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マスター、今月3度目の東京です。今月は東京ラッシュです(笑)。明日は読者の皆さんとの交流会です。みなさんにお会いするのを楽しみにしています。ブログは31日までお休みします。また、お会いしましょう。ありがとうございます。
January 28, 2006
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わたしたちの多くは、成功したい、豊かな人生を手に入れたいと願うと、頑張って、成果を「獲得」しようとしますよね。ところが多くの人が成功を目指しているにもかかわらず、なかなか望んでいるような成果を実現できずにいますよね。その原因のひとつはどうやら、成果を「獲得」しようとしていることにあるようです。そもそも獲得とはなんでしょうか。獲得という言葉には、どんな意味が含まれているのでしょう。辞書を調べてみると、獲得という言葉には、「手に入れる」、「自分のものにする」という意味があるそうです。なかなか思うような成果を実現できずにいたり、成功したいと願いながら、現実にできないときのわたしたちは、成果を獲得しようとしているようです。つまり、ひとりで頑張ったり、まずは自分が利益を得ようとしたり、自分でも気がつかないうちに、自分が認められたいっていう欲求を含んでいるかもしれないということです。これをきいた人の中には、「そんなことはないよ、家族のためにがんばってるんだもの」って言われる方もいらっしゃると思います。きっと本当にそうなんだと思います。そして、「家族のため」と言いながらも、家族の言葉には耳を貸さないで、一人でやろうとする人も、またたくさんいるようです。幸せな成功者とそうじゃない人たちに出会ってきて、なかなかうまくいかないでいる人たちをみた時に冷静にみてみるとみえてくることは、ひとりで頑張ろうとしている、人の助けを借りないようにしている、自分が「やれるヤツ」って証明しようとしている要素がどこかに潜んでいる時に起こるようです。これは自分では気がつかずに、そのパターンにはまっているわけですが、(ほとんどの人が、子どものころからの習慣になっているようです)でも無意識の深いところでは、自分が自分の評価を上げたいためにひとりで頑張っていることをホントは知っています。そして、自分でも無意識の深いところでは知っているように、周りの人たちも、無意識の部分でその人が自分だけのためにゲームをやっていることをちゃんとキャッチしてしまっています。ひとりでがんばって耳を貸さない人が目の前にいたらどんな印象でしょう。まず応援したくないですよね。マスターが数多くの幸せな成功者と、そうじゃない成功者に出会ってきて明確に見えていることは、幸せな成功者たちはホントに多くの人たちに愛され応援されています。応援されることで、どんどん舞台がせりあがるように、彼らはより輝き、成功していっているんだなっていうことを肌で感じ取ることができます。応援される人が豊かになるってきくと多くの人が、「応援されて成功するなんて、実力じゃないからダメ」って感じたり、「自分は応援されるようなものはなにも持っていない」って嘆いたり、「応援されるような人にならなくちゃ」って卑屈になってへりくだった態度になってしまったりします。そして、これらのツボにはまっている時には、応援される人にはなかなかなれません。では、応援される人ってどんな人なんでしょう。あなたなら、どんな人なら応援したいと思うでしょうか。マスターがみてきた、応援され、イキイキと輝いて成功していく人たちは、大好きなことをやって、自分の人生をホントに楽しんでいる人たちです。そして、自分がホントに楽しんでいるので、人に評価されたいって欲求とは別次元のところにいるようです。でも、ホントに注目すべきところは、幸せに、豊かになる成功者達は、自分がホントに応援されているっていうことをこころからうけとって、損得とは無関係なところで、人を応援する人になった人みたいです。どうぞ、応援されるために、応援される人になるのではなく、人をこころから応援する人になってみてください。そうすれば、気がついたときにはこころから応援し、応援される、本当に素晴らしい仲間たちが周りにいてくれてることにある日きがついて、「最高の財産」だと感じているかもしれませんね。
January 27, 2006
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マスターはショットバーのカウンターに立っていたことで、数多くの幸せな成功者と、不幸せな成功者にたくさん出会うことができたということをこれまでもお伝えしてきました。マスターがひじょうに幸運だったことは、同じ「成功者」と呼ばれている人たちでも、この2種類の人たちに出会うことで、世の中で成功と言われていることに関して、ただ鵜呑みにするのではなく、「なぜなんだろう?」、「ホントはどうなんだろう?」、「やってみたらどうなんだろう?」って、探求をするというセンスを大切にすることができたことだと感じています。わたしたちの多くは、成功のために必要だといわれる知恵をきくと、たいていそれをできてない自分を責めるというところに行ってしまうので、そもそも、彼らが言っていることは、本当なんだろうか?っていうところになかなか立つことがありませんよね。ですが、世の中にはこれがアタリマエって思われていることが、実は全く勘違いであったり、間違った概念であったりすることがたくさんたくさんあるようです。そして、あまりに世の中でアタリマエになってしまっているので、誰も「あれ?これおかしいよ」って気にせずに過ごしてしまっているようです。たとえば、多くの人がアタリマエと思い込んでいるけれど、実は全然勘違いしているというもので、面白いものを例にあげると、スペースシャトルをはじめとする宇宙船のハナシがあります。宇宙船が地球に帰還するには、空気のないところから、空気のある層に突入する、大気圏突入という状態になるわけですが、この際、宇宙船は高熱にさらされますよね。そして、宇宙船は真っ赤な炎に包まれますよね。あれ、大気との摩擦で、宇宙船が真っ赤に燃えると思われているでしょ。でも、実はそれは間違いなんです。知ってました(笑)?実は宇宙船が高熱にさらされるのは、大気との摩擦熱ではなく、宇宙船の下の面が、高速で大気の中を突き進むことで、大気を圧縮している圧縮熱なんです。自転車に空気を入れるとき、勢いよく空気を入れていくと、タイヤが熱をもをもちだして熱くなるでしょ。あの原理なんです。でも、誰が言い出したのか、宇宙船が真っ赤に燃えるのは、大気との摩擦熱だとみんなが思い込んでいるので、誰も疑うこともないというわけなんです。それから、身近なところではこんなものもあります。よくクルマのレースやスポーツ選手のドラマなんかでタイムを計るシーンが出てくると、デジタル表示のストップウォッチが出てきますよね。そして、ストップウォッチの「チキチキチキ...」って音がドラマの緊迫感をとても盛り上げてくれます。でも、よく考えてみたら、デジタルのストップウォッチって「チキチキ...」なんて音はしないですよね。「チキチキ....」音がするのは、ぜんまい駆動の機械式時計のてんぷと呼ばれる部分が動作する音です。水晶振動でうごくクォーツ時計には、てんぷなんてパーツはありませんし、ましてやデジタル表示の時計には、音のするものはありませんよね。じゃあなぜ、「チキチキ」って効果音をわざわざいれるかというと、緊迫感を出して、ドラマを盛り上げるためなのですが、そのベースにあるのは、時計は「チキチキ」音がするものっていう、多くの人たちの疑ってみない同意があるわけです。ここでお伝えしたいのは、世の中にあるものを疑ってみて、あらを探せ~っていってるわけではなくて(笑)、わたしたちはもしかすると、みんなが疑ってもみないことで、アタリマエと認識してしまっていることがたくさんあるかもしれないということです。成功するという概念にしても、豊かになるということに関しても、幸せという概念についても、もしかしたらわたしたちは、疑ってもみないことで、大きな勘違いをしていることがあるのかもしれません。名探偵コナンくんに登場するコナン君のライバル、服部くんの関西弁は「その関西弁はおかしいだろう~」、「「わいはなぁ~」なんて、そんなガラの悪い喋り方するヤツいないゾ(笑)」って誰でもすぐにわかってしまいますが(笑)、(そんなことない(笑)?)世の中には、多くの人が「それがアタリマエ」って無意識に同意をつくってしまって、疑ってもみない解釈がたくさんあるようです。これから豊かさや幸せを享受しよう、成功しようと歩き出す人たちはきっと、「あれ?なんかおかしいな」って感じる場面に何度も出くわすことになるでしょう。そして、「ああ、これって、アタリマエだと思って疑いもしなかったけど、実はこういうことだったのかぁ~」って気づきや発見をたくさんしていくことになると思います。多くの人たちは、早く安心を手に入れたいので、早く成功したいと願っていますよね。ですが、この不思議を解き明かしながら歩む旅は、「ああ!」って気づきを得れば得るほどに楽しくてしょうがいないものみたいです。どうぞ、「これってどういうことかな?」、「ホントはどうなのかな?」って探求をしてみることをやってみてください。そしてどうぞ、旅を楽しんでみてくださいね。
January 26, 2006
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自己紹介をお願いしますって言われたら、あなたはいつも、なんと答えていますでしょうか。わたしたちはたいてい、自己紹介と言われると、名前を言って、どこから来たかを言って、どんな仕事をしているかを話しますよね。それをわたしたちは、自分だと今まで話してきました。ですが、よく考えたら、ホントにこれらがわたしなのでしょうか。確かにわたしは、○○って名前はついていますよね。ですが、これは○○さんはどの人って識別ができるようにするための呼び名でしかないとも言えます。そして、出身がどことか、今はどこに住んでいるということも、「ああ、行ったことありますよぉ」とか、「いいとこですね」って話題を提供するためのものにはなりますし、あの人はどこそこ出身の人っていう識別か、「近くだからまた会いましょう」って機会をつくりだすことはできますが、住んでいるところや出身地が、私ですっていうわけでもありませんよね。同様に、仕事は○○をやっていますっていうのも、その人が○○という仕事を現在やっているということであって、仕事がわたしっていうわけでもありませんよね。ということは、これまでわたしたちが自己紹介をする時に伝えてきた情報は、わたしっていう人間を識別するための情報でしかないかもしれないという見方もできるわけですよね。では、わたしは○○ですっていう、「わたし」の表現とは、いったいどうすることで、伝えることができるのでしょう。先日、興味深い会話をする機会がありました。ある出版をひかえた作家のたまごの方とお話をしていたのですが、その方は「出版のために執筆をしています」とお話してくれるのですが、ご自分では、まだ作家ではないとおっしゃったんですね。え?それがどうしたの?普通じゃないの?本がまだ出ていないならって思いますよね。ですが、はじめてお会いしたわたしは、その方のことをまだ、よく知りませんよね。その時に、「わたしは作家です、今出版をひかえて執筆しているんですよ」って言ったとしたらどうでしょう。わたしは、「ああ、この方は作家なんだ」と認識しますよね。これは、相手は自分のことを知らないから、ハッタリを言っちゃえ~って言っているわけではないですよ(笑)。もし、その方が文章を書くことを通して、自分の考えや思い、ビジョンを伝えるということを生き方として表現するのなら、「わたしは作家です」と言うことは、仕事の名称を伝えるのではなく、「わたしの生き方はこれです」、「わたしはこんな生き方をしているんですよ」っていう、生き方の表現そのものだよなって感じたんですね。自分はまだ本を出せていないから、作家じゃないという人はたくさんいます。また、カウンセラーやセラピストの仕事をしている人たちにも、「わたしはカウンセリングの仕事をしています」とか、「仕事ですか?、一応ヒーリングのお仕事をやっています」って答えてしまったりしませんか(笑)。「一応、○○のお仕事をやっています」って言ってしまう時って、こころの深いところで、どんな感情を感じているのでしょう。きっと、「作家なんて口にするのはおこがましい」、「セラピストとしては、まだまだだもの」、「自分のカウンセリングの技術にまだそこまで自信がないよ」っていうような感情が隠されているってことがみえますよね。ですが、はじめて出会った人は、そんな引っ込んだ言葉をきいてなんて思うでしょうか。きっと、「ああ、この人はまだ素人なんだな」とか、「まだ二流なんだな」としかうけとってくれないでしょう。なぜなら、「一応...」って言葉の中に、無意識のうちにでも、「わたしなんてたいしたことないです」って含んでいるのをちゃんとキャッチしてしまいますもの。それよりも胸をはって、「わたしは作家です、今出版の準備をしているんですよ」、「わたしはセラピストです、今、○○の研究をしているんですよ」、「わたしはカウンセラーです、今、○○のジャンルを深く扱っています」って表現したとしたら、この言葉をきいた人の無意識は、「生き方のプロ」として、うけとってくれるのではないでしょうか。わたしたちは、わたしたちの人生に真剣に生きているのなら、自分の人生、自分のビジョンの表現としてなんらかの職業を選択したとしたのなら、「わたしは○○です」っていうことが生き方の表現であり、わたしたちの生き方の宣言であるといえるかもしれません。わたしたちはこれまで、自己紹介をしてくださいと言われたら、職業や出身地の名称を口にしてきました。ですが、わたしたちのホントの肩書きは、わたしたちの生きたかの表現、生き方の宣言なのかもしれません。どうぞ、胸をはって表現してください。「わたしは、○○です」って。きっと、そこからまったく違う世界がみえはじめるということをこころから信頼しています。
January 25, 2006
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多くの人たちが豊かになりたい、 充実した人生を送りたいと願っていますよね。 世の中には、成功者と呼ばれる人たちがたくさんいます。 でも、「成功したい」と願っている多くの人たちの概念には、 「成功する人たちは、ごくひと握りしかいない」という、 暗黙の了解のようなものがありますよね。 よく考えてみたら、これはいったいなぜなんでしょう。 これまでもお伝えしてきましたが、 マスターはショットバーのカウンターに立っていたことで、 数多くの成功者と呼ばれる人たちと出会う機会に恵まれました。 そこで得た貴重な体験は、成功者と呼ばれる人たちの中にも、 人生をこころから楽しんでいる、幸せな成功者と どこか犠牲をやっていたり、人や社会との競争のゲームから 降りられずにいる、不幸せな成功者がいるということを 肌で感じることが出来たということです。 ではなぜ、幸せな成功者と呼ばれる人たちは、 成功したいと願う人たちのごく一部としてしか、 あらわれて来ないのでしょう。 なぜ、幸せで豊かな人たちがもっともっと、 (表舞台に)あらわれては来ないんでしょう。 そしてなぜ、成功者と呼ばれる人たちの中には、 けっしてお金を追いかけるべきではない、 お金は人のこころを汚してしまうものなんだという感情を 人々に抱かせるような表現をする人たちが表れたり、 成功とは、そんなクリーンなものではないという風な 状況をわたしたちの前に表してくるのでしょう。 なぜ、豊かで幸せな人生を送ることを わたしたちの多くは許可を出せずにいるのでしょうか。 多くの幸せな成功者たちと出会ってきて、 多くのメンターから幸せと豊かさの知恵を学び、実践してきて、 そして、自分も豊かに、幸せに生きていいという許可を出してから だんだんと明らかになってきたと感じているのは、 多くの人たちはどうも、 「自分は豊かにも幸せにもなるだけの価値がない」と信じ込んでいるいうことを 証明しているかもしれないということです。 「成功したい」、「豊かになりたい」と願う人たちの無意識での 自分の現状の評価は実際のところどんなものかというと、 「今の自分は成功もしていないし、豊かでもない」、 ゆえに「今の自分は満足な人生を送ってはいない」、 「今の人生ではダメ」っていうところにあるということが、 冷静な目で探求していくと、容易にみえてきますよね。 では、なぜわたしたちは、容易に成功をしないのでしょう。 なぜ、「成功する人たちはごく一部」、 「成功するのは、たいへんなことがたくさんある」、 「成功するためには、成功できるだけの器が必要だから、今の自分ではダメ」、 「だから、自分たちはなかなか成功できずにいるんだよね」って みんなで同意をつくって、暗黙の了解をつくろうとしてしまうのでしょう。 さきほど、多くの人たちは、「自分には成功するだけの価値がない」ということを 証明したくて、豊かにも幸せにも生きることを 自分に許可していないのかもしれないということお伝えしました。 つまりどういうことかというと、 成功することは実はけっして難しいことではなくて、 難しいと信じているから難しいものして目の前に表れるだけかもしれないということ、 そしてなぜ、成功は難しいと言っていたいかというと、 多くの人たちは欠乏感や自分への無価値感を成功して他人や社会から評価されることで補填しようとしてるのと同時に、実は無意識の深い深いところで、欠乏感や無価値感を補填したいから成功したいと願っているということを、ホントにところは知っているため、欠乏感や無価値感を持っているということを分かってもらいたいがために成功をしないということを表現しているのかもしれません。ちょっと掴みにくいことかもしれないので、もう一度言うと、成功したいと願っている人たちは、自分が成功していない人間だと思っているので、成功したいと望みます。そして、なぜ成功したいかの無意識の部分でのホントの理由は、自分が持っている欠乏感や無価値感を成功することで、他人や社会から評価され、無価値感を補填したいという隠れた裏の欲求を持っているからのようです。でも、無意識のもっと深いところでは、自分が自分の無価値感や欠乏感を補填するためのゲームとして成功したいと言っているということを、本質的に(無意識は)知っているので、成功を実現しないことで、自分は無価値感や欠乏感を持っているということを表現しようとしているかもしれないということです。つまり、無意識の深いところがホントに実現しようとしているのは、成功した人生を手に入れることではなくて、わたしは欠乏感や無価値感を持っているんですよっていう表現かもしれないということです。もしかしたら、これは究極のゲームかもしれません。みながホントは、自分が幸せ豊かになるだけの資格がないって表現して、そしてみながお互いに「やっぱりそうなんだよね」って同意をつくっているのだとしたら、このゲームから降りるには、自分で自分が無価値感や欠乏感を持っていることを認めてあげて、自分で癒してもいい、そんな自分でもホントに立派じゃないかって、認めてあげるところからしか、スタートはないみたいです。多くの幸せな成功者達がみな異口同音に話してくれるのは、失敗も挫折も勿論あったけれど、成功していくのは本当に楽しいということです。そして、自分の大好きなことをやることで、自分はこのままでいいと許可を出した彼らは、成功は全然難しくなかった。不思議な出会いが、どんどん導いてくれたと話してくれます。成功することは、けっして難しいことではないようです。そして、「好きなことがみつからないから、成功できない」って思っている人たちにも言えるのは、好きなことをみつけることも実は全然難しいことではないようです。ただ、無意識の深いところからの声に耳を傾けていることで、「難しい」って信じ込んでいるだけのようです。マスターもこれまで、無価値感にやられ、欠乏感にやられた人生を生きていきました。ですが、自分の人生を豊かに、幸せにしてもいいよねって、許可を出した瞬間から、不思議な出会いがどんどん自分を導き始めてくれ、まるで動く歩道かエスカレーターに乗っているかのように、より豊かで幸せな人生に運んでもらっているような感覚を味わっています。豊かな人生をいきることも、幸せな人生を生きることもけっして難しいことではないようです。どうぞ、自分の欠乏感や無価値感を持ちながらも生きてきた自分に、よく頑張ってきたね、えらいねって声をかけて認めてあげてください。そして、豊かさも幸せも満喫できる人生を選んでもいいねって、許可を出してあげてくださいね。豊かさも幸せも、いつもあなたのすぐそばまで来てくれているということを心から信頼しています。PS マスターとの東京での懇親会に参加希望のメールいただき、 ホントにありがとうございます。 そんなに大勢というわけにもいきませんでしたので、 15名で場所を予約していただいています。 あと3名程はいけそうです。 マスターと一緒に飲んでみたいって、キトクな方は このブログの私書箱にメールしてください。 みなさんとお会いするのを、楽しみにしています。
January 24, 2006
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成功哲学書でも、願望実現をテーマにしたセミナーでも、必ず出てくるのが、手に入れたい「夢のリスト」をつくるということですよね。成功したいと言いながら、なかなか実現できない人や人生を変えたいと願いながらも、なかなか変えることができない人は、夢や目標が明確でないから、だから夢や目標を明確にしましょうということを成功者と呼ばれる人たちは必ず、口々に語ってきました。そして、成功したい、人生を変えたいと願う多くの人たちが、夢や目標をリストにするということを実践していますよね。「夢や目標をリストにすること」という知恵を知った人たちのうち、実際に夢や目標を紙に描いてリストにする人たちは、10人のひとが知恵をきいたとしたら、10人のうちの2人くらい。いわゆる、8対2の法則というやつですね。ですが、夢や目標を紙に描いても、実際に実現していく人は、さらにそのうちの2割と言われています。つまり、目標や夢を紙に描くという知恵を聞いた人の100人中2人くらいの人しか、夢を実際に実現する人がいないということになってしまいます。いったいこれはなぜなんでしょう。マスターはバーテンダーとして、ショットバーのカウンターに立っていたことで、数多くの成功者と呼ばれる人たちに出会うという幸運に恵まれました。そして、豊かな人生を目指して、夢を現実にしようと、起業したり、ビジネスにであったりする人々にもたくさんたくさん出会ってきました。ところが、多くの人は、夢を描き、目標をかかげ、夢の実現に向かって、走り出すにもかかわらず、いくつもいくつも壁にぶつかっていくうちに、うちひしがれて、やがてはしることをやめてしまいます。ある人は、また新しいことをみつけて走り出しますが、ある人は走ることに疲れ果ててしまい、「人生なんてこんなもの、夢より目の前の現実をみなくちゃ」と夢を追いかけることをやめてしまいます。そして、何度も何度も挫折しながらも、また新しい機会をみつけてリトライする人たちも、また何度も何度も壁にぶつかっていくうちにやがて、「夢はかなわないもの」、「自分には、その力がない」というところにいたってしまいます。そのひとたちの表情をみていると、口では「いや、夢は諦めていませんよ、がんばりますっ」って言ってはいるものの、無意識の部分で「もう無理だな」って思い込み始めているのが、垣間見えてしまいます。そして、成功者と呼ばれる人たちの中にも、幸せで豊かな人生を送る人たちと、経済的にも名声的にも豊かになっているにもかかわらず、どこか満足のない、どこか競争から降りられない、どこか不安のかげりをのぞかせたままにしている、不幸せな成功者がいるんだということも、肌で感じるという、貴重な経験をすることができました。どうして、先人達が異口同音に言うように、夢と目標を紙に描いてリストにするということをして、それに向かって行動を起こす人がそれだけいるにかかわらず、人生に深い満足と生きがいを感じる、幸せな成功者とばれる人の人生を手に入れる人は、ごく一部なのでしょう。多くの幸せな成功者と呼ばれる人たちと、そうじゃない人たちと出会い、みえてきた大きな違いは、どうやら多くの人たちが描く、夢と目標自体がそもそもずれているらしいということです。多くの人たちは、実現したい夢、目標を紙に描いてリストにしなさいと言われると、どんなものをリストにするでしょう。よくあるのは、こんな家に住みたい、カッコイイスポーツカー、高級車に乗りたい、海外でスキーをしたい、ハワイでのんびりしたい、本を出版して、講演活動をしたい、起業して、そのビジネスをいついつまでに上場させたい、いついつまでに月収○○万円というような感じのことを描くのではないでしょうか。実はコレ、マスター自身も長いこと、これらをリストにずっと描いていました。ところがある日、ふと疑問に思いはじめたんです。「あれ?自分はこれって、本当に欲しいのかな?」って。「大体、なんで高級スポーツカーが欲しいんだろう?」、「なんで、こんな金額欲しいんだろう?」、「冷静に考えたら、こんなになくても、じゅうぶんに豊かに暮らせるのに、なんでよりによって、こんな天文学的な金額(笑)を描いているんだろう?」、「起業して、上場して、何を得たいと思っているんだろう?」こんなことを、ある時から考え、自問自答するようになって来ました。そして、ある時みえはじめたのが、自分が欲しいと思っていたものの多くは、実は自分をよく見せるために必要だとおもいこんでいたツール、自分の中で隠されていて、みないようにしてきた、欠乏感とか、無価値感を補うためのツールじゃないか?、コレっていうことでした。そう、よくある、美人を連れて歩いてたら自慢みたいな、カッコイイ彼氏と一緒に歩いてたら自慢みたいなことを言って、ホントにカッコイイと信じ込んで吹聴しているコみたいなあの滑稽さが自分にみえてきはじめたんです。そう、自分がどれくらい人の評価が気になっていて、人によく思われたいか、悪く思われたくないかが大事で、見栄えのよさそうなものをたくさんかき集めることで、自分のことをよくみせようとしていたかが、みえてきたんですね。そして、マスターの当時の夢のリストに欠けていたものがなんだったのか、多くの人が夢や目標をリストにしているにもかかわらず、なかなか実現できずにいるのはなぜなのかが、だんだんみえるようになってきました。当時のマスターの夢のリストに欠けていたもの、そして多くの人たちが夢や目標を設定する時に見落としてしまっているものとは、いったいなんでしょう。それは、当時のマスターも、多くの人たちも、欲しいもの、欲しい状況は描くけれど、どんな自分になりたいのか、どんな人生を送りたいのかという、「どうなりたいのか」ということが忘れられていることにあるようです。勿論、家やクルマや海外の生活は、豊かさを味あわせてくれ、達成感と共に、楽しい生活、満足感を味あわせてくれる、素晴らしい体験を与えてくれます。ですが、わたしたちは、物や環境は、満足は味あわせてくれるけれど、本質的な幸せや充実感は、物や環境が与えてくれるものではなく、自分が自分らしく、人生をイキイキと生きる中にあるということを無意識の部分では、ちゃんと知っているようです。わたしたちの多くは、夢を描けといわれたら、「宝くじがあったたら欲しいもの」みたいに、今の自分では手に入れられないと信じ込んできたものを並べ立ててしまうことがありますよね。ですが、人生をホントに深い満足と、生きがいの中で生きる、幸せな成功者と呼ばれる人たちは、夢のリストに欲しいものを描いてきて、手に入れてみて、「おや?」って思ったか、なかなか手に入れない自分を振り返って「おや?」って気づいたかして、欲しいものから、なりたいものに意識を切り替えていったようです。そして、幸せな成功者達は語ってくれます。自分の大好きな事をして、そして自分らしく生きることを選択したなら、もう物を追いかけなくても、豊かさが向こうからどんどんやってくるということを。どうぞ、イキイキとした人生を生きてみてください。そうすれば、ホントに不思議なのだけれど、世の中が力を合わせて、わたしたちに機会と豊かさを運んできてくれることが、きっと実感できるようになるでしょう。あなたに豊かさと幸せが届くことを、こころから応援しています。PS マスターが29日から東京に行きます~。 29日の晩、渋谷でブログやメルマガを応援してくださっている、 読者の方々と懇親会を持ちたいなって思います。 マスターって、どんなヤツ? 会ってみたいなっていう、キトクな方は(笑)、 このブログの私書箱に、どうぞご連絡くださいね。 お会いするのを楽しみにしています。
January 23, 2006
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マスターが29日から東京入りします。29日の晩にメルマガ読者の方やブログ仲間の方たちとの懇親会を予定しています。詳細はメルマガとブログで案内しますので、ショットバーマスターってどんなヤツって、会ってみようかなってキトクな方は(笑)、私書箱の方にご連絡くださいませ。皆さんにお会いするのを楽しみにしています。
January 22, 2006
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前回は、かつてはほとんど注目されることのなかった知恵、幸せな成功者たちが、豊かさと男女間の関係を理解していて、とても大切にしているらしいということが多くの人たちに伝わりつつあるということについて、お伝えしました。そして、豊かになりたいと願う人たちの中から、「豊かさと男女間は大切なんだ」と意識を意識して、注意をはらうことをはじめた人たちがどんどんふえはじめていますよね。その結果、現実に幸せな成功者と呼ばれる人たちが目立たないところで(結構ここがミソ)、どんどん生まれつつあります。ですが、同時に豊かさと、幸せな男女間は大切という情報をきいた人の中には、「幸せな男女間」というものを自分では気がつかないうちに、勘違いしてうけとってしまって、目的地とはまったく違うあらぬ方向に走り始めているということに気がついていないことさえ、気がついていない人がたくさんあらわれはじめてもいます。実は、幸せな男女間を勘違いしている人たちは、少々やっかいな問題を持っています。それはなにかというと、自分は「うまくいっている」と信じ込んでいるということです。正確には信じ込んでいることが問題なのではなくて、信じ込んでいることによって、「自分は正しい道を進んでいる」ってところに立つことで、人の声から耳をふさいでしまっている状態になっています。そして、もうひとつのやっかいな問題は、「自分は正しい」って思って、既に走り出してしまっているために、あらぬ方向に走ってしまっていることに気がつかないでいることにさえ、気がつかずにいるということです。でも、実際には無意識の深いところではなにが起きているかというと、「この道、この方法でそのまま行くとヤバイよ」ってなんらかの信号はちゃんと出ていて、サインがちゃんと表示されているのですが、とにかく突っ走っていたら、なんとか逃げ切れるかもしれないと、無意識の信号に、無意識に無視しているに過ぎません。たとえるなら、クルマの水温計の温度は既になんらかの故障で上がりはじめているのに、水温計をみないようにして走り続けて、結果的にラジエターが破裂するまで、どこか故障しているかもっていうことを認めたくないかのようです。一見すると、本人は気がついてないようにみえますが、どこかで本当は知っています。ただ、知らんぷりしているか、知らんぷりしていることにも知らんぷりしているかだけということみたいです。つまり、人の話をきかない、ガンコモノということになってしまいますよね。っで、ガンコモノは、どこから来るかというと、周りの人たちは、自分のことを認めてくれない、分ってくれないって、無意識が感じている寂しさだとか、悲しみだとか、怒りだとかの感情を、うけいれずに無視して、「なんともないもん」ってしれっとした顔をしようとしている、やせ我慢の状態のようなところからきますよね。さて、豊かさと男女間を勘違いしてる人たちは、出会った瞬間に直感的に分ることができるとお伝えしましたが、見極めるポイントは実はカンタンです。冷静な視点から、その人がどうのようにパートナーを扱っているかをみると、自然にみえてくるようになります。見極めるカンタンなポイントはいくつかありますが、もっとも分りやすいのは、仲がいいと必要以上に口にする人。(ただし、見極めるには、冷静な視点が必要ですヨ)なぜ、仲がいいということを必要以上に口にするのか、口にして表現しようとしているというところに、実はどんな感情が隠されているのかっていうところに、注意をはらう必要があります。必要以上に、「仲がいいんです」を表現しようとする背景には、いったいどんな隠された感情が潜んでいるんでしょう。「背景にどんな感情が隠されているんだろう」という視点からみていくと、まずみえてくるのは、「仲がいい」と口にして言わないと、「仲がいい」と周りはみてくれないんじゃないかという、おそれの感情があるようです。つまり、口にしないとなめられる、自分を小さく扱われてしまうという、無意識の底に持っている、自分への信頼の欠如、無価値感から来ている可能性がみえてきます。そして、なぜ、「豊かさと男女間を大切にしてます」って表現をしようとしている人にとって、「仲がいいんです」って証明することがそれだけ重要になってくるかというと、「豊かになるため」に、「男女間」をちゃんとしなくちゃっていう、知識からきているのが見えて来るでしょうか。ちょっと、キビシイ話にきこえるかもしれませんよ(笑)。つまり、豊かさと男女間の大切さを勘違いしていることに気づかないようにしている人たちが、なぜ「仲がいい」と証明しようとしているかというと、「仲がいいカップルでないと豊かになれない」ってアタマから入った知識に振り回されているということに、気づかないようにしようとしていることにあるということなんです。で、なぜ気がつかないようにしているかということなのですが、(ここが最も重要)「仲がいい」と表現したいホントの理由が、成功者になりたい、豊かな人生を手に入れたいっていう、パートナーの幸せではなくて、実は私利私欲からきているということを無意識の部分ではちゃんと知っているからだということのようです。そして、どうして成功したいかというと、自分の話は人は興味を持ってくれないんじゃないのか、自分はそんなには価値がない人間じゃないのかという、無意識の欠乏感や無価値観を自分で向き合って癒すことが出来ないと(これまた無意識から)信じ込んでるので、成功することで、人に評価されて補填したいという隠れた願いから実はきているみたいだということです。つまり、成功したいという、最初の理由自体が既にずれた線路に乗っていたということなんです。そして、自分の(隠れた私利私欲)ためにビジネスをしている人は、発言の態度に、自分の気づかないうちに主張や、自分に価値があることを証明しようとしてることが垣間見えてしまいます。これは、現実の厳しさを知っておく必要があることなんですが、勘のいい人、自分と向き合うことを経験し、学んできた、幸せな成功者と呼ばれる人たちには、すぐに見破られてしまいます。つまり、自分でも気がつかないうちに、自分の価値証明のためにビジネスをやろうとしていることに気がつかなければ、そのポジションにふさわしい人しかひきつけられないということです。気づいてもいいという許可を自分に出さない限りは、ホントに幸せな成功者への道は、望んでもひらけないようです。そしてこれ、パートナーが知ったら、とんでもない話ですよね。「自分が自分の価値を証明したいがために、わたしをスケープゴートに使っていたってことなの」って。勿論、意識してそんなことを画策していたわけではないでしょうし、そんな目的として、お互いパートナーになったわけではないでしょう。そして、そんなパートナーとあなたがもし一緒に今いるとしたなら、パートナーは、あなたの無意識のなにかを補填する役割をちゃんとやっているはずです。それをゲームと気づいて降りるのか、そのまま続けるのか、自分と一緒に居てくれることに感謝するというところに立ち返って、新しくなにかを創造しはじめるのか、選択は無限に用意されていますよね。ただ、間違いがないのは、選択するのはパートナーではなく、パートナーとどんな関係を創りたいのかという自分の選択だということのようですね。では、マスターが出会った瞬間、「あっ、このカップル絶対に成功する」って直感的に感じて、そして現実に成功していった男女間というのは、どんなものだったのでしょう。それは、2人一緒にいるんだけど、独立した関係、お互いがどこかスタンドアローンのひとたちだったんです。男女として、夫婦として、恋人として、一緒にいて、異性としてちゃんと意識しているのと同時に、全く独立した人格として認めているということみたいです。こういう書き方をすると堅苦しく聞こえてしまうかもしれませんので、別の表現をするなら、「男の人はこんな時に、こんな風に考えたり、感じたりするんだぁ」、「女の人は、男がこう考えたり、こう感じたりするときに、こんな風に感じたり、考えたりするんだぁ」って、男女の違いがあることを理解していて、神秘的なものとしても尊重しているということ。そして、自分とは違う、一人の人間だとして、お互いを認めているということみたいです。そんな豊かさと幸せをどんどん引き寄せる、素晴らしいカップルでも、ちゃんと意見がぶつかったり、怒ったり泣いたりもすることもあるようです。(激しいケンカは、まずないでしょうが)人間ですから(笑)。でも、わたしたちは忘れがちかもしれない大切なことをいつでも思い出すことが出来できます。あなたのパートナーは、自由な意思を持った、自分の生き方を自由に決めることが出来る、あなたとは違う人間であり、かわりの人はいない一人ですよね。そのパートナーが、人生の限られた貴重な時間を、今、あなたと一緒にいてくれることを選択してくれているんですよね。幸せですよね。
January 21, 2006
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マスターのメンターが著書やセミナーなどで伝えはじめたことが大きく影響しだしたようで、幸せに成功するためには、「幸せな男女関係が大切」という知恵が広まってきていますよね。マスターがメンターからこの知恵をきいたのは、もう10年くらい前のことですが、当時の日本にはまだそんな知恵はほとんど見当たらない時代でしたので、はじめて耳にした時には、新鮮な驚きよりもむしろ、違和感の方を強く感じたのを覚えています。それくらい、当時(マスターの意識レベルも)は、成功ということと、幸せというジャンルが結びつきにくい概念だったのと同様に、成功と男女関係の大切さということは、概念としてリンクしにくい、異端の知恵だったんです。今なら、「成功」と「男女間」という言葉と概念を「幸せな成功」、「幸せな男女間」というように「幸せな」という形容詞が、関連付け、新しい結果の解釈を創りだしてくれたことがよくわかりますが、当時はなにせ、異端な知恵だったんです。最近になって、幸せな成功 = 幸せな男女間という考えがうけいれはじめられたということは、わたしたちが生きている世界自体のレベルも「そろそろ、そのレベルに行っていいよね」って許可を出したんだなって感じています。さて、幸せな成功 = 幸せな男女間という知恵をマスターが伝え学んだのは、かれこれ10年前のこと。最初は、「そんな考えがあるのかぁ~、へぇ~」って感じで、ほとんどピンとは来てはいなかったのですが、「幸せに生きたい」、「イキイキした人生を生きたい」って思いはずっと持っていましたので、「大切なこと」ときいた以上は「どのくらい大切なことで、どれだけの効果のあることなのか」ということを、意識して探求するようになったんですね。よくありそうなのは、「大切」ときいたら、とにかく鵜呑みにしてやるか、「そんなのあほらしい」とか言って、やらないかっていうのが、たいていだと思うのですが、マスターがちょっと変わっていたのは、(自分ではそこが才能だと思っているんですが)ただ鵜呑みにするのではなく、「なにがどうすれば、うまく働いて、使い方はどうなのか」、「言われたとおりで間違いないのか」、「もしかして、自分は都合よくきいて、都合よく解釈してないか」、「使い方を間違えるとどうなるのか」、そして、「実践した人と、そうじゃない人では、どんな違いが出るのか」ということに注目して、探求と実践をはじめるようになりました。さて、10数年を通して、メンターからの知恵を探求してきた結果、どういうことが分かるようになったかということなのですが、実はすごいことが瞬間的に分かるようになったんです。それは、どんなことかというと、その人の奥さん(またはだんなさん)をみた瞬間に、「あ、この人、近い将来に絶対成功する人だ」っていうのが分かるようになったんです。そして実際、その直感どおりに、「この人たち、絶対成功する」って感じた人たちは本当に幸せに成功していくのを何度も何度も目にすることになりました。と、同時に、「この夫婦間、恋人間のゲームからどちらかが降りない限りは、幸せな成功という【方向】には動き出さないな」ということも、ひとめみてわかるようになってきました。こうやって、書くとまるで預言者のようですが(笑)、実は、そんなにアヤシイものでもなくて(笑)、その人がパートナーとどう関わっているのかなっていうことを観察すれば、勘のいい方なら誰でも分かるようになることみたいです。ただ、マスターの場合は、実例をたくさんみてきて、確証をたくさん認識してきただけに過ぎないようです。では、幸せに成功していく男女間と、そうじゃない男女間はいったいどこがどう違うのでしょう?まず、幸せな成功とはほど遠いっていう男女間は、難しく考えなくても、すぐにみえてきます。・お互いに【無関心】な男女間・自分が幸せではないのは、この人のせいだって【責任転嫁】してる男女間・自分を相手に認めさせようとする【依存関係】の男女間・お互いが「それぞれ」、自分の人生はたいしたことないと 【足のひっぱりあいっこ】をしている男女間他にもあげたらたくさん出てきますが、簡単な結論でいうと、仲がよくない男女間とまとめることができますよね。なぜ、男女間のことが、幸せな成功と深い関係があるかというと、様々な深い深い理由があるのですが、もっとも分かりやすいところでいうと、他人同士が共存するという形の社会の最小単位だからといえるようです。つまり、男女間でやっている人間関係のパターンが実は社会に対していつもやっている自分の行動&思考パターンそのものっていうことになるわけです。「イタタタタッ!」って感じられた方いらっしゃいます(笑)?でも、その方は大丈夫です。なぜなら、思い当るところがあるということは、自覚があるということですから。なかなか成功を【選択】しない人たちの多くは、「自分のこととは違う」って認識するか、場合によっては認識しないでスルーしてしまいますから。「イタッ」って感じられた方は、かなりいいところに来ているのではないでしょうか。ちなみに余談ですが、「自分には関係ない」ってスルーしてしまう人のパターンにも、段階というかポジションがあって、「自分には関係ないな」って認識する人や、「こんなハナシ、バカバカしい」って認識をする人もいれば、認識をしたくないために、その話題になったら、急に眠くなったり、急用を(自分では気がついていないけど、無意識の底からの恐怖が引き起こすことで)思い出して、その場を離れたりします。また、「ええ?そんなの関係ないでしょ」って思われるかもしれませんが、こういう話題の場に巡り合わないで、他の場所に行っているというのも、認識を避けるための無意識の行動の結果みたいです。それが正しいかどうかの判断は、個々人にお任せするとして、「あの人、分かってないから、教えてやりたい」っていうおせっかいは、この思考&行動パターンを理解していくにつれ、いかに結果の期待できない時間つぶしになってしまうかがみえてきてしまかもしれません。さて、最初にお伝えしたように、幸せな成功をしたいと願う人たちが増え、幸せな成功には、幸せな男女間が必要なんだっていう認識をする人たちがたくさん現れるようになってきました。その為には、いさかいのない、お互いを思いやる男女間をつくることが大切だということに多くの人たちが気づきはじめました。ですが、ホントに幸せに成功する人たちに、たくさん出会ってきて、貴重な知恵を学んできて、はっきりとみえるようになってきたことは、幸せな成功を目指して、幸せな男女間を作ろうとしている人たちの多くに実は、幸せに成功する男女間をとりちがえているばかりに、目的地と違うレールを走っていることに気が付いてもいない人がたくさんいるということです。重要なことは、本人はうまくいっているつもりでいるのだけれど、実は全然目的地と違う方向に既に走り出していることを気がつかないことに、気がつかないで走り出しているということです。それは例えるなら、東京駅に向かって走っていると自分は信じ込んでいるのだけれど、レールの切り替えを間違ったばかりに、実は既に、北海道の最北端を目指して走ってしまっているというような感じです。自分はもしかすると、幸せな成功と幸せな男女間を、気づかないうちに勘違いしてかもしれないっていうことをどうやって見極めたらいいのでしょう。そして、ホントに幸せな成功を実現していく男女間とは、どんな男女間として、わたしたちに見極められるのでしょう。この続きは、次回お伝えしていきますね。今回の内容、カコカワに連載するような内容だったかな。
January 20, 2006
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現在はかつてないほど、人生の目的だとか、自分の生まれてきた目的ってなんだろう?とか、自分にはどんな役割があるんだろう?ということがフォーカスされる時代になったと感じている人は少なくないですよね。ずっとずっと昔から、このテーマを扱ってきた人たちはたくさんたくさんいました。ですが、ようやくというか、ついにというか、このテーマに世界の多くの人が向き合う時代に入ってきたんだなと感じています。まず、どうして今、これほどまでに、人生の目的だとか、生まれてきた目的や役割のことがフォーカスされるようになったのでしょう。世の中には、そこに意識が行かずに「とにかく、まずはお金を稼いで経済的な安心を手に入れることが先決」という意見や、「今はそれどころではない、まず解決すべき問題がある」という考えもありますよね。ですが、ひじょうに興味深いのは、「経済的な豊かさを手に入れればそれでよし」と表現している人たちも「では、お金がたくさん入って、やりたいことをやれたら、それで充分ですね」と質問すると、「そんなことはない」と答えます。また、そうははっきり答えない人であっても、「それで充分ですね」ときかれると、なんだか不満足という顔をします。ということは、ホントに欲しいのはそこではないということは、無意識からの声から直感的にうけっとって、ほんとのところは知っていて、気づかないフリをしているか、気づかないフリをしていることも、気づかないフリをしているかといえるかもしれません。よく、ホントはどうしたいのか、ホントはどうしたらいいのかの答えは、自分の中に全てあるという言葉を耳にします。「お金持ちになりたい」、「まずはそれが先決」と表現している人たちも「それが手に入ればじゅうぶんですね」と質問をする瞬間、なんとも不満足な顔をするということは、ホントはちゃんと知っているという証明なのかもしれません。また、「お金だけじゃない」と、清貧な生き方を表現する人も、どうやら本質的な望みに知らんぷりしているか、知らんぷりしていることにも知らんぷりしているだけかもしれませんし、そうか、「バランスが大事ですね」って答える人も、もしかしたら、ひとつの回答に満足することで、より本質的に望んでいることに知らんぷりしているかもしれません。これまでは、お金をたくさん持っていること、役職や名声などのネームバリューに満足を感じることで、欠乏感を補完して、本質的な望みに目を向けなくてもいい時代だったのかもしれません。また、世の中の批評や人の批評をして、自分のことに注意を向けないことで、本質的な望みに目を向けなくてもよかったのかもしれません。ですが、目を向けたくないと思っていても、どんな仕事をしているかとか、どれだけお金を持っているかとか、どれだけ自分は高い志を持っているかというような、自分以外の誰かか、何かに「それでいいよ」って言われることに本質的な満足はないということを、多くの人たちが直感的として受け入れるようになってきたということかもしれません。もしかしたら、仕事に生きがいを感じられないからということで、仕事をしない人が増えていることが問題だと捉え、問題を解決するその場の応急処置に目を奪われることから、仕事に生きがいを感じられないとしている人たちが、役割として、なにをわたしたちに表現してみせてくれようとしているのかということに意識を向けたら、これまでみえなかったものがみえてくるようになるかもしれません。マスターはある時、「ああ、自分の人生の目的、生まれてきた目的、自分の役割ってこれだったんだ」って瞬間的に受け入れるという体験をしました。そして、その瞬間から、まったくそれまでの人生と違う人生がはじまりました。ホントに生きたい自分、ホントに生きたい生き方、ホントに表現したいこと、ホントに発信したいこと、ホントに感じていたいこと、それらがはじめはぶれているのだけれど、人生の目的と役割に沿わせていくことで、どんどんぶれが小さくなっていき、ブレが小さくなればなるほど、それまでみえなかったものがみえるようになり、その生き方にふさわしい豊かさをうけとり、その生き方にふさわしい友情や愛情を感じ取ることができるようになってきました。ですが、これまでひとつ手放せなかったものがあります。それは、「人生の目的を発見するのは容易ではない」という感情です。生きがいを感じる人生、イキイキした人生を生きたいという思いを思い返してみると、ごく小さな頃からずっと持っていたんだなということを少し前に思い出す機会がありました。そう、そんな人生を生きたいって、ずっとずっと自分の中に持っていたんです。それでも、人生の目的を発見するまでに、これだけの道のりを歩き、あれだけの壁にぶつかったり、挫折したり、絶望したりの痛みを感じる体験が必要だったのなら、「やはり人生の目的をみつけるのは容易なことではないんだ」と感じていました。ですが今、思うんです。自分が難しい、容易なことではないって表現して生きていたから、「難しい」、「分からない」って表現する人が表れたり、安直に「分かった!これだ」って、はたからみていたら、あきらかにピントがずれていることがみえることを表現する人たちが表れてきていたのかもしれないって。自分が苦労してきたから、他の人も苦労するだろうなってところにいることで、自分でも気がつかないうちに傲慢さを隠し持ち、人の成長の機会に助手席からサイドブレーキを、しれっとひいていたのかも知れません。ですが、人生の目的をみつけることが、目的なのではなくて、人生の目的をみつけるまでに体験した様々な経験と、その時に感じた感情が、実はこのうえない財産なんだっていうことが見え始めた瞬間、人生の目的はみつけることは、けっして難しいことでもなんでもなく、その人がホントに自分で知っていることを、そろそろホントに受け入れていいって、自分自身に許可を出すかどうかだけのことなんだなっていうことがみえてきたように思います。かつてのマスターにあったのは、人生をイキイキ生きている人がよくて、自分の人生をイキイキと生きることを選択しない人たちは、自分の人生を台無しにしている人たちなんだっていう、いいか悪いかの判断でしかなかったようです。そして今、自分自身がそうだったように、多くの人が経験という貴重な体験を通して、感情を感じること、ホントに自分が生きたい、人生の目的をみつけることに一歩一歩前進しているんだなって信頼できるようになって来ました。そして、なによりも自分で受け入れられるようになったのは、「自分よりずっと早く人生の目的に出会える人が現れるようになって、その人たちがイキイキと生きることそのものが、自分の人生の目的と役割に最高に沿っているよな」っていうことです。そういう角度からみてみると、たいへんなことばかり起きているように感じる世界が実はもう気づいて、受け入れていいよって、選択の許可をくれている世界なのかなって、みえてくるのかもしれませんね。
January 19, 2006
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前回は、「豊かさや幸せは、うけとればいい」という言葉をきいたときのわたしたちの多くが、実は巧妙な手口を使って、豊かさや幸せを容易にはうけとらないように仕組んでいるようだということをお伝えしました。今回は、どんなことをして、人が豊かさや幸せを、ただうけとるということを避けているのか。そして、豊かさや幸せをうけとることが、実はけっしてむずかしいことではないらしいということをマスターの実体験を通してお伝えしたいと思います。マスターは10数年前から、生きがいを感じ、幸せな人生を得たいというところから、数多くの様々なセミナーや講演会に参加してきました。それらは、ビジネスのセミナーであったり、どうやったら儲かるかというものであったり、また、自分の人生と向き合うものであったり、内面を徹底的に探求するもの、人と自分、自分と世の中の関わりを探求するものだったり、実に様々なものに参加してきました。セミナーには、マスターやマスターの友人たちの人生に大きな気づきと成長を与えてくれる、ホントに素晴らしいものがたくさんありましたが、中には「これは絶対、人にはすすめられないな」って「ハズレ」って感じるような(笑)ものもまたたくさんありました。ただ、そのセミナーの内容が素晴らしいものである、ハズレ(笑)であることに関わらず、必ず体験することで気づきと成長のきっかけはうけとってきたように感じています。それには、メンターが昔言ってくれた言葉、「自分の成長への投資ほどリターンの大きい投資はない」、「ホントの成功者と呼ばれる人たちは、自分の成長にもっともお金をかけてきた人」というのが強く残っていたことがとてもよい方向に働いたようです。さて、少し話がそれました。マスターは様々なセミナーや講演会に参加をしてきたわけですが、ある時から、「あること」を強く感じるようになったことがあります。そのあることとはなにかということなのですが、セミナーに参加すると、内容によってはグループワークと呼ばれるものをする場合があります。これはどういうものかというと、(参加したことがある方はよく分かると思いますが)参加者同士が自分の発見したもの、感じたことなどをグループになって自由に分かち合うというものです。そのグループワークの際、当然一番はじめは、初対面の人がほとんどなわけですから、グループの中でお互いの自己紹介をするわけです。「自分はどこそこから来た、○○というものです。」「仕事はこんなことをしています。」「今回のセミナーはこういうことを学ぶ目的で来ました」って具合です。ところが、ある時を境に、この自己紹介の際にとても目に付くことがあることに気がつきはじめたんです。それはなにかというと、何十回といろんなセミナーに参加してきたけれど、グループで自己紹介をする際、「みんな自分の主張をすごくしているよな」、「人の話をきいているようで、実はあまりきいていなんじゃないのか」っていうようなことを感じ始めたんです。そして、マスターが感じていたことはなにかというと、この人たちは、「あなたたちは、わたしのことはよく知らないだろうけれど、ホントはこんな高いこころざしを持っていて、仕事や生き方もすごく真剣にとらえているんだゾ」、「あなたたちは、どうか知らないけれど、自分はあなたたちとは違うんだぞ」って、実は思っているなっていう感覚でした。そして、たいがいのセミナーでこの感覚はいつも感じていたんです。でも、冷静に考えたら、そりゃあそうだなと思っていたんです。自分の人生の為にお金と時間を割いてでも、学びにくるくらい真剣な人なわけですから、そう思う人がいっぱいいるのは当然のことだと思っていました。ですが、「それにしても、自分はあなたたちとは違うんだよ」って雰囲気をかもしだす人たちでいっぱいなんだなっていうことは、いつもいつも感じるようになっていました。ところが、そんなマスターに強烈な転機がやってきました。その転機を体験してから、マスターの人生はまったく変わってしまったというほど、強烈な転機です。それは、いつものようにセミナーのグループで自己紹介をする場面で起こったことでした。きっかけは、セミナーの講師のある一言、たった一言の言葉でした。「このセミナーでなにをうけとりにきたかということを、じゆうにわかちあってください。」それと、「自分がなにを与えるのかということも、分かち合って下さい。」という言葉が耳に入ってきたんです。「自分がなにを与えるのか」こんな言葉は、セミナーでも書籍でもききなれた言葉です。ですが、自分が今この瞬間、なにをあたえるのかということなんて、意識して、言葉にして、行動したことなんてないということを瞬間的に悟る言葉でした。その時、マスターの中に稲妻が落ちたかのような閃きと気づきがやってきました。そして、グループでの自己紹介で、自分の番がまわってきた時、マスターは、こんな言葉を話していたんです。「わたしは、これまで数多くのセミナーに参加してきました。」、「そして、いつも感じていたのは、自分以外のグループの人たちが、自分の主張ばかりして、相手の話にはホントは興味を示してはいない、自分のことにしか興味のない人たちなんだなって感じていました。」、「ですが、今、自分がなにを与えられるかということをみた時に、実は今まで自分が、『自分は、あなたたちとは違うんだよ』って生き方を表現していたんだっていうことに気がつきました。」、「実は、自分がそんな風にしか人と関わらないから、関わってくれる人たちも、ホントにオープンに分かち合うということができずにいた、自分がその場をつくっていたということが見えました。」そして、マスターは次に、こうグループの人たちに分かち合いました。「自分は必要以上に自分をよくみせるのでも、必要以上に自分をひくつに低くみせるのでもなく、等身大の自分で、みなさんと分かち合いたいと思います。」、「そして、この気づきが、今、わたしから皆さんに分かち合える(あたえられる)ことだと感じています。」こう伝えんたんですね。そうしたら、ホントに自分も周りの環境もまったく別の世界として現れ始めたんです。参加者のみんなが、等身大でわたしたちに分かち合うように現れ始めました。そして、みなが、競ったりする相手などではなく、素晴らしい友人としてみえはじめたんです。これは、マスターのすごい転機になりました。この気づきは人によっては、「人は自分の鏡ということですよね」って思われるかもしれません。まったくその通りなのですが、ここでお伝えしたい大切なポイントは、「こうやって今まで自分は、豊かさも幸せも自分で拒絶していたんだ」ということをリアルに体験したということなんです。自分が等身大に、自由に分かち合うという「生き方」を選択した瞬間から、自分に関わる人たちも、友情や愛情や、優しさや、思いやりということを惜しげもなく表現することをはじめてくれたんですね。豊かさは、大きな川の流れのようなものだとメンターたちから伝えられてきました。それまでのマスターには、メンターたちのこの言葉は、知識としての言葉でしかありませんでした。言葉としては知っているけれど、リアルな実体験、いつでも感じられるものではなかったんですね。ですが、自分が等身大で分かち合うことを、自分自身に許可した瞬間から、友情や優しさなどとともに、豊かさ(勿論経済的な豊かさも含めます)が流れ込みはじめたんです。豊かさの流れは、実は自分自身が、自分では気がつかない手口を使ってせき止めていたんだということをホントに実感として、リアルに体験することができました。今まで、自分が流れをせき止めていた為にろくに回ることがなかった水車がいきおいよく回り始めたんです。そしてぜひ、あなたにお伝えしたことは、水車が回ることにより、穀物をみんなが食べられるようになるように、水力発電でみなの家に明かりが灯るように、自分だけでなく、自分の周りの人たちにも豊かさが流れ始めるということです。「豊かさを分かち合うことが大事」という言葉をきく人の多くは、自分に来たわずかな豊かさを、小さなビスケットを割って配るようなことだととらえることがよくあります。ですが、本当の豊かさとは、「本当に豊かな人生だっ」ってこころから満足と感謝が味わえ、そして、その感動が豊かさになって、周りの人もどんどん豊かにしていくことなようです。人は、自分でも気がつかないうちに、豊かさがあまり来ないように、巧妙な手口を使ってせき止めているようです。あなたは本当に豊かになることが可能です。そして、あなたが豊かさをホントに受け取った瞬間から、あなたの周りの人たちも豊かさを受け入れ始めるでしょう。「人は豊かになるために生まれてきたのだ」と、多くのメンターたちも伝えてくれてきました。どうぞ、豊かさをうけとって下さい。そして、人生の素晴らしさをこころから楽しんでください。
January 18, 2006
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豊かさは、ただうけとればいい。世界には豊かさがあふれていて、「ただ、うけとるだけで幸せも豊かさも無限に手に入る」という言葉をきかれたことがある方は少なくないのではないでしょうか。この言葉をきくと、わたしたちの多くは、「うけとればいいというけど、どうやってうけとればいいの?」というところに意識がいきますよね。ですが、「豊かさも幸せもただうけとればいい」という言葉には、実際のところ、どんなエッセンスが隠されているのでしょうか。まず、「ただ、うけとればいい」という言葉をきいて、「うけとり方がよくわからない」と反応する人たちには、どんな感情が潜んでいるのかを、探求していくとみえてくるものがあります。まず、「うけとりかたがわからない」という言葉からみえてくるのはなんでしょう。「うけとり方がわからない」という言葉にはどんな感情や思いが込められているでしょうか。まず、「うけとり方が分からない」という言葉の意味を紐解いてくと、最初にみえてくるのは、「方法」が分からないという意味が込められているのがみえてきます。つまり、「方法」という答えを求めている立場だと言えるわけですよね。ここになにがあるかというと、まずひとつは方法が分かれば、「豊かさや幸せが手に入れられるのなら、誰か教えて」という欲求がみえてきますよね。ところが、このポジションにいること自体が、「実は豊かさや幸せをうけとる」ということを放棄しているポジションだということが多くの人たちには、みえていないことさえ、気づかずにいるようです。まず、ひとつは「方法を求めていること」自体が、すでにうけとるというポジションに立っていないということがみえてくるのが分かりますでしょうか。次に「豊かさや幸せのうけとり方が分からない」という言葉を発信しているということは、「わたしは、(まだ)豊かでも幸せでもない」と宣言しているのと変わらないということがみえてくるようです。つまり、わたしたちがいつも(自動的に)陥ってしまいがちな、「自分はなにかが欠けている」、「自分は、まだまだ豊かだとか、幸せだって宣言するには足りない人間だ」、「今の自分がじゅうぶんに幸せで豊かだなんて言ってしまったら、満足してそこから先を放棄してしまうってことじゃないの」っていうような様々な、いろいろいろいろ、限りない無意識の深いところからの欠乏感から泉のように湧き出す声に耳を貸さないようにしながら、ちゃっかりコントロールされているようです。欠乏感から、泉のように湧き出す(深い部分の)こころの声って、なんとも奇妙な、豊かなのか、なんなのか矛盾した言葉なだけに不思議な感じがして面白ですよね。さて、ホントに豊かさや幸せをうけとるって、どういうことなんでしょう?そこを明らかにするには、実は多くの人たちは、自分でも気がつかないうちに、ひじょうに巧妙な、それでいて、これ以上ないくらい明らかな手口を使って、豊かさが来ないように仕組んでいることをみる必要があるようです。そして、このすごくカンタンな(人によってはこれ以上ないくらいカンタンなのに、難しいと解釈することで、豊かさを容易にうけとらないようにする)知恵を実践することで、ホントに豊かさの流れがみえはじめて、うけとるか、うけとらないかを選択できるポジションにつくことができるようです。ホントにカンタンに、豊かさと幸せをうけとる自分だと、選択できたなら、次回を楽しみにしていてくださいね。マスターが、豊かさと幸せを少ししかうけとっていなかったことを目の前でホントにリアルに実感して、それまでとは比べ物にならないくらい、豊かさと幸せを受け入れはじめた、体験と知恵を分かち合いたいと思います。それでは、明日。
January 17, 2006
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明日から4日間、また東京に行ってきます。というわけで、またまた16日までブログはお休みです。東京への目的は、帰国しているメンターに会いに行くことと、現在進行中のとびっきりのプロジェクトの打ち合わせの為です。思えば、東京に行く度にどんどんステージが変わっていくのを体験しています。数年前までは、「大好きなことを仕事にしよう」、「ライフワークを生きよう」と言われても、なにが自分の本当に大好きなことか分からなかったし、ライフワークなんて、さっぱり見当もつかなかった自分がいたんです。ですが、本当に人生は変わります。多くのメンターから学び、自分自身も体験してきて言える人生を変える大切なポイントは、人生を変えるのは、どんな人と出会うか、分からなくてもいい、分かる時を待てるというところに立てるか、(自分の人生を信頼できるか)そして、自分は自分らしく生きたいということに、誠実でいるかどうかのようです。今回の旅で、また多くの気づきと学びを得られることをこころから信頼しています。そして、いつも来てくださる皆さんに貴重な体験をお伝えできることを心から嬉しく思います。それではまた、16日にこの店のカウンターでお会いしましょう。 マスター
January 12, 2006
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マスターはゆうべ、マスターの時計のメンターである酒場の師匠のところに新年の挨拶もかねて顔を出しに行きました。以前にもお伝えしたことがあると思いますが、何人ものメンターから、「腕時計というものは運を左右するものだから(特に男性)、ヘンな物はしてはいけないよ」と伝えられてきました。よい運を呼ぶ時計というのは、高価なものをしたらいいなどというものでなくて、その人のその人らしさを引き出してくれる波長のあったものがあるそうです。よくありそうなものなのですが、お金をたくさん持っているようにみえるような、自慢の感情から持つ時計(欠乏感の裏返しですね)はあまりよい運を呼ぶものとはいえないみたいです。ところで、マスターの時計メンターは、あることがきっかけになって、時計の世界にどっぷりとはまるようになり、ついには時計師になるべく時計学校に通うようになりました。そのきっかけが、実はけっこう笑えるけど不思議な話なので今回はそのお話をお伝えしようと思います。マスターの時計メンターがまだ20歳くらいの頃、ある会社に勤めていたそうです。その会社での直属の上司がはめていた時計がロレックスのサブマリーナという時計。バブル期だったこともあり、それまでロレックスと言えば、成金ぽいオヤジが、ダイヤをちりばめた金無垢の時計をアブラギッシュに(笑)ちらつかせるイメージがメンターにもあったようで、サブマリーナをはじめてみた時、「ロレックにもこんな男っぽくて、ワルっぽい時計があるのか」ととても気になったそうです。そんなある日のこと、その上司はサブマリーナを壁にガツンとぶつけてしまったそうなのですが、メンターが「うわっ、大丈夫なのかな」と心配そうにみていると、「ああ、これ?」と言いながら、壁にガツンガツンぶつけてみせたそうです。メンターがすごく驚いていると、「この時計は仕事ができる男の労働者の為の時計だよ」、「でも、君はまだ若いから手が出ないだろうから、こんなものを身につけられるくらい、仕事をがんばりなさい」と言われたそうです。さてさて、それからのメンター、その言葉より、時計をガツンガツンやってみせられたことのほうが強烈な印象に残ったようで、サブマリーナのちょっとワルっぽくて質実剛健なイメージにすっかりやられてしまったそうです。ですが、新品は社会人になり立ての当時のメンターには高価でとても手が出ませんでしたし、ローンで時計を買うのは、見栄から来るものだからやってはダメという教えもあったので、質屋さんをまわることにしたそうです。さて、何軒かの質屋さんをまわっていると、なんとか自分でも手が出そうなサブマリーナをいくつかみつけたそうです。今、探してもそんな金額では売ってないような金額で、探せば当時はあったようです。さて、めぼしをつけたサブマリーナをいよいよ購入する日がやってきました。質屋さんには3本のサブマリーナがあったそうなのですが、3本のうち1本だけ、SUBMARINERという文字の表記が赤色で書かれていて、とても気に入ったそうです。で、店内に入り、「この文字の赤いサブマリーナを下さい」とついに購入に踏み切ったそうです。自分の腕にあうようにコマを調整してもらいながら、「この時計が自分のものになるんだぁ」ってとてもドキドキしたそうです。と、その時のこと、質屋の自動ドアが開いて、すごい勢いでひとりのおじさんが店内に飛び込んできたそうです。そのおじさんは、すごい勢いで走ってきたようで、息をきらしながら、「わたしがあずけたサブマリーナを取りに来たました」と店員さんに言ったそう。ところが店員さんの答えは、「その時計は、今この方が購入されました」。その瞬間、そのおじさんは、一瞬かたまってから、「ええっ!!!」と叫びながら、両腕をまっすぐに天にあげて、クルクルまわりながら(笑)、自動ドアの外に消えていったそうです。「ええ!ホントう???(笑)」って思うような爆笑なハナシでしょ(笑)?でも、メンターはこの話を話すときは、「ホントにホントだってばっ!」って言い張ります(笑)。この爆笑な体験をしたメンターがなにを感じたかというと、クルクルまわってしまうくらい(笑)ショックを受けるということは、この時計には、なにか特別な理由があるかもしれないと感じて、他の質屋さんやアンティークウォッチショップにあちこち持って行ってみたそうです。そしたら、驚くべき反応がっ。メンターが購入した質屋さんでは、他のサブマリーナと同じ価格で売っていたのに、他の質屋さんやショップに持って行ってみせてみると、みな口をそろえて、メンターが購入した金額の3倍以上の金額を提示してきたそうです。彼らが異口同音に口にしたのは、「これ、赤サブですね」という言葉。それからいろんな文献で調べてみると、SUBMRINERの表記が赤く書かれたモデルは、赤サブと呼ばれ、マニアの間で高額で取り引きされる、希少なモデルだということが分かったそうです。しかも、その希少性が文字だけを書き換えた、いわゆるリダンとよばれる贋作をたくさん生みだす結果にもなり、ますますオリジナルの希少価値が上がってしまうとい状態をつくりだしていたそうです。この時、メンターは「時計ってお金になるんだ」って知ったとのこと。それ以来、メンターは時計収集家としての人生を歩むようになり、数多くの時計を扱うようになったそうです。そして、マスターもミラーダイアルという希少なサブマリーナを(しかも以前の数人のオーナーたちは、みな出世したというすごい強運の時計)譲ってもらうという幸運にも預かることになりました。メンターにきいたところ、なにやら今年は「時の年」と呼ばれる年らしく、幸運をひきよせる時計を身につけるのにもっとも良い年だのこと。偶然ですが、マスターが年が変わる前に新しい時計を購入していたのも、実はとても意味があることだったそうです。なにが人生の転機になるか、ホントに分からないものですね。少なくとも、メンターの時計ライフが、マスターをはじめ、多くの人たちの人生に大きな影響を与えたのは間違いありません。時の年といわれる今年、あなたはどんな時計をされるのかな?でも、時計メンターはじめ、いろんなメンターいわく、時計をしない方が、その人らしさにあっている人もいるし、先にも言いましたが、高価だからいいということはけっしてないそうです。じゃあ、どうやって自分に合う時計や、時計を持つほうが自分らしいかどうかわかるのでしょう?それはね、こころ静かにして、直感にきいたらちゃんと分かるそうですよ。時計メンターの希少な赤サブ
January 11, 2006
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本日東京から戻ってまいりました。今回はホントに、素晴らしい出会いと素晴らしい気づきに溢れた旅になりました。思わぬところで、ビックリするようなシンクロニシティにもたくさん出会うことになり、「どんどん人生が前進しているんだなぁ」ととても感慨深いものがあった旅でした。さてさて、今回の旅は、たくさんの感動的なシンクロを経験した旅だったのですが、特に興味深かったのが、マスターの子どもの頃からの夢に関わるシンクロを多く体験できたことです。多くの人が子どもの頃に「大きくなったならこんな大人になる」、「こんな仕事をする」、「こんな夢を実現する」という夢を持ちますよね。それは野球選手だったり、サッカー選手だったり、パイロットだったり、看護婦さんだったり、ケーキ屋さんだったりと、人によって様々なものがありますよね。マスターの子どもの頃の夢は、職業はパイロットか、船の船長か、小説家になること。どんな大人になりたいかというのは、死ぬまでずっと成長していくような人生を生きる人になること。そしてかなえたい夢は、地球を飛び出して宇宙へ出るということでした。さて、こんな夢のことはずいぶん昔に忘れてしまって、長い間思い出すことはなかったのですが、それぞれきっかけがあって、ひとつづつ思い出すようになってきました。今回の旅で奮い起こされた子どもの頃の夢は、宇宙への旅をすることでした。今回のきっかけは、とても単純なところからはじまっていて、クリスマスに自分へのご褒美に新しく購入した時計がきっかけです(笑)。オメガのスピードマスターという時計で、NASAが宇宙での船外作業をはじめとする宇宙でのミッションに標準装備品として指定している時計です。唯一、月まで行った時計だということでも有名な時計ですが、このへんのことは、詳しいサイトがいくらでもあるので、ここでははしょります。ようは宇宙に憧れる人が時計に興味を持ったら、多くの人が興味を持つのがこの時計というわけです。さてさて、人の意識と、潜在意識というものは実に面白いもので、時計をきっかけに宇宙に興味を持ち出すと、自分でも気がつかないうちに「宇宙に関すること」に意識も潜在意識もフォーカスをむけるようで、街を歩いていても、本屋に行っても、どこに行っても、やたら宇宙に関するものを発見してしまいます(笑)。今回の旅行でもアインシュタイン展をはじめ、様々な宇宙に関する書籍や話題に意識がいってしまいました(笑)。ところで、宇宙へ行きたいという子どもの頃からの夢、ほんの数年前までは、夜みる夢と同じように、ホントにただの「夢」にすぎなかったものだったのが、いまやお金を用意すればホントに実現する時代に突入していますよね。ホントに嬉しいし、素晴らしい時代になったと感じています。まだまだ高価な旅行ではありますが、ニーズがどんどん増え、コストの問題が徐々にクリアされることで、安価に、安全に宇宙旅行を楽しめる時代は、もうそんなに遠くないだろうなと感じています。さて、ニュースで「宇宙旅行の実現」のことが報道されたのは、比較的最近のことですが、あのニュースを観た時、わたしたちの感情はなにを感じたでしょうか?きっと多くの人は、「すごいな」という言葉と同時に高価な旅費に、「自分には関係ないことだ」と感じたかもしれません。また人によっては、「そんなことより、他のことにお金をまわせよ」と思ったかもしれませんし、高額な旅費を出す人たちをねたむ人もいたかもしれません。そして、人によっては「いよいよ夢が叶う時代がやってきた」と感じたでしょう。ところで、「夢が叶う」と感じた人たちは、お金持ちだけだったのでしょうか?たしかに、たくさんお金を持っているお金持ちで、宇宙を夢みてきた人たちは、「お金をだせば宇宙へ行けるんだ」って喜んだかもしれません。ですが、今それだけのお金をすぐに出せない人の中にも宇宙旅行ができることを喜んだ人はきっといると感じています。ひとつの理由は、夢を目標にして「叶えよう」と決意する人がいるでしょうし、他には、先にふれたように将来コストが下がることを予見して、貯金なり、お金を生みだす為の活動をはじめる人もいるでしょう。少なくとも、「自分には関係ない」と感じた人たちには起こらないことが彼らの身には間違いなく起こりはじめているはずです。自分ひとりではけっして叶わなかったような夢が、世の中の「進化」と、多くの夢を持った人たちの「手」と、夢を現実にしたいという「思い」が現実にしようとしています。そして、そんな人たちの夢を叶えたいという思いがあったおかげで、わたしたちも「子どもの頃からの夢」を現実にすることが可能になりつつあります。あるメンターが話してくれた言葉でとても印象的なものに、大きな夢をもつことが、将来の人生を大きく変える、子どもの頃に大きな夢を持つことの大切さを語ってくれたことがあります。わたしは子どもの頃、月面から見た地球の写真にホントにドキドキしました。そして、なぜそう思ったのかは正確には覚えていないのですが、大きな夢を持たないと、小さな人間になってしまうと子どもの頃から感じていました。マスターの父は、サラリーマンとしてはひじょうに優秀な人で、退職後も毎日、会社の役員の人たちが仕事の相談に来ていたような人でしたが、父から「仕事は遊びじゃない」、「楽しいものではない」と言い聞かされて育つという環境にいましたので、きっとそれが大きなきっかけになっていたのかもしれません。とにかく「夢は大きく」がわたしの小さな頃からの座右の銘でした。そして、小学校の時のこと、忘れられないやりとりを級友としたのを今でも鮮明に思い出します。わたしは同じクラスの級友に「大人になったらなにになるの?」っていうよくある質問を投げかけたことがあります。その時返ってきた答えは、「夢は大きく」というのを座右の銘にしていたマスターとって、とても衝撃的なものでした。級友はあっさりと、「サラリーマンになる」と答えたんです。小学校2年生にして!父親から「仕事は楽しくない」ときかされていたマスターでしたので、彼のこの言葉はとても衝撃的で、「自分は我慢して生きる」、「夢は追いかけなくても、無難に生きられたらそれでいい」と言っているように子どもの頃のマスターはとりました。勿論、そう解釈したのは「仕事は面白くないもの」という父の教えから来たマスターの独特のうけとるポジションから来たものでしたが、なにせパイロットだとか、野球選手だとかいう解答を予想していたマスターにはとても衝撃的な出来事になったのは間違いありません。彼がその後、どうしているかは同窓会もありませんし、マスターには知るよしもありませんが、少なくとも間違いないのは、幼い頃のマスターに強烈なインパクトを与えて、その後の人生の大きな転機となったようです。メンターたちから伝え学び、多くの幸せな成功者と呼ばれる人たちに出会ってみて強く感じるのは、みな幼い頃に大きな夢を持っていたということです。そして、誰もが実際には大きな夢を思い描いていたと思います。ただ、いつの間にかそれを忘れてしまっていただけかもしれません。人は大きな夢を持つと、自分の力だけでは達成できないことを不思議な縁や巡りあわせをへながら、多くの人と(知らないうちに)力をあわせながら実現していくようです。あなたの忘れていた子供の頃の夢はなんでしょう?マスターは子どもの頃、死ぬまでにきっと宇宙へ行こうと夢を描いていました。その当時はとうてい叶わない遠い遠い、夜みる夢と変わらないほど非現実的な夢でしたが、「チャンスが来たら、きっと行こう」ということは決めていたように思います。そして、今深い深い興味を持ち、ぜひともこの夢を実現したいと感じるのは、宇宙へ行った多くの宇宙飛行士たちがみな、地球の外に出たことで、大きく人生観を変え、深い哲学を持ち、その後の人生を大きく変えているということにあります。宇宙へ行って、地球を外から眺めてみた時、どれほどの感動を感じ、そしてどんな啓示をうけとるのか、そのことに心底ワクワクしているんです。そして、かつては宇宙へ出ることが死ぬまでに達成したい目標でしたが、今度はチャンスがあるならきっと、月から地球を眺めたいということを決めているロマティストなマスターです(笑)。左から父の形見の70年代セイコー、キングクォーツ メンターから譲ってもらった、持つものをみな出世させたというロレックス サブマリーナ 5513ミラーダイアル 60年代そして、子どもの頃の夢を思い出させてくれたムーンウォッチ、オメガ スピードマスター プロフェッショナル
January 10, 2006
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いつもいらしてくださる皆さん、ありがとうございます。マスターは今日から数日東京へ出張です。10日には戻ってまいりますので、それまではこのブログもお休みです。10日にまた、このカウンターでお会いしましょう。ありがとうございます。 マスター
January 6, 2006
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多くの人が元旦を迎え、新しい1年が始まると「今年こそは○○な1年にしよう」と誓いをたてますよね。マスターもこれまではずっとそうだったのですが、今回の年末年始に関しては実のところ、そういう感覚がほとんどなくて、「あ~1年が終わったなぁ」とか、「今年こそは!」ってそういえば言ってないなぁと話してみたら、ANGEROSESのスタッフ達も同じことを言っていました。なにがこれまでと違ったのかな?と、このことをみてみてみたのですが、まず、スタッフ全員が異口同音に話していたのは、「いろんなことがあったけど、ホントに今年はよくやったよね」ということでした。手探りのところから、やったこともなかったジャンルのビジネスプロジェクトをやりはじめて、紆余曲折、いろんなところで頭をぶつけて、いろんなところで問題にぶつかって、いろんないろんな感情を味わうという経験をしました。素晴らしかったのは、いいスタッフたちにお互いが恵まれて、いろんな感情を味わったり、問題にぶつかったりはしたものの、途中で投げ出しちゃおうなんてことは一度も考えることなく走ってきたら、いつの間にかみんなが大きく成長していたということです。ビジネスシステムの構築をやってはきましたが、構築の中で体験したこと、学んだこと、得られた成長は、ある意味お金ではけして得られない貴重なものとなったようです。(と、言いながら、この経験を今度はどうやってお金に変えるかも楽しみになるのですが(笑))今回の年末年始がこれまでと違った、もっとも大きな違いの源泉は、目標というよりもビジョンを持っていたことがもっとも大きかったように感じています。きっと、問題にぶつかった時も、いろんな感情が出てきた時も、やっていたことが(いつのまにか)ビジョンに基づいていたので、やっていることに意味をどこかで感じていたのかもしれません。これは、経済的な成功や、実績を残したいという願望だけではきっとできなかったことなんだろうなって感じています。大晦日の深夜、家族が寝静まってから、行きつけの店に新年の挨拶をかねて飲みに行ったのですが、そこで、ひさしぶりにサラリーマン時代の同僚と出会いました。元同僚と話してみて、強く印象に残ったのが、彼は以前と同じ人たちとつきあい、同じ生活サイクルを送り、去年と同じ話をしているということでした。(いい悪いということではありませんよ)そしてみえてきたのが、「ああ、自分たちが去年と違う新しい世界に足を踏み入れたと感じていたのは、ビジョンをもっていたことで、どっちに進めばいいかって、方角だけ知っていたからなのかもしれないな」ってことでした。以前、「人生を変えたい、変えたい」って何年も何年も願っていた時、内心「でも、変わらないんだよな、結局は」って感じていました。きっと、そんな風に感じている人は、かつてのマスターだけではないでしょう。そして、人生はある日を境にホントに変わってしまうようです。もしコツがひとつあるとしたなら、「今の現状が不満で嫌だから変えたい!」ってところから、「自分の人生をこんな風に生きることで、自分を喜ばせてやろう」ってビジョンに向かって今を生きはじめたなら、来年の年末年始には、これまでと違った感覚を、きっと味わっていることをこころから信頼しています。
January 4, 2006
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マスターはショットバーのカウンターに立っていたことで、様々な職業、様々な年齢、様々な国籍、そして様々なポジションの人たちの、様々な考え方の違いに触れる機会に恵まれました。これまでもお伝えしてきましたが、マスターがひじょうに興味を持ったのは、世の中で成功者と呼ばれる人たちの中にも幸せな成功者と、そうじゃない人がいるということを肌で感じるということができたことです。これまでこのブログでは、様々な角度、様々な視点から、幸せな人生を送る人とそうじゃない人はなにが違うのだろうかということをお伝えしてきました。多くのメンターたちから伝え学び、マスター自身も体験実践してみえてきたのは、ひじょうにシンプルなひとつの回答でした。それは、どういうものかというと、どうやら、幸せな人生を生きる人たちがみえているものが、そうじゃない多くの人たちには、みえていない、理解できていないらしいということです。このブログでいつもお伝えしようとしているテーマは、実はひじょうにシンプルなところにあります。それは、人は本来幸せになるようにできているらしいということ。人は成長、進化することに最大の喜びを感じるように出来ているらしいということ。その為には、自分は自分のことを、知らないことさえ知らないことがたくさんあるんだということを知っておくこと。そして、その分野を探求し、選択していくこと。うけとるということを本当にうけとる準備ができたら、すべての答えは本来自分の中にちゃんと用意されているということです。ところで、答えは自分の中にはじめから用意されている、自分の中に深くアクセスすれば、答えが導き出されるというのは、よく耳にする言葉ですが、多くの人は自分自身に普段信頼をおくことができずにいるので、この本来持っている答えを導き出すことができないでいるようです。この、人が本来全ての答えを持っているということについて、ある医師がひじょうに興味深い研究結果を残しています。カナダの脳外科医、ペンフィールドは戦前、被験者に部分麻酔をほどこし、意識のある状態で頭を切開して脳に直接電流を流してみるという実験を行ったそうです。(現代なら倫理的に問題が出そうな話ですが、目的はてんかん症状の治療だったそうです)電流を脳に流すことで、脳のどの部位に電流を流すと体のどの部分に影響を及ぼすのかというデータをとったのだそうですが、脳のある部分に電流を流した時に、被験者はひじょうに興味深い発言をしたのだそうです。被験者はなにを答えたかというと、自分がベッドに寝かされている状態を、天井から眺めていると答えたそうです。その様子は、よく言われる「幽体離脱の状態」そのものだったそうです。この結果からなにが見えてくるのかということに関しては、様々な考え方が可能ですが、ひとつの得られる考えは、幽体離脱の体験というものも、実は心霊的なものではなく、脳や深層意識のもっと深いところに本来プログラミングされている可能性があるということです。もちろん、ホントに脳に刺激を与えたことがきっかけで、幽体離脱してしまったのかもしれませんが、脳に本来プログラミングされている体験だとしたら、わたしたちの脳や、無意識の深い深いところには、わたしたちの知らない膨大な情報が本当に隠されているということ。わたしたちの常識や概念とは比較にならないほどの知識、知恵、能力が用意されているらしいという可能性が得られますよね。多くの人は、年が明けて2006年になった瞬間、「今年こそは、○○がかないますように」と願いますよね。ですが、ここは意識を切り替えて、今朝目覚めたら、今日が残りの人生の最初の一日目。去年までの自分や、昨日までの自分を基準に生きるのではなく、計り知れない知恵袋を手にして、今日からの人生をどんな風に色鮮やかに彩ろうかということに意識を向けたならば、きっとみえてくる世界も色彩をはなちはじめ、知恵袋も自在に使いこなせるようになるかもしれませんね。
January 2, 2006
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