遊心六中記

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2016.11.25
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カテゴリ: 探訪 [再録]

正倉院の参観門を出たところで、さてどうしようか・・・・・まだ少し時間はある。目標やルートを決めていた訳でもなし、JR奈良駅に戻る方向感覚だけあれば・・・・。
東方向を眺めると、左の写真の緩やかな坂道。人をほとんど見かけない静かな佇まい。この先は巡った記憶がない所。ふと周辺を見ると、斜め前の路傍に、右の写真の境内案内図が見えました。 
 坂道を上ると南に向かう路があるならと、ふらりっと来た散策を続けることに。その先はまた途中で決めればよし。                                              [注記:探訪時期・2015年11月]


坂道を上り始めると、銀杏の黄色のグラデーションが気持ちいい。

白壁に囲われ、傾斜の緩い石段が表門に続く寺が北側に見えます。
石段を上り、門前まで行くと、 「華厳宗東大寺龍松院」 の表札が掛けられています。塔頭の一つなのでしょう。


門前から見える正面には庫裏の玄関のようです(推測にし過過ぎませんが・・・)。
屋根の獅子口には、手許の本を参考にすると、唐花菱の紋章に思えます。足元の菊花の装飾文様といいバランスです。 (資料1)

この龍松院はかつては 「大喜院」 と呼ばれていたそうです。その寺に公慶が入寺したとか。公慶は万治元年(1660)、東大寺の英慶に師事して三論を学んだ人。平安時代末期に東大寺復興を成し遂げた重源が再興した大仏殿は、永禄10年(1567)の松永三好の乱での兵火により焼失、それ以降、大仏は露座のまま雨ざらしになっていたのです。そこで、公慶は仏殿再建を決意し、江戸幕府の許可を得て大勧進にかかったといいます。そして、宝永6年(1709)に大仏殿は落慶されます。だがそれは公慶上人の没後4年目だったといいます。 (資料2,3,4)

龍松院は公慶上人ゆかりの塔頭 だそうです。そして、大仏殿再建を願う公慶上人が、大仏殿の裏側の講堂跡の礎石が残るあたりの林間を経て、龍松院と大仏殿を毎日往復されたことから、その道が 「公慶道」 と称されるようになったと言います。


坂道を上りきると、東の正面は、瓦を挟み込んだ土壁の築地塀の見える 「東大寺塔頭持寶院」 です。樹木の繁る山腹を背景にして、なかなかいい雰囲気です。ここは塔頭と明示されています。


表門の屋根の先端隅に、躍動する獅子の飾り瓦が置かれています。魔除けの一種でしょうか。そして、鬼瓦。鬼瓦には様々なバリエーションがあって、最近とみに関心を抱いています。


「寶厳院」 が続いています。ここも塔頭の一つです。
表札の表示が三者三様で、これもおもしろいなと思います。


寶厳院の門の屋根の棟の端は鬼板で屋根の頂部は丸みを帯びている感じです。鬼板は波文様です。屋根の先端の獅子の装飾瓦は、龍松院のものとはまた動きが異なります。

このあたりの地図(Mapion)は、こちらをご覧ください。




柵に阿形・吽形の仁王像頭部が 備え付けられていることです。

こんな形式のものを見るのは初めてです。これも一つの山門の形としておもしろいものです。柵に備えられていることで、守護という雰囲気がぐんと出ています。

柵から建物までの境内を拝見しました。



左方向の奧、建物の外壁前に、彫刻像が見えます。また、門から玄関口への傍には、ちょっとユニークな像がいくつか置かれています。

玄関の内側正面には銅鑼があります。お寺だなあと感じさせられる良い雰囲気です。

                                      玄関の屋根の鬼瓦
葺き替えられてまださほど年月を経てはいない感じです。ここも阿吽の鬼形です。阿形鬼の目玉はぐんと前に突き出され、吽形鬼の目玉はぐっと奧に引っ込めたコントラストがおもしろいところ。なかなか迫力がありますね。

調べてみると、第208世東大寺別当、華厳宗管長となられた清水公照師(1999年逝去)が、この宝厳院住職だったようです。泥仏庵と号し、「どろ仏」と称するユニークな小仏像を自ら制作された人らしいので、庭に彫刻類が置かれてあるのもうなずけました。 (資料5)


寶厳院の築地塀越しに、 二月堂 が見えます。

道路を隔てて西側には塔頭 「龍蔵院」 があります。逆光ぎみだったのか写真を撮っていませんでした。


寶厳院から少し南に歩くと、分かれ道です。 岐路に石仏・石塔群 があります。


東方向には、二月堂方向に向かう舗装された道と少し先で南方向に向き、築地塀の先に少し大きな建物がみえる土道があります。西方向の石敷路を含む舗装道路は大仏殿の方向です。そこで、手間の建物を見に行くことに。




建物前に駒札が立っています。 「大湯屋」(重文) です。
東西八間、南北五間という大きな建物です。一重、正面入母屋造、妻入、本瓦葺。 (資料6)

駒札にはこう記されています。
「奈良時代の創建 温室或は大湯屋ともいう。治承4年(1180)の兵火で罹災。建久8年俊乗上人再建。應永15年惣深上人修理を加え、昭和12年解体修理を行う。内部に鉄湯船あり。中世の洗浴の貴重な遺構である。 東大寺」

この鉄湯船も重要文化財として1963年7月に指定されています。鎌倉時代の作品。 (資料6)







大湯屋の傍に池があり、その傍から石段道が続いています。そこを上って行くことにしました。



方向として間違いがないだろうと思って。石段を上り始めて撮った写真です。
池面をズームアップしてみたのが右の写真。紅葉した木々が映り、一種抽象画のように。


さらに石段を上って・・・・眺めた景色。

このあたりの塔頭や大湯屋は非公開のようですので、あまり知られていないところなのかもしれません。観光客もそれほどみかけなかったのは、時間帯ばかりのせいではないでしょう。

季節折々の木々と建物の生み出す色彩の変化を静かに味わう散策にはいい場所だと思います。異なる築地塀の生み出す雰囲気も楽しめる場所。そして、屋根から睨む様々な鬼たちとご対面するのも楽しい散策路です。

ご一読ありがとうございます。

参照資料
1) 『歴史探訪に便利な日本史小典』 日正社
2) 公慶   :ウィキペディア
3) 公慶   :「コトバンク」
4) 江戸期再興-公慶上人の活躍-   :「東大寺」
5) 清水公照  :ウィキペディア
      清水公照師略年譜   :「清水公照師関係」(りーちあーと)
6) 東大寺大湯屋   国指定文化財等データベース

【 付記 】 
「遊心六中記」としてブログを開設した「イオ ブログ(eo blog)」の閉鎖告知を受けました。探訪記録を中心に折々に作成当時の内容でこちらに再録していきたいと思います。ある日、ある場所を訪れたときの記録です。私の記憶の引き出しを兼ねてのご紹介です。少しはお役に立つかも・・・・・。ご関心があれば、ご一読いただけるとうれしいです。


補遺
大湯屋   :「コトバンク」
東大寺・大湯屋
Q 東大寺大湯屋は湯浴?蒸気浴?    :「みんなのQ&A」(OKWAVE)
上司海雲  :ウィキペディア

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Last updated  2016.12.09 14:03:28
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