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今日はクライミングではなくスキー技術について書いてみることにする。一昨日の24日(日)に、白鳥高原スキー場から毘沙門岳を往復した。滑降距離は短かかったが天候にも恵まれ、絶好のスノーコンディションで滑ることができた。今回のスキー用具は、シールとミニスキーを使用した。 ところで、山仲間のmanyuu さんがご自身のブログに新雪滑降のノウハウについて書いているが、新雪ではテールの使い方も重要である。 ブログはこちら→http://www.mountain-ski.net/ 圧雪された斜面では、荷重方向は斜面に対して垂直方向になり体を前傾させて滑ることが基本である。一方、新雪(深雪)の場合の荷重方向は重力方向になる。そのため、スキー板のトップは新雪から出るので浮いているように見え、スキーのテールは新雪に埋もれた状態になっている。よって新雪では下から見ると後傾のように見える。この状態では、トップコントロールはできないので、いかにテールを使うかがテクニックになってくる。 ここら辺りについてはボーダーの滑りを観察すると大変参考になることも多い。 にほんブログ村
2010.01.26
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今シーズンのスキー場の積雪は豊富である。暖冬予想に反して寒い日が続いている。この度130cmのミニスキーを購入したので、この調整のために、久しぶりに鹿島槍スキー場を訪れた。 天候はよかったが肝心の鹿島槍ケ岳はガスに覆われ鮮明な姿を見ることができなかった。しかし南西に穂高連峰、眼下に青木湖が望まれ、東に戸隠連峰、志賀高原、遠く浅間山まで見渡すことができ満足した。 ところで鹿島槍スキー場は大町市から近く、以前は、鹿島槍、青木湖、さのさかの3つのスキー場が協力し合って、サンアルピナスキー場として賑わっていた。しかし、今のサンアルピナは、青木湖スキー場が閉鎖に追い込まれたため、単独営業となっている。以前は青木湖を眼下にダウンヒルを楽しめたが、今は滑ることができず残念である。帰りに麓の民宿を訪れたが、すっかり寂れている印象を受けた。 スキー全盛期の二十数年前、大阪駅はあふれんばかりのスキー客で混雑し、スキーツアーバスが何台も出た。スキーキャリーバックを引きずり、板を担いだスキー客をあちこちで見かけた。高速道路のサービスエリアでは、一体どれが自分のバスなのか迷うほどであった。こうした光景も今はまったく見かけなくなった。これも時代の流れなのであろう。 同じようなことが山の世界でもあった。今は中高年登山ブームであるが、1950年代~70年代にかけて登山ブームにわいた。特に社会人山岳会や職域山岳会が大活躍した。高度経済成長がその背景あり、希望や期待を胸に週末やお盆、年末年始には、大きいキスリングを担いだ”山や”で、大阪駅は賑わった。 さて、このような時代の流れを思い返して見ると、オールマウンテンクラブのホームページのエッセイにも書いたことであるが、時代に翻弄され、自分の意思とは違った無念の死を遂げた若い命が沢山あったのではないだろうか。登山中の「しごき」や「強いものが生き残ればよい」といった考え方がなかったであろうか。個人の意思とは無関係に山岳会の方針により、厳しさを冷静に見つめる時間的余裕を持てないまま山に猪突猛進して行ったのではないだろうか。無知蒙昧なリーダーの判断ミスによって殺された命はなかったと果たして言えるのであろうか。形を変えたにしろ、今の中高年登山ブームの中でも、このようなことが起こっていないとは言えない。流行(ブーム)の中に潜む危険性を冷静に見つめ直すことが常に必要であると思う。 にほんブログ村
2010.01.17
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この一つ前のブログで、最大公約数と最小公倍数の考え方について書いたが、組織を一つの集合と考え、この中に様々な数字を入れてみると、共通の数が多いと最大公約数は大きくなることが分かる。例えば、20、40、60の集合では20となり、集合に所属する全員が何らかの利益に浴することになる。日航の体質はこれであった。経営陣にも社員にもそこに20という共通する利害が大きく存在していた。 しかし、ここに異質な数を入れてみるとたちどころに最大公約数は小さくなる。例えば23などの素数が入ったりすると、最大公約数は1となってしまう。これでは誰しも反対する。日航はできるだけ大きい最大公約数を求めようとしたために、独自再建の道を辿ることができなかったのである。 一方、20、40、60の集合の中に、大切なものとして公正な競争原理を保つための数字として、できるだけ最小限の数(1は除く)を入れてみるとどうなるであろうか。例えば、2、3、4、5、6のどれを入れても、最小公倍数は60となる。時の日航の幹部や社員の中には、2、3、4、5、6の数字としての小数(少数)意見があったはずである。 公正な競争原理としての政府の介入が必要となった場合は、できるだけ最小限の介入でなければならない。その為には、できるだけ小さい数を集合の中に放り込み、その最小公倍数が母集団に所属する数字を越えないようにすることことが大切なのである。 資本主義における公正さを失わない自由競争は、個人の尊厳を保障し自他を愛し、それでいて政府による財政支出を最小限とする方策でなければならない。そのためには、個人が市民として社会システムの中で生きていくための責任を担っていること、政治家や経営者は一層その責任は大きいということを改めて理解する必要があるのではなかろうか。 ところで、映画『沈まぬ太陽』を見た人は多いと思うが、私も鑑賞直後の11月2日と3日のブログに、この沈まぬ太陽についてブログを書いた。国民航空としての社会的役割とは裏腹に、会社内における人間ドラマが描かれており、史実とは異なる点があるとは云え、日航の再建問題と関係して大きな話題を呼んだ。 史実と小説化、映画化などによる架空性との問題もあるが、非常にタイムリーな映像化であったと云わざるを得ない。そして常に犠牲になるのは真面目に働いている今の社員ひとり一人である。今後、大幅な人員削減は避けられない。今の経済不況の中、去るも地獄、残るも地獄という選択肢のない選択を迫られることになるのであろう。 にほんブログ村
2010.01.16
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「沈まぬ太陽」である国民航空(日航)は、19日に会社更生法を申請し、政府が再建に向けて全面支援することで決着した。今後は企業再生支援機構が再建を主導する。これによって、日航独自の私的再建は無理であることが明らかになった訳であるが、いずれにしろ、会社や組織などが巨大化すると、いかに独自再建が難しいかを示した結果となった。しかし、このような国の主導による再建が叶う場合はよいが、今の日本の国そのものの破綻は、誰が再建するというのであろうか。 一般論として、物事を決するときに民主主義を尊重しなければならないが、組織内の関係者だけで決めようとすると、当然のこととして、個人の利害や思想信条が賛否に大きく関係する。そして、結果は多くの人の利益や思想信条および考え方を反映したものとなる。もちろん、これでよいのであるが、多くの人の利益を反映することが財務的に無理であったり、思想信条や考え方が明らかに公平性を欠いていると司法判断が下るであろうと予想できるような場合は、民主主義は数の横暴となってしまうであろう。 独自再建が難しいのは、関係者を含め、個人の利害が絡むからに他ならないが、これは『最大公約数』を取って失敗することを物語っている。そして、沈まぬ太陽を支え続けるには、国民の税金をつぎ込む以外にないという、国民が納得せざるを得ないような、当然の結論になった。もちろん反対意見も多いであろう。 ここで資本主義の基本原則である自由競争の原理を持ち出すことは、見当違いかも知れないが、この決定は明らかに自由競争の原理に反しているように思われる。資本主義の在り方について、諸処に亘る議論の必要性はあるが、自由競争は資本主義の基本原則であり、政府による介入は必要最小限に止められるべきものである。小さな政府を目指さないと今の日本の財政赤字を解消することはできないであろう。ただ、持てる者は国債という形で赤字財政を支え、持たざる者は失う何ものもないという構図は、冨の配分としては極めて公平であるのかも知れない。 さらに、経営責任を問う場合、結果論として、後出しじゃんけんで問うことには問題がある。「沈まぬ太陽」ではないが、国民航空に再建のチャンスはあった。同様に日航にも再建のチャンスはあったはずである。正しい適時の判断を持っていた幹部が居たはずである。こうしたチャンスを失ったのは、正しい適時の判断が巨大組織の中で少数派であった故なのか、組織を支配していた危機感の希薄さなのか、財務赤字を増やし続けながらも私欲を求め続けた結果なのか、そこに親方日の丸の考え方やそれに甘んじた組合体質があったからではないかなど、原因は多々あると思うが、組織の中に正しい自由競争の考え方(リベラリズム)が働いていなかったからではないのだろうか。 正しい自由競争とはリベラリズムであるという原点に戻って考えてみると、現代の自由競争の理念としての自由主義(リベラリズム)は、自他の自由を遍く尊重し、そこに社会的公正を期すことで自由が保たれなければならないとする考えである。特にこの社会的公正を期すことが重要であり、自由放任や自由至上主義とは異なる。 行き過ぎた自由競争は極端な貧富の格差をもたらしたり、偏見や差別を助長し、そのことによって社会不安や治安の安定を損なうことに繋がり、究極的には国を滅ぼすことに繋がることになる。これを防ぐためには、政府による介入をなくしたり制限するのではなく、社会的公正を期すため、政府や地域社会による積極的な介入が必要であるという考えが、リベラリズムの基本理念である。 先に世界を席巻した新自由主義の嵐は、金融資本主義によるマネーゲームを招き、あげくは金融恐慌を招き、個人の生活不安が増大した。今はその反動が来ているわけであるが、要は最大公約数ではなく、何が大切であるかを見極め、大切なものを基礎数に置いて、その『最小公倍数』で考えることが大切なのではないだろうか。 にほんブログ村
2010.01.16
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今日は天気が回復、貝月山(1234m)を訪れ山スキーを楽しんだ。昨年は雪不足のため、貝月山での山スキーは不満足であったが今回はたっぷり雪があり楽しめた。 ただ、ここのところのスキー場の経営難のため、4本あるリフトのうち2本が運休、日阪リフト2本だけの運行となっていた。そのため、今回はスキー場から左回りの周回コースを予定していたが、コースを日越峠経由の右回りに変更せざるを得なかった。 コースは品又谷に沿って林道を遡り日越峠を経由する。林道歩きが長いが峠から上はかなりの急斜面となっていた。ところどころ深いラッセルに悩まされながら、右に伊吹山系を見て尾根伝いに登って行き、やがて山頂に達した。 今年は雪が多いため、展望台は階段3段を残してすっかり埋まっていた。昨年とは大違いである。板を脱いで展望台に上がり、加越国境の山々や、金糞岳など伊吹山脈の雄大な展望を満喫した。昨年沢登りで登ったブンゲンや虎子山、国見岳、眼下に国見スキー場などが望めた。雪が深いせいか、今日の登山者はゼロ、どこにもトレースはなく、私だけの独壇場であった。天気もまずまず、今シーズンの山スキー始めとしては申し分のない楽しい一日となった。 にほんブログ村
2010.01.11
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今日のブログは開設以来200本目となる記念すべきブログである。今日は暖かさも戻ってきた。久しぶりに身体と精神について書いてみることにした。 ここのところ、身体と精神について何も書いていなかったが、人間社会の仕組みを考えていると、人はシステム(社会システムと家族システム)の中でしか生きていないという当たり前のことに行き着いた。 そしてそのシステムを当たり前と考えて、疑うことなく生きている。しかしよく考えてみると、家族というシステムの中に暮らす家族のメンバーひとり一人のことを果たしてお互いがよく分かって生きているのだろうか。 多分当然のこととして生きているだけで、個々人の精神や心のことなどほとんど関知していないのではないだろうか。例えば女房にしても、長い年月一緒に暮らしていても、「ええそうなの」と初めて相手のことが分かることが多々ある。何十年一緒に居ても同じだと思う。これがシステムの中で生きているということの象徴的なことである。 さらに、社会のシステムの中にいる自分と家族のシステムの中にいる自分は違うものとして生きていることが多い。最近、養老孟司さんと玄侑宗久さんとの対談集を読んだ。身体と精神を考える上で、示唆に富んだ内容に触れることができた。まったくたわいのないことではあるが、そこにこだわりながら生きているのが人であり、住みにくくしているのも人である。 にほんブログ村
2010.01.09
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親交のある「笑福亭仁昇」さんが元気になって寄席に戻ってきた。そこで返り咲きの会に寄せていただいた。こうして今年の初笑いは仁昇さんの落語から始まった。 独演会の場所は「天満天神繁昌亭」、初めて訪れたが、なかなか洒落た建物で天満宮のすぐ横に建てられている。ついでに天満宮に参拝した。お正月とあって沢山の人がお参りに訪れていた。 独演会の演題は、「手水廻し」と「不動坊」の2題。軽妙なしゃべりに聞き入った。これからのますますのご活躍を期待したい。
2010.01.04
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12月12日付けのブログでウィキペディアのことを書いたが、記事を書く人が注意すべきこととして、次のような警告を発している。 「大言壮語」的表現を避けること(英文では Avoid peacock terms 直訳すると「クジャク用語を避けよ」) 大言壮語とは、事実としての情報なしに、記事を単に引き立たせるための表現のことで、以下のような表現を使うことは避けるように警告している。 「重要な…」「最も重要な…の一つ」「最善な…の一つ」「最も影響力のある…」「重大な…」「議論の余地のないほど…」「明白な…」「伝説的な…」「美しい…」「…で知られている…」「…で有名な…」「話題となった…」「…は必読」「究極の…」「極めて…」「絶大な…」「…過ぎる」「屈指の…」「有数の…」 さらに、執筆の際に記事の話題を正当化するような修飾語を付加する必要はないこと。記事の話題が重要であるという主張も誰をも納得させられにくいことであると述べている。 この警告はいろいろな点で重要なことを秘めている。例えばブログを綴るときにも注意しなければならない。また議論する場合も避けるべき表現でもある。これらの言葉を使うことでかえって客観性に欠けることになってしまうからである。 さて、人の行動や考えには、絶対にこれが正しいというものは存在しない。しかし、結果論として、後から考えると「絶対にそうすべきではなかった」と言えることがある。もし、そうであるならば、予測可能性において、その行動は絶対に中止すべきだ、と断言することは、最善な選択肢であり、「大言壮語」とは区別されなければならない。 なぜそのようなことを言うのかというと、悪天がはっきりと予想された年末年始に、3000級の北アルプスに入山することは、絶対に避けなければならない決断であったと思うからである。もちろん入山してから悪天に出合い、この決断に至った多くのパーティは早々に撤退したであろう。しかし、これも結果論であり、撤退できる場所に居たからに過ぎないのである。猛吹雪の30日、私が確認しただけでも3パーティが遠見尾根を登って行った。おそらく小遠見まで行くだけでも大変であったと思う。 最近は豪雪に襲われることも無くなったが、昔は大雪は当たり前、時にはすさまじい豪雪が襲った。私の山の記憶にある豪雪は1980年の年の瀬から年始にかけて襲った(いわゆる五六豪雪)。日本海側の各地は記録的な豪雪に見舞われた。気象庁の観測によると12月29日午後3時現在の積雪量は、富山市で76センチ、上越市や新庄市で89センチ、会津若松市で86センチ、高山市で104センチ、福井市で115センチの積雪となった(気象庁の観測データより)。 この時、唐松岳を目指していた神奈川県の高校山岳部パーティ8人が八方尾根で消息を絶ち、ヘリコプターによる捜索が行なわれたが発見には至らず、5月の雪解けになってから遺体が見つかるという痛ましい事故が起こっている。これ以外も多くの山岳遭難が起こった。忘れてはならない教訓である。 関連ニュースその1⇒ 関連ニュースその2⇒ にほんブログ村
2010.01.03
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長野の三大神社は戸隠神社、諏訪大社、そして穂高神社である。穂高神社は山好きな人間には馴染みが深い。穂高神社の奥宮と嶺宮は特にそうである。奥宮は上高地明神池の入口にあり、同神社境内にある明神池は神域となっている。さらに嶺宮は、穂高見神が降臨したとされる奥穂高岳(3190m)の頂上に鎮座している。元々、上高地は神垣内と表記され、神々の棲む世界であった。 若い頃から穂高には足繁く通った。春夏秋冬を通して穂高に青春を賭けた。冬の入山は特に大変であった。今と違って沢渡から上高地までの道のりは長かった。釜トンネルは傾斜がきつく暗い凍り付いたトンネル内の道はよく滑った。入り口付近では時々雪崩が襲うこともあった。 しかし、今は中ノ湯と平湯をトンネルが抜け、釜トンネルも立派になった。冬の入山も楽になった上、温暖化により降雪量も減っている。誰しもが簡単に冬の穂高に足を踏み入れることができるようになった。 昨年末から年始は寒波の襲来により大荒れの天気となっている。今回の天気変化は十分に予想できることであったが、29日入山と30日入山では生死を分ける事態となることも想定できた。30日午後から天気は悪化し始めたが、29日までの入山者はすでに稜線地帯の危険地域に到達してしまっているであろう。このような同じ事が繰り返されるのが登山者心理であろうか。 ところで、安曇野市穂高にある本宮としての穂高神社は、昨年が20年に一度の遷宮の年に当たり、127年ぶりに拝殿が建て直しされた。その真新しい拝殿に多くの人が新年のお参りに訪れていた。私も山の安全を祈願し、冬山に入っている仲間の無事を祈った。 にほんブログ村
2010.01.02
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寒い元旦を五竜とおみスキー場で迎えた。年末年始と大荒れの天気。年が明けて、今年は庚寅の年である。西暦年を60で割って30が余る年が庚寅の年であるから、60年に一度の巡りとなる、人の一生では、2回迎えるのがせいぜいである。2010年を挟むと、1950年 2010年 2070年 となる。 ところで私達の経済生活は10進法で営まれているが、時計や暦など天体の運行にちなむ自然の法則は12進法で営まれている。そこで、この二つを統一しようと思えば、60の数が出てくる。10と12の最小公倍数は60である。 さて、人間の指はどうして10本なのか。なぜ4本や6本ではいけないのか。数を数えるときに指を利用するとなると、この指の数にどうしても制約を受ける。10を基本数としなければならない。いずれにしろ60という数には大きな意味があると考えた方がよいだろう。人の一生にとっても節目の年である。 十二支の話に戻るが、十二支は天体の運行と関係してつくられた暦や方位を表す。これに十二の動物を充てている。子(鼠)、丑(牛)、寅(虎)といった具合である。寅(虎)がつくことわざも多い。 最後に、虎といえば、何と言っても阪神タイガースである。今シーズンの活躍を期待したい。『がんばってや~、なんぼ負けても応援するで~』 にほんブログ村
2010.01.01
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