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先日ブックオフでナウシカを発見。しかも一冊105円だったのでこれは買うしかないと思い抜けてる巻もあるがとりあえず売ってある5冊を買い占めた。何度か読んだこともあるので、また再度一巻から読もうと思ったら…冒頭から30ページ辺りまでこの有様。台詞が全部、修正ペンで消されていた。一気に読む気が失せてしまった。他の巻は問題はなかったのに。こうゆう欠陥があるとも書いていなかったので買う前には確認することなくレジに持って行ったのだが…ブックオフに連絡すると完全なマニュアル対応。「すいません。申し訳ありません」から始まり在庫確認して在庫があれば交換します。当店までお持ち頂けますか?また来いと言うのなら在庫確認のついでにその抜けてる巻も調べてくれないかと訪ねるとそれは出来ないと一蹴された。これも不思議な話である。同じ種類の巻を確認するのにそんなに手間がかかるのだろうか?しかしこれは、こちらの勝手なお願いでもあるのでそれに対してはゴリ押しもしないですぐに解決させた。その在庫確認の間、待たされた結果、在庫はないということ。つきましては当店まで持ってくるか郵送で送ってと言われた。105円で買ったものを郵送?ってこっちの郵送代のほうが完全に高い。それを聞くと「すいません。申し訳ありません」の一点張り。そもそもこれを店頭に並べるのがおかしくないかと訪ねると「すいません。申し訳ありません」と返ってくる。完全に機械と話してる状態になった。その対応は改善した方が良いですよ?と言っても同じ返答。悪いと思ってる節が全く見当たらなかった。このまま話しても何も結論は出ないと思って電話を切った。するとすぐにまた折り返しの連絡があり、その対応した人の上司らしき人からだった。次は振込先を教えてくれたらその金額振り込むと言ってきた。だから郵送で送ってくれないかと。もうそうゆう問題ではない。次は何を言っても「そうですね。申し訳ありません。」しか言わない。電話先の相手が変わってもずっと機械の対応。同じ事の繰り返し。そもそもこんなものを商品として売って良いのかという問題。それを聞くとそれをふまえた上でサービス料金になってるとキレ気味に向こうが言ってきた。だったら他の巻はどうだろう?そういった修正されてもいないのに同じ値段で販売されていた。それを聞くとまた「そうですね。申し訳ありません」向こうの言い分は105円で買ったんだから文句言うなという印象だった。たかが105円かもしれないがこんなゴミを買わされたら気分悪い。じゃあ他の人が同じ気持ちにならないためにも公にしますね?と言っても「そうですね。申し訳ありません」消費者センターに連絡しますね?と言っても「そうですね。申し訳ありません」この感情のない対応が段々と気持ち悪くなった。ここでは何度は色んなお店の事について書いているがサービス業とは何なのか?大手になればなるほどおかしくなっている。完全にマニュアル化してるのならそこに欠点を出してはいけない。そのマニュアルに沿わないことが出て来たら全力で対応しないといけないと思う。簡略化されたマニュアルは人をバカにしかねないことをもう一度、企業は考えないといけないのではないだろうか?これは日本の根幹の部分であり根深い問題な気がする。これを脱却しない限り、景気も良くならないのではないだろうか?
2013.08.27
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学生時代、歴史の勉強となると弥生時代辺りから始まり、三学期の後半に近代歴史に入るのだが、ほとんどが記憶力の勝負であり、その時何が起こったのかもみんな曖昧になっていた気がする。これは小学校の時も中学校の時も高校の時も変わらない。近代社会のことはただ流れていっただけだった。学生時代を経て、東京に住み、外の世界から観る長崎。そして東京で起こった事。それをふとしたときに勉強していた。そんな中で、天皇陛下の存在。この存在はなんだろうか?と考えるようになった。戦争が始まる前の日本。戦時中の日本。戦後の日本。私が学生時代に勉強したことはどれだけ薄っぺらくて嘘が多い教科書だったのだろうと感じるほど歴史が深く、軽く流すようなものではない。今年の夏は長崎に帰ってから、戦争を振り返ることが多くなった。原爆とまた向き合った長崎。帰ってきてから観た映画、爆心長崎の空。ジブリ映画である風立ちぬ。そして終戦のエンペラー。爆心長崎の空以外は戦時中の歴史を駆け抜けた気がした。終戦のエンペラーは良くも悪くも日本の戦後を上手く表していたような気がする。賛否両論、真偽が問われる部分があるのも否めないが、歴史認識として分かりやすく、日本という国を説明してくれたかもしれない。日本、天皇陛下という世界の中で唯一無二の存在がこの映画を観てもよく分かった。映画館には年齢層が高い人が多かったがこの映画を歴史の近代社会を習っている子供達に見せても良いのではないだろうか?真偽はそのあとから勉強すれば良いことで戦争という事実と天皇陛下、日本の根本にある武士道をちょっとでも垣間見れる作品だと思う。
2013.08.26
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今回、汚染水をためているタンクから大量の汚染水が漏れていることがニュースになっていた。前は地下水に放射能が含まれていると問題になったばかりなのに。最近、猛暑が続いてる中、一番不思議に思うことがまた電力不足にならないのか?ということだ。震災後、原発は全て止まり、現在は一基のみ稼働している。あれから発電所は増えたのだろうか?それとも稼働していなかった発電所を稼働してるのだろうか?もし何も変わってないのなら今、電力不足にならないとおかしい。その頃書いたブログの記事にこの記載があった。3月15日の需給予測需要想定3700万kW供給力 3300万kWこれが計画停電が行われたときの発表だ。今日、東電が発表している数値がある。需要想定4980万kW供給力 5380万kWこんなにも上がってるのに東電やマスコミは何も発表しない。パーセンテージでいうと92%利用してるとのことだが90%越えて騒いでた二年前とは大きく違う。昨日のニュースでは関電では95%越えてるらしい。九電では97%。それでもマスコミは騒いでいない。どちらかと言えば水不足の問題で持ちきりだ。段々と風化されていくこの状態は決して良いとは言えない。電力会社はこの状況をちゃんと説明しないといけないのではないだろうか?もちろんマスコミにもその説明責任はある。二年前あれだけ国民を煽り、それでも原発は必要だと報道していたのだから。この異常気象の中で現場の人達が頑張ってこれだけの数字が出ても停まらないような努力をしているのかもしれない。それだったらそれできちんと発表するべきではないだろうか?「原発がないと電気が不足する」と騒いでいたマスコミや科学者は、今の状況をどう見てるのか?異常気象によって自分たちのずさんさが漏洩されたと思って口を閉ざしてるのだろうか?
2013.08.20
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以前、メール便が消えたことがあったが今回は配達員自身のモラルを疑うようなことが起きた。いつも通り届いたメール便。見てみると驚いてしまった。楽天で本を頼んだ人なら分かると思うが宛名のところに大きく折り曲げ厳禁と書いてある。しかし我が家に届いたメール便はこの状態で入っていた。うちのポストが小さいのでは?と思う人もいるだろうがその後、届いたメール便はこちら。折り曲げなくても充分に入る大きさなのだ。中身が小さい本だと分かった上で折り曲げたとしてもこの状態で入れられると気分が悪い。もちろん一緒に入ってる書類のほうは完全に折れ曲がっている。クロネコヤマトに問いただしてみると、その配達員は入らなかったから端を少し折り曲げたと言ってたらしい。横幅が入らないから折ったと言うのならまだ百歩譲ってしょうがないと思うとしよう。しかしこの折り曲げ方は悪意までも感じてしまった。奥まで折り曲げる必要性があったのだろうか?「本は折れ曲がってはいないんですよね?」という問いにも腹が立ってしまった。話にならないと思い上司を出せと言っても連絡来たのは数時間後。謝罪の後「どうすればいいでしょうか?」との問いにまた呆れてしまい、この会社はどうしようもないことが分かった。ここではコンビニの対応だったり、サービス業の在り方を何度か綴っているが、客商売というのは何なのか?根本的な問題を誰も改善することはないのだろうか?至って簡単なことであり、人付き合いでも同じ事でまず相手のことを考えて行動する。この当たり前のことがもう出来なくなってしまっている現状。これさえもマニュアル化しないといけないのか?そもそも折り曲げ厳禁と書いてあるものを折り曲げてる時点でマニュアルも関係ないのだが…人として当たり前のこと。これが出来なくなってきた人が多くなってきてるのだろうか?
2013.08.16
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そもそも一回だけのイベント企画だった27時間テレビ。一回目の評判が良かったためにここまで続いていたのだが、フジテレビの内部事情が露呈されて、どんどん面白くなくなってきた。それでもまだ今年も放送するフジテレビ。自分たちは良かれと思ってやってるのだろうがそれは視聴者は誰も望んでいないということに未だに気づいていない。アシスタントと称して実力者を司会に置いていなかったらもっと最悪な結果が生まれていたであろう。そもそも何故、女性芸人をメインにしたのだろうか?元々司会力のない女性芸人をメインにした時点でおかしい。メインとしての力がない女性芸人は最後はもう空気の存在。しかも親まで出演させるという、どこで視聴率が取れると思ってやってるのか全くわからなかった。その女性芸人がギャグをやったあとに親と中継。面白いものもそれで冷めてしまうのは明らか。お笑いというものをバカにしてるとしか思えなかった。めちゃイケのコーナーでAKBを足蹴にしたという問題も出てきたが、AKBにフォローをさせるというテレビとしてもお笑いとしても最低なことをやっていた。もしひどいことをしたとしてもそれを完全な笑いに変えることが出来るのがお笑い芸人であり、それが出来ない芸人を生放送で使うのは完全に間違ってる。朝も系列局の代表が色んなことに挑戦する企画をやっていたが、ほとんどが成功せず司会が今田耕司でなかったらもう番組として成り立ってなかっただろう。チャレンジ企画で素人が失敗し続けるのだからこれはもう番組として放送してはいけないレベル。唯一、毎年楽しみにしている明石家さんまのラブメイト10さえも邪魔ばかり入って、面白みに欠けすぎていた。中継のビートたけしのコーナーも一番最初にやったときがピークであり、それを毎年やってもそれ以上のことが生まれるわけじゃない。同じパターンしかやってないのだから当たり前だ。こんな無残な結果を出してもまた来年やるだろう。フジテレビはそのくらい堕ちている。失敗を繰り返すことは間違いとは言わないが視聴者、お客さんという存在に耳を傾けない限り面白いものを作れるわけがない。それは迷走し続けている大企業にも言えることだろう。
2013.08.13
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東京にいてもこの日は特別であり毎年、8月9日の11時2分には長崎の方を向いて黙祷しています。長崎に住んでいたころは原爆が落とされた日というのは当たり前のように学校に通い、黙祷し被爆者の話を聞いていました。これは全国でやってるものだと思っていたが東京に来て長崎だけだと知ったときはちょっと絶望感に似た感情が生まれた。これは一昨年の震災のあと、長崎の人に震災の事を話したときと似ている。どんなに技術が発展してテレビというものがあってリアルタイムで日本中、同じ情報を共有出来ても実際の距離というのは遠くかけ離れているんだなと…長崎にいたころはすぐに原爆の恐ろしさを知ることが出来た。この鳥居の下も何度通っただろうか。この鳥居は長崎に住んでる人にとっては当たり前の光景でタクシーで「片足鳥居」と言えばすぐにここに連れてってくれる。その奥に行けば神社もあり、その神社を守るかのように大樹があり、この二本の木も原爆で被爆している。近くで見てみるともう自分の力では立つことが出来なくなっていた。ここから数百メートル先に原爆中心地がある。そこは子供の頃から足を運ぶのが嫌な場所だった。何とも言えない、いたたまれない特別な空間だったからだ。今は以前より綺麗になっているらしいが、今回帰ったときはやっぱりそこに立ち寄ることが出来なかった。そこからまた数百メートル歩くと被爆した浦上天主堂がある。そこはもう完全に新しい形で建て直してはいるが周りにはそのままの物が残っている。この下には天主堂の上の部分が崩落したまま未だに残っている。原爆の恐ろしさが分かるように被爆したままの物がこの長崎には残っている。数年前、坂本龍馬フィーバーにあやかって色んなところで龍馬を売りにしている場所を目にした。私が住んでいたころは龍馬の龍の字もなかったのに。長崎の文化は好きだし江戸時代の出島であったり江戸末期の亀山社中、グラバー園など見所は沢山あるがこの68年前に起きたことが薄れるのが心苦しい。もし長崎に足を運ぶことがあったらこの原爆の恐ろしさも実感してほしい。68年前何が起きたのか?長崎には路面電車が走っていて今、述べた場所は全部回ることが出来る。是非とも1日乗車券を買って江戸から昭和に起きた現実をその場所で感じて欲しい。
2013.08.09
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楽天ブログをやっている人は目に付いたと思いますが、ブログを本にしてみませんか?という広告。一昨年書いた震災後、被災地に行った内容を本にして流通したら今現在、風化してきている状況の中でもう一度、確認させるためにも良いのではないかと思いその部分だけ抜粋し、応募してみました。私自身、文章能力もないので何の反応もないまま終わると思っていたのですが、応募してから数日後にその出版社から連絡がありました。応募締切よりもだいぶ前に連絡がきたので驚いてしまいましたが、是非とも本にしたいとのこと。もしこれで一昨年起こった現実を世に広められるならと思い、それから文章の修正し再度、仕上げたものを提出。その後、審査のために数週間を要してやっと連絡がきました。きちんと郵送で作品の講評を送ってもらいちゃんと読んでいただけたのだなと関心しました。そこまでは良かったんですが、出版には委託金がかかるとのこと。そうなると話が変わってくる。私は物書きでもないし、本も漫画以外は読まないので本に対する執着心は全くない。そのためにお金を使うんだったら私は被災地に行ってお金を使います。そう言って終了しました。本を出したいと思ってた人にとっては良い話だと思うしアマチュアの書籍が全国の本屋に並ぶならその辺のお金がかかっても仕方がないと思う。印税はきちんと入るので売れれば出費もプラスに変わるかもしれないがそこまでの自信はないし、もっと他に伝える手段はあると思う。大勢の人達に読まれることは難しいかもしれないが少しでも多くの人に読んでもらうために、またこれから精進していく次第です。
2013.08.07
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68年前、広島に原爆が落とされました。68年というのは長いようで短い。私が長崎にいた頃は被爆者の方と会うことが普通でした。その方々に被爆経験の話を聞いたことも何度もあります。実際にそのときの火傷の跡も見せてもらいました。現実に起きたことなんだと、子供の頃からそれを自然に感じ、原爆の恐怖を実感していました。体感していない私でさえ、そうなのだから実際に被爆した人達のことはもっとすごい恐怖を覚えている。それを直接、話してくれた人達には凄く感謝している。その人達がいたからこそ、原爆の悲惨さを知ったしその人達がいたからこそ、戦争の愚かさを学んだ。68年。その状況を知る人達は少なくなってきた。8月6日と9日は特別な日であり、その原爆の恐怖を思い出さないといけない日だと思う。目をそらさずに見つめなきゃいけない。長崎で生まれた。日本で生まれたからには68年前に起きた事実を語り継がなければいけない。そう感じる8月6日であり、9日を迎える。
2013.08.06
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東京に出て来て感じた違和感の一つ。長崎に行って改めて実感したのがネコ。長崎の街を歩くとネコと出会う確率が高い。そして人懐っこい。これは子供の頃から当たり前の光景で一日に一回は必ず会うと言っても過言ではない。今回は4匹くらいしか出会わなかったので少ないかなとも思ったが、東京にいる時よりも確実に出会う確率が高い。私が生まれ育った街には神社もあり、家の目の前にはロープウェイもあった。そのロープウェイが最近、世界新三大夜景に選ばれた稲佐山に登るロープウェイだ。最近は別の視点からでも有名になってしまったこのロープウェイ乗り場に隣接している幼稚園と神社は同級生の実家でもあり、ほぼ毎日足を運んだ場所でもある。この変わらない場所で原点に戻った気もした。iPhoneで撮ったので良く分からないかもしれないが私はこの景色を見て育った。この当たり前の場所を東京に来てから愛おしく思う。今の長崎の新しい建物や街は好きではないが生まれ育ったこの景色は嫌いにはなれない。
2013.08.02
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