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北朝鮮で爆発?このニュースはインパクトの割には情報が少ない。なぜ遅れて発表されたのだろうか。写真があるというのになぜ写真が公開されないのだろうか。中国との国境近くだというのに、なぜ中国の反応がないのか。北朝鮮の公式発表ではダム建設のための爆破だという。しかし、ダム建設のためにそんな大規模な爆発を起こす必要はない。瀕死の経済状態では発電所どころではないはずだ。しかも爆発があったのは祝日のはずではないか。こういうときこそネットの出番である。日本のマスコミ情報だけでなく、海外の情報も個人が自由にアクセスできる時代である。ただのダム建設だなんて思えない。いったいこれから、どんな情報がでてくるのだろうか。※※さて、日本の官僚の得意技の一つに「すりかえ」がある。税制改革がいつもまにか「消費税導入」になったり、政治改革がいつのまにか「小選挙区制」になったり、こんな事例は枚挙にいとまがない。共通しているのは当初の問題意識がいつのまにかふっとんでしまっているということである。私に言わせると「公務員制度改革」もその轍をたどっているように思えてならない。公務員制度調査会、そして行政改革会議で検討していた頃、公務員制度をめぐる最大の問題点は何だったのであろうか。大蔵省や厚生省の汚職にみられたキャリア官僚のおごりと省庁毎の過剰なセクショナリズムが問題視されていたはずである。それがいつのまにか、公務員制度改革をめぐる議論では「能力・実績に基づく処遇」と「再就職承認の権限を人事院から内閣に移すこと」、この2点に矮小化されてしまっている。※いっておくが、「キャリアシステム」だって「省庁別採用」も決して自明・普遍のものではない。自治体などでは入り口の差よりも入ってからの昇進試験などで差のつくところが多いし、採用も一括して行うのが普通である。目を海外に転ずれば、米国では一定クラス以上のエリート公務員は弁護士などから採用され、政権が変わると去っていく。英国でも課長以上の職は公開システムといって省庁の枠を越えて人事異動するのが普通である。日本のように20代前半の試験区分とどの省庁に入るかで、公務員としての職業生活のほとんどが決まってしまうほうが例外的なのではないのだろうか。公務員の世界で「あいつは優秀だ」という場合、○○大学△学部をでて◎職の試験を何番で合格して、▲▲試験も合格している…なんていうのをさしていることが多い。20代の若手職員についてならまだしも、40代、50代でもそんなことが話題になるのだから、やはり他の世界に比べれば、特殊なようである。※さて、公務員制度改革の焦点になってきた再就職の内閣承認にしても、なぜこれで人事院承認のときよりもよくなるのか全く不明である。天下りの弊害が、なぜ承認権限を人事院から内閣に移すことで少なくなるのであろうか、ぜひ解説してほしいものである。そしてまた「能力・実績主義の評価」に至っては、言葉自体には誰も反対する人はいないだろうが、それはちょうど「人物本位の採用」とか「意識改革」というのと同様、改革の内容としては空疎である。確かに誰が見ても能力のある人、ない人というのはいる。しかし、それは現在の制度でも処遇に反映されており、いまさら「能力・実績主義の評価」といってみたところで現状の追認にしかならないのではないのだろうか。
2004年09月13日
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拉致事件の行方不明被害者、それに特定失踪者の行方は杳としてしれないが、よど号犯の帰国だけは近々実現しそうである。これにより、拉致事件の解決が一歩前進するのではないかと期待する声もあるようであるが、どうであろうか。もし、よど号犯がかかわっているとしたら、欧州での留学生拉致であろう。だが、ここでひとつ忘れてはならないことは、国内の海岸での拉致事件はともかくとして、欧州での拉致事件は、現行刑法では犯罪とするのが難しいということである。一般に刑法では人を騙して財物を奪うのならともかく、人を騙して何かをさせることそのものは犯罪とは扱わない。ただ、その騙すという行為が、犯罪の手段として使われた場合は別である。刑法226条には国外移送目的略取等の罪というのがあって、騙して日本国内から海外に(船などで)連れて行った場合にはこの犯罪の成立する予知がある。ただ、すでに欧州にいた人間を騙して北朝鮮に連れて行った行為を、現行刑法下で犯罪とするのは難しい。それがおそらく欧州での拉致に関与したことを認めているよど号犯の妻八尾恵などが大手をふって世間を闊歩している理由であろう。もし、よど号犯が帰ってきても、おそらく拉致については刑事責任は問えない。したがって取調べもまともにできないこととなり、彼らの帰国が、拉致事件進展に寄与する可能性はゼロに等しいのである。※そしてまた何よりも拉致事件の最大の問は、欧州での拉致の手口などではなく、行方不明者や特定失踪者の所在であろう。いったい彼らはどこでどうしているのか、もし死んでいるとしたらその死の真相は何か。このあたりについても、よど号犯はそれほど情報をもっているとも思われないのである。※拉致の手口よりも、行方不明者や特定失踪者が問題…これは欧州の拉致に限らず、国内の海岸での拉致でも同様である。警察はようやく生還した被害者から事情聴取を行なうようであるが、聴取の重点は拉致の手口よりも、行方不明者についての情報にこそおくべきであろう。参考 刑法条文(国外移送目的略取等)第二百二十六条 日本国外に移送する目的で、人を略取し、又は誘拐した者は、二年以上の有期懲役に処する。2 日本国外に移送する目的で人を売買し、又は略取され、誘拐され、若しくは売買された者を日本国外に移送した者も、前項と同様とする。
2004年09月11日
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「政治改革」がいつのまにか小選挙区制に化けたように、「行政改革」がいつのまにか役所の看板のつけかえに化けたように、この国では勇ましく○○改革といっても、別のものに化けてしまうことがよくある。※今、話題の公務員制度改革もその轍をたどっているのではないのか。思い出してみるがよい。公務員制度改革といわれ始めた頃、何が問題となっていたのだろうか。ノーパンしゃぶしゃぶの官僚接待や厚生省汚職で役人の品性がうたがわれ、薬害エイズで官僚の能力も疑問とされた。そこで問題となったのはキャリアシステムや省庁別の採用の是非ではなかったのだろうか。人は長い職業生活の中で成長する。20歳そこそこの時点でのただ一度の試験で職業生活を決定づけたり、行政の専門分野を決めろという方が無理な話である。自治体では一括して採用した後、職業生活の中で専門とする行政分野が決まってくる。昇進も昇任試験が普通で国のように入り口の試験ですべてが決まっているわけではない。公務員制度に限ってみると、国よりも自治体の方が随分まともにみえる。※ところが現在進行中の公務員制度改革をみると、キャリア制度も省庁別採用も手付かずのようだ。かわりに改革の前面にでてきているのが再就職規制と能力・実績主義である。前者については天下り承認権限が人事院から内閣に移ったというのだが、これで規制が厳格になったなどということを信じる人はいないのではないか。逆に第三者機関の人事院だから厳しくできたものが、内閣承認になればその権限は実質各省の大臣におろされ、ほとんどフリーパスになるのではないか。おまけに省庁の中には規制が「厳格になる」かわりに天下りポストを増やせといっているところもあるそうだから、まるで焼け太りである。後者の能力・実績主義の方は言葉として反対する人はいないが、公務の世界は、売上や契約件数のように実績がみえるわけではない。また、能力なるものも性格のよさや容姿の美しさといったもの同様、かなり主観的概念である。数値化しようが、複数で評価しようが、それが客観的になるわけではないことは、性格のよさや美貌と同じである。結局のところ、能力とか実績とかいってみたところで、「優秀なキャリア官僚」の特権を追認するだけの効果しかないように思う。※泰山動いて鼠一匹という言葉があるが、橋本内閣以来続いた公務員改革も○○省のキャリア官僚の利益を守っただけの結果に終りそうである。※※どうでもよいけど広島の市長さんはじめ反核運動の常連さんたちが韓国の核開発で騒がないのは不思議だ。だいぶ前、フランスの核実験で「フランス製品は買わない」とか「ボージョレヌーボーは飲まない」とかいいながら、騒いでいた人が多勢いたが、それはフランスが安心して批判できる成熟した民主国家だったからなのだろうか?
2004年09月09日
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もうすぐ2回目の9月17日がやってくる。やはりあの日を境に多くの人の意識は変わった。言葉だけの「平和」「民主」「人権」そして「贖罪意識」・・・そうしたものが、いかに薄っぺらで欺瞞に満ちたものであるか。14歳の少女を守ることすらできなかった戦後の繁栄とは何だったのか。そして、また、多くの国民が被害をうけたのに怒ることもしないこの国は、一体何なのだろうか。※北オセチアのテロに襲われた子供達の映像はいたましいかぎりだが、かの独裁国家でも、映像がないだけで、やはり同じような悲惨が行なわれているはずである。そしてそんな被害者の中には、理不尽にかの地につれさられた日本の若者もいるのかもしれない。今度、総理が国連総会で演説をするそうであるが、拉致事件に言及するという話は寡聞にしてきかない。国民の受けた被害を何とも思わない国、今もいるであろう拉致被害者を救おうともしない国が常任理事国になって一体何をしようというのか。※拉致事件といえばコンビ二で週刊誌をめくっていたらこんな記事があった。拉致被害者の○○さんについてふれ、「いつになったら○○さんや子供達は普通の生活ができるのでしょうか。」と深刻ぶって問題提起をしている。こういうのをマッチポンプというのではないか。被害者やその子供達が普通の生活ができないとしたら、その責任は彼らを追い回し、やれどこに行っただの、何を食べただのと、くだらないことを書き立てるマスコミにある。はなはだしきは機内食のメニューを公開した後、翌週号で「食事が豪華だと批判されている」なんてことを記事にする始末だ。いいかげん被害者の方には普通の生活を保証してはどうだろうか。そしてそれにひきかえといってはナンだが、拉致事件に関与した八尾恵やその子供が「普通の生活」をしているのは、本当に変だ。被害者が普通の生活ができず、加害者が平穏に暮らしているなんて、話が全くあべこべである。
2004年09月07日
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情報化時代の今日、あらゆるニュースの中で最もインパクトのあるのは子供の映像だろう。だからイラク戦争で両腕を失った少年は全世界の同情を一身にうけ、独裁国家の飢えた子供達の映像はこの国の心優しい人々の胸をいためさせるに十分である。※そうした意味でチェチェン過激派のテロにみまわれたロシアの子供達の映像も衝撃的だし、結果的にチェチェン過激派にとっては大きなマイナスになるのではないか。少なくとも今までチェチェンに心情的に共鳴していた人も、これによってかなり考えを変えたに違いない。フランス人記者を人質にとった行為がムスリムのスカーフを禁止する法案についての流れをすっかり変えてしまったように、やはりテロというのは長期的には引き合うものではない。※チェチェンのテロのニュースは衝撃的だし、耳目がそちらにいくのもわかるのだが、日本の安全という面では韓国の核濃縮の問題の方がはるかに重要だろう。それなのに、どうもこの問題についての日本のマスコミの報道には、腰の引けたものを感じてならない。韓国がもし核を保有することになれば、中国、ロシア、南北朝鮮と日本の周辺国はすべて核保有国となる。そうなってもなお、「日本は唯一の核被爆国」だから、あんな恐ろしいものは決してもたないといいつづけるのだろうか。別に日本がいますぐ核保有をすべきだなどというつもりはない。しかし、「核保有をしない」ということもあえていうべきことでもないし、そんなことをいったところでどんな利益があるのだろうか。憲法で核保有を禁止すべきだと説く某大新聞や、「非核国」という立場で安保理入りを目指すべきであるとする首相の発言などは、本当に不思議である。※韓国が実際に核保有を目指したのか、目指したとすればその理由は何なのか、そのあたりはどうもよくわからない。ただ、いえることは核という現段階の最強兵器についても、何千年も異民族の侵略に苦しんできた国と、国境の島での小競り合いが未曾有の国難であったという国とでは、かなりの認識の相違があるであろうということである。日本は唯一の被爆国であるから、あんな恐ろしいものは決してもたない・・・こんな理屈ともいえない理屈が通じるのは、もしかしたら日本国内だけなのかもしれない。
2004年09月05日
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映画「コーカサスの虜」を見た。これは150年前に書かれたトルストイの小説を現代のチェチェン情勢におきかえたもので、二人のロシア兵が捕虜になって、村人、特に少女との交流を経て脱出するという大筋はほぼそのままである。※原作の方の「コーカサスの虜」にでてくるタタール人というのが何をさしているのかどうもよくわからない。どうも東方の民族一般をモンゴル人から中東系まで一括してタタールとよんでいたようだし、そもそもトルストイ自身あのあたりの事情にどれほど通じていたのかよくわからない。ただチェチェン情勢のニュース映像をみると、村人が一斉に岩の上で祈りをささげる場面などがでてきて、あれをみるといつも「コーカサスの虜」(原作の方で)の村人のすきをみて脱出する場面を連想していたので、もしかしてトルストイもあのあたりを念頭においていたのかもしれない。※映画そのものはハリウッド映画などとくらべると極めて異質である。大体、主人公はほとんど戦わずに捕虜になって、これではまるで捕虜になるために兵役についたようなものである。捕虜になってからの主人公も天性の器用さをいかして村人の時計を直してやったり、少女におもちゃをつくってやったりするだけで、「活躍」をするわけではない。脱出も自力というよりは解放されたという感じでこれでは、原作よりもさらに後退?しているのでは…。主人公も客観的にみれば役立たずの兵士だが、上官もひどい。ランニング姿で果物をほおばりながら「ここでうまいのは果物だけだ。」といい、戦いの緊迫感などはまるでない。そして最後は解放された主人公の頭上高く、チェチェン人の住む村を爆撃するための飛行機が飛んでいく。本当にこんな戦争なんかやめればいいのにね。※もしかしたらこの映画の主役は捕虜でもなければ、少女でもなく、荒涼としたコーカサスの自然とそこに住む人々なのかもしれない。挿入される土地の民謡は美しく、祭り、葬祭など、そこに住む人々の哀歓もよく描かれている。だから見終わった後は、映画というよりもドキュメンタリーを見たような感がある。※チェチェン人というとつい過激化するテロを連想するが、彼ら全員がテロを支持しているわけではないだろう。ただ、多くの人が独立を望んでいるのだとしたら、問題はやっかいである。多民族国家の民族問題といっても、自由意思で移住してきた場合と違って、過去の侵略の歴史をひきずる場合には、最終的にはその民族の独立という形でしか解決しないし、また、それが世界史の上での趨勢ではないのだろうか。そうではなく、別の解決を求めるのだとしたら方法はおそらくただ二つ。少数民族そのものを消滅させるか、彼らの生活を豊かで希望のあるものとして、過激な手段をとらないようにすることである。前者は漢民族移住や通婚の奨励など中国がチベットで行なっていることであるが、後者の方が望ましいのはいうまでもない。人は、現在の生が充実して、失うものが多くなれば、そうそう過激なテロなどは行なわなくなるのではないのだろうか。
2004年09月04日
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男子110メートルハードルで中国選手が優勝した。陸上短距離でアジア勢の優勝は無理だともいわれていたが、そんな神話打ち砕いたわけでとにかくすごい。トレーニングの方法も技術も日進月歩の今の時代、やがてはアジア勢は体力的に劣るなんてのも過去の話になるのかもしれない。それにしても中国選手の他を引き離しての後半の走りはすごかった。薬物疑惑などがでなければよいのだけれど・・・外国の選手のことだがちょっと心配になる。※オリンピックも今日のテレビなどはすっかり回顧モードに入っているが、もちろんまだ終わったわけではない。中国が米国と並ぶスポーツ大国に躍り出て、日本も躍進がめだつなど、アジア勢の活躍が目立つ今回のオリンピックであるが、ぜひマラソンでも日本選手に大輪の花をさかせてほしいものである。それにしても、ギリシャというある意味、ヨーロッパ文明の故郷のような地で優勝して月桂冠をかぶるヨーロッパ人が少ないことに一抹のさびしさを感じている人も多いのかもしれない。※※昨今、また愛国心教育が議論になっている。健全な愛国心を涵養することには多くの人は反対しないし、「戦前の暗い時代を思い出させる。」とか「軍靴の響きがきこえてくる。」とかといった、脊髄反射のような一部マスコミの論調にもうんざりである。ただ、それだからこそ、あえていうのだが、愛国心教育ってそんなに重要なことなのだろうか。子供達は学校からだけでなく、マスコミや社会など多くのところから情報を得ている。教育基本法を変えたからって愛国心が育つというものではないし、それが父兄や子供の立場で学校教育に期待している喫緊の問題とも思えない。愛国心に限らずどうも昨今の教育論議をみていると、「いのちの大切さの教育」とか「生きる力を身につける教育」とか、実際人々が学校という場に要望しているものとは、ずれてしまっているように思えてならないのである。※普通の親の立場で考えてみると公教育に期待するものは主に二つではないか。学力を身に着けること、そしてその学校が子供にとって安全な場であることである。愛国心もそうであるが、こうした普通の親の願いからはなれて、国家とはどうあるべきかといったはるか上の視点から考えたような議論がどうも多すぎる。※今回の選手達の言葉が毎日マスコミを通じて伝えられてきているが「楽しんできた」、「自分のために走った」あるいは「自分で自分をほめたい」といった個人主義を前面にだした言葉はほとんど聞かれない。かわりに周囲への感謝や他の人への励みになればよいという言葉がよくきかれる。ことさら教育基本法などいじらなくてもよい。健全な公共観念をもった若者たちがどんどん育ってきているのではないか。
2004年08月28日
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日本の国連安保理常任理事国入りについて、歴代首相のなかでは消極的であった現総理もついに方向を転じたらしい。現常任理事国はいずれも核保有国であるが非核の立場の常任理事国があってもよい・・・という趣旨で、日本の常任理事国入りを主張するという。今までの日本の主張は代表なければ課税なしということで、要するに分担金をコレだけ出しているのだからいいだろということであったのだから、非核を持ち出したのは新基軸といえば新基軸である。※金をこれだけ出しているのだから常任理事国にしろという主張がどの程度説得力をもっているのかはわからない。常任理事国はP5というようにpermanentであるのに対して分担金はそのときどきの参加国の経済力による。分担金が高いのは現在の経済力の反映であって、これと常任理事国の地位とは別ではないかというのが普通の見方ではないのだろうか。分担金だけでは説得力が弱いとみて非核を持ち出してきたのであろうが、非核を今の時点で表明することが適当であるかどうかについてはもっと議論があってよい。現在、北朝鮮の核保有が問題となっているが、おそらくその北朝鮮の核保有が日本の核保有までも誘発しかねないから、国際社会がこれだけ真剣になっている。それを、わざわざ非核を宣言する利益というのは、どこにあるのだろうか。また、非核を特色として常任理事国入りを果たしたとしたら、未来永劫核兵器の保持には制約がかかることになる。それでもよいというむきも多いのかもしれないが、激動する国際情勢の中で防衛上の核ももてないということは、将来の軍事外交にとって大きな足かせにもなりかねない。※こうしてみると、どうも日本の安保理常任理事国入りは論拠でも弱いし、実現性もあまりないのではないのだろうか実現性について、よくいわれるのが改革論議イコールパンドラの箱といった議論である。現在の常任理事国候補には必ずライバル国がある。ドイツに対するイタリア、ブラジルに対するアルゼンチン、インドに対するパキスタンといったように。だから安保理の拡大を真剣に検討すると収拾がつかなくなるというのである。さて、日本にはそんなライバル国はいないのであろうか・・・おそらくきっとあるような気がする。そして現常任理事国の中国とともにその国もやはり日本の常任理事国入りには反対するはずである。※また、まさかとは思うが、世の中には「国連安保理常任理事国=一等国」なんて感覚でいる人もけっこういるのかもしれない。そういえばかって国際連盟なんてのがあって、この常任理事国になったとき、「これで日本も世界の一等国」なんて浮かれていた人もいたらしい。そうだとしたら連合国United Nationsを国際連合なんてわざわざ誤訳した人の罪は大きい。常任理事国が別に一等国でもないことは、現状をみれば明らかだと思うのであるが・・・。※最後に国連の常任理事国入りの議論でいつもみえないのは理事国になって何をするのかといった点である。もちろん拒否権をはじめとする特権は国際社会の発言力という点では大きな力であるが、それで何をして、それが国民にとってどんな利益があるというのか。あまり繰り返したくもないが、自国民が拉致、そしておそらく何人かは殺害されても怒るということをしない国が常任理事国になったところで、その権限を一般の国民の利益のために使うとはとても思えないのである。
2004年08月26日
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調査などを行なうときによくいわれるのは「因果関係と相関関係を混同するな」ということである。Aという事象とBという事象との間にAが多ければBもまた多いという関係がみられる場合正の相関があるというが、この相関関係は必ずしも因果関係を意味しない。例えば子供の多く生まれるところにはコウノトリもまた多く見られるが、これはコウノトリが人家のあるところを生息地にしているためにみられる現象でコウノトリが別に赤ん坊を運んでくるわけではない。※ところが、どうもこういう誤りは後をたたないようである。最近のニュースにこんなものがあった。働く既婚女性の割合が高い地域ほど1人の女性が生涯に産む子供の数も多いという傾向が、政府の男女共同参画会議の調査で明らかになったという。この見出しではまるで母親が働けば働くほど子供が多くなるといわんばかりであるが、実態はそうではあるまい。男女共同参画局では、これについて「自宅から職場への通勤時間・距離や同居家族の構成、保育施設の充実度などが影響しているのではないか」と見ているようだが、考えてみればあたりまえの話である。都市と農村を比べると、農村の方が三世代同居も共働きも多く、住居も広い。いくら昔ながらの「農家の嫁」は少なくなったとはいっても、老夫婦の住宅の離れに若夫婦の住居があって、妻が近所にパートにでているような生活形態はやはり今でもけっこうある。家が広く、老夫婦が傍にいれば、小さい子供がいても働きやすいし、そういう需要をみて民間の保育施設なども充実するというだけのことである。「共働きの母」といっても都会人が想像するようなものばかりでは必ずしもない。※個人的な意見としては、出生率が下がるのがそれほど問題だとは思っていないが、もし、出生率を上げようとするのなら方法は次の二つしかないのではないか。一つは女性の人生をかってのような単線型に戻すことである。昔は女性にとって結婚し子供を生むことだけが「まともな人生」でそれ以外は落ちこぼれであった。そして嫁き遅れた女性は、兄夫婦や弟夫婦と肩身の狭い思いで同居するのが通常であった。女子の教育の機会を制限し、就職の場も狭めれば、そうした時代に変えるのは簡単である。役場の人事担当者が女子は採用しないと豪語したり、民間企業で女子だけの若年定年制があったのも、そう遠い昔のことではない。そしてもう一つの方法は婚外子の出生に社会全体がもっと寛容になることである。結婚と出産の組み合わせにより、女性の人生には今でも様々な選択肢があるが、それに未婚かつ出産という選択が加わるわけである。西欧などでは未婚の母も普通のこととして認識されているようであるし、フランスなどでは婚外子のいる女性には公務員の採用年齢の上限を高めるなどの優遇も行なっているようである。現実的には、前者よりも後者の方が可能性が高いように思われるのだがどうであろうか。※※私はひねくれているのかもしれないが、日本選手偏重の報道ぶりはやはりおかしい。いくら日本選手が出場してメダルをとっているからといって、ビジュアル的につまらない柔道(なんかムサい男とゴリラ女しか出ていないような・・・)ばかりをなぜ延々と放映するのだろうか。同時期に行なわれていた女子体操の方がはるかに面白いし、世界的には絶対こちらの方が注目されている。
2004年08月21日
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オリンピックが連日大変な盛り上がりをみせているが、たかがスポーツ、されどスポーツ・・・案外こうした国際的スポーツの祭典は、国際政治などとも密接な関係があるのかもしれない。※まず先日終了したアジアカップ杯サッカー、このときのすさまじいまでの反日応援とその報道は、日本人の中国観を確実に変えた。そしてオリンピックでの南北朝鮮の合同行進・・・これもやはり北朝鮮も韓国も同じ血をわけた同民族であること、おそらく韓国は北朝鮮の核の脅威なども本音ではほとんど感じてはいないだろうことを、改めてみせつけた。さて、そこで9月に予定されている6ヵ国協議である。この6カ国協議に対する見方も、上記のような点をうけて随分変わってきたのではないか。かってはこの協議については、国際社会が協調して北朝鮮の核の脅威に対処する場というような認識が強かったと思う。しかしながら、それをしきるのは反日国家の中国、韓国も本音では北朝鮮の脅威などは感じていないとなると、あれ自体が北朝鮮という国家を存続させるためだけの茶番ではないのか。ある意味、スポーツ大会というのはその国の国民感情や国家の本音というものがむきだしにあらわれる面があり、その意味で6ヵ国協議の欺瞞性をことあらためて認識させる契機になったという意味では効用なのかもしれない。※それにしても、あの内閣で決定した北朝鮮に対する25万トンの食糧支援・・・あれはもう実行されたのであろうか。行方不明者についての北朝鮮の回答は無内容そのものであり、なんとか食料支援を遅らせることはできないのだろうか。今の時点での食料支援は確実にあの国家を延命させる。そしてそうなればなるほど拉致事件の解決は遅れる。※北朝鮮は先の日朝協議の際に、行方不明者捜索のための日本からの調査団受け入れの意向を表明したという。これを受けて日本の政治家の中には「選りすぐりの調査団を派遣して」云々なんていうお笑い発言をしている人もいる。犯罪者と合同の調査で何がわかるというのか。幕引きのセレモニーになってしまうのがおちである。あらゆる支援の凍結こそが、拉致事件を解決するためにも、北朝鮮の脅威をとりのぞくためにも不可欠であると思うのは私だけであろうか。※北朝鮮との国交についてN新聞は「近い国と国交がないのは不正常」と書く。おなじみA新聞は、「北朝鮮との国交は北東アジアの安定のために不可欠」と書く。しかし、未曾有のテロ国家、しかもわが方に刃を向けるテロ国家と国交締結して多額の支援を税金から行うことの、いったいどこが「正常」なのだろうか。また、現状維持、つまりあのテロ国家が存続をつづけることを「安定」とよぶのであれば、日本が国交を締結し多額の支援を行うことは、確かに「安定」に不可欠であろう。だが、それは拉致実行部隊が厳然と存続(かの国ではそう言っている)し、核兵器やミサイルが日本に向けられたうえでの「安定」である。こうした「安定」は別の言葉では「奴隷の平和」とよばれる。
2004年08月16日
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