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風俗博物館のあるフロアーの中央に、六條院・春の御殿の寝殿及び東の対の建物が置かれています。メインが六條院を舞台にした展示なのですが、北西の一角に、日本最古の物語である 『竹取物語』の一場面
が現出されています。
冒頭の写真は、 飛ぶ車の前に立つ月の王と天女の一団
がかぐや姫を月の世界に連れ戻すために迎えにきたところです。
私たちは『竹取物語』という名称で親しんでいます。参考書でもこの名称でまず説明されています。実際に、『竹取物語絵巻』や『竹取物語図』が作られています。 (資料1)
『源氏物語』・「絵合」の巻には、「まず物語の元祖とも呼ばれている竹取の翁の物語に、宇都保物語の俊蔭を組み合わせて、勝負させます。左方は、『これはなよ竹の節々を重ねたように代々伝わった古い物語で、特におもしろい節もないのですけれど、かぐや姫がこの世の濁りにも汚れず、月世界にはるかに上ってしまった宿縁は、気高くすばらしく、何しろ神代のことのようですから、現世の教養の淺い女にはとても見てもわからないでしょうね』・・・・」 (資料2)
と始まる部分に出て来ます。左方は梅壺の御方。これに対し、右方は弘徽殿の御方であり、この続きは『竹取物語』の内容に右方が難癖の述べていくという描写です。
原文は、「まづ、物語の出で来はじめの祖なる『竹取の翁』に『宇津保の俊蔭』を合はせて争ふ。」 (資料3)
と記されているのです。つまり、晴れの場では、『竹取の翁』の物語と称されたようです。『かぐや姫の物語』とも呼ばれますね。

移転前のビルではフロアーの壁面で囲まれた一画に設置されていまのですが、この移転後の5階フロアーではビルの北面のガラス窓の傍が使われていて、写真を撮る位置によりプラス思考をすると、まさに天空から来迎した雰囲気がリアルに加わってくるという面白みがあります。一方、消極的思考では最古の物語としてちょっと煩わしさにもなります。
『竹取物語』は、(1)かぐや姫の生い立ち、(2)五人の貴公子と帝の求婚、(3)かぐや姫の昇天、と大きく3部に分かれるストーリーです。従って、この場面は最後のクライマックスを迎えようとする直前ですね。

地上の竹取の翁の邸が柱と扉で簡略に設定され、開かれた扉の前に、かぐや姫が立っています。求婚してきた貴公子達には難題を課して失敗させ、帝の入内の求めにかぐや姫は抵抗します。竹取の翁の困惑・疑問に対し、かぐや姫は自分が月の世界の者で、8月15日の夜に迎えが来ると告げるのです。
かぐや姫の周りに居るのは天女です。天女の一人がかぐや姫に天の羽衣をきせかけているシーンです。竹取の媼が扉の傍で跪き歎き哀しんでいます。この写真には袖と頭の一部が見えるばかりですが・・・・。
傍に説明パネルが掲示されています。その後半を引用しておきたいと思います。
「月の都昇天の目前、地上界で様々な人の情愛にふれたかぐや姫は、育ててくれた翁と媼に形見として身につけていた衣を脱ぎ置き、月の出た夜は自分の住む月を地上界から見上げてほしいと手紙を書き置いた。月の都に昇天すると人の情愛の記憶を無くすことが解っていたかぐや姫は、帝に心を込めた手紙をしたため、それに天上界の不死の薬をそえて贈った。権力や富、手に入れた不老不死の薬をもってしても叶うことのない帝の願いは、地上界に生きる人間のはかなさの代表としてこの物語に描かれる。
このように、竹取物語は人と人との愛情をテーマに、かぐや姫の生きる月の世界(天上界)の無限性と、帝や翁が生きる地上界の有限性を対比しながら描かれ、古来から民族の伝承文学の中に、神仙思想や仏教思想を取り入れて創り上げられた物語で、時を超えて伝えられる普遍のメッセージは”人の愛”にあった。」 (説明パネルを一部転記)
だれがこの物語を書いたのかは未詳です。物語は9世紀~10世紀初め頃に成立していたもので、「学識豊で和歌にも長けた男性の手によって」創作されたと考えられているようです。この物語は「羽衣説話」「致富長者説話」「求婚難題説話」などが取り入れられて構成されていると分析されています。 (資料1)
脇道に逸れます。知っているようでいて、知らないのが昔話でもあります。次の質問に即答できますか? <私は、今回再認識したこことばかり・・・・知らないことを知りました(^^); >
Q1. 竹取の翁が名付けた名前は正式には何と呼ぶのでしょうか?
Q2. かぐや姫が竹の中から誕生した時の体の大きさはどれくらい?
Q3. かぐや姫が成長し、「髪上げ」「裳着」をするまでに要した期間は?
Q4. かぐや姫が人間界に遣わされた理由はなにですか?
Q5. 5人の貴公子に課した難題は何でしたか?
Q6. 「かぐや姫の町」として知られているのはどこでしょう?
さて、本道に戻ります。
もともと、風俗博物館は古代から近代にいたる日本の風俗・衣裳を実物展示する博物館として、昭和49年(1974)に開館されたそうです。その当初の目的からも、今回の移転で「等身大の時代装束展示」の拡充を図られているようです。
今回、フロアーの西側にその一端を拝見しました。

その一つが、 「養老の衣服令による命婦礼服」
と題して、この等身大衣裳が展示されていました。
奈良時代に、それまでの大宝律令が改編されて、養老2年(718)に養老律令が発布されました。その中で衣服令という服制の大綱が確立したそうです。それが現在までの服制の伝統の始まりとなったそうです。
当時の唐の衣服に倣って、「日本の衣服の打ち合わせは、『左衽( さじん
:ひだりまえ・衽 (おくみ)
が左前になること)』が禁止され、『右衽 (うじん)
』に統一され」たといいます。養老の衣服令により、礼服 (らいふく)
・朝服 (ちょうふく)
・制服の3種に分類され、文官・武官の区別も確立されたようです。そして、桓武天皇による平安遷都後も、「平安時代前期の服飾は奈良時代を受け継いだ唐風そのもの」で、平安中期以降、国風文化が確立していく中で、『源氏物語絵巻』に描かれる服飾へと変化を遂げたのだそうです。上掲の 『竹取物語』が成立した時代は唐風の装束が普通だった
ということになります。 (資料4)


上掲パネルの説明によれば、女官である命婦は四位です。
「髪は金銀珠玉をつけた宝髻 (ほうけい) として化粧も白粉、紅のほか、花子 (かし) といって眉間や口元にに紅あるいは緑の点をつけ、衣は四位相当の深緋 (こきあか) の大袖に同色の内衣を襲ねる。裙 (も) は蘇芳 (すほう) 、浅紫 (うすきむらさき) 、深緑 (こきみどり) 、浅緑 (あさきみどり) のたて緂 (だん) に纐纈 (こうけつ) 絞りの文様をおく。裙の下には浅縹 (うすきはなだ) の褶( ひらみ 、下裳)をつけ、紕帯 (そえおび) をしめて錦の襪 (しとうず) に舃( せきのくつ :鼻高沓 はなたかくつ )をはく。衣服令に規定はないがさらに肩に領巾(ひれ、比礼)をかけている」という服飾です。



命婦礼服の背後には、 薬師寺蔵の『薬師寺吉祥天女像』
の図像が置かれています。これは、この天女像を参考にして、当時の衣裳を植物染料で具現化するプロジェクトを進めておられることに関わっています。
その一環で、平成27年度制作された大袖と裙が展示されていました。



大袖は蠟纈 (ろうけつ)
の技法により、地色は紫根 (しこん)
。裙は一の生地で、茶地唐花獅子文錦だそうです。


平安時代の公家女房晴れの装い
和風への転換
つまり、 宮中での正装
です。 唐衣裳 (からきぬも)
姿
です。現在、一般的に「十二単 (じゅうにひとえ)
」と称される装束です。この「十二単」という名称の初出は、鎌倉時代の『源平盛衰記』巻四十三に出てくる建礼門院の藤重ねの十二単だそうです。ただし、この場合の十二単は単 (ひとえ)
を十二枚重ねた略装と考えられているとか。
また、「女房装束とは、宮中に奉仕する命婦以上の女官の礼服をいうが、広く貴族の家に仕える女房の装束もいう」 (説明パネルより)
そうです。

宮中で女房は裳を決して省略することはできなかったそうです。
「平安時代の女房装束の着装上の特色は、衿 (えり)
を一ツ襟(共合わせ)にしていることと、唐衣の後身頃を裳の中に着込まないで着放っていること」 (説明パネルより)
にあるそうです。

鎌倉時代 上流武家婦人通常の正装
鎌倉時代に入ると武家が伸長し、袴が衰退すると共に、着装にも変化が現れるそうです。
詳しい内容は実物を見ながら、掲示のパネルをお読みいただくとして、途中にこういう説明があります。
「鎌倉時代初期の将軍婦人や執権夫人の幕府における通常の正装をそうていしたもので、白小袖に幅のせまい帯を締め、その上に公家風の単 (ひとえ)
と袿 (うちき)
を重ねた姿とした。」
国宝となっている鎌倉の鶴岡八幡宮所蔵の小袿・袿・単衣の写真が併せて展示されていました。

明治・大正時代 女官袿袴礼服 (けいこれいふく)
明治維新を迎え、洋服採用の大宣言が行われ、服制の転換期となります。


このパネルの衣裳は、明治17年(1884)の内達で、婦人の高等官または高等官夫人が、即位礼並びに大嘗祭に参列するときに着用したそうです。そして、大正4年(1915)の改正でこの通常礼服が通常服となったと言います。地質により、礼服と通常服を区別したとか。 (説明パネルより)


「今回の展示では、平成26年(2014)千家国麿氏と結婚された千家典子様が結婚式の際に着用された袿袴姿を参考に袿を制作。黄地に抱鸚鵡 (だきおうむ)
と手向山 (たむけやま)
という品種の紅葉の文様の袿である。足元は洋靴である。」(説明パネルから転記)
このように、等身大の衣裳展示セクションもあります。
この区画もたぶん、毎期展示衣裳の入れ替えをされていくのではないかと思います。
『源氏物語』に登場する六條院春の御殿を舞台にしテーマ毎での展示です。そこに「千年という時空を超えて、研ぎ澄まされた五感で平安時代の世界を感じていただければ幸いです」 (資料1)
というのが、風俗博物館のメッセージです。
源氏の世界を、そして平安時代をビジュアルに感じ取るために、是非一度出かけてみてください。
宇治市源氏物語ミュージアムで、源氏物語関連の講座を聴講し始めて数年になりますが、風俗博物館が私には以前より身近な感じで楽しめるところになってきました。
次回の企画展がまた楽しみです。
ご一読ありがとうございます。
参照資料1) 『クリアカラー 国語便覧』 監修:青木・武久・坪内・浜本 数研出版 p100-101
2) 『源氏物語 巻三』 瀬戸内寂聴訳 講談社文庫 p287-289
3) 絵合
渋谷栄一校訂 :「源氏物語の世界」
4) パフレット「源氏物語 六條院の生活 風俗博物館」 平成28年~展示 同館作成資料
補遺
風俗博物館
ホームページ
日本服飾史 資料
宇治市源氏物語ミュージアム
ホームページ
竹取物語「かぐや姫」-全文全訳(対照表記)
:「学ぶ・教える.COM」
竹取物語
:「国立国会図書館デジタルコレクション」
竹取物語絵巻デジタルライブラリ
ホームページ 立教大学
かぐや姫サミット
:「かぐや姫の里を考える会」
讃岐神社
スニーカーにはきかえて :「ならリビング」
かぐや姫情報いわれ
:「広陵町」
『竹取物語』発祥の地は "京田辺” その二
:「かぐや姫の里を考える会」
竹取物語は、藤原不比等糾弾の書だった
:「秦野エイト会」
竹取物語から見たジェンダー
高木香世子氏
「京都新聞」連載 「古典に親しむ 竹取物語の世界」
京樂真帆子氏 :「知の迷宮」
出雲で結婚式、千家典子さん あすホテルで披露宴(14/10/05)
:YouTube
ニュース動画の冒頭に、上記に説明のある衣裳姿が写っています。
慶祝 ご結婚
出雲大社のご案内 :「出雲大社」
写真掲載のこちらのページが衣裳の観察には便利です。
日本の服の歴史 Maccafushigi
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