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漫画家の楳図かずお氏が亡くなった。この人の漫画にはあまりいい思い出はない。とにかく怖くて、それもなんか憂鬱になる怖さだった。一番怖かったのは「紅クモ」という漫画で、毒クモを口に入れられた美少女が次第に化け物になっていく話だった。化け物に襲われる話と自分が化け物になる話とどっちが恐ろしいだろうか。いうまでもなく後者である。化け物から逃げることはできても、自分からは逃げられないのだから。とにかくこの頃の楳図氏の漫画は普通の少女が化け物になるような話が多かったように思う。「へび少女」とか「猫目の少女」とか…いやだよね、こういう話。そしてしばらく後で読んだ漫画「ネコ目小僧」もまた怖かった。ネコ目小僧という妖怪少年が主人公でも鬼太郎のような懐かしく土俗的な怪談ではなくて、ひたすら気持ち悪い話だ。再生力の異常に強い男がいて、足を切ると、その足が化け物になって屋敷をはい回る。特に印象的な話は怪奇肉玉という話で肉の塊のような化け物を見ると必ず死ぬ。肉玉を見ないように目をつぶしても闇の中に肉玉がみえるというような話だった。ある解説によるとこの肉玉は癌のことだとあった。そうかもしれない。だいたい恐ろしい怪談というものは、なにか潜在的な現実の恐怖がかくれている場合が多い。一時流行った口裂け女などは少女が女性になることの恐怖が背景にあったのだろう。少女が女性になることは、現実には出産など生命の危険にさらされることであり、今でも途上国では女性の平均寿命の方が短いという。だから口裂け女を怖がったのは小学校高学年の少女たちで男子はさほど騒がなかったという。まあ、それ以外の怪談でも、それが死の予兆だとなると、とたんに怖さが増す。楳図氏の漫画はそうした人間の潜在的恐怖にフィットするようなところがあり、だから今でも思い出すと怖いのだろう。
2024年11月12日
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小学生の頃、東京オリンピックがあった。明るい声の東京五輪音頭が町にあふれ、子供用の漫画雑誌にも「世界中から人々がやってくる」なんていう特集がくまれ、外人の見分け方なんていう特集記事まであった。すぐ時計をみるのはドイツ人、動作がオーバーなのはアメリカ人なんていう記述があったのだが、真偽のほどはどうだったのだろう。当時は日本は中進国ともいわれ、やってくる欧米人は金持ちという印象があった。当時は国の数はいまよりもずっと少なく、アフリカの植民地が次々と独立をしていった時期だ。五輪期間中にできた国もあったという。テレビでは五輪競技ばかりやっていたが、つまらなかったので、食事以外は漫画をみてたか描いてたかしていたと思う。野球もそうなのだが、どうしてああいうのを見て面白いとおもうのかよくわからなかった。家のテレビだけではなく、学校のテレビでもオリンピックを見た。女子バレーの日本ソ連戦で、しばらく見ているうちにどうやらボールが床についたら負けらしいと気づいた。皆で盛り上がってみていたが、それをリアルタイムだと思って見ていたのはどうやら自分ひとりだったらしいと気づいたのはかなり後になってからだ。オリンピックがおわってからもその余韻は社会に残っていた。図工の時間にはオリンピックの絵を書くという課題があったが、あまり熱心にみてもいなのので困った。体操のチャスラフスカは綺麗で印象的だっらので、何人かの選手が演じている体操の絵を描いたがこれは失敗だった。男子選手が段違い平行棒をやっているところを描いたのだった。ウルトラCや俺についてこい、それになせばなるが流行語になり、女子バレーの監督は参議院選挙でトップ当選をしたと記憶する。高度成長時代はオリンピックも万博もその意味が今とはずいぶん違うように思われる。大阪万博の費用予測が公表されたが、機運醸成にも相当額の経費をかけるという。機運が盛り上がったじゃら大阪の選挙民は万博誘致に賛成したのではなかったのだろうか。どうもよくわからない。そしてまた、万博の前売り券はすでに発売されているというのだが、この売れ行きの状況についての報道がないのも不思議である。
2023年12月20日
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その昔「星めぐり」という歌が世に出た。歌手は親もわからない孤児院育ちということで、当時は、極貧だとか私生児だとかといったことさらに不幸な生い立ちを強調してデビューする場合もめずらしくなかった。ただ、レコードジャケットの写真はそう思って見るせいか、どことなく憂わしげで、歌詞の内容も、つかの間の恋人を追いかける気持ちをうたった歌で、人の温かさを求めて遍歴する不幸な若者を想像させるものであった。星には運命とか宿命とかいった暗示もある。大ヒットと言うほどではなかったと思うが、可愛そうな星めぐり…という出だしの旋律はついつい口をついてでるほどに気に入っていた。https://www.youtube.com/watch?v=zQaGDPeFXlA芸能界を目指すのはひとそれぞれの理由がある。積極性を身に着けさせるために劇団に入れるとか、息子娘には好きなことをさせてやりたいという親の下で夢を追う人もいる一方で、芸能界で成功することが社会で浮上する唯一の綱と思っている人もいる。事務所との関係でいえば、後者の場合の方が立場は弱い。
2023年09月25日
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図書館の開架棚で見つけた本で「プロが語る胸アツ神漫画」(きたがわ翔)を読んだ。いっきにさっと読めるのだが、正直、この作者さんも知らなかったし、この本で多くの頁をさいて語っている「ドカベン」、「スラムダンク」それに「マカロニほうれん荘」はほとんど読んでいない。しかし、随所に語られる指摘にはなるほどと思う点も多く、特にドカベンの殿間は美形だったら里中以上の人気キャラになっていただろうという点は、たしかにそうかもしれない。そうしなかったのは、たぶん女性読者の人気を里中に集中させたかったのだろう。おどろいたのは、萩尾望都の「半神」を語った頁に一つだけ描かれている少女漫画のイラストだ。「半神」で「塩漬けのキュウリのような醜い少女」を描いたついでに別の漫画の醜女を描いたもので、それは「エリノア」というマンガの主人公である。この漫画、昔読んだことがある…と思った瞬間に、記憶が蘇って来た。たしかこんな話だ。醜い少女がなぜかお城に努めていて、城勤めの娘の間では二人の王子様が大評判だった。一人は華やかで詩人でもあるプレイボーイタイプ、もう一人は物静かなタイプで醜いエリノアのことも決して虐めたりしない…そのあたり、なんとなく匂宮と薫みたいなのだが、エリノアはもちろん後者の王子様が好きだ。そんなエリノアのもとに仙女があらわれ、一日だけ美しい娘にしてやるという。ただ水には真実の姿が映るので気を付けるようにと…。美しくなったエリノアは大好きな王子と楽しいひと時を過ごすのだが、うっかりと水辺に来てしまう。水面に映った姿をみて美女の正体を知った王子は、「エリノア、おまえは醜すぎる、愛することはできない」と悩む。最後にエリノアは王子の生命を救うために仙女に頼んで自分の生命を差し出すのだが、この悲しい最後に「エリノアは世界で一番幸福な少女だったのではないのでしょうか」と結ぶ。もちろんその意味は小学生にはわかるわけもない。ただこんなにも記憶に残る漫画もすごいと思って作者を調べてみたら、谷口ひとみという方で、なんと残したのはこの一作だけで、その後まもなくして亡くなっていたそうだ。そういえばもう一つ記憶に残っていた少女漫画の短編がある。やはり昔のヨーロッパのどこかを舞台にした薄幸の少女の話で「ラグリマ」というタイトルだ。貧しさゆえに売られていった少女が、最後は病気で死んでしまうという話だが、辛い生活のなかで、彼女は必死になぐさめとなる愛の対象をみつける。そんな彼女の短い人生で、ただひとつのよい想い出は慕っていた屋敷の坊ちゃまにラグリマというギター曲を教えてもらったことで、死の間際にどこからか誰かの弾くその曲が聞こえてくる。それこそが、死にゆく彼女にとっての唯一の贈り物であったかもしれないというラストが印象に残っていた。これも気になって検索してみたら、こちらの方は少女漫画の大家である山岸涼子氏の初期作品であった。才能の不思議さ、人生の不思議さを思う。
2023年01月19日
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かつては流行歌というものがあって、大ヒットともなると、老若男女よほどの世捨て人か変わり者以外はたいていその歌を知っていた。テレビの歌番組は今よりもずっと多かったし、商店街などでもヒット中の歌をがんがん流していた。この流行歌には季節性があって、梅雨時には雨の歌が多かったし、秋になると落ち葉のなんちゃらとかそういった秋らしい歌が多く出た。だから紅白というのは、今年流行った歌を聴きながら一年を振り返るという趣があったように思う。そして紅白が終わると次の定番は「ゆく年、くる年」で紅白が流行ならこちらは不易。「ご~んご~ん東大寺の鐘の音です」なんてのは10年前の映像を流してもきっと誰も気づかない。それをしばらく見た後は新年の初詣にでかけ、元日の朝はゆっくり…というのが定番だった。歌は世につれ、世は歌につれ、というが、今年流行った歌といっても、すぐにはでてこない。考えてみればテレビで最新のヒット曲なるものを紹介する番組もないし、そもそも、皆がテレビを見るという時代でもない。大みそかの「紅白歌合戦」は健在であっても、その内容や視聴の仕方は昔とはずいぶん変わってきているように思う。あと、あの紅組か勝つか白組が勝つか…というのはどうでもよいが、その昔、皆でこたつを囲んでみていた頃は、この紅白の勝負もそれなりの関心事だった。
2022年11月16日
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信じられないかもしれないが、子供の頃、本はものすごく高価だった。その上、図書館も今のようにあちこちにあるわけではなく、学校の図書室も「読書の時間」に読むだけで、貸し出しもできなかった。そのため、「学級文庫」というのがあり、各自、家にある本を持ち寄り、クラスのなかで借りで読むということが行われていた。そのため、家にある本だけではなく、学級文庫や「読書の時間」に読める図書室の本など、できるかぎりの機会を利用して本を読んでいたように思う。その後もずっと読書が好きだったのは、子供の頃のそうした飢餓感があったせいかもしれない。最初に読んだ本は小学校1年の時の「いじんのはなし」というもので、これは学年ごとに「いじんのはなし(1年)」から「偉人の話(6年)」まであったように思う。あまり一般には知られていない偉人の子供時代のちょっとしたエピソードを集めたもので、感動的な話というよりも、遠い国、遠い時代の子供の話として読んだ記憶がある。小学校2年生の時には「イソップ物語」を読んだ。一つ一つの話は短く、面白く読んだのだが、今にして思えばイソップ寓話の教訓というのは「身の丈を知れ」とか「あまり欲をかくな」といったようなものが多く、どちらかといえば子供よりも人生をシニカルな目で見るようになった大人にとってより身につまされるものなのかもしれない。小学校3年くらいになると、出版社は忘れたが、児童向けの名作文学を書き直したものの全集があり、比較的値段が安い(たしか100円?)ということもあって、ときどき買ってもらった。物語に没入する楽しさはこのころから覚えたように思う。中学校になると、学校の図書室でも本の貸し出しをやっており、また、電車に乗って隣町の図書館に行って本を借りるようになった。好きな本を好きなだけ読める幸せは、もし、最初から本があふれるようにある環境だったらわからなかったかもしれない。
2022年11月13日
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この間、久しぶりに新宿西口に行ってきた。高層ビル群に向かう通路には動く歩道ができ、待ち合わせ場所として設置されたオブジェ「新宿の目」が消えていて、待ち合わせに使われている様子もなかった。ネットで検索すると2019年に何者かに壊され、その後修復されたとあるので、目が消えていたのは一時的だったのかもしれない。ところで、この西口広場…その昔フォークゲリラなるものが出没していたことを記憶している人がどのくらいいるのだろうか。1969年ごろだったか、あの西口にフォークゲリラが現れ、歌を歌うといつのまにか多くの人が集まって声を合わせて歌いだす。そうすると機動隊がどこからともなくやってきて「ここはひろばではありません~通路です~」と拡声器で呼びかけて群衆の解散を促す。そんな情景だったかと思う。フォークゲリラの中からも、いくつか人気曲が生まれたし、「友よ」なんかはきっと今でもどっかで歌われているのだが、個人的に一番印象的だったのは「橋を作ったのはこの俺だ」という高石友也の歌う曲だった。これは調べてみるとアメリカに原曲があり、それをいちはやく日本に紹介したのが高石氏であったというわけである。https://www.youtube.com/watch?v=p-0-cbWaHt4https://www.youtube.com/watch?v=cF04JStqhgc強いこの腕と体(原曲では肩と背中)で橋を作ったのは俺たちだ…というフレーズは好きだったのだが、実際には「強い腕と体」だけで橋がかかるわけではない。いや、それどころか、「強い腕と体」のかわりはいくらでもいる。足りなければ外国から調達すればよい…なんて声もどっかから聞こえてきそうである。働く者の誇り、働く者の喜び、そして歌の最後でみんなで声をあわせて「この国を作るのは俺たちだ」と声を合わせたときの高揚感。今では想像にしくいのかもしれない。
2022年05月22日
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昔、新春スターかくし芸大会という番組があった。大みそかの紅白、新春はスターかくし芸大会というのが定番のようになっていた時期もあって、家族や親せきがこたつに集って、スターのかくし芸をみながら、のんびり過ごした。かくし芸といっても大体は手品とか南京玉すだれ、それに中国語劇とかラインダンス、スパニッシュダンス…そんなのが定番だった。この番組がいつ消えたのかも記憶にないし、あれが消えたことと、箱根駅伝が定番になったこととの因果関係もよくわからない。ただ、スターかくし芸大会が消えた理由をいろいろと考えてみると、国民のだれもが知っているスターという存在が少なくなったことがあるのではないか。スターかくし芸大会の頃を思い出してみると、若者に人気のスター、男性に人気のスター、おばさんに人気のスターというふうにスター市場は違っても、その顔と名前は老若男女に知れ渡っていた。今そうしたスターはあまり思い浮かばない。南京玉すだれなど、「誰もが知っているあの人」がやるから面白いのであって、顔も名前も知らない人がやっても面白くもなんともない。去年の紅白の視聴率は史上最低だったというが、その背景についても、国民の誰もが知っている歌手というのが少なくなったことがあるのではないか。正直、去年の紅白の歌手のうちで知っている歌手はあまりいなかったし、歌も初めて聞いたものがほとんどだった。かつては流行歌と言えば、商店街などで、耳に入ってきて、それも夏には夏らしい歌、冬には冬らしい歌が流行っていた。その時代であれば、今年流行った歌を聴きながら一年を振り返るという紅白の趣旨は大いに発揮されたのだろうけど、今はそんなこともない。それにリズムも旋律もずいぶんと傾向が変わって、耳につく旋律や口ずさみたくなる旋律も非常に少ない。スターかくし芸と同様に、紅白もそろそろなくなるのかもしれない。
2022年01月05日
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中学校に入り英語は全くの新教科であったが、数学もまた新教科といえた。けっこうな大規模校だったので数学も代数と幾何に分かれており、それぞれ違う教師が担当していた。最初は代数の授業で、でてきたのは四則計算の新しい呼び方と法則であった。いままで足し算と呼んでいたのも加法と呼ぶといかにも格が上がったように見える。そして加法の交換法則というと、「足し算はどの順序で足しても同じなんだよ」というよりも格調高く学問的だ。中学生になるとこんな高尚な学問ができるんだ…と感激したのは忘れない。しかし授業が進んで文字式になると、とたんにわからなくなった。なぜ×と÷は省略するのに+と-は省略しないのだろう。そこでつっかえると先に進まない。×と÷でつながったものは一つのかたまりとして考えるということに気づくと、そこでようやく小学校の時に掛け算や割り算を先にやるという理由がわかった。負の数、平方根、二次関数…と数学の授業は新しい単元に入るたびに新しい扉が開き、目の前に果てしない世界が広がるようなわくわくの連続であった。ところでいまだに不思議なことがある。中学の数学では二次方程式の解の公式を覚え、因数分解も相当に時間をかけて学習した。ところが高校に入ると、その両方ともあまり使った記憶がないのはなぜなのだろうか。
2021年03月27日
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もうすぐ4月がやってくる。そして4月というのは新しいことの始まる時期でもある。そこで今日はさる方のブログにも影響を受けたのであるが、初めて中学校に入り英語を習った時のことを思い出してみる。なにしろ時代は昭和40年代だし、場所は東京といっても、多摩地域で畑もけっこう残っている。帰国子女という子もいなければ、小学校の頃に英語塾に通っていたという子もほとんどいない。「これから習う英語は新しい教科です。他の教科には得意とか不得意とかがあったかもしれませんが、英語はみんな同じところからのスタートです。」先生のそんな言葉を覚えているが、これは今の子にはあてはまらないかもしれない。都会の中学だと帰国子女もいれば、塾などで英語を相当に学んでいる子も珍しくないのだから。最初はThis is a penというのはたぶん多くの人と同じだろう。それからしばらくすると、I am Royという文章が出てきた。入学したときに買ってもらった辞書で、さっそく調べたのだが、Royというのが出てこない。いったいなんだと思って授業を聞くと固有名詞だった。これってjohnとかTomとかだったらすぐに人の名前だとわかったのにRoyなんてどうみたって一般的じゃない。それ以来、Royという名をきくと英語の教科書を思い出す。授業ものんびりしたもので、いっせいに声をあげて教科書を読むのだが、英語にカタカナのフリガナを振ってる子もめずらしくなかった。他の教科についてはゆとり教育以来教科書がやさしくなったと思うことが多いのだが、英語に関しては、今の若い人の方が平均はずっとレベルが高くなっていると思う。
2021年03月26日
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幼年期の最初の頃の記憶をたどると田んぼばかりの光景が目に浮かぶ。そうした田んぼは急速に消え住宅地に置き換わっていった。まず田んぼがあった場所に砂利山が積み上がり、地面が造成されると、それからは速い。同じような速度で柱が立ち、何棟もの家ができ、そして新しい住民がやってきた。だから今では信じられないような話なのだが、子供の主な遊び場は工事中の砂利山だった。砂利山を駆け上ったり、滑り降りたりは当たり前なのだが、それ以外にも砂利山の楽しさはあった。石探しである。砂利を丹念に探していると、中には半透明な石や透明な石が見つかることがあった。そんなことをやっているうちに、珍しい石や変わった石を探すのが大好きになり、遠足にはトンカチと袋を持参してでかけたものだった。さて、砂利山の光景を思い出すと、非常に印象的なことがある、それは砂利山によって石の色が違うことだった。灰色の砂利山が多かったのだが、中には赤っぽい色の砂利山もあった。灰色の砂利山は石灰岩だったのだが、赤色がかった石はなんだったのだろうか。長いこと紅簾片岩だと思っていたのだが、これは貴重な石で飾り石材に使われても住宅の土台には使われるわけがない。今もって謎のままである。
2021年02月05日
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高校の頃、ある社員食堂で皿洗いのアルバイトをしたことがある。一年の冬休みだったので、正月休みの穴を埋めるためにバイトを募集したのだろう。パートのおばさん方にまじっての勤務だったが、大人のおばさんの間にも仲間外れやいじめがあることを知ったし、バイト仲間の他高校生の話も目新しかった。そして最後に報酬をもらったときの感動は忘れられない。本当に顔が緩みっぱなしで自分でもどうしようもなかった。ただたった10日間のバイトだったが無理もあったのだろう。熱い鉄板のようなものの上にいる夢を見たのだが、起きてみると熱が出ていて、その後、二日くらいは寝ていたように思う。あの起きたら熱がでていた朝の記憶もバイトの記憶とともに忘れられない。そして、今、朝起きたとき、どうやら熱のないことを確認してほっとするなんていう日々がこようなんて、高校生の頃はおろか、半年前だって想像さえしなかった。
2020年03月31日
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ネット時代のありがたいところは、なんでも検索できるところだ。昔きいたことのある素敵な歌なのだが、レコードも買う機会(当時は高価だった)もなく、その後、わすれていたのだが、検索するとでてきた。由紀さおりの歌っていた「季節風」という曲だ。男女の別れを女性の側から歌った歌なのだが、じめじめしたところがなく、風がふきぬけるような冒頭の旋律が印象的だった。その少し前に歌った「手紙」の大ヒットからしばらくはこうした手紙にまつわる歌をうたっていたようだ。もちろん、この曲にも「私はあなたに手紙を書いている」というフレーズがでてくる。https://www.uta-net.com/movie/87593/季節風というだけでは季節は特定されないが、歌詞には「表の陽だまり」とか「花屋の店先に季節の花が咲く」とあるので、どうやら春だということがわかる。かつては春には春の歌、梅雨時には雨にちなんだ歌と季節ごとに、その季節を感じさせる歌謡曲が流れていた。そして大みそかには紅白で今年流行った歌をふりかえるというわけだ。それにしても冬晴れとは縁のない曇りや雨の日が続く。まだ、1月なのだが、すぐにでも春一番が吹きそうな気がする。
2020年01月23日
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中学時代のクラスの同窓会の案内が来た。懐かしい名前をみながら思いだす。思えばいろいろな家庭の子がいた。小学校の頃はクラスの半数くらいは農家の子だった。それが都市化とともに、毎月のように転校生がやってきて、卒業の頃にはクラスもまるまる増設されていた。その頃転向してきた子の中には炭鉱離職者の子もいたし、転校生ではなかったのだが、近くの引揚者住宅の子もいた。思えば、子供の世界にもそうした戦後史の反映があったのだ。全くの田舎というわけでもなかったので、クラスには中学受験組もいたし、越境組もいた。自分の場合には、成績がよくもなかったので、当然のように地元中学に進んだ。中学でも転校してくる子がいたが、その頃になると、社宅官舎暮らしをやめて一戸建てを購入したという家の子が多かったように思う。子供の噂などあてにならないのだが、クラスには、相当の金持ちの家の子もいる反面、生活保護受給者の家の子もいた。公立中学とはそうしたものだった。実はそうしたものこそ公立中学のよい点だと思う。偏見や幻想は実態を知らないところから生まれる。実態を知らないと間接情報だけでそういうものかと思ってしまう。金持ちの子が威張る、貧乏な子が貧乏ゆえに虐められる…経験した範囲ではそんなことはなかった。スポーツができるかどうか、勉強ができるかどうか、いいやつかどうか、面白いかどうか、子供の間の価値基準はいつの時代もそんなところである。貧しい家庭で勉強のできる子もいれば、その逆という子もいる。親がしている生活の苦労と子供の人格にも全く関係がない。ときどき世間には深窓の令嬢があれっと思う男性に熱を上げる例があるという。これなどは、世間を知らずに育った人ほど「貧しい家庭で苦労してきた」人に対して、実態以上に立派だとか偉いだとかいう幻想を抱いてしまうのではないのだろうか。
2019年02月13日
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