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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。きのう、久しぶりに近くのサイクリング道に20キロほど、自転車で走りに出かけました。あたたかい季節には連日、走りに出かけるのですが、寒い季節は冬眠状態の、ヘタレなマスターです(笑)。ですが、やはり体を動かしに出かけるとういうのは、とてもいいですね。走っている間中、アルファ派が出るのか、新しいアイデアがどんどん空から降ってきます。どうぞみなさんも、仕事につまったり、アイデアにつまったりしたら、アルファ派を出しに出かけてみて下さいね。机にへばりついている時には出ないような素敵なアイデアが、きっとたくさん出てくると思います。さて、前回は、「そもそもイヤな感情というのは、どうしてわき起るのか?」、そういえば、わたしたちはほとんど疑問を感じたことがないかもしれないということについてお伝えしました。わたしたちの多くは、あまりに日常的なことに関しては、アタリマエと感じるまでもなく、アタリマエになってしまっているために、「そう言えば、なんでなんだろう?」なんて考えてみることも、ほとんどありませんよね。わたしたちには、高揚感や幸福感というような喜びの感情と、悲しみや痛みなどのイヤな感情の両方を感じる機能があります。できることなら、喜びや高揚感、幸福感をいつも感じていたくて、悲しみや痛みなどの、イヤな感情は感じたくはないですよね。ですが、わたしたちは、喜びの感情と痛みの感情の両方を感じます。これって、そもそもなぜなんでしょう?どうして、わたしたちには、イヤな感情が必要だったんでしょうか?マスターは、ショットバーのカウンターに立っていたことで、数多くの幸せな成功者と呼ばれる人たちと、そうじゃない人たちとに出会い、彼らの何が違うのかということを学びとるという、幸運に恵まれました。幸せな成功者と呼ばれる人たちが、幸せな成功者たる根っこのところにはなにがあるのかということをマスターなりに深く観察してみていったところ、ひじょうに興味深いことがみえてきました。それが実は、このイヤな感情との彼らのつきあい方というところだったんです。この根本的な知恵についてお伝えする前に、まずはイヤな感情が沸き起ってくる、「しくみ」についてみてみましょう。そもそもイヤな感情というものは、なぜ起こるようにできているのでしょう?まず、わたしたちがイヤな感情を感じるときのパターンをみてみましょう。イヤな感情と一言で言っても、悲しみ、怒り、恐怖、不快感など、幾種類かのパターンがありますよね。で、それぞれの感情を具体的に分類していくと、(1)悲しみの感情(挫折感 無力感 離別 喪失etc)(2)怒り(理不尽さ プライドに関するもの etc)(3)恐怖(生存の危険 悲しみや怒りの感情を感じさせそうなもの etc)(4)不快感(生存の危機 etc)かなり大さっぱな分け方ですが、分類するとこんな感じになりますよね。(勿論、もっとたくさんありますが、あえて分かりにくくならないような大さっぱな分け方をしてみました)この分類をよくみていくと、あることがみえてきます。それはなにかというと、イヤな感情の多くは、「悲しみや怒りなどの不快な部類の感覚を再体験しないようにするために、働いているらしい」ということです。大切なところなので、もう一度書きますね。イヤな感情はなぜ感じるかというと、(覚えていても、覚えていなくても、)かつて体験した痛みや、悲しみや怒りを、再体験することで受けるダメージを避けるために、自分では意識していなくても、自動的に反応する、安全装置の役割があるらしいということです。つまり、イヤな感情が起こるしくみというのは、生存を守るために自動的に反応する、安全装置といえるかもしれません。生物には本能的に生存を守るために、この安全装置が用意されています。たとえば、かつてアイロンでやけどした経験があるとしたなら、冷えた状態のアイロンに手が当たっても、思わず手を引っ込めたり、耳たぶを触ったりしますよね。(なぜか、冷たいのに、「熱っ!」って言ったりしますよね(笑))カッターや包丁で作業する時も、無意識のうちに姿勢を正したり、緊張した状態になっているのを感じたことがあると思います。これらは、痛みや不快感などの身の危険を避けるために、自動的に反応する安全装置の仕業なようです。つまり、この安全装置のおかげで、わたしたちは事前に危険なものを(無意識に)察知して身の危険から自らを守れているということなようです。もし、この安全装置の機能がなかったとしたら、わたしたちは、常にあらゆる危険を意識していなければならないなんてすごくたいへんなことになってしまいますよね。ですが、この安全装置があるおかげで、アタマで考えるよりも早く、無意識が反応して、危険から身を守ってくれているようです。このようにイヤな感情とは、自分でも覚えていないような過去の体験でも、無意識がちゃんと覚えていて、身の危険を感じるような出来事や、それに似たような状況を察知すると働くようにできている、安全装置といえます。でもわたしたちは、アイロンをさわったら、なぜ熱くなくても手を引っ込めちゃうのかとか、包丁やカッターを扱う時にはなぜ身構えた姿勢になっているのかとか、あまりに日常的なこと過ぎて、「あれ?そういえばなぜかな?」って考えてみることは、ほとんどありませんよね。さて、イヤな感情も、どうやら自分の身の危険を事前に守ってくれるために働くものだということは、みえてきましたが、大事なところはここからです。このわたしたちを身の危険から守ってくれるはずの安全装置には、実はわたしたちを幸せな方向から遠ざけてしまう可能性もあるということです。どういうことかというと、安全装置は、自動的に身の危険に関わるようなことを察知すると反応するとお伝えしましたよね。そしてそれは、過去の痛みの体験か、それに似た体験を無意識が「危険なもの」として記憶しているために反応するわけですが、ここには、人前で恥ずかしい思いをしたとか、友達にいじめられたとか、親にしかられたとか、親同士がけんかしていたとか、小さい時に振り返ったら誰もいなかったとか、そういう情報も書き込まれているということなんです。つまり、無意識の記憶装置には、本人の覚えていることも、覚えていないようなことも含めて、あらゆる情報が書き込まれてしまっているということですよね。実は、ホントに自分らしく生きようとか、豊かになろうって思い立った時、すごく自分を小さく感じてしまったり、不安になったり、無力感や挫折感を感じてしまったり、壁にぶつかった時に、すごく落ち込んでしまったりするのは、自分でも覚えていない過去のダメージを受けた無意識の記憶が、安全装置に勝手に反応することで、感じる感情らしいということなんです。そうなんです。わたしたちが、自分らしく生きようとか、成功しようって決めた時に感じる不安や不快さなどのイヤな感情は、今のことでなく、過去のことだと言えるようです。つまり、わたしたちは今を生きているつもりでいても、実は感情は、過去を生きているという、時間のずれを体験しているらしいということなんです。わたしたちの多くは、ホントに自分らしい人生を生きようとか、成功しようとか決めた時に、不安や恐怖を感じたりするものですが、実はこのイヤ感情にも、アイロンやカッターの刃のように、自分では気がついていないけれど、そんな反応をする理由がちゃんとあるようです。そして、わたしたちは知らず知らずのうちに、体は現在を生きているのに、感情は過去を生きているのかもしれません。そして、マスターが出会ってきた、ホントに自分らしくイキイキさと深い満足の中に生きる、幸せな成功者と呼ばれる人たちは、このこころと感情のしくみのことをちゃんと理解している人たちでした。そして、このことを理解しているうえで、彼らは上手に感情と付き合いながら、幸せに自分らしく生きていく、ある方法をみつけていったようです。それは、体と感情の両方が、今この瞬間、現在を生きる方法なようです。その方法とは、いったいどんなものなのでしょう?このつづきは、次回に続きます。本日は、当店にお越しいただき、ほんとうにありがとうございます。またのお越しをこころよりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
February 28, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。週末は、うちのスタッフと読者の方たちをまじえて、「夢の宝地図を作る会」をやりました。マスターが夢の宝地図をつくったのは、1年半くらい前だったのですが、地図のほとんどの夢が既にかなったり、大きく前進したりしていましたので、「そろそろリニューアルをしなくちゃ」って思いながら、なかなか一人ではやらないものだったのですが、みんなで創るとホントに楽しいですね。参加されたみなさん、本当にありがとうございます。おかげさまで、とってもアットホームで楽しい会になりました。それでは、本日のお題に入りますね。「イヤな感情というのはそもそも、どうして湧き出てくるものなのでしょう?」わたしたちの多くは、「充実した人生、満足のある人生を生きたい、」「幸せな人生を生きたい」と願っていますよね。そして、幸せを感じる人生を生きたいという思いと同時に、できることなら、イヤな感情を味あわなくていい人生を送りたいとも感じていますよね。多くの人が「豊かな人生を送りたい」、「生きがいを満喫する人生を送りたい」と希望しながらも、実際のところは大成した人生を大きく望まずに、無難な人生でも構わないから、平穏な日々を送りたいと願っているのも、「イヤ」な感情をできるだけ感じたくないというところからきていると言えるかもしれません。人は大きく成長したり、成功しようとする時、その過程で、自分をとても小さな存在に感じてしまったり、挫折感や無力感という、痛みをともなうイヤな感情を感じるとよくききます。痛みやイヤな感情を感じることは、成長や成功する過程には、大切で必要なものだともききますよね。ですが、いくら成功や成長に不可欠だと言われたとしても、イヤな感情はイヤなもの。できることなら、イヤな感情なんて感じたくないというのが、正直なところですよね。ところでそもそも、どうしてイヤな感情というものが存在するのでしょう?どうして、イヤな感情なんて、沸き起こってくるのでしょう?わたしたちの多くは、あまりに日常的なことには、「あれ?そういえばなんでなんだろう?」なんてフォーカスはなかなかすることはありませんよね。でも、そもそもイヤな感情というのは、どうして沸き起こるようになっているんでしょう?それには、ちゃんとワケがあるし、仕組みもあるようです。その仕組みをちゃんと理解したならば、イヤな感情を必要以上に恐れるのではなく、イヤな感情とも上手に付き合っていけるてがかりを得ることも可能かもしれません。今日一日、「そういえば、どうしてイヤな感情って起こるんだろう?」っていうところを探求してみて下さい。わたしたちは、どうしてイヤな感情を感じるようにできているのか、そして、そのことでわたしたちはどんな恩恵を受けているのか、イヤな感情と上手に付き合うことで、幸せな人生を生きるヒケツは次回お伝えしますね。本日は当店にお越しいただき、ありがとうございます。またのお越しをこころより楽しみにしております。いってらっしゃいませ。
February 27, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。いやぁ~、やりましたね、金メダル。ニュースを観ていて、すごく感じたのが、荒川選手は、メダルを目指して「失敗しないようにがんばらなくっちゃ」っていうような気負ったところには全然いなくて、ホントに自分らしさを楽しんでいるなぁということでした。観ているこっちまでワクワクしてくる、素晴らしい演技でしたね。後のコメントでも、「メダルを取れるとは考えていなかった」、「無理をして技を決めるよりも、心地よかったことが一番」ってって言ってられたのが、とても印象的でしたね。この言葉、わたしたちにも、「この方がずっと楽しいですよ」って言ってくれているように感じちゃいました。さて、前回は、「わたしたちは意識していないと、気づかないうちに、 幸せのほうではなく、問題に注意がいくらしいこと」、「問題を解決すると、同時に新しい問題を生み出す」 ということについてお伝えしました。ではまず、これまでのおさらいです。(1)人は、自分では気がつかないうちに、 自分と同じような考えや環境の人たちのコミュニティに 加わっているらしいこと。(2)主婦の井戸端会議で交わされる会話と、 学生のサークルでの会話が違うように、 コミュニティの違いは、交わされる話題がまるで違うらしいこと。(3)そして、その話題の違いこそが、 コミュニティの違いを決定付けているということ。(4)わたしたちは、意識していないと、幸せではなく、 問題に注意が行きがちになってしまうらしいこと。(5)問題の解決は、新しい問題をうみだすということ。これらのついて、お伝えしました。さて、今回は、「問題を解決しようとすること」と、「幸せを求めて、アイデアを導き出そうとすること」、一見すると同じにきこえるこれらは、どうして違う結果を導き出すのか、そして、幸せな人生へと導くには、なにを意識しておく必要があるのかについてお伝えしますね。 わたしたちの多くは、なにかをよくしようと考える時、問題点をみつけて、問題を解決しようとしますよね。これは心理的な面では、なにが起こっているかというと、「よりよい状態にしよう」っていうものというより、「悪いところをみつけて、それを解消しよう」、つまり、悪いところをみつけようとしていると言えますよね。つまり、なにが違うかというと、「スタートから違う」といえます。さて、問題を解決しようとすることと、より良くしようということは、スタートが違うと同時に結果も違ってきます。より良くしようという状態は、どういうものかというと、今の効果的だと感じるところも、問題点だと感じているところも、どちらも、「今の状態」として「受け入れた」ところからはじまります。つまり、「いい」、「悪い」の評価とは切り離したところで、まず「今はこの状態で完全な状態として機能しているんだな」って受け入れたところからはじまっているといえます。では、問題を解決しようとするパターンはどうかというと、まず、今問題になっているところを見つけ出しますよね。そして、問題をみつけて、「ここが悪いから、ここを解消しよう」となるわけですが、悪いところを見つけようとするというとはどういうことかというと、「今のままでは受け入れない」という、自分の環境や自分の人生の状態を知らず知らずに「否定」している状態を引き起こしているらしいということなんです。そうなんです、問題を解決することが、なぜ新しい問題を生み出すかというと今の環境や自分の人生の状態を「うけいれない」って、「拒否」しているところからはじまっているからのようです。つまり、認めていないし、許しもしていないって状態といえるかもしれません。そして、問題解決のパターンには、もうひとつ重大な落とし穴があります。それはなにかというと、問題に注目していることで、問題に注意を奪われて、全体がみえなくなってしまうということです。分かりやすい例えをあげるとしたら、自転車のタイヤがパンクしたとします。どこに穴があいているんだろうって調べてみると、あなたは、一箇所穴があいているのをみつけます。そして、「お、ここに穴があいていたのか」って、パンク修理をします。修理を完了して、「さあ、これで大丈夫だろう」って走り出すのですが、どういうわけか、またすぐパンクしてしまいます。そして、わたしたちがよくやるパターンはどんなものかというと、「もう!せっかく修理したのに!ムカつくなぁ」と文句を言いながら、また、パンクを修理して、パンクを繰り返します。ここでなにが起きているかというと、パンクしている場所(問題点)を探すをということに注意を奪われていることで、タイヤがもう交換しないといけないほど減っているとか、そもそもこの道は、釘だらけじゃないかってことにさえ、気がつかないでいることに気がつかないでいるかもしれないということです。わたしたちって、ホントに知らないうちにこのパターンをやってしまいますよね冷静にみてみると、世の中のあちこちで、このパターンは繰り広げられています。わたしたちは、意識をしていないと、受け入れることより、知らず知らずのうちに問題に注目していくようです。よく、「受け入れることが大切」という言葉を耳にはしますが、受け入れるとは、「いい」、「悪い」という判断とは切り離したところで、「今はこの状態なんだな」と認めることといえるかもしれません。ところが、わたしたちは、深く考えていないばかりに、受け入れるという場面でさえ、「いい」か、「悪い」かという、問題に注目するというパターンの中に自分がいるかもしれないというこに気がつかないことで、いつものパターンを繰り返してしまうようです。以前、メンターに伝えられた知恵に、「抵抗(否定)をしていると、抵抗は継続するよ」っていうものがあります。「受け入れる」とはどうやら、「まずは、今はこの状態なんだな」って認めることなのかもしれません。そして、受け入れるということは、同時に否定を手放すことにもなるようです。そして、まずは「この状態でよし」ってところからスタートすることで、問題を基準にするのではなく、新しい可能性を生み出すというところに立てるのかもしれませんね。自分は、問題を基準にするのではなく、今の状態を受け入れたところから、まったく新しいアイデアで、自分らしい幸せな人生を創作するんだって生きてみたら、みえる世界がまったく変わり始めるかもしれませんね。よかったら、そういう視点もあるのかもしれないなって、立ってみて下さい。次回は、「そもそもなぜ、人は問題に注目するのか」という、心の仕組みについて、お伝えしますね。普段は、まず考えることのない分野かもしれませんが、いったい、どんな仕組みがあるのか、よかったら探求してみて下さいね。本日は当店にお越しいただき、ありがとうございます。またのお越しを、こころよりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
February 24, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。昨日のお昼はとてもいいお天気でしたので、1歳の息子を連れて近くの公園にラジコンを飛ばしに行ったのですが、なんと木の枝に引っかかってしまって、とるのに結構苦労しちゃいました(笑)。で、今日、みょうに筋肉痛になっているので、なんでかなぁと思っていたのですが、よくよく考えてみたら、枝に引っかかったラジコンを落とすために、何度も何度もボールを投げていたからだと判明。いやぁ~、運動不足ですね(笑)。さて、前回は、多くの人が自分でも知らないうちに、幸せを遠ざけて、そうじゃない状態を引き起こしているらしいということについてお伝えしました。前回、お伝えした内容は、(1)人は、自分では気がつかないうちに、 自分と同じような考えや環境の人たちのコミュニティに 加わっているらしいこと。(2)主婦の井戸端会議で交わされる会話と、 学生のサークルでの会話が違うように、 コミュニティの違いは、交わされる話題がまるで違うらしいこと。(3)そして、その話題の違いこそが、 コミュニティの違いを決定付けているということ。これらについてお伝えしました。そして、今回は、わたしたちが自分では気がつかないうちに、 いかにして、幸せを遠ざけ、そうじゃない状態を引き寄せているのかということについてお伝えしようと思います。わたしたちが自分でも気がつかないうちに、幸せを遠ざけ、そうじゃない状態を引き寄せる、分かりやすい例として、マスターが個人カウンセリングやセッションなどでうかがう、ご相談者の方が口にされる「言葉」について、注目してみましょう。マスターがよく、個人カウンセリングや、メールセッションなどで、ご相談を受けていて、とても興味深いことに気がつきます。ご相談を受けるときに気がつく、興味深いことはなにかというと、ご相談者の「わたしのこういうところを解消したいんです」、「どうしたら、解消できるでしょう?」、「どうやって解決していったらいいのでしょう?」っていう言葉の中にヒントが隠されています。この言葉たちの中に、幸せを遠ざけ、逆にそうじゃない状態を引き寄せる、あるエッセンスが隠されているのですが、なにがみえてっくるでしょう?どうでしょう?なにがみえてきたでしょうか?このご相談の話題の「本質」がどこにあるかをみてみると、おのずとあるエッセンスが浮かび上がってきます。表面的にだけみていたらみえてこない、この話題の本質とは、いったいなんでしょうか?本質とは、なんのことかというと、このご相談の「意図」がどこにあるかということです。すべてのものごとには、その人が意識していようが、意識していまいが、意図というものが存在います。そして、意図とは、意識していない場合は、無意識に隠されている意図が優先してはたらきます。つまり、ご相談者も、自分の話している相談の意図が、どこにあるかは、知らないかもしれないという可能性をみてみると、本質 = 意図がどこにあるかが垣間見えてきます。みえてきました?このご相談の意図がどこにあるかというと、実は、「どうしたら解消できるでしょう?」という言葉の中に隠されています。つまり、ご相談者の意図がどこにあるかというと、ある問題を解決したいという、「問題に対する解決策」を求めているところにあるといえます。さて、ここからがとても重要なところになります。問題の解決策を求めている時、なんの話題をしているといえるでしょうか?注意深くみてみて下さいね。問題の解決策を求めている時に話題にしていることは、問題のことでしょうか?それとも、幸せな人生のことでしょうか?どちらでしょう?表面的にはみえにくい、ひじょうに本質的な部分ですので、よくみてみてくださいね。問題の解決策を求めている時というのは、意識の上では解決策を求めるという、建設的な話題をしていると言えますが、無意識はどう判断するかというと、「問題」に注意がいっているんだなと判断しているかもしれないということです。冷静に注意深くみていくと、このことがみえてくるようです。問題が目の前にあって、解決方法を求めている時って、ワクワクしているでしょうか?それとも、早く問題をなんとかしたいっていうような、ワクワクとは違う感覚でしょうか?ここで注目したいのは、根本的な意図がどう違うかというと、意図がスタートしているところが違うらしいということです。つまり、よりよい状態を創りだすという、幸せに関するところからスタートしているのか、問題をなんとかしたいという、問題に基づいてスタートしているのかということです。この2つは、いっけん同じようにみえますが、無意識が判断する意図には、根本的な違いがあるようです。つまり、わたしたちの多くは意識していないと、気がつかないうちにも、問題に注目しがちなことを、知らないことさえ知らないかもしれないということです。そして、問題に注意がいくことが、どうして幸せを遠ざけ、そうじゃない状態を引き寄せやすくするかというと、問題を解決するということは、同時に新しい問題を生み出すという、法則があることを、無意識のわたしたちはちゃんと知っているからのようです。実は問題の解決をすることが、あらたな問題を生み出すという法則は、ビジネスの達人たちの世界では、ある種常識といえるものなようです。なぜなら、新しいサービス、新しい商品のアイデアは、問題の解決から生まれた、新しい問題に対応することで生みだすことがもっとも引き出しやすい手法だからなようです。たとえば、自転車やクルマのタイヤという、乗り心地をよくする便利な道具の登場は、同時にパンクという問題を含んでいたために、パンク修理の技術や商品、チューブレスタイヤといった、新しい商品やサービスを生み出したように。問題を解決することは、実は新しい問題を内包しているというのは、どうやら法則として存在しているようです。では、問題の解決策を求めることと、幸せを求めてアイデアをだすことという、一見同じにみえるこれらが導き出す結果には、いったいどんな違いがあるのでしょう?この似て非なる、2つのアプローチが生み出す結果の違いについては、次回に続きますね。本日は当店にお越しいただき、ありがとうございます。またのお越しを、こころよりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
February 23, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。マスターはゆうべ、いつもの行きつけの酒場に飲みに出かけたのですが、常連のお客さん達と一緒にしゃべっていて、ある興味深いことに気がつきました。これまでにも、ライフワークを生きたり、幸せな人生を生きている人たちや幸せな成功者と呼ばれる人たちは、同じような波長の人たちと過ごしていて、そうじゃない人たちとは、自分から普段いるコミュニティを変えないかぎり、基本的には接点がほとんどないということをお伝えしてきました。彼らには彼らのコミュニティがあり、そうじゃない人たちは、そうじゃない人たちのコミュニティがあります。例えるなら、幼稚園のお迎えのバスを待つ主婦の集まりと、競馬場帰りのおじさんたちの集まりや、大学生のサークルと老人会のおじいちゃん、おばあちゃんの集まりでは、集まってくる人たちの層が違うようなものといえます。このコミュニティには、同じような価値観や考えを持った人たち、仕事の種類や、収入、その人をとりまく環境や、社会に対する見識が同じような人たちが集まります。ですが、このコミュニティの違いには、ただ単に似通った考えや環境の人たちが集まるだけではなく、ひじょうに大きなある違いがあります。実はこのコミュニティの違いから生まれる「ある違い」が、自分らしく幸せな人生を送る人になるか、そうじゃない人になるかを決定づける、もっとも大きな要因になります。そして、ほとんどの多くの人が、日常の中でなんとなく生きているので、この重要な「ある違い」を意識することがない為に、知らず知らずのうちに、幸せな人生への道を遠ざけ、そうじゃない人生を引き寄せていることに気づかずにいます。このコミュニティの違いが生み出す、もっとも大きな、ある違いとはいったいなんでしょう?それは、コミュニティによって交わされる、「話題がまるで違う」ということです。ゆうべ酒場で交わされていた話題をきいていて気がついたのが、自分はどんなコミュニティを選択するかということや、どんな話題を選択するかということを意識しておくことは、とても重要なことかもしれないなってことでした。とても大切なことなので、先に断っておきますが、「あのコミュニティの人たちはイケてないから、エンガチョだっ!」っていうことをしろということではありません(笑)よ。ちなみにこの「エンガチョだっ!」って感情自体が、どんな種類の話題に分類されるかを考えたら、容易に「幸せな人生へのジャンル」ではないことがみえてきますよね(笑)。さて、多くの人が、自分でも気づかないうちに、幸せを遠ざけ、そうじゃない人生を引き寄せる話題をしているとお伝えしましたが、ひじょうに分かりやすい例をお伝えしたいと思います。マスターがよく、個人カウンセリングや、メールセッションなどで、ご相談を受けていて、とても興味深いことに気がつきます。ご相談を受けるときに気がつく、興味深いことはなにかというと、ご相談者の「わたしのこういうところを解消したいんです」、「どうしたら、解消できるでしょう?」、「どうやって解決していったらいいのでしょう?」っていう言葉の中にヒントが隠されています。それって、なんだと思います?この言葉たちの中のどこに、幸せな人生を選ぶ人と、そうじゃない人の違いがあるのでしょう。わたしたちの多くが実は、気づかないうちに幸せな人生を遠ざけ、そうじゃない人生を引き寄せてしまっているエッセンスが、これらの言葉の中に隠されています。それは、いったいどこでしょう?よかったら、今日一日探求してみて下さい。つづきは、次回。本日は当店にお越しいただき、ありがとうございます。またのお越しを、こころよりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
February 22, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。(ほぼ)毎日更新を日課にしているこのブログですが、ひさしぶりに3日も空いてしまいました。にもかかわらず、大勢の方に来ていただいて、ホントにホントにありがとうございます。今日は(正確には昨日)、久しぶりに「今日は何にもしない日」って決めて、ただただ家でのんびりすごさせていただきました。なんにもしないって決めて、なんにもしない日というのもいいものですね。さて、先日友人の女性と話していて、興味深いことに気がつきました。彼女が話していた話題は、女性の一般的な結婚観についてだったのですが、この結婚観の「観」というところにとても興味を持ったんですね。というのも、この「○○観」というものが、実は結婚に限らず、わたしたちの仕事であったり、生き方であったり、夢であったりというふうに、いろんなところに強い影響を及ぼしてるかもしれないなって感じたからなんですね。結婚観というものは、男性と女性の間でも、同じであったり、違ったりしますし、その人の環境や立場や、考え方でも違ったりと、さまざまなものがありますが、一般的な結婚観というものには、「○○歳くらいが適齢期」とか、「○○歳くらいには子供がいて」みたいなものが、世の中の「同意」として存在していますよね。この一般的な結婚観というのは、まるで世の中の基準か、標準のように捉えられがちなところがありますが、よくよくみてみると、これは世の中の人たちの間に流れている、「同意」なんですよね。「同意」っていうのはなにかというと、世の中の法則とか、ことわりのようなものではなくて、自分と自分以外の人が「こうだよね」って思い込んでいる、一時的に固定された「概念」ということなようです。で、どうして一時的に固定された概念なのかというと、「○○歳くらいには結婚しなくちゃ」っていう世の中の同意があったとしても、最近の一般的だと思われている結婚年齢は、30代が普通と言われるようになってきていますが、マスターが成人した頃には、女性なら20代中盤、男性で20代後半が普通といわれていたんですね。それどころか、明治、大正以前だったら、今の中学生くらいの年齢には、結婚するのが普通と思われていた時代があったわけですから、この基準は、時代によって変わってきているわけですよね。さて、注目すべき点はここからです。時代や社会の変化に伴うかのように変化しているのは、実は世の中のことわりでも、法則でもなく、世の中に「アタリマエ」かのように流れている「同意」らしいということなんです。では、この同意って、いったいどこからくるものなんでしょう?この社会的な同意のひじょうに興味深いところは、だいたいこれくらいっていう、ある種の基準とか、標準というものを持っているみたいだということです。では、だいたいこれくらいっていう、基準というものは、どういう時に形成されやすいのでしょう?たとえば、世の中の適正価格といわれる値段帯の同意、このくらいの職業ならこのくらいの収入だろうという同意、一般的な日本人は、このくらいの生活レベルという同意、結婚とは、こういうものという同意。基準にまつわる同意というものが持っている性質とは、どうやら「このくらいが適正」というラインを「同意」として設定することで、そこを目指せばとりあえず普通という了解や納得ができるゾーンといえるかもしれません。この基準の同意があることで、多くの人が標準的な生活や思想を維持できるわけですが、同時に無難さもあわせもっているともいえるかもしれません。日本人に顕著といわれる中流という概念も、平均的日本人の生活レベルとは、このくらいって同意に対して、多くの人が無意識的に賛同しているひとつの結果といえるかもしれません。さて、全てのものごとには、プラスやマイナス、表と裏、光と影、下と上というように2つの面があるとするなら、この基準の同意にも2つの面が存在します。それはなにかというと、基準や標準という面と同時に、無意識のうちには、「制限」という性質を持っているということです。マスターはショットバーのカウンターにバーテンダーとして立っていたことで、多くの幸せな成功者と呼ばれる人たちと、そうじゃない人たちに出会うことができてきたとお伝えしてきました。実は、この基準の同意というのは、ライフワークを生きて、幸せな人生を送っている人と、そうじゃない人、幸せな成功者と、そうじゃない成功者、成功者と呼ばれる人と、そうじゃない人それそれで、まったく異なるようです。つまり、幸せな人生を送っている人のコミュニティ、そうじゃない人のコミュニティそれぞれに、世の中とは、これがアタリマエって思い込んでいることが、まったく異なるということなんですね。わたしたちの多くは、世の中の基準とか、標準の同意の中で暮らしているので、自分は普通だと感じて暮らしていますが、実は自分が普通だと思っていることが、自分自身の夢とか、ホントに自分らしい人生を生きるということに、制限をかけていることを、知らないことさえ気づかずにいるかもしれません。昔、飛行機の世界では、音速の速度には壁があって、絶対に越えることはできないと信じられていました。今では逆に信じられないようなことなのですが、音速にはホントに壁のようなものが存在していて、それを越えようとしたものは死を意味する、絶対超えることができない世界だと信じられていたようです。それも、ほんの数十年前まで、チャック・イエガーというテストパイロットが音速の壁を超えるまでは、それが常識、世の中のことわりだと思われていたんです。ところがイエガーが音速(マッハ1)を超えてしまうと、マッハ2はあっという間に実現してしまいました。また、陸上競技の世界でも、水泳の世界でも、走り幅跳びの世界でも、人間には絶対超えられないタイムとか境界線があったそうですが、誰か一人がやぶってしまうと、その後は次々と記録は更新されたそうです。わたしたちは、世の中の基準という「同意」によって、実は自分自身に制限をかけて、必要以上に自分を小さく扱っているのかもしれません。熱いポジティブ思考だったら、「自分に制限をつくるな!壁を超えろ!」って言ってしまうところなんでしょうけれども(笑)、リラックスして、ニュートラルなところから、「可能性があるとしたら、自分はどんな壁を壁だと思い込んでいるんだろう」、「実は世の中で多くの人が、アタリマエって思い込んでいることって、ホントのところはどうなんだろう?」ってみてみたら、ある日、「あれ?これって、なんで壁だと思ってたのかな?」って、不思議に感じることに出会えるかもしれませんね。これまで、世の中のアタリマエって思っていたことに、「?」ってみてみることが、思わぬヒントになるかもしれません。あなたの音速の壁、ぜひ遊びながら見つけて下さい。本日は、当店にお越しいただきありがとうございます。またのお越しをこころよりおましております。いってらっしゃいませ。
February 20, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。今日の京都は、素晴らしいお天気です!思わず近くのサイクリング道に走りに行こうかと、窓をあけてみると、素晴らしく明るい日差しが、走ったら気持ちいいよぉ~って誘ってくれています。が....風はつめたい。というわけで、部屋でおとなしくこの文章を書いているマスターがいたりします(笑)。さて、近年とても世の中で関心が高まっているのが、大好きなことをライフワークにして生きる、大好きなことを仕事にするという考え方ですよね。はじめは、「幸せな人生を生きたい」と真剣に考える、一部の人たちの間で話されたこのテーマも、最近ではいろんな派遣会社の広告や求人誌の表紙に、「大好きなことを仕事に」という言葉が飾られるようになってきました。これまでの世の中の仕事に関する概念の多くはといえば、「仕事 = 生活の為の労働」ととらえられがちだったと思うのですが、「大好きなことを仕事に」という概念が社会的にも注目が集まってきた背景には、「人生を楽しんで生きたい」、「価値ある人生を送りたい」、「幸せな人生を送りたい」という、考えがひろがりはじめているんだなって感じています。これまで、仕事 = 生活の為のやらなければいけないこと = 生活の為に時間を切り売りという概念がアタリマエだというようなものがあったとしたなら、「自分の大好きなことを仕事に」という考え方は、とても魅力的でワクワクすることになりますよね。ところで、「大好きなことを仕事に」という概念がひろまりはじめたことは本当に素敵なことなのですが、多くの人は「大好きなことを仕事に」と模索しながらも、どうも本当に好きなこととは違うことを選んでしまいがちなことがあるようです。それってどういうことかというと、「大好きなことを仕事に」って思い立って、「これをやります」ってはじめたことが、よくよくみてみると、ホントに大好きなことではなくて、大好きだと思い込もうとしているかもしれないってパターンが少なくはないということです。実はマスターも、今のライフワークに出会うまで、「大好きなことを仕事に」で勘違いの嵐を経験してきました(笑)。「大好きなことを仕事に」という概念にはじめて出会った時、自分の中では、「大好きなことを仕事にしよう」って思ってはいたんだけれど、目の前に別の人の言葉でその概念が来るまでは、ホントの自分の言葉ではなく、ただの理想でしかなかったように思います。そこにやってきた、「大好きなことを仕事に」という概念。自分的には目新しいことではないはずだったけど、目の前に現れた時に、「ああ、これっていいんだぁ!」ってとても感動して、はじめて自分の考えになりました。では、次になにが起こるかというと、「ホントに自分の大好きなこと」っていったいなんだろう?「ホントのところ、自分の大好きなこと」ってなんなのか分からないっていうところにいたります。そして、そこから模索しながらも前進して行くと、「自分の好きなことはこれだ!」っていうものがみつかって、それをやりはじめるのですが、どうもうまくいかない。大好きなことをしているはずなのに、それほどはワクワクしていない自分にある時、気づきはじめます。ワクワクはないけど、なぜかドキドキはあるから、タチがよくない(笑)。後からよくよく冷静に考えると、あのドキドキは、「これって、ホントはうまくいってないよな」とか、「これって、ホントに自分の大好きなことと違うよな」って気づいているのに、自分を偽って無視しているところから来る、不安のドキドキだったみたいです(笑)。わたしたちは、早く答えがほしいばかりに、「大好きなことを仕事に」って思い立ったら、あせって大好きなことをみつけて、仕事という枠に無理やり合わせようとしてしまいがちです。なぜ早く答えを求めたがるのかというと、わたしたちの無意識の深いところでは、「大好きなことを仕事に」という言葉にワクワクした瞬間、「大好きなこと」をしていないうちは、「自分らしくない」、「イキイキできない」、人生の成功者ではないという結論を自分でも気づかないうちに導き出してしまうみたいです。無意識の深いところで、人生の成功者じゃないって感じるっていうとは、無意識はどんな判断をくだしているかというと、大好きなことを仕事にできていないうちは、人生の失敗者なんだって判断している可能性があるということですよね。結果、わたしたちはついつい、自分でも気がつかないうちに結果をあせって、ホントにホントは大好きなことじゃないかもしれないことを大好きなことと思い込もうとしているということを引き起こしがちなようです。メンターに以前伝えてもらった知恵で、とても印象的なものに、大好きなことを仕事にしようとして、得意なことを大好きなことと勘違いしてしまう人が少なくないという話をきいたことがあります。このパターンにはまってしまうと、少しやっかいなようです。なにせ、得意なばかりにそれなりに「うまくいってしまう」ので、途中でやめられなくなってしまうからです。そして、うまくいっているだけに、それなりの満足感と達成感を得られてしまいます。「それで、いいじゃないですか」って当時のマスターは、メンターに言ちゃったのですが(笑)、得意なことを大好きなことと勘違いしてる時の高揚感や満足、達成感は、いずれ色あせてしまうのだそうです。なぜかというと、ホントに大好きなことではないからなようです。そして、ここがとても大事なところなのですが、自分は「うまくいっている」って思い込もうとしていても、無意識の自分は、「ホントに大好きなことを自分にさせていない」って知っているので、体調を崩したり、ヘンなトラブルを起こしたり、家族の体調にあらわしたり(不思議なことみたいだけど、これホント)、様々な問題のカタチで、「ちがうよ~、気づいてよ~」って、サインを送りはじめます。無視していると、「サイン」はどんどん強くなってきて、やがて大きなトラブルを引き起こしてでも、気づかせようとします。以前、マスターが生死の境をさまようほどの大怪我をしたことがあると、お伝えしたことがありますが、これは典型といえます。(早く気がつけよって感じですよね(笑))さて、ホントに大好きなことをみつけた時は、ある独特の感情が湧いてくるようです。それは、ドキドキするような高揚感を伴うものというより、静かなワクワクがず~っと続いて、眠くても疲れていても、気がついたらそれをやっているっていうような状態みたいです。そして、損得勘定がそこにははたらなくて、やっていたら、共感や賛同してくれる人たちが(いろんな意味で)豊かさを運んできてくれるというものなようです。逆に「大好きなこと」をしているつもりで、ホントは違うことをしている時というのも、先にお伝えしたように、ホントは容易に見分けられます。(気づきたいかどうかは、別にして)どんなものごとでも、はじめてみると、必ず「お試しの逆風」が吹いてくるものですが、強すぎる風が吹く時は要注意。あまりに前進が難しかったり、自分や身内が体調を崩したり、どうもうまくいかないことがずっと続くなぁって感じたら、「自分らしくない道を無理やり進もうとしているかもしれない」ってちゃんと立ち止まって、みつめなおす勇気が必要なようです。そうなっちゃった時には、「せっかくここまでやってきたのに~!」って手放したくない執着心が出てきてしまうものですが、起こっているのは、「ホントに自分らしい幸せな人生は、こっちじゃないよ」って親切な神様が教えてくれているのかもしれません。多くの人は、ライフワークや大好きなことを、既存の職業の概念枠に無理やり合わせようとしたり、あせって「これだ」ってやってしまうことで、遠回りをしちゃうようです。勿論、マスターも何度も何度もやっちゃいました。でも、旅にはいろんなエピソードがつきもの。うまくいっていると感じる時も、「なんで~?」って感じちゃう時も、ホントに幸せな人生を選んでいるのなら、「こっちでいいよ」、「そっちはちがうよ~」ってちゃぁんと教えてくれて、守られているんだなぁって、ご自分の人生を信頼してあげて下さい。そして、「大好きなことをやってると思ってたのに~」って勘違いをしていたことに気づいた時は、勇気を持って手放すことにもチャレンジしてみて下さい。無理やり前進するよりも、気づかせてくれることで、ホントに幸せな人生へと導いてくれてるんだなぁってうけいれてあげる勇気が、きっとわたしたちを何倍にも大きく成長させてくれるはずです。ご自分の冒険の旅を、無難なわりにアンハッピーな話にするのも、勇気と感動を感じる、素晴らしい冒険談にするもの、わたしたちが選ぶことができるみたいです。どうぞ、勇気と感動の旅を楽しんでくださいね。本日は、当店にお越しいただき、ありがとうございます。また、この店のカウンターでお会いしましょう。いってらっしゃいませ。
February 17, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。そろそろ世の中は花粉症のシーズンになりつつありますよね。予報によると、来週くらいから本格的に飛び始めるとのこと。花粉アレルギーに毎年悩まされているマスターも、そろそろ準備をしておかなくちゃ~モードにいます。去年よりは、かなり飛散量は少な目ということですが、はたしていかに???花粉のシーズンが終われば、マスターの趣味のサイクリング生活をまた毎日はじめられるなぁ~と、花粉にユウツになるよりも、花粉の向こうの楽しみにフォーカス(ごまかして(笑)?)して、楽しみにしています。さて、マスターはショットバーのカウンターに立っていたことで、数多くの成功者と呼ばれる人たちと、そうじゃない人たちと出会うという幸運に恵まれたとお伝えしてきました。そして、世の中で成功者と呼ばれるような実績を持った人、経済的な成功を手にした人たちの中にも、実は人生を幸せと深い満足の中で生きる、幸せな成功者と、そうじゃない成功者がいるということを肌で感じるという、ひじょうに貴重な経験をすることが出来たとお伝えしてきました。マスターがいつもお伝えしているのは、幸せな成功者たちから学び、幸せな人生を送るメンターたちから学んだ、幸せに人生を生きる知恵と、幸せな成功者とそうじゃない人との間にどんな違いがあるのか、ということについてお伝えしてきましたよね。そうなんです。とても大切なことなんだけれど、多くの人たちが見落としてしまいがちなのは、幸せな人生を送るための知恵があるとするならば、また、不幸せな人生を送ることができる知恵もあるということなんです。幸せな人生をホントに生きる人たちと、そうじゃない人たちの違いは、幸せな人生の知恵を実践するだけでなく、不幸せな人生への知恵を「やめる」という実践も必要らしいということなんです。不平を言いながら、感謝はできないように、しかめっ面をしながら、笑顔でいれないように、幸せな人生を生きることを決めて、幸せの知恵の実践をはじめたなら、かわりに「なにか」をやめる必要が出てくるということがあるようなんです。多くの人が気づかずにやってしまうことで、なかなか思うような、幸せを満喫できる人生を実感できないのは、実は、幸せの人生の知恵を「はじめる」ということは意識できるけれど、力学として、なにかをやめる必要があるということには意識がいかず、結果として、「あいまい」で「中途半端」な状態を創っているからなのかもしれません。多くの人は、成功とか、幸せとかいう言葉を耳にし、実践しようとした時に、たいてい明るい、「光の部分」に注目して、影の部分を軽視してしまいがちですよね。ですが、人生をホントに自分らしく生きる、幸せな成功者と呼ばれる人たちというのは、光の部分だけではなく、影の部分もちゃんと認識し、理解したうえで、自分が望む人生の方向に行くためには、なにを選択する必要があるのかということを見極めているようです。つまり、幸せな成功者と呼ばれる人たちは、実は光の部分も、影の部分も両方をちゃんとみて、見極めているということなようです。さて、幸せな人生を実現するための、幸せの知恵があるとしたら、不幸せな人生の知恵もあるということをお伝えしました。幸せの知恵がキラ星のごとくたくさんあるように、不幸せの知恵も裏表の存在として、同じだけたくさん存在します。そんな多くの知恵の中で、実はこれだけはやってはいけないっていう、禁断の不幸せへの知恵というものが実はあるということを今回はお伝えしておきたいと思います。なぜ、こんなお話をお伝えするかというと、マスターもむかし、似たようなことをしたばかりに、幸せな人生の実現を10年以上先送りにしてしまった経験があること、そして、これをやってしまった人たちが、自分自身で幸せな成功をひじょうに困難にしてしまう状況を何度もまのあたりにしてきたからなんですね。この禁断の知恵は、成功をもっとも遠く、困難にしてしまえる、禁断中の禁断の知恵ですが、実は世の中のそこらじゅうに溢れていることでもあるんです。その幸せな人生への成功をもっとも遠く困難にしてしまうけれど、そこらじゅうに溢れている、禁断の知恵っていったいなんでしょう?それがなにかというと、実は「批判」という行動なんです。たとえば、ネットであれ、書籍であれ、誰かがなんらかの考えやアイデアや知恵を提供していたとしますよね。世の中には、実に多種多様な考え方や(実際には思考パターン)考え方の立ち居地の違う人たちがいますから、当然の結果として、そのアイデアや知恵に賛同する人も入れば、「????」っていう人や、違う考えをもつ人も出てきます。すると、どういうことが起こるかというと、4種類の人があらわれます。(1)考えに賛同したり共感する人(2)なにも感じない人(3)違う考えを持つ人(4)そしてもう一人でてくるのが、内面のなにかに反応してしまう人です。内面のなにかに反応してしまう人には、なにが起こるかというと、感情を揺さぶられます。嬉しかったり、悲しかったり、悔しかったり、腹立たしかったり、その人の無意識の深い部分のなにが反応するかで、表出する感情の種類はまったく異なってきますが、起こってくる反応は、自分でも気づかない「なにか」が反応して、感情が揺さぶられるということですよね。さて、この場面に来た時に、ある選択の機会が生まれます。それはなにかというと、自分考えと意見があわない(と思い込んでいる)ものに対して、どんな行動を選択するかという機会です。実はここで、どんな行動を選択するかが、その後の人生に強大な影響を与えるということを多くの人が理解しないでいるようです。もし、意見の違う人に出会ったら、あなたはどんな行動を選択するでしょう。マスターが昔、幸せと不幸せのそんな力学があるなんてしならくて、やってしまったのが、意見の違う人と対立して、批判的な意見を口にしてしまったということだったんです。当時のマスターは、自分の無意識の奥の「なにか」が反応してしまって、目の前の考えや知恵とは無関係かもしれない自分の痛みに直結しているなんて、想像もつきませんでしたから、目の前の考えに「条件的に反応」してしまったんですね。その結果、ある人に「自分の反対意見を言う」という体裁を使って、攻撃をしてしまったのですが(勿論、本人は反応して感情が動いているだけなので、自分が批判や攻撃をしているなんて自覚はまるでありません)これが幸せの人生への道をとても遠く困難にしてしまう、禁断の知恵だとは、まったく知りもしませんでした。このおかげで、マスターは、幸せを実感しながら深い満足の中で生きる、幸せな人生を生きるのに、とても遠回りをすることになったと感じています。その差は、実に10年以上はあったように思います。勿論、そのおかげで気づけなかった、自分の中の隠れていた怒りや、情けなさや、悲しさや寂しさ、人に必要以上に大きく自分をみせようとしていたのはなぜなのかという部分に光を当て、気づいて統合するという貴重な体験をすることも出来たとも感じてはいます。ですが、知らずに禁断の知恵を行使してしまうよりも、禁断の知恵は、使ってはいけない、自分に不幸をもたらす知恵だということを知識として知っておくだけでも、不要な時間を過ごさなくていいかもしれません。特にネットの世界では、匿名であるがゆえに批判や中傷が溢れている場所がありますよね。(実はその場所にも特定の法則があるのですが)わたしたちには、自分と違う意見に出会った時に、いろんな選択をすることが可能です。意見が違う場面に出くわしたら、批判や反対意見を発言することは可能ですが、マイナスの言葉を書いたり、口にしたりした瞬間、マイナスの言葉が、それまではこの世になかったのに、この世界に存在をはじめてしまいます。存在をはじめてしまった瞬間から、もうなんらかの法則が働きはじめ、必ず力学として、なんらかの結果を創りはじめます。そして、言葉を生み出した自分に、なんらかのカタチで、かならず結果として影響を与えます。これはリクツというより、力学と理解していた方がいいかもしれません。もしあなたが、自分と違う考えに出くわした時に、なにか反対意見を口にしたり、書きたくなったとしたら、自分の中のなにが反応して、そんな危険な禁断の知恵を使おうとしているのかを探求してみる機会にしてみて下さい。わたしたちには、いつも選択の機会があります。反応して、衝動のまま行動することを選択することもできますが、自分と違う場所なら、立ち去ればいいと、その場をカンタンに立ち去ることも可能です。そしてもし、あなたが、あなたの意図とは違う、理不尽な反対意見を言われたり、書かれたりする場面に出くわしたなら、その場は、どうするのが幸せの知恵に沿っているかをみてみるといいでしょう。マイナスの反応に、マイナスで反応したなら、どんな結果を今度は創作してしまうかは、カンタンに想像つきますよね。意見が違う場所に行ったなら、ただ立ち去ることが可能なように、マイナスのエネルギーに出くわしたなら、信頼して関わらないことが可能ですよね。(これ、とてもとても重要な知恵です)ものごとにはみな、光の部分があれば、影の部分があるようです。同様に、幸せの知恵があるならば、不幸せの知恵も存在します。わたしたちは、それを見極め、なにを行動するかを選択することが可能です。感情に使われてしまうのか、自分の人生を信頼して、行動を選択すのかを選ぶとが可能なようです。どうぞ、幸せの知恵を生き、不幸せの知恵を見極めて下さいね。そうしたらきっと、以前のマスターよりもずっとずっと早く、幸せな人生を実感して生きる自分に気がつくでしょう。本日は、当店にお越しいただきありがとうございます。またのご来店をこころよりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
February 16, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。今日は週に一度のANGEROSESのビジネスプロジェクトチームミーティングの日です。うちのミーティングのすごいところは、まずお酒を飲んでからはじめるところ(笑)。ご飯を食べて、お酒を飲んで、それからミーティングをはじめるんです(笑)。そして、もうひとつすごいのは、ミーティングの最初の議題は必ず、「来週のミーティングは、ご飯なににする?」、「来週はなにを飲む?」ってことを決めることからはじめるってとこです(笑)。ちょっと、すごいでしょ?詳しくは、「まかない」をご覧下さい(笑)。さて、いつもはマスターが多くの幸せな成功者と、そうじゃない成功者と出会ったことで学びとった知恵、多くのメンターから学んできた、幸せの知恵についてお伝えしていますが、今回は久しぶりに趣向を変えて、バーらしく(笑)?、お酒の話題をしようと思います。「マスターはバーテンダーだから、きっとカクテルやウィスキーがお好きなんでしょうね?」ってよくきかれるのですが、普段はもっぱらビールを愛飲しています(笑)。(勿論、お気に入りのバーに行けば、ウィスキーを飲みますが)マスターが初めてビールを口にしたのは、幼稚園の頃に父上に勧められたのが最初と以前お伝えしましたが、最初のうちは誰でもたいていは同じだと思いますけど、「こんな苦いもの、なにが美味しいの???」って感じていました。ゆえに、背伸びして、カッコだけで飲んでいる状態ですよね。ところが、ある夏の日のこと、アルバイトの帰りに飲んだビールを生まれて初めて、(のどが渇いていたので)ゴキュゴキュとのどごしで飲んでみたところ、自然と「プッハー」という、お約束の声が飛び出して(ホントに出るんですよね、あれ)、「美味しい!」って感激したのを今でも鮮明におぼえています。もうホントに、「生きててよかったぁ~」っていう至福の感動を感じる一杯でした(笑)。それ以来、ビールをほぼ毎日愛飲するようになったのですが、当時、特に楽しかったのが、近くのお肉屋さんでコロッケを目の前で揚げてもらって、友人が一人暮らしをしていた古い一軒家の二階の物干し台(昔ながらのヤツ)に腰掛け、夕日を眺めながら、揚げたてのコロッケとビールを楽しむというものでした。友人の家は下町っぽいところに建っていましたので、夕日を眺めながらビールを楽しんでいると、豆腐屋さんのラッパの音なんかもきこえてきて、雰囲気は最高です。その時、飲んでいたビールは、これがまた懐かしいビールたちで、松田聖子さんがCMソングを歌って話題になった、あのペンギンの缶ビール(サントリーCANビールというヤツ)やプールバー(これも懐かしい言葉ですね)で流行ったペンギンズバー、きわめつけは、なんといっても、注ぎ口を取り付けると、「ピヨピヨピヨ」ってかわいい音がする2リットル缶!あのピヨピヨって音のするギミック、冷静に考えたら、「だから、なに??」って感じなのですが(笑)、なんとも意味不明なんだけど、かわいらしかったですよね(笑)。余談ですが、プールバーで流行ったペンギンズバーと、松田聖子さんがCMソングを歌ってた、サントリーCANビールを混同している方が結構多いんですが、まったく別物です。それにしても、懐かしいですね~。今でも夏になると、物干し台でコロッケとビールを楽しみたい~ってよく思います。(物干し台なんてありませんが)さて、普段は普通のビールを飲んでいますが、最近のお気に入りは、バーに行くと、ギネスっていう黒ビールを飲んでいます。甘みと苦味が絶妙のバランスで、なんともいえないコクと、クリームのような泡がたまらなく美味しいんですよね。今では超お気に入りの、このギネスですが、初めて飲んだ時は、この美味しさはとても理解できるような自分ではありませんでした(笑)。なんといったって、普通のビールも「こんな苦いのどこがいいの?」ってヤツが、カッコつけて買ってみたんですから(笑)。普通のビールより高価なビールだったので、カッコつけが更にカッコをつけて買ってみたのですが、「なに?この濃さ!」、「にがい!」って感じで、とても飲むことはできませんでした。ああ、もったいない(笑)。そこで、10代の(笑)マスターはなにをしたかというと、遊びに行っていた知人の事務所に飾ってあった植木にギネスを水をやるように与えたんです(笑)。さて、植木はどうなったでしょう?植木が酔っ払ったかって(笑)?後日、事務所に行って植木をみてみると、なにやら植木の周りを飛び回っているものが.....。なにが飛んでいるのかと、確認してみると、なんとそれは、ショウジョウバエ!そう、植木は枯れてしまっていたのでした(笑)。ひどい話ですね(笑)。もちろん、事務所の人は、わたしがビールを与えたからなどと知るよしもなく、「なんでくさっちゃったんだろう?、水のやりすぎかなぁ?」って首をかしげながらも、それでも水を更に与えて、植木が腐るのを進行させていました(笑)。くれぐれも植物にビールはあげないように(笑)。それではまた、この店のカウンターでお会いしましょうね。いってらっしゃいませ。PS 2月25日(土)、大阪でマスター&ANGEROSESと 宝地図を作る会を開催します。 宝地図を作ろうと思ってたけど、ひとりじゃなかなか 作りはじめなかった人も、そろそろ中身をリニューアルする人も、 一緒にワイワイ楽しんで、宝地図を作りましょ。 詳細はこちらをご覧下さいね。 ↓ http://www.angeroses.com/tizu.html
February 15, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。今日はひさしぶりにスーパーにお買い物に出かけていました。買い物を終えてガレージから出る際、警備員の方がクルマを誘導してくれたのですが、その時、普段は注意をはらっていないあることにふと気がつきましました。それはなにかというと、わたしたちの多くが普段気がつかないような部分で、社会や企業の仕組み、常識は、どんどん変わってきているんだなぁということです。マスターは仕事がら(趣味(笑)?)最近、お店に行ったりすると、商品の配列やポップ(商品の店内案内)などが、どんな意図で置かれているのかなぁ、どんな風にお客に商品を分かりやすくアピールしたり、意識しやすくするような仕組みをつくっているのかなぁっていうところを観察して歩いたりしているのですが、今日警備員の方にガレージ誘導をされた時に、以前にはなかったある仕組みが、今はアタリマエになっていることにあらためて気がついたんですね。(人によっては、アタリマエのことだと思いますが(笑))それはなにかというと、スーパーや百貨店がいろんな会社によって構成される、複合体になっているんだなぁっていうことです。なんのことか判りやすく言うと、以前は警備員さんもスーパーや百貨店が雇っていた社員やパートやアルバイトだったのだけれど、今は警備会社とスーパーとで派遣契約を結んでいて、警備会社から派遣された人がやっているんだよなぁということです。なんだ、アタリマエのことじゃないかって(笑)、思われちゃうかもしれませんが、以前は駐車場の警備員さんも、スーパーや百貨店がそれぞれ雇っている時代もあったんですよね。これって、どういうことかというと、各業種がひじょうに細かく細分化してきたと同時に、専業化、専門化、特化してきて、ひとつのイベントや会社や企業、店舗が複合化しているっていうことですよね。ということは、今まではなかったような新しいアイデアのサービスを提案して、お客やクライアントの企業に、これまでなかったような面からの喜びを提供することができたら、また新しいビジネスが生まれるっていうことなんだなぁなんて考えたりしていました(笑)。これを聞いたら驚かれる方もいるかもしれませんが、昔は映画やドラマの俳優も、所属プロダクションなんてなくて、大映だったら大映、東宝だったら東宝、松竹だったら松竹っていうふうに、各映画会社の社員で、お給料をもらうのがアタリマエっていう時代があったんですよね。今で言ったら、読売テレビの俳優さんだったら、読売しか出ない、テレビ朝日は勿論、NHKにも出ることはない、だって、読売の社員だからっていうようなものだったんですよね(笑)。なんか、不思議な話ですよね。でも、昔はそれがアタリマエだったんですよね。世の中って、わたしたちの気づかないところで、どんどん仕組みや常識が変わっていっているようです。そんなアタリマエがどんどん変わっていることにアンテナをはっているのは、とっても面白いと同時に、思わぬ気づきやアイデアを生みだすチャンスになるかもしれませんね。本日は当店にお越しいただき、ありがとうございます。またのお越しをこころよりお待ちしております。いってらっしゃいませ。■宝地図の会のお知らせ2月25日(土) 大阪江坂にて、マスターとANGEROSESとみんなで、「夢の宝地図をみんなで作る会」があります。セミナーではありませんが、みんなでお茶をしながら、ワイワイ楽しんで、宝地図を作ります。みんなで宝地図を作る会詳細はこちら ↓http://www.angeroses.com/tizu.html
February 14, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。日中の陽射しがどんどん明るくなってきて、春らしい陽射しになってきましたが、寒さは続きますね。こんな寒い日の最近のお気に入りは、グリューワインという温めて飲むワイン。甘くて、美味しくて、寝酒に最高なのですが、ついつい寝る前にも飲みすぎて、すぐになくなってしまいます(笑)。もうシーズンも終わりに近いので、置いている酒屋さんも少ないかもしれませんが、もしみかけたら、ぜひご賞味あれ。さて、マスターはショットバーのカウンターに立っていたことで、数多くの成功者と呼ばれる人たちと、そうじゃない人、そして、成功者と呼ばれる人たちの中にも、人生を幸せに生きる、幸せな成功者と呼ばれる人たちと、経済的には豊かになりながらも、どこか満足のない不幸せな成功者がいるということを肌で感じることが出来るといった幸運にめぐり合うことができたとお伝えしてきました。そのことがあったおかげで、ホントに幸せな人生を送る人と、そうじゃない人とはなにが違うのか、幸せな人生を送るためには、どうしたらいいのかという、幸せの人生の知恵を学び取る機会に恵まれてきたとお伝えしてきました。ですが、実のところは、ホントに幸せの知恵を学ぶためには、もうひとつ、とてもとても大切なことを探求する必要があったことを今回はお伝えしたいと思います。これは、ホントに自分らしく幸せな人生を送ることを決めたなら、きっと多くの人がクリアする必要のあることだと言えると思いますし、多くの人が、この問題にぶつかって、とまどうところでもあると思います。それはなにかというと、幸せな成功者と呼ばれる人たちの伝える、幸せの知恵が、実は人によって様々だったり、場合によっては、言うことがバラバラであったりするということです。きっと、このことにとまどってしまった人も少なくないと思います。不幸せな成功者の教えならいざ知らず、(これを見極めるのも、はじめはなかなかなのですが)多くの人が認める、幸せな成功者と呼ばれる人たちの教えにも、人によって様々な違いがあったり、場合よっては、言うことがバラバラだったりした時に、「え?どの知恵に耳を傾けたらいいの???」ってホントにとまどってしまいますよね。マスターも、この様々な教えの違いにとてもとまどい、振り回されてしまった経験をいっぱいしてきました。こちらの教えはこう言っているけれど、こっちはこう言っている、こちらに耳を傾けてみたら、こっちはこう言っている。「もう!どれがどうなのよ(笑)!」こんな経験を、あなたもされたことがあるかもしれません。マスターは耳を傾けるだけでなく、実際に実践してみてから、「あれ?向こうはこう言っているけど、こっちはこう言ってるじゃない」、「こっちの言うことをやってみたけど、こっちの方がいいんじゃないの?」っていっぱいいっぱい振り回されてしまいました。成功者の教えの中でも、幸せな成功者と呼ばれる人達の知恵のこと、どれに耳を傾けたらいいの!?って、ホントにとまどってしまいますよね。でもある時、マスターは数多くの幸せの知恵に耳を傾けてみて、そして実際に実践してみて、あるとても大切なことに注目するようになりました。それはなにかというと、幸せな成功者によって、いうことは様々だけれど、彼ら全員が幸せな成功者として表れている、ということです。つまり、彼らが口にする幸せの知恵は、人によって違うけれど、彼ら全員が、自分らしくイキイキと生きるということに、成功しているということだったんです。そういう観点からみてみることをはじめた時に、なぜ、彼らは人によって違う教えを口にするのか、でも、なぜ彼らはみな、幸せな成功者であるのかが、マスターなりにみえはじめてきました。マスターがいたったひとつの結論はなにかというと、(1)同じ幸せに成功するという道筋でも、 その人の経験や環境によって、解釈が異なってくるらしいということ。 (2)異なる幸せの知恵にも根底に流れる、共通したルールがあること。(3)そして、なにより大切なことかなと感じたのが、 彼らに彼らしい幸せの知恵があるように、 わたしたちには、わたしたちだからこその「自分らしい」 幸せの知恵があるらしいということです。幸せな成功者と呼ばれる人たちには、独自の哲学、幸せの知恵がありますが、彼らの知恵は人によって様々なものがあります。わたしたちは、そんな彼らの教えの違いに時としてとまどいますよね。ですが、彼らの知恵が彼らの経験や環境から導き出された独自の哲学であるということは、彼らのオリジナルであると同時に、彼らの経験だからこそ語れるもの、そして、かれらだからこそ、響く人たちがいるようです。ということは、わたしたちには、わたしたちだからこそ経験できること、わたしたちだからこそ伝えられる人たちがいるようです。幸せの知恵の源流には、普遍なものが流れているようですが、その表現は無限に存在していますよね。わたしたちは、わたしたちがもっともイキイキと生きられる、幸せの知恵の普遍の源流につながる、わたしたちだからこそ得られる知恵を会得することで、自分も、自分の周りの人たちにも、幸せの輪を広げていくことができるのかもしれませんね。あなたの経験、あなたの環境だからこそ生きる幸せの知恵を、どうぞ大切にしてあげて下さい。あなたの経験が生かされた知恵だからこそ、勇気づけられる人がきっといることを信頼しています。本日は、当店にお越しいただき、ありがとうございます。またのお越しを、こころよりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
February 13, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。昨日はマスターのメルマガ、「カッコイイ女は カワイイ女(カコカワ)」で次回からのテーマを募集したところ、予想以上のたくさんの反響をいただけました。本当にありがとうございます。できるだけ多くのご要望に反映できるよう、テーマを選んでみますね。「カコカワ」は、タイトルだけみると女性向けみたいですが、対象は限定はしていませんので(笑)、男性の方も見ていただけると嬉しいです。さて、前回は「お金がないと困る」って感情を持っていると、どうもその感情に似つかわしい状況しか起こらないらしいということをお伝えしましたよね。前回のポイントは、(1)困っているという感情には、 困っている状況を打開できない程度のお金しか入ってこなかったり、(2)または入って来なくて、より困ってしまったり、(3)また入ってきたとしても一時的なもので、困った状況を延命させるか、 一時よくても、より深刻に感じる状況を引き寄せるらしい(4)困ったという感情を持ったままでいると、 困った状況は根本的には打開できないらしいこと(5)これらの原因には大きく2つの理由があるらしいこと(6)理由のひとつは、自分でも気がつかないうちに、 夢や目標というビジョンにフォーカスするのではなく、 問題や心配事にフォーカスしてしまっているので、 問題や心配事の方を実現していしまうらしいこと(7)ビジョンのスケールが問題や心配事のスケールなので、 そのスケールの小さな現実しか、実現しないらしいこと。これらについて、お伝えしました。そして今回お伝えしようと思うのは2つ目の理由。お金や豊かさは、追いかけると逃げてしまうという法則についてです。よく男性が女性を追いかけると、女性が男性を追いかけると逃げてしまうという話を耳にしますよね。実はお金も豊かさもにもみな、この「追うと逃げてしまう」という法則がはたらいているようなんです。お金も豊かさも、異性もみな、追うと逃げてしまうのはいったいなぜなんでしょう?これにはいくつかポイントがあるのですが、男性や女性が異性を追いかける時のパターンがとても分かりやすいので、この視点からお伝えしたいと思います。マスターはショットバーのカウンターに、バーテンダーとして立っていましたので、数多く男女の恋愛模様もにも出会う機会がありました。独りで飲み来ている男性客がなんとか女性客の気を引こうとする場面、女性客がお目当ての男性客に会いたくてカウンターにいらっしゃる場面、彼氏、彼女をみつけるための飲み会の席の場面など、様々な場面に出会う機会がありました。さて、男女のかけひきの面白いところは、なかなか意中の人に興味を持ってもらえない人もいるのに、モテる人は、何人もの異性にもモテてしまうというところです。つまり、モテない人は、一人の意中の一人もなかなか得られないけど、モテる人は、意中の人以外からも好感をもたれる、「人数が異なる」ということです。ここからみえてくる興味深いことは、人数という数の豊かさに差があるということです。ここでお伝えしているのは、モテる人が豊かだと言っているわけではありませんヨ(笑)。では、なぜモテる人は、複数の人にもモテ、そうじゃない人は、一人の意中の人の気もなかなか引くことができないのでしょう?「それって、モテる人がカッコイイとかキレイで、モテない人がダサいからでしょ?」とか、「モテる人は、聞き上手だとか、異性の扱いが上手だからでしょ?」なんて声も出てきそうですが、ポイントはそこではありません。では、モテる人は複数の人からモテ、そうじゃない人はどうして意中の一人もなかなか得られないのでしょう?それは彼らの行動パターンの基本の部分をみていると、みえてきます。なにが違うと思います?ヒントは、「モテる人は、複数の異性の興味を引き寄せる」、「モテない人は、意中の相手の興味をゲットできないでいる」っていう文面の中に隠されています。違いがみえました?そうなんです、モテる人は、異性を引き寄せモテない人は、異性をゲットしに行こうとするということなんです。つまり、本人たちが意識しているかどうかは別として、「引き寄せる」と「追いかける」という、異なる力学が働いているということなんです。これをきいた人の中には、モテる人は魅力的だから、引き寄せる力があるのであって、モテない人にはそれがないから、追いかけるんじゃないの?って思われる方もいらっしゃるかもしれません。ですが、お伝えしたいポイントはそこではなくて、「引き寄せる」、「追いかける」という2つの力学が(本人たちも知らないうちに)はたらいているらしいということです。これらの力学にはどんな秘密があるのでしょう?マスターが多くのこれらの人たちと出会ってきてみえてきたのは、引き寄せる人というのは、東京タワーのような電波塔に例えられるということです。電波塔って、いったいどんなものでしょう?電波塔がどんなものかと定義すると、(1)一定の場所に建っていて、そこから動かない(2)ある特定の周波数を(特定の番組)発信している(3)一定の場所に建っているので、「ここにあるんだ」って認識されやすいと言えますよね。実はこれ、大げさな表現かもしれませんが、大切な生き方そのものを表していると感じています。どういうことかというと、(1)いつも建っているっていうことは、「この人はこういう人」という その人の立ち居地がはっきりしていてわかりやすい (一種のブランドともいます) (2)周波数にあう人に自分を表現しているだけなので、 押し付けがないため、チャンネルがあっている人は好感を持つし あわない人は違うチャンネルをみるので、どちらにも要求がない。(3)自分の才能や自分の魅力となる部分を磨いて そこを発信したり、みてもらったりしている。といえるわけです。つまり、電波塔は、放送はするけれど、興味があれば番組をみてくれるだろうし、興味がなかったら、興味ある番組をみてもらえばいいという立場で、リスクをあいてに要求しない、対等な付き合いを提案しているといえます。逆にお金にしても、異性にしても追いかけるタイプはどうかと言うと、目的は引き寄せることではなく、「得る」となので、(1)建っている場所が定まらない(2)周波数も「ゲットする」ために、変わるので定まらない(3)建っている場所が一定でないので、分かりにくい状態といえます。 つまり、引き寄せる人は、人が引きよせらるような魅力的な人やブランドになるように、自分の才能や魅力、自分のサービスや経営方針、姿勢を磨くことに注意をはらいますが、追いかける人に注意があるのは、どうやったら「ゲット」できるのかという、「得る」ことに注意があるといえますよね。どうも考えられるのは、お金にしても、異性にしても、人間関係や豊かさにしても、「支払いたい」、「ここがいい」って自分でも望むところに流れるようにできているようです。追いかけることとはつまり、きれいに流れる小川をキチンをつくれば、どんどん小川はきれいに流れていき、大きく育っていくのに、そこには見向きもせずに、小さなバケツでせっせと水を汲みに行くようなことに例えられるのかもしれません。そして前回、問題にフォーカスしていると、問題のスケールでしか現実は実現しないらしいとお伝えしましたが、追いかけるということも、追いかけている部分しかみえていない、小さなスケールなのかもしれません。マスターは以前、「困るから、お金がたくさん欲しい」と思っていた頃、目標のリストや夢のリスト、行動計画をいくらたてようと、どうしても期待よりもずっとずっと小さな現実しか起こりませんでしたし、一時、大きな収入を得たとしても、その後は以前より難しい状態になってしまったということを何度も何度も経験してしまいました。当時のマスターは、困っていると感じている、無意識の深いところに潜んでいた自分の貧困意識に、気づかないうちにフォーカスして、貧困意識にみあった現実をずっと引き寄せていたようです。そんな流れを大きく変えたのは、どうやったらうまくいくかとか、どうやったらお客が満足するのかという、根本的は自分の利益の為の思考や方法ではなく、・どんな生き方に自分がワクワクするのか、・どんな生き方なら、自分は自分に誇れるのか、・どんな生き方が自分らしく生きるということなのかということにフォーカスをしだしてからだと感じています。お金も豊かさも、追いかけると逃げてしまうという法則があるようです。わたしたちはみな、こころの奥底ではそのことを知っています。そしてわたしたちはみな、自分らしくイキイキした人生と、そんな人生を自分自身に誇れる生き方を望んでいると感じています。そして豊かさとは、自分らしさの表現に流れてくる流れなのかもしれません。誰もがその人特有の才能や魅力を持っているようです。足りないと追いかけるのではなく、わたしたちの中に眠っている才能や魅力を磨いてあげることが、もっとも豊かさを引き寄せる回路を開くことになるのかもしれませんね。本日は当店にお越しいただき、ありがとうございます。また、この店のカウンターでお会いしましょう。いってらっしゃいませ。
February 10, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。ちょっと前まで、5時には暗くなっていたのに、気がついたらずいぶん日が長くなってきて、まだまだ寒いんだけど、陽の明るさはもう春の陽射しになってきましたよね。春が来るのはとっても嬉しいのですが、花粉症持ちのマスターは、花粉が心配(笑)。あなたは、花粉は大丈夫ですか?さて、前回は感情が穏やかに安定していると、経済を含めた豊かさも安定して流れてくるらしいということをお伝えしましたよね。マスターはショットバーのカウンターにバーテンダーとして立っていたことで、数多くの幸せな成功者と、そうじゃない人に出会ってきたわけですが、彼らのどこが違うのかということと、自分のこれまでを振り返ってみた時にとても興味深いことに気がつきました。それはなにかというと、お金に困っていると感じている人のところには、どうも「困った」という状況に似つかわしいことが起こるらしいということです。これって、どういうことかというと、「お金に困っているから、お金が欲しい」って感じていると、・困っている状況を打開できない程度のお金しか入ってこなかったり、・または入って来なくて、より困ってしまったり、・また入ってきたとしても一時的なもので、困った状況を延命させるか、 一時よくても、より深刻に感じる状況を引き寄せるらしいということです。つまりどういうことかというと、「困った」という感情を持っているところにやってくるお金の流れは、入ってきても入って来ないにしても、根本的な打開に結びつかないらしいということみたいです。なぜ、困っていると感じているところには、そんな状況しか引き寄せられないんでしょう?多くの幸せな成功者とそうじゃない人たちに出会い、またメンターたちの伝えてくれた知恵と、自分自身の過去の経験を通して見えてきたところによると、どうも2つの大きな理由があるようです。理由のひとつめは、困っている時にみえているものは、大きな夢のビジョンや将来の夢ではなくて、【困っている状況】や【問題】にフォーカスしてしまっているらしいということです。つまりフォーカスしているビジョンが、実現したい将来の人生の夢や希望、自分の人生を通してやりたいことというようなスケールのものではなくて、【困っている状況】や目の前の【問題】に(意識しようがしまいが)、フォーカスしてしまっているということです。これによってどういうことが起こっているかというと、無意識の領域では、大きなビジョンのかわりに、問題がビジョンにすりかわってしまっているので、フォーカスしているビジョンのスケールが、問題のスケールに縮小してしまっている、つまり、問題のスケールでしか、無意識は働かないらしいということなんです。多くの成功者たちが、「ビジョンは大きなものを持つように」と異口同音に語るのは、実はこのあたりにその理由はありそうです。では、大きな夢をどんどん夢のリストに書き込んで、大きな目標をどんどんたてて行ったらいいのかということになるのですが、実はここにも多くの人が見落としてしまっている、夢を実現しなかったり、お金が困った状況に似つかわしい金額しか入ってこないワナがはられています。いろんなビジネス書や成功哲学書には、必ず目標を大きく持つこと、夢をたくさん紙に書き出してリストにすることと書かれていますよね。そして、真剣な人たちは、この教えにしたがって、夢をリストにし、大きな目標をもちます。ですが、その中の多くの人たちは、なかなか夢や目標を思い通りには実現できないでいますよね。これって、なぜなんでしょう?実はここに多くの人が見落としている、大きなワナがあります。それが、大きな目標や夢を掲げているけれど、気づいていても気づいていなかったとしても、無意識の部分では、リストにした夢や目標ではなくて、困っている問題のスケールにフォーカスしてしまっているということなようです。ということは、無意識の中ではどんなゲームがなされているかというと、不安な感情を感じたくないので、問題を解決したいと思いながら、問題そのものにフォーカスしてしまっているので、問題そものがいつまでもなくならないように仕組んでいるらしいということです。ちょっとつかみにくかったかもしれませんので、例を挙げるなら、「月末の支払いのことは、考えないようにして下さいね」って言われた瞬間に、月末の支払いのことがアタマに浮かんでしまいますでしょ(笑)。それと同じようなことが、自分たちの気がつかない無意識のところで、働いてしまっているらしいということなんです。さて、困ったと感じていると、困ったという感情に似つかわしい金額や状況しか来ないらしいということには、もうひとつ、ある理由がはたらいています。それは、お金を追いかけると逃げてしまうという法則です。この法則は勿論、お仕事をするのに利益のことを考えてはいけないなんてレベルの話ではありません(笑)。ここにも、ひじょうに興味深い不思議な力学が働いているようです。困ったと感じていると、困った状況が引き寄せれる、追うと逃げてしまうというお話は、また次回に続きます。本日は当店にお越しいただき、ありがとうございます。また、この店のカウンターでお会いしましょう。いってらっしゃいmせ。
February 9, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。ゆうべマスターは、友人のコーリンベルトの社長とお気に入りのバーに飲みに行きました。お目当ては、「ベンネビス ミステリアス」という38年物のスコッチウィスキー。なんと195本しか製造されなかったという希少なウィスキーなので、お値段もそれなりですが、値段の問題じゃない(笑)!って思ってしまえるほど、最高に美味しいお酒でした。スパイシーな飲み口が、舌の上でフルーツのような甘みに変化する瞬間がたまらないんです。なくならないうちに、もう一度のみに行こう~(笑)って思いました。さて、最近ホントに強く感じることが、経済も含めて、豊かさとはうけとるもので、取りに行くものではないんだなぁということです。多くの人が経済的な安定や安心を手に入れたくて、起業したり、ビジネスをはじめたりしたりしますよね。そして結果として、うまくいく人と、そうじゃない人が出てくるわけですが、安定してビジネスが育っていってだんだん豊かになる人と、なかなかうまくいかない人や、一時ガバッて稼いだのに、しばらくしたらすたれてしまったり、元よりよくない状態になってしまう人をたくさんみていくうちに、安定していく人と、うまくいかない人には、姿勢としてある一定の法則があるらしいことがみえてきました。それがなにかというと、豊かさをうけとる(うけいれる)人と取りに行く(GETしに行く)人との違いらしいということです。ビジネスにしてもなんにしても、なんの用意もないところには、お金が入ってくることはなかなか難しいですから、お金が入ってくるようにするためには、ちゃんとお金が入ってくるような仕組み(ビジネスのシステム)が必要なのは当然ですよね。ここでいう「取りにいく」というのはどういうことかというと、豊かさをそのまま信頼して育てていくことで、だんだん豊かさの回路が開いていくんだけれど、多くの人は、「今はいいけれど」って不安や欠乏感や貧困意識を、自分でも気づかないうちに、無意識の深いところに持っているので、豊かさの回路が開いていくことに信頼ができずに、育ちつつある芽を摘んでしまうようなことをしてしまうパターンが実に多いということです。ちょっと抽象的な話に聞こえるかもしれませんが、この豊かさへの信頼ができないばかりにあせってしまって、せっかく育とうとしている豊かさの芽をつんでしまうというパターンをたくさんたくさん目にしてきました。以前、マスターはメンターから、「感情と銭勘定は同じだよ」という知恵を伝えてもらったことがありました。はじめはなんのことかさっぱり分かりませんでしたが、多くの幸せに成功していく人と、そうじゃない人に出会い、自分自身も経験を積むにつれ、みえてきたのが、安定した豊かさは、安定した穏やかな感情とバランスするらしいということです。とっても分かりやすい例を挙げるなら、株価の変動が人の感情に左右されて動いているっていうところからみてみると、みえてくるかもしれません。多くの人は、安心や心の安定を求めて、お金を得ようとしますよね。つまり、お金がたくさんあったら、支払いの心配や将来の子供の学費、老後の不安などから解放されて、安心や心の安定が得られると考えられるわけですよねですが、無意識の深いところでは、どんなことが書き込まれているかというと、お金がたくさんない限りは、安心やこころの安定は得られない。だから、お金がない間は、ダメっていう裏の書き込みがされているのかもしれません。安定した豊かさは、安定した穏やかな感情とバランスをとるようです。だとしたら、安定した豊かさをうけとるためには、穏やかな感情を感じらことに意識を向けることの方がもしかしたら大切なのかもしれません。うけとる、うけいれるというところからずれてしまって、取りに行く、ゲットするというポジションに気がつかないうちにいってしまう人に何人も出会ってきました。とても残念なことなのですが、幸せの知恵とセンスを既にマスターした、幸せな成功者たちの目からみてしまったら、本人やその周りの人たちにはみえない、隠れた貧困意識からくる「さもしさ」が白昼のもとにさらされているかのようにみえてしまうようです。ということは、そこにはどうも運はよって来にくいし、せっかくひきよせていた運も離れてしまうのかもしれません。安定した豊かさは、安定した穏やかな感情にバランスし、引き寄せられるようです。その為には、自分はもしかしたら、貧困意識にやられて、あせって豊かさの芽を摘もうとしているかもしれないって意識し、不安や心配は何も悪くなくて、正常なことと認めてあげて、経済活動もきちんとやりながらも、少しづつでも育っている豊かさの芽、わずかに感じているかもしれない今来ている豊かさに、「わたしのところに来てくれて、ありがとう~」って感謝をすることが出来たなら、少しづつ少しづつ育ってきた豊かさの小川が、やがて大きな豊かさを運んでくれる、無数の川になっているかもしれませんね。欠乏感のほうに意識を向けるのをやめてみて、わずかに感じていたとしても、来ている豊かさに目を向けてみたら、実はとっても幸せなのかもしれないって感じる回路が開き始めるかもしれませんね。どうぞ、豊かさを信頼してみて下さい。きっと、ポッとあたたかい灯りが胸に灯るでしょう。今日は当店にお越しいただき、ありがとうございます。また、この店のカウンターでお会いしましょう。いってらっしゃいませ。
February 8, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。少し前のライブドアショックにより、一時はお昼のワイドショーといえば、堀江社長ネタで盛り上がっていましたよね。マスターは、テレビはほとんど観ないので、(面白そうなものがあれば選んでみてますが(笑))スタッフと「今日のお昼休みのワイドショーではなにを糾弾していたの(笑)?」「今週は東横インネタだよ~」って会話をしていたりしますさて、以前にも「幸せな成功者はなぜテレビを観ないのか」、(選んで観ているのか)ということについてお伝えしました。以前のお話「幸せな成功者はなぜテレビを観ないのか」はこちらをご覧下さい ↓http://plaza.rakuten.co.jp/angeroses/diary/200512130000/そして、前回までは「全てのものごとには意図がある」ということをお伝えしてきたわけですが、今回はテレビをはじめとしたメディアにも実はちゃんと製作サイドの意図があるということについてお伝えしたいと思います。テレビの製作サイドの「意図」とはいったいなんでしょう?そもそもテレビ番組というものはなにを目的として創られているのでしょう?まず、受信料をとっていない民放の放送局というものは、スポンサーとなる企業からお金をもらっていますよね。そして、いろんな企業が集まってお金を出し合うことで、番組を作り、放送をするわけですが、実際には放送は放送局、番組制作は、番組制作会社、出演者はどこそこのプロダクション、シナリオはシナリオ製作スタジオというように実は様々な会社がひとつの番組というプロジェクトに複雑に関わっていています。ところで、スポンサーはなににお金を払うのかというと、面白い番組にお金をはらうわけではありませんよね。スポンサーがお金を払うのはなにに払うかというと、自分の会社の商品やサービスにアピールするターゲットの層、つまり、自分の会社の商品やサービスを買ってくれそうな消費者層により多く宣伝できる時間帯にお金を宣伝費として投資しているわけですよね。ということは、スポンサーは自分の会社の商品やサービスにあう消費者層がテレビを観そうな時間帯にお金を投資し、合わない場合は、出資しないということになるわけですが、ここで重要になってくるのが、「時間帯」という概念です。「時間帯」が重要っていうのはどういうことでしょう?たとえば、お昼のワイドショーと夜の報道番組では観る層は違ってきます。お昼のワイドショーを観る層はどんな層かというと、お昼休みのサラリーマンやOL、公務員、その他の就業者も観ますが、圧倒的な層は主婦層になってきますよね。ということは、主婦層が観そうな「時間帯」におもちゃやオーディオの宣伝を流しても回収率は上がりませんから、日用品や美用品、被服、装飾品というような回収率の高い商品やサービスの宣伝を流す方が効果的なワケです。さて、そうなるとスポンサーは、より主婦層をテレビの前から動けなくさせるような番組に投資したいと望みます。すると当然、放送局はよりスポンサーにアピールする番組を番組制作会社に望むわけです。結果、主婦の共感を得たり、主婦同士が話題にしたくなるような「感情に訴える」番組を制作し、放送するように仕組まれるようです。「感情に訴える」というのは、どういうことでしょう?先ほど、「時間帯」によってアピールする層が違うということをお伝えしましたが、お昼のワイドショーと、夜の報道番組、同じ内容のニュースを報道しているのに関わらず、扱い方がずいぶん違うのがみえますでしょうか。みえてきました?同じニュースを報道しているのに、お昼のワイドショーと夜の報道番組では、なにかが違いますよね。たとえば同じニュースでも、夜の報道番組には「○○大学名誉教授」という肩書きの人がコメンテーターとして出てくるのに、お昼のワイドショーでは、「○○にくわしい○○さん」とか、「○○研究家」なんて人が出てきたりするのを観たことがありますよね。これってなぜなんでしょう?この違いはどこから来るのでしょう?実はここにどうやら、時間帯によって違う視聴者にアピールする製作サイドの意図があるようです。主婦層にはどんな「感情に訴える」とテレビの前から動きたくなくなるでしょう?夜の報道番組で、視聴者層が望んでいる感情はどんなものでしょう?以前、メディアからインタビューをうけた友人たちが一様に話してくれたのが、インタビューの内容が番組の伝えたいように料理されていたということでした。たとえば、幸せにセミリタイアをしている夫婦を紹介する番組を放送しようとしたとして、番組制作会社はどう料理できるかというと、「セミリタイアして、自由に仕事をしてもしなくてもいい、どちらも選べる人生があなたも送れるかもしれませんよ」という表現もできれば、「成功者のリッチなおうち拝見」なんて視点で表現もできます。(幸せな成功者は、まずこんな番組には出ませんが(笑))また、「セミリタイアなんかしたら、人生退屈でつまんないよ」っていう視点からも表現できるし、「みんな働いて好きなこともガマンしてるのに、けしからん!」っていう視点から表現することも可能ですよね。つまり、番組というのは、製作サイドがどの視聴者層(消費者層)にどんな「感情のインパクト」をあたえて、テレビに釘付けにすることが重要なのであって、ニュースをそのままなんの脚色もせずに報道することが意図とは必ずしも言えないということなようです。インタビューを受けた友人たちの中には、出来上がったものを放送や印刷に回す前に「必ず最終チェックさせること」と、必ず念書をかかせておかないと、こっちの意図とまったく違うことを流されちゃうことが少なくないから、気をつけなくちゃって声も少なくはありませんでした。でなければ、自分の大切にしてきた貴重な「体験談」や「幸せの知恵」が、視聴者の感情に訴えやすいからと、「幸せなんてけしからん」、「世の中をなめている」なんて視点で歪められてしまったりしたら、すっごくショックなばかりか、その人の仕事や人生にも悪影響が出てしまうし、「もう、それじゃあ話さない」って思ってしまうかもしれませんよね。日本には実は、資産1億以上の家庭は100万世帯もあるそうです。そして、その中には、幸せの知恵を身につけた、成功者な成功者もいれば、そうじゃない成功者もいるわけですが、言えることは幸せな成功者は実はたくさんいるということです。その割には、彼らの知恵は、あまりにもメディアに出てこないですよね。それにはどうやら、2つの理由があるようです。幸せな成功者の知恵は、番組制作サイドからみれば、消費者層の「感情に訴える」には、ツールとして弱いということと、幸せな成功者たちは、そんな世の中の意図がよく分かっているので、表には出てこないということなようです。すべてのものごとには「意図」があります。そして、正確な報道をされるべきメディアも、ほとんどがある特定の「意図」により色がつけられているのかもしれません。(よく考えたら、アナウンサーが自分の意見を言った瞬間に、中立ではなくなってしまいますものね(笑))わたしたちが普段、なにげに触れているものには、どんな意図が込められているのでしょう?わたしたちを幸せにしようとしてくれる意図でしょうか。それとも、わたしたちの特定感情に訴えることが目的の意図でしょうか。よければこれから、今まで何気に触れてきたものに、「これって、どんな意図があるんだろう?」ってみてみてください。そうしたら、思わぬものみえてくるかもしれません。今日は当店にお越しいただき、ありがとうございます。また、この店のカウンターでお会いしましょう。いってらっしゃいませ。余談ですが...。ゴマブックス発行の「K・I・T・T・O」(きっと)という雑誌に「マスターと本田健さんの出会いのことが書いてあるので、よかったらみてくださいね~」って編集者の方から連絡がありました。(誰かは特定できないような書き方をしているらしいのですが)で、書店に行ったらみてみるのですが、なかなかみつからないんです。編集者の方は、「送りますね~」って言ってくれたのですが、そこは超多忙な編集者のこと、多分忘れられています(笑)。(今号なのか、来号なのかもよくわからないのですが)この本だそうです↓http://www.goma-books.com/archives/2006/01/post_476.htmlもし、みかけたら、みてみてください。で、京都市内か、梅田近辺でみかけたら、どこの書店か教えて下さい。買いに行きますので(笑)。よろしくお願いします~。
February 7, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。今、外を眺めていたら、なんと雪が降り出してるではないですか。今日は午後から、週末の変な人交流会(笑)の打ち合わせにお呼ばれしているのに、自転車ではちとつらいなぁって感じです。さて、前回まで数回にわたり、豊かになりたいけど、お金をうけとれないパターンにいる時に、無意識の深いところではどんなゲームが行われているのか?ということについてお伝えしてきましたよね。前回までお伝えした内容は、(1)お金を必要以上に少なくしか受け取れない背景には、 無意識の自分に対する無価値感があるらしいこと(2)良心的な金額とは、お金を少なくしかうけとらないことだと 無意識がおもいこんでいるらしいということ(3)無意識のささやきが、少なくしかうけとらないことで、 相手に悪く思われないようにしむけているらしいこと。(4)無意識の深いところの悪く思われたくないという おそれにより、自分のことでアタマがいっぱいになってしまって、 お客さんの立場でみてみるということからずれてしまう パターンにおちいってしまうこということ(5)全てのものごとには意識しようがしまいが意図がはたらいていて、 値段をつける際にも望もうと望まないとに限らず、 意図どおりのお客が集まる(6)ディスカウントされた意図には、ディスカウントに見合った客層が集まるこれらについて、お伝えしてきました。必要以上に安い値段設定をしてしまう時(ディスカウントした時)、招き入れてしまう客層というのはどんな客層でしょうか。前回は、百貨店とディスカウントショップを例にあげてお伝えしましたが、ここにはいったいどんな深い意味があるのでしょう?そして、なぜディスカウントには、ディスカウントにバランスする客層が集まるのでしょうか?まず、最初にお伝えしておかなければならない大切なことは、それなりの高い値段を設定をする意図は、「一回の支払いでたくさんのお金を稼げるから」という単純な理由ではないっていうことですよね。なぜ、それなりの金額設定が必要かというと、サービスを提供する方には、金額に相当する代価が必要なのと同様にうけとる側も、真剣にうけとるだけの代価を払うこころがまえができているということなようです。たとえば、あなたがカウンセリングのお仕事をしていたとして、真剣にアドバイスを人生に生かすためにうけとりにくる人と、「構ってくれる人にいて欲しい」って、隠れた依存の感情をもってやって来て、その場は気持ちがいいけど、人生には変化は起こさないっていう人が来たとしたら、どうでしょう。自分も相手との依存のゲームをしているのでなければ、後者に仕事のやりがいは感じられないし、何のためにカウンセリングをやっているのか分かりませんよね。わたしのメンターの一人のある著名なセミナーの発案者のアメリカ人の男性が話してくれたことがあるのですが、セミナーを無料でやっていた時には、ほとんど誰もセミナーで提供している内容を実践しようとしなかったし、人生を変えようとはしなかったそうです。ここにはなにがあるかというと、どうやら人は、「自分にはそれだけの代価を支払うだけの価値がある」って自分自身を認めた時に、本当に自分から動き出すそうです。つまり、あなたがカウンセリングをお仕事にしていたとしたなら、自分のカウンセリングがお金を儲けて生活するための手段なのか、自分のカウンセリングでインスピレーションを得た人が、実際にイキイキと生きはじめて、その人の周りにもイキイキする人があらわれはじめ、やがて世の中がイキイキした人たちでいっぱいになる世界を創りだす役割のひとりになるのか、どちらを意図するかというところから、値段の設定も必要になってくるかもしれません。ただ稼ぐだけの値段の設定や、お金が入って来ないと困るっていうところに意図があると、それにみあった客層を招き入れてしまう可能性がひじょうに高くなってしまうようです。お金を払ってもらわないと困るというポジションによってくる客層はどんな客層かというと、「お金を払ってやっている」という客層が集まってきてしまいます。目先の利益だけを追いかけてしまったり、自分が受け取れないばかりに安価な値段設定をしてしまってこれらの客層がクレーマーになって、ひじょうに修正が難しい状態におちいってしまった人たちに、ホントに何人も何人も出会ってきました。すべてのものごとには意図があります。そして、意図が結果を創り出し、結果は意図をあらわすようです。自分が提供するサービスや商品によって、お客さんや世の中に「こうなって欲しい」という明確な意図を創っておかないと、自分でも気がつかないうちに、無意識の深いところに隠れている「隠れた意図」が優先され、はたらいてしまいます。つまり、意識して意図を創作していないと、無意識の深いところで持っている「隠れた意図」が結果を導き出してしまうということなんです。今回数回にわたって、お金と豊かさのテーマを「お金と値段」というところからお伝えしてきましたが、ホントにお伝えしたかったところが、この「意図が結果を創りだす」というところだったわけです。お金や値段の話題はどちらかというと、今までここではあまりお伝えしないように、避けてきた話題でした。なぜなら、ほとんど多くの人が、お金というものに対して、世の中に流通している便利なツールという以上に膨大な意味づけをしているため、自分でも気がつかないうちに、簡単にいろんなキーワードに引っかかってしまって、感情を揺り動かされてしまうからです。結果、お伝えしたい内容とまったく違ったものを、うけとってしまったり、勘違いしてしまったりして、意図から大きくずれてしまう可能性が高いことを感じていたからです。マスターは昔、メンターからお金の知恵を伝えてもらっていたときに目の前で数百万円の束を「どさっ」と渡されたことがありました。はじめてまとまった大きな金額をみたうえに、いきなり渡されて重みを感じた瞬間、すごく「ドキッ」としてしまったのをよく覚えています。でもその時メンターに、「中をよくみてごらん」って言われてみてみると、表紙と裏以外はただのお札のサイズに切られた白い紙だったんです。その時、メンターに言われたのが、「うけとった瞬間、どんな感情が出た?」っていう言葉でした。彼はそれ以上はなにも言いませんでしたが、逆になにも教えてくれないことで、自分で探求するということを信頼してくれたんだと思います。札束の表紙のホンモノのお札も、中にあったたくさんの白い紙も、物質という見地からみたら、同じ紙でしかありませんよね。ただ、細かい印刷がされているかどうかというだけです。メンターが後々語ってくれたのは、お金は人々の間にある、「共通した認識や概念にすぎない」ということでした。細かい印刷をした紙も、実は人々が共通に価値があると定義づけている、共通の認識、同意だということのようです。だって、まったく知らない、行ったこともない国のお金をみせられても、感情を動かされたりしませんものね。今回、あえてお金と値段というテーマのお話をお伝えしましたが、お伝えしたかったポイントは、ほとんどの人が、お金に膨大な意味づけをしているらしいということ、「意図が結果を創り出す」ということ、「どんな意図を持ってサービスや商品を提供するのか」ということ、そして、どんな意図を持って、思っているより長くない貴重な人生を生きるのか、どんな人生をデザインするのかということです。あなたの貴重な人生が、このうえなく満足と幸せに満ち、周りの人たちも幸せになることを、こころから信頼しています。あなたの人生の貴重な時間を、ここまで読んでくださる時間に使っていただいたこと、こころから感謝いたします。では、またこの店のカウンターでお会いしましょう。いってらっしゃいませ。
February 6, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。今日は本当に寒いですよね!予報によると京都の今日の最高気温はなんと2度。先ほどまで、打ち合わせで出かけていたのですが、道の水溜りはみんな凍っていました。さて、前回まで数回にわたり、豊かになりたいけど、お金をうけとれないパターンにいる時に、無意識の深いところではどんなゲームが行われているのか?ということについてお伝えしてきましたよね。前回までお伝えした内容は、(1)お金を必要以上に少なくしか受け取れない背景には、 無意識の自分に対する無価値感があるらしいこと(2)良心的な金額とは、お金を少なくしかうけとらないことだと 無意識がおもいこんでいるらしいということ(3)無意識のささやきが、少なくしかうけとらないことで、 相手に悪く思われないようにしむけているらしいこと。(4)無意識の深いところで、悪く思われたくないという おそれが、自分のことしかアタマがいっぱいになってしまって、 お客さんの立場でみてみるということからずれてしまう パターンにおちいるそして、前回はマスターがかつて値段を設定する時に、自分の「よく思われたい 悪く思われたくない」に直面したことで学び取った体験談をお伝えしました。さて、自分のサービスなり、商品に値段をつける際、自分の無意識の深いところからのささやきに、多くの人がはじめは翻弄されるという可能性についてお伝えしてきましたが、今回は、必要以上に安い値段をつけることで起こる、思わぬ大きな問題について、お伝えしたいと思います。そうなんです、値段というものはつけ方を間違えてしまうと、思ってもいなかったようなひじょうに大きな問題を抱えることになってしまう可能性があるようです。そして、その問題は本質的なものなので、いったん抱えてしまうと、修正がひじょうに難しくなってしまうようです。ではまず、その話題に入る前に、値段というものはそもそもどうやって決まるものなのかという、本質的にはどんなものなのかということについてみてみましょう。そもそも、値段というものは何を基準に決めるものなのでしょう?商品やサービスの値段とは、そのもののコストに対して利益をのせたものと定義することが出来るわけですが、では、コストに対してどのくらいの割で金額をのせるものなのか?これについて、考えてみたことはありますでしょうか?以前は、マスターもそもそも値段というものがどうやってつけられるのか、そこまで真剣に調べたり探求したことはありませんでした。多分多くの人に、「値段ってどうやって決まると思いますか?」ってきいてみたとしたら、「他の商品やサービスと競合できる金額」とか、「みんなが買える金額」、「利益が出せる金額」と大体は答えるのではないでしょうか。「あなたは、値段とはどうやって決めるものだと思いますか?」ってきかれたらなんと答えられるでしょうか?実はこのことの本質をちゃんと分かっている人や企業と、そうじゃないところとでは、うまくいくかどうか、問題が少ないか多いかという、明暗をはっきりと分けてしまっているようです。本質を理解している企業や人は、何を持って値段を決めるのか、彼らはそうじゃない人や企業とどう違うのか?本質を理解している企業、人が設定する値段はどこから来ているかというと、実は「どんな市場を創りたいのか」、「どんなお客と付き合いたいのか」というどんな結果を導き出したいのかという「意図」に沿って設定されているということなんです。とてもとても大切なことなので、もう一度お伝えしますね。本質を理解している企業や人は、自分達が付き合いたい客層や市場にあわせて、値段を決定しているということなんです。わかりやすい例でいうと、百貨店とディスカウントストアとの比較というものがあります。最近のディスカウントストアでは、平行モノのブランド品も取り扱うようになってきましたので、百貨店と同じクオリティのものがはるかに安価な値段で買えるようになっていますよね。欲しいブランド物があれば、定価販売している高い百貨店に行かなくてもちかくのディスカウントストアに行けば、いくらでも同じものが安く買えるわけです。そんなディスカウントストアは、どんどん増えてきていますよね。では、百貨店には、誰も客は来なくなってしまったのか?または、百貨店はディスカウントストアに対抗した安価な値段を競争してつけはじめたかというと、そんなことはありませんよね。また、ホテルにも高級なホテルと、安価なホテルもありますし、酒場も安く飲める酒場もあれば、高級なバーなんかもあります。これらは、なにが違うのでしょう?ほとんど多くの人が考えるのは、高級なサービスをしているから、高い値段を設定しているんだ、高級だからこそ、あの値段でも提示できるんだと捉えますよね。たしかに、ある側面からは、それは間違いありませんよね。ですが、そこに注意がいっていると、もっとも大切なことがみえてこなくなってしまうようです。それが、値段を設定する時にどんな「意図」があったかということなんです。高級なものをつくれば、それなりの値段がとれるのか、それともそれなりの値段を支払える人とつきあいたいから、値段をそれなりに高く設定して、それにみあうクオリイティを創作するのか。実は通常の思考とは、まったく反対からのアプローチがひじょうに重要なカギになってきます。つまり、はじめに「意図」ありきということなようです。ここを間違えてしまうと、先にも書きましたが、大きな問題を抱えてしまうことになりかねないようです。わたしたちの多くは、自分の無意識の深いところからのささやきでどうしても自分にそこまでの価値があるとは認められず、ついつい安い値段を設定してしまいそうになりますよね。では、無意識からのささやきに従ってしまって、市場価格よりもかなり安価な値段をつけてしまったとします。すると、どんな問題がおきてくるでしょう。先ほど、意図が結果を創り出すということをお伝えしたよね。では、必要以上に安価にしてしまった時の「意図」とはなんでしょう?とても重要なところですので、よく探求してみてくださいね。一見すると、「意図」なんて無いかのようにみえるかもしれませんが、起こる出来事や結果には必ず意図が存在するというところからみると、すべての出来事には、意識していようが意識していまいが、世の中のことわりとして、必ず意図というものが存在しています。必要以上に安くしてしまうときの(隠れている)意図とはどんなものかというと、「安くしないと人が来てくれないだろう」っていうところにありますよね。するとここにディスカウントの法則というものが働いてしまいます。ディスカウントの法則とは何かというと、ディスカウントされたものには、ディスカウントされたものにバランスがとれるレベルのものが引き寄せられるということなんです。百貨店に来る客層とディスカウントショップに来る客層、祇園や銀座のバーに来る客層と、一杯飲み屋の客層、どこがどう違うか見えますよね。この客層を間違えると、とんでもない問題をたくさんかかえることになってしまいます。マスターが出会ってきた数多くの幸せな成功者と呼ばれる人たちと、経済的には成功しているのに、どこか幸せを感じられない人たちを分けていた重要なポイントも、実はこの最初の「意図」にあるようです。どうやら、どんな客層とバランスをとるのかというのを値段の部分で実は表現しているということの現われのようです。こんなことを書くと、「じゃあ、値段を高くしたらいいの?」っていう方が出てきそうですが、勿論そんなことはないですよね。まず、今日ぜひつかんでいただきたいのは、結果には必ず意図があるらしいということです。そして、値段をつける時にも、意図というものがとても重要になるということなんです。あなたは、あなたの商品やサービスを、どんな意図から提供するでしょう。一度、その部分を探求してみてください。今日お伝えしたテーマは、ある意味かなり深いテーマですので、ピンと来ないというところにもしおられるようでしたら、「ムリに分からなくてもいい」、「今は圧縮ファイルをうけとった」とみてみてください。圧縮ファイルはタイミングがきたら、きっと解凍されると思います。分かろう、理解しようとするよりも、センスとしてつかんでいただけると、きっと役立つツールになると感じています。更に深い部分に入っていきますので、今日はここまでにしますね。それではまた次回、この店のカウンターでお会いしましょう。いってらっしゃいませ。
February 4, 2006
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さて前回は、自分で事業やカウンセリングなどの料金を自分で決める時を例にとって、自分が気づかないうちにつくってしまっている、豊かになりたいと言いながらも、お金をうけとらない、仕組みについてお伝えしました。いらっしゃいませ、マスターの濱田です。先日、うちのウェブデザイン担当のけいちゃんのお誕生日をサプライズでやりました。ミーティングといつわり(笑)、会場に誘い出しておいて、みんなでビックリさせちゃったわけですが、こういうのって、祝ってもらう人もそうですが、祝う方もとってもワクワクしますよね。ですが、自分はうけとりベタなので(笑)、自分もやられたら、すごく緊張してしまうじゃないかしら??って考えちゃったりしています(笑)。さて、前回まで数回にわたり、豊かになりたいけど、お金をうけとれないパターンにいる時に、無意識の深いところではどんなゲームが行われているのか?ということについてお伝えしてきました。前回までお伝えした内容は、(1)お金を必要以上に少なくしか受け取れない背景には、 無意識の自分に対する無価値感があるらしいこと(2)良心的な金額とは、お金を少なくしかうけとらないことだと 無意識がおもいこんでいるらしいということ(3)無意識のささやきが、少なくしかうけとらないことで、 相手に悪く思われないようにしむけているらしいこと。(4)そして、無意識の深いところで、悪く思われたくないという おそれが、自分のことしかアタマがいっぱいになってしまって、 お客さんの立場でみてみるということからずれてしまう パターンにおちいるこれらについて、お伝えしてきました。いずれも表面的な意識ではみえにくい、無意識のふかいところで起こる、自分とのゲームですよね。実際に起業されたり、セミナーの開催などをご自分で始められた経験のある方なら、体験として「感じられる部分」だと思います。実はマスター自身もこの体験で深い気づきを得る機会がありました。以前、新しいビジネスのチームを創って、ウェブの事業をはじめたときのことです。コンサルティングの方にもついていただき、どんどんアイデアをマニュアルに落とし込んで、ビジネスモデルをつくっていきました。アイデアを現実のカタチに落とし込んでいく作業は、マスターのもっとも好きなジャンルのひとつですので、ビジネスモデルをデザインしている時は、とってもワクワクして楽しかったのをよく覚えています。ところが、あることを決める段階になって、マスターはとても躊躇をしはじめてしまいました。それが、サービスの料金を決めるということでした。ランニングコスト、その他の経費を計算すると、これくらいの金額の提示は必要という最低限の金額は簡単に導き出すことができるのですが、そこにのせる利益を、どうしても少なく設定してしまう自分がいたんです。「安くサービスを提供したい」、「でも、どうしても安すぎる金額を設定してしまう」、「冷静にみてみると、こんな利益では、企業としてやっていけない」、「でも、どうしても値段をのせることに躊躇がある」こんなところをグルグル、グルグル、環状線のように(笑)、回ってばかりいる状態を続けていました。どうしても、自分で決め切れなかったわたしは、コンサルタントにアドバイスをもらうことにしました。わたしはコンサルタントに相談すれば、「この金額でいきましょう」ってきっと彼の経験から導き出された、適正な金額提示してくれて、背中を押してくれるだろうって期待していたんです。と こ ろ が、彼がわたしに言ったのは、「ご自分で納得する値段をつけるのが一番ですよ」としか言ってもらえなかったんです。正直、「助けて~」、「背中を押して~」ってすがるような気持ちでいましたので、「ガ~ン(笑)」って気持ちになってしまいました。ですが、今から思えば、実に素晴らしいコンサルティングだったと感じています。彼が「自分で決めて下さい」と言ってくれたのは、・自分が何に引っかかっているのかを真っ向からみつめる機会をくれ、・おそれから逃げていた自分をみつけることができ、・そして、自分のこころの深い深いところをみつめてみるという、 機会を提供してくれたわけですから。彼なら、これまでの経験から、あっさり適正な金額を教えてくれることは可能だったはずなのですが、あえてそんなことをせずに、マスターの成長を信頼してくれたんだなって深い深い感謝があります。もし、あっさり答えをもらっていたら、表面的にはその場はクリアできても、本質的な「無意識のおそれ」は持ったままでいるので、同じような問題をカタチをかえても、きっとあらわしていたでしょう。彼は、ビジネスが動き出してから問題が起きて、修正が難しくなるような時まで放置するのではなく、ビジネスだけでなく、人間関係にも重要なメンタリティを探求する機会を先に提示してくれました。お金だけでは雇えない、素晴らしいコンサルタントだと彼にはこころから感謝しています。さて、そうやってさんざん悩んだあげくに設定した、サービスの「値段」なのですが、あまりにも意外な結果を生み出し、マスターを驚かせました。適正な値段を設定して(それでもかなり安かった(笑))、クライアントにプレゼンテーションをすることになったのですが、無意識の深いところだけでなく、今度は意識の上でも、「高いと思われたらどうしよう?」って(笑)、こわさを感じていましたので、いざ、プレゼンをはじめると、説明する、説明する(笑)!もう、まるで、売れない客に一生懸命説明ばかりする、ダメダメセールスマンのパターンみたい(笑)!それでも、こわさに直面したくないという隠れた感情を振り切れないでいるマスターは、ついつい一生懸命説明してしまっていました。すると、クライアントがマスターの説明を制止して、こう言ったんです。「いや、おたくと契約をすることはもう決めているから」、「で、いくらなの?」って。ひゃあー、きたぁー(笑)って感じです。でも、逃げられません(笑)。おそるおそる、マスターは料金表を彼にみせたんです。すると、あまりにも意外な答えが。「え?こんなに安いんですか? ホントにこれでいいんですか?」って。その時、意外だという驚きとともに、今まで自分がさんざん悩み苦しんでいたのが、実は適正な値段に慣れ親しんでいる人たちからみれば、とってもこっけいなくらい、悩みすぎていたのかもしれないということを発見しました。マスターがおそれていた感情は、「NO」と言われることに対してのこわさ。その時のマスターにとっては、「NO」と言われることが、サービスをうけるかどうかに対する「NO」ではなく、自分自身が「NO」と否定されてしまうかのように、一緒くたになってしまっていたようです。ですが、この経験はひじょうに貴重な学びの機会になりました。デザイナーやカウンセラーなどの方々から、「値段」についてご相談をうける時、よくこの体験談をおはなしするようにしています。体験が経験になり、やがて知恵になるということをマスターは、メンターたちの無言のアドバイスからたくさん学ぶことができました。今は体験が与えてくれる貴重な情報が、ホントに素晴らしい財産になるということを実感しています。どうぞ、壁にぶつかり、アタマを悩ましまくった体験も大切にして下さい。きっと、素晴らしい成長の機会になってくれると、こころから信頼しています。今回は長くなってしまいましたので、続きはまた次回お送りしますね。必要以上に安くするこで訪れてしまう、重大な問題については、次回お伝えしますね。それではまた、この店のカウンターでお会いしましょう。いってらっしゃいませ。
February 3, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。ここ数日、暖かかったなぁと感じていたのですが、どうも週末からは寒の戻りというか、寒い日になるそうです。こんな時には、ホットバタード ラムのような、暖かいカクテルで身体を暖めるのがいいかもしれませんね。さて前回は、自分で事業やカウンセリングなどの料金を自分で決める時を例にとって、自分が気づかないうちにつくってしまっている、豊かになりたいと言いながらも、お金をうけとらない、仕組みについてお伝えしました。前回お伝えした内容は、(1)お金を少なくしか受け取れない背景には、 無意識の自分に対する無価値感があるらしいこと(2)良心的な金額とは、お金を少なくしかうけとらないことだと 無意識がおもいこんでいるらしいということ(3)無意識のささやきが、少なくしかうけとらないことで、 相手に悪く思われないようにしむけているらしいこと。これらをお伝えしました。さて、前回の最後に、わたしたちが自分の値段を安くしようとする時、実はとても大切なことを見逃していると同時に、とっても自分勝手なエゴを表現してもいるということをお伝えしました。安く値段を設定してしまおうとする時に、自分のエゴを表現しているというのは、いったいどういうことなのでしょう。そして、どこにエゴがあるというのでしょう?探求されてみた方は、なにがみえましたでしょうか。よくみてみると、どこにエゴがあるのか、容易にみえてきます。どこだと思います?「これ、高すぎないかなぁ?」、「安くしすぎかなぁ?」って悩んでいる場面を想像してみて下さい。なにがみえてくるでしょう?そう、値段が高いと悩むことも、安くないかって悩むことにしても、お客さんの立場に立っていないってことなんです。つまり、高いか、安いかということも、悪く思われたくない、いい人だと思われたいという、人にどう思われるかという基準でしかみえていないということなんです。前回もお伝えしましたが、世の中のサービスや商品には、相場や適正価格というものが存在しますよね。それを基準に高めに設定するか、安めに設定するか、もしくは素晴らしいサービスだと自負するなら、高価な金額を設定すのも可能でしょう。(意味もなく高いのは、勿論うまくいきませんが)ここでいうお客さんの立場というのはどういうことかというと、お客さんの財布の中身を心配しろいうことでなくて(笑)、お客さんは値段でもサービスの価値を判断してしまうということなんです。つまり、自分がよく思われたい、悪く思われたくないっていうことろから決めたはずの金額が、必要以上に安くしてしまうことで、このサービス、この商品にはたいした価値がないとか、「ああ、素人レベルのものでしかないのね」ってレッテルを貼られてしまうこということなんです。すると、せっかくあなたの素晴らしいインスピレーションやアイデアから生れた商品やサービスが、三流以下という判断をされかねないということになってしまいます。これでは、あなたは悲しいばかりでなく、正当な評価も受けられない可能性まで出てしまうかもしれませんよね。ですが、安すぎる設定をしてしまうことには、実はもっともっと、重大な問題が潜んでいます。あなたのよく思われたい、悪く思われたくないという思いから出たはずの安い設定金額が、逆にあなたにイヤな思いをさせてしまう高い可能性を含んでいます。では、安く金額を設定してしまうことで、あなたにイヤな思いをさせてしまうかもしれないどんな要素があるのでしょう?どんな要素が隠されているのか、一度探求してみてください。この続きはまた、明日お伝えしますね。それではまた明日、この店のカウンターでお会いしましょう。いってらっしゃいませ。
February 2, 2006
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いらっしゃいませ、マスターの濱田です。先日、東京から地元京都に帰ってきました。東京では読者の皆さんと懇親会でお会いさせていただきました。とっても楽しい時間を過ごさせていただきました。ホントにありがとうございます。とってもとっても幸せです。さて、先日、独立を考えておられる方から、自分が独立起業した際にお客様に提示する、料金の「金額」についてご相談いただきました。「自分がどれだけのお金をうけとっていいのか」というテーマは、自分でお仕事をされるかどうかにかかわらなかったとしても、とても気になるところですよね。わたしたちは自分で料金設定をする時に、必ず「いくらにしよう」ということを決める瞬間があります。そして、個人事業やカウンセリング、占いなど、独りで始めるようなものなら特に、この金額設定にアタマを悩まします。経験のある方も多いですよね(笑)。「いくらにしよう?」と考える時に悩むことはどんなところかというと、「これ、高すぎないか?」、「ちょっと安すぎないかな?」ってところですよね。金額というものは、業種ごとに、大体の相場というものがありますので、目安として活用することになります。そして、経費がどのくらいかかるかということも、計算すればおよその数字は簡単に導き出せます。だとしたら、お客様に提示する「料金」はなんなく、答えとして導き出されるわけです。ですが実際には、そこで「高くないか?」、「安すぎないか?」っていうことろで、悩んでしまう人はとても多いですよね。悩む理由は、「まずはお客様を集めることが大事、だから、安く設定してまずはお客を集めなくちゃ」だとか、「自分以外にも同じ業種でやっている人がたくさんいる、だから、安めに設定して値段で勝負しなくちゃ」だとか、たいていは、そんな理由で値段について悩みますよね。ですが、ホントに悩んでいる理由というか、値段を決めることに躊躇する理由は違うところにあります。自分で分かっている人は、もう知っていますよね。「金額を安くしたほうがお客が集まるんじゃないか?」、「安くしないと集まらないんじゃないか?」って悩んでいる人たちの、ホントのところひっかかっているのは、「自分のサービスにそれだけの値段をつける自信がない」、「自分には、お金を払ってもらうほどの自信がない」っていうところにありますよね。つまり、自分にはそこまでの価値はないという、無意識からの声、無価値感がわたしたちに、「お前にお金を払ってくれるやつなんていないよ」、「きっと、あとで『やらなきゃよかった』って言われるぞ」、「だから、先に安くしといて、『安いんだから、しょうがないよな』って文句を言われにくいようにしておけよ」ってささやいてくることにあるようです。そして実際、必要以上に値段を低く設定してしまう人をたくさんみてきました。世の中でよくある概念として、値段が安いということは、「良心的な金額」という風に捉えられている風潮がありますよね。ですので、わたしたちは安くすることが、無難で良心的と解釈をしてしまいがちです。ですが、わたしたちが自分の値段を安くしようとする時、実はとても大切なことを見逃していると同時に、とっても自分勝手なエゴを表現してもいるんです。「え?値段を安くすることがエゴ???」「いったいどういうこと?」って思いますよね。明確な意図がない時に、値段を必要以上に安くしようと考えてしまう背景には、自分にはそこまでの価値がないという、無意識の無価値感があるようです。そして、わたしたちは「良心的な金額」という言葉に使われて、安くしたら、良心的なんだと自分を言い聞かせます。ですが、値段を安くしようと悩む時、自分では気がつかないうちに、実は自分のエゴを表現してしまっています。これはつまり、必要以上に安くしてしまっている時、自分では気がつかないけれど、みる人がみたら、わたしたちのエゴがみえてしまっているということです。必要以上に値段を安くしてしまっている時に、みる人がみたらみえてしまう、エゴってなんでしょう?よかったら、ちょっと探求してみて下さい。では、続きは明日おつたえしますね。明日、この店のカウンターでお会いしましょう。いってらっしゃいませ。
February 1, 2006
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