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泡盛カメレオン デジカメの取り扱いができるようになってブログの更新が面白くなった。 何時から事だろうか・・・。 褄ムラサキまだら蝶 楽天ブログを紹介してくれて、手ほどきをしてくれたのが 海熊さんだった。彼に パナソニックDMC-LZ5を注文してもらいデジカメの使用方法と写真の掲載の仕方を習った。 そのうちにお気に入りの仲間もできて現在に至っている。途中 中段したりブログの名前を変えたり依存症の文面で顰蹙をかったりしたこともあった。 与論町のホームページで カメレオンと紹介したのは海洋少年と名乗る 中年のクルーザーのクルージー (苦しいじょーく)田舎で働き隊のなっちゃんに写真ホルダーの整理の仕方(初歩)を教えてもらった。 懐かしい写真が出てきたので載せてみよう。
2012.01.31
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朝日が見えていたので宝探しの帰途で寄り道して新しいデジカメに慣れるためシャッターを押してみた。 愛犬のチレットも連れていたが いいぽーずにはおさまってくれていなかった。 竜に見える岩の付近も撮ってみたが どれだかが はっきりしなかった。 この指定席なら 邪魔にはならない。 竜の頭? どれだかわからない・・・。海のほうが・・・。 泳ぐには まだ寒い。 ただ シャッターをおしただけでこんな風に撮れてる。
2012.01.29
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何もしてないのにミツバチが髪の毛に留まって ブンブン騒いでいる。田舎で働き隊のなっちゃんが 頭を刺されたと言っていたのでそっとしさえすれば逃げてくれると思ったがしつこくまとわりついてついに チクリとやられてしまった。 今朝は あたま右後ろ側が腫れてむずがゆい。顔面を刺されなかったのは幸である。蜂に好かれる体質のようで蜂毒が蓄積して そのうちショック死するかもしれない。 蜜蜂の管理には充分に気を配ろう。 昨日は息抜きに 遊歩道を散歩してきた。波の破壊力をご覧にいれたい。 それでは どうぞ・・・、 これから写真をはめ込みます。
2012.01.29
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ちょっと ふいうちをくらってめまいがした。役場近くの交差点改良事業がヨロンマラソンを間じかに控え急ピッチで進められている。拡張工事については兼ねてから気になっていた。図面の一部などが公開されたので納得していたが、ハーフマラソンの出発地点・国旗等掲揚台の海側の工事にはびっくりとがっかりした。工事計画を前もって知っていたら要望事項があった。以前(2年前)、役場環境課に行って、イベント広場の植栽について各課の共通理解をしてもらいたい旨の環境対策協議会をもってくれるように要望していたから。 ヨロンマラソンの完走記念植樹の植栽場所の検討をしていた。植栽の考え方に統一した意見をまとめる必要があったからである。協議会の開催は断られたので仕方なしに、邪魔にならない程度の植栽をして水掛など管理をした場所が重機で掘り起こされてしまった。昨日、現場監督にきいたところ駐車場に代わるとのこと。誰が設計したのか聞いてみた。役場だという・・・、仕方ないので あきらめよう。 私も大いに利用するであろうから。 駐車場が完成したあとの植栽工事については 私にも景観についての考え方を聞いてもらいたい。 もうすこし 住民参加型にしてくれることを 建設課と環境課にお願いいたします。
2012.01.28
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田舎で働き隊とサトウキビの刈り取り作業の研修に出かけた。全国が寒波に見舞われて、与論島の空も雨のち曇りの天気。研修の畑に行く途中に毛布を着せ掛けられたサトウキビの束をみた。なーに之? 毛布だ・・・、寒かったのか・・・、 熱かったのか・・・? 農業者年金の加入推進に大先輩が来宅。太鼓と蛇皮線を同時に演奏・・、歌とはやしは私がうなった。 田舎で働き隊も びっくり・・・。 夜は サトウキビ体験を祝して旧正月新年会は古里集落副館長のお宅にて・・・、与論島屈指の 芸人の技を見せてもらった。わざと カメラは持っていかなかった。 田舎で働き隊の なっちゃんが高級カメラでちゃんと記録していたのでいずれ 「与論島まるごと博物館」でご紹介します。
2012.01.27
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春の海ひねもす のたりのたりかな・・・。 めがね の撮影は旧正月あとだったような?夏ではなかったのは 確かだ。 泳ぐにはまだ早すぎる季節だった。 私も乗ってみました。 ここで一時間も時間をつぶした 雨の日。 豚小屋です。 最上流階級の屋敷に保存されています。 私的には 文化財と思えるのですが・・・・。 一人旅 私のガイドにつきあってくれて ありがとう。 また来てね きっとね。 愛の金 鳴らすのは 誰だ・・・・。 ちょっとだけよ・・・。 石の積み方に趣を感じます。私の家のはセメントで作ってあった。5頭ぐらい飼っていた。
2012.01.26
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家内の従妹が初めて与論島に来てくれた。景色のいいところを案内した。 和歌ちゃんに 乾杯! 特別責をリザーブこれは誰がたてたのじゃー じゃーぷんじゃーあぎのーまら パナ佐茶部トゥ ちゅーたっきー わっかるかなー わっからないだろうな・・・・。 植えたはずのホウライカガミは 生えていなかった。適正ではなかったのだ。リュウキュウチドリは未だ咲いていない。葉だけは 家内が確認した。植生に気を配って 看板をたててもらいたい。 看板娘が台無し。 ボクの指定席
2012.01.25
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上手く撮れてないので恥ずかしいが 後学のために 載せてみます。 アップで撮ったら良かったかも・・・。後の祭り・・・、反省。 ミノカサゴ(有毒) エビの仲間だろう・・・・、集団で生息。 網を持って行っていたら数十匹は採取できるだろう。 ガンガゼ(有毒) 三椏の銛
2012.01.24
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また 消してしまった。 何処に行ったのだろう。 写真だけでも\\\, gakkari.
2012.01.23
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あれれ、昨日の映像だ・・・、 軌跡をたどると 抜け殻がみえる。 粗大ゴミの再利用 ボクの宝物の収納場所だ。 軌跡をたどってみる。何故だろう 何故かしら・・・? ちょっとした穴でも 覗いてみる 好奇心のかたまり。 上から目線で写してもらった・・・、家内の腕前は これだ。 月に着陸した 探索機から撮ってみました。 ボクの腕前は ミラクル さーくる。 何の足跡かな? たいていの方は 大型のムカデか 蟹と思うだろう。
2012.01.22
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かきつばた とかけてからごろも きつつたびにし つま・・・・・ はるばるきぬる たびをしぞおもう だったろうか・・・?ひととせに ひとたびきます 君まてば やどかすひとも あらじとおもう これも おぼつかない。 昨日 家内の従妹と与論城跡を散策した 丘ヤドカリが寄りそって昼ねをしていた。 撮影の練習にとカメラをむけた。 宿を貸し借りする習性からヤドカリと名前がついた 身の丈ほどの宿がいい 私の宿りも写真に撮ってみた。 粗大ゴミ捨て場で拾った家具で暮らしている。 あの世にいくまでの ヤドカリ人生 私は あまん族 奄美んちゅ ゆんぬんちゅ
2012.01.21
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日常茶飯事にあけくれているが運が向いてきたように思う。 昨日は意外の晴天になったので、農作業を楽しんだ。 桜のポット植えと地植えの鉢上げは、地植えの方が生育が良いので今後はこの方法をとろう。去年は千本の育苗をしようと計画して種は採取したものの保管中にねずみに食べられてしまった。保管とはいいがたいので、保存中といいなおそう。今年は欲張らないで100本ぐらいを確実に育てよう。植える場所がないこともわかった。昨年の台風の塩害で島内のほとんどの蜜柑類が実をつけていない。半分以上が枯れたと思われる。かろうじて自宅のは生き残ってはいるが、上半身は枯れ枝のままで、再生もままならない状態にある。 そのことは 運が悪かったとあきらめよう。 去年の服は脱ぎ捨てて発想を新たに再出発だ。もうすぐ旧正月がやってくる。植物が新たに樹液を活動させる季節がやってきた。 春が来る。
2012.01.19
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またもや画像の編集が上手くできない。 昨日の取り込みの失敗を補う作業をしているがどうしたのだろう、ディスクトップの写真が取り込めるだろうか?やってみよう。 昨日と 〃写真だったが アップできた。公開するを ぽちっと・・・。
2012.01.18
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田舎で働き隊のなっちゃんと、ヨロンマラソン完走記念メダルの作成現場で研修することができた。粘土でつくられた、シャコ貝メインにをデザインした型がすでにできていて、それを石膏とシリコンを使ってもうひとつの型を作る作業だった。 製作者は清野さん。オオゴマダラ蝶を再生する仲間で、NPO与論島ウンパル学校の監事にもなっていただいている方である。年齢は70歳を超えたばかりで、白髪老人に見えるがなんのその、ヨロンマラソン第20回連続出場を成し遂げた健脚の方でもある。与論島移住暦は40年ぐらいになるだろうか・・?絵描きの夢から看板屋で生計を立て、結婚して子供を独立させ、奥様は公文塾の先生、本人は 自給菜園とマンゴーの栽培に余生を楽しんでいるが、あれやこれやと、行事のたびに本業が舞い込んでくる。 断りなしに書いているので、これぐらいにして、研修現場の写真を載せてみよう。
2012.01.17
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実エンドウの栽培に関する記録を目にした。 「小さな恋のものがたり」 13集をちょっと読んだ。もうそんな年でもないが・・・、もっと現実的にならなければ。風呂からあがって夕食までの時間にペンを執った。少しでもいい暮らしを心掛けたい。園芸部会で午前中、午後は徳之島の生活改良普及員等5名を案内、島めぐりを楽しんだ。林さんの栽培している実エンドウは自分達も作ってみたい作目だ。単位収量のあがる作物だし風にも強いらしい。不安定なカボチャに比べて確実ではなかろうか・・・? さて、昨夜は風気味で早寝したが、今夜は9~10時は農業雑誌でも読むことにしよう。勉強したことを復習しないと忘れてしまう。それに新しい情報等データを常に頭に入れておかなくてはいい仕事はできないだろう。外でも家でも計画性のある生活をしなければならない。晩酌は慎むことだ。毎日毎日の積み重ねが大切だ。自分の目標を見失うことが無いように!生活をするための農業(仕事)であっても、仕事のために自分の人生をフイにしてはならない。まず第一はだらだらした生活をしないことである。 S.56.2.17(火) 実エンドウの栽培に手がけたのは 立長伊波地域の 林さん上谷さんだった。 導入経緯のことを 聞き取調査する必要がある。 台湾の輸入ものと競合することになって 結局は産地形成には至らなかった。 昨日 面白い軽自動車に出会った。 オートバイのカブエンジンで製作されたミニカー。 日本一周目指して 旅の途中下車。 お会いしてお話を聞くことが出来た。 これでござりましゅる・・・、みんしょーり。
2012.01.15
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ノウゼンカズラ科のタベブイア(ピンクイペー)を映像に取り込んでみた。 楽天ブログの写真の取り込み方法を忘れてしまって、試行錯誤をくりかえすうちにやっと取り込めるようになった。新しいデジカメ、オリンパスのTG-610はブログを更新するたびに 左画面にちらつくので まんまと罠にはまってしまった。私には手ごろな値段だったので風景写真用にと購入した。 使い方と写真の撮り方をこれから勉強するとしよう。 笑わないで 初歩的ことからアドバイスをよろしくお願いいたします。 この手にご用心。
2012.01.13
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画像の取り込み練習。 取り込みができました。 昔の写真を もう一回練習。 皆田海岸にて 古里海まつり
2012.01.13
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よろんちょう議会だより 第101号 きれいな星空を守りたい。 職業 上野写真館勤務 東亜天文学会維持会員 上野裕司 氏 上野写真館の兄弟が星空に興味を持っていることはハレー彗星が接近したS.61.3月に琴平境内で望遠鏡をセットしている姿をみて知った。兄は高校の時、科学クラブに属していたので、鍾乳洞の探検でいっしょに行動したことがあった。日本野鳥の会員でもあり、蝶のことにも詳しいので色々と教えてもらった。信州アサギマダラ研究会の小冊子でアサギマダラの渡りの記録を紹介されたこともあった。 弟が天体観測をしているとの情報を得て、皆既月食を反射式望遠鏡と屈折式望遠鏡で見せてもらった。説明を聴いて、これは本格的だと思った。与論島人(しまんちゅ)にも星の専門家が居るとの喜びで教育委員会に話しかけたことがあった。 彼の兄弟はなかなか大衆の目には出てこないタイプで星空観測などの活動の様子を知ることは無かった。 その後、与論町の広報誌で 小惑星「Yoron」について紹介された。やった・・、物凄い・・、 与論島での快挙。宣伝効果抜群だ?・・・、と、にんまりしたことがあった。 しかし、関心がある方々にも出会わず時が過ぎた。昨日何気なく手にした議会便りを開いた。ゴミ箱にいれようとしていた物だった。 昨日、サザンクロスセンターに入館して寄贈された反射式望遠鏡を見て触ってみた。まだ使えるとのことなので、機会ができるのを楽しみにしている。 今後について・・・、として、教育委員会が主催する星空観察会などに協力してきましたが、今後は要望があれば、中高校生の自由研究等でも協力していきたいと思います。さらに、私の友人たちには、海洋生物の研究者や大学教授をしている者がいます。彼らを島に呼び、星空だけでなく、島の自然を守るための実践的な講義をしてもらえるようにしたいと考えています。 こんな人材を生かして欲しいと わたしも一言言いたい。 机のマットの下に 今もハレー彗星の写真、 上野兄弟撮影が目に飛び込んでくる。
2012.01.12
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いろはがるたに いにしえの おしえをきいても となえても わがおこないに せずばかいひなし とあったような記憶がある。 子供のころ 正月といえば 凧揚げにこままわし雨の日は すごろくかカルタとりにうちふだ お手玉みたいな遊びに 「うっちゃい」とかいうのがあった。 昔の遊びを再現したいとの思いがある。 有志を募って 来年の正月には むかし遊び大会を開催しよう。 老人クラブに入会する年齢に達するから。 今年の旧正月に開かれる ハミゴー遊びに提案してみたい。 呼びかける人がいないので 与論郷土研究会の提案として文化協会に相談してみよう。 伝承文化として価値を認めてもらえる遊びが沢山出てくると思う。 私が記憶してる遊びだけでも 20ぐらいはあるだろう。 花丸 馬のぶとぅ 目玉 国盗り にっちん ・・・。 大切にしまっている 与論村要覧 を開いている。 農業の概要を作成するときの参考になった資料だ。 もしかすると この一冊しか本町には残っていないかもしれない。 どこかにあったとしても 日の目を見ることもなかったかもしれない。 農業誌を書くときの参考資料にしたいと思ってとっていた。 昭和33年版となっているので その前のがどこかにあるだろう。 与論村勢一覧表 馬(21) 豚(4,036) 牛(1,540) 山羊(215) 種牡牛(2) 種牡豚(3) 家禽鶏卵(8,420) 村吏員 事務吏員(16) 技術吏員(11) その他(15) 米 (2250反) 麦(481) 豆類(2003) 甘藷(3980) 砂糖黍(1746) 蔬菜(1270) イグサ(160) 緑肥(300) ソテツ(480,000本) 蚕業 桑畑(184反) 養蚕戸数(1,082戸) 産業課に配置替えされて 経済の概要作成を大内先輩から教えてもらい引き継いだ。 大内先輩は獣医を兼ねた畜産指導員で、 車の免許を持ってらしてなかったので運転をさせてもらった。 畜産のことを学んだのは先輩のお陰することが多い。 焼酎が大好きで 一杯がはいると 「なが口上は時間の妨げ・・、乾杯」 陽気な先輩だった。 めんない千鳥がすきだった。 乗馬した先輩の馬の手綱をひいて 茶花小学校の校庭で 互助会の運動会をしたことが懐かしく思い出される。 どこかに 写真があるはずだが・・・、見つけ出せない。 忘れ得ない大先輩だ。
2012.01.10
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28歳の誕生日から3日が過ぎた。5月も今日で最後の日になっている。来月4日に照明検査があるというのでここ数日は作業や月報の整理で仕事らしい仕事をしている。いつも今日の日のような勤務態度でなければならないのに、ついつい居眠りしたり週刊誌を読んだりの無為のときを過ごしてしまっている。 新年の抱負として「初心に返ろう」と誓ったのに未だに実行が伴わない。5ケ月が過ぎたけれど遅くはない、本気で考え直そう。与論にUターンした頃の「ボクの小さな世界」をあらためて追求しよう。3年前とは生活もだいぶ変わってきているが「夢」は同じだ。あの頃より夢を失くする方向に進んでいるのではないかと心配する。もっと真剣に悩まなければならない。酒と?に溺れすぎてしまった。 まず第一に 晩酌を慎むこと。 第二に 友達つきあいは適度に 第三に 毎日の反省を日記に 子曰く 吾十有五にして学に志し 30にして立つ 40にして惑わず 50にして天命を知る 60にして耳に順う 70にして心の欲するところに従い矩をこえず 30歳まであと2年足らずになった。その年が来たら自分の顔に責任を持たなければならないとも言われている。 一日一日を大切に生きよう。 日々是好日
2012.01.10
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人々の心は荒廃し、迷いと欲から脱することが出来ない人々の何と多いことか。信じられない悲惨な事件があとを絶たず、親子が殺しあったりしてしまう。世の中の人々のために働くべき聖職者(政治家もそう)は本来の勤めを忘れ、私利私欲に走って徳を顧みない。 何か大きなものが忘れ去られ、陥ってはならない迷いの淵に人類全体が足を突っ込んでいる。そういう危機的状況に気付く人すら少なくなり、逆にそういう状況を是としたり、そういう状況ありきですべての物事を考える人が増えている。正しい道を示されるとまぶしくて正視出来ない人が増えてきているのです。 でもそのような人々を、悪しき方へと引きずって行こうとしている人々もまた、生かされてさせられているのであり、それは神様の「お試し」に克つことが出来ず、目の前の虚栄を悟ることが出来ず、また先祖の道から因縁を持たされて道違いを重ねている人々でもあるわけです。 そういう人々こそ、第一に祓って上げなければならない。私たちに替わって罪をおかしてきた人々であり、私たちは『愛と慈悲』でもって彼らに接し、道を示して行かねばなりません。例え彼らが私たちに対して暴言を吐き、暴力を振るい、強い拒絶を示そうが、私たちはもっと大きな力で彼らを抱擁して上げなければならないのです。 ゆしぐとう 琉球の御嶽信仰(うたきしんこう) 琉球神開 先祖供養の十二支廻り より転載 還暦を記念して 記す。 私はR依存症と真摯に向き合っています。 自分が 自分自身で 替わらなければ治らないと思っています。 一応 十二支廻りを6年以上かけて回り終えました。 これから先十二年をかけて、夫婦で廻れたらと思っています。 今年から年金暮らしにはいりますので 何とか実現できるのではと 希望を持って新年の抱負にしたい。
2012.01.09
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私たちの体には、先祖代々受け継がれた血が流れていて、そこには「因縁」というものが働き、私たち一人一人の道を決めている。ほとんどの人は自分の力で生きている、道を歩んでいると思っているが、本当はそうではありません。人との出会いや事故・事件、あらゆることは偶然のなすものと考えますがそうではないのです。 私たち人間は誰でも皆、神様によって操られている「操り人形」なのです。人間一人の力なんてしょせんは知れているもの。そんな人間たちでなく自然までをも支配する大きな力がこの世にあって、その力が天変地異をも引き起こしています。私たちはその大きな力によって、すべては生かされてさせられているのです。 キリストは告白・懺悔をすることによって、或いは洗礼を受けることによって人は罪を赦されると説き、釈迦は迷いや執着(欲)から解脱することによって救われると説きました。そのごの仏教の聖者たちは一心に念仏を唱えることで極楽浄土へ導かれると説いています。 これらはみな、人間とはすべて生かされさせられていることの証であり、大昔の聖人君子たちはそのことをしっかりと理解しているのです。 現代の世の中はどうでしょうか・・・・? ゆしぐとぅ 琉球の御嶽信仰(うたきしんこう)より転載
2012.01.08
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辰年生まれなので与論中学校第20回卒業生の同窓会で還暦を祝った。実行委員からはずれていたのであまり責任も感じずに当日を迎えた。還暦まで断酒を公言して、還暦の祝いには与論献奉の大杯係を申し出た希望が叶って5名のなかの一人に指名された。喜び勢い余って酔いつぶれてしまった。おまけに舞台で転んで腰をしたたかに打ったとのこと、5~6名にかかえられて隣の和室にねかされていたところ女房にむかえられて目が覚めたのは朝方であった。酔いはさめていたが臀部がはれあがり痛みがあって容易には立てもしなかった。祝杯の途中からの記憶が全くない。しかし、いっしょに飲めて語れた最初の記憶で充分だ。次は数えの73歳・・・。何名が生き残れるのだろう。0歳からのスタートの年だ。 琉球の御嶽信仰(うたきしんこう) 先祖供養の十二支廻り 今からおよそ750年昔、琉球初の王統であった瞬天王統の三代目義本王(ぎふんおう)は、打ち続いた天変地異や大飢饉によって国の人民の半数が死ぬという事態に、すべては王自身に徳がないためと責をとり身をひいた。 国王の位はあらたに英祖王(えいそおう)が継ぎ、義本王は人知れず野に下る。そして琉球のすべての間切に足を運び、人々の信仰のためにと、御嶽や拝所を設けて廻った。義本王のこの「行」により、琉球の御嶽信仰は一層人々の心に広まったと言われている。 琉球新開 ゆしぐとぅ より転載
2012.01.07
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蓮の葉桐(ハスノハギリ)を12本還暦の記念樹として植えた。防風林を兼ねて 竹酔苑第二圃場を整備することにした。琉球のウタキ(御嶽)信仰の国番(卯の方)の聖地に種から落ちて生えていた苗をもらってきて育てた。 退職記念に走ったヨロンマラソンの完走記念に赤崎とイチョーキ長浜・コースタルリゾト、そして自宅の庭に植えたのが最初、その残りを鉢植えにして育てていた樹である。海岸の最前線に植えて枯らしてしまったこともある。 与論島では、朝戸と城の民家で見かけた。幹周りが一番大きいのは琴平神社境内にあるが風当たり強いので高く伸びることが出来ないでいる。 大島群島内で銘木になってるのが喜界島にある。津波で種が運ばれてきて自生したと記されてあった。その銘木を観た時、何時か植えてみたいとおもっていたのが叶った。喜界島のガジュマルの樹、アカテツの大木にも感動した。神様の、あるいは精霊が宿る樹だと思った。 桐の樹の種類かどうかをこれから調べてみよう。十二支をひとまわりしてきたときどのぐらいの大きさになっているのか楽しみだ。50年後には 古里の丘の神木になっていることだろう。120の位まで生きていたらその姿に会えるのだが・・・。僕の魂の宿る樹になっているかも・・・、 恐ろしい。夢を見る。
2012.01.06
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役場の在職中の記録を引っ張り出して私が係わってきたこと感じたこと、聞き取りしたことなどをまとめることを始めよう。 誰かがやっておかなければならないと思ってこれまできたが先輩方が先にやってきたことを自分やったかのように書き残してしまわないかとの思い上がりがあってなかなかてにつかず、書き出しを躊躇している。 還暦を機会に下書きのつもりで始めてみたい。経済の概要を基にして年代順に作物の導入事始をしるしていこと思っている。もたもたしていて、元農協長の谷山先輩の聞き取りをすることが出来なくなった。野菜振興会長、花き振興会長が健在のときに聞き取りしておかなければならない。糖業と畜産については誰か担当してくれるとありがたいのだが・・・、生活部門については おおよそ自分もかかわってきているので何とかなるだろう。 今年の半年で大雑把にまとめることとしたい。そして つどつど追記したいと思っている。風俗や歴史については郷土研究会の若い方々に期待したい。あと植物の雑感もまとめたい。次の辰年までには自分史も出来ればと思う。 書初めとする。与論島まるごと博物館 を充実させること。
2012.01.05
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本 兼光 作(創元会) アトリエ・ノアノアにて 琉球では十二支の年廻りのお祝いをする。風車祝(カジマヤー) 97歳が極め付きらしい。残念ながら私はまだ カジマヤーに呼ばれたことがないのでその様子を記すことができないが、沖縄での祝いの映像をTVで見ることがある。赤いチャンチャンコを着せられて恵比寿様みたいに迎えられる姿が微笑ましく写っている。 今年は辰年。与論町中央公民館で昭和27年生まれ、与論中学校第20回卒業生大同窓会還暦祝いに86名が参加する。実行委員会がはやばやと組織され基会長の下で準備万端に今日を迎えた。私は連絡係の役目柄何の気遣いもせず、祝杯係を名乗っているので気楽に本番を待つのみだ。 地主神社お祓いの神事で始まり、集合写真撮影、シーポゥ(お神酒を戴く)、開会宣言、祝舞、挨拶、乾杯、演芸、祝杯、かりゆしバンド、カチャーシー、閉会挨拶、万歳三唱、閉会宣言。15:00~21:10 片付け~二次会へ 四十九歳祝(クントゥグンジュー)、こんどくると五十歳も基実行委員長の下盛大に祝った。ビデオVHSの録画があったが何処かにしまってある。今度はDVDに録画する。73歳の祝いには また新しい映像機能で録画されるのだろうか? 古いアルバムを懐かしく取り出す機会が多くなるのは齢を重ねたせいだろう。初めてのは十三祝いだった。 パンタの川内さん撮影 「不断の努力」 「明るく 強く 正しく」 浜田 一夫先生に感謝。
2012.01.03
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自治公民館誌の話題を初めて聞いたのは西区集落だった。西村館長さんの時だったと思う。久野さんも「その話には乗ったとおっしゃって」、できるのを楽しみにしていたが、二人とも逝ってしまわれた。 与論町誌は益田元圃教育長の編纂で立派なのが出来てるので、次はどこかの集落から集落誌が出来上がりだろうと期待している。古い歴史を持っている西区、朝戸、城集落が手本を示せばそれに添って各集落作っていけると思う。先鞭をつけるのはどの集落だろうか・・・。 古里集落のことについてはやはり古里の住民で書き残しておきたいものだ。昔、蚕を孵化させるための補助事業で集会場なるものが各部落にできた。古里のもそのひとつで、子供の頃にはそこでよく遊んだものだった。かくれんぼうをして遊んで、地下室に飛び込んで息をころしたことも・・・。棚には書類がいいいっぱいあって、その隅にかくれたことも・・・、あの書類はどうしたのだろう。 古里の集会所の移転問題で集落が真っ二つに割れた。このいきさつを語れる人はもう少ない。聞き取りするのが遅れている。有志を募って三年内に聞き取り調査をしたいものだ。 現在の集会場(自治公民館は)福祉と教育の二つの事業で建てられている。古里は青少年育成センターとなっている。こんなことも 後世に伝えておかなければならないだろう。自治公民館連絡協議会で話し合う事柄は多いと思う。議会を衆議院に例えて、自治公民館連絡協議会は参議院だとも言える。地方自治を唱えるならまず集落自治が基本だと。教育委員会の管轄で自治公民館連絡協議会が予算化されている。教育行政の伝達機関といわれないようにもっとしっかりと住民の意見を町政に反映したいものだ。 手元に古里自治公民館綴がある。昭和63年総会資料の書記会計に私の名前が記されている。館長は叔父の 本 福雄さん福館長は林 茂輝さん 会計 西 武雄さん。教育委員会の職員川畑義谷さんが規約をお膳立てして益田教育長の下で各自治公民館組織が作られ活発な活動がされていった。 昭和63年8月4日 各 位 古里自治公民館長 本 福 雄 盆踊り開催について (ご案内) 13日 盆踊り、郷土芸能、ラブアタックゲーム バラエティショー、ビール早飲み大会 盆踊り 14日 盆踊り、のどじまん大会、カチャーシー、盆踊り 63年真夏の夜、 古里で なにかがおこる! 我が古里を起こそう。 故郷・古里・故里・ふるさと・・・・・・・・・・ 星降る里。
2012.01.01
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