2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全13件 (13件中 1-13件目)
1
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。先日のメルマガ「カコカワ」でもお伝えさせていただきましたが、わたしがメンターからさずかった知恵の中でも、もっともわたしを豊かさへと導いてくれたものがあります。それは、多くの人が大切な場面であればあるほど信頼しなくなり、幸せな成功者たちが、大切場面であればあるほど大切にしているものです。それは、直感です。直感とアマタで考える思考は、重要な場面であればあるほど逆のことを言い始めます。わたしの人生には、これまで何度も、直感に従うか?それとも、アタマで考える思考に従うか?どちらを選ぶのかという場面がありました。そして今までのすべての経験で言えるのは、直感のメッセージに従った時は必ず、最良の結果へとわたしを導いてくれました。重要な場面でアタマで考える思考に従った時は、不安に基づいた選択ゆえに、不安を根本的には解決しない、「これまでとなんら変わらない」結果を導き出してきました。大切な場面、重要な場面で直感を信頼し、直感に基づいて選択し、結果を流れに任せた時、不思議なシンクロが次々とわたしたちを最良の結果(本来の自分が望んでいるもの)へと導いてくれます。先日、わたしも【思考】を選ぶのか?それとも、【直感】を信頼し、そちらを選ぶのか?という選択の機会がやってきました。今回訪れた直感の選択には、ビックリするような不思議なシンクロが、次々にメッセージとして訪れました。今回の選択は、わたしにとっても、前例のない、とても勇気を試される選択でしたが、マスターの公式サイトにて、それを分かちあわせていただいています。よかったらぜひ、ご自分自身の直感に従ってみてください。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、こころからお待ちしております。いってらっしゃいませ。
October 30, 2006
コメント(8)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。前回はまで2回に渡り、ホントに何もしたくない状態になってしまった時はどうすれがいいのか?というテーマでお伝えしました。前回お伝えしたのは、(1)ホントに何もしたくない無気力状態というのは、 実は自分が変わることができるチャンスが来たというサインであること (夜明け前が一番暗いと言われる状態)(2)でも、ホントになにもしたくない状態の時というのは、 チャンスだと分かっていて、なにをしたらいいのか分かっていたとしても、 それさえもやる気になれないですよね、ということ(3)多くの人は、この状態にならないように、 日常をオートマチックに過ごして、あまり感情を感じないようにしていること(4)なにもしたくない状態の時というのは、 なにかを明確にしていないことから来るということ(5)わたしは先週一週間、7~8年ぶりくらいに なにもしたくない状態になってしまっていたこと(6)そのきっかけは、自分の人生に起こる現実は、 自分が創り出しているということを受け入れた上で、 これまで、人に自分を(無意識のうちにも)よくみせるため、 必要以上にいいことを言おうとしたりして、カッコをつけてきたことを認め、 それをやめたことからはじまったこと(7)カッコをつけようとして、必要以上にしゃべっていたのをやめた時、 それまで気づかなかったものがみえるようになったこと(8)それは、自分の内面には複数の自分たちがいて、 まるで議会の野党のように、主人格のわたしに 「なんで、お前はそうなんだ」、「どうしてそんなこともできないんだ」 と自分を責め続けている声だったこと(9)わたしたちは、この内面の声に気がつかなくていいように、 自分の外の世界に注意を向けて、自動的な人生を生きてきたということ(10)この内面の野党たちの声は、自分を責めることしかしていないように聴こえるけれど、 実は自分がホントに生きたい人生はどんなものなのかを伝えようとする メッセージが隠されているということこれらについて、お伝えしました。わたしは先週1週間、10年近くぶりにホントに何もしたくないモードに陥ってしまいました。このとことんまでなにもしたくない状態というのは、自分が変わるチャンスが来たサインなんだということは、アタマでは分かっていたのですが、いくらわかっていても、何もする気が起こりませんでしたし、メッセージをうけとろうなんて、気力も湧いてこないでいました。それでも、こんなにしんどいのは、たまったものではない、なんとか楽になりたいという思いはありましたので、目にとまった本棚の本に手を伸ばし、偶然のように起こるシンクロのメッセージでもないものか?なんとか抜け出るきっかけはないか?と本を読み始めました。本を読んで、なんとかメッセージを受け取ろうとは思うのですが、自分の中の野党の声はさわがしく、まったく集中できずにいました。ところが、ある瞬間、降ってきたメッセージをうけとりました。「ちょっと待てよ?この野党たちは、なにを伝えようとしているんだ?」って。それまでは、わたしの中の野党たちの声は、無価値感をもっているのに、それに気づかないでいいカッコをしてきたわたしに、「お前はいかに、無力か」だとか、「価値がない」だとか言って、責めにきているんだとしか捉えていませんでした。でも、ある瞬間、「こいつらは、ホントは何を伝えようとしているんだ??」ってところに意識を向けてみたんですね。すると、聴こえてきたのは、「お前は何もしていない」っていうのが、聴こえてきました。で、「何もしていないのは、なにに対して言っているんだ?」って方に今度は意識を向けてみます。すると今度は、「お前は本当に自分が望むことを自分にやらせてやっていない」、「お前は、自分に不義理なことをしている」って言っているらしいという事がみえてきました。「僕がホントに望んでいること?」、「そして、ホントは望んでいるのに、ひとつもやらせていないこと?」、「それって、なんだ?」ってところに意識を向けました。すると、その瞬間に「自分がホントに望んでいるのに、今までひとつも自分にやらせてやらなかったこと」がなんなのか、直感で理解しました。わたしが、ホントは望んでいるのに、自分にやらせてこなかったこと、それは「自分に経済自由人の人生をさせてやってこなかった」ということだったんです。経済自由人とはつまり、所有するビジネスや投資で、一切の労働から自分を解放させ、完全に自由な時間を生きて、経済的な自由の上で、自分のホントにやりたいことだけをやって生きるという状態です。わたしはこれまで、なにか不思議なものに守られているかのように、お金に困るということはありませんでしたし、充分に豊かだと思おうとしていました。ですが、経済自由人には、いつかなれたらいいなとしか思わず、本気で経済自由人になる、いついつまでになるとは、決断したことはありませんでした。それは、自分にはそんな資格はないという無意識の中の無価値感と、同時に自分がいなくても、お金が生み出される状態は、「自分がいなくてもいい」という状態を創ることで、自分が不要な存在になってしまうのではないか?と無意識に恐れていたからだったんですね。ですが、ホントのわたしは、経済自由人になることを深いところでは望んでいた、でも、それを決めてこなかったし、日々のタスクもそれを実現するためのものはなにひとつやってこなかった。わたしの中の野党たちはなにを伝えようとしていたかというと、「ホントに自分が望んでいることに気づいてやれよ」、「もう、ホントに自分が望んでいることを、自分にやらせてやれよ」ってものだったんです。これをはっきりと理解した瞬間、わたしの何もしたくないモードは終了しました。そして、翌日には、手帳の中身をすべて新しいものに変え、すべての予定の最優先事項は、自分で決めた期限までに経済自由人として生活を実現することに基づいたものになりました。そして、もうひとつ自分で驚いたのは、個性学では「大物志向」のわたしが、「城志向」のセンスを使って行動をはじめていることに気がついたことです。大物志向の特色のひとつともいえる、いいカッコをしたがるのは、無意識の人によく思われたいという恐れからきているもの。わたしは、いいカッコをしたがる自分を手放すという選択をしました。それは、大物志向を手放すという状態をどうやら創っていたようです。そして、これまで大物志向だった部分にできたスペースに、城志向のセンスが入ってくるという、新しい可能性を創り出したというわけだったんです。今回の「ホントに何もしたくない状態」は、ホントにしんどかったです。ですが、そこにあるメッセージを受け取ったことで、ホントに自分がやりたいことを、自分にやらせるという生き方をはじめることができました。そして、個性という枠を取り去り、新しい生き方の可能も手にしました。ホントに何もしたくない状態になる時、大きく変われるチャンスがやってきています。もし、あなたにも、そんな時がやってきたなら、もうホントに大きく変われる時が来たんだと、受け入れてあげてください。その時はきっと、すばらしいギフトを受け取られることでしょう。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、こころからお待ちしております。いってらっしゃいませ。PS 今日27日は、友人のコウタロウくんのお誕生日らしいです。 よかったら、メッセージを送ってあげてくださいネ。
October 26, 2006
コメント(7)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。昨日は友人でラジオのパーソナリティーをされている、松竹盛代表の盛上さんの番組に生出演させていただきました。しゃべるのは慣れていると思っていたので、余裕をかましていたのですが、きちんとした時間配分を意識する必要がある生番組は、なんともいえない緊張があります。結果、うまく話をまとめなくちゃってところに意識がいってしまって、けっこうあせっちゃいました(笑)。わたしの公式サイトで、試聴できるようにしようと思っていたのですが、再度聴いてからにします。聴くに堪えないものだったら、イヤだなぁ(笑)。では、今日のテーマに入っていきますね。前回は、ホントになにもしたくないモードに入ってしまった時は、どうやってそこから抜け出すの?というテーマでお伝えしました。前回お伝えしたのは、(1)ホントに何もしたくない無気力状態というのは、 実は自分が変わることができるチャンスが来たというサインであること (夜明け前が一番暗いと言われる状態)(2)でも、ホントになにもしたくない状態との時というのは、 チャンスだと分かっていて、なにをしたらいいのか分かっていたとしても、 それさえもやる気になれないですよね、ということ(3)多くの人は、この状態にならないように、 日常をオートマチックに過ごして、あまり感情を感じないようにしていること(4)なにもしたくない状態の時というのは、 なにかを明確にしていないことから来るということこれらについて、お伝えしました。なにもしたくない、無気力の状態は誰もが必ず経験するものです。ですが、多くの人は、オートマチックな人生を送ることで、あまり深くは感情を感じないようにしているため、このチャンスになかなか気づくことがありません。また、ほとんどの人が、この状態になった時に、これがチャンスのサインなんだとは思わず、「イヤな感覚」と捉えて、嫌って感じないようにしようとしてしまいます。結果、そのイヤな状態は継続し続けます。そして、ほとんどの人が、なんらかの外からのきっかけで、流れが変わるのを待ち続けるといえます。なにもしたくなくなる無気力な状態というのは、ホントに早く抜け出したい辛い感覚ですが、この状態になるのには、勿論ワケがあります。ただ、ほとんどの人が、無気力状態を嫌って抵抗してしまうので、「そこにあるワケを自分のためにみてあげよう」とは、思えないだけと言えます。では、ホントに何もしたくなくない状態には、どんなワケがあるのでしょう?わたしは先週1週間、ホントになにもしたくないモードにやられてしまいました。ここ数年、おそらく10年近く感じたことがないくらいの感覚でしたので、本当にまいってしまいました。いつもだったら、クリアにしたい不快な状態になったりすると、「よし、クリアにする意図で、ノートになにがあるのか書き出してみるぞ」ってなるのですが、それさえもしたくない状態になってしまいました。でも、この状態になってしまったのには、少し思い当たることもありました。それってどんなものだったかというと、「人生に起こる現実は自分の内面が創りだすもの」ということを受け入れ始めてきたうえで、「自分はこれまで、人に自分をよくみせようとして、必要以上にいいことを言おうとしたり、カッコをつけてきた」ということを知って、「カッコをつけることをやめた」んですね。カッコをつけることをやめると、自分が必要以上にしゃべっていたことがわかってきて、口数が減ってきました。すると、今まで気づかなかった、あることに気がついたんです。それは、自分の中には様々な自分がいて、まるで議会の会場のように、主人格の自分に対して、野党のように常になにかを言い聞かせようとしている、それがみえてきたんです。人は一日に2万回くらい、常になにかを考えていると言われます。それはこれまでも「なんとなく」知識で知っていることでした。ところが、自分がいいカッコをしようとしてきたことを認めて、無駄なことを言わなくなってみると、自分の中にいる様々な自分たちが、常に主人格の自分に対してなにかを言っているのが分かってきたんですね。その野党のようなわたしたちは、わたし自身になにをいっているかというと、「お前はどうしてそうなんだ」とか、「こんなこともできないのか?」とか、「これまでお前はなにをしてきたんだ?」とか、様々な責めの言葉を投げかけているんです。「こりゃあ、へこむわ」って、思いました(笑)。わたしはこれまで、自分の意識を「人によく思われること」に向けていたので、自分の中でなにが起こっていたのか、気がつかなかっただけだったんだっていうことが明確にみえてきたんですね。そして、わたしも含めてほとんどの人が、この内面の議会で交わされる言葉に気づかないように外の現実(だと思いこんでいるもの)に意識を向けてきたんだっていうことがみえてきました。(この複数の人格は、たいてい3歳くらいからでき始めると言われています)この野党たちは、いかに自分がダメなヤツなのかをせつせつと言い聞かせてくれます。ですので、この声がきこえはじめると、たまらなくへこんでしまいます。だから、わたしたちはこれまで、様々な手を使って、これに気づかないようにしてきたわけです。この自分の内面の中の野党たちは、自分をおとしめるための「ろくでもないこと」しか自分に言ってこないかのようにみえます。ところが!彼らの言葉の中には、ホントは自分がどんな人生を生きたいのかに気づかせてくれる、重要なメッセージが隠されていました。なにもしたくない無気力状態は、ホントに自分が生き方を変えれるチャンスだったんです。そして、ホントに大きく生き方を変えることになりました。内面の自分たちが、わたしに伝えたかったメッセージはなんだったのか。そして、どのように無気力状態から抜け出し、チャンスのメッセージをうけとったのか。続きは次回へ。よかったら、ご自分の内面の自分たちが、「何を伝えてくれようとしているのか」に耳を傾けてみてください。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、こころからお待ちしております。いってらっしゃいませ。
October 25, 2006
コメント(2)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。誰の人生にも必ず起きるものに、「もう、なんにもしたくない~!」って状態に陥る時というのがあります。いわゆる無気力状態というヤツですよね。わたしはもう、ここ数年間は、この感覚を味わったことがなかったのですが、先週あたりから、猛烈に「なにもしたくない」モードに入ってしまっていました。自分が今生でなにをやりたいのか、自分の人生の目的、ビジョン、ライフワークに出会ってからここ数年は、ひじょうに精神的に安定した状態になって、大きくぶれることはなくなっていました。ですので、これからはもう、大きくぶれることはないんじゃないかなって、思っていたんですね。ですが、甘かった(笑)!先週から、わたしは数年ぶりに、猛烈な「なにもしたくない」モードに陥ってしまっていました。実はこの、「なにもしたくない」モードに陥ったり、怒りや悲しみや、寂しさなどの大きな感情の揺れが人生に訪れる時というのは、「自分が大きく変われるチャンスが来た状態」だと言われています。実は人生の大きな流れの中では、ウェルカムなことなんですね。人生の状態を例える時に「夜明け前がいちばん暗い」と言われる、あれです。でも、いくら「大きく変わるチャンスが来た状態」と言われても、猛烈な「なにもしたくない」無力感を感じている時の当の本人は、たまったものじゃありませんよね(笑)。早くこここら抜け出したい、こんな面白くなく、惨めな状態はもうたくさんだ!って思います。そして、なんとか抜け出したいと思うのですが、でも、あまりになにもしたくないものですから、抜け出す為の「なにか」を起こす気力も湧いてきません。たとえば、わたしの場合だったら、なにか問題に出会ったり、解決したい、解消したい状況に出会う時に、「これをやりば、クリアになる」という方法を持っています。ノートに、自分がなにを感じているのか? そしてその感情はどこから来ているのか?その問題を持っていることで得られると思い込んでいる利益はなにか?(責任をとらなくていいとか、動かなくていいとか)その利益を実現する為に、払っている代償はどれだけあるのか?って具合に、自分の内面を明確化していく方法です。ですが、ホントに「なにもしたくない」状態の時というのは、解決策を知っていても、それさえもやりたくない状態になってしまったりします。今回のわたしの身に起こったのは、まさにこんな状態でした。先ほども書きましたが、実はこの状態というのは、自分が大きく変わるチャンスが来たサインであり、人生にとって、とても大切な機会です。この状態は誰の身にも起こるのですが、実は多くの人は、この機会になかなか気づきませんし、生かすことができません。それはなぜかというと、普段から※オートマチックな人生を送るようにしている為、できるだけ感情を感じないように生活をしているからです。※オートマチックな人生についてはこちらをご参照下さい。なんとなく仕事に行くことになっているから仕事に行き、お昼になったらご飯を食べ、家に帰ったら数時間テレビを観る。これら日常の一連のパターンを無意識にすごすことで、日常で自分が「なにを今感じているのか?」に意識がいかなくなります。仕事や用事で人生を忙しくするのも、実は「感じないようにする」典型的なパターンと言えます。なにか気に入らないことがあって怒っていたとしても、それは外的要因によって自動的に怒っているだけで、「自分は今、怒っているんだ」って自覚することはありませんし、ホントに怒っている原因は、それとはまったく違うことだとは、みえることはありません。また、不安ごとがあってもそれは、月末の支払いのことであるとか、将来の漠然とした不安と思い込んでいて、その根っこがどこから来ているかをほとんどの人は、よく分からずに過ごしています。人生を大きく変えるチャンである「無力感」、そこから抜け出し、前進を始めるヒントがここにあります。「よく分からず」にいるということです。では、なにをよく分かっていないのでしょう?今、なにを「よく分からないまま」にしているのか、よかったら書き出してみてください。そして、なにが見えてくるのか、よかったら分かち合ってみてください。この続きは次回へ。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、こころからお待ちしております。いってらっしゃいませ。
October 23, 2006
コメント(11)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。前回まで2回に渡って、「人生に起こる現実は、自分のあり方や考え方によって創りだされている」、よって、「現実に違いを創るには、あり方、考え方を変える必要がある」、けれど、「【現実を変えるために】考え方を変えようとするとなかなかうまくいかないのはなぜか?」ということについてお伝えしてきました。前回までお伝えしたのは、(1)現実を変えるために考え方を変えようとする時、 わたしたちの中にある「完璧主義」が邪魔をすること。(2)完璧主義とは、理想の状態を完璧にできていない自分のことを ダメなヤツと無意識の自分が創りだすこと。(3)無意識の中で自分はダメなヤツと決めているため、 理想の現実を創ろうとしても、ダメな自分には、 そんなことできっこないと判断して、その通りの現実を創りだすこと。(4)そしてもうひとつの「現実を変えるために考え方を変えようとしてうまくいかない 要因」は、「期待」であること。これらについて、お伝えしました。わたしは、かつてメンターたちから、「期待は効果的じゃないよ」という知恵を伝えられました。この知恵をはじめて聞かされた当時は、何のことを言っているのかピンと来ませんでしたし、けっこう長い期間「よくわからない」状態でした。どうして、現実に違いを創ろうとする時、「期待」を持つことは効果的ではないのでしょう?わたしがこの知恵を、はじめて聞かされた当時は、「期待をしていると、期待が裏切られた時にショックだから?」くらいにしか思いが及びませんでした。これじゃあなんのことか、よくわかんないですよね?でも、ある時、「自分の身のまわりに起こる現実が、以前では考えられないようなことが起きはじめたのを感じはじめて、だんだんあの知恵が何のことなのかが、理解できるようになってきました。期待とはつまり、理想の状態になって欲しいという願いですよね。つまり、「期待」とは、「理想」と言えますよね。ということは、現実が(今)理想の状態になっていない ↓無意識下では、理想の状態を創れていない自分 ↓理想の状態を創れていないダメな自分 ↓ダメな自分は、現実を変えることはできないという、例の「完璧主義」の思考パターンが、回り始めていたというわけなんです。そして、期待が効果的でない最大の理由は、「人生に起こる現実が変わることを期待する」=「自分の内面ではなく、外の現実(現象)に依存している」ということです。つまり、人生に起こる現実を変える為に、自分の内面と向き合う必要があるのに、もう既に内面でなく、外に意識が向いてしまっていたというわけなんです。「外に意識が向いているということは、内面に意識が向いていない」= 「外に意識が向いていて、自分の内面を向いていない」= 「それによって創られる現実が人生に起こる」という、実はとてもシンプルなことが起きていただけなんですね。では、現実を変えるために、考え方を変えることを期待やプレッシャーでなく、意図として実現するならば、どうしたらいいのでしょう?それは、実はとってもシンプルです。それは、自分が「今、何を感じているのかに意識を向けること」、そして、「【ホント】は、なにを望んでいるのかを探っていくこと」、これだけです。そして、知っておくことは、わたしたちはこれまでは、自分が今なにを感じているかなんて、ほとんど意識したことなんてなかったこと。その感情を感じているのは、実は目の前のことが原因でないこと。そして、ホントに望んでいることは、実は思ってもみなかったような愛情深いものであること。これだけでしょう。次回は、「なんにもしたくなくなっちゃった状態の時は、どうやって復活するの?」というテーマをお伝えしようと思います。楽しみにしていてください。本日は、当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
October 20, 2006
コメント(10)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。明日19日の21時より、いよいよ11月のワークショップの受付がはじまります。今回のワークショップは京都を離れ、兵庫県の千刈キャンプ場というところのセミナールームを使います。先日下見に行ってきましたが、自然に囲まれた素晴らしい環境です。宿泊は、キャンプ場内のロッジを使いますので、キャンプ気分でとても楽しめると思います。会場を紹介してくれた千草さんによると、料理もすごくおいしいとのことですので、参加される方は楽しみにしていてください。勿論、わたしたちも今からとてもワクワクしています。と、言いながら、受付開始時にはいつもドキドキすることがあります。「参加者集まるかなぁ~?」、「誰も来なかったらどうしよう~?」って考えるとドキドキして眠れなくなってしまったりします(笑)。けっこう小心者だったりするのです(笑)。さて、話題は変わって、前回の続きです。前回は、「人生に起こる現実を創りだしているのは、わたしたちのあり方や考え方」、ですから、「人生に起こる現実を変える為には、これまでのわたしたちのあり方や考え方を変える必要がある」のだけれど、「現実を変えるために考え方を変えようとすると、なかなかうまくいかないのはなぜ???」ということについて、お伝えしました。人生に起こる現実を変える為には、あり方や考え方を変える必要があるけれど、現実を変えるために、考え方をかえようとすると、どうしてなかなかうまくいかないのでしょう?実はこれ、わたしたちの「完璧主義」が邪魔をするからなんです。「え?わたし完璧主義なんかじゃないよ」、「だって、仕事でよくポカをするし、今日も出かけた後に忘れ物して、『あ~、またやっちゃった!わたしってなんでこうなんだろう!』ってへこんだところだもの。」って思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。でも、これも実は完璧主義から来ている言葉なんです。なんでかというと、「仕事でポカをする自分はダメ」、「忘れ物をする自分はダメ」って、自分を批判しているわけですから。つまり理想どおりにできない自分を否定している状態と言えますよね。勿論ここでお伝えしたいのは、仕事でポカしちゃいましょうとか、忘れ物万歳なんて言っているわけはありません(笑)。わたしたちが現実を変えようとする背景にはどんなものがあるかというと、たいていの場合、「理想の状態ではない現実 = 正しくないと捉えている現実」を「正そうとする」というところから来ています。つまり悪いものを正そうとしていると言えますよね。で、これは無意識の中ではどんなことが起こっているかというと、「自分にとって好ましくない現実を、なかったことにしたい」という欲求が働いています。でも、これをもう少し深くみていくと、「好ましくない現実を創りだしている自分は許せない」と捉えていることが見えてきます。さて、ここからが重要なところなのですが、「好ましくない現実を創りだしている許せない自分 = ダメな自分」と無意識は捉えているとしますよね。するとどんなことが起きて来るかというと、「ダメな自分は現実を変えられない、考え方も変えられない」と捉えてしまっていると言えるわけなんです。「うわっ、でも、それなんか分かる気がする....」って方もいらっしゃるかもしれません。さてさて、現実を変えるために考え方を変えようとすると、うまくいかないもうひとつのポイントは、結果に期待をするということです。「よよよよ???人生に起こる現実を変えたいのに、変わるということを期待してはいけないの???」って思われる方も、きっといらっしゃいますよね。ですが、「期待はうまく機能しない」と言われています。「期待はうまく機能しない」って、いったいどういうことなんでしょう?そして、どうすれば、人生に起こる現実を変えていくことができるのでしょう?「期待はうまく機能しない」って、自分の人生に照らし合わせてみてどういうものなのか、よかったらみてみてください。この続きは次回。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、こころからお待ちしております。いってらっしゃいませ。
October 18, 2006
コメント(2)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。「人生は自分が考えている通りになる」というのは、多くの成功者達が伝えている言葉ですよね。で、「そんなことないよ、成功したい、金持ちになりたい、素敵なパートナーと出会いたいって、本気で考えているもの」って人たちは、「成功したい」、「金持ちになりたい」、「パートナーがほしい」って思うたび、「それらが自分には無い」と言い聞かせているもの。これらについても、伝えられています。人生に起こる現実は、わたしたちの考え、あり方によって創られます。ということは、現実を変えるためには、あり方、考え方を変える必要があるわけですが、ちょっと深いのが、「現実を変えるために、考え方を変えようとすると、それが叶わない現実が継続するということ。では、どうして現実を変えるために考えを変えようとすると、うまくいかなくなっちゃうのでしょうか?わたしたちはその扉の向こう側に、どんな思い込みを持っているのか?なにを持っているのか?何にとらわれているのか?ちょっと扉を開けてみてください。あなたは、そこに何を持って、なににとらわれているでしょう?この続きは次回へ。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとう御座います。またのお越しを、心からお待ちしております。いってらっしゃいませ。
October 16, 2006
コメント(8)

いらっしゃいませ、マスターの濱田です。幸せな成功者たちが、人生を幸せに変えていく知恵の中で、必ず出てくる言葉に、「手放す」というものがあります。手放すとはつまり、これまで自分がこれが常識だ、こうあるべきだと信じ込んで疑ってもみなかったものを「もうこれにしがみつかなくてもいいな」って手を放すことと言えます。多くの人にとっては、自分がなににしがみついているかなんて想像もつかない状態でいますから、「手放すといっても、なにを手放したらいいの?」ってなりますよね。わたしも自分が何を常識だと信じ込み、なにがこうであるべきだとして、本来の自分らしい人生を生きることを選んでいないか、なかなか気づくことはできないでいました。そして今でも、「げっ、こんなの後生大事に持っていたの???」っていうのに気づいて愕然としたりします(笑)。この手放すものとは、考え方だけでなく、持ち物にも象徴されていたりします。たとえば、angerosesで一緒にビジネスチームを組んでくれているウェブデザイナーのけいちゃんは、先日クルマを手放すという選択をしました。多くの人が成功のひとつの象徴として、手に入れることを目標とするようなクルマです。けいちゃんいわく、なぜ手放したかというと、高級車に乗っていることで、周りが遠慮して道を譲ってくれたり、よく見られたかったのがみえてきたからだそうです。そして、もうそれは自分には必要ではなくなったので手放したそうです。すごい選択だなぁと、とても感心しました。そして、わたしも長年愛用していたあるものを、とうとう手放しました。それは時計です。その時計は、わたしが昔ビジネスに失敗して、たくさんの負債をかかえて、困窮していた頃、わたしの時計師の師匠が、譲ってくれたものです。その時計はとても古いものだったのですが、それまでその時計をはめてきた3人のオーナーたちを(それ以前は海外の人だったようです)、全員大きく出世させてきた、幸運の時計と呼ばれるものでした。でも、当時のわたしにはそんな高価な時計はとても手が出ない状態でしたので、「欲しいけど、今の自分にはムリ」って答えたんですね。そしたらなんと、その師匠は、「お金は稼げるようになったらでいい」、「そんなことより、この時計で運をあげてね」と言って手渡してくれたんです。本当に感動でした。そして、あれから数年の時が経って、あの頃とは比べものにならないくらい、人生の流れは大きく変わりました。それもこの時計の運のおかげかなぁなんて思ったりもしていました。そして、この時計はずっともって置こう、もし譲るとしても、息子が大人になった時かな?くらいに思っていました。でも先日、ある講演会に出かけていった時、ちかくに座っていた老齢の男性がシックな大人っぽい時計をしているのをみて、「あ、もう手放す時期なのかもしれないな」ってメッセージが降りてきました。わたしにとって、まちがいなく深い感謝があり、幸運の時計でもありましたが、いつの間にかステイタスとしての時計となっている自分に気がつきました。まず手に入れたくても手に入れることはなかなかできない、希少なアンティークの時計をしているということで、いつの間にか「人と違うよ」って表現していたい自分がいたことを、認めることができた瞬間でした。もう幸運の時計として役割は、果たしているこの時計。この時計が、人を出世させては人の手を渡り歩くものだとしたら、もう次の人へ渡していった方がいいじゃないか?そう思ったんですね。この時計、いろんな方から「将来買うから、絶対売らないでね」っていろんな方から言われていたんですが、もう1年以上前から「譲ってください」って通い続けてくれた友人のことへ渡っていきました。この友人もライフワークを生き、人生の流れに乗って、そしたら、また次のふさわしい人へ、渡らせてくれることでしょう。そして、もう一本の大切にしていた時計は、(クロノグラフだったので、ワークショップでストップウォッチとして活躍していました)自分のやりたいことを選択してロンドンに渡る友人の下へと送られました。わたしたちは様々な手放せないものを持っているものですが、考え方だけでなく、モノにもたくさんの意味をつけていたりします。ですが、どんなものにも必ずメッセージが含まれています。そのメッセージをうけとり、役割を終えたら、またメッセージの必要な人に手渡していく。そういう手放し方もあるんだなって、感じるようになりました。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
October 13, 2006
コメント(4)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。わたしたちの人生は、わたしたちの望んだとおりのことが実現していると言われます。「そんなことないよ、成功したいし、お金持ちになりたいし、素敵な恋人に出会いたいって、ホントに望んでいるもの」世の中の多くの人の中には、こう言われる方も少なくはないでしょう。でも、現在、言葉にしているような理想の現実になっていないとしたら、無意識に隠した「裏の」望みが実現していると言えますよね。現在実現している裏の望みが、わたしたちにとって好ましくないものなら、裏の望みを書き換える必要があります。そのためには、自分の裏の望みがなんなのかを知る必要があるわけですが、多くの人にとっては、「裏の望みって、どうやったら見つけられるの???」ってところにおられると思います。実はわたしたちの現在の現実を創りだしている「裏の望み」をみつける方法は、意外にも難しくありません。自分の裏の望みはどんなもので、どんな現実を創りだすことを望んでいるのか?それを知るカギは、「普段、自分がどんな自分を人に表現しているか」ということをみていくと、おのずと見えてきます。あなたは人と会う時、どんな話題が中心で、どんな姿を表現しているでしょう?そこには、人に自分のことを認めさせたい自分がいるでしょうか?人を論破して、勝ちたい自分がいるでしょうか?悩み事を話しては、自分がいかに無力かを表現して「愛をくれ」ってみせている自分がいるでしょうか?人付き合いが苦手だと表現して、注意をはらってもらいたがっている自分がいるでしょうか?自分のことを客観的に観察するっていうのは、いっけんとても難しいことのようにみえます。そういう時は机に向かって、「よし、今日は○○という人間が(ホントは自分のことなんだけど)どのような行動パターンを普段人に表現しているのかをみてみよう」って言って、紙に客観的に書き出していきます。そして次に(ここからが肝心)これらの表現をみるまわりの人たちは、この人のことをどのように感じ、どんなふうに扱うだろう?って書き出してみます。(客観的にするために「書く」ことが効果的でしょう)すると周りの人が(意識していようが無意識だろうが)その人のことをどのように扱うかは、みえてきますよね。煙たがるか?腫れ物に触るように扱うか?深く関わらないように距離を置くか?争いたくなるか?周りの人がどんなふうに感じ、どう扱うか?これが、わたしたちの裏の望みが創っているひとつの結果というわけです。では、どうして自分はそんな表現をしたくなるのか?ということになると思いますが、実は必ずしも原因が分からなければいけないワケでもないんですね。自分が普段、どんな自分を表現しているかをみてみると、自分がどんな現実を創ろうとしているかは、おのずとみえてきます。ただ、普段は感情がごちゃごちゃになっているので、上手にほどくことができなくて、みえないだけに過ぎません。「書き出す」ことにチカラがあるのは、こういうところというわけです。さて、普段の行動を観察するのは難しいという方は、自分が送信したメールをみて、それをうけとる人はどんなふうに自分を扱うだろう?ってみてみることが可能です。そして、最後にもうひとつ。もし普段、理想の状態やいい話、うまくいっていること、「こんなことができんたんだよ」、「こんな発見をしたんだよ」っていいことを話すことが多い場合は要注意。いい話をしたがる人、いい話で最後を終わらせずにおれない人は、自分の感情と、もっとも分離してしまっている状態です。なにを隠そう、わたしもその世界の住人でした(笑)。(今でもよく、そこへ行きそうになります)いい話ばかりする人を、まわりはどう扱いたくなるのか?ここにわたしたちが創りたがっている現実の裏の望みがあるでしょう。あとはこれに気づいて、「やめる」ことを決めるかどうだけですね。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。PS マスターのサイトがリニューアルプチオープンしました。 遊びに来てくださいネ。
October 11, 2006
コメント(6)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。変化の時には、これまで体験しなかったようなことを体験するようになってきます。それは、とてもイライラすることであったり、落ち込むことであったり、なにもしたくない~って感覚だったりします。人生が動き出す前からも、イライラや落ち込みの感覚は体験しますが、動き出す時にやってくるこの感覚は、似ているようでも、以前のものとは違うことを、どこかではっきりと感じます。以前と明らかに違うのは、抜け出したいという欲求はあるのだけど、避けて気づかないフリができないって(逃げたくはない)感覚です。つまり、自分が何を感じているのか(怒りを感じてるとか、悲しみや無力感を感じているとか)を自分で感じとっているということです。そして、この時なにが起こっているかというと、実は大きな振れ幅を体験してます。それまでの人生が、日常の繰り返しをすることで、感情を感じないように封印していたとしたら、感情や感覚を揺さぶり始め、大きな振れ幅を体験していると言えます。そしてわたしたちは、自分が「怒り」や「悲しみ」持っていることを、認識しはじめます。人生を変化させたくない時の(言葉では夢がかなったり、成功したいと言いながら)わたしたちは、自分が普段から「怒り」や「悲しみ」を感じていることを封印して感じないフリをして生きています。たとえば、いつも仕事が忙しく、時間とのたたかいに追い回されているような人生を繰り返しているのなら、忙しさを表現することで感じないようにしている感情があります。そして忙しくしているのには、必ずなにかの理由があります。(遅刻癖 忘れ物壁など、いつものパターンすべてにワケがあります)でも、多くの人は、自分がなぜ忙しいかなんて、みてみることはなかなかありません。ただ、「忙しいから、忙しいんだ」。「文句なら、会社や家族に言ってくれ」ってところにいくのがほとんどでしょう。わたしたちが忙しさを表現する時、忙しさがどこから来ているのかをみてみることで、人生に変化を与えはじめる、重要なメッセージがあります。でも、忙しさがどこから来ているのかを理解しないことには、自分の人生がどこへ向かっているのかをも、理解しないことになります。それは帆もはっていない、舵もきっていない船が、波に流されているようなものといえるでしょう。人生が変わり始める時、感情が大きく揺れるのを感じはじめます。それは、振れ幅の大きさが「わたしたちの大きさを示し始めているから」ともいえます。そして、「今、なにを感じているのか?」に意識を向けます。「怒り」を感じているのか、「悲しみ」なのか、「無力感」なのか、それらを感じていることを、自分で理解します。そして、それはどこから来ているのかを感じはじめます。ただひとつ知っておいていただきたいのは、感じないようにしていた感情を感じ始めたことは、「見えない方がいい」って思っていたものを「見えてもいい」って許可を始めたということでしょう。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、こころからお待ちしております。いってらっしゃいませ。
October 10, 2006
コメント(1)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。わたしは、ショットバーのマスターとしてカウンターに立っていたことで、多くの成功者やメンターたちから、いろんな知恵を受け取る機会に恵まれました。ですが、素晴らしい知恵の数々も、当時のわたしにはすぐには理解できず、「言っていることは分かるのですが,,,」とか、「アタマではわかるのですが...」と言いながら、全然分かっていなかったということがいっぱいでした(笑)。けれど、それらの知恵は、その時はわかっていなくても、わたしの中で圧縮ファイルとして、ちゃんと保存されていて、あるタイミングになると、「ああ!あれってこういうことだったのか!」「そうだ、ホントに言っていた通りだな」って解凍されてきました。まだまだ解凍されていない知恵もたくさんあると思うのですが、たくさんの素晴らしい知恵たちが、わたしの人生に、そしてわたしの周りの人たちにも少しづつ、でも確実に恩恵をもたらしてくれています。そんな知恵たちの中でも、最近になって特に、「ホントに大切だな」って感じているものがあります。それが、「アドバイスをしないこと」、そして、「ただ人と一緒にいる」というものです。わたしたちは、誰かが悩みを話したり、落ち込んでいたりすると、なんとかその人を元気づけたくなって、解決策を言ってみたり、アドバイスをしてしまいがちです。または、「そんなことで、どうするの!?しっかりしなくちゃいけないよ」なんて言ったりします。これらは、あまりに日常的過ぎて、当たり前のことになってしまっていますが、でも、自分らしく幸せで、豊かな人生を受け取るためには、手放すことが必要なとても重要なものです。わたしたちは、困っている人や悩んでいる人がいたら、ついつい励まそうとしたり、解決策、アドバイスを口にしようとします。または、叱咤激励しようとします。ですが、相手が「明確にアドバイスを求めている時」でない限りは、これは自動的に反応している、「反応」なんだということを理解する必要があります。悩んだり、落ち込んでいたりする人をみると、ついつい元気づけたくなったり、アドバイスをしたくなる人は、なぜ自分が「そうしたくなる」のかということを理解していません。実は、目の前の人が落ち込んだり、悩んでいたり、はたまた勘違いしているのを見ると自分が黙らずにおれないというか、なにか言わないと居心地が悪くなるから、アドバイスや叱咤激励をしてしまいます。でも、自分がそんなふうに自動的な反応で、そうしたくなっているなんて知らないことさえ、知らずにいると言えます。わたしたちが望んでいることって、ホントはなんでしょう?勿論、明確に解決する意思があって、解決策を知りたい時は、アドバイスを欲しいと感じますよね。でも、悩んでいて、気分が沈んでいる時、そこから動けない時、わたしたちが望んでいることってなんなのでしょう?ただ、愚痴を言っていたい時だとか、「分からないー、分かりたくないー」っていう時だったら、アドバイスも何もされないことで、目が覚めるという体験をすることが可能になります。(気づきたくなかったら、他の人のところに行って、同じことをやるでしょうがその人が気づくタイミングを待つことも大切な知恵です)では、悩み、落ち込んでいる時は?ショックを受けているときは?わたしはそんな時、感じました。ただ、なにも言わずに聞いて欲しいなって。わたしたちは、ついついアドバイスをしてしまいがちですが、ホントにただ聞いて欲しいって願っている時に、アドバイスをされることを繰り返されたら、「ああ、この人は、自分の話は聞いてくれない」、「自分が言いたいことを話すだけで、聞いてくれないんだな」って感じて、心を開くことをやめてしまうでしょう。「与える」という言葉をきくと、わたしたちはついついなにかをしてあげることだと捉えがちです。ですが、「与えること」、「愛を表現すること」は、なにかをしてあげることでは、ないのかもしれません。ただ、一緒にいる。これも、与えることで、愛の表現だと、わたしは感じています。先日、わたしも、原因のよくわからないイライラと不安の感情の波がやってきて、何もしたくない状態になってしまいました。あまりに、不安で、なんだか分からない無価値感を感じて、悲しくなって、なにもしたくなくなってしまったんです。たいていの場合、「この痛みの感情の中には重要なメッセージがある」って知っていますので、思い腰をあげながらも、自分と向き合い、メッセージをうけとることをやります。でも、この日は、ホントに何もしたくなくなってしまったんですね。けれど、その日は週に一度のミーティングの日、行かないわけには行きません。しかも、市会議員の友人も、はるばる神戸から会いに来てくれる日です。でも、行きたくない。そこで、わたしは、チームメンバーに依頼しました。まだ原因を見極めていない、へこみ状態にいることを伝え、「なにも聞かないということを約束して」って。チームのメンバーは、なにも言わず、なにも聞かず、ただ一緒に時間を過ごしてくれました。(ちゃんと通常通りミーティングできました)そして、なにも言わず、なにも聞かないでいてくれることに、彼らの深い愛を感じました。わたしたちは、なにかをすることが、与えることであり、表現であり、愛情だと捉えがちです。でも、ただ一緒にいること、(そばにいなくても、その人と一緒にいることってできますよねそれは、深い深い愛なんだなと感じます。そして、先日のあの原因のよく分からなかった痛みのメッセージは、その生き方を受け入れることを知る、貴重な機会だったのかもって、感じています。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、こころからお待ちしております。いってらっしゃいませ。
October 6, 2006
コメント(10)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。これまで2回に渡って、自分よりも人先に人の成功を応援すると、自分も成功するという知恵についてお伝えしてきました。この話題について書き出したら、もうすごいタイミングでわたしも貴重なメッセージをうけとることになりました。あまりに絶妙なタイミングだったので、もうホントにビックリです。今回はそのことについて、お伝えさせていただきますね。実はわたしは、10月の中ごろにボストンに引っ越した友人の本田健ちゃんの家に遊びに行く予定にしていたんですね。健ちゃんから、友人で集まろうと声がかかったので、すぐに手をあげたわけです。健ちゃんが新しく引っ越した家は、なんと6000坪の敷地。プールは勿論のこと、敷地内に川や森もあるという素晴らしいところです。家の敷地内で、自然のエネルギーを受け取れるなんて、なんて素晴らしいでしょう。いくことを決めてからは、もう出発の日のことを楽しみにして、あんなことをしよう、こんなことをしよう、健にはこんなことを相談しよう、って具合に、ワクワクしていたんですね。ところが思いもかけない事態が。10月の平日ということもあったし、10人くらい集まったらいいなって健ちゃんも考えていたようなのですが、なんと最大30人の枠に60人以上の人がなのりをあげてきたんですね。60人では泊まるところが確保できない。でも、みんなに来て欲しい。いろいろ悩んだ末に、結局公平性を考えて、抽選で選考という形になりました。そしたらね、なんと抽選から漏れちゃったんですよ、わたし。これには、さすがにわたしも大ショックでした。なんせ、いく気満々でしたし、アタマの中で既にいろんな計画を立てていましたから。で、何もする気が起こらなくなって、その日はもうボーっとしていたんですね。その後、いきつけの酒場に行ったのですが、店長に開口一番、「かなり疲れてるみたいだね」と言われてしまいました。きっと、「すごくショックです」って顔に書いてあったんでしょう(笑)。で、翌日の午前中も、なにもするきが起こらなくて、ただ、ボーっと過ごしていたんですね。でも、起こる出来事には、必ずメッセージがあるはず、これにはどんなメッセージがあるんだろう?って考えてみたんです。ただ、「もっとショックだぁ~ってところに浸っていたい」、「自己憐憫にもうしばらく浸らせてよ~」って思いも強くあがってましたから、(分かりますよね?この感覚(笑))メッセージを受け取るために自分と向き合うというのは、なかなか重い腰を上げる作業でした(笑)。さて、今回のショックな出来事から受け取れるメッセージってなんだろう?って自分の深い部分への探求を始めてみました。まず、なにがショックだったかをみていってみると、友人たちみんなは招待されるのに、自分は招待されない、「自分は招待される価値がないんだ」って無価値感を感じているのがみえてきました。きっと、昔のわたしだったら、ただただショックだぁって言い続けて、やがて気づかないうちに、行ける人たちをねたむようなことを口にしていたでしょう。そして、いつまでもそんな自分に気がつかなかったと思います。でも、今回は自分が無価値感を感じているということはすぐに感じ取ることができました。では、その無価値感はどこからきているのか?今度はそこにアクセスしてみました。そうしたら、父に対して申し訳ないって思いがあがってきたんです。自分は、あの尊敬していたお父さん、深く愛してくれたおとうさんが、(生きている間は、確執しかありませんでしたが)誇りに思えるような男になることができない。ゴメンねお父さん、僕はお父さんが胸をはって誇れるような立派な男にはやっぱりなれないよ。こんな思いが隠れてたのがみえてきたんです。抽選からもれたことで、どれだけ自分が父を尊敬し、深く愛していたかということが、あらためてみえてきたんですね。このことがみえてきたら、だんだんおだやかな気持ちがあがってきました。そして次に出てきたのは、「自分はボストンに行く友人たちを笑顔で送ることができるだろうか?」「自分はいけないのに、こころから彼らのことを喜んであげられるだろうか?」「ねたんだりしないのだろうか?」というものでした。そして自分の深い部分と向き合ってみます。すると2人の自分がいることがみえてきました。ひとりは、いいなぁ行ける人たちは。自分は行けなくてくやしいな、さびしいな、悲しいな、みんながうらやましいなって感じている自分でした。でも、もうひとりは、「みんながもっとよくなったらいいな」って友人たちの成功と幸せを願っている自分がいたんです。これには、自分で驚いてしまいました。あ、自分の中には、ちゃんと人を応援し、幸せになって欲しいって願っている自分がいる!ちゃんと、こんな自分がいるんだ!このことに気がついた時、なんだかとても嬉しくなりました。そして、人がよりよくなって、幸せになって欲しいって願っている自分がいることに気がついて、そんな自分も大切にしてあげようって感じました。この気づきは、抽選に漏れなかったら気づくことのなかったものです。とても貴重なメッセージを、これからの人生に大切なメッセージを受け取ることができたように思います。実は今回のこのメッセージ、絶妙なタイミングで届いたんです。というのも、ひとつは「自分の成功より....」というテーマで書き始めた、その日に起こった出来事だったということ。もうひとつは、わたし自身が自分のことよりも、周りの人たちに成功してもらおうって決めたところだったからです。というのも、わたし自身のビジネスに大幅に手を加える為に、新しいブランディングに着手していたのですが、「これは、時間をかけてやったほうがいいな」ってことがみえてきて、「そうだ、自分よりも先に、プロデュースの依頼が来ている人たちを応援しよう!」自分のビジネスはそれからでいいじゃないかって思い立ったところだったんです。今回の出来事は、「ホントにその生き方を選択するのか?」ってあらためて問い直された出来事となりました。まさに絶妙なタイミングだったんです。勿論、痛みの感情があがってくることはやはりあります。でも、その時わたしは自分にこう問い直します。それでも、それをやるの?って。そして、わたしは自分自身に答えます。わたしはその人生を生きることを選択する。なぜなら、自分がそれを選択するから。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、こころよりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
October 4, 2006
コメント(6)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。昨日は伝道楽人さん主催の、変な人交流会におじゃまして、長女のはじめてのビジネスのお手伝いをしてきました。長女は小学校3年生ですが、大好きなことで豊かになるためのはじめての体験となりました。現在はかつてないほど、大好きなことをして豊かになるということが注目を集めている時代です。ですが、わたしたちが自分のこと以上に気になることは、子供たちが将来、大好きなことをして、幸せで豊かな人生を生きるということですよね。子供たちがそんな人生を生きられる為に、わたしたちになにが可能なのか?今、なにを伝えることができ、なにをすることが出来るのか?そこに大きな関心があります。たいていの大人が子供たちに伝える、お金との付き合い方といえば、ほとんどの場合、お小遣いをあげて、「無駄遣いをしないにしなさい」と伝える。こんな程度です。大人自身が、ビジネスや投資、豊かさについてほとんど分かっていないか、分かっているつもりで勘違いしていることがほとんどだとしたら、子供に伝えるにしても、なにをつたえたらいいのか?となってしまいますよね。長女は小さな頃から、ケーキ屋さんになりたいと言っていました。そこで今回、変な人交流会の場で、お菓子屋さんを出展させていただくことにして、長女の大好きなことで、豊かさを手に入れる練習をはじめてもらおうというアイデアが生まれたわけです。勿論、ケーキ屋さんをやることが将来、長女の本質的なライフワークになるとは限りませんが、大好きなことで豊かになるというセンスを身につけるには、素晴らしい機会だと考えました。チラシは、一緒に考えて創りましたが、「なぜ、ケーキ屋さんなのか?」というところから創っていきました。Q なぜ、ケーキ屋さんなの?A お菓子作りや料理が大好きだから?Q お菓子作りや料理で嬉しいのはどんなこと?A お菓子をもらってくれた友達や、食べてくれた人たちが喜んでくれるのが嬉しいから。Q じゃあ、料理をするのは、みんなに喜んでもらいたいからってこと?A うん、そうだね。Q ということは、お菓子作りを通して、みんなに幸せになって欲しいってことだね?A うん。って具合に、なぜお菓子を作るのか?っていうことを明らかにしていきます。そして、チラシには、「おいしいですよ」とか、「よそより安いですよ」とかではなく、自分がどうしてお菓子を作るのか、お菓子を通してどんなことを感じて欲しいのかという、お菓子を通して伝えたい「思い」を表現していきました。そして、今回のお菓子の製作と販売という機会を通して、長女に何を学んで欲しいのか、長女が「大好きなことで豊かになっていいんだぁ!」って体験したことで、今後子供たちになにが伝わっていくことを願っているのかという、わたしの思いもチラシに書かせていただきました。おかげさまで、作っていったお菓子はすべて完売することができました。(買っていただいたみなさん、本当にありがとうございます)収益の一部は、次のお金を生み出す資産へ別の一部は、児童養護施設への寄付へそして、一部が手伝ったわたしと奥さんに分け与えられます。大好きなことをして資産を増やす、その資産を使って、次の豊かさを引き寄せる。このセンスを身につけて、将来本当に大好きなことで、幸せに豊かになって欲しいと願います。自分でお金を生み出すというセンスをひとたび身につけたならば、どこに行っても、生きていくことは出来るでしょう。お菓子の販売が決まった日から、長女は毎日、友達を家に集めてお菓子作りの会をやっていました。大好きなことをやる時のエネルギーと、リーダーシップのパワーにはホントに驚かされます。小さなきっかけから、なにかが変わっていったらいいなって感じています。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、こころからお待ちしております。いってらっしゃいませ。PS 前回予告させていただいた、 「自分より、人の成功を応援すると、自分も成功する」 のシェアは、次回お送りさせていただきますね。
October 2, 2006
コメント(10)
全13件 (13件中 1-13件目)
1

