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息子の小学校で、「読み聞かせボランティア」を募っていたので、参加することにした。市内の小学校ならどこでも、そういう保護者による読み聞かせが行われているらしい。以前小さい子ども向けには読み聞かせをした経験もあったので、楽しみに応募した。私は小さいころからいつもたくさんの絵本に囲まれて育った。私の祖母は幼稚園教諭を経て、その後短大の講師をしながら「よい絵本」(全国学校図書館協議会絵本委員会選定)の選定委員になっていた。そのため、毎月毎月その選定委員によって選ばれた絵本を、祖母が持って帰ってきてくれる、というとても贅沢な環境で育った。そして、気がつけば絵本が大好きな子どもになっていた。それは、そのまま大人になってからも、本を好きになる土台となった。そのことは自分の財産になったと、とても感謝している。子ども心に深く残った絵本の数々。大人になってから、買った絵本。読み返した絵本。人に送った絵本。送られた絵本。人生の色んな場面で絵本は静かに、でもじんと心に栄養を与えてくれた。私にとって絵本は「とてもとても大切なもの」なのである。だから、自分の子どもにも、とにかく本に関しては、いつでも本があるのが自然な環境をつくり、それこそ赤ちゃんのときから、毎日寝る前に読み聞かせをしてきた。結果、上の子は今では取り上げないといけないほどの「本好き」になってしまった。下の子も気がつくと、自分で絵本を出し来てはぱらぱらとめくり、大人を見つけては「読んで」とせがむ子になっている。ただ、世間一般では、子どもたちの本離れがますます進んでいるという。人に読んでもらうことでも、本を好きになるきっかけになればと思い、読み聞かせに参加することにした。うちの小学校の読み聞かせのシステムは、基本的にボランティアが「自分の好み」で好きな本を選んでよいことになっている。年度の初めのミーティングで、それこそ「好みの押し付けになりはしないだろうか」とか「戦争や、宗教など特定の思想が色濃いものは避けるべきか」とかさまざまな論議がなされたが、結局、本もある意味「出会い」であるので、できるだけ、偏らずいろいろな本との出会いがあったほうがよいのではないか、というところに落ち着いた。そこで、それぞれが好みで選び、毎月読むクラスを替えるという方式が適しているのではということになった。ということで、毎回読むクラスが変わるので、その都度年齢や、既にそのクラスで読まれた本などを参考に本を選ぶ。この作業が結構時間がかかるのだ。いわゆる自分の好きな「読みたい本」は山ほどあるのだが、学年や読み聞かせをする季節、既読歴などを考えるとこれがなかなかしぼることができない。なんとか決まっても、15分という持ち時間のなかで、1冊では短すぎるということもある。そうすると、もう一冊となるのだが、これがまた、最初に決めた本との相性や、読む順番など、もう迷うことばかり。楽しい作業であるのだが、思いのほか労力を使う。そして、ようやく本が決まれば実際に読み聞かせの練習。声の出し方、読むテンポ、ページめくりのタイミング。間違わずに読むだけでなく、いろいろなことを同時に考えながら読まなくてはならない。本番では、さらに、教室の子どもたちの雰囲気も見ながら読むので、練習もたっぷりするが、本番は「ライブ」さながらその場の雰囲気を大切に読むようにしている。実際、教室にいくと、きらきらした子どもたちの目に囲まれて、こちらも特別な気分になってくる。期待通りの反応、思わぬ沈黙。はらはらドキドキだ。「読んで聞かせる」というより、その時間だけその絵本の世界を一緒に楽しんだという感覚がもてれば、とりあえず読み聞かせは成功かな、とほっとして教室を跡にできる。そして、その後皆で読後のミーティング。読んだ本の紹介と、実際の子どもたちの反応などを分かち合う。これが、想像以上に楽しい時間。それぞれ、本の選び方にも個性があり、ああ、そんな本があったのか、と毎月新しい本を知ることができる。また、読み聞かせに入る前に、導入として、簡単なお話や小道具を使って子どもたちの関心を引いてから、本に入っていく方がいたり、季節に合わせてテーマを決めて本を選んでいる方がいたりで、参考になることばかり。そして、どの方も、本を選ぶということに一番苦労されていて、考えの押し付けにならないだろうか、とか理解してもらえるだろうかとか、いろいろ十分すぎるくらいの時間をかけて選んでいることがわかった。要は、「本好き」の集まりだということ。ちなみに、今月私は「ないた」(中川ひろたか作 長新太絵 金の星社) 「けんかのきもち」(柴田愛子作 伊藤秀男絵 ポプラ社)との二冊を読んだ。「ないた」は「けんかのきもち」が読みたくて合わせて選んだ本なのだが、「けんかしてないた」「ころんでないた」と、さまざまな泣く場面の羅列から「おとうさんが泣くのをみたことがない」「おとなはどうしてなかないんだろう」「ぼくも大人になったらなかなくなるんだろうか」で終わる、結構余韻の残る絵本だ。案の状子どもたちはしんとしていたので、次の本に入りにくいな、と思って質問をしてみた。私「涙のスイッチってどこにあると思う?」子どもたち「目」「ゴミ」「脳みそ」とかいろいろ答えが出てきた。すると中に「悲しいこと」と答えた子がいたので、私「『悲しいこと』がからだのどこのスイッチを押すんやろうね。」「目」とか「るいせん」とか答えてきたので、あえて、「ここ(胸のあたり)の『きもち』と違うかな?とちょっと無理やり誘導しておいて、「けんかのきもち」を読んでみた。私が特に好きな絵本「けんかのきもち」はとっても臨場感のあるお話なので、こどもたちはぐいぐい引き込まれてくれた。男の子のけんかの話なんだけど、ちゃんと女の子もついてきてくれた。大概、途中「クスっ」とか「知ってる」とか茶々をいれる子がいるのだが、今回はこっちもびっくりするくらい、みんながしんと集中してくれた。終わったあと、担任の先生が感想を聞いてくれたのだが、「途中でなきそうになった」とか「かなしかった」とか、かなり感情移入して聞いてくれたようだ。絵と言葉だけで、見たことも会ったこともない人間のきもちがちゃんと自分のもののように、感じられる。これぞ、絵本の醍醐味。今回私が子どもたちとやりとりしたようなことは、本来読み聞かせでは必要ないのかもしれない。ただ、機械のように本のタイトルを読んで、本文を読んで、そのまま帰るということが、どうしてもできなくて、私は毎回毎回、少しだけ子どもたちと話をする時間を作っている。今のところ、先生からクレームが来ていないので、このスタイルでやろうかなと思っている。ちなみに先月は息子のクラスで「しゅくだい」(いもとようこ作絵 岩崎書店) を読んだ。先生が出した今日の宿題は「抱っこです」。主人公は忙しい母親になかなか出だせずに、夜まで宿題ができず・・。ようやく言い出せたら、おかあさんどころかおとうさん、おじいちゃんおばあちゃんにも「宿題」をしてもらえた、という話。子どもたちも大盛り上がりで、そのまま、先生に「今日の宿題抱っこにしてもらえますか」と聞いてみたらOKになり、その日の連絡帳には宿題「だっこ」と息子は喜んで書いて帰ってきた。子どもたちには本を通じてもっともっと沢山の人や世界そして人の気持ちに出会ってほしい。毎日塾に習い事に忙しそうにしている子どもたちを見ていて切にそう願う。受け取る子どもたちの気分や環境などによって、それぞれ響き方はちがうだろうけど、後からジンジン聞いてくる絵本もあるだろうし、また何年後かに再会する絵本もあるだろう。毎月、たった15分の時間だけれど、それは私にとっても、わくわくする出会いの時間になっている。
2008年10月28日
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「実りの秋」アップしました。http://www.e3110.com/resident/colum15.cfm
2008年10月28日
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「自転車生活」アップしました。http://www.e3110.com/resident/colum15.cfm
2008年10月01日
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