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BBS(掲示板)を閉じさせていただきました。そのいきさつは、こちらをご確認ください。2011年7月12日から、横浜市青葉区小中高生ミュージカルの10年を振り返る日記を書くことにしました。あくまでも、かめおかゆみこ個人の視点ですが、新しく参加してくれた出演者のみなさんや、青葉ミュージカルを応援してくださるみなさんが、これまでの流れと、そこにこめられた思いなどを知っていただくチャンスになれば、うれしいです。目次一覧-------------------------------------フィールドワークでは、過去のお話もいろいろと聴かせていただきましたが、やはりいま現在の「こどもの国」の魅力もはずすことのできないものでした。劇のはじまりは、このこどもの国で元気に遊ぶ、子どもたちの姿からはじめたいと思いました。それでつくったのが、この曲です。 ♪「遊ぼう! こどもの国」 作詞 かめおかゆみこ 作曲 金子 忍 夏はプールで、冬はスケート サイクリングロードでひと汗流し キャンプ場で盛り上がろう! 遊べ 遊べ ときを忘れて 急げ! 一日はあっというま! 野の草とって 料理をつくろう まきで焼いたピザの味はいかが? じゃがいも掘りにも挑戦だ! 遊べ 遊べ みんな一緒に 急げ! 一日はあっというま! 桜堤で 花見はどうかね ゆっくり散歩で 森林浴さ たまにはテニスも たしなもう 遊べ 遊べ 自然のなかで 急げ! 一日はあっというま! 牛に羊にポニーにうさぎ 動物たちが むかえてくれる みんなの笑顔が あふれるよ 遊べ 遊べ 夢中になって 急げ! 一日はあっというま!「こともの国」のサイトや、パンフレットを見ながらつくった歌詞ですが、読んでいて楽しい雰囲気が伝わってくると思いませんか? このまま「こどもの国」のテーマソングにしてもらって、園内で流してもらえたらいいなあ…なんて思ったのですが、それは実現しませんでした。残念!(笑)書き忘れていましたが、大道具をプロのかたに依頼するようになったのは、この年からでした。また前年の最後から歌唱指導の先生が加わってくださるようになりました。 (明日につづきます)
2011.07.30
BBS(掲示板)を閉じさせていただきました。そのいきさつは、こちらをご確認ください。2011年7月12日から、横浜市青葉区小中高生ミュージカルの10年を振り返る日記を書くことにしました。あくまでも、かめおかゆみこ個人の視点ですが、新しく参加してくれた出演者のみなさんや、青葉ミュージカルを応援してくださるみなさんが、これまでの流れと、そこにこめられた思いなどを知っていただくチャンスになれば、うれしいです。目次一覧-------------------------------------2004年、初めて、青葉区の題材がミュージカルにとりあげられることになりました。「こどもの国物語」です。私は北海道の人間なので、こどもの国のことはまったく知りませんでした。取材に行くことになり、係のかたに園内を案内していただきました。こうして、スタッフによるフィールドワークも、年々定着してきました。広い園内には、アップダウンあり、池ありちいさな森あり、ゆたかな自然に囲まれたすてきな場所。そしてそこに、まるでぶっきらぼうに捨ておかれたような、倉庫のように見える場所。それが、弾薬庫あとでした。私自身はもちろん戦争の体験はありません。また、北海道もあまり戦争の影響は受けていないのです。ごく一部の港町が空襲を受けたりはしていますが、それも回数も少なく、本州や沖縄のような大変な空襲の体験はないのです。それでも、酒井智恵子さんの『田奈の森』を資料に、そこで働いていた勤労学徒のひとたちのことを想像してみました。また、「もしかしたら私たちのつくった弾丸を、ひめゆりの少女たちが(自決の手榴弾として)使ったかもしれない」(事実がそうであったというのではなく、酒井さんがそのように想像したということ)という一節が強くこころに残りました。沖縄に行こう。そう決めて旅立ちました。ひめゆり平和祈念資料館に行きました。以前にもたずねたことがあるので、3度目の訪問です。が、いつも館内に流れる「相思樹の歌」を聴き、そこにかかげられた少女たちの遺影を見ると、なんとも言えない気持ちになるのです。友人の家に宿泊させてもらい、ご両親から沖縄戦のお話をうかがったのも、このときではなかったかと思います。 (明日につづきます)
2011.07.30
BBS(掲示板)を閉じさせていただきました。そのいきさつは、こちらをご確認ください。2011年7月12日から、横浜市青葉区小中高生ミュージカルの10年を振り返る日記を書くことにしました。あくまでも、かめおかゆみこ個人の視点ですが、新しく参加してくれた出演者のみなさんや、青葉ミュージカルを応援してくださるみなさんが、これまでの流れと、そこにこめられた思いなどを知っていただくチャンスになれば、うれしいです。目次一覧-------------------------------------いま、日本では、年間3万人を超えるひとが、みずからの手でみずからのいのちを絶っています。さらに、身元不明の無縁死がやはり年間数万人いるといわれ、そこにもおそらく、そうしたひとたちが含まれると思うと、その総数は5万人とも6万人とも考えられるのではないかと思えるのです。そしてその陰にはさらに多くの「未遂」者がいるわけで、これはどう考えても異常な数字なのです。みずから死に至る理由は、「病気」であったり「失業」であったり「将来の不安」であったりなど、数字化されているようですが、本当のところはそうではないのではないか…と私は考えています。自分の苦しみを、誰ともわかちあえない(受け止めてもらえない、受け入れてもらえない)と感じてしまったときに、ひとは、生きる希望をうしなうのではないかと、私は思うのです。「つながり」があればひとは死なない…。言い切れるだけの根拠をもっているわけではありませんが、少なくとも「生きる」ことを見つめるきっかけをとりもどすことはできる…。私はそう思います。そう信じているからこそ、つながる思いを、脚本に、詞に託して書いてきました。「ヨコハマ・新浦島伝説」は、総勢77名・2時間の大作になってしまったため(物理的に舞台に乗りません)、翌年から、募集学年を小学3年生以上にあげました。それ以降は、40~50名の参加者で推移しています。明日からは、4年目の「こどもの国物語」について書きます。 (明日につづきます)
2011.07.28
BBS(掲示板)を閉じさせていただきました。そのいきさつは、こちらをご確認ください。2011年7月12日から、横浜市青葉区小中高生ミュージカルの10年を振り返る日記を書くことにしました。あくまでも、かめおかゆみこ個人の視点ですが、新しく参加してくれた出演者のみなさんや、青葉ミュージカルを応援してくださるみなさんが、これまでの流れと、そこにこめられた思いなどを知っていただくチャンスになれば、うれしいです。目次一覧-------------------------------------海を汚す人間への怒りをあらわすイバラ団。その怒りをおさめようとする乙姫たち。そして、また地上でも、あらそいはやみません。そんなおとなたちにたいして、「海の子どもたち」は、こんな歌を歌って、みんなの手をつなぐのです。 ♪「すべてはつながる」 作詞/かめおかゆみこ 作曲/金子 忍(海の子どもたち) つながる つながる 海はつながる 七つの海は どこまでも ひとつの水で むすばれている つながる つながる 海はつながる つながりのなかに 我らは生きる(陸の子どもたち) つながる つながる 陸(おか)はつながる 山あり谷あり 平地あり ひとつの空の もとにつづくよ つながる つながる 陸はつながる つながりのなかに 我らは生きる(子どもたち全員) つながる つながる すべてはつながる 海と陸(おか)とは つづいてる とぎれるところは どこにもないよ つながる つながる すべてはつながる つながりのなかに 我らは生きる私のおおきなテーマである「つながり」を表現した歌です。この歌詞を書きながら、本当にこの詞のとおりだなあと、自分でも思った記憶があります。海も山もすべては、この地球という重力場のなかで、つながっています。言ってみれば、人間は、とってもちいさな、地球の出っぱりに過ぎないわけです。そんなちっぽけな人間同士が、なぜあらそいあうのか。「海の子どもたち」を演じたのは、おもに小学1~2年生の子どもたちでした。この年、77人にふくれあがった出演者のうち、20人近くを占めていました。この子たちを活かす場面を考えていったときに、さまざまな思惑にとらわれて、身動きできなくなっているおとなたちの前に、純粋な気持ちで、そこにいるひとたちの手をつなぐ存在として、登場させたいと思いついたです。体格もまだちいさな20人近い子どもたちが、おとなたち(役)の手をとって、ひとつの大きな輪をつくる場面は、いま思い出しても、涙が出てきそうです。そのときに歌われた歌が、この「すべてはつながる」なのです。 (明日につづきます)
2011.07.28
BBS(掲示板)を閉じさせていただきました。そのいきさつは、こちらをご確認ください。2011年7月12日から、横浜市青葉区小中高生ミュージカルの10年を振り返る日記を書くことにしました。あくまでも、かめおかゆみこ個人の視点ですが、新しく参加してくれた出演者のみなさんや、青葉ミュージカルを応援してくださるみなさんが、これまでの流れと、そこにこめられた思いなどを知っていただくチャンスになれば、うれしいです。目次一覧------------------------------------->どちらも、もとめるものは同じなのです。>もとめるかたちと、>もとめる方法がちがうだけなのです。その、イバラ団と、乙姫たちの歌を紹介します。イバラ団たちの思いにたいして、乙姫たちもまた、歌で返していく、問答歌というか、そんなかたちです。ともに、「海 われらが愛する 海」ではじまります。曲調はまったくちがうのですが、基本の音数は同じです。同じ思いから出発したはずなのに、なぜ、対立が生まれてしまうのか。それは永遠の課題かもしれません。それでも、そのことに気づいたら、少なくとも、そのひとは、そのあらそいをやめることができます。たたかいの土俵から、降りることができます。 「海が死んでゆく」(イバラカンザシとイバラ団の歌) 海 われらが愛する 海 美しく 豊かに 恵みをたたえ すべてを つつみこむ われらが いのちのふるさと 母のように 父のように 兄のように 友のように われらは 海を愛する 海も われらを愛する だが しのびよる黒い影 まるでそれは 悪魔のように 不気味な気配 ただよわせ おそいかかる 海に われらに (せりふ…口々に) 苦しい 息ができない 痛い 痛い からだが焼けるように熱い 助けて 泳げない 苦しいよう(など) 海 海が死んでゆく われらのいのち むしばんで 愛する海が 死んでゆく 手をくだすのは 人間 人間が すべての悪のみなもと 海 海が死んでゆく いのちの流れ 断ち切られ 愛する海が 死んでゆく ゆるすことなど できない 人間が すべての罪のはじまり 「海は裁かない」(乙姫と侍女たちの歌) 海 われらが愛する 海 喜び 悲しみ わけへだてなく すべてを 受けとめる われらが こころのふるさと 空のように 風のように 花のように 星のように われらは 海を愛する 海も われらを愛する (ここのみ、イバラ団) だが しのびよる黒い影 まるでそれは 嵐のように あらゆるものを ねじふせて ほろび尽くす 海を われらを 海 海は裁かない 怒り にくしみ かかえても すくわれぬこと 知っている たとえその身が 失せても 人間の 気づきのときを信じる 海 海は裁かない ただひたすらに ゆるすだけ 天のさだめた ことわりに 静かにその身(を) ゆだねて 人間の幸いねがい 見守るこのころ、マザー・テレサの活動や、ガンジーの非暴力主義のようなものに影響を受けていた時期のような気がします。(いまも、影響は受けつづけていますが)乙姫たちのいわば運命主義的な祈りは、非現実的であるとは思うのですが、それでも、いまも、こころのどこかで、そんな祈りが、平和をもたらしてくれることを願う気持ちは、あるような気がします。 (明日につづきます)
2011.07.27
>ひとは、どうして、>あらそいあうことをやめられないのか?>それは、私が子どものころからずっと>いだいてきた、疑問でもありました。青葉ミュージカル2年目の作品「愛しのチャイナタウン!」を書いたとき、私の胸の内にあった、思いです。それは、翌年の「ヨコハマ・新浦島伝説」にも引き継がれていました。あらそいが起きるとき、多くのひとは、「どちらかが正しくて、どちらかが間違っている」と考えます。ゆえにおらそうわけですが…。でも、本当はそうではないのだと思うのです。「ヨコハマ・新浦島伝説」のなかで、人間をほろぼしてしまえと考えるイバラ団は、「海を愛している」から、そう思うのです。同じく「海を愛している」から、乙姫たちは、「すべてをゆるそう」と、呼びかけるのです。どちらも、もとめるものは同じなのです。もとめるかたちと、もとめる方法がちがうだけなのです。「海の祈り、陸(おか)の夢」の歌のなかで、こんな問いが、投げかけられます。「何のために 生まれてきたのか 争うため? 憎しみあうため?」私は、それにたいして、こんなこたえを書きました。「いいえ すべては愛するため」さらに、こんな問いを投げかけました。 「何のために いのちつむぐのか たたかうため? 傷つけあうため?」そして、それにたいするこたえは、こうです。「いいえ すべてはわかちあうため」「正しい・間違い」で物事をみるのではなくて、「どうしたらわかちあうことかできるだろう」という視点で見たら、いま起きているあらそいの、多くを、やめることができるような気がするのです。少なくとも、あらそいを終わらせるために、歩み寄ることが、できるような気がするのです。そんなことは机上の論だと思うひともいるかもしれません。絵空事だと思うひともいるかもしれません。でも、そう思わなかったからこそ、こうして、脚本を書いてきました。詞を書いてきました。その思いは、いまも変わりません。 (明日につづきます)
2011.07.26
アップが遅くなりました。ちょっと時間切れで、とりあえず、歌の紹介だけにとどめます。これは、青葉ミュージカル10年のなかでも、最高に長い曲です。たしか、6分19秒?でも、しかたないのです。何しろ、地球の歴史、全部語っちゃったのですから。(^^ゞいま、本当に、生きたいかたちで生きていないひとが、たくさんいると思います。「何のために 生まれてきたのか」そんな問いをもつひとも、けっして少なくないと思います。その原点に還りたいと思って書いた詞です。明日、もう少し詳しく補足しますね♪「海の祈り、陸(おか)の夢」 作詞/かめおかゆみこ 作曲/金子 忍 (海のものたちの歌) はるかな昔 太古の海に いのちのたねは まかれて落ちて 海にいだかれ 目覚めのときを いくとせ超えて 待っている いのちのたねは 水底(みなそこ)深く 海鳴りの音(を) 子守歌にし 夢にうつつに まどろみながら 生まれるときを 待っている やがて いのちの歴史が はじまる それははじめ(は)微塵(みじん)のかけら 分かれてはふえ 分かれてはふえ かたちをなして 群れをつくって いのちのなかま 増やしてく けむる朝もや きらめくひざし 風ゆきすぎて 季節はめぐる いのちのにぎわい 海を満たして よろこびのときを たたえあう いのち(は) 海からはじまり 陸(おか)へとあがる (人間たちの歌) 陸(おか)のいのちは 進化をとげる 羽はばたかせ 大地を駆けり あらたなる種が 生まれて消える たどり着く先(は) 人間 流れは変わる 怒濤(どとう)のように 火起こし野(を)焼き 木を切りたおし 縦横無尽(じゅうおうむじん)に 地上を荒らし あらゆるいのちを おびやかす (激しい地響き) (全員の歌) 思い出してみよう 私たちが 何のために 生まれてきたのか 争うため? 憎しみあうため? いいえ すべては愛するため いま確かめあおう 私たちが 何のために いのちつむぐのか たたかうため? 傷つけあうため? いいえ すべてはわかちあうため (海のものたちの歌) 海は祈りを 忘れない あらゆるいのちの 幸いと 無限の夢と 無限の願い とこしえに祈る まことをかけて (人間たちの歌) 地上に生きる ひともまた あらゆるいのちと ともにあり 無限の夢と 無限の願い 未来に向かって 祈りつづける (全員の歌) 何のために 生まれてきたのか 争うため? 憎しみあうため? いいえ すべては愛するため 何のために いのちつむぐのか たたかうため? 傷つけあうため? いいえ すべてはわかちあうため とこしえに とこしえに いのちあるかぎり (明日につづきます)
2011.07.25
BBS(掲示板)を閉じさせていただきました。そのいきさつは、こちらをご確認ください。2011年7月12日から、横浜市青葉区小中高生ミュージカルの10年を振り返る日記を書くことにしました。あくまでも、かめおかゆみこ個人の視点ですが、新しく参加してくれた出演者のみなさんや、青葉ミュージカルを応援してくださるみなさんが、これまでの流れと、そこにこめられた思いなどを知っていただくチャンスになれば、うれしいです。目次一覧-------------------------------------あまりにも壮大な、かつ大人向けといっていいテーマに、どう着手していいのか悩みました。ともかくも情報を収集し、構想をふくらませました。そして、6月だったと思いますが、子安浜の元漁師のかたとご縁をつないでいただき、船に乗せていただいて横浜港湾内を案内していただけることになりました。スタッフのフィールドワークです。お天気のいい日で、風も気持ちよく、波がしらがとてもきれいでした。なあんと、ベイブリッジの下までくぐっちゃいました!最盛期には、廃漁せざるを得ないほど汚染されていた海も、最近では、ずいぶんきれいになっているそうです。その海のうえで、元漁師のかた(初老のかたでしたが)は、かつての漁師時代の話をしてくださいました。その、まるで少年のように、きらきらと輝くまなざしと、笑顔を見たとき、「ああ、書ける…」という思いがこみあげたのです。いま思い起こすと、それは、ひとが、純粋に何かを愛している表情だったのだと思います。その、海を愛する気持ちを軸に、私は作品を組み立てました。公害のために廃漁を余儀なくされた、子安浜の漁師たち。未来を見失って荒れる、地元の子どもたち。一方、海のなかの龍宮城では、人間たちのために海を汚されることを怒り、「人間をほろぼしてしまえ」と、乙姫グループにせまる「イバラ団」というグループがいました。それにたいして、乙姫は、「どんなときでもあらそいはいけない」といさめます。しかし、同時に不安に感じるのは、1000年の眠りについている龍王が、目覚める気配があること。そのとき一体何が起きるのか?そこに、浦島太郎と、そそっかしいカメが関わってきます。カメが、陸と海との結界をうっかり閉じるのを忘れてしまったために、人間の子どもたちが、龍宮城に迷い込んできます。…とまあ、このあたりはもう完全なファンタジー。ちなみに、「イバラ団」という名前は、ゴカイの一種のイバラカンザシからつけました。この生物、ちょっととげとげしている感じなのに、とってもきれいなのです。(笑)余談ついでに書くと、2年目から役はオーディションで決めることになっていましたが、このカメの役だけ、誰も立候補がいなかったのです。どうしようかと悩んでいたとき、高校1年生だったAOさんが、ぼろっと「やってもいいかも」と口をすべらせました。それをするどくキャッチした井上先生が、「言ったよね?」とばかりに、AOさんをカメ役にあてたのでした。(笑)口は災いの元の典型みたいな話ですが(爆)、がんばって、コミカルな役をうまく演じてくれました。そしてそのかいあってか、翌年は、しっかり主役に選ばれたのです。77人の登場人物を生かすため、それぞれの出番を考えながらお芝居を書いたら、めちゃくちゃ長いお話になってしまいました。フィナーレを入れて2時間の大作!次回からはまた、歌詞をまじえながら、そのときどきの思いを書いていきますが、明日・あさっては、終日仕事のため、書く時間がとれません。来週までお待ちを… (8月25日につづきます)
2011.07.22
BBS(掲示板)を閉じさせていただきました。そのいきさつは、こちらをご確認ください。2011年7月12日から、横浜市青葉区小中高生ミュージカルの10年を振り返る日記を書くことにしました。あくまでも、かめおかゆみこ個人の視点ですが、新しく参加してくれた出演者のみなさんや、青葉ミュージカルを応援してくださるみなさんが、これまでの流れと、そこにこめられた思いなどを知っていただくチャンスになれば、うれしいです。目次一覧-------------------------------------この3年ほどは、地元・青葉区の話題を題材にとりあげていますが、最初のころは、横浜市、あるいは、神奈川県から題材を考えていました。3年目、候補にあがったのが、横浜市鶴見区の子安浜の浦島伝説でした。私もまったく知らなかったのですが、浦島伝説は全国各地にありますが、子安浜の浦島伝説は、いっぷう変わっていました。なんと、浦島太郎は、いったんは陸にもどってくるのですが、おじいさんにならずに、また海にもどっていってしまうのです。ただ、もともと、浦島伝説をとりあげたかったというと、そうでもありません。この地区は、古くから、漁師の町でした。しかし、高度経済成長時代、工場がどんどん建ち、海は廃液で汚れました。漁業が立ち行かなくなるなかで、猟師たちは漁業権を放棄。でも、そのために未来をうしなった子どもたちが荒れる…。そんな時代があったのでした。そんななか、漁業権を必要としないアナゴ漁を再開するものがあらわれました。海に生きる漁師たちの思いを、地域に生きるひとたちの姿を劇にしたい。そんな思いから、この題材をとりあげることになりました。あわせて、子安浜にある浦島中学校には、全国でも珍しい夜間学級がありました。戦争や貧困等々、さまざまな事情で中学校に通うことのできなかったひとたちが、そこに通っているのです。近年では、日本にやってきたアジア系の外国人も増えています。そんなこんなのエピソードをひとつにまとめたのが、「ヨコハマ・新浦島伝説」なのです。でも、脚本化するのは、そう簡単なことではありませんでした。ひとつには、テーマとなっているものが、おとな向けである、ということがありました。小学1年生から受け入れている青葉ミュージカルは、2年目からじわりと小学校低学年の子どもたちが増えつつありました。3年目のこの年は、総出演者数は、77名にもおよび、そのうち、20名近くが、小学校1・2年生でした。せっかく出演するのだから、やはりちゃんとした出番を確保してあげたい。でも、題材が大人向けだと、どうしてもそういう子たちの出番は少なくなります。脚本づくりは難航しました…。 (明日につづきます)
2011.07.21
BBS(掲示板)を閉じさせていただきました。そのいきさつは、こちらをご確認ください。2011年7月12日から、横浜市青葉区小中高生ミュージカルの10年を振り返る日記を書くことにしました。あくまでも、かめおかゆみこ個人の視点ですが、新しく参加してくれた出演者のみなさんや、青葉ミュージカルを応援してくださるみなさんが、これまでの流れと、そこにこめられた思いなどを知っていただくチャンスになれば、うれしいです。目次一覧-------------------------------------中華学校から2人の小学生が出演してくれた話は先にも書きましたが、それだけでなく、劇のラストシーンには、大勢の、中学生たちが参加してくれていました。ラストシーンで、日本の子どもたちと中国の子どもたちが、お祭りのなかで交流するのですが、そこで、中国の子どもたちの出し物として、獅子舞を舞ってもらうことになったのです。十数人の中学生の男の子たちが協力してくれました。そして、その獅子舞のみごとなこと。彼らは、子どものころから訓練を受けていて、大変な練習をこなしているのです。迫力があるのも当然のことでした。ただ、12月の初演のときには、全体の進行の遅れなどから、合同の練習がほとんどできないまま、本番に突入。ちょっと、「その場面だけ参加しました」という感じになってしまいました。1月の再演のときには、劇の出演者たちとも交流できるような場面に組み換え、一緒の仲間という雰囲気もつくれました。そうそう。このとき、主役の在日中国人の中学生役をやってくれたMTさんは、ミュージカルに参加してきたときは、誰ともまじわらず、いつも稽古場のすみにいるような女の子でした。歌の練習のときも、みんなと離れたところで一人でぼつんと。でも、演出の井上先生が逆に、「この役の雰囲気にぴったり」ということで気に入って、主役に推したというエピソードがありました。日本語はかたことで、中国語をしゃべるという設定だったため、役づくりはとても大変だったろうなと思います。(私は中国語はわからないので、脚本には普通に日本語を書いて、かっこして、ここは中国語…と。とっても無責任な書き手でした)m(__)mそのMTさんが、昨年は、衣装デザイン担当として、ミュージカルにもどってきてくれました。うれしい循環です。明日からは、3年目の「ヨコハマ・新浦島伝説」の話に移ります♪ (明日につづきます)
2011.07.20
BBS(掲示板)を閉じさせていただきました。そのいきさつは、こちらをご確認ください。2011年7月12日から、横浜市青葉区小中高生ミュージカルの10年を振り返る日記を書くことにしました。あくまでも、かめおかゆみこ個人の視点ですが、新しく参加してくれた出演者のみなさんや、青葉ミュージカルを応援してくださるみなさんが、これまでの流れと、そこにこめられた思いなどを知っていただくチャンスになれば、うれしいです。目次一覧-------------------------------------なんだか、歌の紹介シリーズになってるみたいですが、あらすじを書くよりも伝わりやすいし、何より、歌っているみんなの顔や姿が思い出されるのです。歌っているときのみんなの顔が、とても好きでした。いろいろなひとがいるから、いろいろな気持ちはあっても、歌っているときは、こころはひとつだったんじゃないかな。そんなふうに、信じたい気持ちもあります。さて。ちょっと重たい感じの歌ばかり紹介してきましたので、今日は、とびきり「おいしい」歌(笑)を紹介します。この歌を歌うたびに、子どもたちは…、いえ、見守っている保護者のかたまでが、「おなかすいたー」と言ってましたね。こういう歌をつくるときは、本からインターネットからあれこれさがして、資料集めをすることになります。詞は、インスピレーションでささっと書けることもありますが、そういう場合でも、音の数をあわせていくときには、何度も推敲します。ときにはひとつの歌を書き上げるのに、1日以上かかることもあります。これは、資料を調べるのと、音をあわせるのとで、けっこう時間がかかった記憶があります。楽しかったですけどね♪ ♪「おいでよ、チャイナタウン」 作詞/かめおかゆみこ 作曲/金子 忍 おいしいものが たべたくなったら ここにおいでよ チャイナタウン (口々にせりふ) 「いらっしゃいませ」 「甘栗はいかがですか」 「肉まんなら当店が一番」 「どうぞ寄ってって」(などなど) はいはい、まずは、食道楽の広東料理。 海鮮料理に、ふかひれスープ。 豚の丸焼きに、お粥はいかが。 かわりだねなら、ヘビ料理。 飲茶に点心、くつろいでいってよ。 おいしいものが たべたくなったら ここにおいでよ チャイナタウン お次はこちら。北京料理。 古くは清の王朝時代、宮廷料理で愛された。 北京ダックに、ジャージャー麺。 飾り野菜に、餃子に春巻き。 お餅に饅頭はいかがですか。 おいしいものが たべたくなったら ここにおいでよ チャイナタウン こちらも注目。上海料理。 揚子江の恵みを受けて、新鮮豊富な旬の素材。 上海ガニを知らぬはモグリ。 豚バラ角煮に、シュウマイをどうぞ。 ラオチュー飲み飲み、味わっておいきよ。 おいしいものが たべたくなったら ここにおいでよ チャイナタウン 四川料理も忘れちゃ困るよ。 料理に仕込んだスパイス四十種。 麻婆豆腐に、ホイコーロー。 海老チリソースに、バンバンジー。 味の奥行き、楽しんでおくれ。 おいしいものが たべたくなったら ここにおいでよ チャイナタウン まだまだあるよ、中華料理は。 炒めて、揚げて、ゆでて、煮て、 焼いて、あぶって、蒸して、「いただきます!」 医食同源、薬膳料理。 素材を活かした、揚州料理。 とうがらしたっぷり、湖南料理。 ビーフン食べたきゃ、福建料理。 塩味ベースの、台湾料理。 ごちそうさま! いつだって おなかいっぱい いつだって 笑顔いっぱい いつだって 夢がいっぱい だからおいでよ チャイナタウン 君を待ってる チャイナタウン! だからおいでよ チャイナタウン 君が大好きな チャイナタウン!「愛しのチャイナタウン!」は、12月に初演、翌年1月に、中華街の近くにある、神奈川県立青少年センターで、再演されました。明日、もうちょっと補足を書いて、3年目のお話に移ります♪ (明日につづきます)
2011.07.19
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2011.07.18
BBS(掲示板)を閉じさせていただきました。そのいきさつは、こちらをご確認ください。2011年7月12日から、横浜市青葉区小中高生ミュージカルの10年を振り返る日記を書くことにしました。あくまでも、かめおかゆみこ個人の視点ですが、新しく参加してくれた出演者のみなさんや、青葉ミュージカルを応援してくださるみなさんが、これまでの流れと、そこにこめられた思いなどを知っていただくチャンスになれば、うれしいです。目次一覧-------------------------------------今日はあまり時間がないので、短くいきます。(^^ゞ人間が生きていくためには、「居場所」が必要です。それは、単に「住む」というだけでなく、こころのよりどころとしての「居場所」でなければ、ひとは、やすらぐことができません。私は、北海道の出身なのですが、北海道に住む多くのひとは、その何代か前に、本州や四国、九州などから、わたってきたひとたちです。私が住んでいた地域には、集落の名前に「秋田」とか「岐阜」などとついているところがあり、そうした土地からきたひとたちが、故郷を思ってつけたのだろうなと感じたものでした。私自身、北海道から出てきて、北海道に住んでいた時間よりも、こちらでの時間が長くなってしまいました。でも、こころはやはり、どこかまだ、北海道から離れられないでいるような気がします。住んでいるところが、本当に自分にとっての居場所になるためには、ある程度の時間というものが必要な気がします。それも何十年、ときにはもっと長くの時間が…。作品のなかで、ある女の子のことを、両親は中国人だけれども、女の子自身が生まれたのは日本という設定で書きました。その女の子が歌う歌です。 ♪はるかなふるさと 作詞/かめおかゆみこ 作曲/金子 忍 行ったことない ふるさとの はるかな草原 そよぐ風 日本に生まれ 知らぬのに 見聞きするたび 血がさわぐ こだまするのは この思い 私は誰? 私は誰? 誰にも言えぬ 思いなら ひとりひそかに 胸にひめ 生まれ育った この土地で 生きていこうと 思うけど こだまするのは この思い 私は誰? 私は誰?そして、そんな孤独を胸のなかに秘めている女の子にたいして、仲間たちが歌う歌です。 ♪かけ橋となり 作詞/かめおかゆみこ 作曲/金子 忍 海を越えてきた 我らは ふるさとに 思いたくし 今ここに 思いつなぐ とらわれの心 すてて かけ橋となり つながりあおう 海を越えてきた ものたち ふるさとに 思いたくし 今ここに 思いつなぐ こだわりの心 すてて かけ橋となり つながりあおうこのときから、「つながり」ということが、私のテーマになったのだと思います。あれからずっと、私は、「つながる」ということを追い求めてきたように思います。 (明日につづきます)
2011.07.16
BBS(掲示板)を閉じさせていただきました。そのいきさつは、こちらをご確認ください。2011年7月12日から、横浜市青葉区小中高生ミュージカルの10年を振り返る日記を書くことにしました。あくまでも、かめおかゆみこ個人の視点ですが、新しく参加してくれた出演者のみなさんや、青葉ミュージカルを応援してくださるみなさんが、これまでの流れと、そこにこめられた思いなどを知っていただくチャンスになれば、うれしいです。目次一覧-------------------------------------「愛しのチャイナタウン!」は、二つの中学校を舞台にした作品です。ひとつは、日本人のこどもたちが通う、関内中学校。もうひとつは、在日中国人の子どもたちが通う、中華学苑。(どちらも実際には架空の学校ですが)そこに、中華街のひとたちが加わり、互いの、すれちがう思いを表現します。この歌は、それら現実の登場人物たちに加え、イメージの世界の戦士たち(黒の兵士・金の兵士)を登場させることで、ひとのこころがぶつかりあうさまと、その苦しみを表現したものです。 ♪闇のなかから 作詞/かめおかゆみこ 作曲/金子 忍関中生たち 何も知らずに来た 何も気づかずに来た 歴史の闇に 隠された事実中華街の人たち 背を向けて 生きてきた 見ぬふりして 生きてきた 痛みの深さに 耐えることできず関中生たち 自分のことばかり 考えていた中華街の人たち 伝わるはずないと あきらめてきた全員 互いに向き合うこともせず関中生たち・中華学苑生たち 痛みにふれたそのとき はじめて とびら ひらかれた わきあがる疑問 とまどいと怒り なぜ わかりあえないの なぜ みとめあえないの なぜ ゆるしあえないの なぜ わかちあえないの なぜ!黒と金の兵士たち ひとの歴史は いくさの歴史 あらそい重ね 生まれて死んで いつしかときは 流れゆき 地上のいくさは 終わっても 心のいくさは 終わらない 心ひらけば だまされる ゆだんをするな 殺される どちらが正しい? こたえは一つ けしてゆずれぬ 正義はわれら けちらせ 情けようしゃなく たたかえ 最後の 一人まで どちらが正しい? こたえは一つ けしてゆずれぬ 正義はわれら いかり にくしみ ねたみ そねみ うたがい さげすみ あざけり のろい ひとの心に ひそむ闇 心のいくさは とわにつづく全員 なぜ わかりあえないの なぜ みとめあえないの なぜ ゆるしあえないの なぜ わかちあえないの なぜ!>どちらが正しい? こたえは一つ>けしてゆずれぬ 正義はわれら逆説的な言いかたになりますが、世界じゅうの戦争を引き起こしている根本は、この考えかたにあると私は思っています。自分(だけ)が正しいと思った瞬間に、それ以外の考えは否定すべきものとなります。そのために、>なぜ わかりあえないの>なぜ みとめあえないの>なぜ ゆるしあえないの>なぜ わかちあえないの>なぜ!という状況が生み出されてしまうのです。日本と中国の問題を取り上げた作品ではありましたが、実は私の思いのなかには、その前年、2001年9月11日に起きた、ニューヨークでのテロ事件がありました。大学生のとき、ホームレス襲撃事件で、どうしても脚本を書かずにはいられなかったように、このときも、私は、書かずにはいられない衝動を感じていたのです。ひとは、どうして、あらそいあうことをやめられないのか?それは、私が子どものころからずっといだいてきた、疑問でもありました。この作品をとおして、私はその問いを、観客に投げかけてみたかったのです。劇中では、二つの国の子どもたちは、和解します。そしてお互いをもっと知り合うための一歩を踏み出します。演じてくれた子どもたちは、何かを感じてくれたでしょうか?相も変わらずあらそいをつづける(世界じゅうの)大人たちの状況を見ながら、いまもなお、その問いが、胸のなかから去ることはありません。 (明日につづきます)
2011.07.16
BBS(掲示板)を閉じさせていただきました。そのいきさつは、こちらをご確認ください。2011年7月12日から、横浜市青葉区小中高生ミュージカルの10年を振り返る日記を書くことにしました。あくまでも、かめおかゆみこ個人の視点ですが、新しく参加してくれた出演者のみなさんや、青葉ミュージカルを応援してくださるみなさんが、これまでの流れと、そこにこめられた思いなどを知っていただくチャンスになれば、うれしいです。目次一覧-------------------------------------私が脚本を初めて書いたのは、中学校のときでした。もともと、小学生のときから、詩や物語などを書くのが好きでした。それで、中学校で演劇部に入ってからは、脚本にも興味をもったのです。脚本が初めて活字になったのは、大学1年生のときでした。学園祭で、有志で人形劇を上演することになって書いた作品でした。民話もののアレンジで、いま振り返ると、オリジナリティーには欠けていたかもしれません。それが、日本演劇教育連盟の子どものための脚本募集で選ばれて、脚本集に載せてもらえることになりました。(その脚本集は、すでに絶版ですが)活字になった2作目は、大学4年生のとき。これを書くと年齢がばれますが(笑)、横浜で、ホームレスのひとが、中学生に襲われて亡くなるという事件があり、そのことに強いショックを受けたのです。どうしても脚本にしたいという気持ちになり、2週間ほどで書き上げたのを覚えています。晩成書房の『中学校演劇脚本集6』に収録され、当時は、ずいぶんあちこちの学校で上演してもらいました。社会的な問題についての意識は、中学生のころからあったように思います。高校生のときには、あこがれていた先輩(女性です♪)が、地域の歴史問題にかかわっていたりして、刺激を受けました。演劇という手法が、社会と切り結ぶことができるということを感じたのだと思います。だから、ホームレス襲撃事件が起きたとき、脚本に…という発想になったのだと思います。ただ、いわゆる、主義主張を訴えるような作品にはしたくありませんでした。大学生当時、何人もの劇作家のかたの講義を聴く機会があって、学ばせてもらっていましたが、そのなかで、宮本研さんという劇作家のかたがおっしゃったことばが、強い印象に残りました。「ぼくはね、本当に言いたいことは、絶対に せりふでは書かないの。だって、そうしたら、 そこまで、2時間57分お芝居を観てくれた、 お客さんにたいして、失礼でしょ」それだけを伝えるのであれば、お芝居である必要がない。スピーチで充分だと。演劇は、ひとがそこに生きる、まさにドラマをとおして、観客のこころに何かを伝えるもの。それは、観客一人ひとりが異なるものであっていいし、何かを強制するものではない。そんなメッセージとして、私は受け取りました。いまだに、それができているとは言えませんが、だから、自分が、社会的なテーマをもった作品を書くときは、直接的ではないかたちを考えました。ファンタジーのスタイルをとるようになったのも、もともとファンタジーが好きということもありましたが、ファンタジーにくるんだなかで、メッセージを伝えるという方法が、私には合っていたのだと思います。で、青葉ミュージカルと何が関係あるかというと、この2年目の「愛しのチャイナタウン!」のなかには、その思いがちょっと顔をのぞかせています。中学生のみんなと相談しながらつくっているので、私の考えはあまり全面的には出していませんが、人間同士が、地上であらそいあっている姿を、もっとおおきな存在が、どこかで見ているかもしれないよ…という思いが、私のなかには、いつもあります。4人の神様は、その思いを象徴したものでした。劇の内容を書くつもりだったのですが、またまた長くなってしまったので、明日にまわします。 (明日につづきます)
2011.07.15
BBS(掲示板)を閉じさせていただきました。そのいきさつは、こちらをご確認ください。2011年7月12日から、横浜市青葉区小中高生ミュージカルの10年を振り返る日記を書くことにしました。あくまでも、かめおかゆみこ個人の視点ですが、新しく参加してくれた出演者のみなさんや、青葉ミュージカルを応援してくださるみなさんが、これまでの流れと、そこにこめられた思いなどを知っていただくチャンスになれば、うれしいです。目次一覧-------------------------------------初年度の「手古奈」には、もともとはオペラの原作がありました。それを、小畑明日香さんが中学生向きの作品にテキストレジー(改訂)したので、歌はほとんど入っていなかったのです。それを、私がさらに、ミュージカル用に、歌を入れた作品にリメークしました。そんなわけで、純粋なオリジナル作品ではなかったわけです。でも、2年目は、構想段階から話し合い、地元・横浜を意識した作品となりました。中華街にも出かけ、初めてのフィールドワーク。日本と中国の歴史についても学びました。中華学校の授業の見学もさせていただきました。またそれがご縁で、中華学校に通う2人の小学生にも、出演してもらえることになりました。2人は、片道1時間近くかかる道のりを、熱心に通ってくれました。いま、どうしているかなあ~。どうやって、財政面でミュージカル公演を成立させるか。出演者からの参加費を集めること、チケットを有料にすること。助成金を申請すること。地域の企業さんなどに、協賛金をお願いすること、などなど…。出演者の参加負担金は、1人10000円。チケットは、大人999円(前売900円)、子ども500円。これは、この10年間一度も変わっていません。このかん、横浜市内では、各地で区民ミュージカルが立ち上がりましたが、私が一度調べたかきりでは、このチケット料金は、どこと比べても一番安い料金です。(同じ金額のところは、すべて、行政の主催になっていました)この年は、私の記憶では、予算は、現在の7割程度だったのではないかと思います。新作のため、大道具をつくらなくてはなりませんでしたが、現在のように、外部に発注する金銭的余裕がありません。演出の井上先生のお友だちが、製作に全面協力してくださって、できあがりました。また、舞台上の小道具の移動なども、プロのスタッフではなく、運営委員会をになう青少年指導員や、保護者のかたがたの協力を得ておこなっていたと、記憶しています。もちろんみなさん、無償で支えてくださったのです。ちょっと、固い話がつづいてしまいました。(^^ゞ明日は、少し、劇の内容についてもふれていきます。 (明日につづきます)
2011.07.14
BBS(掲示板)を閉じさせていただきました。そのいきさつは、こちらをご確認ください。-------------------------------------横浜市青葉区小中高生ミュージカルを2年目以降も継続するかどうかについて、当時、中心になっていたかたがたは、ずいぶん迷われたのではないかと思います。何よりも一番おおきな問題は、お金です。1年目、区から下りた予算は、現在の予算の約3分の1と書きましたが、結局、その金額ではおさめることはできませんでした。中心になっていただいていたかたがたの、個人的な負担もあって、ようやく、初年度の幕を無事におろすことができたのです。 実質的に、現在の予算の半分くらいの お金がかかったことになります。区からの予算があっても、そんな状態でしたから、その予算がゼロになっても、つづけることが可能なのか。そもそも、稽古期間3か月。前準備も入れれば半年以上かかる取り組みを、日頃から多忙な教員や青少年指導員のかたがたが継続していくことができるのか。不安材料は尽きなかったと思います。それでも、継続を決定したのは、何よりも、出演してくれた子どもたちの「来年もまたやりたい」という熱いエールと、見に来てくださった観客のみなさんの「来年もぜひ見たい」という強い要望。これらに後押しされたからにほかなりません。そして、あのとき、運営委員会の中心になってくださったかたがた(いまも多くのかたが継続してくださっていますが)が、あきらめずに意を決してくださったから、青葉ミュージカルはつづいているのです。2年目を迎えた、2002年。このころ、脚本構想は、中学生と共同でおこなわれていました。初年度の小畑明日香さんをはじめ、脚本を書く中学生が、ひとりならずいたのです。何度も集まっては、どんな作品にしようかという話し合いをし、それをもとに、私が脚本を書くというスタイルをとっていました。せっかくの地域ミュージカルなのだから、題材も、地域のものをとりあげたいということで、この年の題材に決まったのが、横浜・中華街。日本と中国の子どもが、ことばや、さまざまな障壁を乗り越えて、友情を結んでいくという物語。題名は、「愛しのチャイナタウン!」です。 (明日につづきます)追伸小学生のひとには、あまりおもしろくない内容かもしれませんが、みんなが関わってきたミュージカルが、どんなふうに生まれて、どんなふうにつづいてきたのかを、この機会に知ってもらいたくて書いています。最後まで読んでもらえたら、うれしいです。
2011.07.13
BBS(掲示板)を閉じさせていただきました。そのいきさつは、こちらをご確認ください。-------------------------------------2001年に、横浜市青葉区小中高生ミュージカルは誕生しました。いまから10年前。いま、小学4年生のひとが生まれた年に、青葉ミュージカルも産声をあげたのです。はじめは、青葉区民祭りの舞台発表の一環として、区から予算がおりて、無料の上演。横浜市北部中学校演劇部の教員のかたや、地域の青少年指導員のかたたちが中心になって、実行委員会は組織されました。脚本は、地元Y中学校の演劇部員だった、小畑明日香さんが書いた「手古奈」を、演出の井上弘久先生が気に入って、私が、ミュージカル作品としてリメークするかたちでの上演となりました。大道具は、Y中学校で上演したときのものを借りました。新しいものをつくるだけの予算も時間も足りなかったのです。小学1年生からを対象に募集をかけましたが、主力は中学生。それも、Y中学校の演劇部員が全員参加というかたちで、支えてもらいました。総勢55名と記憶しています。最年少だった小2のK君は、2010年度の舞台(今年1月)で、高校2年生として参加。10年というのは、そんな年月なのでした。当日は、満席のお客さまで、大好評をいただきました。その後、「手古奈」伝説発祥の地・市川で、翌2002年3月に再演の運びになります。ただ、区が主催者になってくれたのは、この年限り。つまり、翌年度からは予算はゼロになってしまいます。当時の予算は、現在の3分の1ほどでしたが、それでも民間有志で、こうした企画を実行していくことは、簡単なことではありません。実行委員会として、存続をめぐってどうするかの、話し合いをひらくことになりました。 (明日につづきます)追伸小学生のひとには、あまりおもしろくない内容かもしれませんが、みんなが関わってきたミュージカルが、どんなふうに生まれて、どんなふうにつづいてきたのかを、この機会に知ってもらいたくて書いています。最後まで読んでもらえたら、うれしいです。
2011.07.12
いましがた、BBS(掲示板)を閉じてきました。再開はありません。これまで書きこんでいただいたかたすべてに、感謝と、そして、お詫びを申し上げます。感謝は、このブログを開設して以来、約4年、見守りつづけてくださったことへの感謝です。さぼってしまうことも多かったですが、読んでくださるかたがいればこそ、こうしてつづけてくることもできました。本当にありがとうございます。ただ、ネットの普及とともに、誰でも自由に気楽に書き込みができるようになり、そのことのよさと、私自身の、対応の遅れが出るようになってしまいました。意見を言い合えることはすてきなことですが、お互いにことばが足りなかったり、相手への敬意が足りなかったりするとき、思いもよらぬ衝突や、すれちがいを起こすことになります。ここしばらく、時間がなく、ブログの更新ができないでいるあいだに、BBSなどでやりとりされていたことの一部には、そのような事態に発展してしまっていた面があります。削除することもできましたが、これらのすべての責任は、管理人である私、かめおかゆみこにあると考え、管理人の責任で、まず、BBSを閉じさせていただくことに決めました。重ねて。書きこんでくれた子どもたち、読者のみなさんには、一切の責任はありません。すべては、私の責任です。本当にごめんなさい。ブログを開設してから4年間、いろいろなことがありました。もっといえば、横浜市青葉区小中高生ミュージカルが発足してから、11年間。本当に、いろいろなことがありました。そのすべてにかかわれてきたことは、私にとって、一生の宝ものです。どんなことがあっても、その気持ちは変わることはありません。そんな気持ちを、これからしばらく、回顧日記としてブログに記していきたいと思います。こんないきさつで、横浜市青葉区小中高生ミュージカルができあがったんだなあということを、知ってもらえたらうれしいです。そして、その流れのなかに、みなさんがいらっしゃることを、わかってもらえたら、とてもうれしく思います。コメント欄は、まだ解放しておきますので、どんな書き込みをしていただいてもかまいません。回顧日記が終わったら、コメント欄も閉じます。それまでに、書きたいこと、伝えたいことは、遠慮なく書いてくださいね。私の責任で、すべてにお返事させていただきます。こころからの感謝をこめて。大好きな、青葉のみんなと、読者のみなさんへ。
2011.07.11
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