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Jobim3 @ Re:観照  セミ撮り日記(08/09) 空蝉の記録をされるとは、ご立派です 何事…
2016.12.15
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カテゴリ: 探訪 [再録]

                                                                                    [注記:探訪時期・2014年2月]
寺町通が今出川通と交差する北東角 に、 「史跡 大原口道標」 が建てられています。
秀吉が京都の都市改造として「お土居」を築きました。この名称は前回触れていますが、その目的は3つあったようです。
「その一つは洛中洛外の境の確定である。二は洛中の治安の維持と、外敵の防衛戦としての役目をもたせた。三に鴨川・紙屋川などの氾濫に備えたものである」 (資料1) といいます。

そして、 このお土居で洛中から洛外への出入口を10ヵ所に限定 したのです。古来からある「京都七口」とさらに3つの出入口を加え、10の関門を設けたというわけです。
この 「大原口」は古来からある「京都七口」の一つ
大原口は龍華超えとして、出町から大原、朽木越えで近江・若狭へ向かう起点だったのです。
朽木を越えると、保坂が分岐点になり、水坂峠を越えて熊川、小浜に至る道が「鯖街道」と呼ばれた「若狭路」だったのです。保坂から今津の方に出て、海津・疋田・敦賀へ向かう道が「西近江路」となり、越前・越後へとつながっていきます。かつては「大原口」が重要な起点だったことがわかります。 (資料2)


今出川通を横断し少し南に下がったところの京料理のお店「よしくら」の看板を掲げた壁に沿った屋根瓦の上に見つけた 鍾馗様


この南で寺町通は京都御苑の一筋東側を南進します。京都御苑への最初の門がこれ。
寺町通から門が見えたので、ちょっと立ち寄ってみました。 「石薬師御門」 です。

門を入ったところに、 「京都御苑ごあんない」の案内板 があります。御苑のどの門のところにも、同様の案内板が設置されています。私にとって、この門は初めてくぐりました。
門を少し入ったところで、四方を眺めてみましょう。




北、西、南、東のそれぞれの方角です。



すぐ南には、寺町通西側に 「市立京極小学校」の建物 があります。
構内の道路面に、 ヒマラヤスギ (マツ科)が植えられています。駒札によれば、「昭和13年、本館および講堂が新築された際、寺町通通例の並木として植樹」されたのだとか。1938年ですから、樹齢76年余ですね。平安建都1200年記念事業として、平成6年11月に、 「京都市立学校・幼稚園 名木百選選定樹木」 となったのです。駒札記載では「高さ約13m、幹まわり145cm」だとか。


「本禅寺」 。光了山と号する法華宗陣門派の大本山です。
応永13年(1406)本圀寺の僧日陣上人が開基となり、四条堀川に一宇が建立されたのですが、天文5年(1536)の法華の乱で焼失。天文9年西陣桜井町に5世日覚上人が再建し、秀吉の命でこちらに天正19年(1591)に移転したとのことです。
本 堂
壁面が漆喰の壁塗りになっているようです。宝永・天明の大火で類焼した経験を踏まえた再建後の対策なのでしょうか。京都のお寺ではこういう感じの本堂を初めて目にしました。本堂には本尊法華題目・釈迦・多宝仏が安置されているそうです。

釈迦堂


お寺の門前に石標が建てられています。ここには扁額にもあるように、日蓮上人の念持仏とつたえる金銅釈迦立像が安置されているとか。

門を入った左側に鐘楼があります。
「鐘楼にかかげる銅鐘(桃山)は、慶長11年(1606)豊臣秀頼が大阪の法安寺に寄進したものといわれ、德川家康が大阪の陣に陣鐘として用い、のちに大久保彦左衛門忠教に与え」たもの (資料3) で、彦左衛門がこの本禅寺に寄進したそうです。大久保家はこの寺の檀越だったそうです。境内墓地には大久保彦左衛門忠教とその一族の墓があり、また画家岸駒 (がんく) とその一族の墓もあるといいます。岸駒は金沢で生まれ、円山派ほかの絵を学び、江戸時代後期に京都で活躍し岸派の祖となった画家。「写実を基盤にしながらも、小刻みに震えるような運筆を多用して、独自の表現を確立した。特に虎の絵を得意とし、その頭骨や手足を入手して制作の参考にしたという。」 (資料4)


本禅寺の南隣で、まず目に入るのがこの勅使門です。


その南に 「清淨華院 (しょうじょうけいん) の山門があります。

門前に立って目にとまったのが、 「山科言継公墓所」という石標 です。中世の日記史料として『言継 (ときつぐ) 卿記』がよく引用されていますので、ああここにお墓があるのか・・・というのがこのお寺の第一印象でした。(残念ながら墓所は拝見していません。)

駒札に詳しく記されていますが、浄土宗の総本山の一つ。もともとは慈覚大師円仁の創建による禁裏内道場で当初は土御門内裏の近くにあったそうです。天台四宗兼学です。「清浄な華 (はな) の台 (うてな) を望むという意味から、清淨華院の名を賜った」 (資料3) と言われています。それが後に法然上人に下賜されて浄土宗寺院になったそうです。その後、二条万里小路、元淨花院町(京都御所の西)への移転を経て、現在地の三転したといいます。
本堂(御影堂)


本尊は法然上人像




本堂左前には、たぶん六地蔵尊でしょうか、石仏立像に囲まれるように大きな 五輪塔 が建立されています。地輪の正面には 「焼亡横死百五十人之墓」 と刻されています。「天明8年(1788)正月29日夜、洛東宮川町の団栗辻子より出火した火は、折からの強風にあおられ。鴨川を越えて京都市中の大半を焼きつくし、多くの被害者を出した」 (資料3) つまり、 天明大火 です。このときの無縁被害者がここに葬られているそうです。

その斜め右前に小祠があります。

「大方丈」 の左前方には、 「篤姫」曽祖母・智満方 (ちまのかた) の墓、宝篋印塔 があります。

篤姫の大河ドラマが報道されてから、この駒札が建てられたようですね。
ひょっとしたら、それ以前は何の標識もなかったのではないかな・・・・そんな気がしますね。

阿弥陀堂
大方丈の前、西側に位置します。阿弥陀如来坐像を安置。
      本堂から納骨堂への回廊の一部



お堂の中には、白色の阿弥陀如来坐像が安置されています。

手許の本には、昭和59年9月に描かれた当院の鳥瞰図(竹村俊則画)が掲載されています。それと現状を対比すると、この作画時点の後に、阿弥陀堂や旧不動堂などが境内で移築されたことがわかります。

境内から山門を眺めると、右側に 不動堂
このお堂には、 「身代わり不動」 として名高い不動明王像が安置されているそうです。
その霊験談をしるしたのが、駒札にも記載の紙本着色『泣不動縁起』です。これは『証空絵詞』ともいわれています。

江戸時代の名所ガイドブックがこの身代わり不動について次のように記載しています。
「いにしへ三井寺の智光法師、重病をうけしとき、安倍晴明諸神に祈りて曰く、もはや命終の期来れり。徒弟の中に身代りに立つべき僧ありやと問ふ。ときに弟子三十六人の内、聖空といふ僧出でて、われ師の身代りになりて命を断つべきといふ。そのとき聖空が常に持念しける不動尊、夢中に示現して宣ふやうは、汝が誠心を感じてわれまた聖空の身代りに立つべきと告げ給ふ。忽ち師の房智光法師も病?を免れ全身となる。今に霊験いちじるし」 (資料5) この霊験談、鴨長明の書いた『発心集』巻6に記載があるそうです。 (資料3)

清淨華院の南隣が「廬山寺」です。
こちらではお庭と建物内を拝観しました。
項を改めて、ご紹介いたします。

つづく

参照資料
1)『京都史跡事典コンパクト版』 石田孝喜著 新人物往来社 p49-51
2)『日本の街道ハンドブック』 稲垣史生[監修] 三省堂
3)『昭和京都圖會 洛中』 竹村俊則著 駸々堂  p36-38
4)『京の絵師は百花繚乱 『平安人物志』にみる江戸時代の京都画壇』
   京都文化博物館開館十周年記念特別展  図録   p275
5)『都名所図会』 竹村俊則校注 角川文庫  p58

【 付記 】 
「遊心六中記」としてブログを開設した「イオ ブログ(eo blog)」の閉鎖告知を受けました。探訪記録を中心に折々に作成当時の内容でこちらに再録していきたいと思います。ある日、ある場所を訪れたときの記録です。私の記憶の引き出しを兼ねてのご紹介です。少しはお役に立つかも・・・・・。ご関心があれば、ご一読いただけるとうれしいです。


補遺
史跡 御土居  :「京都市情報館」 
御苑案内図 利用ガイド  :「京都御苑」 
大久保忠教  :ウィキペディア 
天下のご意見番、大久保彦左衛門  :「幸田町」 
岸駒  :ウィキペディア 
江戸時代の画家・岸駒(がんく)の作品が掲載されている資料を見たい
 :「レファレンス協同データベース」 
虎図 佐伯岸駒筆  :「夜噺骨董談義」 
岸派の成立とその芸術  きんばらひろゆき氏 :「柴田泰山ギャラリー」 
山科言継  :ウィキペディア 
山科言継と酒  :「戦国浪漫」 
天明の大火  都市史24 :「フィールド・ミュージアム京都」 
天明の大火  :ウィキペディア 
天明の大火(出火地点と類焼範囲の地図)  :「災害から文化財を守る会」 
「不動利益縁起絵巻」  重要文化財 :「e國寶」
  「泣不動縁起絵」、「証空絵詞」の名でも知られる。 
市内の指定文化財 日陣上人御筆御本尊  :「蒲郡市博物館」

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!


その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


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Last updated  2016.12.17 14:30:52
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