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先日、長崎に帰ったこともあり、また映画の中で長崎を堪能できるかなと思い観に行ってきました。キャストが有名な名前も並んでるし爆心というタイトルでも原爆に関する内容で深い映画だと思って行ったんですが…こうゆう言い方はなんですが…これだけ揃えてよくもこんなに中身のない映画を作ったなと…脚本が悪いのか監督が悪いのか長崎の良さは全く出ておらず、キャストの良さ、原爆の話は皆無に近かった。長崎で撮った理由もわからないくらい長崎の味が全然出ていなかった。編集も雑だし音楽もピアノ一本。同じ曲。同じパターン。久々に何も残らない映画を観てしまった。原爆の話は当時の人も少なくなってきて体験談は資料が多くなってきたが、二世、三世と引きずってる部分もあり、それで悩んでる人も実際にいる。しかしそれを安易な形で表現し、隠れキリシタンのことも触れ安易に表現していた。そんな軽々しく用いる問題ではない。それを分かった上で映画にしたのかも分からない。それほど薄く、長崎をバカにしてるようにも思えた。8月9日が長崎で生まれ育った人にとってはどんな意味を持っているのか。それに触れたにも関わらず中身が一切なかったことが凄く腹立たしかった。この脚本を長崎の人は目を通さなかったのだろうか?そう思うくらい酷い展開で最後まで安っぽい話のままだった。長崎で生まれ育った人間として、この映画を観ないで欲しいという気持ちで映画館を出てきた。
2013.07.29
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昔覚えてた景色は人を落ち着かせるかもしれない。眼鏡橋から石橋群を抜けると諏訪神社に辿り着く。前回のブログでも書いたように私はこの神社の姉妹幼稚園?に通っていた。学生時代も帰りにこの神社に寄っては階段に座りずっと他愛もない話をしたことを覚えてる。ここから見る景色が好きだっただけかもしれない。あれからもう何年も経っているのにここに来るとやっぱり落ち着く自分がいた。神社の周りは色々と補正されていたりして変わっていたが、建物もこの景色も変わらない。懐かしい場所は自分にとって落ち着く場所だと感じさせてくれた。この神社は謎があって、隣に何故か動物園?がある。しかも無料であり、30歩くらい歩くと出口に出る。私が通ってた時代は大きなクマと鷹がいて良く見に来ていたのを覚えてる。さすがにそのクマはいなくなっていたが動物園はまだ残っていた。昔の思い出を辿っていくと長崎の名所に必ず辿り着く。観光ではなく生活の一部に歴史が密接に関わっていたことが良く分かり、それが私にとっては財産かとも思った。そして偶然にもこのブログも1001回目になる。長崎に帰ったことで何か新しい風が吹き込まれたのかリセットされたのか…ちょうど1000回目を跨ぐ記事が長崎の話題で良かったとも思い、ずっと続けられたのもこのブログを読んでいただいた方々がいたからと感謝するばかりです。
2013.07.25
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子供の頃、「石橋を叩いて渡る」と勉強した後眼鏡橋を通るときは必ず叩いて渡っていたという経験がある人は長崎に何人いるのだろう?私自身も傘で何回叩いて渡ったことだろう…実はこの眼鏡橋は新しく改修されている。長崎大水害のときに損傷が酷く、私も実際に翌日、見に行ったが石畳も崩れ渡れる状態ではなかった。真ん中には大きな木がひっかかっていて周りもまだ水浸しの状態だったことを覚えている。長崎に住んでいたころのたまり場の一つとしてこの眼鏡橋の下を降りたところに良く集まっていた。修復された眼鏡橋は綺麗なイメージがあるが何気にその奥に続く石橋が好きだったりする。この石橋群の先には諏訪神社という長崎では有名な神社がある。私が通っていた幼稚園はこの神社の姉妹幼稚園?だったので、ここにも良く通っていた。多少、風景は変わってしまったがこの石畳の階段が好きだった。
2013.07.24
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長崎に住んでいたころ、ちょっと歩くだけで古き良き光景が目に入っていたことに気づく。今の長崎は観光地としての発展はしているが昔の光景はほとんど減ってきている。そんな中で洋館だったり石畳を見ると帰ってきたと実感できる。住んでいたときは何気に見ていた建物もじっくり見るようになってしまった。今、建っているマンションだったり家はオシャレだとは思う。しかし好きにはなれない。それはたぶん利便性が優先であり、昔のような遊び心と街並みに合った建物ではないからかもしれない。昔、中華街がもてはやされるようになったとき入り口を見ても全然、興味を持つことが出来なかった。でも近くにあるこっちの門のほうが凄く好感を持てたのを覚えてる。世の中、便利になったのは良いことだけど外観を眺める余裕も残っていてほしい。長崎に戻ってきてよりいっそう感じてしまった。
2013.07.23
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久々に帰った長崎はやっぱり過ごしやすい。というよりもそこで育ったからそこの土地に合った身体になってるというほうが正しいかもしれない?東京の平地を歩くよりも長崎の坂道を歩くほうが楽なのだ。子供の頃は数え切れないほど行ったグラバー園の前。わざわざお金を払って入ったことがなかったので今回、初めて中に行ってみた。数年前の龍馬フィーバーに便乗した新しい観光地は嫌いだが、このグラバー園側から見る長崎は好きだった。学生時代にたむろしてた場所でもある。この景色を見て育ったのは幸せだったのかとも思った。初めて入ったグラバー園は新鮮だったが、この同じポーズをしてる亀が気になってしょうがなかった。そしてもう一つのたまり場。大浦天主堂の前。この角度から見る大浦天主堂は何度見たことか。これも珍しいと言われるがお金を払って中に入ったことがなかった。地元なだけにいつでも行けると思っていたのか学校の社会見学で行くかも?と思ってたせいか一度も中に入ったことがなかった。しかし中に入ってみて本当に良かった。昔の長崎は素晴らしい場所が多いと実感してしまった。
2013.07.22
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最近、ニュースで良く流れている広島の女性遺棄事件。今日のニュースでは加害者とされる3人が自分の将来に対して供述していたとのこと。反省の色もない。殺された少女の未来を断ち切ったやつに将来があるというのがあまりにもおかしい。未だに少年法によって名前は匿名にされている。これは将来のためにと思っての配慮だとは思うが不慮の事故と殺人は大きく違う。なのに同じ法律で縛るのか?何の罪もない人が未来を奪われ、罪を犯した者が未来を約束されている。更正して普通の生活を得たとしても、その殺された人は一生戻ってこない。それを一生背負ってる人は何人いるのだろうか?特に未成年が起こす悪質な犯罪でも、過剰なほどに守られてる。実際に大人でも犯罪を犯してのうのうと生きている人は沢山いると思う。罪の意識。それをきちんと教わる場所はないのだろうか?いい加減、腐った法律は全部もう一度洗いざらいにしない限り無理ではないだろうか?テレビではLINEがどうのSNSがどうのこうのと論議してるがそうゆう問題ではない。罪の意識を問うとマズイ大人が多いからそっちに矛先を変えてるとしか思えない。罪と罰。もう一度、考え直すべきだ。
2013.07.19
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久々の地元長崎に帰りました。過密スケジュールの中、いわゆる観光地と呼べる場所を転々と回って、最後に軍艦島へ。子供の頃はこの軍艦島が見える海水浴場で毎年、泳いでいたのであまり新鮮みがなかったけど、歴史を勉強して、軍艦島が色んなところで聞こえるようになってきてから無性に行きたくなってしまった場所でした。念願叶って上陸ツアーに申し込みしたんですが波が高くしけた状態で上陸が無理ということでしたが周遊は出来るとのことだったんで、せっかくだから行ってきました。何度も見ていた軍艦島もこんな近くで見るのは初めて。一言で言うと「異様」無人島だからというのもあって、それまで長崎以外の人には有名じゃなかったせいか当時のままで見事に残っていた。中にはこれを読んで知る人もいるかもしれない。この端島という島が何故、軍艦島と呼ばれるようになったかはこの写真を見たら一目瞭然だろう。上陸して色んな光景を焼き付けてきたかったけど周遊しただけでも充分、その異様さは感じることが出来た。またいつか上陸出来ることを誓って。この文化遺産はずっと残してほしいものだ。長崎はここ数年、観光に力を入れているみたいで街並みもかなり変わってしまった。しかし、この軍艦島だけは子供の頃から見ていた軍艦島そのものであり、ここだけ時間が止まっている。それが凄く嬉しくもあった。
2013.07.15
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たった今、辛いニュースが入ってきた。あの原発事故の際に、日本のために尽力を尽くしてくれた吉田昌郎元所長が亡くなりました。まだ原発事故が終焉してない今、この人の英断を称えるのは難しいかもしれないが会社に楯突き、当時の政府に楯突いて日本を救ってくれた姿は、ずっと忘れないでしょう。何故、こうゆう人が早く亡くなるんでしょう…悔しくてしょうがありません。この人には感謝してもしきれないくらい私達はこの人に助けられたと言っても過言ではないでしょう。今、私達がここで生活していられるのも吉田昌郎元所長のおかげです。今も、色んな問題を隠し続けて国からも国民からもお金を吸い上げている東電の中で数少ない真っ当な人間だったと思います。そして侍だったと。心からご冥福を申し上げます。あなたに救っていただいた命。これからも大事にしていきます…本当に…本当にありがとうございました。ゆっくりお休みになってください…
2013.07.09
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今までテレビに流れるAKBの楽曲は右から左に流れていたが今回の楽曲は久々に良いと思った。70年代、80年代のソウルミュージックやディスコミュージック?にはハッキリ言って興味がなかった。というよりも日本人には出せないノリだと思っていたので聞く機会は多くても好きになることはなかった。しかし月日が経ち、このような形で、いかにも日本人がアレンジしたという曲なのに好感を持ってしまった。細かく分析すれば、ここ20年近くいい曲と呼ばれるものが私にとっては殆どなかったからかもしれない。ちょうど20年前くらいからいわゆる売れ線という楽曲が主流で音楽業界が取り巻く環境が、チャレンジすることがなくなった。古き良き新鮮で、斬新な音楽が流れなくなっていったのは事実で聞き流す程度の音楽でしかなかった。しかしその古き良き時代の音楽に浸かっていた人達が息を潜めてたのかなと思うことが最近、増えてきた。今回の楽曲もその時代を愛する人が作ったのではないかとも思った。実際にその時代の曲をアレンジしたような曲がAKBの曲の中にあるのも最近知った。本来なら自分たちで表現したかった楽曲だったんだろうなと…音楽というのはもっと自由で表現方法の1つでもある。それを一塊のサラリーマンやレコード会社が壊してしまった現状。その中で隙を狙って出来たいい曲は見逃せない。
2013.07.04
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