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映画「めがね」の海岸 上映してから 1年目 生ゴミを処理する発想から牧場で豚を飼育し、高級ポークに仕上げた成功事例を聞いた。 発想の転換については、誰もが普通に考えることだが、実際に実行に移し試行錯誤の努力に加えて、さらには偶然が生み出した結果であることをあらためて考えさせられた。ビジネスへの熱意とそれに携わった面々がそれぞれの特技を生かした組織の力だったというお話でした。 社会学の中の経営学という学問だとのことである。最近はやりの人間学科などと言った分野も社会学の範疇のようだ。なんでもありの学部のようで、私みたいな浅い知識に満足している者にとってはとても面白く感じる学問である。 7年ぐらい前、ある獣医さんから奄美黒豚(小振りの豚)を牧場育てで飼育したら「高級品で売れるよ」と言われ、「退職したら考えてみよう・・・」とはぐらかしたが、経営として成り立っている事例が愉快だった。猪豚の飼育で失敗した例をもきいていたので、又、鹿児島黒豚で有名な方が、地下水汚染を心配して、与論島では実現しなかったと言うことも聞いていた。 環境をビジネスにうたいあげたのは「与論町環境宣言」平成13年6月4日。「パナウル王国の環境憲法」与論町環境総合計画(2002~2011)。今年が最終年度である。その年には「第4次与論町総合振興計画」 人と自然が輝くオンリーワンの島づくりが策定されている。自己評価では ほぼ80パーセントが達成されたと・・・? もう一度、初心にかえって 現在の与論島の環境について検討してみる必要がある。 与論島が先進的に取り組んでいることを私は実感しているのですが・・・、結果はどうかを問う前に、努力していることも評価してもらいたい。 環境保全型農業は平成元年にM式農法から始まったと思う。この方の継続されてる熱意に勇気をつけられ私もパーパカルチャー農法に取り組んでいる。 環境ビジネスは色々な展開を生むだろう。観光地から保養地への発想転換。与論島を世界の保養地とするビジネスの展開で子々孫々が持続できる心豊かな島づくりを目指したい。 パーマカルチャーの研修で行かせてもらった サンシャインコースト。 寺崎かいがん 虫や鳥や蝶 自然と人間が共生している 与論島 与論島を保養地として構想していた方が居られました。 飛行場・与論高校を開港・校させたときの町長 龍野道雄氏が与論高校卒業生に はなむけ と題して 残しています。 与論高校卒業生 窪舎会の皆様 決意を新たに 羽ばたこう。
2011.01.30
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ゴールデンシャワー(なんばんさいかち) 風当たりの強いところでは 咲かせられない ウスキシロチョウの食草 虫のキライな方には恐怖の樹 本棚にいつまでも並べておいてある月刊誌がある。ふと手にすると あー この本で知識を入れていたと懐かしく思って手に取るとついついと時間を過ごしてしまう。捨てきれないで倉庫にかたづけてしまっていたのをまたもや持ち出してきた。昭和60年初期の頃からしばらくだった。大切にしている 月間おきなわ「緑と生活」は趣味の園芸よりも 大いに役立った。暇つぶしに ときどき開いている。初刊からとりよせたりもした。また投稿もさせてもらい、ブラジル桜やキンレイジュ・ピンクのイペーのことなど書かせてもらった。 残念ながら廃刊となってしまった。月刊誌の中から 為になるページだけを抜き出して編集する技術を取得すれば与論島での栽培の方法をコメントして園芸農家のアドバイスができると思ったりしている。与論の気候や土壌に適していない花木を展示されるのを見ていてどうしても気にかかる。わかっていて 売っているとしたらあまりにも不親切だ。アドバイスして売ってるならいいが・・・、根拠も無く 私の言葉で「与論島では育てられない、花が咲かせられない」といったら商売の邪魔にもなる。お客様の楽しみで購入するのだから失敗も楽しみだろう。しかし、公的な植栽についてはある程度の知識と経験に基づいたほうがいいと思われる。私個人の多くの失敗例が生かせると思っている。造園管理士の資格はもっていないが、試し植えの経験は結構つんでいるつもりだ。職人というのは経験がものを言う。百姓がその証明だ。 ホウオウボク 狭いにはには植栽は禁物 台風の風をさけた 公共緑地に適している 成長が すこぶる早い 撮影の準備をしていた めがねの 氷やさんのセット。 撮影現場を遠くで眺めていました。 道具係のスタッフとも お話することができました。 パルコのぱんのコマーシャルと 見比べてみてください。
2011.01.30
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与論の穴場 行き止まり海岸 中学生の頃までは桜の花を見かけることが珍しかった。私の通った那間小学校の近辺では桜の樹をみたという記憶がない。桜の花は中学校の制服をつけ初恋の淡い思いを抱いてピャーヌパンタの坂道を自転車で滑り降りる少年の姿で蘇る。 立長集落に多く見かけたと思い出すわけは憧れ抱いていた少女が住んでた近辺に桜の花が目だっていたからであろう。今の時期になると現在でも早咲きの桜が見られる場所である。 庭に桜を植えた記録が出てきた。1976年3月1日のアストロ・カレンダーに二日酔い、親牛セリ37.5万円、実生桜鉢植え、クロトン列植、カボチャ集荷とある。 この桜の樹は3本前庭を飾っていたが後に、自分で切り倒して別の実生の苗木を植えた。城集落の益山先生宅の苗木を当時の上司からもらったものだ。今、その桜の苗木は5本ぐらい植えたものを一本だけ残して庭の中心木ともいえる場所を占めている。その桜の樹の実生苗が現在、10本あまり成木になって花を咲かせている。昨日鉢上げした桜苗木の出生を明らかにしたかったので書いている。自分で育てた桜の苗木が路傍や庭を飾る桜として愛でられるのを期待して鉢上げすることはとても楽しくて、夢を見ることが出来る。10年も続ければ花坂じじい に成れるかも知れない。小さなしあわせ。 みつはしちかこのちっちとさりー・・・、 小さな恋のものがたりを目にした。 千本桜を目指して今年も鉢上げを楽しむ。 ブラジル桜(とっくりキワタ) ソテツのトンネル
2011.01.29
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働けど働けど わが暮らし楽にならず じっと 手をみる よろんちょ 議会だより 第98号が週報で配布された。一般質問で 5人が登壇、 町政を問う。質の高い質問だと 私は高く評価したいし、農政においてはお粗末と思えるが、他の件では答弁もりっぱなものである。答弁の行方が気になるのが住民だ。今年の10月は町長の人気になっているという。住民の大半が農家であることを踏まえ農政については国の認定農家育成の一辺倒の政策のほかに、零細農家の存続できる施策も必要だと思われる。ただし、町単独事でのバラマキ補助金はもう充分ではないか。国や県を動かせる施策を考えてもらいたい。環境保全型農業で不足している施設は「し尿処理施設」関係ではなかろうか・・・・?各省庁を網羅した 新規事業を発案して欲しい。議会質問を見て 麓議員の構想の答弁について思う。網羅してもいいけれど、確たる事業展開として10年内に具体化する案が欲しい。 もう・・・、環境を汚染している、農業者が悪者であるようなそんな口吻を良く耳にしている。地下水の汚染は主に 合成洗剤であることも思い出してもらいたい。畜産農家がかわいそうな気がする。 ぬくぬくとコタツや暖房にあたりながら環境を守れと農家批判をする人にちょっとした苦言。 自分で作った野菜を食べながら貧しい暮らしもいいものだ。贅沢さえしなければ南国では何とか暮らしていける。 おーい 息子よ はやく帰って来い。
2011.01.27
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海草 アオサかきがはじまりました。誰もいない早朝の海岸。護岸工事(瀬良)のその後 ヨロンの形には 上手く撮れませんでした。
2011.01.26
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瀬良海岸の浸食が激しくなって、後背地の住民から護岸工事の陳情がでて、議会採択から20年以上が経過したと聞いた。 県が事業主体となって設計図が出来上がった。 実施計画の防災林造成事業で海岸の景観と白い砂浜が、そして、海上に浮き上がる百合が浜が失われる危険から事業導入の反対もあったが、今年度事業で完成する予定になっている。護岸工事が出来上がってから一月ほどたっている。 以前のブログで時々海岸の様子を載せることでこれからの海岸保全のありかたについてまた、環境の保全と保護について考えて行きたいと思っていた。 この工事については私が林務を担当していたときから課題だったので真剣に考えていた。経緯についてはもうすんだことなので、これからのことを考えて生きたい。 昨日、環境省奄美自然保護官事務所からFAXが届いた。「国立公園の観光利用に関する検討会議」について与論島においては、特に海の保全と利用に焦点をあてている。 自然保護団体などの、また、いつも島の自然に関心をもっていて事業に対案を示してくれる 某議員さんもワーキンググループに入ってもらいたいものだと思う。 私が、与論町環境対策協議会長に選ばれたとき、挑戦状みたいな言葉をいただいたことがありしっかりしなくてはと思ったことがあった。 責任ある行動をとって任期をまっとうしたい。 景観を考慮して奄美十景の展望所への階段等も工夫されているが、砂のたまり場にならないだろうか・・・・?護岸の両端を、自然の経過を見ながら保全対策を必要と考える。
2011.01.26
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与論島の砂浜で固有の名前のついている浜は60以上あるといわれている。手元の 浜名(パマナー)調べ(元教育委員会・瀧氏所有に一部追加したもの)によると 69箇所が読み取れる。菊千代さんの調べたものとあわせて新たに整理した地図を作成したのを見せてもらったことがあるが、未だ手元にないのが残念。地図に載っている 浜名と現地写真を撮って郷土研究会の発表資料としたい。今年の郷土研究の第一課題に決めた。 まんまの浜は島の南西の方角に位置し浜の降り口からは沖縄本島の北部、辺戸岬が目の前に見えている。この浜に立って辺戸岬を望むと、沖縄と陸続きであるとの錯覚を覚える。リーフが浜辺のごく近くにあるので外海と内海の漁を同時に味わえるので冬のいざりの時期にはとても人気のある浜だ。さざえが多いことでも知られていて、私も何度か漁火の漁を楽しんだことがある。 数日前 久しぶりに浜を見に行ったら浜への降り口付近が伐採されて入りやすく整理されていた。昔の海岸植生が復活していると思って興味をもって観察してきていたところだったので少し残念だったが、サンゴ石の宝物を拾っているものにとっては都合が良かった。 浜辺の様子、浪打ぎわの砂の盛り上がりにも変化が見られた。自然の営みには文句も言えないと思いながら、ライブカメラに写りたくて浪打ぎわを歩いてみた。この朝は兼ねてから聞き取りしたかったことが、またもや偶然の出会いによって叶った。かなえてくれた 叶さんありがとう。 きのうの まんまの写真を載せてしまった。わざとではありません。 では、もういちど・・・。
2011.01.24
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コンナ風でした。 午前1時ごろ 出発。 百合が浜 グラスボート発着所 いつもの 朝の写真は 載せられるかな・・・?
2011.01.24
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長崎の海岸 朝起きたらまず薬缶にお湯をかける。神棚のお茶を供えたあとの自分のお茶を飲みながらツイッターでつぶやいて天気予報とメールの確認。お気に入りに登録されたブログに返事を書いたり読んだりして情報の収集を与論情報サイトに目をとおしているとそろそろコーヒーたいむ。チヌマンダイのブログの更新の時間になるとたいていインスタントコーヒーを飲んでいる。 今朝はちょっと苦味を感じるコーヒーだ。粉を山盛り三杯に砂糖三杯 クリープが少しお気に入りのマグカップに分量どおりにいれてポットのお湯を注ぐ。苦味を 砂糖で調性しているが妻に言わせると こーひーの香りがする砂糖湯を飲んでることになる。ザラメ糖の方が白糖より甘味が強い気がして与論島で生産されているザラメを使うことにした。地産池消費の宣伝を兼ねて、 与論島の好きな方、与論島の由香里の方、与論島生産 ザラメ糖をお土産にしてください。煮物料理に欠かせない砂糖は 是非 与論島産の ザラメ糖ですよ。 すでに出来上がっている特産品の宣伝も大切です。有線とザラメ糖にセット販売。足元に 宝物が・・・・。 与論民俗村に保存された民具が国指定の有形文化財に指定されたとの知らせにあらためて 菊 千代さんの功績を喜びたい。あの人柄と 与論方言を採取した功績を讃えて人間国宝にも話題にしてもらいたいものだ。 先見の目をもちたいものだ。大風呂敷を広げて 与論島を 宇宙遺産に高めよう。環境の島 循環型社会の構築にむけて。小さい島だから できる 宝。 こーひーに入れすぎた ザラメ糖にあたったようだ。にゃろめー・・・・。 夏休み 海の体験学習記念撮影 誰だろう・・・?うみんちゅ(海人) うんぱる学習講座実践
2011.01.22
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また、文章をけしてしまった。 乙姫様を捕ってきた 罰が当たったのか・・・・?つがいでいたのにもう一匹をわざと残してきたのに・・・。 御免。
2011.01.21
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2011.01.19
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また文章が消えてしまった。ままよ・・・。 海からの贈り物
2011.01.19
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渥美半島、田原市に住むご夫婦と島巡りをした。 椰子の実交流を石垣島と行っていて、毎年100個の椰子の実にプレートをつけて流しているという。拾った方には 旅費と宿泊券がもらえる役得があるときいた。またもや、別の宝探しが楽しみになって 早速、東海岸をまわってみた。椰子の実が2個みつかったが残念、プレートがついてなかった。 与論島ビレッジでお客様を迎え映画 めがねの上映以来から観光名所になった宇勝海岸にお連れした。風が治まり穏やかな天気に恵まれ細かい砂の海岸をお見せすることが出来、話題にした椰子の実も流れ着いていた。 残念、この椰子の実にもプレートはついていなかった。 藤村の椰子の実の歌を口ずさみながら啄木の 東海の 磯の小島の白砂に 我泣き濡れて・・・牧水の 白鳥や 海の青 空の青 シンシアの 誰もいない海 も 与論島の 隠れた砂浜(マイビーチ)に 似合っている。
2011.01.19
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古里の浜辺は なぜか恋し砂浜よ あっせナグリャーや 加那と歩けば心も踊る 茶花の月夜は なぜか恋し流れ星 あっせナグリャーや 加那の面影なつかしく 南の果ての星砂は なぜか恋しあの人よ あっせナグリャーや 加那の面影なつかしく 本 兼光 作詞 川崎栄実 作曲 この ナグリャーの意味は? なぐりゃー とは 可愛そう と 可哀想 と 可哀相 と 変換された。 何年ぶりかの再開で なぐりゃー を連発した人がいた。
2011.01.18
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お茶を飲んでいます。「むち黒糖」(有)平瀬製菓 徳之島産ムッチリして 美味しい黒糖だ。与論の ガンザタといわれるのと似た食感があり 好きだ。子供の頃を思い出させる。サタ車やサタヤー、サタなび等 復活させたい昔の暮らし・・・、があってこそ 方言の魅力が伝わる。 馬・牛の鞍を抱きかかえて育っているガジュマルの樹 子供の頃から食べてるミカンの大木も 世代交代? カンキツグリニング病の防除で伐採されている この防除方法は鹿児島県では与論島が最初だった。 ぱるやどぃ 中学校の敷地内に設置されている。
2011.01.17
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前浜海岸に流れだす濁流 大雨の時の様子 農業用の溜池から テラピアも一緒にあふれだす 親水公園がつくれれば・・・と思うが、 台風時の大波には 勝てないだろう。 自然のままがいい。 ビオトープを作ろうとしていた頃の下図がでてきた。池を中心にして 水辺の植物を植え四隅には季節を告げる指標植物を配植し周囲には蝶を集める為の食草を考えていた様子だ。土壌の条件も考慮し海岸植生も試してみようとしている。 この試みは成功したと思う。海岸植生の部分は砂を運ぶことが簡単にできたが、つる性の植物にはスペースが足りなくて、現在はサボテン類だけを残して抜き取った。蝶や鳥や虫たちも集まってくるのはいいことだが、金魚を狙って サギ鳥が降りてくるのには困っている。上手に食べるのだ。まさしく名前どおりに 詐欺のくちばしでつついている。景観には悪いがサギよけに網をかけようと思っている。 仏心になってサギにも餌を与えたいが金魚の気持ちの方にかたむいてしまう。私のパーマカルチャー果たしてこれでいいのだろうか・・・。 銛も使える 子供の頃の遊び場 皆田海岸
2011.01.16
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今朝も天井を駆け巡っている音がする。だいたい、4時ごろから物音がきこえてくるが今朝は寝坊したので一番機の音も聞き逃して楽しい夢に浸っていた。2時にオシッコにたった後、起きるまでに3回トイレした。水分の取りすぎに違いないが、パソコンに向かっている間はお茶を飲んでいる。 泡を飲んでいた習慣病が残っているのだろう。又一口 すする。お茶が美味しい。干支の ウサギは何の功績をたたえているのだろう。賢いネズミは 納得できる。ウサギとカメ、因幡の白兎、赤い目をした 餅つきのウサギ二兎追うものは 一兎をも得ず・・・、何かいい諺 ないものだろうか?「ちゅのうやむっちゅん なー のうのう」直訳すると 一能 は持っている それぞれの能力を生かせだろうか・・・? 楽しい英語の習い方、方言を教える 教え方にも工夫が必要かと・・・。 ネズミの写真をみつけたので あっぷしてみよう。 結婚できないで 数え25になった女性の歳祝いは 世間に顔向けできないので 鍋蓋(はまんた)を被せてお祝いすると 良縁が得られるという。 私の妻の過去なる写真によると 与論民俗村で ハマンタの写真がある。 おまじないの通りに 私に出会えたのかも・・・。
2011.01.15
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写真探し。 さんばすー(三者囃子)が見つからない。 とりあえず これにて送ろう。 アトリエ「ノアノア」 へ
2011.01.14
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近藤教授の講義資料を読んでいる。沖縄タイムスの切り抜きなど、メディアを使っての講義の展開は面白い。進行形から学ぶのがより興味をそそられる。暇を見つけてよみたいけれど、農作業の現実もまた現在進行形でおしせまってくる。アンケートを取り入れた講義内容もあいでぁを感じた。 講義資料の表紙には自筆の画も書いている。多才なかた。忙しすぎるから、健康にはきおつけてください。 この写真 気にいってます。
2011.01.12
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新年早々 重たい宅急便が届いた。沖縄の銘菓ちんすこう と 黒糖かりんとうの下には見覚えのある表紙留めの赤いガムテープで閉じられた講義資料が入っていた。贈り主は沖縄キリスト教大学人文学部英語コミニケーション学科近藤功行教授でした。 教授は「琉球文化圏・与論島における死の認識をめぐる人類学的研究」の論文で名古屋大学で文学博士号をうけている。琉球大博士(医学)時代から20年以上にわたり与論島について様々な資料を提供してもらっている。 近年は 与論島に於ける死生観の変化について調査されている。火葬場ができ、去年からは民間の葬儀場も建設されていることから葬儀の仕方にも変化がでてきた。そのことをいち早く察知して、記録に残す作業を進めているようである。 今朝届いてたメールでは 近いうちに与論にでむかれるようであるが、いつものごとく多忙を極めている様子。教育長とコンタクトしている様子なので一目でもあいたいものだ。 朝の時間を利用して、2冊、4キロの講義資料を勉強させてもらうとしよう。
2011.01.12
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http://morikubo.sakura.ne.jp/wp-content/uploads/cimg1028.jpg 方位にこだわる 私はわりと方位にこだわる方である。旅行の時、新しい土地に降りたらすぐに方位を確認する。帰り道を迷わないためにであろうか・・・。 東西南北の文字は、表からも裏から見ても、左右対称になるように工夫された漢字には感心させられる。与論島では風向きを、東(あがりー)、西(いー)、南(ぺー)、北(みし)ぬ風(かぜ)と呼んで、家の向きは其処の地形を考慮して建てている。 民家調査の案内をさせてもらったことがあった。50年前に調査した茅葺民家の間取りや神棚の位置について研究したいとのことであった。8軒ほど訪ねたが新築されており、茅葺屋根の民家は一軒もみることができなかった。 昭和57年まで住んでいた私の家の床の間は、東床の間(あがりーどぅく)であった。家を新築する際に、北門と北床の間の屋敷の間取り平面図を広げて庭つくりの夢を父に語った。父は頑固に昔の形式を変えることを拒んだ。与論島では、住居は南を向いて建てられるのは当たり前、門口もまたしかりである。庭師になりそこねてUターンした私も意地をとおして、自己主張した結果、北床は許してもらえたが、門口は南に向いている。あれから30年がたったが、まだ門柱の位置が定まっていない。 若い後継者は現代風の間取りの住宅に変わっているが、私の若いときのしきたりでは、北の道路に面していても北門はつくらないで、わざわざ南側まで通路を設け南向きに門をこしらえ、庭を寸断する形の園路で玄関に入る形式と定まっていた。また、神棚(床)の位置は、東か西かで、どちらかは施主の好みと屋敷の地形にあるようだ。 私の家は旧宅そのままで、辰巳(南南東)の方角を向いている。朝日のあたる屋敷を定めた先祖の方位学をに感謝しつつ、お茶とお線香を灯しながら、家内安全を願うのを日課にしている。借金コンクリート建てのわが家も今では古い建物になって、近隣には新築が目立ち、子供らの声が聞こえてまわりが明るくなって嬉しく思う。息子が跡取りとして帰ってきて欲しいが、私も親父がしたように私自身の方位にこだわることだろう。
2011.01.10
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整理棚ができたので資料を整理している。本棚に無造作に積んであった郷土史関係のなかに「かいふたの群星(ぶりぶし」口之津移住開拓民之碑建立記念誌がでてきた。編集担当 麓 才良 昭和63年8月10日発行。 「与論島を出た民の歴史」は学生になって手にした。叔母が大牟田に住んでいたので、時々泊りがけで寄らせて貰った。延命公園のことや肉屋の森里おじさんのことなど・・、こどもの頃に聞かされた話をたどりたかった。 二代目盛窪の長女・カメと次男森里は大牟田に移住している。炭鉱の歴史をたどって生きてきただろう。森里さんは肉屋を営んでいたと聞いた。子供のころ、三輪車や野球のグローブや着物などが大牟田から贈られてきた。その頃は とても珍しいものだった。グローブのおかげで、低学年ながらに 草野球の選手に選ばれたりもした。森里さんは大柄なかただったようで、ズボンの片足に弟と一緒に入って遊んだことを懐かしく思い出している。 同和教育をあまり受けていなかったので、与論島に同和の歴史があることを知らないで卒業した。「与論島を出た民の歴史」を読んで、目が覚めたと言い切れる。最初は読みたくなかったが、卒論を意識するようになってから身を入れて読んだ。夏休みを卒論の資料集めで役場を回った。県庁の試験には合格しないことがわかっていたので、9月には役場に願書をだした。どうしても入りたかったので、学生課に行って推薦書もお願いしたかいがあって、役場勤めをすることができたが、「ユンヌの砂」南日本新聞が発行されてもまだ、炭鉱の歴史を語り合える役場の職員がいなかった。不思議だった。同窓生のK・Mとは同和教育の件で はなしがあったことがある。 書いてるうちに 考えこんでしまった。ブログに書くことでもないほうにずれてきたので、別の機会でめもってみよう。 「よみがえる戦前の沖縄」写真集の 写真解説だけがでてきた。これらの資料は 年度末の整理で焼却炉の前に落ちていたものをひろってきたものである。産業課の資料を焼却し、別の課の資料を拾った次第だ。 「信さん」の映画をみたいものだ。与論でも特別に映写会ができないものだろうか・・・。実行委員会をつくりたい。
2011.01.10
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あて先 水口自工 様たいへんありがたいのですが、まさかこの内容も「練習」というのではないでしょうね? ・・・・・・、 お便り拝見しました。素直に申し上げます。住む家を探す必要があります。先月 新潟から問い合わせがあり 返事を書きました。農業で生計を立てたいとの事でしたのでお断りしたところ 又お便りがきて少しの間でもと申されますのでアルバイトの仕方を紹介しました。早速仕事を見つけて、忙しく働いています。三度ぐらい夕食を一緒しましたが今のところ満足されているようにお見受けします。 さて、お宅の文面から どうお答えすればいいか解りません。年齢 性別 ご希望の職種 趣味や資格等・・・。別荘住まいの方が 近年 とくにふえています。 私は そういう 方々や 大学教授 道楽家、 趣味人 とのつきあいも多いほうです。 アルコールが好きで 昨日は診療所で点滴のやっかいになりました。夜は星空と 月 木星の 観察の案内役 妻と高校三年生の娘と三人暮らしです。こんな私でよければ お返事書きます。 2001 11 30 金 竹 酔日
2011.01.09
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与論空港滑走路下のトンネル・・・。 金曜ドラマを観た。映画館で最初にみたことを裏付けるパンフレットを手にしている。最初と最後のシーンは印象にのこっていなくて初めてみるようでドキドキした。妻にいわせると何度か観ているというが、多分ほろ酔いでみていたのだろう。千尋と窯じいの出会いのシーンが一番印象的であった。 心の葛藤私がいつでもどこでも持つあの感情、葛藤をえがいている。 夢と現実をいったりきたりする。そんな世界・・・。パンフレットを探して手にしたがなぜか読む気になれないでいる。ジブリ館に入れなかったことが残念でならない。通り過ぎただけでも由としよう。その時間が 神代植物園の散策にかわったから・・・。 保安林の植栽事業 案内板 遊歩道を観葉植物の並木にしたい。 今年度から手がけよう。
2011.01.08
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離れ小屋を作ったら炊事場に流し台が必要になった。倉庫の一部に面しているので、兼用できる様にとの思いから野外用のステンレス仕上げの流し台を通販で注文した。確認のボタンを押した後で、今朝のメールで配送料金の追加が6千円あまりついている。迷った挙句、キャンセルすることにした。地元のホームセンターに置いてある8万の流し台を標準に通販の商品を探してみた。5~7万円ぐらいで手にはいる。もっと安価なものをと捜していたら、配送料金無料で注文することができた。 結果が 結局離島運賃がかかってしまって、36,660円の商品になって確認メールがきた。 昨日は宝探しと称して、リサイクルセンターにごみ漁りに行ってきた。倉庫の整理棚に使える壊れたタンスと籐でできた座椅子と食器棚を拾ってきた。修理すれば何とか使える品々を倉庫に運び込んだら整理したはずの倉庫がまたもや満杯になっている。妻があきれかえっているなか、自分の部屋に、拾ってきたタンスの一部を運び入れた。蝶番を直して整理棚にするつもりでいる。 役場勤めの最後はリサイクル係も担当していた。そのときからお世話になっている先輩に断って、今日もリサイクルセンターに行って宝物をさがしてきたい。
2011.01.06
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6日 (火 小寒) 向ケ丘遊園地、スケートAsutoro-Calennda- は村山定男/藤井 旭編 河出書房新社発行「ザッツエンタテインメント」「同胞」「陽のあたる坂道」「友情」「パリの巡り合い」 白楽 ベニザにて「カサブランカ」全線座にて月間の星空の解説を読み、勉強しながら メモを取れる形の日記になっている。その前年は 星空日記 1975をつけていた。 6日 月曜日 小惑星エロスが接近 Rが百合と菊をもってやって来る。 生活設計はしょっぱなからくじかれた。 何もやるきなく一日を過ごす。 マンガの続きを見た。 星空がきれいだった。(風呂帰り) 箱根駅伝を応援する会 in 与論の会場で学生時代の頃の思い出を語り合った。世代を超えて情報が交換されるのはとても良かった。貧乏な学生暮らしのなかのエピソード・・・、もうこの年になったら 白状してもいいだろう。今度上京する機会には 駅伝コースをドライブしてみよう。 想いで捜しの旅でたづねた 向ケ丘遊園地のスケート場は閉鎖されていた。 モノレールの下を歩いていた時 初めて 雹が降るのを体験した。 与論島に 霰が降るほど寒い日は年に一度か2度ほどである。あれから30年たった。夢がすこしづつ叶いつつある。このまま 断酒を守っていければ もっと豊かな気分になれると思う。
2011.01.06
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大金久海岸、グラスボート発着所から撮影しました。いつもは、グラスボートが2隻と渡し舟の小さなボートが波に漂っているのだが消えてしまった。珍しいので記録に残しておこう。
2011.01.05
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新春恒例の箱根駅伝与論島では こんなことしました。東京農大はシードを守れず残念でしたが来年の復活を期待しています。
2011.01.04
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昨日のアクセスが百八だった。知恩院の除夜の鐘を聞いて年をこした。 行く年来る年の番組に切り替え、年明け早々女房は実家に電話する のがこれまでの我が家の大晦日のすごしかただ。 与論島では 年越しソバの風習がない。以前は年越しソバを インスタントで味わったりしたが近年は琴平神社の境内で初詣と年越しソバを体験できるようになっている。妻に誘われていたが、コタツを離れることが出来なくてかわりに しるこで年をこした。 アルコールへの煩悩を振り払い日々之口実を思いつく事無く無事長久を願いたい。もう一つの離れ右が竈の間、左が風呂場になっている。とりこわすのはもったいないので何とか修理して 撒きで炊く風呂を復活したい。これまた 煩悩。
2011.01.01
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生前には気がつかなかったが父親に勝てないことにコンプレックスを持っていたようだ。農業ではもちろんのことであるが、礼節についてはとてもとても敵うものではなかった。父の後ろに下がるしぐさを、慇懃無礼だと反発したりしたが物をわきまえた大人の所作だったのかもしれない。 やっと去年の暮れから父の亡霊からのがれることが出来たような気がする。酒に酔った父の姿をみたのは数回しかなく、片をかして歩いたのはたった一回きりだった。祖父もまた堅物で晩年になってから少し寝酒をする程度だった。堅物の家庭に育った反発も少々あったのだろうか・・。家庭内では我がままに生きてきた。 父への想いを吹っ切るためだけでもないが、思い切って、父の残した農業施設を改造することにした。倉庫と牛小屋を自分流に利用していきたい今年の初めに この施設の有効利用を考えることにしよう。
2011.01.01
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