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父は敗戦を予め知っていた。 父は昭和14年3月、招集される前に、外務省警察官として中国に渡った。 中国各地に領事館があり、領事館に付属した警察があったのだ。 最初は上海に赴任した。 それからまもなく台湾の向かい側にある汕頭(すわとう=刺繍で有名)に転任し、終戦まで汕頭にいた。中国にいた6年半の間に警部補まで昇進したようだ。敗戦後日本に戻ると(外務省警察がなくなったので)警視庁に配属されたが、脳血栓で倒れて退職。退職する時に1階級上がるので、警部として退職したらしい。 父は中国人の家に招かれて食事をしたりしたようだ。同僚からは「なぜチャンコロの所でメシを食うのか」などと言われたそうだが、気にしなかったようだ。徴税人たちと食事を共にしたイエスに似ているかも知れない。 だから、中国人からは好かれていたようだ。日本に帰ってくる時は中国人たちが別れを惜しんで見送りに来たそうだ。 中国に渡る前は、工業学校の機械科に学び、東海堂という書籍取次店に勤めていた。東販や日販ができる前のことだ。 美濃部達吉博士の天皇機関説が不敬であるということで、著書が回収された。書店から回収された本は取次に戻ってくる。 父はそれをこっそり読んで、大いに共鳴した。 話は中国に戻る。 警察官として振り出しは外勤巡査。つまり交番のおまわりさんだ。 あるとき、通ってはいけないところを通ろうとした車を停めて迂回させた。乗っていた女(芸者)が「サカさんだよ」と言ったが、父は「サカさんだかヤマさんだか知らないが、ここは通れないんだ」と言って止めた。 サカさんというのは領事だった。新米の父はまだ領事がサカさんと呼ばれていたことを知らなかった。 しかし、領事はそんな父を叱ることはなく、むしろ褒めたそうだ。 内勤の警務係をしていた時期が長かったようだが、刑事をしていたこともある。その頃の写真は目つきが鋭い。 特高もしていた。特高に選ばれた理由は、洋画・洋楽に強かったからだ。戦前に日本に来た洋画は全部見ていたらしい。 中国ではすべて漢字表記になるから『メリー・ウィドウ』は『風流寡婦』と表記されるが、『メリー・ウィドウ』なら取り締まり対象とわかっても『風流寡婦』と書いてあると取り締まり対象かどうかわからない警察官が多い。父は流れてくる音楽を聴けば即座にわかる。 それで特高になった。 さまざまが公演・興行の許可・不許可を判断する。 曲目リストを見て、この曲はOK、この曲はダメと言うのだ。 「ここで演奏する分には構わないよ」 というわけで、父は独占的に洋楽演奏を楽しんだらしい。 終戦直前、父のエージェントが「中国人が爆竹を鳴らしている」という情報をもたらした。父は日本の敗戦を確信して領事に報告した。同僚たちは「日本が負けるはずない」と信じなかったそうだが、領事は「そうだろう」と日本の敗戦を悟っていたようだった。 1~2日後に8月15日を迎えた。 戦後、近くに教会ができて毎晩ドンチャカドンチャカ賑やかに伝道しているので、病気で暇をもてあましていた父は教会に連れて行ってもらった。そしてイエス・キリストを信じた。 やがて長い髭を蓄えた老牧師が「君は牧師になるんじゃ」と言った。 当時父は体が震えており、ロレツも回らない状態だった。 「こんな体で牧師なんかになれるわけがないでしょう」と言ったら老牧師は 「時計が壊れたらメーカーに持って行けば直せるだろう。君の体は神さまが創ったんだから神さまの所に持って行けば直る」と言った。 左半身は不随だったが、かなり早足で歩き伝道に差し支えはなくなった。言葉も明確に話せるようになった。 神学生の時に、教団の創立者たちが疎開していた檜原村での開拓伝道を命じられた。 朝、雨が降っていると、片手に傘、片手に鞄を持てないので、祈って傘を差さずに出かける。 八丁堀の家から東京駅に着くまでには雨は上がっていたそうだ。 そんな父の賜物を私もいただいたのか、私が保育所と幼稚園に関わっている間は、運動会や遠足などの行事で雨に降られたことはなかった。 父はイエス・キリストがペトロたちを弟子にした時の言葉「わたしについてきなさい。あなたがたを人間をとる漁師にしてあげよう」をもじって次のように言っていた。 「かつては人を捕まえて監獄に送っていたが、今は人を捕まえて天国に送るのが私の仕事だ」
August 15, 2009
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今日は、(ここで息を整えないと長くて言えない) 中京教会で今年度最初の日本基督教団中部教区愛知西地区東海地震対策準備委員会がありました。 (ふう) 今年は前半ずっと限界!的状況だったので、愛知西地区が初めての試みとしてどんな委員会を担当したいかというアンケートを実施したときに「休養 もしくは 閑職」と書いて提出したのですが、 結局は中部教区からは「教区通信編集委員会の招集者」という通知が来て、委員会を招集したら「AGIOSがやれ」ということで前総会期に続いて編集委員長。 愛知西地区からは地区ニュース編集委員会と地震の委員会を担当せよとのことで、地区ニュースは委員長が前期同様N牧師で実際の編集は私になりました。 「教区通信」の原稿と「地区ニュース」の原稿が両方とも私のところにしかも同じ頃に届くので、それぞれ専用のメールアドレスを作りました。 そして今日の、東海地震対策準備委員会は委員の顔ぶれも変更なし、ついでに役割も前期と同じということになった。 委員が4人しかいなくて、一人は教区議長、もう一人は付帯事業(幼稚園や複数の社会福祉施設)をたくさん抱える教会の牧師で超多忙。 残る二人で委員長と書記兼会計を担当するのだが、書記兼会計よりは委員長の方が楽、ということでまた委員長になりました。 あんまりエライ役はないけれど、無役にはなれません。
August 4, 2009
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土曜日に妻の伯父が亡くなって、今日は市営の斎場で葬式と初七日だった。 お寺は真宗大谷派。 やってきたお坊さん二人は坊主頭ではない。 女性二人!だった。 若い人と年配の人、たぶん母親と娘だなと思った。 葬式では若い方の人がメインだった。 彼女はたいへんいい声で読経していた。 しかし、鐘の叩き方がやたらに力強い。 思いっきりひっぱたいている感じ。 初七日の法要は年配の方が行った。 声は娘さんよりもだいぶ小さいが落ち着いた読経だった。 最後に説教があった。故人は9年間毎日お寺の鐘を撞いていたそうで、そのことを取り上げて適切な(キリスト教の言葉で言えば)“あかし”をなさった。 後で本家のお嫁さんに聞いたところによると、このお寺は2代続いて住職が女性なのだそうだ。若い方は年配の方の実の娘で、娘さんは婿を取ったが婿さんは僧侶を継いでいないとか。 感想1キリスト教でも女性教職を認める教派と認めない教派があるが、女性住職はあまり聞いたことがない。多くの仏教教団では明治以後僧侶の結婚を認めるようになったが、いわゆる尼寺以外の寺では初めて女性住職に接した。ネットで調べてみたら、親鸞以来僧侶の結婚が教理として認められている浄土真宗の場合であるが、「ちなみに平成12年9月1日の段階で、本願寺派の女性僧侶は8,824名で、全僧侶が30,635名ですから約30%をしめるのですが、住職は9,158名中231名で約2.5%に過ぎません。」(http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/01_04_11.html)とのことだった。住職というのは教会で言えば主任牧師(主任司祭)のことである。感想2妻の実家の高田派のお経とだいぶ雰囲気が違う。同じ浄土真宗の教団だから、お経の文言は一致しているところが多いのだが、読み方の調子が違う。
August 4, 2009
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中綴じというのは、紙を二つに折って、その折り目をホッチキスで綴じる。普通のホッチキスは奥行き4センチ~8センチ程度。「たてよこ」というホッチキスがあり、針の入っている部分をくるっと90度回すと中綴じができて便利なのだが、ちょっと厚みがあるものだとうまく綴じられない。そこで大きめの針を使う中綴じ専用のホッチキスを探した。国内メーカーのものだと3000円台~30000円ぐらいまで。ネット通販で1200円というのを見つけたので注文した。1日で届いた。長い!長さ40センチある。綴じ代は31センチまで可。ということは、長さ62センチの用紙を半分に折って綴じることができる。A4の用紙を綴じる時はこんな感じだ。このままだと使いにくい点もあるので、台座など工夫して自作してみようと思う。
August 1, 2009
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