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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。先日、先々日と、angeroses主催のワークショップを開催しました。今回は日本中からのみならず、海外からの参加者もいらっしゃって、angerosesも国際的になってきたなぁって、感動的でした。さて、セミナーにおいて、トレーナーと参加者と言えば、よく捉えられがちなのが、教える側と教えられる側、伝える側と伝えられる側、送り手と受け手という風なものがあります。ですが、わたしのメンターの、セミナートレーナーたちがよく話してくれたものに、「立っている場所は違うけれど、自分も同じように学ぶ参加者だ」というものがあります。今回はそのことをこころのそこから、感じることができたワークショップとなりました。大きな変化を受け入れる時というのは、かならずなんらかの居心地の悪さや、恐れ、痛みの感覚等があがってきます。マスターも、勿論これらの感覚を感じます。わたしたちの多くは、これらの痛みの感覚を嫌って、感じないようにしがちです。その結果が、にぶい痛みの継続になります。痛みや恐れがあがってきたら、それを嫌ってないものにしようとするのではなく、「その感覚と一緒にいて、本当に感じてあげる」。こうメンターたちから伝えられ、マスターもそのように実践してきました。(勿論、「そんなこと言ったって、できない~!!!」って経験もたくさんしました)今回のワークショップでは、始まる何日も前から、いろんな恐れや痛みの感情が、マスターにもあがってきていました。また、ワークショップの最中にも、いろんな感情、感覚を体験しました。そう、マスター自身もワークショップを通して、痛みを感じ、受け入れ、学ばせていただくことになりました。今回の感覚を、石かなにかを磨くという作業に例えるなら、目の細かいペーパーでなく、荒いペーパーで、ゴリゴリやられるような感覚でした(笑)。大きな変化を受け入れる段階に来ているようです。そして、ワークショップが終了して、ひじょうに興味深いことが起こりました。マスター、アンジェのメンバー、そして、今回一緒にワークショップをリードしてくれた千草さんと、ワークショップ終了後、ささやかな打ち上げに行ったのですが、みんなの雰囲気がこれまでとまったく違うんです。雰囲気が違うと言うよりも、「場」が違うと言った方が正確かもしれません。ワークショップ前まではなかったような、しっとりした大人の雰囲気、そんなものが、場として現れるようになっていたんです。今回のワークショップは、私たち自身の人生にも大きな変化をもたらしてくれました。ご自分の人生のために、お金も、貴重な時間も、投資された参加者の皆さん。ご自分の人生のために勇気を持って、これまでの日常から飛び出すという選択をされた皆さんと過ごした時間は、わたしたちの人生の、かけがえのない貴重な財産となりました。そして、私たち自身の、立場をとり、受け入れるという選択をした勇気も、かけがえのない財産となりました。人生は本当に変わります。マスターは今も、次のステップへ進むための不安と痛みと一緒にいます。そして、次への成長と拡大のため、明日から5日間、マスター自身もセッションを受けに行ってきます。ですので、5日間ほど、このブログもお休みです。次回、お会いする時には、これまでにないマスターとして、みなさんに触れられることを意図しています。どうぞ、楽しみにしていてください。そして、ご縁をありがとうございます。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、こころから楽しみにしております。いってらっしゃいませ。
August 28, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。明日からいよいよワークショップです。今回のワークショップは宿泊での開催ですので、修学旅行気分も味わえそうで、楽しみにしています。さて、以前にもお伝えしたことがありますが、幸せや豊かさを大きく受け取るようになるには、同時に今まで感じなかった痛みも感じてもいいと受け入れる必要があります。こう書くと、わたしたちは、幸せに豊かになるためには、嫌なことも起こるものなんだなって捉えがちです。ですが、この知恵のポイントは、実はそういうところではありません。どいういうことかというと、これから幸せや豊かさを受け入れるっていう時のわたしたちは、それらを受け取ることをあまりして来なかった代わりに、痛みもあまり感じないようにしていたっていうことなんです。つまり、幸せや豊かさをうけとるキャパが小さかったと同時に、痛みも感じないようにしていたということなんですね。言い換えるなら、アンテナの感度を低くしていたので、どちらの電波もあまり入ってこなかったっていうことなんです。大きく変わる時というのは、思わぬ痛みを伴う感情を味わったりすることがあります。そのため、変化には痛みがつきものなんだって多くの人は捉えがちなのですが、実は痛みを感じる回路が開くということは、同時に豊かさの回路も開いているんですね。そして、変化していない時にも、実は気づいてないだけで、痛みを感じているというのは、先日のメルマガ「カコカワ」でお伝えしたとおりです。「カコカワ」バンクナンバーはこちらマスターも実は、長らく大きな感情の起伏はない、静かな海のような状態が続いていたのですが、大きな変化を受け入れるって決めてから、また痛みを感じる回路のキャパは開いたようです。誰もが変化しないで、そのままでいることはできませんよね。変化を流れに任せるのか、自分で変わると決めるのか、なにを選択するかで、人生に起こる現実は変わるみたい。できることなら、あまり痛くないほうがいいですけどね(笑)。それでは、ワークショップに行って来ます~。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、こころからお待ちしております。いってらっしゃいませ。
August 25, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。前回までは2回に渡って、「ライフワークに出会うには、実は流れがある」というテーマをお伝えしてきました。前回までお伝えしたのは、(1)自分のライフワークと出会う鍵は、 父母が祖父母から引き継いでいるある「テーマ」にあるということ。(2)多くの人は、自分の親と同じような人生か、 真逆の人生を選択してしまっていることに気づけずにいること。(3)自分の本当のライフワークに出会うためには、 自分で自分に「呪縛」を選択していることに気づきく必要があること。これらについて、お伝えしてきました。そして前回は、マスターが父親と真逆の人生を 生きようとしていたことに気がついた体験談をお伝えしました。わたしたちはみな、気がつかない限りは、親と同じような人生か、真逆の人生を知らず知らずのうちに選んでしまいます。これはもう、人生のパターンとして、誰もが一度は経験することのようです。自分が人生において、魂のレベルと呼べるようなところから成し遂げたいこと、ホントのライフワークと呼べるものは、ここではないところに実はあります。というのも、わたしたちのホントのライフワークは、親への反発か、疑問も感じずに流されるところではなく、父母の人生のテーマの中に、重要なヒントが隠されているかららしいんです。このテーマとはどんなもんかというと、実は父母たちが祖父母から引き継いでいるもの、その流れの中に隠されています。以前にもお伝えしたことがありますが、実はライフワークとは親子2代で完成すると言われています。つまり、わたしたちのライフワークとは、親たちが先代から引き継いでいるテーマの中にヒントが隠されているということです。では、そのヒントとはいったいどんなものなのでしょう?前回、前々回とお伝えしてきたのは、わたしたちは気づかない限り、親と同じような人生か、反対の人生を選んでしまうというものでした。実はこの中に、既に重要なヒントが隠されています。もうお気づきになられました?そうなんです。わたしたちのライフワークのヒントは、親たちがホントに生きたかった人生の中にあるということです。わたしたちが気づかない限り、親と同じか、反対の人生を選んでしまように、親たちも、祖父母と同じか、反対の人生を多くは選んでしまっています。あなたの親が、もし自分らしさを表現し、大好きなことをライフワークとしている人生を生きているとは見えなかったなら、親たちが人生を通して成し遂げたかったことに、わたし達のライフワークのヒントはあります。逆にあなたの親が、自分らしさを表現し、大好きなことをライフワークにしている人生を生きていたなら、親がライフワークを通して成し遂げたかった、「本質」の先にそのヒントがあります。ここで大切なのは、親がライフワークを通して、成し遂げようとしていたもの、創り出そうとしていたものの「本質」です。ライフワークを捜し求める多くの人が勘違いしがちなのは、ライフワークに出会えれば、人生が幸せで豊かになると思い込んでいることです。これはたしかにある意味真実なのですが、でも、大切なポイントはずれてしまっています。それってどういうことかというと、ライフワークとは、人生において成し遂げたいこと、創りだしたいものの、表現の手段だということなんです。言い換えれば、ライフワークとは生き方の姿勢と言えるでしょう。人生において、自分は何を創りだしたいのか、どんな生きがいを表現しながら、次の世代にテーマというバトンを渡すのか、どんな役割を喜びとともに生きるのか、そこにライフワークはあります。わたしたちの親がホンとはどんな人生を生きたかったのか、ホントに自分らしく、大好きなことをして人生を生きていたとしたら、どんなことを人生において創りだしたかったのか、「彼らの人生がホントに望んでいたものはなんだろう?」って意識を向けていけば、徐々にその姿は見えてくるでしょう。また、あなたの親がライフワークを生きている人ならば、「ライフワークを通して、創り出したいものの本質はなんだろう?」ってみていけば、あなたの受け取るバトンが徐々に見えてくるでしょう。ライフワークは、人々の中に引き継がれる流れの中にあります。それは、わたしたちの人生が、ただ自分の人生を生きるためというひとつの役割だけでなく、人類という種全体が長い時間をかけて創りだそうとするものを、自分の才能を使って、役割を果たす。そこにわたしたちのライフワークはあるようです。ライフワークには、流れがあります。自分がどんなバトンを受け取って、なにを人生において創りだすのかに意識を向けていってみてください。そうすれば、きっと自分が人生においてなにを創り出したいのかが徐々に見えはじめることでしょう。そして、それを創りだす手段の一つとして、あなただからこその才能をいかす、ライフワークに出会うことでしょう。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、こころからお待ちしております。いってらっしゃいませ。
August 24, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。前回は、自分のライフワークと出会うヒントは、実は自分の生まれ育った環境に流れるテーマにあるということについてお伝えしました。前回お伝えしたのは、(1)自分のライフワークと出会う鍵は、 父母が祖父母から引き継いでいるある「テーマ」にあるということ。(2)多くの人は、自分の親と同じような人生か、 真逆の人生を選択してしまっていることに気づけずにいること。(3)自分の本当のライフワークに出会うためには、 自分で自分に「呪縛」を選択していることに気づきく必要があること。これらについて、お伝えしました。自分は自由な人生を選んでいるつもりでも、気づかない限り親と同じような人生か、親と真逆の人生を選んでしまうというのは、ずっとメンターから伝えられてきた知恵です。 ですが、マスターが人生のどこでそのパターンを生きているのかに気づくには、10年以上の時間がかかってしまいました。マスターは人生のどこで、このパターンを生きていたのか、今回はマスターの体験談をお伝えしたいと思います。マスターはある時期、すごくビジネスに時間とエネルギーを注いでいました。はじめは大好きなことを仕事に選んでいましたので、すごくたのしかったのですが、だんだん仕事の量が増え、気がついたときには大好きだったはずのものが、やらなければならない「義務」になってしまっていました。やがて、楽しさを感じるよりも、義務感に突き動かされて仕事をしている、そんな状態になってしまっていました。今回お伝えしたいのは、そこになにがあったのか?というお話です。まず、いっけんこの話題とは関係ないような、あるきっかけがありました。それはある、少しショッキングな出来事でした。ある時、マスターは、長女が保育園に行っていた時の仲良しだったご家族とキャンプに行きました。普通に飲んで騒いで帰ってきたのですが、そのうちの一家族から後日メールが届いたんです。そのメールには、ちょっとショッキングなことが書いてあったんです。どんな内容だったかというと、キャンプに来られていた別の家族のことが書いてあって、「その家の男の子の行儀の悪さが許容できなくなってきた」、「その家の方のしつけにも疑問が拭えなくなった」と言う理由で、今年を最後に、もうキャンプには来られないというものでした。で、メールには、うちの家族にこんなメールを送って気分を悪くさせて申し訳ないこと、うちの家族には感謝しているというような内容が書かれていました。さて、このメールをもらってから、なんとも言えない不快感を感じ始めました。うちのことを言われているわけではないのだけど、なにか不快感が胸のあたりにたまっているようで、もやもやとしたものが拭えないんです。それまでならそんな感覚は無視していたのですが、(というより、深く感じる回路を閉じていたと思います)「この感覚、なんだろう???」ってみていったんですね。そうしたら、その不快感は、怒りの感覚とかではなくて、「恐怖」を感じていることがみえてきたんです。で、「このコワさ」っていったいなんなんだろう?ってみていくと、「あ!この感覚、初めてじゃない!」っていうのがみえてきました。わたしが感じていた怖さ、それは「自分が大切にしているものを否定されたり、馬鹿にされた時の悔しさとか、悲しみ」の感覚だったんです。マスター自身は、そのご家族のことを、特に大切だとか、そんな感覚は持っていたわけではないと思っていましたので、はじめ、どうしてそんな感情が湧いてくるのかは、わかりませんでした。でも、メールが来た時に、怖さという形であがってきた感覚は、大切にしていた人を否定される悲しみの感覚です。そして、それをみていった時に、「あ!これって、親父のことなんだ!」っていうことがみえはじめてきたんです。マスターの父は、とても成功した人で、多くの人に慕われた人でした。とても自慢の父だったんです。ですが、小学生のある日、クラスメイトたちに「お前の親父、太ってるよな」ってバカにされてしまいました。わたしは言い返せずに、泣いて帰ったのですが、父にも、母にもなぜ泣いているのかは、とても話すことはできませんでした。大切な父を傷つけたくなかったから、母にも、父が侮辱を受けたことを知ったりして、傷ついてほしくなかったから。そうなんです、わたしはメールの一件を通して、父を誇りに思っていたこと、大切に思っていたこと、そして、子供の頃、必死に父をかばおうとしていた時の痛みを、再体験していたみたいなんです。メールをもらった後、必要以上に不快感を感じ、恐怖を感じ、悲しみを感じていたのは、大切な人=父を守れなかった、小さい頃の自分の痛みがあるからだったみたいです。そのときです。それまでは思いもつかなかったものがみえてきました。それはなぜ、自分が仕事を忙しくしだして、義務に入りだしたのか、そこにいったいなにがあったのか?というものでした。父のことを思い出した時に、「あ、自分は父を越えちゃいけないから、仕事をがんばっているんだ」ってみえてきたんです。よくメンターたちから伝えてもらう知恵に「親より幸せになってはいけない」って自分で決めているっていうものがあります。でも、それまでは正直、この意味がピンと来なかったんですね。わたしの父は、「仕事とは辛いものだ」、「仕事は遊びじゃない」っていうのが口癖の人でした。で、わたしは、そんな父に反発して、自分でビジネスを起こそう、大好きなことをして、充実した人生を送ろう!犠牲でない人生を送るんだ!って思っていたんです。でも、その時の自分をみた時に、義務感にやられて仕事をし、時間もエネルギーのほとんどもそれに使っていました。そして、はっきりと感じたんです。「あ、自分は、楽しいことして成功したら親父に申し訳ないから、しんどい道を選んでいるんだ」って。小さい頃、誇りに思っていた父、大切にしてくれた父、そして、大切な父のことを、亡くなって20年経つ今でも、みじめにさせちゃいけないってしてきていたことを、はっきりと感じとった瞬間でした。でも、自分の息子がそんな人生を歩むことを、父は望んだだろうか?自分がやっていることは、父を喜ばすことだったんだろうか?この時にはじめて、マスターは父への尊敬の念、とても大切に思い、深く愛していたことを受け入れることができました。そしてはじめて、親への(無意識の)自動反応ではない人生の選択の機会を得たように思います。たった一通のメールから、自分の人生の選択がこれまでどこあったのかを教えてもらうこととなりました。人は気づかない限り、親と同じような人生か、真逆の人生を自動的に選択してしまいます。ですが、これは誰しもが、必ず一度は選択する道のようです。そのことに気づけるかどうかが、その後の人生を大きく分けることとなりますし、自分のライフワークに出会えるかどうかの大切なヒントもここにあります。大切なヒントはまず、これまで自分はどの人生のパターンを選択してきたかに気づくこと。そしてそこに、ホントはどんな思いが封じ込めてあったのかに、気づいてあげることにあるようです。そして、そこから自分が人生においてホントに成し遂げたいテーマがみえはじめます。わたしたちのライフワークには、流れがあります。その流れに気づき、それを成し遂げていく中にライフワークのヒントがあります。では、そのライフワークの流れとはどんなものでしょう?そして、どのようにして、自分のライフワークに出会っていけばいいのでしょう?この続きは、次回。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、こころからお待ちしております。いってらっしゃいませ。
August 23, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。対面カウンセリングなどで受ける質問の多くに、ライフワークに関するものがあります。現在はかつてないほど、自分の本当にやりたいことはなんなのか?自分のライフワークはなんなのか?ということが、注目を集めるようになっていますよね。マスター自身も、自分のホントにやりたいことはなんなのだろう?大好きなことをライフワークにするって、どうしたらいいんだろう?自分が生涯を通して成し遂げたいことってなんなんだろう?って何年も何年も悩み、探し続けたひとりでした。自分のライフワークをみつけるためには、「ライフワークは特定の職業」という固定概念を外すとか、これまでの価値観にとらわれないなど、いくつかのポイントがありますが、もうひとつ、多くの人が気づかないでいる大切なポイントがあります。それが、「ライフワークには流れがある」というものです。これって、いったいどんなものなのでしょう?実は、自分のライフワークをみつける重要なヒントは、自分の生まれ育った環境あります。生まれ育った家、両親、祖父母、兄弟、学校など、いくつかのポイントがありますが、大切なのは、そこに流れがあるということです。わたしたちの父母は、祖父母から引きついたテーマがあり、わたしたちは父母からひきつぐ大切なテーマがあります。実は、そこにわたしたちのライフワークの重要なカギが隠されています。そして、わたしたちの多くはそのことに気づかずに人生を送りがちです。マスターのメンターたちが、何度も何度も語ってくれたものに、「人は気づかない限り、親とまったく同じか、真逆の人生を送ってしまう」というものがあります。これはどういうものかというと、たとえば、あなたが幼い頃から両親をみてきて、「こんな夫婦はイヤだな」、「自分は親とは違う、もっと夫婦仲のいい、幸せな家庭を創るんだ」って思っていたとします。これはいっけん、環境から学び、自分の自由な選択で決めたかのようにみえますよね。ところが、これは、「親と同じはイヤだ」という思いからスタートしていて、真逆を選んでいるに過ぎないことを、多くの人は気づくことができません。親と同じではないけれど、親の真逆という選択をしてしまった、つまり、自分の自由な選択ではないというがみえてきます。サラリーマンや公務員の親を持つ人が、自分で起業しようとしたり、逆に経営者の親を持つ人が、安定を求めた職業を選んだりする傾向があるのも、実はここにおなじものが流れています。自分のライフワークを本当にみつけるためには、自分が自分の選択で、この「呪縛」を選んでいることに気づく必要があります。では、その後、どうやって自分のライフワークに出会えばいいのでしょう?この続きは、次回。本日は当店にお越しいただき、ほんとうありがとうございます。またのお越しを、こころよりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
August 22, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。先日、インスピレーションが降って来て、「なるほど、そういうことか」と受け取ったことがあります。多くの人がそうであるように、マスターもかつては、「成功したい」とか、「人生に起こる現実を変えたい」と望みながらも、「人生は思い通りにならない」と感じていた一人でした。そんな頃のことを思い出して、「ああ、そういうことか」って気づいたのが、人生が変わり始める時と、変わらないとの「在り方」の違いです。って、なんのことかというと、「変わる」ということは、「変わらない理由」を口にすることをやめるということだったみたいです。変わらない理由って、具体的にどういうものかというと、「誰々が~だから」とか、「まわりが~だから」とか、自分が変わらない(動かない)理由を一切外に求めないということです。「食べるためには~でないと」とか、「今の仕事が~だから」というのも同様です。これは、言葉で言うのは簡単ですが、こと自分のことになると、自分がいつその言葉を(知らない間に)口にしているかは、ほとんどの場合、気が付くことがありません。あまりに責任を外に転嫁していることが日常になりすぎていると、自分がそう口にしているなんて、気づかないことさえ、気づかないレベルになってしまいます。もし、自分の人生に起こる現実を変えたいと望みながらも、普段自分の口にしている言葉が、自分以外の人の話題ならば、「なにを自分はなしているのか」をみてみる必要がありそうです。そこにもし、自分が変わらない理由が、自分以外の人や周りにあるというものならば、「自分が変わりたくない理由」を話していることがみえてきます。そして、自分は変わりたくないから、人を変えたいと考えていることもみえてくるでしょう。また、「あの人、どうもほっとけないんだよな」っていつも思っちゃうようだったり、おせっかい好きだったりしたら、これも自分の人生に向き合わないでいいように、しているのかもしれないってみてみる必要がありそうです。自分の人生がホントに変わるときというのは、変わらない理由を外に求めることを一切やめること。変わることを決断することだと言えます。決断とは、「決めて」、他の道を「断つ」と書きますよね。自分の人生を他人にゆだねるのをやめ、自分の人生をホントに生きるって決めた時、人生は変わり始めるのでしょう。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、こころよりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
August 21, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。前回は、マスターの体験から、人生に起こる現実が本当に変わり始めてからと変わる以前はなにが違っているのかということについて、お伝えしました。マスターも「成功したい」、「人生に起こる現実を変えたい」と願う多くの人が経験するように、「思うように変わらないよぉ」という思いを長く続けていました。ですが、ある時期から大きく変わり始めました。マスターの人生が大きく変わり始めてからと、それ以前とでは、いったいなにが違ったのか?それを見ていくことで、あるとても重要なことがみえてきました。それは「ああ、なるほど、このことが変わったから、現実が変わりだしたんだ」ということと同時に、「それ以前はそんな所に注目していたから変わらなかったんだ!」っていうものでした。そして、それは人生に起こる現実を変えるうえでは、必要不可欠な重要なものだということがみえてきました。人生に起こる現実を変えるうえで、必要不可欠な重要なこととはいったいなんでしょうか?それが実は、ビックリする自分に出会うというものだったんです。これっていったいなんでしょうか?マスターの人生がホントに変わり始めた後と、それ以前で明確に違うこことがなんなのかを見ていった時に、当時は意識していなかった、ある大きな違いがここにありました。それは、人生が変わる以前のマスターは、「人生に起こっている現実」、「目の前の現実」をなんとか変えようとしていました。たとえば、ビジネスがまったくうまくいっていなかったとしたら、ビジネスがうまくいくようにしようと、もがいていたということです。つまり目の前の現実を嫌って、うけいれたくない為に、現実を変えることで安心を得ようとしていたんです。実はこれは、まったくといっていいほど働かないというが後々になって、はっきりと分かるようになりました。なぜなら、がんばって目の前の現実を動かして、一時的にうまくいったようにみえたとしても、それまでの現実を創ってきた根本は変わっていないからです。たとえるなら、風邪や病気にならないためには、健康な体をつくるべきなのに、そこには意識を向けずに、風邪をひくたびに薬を飲んでいるようなもと言えます。マスターが人生に起こる現実に違いを創りたいと願いながらも、変わらない人生を継続していた頃、自分が目の前のことしか見えていないとは、見当もつきませんでした。当時のマスターは目の前の現実をなんとかすることで、安心が得られると思い込んでいるなんて、知らないことさえ知らないことでした。では、人生がホントに動き出してからは、なにが違ったのでしょう?それが実は、「ビックリする自分に出会う」というものだったんです。それはつまり、「自分にはどんな現実を創りだすOSを自分の中に書き込んでいるんだろう?」っていうことをみていくということをはじめたということです。目の前の現実を変えるためにあがくのではなく、自分にはどんな現実を創るOSを書き込んでいるのか、そこに注目をはらうように、いつのまにか変わっていたんです。ビジネスがうまくいっていないから、現実を変えたい。その為に、自分を変えようとする時、なにが起こっているかというと、「現実が変わらないと困る」自分がいる状態です。これは結果に執着して、それを手放せない状態と言えます。そして、その執着は、これまでと同じ現実を創り続けます。これをきくとわたしたちは、「執着を手放さなくてはいけないんだな」ってとらえがちですが、「手放さなくてはならない」って捉えている時点で、既に執着のスパイラルに落ち込んでしまっていますよね。「ビックリする自分に出会う」ということは、「自分の中にこんなものがあったなんて、まったく知らなかった!」って謎解きを楽しむというものです。つまり、現実を変えるために、自分を変えるのではなく、自分が変わることにフォーカスをすることと言えます。目の前の現実を創り出しているのは、自分の内面です。そして、その現実は自分のうけいれたくないものと信じ込んでいるとしたら、そこには自分では思いもつかなかったような根っこがあります。それまではとうてい思いつかないことなのですが、根本を掘り下げていくと、たとえ目の前の現実が嫌だ!って自分では思い込んでいたとしても、実はその現実は自分にとって都合のいい、望みどおりのものであることが見えてきます。みるべきポイントは、ひとつです。望みどおりでない(と思い込んでいる)現実が目の前にあるなら、自分はこの現実を創ることで、実はどんな望みを叶えているのだろう?というものです。目の前の現実が嫌だから、現実を変えたい!って思った瞬間から、実は自分自身を煙に巻いてしまいます。人生に起こる現実が変わるのは、自分が変わったという結果に過ぎません。フォーカスすべきポイントは、自分が学び、自分を磨き、成長するということ。現実に違いが起こるのは、その結果に過ぎないということを意識しだすと、現実は動き始めるようです。そして、この謎解きは、自分自身の重要な人生の課題のようです。人に教えてもらったものは、あまり身につくことはないけれど、「ああ!これってこういうものだったんだ!」って自分で発見した気づきは、一生モノの宝物になります。かつてメンターに、「気づきで得た知恵は、永久に消えることはない」と伝えられましたが、今はこころからの実感があります。どうぞ、謎解きを楽しんでくださいネ。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、こころからお待ちしております。いってらっしゃいませ。
August 18, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。先日、子供たちを連れて琵琶湖に泳ぎに行ってきました。マスターは早朝に自転車で出かけて、後から車で来る家族と現地で合流というパターンです。ですが、自転車のマスターの方がずっと早く到着してしまいましたので、その辺をぶらぶらと時間をつぶすことに(笑)。気がつくくと、自転車のメーターは96キロを表示しておりました。さてさて、話題変わって、本日のテーマです。「成功したい」、「人生に起こる現実を変えたい」って願う多くの人が経験するように、マスターも「なかなか思い通りにならないよぉ」という状態が長い期間ありました。今から思えば、「うまくいかない」って悩んでいた頃の経験は、とても貴重ないい経験だったなって思えるのですが、その当時は、「いい加減この状態を脱出したい!!」っていう気持ちでいっぱいでした(笑)。さて、マスターはある時期から、人生に起こる現実が大きく変わりはじめました。それも、ひじょうに速いペースで。じゃあ、「変わらないよぉ」って悩んでいた頃と、大きく変わり始めた頃とでは、なにが違ったのかな?っていうことをみてみたんですね。すると、「ああ、なるほど、このことが変わったから、現実が変わりだしたんだ」ということと同時に、「それ以前はそんな所に注目していたから変わらなかったんだ!」っていうことがみえてきたんですね。つまり、現実が変わりだした理由と、それまでの現実が変わらなかった理由の両面がみえてきたんです。そして、それは人生に起こる現実を変えるうえでは、本当に重要なことだったんだっていうのも、みえてきたんですね。人生が変わる時というのは、実はちょっとづつではなく、大きく動きます。はじめのうちは、ピンと来なかったりもするのですが、いざ動き始めると、「おお!動いてる!動いてる!」って、はっきりと実感するようになります。わたしたちは、人生の現実を変えようと思うときも、「チリも積もれば、山となる」が変えてくれるだろうと期待しがちです。ですが、人生の流れを変える時というのは、線路のレールが変わるように、なんらかの大きなきっかけが必要になります。つまり、これまでと同じことを継続していると、結果も同じようなものになるということですよね。わたしたちは、同じことを継続していると、同じ結果が出ると聞くと、「そんなのアタリマエじゃん」ってとらえがちです。そして、同じような結果が出る人生を継続しがちです。ということは、アタマではなにかを変える必要があると思っているけど、現実には変わっていないということですよね。では、どうして変えることができないかということになりますが、それはほとんど場合「なにを変えたらいいのか」をよくわかっていないことにあるようです。人生に起こる現実を変える為には、必ず何かを変える必要があります。いろんなことを試してみても、ずっと現実が変わっていないとしたら、変えるべきものは変わらず、ピントのずれたものを変えてきたと言えるようです。じゃあ、人生に起こる現実が変わる時とは、いったいなにが変わる必要があるのでしょう?ヒントは、タイトルの「ビックリしちゃう自分に出会う」というところにあります。人生に起こる現実を変える為には、なにを変える必要があるのか、ぜひ探求にチャレンジしてみてください。この続きは、次回に。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、こころからお待ちしております。いってらっしゃいませ。
August 17, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。ビジネスをはじめる時でも、人生に新しい変化を作り出そうとする時も、セミナーに参加するときでもあっても、結果を決定付けるとても大切な物があります。マスターはかつて、このことが分からないまま突っ走って、何度何度も失敗と感じる出来事や挫折を繰り返し、一喜一憂の継続の人生を送っていました。この大切な知恵を分かっていない頃のマスターは、「人生は思い通りにならない」、「人生を変えることは凄く難しい」、「まるで練習なしで綱渡りをするようだ」と感じていました。それが、この大切なはじめの知恵を、分かっていないことから来ていたと理解するのには、10数年以上かかりました。メンターたちは、はじめからその知恵の大切さについては、ちゃんと伝えてくれていたのですが、当時のマスターの耳には聞こえてはいませんでした(笑)。人生を本当に変えるときに必ず必要になる大切な知恵、それは、「一番はじめの意図」と呼ばれるものです。はじめの意図とはどんなものかというと、なにかをはじめる時に「なんのためにそれをするのか」ということを、明確にし、自分の中でしっかりと根付いているということです。たとえば、ビジネスをはじめるとしたら、「自分は、ビジネスを通して『これ』を実現していく」、「表現していく」、「創りだして行く」等を自分の中で明確にしておくというものです。この最初の意図がずれていると、どんどんおかしな方向に行ってしまって、気が付いた時には、「なんでこうなるんだろう?」というところに行き着いてしまいます。はじめの意図がずれているとはどういうことかというと、たとえば、意図を明確にしていないことで、自分では気が付かない、無意識に隠れた意図が働いてしまうということです。たとえば、「ビジネスで成功する」、「○○千万円稼ぐ!」って、目標をたてたとして、そこに自分が動機付けられる明確な意図がないと、実は「無価値感を補完するため」、「人によくみせるためにビジネスをしていた」なんてことになってしまいます。その結果、ビジネスで成功することはあるかもしれませんが、「どこか喉の渇きの癒せない」、「どこか満足のない」人生をずっと継続させていってしまうことになります。また、「彼氏がほしい」、「彼女がほしい」、「結婚したい」と思いながらも、それが実現しない人生を継続させてきたとしたら、「いい相手がいない」のではなく、その状況を実現する「意図」が働いていると言えます。すべての物事には必ず例外なく、意図が働いています。現在の人生が喜びと満足に溢れる人生なら、そこに意図が働いています。逆に不満足な人生だったとしても、そこには意図が働いています。幸せな成功者達が、自分らしく幸せな人生を送るのは、彼らが意図の大切さを深く理解し、自分を幸せに導く意図を選択しているからと言えます。もし、今の人生が、まだどこか望んでいるものからずれているように感じているなら、どんな「意図」を持ってきたのかをみてみる必要があるでしょう。あなたを自分自分らしく、幸せに導く意図を選択してあげてくださいね。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを。こころからお待ちしております。いってらっしゃいませ。PS マスターは15、16日と、家族でキャンプに行ってきます。 ですので、15、16日はブログもお休みです。 また、17日にお会いしましょう。
August 14, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。今月末の29日に東京方面に出かけるのですが、ひさしぶりに対面カウンセリングを行おうかとも考えています。時間など詳細は、まだ決まっていませんが、ご希望の方は早めにご連絡いただけると幸いです。さて、対面カウンセリングやセミナーの時によく質問をいただくものに、幸せと豊かさを受け取る人生に変わっていくためには、なにに重点をおくべきなのでしょう?というのが多くあります。その際、「本当の自分の声は何を言っているのか?に耳を傾けることでしょうか」とお答えするようにしています。人はビックリするくらい、本当の自分の声に耳を傾けません。実は意識で「こうだ」と思っていることと、無意識の中に隠れているホントの自分が思っていることは、まったく別物だったりします。なぜなら、多くの人にとっては、今の人生は100%望んでいるものではないと、ほとんどの方が答えるからです。意識上で思っていることで、「こうだ」って思っていることと、ホントの自分が思っていることが同じだとしたら、現実に起こっていることも、意識で思っていること通りのことが起こります。でも、ホントの自分が思っていることが、わたしたちが自分だと思いこんでいる自分と違うものだとしたら、意識上で信じていることと違う現実が起こってきます。意識上の声にだけ耳を傾けることは、ホントの自分が伝えようとしていることに耳をふさぐことと同じになります。ホントの自分を無視したまま、人生の現実を変えることはできないようです。たとえば、今回お伝えしているテーマに関しても、「なるほど、きっとこういうことだな」って思った時、ホントの自分は何をささやいているのか?「わからない~」と思ったとき、ホントの自分は何をささやいているのか?意識で思っていることと、ホント自分が話していることは、違うかもしれないということに意識を向けてみると、自分の人生がなぜ、今このような現実なのかがみえはじめます。ホントの自分がなにを話しているのか、耳を傾けることに意識を向けてみてください。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、こころよりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
August 11, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。いやぁ~、ホントに暑いですね!そして、強烈な日差しです!昨日も日課のサイクリングに出かけたのですが、真黒にやけて帰ってきたら、家族に「人種が分からないくらいやけてるよ!」って言われて、大笑いしてしまいました。ちょっと陽射しが強すぎるので、昼間のサイクリングは少し控えた方がいいかも。今は月夜がキレイなので、お月見サイクリングがいいかもしれませんね。さて、昨日、遠方の友人が京都に遊びに来ていたので、久しぶりに会って話をしました。そこでひじょうに興味深い話題が出ましたので、今回はそのことをお伝えしようと思います。友人は昔からバイク好きで、最近も大型のバイクを購入して、ツーリングによく出かけるそうです。ところで、ツーリング仲間はミクシィで知り合った人たちと行くそうなのですが、そこは経営者がけっこう多いそうなんですね。で、彼の口からひじょうに興味深い言葉が出たんです。その経営者たちの中には、高価な時計を見せびらかしたり、どんなものを持っているかを自慢する人が多いとのこと。そこで、彼から出た言葉が、「経営者って、あんな人が多いものなの?」っていうもの。この言葉にマスターはすごく興味を持ったんですね。マスターが彼に答えたのは、「僕も経営者とは多く付き合いがあるけれど、そんなタイプの人は最近出会ったことがないなぁ」すると彼がきいてきたのは、「そういう人たちって、どこに行けば出会えるものなの?」ってものだったんですね。この時、マスターは「ああ、そうか」って、あることに気がついたんですね。これまでも、幸せな成功者たちは、幸せに人生を生きている人たちとつながっていて、競争の世界に生きている人たちは、同じような人たちとつながっているとお伝えしてきました。そして、それぞれの世界はそれぞれの世界でつながっていて、違う世界(コミュニティ)の人たちは、自分たちの世界がアタリマエで、他の世界があるということに気づくことは、ほとんどないとお伝えしてきました。つまり、それぞれの世界に接点がないということですよね。多くの人たちは、本などを読むことで、幸せな成功者たちが、友情や周りの人たちが幸せになることを、とても大切にしているということを知ることはできます。でも、まわりにいない場合は、そのリアルさは実感としては、伝わってこないですよね。「そうそう、こんな感じなんだよね!」とは、なかなか伝わらず、「ああ、そうなんだぁ」って感じです。ましてや、自分が競争の世界に生きていることに気づいていない人には、幸せな成功者たちの生き方に触れることもなければ、触れたとしても、「なんと、キレイごとを!」としかみえないでしょう。わたしはまだ、お会いしたことはありませんが、マスターの友人の中には、アラブの大富豪と友人の人もいたりします。(マスターもこれにはちょっとビックリ(笑))ですが、多くの人が普通と捉えているコミュニティでは、そんな人物と知り合う機会は、まずないですよね。マスターは昨日、友人の話を聞いた時、幸せな成功者たちと、多くの「自分は普通と捉えている」人とでは、通常はまったくといっていいくらい接点がないんだってことをあらためて感じることとなりました。マスターのまわりには今、おかげさまで、持ち物を自慢したり、自分をよくみせることにエネルギーを注いでいる人たちは、ほとんどいないようになってきたみたいです。ですが、以前は自分の無価値感を持ち物や実績で補完して、せいいっぱい背伸びをして生きていることに、まったく気づかない自分がいました。今は素晴らしい友人たちに出会えるようになったことに、こころからの喜びと感謝があります。もしかすると、この感謝の気持ちを持てるように変われたことが、それにふさわしい現実に導いてくれたのかもしれません。現実を変えるのは、何かをすることではなくて、現実を創っている自分に気づき、自分が変わること。そのことにあらためて気づかせてくれる、貴重な体験でした。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、こころよりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
August 10, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。昨日はファッションスタイリストの友人、コウタロウくんが京都に来ているということだったので、2人でお好み焼やさんに行って来ました。彼と話していて話題に出たのが、自分の周りの現実を変えるヒミツの言葉の話です。生きていると、普段の生活でもビジネスのうえでも、いろんな人たちと関わりを持つことになりますよね。また、いろんな出来事も起きてきます。そんな中で、もっとこうなったらいいのになぁとか、どうしてここはもっとこうならないんだろう?とか、いろんな思いがあがってきますよね。なんでこうなんだろう?という思いです。たとえば、身のまわりで、普段は気兼ねなく付きあえんるんだけど、場面によっては気難しい部分があって、たまに気を使う人がいたとします。そういう人の前では、わたしたちは100%のリラックスができなくて、気を損ねないようにしようとか、上手に付き合おうという、どこか窮屈さを味わったりします。そんな時わたしたちは、この人のこういうところ、もっとこうだったらいいのにな、なんて考えたりしますよね。そして、たいていの場合は、この人のこういうところは、こういう個性なんだからこれでいいじゃないって言いながら、こころのどこかで気を使う自分がいることは知っていたりします。もしくは、その人にストレートな方法だったり遠回りな方法だったりを使って、相手を変えようとしたりします。それらが、わたしたちの社会の、人付き合いのパターンだったりしますよね。そんな時に現実にインパクトを与える、新しい現実を創りだす唯一の方法、ヒミツの言葉があります。この言葉は、これまでも多くの幸せな成功者たちから聞かされてきた言葉で、目新しいものではありません。ですが、今ではマスターにとってのもっとも効果のある「魔法の言葉」になっています。それが、「この現実を創り出しているのは、自分だとしたらなにが可能か?」というものです。わたしたちは、ものごとが望みどおりに前進していない時、自分以外のものにその理由を求めます。そして、あまりに日常的になりすぎて、外に理由を作って、現実が変わらないままにしていることに気づかないことさえ、気づかずにいがちです。「この現実を創っているのが自分だとしたら、なにが可能か?」この言葉は、そんな現実を動かしはじめる可能性を見出す、それまでになかったインスピレーションを導かせる、魔法の言葉です。理由を外に求めていた時にはみえることができなかったような、コロンブスの卵的な発想を導き出すことが可能な、ヒミツの言葉です。「この現実を創りだしているのは自分だとしたら?」は、勿論、「自分のせい」なんてみるための道具ではありませんよね。自分以外のなにかのせいではなく、勿論自分のせいでもない。「自分がこの現実を創っているとしたら、なにが可能なのか?」この言葉のチカラに目覚めた時、これまでとはまったく違う人生への扉が開きはじめます。よかったらぜひ、この言葉をこころに留めておいてみてください。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、こころよりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
August 9, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。マスターは昨日から本格的なダイエット週間に入りました(笑)!マスターに会ったことのある方は、どこにダイエットの必要があるの?って思われるかもしれませんが、おなか周りにちょっと問題が....。そう、わたし、脱いだらむごいんです(笑)。運動は自転車でかなりの量をこなしているのに、以前のようにうまく落ちないしかも、おなかだけ......。歳のせいだと言われそうですが、納得はしません(笑)!そこで、以前となにが違うのか、みてみました。以前よくおちていた頃と、最近で違うのは大きく2点。ひとつは、ビールの量が圧倒的に多いこと。もうひとつは、水の摂取量が少ないこと。というわけで今週は運動メニューを無理のない程度に増やしつつ、水分摂取とアルコールを抜く日を設定しています。さて、結果はどう出るか?来週、一時結果を報告しますね(笑)。さて、本日のテーマで。最近、マスターはあるとても重要なことに気がつきました。それは、評価が成果をディスカウントするということです。これってどういうものでしょう?たとえば、友人がわたしたちに「この本、素晴らしいよ、ぜひ読んでみて」とすすめてくれたとします。今まで何冊か、素晴らしい本に出会わせてくれた友人のすすめに、わたしたちは期待して本を受け取ります。数日後、本を読み終えたわたしたちに友人はききます。「どうだった?」って。そして、わたしたちはこう答えたりします。「うん、よかった。」「でも、ここがこうだったらもっとよかったのにな」、「ここがイマイチで残念だったな」って。わたしたちが特に気にすることなく口にしがちな言葉ですよね。マスターも本に限らず、映画なんかでもよく口にしてきたりしました。ですが、ここでわたしたちは知らないうちに、重大な選択をしてきてしまったことに気がついて、ビックリしてしまいした。わたしたちが気づかないうちにしてきてしまった、重大な選択ってなんでしょう???すぐに見えてきそうなものは、せっかく本をすすめてくれた友人が、「ここがイマイチ」という言葉をきいて、がっかりしそうなことですよね。勿論、この部分も大切ではありますが、今回お伝えしたいのは、もっと深い領域のことになります。それが、評価が成果をディスカウントするということなんです。わたしたちはそれが本でも映画でも、「ここはよかったけれど、ここは...」って評価をしてしまったりします。では、評価はなぜしたくなるのでしょう???ここに評価が成果をディスカウントする重要なカギがあります。勿論、すべての作品を、なんの疑いもなく妄信しちゃいましょうってことではないですよ(笑)。ですが、すべての作品には、著者の意図が働いています。もしかすると、「今の自分にはキャッチできない」、「今の自分ではわからない」、将来わたしたちを大きく成長させてくれたり、助けてくれる知恵がそこに記されているかもしれません。良書の中、素晴らしい映画の中には、将来のわたしたちを導いてくれる貴重なメッセージがその時が来たらひらく圧縮ファイルとして含まれていたりします。良書や素晴らしい映画の中には、わたしたちの将来を信頼し、「今は分からなくても大丈夫」という意図が込められているものが実はたくさんあります。ですが、わたしたちは、評価をすることで、そんなメッセージもディスカウントして受け入れないようにしていることに気づきません。評価はどこから来るかというと、自分が理解できない時、自分の価値観に合致しない時に起こります。つまり、うけいれたくない時に起こると言えます。実は本や作品など、他人の考えを評価する時、わたしたちは、自分の価値観に執着して、傲慢になっているのかもしれません。「評価は、自分の人生に起こる成果をディスカウントする。」自分の価値観の執着が、大きな成果を避けてきたことに気がついた時、マスターは本当にビックリしてしまいました。そして、その日から使う言葉を変え始めました。人生に自分をも驚かすほどの素晴らしい成果を創りだすか、無難で平凡な成果を創りだすかは、わたしたちが普段なにを(ほとんど考えることもなく)選択しているかにかかっているようです。わたしたちには2つの選択が可能です。気づき、成果を受け取り、それを言葉にするか。自分の執着を言葉にするか。普段何を選択しているのか、みてみるといいかもしれません。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、こころからお待ちしております。いってらっしゃいませ。
August 8, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。先日、自転車で走りに行こうと、サイクリングロードに向かう途中で、興味深い光景に出会いました。歩道と自転車道が併走する道をマスターは走っていたのですが、その横の自動車道はけっこうな渋滞状態です。そこにあきらかにイライラしているのが感じられる大型トラックが一台。ちょっと動くたびに、「もっと早よ行け!」と言わんばかりに前の車をあおっています。で、マスターはそれをみて、「そんなことしてると、もっとイライラすることが起こっちゃうのになぁ」って思ったんですね。すると、次の瞬間、まるでマスターの思考を現実化するようなできごとが。急いで先に行こうとするトラックの前に、横道から右折するトラックがわり込んで来たんです。さぁ、たいへん、トラックの運転手は烈火のごとく怒って、窓をあけて相手のトラックに怒鳴り散らしています。相手のトラックの運転手は、窓を開けて謝っていますが、つのっていたイライラが爆発したかのごとく、怒鳴り散らし続けています。小さな交差点ではじまったこの路上のトラブルが発端となって、他の車も動けなくなって、イライラの波紋はどんどん広まっていきます。この場面をみた時点で、マスターの進む道は右に折れて、そこから先はみることはありませんでした。さて、こんな場面に出くわすと、わたしたちがよく思うのは、「ひとりでイライラするから、そんな目に遭うんだ」とか、「いい気味だ」とか、「みっともない、ばかじゃないの」ってものになりそうですよね(笑)。マスターもこの場面に出会った時は、「せっかく気持ちよく走りに行こうと思っているのに、不快なシーンをみせるなよな」って思いました。でも、自分が目の前の現実を創りだしているとしたら、これはいったいどんなメッセージなんだろう?って、みてみることにしたんですね。だって、ただ不快な場面に出くわして、気分が悪くなっただけじゃ、どうも面白くないでしょ(笑)?貴重な人生の時間を返せって言いたくなっちゃいますもんね(笑)。さて、マスターは、あのできごとにはどんなメッセージがあるんだろう?自分があの現実を創りだしたとしたら、なにがあるんだろう?ってみてみました。そこでひとつ見えてきたのは、あのトラックの運転手は、望みどおりの現実を創ったんだなということでした。どういうことかというと、トラックの運転手は、「まわりが自分をイライラさせやがる」、「これ以上、俺をイライラさせるな」って考えています。ですが、運転手の(自分ではよく分かっていませんが)ホントの意図が何処あったかというと、「俺をイライラさせやがって!今度なんかあったらキレてやるからな!」ってところにあったと言えます。この感覚、わたしたちにもどこか覚えのあるものですよね。さて、彼は自分でも気づかないうちに、「キレさせてくれる相手」を探し始めます。なぜなら、前を走っている車にもイライラしているけれど、キレて怒鳴り散らさせてくれるほどの、具体的な行為は行っていないからです。となると、「キレたい」という隠れた願望を持っていた彼は、自分がキレることを正当化できる相手を探す必要があります。この結果、彼の無意識は「キレる」という行動を正当化できる相手を探しはじめ、そのチャンスをうかがいます。彼の無意識がフォーカスしたのは、キレさせてくれる相手だったというわけです。では、彼はどうしてキレたかったのでしょう?ここにわたしたちがよく陥ってしまう、あるパターンがあります。まず、人が自分でいられなくなる時、次の3つが働いていると言われています。ひとつは、「欲求が満たされないとき」、「思いが伝わらず、コミュケーションができないとき」、そして、「意図がくじかれたとき」です。彼はおそらく、時間通りに目的地に着きたいとか、自分のペースで気持ちよく走りたいなどの欲求や意図があったと考えられます。ところが、想定していなかった渋滞は、彼のそんな意図をくじいて、欲求も満たされません。そして、彼のくじかれた意図や満たされなかった欲求のことを誰かに分かってもらいたくても、彼しかいない車の中では、それも叶いません。ひとつの条件があるだけでも、人は自分でいられなくなるのに、見事に三つの条件が重なることで、彼は自分を正当化したくなります。彼は何を正当化したかったのでしょう?彼が正当化し、証明したかったもの。それは、「自分は悪くない」というものです。わたしたちの無意識の中には、自分が悪くないということ証明し、正当化したいという欲求が隠れています。そして、彼の無意識の中にも、自分は悪くないという、人生の責任を自分以外のものに、添加したいという欲求が常にあったのでしょう。その結果は、(自分では気づかないうちに)渋滞路を選ぶという行動にもつながってしまいます。彼はおそらく「渋滞にはまってしまった!とんでもない目に遭った!」って思っているでしょうが、それは無意識の彼の欲求が引き起こした行動の結果と言えます。きっと冷静な時だったら、どこかでわざわざ渋滞の道を選びたがっている自分に気づくことができるでしょ。わたしたちは無意識のどこかで、自己を正当化したいという欲求を持っています。普段そんな自分がいることに気づくことなく、わざわざ不快に感じられる状況を創る行動をしがちです。そしてそれは、無意識に隠れた、癒されていない体験に基づいています。彼も分かって欲しい痛みを、無意識の中に持っているのでしょう。ですが、誰もそんな表現では同意も共感もしてくれることはありません。痛みは誰もが持っているからです。小さな交差点で起こったトラブルは、マスターの中にもそんな自分がいることをみせてくれる貴重な機会になりました。その運転手に「ありがとう」と言うほど人間はできていませんが(笑)、貴重なメッセージをうけとることはできたように思います。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、こころからお待ちしております。いってらっしゃいませ。
August 7, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。少し前にもお伝えしたことのあるテーマですが、より大きな幸せや豊かさを受け入れるということは、痛みも受け入れることを許可することにもつながります。わたしたちの多くは、「痛みをできる限り感じないかわりに、幸せもあまりいりません」という人生を生きていることに、気づいていないことさえ、気づいていなかったりします。このように書くと、多くの人は、幸せな人生を手にするためにはつらいことや苦労もいとわない覚悟が必要なんだなってとらえがちです。ですが、これはある意味真実ともいえますが、お伝えしたいポイントからはずれています。豊かさや幸せをうけいれるということは、それらを受け入れるアンテナの感度をあげることにたとえられます。豊かさを受け入れる感度が高くなっていくということは、これまでだったらみえなかった世の中の仕組み、気づかなかったものに気づきはじめることになります。そこに幸せや豊かさを受け入れる大切なヒントが隠されています。わたしたちが人生で幸せや豊かさを充分に受け取っていない時、痛みを感じないように、これまで気づかなかったものに気づかないように、アンテナの感度を鈍くしてきました。そして、アンテナの感度が鈍くなったことで、幸せや豊かさへつながる大切なヒントにも気づきにくくなっていたようです。わたしたちは、幸せにも、豊かにもなることが可能です。ただ、なにに気づき、どんな選択をするのかにかかっているのでしょう。どうぞ、自由な選択をされてくださいね。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、こころからお待ちしております。いってらっしゃいませ。
August 5, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。昨日は久しぶりに家族と一緒に海に行ってきました。20代の頃は、よく日本海に泳ぎに行っていたのですが、今回は15年ぶりくらいに行きました。いやぁ~、時間かかりました(笑)。20代の頃は、夜中のうちに向こうに行って、そのまま遊んで帰っていたのですが、昼間の移動は時間がかかります。当時は、夜中のうちに数台のクルマで移動したのですが、ほとんど誰も通っていない夜中の峠道を2時間程度走ると、目的の海に行けたものです。夜中の峠道を、ちょっとだけ(笑)やんちゃな頃のマスターがGT-Rで走るのと、お昼間に四駆で走るのとでは、倍の時間がかかってしまいました。現地に着いたのが、午後をかなり回ってしまっていたので、やっぱり、海に行く時は、前日の夜からがいいなぁと思いました。もっと、のんびりしたかったなぁと思ったマスターでした。さてさて、最近、ふと浮かび上がった言葉があります。それは、「なにを待っているのか?」というものです。マスターはショットバーのカウンター越しに、数多くの人たちと出会とことで、幸せに成功していく人たちと、そうじゃない人たちの両方に触れる機会を得ました。そこにどんな違いがあるのかをみていった時、ある興味深いことに気がつきました。それは、幸せに成功していく人でも、たとえはじめは遠回りをする人でも、人生に起こる現実を変えていく人と、変わらない現実を創り続ける人の2つの種類の人たちがいたということです。そして、そこからみえてきたのは、変わらない現実を創り続ける人は、「なにかを待っているらしい」ということでした。わたしたちが人生において、変わらない現実を創り続ける時、「なにを待って」いるのでしょう?そして、「もう動き始めている」ってみている自分も、実はなにかを待っていることを受け入れないようにしていたりします。よかったら、「そういえば、自分は何を待ってきたのだろう?」って、みてみてください。そこには、ありふれた言葉ではない、意外なものが隠されているかもしれません。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、こころからお待ちしております。いってらっしゃいませ。
August 4, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。かつてメンターから伝え学んだ知恵に、「豊かさは川の流れのようなもの」というものがあったのですが、最近になって、本当にホントだなぁって感じるようになって来ました。わたしは当時、当時のビジネスの上司と一緒に、この知恵を伝えられました。その上司はひじょうにマイペースで、遊びながらビジネスをしているという感じで、もう半セミリタイヤしているような人物でした。当時のマスターは彼をみていて、「いいなぁ~、自分のペースで、自分の生きたいように生きて、優雅で楽しそうだなぁ~」、「自分もこんなふうになりたいなぁ~」って思っていたんですね。そして、まわりの多くの人からも、彼は同じようにみられていました。ところが、そんな彼にメンターはこう言ったんです。「あなたは、もっともっと大きな豊かさをうけとれますよね」って。それをきいてマスターは、「ふんふん、確かに」、「もっともっと、豊かになってもいい感じするのに、確かに『これで充分満足~』っていうふうにもみえるよなぁ~」とは感じました。そして、メンターは、思いもかけない知恵を続けたんです。「Sさん、あなたがより大きな豊かさを受け取ることを許可しないから、うしろの人たちが、つかえちゃっているんですよ」って。この言葉は、上司のSさんには、とても衝撃だったようです。そして、マスターにもとても衝撃的でした。「豊かさをうけとらないということは、まわりの豊かさもせき止めちゃうの???」この知恵の言葉は、衝撃的でしたが、でも、当時のマスターにはなんとなくしか伝わってこないものでした。ただ、とても大切な知恵なんだなっていうことは、すごく伝わってきたように思います。そして今、マスターはこの知恵が、ホントにホントだなぁ~って、すごく実感をしています。器が拡大する時、より大きな豊かさを受け入れるためには、せき止めていた川の流れを、きれいに流してあげる必要が出てきます。分かち合いという言葉が知識だけで、ピンときていなかった頃は、今持っている目の前のわずかな(配ったらなくなっちゃうような)パンをちぎって配ることが、豊かさのためにやらなければいけないことだと思っていました。ですが、豊かさは、川の流れを上手に流してあげて、よどみのないきれいな水をまわりの水車に流してあげることに似ているみたいです。そして、水車をまわして、電気をつくったり、穀物を加工したりした水は、またきれいに流れていきます。勿論、せき止めることが悪いことでも、流すことが良いことで、やらなければいけないことでもありませんよね。でも、きれいに流れる川の流れは、風通しのいい部屋で、風の心地よさという豊かさを感じるような、そんな感覚を感じはじめています。あなたの豊かさの水門を開きはじめてみてあげると、きれいな水の流れの心地よさに気づくかもしれませんね。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、こころからお待ちしております。いってらっしゃいませ。
August 2, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。前回まで2回に渡って、幸せに成功している人たちが必ずと言っていいほど口にする、「自分が変われば、現実が変わる」、「まわりが変わる」って、どういうものなのだろう?ということについて、お伝えしてきました。前回までは、言ってもなおらなかった遅刻の常習者が、ホントに「変わる!」と決心した時を例にとってお伝えしました。前回までお伝えしたのは、(1)言っても直らなかった遅刻の常習者が、 「ホントに変わる!」って確信のある決心をしても、 上司や周りの人たちは、それを知らないこと。(2)遅刻の常習者だった彼が、いくら「これからは違う」と 決意を話したとしても、上司やまわりの同僚は、 「でも、また遅刻するんじゃないの?」ってみてしまうこと。(3)「もう遅刻はしない」ということを証明するための一般的な唯一の方法では、 遅刻せずに出社する姿をみせ続けるくらいなこと。(4)だけど、その方法では彼が変わったことを証明するためには、 ひじょうに時間がかかってしまうこと。(5)幸せな成功者たちは自分が変わった瞬間に、現実が変わることを 知っているということ。(6)ということは、この彼も瞬間的に現実を変えることは、 不可能ではないということ。(7)彼が今まで周りの人にとって、「オオカミ少年」だったということにカギがあること。これらについて、お伝えしてきました。オオカミ少年とはつまり、今まで遅刻の常習犯を繰り返してきたという彼の「実績」が、「これからも変わらないだろう」という認識をつくってしまっているということですよね。一般的な考えとしては、彼は「遅刻の常習犯」という実績を積み上げてしまったのだから、それをくつがえすためには、それに見合うだけの時間がかかるのは仕方がないだろうということになりますよね。ですが、これでは「自分が変わったら、その瞬間から現実が変わる」という幸せな成功者たちの言葉は、このケースには生かすことはできないということになります。でも、幸せな成功者たちは、自分が変われば、その瞬間から現実が変わると伝えてくれます。では、どうすれば、この動かしがたい現実を動かすことが可能なのでしょうか?実はマスターは15年位前、あることがきっかけで、それまでなら不可能としかうつらなかった状況を、一瞬にして変えてしまうという体験をしました。今回は、マスターが実践しながら、自分でビックリしてしまった、この体験についてお伝えしますね。今だからお話できることなのですが、マスターは15年位前までクルマやバイクで、かなりやんちゃな運転をしているタイプだったんですね。(今は運転もしなくなりましたが)で、しょっちゅうあぶないことをしては、警察に怒られたり、クルマを山道でぶつけてきたりしていました。で、当時お付き合いしていた彼女からは、「あぶないことはしないでよね」ってずぅ~と言われ続けていました。でも、やんちゃだった当時のマスターは、「はいはい」と口では答えながら、気にも留めることなく、やんちゃを続けていたんですね。そんなことをずっと続けていたのですが、ある時、派手な(単独)事故を起こしてしまいました。それまでは、なにがあっても懲りることはなかったのですが、この時はまわりの人たちがホントに心配してくれていたこと、気にかけてくれていたことを、こころから実感しました。そして、このことがきっかけで、当時のマスターは、ホントに変わることを「決意」することになりました。それは、このままでは「ダメ」だから、やめようというのとは違って、生き方の質をまるっきり変えるような選択でした。さて、マスターはこの事故がきっかけで、ホントに変わることを選択しました。ところが、当時の彼女からは、その事故がきかっけで、とうとう「別れる!」とつきつけられてしまいました。それまでがひどかったのだから、当然です。ですが、その時のマスターは、「以前の自分ではない」ことを知っていましたので、「きちんと話をして和解しよう」としたんですね。それまでのマスターはこんな場面になると、ただただ「ゴメン」とか、「もう次からは大丈夫」なんて、とりつくろいの言葉を使っていました。ですから、はじめのうち、「ゴメン」、「本当に変わったんだ」と訴えていたのですが、「もう二度とやりなおしたくない」としか返事は返ってきません。そこでマスターは、「どれだけ相手の気持ちを分からずにきたか」、「どれだけ心配してくれていた人がいることに気づかずにきたのか」、その結果、「どれだけ君に不安を感じさせてきたのか」、そのことに対して、こころのそこからの謝罪の言葉を話したんですね。すると彼女は、それまでのとりつくろいの言葉とは違う、相手の気持ちを理解しようとする言葉に、驚いてこう言ったんです。「そんなことを考えられるようになったこと、そんな言葉を話せるようになったのは、本当にすごいね」って。そしてその後、彼女はこう続けました。「でも、ダメ」、「気持ちは変わらない」って。マスターは思いました。「当然だよな」、「今までずっと信用を裏切ってきたんだから」。でも、なんとしても和解したい。では、どうすればいいのか?その時マスターが思いついた唯一の方法は、信用されるような行動、これまでの自分とは違うという姿を、みせ続けていくしかないよなっていうことでした。でも、気持ちとしては、今和解をしたい。「変わった」という姿をみせ続けていくという方法しか考えられないけど、それでは、すごく長い時間がかかってしまう。数ヶ月か?半年かかるのか?もしかすると、数年かかるかもしれない。マスターは、気の遠くなるような時間の必要を感じてしまいました。今和解をしたい。でも、自分がこれまで信用されないという実績をつくってきたのだから、これはもう仕方のないことなんだな。それだけの心配をさせてきたんだから、つぐないに時間がかかるのは仕方がないよなって考えることしかできませんでした。でも、和解は今したい。なんとか今、目の前の現実を変える方法はないんだろうか?その瞬間に、ある重大なことに気がつきました。それは、「いくら時間をかけて証明してもダメかもしれない!」ってことでした。なぜなら、いくらこれまでと違う姿をみせ続けたとしても、かつて信用を裏切ってきた相手のこと、また信用を裏切るかもしれないってどこかで感じているとしたら、いくら実績をつくり続けても、相手が本当に安心することはないじゃないか!って気がついたんです。この時、マスターははじめて、2人の人間の間で今なにが起こっているのかということに気がついたんです。「そうか!自分がいくら変わると口で言おうと、彼女の中の自分は昔のままなんだ!」って。「2人の関係を新しく創りだすためには、彼女の中のマスターも昔の自分ではない、新しい自分でなければならないんだ!」このことに気がついたんです。そして、マスターは彼女に向かって、こう言ったんです。「僕は、今まで本当に君の気持ちを分かろうとしなかった」、「その結果、君の信用したいという気持ちを裏切り続け、君にすごく悲しい思いをさせてきた」、「本当にゴメン」。「そして、君にみて欲しいことがある」「本当に変わることを決め、これから僕は今までと違う生き方をしていくことを、こころから決めている」「そして、『今までがこうだったから、これからも同じだろう』ってみている君自身をみて欲しい」って。この言葉をきいたとたん、彼女は急に黙り込んでしまいました。そして、ポツリとこう言いました。「それは、うけいれられない.....。」「どうして?」「だって、それを受け入れてしまったら、あなたを否定する理由がなにもなくなってしまうもの」この言葉をきいて、マスターは言いました。「でも、それにもう気づいているなら、どうか受け入れて」って。すると次の瞬間、彼女の口から「これからも一緒にやっていきましょう」という言葉が出てきたんです。それはもう、それまでの自分の常識では考えられないような、奇跡が起きた瞬間でした。当時のマスターが、瞬間的に新しい現実を創りだせたのは、自分以外の人の中にも、自分がいるということを知ったことでした。そして、自分と、相手の中の自分が変わった瞬間から、まったく新しい現実が現れはじめたんです。当時のマスターが現実を変えた時、「言葉」を使う必要がありましたが、人がホントに変わった瞬間、言葉を使わなくても、現実は変わり始めます。それはもう、不思議としか言いようがないほど。マスターの体験は、自分以外の人の中の自分が変わることで、相手との新しい関係が創られるんだっていう、プロセスを知るために必要だったのかもしれません。自分が変わった瞬間、現実は本当に変わり始めます。そして、マスターが当時のことを思い出して、気がついた大切なポイントは、「時間がかかってもしょうがないよな」ってあきらめることをせず、「なにが可能なのか」に集中していたことなんだなっていうことです。先日、「ゲド戦記」を観に行って、映画の中でひじょうに印象に残った深い深いセリフがあります。「あなたは、光をみようとしないで、闇ばかりしかみていない」普通なら、「いいことだけみていて、つらいことからめをそらそうとしている」ってセリフが出てきそうなものですが、この映画では「闇ばかりみている」と言っていました。つまり、現実がかわらないように、問題を問題にして、問題にしか目を向けていない。なにが可能かをみようとしていない。このセリフには、多くの人が捉われているそんな意味があるのかなと、マスターにはきこえました。人がほんとうに変わった瞬間から、現実は変わりはじめます。それはもう、不思議としか思えないほど。そして、現実を変える力は、自分が問題に意識を向けてきたことが、それまでの現実を創りだしたきたことを知ること。現実を本当に変える力は、その意識を「なにが可能か」に向けなおすことを知り、「変わった」という自分を信頼することかもしれません。本日は当店にお越しいただき、ほんとうにありがとうございます。またのお越しを、こころからお待ちしております。いってらっしゃいませ。
August 1, 2006
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