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2024.04.19
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カテゴリ: 観照

第Ⅱ部はテオティワカン文明
<Ⅱ テオティワカン 神々の都>というタイトル になっています。

テオティワカン文明は、「 前100年頃、メキシコ中央高原の海抜2,300mほどの盆地に興り、後550年頃まで栄え 」、「約25K㎡の都市空間に、最大10万人ほどが住んでいたとされます。その民族、使われていた原語や文字などはわかっておらず、謎の多い文明です」 (案内パネルより)
テオティワカンは一大宗教都市 だったと考えられているそうです。
それ故、<神々の都>なのでしょう。
この地図を部分拡大します。

死者の大通り(④)の北端に「月のピラミッド」(①)があり、この死者の大通りに面して、東側には「太陽のピラミッド」(②)と「羽毛の蛇ピラミッド」(③)が並んでいます。当時の人々の世界観がこの都市の中心地区に表れています。死者の大通りを中軸に建造物が整然と配置されているのです。

(案内パネルより)

第Ⅱ部の始まりは、 <Ⅱ-1 太陽のピラミッド> です。
太陽のピラミッド
このセクションでは、壁面全体を使いこのピラミッドの景観写真パネルが設けてあります。
観光客とピラミッドのスケール比を考慮しながら、写真パネルを眺めると迫力を感じます。

「太陽のピラミッド」は、死者の大通りに面し、 日没の方向にむいて建てられ、高さ64m
西暦200年頃の建設で、その後に増築 されています。 テオティワカンで最大の建造物
地下にトンネルがあり、最奥に王墓があったと推定され、王墓の上に建てられた神殿と考えられているようです。

真っ先にコレ!
「死者のディスク石彫(セキチョウ)」 安山岩 赤い彩色痕 テオティワカン文明 300~550年
1964年の発掘調査により、太陽のピラミッドの正面の「太陽の広場」から出土。
中央の頭蓋骨は口から舌を出し、鼻の開いた穴にはナイフが差してあったとみられています。頭蓋骨の周辺には光が放射状に放たれるようなモチーフの装飾ディスクが彫り込まれています。
メソアメリカでは日没は死、日の出は再生を意味するものとされました。地平線に沈んだ(死んだ)夜の太陽を象徴すると解釈されているそうです。


「マスク」 緑色岩、黄鉄鉱 高さ10.8cm、幅11.2cm テオティワカン文明 150~250年
ピラミッドの中心付近で出土。テオティワカンで確認されている最古のマスクだとか。
瞳に黄鉄鉱が使われています。王墓に捧げられた奉納品と考えられるとか。


「頭飾りとペンダントを着けた小立像」  緑色岩 高さ16.2cm、幅5.1cm 
 テオティワカン文明 150~250年
この像、かつては耳飾りも着けていたとみられています。


「小立像」  緑色岩、貝、黄鉄鉱 高さ25.9cm、幅7.4cm 
 テオティワカン文明 150~250年

この二種の立像は、ピラミッドの中心付近で出土。儀礼品セットの中心付近に倒れた状態だったと言います。 実在の高貴な人物、あるいは生贄となった人物を表すか?  同定するデータに欠けるそうです。



「火の老神石彫」  安山岩、彩色 高さ60cm、幅66cm テオティワカン文明 450~550年
頭の上に火鉢を載せて います。2012年に太陽のピラミッドの頂上部から出土。
頂上部での火に関わる儀式で使われたとみられる そうです。
同神の石彫は多くは住居群でみつかるとか。本作は最大で、通常使われない顔料も残っていたといいます。



太陽のピラミッドと死者の大通りの景観写真パネル がもう一つの壁面に展示されています。
大型写真パネルは会場の雰囲気を大いに高めます。

<Ⅱ 月のピラミッド> のセクションに進みます。
月のピラミッドは地図の①のところです。太陽のピラミッドに続き、 2番目に大きなピラミッド
「発掘調査により、このピラミッドは 西暦100年頃に建設され、その後約50年おきに、一回り大きなものへと、6回の増築が行われた ことが明らかになっています。増築時には生贄が豪華な副葬品とともに捧げられていて、その数は37人に及びます」 (案内パネルより)
付近での出土品から、このピラミッドが月や水などを象徴していたと考えられることから、この名称がついたようです。


月のピラミッド の前には、 「月の広場」を囲む形で、 小、中型の神殿ピラミッド が対称的に設置されています。 月のピラミッドの頂点は、背後にそびえる聖なる山の頂上と重なる様に設計され ていると言います。

「耳飾りを着けた女性立像」 ヒズイ輝石岩、黄鉄鉱、貝 高さ30.6cm、幅11.4cm
 テオティワカン文明 200~250年 月のピラミッド 埋葬墓2出土

「首飾り」 貝 長さ49cm、幅64.5cm(マウント) テオティワカン文明 200~250年
 月のピラミッド 埋葬墓2出土

「立像」  黒曜石 高さ49.8cm、幅12.4cm  テオティワカン文明 200~250年
 月のピラミッド 埋葬墓2出土

月のピラミッドの埋葬墓2からは、両手を後ろで縛られた生贄1体とピューマやオオカミ、ヘビやワシなどの動物と、上掲3点他の副葬品が出土したのです。


「モザイク立像」 蛇紋岩、ヒスイ輝石岩、貝、黄鉄鉱 テオティワカン文明 200~250年
 月のピラミッド 埋葬墓6出土

上:「蛇形エキセントリック(両面加工石器)」  黒曜石 高さ39cm、幅7cm
下:「ナイフ形エキセントリック(両面加工石器)」  黒曜石 高さ45.6cm、幅8cm
テオティワカン文明 200~250年 埋葬墓6出土
蛇形は羽毛の蛇神、ナイフ形は嵐の神が持つ稲妻 を示すと言います。

「錐(キリ)」 ヒスイ輝石岩 上:長さ11cm、下:長さ9.6cm 
 テオティワカン文明 200~250年 月のピラミッド 埋葬墓6出土
「埋葬墓6の生贄2体の肩に刺さった状態で発見された。王や高位の神官が行う『放血』という自己犠牲の儀式を示すものか。素材のヒスイはグァテマラから運ばれたもの」 (説明文転記)

埋葬墓6からは、生贄12体が出土。上掲の副葬品は墓の中心部から出土したそうです。


「小坐像」  緑色岩 高さ6.1cm、幅3.5cm テオティワカン文明 250~300年
 月のピラミッド 埋葬墓3出土 
この墓には、異なった装飾品を着けた男性の生贄4体が並行に並べられていたそうです。
「中央二人の陰部近くに、他の奉納品と共に置かれていた。・・・・ 神官を示す逆T字形の頭飾り と、取り外し式の耳飾りを着け、 高貴な人物にのみ許される胡座 の坐像は、生贄犠牲者に関わる王族メンバーを表しているのかもしれない」 (図録説明より) とか。


「耳飾り、首飾り、ペンダント」 ヒスイ輝石岩 テオティワカン文明 300~350年
 耳飾り:(左)幅7.8cm、(右)7.5cm 首飾り:長さ47.5cm 
 ペンダント:高さ4.5cm、幅10.8cm 月のピラミッド 埋葬墓5出土 
埋葬墓5では、生贄3体が胡座の姿勢で発見されました。 中央の中心人物がこの装飾品セットを身に着けていた そうです。
展示品の説明文には、「 3人の被葬者はテオティワカンの拡張期に争ったマヤの生贄だった可能性がある 」とのこと。図録によると、 このような装飾品セットは、マヤ圏ではマヤ王権のシンボル として出土するそうです。

<Ⅱ-3 羽毛の蛇ピラミッド> のセクションに進みます。

死者の大通りの南端 で、 通りに面して、一辺約400mの大儀式場「城塞」 があり、 その中心神殿が「羽毛の蛇のピラミッド」 です。
この大儀式場には都市の住民10万人を収容可能な規模 だそうです。



このピラミッドの写真パネルに見える 正面階段の両側の基壇部分 がさらに拡大され 展示室壁面を飾っています。 壁面を飾る石彫の実物がこの写真パネルの前に展示されて います。
その一つが、

「シパクトリ神の頭飾り石彫」  安山岩、漆喰 高さ82cm、幅145cm 
 テオティワカン文明 200~250年
「シパクトリ」は時(暦)の始まりを象徴する創造神 です。



「羽毛の蛇神石彫」  安山岩、漆喰 高さ61cm、長さ185cm
 テオティワカン文明 200~250年
羽毛の蛇神は天上界を治める太陽を、明けの明星として導く金星のシンボルであり、地上界においては民を治める聖なる王権の象徴 とされる。
羽毛の蛇ピラミッドは 聖なる王権を誇示し、羽毛の蛇神により授与される戴冠式を表す メソアメリカの最初のモニュメントだった」そうです。


「指令棒(采配)」  木 長さ56.5cm、幅8.2cm テオティワカン文明 200~250年
権力の象徴である羽毛の蛇神の頭部が彫られています。


「鼻飾り」 緑色岩 上:高さ7.1cm、幅6.5cm  下:高さ6.5cm、幅7.8cm
 テオティワカン文明 200~250年
上は、「ガラガエヘビの尻尾を象ったもので、高位の戦士か神官の象徴」
下は、「シパクトリ神の頭飾りに付随するモチーフで、権力を象徴」


地下トンネルを描き加えたピラミッド図のパネル が展示されています。

2003年には、羽毛の蛇神ピラミド下に地下トンネルが偶然発見された と言います。
地下トンネルの長さは103m、入口は垂直の穴で深さ15m に及び、水平にピラミッドの中心に向かっているそうです。内部が既に盗掘されていて、本来の機能は不明だとか。 このトンネルの最奥部に王墓を備えていた可能性が高い そうです。


「立像」  緑色岩、黄鉄鉱 高さ50.5cm、幅20.5cm テオティワカン文明 200~250年

「立像」  緑色岩、黄鉄鉱 高さ36.5cm、幅14.8cm テオティワカン文明 200~250年
この男性像は荷物を背負っている姿だったそうです。


「トランペット」  貝 高さ20.5cm、幅39.5cm テオティワカン文明 150~250年
投槍器を持った人物が描かれています。

「トランペット」  貝 高さ23cm、幅40.5cm テオティワカン文明 150~250年
ワニに似た神が描かれています。
これらは、 巻貝の先端を切り取り、吹き口とした楽器 です。修験者が携えるホラ貝を連想しました。
これらトランペットに 描かれた図は、マヤ様式の図像に類似 しているそうで、 遠隔地との交流 があった証拠になります。


「嵐の神の土器」  土器 高さ28.5cm、幅21cm テオティワカン文明 150~250年
農業に欠かせない雨を司る嵐の神 はテオティワカンでは最も重要な神のひとつです。
水差し容器です。


「椀」  土器、漆喰、彩色 高さ10.8cm、口径43cm テオティワカン文明 200~250年
「オレンジ色で、表面がよく磨かれた薄い容器は、テオティワカン南のブエブラ地域で生産され、市場での交換のために持ち込まれた」 (展示説明を転記)

上掲の立像から椀までの展示品は地下トンネルの最奥部から出土したもの といいます。

テオティワカン文明の展示の最後は、 <Ⅱ-4 都市の広がりと多様性> というセクションです。

つづく

参照資料
*特別展会場に掲示のパネルや説明文
*図録「特別展 古代メキシコ -マヤ、アステカ、テオティカワン」2023

補遺
​古代都市テオティカワカン-太陽と月のピラミッドがそびえる神々の都市 ​:「世界遺産ガイド」                
テオティワカン ​  :ウィキペディア
​​ 太陽のピラミッド ​ :ウィキペディア
月のピラミッド ​  :ウィキペディア
月のピラミッド、太陽のピラミッド、死者の通り ​ :「富山国際大学」
太陽と月のピラミッド、テオティワカン ​ 地球が見える2007年 :「JAXA」
2993点の太陽のピラミッド ​ :「gettyimages」 
435点の月のピラミッド ​  :「gettyimages」
1191点の羽毛の蛇のピラミッド ​ :「gettyimages」

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

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Last updated  2024.04.27 16:17:58
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