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今日、息子が学校からプリントを持って帰ってきた。タイトルは「保護者の皆様へお願い」。通常より大きなフォントでしかも太字だったので何事かと目をひいた。おそらく全校児童の保護者向けと思われる。その内容は「最近、児童たちのことで地域の方からお願いのお電話や、お手紙がありました。児童が下校の際に、・家の前にある敷石をばらまく。・カーポートの鎖で遊んで、カーポートの屋根が ゆがんでしまった。・花壇の花をぬく。・木の葉っぱをちぎりながら歩き捨てる。・玄関前の置物が壊されていた。・ポストを覗く。・ピンポンダッシュする。などをして迷惑をかけている。地域の方や、保護者がやっているところを見たら注意しているが、よくならない。そこで、(ここから囲み線があり、最重要!と強調)『どうしてこのようなことをしてはいけないのか。相手の方の立場に立って一つ一つお子様に丁寧にわかりやすく、お話していただければと思います。』学校での教育活動(道徳、学級会)では限界があるので、家庭でのご協力が必要です。」とのこと。ひと通り読んで、疑問だらけ。とりあえず、学校が一番強調しているのは、子どもに「どうしてこのようなことをしてはいけないのか」を一つ一つ丁寧にわからせてください、という部分。つまりは、そういう行為が相手をどのような気持ちにさせるか、を理解すればもうしないのでは、ということだが、そもそも、保護者や、学校がいくら丁寧に説いても子どもにそれが伝わるんだろうか。そもそも、そういうものは言われて(お説教で)理解するものではないはず。そして、私が一番ひっかかるのが、このプリント(つまりは学校側のお考え)には「なぜ子どもたちがそういうことをするのか」という視点が一切ないこと。子ども達が間違ったことをしているので、大人がそれを間違いだと教えなければ、の一方通行。そんなんで、子ども達が耳を傾けるはずがない。私は息子に、こういう行為をしたことがあるかと聞いたらしていないというので、じゃあ、こういうことする子は何ですると思う?と聞いたら即座に「面白いから」と言った。そのとおり。面白いと思えることを、そのままするのが子ども。いわゆる「いたずら」なんだと思う。「いたずら」なんて太古の昔からある子供の特権、みたいなもので、私からすれば、どれも自分がやってきたことばかり。社会生活で他人に迷惑をかけてはいけない、ということは、いわば、こういういたずらを通して、徐々に理解していくのではないかとさえ思う。では、どうして、今回のプリントのように、大事になってしまうのか。ひとつは、そういう「いたずら」に対する社会や大人の許容度が狭くなってしまったこと。子供たちを地域みんなで育ててやろう、という周りの大人の余裕がないから、すぐにこうやって学校へ苦情を持っていく。そして、もう一つ考えられるのが、子供たちと周りの大人とのコミュニケーションの問題。現にいたずらは現行犯で見つかっており、注意をしたとのこと。でも、改善されていない。普通、大人に見つかってこっぴどく叱られたら、子供はバカじゃないので同じことは二度しない。「注意をした」ときに、その表情、口調から「とても困っている」ということが子供に伝わっていない可能性がある。大人の表現力の問題か、それとも言われた子供たちが、それを感じ取るだけの感受性がない場合か。ここまで、事が深刻だとは思いたくないけれど。伝わっていない、というところに、そもそもの信頼関係が希薄だということは否めないだろう。それから、もう一つ、危惧されるのは、子供たちが、それを「迷惑行為」だとわかってやっている場合。これこそ、「なぜ子供たちがそういうことをするのか」という視点がないと全く見過ごされてしまう。今の子供たちは、学校、そして塾、習い事の生活のなかで、どんなに、窮屈な思いをしているか考えてあげているんだろうか。子ども達の自由な遊び場だって、どんなに限られているか。たくさんのストレスを抱えているということを、親達もわかっているはず。そんな中で、ストレスのはけ口として、いたずらがされていてもおかしくはない。だとしたら、このプリントにある「一つ一つ丁寧に、わかりやすく、お話しすること」は全く無意味である。どんなに、子供の心から遠い行為であるか。「なぜそういうことをするのか」。大人だったら、自分の子供をみて、自分の子供時代を思い出して、少しでも想像できるはず。そして、子供だって子供の言い分があるはず。そういう視点全くゼロのプリントを前に、暗澹とした気分になった。でもさあ、いいじゃん。いたずら。もっともっとやって、もっともっと叱られたらいいよ。そんな風に思ってる私は、学校からみたら、とんでもないのかな。**************************************************************ちょうど、今日私がもやもやしたことと、関連する知人のブログ記事があったので、以下にリンクを載せます。興味あるかたは、ぜひ読んでみてください。(この方のブログは、子育てされている方みんなに読んでもらいたいくらいです。)森の声さんのブログ子どもを支配しないでください(2008.5.29)
2008年05月29日
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引越し先は新しい街、彩都というところなのですが、開発している、阪急グループのサイト(しゃれではないです)の「入居者コラム」をこの春から書くことになりました(小遣い稼ぎに?!)。ちと、よそ行きに書いてますが。暇な方は、こちらも覗いてみてください。http://www.e3110.com/入居者コラム(匿名)の誰だかは、探してみてください。読めばわかるでしょう。きっと。
2008年05月08日
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引越しが終わり、続いて息子の小学校生活が始まった。入学式、そして先生、友達、給食、チャイム、時間割、休み時間、宿題・・・学校を取り巻く風景は、自分が小学生だったころと大きく変わっていないことに気づく。だから、一つ一つがとても懐かしい。そして、どれも記憶の彼方というよりは、かなり鮮明な映像として思い出せる。子供頃の6年間は、体感でいえば、今の6年間よりずっとずっと長いはず。ささやかだけれど、ゆったりとした時間の流れのおかげで、記憶はとても奥深く自分に染み付いている。そして、偶然ながら、息子の通う小学校には、私の小学校時代の担任の先生がいた。子供の学校へ行くと、自分の昔の先生がいる。だから、私はいちいち自分の小学生時代を思い出さずにはいられない仕組みになってしまった。そして、その先生は私が接してきた「先生」の中でも、特に印象に残る先生だった。先生としてだけではなく、私の人生の出会いの中でも重要な人物。とにかく、そういう縁があって私と息子の新しい学校生活が始まった。私がその先生と出会ったのは、確か3年生の頃。新卒で赴任してきたその先生は、一年生の担任になった。そして、4月スタートしてすぐに、そのクラスは学校の中で注目の的となった。なんと、学校の定番「起立、礼、着席」という授業の始まりの挨拶の代わりに当時コマーシャルで誰もが知っていた、「ピッカピカの~いちねんせい!ビシッ(ここで気をつけ)」というフレーズを全員で合唱していた。ピカピカの一年生が、そろっていちいちそれを合唱するので、学校中の噂となり、私たち上級生はそれを一目見ようと、一年生の教室の廊下に集まった。そんなこんなで、やたらと元気な新卒の先生だなあ、と子供心に半分羨ましく横目で見ていたのだが、結局私が5年生、6年生と担任を持ってもらうことになった。期待を裏切ることなく、先生はいわゆる「先生」ではなく、ハチャメチャな先生だった。校舎の中にすずめが迷いこんできたら、授業をほっぽり出して、先生先頭にクラス全員で学校中を駆けずり回って、捕獲作戦。授業中の他のクラスの先生が、顔をしかめてこっちを見ていた。雪が降ったら、一日授業無し。阪神タイガースが勝った次の日は宿題無し。でも、叱る時はとっても怖かった。当時流行っていた「熱中時代」の水谷豊に傾倒していたというその先生は子供たちの先頭に立って、いつも学校中を駆け回っていた。まさに、友達のような、お兄さんのような、そしてある意味誰よりも悪ガキな先生は、あっという間にクラスの皆にまみれ、おそらく、最も冷めた子供であった私をもすんなりと巻き込んでひとつのクラスをまとめていった。先生の担任になる前の年、つまり4年生の一年間は私の中で最も、重く苦しい一年だった。何が、どう苦しいのか、今でもはっきり整理できない。「自分」という形がぐるぐると渦を巻いて、それこそ自分ごとどこかへ流されるような恐怖をいつも感じていた。流されてしまわないように、どこかへつかまりたいのだけれど、どこへ手を伸ばしていいのかも、わからない。その、恐怖が、子供なりにとても現実的に見えたり、かと思えば漠然ととてもじゃないけど子供では「知り得ない」ものに思えたり。気がつけば、あらゆる方向に平気で嘘をつく子供になっていた。そして、友達の上靴を隠して、それをカッターナイフで切り付ける、という事件を起こしていた。そういう、「問題児」であっただろう私にも、その先生は真っ直ぐに接してくれた。おそらく、前の担任から、事の一部始終は申し送りされて、それなりに私の事件のことは頭に入っていたに違いない。でも、それを疑いたくなるくらい、なんの傾きもなく私と接してくれた。だから、私はいとも簡単にそのままの「私」に戻れた。そのことも意識しないくらい。そして、気が付けば学校が大好きになっていた。とある日、いつものように登校していた私は、通学路の途中で捨て犬と思われる子犬を見つけた。当時私は大の動物好きで、自分の家でもいろいろな生き物を飼っていたり、近所の野良犬、野良猫に餌をやったりしていた。集団登校だったので、気になりながらもその犬を抱き上げることはできず、後ろ髪ひかれる思いで学校へ着いた。案の定、授業はうわの空。唯一の長い休憩時間20分休憩になって、私は我慢できずに先生に相談してみた。「どうしても、朝見た犬が弱っていたので、気になるから、見に戻ってもいいか」と。当然、一度学校に入ったら、下校まで一歩も外に出ることは禁止されていた。でも、駄目もとでも、我慢できないくらいの気持ちを聞いてほしかった。そうしたら、休憩時間内に戻ってくることを条件に、先生はこっそり「内緒やで」と裏門から私を外に出してくれた。正直、許可されるとは思っていなかった。許可されて、嬉しいと同時に、ホントにいいの?!と戸惑いもした。給食のおばちゃんにみつからないように、背をかがめながら、心臓をバクバクいわせて、私は犬の居た所へ走った。小学生が誰一人いない午前中の街を走る特別な感覚。何より、先生が自分を信用してくれたという喜び。眩しく晴れたその日の景色と一緒に、はっきりくっきりと私に焼きついている。結局、犬は拾われたのか、保健所に送られたのかその場所には居なかった。必死に引き返して、何もなかったように教室に戻る。先生は、時間通り戻ってきて、偉かったねと私の肩をたたいてくれた。今、仮にもし私の息子が同じ事を先生に言ったら、100パーセント無理だろう。30年近くも前のことだがら、学校も社会も今よりはよくも悪くも緩やかだったとは思う。でも、はっきり子供心に「無理を言っている」という自覚があった。先生はどんな気持ちで私を行かせてくれたんだろう。ちゃんと戻ってこれなかったら、いろんな責任を取るつもりだったのだろうか。「人に信用してもらった」。たった12歳のちっぽけな子どもでも、そのことに、大きな責任と喜びを感じられる。そして、それはおぼろげに見えてきた自分という得たいの知れないものへの恐怖を人一倍感じていた私に、どんなに大きな力をくれたことか。息子を送り出す立場になって改めて、子供の頃の自分を取り巻く周りの環境が見えてくる。学校は子供にとって社会への第一歩。どうか、ひとつでも大切な出会いが息子にもありますように。
2008年05月08日
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