遊心六中記

遊心六中記

PR

×

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

茲愉有人

茲愉有人

Calendar

Comments

茲愉有人 @ Re[1]:観照  セミ撮り日記(08/09) Jobim3さんへ 今年の暑さが、昨年とはま…
Jobim3 @ Re:観照  セミ撮り日記(08/09) 空蝉の記録をされるとは、ご立派です 何事…
2016.11.21
XML
カテゴリ: 探訪

11月初旬、2016年の 第68回正倉院展 の会期が残り少なくなったところで出かけてみました。冒頭の写真は今回の案内チラシです。
JR奈良駅から三条通、興福寺の境内を通って奈良国立博物館に向かいます。三条通を東に進むと猿沢池が見えて来ます。左側歩道に興福寺境内への少し急な石段があります。ここを上ると、左に三重塔、前方には南円堂が見えます。


南円堂を見ながら右折し、 復元された南大門の基壇 の傍を通りつつ、五重塔を眺めます。南大門の北側には、 中門跡の基壇も復元 されています。そして、現在は中金堂の復元工事が進行しています。

五重塔の北隣には 「東金堂」 (国宝)があり、本尊は薬師如来像で、四天王像(国宝)・十二神将像(国宝)などが安置されています。なんと6回も被災しているそうです。この東金堂は室町時代に再建された建物です。



現在の建物は応永33年(1426)頃の再建だそうです。高さ50.1m、初層は方三間で8.7m、本瓦葺。初層の四方、東に薬師三尊像、西に阿弥陀三尊像、、南に釈迦三尊像、北に弥勒三尊像が安置されていて、創建当初の伝統が継承されているのです。この初層の公開だったのですが・・・。またの機会に。 (資料1)

東金堂と五重塔の間の道を博物館の方に向かいます。
興福寺境内の位置関係は、こちらの 「おすすめ拝観ルート」をご覧ください。 (興福寺ホームページ)


五重塔の東側で、本坊の建物の南側になりますが、地面から上にも根を張るの大きな樹木の近くに、 「会津八一歌碑」 が建立されています。書家・東洋美術史家でもあった歌人の会津八一(1881~1956)が、興福寺をおもい詠んだ歌です。『南京新唱』収録。

 はるきぬといまかもろひとゆきかへり ほとけのにはにはなさくらしも


境内から道路を渡って奈良公園に入ると、この案内板があります。

奈良博への通路の途中、北側に 「春日西塔跡」 の礎石が見えます。紅葉した木も・・・。


これが 今年の正倉院展の図録 「漆胡瓶 (しつこへい) です。会場の中央部のガラスケースに置かれていて、周囲から拝見できるようになっていました。
ペルシャ風の水差しです。胴部が球形、注ぎ口は鳥頭形で、弓なりの把手が付いています。ササン朝ペルシャ、今のイランあたりで流行した形だとか。「本品は内外面とも黒漆を塗り、外面の全面に銀平脱技法による文様を表している」のです。平脱というのは、「漆工芸の加飾法。金・銀・錫などの金属製の栽文(文様形に切り抜いた板状のもの)を漆面に象嵌する方法」だそうです。山岳・鹿・様々な鳥たち・種々の草花などが散らすように象嵌されています。聖武天皇の遺愛品で、『国家珍宝帳 (こっかちんぽうちょう) 』に、「漆胡瓶一口 銀平脱花鳥形銀鏁連繋鳥頭蓋受三升半」と記されるものにあたるとか。 (図録参照)

今年の出展では、相対的に古文書・経典類の陳列が少なくて、装飾具や器物が多く展示されている印象を受けました。



これは2種類のPRチラシ裏面からの引用写真です。
「大幡残欠 」(番号7)(南倉)はこの部分だけで長さ458cm、身幅90cmというものです。この大型の染織幡の完全品に大幡脚と脚端飾と称されるパーツが付くと、その総長は東大寺大仏に匹敵する13~15mに及んだと推測できるものなのだそうです。残欠だけでも見応えのある大きさでした。大幡脚と脚端飾も展示されていました。
その左に雅楽で使用される 「笙 (しょう) (南倉)という管楽器です。これは総長57.7cmという大きさですが、併せて似た形状ですが、平安時代初期まで用いられていたという「竿 (う) 」(南倉)という管楽器も展示されていました。それは総長94.8cmというサイズ。どんな音色が出るものなのか・・・・・それが知りたかった思いです。
上段の番号5の展示品は象嵌装飾された 墨壺 です。大工さんが直線を引くのに用いた道具です。 「墨斗 (ぼくと) と称するそうです。長29.6cm、高11.7cm、船の幅9.4cmの大きさですが、実用というよりも儀式用ではと推測される品。その装飾をみると、そうだろうなと思えるものです。
下段の写真・左端にあるのは 「蓮華形鈴」 (中倉)で、かざり金具です。今回はいろいろなかざり金具が出展されていました。写真のような単品のものと鈴を数珠つなぎにしたものなどです。唐草文鈴、子持鈴、梔子形 (くちなしがた) 鈴、瑠璃玉飾梔子形鈴、杏仁形 (きょうにんがた) 鈴、瓜形鈴など多彩でした。
和銅元年(708)に初鋳された 「和同開珎 (わどうかいちん) (南倉)やわずか1枚が正倉院に伝わる天平神護元年(765)初鋳の 「神功開宝 (じんぐうかいほう) (南倉)という銅銭も出展されていました。わずか1枚が残されているなんて、歴史的にも貴重ですね。小さなものですが、 アンチモンのインゴット が出展されていました。『続日本紀』には同種のものが献上された記録があるというのですからびっくりです。古代の金属精錬技術はかなりのレベルを築いていたのでしょうね。 (図録参照)


今年の正倉院展で付録として見られたのが、入手したこのパンフレットにある「平瓦」の実物展示です。説明付で特別展示されていました。資料に掲載の2種類の平瓦の写真を引用させていただきまます。
一枚作り平瓦
「平瓦一枚分の粘土板を凸形の湾曲した台に乗せ、整形して仕上げる方法です。」
桶巻作り平瓦
「粘土を桶状の円筒に巻き付けた後、4分割して平瓦を作り出す技法です。」 (パンフレットの説明より)

平成23年からあ26年までの4年間にわたり、正倉院宝庫の屋根の葺き替えや部分的な修理を中心とする整備工事が行われたそうです。整備工事に伴う調査で、屋根には奈良時代の丸瓦・平瓦が残されていて、中でも平瓦は約800枚が残されていたといいます。

奈良博の展覧会会場を出た後、東大寺南大門、大仏殿などを眺めながら戒壇院を訪れるために、観光客で混雑する大仏殿への参道を通りました。

9月にこの 梓澤要著『荒仏師運慶』 (新潮社)という小説を読んでいたので、何度も見ている南大門の仁王像を改めて眺めたいのも目的でした。この小説の読後印象をもうひとつの拙ブログ「遊心逍遙記」で書いています。ご関心をお持ちいただけたら、 こちらをご覧ください

普通仁王像は門の入口で正面を向いています。門前に来たる人々を睨んでいます。ところが、ここ東大寺南大門の仁王像はそうではなくて、門を通り抜ける人々を見据え、吟味するかの如くに、門の中央を両側から眺める形で対置されているのです。この小説を読んでいて改めてそのことを再認識した次第でした。
仁王像と通称で呼んでいますが、「金剛力士」が正式の名称です。






阿形  像高 836cm

吽形  像高 842cm

最初に南大門を通る時は、太陽光線の角度・強さと前面の金網のため、顔部分くらいしか写真になりませんでした。戒壇院を訪れ、境内の一部を巡って、夕方に再びここに戻って来たときに、全身像を撮ることができました。勿論、肉眼で見るのも見やすくなっていました。

私たちが見慣れているのは、運慶ほかの作になるこの仁王像が典型となる、筋肉隆々の上半身裸の像です。その肉体の造形の誇張されたリアリティに圧倒されます。ついついこの仁王像を基準にして、他のお寺の仁王像を眺めていることがあります。

ところが「日本の古い時代には甲冑をつけた神将形が主流で、祀られるのも堂内でした。」 (資料2) 金剛杵(こんごうしょ)を持ち、甲冑の神将形で独尊のものは 「執金剛神 (しゅうこんごうしん) と称されます。その典型例は、一度だけ公開の折に拝見したことがあるのですが、東大寺法華堂の執金剛神立像(塑像)です。


南大門の内側に置かれた石獅子像。これは大仏殿の方向を向いています。こちらは宋人の石工が製作したそうです。 (資料3)




これは帰路に気づいたのですが、ここで取り上げておきます。
大仏殿の右斜め前に 「鏡池」 があります。この池に船が浮かべられていたのです。


池畔にこの案内板が置かれていました。





たぶん、もうこの池には存在しないかもしれません。
中国を代表する現代美術家の蔡國強氏が「船をつくる」プロジェクトを主宰されて、かつて東シナ海を航海した木造帆船を10人の中国人船大工が参道脇で公開製作したそうです。その完成船が鏡池を海に見立てて展示されていたのです。11月2日に正倉院展を見にでかけたのですが、10月23日までの「東アジア文化都市2016奈良市コア期間」を過ぎていましたが、展示されていたのです。


一種、不思議な感じでした。こういう船がかつては東シナ海を航行していたのですね。


東大寺大仏殿のところに「中門」があります。その両脇侍としてこれらの立像が配置されています。
西側に持国天、東側に兜跋毘沙門天 (とばつびしゃもんてん) です。

「大仏殿江戸再興期、享保元年(1716)9月に至って、大仏殿中門と南面の東西廻廊が完成し、京仏師山本順慶が一門を率いて中門安置の持国・多聞の二天の一丈三尺の像を造立し同4年(1719)正月6日に開眼法要が行われた。」 (説明板より)

この兜跋毘沙門天は、「西域の兜跋国(トルファン)に化現したと言われる特殊な異形像で、金鎖甲 (きんさこう) なる鎧を着し、三面立の冠を被り、地天及び二邪鬼の上に立つ。対面の持国天は当方を守護する武神であるが、かつて鎌倉期に復興された大仏殿中門には、現在南大門に安置されている石獅子が奉安されていたことが、鎌倉時代の『東大寺造立供養記』に記されている。」 (説明板より)


 中門からの大仏殿


少しズームアップした全景


唐破風をズームアップ。序でに獅子口をよくみると、菊紋が使われています。
まさに、歴史としての鎮護国家を祈る仏教の時代を想い浮かべます。



唐破風の下に位置する扉
この扉が開けられると、大仏様のお顔がこの空間を通して拝めるはずなのです。

  大仏殿大屋根の鴟尾
ズームアップしてよく見ると、避雷針が設置されいるようです。

中門から大仏殿を眺めたあとは、今回の目的である戒壇院に向かいます。
大仏殿の西側から戒壇院への道を歩みはじめます。

白い築地塀と緑の中に、1木の紅葉が美しい。



つづく

参照資料
1) 興福寺ホームページ
2) 『仏像の見方ハンドブック』 石井亜矢子著 池田書店
3) 古の大伽藍を偲ぶ「大仏殿前」 :「歩く・なら」

補遺
東大寺の仏像   :ウィキペディア
東大寺大仏殿中門の兜跋毘沙門天&持国天  :「続・蒼月窯だより」
仁王像特集  :「大阪ガスすずらん会」
執金剛神  :ウィキペディア
東大寺法華堂(奈良県奈良市)—紛う事なき塑像の最高傑作・執金剛神像 :「祇是未在」
天平の姿をCGで再現 東大寺の執金剛神立像  :「日本経済新聞」

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!


その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

探訪 東大寺境内散策 -1 戒壇院(戒壇堂・千手堂)へ
探訪 東大寺境内散策 -2 戒壇院の北門・中御門跡・転害門・大仏池 へ
探訪 東大寺境内散策 -3 指図堂・勧進所・道端の石塔碑群 へ
スポット探訪[再録] 奈良・正倉院 へ
探訪[再録] 東大寺境内 -1 ひっそりとした境内の路沿いに へ
探訪[再録] 東大寺境内 -2 鐘楼・行基堂・念仏堂・俊乗堂・辛国社 へ
探訪[再録] 東大寺境内 -3 大仏殿・勧学院周辺と春日野 へ
探訪 東大寺境内再訪 -1 手向山八幡宮・法華堂(三月堂)へ
探訪 東大寺境内再訪 -2  二月堂・龍王の瀧・閼伽井屋・三昧堂ほか へ









お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2016.12.09 13:44:43
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: