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チヌマンダイ よく 分からない 林言葉です。 あしみじやながし ゆたる ふぬふとば むかし ふぉとぃば ゆいいやさーーさ むかしfぅとぃば・・・。 てすみ 学問やー ひるくしらちー 昼句しらちー ゆいやさーあさー ひるくしらちー 。 品ジャンちゅ 朝戸や ゆんたの 言語の違いがあることは 誰もが強いている。 アガサ ねーラビは はてな。
2009.01.30
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ヨロン版意外なところに みちするべがたった。 ミナタ海岸へ 0.8キロ 今朝 犬と散歩したら 納得。 旧道だった。 私は 旧道保存会に 入会しようと思っていた矢先。 神様 仏様 きり様・まほめっ戸様 もろもろの 八尾の神様 TOTO かな氏。
2009.01.30
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為元 と書いて タミムトゥ と発音する。 ダメモトでは決してない。 益田 と 山田 の 為元さんがおりました。 現代では考えられない 名前である。私は 盛窪の名前を頂戴したので 名前にはこだわりを持っています。 元圃先生も 名前にはかなりこだわったと 祖父から聞いたことがあります。 圃の字を当てられたことに 意味があるのではないだろうか・・・?ウプどーナタ、の 大田むら圃さん が圃を形度っています。 麦やと古里 叶 立長 茶花 何で 東区 と 西区 難でしょうか。 区長と 間切り 行政区を分けた時代が会ったのでしょう。 ものとはば・・・、 くちびるさむし 秋の風。 今朝は あけぼの ようようとしるくなりける。 ぱんちかしゃいえーしが とぅすい りぼー に ブララジナティ やっけーな フトゥえいでーびゅん。 船倉海岸 にあるという 鳩の泉 どんな旱魃にも 水が溜まる 与論島 七不思議
2009.01.30
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会議に振り回されているような 最近である。環境対策関係の寄り合いが数件あって、 なんとかメドが立ったような気がする。 今日は 熱帯果樹の研修会。 現地で指導を受ける。 農業技術普及センターの指導のよろしきを得たり。 この夏に マンゴーの実がつかなかったら 私の 会長職の首が飛ぶだろう。 真剣勝負。
2009.01.29
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熱帯雨林のガイド 自然が主人公 プリシアリゾートの紹介で講習会後初のガイドのお客が来てくれた。ガイドの心得を復習して準備をしているところに、電話がきて、お客様の都合で30分遅らせてもよろしいですかとのこと。かまいませんです、都合に合わせます。車を出して必要品を準備しようとしたところ、前輪の左がパンクしていることに気がついた。えええ、予備タイヤもパンクしている。女房がいつもの竹村自動車(ハニーオート)に電話して、大至急。難を逃れた。だから予備の車が必要なんだよ・・・。待ってる間に 久しぶりに車の掃除をした。あいにくの小雨だったが、なんとか無事にお客様の予定コースを時間内に納めて、到着。目出度し目出度し・・・。昼食を済ませ、奄美旅行センターでヨロンマラソン完走植樹の打ち合わせ、そして、2回目の環境対策会議の、現地視察のバスの中で携帯電話が腹にビビと来た。プリシアです。お客様のデジカメのケースが車の中に忘れていませんでしたか?あれ、・・ 終了にほっとして 点検忘れていました。最後で ドジッテしまった。会議を終えて、家に帰り座席を調べたが見つからない。現地で撮影した時の様子を思い出し探しに行ったが見つからなかったので、プリシアにその旨報告。パナウル診療所で定期健診後、もう一度座席を丹念に探してみた。見つかった。以外なところに・・、心の目で探さなければならないと、つくづく思った次第。相手の人の気持ちなっていなかったのだろう。思い込みが強すぎてはいけないとも。
2009.01.27
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トマトの誘引作業をした。20本しか植えてないので、そんなに時間がいるわけではないが、 仕立て方を忘れてしまって、又も自己流で吊り下げたあと芽かきをしているとき、 芽挿しのことをふと思いついて、大失敗に終わった秋蒔きキュウリの後作をトマトにすることにした。トマト栽培については、企業経営型の完全管理された溶液栽培の実際をTVでみるにつけ、筑波科学万博で目にした現実を実感している。農業経営がまさしく変化している実態がここにある。与論島にトマトやナスの園芸作物が導入されたのは昭和20年代の後半の頃だと思う。父の記録からであるが、同時の導入されたカボチャが与論カボチャとして定着したことは承知のとおりである。その後、昭和60年代に入り、ウリミバエが撲滅された際にトマト・ナス・ピーマン・メロン等々が奄美の特産輸送野菜として目玉にあがって、各島々で試作がされたところである。それはさておいて、トマトはたの作物に比べ、低温でも栽培が可能な野菜であった。与論では冬から春にかけての栽培が有利であることも分かった。何で輸送野菜としての産地形成ができなかったというと、単価が安く、輸送費がかかりすぎりので、収益性が低いためであったと思われる。インゲン豆が有利だと与論の輸送野菜農家が判断して現在に至っている。しかし、トマトは必需品。自給野菜農家が専門職として島内需要をまかなうため頑張っているが、まだまだ移入が大半であろう。トマトに限らず品種が多様化し、消費者の要求を満たすには毎日が勉強と努力の繰り返しだ。それが又、生産者の励みであり喜びにつながる。生きがい農業といえるような 栽培技術を取得したいものである。一時 ファーストとともに流行ったトマトだとおもっているが、現在はミニトマトにおされぎみでしょうか・・・? 思いだして 一気にしゃべってしまった。お前はしゃべりすぎと 又いわれてしまう。 上から呼んでも トマト。 AWA awa あわ。 組み合わせて 名札を考えた。
2009.01.27
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「農業法人シャロン農園」に農業研修に来ている方に、私の農作業の手伝いをしてもらった。土日が休みだということだったので、一昨日は炭焼き体験を見学したあと、島内の主な果樹農家の農園を案内した。熱心にメモを取ってたので、うかつなこと、知ったかぶりが出来なくて困ったが、滞在中に私の圃場で作業を手伝ってもらうことになったので、後半は正直に、考えていることをしゃべることができた。昨日は幸いに風が止んで、晴れてくれて、ビニールを張るには好都合であった。午後から用事があるとのことで、午前中の作業工程を立てて準備したかいがあって、予定どうりの作業が終えられた。今のところ、マンゴーの農作業は順調に進んでいる。花芽が見え出したので、交配の準備にかかりたい。 これからも、こういった研修生を受け入れながら、農業体験のツアーガイドの勉強をしていきたい。果樹の作業は年間を通してあれこれとプログラムすることができる。サトウキビとサトイモの圃場をこれから考えていきたい。果樹のほかに、50アールの圃場があるのでこの部分を体験農場として考えていきたい。また、いらぬこと考えて、妻に怒られそう・・・。今日は 旧正月一年の計は 元旦にあり。今朝も元気で歩き出そう。 瀬良(シーラ)海岸
2009.01.25
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許容能力と記憶していた。風船を膨らませる時いくらまで空気を入れられるのか・・、と同じように、与論島において どれだけの旅客を受け入れることが出来るのかを考えたことがあった。その頃、水資源開発報告書を読んでいたので、水質問題に興味を持ち始めた。島では まずは水の確保であるのは確かだった。食料や施設は資本さえあれば なんとかできるが・・・、水はどうなのだろうかと・・・。都会生活をしていた時は水はただ同然に思っていたからである。 許容能力に最大と最小があると知らされたのは先日のエコツアーガイド講習会での講義の最中だった。これだけだったら許される。許容能力はミニからマムまであるとの意識は私に欠けていた。規制をする場合、この許容能力をどこで区切るかが難しいところであろう。法を犯したもので、この判断を下すのが裁判所であろうが、事故が想定される行事の開催など、管理責任者の危険予知能力が試されるのであろう。危険予知能力のキャパシティで行事が何時も行われているのに気がついてなかった。ツアーガイドをするにあたり自分が管理責任者である自覚をもっと考えたいと思った。それと同時に自然の保護と開発においても、絶対にダメか、どこまでなら許されるかとかの知識も必要だと認識することが出来た。法は絶対ではなく、世の中の変化や、解釈や判断そして裁かれた事例などで絶えず変化しているとの思いを新たにした。私は現場主義に陥る傾向にあるが、法律の知識をもっと得る必要に気がついた。 エコツーリズム講習会から学んだこと。 ソデイカ 与論町漁港にて
2009.01.25
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「エコツアーガイド養成講習会in与論島」日本エコツーリズムセンターの講習を3日間受講することが出来た。とても充実した時間を過ごすことができた。気分も高揚しついつい本音で発言してしまったと、しまったことも言ってしまった。 先進地事例の代表者の方の講義は身近さがあって、「やれば出来る」の感動を覚えた。沖縄との交流をさらに深めなければならないと思う。「自分が変わる」「地域が変わる」「そしてみんなが変わる」地域興し・村づくりは先ず一歩から。歩みだしたら止めてはならぬ。泊まる人を増やすことだ。誰がやるのかを待ってるだけではダメダメ元でいいから 私からはじめよう。すでに始めた ツアーガイドのパンフを見直し再スタートさせよう。みんなと足並みをそろえて。広瀬先生に惚れました。
2009.01.24
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馬鹿げたように思った夢が いつかは叶うように望みは多角 あしもとは ほそくしっかりと。 エコツアーガイド講習会の最終日。 終了証書を目当てに 今日も元気で早おきてしまった。
2009.01.23
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山羊の種類は216種あるとは ネット検索で知った。今回預かって飼っている山羊はオスとメスともに、立派な角がある。前回預かった山羊にはオスであったが角が生えてこなかった。それで品種を検索してみたのである。が、結局は分からないでいる。私が知っているのは、トカラヤギとザーネン種、そして在来とである。黒くて小さな変わった山羊が飼われているのも見かけている。それから、鹿児島大学の農場から分けてもらった、どこかの在来種もある。前那間小学校の校長が仕入れたと話していた。さて、角のない山羊は 原種なのか 交配種なのか調べてみると面白いだろう。山羊は簡単に交雑するようである。かつて、山羊の増産奨励にザーネン種を導入し、よう麻痺なる病気で失敗した事例を思い出してしまった。獣医さんの運転手を勤めたことがったので、そのおかげで畜産農家と交流ができた。かつては、島内の畜舎のすべてを回った思い出がある。牛にけられたことはなかったが、度々ふんずけられたし、牛の糞とは仲良しこよしだった。踏んだりけったりとは、 仲良くなことなんだなー。そんなことがあったが、何かの縁で 八木さんとお知り合いになれて 目出度し目出度しの人生である。
2009.01.22
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「エコツアーガイド養成講習会in与論島」初日に参加した。楽しくて有意義な講習会でした。二日酔いだったので 悪臭と変態的行動でご迷惑をおかけしました。ガイドは止めて欲しいと言われなかったのは幸いだけれど、明日は真面目に受講したい。初日から自分の求めてきた道を確認することが出来て良かった。インフルエンザで受講できなかった方がいて残念だけれど、行政から一人は受講生がいて助かった。締め切れオーバーだったので、仕方ないとしよう。代表理事の ホールアース自然学校に入門手続きをしようと考えてしまった。止めたらお終い 続けることだ。 やっぱり 牛の歩み 一歩一歩 それが大きい。山羊の角の話を明日はしてみよう。
2009.01.21
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面映い年度末になると 行事が多くなる。 取り越し苦労をしないためだろうか。 今日は、じつは昨日決算・税務研修会 に勉強しに入った。 解りやすくて 実例を使って それと 私の顔色をみてくれて 話がきけた。 桃色深刻所はないかと コメントを入れたかったけれど 丁度時間切れ。 経済学は 物理学でいかなくては と思う昨今。 昔 山羊を写真で 探してみます。
2009.01.21
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牧野富太郎 の4巻は積読でした。またの 記録で恐縮ですが 個人を偲びつつ いきてる内に書いておこう。 S、56、1.19 晴天の穏やかの日だった。集中力がなく総合方策つくりは進まなかった。午後は牧野先生と濃密指導圃のカボチャ収を1時間ぐらいかかった。丸ア グループは1、500箱ぐらい出荷になりそうだった。H清国さんの、オクラ、実エンドウ、Mさんのハウスをみて役場にもどり、植物防疫所のIさんが来島しているというので挨拶、それから、キビの試験圃場で刈り取り、南島開発(製糖工場)に寄って、事務所見学、5時半から植防のとの懇親会。7時半頃までのおつきあいでした。アルコールは一滴も飲まなかったが、無駄な時間だったと思う。農協のT課長などよくつきあうものだとあきれてしまう。どれぐらいしなければならないだろうかと考えさせられる。大切な用事以外は遠慮したい。 カボチャの値段が思わしくない。3千円~3千500円、今が最盛期だのに残念だ。カボチャ+インゲンの作型を実際に試してみたい。 個人主義と言われようとも、自分の信念を通したい。おつきあい、おつきあいでは勉強する暇もない。健康にもよくないし・・・。もっと強くならくては。 PM10:20
2009.01.19
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その後経過は順調の様子です。 お世話になっております。
2009.01.18
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S.56.1.17 カボチャの収穫を夕方までかかって、南の畑、イーヌパル、トンネル栽培の途中まで、明日にイーヌパル(上)、ナガダ、北の畑(トンネル)を残している。今日、1,200キロ程を収穫しただろう。Mが手伝ってくれたおかげで搬出が手際よくいった。体育部会の新年会、生花教室、そして新年会があるというので遅くなるとのことであった。たまには羽を伸ばすのもいいだろう。父とさきほど(9時半)まで700個(カボチャ)の玉みがきシール張り、残りは明朝、父がみがいておくことだろう。トンネルのカボチャに傷果や、形のよくないのが意外に多い。それに収量も悪いようだ。今年は300万の生産は無理な様子だ。南の畑に黒マルチをしてインゲンを植えたらどうかと思う。2月の初め頃にNに手伝ってもらって植えられたら、4月初旬の収穫となる。インゲンは確実だと思う。 母は明日のエメラルドあまみ丸で帰る予定だ。Nが迎えに行った。入院費に20万、チャーター機に10万かかるというから、あれこれ合わせて50万ぐらいはかかることになろう。出費がかさんで大変だ。健康で働けたら、100万や200万そう気にやむこともあるまい・・・、明日に希望がもてるのはすばらしいことだ。 農業総合推進方策を作り出しているが、なかなか難しい。町制要覧、振興計画、与論町構造診断等参考に、あれこれ文をつないで作成している。農政全般にわたる為大変勉強になる。今月中に原案を仕上げて来月からは村づくり方策にかかりたい。総合推進方策、村づくり方策をどうしても作成して、3月にははなしあい運動協議会に諮りたいと考える。必ずやり遂げなければならない。来週は手作り農産加工場管理運営規約案の作成もあるし、26~31日まで出張だし心を引き締めてかからなければ、総合推進方策はできあがりそうもない。来週は夜の2時間を総合推進方策づくりにあてよう。そうでもしなければとても3月までに村づくり方策はできあがらないだろう。 今晩はこうして机にむかうことができ充実感を味わえる。日々の出来事をふり返り考えることは大切なことだ。我武者羅に生きることだけでは味気ない。こうしてレコードを聴きながら静かに日記を書くゆとりを持ちたいものだ。 PM 10:45
2009.01.17
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ドクターヘリ に登場してもらうとは夢だにも思っていなかった。浦添から転送されたようである。 弟とは 父と母の看病のため 何度も世話になった。 まさかの時にいつも右腕、右足、左指。 積善の家に余慶あり と 祖父がとうていた。 祖父はトラ 未だとらないでください。 苦しい時の神頼み。
2009.01.16
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酔っ払いには あたりまえにおもえるけれど ありがちな風景。 猫と 山羊と ドウキンの生活が続くいま・・・。 なみのせのせに ゆられてゆれて せつなさよ。なんとかなるさ。 めがね の浜 寺崎
2009.01.16
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先日の ユンヌカルタ大会で思い出したことがある。ポプラ社から出版された こども文学館ズッコケ「宇宙大旅行」に那須正幹(まさもと)、前川かずお先生のサインを頂いたことがあった。 竹 正太郎くん 二00五年六月十九日 財宝調査隊 又 お会いできればと思いました。にっしんこうのいろはがるたを マッチャンさんに教えてもらいたい。 これは 竹のこ ひねくれているので らっきょう竹と呼ぶらしい。 酔い竹を 遺伝子組み換えではよう創ってよ。 二日酔い気味。
2009.01.15
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小雪 今朝も寒い 私の山羊農法 と題して 堕農(てぬきのうぎょう)について語ってから数年が経つ。雑草を食べさせようとの思いがその根底にあった。願わくば、山羊汁にして食べようとも思っていた。最初にもらって飼った山羊には 妻が「小雪」と名前をつけた。飼っているうちに 情が移り ペットになってしまった。 最初に生まれたのは白と黒の子山羊。白いのは隣のヤカにあげた。黒が大きくなって、いつの間にか小雪のおなかが大きくなり、黒と白の子山羊が生まれた。これは大変だと思い、小雪だけを飼う事にした。雑草畑の草も次第に食べつくされてしまったので、ウシ小屋が開いているので、小雪をそこに移動して、木の枝や雑草を刈ってきて食べさせた。時がたつと、小雪がそわそわしてよく泣くようになった。それを聞いた知人が、発情がきているので交尾が必要だという。それで、ミナタ海岸につなぎ飼いしている山羊の集団に連れて行って2日間見合いをさせた。オスが5頭いたのでどれの子か分からないが、妊娠していた。臨月になっていたが、沖縄に用事ができて夫婦ででかけた間に、小雪を死なせてしまった。それから、暫くして父も旅立った。何かの知らせであったようだ。叔父のときは 鶏だたが・・・。やっと、死の悲しみもとれたので、又山羊農法を思い出して、今度は雄を飼うことにした。幸いに那間のある方の山羊を預かることができた。大きくなったら、農業祭りで潰してみんなにふるまうとの約束であった。オスなのにその子山羊からは角が生えてこなかった。農業祭りのために本人に返した山羊はどうやら未だ生きているらしい。何か 事情があったのだろうかと気になったが、約束どおりにお返しすることができた。私には 山羊の肥やしが報酬として残っている。殺される運命と思ってたので、名前をつけなかった。名前をつけると情が移るからである。昨日、集落行事の打ち合わせで来宅した知人と話をしてたら、山羊の話になり、角のりっぱな山羊が欲しい、堆肥つくりには山羊の肥やしがいいというと、丁度いい、俺の山羊を貸してあげようというので、昼食時間なのに、早速もらいに軽トラックを運転した。メスも連れて行かないかというので、生まれた子山羊はもらう約束で連れてきた。再び、私の山羊農法が始まっている。名前がないというので、今度は名前をつけて飼うことにしよう。りっぱな角の生えた山羊である。
2009.01.14
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離れ暮らしを始めて何日か過ぎた。数日前から、猫が寝床の番をしている。番をしていたメスの猫がオスを連れてきた。番なのか親子なのか未だわからないが、どうやらこいつも居つきそうだ。昨夜はこの冬一番の寒さだった。夜半に起きて予備の掛け布団をかけて朝まで寝た。隣に寝ていた猫が居なくなっている。トイレか餌探しか又の用事かしらないが、10時間の睡眠で疲労回復し、自宅に帰り、お茶を沸かし、足に毛布をくるみ、ぬくぬくとパソコンのキイをたたいていたら、突然女房が闖入してきた。 夕べの夢の続きを書こうと思ってたのに忘れてしまった。沖縄でつい最近体験した 路上宿泊に比べれば 天国 天国。「天と地と」 昔読んだ小説の題名と似ている。私の 神棚への祝詞は 「天と地の神様 家屋敷の神様・・・・」、で始まる。今日も 間違いごとがありませんように いい行いをさせてください。チットートゥ 神様。 盛窪(むいくぼ)離れの夜明け ピヤンチク離れと呼ばれている。
2009.01.13
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水タンクに白と黄色の睡蓮の鉢を置いていたら、増殖していたので株分けしてみた。与論の気候にあっているみたいなので株分けして増やしたいと思っている。熱帯性のスイレンも二鉢もらってきたが、これも丈夫で、 花穂が水面に突き出るのが魅力的だ。水タンクを移動して睡蓮の鉢つくりを楽しみたい。今日は暖かくなりそうなので、三つの水タンクの配置を考えてみよう。水場は小さい子供に気をつけなければならないので、奥まったところにしようと、今決定。また、遊びを作ってしまった。
2009.01.11
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おーい なんばしちょるとや。 高校のころ 4等ご楽 といわれ 勉強した。睡眠時間が逆転し 4時間働いて 5時間を遊び あとは寝て飲んでたべってりる。 そろそろ 庵に帰ろうかな。 妻の 差し入れが そろそろ聞いたようだ。 穴場。
2009.01.11
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携帯電話を有効利用すること。メールを読む、打つことができるようになること。撮った写真を画像化できること。 いずれは 携帯からネットメール書き込みが出来るようになること。やればできそうなことが いつまでたっても ダメな男です。 砂上の楼閣 2年したら砂山を取り尽してしまっていた。 やっと グラスボート発着所の道が開通しました。 けれども、発着所自体が砂で埋もれてしまい 使用出来ません。 業者が砂を取り上げるのを嫌うのです。分は 重機のボールベアリングに砂がはいると、修理代の方が高くつくらしい。昔は、砂を分け前にもらえたので採算があったのでしょうか・・・?私は、 スコップでいただきましたが、軽トラックの荷台はぼろもうけです。積みと罰。
2009.01.10
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牛の歩みがすきだ。一歩 一歩 それが大きい。 新年から夢のある話が3件入ってきた。忙しくなりそうだ。 足元をしっかりと照らすことにしたい。 犬と 散歩。
2009.01.09
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昨夜から、倉庫の一部(独身時代の仮の宿)を復活させてみた。 そうでもしないと、いつまでも倉庫が片付けられない。 以前はNPOの事務所にしようとも思っていたのだが、 ボロボロになっている。 しばらく、考え事をしながら農作業小屋とパソコンとの部屋の行き来をしたい。 夜明けが近いので、 犬をつれて朝の作業に出かけましょう。 昨日の続きで、防風林の枝整理作業。 夜は歳祝いで大いに飲めるのが楽しみ。 うっしっし・・・。
2009.01.08
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私の家庭に七草粥の行事を それとなく持ち込んだのは 女房である。こちらでは こちらの風習があって その島独特の食生活でお供え物をしたと思われる。私が子供の頃は 行事食は伝承によってきちんと決まっていた。先祖が古いほどきちんと守られていたはずである。その行事食を私はきちんと食べることが出来なかった。母は婦人会に出かけて、新しい食文化を習ってきた。学校給食ができ、パンに慣らされ、食事の時間は極端に短縮された。私は好き嫌いが多くて、食が細く育って未だに 食の楽しさを味わっていない。生活改善と称して 鹿児島の婦人の教育を受けた母の姿を見て育った今、色々考えることが多い。東京で一時暮らしたせいもあろうが・・・、 果たして鹿児島一辺倒でよかったのだろうか・・・。鹿児島県知事の年頭の挨拶を聞いて、奄美が自立しなければならないとつくずく思う。 昔、父が正月の三が日に 地震にあった。地震の時 便所にいたという。父の母と父の父はそれを聞かされて サー大変だと、災難避けに七つの田んぼで水浴びして 身を清めなさい と言ったという。その頃は旧暦の正月、田んぼに水が張ってたということだろう。それで 七の数字はどこからきたのだろうか・・・?七草粥 の野草は 田んぼの周辺にあったのだろう。 行事食には意味がある。女房は良くわきまえていて 自宅でできた野菜を混ぜご飯にしたようだ。 正月早々 津波警報がでたので トイレの用事でなかったのが何よりでした。 春の七草をさがしてみよう。 現代野菜でいくつ探せるか 女房にはまけるけど・・・。 男前の写真 の龍の橋のつなぎ目 少しズレが来ている。スズメ鉢の巣
2009.01.07
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S.56.1.6(火) 記録より 昨日は御用始。 仕事は11時までで午後からは休みだった。妹と弟を見送ったあと、車のkeyをもらうつもりにしてたところ、飛行場の売店の手伝いをしていて、つい忘れてしまい車で帰れなくなってしまった。ついでにと、農協前まで南建設の人に送られ、選果場に寄ると植物防疫所の崎山さんが見えていたので挨拶をすませ、ついで丸アグループのカボチャ検査(620箱)、瀬名、板畑、瀬呂加と7時までかかった。瀬呂加グループで小コップで杯を飲まされ、中央選果場での崎山植物防疫官の歓迎会の席に着いたときにはホロ酔いだった。ウイスキーと有泉で与論献捧、酔って青海荘に行き、スキヤキを食べてそれから那間のTさんの家に案内されお茶や吸い物をもらう。タクシーで送られ、帰宅したのが11時半頃だった。また飲んでしまった。今朝は割りと元気だった。地域農業総合推進事業の計画変更推進書を作成するのに午前中かかった。午後からは、ハウスの二重張りを有元さんの圃場で、林、山田、正起さんが来られて、一緒に組み立て方を習った。インゲンは2キロ箱で7,500円といい値段がしているので、量がでさえすれば経費をかけてももとは取れるだろう。叶グループのオクラは病気でおもわしくない。来年はオクラの推進を難しいだろう。 Mから電話があり、明日の飛行機で帰るということだった。○◎を買ったといってた、みほ宅でNさんらと飲んでるとはしゃいでいり風だった。・・・・・。 12日は鹿児島で生活改善グループ大会。27、28は徳之島で農村振興運動の担当者会議。計画的に仕事を進めなければ、村づくり方策、総合推進方策づくりが間に合わなくなるだろう。カボチャ検査、外回り勤務はTさんに頼むことにしよう。 FMでバイオリン協奏曲を聴きながら書いている。宴会さえなければこうしてくつろげるのに・・・。飲み会はできるだけひかえなければならない。 新聞に目を通すこと、農業関係の雑誌をできるだけ読むようにしたい。明日はオクラの花弁とりに行こう。まずは、いい生活習慣をつけなければ・・・。今晩は早寝するとしよう。 PM 8:50 考察 今では考えられない生活態度である。 結婚詐欺と言われても仕方ない。 記録をたどって いつか与論の農業の作物の変遷を留めておきたい。 この頃から、カボチャが衰退しいんげんが定着し、新規のオクラや実エンドウ、 そしてグラジオラスなどの花きの栽培が試作された。 その時期12年を産業課でお世話になった。
2009.01.05
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蛙の子は蛙。娘が二人帰ってきたが、またもとの居場所に帰る。昨夜は最後の団欒を期待してたが、アルコールの追加を要求して 夫婦が切れてしまった。 別れが寂しいのでそうなったのだろう。今日は見送りには行かないで、畑仕事に没頭しよう。 何時かは 誰かに預かってもらわなければとの 想いの方が強い。言葉の表現が悪いと ケンカになるが 育ちがそうだから 笑って許してよね。安心して帰れる様に 天気に祈ろう。 長女より三年日記をプレゼントされた。農作業日誌として書き始めた。書き終わるまでは 相手に見初められて頂戴。次女は 東京へ 就職活動。水の浄化に関心があるという。子供たちの行方が気になる年だ。 牛の歩みで 一歩一歩 それが大きい。飛躍の年にしたい。
2009.01.05
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門松ようの しちゅき 斧で薪を割る時来年を占う これは 私の場合 今年は 門松もたてられず 年賀式も自粛しました。 賀状をいただいた皆様に お詫びとお礼をいたします。 役場では以前は 正月の2日に職場で機械を扱っている職員が、道具祭りと称して、正月を祝ったものであった。与論町誌からすると、船主の祭り 大工の棟梁などの家で行われたらし。 旧暦の正月の2日が祭日である。私が役場にお世話になてからは 新暦で行われていた。元旦は 各校区で年始式があった。その後、自治公民館組織が活発になり各自治公民館で年賀式が行われ現在に至っている。道具祭りの由来は、簡単にいうと 兼ねてお世話になっている道具の霊を慰めることと、その道具のもたらす幸と安全を願う精神的な祈りであると考えている。私は 農家であるから 農具に感謝の意味で精神統一をしてみた。 さて、役場の道具祭りについて、私が互助会長だったとき提案したことがある。元旦2日と、役場職員が飲んだくれてて回っているのを家族が快く思ってないので、仕事始めの日に全職員が参加してやるようにしたらどうか・・・云々。引継ぎ事項であったので、それが実行されたことは嬉しかった。次第に正月の飲み会もへりつつあり寂しいきもするが、家族の団欒が欲しいとおもったのは 私ばかりではなかっただろう。よろんけんぽうも 自粛されつつある一方教育長が 文化だとの 推進をしている。私も 擁護する立場を取りたいが 方法論をじっくりと考えて推進したい。健康が一番だし 乱れ染めにしでは あきぱってられる。道具祭りから 飛躍した。飛躍の年にしたい。接木は 接がれないと意味がない。自分の 腕と 道具をしっかりと信じたい。
2009.01.04
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牛後となるなかれねうしとらうたつみうまひつじさるとりいぬい誰が考えたのだろう 時を12に分けることを つじつまをあわせるために アイデアが浮かぶ。 陰暦と 太陽暦 オリンポスの十二神 やはり 宇宙の神様の動きで人の世も動いているのだろう。 動くとは エネルギーの保存の法則で 廻っているのだろう。 単体から 相対 会いたいから視たい と 集合体 合体して 総合対 宇ちゅが宙返りしたみたい。 さて きょうは よろんでは 道具祭り 農具の清めをそろそろしたい。 合わせて 成人式に備えて アルコールを切らなければ。 良い心地で 新年の休養。 長女からのぷれぜんと 三年日記の書き染め。 初心和するべからざる。 カメレオン用語で 今年もよろしく ぶろぐ。
2009.01.01
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門松を立てない年をこしたが、鏡餅まで忘れてしまい、角餅をお供えして大晦日を終えた。熱燗の心地よさで、紅白の途中で眠りについた夢は重たかった。原爆を投下する兵隊の運転手を勤めたので、軍事裁判で解剖検体を提出させられることになって、身を引き裂かれる思い出待つ・・・・、というのである。さらには、銃殺刑をこの眼で見るシーンで眼が覚めた。初夢でなくて良かったが・・・、現実的な夢である。 役場勤務時代のある時期を思い出して、今の現実がいかに幸せかを 妻を起こして話してしまった。 しょっぱなから こんなでだしであるが、今年も私の奇想天外な夢ものがたりにお付き合いください。明けましておめでとうございます。今年もどうぞ よろしくお願い申し上げます。そろそろ 散歩の準備をしよう。しかしまだ夜が明けていない。 使いまわしの 写真で今年のはじまりはじまり・・・。
2009.01.01
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