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2017.02.26
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カテゴリ: 探訪 [再録]
芭蕉句碑 のご紹介から始めます。 
   [探訪時期:2013年9月]
午後の出発前の集合場所が琵琶湖河川事務所東隣の南郷水産センターです。
この正面の広場の東サイドにこの句碑が建てられています。

芭蕉はこの近江の地とは結構関わりの深い人です。
滋賀県内の各種の探訪企画に参加して現地を訪れたもので思い浮かぶものの第一は、勿論 義仲寺 です。そこに芭蕉の墓があるのですから。
義仲寺関連の拙ブログ記事は、後日こちらに再録したいと思っています。


JR石山駅前からこの上桐生までは帝産バスが運行されています。


上桐生のバス停近くに、この案内板があります。
ここは 湖南アルプスへの登山口 になっています。



山道を歩き始めるとすぐに、こんなモニュメントが右手に見えました。



近づいて見ると、男女の子供が何かをみつめながら語り合う小ぶりな彫刻像があり、その背後にモニュメントがあります。説明板を見かけなかったので、充分にはメッセージをくみ取れません。しかし、私はそのイメージを考えていて、ふとテコの原理で井戸から水を汲み上げる「跳ねつるべ」のシャフトを連想しました。


そして、 この場所は「桐生若人の広場」として教育キャンプ場になっています。
当日も、どこかの団体なのでしょう、大勢の子供達がキャンプしていました。一群の人々が指導者や保護者と一緒に、山を登って行くところに出くわしました。

 キャンプ地の先に、こんな石碑が建てられていて、

その傍にある 説明碑 はまだま新しいものです。

オランダ堰堤を見るための道中での通過点になってしまっただけでしたが、帰宅後この説明内容を読み、ネット検索してみて補足情報を得ることができました。

江戸時代には禿げ山に なっていたそうです。田上山は古代以前、樫や檜に覆われた美山だったそうです。山自体が花崗岩地質のために乱伐後、樹木の再生能力が弱いということも重なるようです。
旱天が続くと干魃被害を受ける地元農家の困窮に対し、 惣兵衛という人が灌漑対策として水溜池の築造を実施したのです。それが三田六池として現存します。
上桐生町の地図(Mapion)はこちらからご覧ください。

その惣兵衛さんの功績を顕彰するために、昭和19年頃に地元の人々がこの 「三田六池創設者惣兵衛之碑」 を建立されたのだとか。

三田六池はこのキャンプ場からすると、草津川を挟んだ対岸の先になります。地図で確かめると南西の方向です。池のそばに建てられていたこの顕彰碑が、道路拡幅工事の影響で、この地に移設されたという経緯があるようです。 (資料1)


これこそ、広い意味で行基の系譜につらなる社会事業の一つのように受け止めました。

”明治初期の田上山 (たなかみやま) は、日本三大はげやま地帯の一つであった。近代砂防が始まる前の山の状態は「南北一里半東西一里余にわたる間は、荒廃して頳 (あか) く一点の緑色も視ざりしなり」と記録されている。” (資料2) そんな状態だったのですね。


これが オランダ堰堤 です。

手前の山道の曲がり角に、この肖像が建てられています。

この名称の由来もとになった人物、 ヨハネス・デ・レーケ です。
オランダ出身の人で、砂防工事の技術者として明治新政府のお雇い外国人となったのです。 明治6年(1873)に来日し、帰国するまでの30年余の間、日本各地での治山治水、砂防対策に数多くの足跡を残しています。今回、事後学習をしていてそのことを知りました。

田上山の砂防をこのデ・レーケが指導したとされています。 そこから彼の出身国オランダが堰堤に冠されることとなったのです。

このオランダ堰堤が歴史的土木施設として、土木学会選奨土木遺産に設定されたことを示す標識です。 「日本の産業遺産300選」にも選ばれているようです。 (資料3)
ただし、明治6年(1873)に草津川流域を巡視した記録は残っているけれども、直接に計画に関わったという記録は残されていないようです。 (資料4)


この辺りから湖南アルプスへの山道らしくなるのですが、そこに 「オランダえん堤」の説明板 が建てられていて、この堰堤の構造図も出ています。


実際に堰堤(ダム)に近づいて眺めました。
「このダムは鎧型とゆるいアーチであって、洪水時の越流水は階段状の法面( のりめん 、傾斜面)にあたってやわらげられ、ゆるいアーチによって流勢を河心に向かわせる」 (資料2) そうです。
正面から見ると鎧のこざねが繋がっている感じがします。

ダムの上から近づいて見ました。

石積みはアーチを描き、かつ階段状であることがよくわかります。

説明板の構造図を参照すると、このダム上面の石敷きは幅5.8mとのこと。

構造図を拡大すると理解しやすいでしょう。

アーチ型の堰堤は堤長が34mです。花崗岩の切石は20段に積み上げられています。

「下流面の切石は奥行きが長く(牛蒡積みという)、空積みになているが、内部を粘土でつき固め、貯砂だけでなく貯水もできるように造られている。これが貯水が山中に湿気を与え、樹木の生育を助けると考えられていたからである。」 (資料2) そんな考え方によるダムなのです。
 ダムの先端に至る川の貯水雰囲気はこんな眺めです。
花崗岩質の山地だからでしょうか、岸辺と川底の砂は非常に細やかで、靴で踏んだ感触が実にやわらかでした。

このオランダ堰堤を実際に設計したのはドイツに留学していた経歴を持つ内務省土木局の技師田辺義三郎氏だったそうです。彼は天神川流域の鎧ダムや野洲川流域の大山川堰堤の計画設計を行い、明治22年に施行されています。このオランダ堰堤も明治22年の竣工と指定されています。

デ・レーケが招聘された大きな目的は、淀川の治水工事であり淀川を大型船が往来できるようにすることだったようです。デ・レーケは「治水は治山にあり」という考え方を実践したのです。この田上山一帯は淀川上流にあたります。そこがはげ山であるという点が大きな問題だという認識です。

「この辺りの山地はもろい花崗岩でできているため、乱伐により保水力を失った山から一気に流れ出る雨水によって、岩は削り取られ真砂となり、雨が降ると山から大量の土砂が流れ出し、川筋に大きな被害を  もたらし、さらに、川の水によって運ばれた土砂が、淀川下流や河口部に堆積し、水上交通を困難なものにしていました。」 (資料5)
それで、砂防ダムを造り、荒廃した山に植林をする治山が治水に繋がるという考えの実践ということになります。その考えやダムの築造を指導したのがデ・レーケだったようです。

この日も家族連れの人がダムの下流の砂地の端で休日を楽しみ、小さな子供が水遊びに興じていました。

デ・レーケの肖像の斜め前、登山道の反対側にはちいさなお堂があります。

「南無観世音菩薩不動明王」と書かれた額 が懸かっています。

その後、オランダ堰堤の下流約60mのところに、副ダムが築造されます。川床の低下を防ぐのがねらいだったようです。明治24年の竣工です。

こちらも花崗岩の切石で階段状に積まれています。




デ・レーケは数々の足跡を残して、1903年に日本を離れ、その10年後の1913年にオランダのアムステルダムで死去したとのこと。享年72歳。
一方、田辺義三郎は明治22年、胸の病により31歳の若さで亡くなったといいます。 (資料6,7,8)
築かれてからはや100年以上の歳月が経っているのに、オランダ堰堤は健在です。砂防ダムとして役割を果たしている、すばらしい水辺の土木遺産です。

ご一読ありがとうございます。
つづく

参照資料
1) 桐生の歴史を訪ねる  :「近江歴史回廊倶楽部」 
三田六池創設者の碑(上田上桐生町) :「大津のかんきょう宝箱」 
2) 当日配布資料
 「オランダ堰堤」 村上康蔵氏(滋賀県立大学名誉教授)
3) 『オランダ堰堤・大津市田上』  :「滋賀文化のススメ」
4) 田上山中の堰堤群
オランダ堰堤と鎧堰堤   :「近江水の宝」 
5) オランダ堰堤  「知っ得! 大津豆知識」:「大津e湖都市場」
6) 砂防と緑化にかけた先哲たち  田上山七賢人物語 :「琵琶湖河川事務所」
7) オランダ堰堤  滋賀森林管理局 :「近畿中国森林管理局」
8) オランダ堰堤  大津の歴史事典 :「大津歴史博物館」

【 付記 】 
「遊心六中記」としてブログを開設した「イオ ブログ(eo blog)」の閉鎖告知を受けました。探訪記録を中心に折々に作成当時の内容でこちらに再録していきたいと思います。ある日、ある場所を訪れたときの記録です。私の記憶の引き出しを兼ねてのご紹介です。少しはお役に立つかも・・・・・。ご関心があれば、ご一読いただけるとうれしいです。

補遺
井戸  :ウィキペディア
跳ね釣瓶の庭  :YouTube
ヨハネス・デ・レーケ →  ヨハニス・デ・レーケ  :ウィキペディア
鎧ダム(鎧堰堤)  :「観光データベース」
オランダ堰堤の解説シート   :「土木学会」
デレーケ堰堤群
京都府山城町を流れる天井川・不動川の源流部
  京都府下にも、デ・レーケの足跡があったのです。初めて知りました。

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!


その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


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Last updated  2017.02.27 14:41:26
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