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茲愉有人 @ Re[1]:観照  セミ撮り日記(08/09) Jobim3さんへ 今年の暑さが、昨年とはま…
Jobim3 @ Re:観照  セミ撮り日記(08/09) 空蝉の記録をされるとは、ご立派です 何事…
2016.12.15
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カテゴリ: 探訪 [再録]


「廬山寺」 は前回ご紹介した清淨華院の南にあり、寺町通の西、つまり京都御苑側には後でご紹介する梨木神社があります。現在の住所で言えば、上京区寺町通広小路上ル一丁目、北之辺町です。 正式には「廬山天台講寺」 と称し、天台宗の一派、円淨宗の本山です。


拝観の際受付で戴いた四つ折りリーフレットの表と裏を撮ったもの。


拝観券です。白描源氏絵「浮舟」の一場面でしょうか。手許の本には同種の場面が「白描絵入『浮舟』冊子第一図」として紹介されていますので。 (資料1)




廬山寺の沿革について、この 駒札・沿革説明 とは少し異なる説をご紹介します。ご紹介する伝えからさらに史料が発見され上掲写真にある説明ができるのかもしれませんが・・・。

門前の石標に表記の元三大師・良源(慈恵大師)が天慶元年(938)に北山に与願金剛院と号する一宇を創建したのが廬山寺の始まりだとか。寛元3年(1245)に後醍醐天皇の勅願により船岡山の南麓に移転し、法然上人の弟子住心房覚瑜(かくゆ)が再興したそうです。「覚瑜は中国の廬山にならって蓮社をむすび、不退念仏の道場とし、名も廬山天台講寺とあらためた」 (資料2) のです。別に、「住心房の戒香薫修に応じて、中国の廬山の恵遠法師が来現し、廬山の二字を残して姿を消したので、寺名を改めて廬山天台講寺とし」 (資料3)
天台の別院となり、天台・法相・真言律・浄土の四宗兼学の一大拠点になったのです。いまでも、船岡山の南側、鞍馬口通よりさらに南に、東の大宮通と西の千本通とを繋ぐ「廬山寺通」という通り名が残っています。 こちらの地図(Mapion)をご覧ください。

応仁の乱で焼亡するまで、船岡山の南に廬山寺があったのです。

そして、天正年間に現在地に移転します。門前の説明(駒札と沿革)では天正元年(1573)に移転としています。手許の本には天正13年(1585)に移ったというつたえを記しています (資料2) 。いずれにしても、現在地に移転したのは、秀吉による京都の都市改造計画よりも少し次期が早いようです。

廬山寺の境内地が源氏物語の作者・紫式部の邸宅跡であると明確に考証されたのは、角田文衛博士であり、その発表は昭和40年のことでした。

山門を入るとすぐ右手に手水舎があり、水槽には 「廬山」 の文字が刻されています。



正面に 「大師堂」 があります。ここも天明の大火後に再建された堂宇です。
石灯籠には「元三大師拝前」の文字 が見えます。
(資料2) されていて、大師像は「元三大師の自作像」(資料3)とつたえるとか。リーフレットには自作像という説明は載っていません。

この大師堂で毎年行われる節分会、悪疫退散の行事として行われる追儺式は 「鬼の法楽」 として有名です。通称は「鬼おどり」。新聞報道でもよく取り上げられています。一昔前に、一度この行事を拝見したことがあります。
調べて見るとこの行事は、元三大師の修法中の故事にちなんで、大正末期頃に年間行事の一つとして創始されたようです。意外と新しいなと感じる反面、はや90年近い歳月が経つ行事でもあるのです。

「びんずる様」 が安置されています。

大師堂を右側に回り込むと、

日本画家・池田遙邨の筆塚 がまず目にとまりました。
駒札に略歴が記されていますが読みづらい。京都市立芸術大学芸術資料館の「池田遙邨」についての略歴記載をご覧いただくとわかりやすいです。 こちらからどうぞ。 (資料4)


境内を回り込んだ正面、つまり東側にこの 黒塗りの冠木門と築地塀 が見えます。



その右手前にあるのが 紫式部と彼女の娘・大弐三位(賢子)の歌碑 です。
歌碑の右に賢子の歌、左に紫式部の歌が刻されています。

 有馬山 猪名の笹原 風吹けば
   いでそよ人を 忘れやはする         大弐三位

 めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に
   雲かくれれにし 夜半の月影         紫式部

娘・賢子の歌は、『後拾遺集』(恋三、709)に撰収されています。「小倉百人一首」ほかにも所収されている有名な歌。「かれがれなるをとこの、おぼつかなくなど、いひたりけるに、よめる」という詞書が付されている歌です。
紫式部の歌は、「校定紫式部集(定家本系)」の冒頭に所収の歌。
こちらにも長い詞書が付されています。「早うより、童友だちなりし人に、年ごろ経て行きあひたるが、ほのかにて、十月十日のほど、月にきおひて帰りにければ」と。『新古今和歌集』には「七月十日頃」で載っています。 (資料5)
これは紫式部が、父の赴任先である九州の筑紫に伴われて行った幼友達とのつかのまの再会を詠んだ歌なのです。『新古今集』(雑上、1497)に撰収され、また「小倉百人一首」にも所収されています。 (資料6)

この冠木門に向かって左側にこの 案内板 があります。
北側に本堂(御仏殿)、本堂に入るための玄関があります。この玄関で拝観受付です。
本堂は南面していますので、この冠木門の向こうが本堂の南庭であり、いわゆる「源氏庭」なのです。
この「源氏庭」が拝見したくて、寺町通を歩く序でに境内拝見だけでなく本堂と源氏庭を拝観しました。

本堂内は撮影禁止です。阿弥陀三尊座像ほか諸像が安置されています。来迎の三尊仏で平安時代の作。また、鎌倉時代の重文・如意輪観音半伽像が安置されており、洛陽三十三ヶ所観音霊場の32番札所の本尊となっています。 (資料7,8)

本堂脇に源氏物語関連の品々(レプリカを含む)が展示されています。
長押のところに、源氏物語や紫式部関連の報道記事など(外国の報道を含む)が額入りで懸けてあります。

そこでいよいよ 「源氏庭」 です。 一番見応えのあるのは、紫の桔梗が咲き誇る6~9月末 だそうです。多くの人々がその時期には来訪されるとか。
草花は咲いていませんが、白砂と苔の庭を静かに眺めることができました。
ざわざわしていず、季節はずれもいいものです。

いろいろな位置から撮ってみました。

本堂の外縁西端側からの眺め
ここから見ると、川の流水が海に注がれていく感じがします。苔の創り出す緩やかな曲線とU字形、直線の組み合わせが動きを生み出しています。
入江の入口に、小島があるようにも見えます。

外縁の東端側から西へ移動していきましょう。





こんな具合です。中央から南を眺めると、まさに大海にそれぞれに入江のある島が点在する景色。
東端に少し写っている建物が本堂とつながっている「尊牌殿」(御黒戸)です。
「黒戸とは宮中で云う仏間のことで、仁孝天皇が宮中で祭られていた光格天皇と新清和院皇后の御尊牌が安置されている」 (資料6) のだとか。リーフレットには、少し大きさの異なる黒い扉で金色の装飾文様の付けられた厨子の写真が載っています。

「紫式部邸宅址」と刻した碑 が庭に配されています。
これは新村出博士が揮毫された文字を刻したものだそうです。
「この邸宅で紫式部は結婚生活を送り、一人娘の賢子 (かたこ) を育て、源氏物語を執筆した。それは平安京の東に接した中河と呼ばれる地にあり、現在の廬山寺の境内を中心とするところに営まれていた」 (資料7)







鐘 楼


冠木門のある築地塀の南角に、 「廬山寺陵 参道」 という石標があり、築地塀沿いに東方向への細長い参道が見えました。ここも拝見しました。そして、事前の情報、知識不足から、ラッキーと感じたものを発見しました。

次回にご紹介します。
つづく

参照資料
1)『源氏物語ハンドブック』 鈴木日出男編 三省堂 p114-115
2)『昭和京都圖會 洛中』 竹村俊則著 駸々堂 p33
3)『京都史跡事典コンパクト版』 石田孝喜著 新人物往来社 p258-259
4) 美術家略歴 :「京都市立芸術大学芸術資料館」
  http://jupiter.kcua.ac.jp/muse/index.html
5)『紫式部集 付大弐三位集・藤原惟規集』 南波 浩校注 岩波文庫 
6)『百人一首』 鈴木日出男著 ちくま文庫 p124
7) 拝観時に入手のリーフレット(写真上掲)
8) 第三十二番札所 廬山寺  :「洛陽三十三所観音巡礼」

【 付記 】 
「遊心六中記」としてブログを開設した「イオ ブログ(eo blog)」の閉鎖告知を受けました。探訪記録を中心に折々に作成当時の内容でこちらに再録していきたいと思います。ある日、ある場所を訪れたときの記録です。私の記憶の引き出しを兼ねてのご紹介です。少しはお役に立つかも・・・・・。ご関心があれば、ご一読いただけるとうれしいです。

補遺
池田遙邨  :ウィキペディア 
角田文衞  :ウィキペディア 
藤原兼輔  :ウィキペディア 
大弐三位  :ウィキペディア

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!


その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


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Last updated  2016.12.17 14:34:00
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