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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。今日も素晴らしくいいお天気です。昨日もこのブログを書き終わってから、サイクリングロードに走りに行っていたのですが、少し出かけるのが遅くなったので、40キロ走るにとどまりました。(多いんだか少ないんだか?)今日は早めに出かけて、お昼間の明るい光と風をいっぱいあびたいと思います。マスターのヘンな自転車(リカンベント)は、これだ(笑)! ↓さて前回までは、3回に渡って、わたしたちがほとんど気づくことなく、無意識のうちにやってしまう、人間関係のゲームについてお伝えしました。前回お伝えしたのは、(1)一般的にポジティブ思考は「良い」と認識されているけれど、 ポジティブが良いというところだけにとらわれていると、 人間関係のゲームに振り回されていることに、 気づかない可能性があること。(2)問題解決型や、はげまし方ポジティブのポジションにいると、 実は「助けてほしい」ってエネルギーの依存型ネガティブの 状態の人たちが引き寄せられ、シーソーのようにバランスをとるらしいこと。(3)これは、はげましたり、問題解決を提示することで、 自己重要感を感じていたいというポジティブ側の、無意識の中に隠れたニーズと、 ネガティブでいることで、人の注意を引きたいという、 無意識のニーズが引き合い、バランスをとるらしいということ。(4)また、問題指摘型「辛口タイプ」のポジションにいると、 「なんで~」、「わからない~」っていうような、 ひょうひょうとした表現をしがちな「おとぼけタイプ」を引き寄せ、 バランスをとるらしいこと。(5)これは、問題を発見、指摘することで「人より優位でいたい」、 「優秀でいたい」という無意識の中に隠れたニーズと、 ひょうひょうとつかみどころがない表現をして、 (無意識に)人の注意を引きたいという隠れたニーズとが引き合って、 バランスをとっているらしいこと。(6)それぞれが、お互いの(隠れた)ニーズを満たし、 充足させているため、ゲームに巻き込まれることを 繰り返す人生のパターンにいることに気づくのは、 かなり難しいらしいこと。 (7)このゲームに興じていることで、 「夢の実現」であるとか、 「ホントに自分らしい人生を生きる」ということが 代償にされてしまっているらしいこと。 これらについて、お伝えしてきました。このゲームを続けることは、人生を変える貴重な機会に気づかないばかりでなく、そんな気づきを提供してくれる幸せな人生の成功者たちをも、近づいて来れないようにしてしまっているようです。なぜなら、幸せな人生の成功者たちは、もう既に人間関係のゲームには乗らないし、引っかからないことを選択しているからのようです。つまり、ゲームをやっている状態のわたしたちは、ゲームを続けたい人たちと寄り集まってゲームをしていて、幸せな人生の成功者たちや、大切な機会は、ゲームの外にいるということなようです。わたしたちがホントに自分らしく生き、自分の人生を幸せにしていくことを成功させようと望むなら、このゲームに気づいて、ゲームから降りることが必要みたいです。では、どうすればこの人間関係のゲームに自ら気づいて、降りることが可能なのでしょうか?そして、どうすればこれまでのゲームの繰り返しの人生から、ホントに自分らしく幸せな人生へとレールを切り替えることができるのでしょうか。実はこのゲームから降りて、自分の生きたい方向にレールを切り替えるというのは、気づいてできるようになれば、そんなに難しいことではないみたいです。また、それをどんどん実践していけばいくほど、上手になっていけるみたいです。では、具体的にどういう風にしていけばいいかについて、マスター学び実践して来たことをお伝えしますね。マスターが気をつけているのは、「どんな表現(言葉や文章)をした時にどんな人が引き寄せられるのか」ということです。自分で分かりやすくみる方法は、自分が書いた文章や普段使う言葉をみてみて、こんな言葉を使うと、こんな人が、こういうことを言ってきそうだなということが、自ずとみえてきます。たとえば、すごく落ち込んでいて「わたしもうダメ~」って表現をしていると、「はげまし」や「元気づけ」や、「解決策の提案」などの声がドッとやって来ることがありますよね。で、はげましてもまだ悩み続けていたりすると、「元気を出さなきゃダメだよ!」、「そんなんじゃダメだよ!」って声が出てきたりしだします。こういう光景って、注意してみるといろんなところで見かけますよね。で、普通にしている時はそんなに、たくさん声をかけられないのに、「悩んでるんです~」ってやると、「あなたたちいったいどこにいたの?」っていうくらい(笑)たくさん「はげまし」の声が出てきたりするの、わたしたちはみたことありますよね。冷静にみてみると、「あれ?」って感じはじめますよね。「わたしもうダメ~」ってやった時、ドワって集まってくるの。そして、そんな時の「はげまし」の声をよくみてみると、ホントにはげましたいものに混じって、「悩んでいるから、はげましたくなる」自動的な反応みたいのがみえはじめます。そうなんです。「悩んでます~」ってところに、やってくる「はげまし」の中には悩んでるからはげましたくなるという、自動的な反応が少なくないようなんです。もしあなたが仮に、普段はげまし型ポジティブ思考だとして、「もうダメ~」って落ち込んでいる人をみて、、思わずはげましたくなったら、その時胸に手を当ててみて、「今、思いやりの感覚から言った?」「それとも、自働的に反応した?」って、自分にきいてみるといいみたいです。もし、その感覚が突発的なもので、「自働的に反応している」って、感じ取ることができたら、「ああ、これがゲームを引き起こしていた、自動的な反応だったんだぁ」ってみれるようになりはじめます。そして、一度この勘をつかんだら、自分はどんな時にどんなゲームをやりがちなのかと同時に他の人が周りの人とどんなゲームをやっているのかを、みることができるようになりはじめるようです。これがみえはじめると、驚くほど多くの人が、あっちこっちでゲームに興じているのがみえはじめます。もし、クレームを言うお客ばかりいたとしたら、4つのパターンのどのポジションから表現をしてきのか?もし、「どうして、うちの社員は出来ないヤツばかりなんだ」って、まるで自分以外が無能かのうにみえていたとしたら、どのポジションにたって表現しているのか?もし、「うっても響かない」とか、「悩みを持った人ばかりだなぁ」って感じるなら、どのポジションから表現してきたのか?もし、「みんななんでそんなにうるさく言うだ?」、「細かいなぁ」、「そんなに熱くなくていいじゃない」って感じているなら、どのポジションから表現してきたのか?そして、他の人たちがどのポジションから表現をすることでどのタイプのゲームをしているかを多くみていくと、パターンを読み取れるようになっていくことができます。パターンがみえるようになってきたら、次にわたしたちが自ら、このゲームから降りて、ホントに自分らしくイキイキとした人生を生きることが、選択可能な5つ目のポジションがあります。それがどこかというと、もっともバランスの取れるシーソーの真ん中!ニュートラルなポジションです。ニュートラルなポジションから表現をすると、2つの素晴らしい利益が得られ始めます。ひとつは、4つの力学のポジションの人たちに、ゲームでない、ニュートラルな情報を送ることが可能なこと。そしてもうひとつは、ゲームをしたがる人が寄ってきにくい場を創りだすことが可能になるようです。ここでけっして見落としてはいけない、重要なことは、ニュートラルなポジションからの表現はある意味、自分が人をコントロールすることから完全に手を放し、選択をそれぞれの人にゆだねるということです。ニュートラルなポジションからの表現の目的は、けっして「上手にやる」、「うまくやる」ような【やる事】ではなくて、わたしたちが自由に生きることを選択するのと同じように、人が自由に生きることを「自分に許可」することと言えそうです。それによって、わたしたちとホントに波長の合う人が、わたしたちの前に訪れてくれることを信頼することでもあります。わたしたちがこれまで「どうしてこうならないの?」、「もっとこうだったらいいのに?」って感じてきた環境があるとしたら、わたしたちが発信してきたポジションからの表現が引き寄せた「結果」だったみたいです。それをみるには、自分が使ってきた言葉や文章がどんな表現をしていて、その結果どんな現実を引き寄せてきたかを、ホントに冷静にみてみるといいでしょう。もし、あなたが、自分にこころからイキイキと、自分らしい人生を生きさせてあげようと選択するなら、ホントの自分が喜ぶ人生には、どんな自分として生きることが必要なのかな?そして、どんな人たちと過ごして生きたいのかな?って、自分に向き合って問いかけてあげるいいかもしれません。5つ目のポジションである、ニュートラルな位置からの表現は、わたしたちがホントに自分らしく生きるために機能しだした時のチカラは絶大です。ホントにわたしたちの生きたい世界に波長の合う人たちに、わたしたちをめぐり合わせてくれると同時に、ゲームをしたがる人たちが寄って来にくくなることで(ゲームをしたくても、引っかけるところがないわけですから)わたしたちに関わってくれる人たちに安全な場を提供することも可能になります。もし、自分のホントに望む生き方は、そんな生き方だねって心の声が聞こえてきたら、どうぞご自分の為に選択をしてあげてみて下さい。ニュートラルなポジションからの表現をやりはじめ、それがホントに自分のものになった頃、まるで静かな海のようなおだやかで心地よい感覚から、人と関わるようになった自分に出会うことになるでしょう。本日は当店にお越しいただき、ほんとうにありがとうございます。またのお越しを、こころからお待ちしております。いってらっしゃいませ。
April 28, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。今、外は朝の雨がまるでウソのような、素晴らしくいいお天気です。これを書いたら、早速サイクリングに出かけようと思っています。さぁ、早く書いちゃおう~(笑)。さて、前回は、わたしたちがほとんど気づくことなく、無意識のうちにやってしまう、人間関係のゲームについてお伝えしました。前回お伝えしたのは、(1)一般的にポジティブ思考は「良い」と認識されているけれど、 ポジティブが良いというところだけにとらわれていると、 人間関係のゲームに振り回されていることに、 気づかない可能性があること。(2)問題解決型や、はげまし方ポジティブのポジションにいると、 実は「助けてほしい」ってエネルギーの依存型ネガティブの 状態の人たちが引き寄せられ、シーソーのようにバランスをとるらしいこと。(3)これは、はげましたり、問題解決を提示することで、 自己重要感を感じていたいというポジティブ側の、無意識の中に隠れたニーズと、 ネガティブでいることで、人の注意を引きたいという、 無意識のニーズが引き合い、バランスをとるらしいということ。(4)また、問題指摘型「辛口タイプ」のポジションにいると、 「なんで~」、「わからない~」っていうような、 ひょうひょうとした表現をしがちな「おとぼけタイプ」を引き寄せ、 バランスをとるらしいこと。(5)これは、問題を発見、指摘することで「人より優位でいたい」、 「優秀でいたい」という無意識の中に隠れたニーズと、 ひょうひょうとつかみどころがない表現をして、 (無意識に)人の注意を引きたいという隠れたニーズとが引き合って、 バランスをとっているらしいこと。(6)それぞれが、お互いの(隠れた)ニーズを満たし、 充足させているため、ゲームに巻き込まれることを 繰り返す人生のパターンにいることに気づくのは、 かなり難しいらしいこと。これらについて、お伝えしまた。これらのゲームは、お互いのニーズを(無意識のうちに)満たしあっているので、自分で気づくのは、ひじょうに難しいようです。なぜなら、問題解決型や、はげまし型のポジティブ思考の人は、悩みを打ち明けられて、解決策やはげましの言葉を言うことで、すごく自分が必要とされていると感じられますし、悩んでいる方も「話を聞いてもらえる」、「一緒にいてもらえる」っていう(隠れた)ニーズを満たすことができるからと言えそうです。また、辛口タイプは、ひょうひょうタイプに、「指摘」をすることで、自分は優秀だと感じられますし、ひょうひょうタイプは、ひょうひょうとすることで、構ってもらうという隠れたニーズを満たすと同時に、辛口タイプに対して「そんなに熱くならなくてもいいのに」、「細かいなぁ」と(隠れた)優越感を感じることができるようです。これらのゲームは、お互いの隠れたニーズを満たしているので、ある意味とても満足といえますが(本人はそう思っていませんが)、このゲームを続けていることに気づかないことで、失っているものは、実は得ている満足よりはるかに大きいようです。人間関係のゲームを(知らず知らずに)継続させることで失っているものとは、いったいなんでしょうか?それが実は、「夢の実現」であるとか、「ホントにイキイキした自分らしい人生」であるとか、「ホントに生きたい人生」というものなようです。どうしてゲームを継続している間、これらが代償になっているかというと、このゲームに(無意識に)かまけてしまうことで、大事な新しい出会いや、機会を受け取るチャンスを見逃してしまうからのようです。これには、マスターの体験談をお伝えしますね。マスターは、人生を変えたい、よりよい人生を生きたいと思って、いろんな本を読み漁ったり、いろんなセミナーに参加したりしている時期がありました。(勿論、今もですが(笑))ところが、このゲームに振り回されていることに気づいていなかった当時のマスターは、セミナーに行こうと、どこへ行こうと、今までと同じような人とばかり、寄り集まっていたんですね。それは、「自分のことを言いやすい」とか、「はげましやすい」、自分が「語りやすい」、自分の隠れたニーズを満たしてくれそうな人と一緒にいることが無意識のうちに安心できたからみたいなんです。と こ ろ が、今までの自分と同じような環境の人たちと一緒にいるということは、今までの自分の人生とほとんど大差ない現実を創りだしてしまいますよね。なぜなら、それらの人たちは、「成功したいけどなぁ」、「できたらいいなぁ~」、「そうなりたいなぁ」、「でも、今の自分には無理だなぁ」、「どうしたら、そうなれるのかなぁ」って状態で、セミナーなどに参加している人たちだったからなんですね。で、マスターはどう言っていたかというと、「できるよ!」、「がんばろうよ!」、「なんでそんこと言うんだよ!」って激励したりしていたんです。つまり、マスターは、場所が変わっても、同じことをしていたわけなんです。(おい!気がつけよ!って感じでしょ(笑)? )(でも、あまりにアタリマすぎて、全然気がつかなかったんです)マスターが気づく必要があった、すごく重要なことは、ホントにマスターが望むような、人生を自分らしく、イキイキと生きる人たちは、これらの人間関係のゲームには乗らないし、ゲームをしたい人のところには、近づいていかないっていうことだったんですね。そうなんです。ゲームは、(無意識ですが)ゲームをしていたい人たちが、引き合ってやっていて、ホントにイキイキと自分らしく生きる、幸せな人生の成功者たちは、ゲームには乗らないし、近寄らないんですね。ということは、ゲームに興じている間は、ホントに人生を変える貴重な機会がみえないうえに、大切な機会も近づいてこないように、自ら仕組んでいるともいえるようです。そしてマスターは、このことに気づいた時に、すごくビックリすることがみえてきたんですね。それは、ゲームは隠れたニーズを満たして、(無意識が)楽しいから、続けているのと同時に、(無意識の自分が)人生が変わり始めないようにするために、(つまり、リハーサルから本番に移行しないように)続けているらしいということだったんです。つまり、潜在的に感じている変化への恐れも、ゲームを続けさせている要因だったみたいなんですね。なぜなら、変化しないということは、(たとえ不満足な要素があっても)慣れ親しんだ、予想範囲の安全な日常を確保できるからみたいです。ですが、このゲームを続けることは、ホントに自分をイキイキと喜ばせるような自由な人生への扉にそっぽをむいているのと同じような状態なようです。また、いくら無意識は満足していても、ホントの喜びを感じられない人間関係を継続させ続けることにもなるようです。このことは、実は仕事面にも大きな影響を及ぼしてしまっていることを、多くの人が気づかないことさえ、気づかないでいるようです。どうしてクレームの多い客ばかり集まるのか、どうしてうちの店は、こんなネガティブな客ばかり来るのか、どうしてうちの掲示板には、こんなことを書く人が来るのか、どうしてうちの従業員は、ちゃんとしたヤツがいないのか、どうしてわたしっていつもこうなんだろうか、これらも、この人間関係の【力学】がはたらいてることに、気づかないことさえ、気づかないでいることで起こる弊害といえるようです。ではどうしたら、この人間関係のゲームから降りることができるのでしょうか、そして、どうすればこのゲームから、自分をホントに喜ばせるような人生へのレールに切り替えることができるのでしょうか。「あ!自分はゲームをやっている!」って気づいて、手を離すための重要なヒントは、次回に続きます。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、こころからお待ちしております。いってらっしゃいませ。●PS今週のマスターのメルマガ「カッコイイ女は カワイイ女」では、年齢よりはるかに若い人の、若くいるヒミツについての連載をはじめました。きっと、気になる方も多いと思いますので、ぜひご覧になって下さいね~。 ↓http://www.mag2.com/m/0000154780.htmlまた、サイトのほうでも「カッコイイ女は カワイイ女」のバックナンバーをアップしているのと同時に、よりメルマガやブログの内容を、深く理解しやすくしていただけるように、「マスターの幸せの知恵」を徐々にアップしているので、そちらもご覧になってみてくださいね。 ↓http://www.angeroses.com/
April 27, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。今回は、マスターが10年前にメンターから伝えてもらった、貴重な知恵についてお伝えしたいと思います。この知恵、実はマスターは自分では気がつかないうちに、自然と身についていたものなのですが(これに気づいた時はホントに驚きでした)、多くの人は気づいていない知恵だといえます。この知恵を理解し、扱えるようになることは、仕事面においても、人間関係においても、これまでとは、まったく異なる現実を創りだすことを可能にする知恵ともいえそうです。それはどんなものかというと、ほとんどの人が人間関係において、ゲームに振り回されていることに、気づいていないことさえも、気づいていないらしいということについてです。ゲームというのはいったいどんなものなのでしょう?そして、わたしたちは、どういう風にゲームに振り回されているのでしょうか。わたしたちの多くは、ポジティブな考え方、とらえ方が良いという世界観の中で、生きていがちですよね。きっと、ほとんど多くの人が、ネガティブな考え方は悪くて、ポジティブな考え方が、「良い」って考えていると思います。本屋に行って、自己啓発の本の棚をみても、「ポジティブ思考」や「前向き」っていう言葉の含まれたタイトルが多いと思います。また、著名な講演家や成功者と呼ばれる人たちの多くも、このテーマの話をされることが、ひじょうに多いですよね。(これを理解しているかどうかが、幸せな成功者とそうでない成功者を分けるもっとも大きな違いのひとつと言えるかもしれません)わたしたちの多くが、なぜポジティブのほうがいいと考えがちかというと、この言葉に対して、わたしたちは「建設的」だとか、「問題解決」だとか、「改善」、「前進」などの意味を含ませているからと言えそうです。ところが、人間関係においては、ポジティブは「良い」という考え方だけにとらわれていると、あるとても重要なことを、見落としてしまう可能性があるようです。それが、わたしたちが気づかずに巻き込まれてしまう、人間関係のゲームなようです。以前のマスターは、問題解決型 前向き思考のタイプでした。友人が悩んで落ち込んでいたりすると、はげまして、元気付けようとして、それでも落ち込んでいたら、「悩んでいてばかりいては状況の改善はないよ」なんて言って、問題の解決案をどんどん言っているタイプでした。(↑こう書くと、なかなかイヤなヤツですよね(笑))その頃のマスターは、自分は前向きにものごとを考えられることに、自信と誇りを感じていたんですね。ところが、これが大きな誤解だったということを、その後知ることになります。その頃のマスターは、自分は前向きにものごとを考えられるのに、「どうして、自分の周りには、前向きなヤツはいないんだろう」って言いながら、自分がそれを創りだしていることに、気づかないことさえ、気づかずにいたんですね。これってどういうことかというと、「問題を解決してやりたい」、「はげましたい」っていうところに立っていると、「はげまして欲しい」、「助けて欲しい」っていう人たちが、ポジティブ(に偏った)な状態に、シーソーのバランスをとるように引き寄せられてくるという【力学が発生】するということみたいなんです。ここで重要なことは、「じゃあ、はげましてはいけないの?」、「問題の解決案を話してはいけないの?」ということではなくて、ポジティブが正しいっていう位置にいると、ネガティブな位置の人たちが、バランスをとるために引き寄せられてくる【力学】が働くということなんですね。そして注目すべき重要な点は、その頃のマスターが、自分がポジティブなことを誇りに思っていたということなんです。なんとなくみえてきました?その時のマスターは、「どうして、みんなネガティブなとらえ方をするの??」って一見、その状況が不満かのようにきこえますよね?でも実際は、ネガティブな人たちが集まって来てくれることで、「自分はポジティブなんだ、必要とされているんだ」っていう、無意識の自尊心を満たしていたということなんです。無意識っていうことは、勿論自分がそんな状況を望んで引き寄せているなんて、知らないことさえ、知らない状態だといえます。これが無意識から起こる、人間関係のゲームといえそうです。そして、その頃のマスターは、(自分ではわかっていないけど)自分が人を構うことで、自分の要求を満たそうというニーズを持っていたので、構ってもらいたいというニーズのあるひとたちと(この人たちも勿論、無意識)引き寄せ合って、バランスをとっていたということなようです。やっかいなのは、お互いが、お互いの無意識のニーズを満たしあっているので、実は自分が満足しているなんて、気づくことがひじょうに難しい状態にあるといえることです。その結果、ホントに自分の夢を実現することや、ホントにイキイキとした幸せな人生を生きるためには、今なにをやる方がいいのかとか、ホントは、どんな人たちと新しく出会う必要があるのか、また、目の前の人とは、本来はどんな関わり方をすることが必要なのかということが見えないままになってしまいがちです。つまり、目の前の「無意識の満足」に注意をうばわれて、自分の夢を実現することや、ホントに手に入れたい人生から、ひんぱんに目をそらされるということを、継続させてしまうことに、気づかないことさえも、気づかないでいてしまうと言えそうです。また、ポジティブとネガティブにはもうひとつのタイプがあって、人や状況の悪いところを指摘して、「そのままではダメ」、「改善しなくちゃダメ」って指摘する「問題指摘(辛口)タイプ」がいて、「え~できない~」、「わからない~」って「おとぼけタイプ」とバランスをとってしまうようです。「おとぼけタイプ」が、「わからない~」、「できない~」、「え~、どうしてですかぁ~」って(勿論、本人は無意識)ひょうひょうとされればされるほど、「問題指摘タイプ」はイライラして、もっと辛口になっていってしまいます。これは問題を指摘できる自分は「優秀だ」という「問題指摘タイプ」の無意識に隠されたニーズと、ひょうひょうとしていることで、人の注意を引き寄せておきたいという、「おとぼけタイプ」の隠れたニーズを、お互いがバランスをとることで、満たしあっているので、これも自分で気づくことは、なかなか難しい状態だと言えます。自分がどのタイプで普段生きているのかをみてみる、比較的簡単は方法は、普段自分が付き合っている友人たち、ネットでやりとりするタイプの人たちがどのタイプが多いかということをみていくと、おのずと見えてくるようです。(ネットで「わたしもうダメ~」って書いてあると、普段は書き込み少ないのに、急にどわってはげまそしメールや書き込みが来るのって、冷静に考えたら、「あれ?」て思いますでしょ?)この人間関係のゲームは、先ほどもお伝えしましたが、本人にその意識がなくても、無意識の自分はニーズを満たされることで満足を覚えますし、ある意味快楽だと(無意識が)感じていますので(ホントは違うのですが)、なかなか気づくことはありませんし、手放したくないようです。ですが、このゲームがいくら楽しいと(無意識が)感じていても、この力学の扱い方をちゃんとつかんで、振り回されなくなったときの自由さと、得られるものの大きさは、とうてい比較にはならないようです。その自由さに気づくと、それはもう、今までずっと翼があったのに、それを知らずに歩いてきたかのような衝撃と同時に、翼で空を飛ぶことの気持ちよさに、本当に感動してしまうくらいの自由さだと言えそうです。では、このゲームを手放して、ホントの自由さを手に入れるには、どうしたらいいのでしょうか?このつづきは、次回へ。本日は当店にお越しいただき、ほんとうにありがとうございます。またのお越しを、こころからお待ちしております。いってらっしゃいませ。
April 26, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。昨日の京都の夕刻は、黄砂がまるで霧のようで、街全体が霧に包まれたかのような幻想的な風景を描き出していました。太陽も霧にかすんだようで、ちっともまぶしくなくて、まるで空にぽっかりと穴があいて、別の世界へつながっているかのようでした。でもあれ、霧じゃなくて黄砂なんですよね(笑)。それでも、とっても幻想的な景色に出会えてとても感動しちゃいました。さて、話しは変わりますが、先日すっごく驚く場面に出会いました。マスターは週に一度、いきつけの酒場に飲みに行くのですが、その日のカウンターには、お一人で事業をやっておられるという女性の方と、自営をされている男性と、マスターの3人が飲んでいたんですね。で、お仕事の話をあれこれうかがっていたんです。いろんなお話をうかがっているうちに、女性の方が面白い話題を言い出したんですね。その女性は、自分で海外に商品を買い付けに行ったり、契約を交わしに行ったり、視察したりするそうなんですが、先日契約したアメリカ人の男性に面白いことを聞かれたそうです。どんなことをきかれたかというと、その男性は契約を交わす前に、その女性に向かって「あなたは、あなたのクライアントを愛することができますか?」ってきいてきたんだそうです。で、その女性は(その方にとっては)はじめて耳にする意外な質問だったので、ちょっと考えてから、「クライアントを愛するというのは、正直ピンと来ないけど、わたしは愛することができる商品だけを扱いたいと考えます。」「それによってクライアントには、喜んでもらえるサービスができると思います」と答えたそうです。それをきいた男性は、「Good」と言うと、ニッコリ笑って、「では、契約しましょう」と答えたそうです。さて、おどろいたのは、この話をカウンターで聞いていたもう一人の男性の言葉です。その男性がこの話が終わってから言葉にした感想に、マスターはビックリしてしまいました。その男性が言葉にしたのは、「でも、お客を愛するなんてことは、ホントはありえませんよね。」「結局は、お金を稼ぐことが一番大事なんだから、お客の事なんて考えていられないでしょう」って言っちゃったんです。マスターはひさしくこういう言葉が行き交う世界に触れていませんでしたので、正直かなり驚いてしまいました。なにが驚いたかというと、「世の中にはそんな考えの人がいるのに、自分はそんなことも忘れていたんだぁ~、なんてあまちゃんになっていたんだ!」なんてことに驚いたわけではなくて(笑)、「思考は本当に現実化するんだぁ」っていうことをあらためて目の当りにして驚いちゃったんです。勿論、その男性が言いたいことの真意は、「金儲けのためなら、人はどうなってもいい」なんてものではなくて、「お客のことを考えている余裕は、自分にはとてもない」っていうことだったと思います。ですが、その男性が発してしまった言葉には、その人は気づかなくとも、その人の世界観がかもし出されてきてしまうみたいです。その男性が発した言葉には、どんな世界観が含まれていたかというと、「お客のことを愛することなんてできない」っていう世界観だと言えるかもしれません。世界観とはつまり、その人の目に見えている世界ということですよね。つまり、その男性にみえている世界では、「お客を愛するなんてできないだろう」って考え方が常識化してしまっているので、「お客を愛する仕事をしています」っていう人がいたとしたら、「ホント~?キレイごとじゃないの、それ?」って聴こえてしまいますよね。これってどういうことかというと、ある(考え方の)世界に住んでいる人の視点ではみえるものが、その世界の人の視点ではみえないか、違ったものとしてみえてしまうということみたいなんです。その男性は、ホントにこころから「自分さえ良ければいい」なんて考えを持っているわけではないと思います。ですが、同じ視点の世界に住んでいる時のわたしたちには、「そうだよね」ってみえますが、違う段階の世界に住んでいる人たちの視点からみると、「本人には、そんな悪気はないことは分かるけど、でも言っていることは、悪役のセリフだよ」っていうことがみえてしまいます。つまり、自分ではまったく気づかないうちに、自分の店の看板に泥を塗ってしまっているといえるかもしれません。そして、「お客を大事にする」、「お客を愛する」、「自分も人も大切に扱う」っていう世界に住んでいる人たちがそれをみたとしたなら、「彼には仕事は依頼できない」、「一緒に仕事はできない」、「つきあわないでおこう」ってなってしまうでしょう。先ほど思考はホントに現実化するとお伝えしましたが、その人が意識していてもいなかったとしても、その人の考え方は、知らず知らずのうちに「言葉」や「行動」で表現されてしまうようです。そしてそれは、同じ世界観の人たちにはあまり不自然なことでもないので、特に目立つことなく、気になりませんが、既に違う世界観で生きている人たちの目には、明らかにその人がどんな考え方で生きているのかが見えてしまうようです。「お客を愛するなんてないですよね」って口にしてしまう時のわたしたちには、「お客を愛するなんてないですよね」って言う人たちとバランスしてしまうので、「値引きをしないと儲からない」とか、「安くしないと人が来てくれない」とか、「ホントにレベルの高い取り引きをするところは、値段も高い(と思い込んでいる)」っていう現実とバランスをとってしまようです。ゆえにそんな時のわたしたちの目には、そんな世界しか見えませんし、「お客を愛する世界」、「人も自分も幸せにすることが目的」って世界がホントに存在するなんて、検討もつかなくなるのかもしれません。この結果が創りだすシビアな現実は、「お客を愛する人なんていない」って世界には、その世界にバランスした収入。「お客を愛することはできないけど....」って世界には、それにバランスした収入。そして「お客も自分も大切にする」って世界には、その世界にバランする収入が現実として現れてしまうようです。そして、その差は実に桁がひとつづつ上がっていく以上のものがあるようです。だからと言って、「お金を稼ぐためには、お客を愛するって言ってないとイケナイんだ」ってやっったとしても(マスターはこれ、よくやりました(笑))、「心にもないことを言っている」って自分がいることを、無視している間は、やはりそれにバランスした現実を引き起こしてしまうようです。思考は、ホントにホンットに現実化するようです。「お客を愛するなんてありえない」っていう思考が(まずそんな考えを持っているなんてことさえ、無意識すぎて気づかないですが)結果的に創りだす現実は、「世の中は難しい」、「自分のことしか考えていない」っていう人たちを引き寄せ、「思うように儲からない」という現実を創り出してしまようです。わたしたちは、日常の言葉に特に注意を払うことはありませんが、無意識に使っている言葉であればあるほど、わたしたちの無意識に隠された思考、考え方がOSとして働いて、それに見合った現実を創りだしているようです。もし、わたしたちが、今よりも更によりよい人生を実現したいと考えるならば、普段何気に使っている言葉、特に意識していなかった言葉には、どんな意図(その言葉が実現しようとしている目的)があるのかをみてみる、いい機会になるかもしれません。幸せな人生を現実化しようとして、「よい言葉づかい」をはじめた時、わたしたちの心の奥底からは「心にもないことを言っている」っていう声がきこえはじめますよね。ですが、わたしたちの多くは、「よい言葉を使っていれば、【いづれ】うまくいくはずだ」ってその心のささやきを無視しようとしてしまいがちです。でも、その心のささやきは、幸せな人生を現実化するために、見るべき、壊れていた回路がここにあるよ~って、教えてくれるサインなのかもしれません。もし、今までなにげに使っていた言葉に含まれていた意図が、自分の望まない人生を現実化するものだったとしたら、どうしてそんな現実が自分には似つかわしいと、(無意識が)思い込んでいたのかを、みてあげるといいかもしれません。そうしてみていくと、もしかして、「だって、もう傷つきたくなかったんだもん」、「強がっていないと、自分がカッコ悪く思えてイヤだったんだもん」、「優しい自分を軽く扱われたら、すっごく痛いって思ってたんだもの」って小さい頃かくれんぼしたまま、鬼に見つからないように隠れていた、ホントのわたしたちに、久しぶりに出会うことができるかもしれませんそしてもし、ずっと隠れていた自分に出会うことができたなら、「ああ、ずっとがんばってたんだね、えらいね」って言ってあげてみて下さい。思考はホントに現実を創りだすようです。ですが、現実を創りだす思考を変えるために、無理矢理言葉使いを変えたり、なれない行動をさせて、自分に無理強いをする必要はないようです。そんな難しくて、大変なことをして、遠回りをするなんて、今はもう必要ないみたいです。自分がほとんど意識することなく、なにげにつかっていた言葉が、どんな現実を創ろうとする無意識の意図を持っていたかをみてみて、そして、そんな現実を創ってまでも気づいて欲しい自分がどこにいたかをみつけてあげて、許してあげるだけでいいのかもしれません。あなたの人生を、内からも外からも、どうぞ幸せにしてあげてくださいネ。本日は当店にお越しいただき、ほんとうにありがとうございます。またのお越しを、こころからお待ちしています。いってらっしゃいませ。
April 25, 2006
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こんにちは、マスターの濱田です。22、23日の2日間にわたってうちのオフィスで主催した、「マスターと参加するソースワークショップ」が無事終了しました。日本中から集まってくださった参加者のみなさん、本当にありがとうございます。ご自分の人生の為に、貴重な時間と費用を使われる勇気と、ご自分への気前よさと思いやりに、こころからの感動をいただきました。本当にありがとうございます。間違いなく、これからのみなさんの人生に大きな違いが生まれていくと、心から信頼しています。はじめはささやかで、とっても小さな変化かもしれませんが、もうレールは切り替えられちゃいました(笑)!数年後、人生を振り返ったときに、ホントに大きく人生が変わっていることに気がついて、驚く体験をされることでしょう。マスターがソースに出会ったのは、今から6年前。当時セミリタイヤ中だった、メンターでもある友人に、「なにかいい本ない?」って質問したのがきっかけでしたが、これほど大きく人生を変えることになるとは、夢にも思っていませんでした。マスターは当時、ワークショップではなく、セルフスタディキットを自分でやってソースのワクワクの地図を創りました。(当時はワークショップの開催が、少なかったのと、本を読んだら一日も早く、ワクワクの地図を創りたくなったんですね)そして今回、ワークショップに受講生として参加したことで、ホントにホントに驚いたのは、6年前に創ったワクワクの地図が、今の人生を創り上げてくれていたことを、目の当りにできたことです。間違いなく言えることは、当時のマスターに、「5年後の君は、ホントに自分らしい人生をこころから楽しんでいて、自分の人生を大好きだって言えるようになっているよ」って言われても、けっして信じなかっただろうな感じます。「それが本当なら、嬉しい」とは答えるでしょうけれど、でも「そんなはずない」、「そんなこと、自分の人生には起こりっこない」ってきっと心のどこかで思っていたと感じます。今回ソースワークショップに受講生として参加して、ソースのキットをやる以前の自分を振り返ったとき、「人生って、ホントにホンットに変わるんだっ!」ってこころからの驚きと感動を味わうことができました。そして、新しく創ったワクワクの地図は、以前のものよりもより洗練され、明確さを磨いたものになりました。同時に、6年前に創ったワクワクの地図に描かれてたものも、本質はまったく今と変わっていなかったことも確認することができました。今回新しく創ったワクワクの地図は、より明確さを洗練させてはいますが、6年前に創ったあのワクワクの地図には、自分が本当に生きたい人生の方向が既にちゃんと指し示されていたんだということに、感動を禁じえません。6年前のあのワクワクの地図が、「自分をここまで導いてくれたんだ!」って。新しく創ったワクワクの地図、そして、より明確さを磨き出せた「自分の人生の存在意義」は、こころから自分を勇気づけてくれ、魂を揺さぶられるような感動を覚えます。人生って、ホントにホンットに変わるみたいです。今一緒にビジネスをしている人たち、プライベートでもお付き合いをしている人たちのほとんどが、ソースに出会ったことがきっかけで、めぐり合った人たちなんですね。今回参加されたみなさん、本当におめでとうございます。数年後、振り返ってみたときに、「こんな人生に変われるなんて、夢にも思わなかった」ってきっと言っているでしょうし、以前の自分に、「こんな人生になるよ」って言ってあげても、「そんなの信じられない」って言ってただろうなって体験をされることと思います。人生って、ホンットに変わちゃえます。これからのみなさんの人生が、ホントにイキイキと素晴らしいものになることを心から応援していますね。みなさんに出会えたこと、こころから感謝します。本当にありがとうございます。
April 24, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。本日は、大阪にてソースワークショップの2日間のうちの1日目でした。なんと今回はセミナートレーナーサイドではなく、参加者として参加です(ヘンな日本語(笑)?)。マスターがソースをはじめて知ったのは、5~6年前のこと。そして、ソースのセルフスタディキットを購入して、3日間徹夜で(笑)、ひとりでやったのが最初です。ですので、ワークショップへの参加は初体験。で、一日目を終了して感じたことなのですが、ほんっとにソースをやっていて良かったって、こころから感じました。これまでは、そこまで深くみてみたこともなかったのですが、この約5年を振り返ってみると、ソースをやってみる前と、ソースをやってからのこの5年が、まるで違う人生っていえるくらい、ほんっとに大きく人生が変わっていることに、あらためて気づきました。そして現在お付き合いのある人たちのほとんどが、ソースに出会ったことがきっかけとなって、出会った人たちであることをあらためて感じ取ることが出来ました。明日はワクワクの地図をつくる2日目です。この5年の成長が、どういう形であらわれるのか、そしてこれから、どんな新しい出会いがはじまるのか、ホントに人生の出会いって、偶然じゃないけど、不思議ですよね。ホントに人生って、選択なんだなと感じます。もし、まだソースをやることを選択していなかったとしたら、ぜひ選択することで開けるかもしれない、人生の可能性に注意をはらってみてください。きっと、思いもかけない出会いと、人生の可能性が開けると思います。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、こころからお待ちしております。いってらっしゃいませ。
April 22, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。今回は、人生を幸せでイキイキしたものにしよう!幸せな成功者の人生を手に入れよう!って選択した人たちが、必ず出会う「元に戻っちゃったよぉ」っていう体験について、お伝えしようと思います。わたしたちは、素晴らしい気づきをあたえてくれる本を読んだり、講演やセミナーに参加したりすると、ものすごい可能性の世界が広がった感を感じたり、エネルギーが湧いて来て、すごいやる気に満ち溢れたりしますよね。自分のこれまでの殻をやぶって、今まで出来ないと思い込んでいたこともできそうに感じるし、なんでも挑戦してやろうって気持ちにもなったりしますよね。ところが多くの人たちは、セミナーに参加して数週間も経って来ると、「せっかくあんなにパワフルだったのに、元に戻っちゃった」って感じはじめたりしますよね。すごいやる気のエネルギーに満ち溢れ、パワーにみなぎっている感じがしていたのに、まるで買ってから数日たった、縁日の風船みたいに、エネルギーがへなへなとしぼんでしまったように感じてしまった人って、きっと少なくはないですよね。マスターも何度かこの体験をしたことがありました。で、そんな時のわたしたちって、どうするかっていうと、「結局一時的な高揚感を得ていただけで、人生なんてそんな簡単には変わらないんだよな」って言って、元の人生の流れに自分の身をゆだねてしまうか、「セミナーや講演に参加していると、エネルギーが溢れるから」と言って、いろんなセミナーや講演会に足を運び続けたり、セミナーのお手伝いを続けたりしますよね。または、前者と後者を行ったり来たりしたり。マスターはどちらかというと、後者のパターンでした。「セミナーに参加すると、またエネルギーをもらえるから」って、小さなセミナーに(高額なものはとても続かないと思っていたので(笑))ずっと行き続けたり、講演や勉強会に参加し続けてました。で、どうしてそんなことが続けられたかというと、「もう以前の無難だけど、不満足も持っている人生には戻したくない」って思いがどこかにあったのと、「よりよく人生を送りたい」っていう、両方の思いがあったからなんだなって思います。セミナーもいろんなものがありました。モチベーションをガンガンあげていって、目標を達成しよう!っていうようなとっても熱いもの(笑)や自分の内面を探求していくものや、自分の内面を癒すものなど、様々なものに参加してみたりしたんですね。で、すっごいやる気が出たりするんですが、でも、しばらくするとまた、しぼんでいく風船感が出てくると感じていたので、気力を維持するために、いろんな本を読んだり、セミナーに参加したりすることを続けいくようになっていました。当時のマスターでは気づくことができませんでしたが、いつのまにかよりよい人生への成功の為に、セミナーや講演に参加するということに「やる気の維持のため」と「気力がしぼんでいく感を感じたくないため」という要素が大きくなりつつあったみたいです。 でね、マスターは、「いつかこのしぼむ感がなくなること」と、「いつもやる気でいられること」を期待する人生になっていたみたいなんですね。(期待には、依存の要素も含まれているようです)で、今ならよく見えるんですけど、当時のマスターがどこかで知っているけど、認めたくないし、見ようとせずにいたのは、「今の自分じゃダメ」の更に奥に「こんな自分、キライ」、「こんな自分、許してやんない!」っていうのを隠し持っていたみたいなんですね。でね、もちろん当時のマスターは気がついていなかったんですけど、マスターがずっと続けていたことって、許したくない自分に対して、「まだまだ、ダメ」、「これくらいじゃダメ」、「こんなんじゃダメ」って、すごく成長してるところもあるのに、できていないところを責めていたみたいなんですね。で、なんで成長してるところを認めてあげないで、出来てないところを責め続けていたかというと、認めてやったら浮かれて、そこにあぐらをかいてしまうと感じていたみたいです。そして、意識の深いところではそんなことをしながら、表層意識ではなにをしていたかというと、いつかしぼむ感が出なくなって、常にやる気でいるじぶんになれることを期待していたみたいです。で、なににそれを期待していたかというと、ビジネスで成功したり、たくさんのお金が入ってきたら、心にゆとりができて、自分のことを許せるように(当時はそこまで見えていませんでしたが)なると思い込んでいたみたいなんですね。今なら、お金がたくさん入るとか、ビジネスで成功することで得られると信じ込んでいた気持ちのゆとりが、「そこまでやらない限りは、許してやらない」って自分を馬車馬のように扱っていたんだなとか、「そこまでやったら、人も認めてくれる」って、許しを外に求めていたんだなってこともみえてきますが、当時のマスターは、それに気づきたくなかったんだなって感じます。なぜかというと、気づいて許してしまったら、あぐらをかいてしまうって感じていたからみたいですよね。で、ある日「パチン」と一瞬で意識が切り替わって、「あ!今変わった!」、「全然違う意識に変わった!」、「もう元に戻らないんだ」ってはっきり確信した時に、あのしぼむ感がなんだったのか、なんとなくみえてきたんですね。以前のマスターは、しぼむ感のことを「こんなのダメ」だってキラって否定しているつもりでいけれど、慣れ親しんだ生き方で安心できるから(予想もつかない方向に発展しないから)、実は好きだったのかもしれないなって、みえてきたんです。で、実際しぼむ感てなんだったかというと、胸のあたりにあがってくる、重いなまり感だとか、トゲトゲのあるかたまり感だとか、モヤモヤしたわたあめのような【感覚】に対して無意識の自分が、「これはしぼむ感」の時にあがってくる感覚!って、レッテルを貼っていたみたいなんですね。そして、この【感覚】があがってくると、「あ!ヤバイ!あのしぼむ時の感覚だ!」、「こいつを許すと、またあのやる気のない状態になってしまう」って、意識で感じる間もなく瞬間的に、反応していたみたいなんです。で、自分では気づいていなかったけど、ずっと抵抗していたみたいなんですね。ずっと抵抗しているんだけど、それがアタリマエになりすぎていて、感覚もマヒして、抵抗し続けていることも分からなくなってしまっていただけみたいです。でも、マスターは「パチン」と意識のスイッチが切り替わる体験をしてから、この感覚はまったく感じなくなったちゃったんです。思い出してみても、あの日からこの感覚を味わった記憶がないんです。それに気がついてから、あらためて驚いているんですが。そしてね、意識が切り替わったっていうのは、「今まで通りでなくてもいいよね」、「違う生き方になってもいいよね」って、質がかわってしまうことを自分に【許可】したっていうことなんだなって最近は感じています。で、これをきくと、きっと意識が切り替わる体験がないとダメなんだって、感じる方もいるかもしれないんですけど、それも「このままの自分では、そんな体験は起きない」って、レッテルを貼っているだけかもしれませんよね。かつての自分を振り返ってみると、、これまで難しく生きることに慣れ親しんできたけど、実は一瞬で変わってしまうことが、ホントは誰にでも起きることだとか、すっごくシンプルでカンタンなのかもっていうことを、みてみたくないだけだったのかもしれないなって感じます。そうやってみていくと、成功や癒しのセミナーで言っていることも、すごくシンプルなものが流れているのが聴こえてくるかもしれません。そしてある日、「うわぁ~難しくしていたなぁ~」、「こんなにシンプルだったんだぁ」ってみえなかったものがみえるようになって、きっとすっごくビックリしちゃうでしょう。マスターは、「他の人にはそんな体験があるかもしれないけれど、(今のままの)自分では、そんなことは起きないよ」って思い込んでいましたが、気がついたら、「うわぁ~、こんなにシンプルなんだぁ」、「こんなにカンタンでもいいんだぁ」ってすっごい感動を体験しちゃいました。げんきんなものですね(笑)。一瞬で開く扉は、わたしたちのすぐそばにあるみたいです。ただ、反対の向きに立っているから気づかなかっただけみたい。さあ、振り返ってみて。きっとそこには、あなたの自由な人生への扉が、気づいてくれるのを待っているはずですよ。本日は当店にお越しいただき、ほんとうにありがとうございます。またのお越しを、こころからお待ちしております。いってらっしゃいませ。
April 21, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。今日の京都は、すんごく強い風が吹いています。例によって今日もサイクリングロードにダイエットもかねて自転車で走りに行ったのですが、あんまり風が強いので、向かい風でなかなか速度が乗りません。でも、帰りは追い風に乗って、ゆうゆうスピードを乗せられたので、とっても気持ちよくサイクリングを楽しむことが出来ました。(追い風時は、スピードメーターも40数キロを表示していました(笑))そして走りながら、とても興味深いことに気がついたんです。それは、自分で自分にビックリしちゃうようなことでした。少し前からお伝えをしていますが、マスターは自動的に感情が反応しちゃうたんびに、「あっ、これって、自動的な反応だな」って扱って、手放すということをやっているんですね。たとえば、目の前でタバコをポイ捨てする人がいたりとか、券売機で並んでいる時に、急に割り込まれたりしたら、(最近、こういう場面にはほとんど出会わなくなったけど)「イラッ」とか、「ムカッ」とかすることあるでしょ?あの「イラッ」とか、「ムカッ」って出てきた瞬間に、「あっ、これって瞬間的にあがってきた反応に、『イヤ』って抵抗のレッテルを貼っているんだな」ってみてみて、「もういらない」って、ポイってしてみるってゲームをしているんですね。これをやってみる前は、「イラッ」ってする場面に出会うと、瞬間的に、「イラッ」ってきて、そのまま「ハラたつ~」って連鎖していたんですが、だんだん手放すゲームに慣れてくると、「イラッ」ってしなくなってきたんですね。で、今日サイクリングロードを走っていて気がついた興味深いことっていうのはどういうことかというと、わき道から急にサイクリング道に飛び出してくる人とか、後を確かめずに急に進路を変えてくる人がいても、「ドキッ」って【感覚】はあがってくるんですが、それが「イラッ」とか、「ムカッ」に直結しないんですね。それどころか、いつもだったらイヤな向かい風も、ただの風としてしか感じられない。でね、「あ~、前はこの『ドキッ』があがってきた時に、瞬間的に無意識が、過去の嫌な(覚えていないような)出来事と関連付けて、(レッテルを貼っちゃって)『イラッ』って反応をさせていたんだな」って、冷静にみれるようになってきたんですね。で、「イラッ」って反応をしなくなるとね、その後に今までだったら連鎖して行っていた「イライラ」とか、「ムカムカ」に発展していかなくなってきちゃったんです。急に人が飛び出してきたり、急に目の前の人が進路を変えても、起こるのは、胸のあたりにあがってくる「ドキッ」って感覚だけなんですね。それで終わりなんです。きっと以前だったら、目の前の人が進路を急に変えた瞬間、「イラッ」ときて、「あっぶねぇなぁー!ぶつかったらどうすんの!」って文句がでてきて、「大体、ああいうボーっとしたヤツがいるから...ブツブツブツ..」って気がつくまで抜け出せない、(気がついてもなかなか抜け出せない)不毛なスパイラルに陥っていってしまってたと思うんです(笑)。なんかこうやって書くと、すんごくおこちゃまで、ばかみたいにきこえるんだけど、でも、このスパイラルのパターンって、なんとなく分かりますでしょ(笑)?で、どうしても許せなくらいハラのたつ相手で、でもどうしても文句も言えないし、仕返しもできないような相手とかだったら、妄想の中で「今度こうしてやるー!」とか、「今度絶対言ってやるー!」って、仕返しを始めたりして(笑)。で、このスパイラルもはじまると、なかなか抜け出せなくなっちゃって、ますますスパイラルの深みに入ったりとかした体験って、ありますよね(笑)。でも、いっちばんはじめはなんだったかって、冷静にビデオをまき戻していくと、「ドキッ」とかした瞬間にレッテルを貼ったかどうかっていうことみたいなんです。そして、わたしたちの人生って、どんなのかっていったら、あらゆるところでおこる「ドキッ」とかの出来事に、(無意識に)レッテルを貼って、スパイラルに入っていちゃうっていうことにものすごくたくさんのエネルギーと時間を費やしてしまっているみたいなんですね。もしくは、それに振り回され過ぎて、自動的に反応していることに、ふたをして、気づかないふりをしていることにも、気づかないふりをしてしまったりとか。でもね、この自動的な反応からはじまるスパイラルって今まではあまりにもアタリマエになって、慣れ親しみすぎてきたんで、ただの「ドキッ」にレッテルを貼ってるんだとか、その後、イライラのストーリーにはまり込んでいって、スパイラルに飲み込まれていってしまっているんだなんて、思いついもしないできたみたいなんですよね。で、これが自動的な反応から始まる無意識の連鎖のゲームなんだって、見え始めた時、「へぇー!!!!そうだったのか!!!」ってすっごくビックリはするんだけど、あまりに当たり前になりすぎてきたから、それに振り回されないようになることができるなんてことも、なかなか想像もつかないみたいなんですよね。(マスターは、ものすごく難しい!って思ってました(笑))ところがね、ホントに不思議なんですが、できるようになってくると、どんどん上手になっていくんですよ。そして、ある日気がつくんです。「あれ?今、ドキってしたよな?」、「ただそれだけしか起こらなかったよな??」って。「イライラ」とか、「ムカムカ」に連鎖していかなくて、ただの「ドキ」しか起こらなくなっていることに、すんごく驚くんです。そしてそうなった時に、こころのそこから思ったんです。「ああ、あれって、あんまりに当たり前すぎて気がつかなかったけど、すんごく、すんごくしんどいことだったんだぁ~」って。だって、イライラのスパイラルに飲み込まれているときって、(無意識はそれを楽しんでいたとしても)ちっとも楽しくないし、イキイキさも、ワクワクもないし、自分の人生をよりよくするために時間やエネルギーを注いであげることも、おろそかになってしまいますよね。すっごく膨大なエネルギーを、スパイラルのゲームに注いでいたんだなってビックリしてしまいます。このゲームを手放すと、そのゲームに注いでいたエネルギーの全てを今度は自分の人生がよりよくなることや、ホントにやりたいことをやることや大好きな人たちと、人生を分かち合うことに注げるようになるみたいです。そのエネルギーたるや、人生の膨大な時間を使って消費していたものですから、方向が変わるだけで、すごいエネルギーになっちゃうみたいです。そして、なによりも素晴らしいのは、その自由さとかろやかさだと感じています。イライラで人生をいっぱに(自分では思っていなかったけど)していたところから開放された開放感と自由さは、この上ない気持ちよさでいっぱいです。以前の自分は、(意識では認めていませんでしたが)イライラが人生からなくなってしまったら、生きてる感がなくなってしまうと、本気で思っていたみたいです。よかったら、自分の自動的な反応に、どんなレッテルを貼っていたのかをみてみてください。そして、それを「こんなのイヤ」とか、「こんなのマズイ」っていうのがあがってきたら、それも自動的な反応かもしれないって、みてみて下さい。そして何より大切なコツは、「ダメ」ってところからはじめるのではなく、「なにがあるのかな?」ってみてみることと、ゲームとして楽しんでみること。やりはじめてみると、またいろいろみえてきますが、やりはじめたからこそ、みえてくるものがありますから、それも楽しんじゃってみてくださいネ。浦島太郎の玉手箱みたいなものではありませんから、大丈夫。きっと、すごくいろんなものがみえてきて、「えっ!わたしって、こんなのがアタリマエだって思ってきたの???」ってビックリする自分に出会えると思います。本日は、当店にお越しいただき、ほんとうにありがとうございます。またのお越しを、こころからおまちしております。いってらっしゃいませ。
April 20, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。本日のテーマは、前回お約束したとおり、幸せな成功者と呼ばれる人たちが口々に語る、「ホントはすごくカンタン」って、どういうことなのか?そして、わたしたちは、どうしてこれまで人生を難しいと感じてきたのか?そのカラクリには、どんなものがあるのか?について、お伝えしますね。世の中で成功者と呼ばれる人たちの中には、努力やモチベーションや、強い精神力の重要さを重んじるタイプも多いですが、「実はとてもシンプルみたいですよ」とか、「そんな複雑なものじゃないみたいですよ」とか、「ホントは、とってもカンタンみたいですよ」って言うタイプの人たちもいます。マスターは、これら多くの人たちに出会う機会に恵まれましたが、はじめのうちは後者の言っていることが、なかなかピンと来ませんでした。それだけ、当時のマスターは、複雑に難しく生きる世界の方が慣れ親しんでいて、理解しやすかったんだなって感じます。さて、ホントに自由に人生の豊かさを受け取る、ホントの幸せな成功者と呼ばれる人たちが、「人生の流れを変えることは、すごくシンプルでカンタンみたいですよ」って言ってくれたとしても、わたしたちの多くには、なかなかピンときにくいですよね。この「ホントにカンタン」っていうのは、いったいどんなものなのでしょう?そして、わたしたちはこれまで、どうしてそれほどまで人生を複雑にしてきたのでしょう?マスターはこのとことについて、それまでにみえなかった、「ああ、そういうこと!?」っていうような気づきを得る機会がありました。それは、先日横浜に行った際、目の前に広がる海を眺めながら、心地よい風を感じて楽しんでいた時に、「あ、そうか!」って降って来たんです。マスターは以前、「あっ、もう人生の流れが本当に変わってしまうんだ」、「もう元に戻ろうと思っても、戻れないんだ」、「ホントに質が変わってしまうんだ」って、意識が「パチン」と切り替わってしまう体験をしたことがあると、お伝えしたことがありますよね。そして、その時から、ホントに大きく人生の流れが変わり始めたってお伝えしました。あれって、今まではどうしてそうなったのか分からない、ただ、そうなってしまったとしか言えないって、感じていたんですね。でも、今回横浜で心地よい風を楽しんでいた時に、「ああっ、そういうことだったのか」ってすごく深く腑に落ちる体験がありました。以前、意識が「パチン」と切り替わった時と、今回閃きが降ってきた時に共通していたのは、広い海を眺めながら、心地よい風を楽しんでいたっていう状況です。でね、ひとつすごく腑に落ちたんです。「ああ、そうか、自分は今、ただただ風を楽しんでいたんだ」って。どういうことか意味不明かもしれませんので(笑)、ちゃんと説明するとね、マスターは広い海を眺めながら、「うわあ~広いな~」って、ただただ広さと気持ちよさを感じていたんですね。そして、風が頬にあたるのを感じ始めたとき、ただ「頬に当たる風の心地よさ」を感じたんです。その時のマスターには、これからの不安だとか、それまで継続してきた心配事だとか、そんな心配事どころか、これからの夢だとか、希望だとか、そんなものさえも感じていなくて、ただただ、風の心地よさを「感じて」いたんですね。一切アタマを使っていなくて、胸に上がってくる感情にもフォーカスしていなくて、頬に当たる風の気持ちよさだけを「感じて」いたんです。そうしたらね、これまでどうして人生を複雑にしてきたのか、どうして人生は苦行の場のようにとらえられてきたのか、どうしてそんなに難しく生きてきたのかが、見え始めてきたんですね。わたしたちって、子どもの頃はすごく1日が長かったし、1年なんて、すっごく時間が経つの長かったですよね。ところが、大人になって、歳を重ねるごとに、どんどん時間の経過が早くなっていくって感じていたでしょ?そして、みんなが同じことを言いますよね。でもね、大人になったからって、時間が短くなるわけではないですよね。時間が早く過ぎるようになったと、感じているだけですよね。あれってね、もしかしたら大人になるごとに、「感じる」っていうことをシャットダウンしていただけなんじゃないかって、みえはじめてきたんです。子どもの頃って、常に感じる回路がひらいていて、リアルタイムに感じる体験をしていたみたいなんですよね。でも、大人になるにつれ、わたしたちって、様々な概念に出会って、理不尽って感じる出来事に出会って、徐々に感情を表に出さなくなっていくでしょ。そして、大人になることは、自分を抑えて、周りと協調という妥協をすることっていうような感覚が、自分の中のどこかにあることを、わたしたちは知っていますよね。でも、どんどんそのことさえも、気づかないふりをしていくうちに、自分で自分が自由に生きることを制限していることにも、気づかないふりをしていることにも、気づかなくなっていったみたいなんです。そして、わたしたちは、自分でも気づかないうちに、「感じる」っていうことをどんどんシャットダウンしていったみたいなんです。その結果、常に自分の本来の意識が半分眠っているような状態になっていたため、「歳をとるたび、時間が早くなるなぁ」って、集団の概念をうけいれちゃって、実際、時間が早いと感じていたみたいなんですね。そう、子どものころは、時間が長かったのではなくて、大人になってから「感じる」ことをシャットダウンしてきたので、うとうとしていた分、早くなっていただけかもしれないんです。きっと、わたしたちが子どもの頃って、時間が早いとか遅いとかいう概念なんてなかったんじゃないかなって、感じます。帰る時間は、時計でみるんじゃなくて、夕日の傾きでしたものね(笑)。わたしたちって、大人になるにつれ、痛みを感じたくないし、悲しみを感じたくないから、(これも概念なのかもしれない)感じることをシャットダウンしてしまうみたいなんですね。その結果、世界はすごく狭いものにうつるし、目の前にあるものがすべてで、他の方法とか、他の世界観があるかもなんて、思いもつかなくなるみたいです。マスターが、頬に当たる風を楽しんだ体験で得たのは、ただ楽しんでいることを「感じる」うちに、今まで閉じていた回路が開くような感覚でした。これって、不思議なものでもなんでもなくて、ただ、イヤな感情(感覚)を味わいたくないから、これまで無意識が学習して閉じていた回路が、開いただけなんだなって感じなんですね。「ただ感じる」ことを楽しむコツをつかむと、インスピレーションがいっぱい降りはじめてきて、多くの幸せな成功者たちが話してくれた、「答えは全部自分の中にあるみたいですよ」っていうことが、深く腑に落ちるようになるみたいです。「あ、ほんとうにその通りだ」って。それがみえてくると、なぜ多くの幸せな成功者たちが、「大好きなことをしよう」っていうのかも、すごく腑に落ち始めたんですね。大好きなことを夢中でやっていくうちに、やはり閉じていた回路が開きはじめるっていうことなんだなって。だとしたら、自分の本当のワクワクだとか、本当に大好きなことをやることは、ホントにホントに大切なことなんだなって、感じ始めますよね。これまでわたしたちは、「自分のワクワクを生きよう」、「自分の大好きなことをして生きよう」って考えに出会っても、「でも、みんなが好きでもないことをやってがんばっているのに、自分だけ好きなことなんてできないよ」って感じてきましたよね。でも、それ自体が実は、自分も、自分の周りの人たちにとっても、素晴らしい可能性を閉じていることだったのかもしれません。マスターのメンターがかつて、こういう知恵を話してくれました。人がホントに自分らしく、幸せな人生を生きるためには、こんな段階があるみたいだって。ひとつめは、「HAVE」。なにを所有しているかが大切だと感じている段階。ふたつめが、「Do」。なにを成しているかが、大切だと感じている段階。みっつめが、「Be」。どう生きているのか、どういうあり方で生きているのかという段階。そして、メンターは次のよっつめに「Feel」、なにを感じているかっていう段階が来るだろうということを伝えてくれたことがあります。以前は、なんとなく分かっていたような感覚でしたが、今思えば、「こんなすごい知恵を伝えてくれるメンター達に出会っていたなんて、自分はなんて幸運なんだろう」って、深い感動を覚えてしまいます。わたしたちってこれまで、無意識のうちに「コワさ」や「痛さ」を感じたくないために、「感じる」回路を閉じてきたようです。でも、この「感じる」回路を開くことを許可しだすと、素晴らしい知恵と、気づきと、自由さと、感動がいっぱいあふれ出してくる扉が開きだすようです。これまでたまに降ってきた、「いいアイデア」、「閃き」、「インスピレーション」は、実は早くここに扉があるって、気づいてよ」っていう、扉の隙間からこぼれていたサインだったのかもしれませんね。どうぞ、ご自分の自由で幸せな人生への扉を開くことを許可してあげて下さい。ポイントは、心地よさを「感じる」こと。扉を開くためとか、「人生をよくする為」っていう理由のためにやるのではなく、ただ、ここちよさを「感じる」ことが大切なようです。海辺でもいいし、河原でもいいし、丘の上でもいいし、見晴らしのいい神社の境内でもいいでしょう。どこか、自分がただただ心地よさを感じられるところをみつけて、心地よさに身をゆだねることをはじめてみて下さい。そして、心地よさに身をゆだねることをどんどんやってみて下さい。そうすればきっと、あなたの扉が開いて、あなたを素晴らしい才能に気づかせ、素晴らしい人生へと導いてくれると、心から信頼しています。心地よさを楽しんでくださいネ。本日は、当店におこしいただき、ほんとうにありがとうございます。またのお越しを、こころからお待ちしております。いってらっしゃいませ。
April 19, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。今日は本当に暖かくていい天気です!友人から、明日はサイクリング日和らしいよときいていたのもありましたので、サイクリングロードに心地よい風と春の暖かさを感じに出かけました。実はそこで、今回はとても貴重な体験をしたんです。マスターは最近、「これまで自分はいろんな概念に、自分でも気がつかないうちに縛られていたみたい」だとか、「自動的な感情の反応に、ありとあらゆるところで翻弄されていたみたい」ってホントに実感するようになっていたんですね。そこで、ホントにそんな概念をどんどん外すことをやりはじめたんですね。そしたらね、すごく面白いことが分かってきたんです。マスターの自転車って、(MTBも持ってますが)リカンベントっていう、ちょっと(だいぶ?)変わった自転車なんですね。こんなの↓自転車のフレームにクルマのシートみたいなのがついていて、その上に寝そべったように座って、足を前に投げ出すようにペダルを漕ぐという、なかなかファンキーな自転車なんです(笑)。で、この自転車って、とにかくゆったりと、まるでオープンカーに乗っているかのような開放感と楽チンさ、そして形状的に空気の抵抗も受けにくいため、スピードもラクラク乗るので、すっごく楽しい乗り物なんですね。でもね、こんな楽しいリカンベントなのですが、これまでは、ひとつ気に入らないことがあったんです。それはなにかというと、サイクリングロードに行くまでの一般道で、民間人(笑)の注目を一心に浴びてしまうことだったんですね(笑)。サイクリングロードを走っていても、それなりに目立つのですが、一般道を走っている間は、注目度絶大!!!!!みんなが一斉にこっちをみるんです。で、マスターはそれに対して、「うわっ、こっちみてる」、「やだな、はずかしいなぁ~」って思っていたんですね(笑)。イヤだったら、乗るのやめれば~?(クレヨンしんちゃん風(笑))って言われちゃいそうですが、でも、この気持ちよさは、それとは比較できないくらい楽しい。で、一般道を走っている間は、注目に耐えながら走っていたってわけなんですよね(笑)。そう、マスターは注目を浴びていた時に、どう思っていたかというと、「うわっ、なに、あれ~?」、「へんなの~?」って言われてるー!ってとっていたってことなんです。ところがね、今日走りながら、あがってくる自動的な感情の反応をその度その度、「あ、これってただの反応なんだぁ」ってみて、「いらない」って、ぽいっと外していったんですね。で、たまに外そうと思っても、外れない感情の反応があると、しばらくなんとか外そうと、あれこれ苦戦はするんですが、「あっ、これもしかしたら、実は楽しいから離したくないんだぁ」って、(↑なかなか深いでしょ?)気がつくと、簡単に外せるんですよね。でね、一般道をリカンベントで走っている時に、いつものように歩いている人や、車の人がこっちをみるでしょ?で、今までだったら、感情の自動的な反応があがってきたと同時に、「うわっ、みてる~」、「はずかしい」、「みるな~(笑)」って、自動的反応に意味と言葉をひっつけていたんですよね。でも、今日は「みられた」って思った瞬間にあがってくる【感覚】を「あっ、これ、ただのいつもの自動的な反応なんだ」って扱ったんですね。そしたらそれが、いいとか悪いとかいう意味のない、ただの概念だっていうことが感じられて、「もう、いらない」ってポイってできたんですね。そしたらね、今まで全然みえなかったことが見え始めたんです。今まで、人がこちらに注目するたびに、「なに、あれ~?」、「へんなの~?」って言われていたと思い込んでいたのに、その人たちが実は、「うわ~楽しそう~」、「気持ち良さそう~」、「面白そう~、乗ってみたい~」って言っているのが聴こえてきたんです。これが聴こえてきた時は、ホントのホントにビックリしてしまいました。「ああ、自分は気づかないうちに、概念を持っていたことで、概念に似つかわしい現実しかこの世界にはないって、勝手に創り上げていたんだな」っていうことがみえてきたんですね。そしてね、その後も自動的な反応が上がって来るたびに、「あっ、これってタダの概念だな」って、どんどん手放していくことをやっていくとね、どんどん自動的な反応があがらなくなっていく自分がいたんですよ。そう、今までだったら、「イヤだな」って感じていたことや、瞬間的に「ムカっ」って来るような出来事に出会っても、それが意味のない、ただの中立な出来事として現れだしたんです。これね、ホントのホントの、ホンットに自由なんです。これまで、人生のいろんなところで、「ムカッ」って出来事や、「イラっ」って出来事に翻弄されて、振り回されて、そのことがアタマを離れなくなったり、しばらくその「ムカっ」とか、「イラっ」につかまっていたのに、それにつかまらなくなると、ホントのホントに自由なんです。今までだったら、タバコをポイ捨てする人を見かけたり、禁煙の駅の構内でタバコを吸っている人を見たり、通行禁止の場所をクルマやバイクで走ってくる人をみると、その度に「イラっ」ってしていたのが、アタリマエになりすぎてそれが「自動的な反応」なんだってことも気づかないくらい、マヒしていたんですよね。でも、なにかに出会うたんびにあがってくる感覚が、実はただの自動的な反応で、つかまっていたのは、ただの概念なんだって扱えるようになってくると、ホントにポイって手放せるようになるんですね。でね、これまでもマスターは知っていたんですよね。自分は、ただの自動的反応に翻弄されたり、概念につかまっていることで、「イラッ」とか、「ムカッ」ってなってきたことを。でもね、手放してしまうと「つまらない」って思い込んでいたんです。勿論、意識ではそんなことはみとめていませんでしたよ(笑)、無意識が、概念を持っていたいって思い込んでいたみたいです。でね、きっと無意識は「イラッ」とか、「ムカッ」を引き起こす概念を手放したら、その分ヒマになるとか、「『ムカッ』とさせる対象に何も感じなくなっていいのか?」「そんなの許していいのか?」とかを持っていたみたいなんですね。ところがね、ホンットに手放してみると、その自由さにビックリしてしまうんです。すっごく自由でかろやかで、そして素晴らしいインスピレーションやアイデアが、いっぱい降ってくるようになったんです。今までは、概念につかまって、いろんな反応に翻弄されていて、そのことにすごく忙しかったみたい。それが楽しいと(無意識は)思っていたんだけど、そのことにエネルギーを使っていたことで、降る星のようにやってくる、すっごいインスピレーションやアイデアや、素晴らしい気づきの機会を、ダムのようにせき止めていたみたいなんです。「ああ、こんなに素晴らしい自由さがあるのなら、もっともっと早く手放しておいてもよかったなぁ」って感じです(笑)。前回、人が「人生の流れを変えよう」って選択してから、ホントに幸せな人生へと変化していくスピードは、10年前とは比較にならないくらい早くなっているらしいということをお伝えしました。どうやらわたしたちの意識の変化や、わたしたちをとりまく土壌も、以前と比べると、すごく進化しているみたいです。マスターが体験した、「自由さへのシフト」も、これからはどんどん、簡単にできるようになる人が、いっぱい現れるんだなぁって感じています。あとは、「そうなってもいいよね」って、許可を自分にしてあげるかどうかだけみたいです。あなたの自由な人生を選択してみてあげてくださいネ。次回は、わたしたちが、これまでどうして、そんなにも人生を難しくしてきたのか?ホントに簡単って、どういうことなのかについて、お伝えしますね。本日は、当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、こころからお待ちしております。いってらっしゃいませ。
April 18, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。先日、横浜から帰ってまいりました。宿泊は横須賀だったのですが、港に潜水艦やイージス艦が停泊していて、ビックリ!「うわぁ~、ホンモノだぁ~」って、感動しておりました。京都ではありえない光景ですものね。それにしても、海のある街って、ホントに素敵ですよね。どこかしきたりめいた、独特のその町の枠みたいのがなくて、なにか流れをうけいれる入り口のような雰囲気を感じるのは、異国からの船舶が出入りしてるからなのかしら?って感じたりします。それに、いつも海からの風を感じられるのが、とてもいいですよね。実は、今回横浜に行って、海からのここちよい風を感じていた時に、「自由で自分らしく、幸せな人生」について、とても深い気づきを得ることができました。それは、どうして今まで人生を難しくしてきたのか、多くの人が、どうして人生を難しく生きていがちなのか、どうして、人生を幸せな流れに変えるのを、難しくしていたのかが、「ああ!なんだ!もしかして、そういうことなの!?」って、暗がりから陽のあたるところに現れだすように、明らかに感じる体験でした。そして、多くの幸せな成功者が語ってきたように、人生を幸せな流れに変えること、幸せな成功者の人生を生きはじめることは、本当に簡単なことなんだなっていうことを、実感する体験でもありました。正直なところ、これまでは「自由で幸せな人生を生きることは、本当に簡単」っていう多くの幸せな成功者たちの言葉を知っていても、「シンプル」とか、「単純」という表現ならできるけれど、簡単っていう表現は、どこかうけいれがたいところがあったんですね。なぜなら、マスター自身が「人生の流れを変えよう!」って選択してから、「ああ、本当に人生って自由で幸せなんだぁ」ってところに至るのに、10年の歳月がかかったっていう体験がありましたし、多くの幸せな成功者たちも、「人生の流れを変える」選択をしてから、数多くの壁と感じる出来事や、絶望感や挫折感を味わい、乗り越えながらそこに至っていったと、語ってくれてきたからなんですねですから、「誰もが例外なく、自分らしく幸せな人生を生きられることが可能」ということは、こころから信頼をしていましたが、「簡単」かって言われると、「簡単なのじゃなくて、シンプル」って答えてきたんですね。要は、「人生の流れを変えることは、そんなに容易ではない」って、信じていたって言えますよね。ほんとうに自由に自分らしく、イキイキとした人生、自分は本当に幸せなんだって、生き続けられる人生を実現するには、多くの幸せな生き方への知恵と、数多くの経験、そして、深い洞察への訓練が必要だって感じてきました。つまり、ホントに自由で幸せな人生って、「幸せな人生を手に入れる」って選択をしてからはじまって、そこから数多くの経験をする、そして、その経験から学んで自分を磨き、成長させていくことで可能になるっていう、多くの紆余曲折が必要だって信じていたんですね。ですが、横浜の港でここちよい風を感じている時に、気づいたんです。「ああ、そんな複雑な紆余曲折のプロセスがないといけないんだって、信じてきたのは、もしかしたら、【幸せに成功するってことは、容易ではない】っていう自分の概念でしかなかったのかもしれないって。そうやってみてみると、それを証明するような事例がたくさんあることが、みえはじめてくるんです。マスターが「人生の流れを変えよう」って、選択をしたのは10数年前のこと。そして、マスターがホントにこころから自分の人生を信頼できるようになるのに、10年の歳月がかかったという体験がありました。と こ ろ が、多くの「自分らしく、幸せな人生を手に入れたい」って選択をした人たちに出会ううちに、その変化の流れのスピードは、10年前とは比較にならないくらい早くなっていることに驚かされます。マスターが10年の時間をかけてきたことも、今の流れの中では、2~3年で流れに乗る人たちが現れ始めているんですね。それも、たくさん。そうなんです。これってどういうことかというと、どうやら人の意識って、以前よりも進化しているみたいなんです。スポーツの記録が年々更新して行っている様に、クルマやバイクの性能が10年前とは比較にならないくらい上がっていて、それを操る人間の適応力も、実はすごく上がっている様に、(実は人間の性能が上がっていって、テクノロジーがそれに適応していっているらしい、というお話をレース開発の技術担当者からうかがったことがあります)人の意識が変化したり、覚醒するスピードも、10年前とは、もはや比較できないほど早くなっているようなんです。これが見え始めた時、驚きとともに、「すごい!」って、深い感動を覚えました。驚いたのは、「自分は10年もかかったのに、くやしいー(笑)!」って感情があがってこないこと。それくらい、人と世界が進化しているっていう感覚を、肌で実感した感動は大きかったみたいです。以前にも、やぶられないと信じられていたスポーツの記録や、音速の壁は絶対突破不可能と信じられていた壁などが、その記録を破るものが現れた途端、次々と更新されていったということをお伝えしました。ですが、それは人が「これは、無理~!」って決めているから、越えられなかっただけで、できる人が現れると、「なんだ!できるのか」ってなるから、更新されていくんだな、それだけのことなんだなって、感じていたんです。でも、どうもそれだけではないみたい、生き物ってこれまでもずっと進化してきたのに、今は進化が停滞するなんて、よくみてみたら、ないかもしれませんよね。生き物は何万年もかかって進化してきたって、知識で知っているから、すっごく時間がかかることで、とうてい自分たちが日常で気づけるようなスピードでは進化はないって、思い込んでいただけなのかもしれません。どうも人が、「人生の流れを変える」って選択してから、変化する意識のスピードは、数年前とは比較にならないみたいです。そして、それには、人の意識が進化しているのと同時に、その土壌もそれに適応して、進化しているみたいなんです。じゃあ、「ホントに自由で、自分らしい、豊かな人生」を早く実現する人と、「なかなかそこへ至れない」って言っている人とは、いったいなにが違うんでしょうか?どうもその違いは、オーダーの違いにあるみたいなんです。オーダーの違いって、どういうことかというと、「自分はどんな人生を生きたいのか」っていうオーダーを、明確なものを持っているのか、自分が望むものと違うものをオーダーしているかの違いみたいなんです。ホントは、「自分らしく、イキイキ生きたい」とか、「自分の才能をみつけて、それを満喫したい」とか、「自分がこの人生でやりたいことをみつけて、それを生きたい」って、オーダーが、その人生へ導いてくれるとしたら、「なかなか望み通りにならない」って言っている時のわたしたちは、「認められたい」っていう隠れた欠乏感をなんとか補填したくて、「お金がいっぱい欲しい」、「地位や名声が欲しい」って思い込んで、そんなオーダーをしていただけなのかもしれません。ただ、ホントに自分が喜ぶオーダーをしていたか、ずれたオーダーをしていたかの違いみたいなんです。わたしたちは、普段ほどんど意識することはないけれど、あきらかに自分たちも、自分たちのいる土壌も、以前とは比較にならないくらい進化しているみたいです。あとは、自分がどの選択をするかどうかだけみたい。さて、今回のはじめに、「人生の流れを変えること」はホントに簡単らしいっていうことがみえはじめたと、お伝えしました。そのマスターが発見した「簡単」ってどういうことなのか、そして、わたしたちが人生を難しくしていたのは、なんだったのかという、驚くほど単純だった人生の知恵については、次回お伝えしますね。本日は、当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、こころからおまちしております。いってらっしゃいませ。横浜でご一緒いただいた、ゆうさん、わくわく裕次郎さん、ぼんにゅいさん、令子さん、とても楽しかったです。また、お会いするのを楽しみにしていますね。ありがとうございます。
April 17, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。明日から横須賀泊です。海を眺めながらボーっとすることは、マスターの一番の癒しとともに、インスピレーションがいっぱい~っぱい降ってくる機会ですので、ボーっとするのを(笑)、楽しみにしています。以前、お伝えしたことがある、「あっ、今、人生の質が変わった!」、「あっ、もう元に戻ろうって思っても、もう戻れないんだ~」、「まったく違う質のものに変わっちゃったんだぁ」っていう、パラダイムシフト的、意識の切り替わりも、同じように海を眺めていた時だったんですね。以前にもお伝えしたことがありますが、この「あっ!今、変わった!」っていう意識の変化って、瞬間的に切り替わっちゃうものみたいなんです。わたしたちって、自分を変えることって、すっごい努力を積み重ねて、汗をにじませて、壁にガンガンアタマをぶつけながらも、そこで学んで時間をいっぱいいっぱいかけて、努力の末に、手に入れるものみたいに信じているところがありますよね。まるで、ウサギと亀の話に例えるとしたら、ウサギは悪くて、亀こそが正しいんだから、自分も亀のようにゆっくりと進まねばって、信じてるみたいに(笑)。あの話の伝えたいメッセージというのは、人と比べることなく、自分の人生を歩むことで、一見難しそうな現実も手に入るよねっていうことが含まれていると感じているのですが、対照として描かれるウサギが、なまけていた結果、負けてしまう為に、わたしたちって、ウサギみたいにしては、ダメ!ってところにフォーカスしちゃうみたいなんですよね(笑)。で、ウサギが寝っころがって、休んでいる挿絵もあるもんだから(笑)、わたしたちって、知らず知らずのうちに、休んじゃダメ、ずっとずっと努力の手を抜いてはダメっていうところにフォーカスしちゃうみたいなんです。(ちなみに、目標設定的成功法則の視点から、このお話をみていくと、亀はゴールを見ながら進んでいたけれど、ウサギは亀を見ていた。「見ていた先が違ったから、結果が違った」っていう解釈にもなるそうです。)ちょっと話がそれてしまいましたが、わたしたちって、人生を変えること、自分を変える(行動と考え方)ことって、すごく大変なものだと信じ込んでいるところがありますよね。でも、変わる時って、ホントに一瞬で簡単みたいなんです。簡単っていうか、すっごくシンプルって感じです。わたしたちって、「人生をよりよくしよう」、その為には、自分の「行動や考え方の習慣を変えよう」としますよね。で、そんな時って、わたしたちの心の深いところでは、なにを感じているかというと、「今の自分はダメ!」って、自分を責めて、悪いところをなおそうとしますよね。でもある時、「悪いところを否定するんじゃなく、受け入れることが大切なんですよ」って知恵を耳にします。すると今度はなにをやりだすかというと、「好きじゃない自分を、好きにならなくちゃ」って、セロリを食べられない人が、涙を流しながら、「おしいしよぉ~」って、苦し紛れに言っちゃうみたいなところにいっちゃいがちになります。わたしも、いっぱ~いやりました。(セロリはやってないけど(笑))でも、努力の積み重ねも、受け入れるっていう知恵も、なかなか【期待を満たしてはくれない】から、「まだまだ努力が足りないんだ、きっと」って、これらを繰り返し継続していきます。勿論、これらの継続は、すっごく大切みたいです。これらを続けることで、「あれ?」ってことに出遭ったり、それまでの自分ではみえなかったものが、見えるようになってきたり、スルーしてうけとれなかったメッセージも、きこえるようになってきはじめます。ここで、わたしたちは、多くの気づきを得て、磨かれて、成長していきますよね。じゃあ、一瞬で変わるって体験が、なんなのか?っていうことですよね?これは、コロンブスのタマゴ的変化みたいなんです。トリック画の中に、「この絵は、こうだ」って信じて疑わなかった時には見えなかった別の絵が突然見えだすような、あの感覚です。トリック画の中に、新しい絵が見えだしたら、「この絵は、こういう絵」って信じ込んでいた絵と、新しく見えた絵の両方があることがわかるようになりますよね。そして、もう両方の絵が見えるから、もう「この絵は、こうだ!」としか見えなかった時の感覚ではなくなっちゃいますよね。逆に見えなかったときの感覚は覚えているけれど、もう見えるようになってしまったから、見えないって思い込むことのほうが難しいって。あんな、感覚です。わたしたちは、人生を変えようとする時、すっごく大変なことなんだって、信じていがちなようです。「だって、小さい頃から、何十年もかけて、こうなってきたんだもの」って。でも、もしかすると、もっとシンプルに、もっと一瞬で、人生を変えてしまうことは、できるのかもしれないって、こころの片隅に置いておくことって、いいみたいです。そして、これからは、そんな意識の一瞬の切り替わりを体験する人は、いっぱいいっぱい現れ始めると、感じています。だって、前回もお伝えしましたが、スポーツの世界でも、航空機の世界でも、あらゆる世界で、「この記録は、絶対に破れない」って信じられていたものが、記録を更新する人が現れた途端、その後続く人たちはあっさりと記録を塗り替えていったように、扉が開くと、どんどんそれがアタリマエのことになるというのが、【世の中のことわり】みたいだからです。お釈迦様も、続けていた苦行を切り替えて、菩提樹の下で瞑想しはじめてから、真理がみえはじめたとききます。よかったら、ホントは、すっごくシンプルかもしれない、一瞬でもいいのかもしれないって、みてみてください。そして、意識が切り替わる時は一瞬です。簡単っていうより、かろやかって感じかな(笑)?マスターが意識が切り替わった時は、どうやって切り替わったのかは、さっぱり分かりませんでしたが(笑)、間違いないのは、「変わってもいいよな~」って、【許可】を、どこかでしていたんだと思います。マスターのおすすめは、広い海を眺めながら風を感じるとか、見晴らしがよくて、風を感じられる、「広さを感じられるところ」です。で、アタマで考えるんじゃなくて、ただただ心地いい風を感じるの。よかったら、やってみてください。どうぞ、ご自分に【許可】をしてあげて下さい。そして、軽やかな人生を、ご自分にプレゼントしてあげてくださいネ。本日は、当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、こころからお待ちしております。いってらっしゃいませ。
April 14, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。これまで3回に渡って、「今の現実は、わたしたちのこれまでにやってきた選択によって創られている」という知恵には、実はわたしたちが思っているより、ずっと深い知恵が含まれているかもしれないということについて、お伝えしてきました。わたしたちはこれまで、今の現実は自分が考えて、自分が行動してきたことによって、創られてきたと考えていました。そして、今の現実に不満を感じる要素があるとしたら、選んだ行動を間違えたか、経験不足のために適切な行動を選べなかったかと(これは、ある意味ホントですが)考えてきました。ですが、全ての結果を生み出す行動には、意識していなくても、意図が働いているとしたら、「不満足な現実を創り出す」という隠れた意図が、それを創りだすことに成功しているといえるようです。ではいったい、なぜわたしたちの無意識の意図は、わたしたちに、不満足な現実を創らせようとするのでしょうか?そしてどうすれば、ホントにイキイキと自分らしく生きる人生を、隠れた意図に翻弄されることなく、自由に選択することが可能になるのでしょうか?まず、なぜわたしたちの無意識が、不満足を含んだ現実を創りだすのかということについてですが、これを深く探求していくと、驚くものが出てきました。マスターがこれに気づいたのは、以前あるメンターのもとで、セッションをうけている最中の事でした。マスターは、それまでにも無意識の中に隠れた、感情の自動的な反応が、自分の意思とは関係なく、無意識のうちに自分を行動させ、現実を創りだしているということを、ずっと研究してきていました。そのセッションの時も、マスターの中の大切な選択の場面にいつもあがってきて、不満足な現実を、継続させようとする感情(感覚)」を手放すということを、テーマにしていたんですね。と こ ろ が、何度扱おうとも、この感覚が「手放せた」って自由な感覚が感じられないんですね。最初のうちは、「なんでこれだけは外せないんだろう?」ってことに、すごく注意を奪われていたんですが、ある瞬間から、その理由がはっきりとみえはじめました。それは、ホントにビックリするようなことでした。それは、「もう本気で手放しちゃおう」って決めた瞬間に、突然やってきました。ホントにビックリしたんですが、ホントに手放そうとした瞬間、手放したいと思っていた感覚を「いとおしい」って感じたんです。これには、ホントにホントにビックリしてしまいました。不満足な現実をいつも繰り返している人に対して、「あなたってホントは、その状態が好きなのね」って表現するのを耳にしたことが、きっとあなたにもあると思います。ですが、これを自分が言われたとしたらきっと、「人ごとだと思って!」、「あなたには、わたしの気持ちなんてわからないよ!」って、すごくハラが立つと思いますよね。マスターも、そう思っていたんです。ところが、とことん自分が創りだす現実の源に、なにがあるのかというのを突き詰めていくと、「自分は本当はこの感覚が好きなんだ」っていうのがでてきてしまったんです。わたしたちって、「これがなくなったら、よくなるのに!」、「こうだったら、人生がより幸せなものになるのに」っていうものを持っているものですよね。でも、わたしたちの深いところに隠れているものは、「いつもどこかに不満足を残している感覚」、「ハラハラしたりする感覚」を深いところで望み、楽しんでいるようなんです。そう気づいて思い出してみると、これまで自分がやってきた行動には、そんな現実を引き起こすようなものがあったことが、おぼろげにみえはじめてきます。そして、「どうして思い通りにならないの?」って感覚に、浸っていたい時の自分がいたことが、徐々にみえはじめてきます。そうなんです。わたしたちは、自分でもどこかで分かっていたけれど、「思い通りにならない感」を楽しんでいることを気づかないようにしてきたようなんです。マスターが、いくらセッションで扱っても、この感覚を手放せなかったのは、「実はその感覚が好き」だったからようです。ところが、自分は「思い通りにならない感」を楽しむことで、ホントに自由な人生を生きてこなかったことがみえると、この感覚を手放すか、そのまま持っておくかっていう選択が可能になりました。そして、マスターは、ホントに自由に自分の人生を創っていこうっていうことを決めていましたので、それをいよいよ手放すことにしたんですね。ところが、ホントに手放そうとすると、すごくコワくなりはじめたんです。そして、なぜコワいのかは、すぐにみえてきました。なぜ、手放すことがコワかったかというと、「それを離してしまうと、つかまるところがないよ」っていう感覚があったからなんですね。言ってみれば、宇宙遊泳をしようとしているのに、コワくて棒を離せない~っていうような状態です(笑)。でも、「じゃあ、ずっとそれ持っとく?」ってきかれたとしたら、「ホントに自分らしい人生を生きるって決めてるんだもの」って、手放すことは覚悟していましたから(大げさだけどホントです(笑))「えい」って、手放しちゃったんですね。そしたら、「つかまるところがないゾ」っていう不安感はまだあったんですが、それよりもずっと素晴らしい感覚がみえだしました。それってどんなものかというと、「ああ、すっごく自由なのに、自分は今まで信じられないくらい狭いところにいたんだぁって、世界がすごく広くて深みがあることを感じはじめたんですね。そして、それまでの自分が、ものすごく狭い世界に生きていたんだということを初めて知ることにもなりました。勿論、今でもいろんな場面で、コワさも出てきますし、感情に振り回されそうになる自分もちゃんといます(笑)。でも、それまでと明らかに違うのは、自分が自動的な感情の反応に、無意識にコントロールされそうになることを、瞬時に感じ取ることができるようになったんですね。その結果、自動的な反応から、その都度簡単にコントロールを取り戻すことができるようになってきました。驚くことは、それまでにも気づかないうちに、自動的な感情の反応に、行動を乗っ取られているということを知っているつもりでしたが、まさかそんなにひんぱんに、自動的反応が起こっているとは、思いもよらずにいたということです。これらは、マスターの体験ですが、「自分ももう、『何で思い通りにならないの?』って感覚を手放してもいいよね」、「もう、ゲームに興じるよりも、ホントに自由に自分らしく生きてもいいよね」って【許可】したなら、みんながそんな生き方を選択することが可能だと、感じています。わたしたちは、今の自分の人生に不満足な部分を持っている時、「今の現実は、これまでやってきた自分の選択によって創られている」っていう知恵を浅い位置から読み解くと、「今までのやり方が悪かったんだ」って、【やり方】に注目します。そして、少し深い位置から読み解くと、「今の現実は、これまでやってきた(どう生きたいのかという)自分の選択によって創られている」っていう、【指針】が見えはじめます。この「どう生きるか」がみえはじめると、その「生き方」に従い、大きく迷ったり、ズレたりすることがなくなってきます。ですが、そこにとどまらず、「今まで自分が不満足な現実を創ってきたとしたら、【そこに何があるのか】」ということを、みはじめます。そして、わたしたちは今まで自分が創ってきた現実は、自分では気がつかないフリをしてきたけれど、望みどおりの現実を創ることに成功いたんだっていうことを知りはじめます。わたしたちが、この知恵からうけとれる大きな収穫は、わたしたちは、不満足な現実を楽しむ【ゲーム】を続けるか、ゲームをやめて、自分らしく、自由に生ることか、どちらを選ぶことも可能になることなようです。マスターは、ホントに手放すっていうチャレンジを体験しましたが、これからは、そんな難しくもないみたいだって、感じるようになってきました。なぜなら、昔飛行機の世界では音速の壁を越えることは、絶対に不可能と信じられていたのに、チャック・イエガーが音速の壁を越えたら、後に続く人は、あっという間に記録を塗り替えていったように、スポーツの世界でも、この壁は人間には越えることが不可能って信じられていた記録を破るものが出てきた瞬間から、次々に記録が更新されていったように、どんどんそれが、アタリマエになるというのが、この世界のことわりだからみたいです。わたしたちは、ゲームを続けることもできますし、まったく自由な自分らしい人生を楽しむ旅に出ることも可能なようです。ゲームは楽しいですが、ホントに自由に自分の人生を旅することは、きっとゲームを続けることより、ずっとずっとワクワクとエキサイティングに満ちたものだったんだぁって、すっごくビックリすると思います。どうぞ、ご自分の人生を自由なところで遊ばせて、楽しんでくださいネ。本日は、当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、こころからお待ちしております。行ってらっしゃいませ。マスターは今週の15日(土)に、横浜方面に行きます。葉山近辺で宿泊しようと思ったのですが、意外とどこもいっぱいなので、横浜駅か、桜木町のあたりに宿泊しようかなぁって考えています。その辺で、飲めるところあったら、教えて下さい。
April 13, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。昨日の京都はすっごい雨でした!雷まで鳴ってきて、春の嵐って感じです。夜遅くに、行きつけの店に飲みに行ったのですが、嵐のような雨で、カウンターにわたし一人だけの貸し切り状態でした。その店のカウンターからは、ボトル越しに満開の桜が楽しめるんです。嵐のような雨だったのに、まだがんばって咲いてくれていて、花見酒を一人で楽しむことが出来ました。さて、前回まで2回に渡って、「今の現実は、わたしたちのこれまでにやってきた選択によって創られている」という知恵には、実はわたしたちが思っているより、ずっと深い知恵が含まれているかもしれないということについて、お伝えしてきました。前回までお伝えしてきたのは、(1)わたしたちは、いろんな知恵を耳にしたとき、 実は、早く安心をしたい、早く納得したい、 ゆえに早く答えを出したいという欲求があるばかりに、 深い意味をつかまないうちに、浅くしか意味を うけとっていないかもしれないということ。(2)「今のわたしたちの現実は、これまでやってきた選択によって 創られている」という知恵を浅い位置から読み取ると、 「今ままでの【やり方】が悪かったんだ」って 自分を責めるか、周りを責めるか、自分よりできていないと 感じる人を批評するかに走る可能性があること。(3)「やり方が悪かったんだ」っていうように、 【やり方】に意識を向けている時は、 やり方を変え、そのやり方がうまくいかないと、 またやり方を変えという具合に、ぐるぐる回るスパイラルに おちいる可能性があること。(4)もう少し深く読み取っていくと、 今のわたしたちの現実は、 これまでやってきた(どんな人生を生きたいかという)選択、 によって創られているという【意図】が含まれる可能性が みえてくるらしいこと。(5)これがみえてくることによって、 行動を変えるとしたら、何のために変えるのか、 考え方の方向を変えるとしたら、どっちの方向に 変えていくのかという【指針】ができることにより、 大きくずれたり、迷いにくくなるらしいこと。(6)けれども、「わたしたちの今の現実は、 これまでやってきた選択によって創られている」という知恵には、 これを語ってきた先人たちも気づいていないかもしれない、 深い深い意味があるかもしれないという位置に立ってみると、 これまで見えなかった深遠な意味、深い解釈が 見えてくるらしいこと。(7)更に深く探求していくと、 わたしたちは実は、自分たちの気づかないうちに、 不満足を含んだ現実を創るように、 自分自身で仕組んでいるらしいということがみえてくる。 これらについて、お伝えしてきました。「今の現実は、わたしたちのこれまでの選択によって創られている」という知恵を耳にしたわたしたちは、人生に「もっとこうだったらいいのに」って不満を持っている時には、「これまで自分がやってきた選択が悪かったんだ」、「あの時、こうしておけばよかった」って、自分を責めるか、「これからは、こうしよう」って【行動】を変えようとしてきましたよね。それが、今までのわたしたちのやり方でした。ところが、「今の現実は.....」という知恵を深く読み解いていくと自分で不満足な現実を創り出そうとしてきたんだという、自分でも気づかなかった、隠れた意図が見えてくるようです。勿論、わたしたちは、わざわざ望んで不満足な人生を創りたいなんて、望みませんよね。イキイキとよりよい人生を生きたい。幸せで充足した人生を生きたいって望みます。でも、無意識の中に隠れていた意図は、わたしたちを知らず知らずのうちに、不満足な人生を現実化するよういざなうようです。そして、隠れた意図は、不満足な現実を創りだすことに成功します。そうなんです。実はわたしたちは、いつも(意識はしていなくても)望みどおりの現実を創ることに成功しているんです。実はずいぶん昔、マスターがまだ人生の知恵をいろんなメンターたちから学び始めた頃、あるメンターから言われた言葉にすごくビックリしたことがあります。マスターはそのメンターから成功の為の知恵を教えて欲しくて、いろんなことを質問していました。そしてメンターに、その時の不満足に感じている状況を話したんですね。そしたら、すっごくビックリする答えが返ってきたんです。「それは素晴らしい、あなたはその人生を創り上げることに成功しているのね」って言ったんですね。当時のマスターは、目を白黒させてビックリして、「なに言ってるの?この状況のどこが成功なんだよ」って思いましたヨ(笑)。で、当時のマスターは、よくよく考えた末、「なるほど、たとえ不満足な状況であっても、ここまではやって来れたんだから、ここから新しく創り上げていったらいいってことなんだな」って解釈したんですね。そう勝手に思い込んだんです(笑)。でも今、メンターのあの言葉を思い出すと、「伝えかったメッセージには、実はとても深い意味が込められていたんだ」っていうことが、みえるようになってきました。実はわたしたちは、意識していようが、意識していまいが、自分の望みどおりの現実を創りだすことに、(それが不満足な現実であっても)成功しているようなんです。「もう!どうして、いつもこうなっちゃうんだろう!」、「わたしって、どうしていつもいつもこうなんだろう!」、「どうして、いつも同じような失敗をしちゃうんだろう?」、「いったいいつになったら、望むような成功ができるの?」、って、感じているわたしたちがいる時に、「それが、あなたの望んだとおりの現実ですよ」とか、「おめでとう!あなたの望んだ現実を手に入れましたね!」なんて言われたら、「そんなバカな!」って言うか、「バカなこと言うな」ってきっとハラがたっちゃいますよね。でも、今の現実が本当に、(自分では分からなくても)自分が望んだとおりのものだったとしたら、今の不満足な現実を創ることが、自分が望んだ成功だとしたら、いったいなぜ、無意識のわたしたちは、そんな現実を望むのでしょうか?そして、ホントにイキイキと、自分らしく生きるために、どうやってこの無意識の意図を、自分が望むような現実を創りだす意図に切り替えることができるのでしょうか?それには、どうやらとても大切なあることを知っておく必要があるようです。その大切な、あることとはなんでしょう?次回はいよいよ、このシリーズの最終回です。気になるこの先は、次回に。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、こころからお待ちしております。いってらっしゃいませ。15日の土曜日、マスターは横須賀近辺にいます。マスターと一緒に飲んでみたいなってキトクな方は(笑)、このブログの「メッセージを送る」から、メールを下さい。これまでお会いした方は、「あれ?わ...若い!」ってビックリされます。でも、今年で40なんですけどネ(笑)。ホントに意外なのかどうかは、会ってからのお楽しみです(笑)。
April 12, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。今週は天気予報によると、ほとんど雨続きのようですね。お花見を楽しみにされていた方にとっては、ちょっと残念ですよね。マスターは今夜、行きつけのお店に飲みに行って、カウンター越しのお花見をしてきますね。さて、前回は、いろんな著書やセミナーや講演会でよく耳にする、「今のわたしたちの現実は、わたしたちのこれまでにやってきた選択によって創られている」という言葉には、実はわたしたちが思っている以上に深い意味が含まれているかもしれないっていうテーマをお伝えしました。前回お伝えしたのは、(1)わたしたちは、いろんな知恵を耳にしたとき、 実は、早く安心をしたい、早く納得したい、 ゆえに早く答えを出したいという欲求があるばかりに、 深い意味をつかまないうちに、浅くしか意味を うけとっていないかもしれないということ。(2)「今のわたしたちの現実は、これまでやってきた選択によって 創られている」という知恵を浅い位置から読み取ると、 「今ままでの【やり方】が悪かったんだ」って 自分を責めるか、周りを責めるか、自分よりできていないと 感じる人を批評するかに走る可能性があること。(3)「やり方が悪かったんだ」っていうように、 【やり方】に意識を向けている時は、 やり方を変え、そのやり方がうまくいかないと、 またやり方を変えという具合に、ぐるぐる回るスパイラルに おちいる可能性があること。(4)もう少し深く読み取っていくと、 今のわたしたちの現実は、 これまでやってきた(どんな人生を生きたいかという)選択、 によって創られているという【意図】が含まれる可能性が みえてくるらしいこと。(5)これがみえてくることによって、 行動を変えるとしたら、何のために変えるのか、 考え方の方向を変えるとしたら、どっちの方向に 変えていくのかという【指針】ができることにより、 大きくずれたり、迷いにくくなるらしいこと。(6)けれども、「わたしたちの今の現実は、 これまでやってきた選択によって創られている」という知恵には、 これを語ってきた先人たちも気づいていないかもしれない、 深い深い意味があるかもしれないという位置に立ってみると、 これまで見えなかった深遠な意味、深い解釈が 見えてくるかもしれないこと。これらについて、お伝えしました。前回お伝えしたかったもっとも大切なポイントは、知恵を「おしえ」として、耳を傾けることもできるけれど、「より深い可能性の洞察の提案」だとみてみることで、思いもよらなかったような、深い深い意味がみえてくるかもしれないということなんですね。では、「わたしたちの今の現実は、これまでやってきた選択によって創られている」という知恵を、もっと深い意味があるかもしれないってみていくと、いったいどんなものがみえてくるでしょうか?「わたしたちの今の現実、現状は、これまでやってきた選択によって創られている」というのは、言ってみればあみだくじのように、これまでのいろんな場面場面で、どっちにするか、どれにするかって選んできた積み重ねの結果といえますよね。ところで、場面場面でどっちにするか、どれにするか、YESかNOかって選んで来たのは、誰かというと、勿論自分なわけですから、もし今の現状に満足していない部分があるとすると、(浅い読み方では)あの時の選択が悪かった、あの時こうしておけば良かったって後悔が出てきますよね。そして、あの時の選択をもっと大切にするべきだった、冷静に判断するべきだった、よく考えるべきだったって思いますよね。ところが、今の現状を創り出してきた、これまでの選択には、よくみていくと、一定のパターンがあることが、みえてくると思います。どういうことかというと、これまで創ってきた現実が、いつも同じような不満を含んでいるとしたら、いつも同じような場面で、同じような選択をしていると言えるからみたいなんですね。今の現実を創っているのは、「あの時の、あの時だけの選択が全てを狂わしたからだ」って感じておられる方もいらっしゃるかもしれませんが、わたしたちのほとんどが創りだす現実は、これまでの選択の【習慣】によって創られているようなんです。【習慣】とは、それと気づかなくてもやってしまう、日常のクセのことですよね。ということは、わたしたちは、ある特定の場面になると、いつも似たような選択を、それとは気づかないうちに習慣的にしているらしいということなんですね。つまりどういうことかというと、わたしたちは知らず知らずのうちに、一定の大事な場面場面で、不満足な現実をつくるように、自分で仕組んでいるらしいっていうことなんです。わたしたちは、わざわざ自分から、不満足な人生を創りたいなんて思いませんよね。ところが、いつもどこかに不満足を含んでいる現実を創り出しているとしたら、大事な場面場面で選択をしているのは、無意識の自分がやっているらしいということがみえてきます。つまり、自分が自分の人生に不満を含ませるために、気がつかないように、仕組んでいるらしいということなんです。ところで、人は行動によって結果を作り出しますよね。そして、結果を創りだす行動には、意図があります。意図とはたとえば、「ダイエットを成功させて、スタイルのいい服を着て、みんなに見せびらかして、いい気分を味わうぞ!」っていうような時、「いい気分を味わう」ためにダイエットをするんだって、ダイエットという行動を起こす動機になるようなものです。すべての結果を創りだす行動には、意図というものがあります。ところが意図がないか、あいまいな時にはどうなるかというと、自分では意識していない、隠れた意図が働きだします。そうなんです、わたしたちが、これまでの選択で創ってきた現実に不満足が含まれているとしたら、不満足な結果を創りだしているのは、無意識の自分の「不満足な結果を創るぞ」っていう隠れた意図によるものみたいなんです。「え!そんなバカなー!なんで自分の人生に不満足を創ってやろうなんて、自分の人生を台無しにするようなことを、無意識はやってしまうっていうの?」「いったいどうして???」って思いますよね。実はこれには、思いもよらなかった深い深い理由があるようなんです。わたしたちは、「自分の今の現実は、これまでやってきた選択によって創られている」っていう知恵を浅い位置からきいた時、「自分がちゃんとしなかったからだ」っていうふうに、自分を責める位置で聞きますよね。それを少し深い位置からみてみると、これまでの選択に(どんな人生を生きたいのか)って意図があるかどうかで、創り上げる現実が大きく変わってくるということがみえてきます。ですが、そこにとどまらず、知恵をより深い洞察の機会だというふうにみていくと、「なぜ、そんな選択をしてきたんだろう?」「不満な現実なんてつくりたくなんかないのに、なぜなんだろう?」っていうところをみはじめます。そして、みえてくるのは、思いもよらなかったけれど、自分でも気がつかないうちに、人生に不満足を創るように、仕組む、無意識の隠れた意図が働いているらしいということが、みえてくるようです。では、いったいなぜ、わたしたちの無意識は、自分をおとしめるような、自分を成功させないようにするような意図のもとに、選択をさせるのでしょうか?ここには、思いもよらなかったビックリするような理由があるようです。その理由っていったいなんなんでしょうか?気になるこの先は、次回に続きます。本日は、当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、こころよりお待ちしております。いってらっしゃいませ。マスターは、週末横浜方面に行きます~。今週の15日土曜日に、マスターは横浜方面に行きます。宿泊場所はまだはっきり決めていませんが、JR逗子駅の近くを考えています。午後6時以降には時間ができますので、一緒に飲みたい~っていう方がいらっしゃいましたら、このブログの「メッセージを送る」から、メールくださいネ。おそらく予定は大丈夫だと思うんですが、当日までに予定が変わったらゴメンナサイね。その時は勿論、おしらせします~。
April 11, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。週末はあるセッションへの参加のために、京都の東山方面に出かけていたのですが、それはもう、すごい花見客の数にビックリしてしまいました。今日の雨で、けっこう落ちちゃうのかな?そうそう、マスターがやっていたバーのカウンターからは、並んだボトル越しに、真正面の窓に満開の桜が楽しめたんですよ。今でも、よく行く隣の店のカウンターには、毎年花見を楽しみに、飲みに行っています。さて、いろんな著書や講演やセミナーなど、あらゆるところで耳にするものに、今の現実は、自分が創り出したものだというものがありますよね。きっと、どこかで耳にされたことがあると思います。こんな話を耳した時のわたしたちは、「今の自分の状況に不満があるのは、今までの自分がちゃんとしてこなかったせいなんだ」って自分を責めるパターンか「親や学校の先生や、周りの人たちがちゃんとしてくれなかったから、自分は100%幸せではないんだ」って、被害者感を感じるパターンに陥りがちになりますよね。もしくは、自分よりできていないって感じる人に意識をフォーカスして、「あの人は、自分が分かっていないから、あんな状況になっているんだな」って、批評のパターンに入りがちです。わたしたちの今の現実は、わたしたちの選択によって、創られていると言いますが、これってホントのところは、いったいどういうものなのでしょうか?実は、この言葉に含まれる知恵って、浅く読めば、浅いなりの意味にとれるし、深く探求していけば、深い意味が含まれているようです。そして、自分も知らないし、もしかしたら、この言葉を理解して、成功している人たちでも、実はこの言葉に含まれている深遠な意味の一部しかまだしらないっていうところに立つと、更に深い深い意味に触れ始めることができるようです。つまり、この言葉に限らず、あらゆるものは、観察者の知識、経験、理解力、洞察力、柔軟性と、より深い知恵を読み取りたいって欲求、そしてなによりも、自分はまだ知らないことがいっぱいあるんだって立ち位置によって、見えてくるものは大きく違ってくるようです。(なんか科学者みたいですね(笑))わたしたちはホントに多くの場面で、目に見えるもの、耳に聞こえるものを、理解できる枠に収めたくなりますよね。また、知らないもの、今までの自分の枠で理解できないものに出会った時には、無理やり自分の理解の枠に形を曲げてでも、納めようとするか、今の自分の理解できる位置で、納得しようとしがちです。なぜ、わたしたちの多くが、こうも早く納得したがるかというと、どうやらそれは、早く安心したい、落ち着きたい、その呪縛(自分で縛っているだけなんだけど、縛られていると思い込んでいる)から開放されたいって、欲求から来ているようです。さて、どんな知恵も、浅くでも、早く理解できたらいい、早く納得したいっていうところから読み取ろうとすると、浅い、表面的な読み方が可能なようです。もしくは、曲げて理解するか。(わたしたちは、あまりにもこれに多く陥りがちかもしれないっていうことは、知っておく必要はあるようです)そして、深い部分を読み取りたいってところに立つと、深い部分がみえ始め、より深遠な意味があるかもしれないってところからみると、それまで見えなかった、新しい世界、新しい解釈が広がりはじめるようです。知恵は、おしえととることもできるし、洞察の為の可能性の提案ととることもできるようです。(これってよくみてみると、すごいでしょ↑)わたしたちのこれまでの選択、わたしたちの思考が今の現実を創りだしているっていう知恵を、言葉どおりの、比較的浅いところから読み取ろうとすると、「今の状況に100%満足できていないのは、今までの自分がいい選択をしなかったからなんだ」って、自分を責める道具に使うことが可能ですよね。そしてこのレベルで人生の流れを変えようと思ったら、行動や考え方の習慣を変えることをしはじめます。つまり、行動面を変えるという「やり方」、考え方を変えるという「やり方」っていう具合に、「やり方」を変えるという方法をとるともいえますよね。ところが、この知恵の読み取り方には、ひとつ大きな見落としがあるかもしれないということを、知っておく必要があるようです。それはなにかというと、今までがダメだったから、やり方を変えるっていう、これまでの自分のやってきたことを否定する要素が含まれているということです。「やり方」に意識を向けているときに起こりがちなのは、新しくはじめた「やり方」もうまくいかない時には、また新しいやり方をはじめる、それもうまくいかなたっから、違うやり方をはじめるって具合に、あれこれ部品をとっかえひっかえし続けてるのに、一向に動かない電化製品をなおそうとしている時と同じ状態に陥る可能性が高いということが言えそうです。「わたしたちのこれまでの選択、これまでの思考が、今のわたしたちの現実を創っている」っていう知恵を比較的浅いところから読むときのわたしたちは、こんなところをぐるぐる回りがちです。では、この知恵をもうちょっと深いところから読んでいくとどうでしょうか?この知恵をもう少し深いところから読み取っていくと、「今のわたしたちの人生は、これまでのわたしたちの選択、思考によって創られている」っていう一文に、ある言葉が含み隠されていることが見えてきます。それはどんなものかというと、「今のわたしたちの人生は、これまでのわたしたちの(どう生きたいのかという)選択、(どう生きたいのか)っていう思考によって、創られている」っていうものです。この読み取り方と、先の読み取り方の大きく違う点は、自分が行動を変えるとしたら、何のために変えるのか、考え方の方向を変えるとしたら、何のために、どっちの方向に変えていくのかっていう、目的がはっきりとみえているか、いないかと言えます。言ってみれば、はじめの浅いところからの読み取りが、コンパスを持たずに海に出て、グルグル同じところを回っているかもしれないし、波にただただ流されているだけかもしれないところを、コンパスを手に、どんな航海を楽しみたいのかが、はっきりと分かっていると言えるかも知れません。この段階の読み取り方になると、自分がいままでやってきたことがダメだったんだって、自分を責めたり、周りがちゃんとしてくれなかったからだってまわりを責めたりすることが、少し難しくなってきます。(でも、この段階では、どこかにまだ含み持っているんですよね(笑))なぜなら、どう生きるかは、これから自分が決めていくことで、これまでの自分のやってきたことや、周りの人たちとは、ある意味無縁なことになってしまいますし、決めた時点から方角を変えた、新しい航海がはじまるからと言えそうです。今のわたしたちの人生は、これまでの自分の選択、自分の思考によって創られているっていう知恵を、少し深く読み込んでいくと、こんなものがみえてくる可能性がありますよね。では、この知恵を理解し、探求してきた、多くの成功者たちもあまり気づいていないかもしれない、もっともっと深遠な意味が含まれているかもしれないとしたら、今度はどんなものがみえてくるでしょう?知恵が、ただの教えにとどまらず、可能性の探求の機会だとしたら、いったいどんなものがみえる「可能性」が、でてくるでしょうか?わたしたちはもしかすると、先人たちの知恵の一部しか読み取っていないかもしれないっていうところに立つことが可能ですが、同時に多くの先人たちが伝えた知恵を、より深く探求して磨きこんでいくことも可能かもしれません。可能性から探求していくと、「今のわたしたちの人生は、わたしたちのこれまでの選択、これまでの思考によって創られている」という知恵から、いったいどんなものがみえてくるでしょうか。そこからみはじめると、なぜ今まで、100%自分が望むような人生をあえて生きてこなかったのかというものが見えてきて、すっごくすっごくビックリしはじめます。そして、これまでの人生を、何とかよくしようっていうところから、ホントに自由に自分らしく生きる、まったく新しい可能性がみえてくるようです。それっていったいどんなものでしょうか?この続きは、次回に続きますね。本日は、当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、こころからお待ちしております。いってらっしゃいませ。
April 10, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。前回は、人がホントに読みたいと思う本、欲しいと思う商品や受けてみたいサービスなどに、自分では気づいていないけれどもっとも惹かれているものは、なんなのかということについてお伝えしました。前回お伝えしたのは、(1)多くの人が起業している中で、順調に人が集まって 利益をあげている人と、努力の割りに、 なかなか結果が出せない状態を続けてる人がいるのは、 いるのはなぜなのかということ。(2)多くの人が、努力が報われていない時には、 努力が足りないか、やり方がよくないっていう、 「やり方」に意識がいってしまって、 肝心なことがみえないでいることに、 きづていないらしいこと。(3)人が共感を覚え、商品やサービスを欲しいと感じるときというのは、 商品やサービスの底に流れている、その人の生き方や考え方、 その人のスタンスに共感するためらしいこと。(4)大切なのは、その商品やサービスを通して、 どんなことを伝えたいのか、サービスを受ける人たちに どう感じて欲しいのか、どんな人にサービスを 受けて欲しいのかっていう、考え方やスタンスらしいこと。これらについて、お伝えしました。多くの人が起業する中で、順調に人が集まり、口コミが進み、利益をあげられる人と、いろんな努力をしているにも関わらず、なかなか結果に現れないでいる人とでは、その人の生き方や考え方や、スタンスがどんなものなのかっていう違いがあるようです。自分が伝えたい思いやメッセージが、人に共感を与えたり、喜びや感動を与えるものであれば、直接は目には見えなくても、人はその商品やサービスの底に流れている、その人のスピリッツに共感して、引き寄せられるようです。逆に、収入にならなければ、困るなぁとか、なんとか儲けなくちゃとか、そんなつもりはなかったとしても、自分がうまくいくかどうかにしか意識がいっていない時には、やはりお客さんは、そのスピリットを感じ取って、来て欲しい人は一向に興味を持ってくれなくて、そのスピリットにふさわしい人しか、やって来ないようです。よくビジネスで成功するためには、人に好かれる人になることが最も大切だと耳にしますが、これを耳にした人の中には、好きになってもらうことに意識が行きすぎて、媚びた状態になってしまっていることに、気がつかないことさえ、気がつかないでいることもあります。また、「人に好きになってもらうなんて、人付き合いの苦手なわたしには、難しい」って感じる方もいらっしゃると思いますが、マスターが出会った幸せな成功者たちの中には、けっこう人見知りをしてしまうタイプで、会ってみると、「意外」って方は少なくありませんから(笑)、これも好きになってもらうことと、媚びることが、ごちゃまぜになっていることに、気づいていない状態といえるようです。見落としてはいけない大切なことは、好きになってもらう、共感してもらうっていうことは、お客さんになる人が、自分の考え方や、生き方に「いいな」って、感じられることみたいです。つまり、自分が好きになってもらうため、共感してもらうために、動き回るのではなくて、テレビの電波塔のように、あなたが伝えたいスタンスを同じ位置で発信し続けることといえます。動き回らずに、同じ立ち位置で、電波塔のように発信というのは、ちょっと深い内容ですが、とってもとっても大切なことなようです。さて、このように、なんらかのビジネスをやっていくということには、(サラリーマンも例外ではなく、同じ)やり方、ノウハウだけでなく、それらを生かす「マインド」、こころのあり方が、とってもとっても重要といえます。やり方、ノウハウが、ツールだとしたら、「マインド」は、それを使う人が、ちゃんとそれを扱えるかどうかっていうおおもとになるようです。パソコンで言うなら、いくら最新のプリンターやスキャナーやCPUを装備していようと、そこに入れるOSが、それを動作できるだけの器がなければ、ちゃんと動作をしないし、望むような結果が出せないのと同じになっちゃいますものね。ですが、わたしたちの多くが、ノウハウがあれば、努力の量を増やせば、チャンスがあれば、なんとかなると思い込んでしまいがちです。そして、結果を出せば、お金がたくさん入れば、本が売れたり、地位を獲得したり、目標を達成したら、幸せになれるだろうって、本気で信じていがちみたいです。ですが、幸せを感じる感性も、今も幸せだと感じるセンスも、ノウハウを効果的に生かすセンスや、精神の部分も、自分を上手にコントロールして、冷静に波を見極める感覚も、この「マインド」、「こころ」の部分にあるようです。ゆえにわたしたちが本当に、幸せで豊かになりたいと願うなら、「マインド」、「ここのあり方」の学びは、避けて通れないとっても大切なことなようです。と こ ろ で、このように「マインド」、「こころのあり方」の学びが大切っていうことを耳にして、学びだした時、「こころ」の学びに一生懸命になる人も出てきます。一方が、ノウハウややり方だけを知りたがり、結果を出そうとしながらも、ノウハウやチャンスを活かすだけの、「マインド」が磨かれていないために、うまくノウハウというツールを使いこなせずに、満足な結果が出せないという状態を継続しがちです。ですが、一方のこころの学びに没頭し続ける方は、やり方、ノウハウ、タイミングなどの、実行動の部分の知識やセンスを磨かれないために、結果を導かせる行動が始まらないという状態を継続しがちになってしまいます。どちらにも共通して言えることは、満足のいく結果が導き出されないということを継続している状態だと言えるようです。多くの人の興味の対象がみえるようになってくると、ひじょうに興味深いことが、みえてきます。それはなにかというと、多くの人は、こころのジャンルの学びが好きか、ノウハウや実践のジャンルの学びが好きか、他のことに興味がいっていて、今はどちらにも興味を示さない段階なのかに、大きく大別できるらしいということです。実はこころの学びを好きな人は、自分が成長したり、気づきや閃きを得ることが大好きな人たちで、楽しくてしょうがないようなんですね。そして、ノウハウややり方や、実践知識が好きな人たちは、新しい方法や、ヒケツ中のヒケツとか、仕組みを考えることが楽しくてしょうがないようなんです。ということは、ノウハウが好きな人と、こころのあり方が好きな人で、コラボレイトしたら、うまくいくんじゃないのかなって、思いますよね。ところが面白いのが、こころの学びを大切にする人たちは、ノウハウが好きな人たちのことを、「こころの学びをした方がいいのに、どうしてしないんだろう」って感じ、ノウハウが好きな人たちは、こころの学びが好きな人たちのことを「なんで、実践的なことに興味を示さないんだろう」って、感じるものみたいなんです。ひじょうに興味深いのは、わたしたちがセミナーや講演会に行ったり、本を読んで触発されたりした時に、帰って周りの友人たちに、「こうらしいよ!」、「こうしようよ!」「こうしなよ!」ってやる時。これって、どういう状態かというと、結果を創りたいし、その為には流れを変えたいけれど、自分は変わるのはイヤだから、周りに変わってもらおうって、無意識が変化を恐れている状態なようです。マスターがこれをはじめてきいた時には、「ふ~ん」っていう言葉しか出ないくらいに、ピンときていませんでしたし、ちょっと勉強をかじりだした時には、「ああ、いるいる!そういうヤツ」って、自分のことを見ないようにしていることに、気づいてない状態でした(笑)。わたしたちは、やり方やノウハウが求め、学ぶことが大切だと思うか、それを扱うためのこころが大切だって思うかして、どちらかを先に学ぼうとしがちです。ですが、クルマの車輪が片側しか付いていないと、クルマが動かないのと同じように、実践しながら、その都度起こってくる感情を観察したり、探求したりをして、両方の車輪を回すことが必要なようです。(ビジネスに限らす、人生のあらゆる場面でそうですよね)マスターも以前は、心のあり方のジャンルを探求することは、すっごく楽しくて、大好き!だけど、ノウハウのジャンルは苦手だなぁって思い込んでいたのですが、気が付いてみると、とっても楽しくて、このジャンルも大好きなっていました。ただの食わず嫌いだったみたいです(笑)。食事もバランスが大切ってきくように、生き方のバランスにも注意をはらってみると、自分ってもとから、幸せと豊かさの両方の扉のカギを、持っていたんだって、気が付くかもしれませんね。あなたの、あなただけのカギを見つけてみてくださいネ。本日は、当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しをこころからお待ちしております。いってらっしゃいませ。
April 7, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。今回の知恵は、参考になれば、役立てていただければいいなって思う知恵です。多くの方がネットやリアルやいろんなところで起業されていますよね。それはアフェリエイトであったり、自分達で製作したものの販売であったり、情報の販売であったり、サービスであったり、イベントやセミナーであったり、様々ですよね。そして、その目的もお小遣い的副収入的なものもあれば、本格的な独立の準備資金的なものもあるし、専業的なものもありますよね。そして、それらのサービスを人に知ってもらう方法は、インターネットであったり、口コミであったり様々ですよね。ところで、多くの人がそれぞれに起業をしているか、起業を考えておれる段階の方もいらっしゃると思いますが、起業されている方の中で、ちゃんと利益をあげている人と、なかなか利益をあげれずにいて、「どうしたらうまくいくんだろ?」とか、「なかなか難しいものなんだなぁ」って感じられている方がいらっしゃるものですよね。一方は、順調に人が集まってきて、利益があがっているのに、もう一方は、がんばってあれこれやっているのに、なかなか努力が報われない状態が続いている人とがいるものですよね。これって、いったいなぜなんでしょう?どうして、順調に人が集まって、利益がでる人と、努力しても報われない状態が続く人とが出るのでしょうか?多くの人が、なかなか努力が報われない状態が続いている時に陥ってしまっているのは、「努力がまだ足りないか」、「やり方がよくない」ってとらえてしまって、同じ状態を継続しがちなことに、気づいていないことにもなかなか気づけないでいるようです。実は努力がなかなか報われない状態が継続している時、わたしたちは、とってもとっても大事なことを見落としているようなんです。実は多くの人が、やり方か、努力の量の問題だととらえがちになってしまいますが、肝心なことは、まったく違うところにあるようです。長く愛される本、長く愛される商品やサービスには、いったいなにがあるのかということを、努力が報われていない時のわたしたちは見落としています。長く愛される著書や、ファンになっていきたくなるサイト、会いにいきたくなる人には、いったいなにがあるかをみてみることを、わたしたちは見逃しがちです。わたしたちって、長く愛されている本や、サイトの何にわたしたちは、興味を持っているのでしょうか。損とか得とかいう情報でしょうか?わたしたちは、大好きな著者や、ファンのサイト、好きな人のなにに惹かれているのでしょう?実は、わたしたちは好きな著者や、ファンのサイトや、会いにいきたくなる人の、情報やサービスだけに惹かれているのではなくて、その情報を発信している人の考え方や、生き方に共感するものがあった時に、こころに響くものがあった時に、それらに興味を持ち、惹きつけられるようです。つまり、人が興味があり、共感するのは、その商品や、著書や、サービスの根底に流れている、考え方や姿勢、スタンスにあるっていうことなんです。売れている商品や、サービス、ファンの集うサイトには、その人のスタンス、その人独自の考え方や、生き方が、目には見えないけれど、流れていて、それを感じとれるようです。もし、自分の提供しているサービスや商品が、努力している割りに、なかなか報われていない状態が続いているならば、自分のサイトや、流している情報には、どんな考えが欠けているかを見てみる必要があるようです。そして、もうひとつとても重要な、見落としてはいけないことは、その状態の時には、自分のどんな考え方や生き方が、伝わっているのだろう?ってみてみることが必要なようです。もしかしたら、サイトに来て、店に立ち寄ってみたら、買ってくれるかもしれないとか、買う人は買うし、買わない人は買わないものだって、お客さんがどうしたら喜ぶだろうって立場に立っていないことが伝わっているかもしれないし、流している情報に、なんとか利益を出せたらなぁとか、儲けを出したいなぁって、隠れた欠乏感から来る、私利私欲にとられかねない雰囲気を漂わせているかもしれません。そんな時には、自分のサイトや、チラシ、流している情報を、冷静にお客さんの視点で、みてみることが必要かもしれません。もしかしたら、「うわっ、そんな気なかったのに、売りたいオーラが漂う、ヤラシイサイトになってたかも!?」って、愕然とすることもあるかもしれません。わたしたちの人生って、自分が発信している「なにか」に共鳴する、その状態にふさわしいものが引き寄せられ、共鳴しないものはやって来ないっていう、「世界のことわり」があるようです。人が興味を持ち、共感するのは、わたしたちの考え方や、生き方や、スタンスなようです。どうぞ、あなたらしい、あなただからこそのスタンスを表現してみて下さい。そうすることで、あなただから伝わる人たちに、あなたの素晴らしいサービスが、伝わることをこころから信頼しています。あなたらしさを、表現してくださいネ。本日は、当店にお越しいただき、ありがとうございます。またのお越しを、こころからお待ちしております。いってらっしゃいませ。
April 6, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。前回までは、自分らしくイキイキと幸せな人生を送る人や、幸せにかつ、豊かに生きる人たちが知っていて、多くの人のほとんどが、知らないことさえ、知らないでいる、とってもとっても重要な知恵について、お伝えしてきました。それがなにかというと、わたしたちは、自分の人生の舵を自分でとっていると思い込んでいるけれど、自分でも気づかないうちに、自動的な感情の反応に支配されて、あやつりに人形のようになっているかもしれないこと。そして、人生のあちこち、人生の大事な場面で、自動的な反応に使われていることに、気づいていないことさえ、気づいていないので、望むようなイキイキと充実した人生に変わることがないらしいこと。これらについて、お伝えしてきました。今回は、どうやったら、自分の人生の舵を自分の手中に取り戻し、これまでに体験してこなかったような、ホントに自分らしくイキイキとした人生に前進していくのかという、重要なヒントについて、お伝えしますね。まずは、前回までのおさらいです。(1)多くの人は、自分の人生の舵を自分でとっているつもりでいるけれど、 実は黒子に操られる人形のように、感情に「つかわ」れていることを 知らないことさえ、知らないでいるらしいこと。(2)ほとんどの人が思い込んでいる、怒りや悲しみの感情とは、 実は胸のあたりにあがってくる、「チクチクした固まり感」や、 「モヤモヤした毛糸玉感」、「重いガラス感」のような、 【感覚】のことらしいこと。(3)この感覚は、ただの感覚でしかないんだけれど、 幼い頃に経験した、恥をかいた経験や、悲しくなった経験の時に この感覚を感じていたために、この感覚があがってくると、 自分の意識とは無関係に、過去の恥ずかしい経験や、 悲しい経験の時の不快感を再体験するらしいこと。(4)この自動的に上がってくる感覚に、 わたしたちは、「腹がたつ」とか、「悲しい」とか、 「イライラする」などのレッテルを貼っているだけらしいこと。(5)ほとんどの人が、この「感覚 = 感情」の自動的な反応に 「つかわれ」ていて、自分の人生の舵を、 この感情に握られているために、 客観的判断が出来ないでいるかもしれないことを、 知らないことさえ、知らないでいるらしいこと。(6)自分らしく、幸せな人生を生きることを選択できた人たちや、 幸せな成功者と呼ばれる人たちは、自分の人生の舵を、 認識していないと、この感情に握られてしまうかもしれないことを 理解して、上手に付き合えるようになった人たちらしいということ。これらについてお伝えしてきました。多くの人のほとんどが、どれくらい自分の人生を自動的な感情の反応に「つかわれ」ているのかということを、知らないことさえ、知らないようです。トーク番組や、批判、批評、激論の交わされる場所では、なぜ自分の意見を通したいという衝動が起こるのかなんて、ほとんど誰も気づいていないことも、気づいていないようです。そして、お互いが、感情の爆弾のスイッチの押しっこをしているなんて、気づいていないことも、気づいていないようです。ホントは仲直りしたい恋人同士が、皮肉や嫌味で気を引きたくなるのはなぜなのか。なぜ多くの人が、勝ち組、負け組みって言葉をばかばかしいって言いながらも、その言葉に反応してしまうのか。どうして、自分のまわりには、こんな人しか集まってこないの?って言う人は、なぜそんな人が集まってくるのか。話を曲げて聞いてしまう人は、どうして自分がホントに伝えたい肝心なことを聞き逃すのかということに、気づいてないことさえも、気づかないのか。多くの人が、自分でも気がつかない自動的な反応に、人生の舵を乗っ取られてしまい、人生の大事な場面で、同じパターンを繰り返してしまう回路が働いていることなんて、気づいていないことさえ、気づいていないようです。そうなんです、わたしたちは、自分の人生を自分で創ってきたと思い込んでいますが、実は人生の多くの部分が、この自動的な反応によって、コントロールされてきたことで、今の人生が形づくられているようなんです。じゃあ、成功者達が必ず口にする、「今のあなたの人生は、あなたの選択によってできている」っていうのは、ウソなの???って思われる方も、いらっしゃいますよね。ですが、成功者達のこの知恵は、やはり真実だとは言えるようです。なぜなら、感情の自動的な反応は、ある人にはあって、ある人にはないっていう類いのものではなく、全ての人(正確には全ての生き物)にあるからなんですね。つまり、人生を自分らしく生きるということをホントに選択した人や、幸せな成功者としての人生を生きはじめた人たちは、「自分で自分の人生の流れを変える」って決めることで、自分らしく幸せな人生を生きるための知恵を捜し求め始めたからと言えるからなようです。自動的な反応に「つかわれ」る人生をそのまま続けることも、そんなものがあることに気づかないでいることも、人生の流れを変えることも、自分がどんな人生を生きたいかって、自分で選ぶことにかかってくるからなようです。そうなんです。自動的な反応次第の人生を生きるか、自分で自分の人生の舵をとって、自分で創りたい人生を生きるかのもっとも重要かつ、もっとも効果的なものは、「自分がどんな人生を生きたいか」っていう、生き方を自分で決めているかどうかにかかってくるようなんです。マスターが出会ってきた、多くの幸せな成功者と、そうじゃない人たちのなにが違うのか、経済的、社会的に成功している人でも、幸せな人生を生きている人と、そうじゃない人がいるのは、なにが違うのかというのは、この「どう生きたいか」、「どうありたいか」、「自分の人生をどんな人生にしたいのか」っていうものを持っているかどうかにあるようなんです。ひじょうにシンプルなことですが、でも、これがもっとも重要で、もっとも効果的なことなようです。成り行き次第、他人次第、環境次第、気分次第、感情次第な人生を送るのか、自分がどんな人間として生きるのか、どんな風に自分をよりよく成長させるのかという人生を送るのか、この選択の違いが、大きく人生を分けていくようです。もし、あなたが人を大切にする人生を生きるって決めていたならば、その自分の人生のルールに従いながらも、どこかで自動的な反応に翻弄されて、ルールからずれそうになる自分に出会うでしょう。その時に、自分は付け焼刃でなく、真理を探究するし、自分が成長し、自分を磨く人生を生きるって決めていたならば、無理やりルールの枠に押さえ込むような今までのやり方ではなく、なぜ、自分はここでこんな感情がわいてしまうんだろう、なにに自分は、振り回されているんだろうということを、探求しはじめるようになるでしょう。自分の人生の美学、自分の人生のルールに従って生き、探求し、モノにして、磨き、成長する。そして、昨日までの自分、さっきまでの自分とまったく違う、新しい自分に成長、変化していくことを、誰よりも自分でほめてあげて、喜んであげる。とってもシンプルなことだけど、「どう生きたいか」という基準を自分で設けることは、本当に本当に大切なことのようです。大昔、大海を航海した旅人たちも、星をたよりに旅をしたといいます。わたしたちにも、わたしたちの人生を導いてくれる、自分だけの基準である、「どんな人生にしたいのか」というものが、必要なようです。この話題の一番はじめに、個人投資家の友人Aくんと話したことをお伝えしましたが、ほとんどの投資家が儲からないのは、人が本来は投資では勝てないような心理的な仕組みがあることをちゃんと理解していないからだと話してくれました。それは、投資の仕組みが儲からないようにできているのではなくて、人の感情、人の心理的な仕組みが、自分でも気づかないうちに投資で勝てないようにできているということなのだそうです。利益をきちんとあげ続ける投資家たちというのは、自分が感情次第にながされることで、大事な場面で正確な判断ができなくなるということをちゃんと理解している人たちなようです。彼らは、自分の(感情による)判断で投資するのではなく、ルールを設けて、たとえ感情がもっといける!って感じても、ずれずにルールに従うことをしているようです。彼が話してくれて、「やっぱりそこなんだな」って感じたのが、ほとんどの人がテクニックやノウハウを知りたがるけれど、ホントに大切なのは、「マインドの勉強」がほとんどだということでした。多くの人のほとんどが、自分でも気がつかないうちに、人生の舵を感情の自動的な反応に支配され、大切な場面で判断を誤って、人生を変えたいと思いながらも、これまでと同じパターンを繰り返してしまうことをしらいないことさえ、しらないようです。どうぞ、「自分は、自分の人生をどんな風に生きたいのか」、「どんな人生に彩りたいのか」に意識を向けてあげて下さい。他の人がどうだからとか、世の中がこうだからということに振り回されることなく、「どんな人生にしてあげたいか」に意識を向けてあげて下さい。だって、誰もあなたの人生を代わりに生きることはできないし、あなただけの大切な人生なんですものね。どうぞ、ご自分の人生を大切に育ててあげてくださいネ。本日は、当店にお越しいただき、ありがとうございます。またのお越しを、こころからお待ちしております。いってらっしゃいませ。
April 5, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。前回は、自分らしく幸せな人生を生きる人や、幸せな成功者と呼ばれる人たちは理解しているけれど、そうじゃないほとんどの人が、知らないことさえ知らないでいる、自分らしく幸せな人生を生きるために、とてもとても、とっても重要な知恵についてお伝えしました。前回お伝えしたのは、(1)多くの人は、自分の人生の舵を自分でとっているつもりでいるけれど、 実は黒子に操られる人形のように、感情に「つかわ」れていることを 知らないことさえ、知らないでいるらしいこと。(2)ほとんどの人が思い込んでいる、怒りや悲しみの感情とは、 実は胸のあたりにあがってくる、「チクチクした固まり感」や、 「モヤモヤした毛糸玉感」、「重いガラス感」のような、 【感覚】のことらしいこと。(3)この感覚は、ただの感覚でしかないんだけれど、 幼い頃に経験した、恥をかいた経験や、悲しくなった経験の時に この感覚を感じていたために、この感覚があがってくると、 自分の意識とは無関係に、過去の恥ずかしい経験や、 悲しい経験の時の不快感を再体験するらしいこと。(4)この自動的に上がってくる感覚に、 わたしたちは、「腹がたつ」とか、「悲しい」とか、 「イライラする」などのレッテルを貼っているだけらしいこと。(5)ほとんどの人が、この「感覚 = 感情」の自動的な反応に 「つかわれ」ていて、自分の人生の舵を、 この感情に握られているために、 客観的判断が出来ないでいるかもしれないことを、 知らないことさえ、知らないでいるらしいこと。(6)自分らしく、幸せな人生を生きることを選択できた人たちや、 幸せな成功者と呼ばれる人たちは、自分の人生の舵を、 認識していないと、この感情に握られてしまうかもしれないことを 理解して、上手に付き合えるようになった人たちらしいということ。これらについて、お伝えしました。わたしたちが、本当に自分らしく、イキイキとした人生を生きようと選択したならば、ちゃんと認識していないと、自分の人生の舵が、簡単に感情に握られてしまい、黒子に操られる人形のようになってしまうかもしれないということを、まずは理解することが必要なようです。マスターは、このことを理解し、見えるようになってから、人がいかに自動的な反応に支配され、自分の人生の舵を見失ってしまうのかということが、みえるようになってきました。それはもう、本当にビックリするような光景です。ある日、こんなことがありました。個人カウンセリングで、あるセッションをやっていたときのことです。その方は、セッションの間中、いかにこのセッションが自分にとって難しいかという理由を淡々と話し続けられているんですね。そして、興味深いことは、その方にも、このセッションはひじょうにシンプルで、難しいことはなにもないことが理解できているので、いかに、自分はこんなシンプルなセッションも難しくてしょうがないくらい、難しく生きてきたかを淡々と話されていたことなんですね。つまり、できない理由を淡々と話されるんです。それはもう、淡々と、ホントに淡々と語られるんです。きっと、いろんなセミナーに参加されたり、個人カウンセリングを受けたことのある方や、セミナートレーナーやカウンセラーの方がみられたら、「ああ、この方は変わったり、前進するのがコワイから、自分でも気づかいないうちに、いろんな理由を並べて、できないことを正当化しようとしているんだな」って感じられると思うんです。これは、ある意味真実といえます。このままの自分では、前進したり、成功したり、幸せな人生を生きていいだけの、許可が与えられないって、無意識の恐怖が、いろんな理由を並べて、動かないことを正当化しているのでしょう。ですが、視点を変えみると、その光景はあまりにも不思議な光景に見え始めます。その視点とは、この方は、自分で自分の舵をとっているんじゃなくて、いつの間にか、自動的な反応に舵を乗っ取られているのかもしれないって視点に切り替えてみてみるんです。すると、その方がもう、自分では自分のコントロールがきかなくなっていて、自動的に「難しい理由」を口にし続けているんだっていうことが、みえはじめるんです。その方は、自分では一生懸命「難しい理由」を説明していると思い込んでいるのですが、自動的な反応の仕組みがみえ始めると、その光景は、まるで手品で口から色とりどりのハンカチが次々と出てくるように、とめどなく言葉が出てきているんだっていうことが、みえはじめるんです。 間違って欲しくないのは、この方がヘンなわけでもなんでもなくて、わたしたちの誰もが、このような自動的な反応を、自分でも気がつかないうちに、人生のあちこちでやっていることを知らないことさえ、知らないかもしれないということなんです。その方も、なぜ自分の口からとめどなく、言葉が出続けたのかは、理解できていませんでしたし、逆に、自分がとめどなくしゃべっている状態にいるっていうことも、気づいておられない状態でした。なぜなら、これまでずっとそれが慣れ親しんできた、アタリマエのことで、出かけるときに右から靴を履く癖があることを自分では知らないのと同じくらい、知らないことだからなようです。その方は最終的に、なにかおかしいゾ?ってことを感じ始められたようです。まずは、そこからスタートです。それくらい、わたしたちは、自分が自動的な反応に人生の舵を乗っ取られることに慣れ親しみすぎて、そのことに気がつくことは、容易ではないようです。ですが、きづいた瞬間から、次が始まります。多くの人が、自動的な反応に人生の舵をとられていることを、知らないことさえ、知らずにいるようです。テレビのトーク番組や、批判、批評で激論を交わす場所では、自分の意見を通そうと、みんなが必死になりますが、なぜ、自分が必死に自分の意見を通したいという、衝動が抑えられないのかということには、疑問を感じることがありません。そして、お互いがお互いに、自動的な反応をする、お互いのボタンを押しっこして、平常でいられくなっていることに、気がつかないでいることさえ、分からなくなっています。すねたり、怒って見せたり、相手を困らせることで、相手の気をこっちに向かせたい恋人同士は、どうして相手に、そんな態度をとりたい衝動がわいてくるのかを知らないことさえ、知りません。できない社員ばかりだと嘆く上司は、なぜできない社員しか自分の前に現れないのか、なにをやってもダメって言われている人は、なぜ、ダメな自分でい続けているのか、そこにどんな隠れた自動的な反応があるかを、知らないことさえ、知らないようです。そんなことを言っていないのに、なぜこの人は話を曲げてとっちゃうんだろうっていう人は、なぜ肝心なことが聴こえなくて、話をゆがめてとっているのかを知らないことさえ知りませんし、自分が肝心なことが受け取れていないなんてことも、知らないことさえ、知らないようです。競争をして、勝ち組、負け組みという言葉に反応する人は、なぜ、自分がこの言葉に反応するのかを、知らないことさえ、知らないようです。わたしたちは、このことを理解しないことで、人生のいろんな場面、大事な場面で、自分の人生の舵を、自動的な反応に明け渡してしまいがちなようです。本当に自分らしく、イキイキと生きる人生を選択した人たち、幸せにかつ、豊かな人生を生きる人たちは、このことを理解し、上手につきあうことで、自分の人生の舵を、自分の手に取り戻した人たちなようです。では、彼らはどうやって、自分の人生の舵を、自分の手の中に取り戻すことができたのでしょう?そして、どうすれば、自動的な反応に振り回されず、ホントに自分がイキイキと、喜びの中で生きられる人生を生きられるようになるのでしょうか。よかったら、今日一日、自分はどんな時に、感情の自動的な反応に、自分の舵を乗っ取られるんだろう?どんな時に、コントロールを失っている状態なんだろうって、みてみてください。自分の人生の舵を自分の手中に取り戻し、イキイキと自分らしく生きる舵取りができるようになる為の、もっとも重要なポイントは、次回に続きます。本日は、当店にお越しいただき、ありがとうございます。またのお越しを、こころからお待ちしております。いってらっしゃいませ。
April 4, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。昨日は個人投資家の、友人のAさんから、投資で利益をあげ続けられる人と、ほとんどの儲けられない人とでは、いったいなにが違うのかということについて、ひじょうに興味深いお話をうかがうことができました。お話をうかがって、ひじょうの興味深かったのは、「やはり、そこを避けては通れないし、最終的にはそこに行き着くんだなぁ」って、感じたことなんですね。「やはり、避けて通れない」ってなんの話かというと、マスターが出会ってきた数多くの、「自分らしく幸せな人生を生きることを選択できている人」や、「幸せな成功者と呼ばれる人たち」が例外なく気がついて、深く理解している、ある「知恵」のことなんですね。同時に、多くの人が、気づかずにおちいっていることにさえ、気づいていない、知恵といえるようです。いうなれば、自分らしく幸せな人生を生きることや、幸せにかつ、豊かな人生を送るためには避けて通れない、とてもとてもとても、重要な知恵といえるようです。その、自分らしく幸せな人生を送る人や、幸せでかつ、豊かな人生を送る人が深く理解していて、多くの人が気づいていないことにさえ、気づいていない知恵とは、いったいどんなものなのでしょう?それが、これまでも何度かお伝えしてきた、感情に「つかわれ」る人生か、自分らしく生きる、自分の人生のルールに沿って生きるか、ということなようです。わたしたちは、自分の人生の舵は自分で握って、やりたいことをやることや、やりたくないことやらないことは、自分の意思で決定していると思いがちですよね。ですが、ほとんどの多くの人が、実は自分で自分の人生の舵をとっているつもりで、実は、自分の意思とは関係なく自動的に反応する「感情」に操られていることに、気づいていないことさえ、気づいていない状態といえるようです。ここからとても重要なことをお伝えしますので、よく注意をして読んでみてくださいね。わたしたちは、自分のイヤなタイプの人にであったり、嫌いな食べ物が目の前に来たり、苦手な状況に出会うと、「イヤだな」って感情が上がって来ますよね。そして、わたしたちは、ほとんど何も考えることなく、この「イヤ」って感情に、自動的に反応して、イヤっていう時のいつもの態度をとるか、イヤな相手なら身構えるか、避けるか、「NO」って言おうか、言うまいかって状態になりますよね。つまり、ほとんど自動的に、考えなくても、出来事に「イヤ」って反応しているといえます。ところで、(ここからが重要)あなたが「イヤ」って感情を感じるとき、胸のあたりで感じている感覚はどんなものでしょうか?とても重要なことなので、もう一度書きますね。わたしたちは、「イヤ」って出来事に出会うと、出来事に対して「イヤ」って感情が上がって来ると信じ込んでいます。ですが、「イヤ」って感じる出来事に出会ったときに、あなたの胸のあたりで、感じている感覚は、「イヤな感情」って呼んでいるけれど、感覚自体はどんなものなのでしょうか?あなたが、「イヤ」って感じたときのことを思い出してみてください。そして、胸のあたりに意識を集中してみて、その時、どんな感覚を感じているのかを、よく観察してみてください。やってみました?「イヤ」だなって感じた時のことを思い出して、そして、胸のあたりで感じている「感覚」を感じてみてください。それは、どんな感覚でしょうか?モヤモヤして、つかみどころのない感覚?なにかトゲのあるボールのような、チクチクした感覚?かたいくて重い、ガラスの塊のような感覚?なにか、胸のあたりに感じる感覚があるのを感じました?わたしたちが出来事に反応する時、上がってくるものを、わたしたちは感情と呼んでいますが、実は上がってくるのは、この「感覚」みたいです。そして、わたしたちは(ここからがさらに重要)、この感覚に、怒りとか、悲しみとか、恐怖とか、不快感だとかいう、レッテル(名前による分類)をつけているようなんです。つまり、わたしたちが感情と呼んでいるのは、実は胸のあたりにあがってくる感覚のことなようです。そして、その感覚に恐怖とか、悲しみだとか、怒りだとか、レッテルを貼っているようなんです。そして、どうしてこの話題がそれほど重要かというと、上がってくるのは、胸のあたりのただの感覚に過ぎないのに、その感覚が上がってきた瞬間に、わたしたちは自動的に恐怖だとか、怒りだとか、悲しみの、ジャンル分けされた反応を、自分の意識とは無関係にしてしまうということなんです。つまり、どういうことかというと、胸のあたりに上がってきた、「重いガラス感」のような感覚を、どうして怒りだとか、悲しみだとかいうジャンル分けを自動的にするかというと、その「重いガラス感」のような感覚をかつて感じたのが、怒りだとか、悲しみにつながる場面だったからなようなんです。これってどういうことかというと、小さい頃、たとえば小学校の授業中に先生にあてられたけれど、ちゃんと答えられなくて、クラスのみんなに笑われて、恥ずかしい思いをしたとしますよね。で、その時に胸のあたりに上がっていた感覚が、「重いガラス感」のようなものだとしたら、あなたは自分でも理由は覚えてもいないのに、大勢の人の前に行くと、「重いガラス感」が、胸のあたりに上がってきます。そして、あなたはなぜそうなるか、よく分からないのに、「重いガラス感」を感じると、恥ずかしさを彷彿させる、不快感だと認識するようになるようなんです。つまり、あなたの中では、もう意識とは無関係に、「重いガラス感」 = 「不快感」っていう回路が、出来上がってしまっているといえます。そして、ひじょうにやっかいなのは、大勢の人の前で発言するような場面でなくても、「重いガラス感」が上がって来ると、あなたの無意識はあなたに危険が迫っているよって、シグナルとして、「重いガラス感」を、不安や恐怖と、識別してしまうようなんです。このことからお伝えしたい、とても重要なことは、わたしたちは自分の意思で、やりたいことをやり、やりたくないことを避けるという、人生の舵をとっているつもりでいますが、実は舵をとっているのは、自分も覚えていないような過去の出来事を彷彿させる、自動的な反応かもしれないということなんです。注目すべきもっとも重要なことは、はたして、わたしたちの人生の舵を握っているのは、自分でも覚えていないような、過去の体験に対する自動的反応なのか、自分自身の意思なのかということなんです。ほとんどの多くの人は、自分が自動的な感情の反応に「つかわれ」ているなんて、考えてみることもありませんよね。おそらく、知らないことさえ、知らないジャンルといえるかもしれません。ですが、ホントに自分らしく、幸せな人生を生きることを選択した人たちや、幸せでかつ、豊かに生きている、幸せな成功者と呼ばれる人たちは、自分は、自分の人生の舵をとっているつもりで、感情に「つかわれ」ているかもしれないという、可能性を、理解し、認識できている人たちなようです。そして、感情次第な人生を生きるのか、自分らしい人生を送るための、自分の人生のルールに従って生きるのかということを、もっとも大切にしている人たちなようです。わたしたちが、どれだけ感情につかわれていることに、気づいていないことさえ、気づいていないか、どれくらい、感情に振り回されて、自分の人生を生きることを見失ってしまっているのか?マスターは、このことが見えるようになってから、いかに多くの人が、黒子に操られる人形のように、自分の人生の舵を、感情に乗っ取られているかを目の当たりにすることになって、ホントのホントにビックリしてしまいました。もう、それはホントに驚くべき光景だったんです。どれくらい、わたしたちが人生の舵を、自分以外の者に支配されているか、(↑これ、ホントにビックリするんです!)そして、幸せな成功者達がどうやって、自分の人生の舵を、自分の手中に取り戻すことができたのかについては、次回お伝えしますね。本日は、当店にお越しいただき、ありがとうございます。またのお越しを、こころからお待ちしております。いってらっしゃいませ。
April 3, 2006
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