だったが、免税店で探せなかったとか。元気で帰国できたのが嬉しい土産と言うことです。それに孫たちの家と生活が聞けたのが一番で安心しました。ボストンバレエのDVDを楽しみにしていたのですが、DVD販売はしていないとのこと。もちろん隠し撮りは厳禁だから、劇場に足を運ぶしかないとのこと。生で観なさいと言うことなのでしょう。DVDやCD販売でサイドビジネスをするよりは長い目で見ると堅実な運営かもしれませんね。端役とは言えオーディション倍率は高く、端役と言えども孫の踊りは良かった、とおばあちゃんのえこひいきを聴きました。 昨日のボストンはマイナス17度。-17度を体験してきたとのこと。-17度は草津の重監房で凍え死にした温度だけに、-17度がどれほどの寒さなのか。暖房もないセンベイ布団の中で恐怖して凍え狂い死にした草津の重監房を思い出した。
2017年01月11日
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あと4,5時間で、ワイフがボストンから帰宅する。十日間の一人生活も終わります。散らかしっぱなしだったのでこれから大掃除をしないといけません。ボストンでは孫娘のボストンバレエ、孫二人のアイスホッケー、ボストン美術館等々。大切な教会訪問は平日はカギがかかっているとか。日本だけかと思いきや、どこでもそうなったのかなぁ~、とても残念と言うか悲しい話し。(そうは言っても、オラが教会のような集会所みたいな教会はなさそう)曲はやっと一曲書き終わり、今回はいつもそうしているように何度かゆっくり時間をかけて見直す、つまり曲の熟成をせずに筆を折った。頼まれて6,7年になろうか、待っていた作品が正月早々届くのだから、喜んでくれるかどうか。あと一曲、喉から出そう状態なので、掃除をしながらこれから書きます。ひとつひっかかるテーマ。浪曲と琴曲を考えて自分のものにしたいと思う。ずいぶん昔のことになるが、津軽三味線の高橋竹山と何度か話をしたことがあるが、その時の記憶が大きく参考になる。たしか高橋竹山の講演会のときに三味線音楽について話をしたのがご一緒の初めだったと懐かしく思い出しています。
2017年01月10日
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曲を頼まれて、やっと書く気になって5年になるだろうか。明日の夕方にボストンからワイフが帰国するので、それまでに書きあげようと思っています。デッサンができたので、この勢いでうまく書けるといいのですが。
2017年01月09日
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ボストンから写真が送られてきた。娘と孫の住む家、ボストン美術館、孫たちの姿を見てホットしている。ボストンは大雪で雪かき姿の写真はスコップでの雪かきじゃなくて、エンジン付きの雪かき機。娘の家も映画に出てくるような広さ。まずは生活映像を見てひと安心。それにしてもアメリカは大きいんだ。ウサギ小屋と言う言葉を思い出した。まさに日本はウサギ小屋。でもドイツとたしか同じ面積だったと記憶している。政治のやり方なんだろうね。汗流して苦労して今の生活環境じゃやりきれない・・・日本は。明後日、ワイフが帰国する。やっとまともな食事ができます。この10日間のワイフのいない時間に作曲三昧を期待していたが、今のところはモティーフばかりでデッサンもできないでいます。まぁ、カセットにしまい込んでおけば後でカセット(引き出し)から引き出せるので、まぁ、これはこれで良いとしましょうか。火曜日に帰国するまでに一曲は書きたいが。ノド元まで出かかっているのですが。
2017年01月08日
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作曲の筆記用具は「消せるボールペン」を使っている。消しゴム不用で便利。0.7ミリを使っている。赤・青・黒色と使い分けをするので、各10本はある。以前は、2Bのエンピツだった。恩師菅原先生はマジックペンを使っていた。ほとんど書きミスがないのでペン書きできるが、僕なんぞは消す作業が多いのでエンピツだった。
2017年01月07日
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「キリスト信者の宝鑑」初版:明治44年5月1日6版:昭和16年5月30日を見た。紙質は黄色く、ページをめくるとボロボロとくずれそう。スールマリードカルメル(29)と書いてある。カルメル会の叔母の遺品です。叔母からたくさん本を頂いたが本棚の隅っこに窮屈そうに積み重なっているのを、フッと目にとまった。「初心に帰れ」じゃないが、先人の書物に心が洗われる。時代と共に色々と変化する中で“これだけは!”と思うものだはまげずにいたいと思う。
2017年01月06日
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昨日の訃報で動きだしていま帰宅したところ。色々と辛いものを感じてます。今年こそはイイ子ぶらず、隠居の年齢なのだから自分の時間を大切に作曲三昧の一年にしたい、そう思いつつ三日目からイイ子ぶってしまいました。 昨年の〆は27日のカトリック草津教会で降誕ミサを終えた。そこで思い出したことがあり胸がつかえ、3日まで草津に滞在する予定をきゅうきょ30日で帰宅した。 昨年のいつだったか「朗読と音楽」の演奏会をある教会でとのお話があった。ハンセン病を少しでも知ってもらうチャンスであり有り難い話し。ところが開催するには手続きが必要とのこと。こんな分かりやすい話しに何の手続きが必要なのだろうか?今までの演奏会の経緯、出し物の内容、台本、できたらDVDを見たい等々・・・資料提出が必要とのこと。教会でやることだから教会信者を中心に50名か100名なのに何を考えているのだろうか。そこまでしてやる必要がどこにあるのだろうか。すぐにお断りした。演奏するには演奏者がいる。しっかり常識のギャラを出してくれるのなら別だが、出演させてあげる、奉仕して当たり前のスタンスで誰が教会で演奏をするだろうか。そんなことを思い出し、気分が悪くなってサッサと帰宅した。 年末のこと。那須トラピスト修道院で収録したCDを聞いての感想をある人から直接聞いた。“雨の音がうるさくて”と。このCDは、録音日は大雨で大粒の雨がお御堂の屋根を叩き、稲妻で演奏不能だった。早い話しが、演奏を聴くのではなく、トラピストのシスターと共の時間を過ごすことが第一義なはず。この録音を喜んでくださる希望者がいるのでCD化しただけのこと。“雨の音がうるさくて”と。何を勘違いしているのだろうか、音楽が聞きたいのなら商品化されたCDを聞けば良いだけ。那須トラピストの、その瞬間を僕らが共有、共に分かち合える瞬間、そのことに気がつかない人に驚きと悲しみを感じた。あぁ~そんな風に聞いていたのだと、僕も傷ついた。歩く音、咳の音、立つ座る音、屋根を叩く雨の音、ときおり雷と稲光の中での沈黙、この実況中継を雨の音がうるさくて聞くに堪えないとはどこからの発想だろうか。十人十色は結構だが、そんなことを僕の耳に入れてくれなくて良かったのに。その人はそんなつもりで言ったわけではないのだろうが、発言の暴力を感じた。傷ついた。
2017年01月04日
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普段、演歌やポップを聞くことはないのだが、お正月気分で観ての感想。以前から思っていたことの再確認ができた。ちょうどNHK紅白歌合戦で女優さんの歌を見たが半分ほどでチャンネルを切り替えた。それとカラオケ大会も。大変有名な女優で舞台女優でもあるそうな。これほどの大家だと、誰も非としないだろうし、照明と女優のかもし出す雰囲気とで実に素晴らしく魅力的にうつるが、歌手と言えるのだろうか。ずいぶん昔にテレビで歌う姿を見たのを記憶しているが、音程が不安定で人前で歌うのは遠慮すべき。想像すれば、ミュージカル出演のために発声と音程をかなり訓練したのだろう、その形跡はいじらしいほどうかがわれる。マイクを使って何とか形になった程度で人様に聞かせる技量ではない。音楽的には論外だと少なくとも僕はそう思う。 カラオケ大会。今のカラオケは微妙な音程チェックができるようで、音程が正確であればそれで音楽と言えるのだろう。これもマイクの小手先だけの話し。音楽とは全く無縁なこと。こんなことをしてどうするのだろうか。 最近は「評論家」という御意見番がどの分野でもいなくなった気がする。厳しい目で、目を光らせている評論家が。評論家がいなければやりたい放題で、有名人なら何をやってもOK。音楽の世界でも、日本のベートーヴェンと大賛辞を音楽評論家がして、その実態を暴露され失脚したのを思い出す。音楽評論家もその程度になり下がったと言うことか。僕の20代のことは真贋の耳を持つ評論家がいて多くを学んだ。本物がどの分野でもいなくなったと言うか。
2017年01月04日
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僕の年末年始は独身生活です。ワイフは、長男次男のアイスホッケーの試合、長女のボストンバレエの端役姿を見にボストンです。23㌔のボストンバックを二つもって。男とはこうも違うもの、娘と孫のために46㌔を運ぶのですから。日本のお菓子は全然違うとかで、あれもこれもとケースに詰めては重量を図り、また詰め直しをして。愛とは、無償の愛とはこれを言うのでしょうか。ボストンバレエは有名らしく、暮れのくるみ割り人形を観に日本から大勢行くとか。端役になるにも難関オーディションがあるとか。まずは、やれる環境にあることを感謝です。
2017年01月02日
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あたらしい年を迎えおめでとうございますことしも宜しくお願いいたします 「一年の計は元旦にあり」とかで、まいとし今年こそはと思いきや何もなさず。それでも今年こそ「作曲三昧」。何事にも心をよせず、ただただ作曲三昧の年にしたいです。老い先短いのですから、まだ書けるうちに書くことを優先します。八方美人にならず、いい子ぶらず、パリサイ人を卒業したいものです。昨年書けなかった曲を一曲でも多く書くことにします。
2017年01月01日
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