Novalis

Novalis

2007/05/10
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6歳のとき、学校で「将来何になりますか?」と先生に聞かれ、「オペラ歌手!」と紙に書いたことを思い出します。その当時はオペラ歌手って、きっと知りもしなかったです^^;。

母は綺麗な声をしていて、自分が歌手になりたかったのだそうです^^。戦時中でクラシックの音楽の勉強は、祖母に反対されました。それで保母さんになった母は、3女の私に夢を託しました。4歳の時からヤマハの音楽教室に。^^。

幼稚園のクリスマスお遊戯会の舞台は、延岡の野口記念館という大きな会館で、5歳の私は「ドレミ」の歌を英語で歌っていました。

ミッション系の幼稚園だったので、イタリア人の神父さまが子供たちに英語を教えられていました。そこで、「今年のクリスマスは、ドレミのうた、サ ウンド・オブ・ミュージックをやりましょう!マリアの役、誰がやりたいですか~♪(イタリア語訛りの日本語を想像してくださいね^^)」と7人くらいのグ ループの園児に聞きました。女の子は私を入れて2人!!!^^。

私はもちろんそんなミュージカルの映画なんて知りません。「母が歌が好き」。で、頭の中で、「きっと、お母さん喜ぶだろうな~♪」って、他の女の子は黙っています。それならと「は~い♪」と手を上げました。決まりです^^;。

それからが大変、公務員の父は、まだまだ若いのでお給料もあまり高くなかったと思います。車を買うために貯めた貯金は、当時は凄く高かったろうレコードプレイヤー、ドレミの歌のレコード、ピアノに取って代わりました。

2間の小さな借家(公務員の父はほぼ3年ごとに転勤していました。)に家族5人。6条畳の部屋に大きな黒光りするアップライトのピアノ!。なんとも凄い光景です。

夕方、きっかり仕事から帰ってくる父を待って、レコードを家族で何回も聞きました。テレビも無かった時代です。家での娯楽といえば、ラジオを聴 く、テーブルを囲んで双六とかのゲームをする感じでした。そこに、最新型のレコードプレーヤーがお目見えしたのです。擦り切れるほど、何回も聞きました。



母の手作りのハイジ風コスチュームを着て、マイクを持って
「ドー、アディア、。。。♪」カタカナ英語で歌った記憶があります。残念ながら録音機器、ビデオなんて無かった時代。(おさなかった頃の自分の 声。。。母が私の息子(彼女からみればは孫)とそっくりだと言います。親子って声が似るものなのですね♪)舞台を見に来た母は、「これは、いけるぞ!」と 思ったのでしょう。

それで、私は何も知らず、オペラ歌手を目指すことになりました。(*^^*)v。

あれ以来、長い道のり、母の願いは私の願いになり、私は舞台でオペラを歌うことになりました。

初舞台から去年までの40年。本当に色々な方に支えていただき、言葉に出来ないほど、心から感謝しています。今、手元にある一部の写真を少し載せ てみました。もしよろしかったら行って、覗いてみてくださ~い♪(アヴェ・マリアの作曲者、L・ラグランジェさんも、黒い指揮者の服を着て写っていらっ しゃいます。^^。)


http:// rakute n.co.j p/alex 13/800 0





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Last updated  2007/05/10 10:44:44 PM


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