遊心六中記

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2019.10.24
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カテゴリ: 探訪
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京阪電車宇治線、JR奈良線の両方に「六地蔵」という駅があります。京阪電車の駅から北西方向に約600mほどのところに 「六地蔵」交差点 があります。そこは伏見区桃山町東町です。 交差点の北西側に「大善寺」が位置します 。南北の通りの東側歩道から撮ったのが冒頭の景色です。
近世は宇治郡六地蔵村と称し都市近郊の集落でした。昭和6年(1931)に京都市に編入され伏見区桃山の一部になっています。大善寺は桃山町西町に位置します。
冒頭の門は、大善寺の境内としては東門にあたるようです。

門の傍に「六地蔵尊」と大書した角柱形の大きな看板が立っていて、その南側にお寺の案内掲示が2つ設置されています。後で触れたいと思います。案内掲示の少し南側にいしぶみが建てられています。

道標 の東面には「 みき京みち 法名未徹 」と刻されています。つまり、冒頭の景色に見える東門前の道路が京道に相当することになります。
道標の南面には「 ひたりふしみみち 」と刻されています。六地蔵交差点で西方向の道路が伏見道です。大善寺の正門はこの伏見道に面しています。これも後ほどご紹介します。
右側の写真は、この道標の北面です。「 ひたり わうはく/うち 道 」と刻されています。つまり、六地蔵交差点を伏見道とは逆に左(東)方向に進めば、黄檗/宇治に至るという表示です。 (資料1)

古来、六地蔵は、京都より宇治を経て大和に至る街道の要所として早くから開発されたところでした。付近には大和街道に設けられた「木幡ノ関」<=伏見山(桃山)の東南端にあたる>というのがあったそうです。 (資料2,3)


上掲写真に見える案内板の一つの説明文の冒頭に、六地蔵が交通の分岐点だったことが記されています。



こちらは2013年5月に大善寺を訪れた時に撮った東門です。右は境内から眺めた以前の門です。
今は、門が現代風に様変わりしています。



              庫裡(寺務所) 


入母屋造の屋根の棟の鬼板には菊花文がレリーフされています。

参道を西に進むと、本堂が見えます。 松の傍に石碑 があります。「 臥龍松 」と刻されています。こう称される老木の松がここにあったのですが、今は二代目の松に転生しているといいます。 (資料4)


自然石を穿って手水鉢にした様な石や五輪塔の残闕の塔身(水輪)を積み上げた石塔などを配してあるのがおもしろい。

本堂は南面しています。近年に一部修復工事が行われたようです。


                 2013年5月に訪れたときに撮った本堂です。
  本堂前に、この香炉が新しく設置されていました。

私が惹かれたのはこの香炉の口縁上部に設けられた 六体の小さなお地蔵菩さま です。



六体すべては同じスタイルなのですが、お顔を含めてその彫りが少しずつ違っているのです。手彫りの仕上げなのでしょうね。

本堂は間口が六間で入母屋造の屋根の側面を正面にした形式です。そこに唐破風屋根の向拝が付いています。正面に「 浄妙殿 」と記された扁額が掲げてあります。
この本堂は、宝永年間(1704~1710)に山科の勧修寺の宮殿を下賜されて移築したものと言います。 (資料3,4)

趣の異なる蟇股が二段に組み込まれています。上の蟇股はかなり欠損が見受けられます。向拝の頭貫の装飾はシンプルで、木鼻の造形も簡素化されています。

浄土宗 のお寺で、正式には 法雲山浄妙院大善寺 と言います。 通称として「六地蔵」と呼ばれています
寺伝によると、705年(慶雲2年)藤原鎌足の子、定慧によって法雲寺として創建されたと言います。そうだとすると、飛鳥時代文武天皇の時代ですから、仏教が広がる初期段階ということになります。852年(仁寿2)に、三井寺の智証大師が勅を奉じて伽藍を整備し、天台宗に改めたそうです。応仁・文明の乱後に寺は衰退しましたが、1561年(永禄4年)3月4日、頓誉琳晃上人が正親町天皇の勅を奉じてこの寺を浄土宗として再興され、大善寺と改められたと伝えられるそうです。 (資料3,4)

本堂前に、神前灯籠形式の 石灯籠 が置かれているのが興味深いところです。 右の石標 が何を意味しているのか不詳です。穿たれた円形の穴の周囲には花弁様の薄肉のレリーフがほどこされています。

まずは、探訪の主目的である地蔵堂を拝見に向かいました。

お堂は 六角堂 です。お堂の前に跪き、熱心に祈っているおばあさんがいらっしゃいました。

「六地蔵堂」と記された扁額 が正面に掲げてあります。



お堂の傍には、 「根本 六地蔵尊」「元勅願所 大善寺」と刻された石標 が献燈されています。
正面の格子戸から、堂内を拝見しました。

堂内の床面は四半敷に敷瓦(甎)で舗装されています。

正面の奥に檀が設けられていて、その中央に地蔵菩薩像が安置されています。
六地蔵の名の起こりとなった地蔵菩薩像(重文・平安)です 。像の上半身だけを拝見できる形です。
その両側に、左に黒い色の厨子、右には小ぶりな赤漆塗りと思われる厨子が置かれています。
大きな黒い厨子の前には、「小野篁」という木札様のものが置かれています。小野篁の像が安置されているとのこと (資料4) 。右の厨子は不詳です。



「像高1.6メートル、寄木造り、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ等身像」 (資料2) です。この像は、平安時代の初め852年(仁寿2)に小野篁が木幡山から桜の木の一木を切り出して、その一木から六体の地蔵を作り、この地に納めたとされていて、その一体がこの地蔵菩薩像だと言います。

小野篁は、849年(嘉祥2)48歳のとき、熱病を患い意識を失い、冥土で地獄に落ち苦しむ人々を救っている僧に出会ったのです。その僧が生身の地蔵菩薩だったとのこと。
地蔵菩薩は、小野篁に次のようなことを語ったとか。上掲案内板の記載を以下に転記します。
「この地獄だけでなく、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上など六道の迷いの世界を巡りながら縁のある人々を救っている。全ての人々を救いたいが、縁の無い人を救う事はできない。私にとっても残念な事だ。貴方はこの地獄の苦しい有様と地蔵菩薩の事を人々に知らしめて欲しい」と。

「1157年(保元2)後白河上皇の勅命により、平清盛が西光法師に命じて、京都の街道の入り口六ヶ所に六角堂を建て、一体づつご尊体を分置されました。最初に六地蔵巡りをされたのが、西光法師といわれています。これが六地蔵巡りの始まりです」 (案内板より一部転記)

この引用部分と同趣旨のことが、江戸時代に出版された『都名所図会』の「六地蔵」の項に記されています。
「本尊地蔵菩薩は仁寿二年小野篁冥土赴き、生身の地蔵尊を拝し、蘇りて後、一木を以て六体の地蔵尊をきざみ、当寺に安置す。保元年中に平清盛西光法師に命じて都の入口毎に六角の堂をいとなみ、この尊像を配して安置す。今の地蔵巡りこれよりはじまる」 (資料5)
また、この主旨の最初の記録は、13世紀半ばに成立した『源平盛衰記』にあると言います。 (資料4)

西光法師(?~1177)とは、平安時代後期の政治家藤原師光のことだそうです。後白河法皇の近臣として威をふるった人物ですが、鹿ヶ谷で平家追討をはかり清盛に殺されたと言います。 (資料4)

 屋根の鬼瓦

六地蔵巡りについては、別の説もあります 。上記『源平盛衰記』には「西光卒塔婆事」に西光法師が地蔵信仰から「七道ノ辻ゴトニ六体ノ地蔵菩薩」をつくって巡礼したとあるそうです。つまり、「四宮川原、木幡ノ里、造道、西七条、蓮台野、ミゾロ池、西坂本」の七箇所とされているのです。それぞれに「六体」の地蔵をつくったとも読める文章が記録されているとか。 現在行われている六地蔵めぐりを中世に始まったものとするには慎重な意見が出されている と言います。そして、寬文5年(1665)「晩秋仲浣日」の奥書がある 「山城州宇治郡六地蔵菩薩縁起」 において、六地蔵めぐりについて触れていることに注目し、「寬文年間になってから伏見六地蔵大善寺の住僧が、企画発案者となって他の五箇所の仏寺に呼びかけ、賛成を得てこの洛外六地蔵参りという地蔵仏事を作り上げたものと考えられる」 (真鍋廣済 1960) と論じられているそうです。また、この縁起を翻刻紹介されている書物では、「本縁起は当時の大善寺僧の発案にかかり、時の権力者伏見町奉行水野石見守忠貞の奥書によってこれに権威づけしようとしたものではないか」 (梅津次郎 1957) という見解も提起されているとか。さらに 『浄土宗寺院由緒書』 という史料の六地蔵大善寺の項を参照併用し、 その発案者が寬文5年当時の大善寺住職であった諦誉と推定する見解 が出されています。 (資料6)
いずれにしても、地蔵信仰の広がりの中で、 江戸時代初期に京都において現在の六地蔵巡り形式の原型が確立されることになった ということでしょう。
一方、同時期に、三十三所観音巡礼になぞらえ、京都では 「洛陽三十三所観音巡礼」 が始まっていると言います。また、 「洛陽二十四箇寺地蔵廻」 も始まっていると言います。この「洛陽二十四箇寺地蔵廻」には、六地蔵巡りの六ヶ所は含まれていません。 (資料6)

それでは、六地蔵堂の北隣りにある観音堂の拝見に移りましょう。

つづく

参照資料
1) ​ いしぶみ 京道/伏見道 [道標] ​ :「フィールド・ミュージアム京都」
2) 『昭和京都名所圖會 洛南』 竹村俊則著 駸々堂 p362
3) 『京都府の歴史散歩 中』 京都府歴史遺産研究会編 p244
4) 『新版 京都・伏見 歴史の旅』 山本眞嗣著 山川出版社 p90-92
5) 『都名所図会 下巻』 竹村俊則校注 角川文庫 p97
6) 『京都地蔵盆の歴史』 村上紀夫著 法蔵館 p25-31 

補遺
六地蔵めぐりのまわり方 ​  :「Amadeusの『京都のおすすめ』」
京の六地蔵巡り ​ :「京都観光チャンネル」
洛陽三十三所観音霊場巡礼 ​ ホームページ
洛陽三十三所観音霊場 ​ :「京の霊場」
地蔵二十四ヶ寺  京都名所案内図会 ​ :「国立国会図書館デジタルコレクション」

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こちらもご覧いただけるとうれしいです。
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Last updated  2019.10.24 20:23:01
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