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新しい月の始まりだ。今日も気分爽快、快食、快眠、快便健康が一番だ。 S.52.2.1.火(雨) イーヌ畑のキビ刈り 小雨の天気だった。西畑(イーヌはたけ)でキビ刈り、午前中は10束だった。仕事は楽しく疲れない。夕方から雨が降り、カッパを着けたり脱いだり。5時ごろから担ぎ出し、肩が痛くてしょうがない弟が手伝いにきてはかどり、7時前に家についた夜は父の背広を借りて着けてみているいちにあれこれ引っ張り出してつけてみる、Rからもらったネクタイを締めてみた。なかなか似合う。 あーあ眠い。 PM 10:00仲順の 赤木七枝踏み上がり 鳩の夫婦が 孝行となく (沖縄 中城にて) 経営構造対策事業の行方について H.12.9.24 美知瑠の運動会の日、シドニーオリンピック女子マラソンで高橋選手がみごと金メダルに輝いた。勝つための努力は計りしれないものがあるだろう。昨日はサッカーがPK戦で敗れた。期待していただけにファンのショックは大きいだろう。 僕の担当している経営構造対策事業も座礁してしまった。昨日から検討してきた複合経営促進施設は22日平田氏宅にて話し合いを持ち、県の指導している団地化と共同利用の理由づけがむづかしいとの結論で事業導入を断念し、県単園芸ブランド事業で予算わくを広げて採択してもらう様お願いすることで話がまとまった。もうひとつの、集落営農機械化組織については、受委託作業が明確に説明できるかどうか,又、規模決定根拠、補足説明資料の作成が期限内にできない事由により中断している。明日、支庁の白石技師が来島するので指導を受けることで行方をさがしたい。 昨今、「ケ、セラ、セラ』の心境である。今朝方は、水平方向に加え、垂直にも飛べる夢をみた。それをきいた高校の教諭が特殊能力を記事にしたいとの夢事であった・・・。願望がよくでている。その前の日の夢はミナタ離れの潮の出入り口での、台風の波をうけての脱出状況の夢も今の心境そのままである。 挿絵あり・・・。 願望どおり事が運んだらどんなにいいものだろう。夢で知らせるといった沖縄のあの「ガブガブの神」を信じたい。 今日、中学校へ行く道すがら、台風のあとに切られた森のあとを見て、ちょっと気にかかった。石積パンタの下の道路の右上部、按司根津栄のインジュルキの戦い跡(屋敷)、朝戸公民館北側の屋敷跡(?)、残しておきたい屋敷林が消えていく。大きなガジュマルが倒れていく危険性からだろうか・・・。寄らば大樹の陰というけれど・・・。 14号台風でナンヨウスギが折れてしまった。ホウオウボク、トックリキワタの枝もだいぶ折れてしまった。家の近くに植える樹等、他人に迷惑がられる木の植栽には気配りが必要だと反省している。新しい品種を持ち込んだ者としての責任を感じなければならないだろう 後々の管理もよく考えて行動しなければならない。在来の品種を生かしながら、用途の高いもの、金のなる木を植えなければならない。産業課で防風林の普及に力を入れてきたつもりでいるが、イヌマキの樹種選定は失敗だった。キオビエダシャクに食害されたのだが、混植によって救えないだろうか、自分のところで試してみる必要がある。自分が生涯かけてできることといったら、木を植えることしかないと思える。自分の屋敷内に動植物が調和できる生態系を作りたい。 さて、経営構造対策の目標は担い手農家の育成であり、地域農業の変革である。いくら農業が好きでも、職業として農業で食べていけなければ後継者は残らないだろう。将来の農業をどうするかは、さとうきびの経営方法にかかってくると思う。製糖工場の存続とあわせて、農政を本音で語り合わなければならないと思う。きびの機械化が進まない中でのさとうきびの規模拡大は困難である。喜界島の農業事例は本町においては真似のできない土地基盤整備状況がある。畜産農家は活気がでている。機械化による大型経営が可能になっているからだ。しかし、畜舎などの建設費、元牛導入など、経営規模の拡大には資金が必要なことも現実的な問題である。今年の上位20の内10人が畜産が主の経営であった。後継者がいることも強みである。 施設花き(ソリダゴ)も高収益を上げる品目として位置づけられ、経営の柱となりえている。花き農家についても目標が設定できたと言えるだろう。 まわりの産業構造を考えると、観光の落ち込みは厳しいものがある。商店街もあまり活気がない。このままの調子で人口が減り続けると、与論島全体が倒産してしまうのではないだろうか。町の財政が苦しい・・・、公共工事が少ない、教育費の負担が大きい、医療費が負担仕切れない・・・。どういった方策を取ればいいものだろうか、節約しかないのではなかろうか。 自分の家庭の財政事情を考えるとしよう。現在、農業収入は0であるから給料、まゆみのアルバイト代、父母の年金収入で日々暮らしをしている。長男・正太郎が就職することになったので学資の仕送りしないですむ事になりそうだけれど,長女・紘歌の時になったら借金するしかないだろう。2人、3人と学資を仕送りしている家庭はどんなやりくりをしているだろうか? だから夫婦して皆一生懸命働いているのだ。本来農業収入で生活の足しにしなくてはならないのに、父が病気してからは農作業を放棄している。 体育館で弁当をたべたあと、シニグ道を通って家に帰ったあと役場に行った。耕地課で3名頑張っている。T・Kがここのところいつも残業だ。公共工事を導入し職員も残業してやるくらい仕事をしなければ、皆が生活できない社会になるのではあるまいか。 昨夜、アメリカ大統領選挙の応援合戦を見ながら感じた事は、アメリカ社会に変革が起きるのでなかろうか。アメリカはIT産業を打ち出し、世界経済を牛耳っている、がしかし、この便利社会はいつの日か足元からくずれるのではないだろうか。アメリカに追随してきた日本経済がまずはじめにおかしくなるのではないかと懸念される。相次ぐ金融業の破綻、ゼネコン、大企業の統合、リストラ、先行きは不安材料ばかりである。与論島の金融業、建設業も果たして大丈夫なのだろうか。建設業界に仕事がなければ出稼ぎしかない。おのずと人口が減少し、経済は小売店を直撃する。外資を稼ぐ施策が必要となるが・・・。 農業を興さなければならない。M(株)が畜産に目をむけている。その前は、観葉・洋欄に手がけていたがどうも成功したとは思えない。農事組合法人龍美組合の果樹についても未だ実績が出てこない。今年の台風では、果樹の施設も大分被害があるはずだ。与論カボチャを生み出したように、特産品を作るまでの生みのくるしみだろうか。しかし、熱帯果樹は魅力ある品目である。 防風林帯をしっかり整備し、長期構想のもとに島の農業を展開する必要がある(果樹について) 消費市場を沖縄に定めた農業の展開を考えると楽しくなる。今のところ輸送費が割高になっているのがネックだ。夏野菜・冬野菜の流通を考えると、沖縄市場をもう一度考える必要がある。 将来の自家農業を考えた場合、まず後継者を想定することができない。正太郎には、よろんの事は考えないで自立くれと言っている。現在保有している農地では今の農業では食べていけない。他の産業にも従事できるあてもない。もしチャンスがあれば、何か資格を取って,それを生かせる職場が島にあるかどうかだ。それまでは島をあてにさせてはいけないと思う。かれが定年退職して帰れる家づくりを夫婦で心がけねばならないだろう。 そのために 多額の借金をしない 自分たちの稼ぎに合った生活を心がける ムダ使いをしない 事故をおこさない 先祖や親を大事にする 長い目で世の中を見つめ謙虚な気持ちで生きる 子どもを信じ正しい道を歩ませる 自立し、自立させる 金銭感覚をきちっとする 恩返しをする やさしい思いやりのことばをかける 自給自足の食生活を目標とする農業基盤づくりを心がけている。竹家にしかない独自の生産物(特産品づくり)が物々交換品として気持ちよく相手に受け入れてもらえる、漬物・果実・たけのこ・野菜・香料・花き・薬草等々。屋敷内で採れる(生態系を利用した)ものを生かす工夫を今から考えていくとしよう。 有機農業の確立 ソテツ等在来種の利活用 海産物の有効活用 この仕事で行きづまってから、人前に出るのが億劫になっている。何をしても自信がもてない。気力がなくなっている。仕事をやめるしかないとも考えた。しかし妻や子どもの生活を考えると、農業で食える当てもないし、ましてや他の仕事など手に技術がない身にとっては何とか今の仕事を続けさせてもらうしかないであろう。美知瑠の高校卒業までは何としても持ちこたえなくては・・・。あと5年。53歳。美知瑠が短大卒なら55歳。耳も悪いし、世代交代の時期だし、第二の人生に余力をのこしの退職となるいいころあいではなかろうか。 去年の今頃は父が生死のさかいであった。そう思えば現在は、去年より気を楽にもったらいいと思う。父母は、自分らの身を削って苦労し、大学をだしてもらい今の職につけさせてくれた。両親には孝をつくさないといけない。しばらく母を見舞っていないので久しぶりに花を届けたい。いつか自宅で介護してあげないといけないのだが・・・。今のほうが手厚い介護になるかも・・・父が生き生きと暮らしているのがなによりだ。パッションフルーツの畑を父にゆだねた方がいいのかもしれない。僕も元気をだしてマンゴーや果物の手入れに精を出し、活力をつけなければと思う。父も母も、たぶん長生きするであろう。母は回復する気配はないが目に見えて弱るという風でもない。いじけないでくれたら、今のままで生活を安定させることができる。兄弟の協力が必要になってくる。MAは専門学校志望とのことで資金借用の保証人となった。MIは短大を今年卒業だろうか?農協は停年が早いときいている。弘伸も子供をひかえているので頑張らないといけない。 親持ち子としての責任は、先祖のお墓と屋敷守りだと考えている。親戚づきあいを極力おさえているのは竹家の血統からだろうか。反省する点も多いけれど、次世代のことを考えるとその方が(自分も楽)いいと考える。 5年前の 記録より転記する。 金城先生にお会いしてからいろんな体験しました。 平成18年4月17日 又の転記 断酒続行 10ケ月になりました
2007.01.31
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今朝は作業する気がおきなくチレットと小浜の海岸を散歩しながらごみ拾いをしていた天気が良かったので時間を気にしながら日の出をまっていたら旅の人と思える男の人が浜に下りてきた神戸からとか・・・、話している途中日の出がみられ急いでカメラをむけたら電池切れやっとこ2枚がとれた。お客さんは幸運にも日の出が見られたと喜んでいらした仕事中役場で今朝の男の人みつけたが電話対応している間に見られなくなり、外に出て捜したが結局雲隠れのままだった昼休みに楽園荘の秀行くんから朝日の写真頼まれたので送信するつもりができずプリントを持参し訪ねたら毎年この時期に来島してらっしゃる田中さんにお会いすることが出来たいつか、ブログでお目にかかった方とわかりこれからお会いするのが楽しみである。 今朝の 日の出はこのとおりでした
2007.01.31
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与論着 エメラルドあまみ(貨客船)にて寄港地名瀬を発った。かなり揺れるが寝るにはその方がよけい気持ちが良かった。父が迎えに来てくれていて、帰宅途中老人ホームに祖父母を見舞った。祖父はやせ細っていて哀れに見えた。 昼食を済ませると、キビ刈り、久しぶりの肉体労働。風呂から上がると、観光課長のTさん宅を訪問、これからの役場での仕事のことを色々指導していただいた。産業課か観光課のどちらかに臨時に使ってもらうことに成るだろうとの事であった夕食は話が弾んで楽しかった。将来のことをじっくり考えなくては・・・・。 S.52.1.31(曇) 足跡 送別会の資料の一部を手に入れたので紹介します 当日は パーポイントで写真入で面白おかしく紹介してもらえると思う 友達って本当にありがたい 職員互助会に感謝しながら酔いしれたいと思う S 52.4.1 与論空港管理事務所勤務を命ず S.55.7.1 産業課に配置換え 5.1 結婚 H. 3.4.1 産業課 農村振興運動推進係長 H. 5 4.1 町民課 国民年金係長 H.10.4.1 産業課 農林水産特産係長 H.12.4.1 〃 農政係長 H.15.4.1 町民生活課 戸籍住民係長 H.16.4.1 〃 主幹兼環境係長 H.18.4.1 〃 主幹兼係長 H.19.3.31 勧奨により退職 盛首ヤカ 30年間お疲れ様でした。 自分の一生を外部から回顧してみると、特に幸福には見えない。しかし、迷いは多かったけれど不幸だったとはなおさらいえない。あまりに幸不幸をとやこう言うのは、結局全く愚かしいことである。なぜなら、私の一生の最も不幸な時でも、それを捨ててしまうことは、すべての楽しかった時を捨てるよりもつらく思われるのだから。避け難い運命を自覚をもって甘受し、良いことも悪いことも十分味わいつくし、外的な運命とともに、偶然ならぬ内的な本来の運命を獲得することこそ、人間生活の肝要事だとすれば、私の一生は貧しくも悪くもなかった。外的な運命は、避け難く神意のままに、私の上をすべての人と同様に通りすぎて行ったとしても、私の内的な運命は私自身の作ったものであり,その甘さ苦さは私の分にふさわしいものであり、それに対しては私ひとりで責任を負おうと思うのである。 「春の嵐』ヘッセ著作集 高橋健二訳 より 本の裏メモ5/28 9時前投薬 その後安眠 睡眠薬は看護婦から飲まさなくてもいいとのこと5/29 5時 オムツ変えのため起こされる、取り替えたあと尿意があるというので オムツのセットをやり直す。起き上がり動作を繰り返していたが落ち着いたので 自分も眠る。ガタンとの音で目が覚めたら、ベッドの南側に落下、ベッドに戻し オムツを直し、寝かしたら静かに寝る。(6時5分ごろ) 8:45朝食終わる。スプーン1さじは自分ですすれるが自己能力なし、汁、おかゆは全部 食する。調味のミソは好きである。魚をくずしミソ汁にいれてやる。 応答はほとんど不可。看護婦さんがスプーン使用を勧めるが不可。5/30 6時応答できるようになった 母の看病の様子のメモらしい やっと 夜明けが近くなった 音楽はフルート演奏に変っている。 協奏曲は誰のだろうか・・・。
2007.01.30
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久しぶりの絵手紙いただきました。「一月ももうお終い 逆境に負けない気持ちで 頑張りましょう 今日の東京は春のよう 感謝」 ハタハタの墨絵が大口あけて笑っている お礼の電話いれたら、はじけるような元気な声肝炎の治療を一年されて回復された様子 4月にドイツに旅行とのこと 話のお土産まっています。 あと一通は小包みで、ナカニシヤ出版社から「与論島」の本の売れ行きが鈍っているから宣伝に努力してくれるようにとの励ましのことば。そういえば、ほとんど努力していない。教科書みたいで、よんで面白いというものでもないので学問のすすめをする気になれないがヨロンマラソンが近いので空港売店用に注文しておこう。 頂いた小包みを神棚からおろしてこれからお茶をいれかえていただくとしよう。 夜明けまでずい分時間があるので 久しぶりに随想でもとおもうのだが オリーブの苗木を早く植えたいものだから 気持ちがそこに行って集中できない。 とりあえず、今朝はここまでにして パーマカルチャーの雑木苑の写真を載せてみよう すまし顔のチレット カメラに向かって ミャーウと泣いてくれたら いい顔してたのに
2007.01.30
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携帯からオリーブの苗木が届いたと妻の声。帰宅が待ちどうしく小豆島をネットで検索してみた。なんと島の多いことか。オリーブの苗を機会に友好の島結びをすると面白そうだ。私の住む与論島はギリシャのミコノス島と姉妹都市盟約を結んでいる。そのため町並みをギリシャ風に白い壁に統一する運動を展開しているギリシャ村にはオリーブの木が植えられ地中海に似せた建物が建てられそれなりの雰囲気をかもしだしている。ギリシャむらの「海カフェ」から眺める漁港と夕日はすばらしいヨットハーバーもできているのでそのうち地中海の趣が益々できあがっていくであろう。 オリーブの品種は ネバディロ・ブランコ 小苗が付いて 育て方の説明が付いているので 私の新しい旅立ちの記念に植えるとする。 ヨロンマラソンを完走できたら記念写真としてご紹介します。 あんくんさん ありがとう。
2007.01.30
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雨の外苑 夜霧の日比谷 いつもこの目に 優しく浮かぶカラオケで歌うレパートリーの一つだ古いと思わないで下さい新し物欲しがりのわたしです なんていうのは はやらなかったような 鶴田浩二さんは まだ歌ったことがない歌うのは懐メロ演歌メロメロなのだが今かかっているのは ピアノ協奏曲第15番と表示されているが誰の曲かわからない聞き流すには丁度良い目覚めすっきりモーツアルトのシリーズのようだ妻がオーディオ好きの先生から頂いたもので書き込みしながら聞くには丁度良い感謝している。出来れば、往年のアーチストのジャズなども欲しいので頼んでみよう。 さて、1月も残り少なくなった。 引越し 梱包 23,000円 日通運送費 30.000円 真ん中にコタツだけの部屋で書いている。桜草、リンゴ2個、やかん、ケーキ1個が目の前にある。9時過ぎに梱包屋が来た。書簡類をつめているところだった。1時間もしないうちに片付いて、ガラクタだけが残った昼前までに・・・・。 29日土(晴) 羽田より鹿児島へ雲のじゅうたんが広がっている。機内でシバの女王を聞きながら書いている左側、窓際の座席になったが視界がきかず、それに雲ばかりなので楽しくはない新幹線の方が旅情があるといえる さて、今朝は弟の友達の家で目覚め5時半に井田公園でタクシーを拾って・・・羽田に着いた。見送り塔から機内が見えるはずもない別れは船に限る。 あーあー、この開放感・・・素晴らしい。 S52.1.30.日(曇り)
2007.01.30
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スイレンとプラティのためにドラムカンの水ためを造った大雨のとき水がたまりすぎてあふれてプラティが泳ぎ出て2度と帰らぬ定めとなったニモみたいな運のいい友達に出会えなかったのか私が残酷な池を作ったせいだろうか作り直すことにした作業中の状況をご覧下さい
2007.01.29
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ダイバーから鯨の鳴き声の便りが届いた火葬場のこの沖で鯨の潮吹きが見れるかもしれない期待していてください 7時に起きて、中原駅前で田舎に電話したら留守であった。戻って荷作り、それから経堂へ行きキップを買い、第三研究室に本を返し経堂で再び田舎に電話したら父がでた。お金を送ってくれたということで安心、アパートに帰ったら手紙が届いていた。3時過ぎに区役所で転出届けをしたあとに現金封筒で5万円が届いた。荷作りでてんてこ舞いをして今、一息ついたところだ。これから、ビニールかけをしなければそして今晩のうちにチリをだしておきたい明日は寝具を袋につめて日通がいつきてもいいように準備すること 昨晩はいい夜ダッタ、レオナで1時間ぐらい、打ち解けた話をいして、いい友達になれるだろう日曜日に会う約束だったが予定が変わって大変 Tに電話して残ったものなどもらってくれる物などお願いしてみよう、取り急ぎ書いた。(PM 7:45) S52.1.28(金) 半分に切り離したドラムカンを5個並べるつもりでいる昨日は1個しか作業できなかったお金がないので、小さな水溜りをすこしづつ、すこしづつそれが又楽しいプラティの住家冬でも生きている周りに昨日写した写真の荒砂利を敷きサンゴ石を並べ草花を配植する予定
2007.01.29
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昨日の朝の続きをするつもりで赤崎海岸に行った。海岸への降り口が、大雨で砂が流され歩きにくかったので小石と砂利を運び地ならしを始めておいた。今朝行くと、入り口に誰かが砂を運んで置いてあったので雨が降れば自然に地ならしが出来るものと思い別の降り口に行ってみるとここも段差が出来て歩きにくくなっている。浜に散らかったサンゴ石と砂で一部を地ならしてきた。 ヨロンマラソンの体力つくりに丁度いい運動である写真は赤崎海岸に残した砂遊びの足跡であるチレットは言うことをきかないので上手く撮れなかった 朝食後は昨日のつづきの砂利運び。午後は育苗床の草むしり草の中から、ヤシと桜とミカンの苗がでてきた整理をして本格的な苗つくりを始めなくてはいけない 疲れたので気分転換に廃品利用のドラムカンを調達し運ぶ途中、3個のうち2個が荷台から転げ落ちあわてて引き返すと道路中央に置き去りにされていた。追い越していった女性ドライバーが雷が落ちるような音がしたといってたが幸い事故がなくてホットしている半分に切ってもらってスイレンとグッピーの住みかを継ぎ足している。次の休みの仕事ができた TVで与論町の牧さんの家族が出ているのを偶然みて喜んでいるところ長女も見たと電話がありわが家は今のところ平和である。アオサ(ヒトエグサ) 海は春の訪れが感じられる砂利の姿潮は時を待たず タイド イズ マネー
2007.01.28
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写真に写したら 灯篭のバランスが良くないことが良くわかる砂やサンゴの石が新しいので庭の感じがそこなわれている石に苔が生えたころに配植するつもり夢を見た。なぜか小笠原の独り旅をしている。苗木の荷作りをしている家族にあった。どうも、椿の木のようだ。根巻きした大株は頭がちょん切れている。別の苗木はバケツに入れて梱包するところだ。おばさんに話しかけると遠くまで送るのでどうしたものかと家族で相談してるとのことだった。僕の頼んだ苗木なんだなーと内心思いながら見ていると「あんた竹さんでしょう・・・」と言われ実話、・・・・。 夢って 面白い。絵にすることができたら夢作家になれるだろうと思うぐらい現実的な夢をよく見る昨夜の夢の椿はオリーブの木の置き換えであろうなぜか椿の花が紫色であった。そして、枝に蝶ちょの蛹が下がっていたが緑色っぽかったとおもうが 色はついていなかった。一部カラーの夢だった。 昨日、清野さんがオオゴマダラを訪ねてきてくれたその後の様子を聞きに来てくださったのだ幼虫の様子を説明しながらみんなの協力でぜひ蝶の楽園を目指して食草を増やしていきたい自宅のほかで幼虫を採取して飼育したとの情報も入っている60の瞳たちよ 頑張れ。 オレイフ(オリーブ) もくせい科産地 西方アジアの産適地 温暖少雨の肥沃深層土を好む。 特に開花する梅雨期に雨が少ないと結実は良好となる。性質 剪定に耐えるが移植力に乏しい配植 本来造園木ではなく果樹とする変種 果実採取の目的に供するには品種を選ぶ ミッション、マンザニロ、アスコラノなどが用いられている 異種を混じて植栽する方が良い 日本では小豆島が著名な生産地とされている 樹木ガイドブックより 洋風でもない和風でもない 様式のない 遊びの空間玄関へのアプローチはレンガ色の素材を使いたいがいつのことやら
2007.01.28
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牛小屋で小雪を飼っていたが餌をねだって柵を越えるのでもとの畑に戻して杭ににつないでいた雨風の日がかわいそうであった先日海洋少年から山羊小屋をもらったので昼あと取りに行った帰って山羊小屋を軽トラックから降ろして山羊をつなぎ変えようとしたところ脱走してみあたらない。近所の野菜を食べてないか心配しているところにひょっこり現れた小雪を追いかけたがなかなかつかまらずやっとのことでつなぎとめることが出来た近所の民宿、楽園荘にも顔をだしたようでアロエベラが被害にあったようだ美容のためかはたまた胃薬かなどと冗談を言いながら誤って自分の畑を見ると見事キャベツが被害にあっている果たして私の野菜は無事に食卓にのぼるだろうか?
2007.01.27
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冬の寒さに耐える野菜 ブロッコリーとキュウリの花 ピーマンが 春が来るのが待ちどうしい 昭和52年1月26日水曜日、晴れ 卒論提出・友と別れ会 さあ、今朝は卒論の表紙、目次などを書いてで提出できるようにするぞ・・・昨夜は結びを書き終えた。良し悪しなど考えてはいられない。要は提出することにあり、全くいいかげんなものだ・・言いたいことをいっぱい持ってたのに10時に学校へ行くこと学割・卒論提出・専門書購入 卒論を仕上げているところに、TとMから手紙が届いたそのあと父から、2月1日から採用通知の電報が届いた S.52.1.27.木(曇り) 本、荷造り デッキ修理引取り 相武台からKと通勤電車で帰ってきた。昨日は卒論を提出するとTに電話し彼のところに直行した彼の田舎の土産話をききながらKを待つTは27日○○市役所面接試験、よく一次試験に合格したものと感心する合格したら○○市で一生過ごすらしい。Kがきてもまとまった面白い話題もなくしかし雨も降ってたので泊ることになったKは少々ハデなスーツを着て、黒のコートを羽織ってたなかなかダンディだ3人並んで寝た僕は真ん中だった田舎の同級生の結婚話など色々面白く話していたがKは先に眠ってTとふたりは2時すぎまで女性論をさかんに・・・TのMとYへの思いをだいたい知ることができたTの考えかたは非常に幼稚としか言いようがない思った想われたといっても大した関係もないようだ 今朝帰ってから荷造りを急いだ本を2~3箱つめたあと、こたつでうたたね・・富士通裏の八百屋さんで5箱買ってきて本をつめたあとマンガとノート類が残っているだけだ整理しながら詰めなければならないまず旅行に必要なものをリュックにつめて、それから荷造りするのがいいだろうTが机などもらってくれるらしいから家具類を彼にお願いしよう。これで順調にいっている。今晩はチーコ(妹)と家に電話帰りの日程を決めることにする。それと・・・・・。 PM 4:00 前庭の真ん中あたり チャンカニの木を植えたが 目立たない 水瓶を大切にしている もう少し手をを加え わびさびの趣をだしたい
2007.01.27
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魂は何処へ 与論町の火葬場 天気よし 人よし 体調よし 女房の笑顔もよし9時にプリシアリゾートホテルを出発し5時30分にホテル着みんな無事に完歩し整理体操をしてお別れした今回は資料なども用意してたが歴史や史跡などの説明はほとんど省き歩きに専念時間配分が上手くできたので僕としては満足のできる案内だったと思う百合ケ浜に船から降り立つことが出来なかったのがお客様にとっては心残りであろう潮時のせいなのでいたし方なかった帰りの道は流石に疲れも出て歩きの差が出たようであったが私にはヨロンマラソンの練習に丁度良い運動であった史跡の説明を入れるとしたら10キロぐらいが1日コースとしては適当だと考えた。島の1周は2日は必要であろう。天気さえよければパナウルヲークのコースで十分楽しめる。歩きながらの説明は結構体力を使うことがわかった。いい勉強になった。 謝金で妻に焼肉おごって仲良しよしでハッピイ。
2007.01.25
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島内観光案内を引き受けた。観光協会のAさんから去年の観光ツアーの添乗員の方から20キロコースの島めぐりのツアーガイドを頼めないかと電話があって、気安くひきうけてしまった。歩くの大好きだから、去年はパナウルヲーク大会に参加したつもりでところどころで説明をいれて話しながら歩く観光ガイドを自分なりの方法で試してみたかった。自主参加であったので、資料なども用意せず、打ち合わせもなくただ歩くだけであった。天気が悪く、途中からコースを変更し自宅の庭で休んだりしながら歩いた。雨のため途中から迎えのバスに拾ってもらったのが記憶にある。 缶ビールの酔い心地で歩いたとおもう。今日はまともに歩くとしよう。女房もいっしょに歩きたいというのであとの感想を聞くのが楽しみだ。幸い天気もいいらしい。 CAST A WAY (漂流の旅人) 日どりよし 天気よし 人もよし スタ-ト 酔いもよし揺りが浜に漂着 、、、、、、、 ・ 歩くの大好き の 面々と 急に空にいへん ちかみちに 変更 じたくにて ごきげんようと あいさつする 高校の坂道を登り始めたころから降る雨 ぽつぽつと 予想どうり天気は 待っていてくれたのかと おもいながら セダム アラブ サダムのまえで プリシーのばすをまつ ああ ありがとう、 まにあった。 竹 酔 人 H,17,2.7廃品利用の水タンク グッピー・プラティの家
2007.01.25
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ホンコンカポックの花 スターフルーツ 泡 くん代弁 いるか の親子が・・・。 いるか いるかのおや子 。ざんねんですね。砂埋葬になりました。 しんだら 一般廃棄物になるとかで、僕のたんとうなんだって。 でもこころあるかたがたのおちからにより 丁寧に葬られました 成仏できるとおもいます。海熊君もやさしいね。 ありがとうのめーる とどくといいね。 きょうは はやねする。おやすみ。 とうとう とどかなかった めーる。 なぜか もじの おおきさが ちがうようだ。 のーぐちさん と なおやさんにたすけてもらって あるちゅーはいまー の世界をさまよっています。 ねむれなくて れいぞうこの びーる を ぜんぶのみほしました。 神の酒(泡盛)は 愚妻が あずかって のめません。かわかみせんぱいから いただいた VSOP は すでに からっぽ『百年の』こどく(むぎしよちゅう)はこくがありました。あるこうる が にがてなかたは どうぞ おめぐみください。 いつか ぱぱいやわいんせいぞうにちょうせんしようかとおもいます。(やりなさはれ)居酒屋Eの ぱぱいやのちきむぬ は いつも完売で原料ぶそく 地元産が大量にほしいとしをとった体には ぱぱいやのしぼりじるは けんこうと 老春に こうようありと クロトンおとこ いけなおさん よりきく 男前1113 へ おはよう と おやすみ ごきげんよう よろしく。 アテモヤ アテモヤンと覚えましょう。
2007.01.24
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虫の気持ちになったとしたら害虫といわれるのには腹がたつであろう。何も人間野郎の害虫として生まれたかったわけではない。虫同士の生きるための戦いはしょうがないとしても人間どもは美味しい食料を獲得するため虫たちの生息地を勝手に破壊し単一の植物を勝手に植えて虫の格好の餌場を作っていながらさも虫が悪いように言っている。闇雲に農薬をまいて殺されるから虫たちは世代交代によって抵抗力をつけ生き残るしかない。人間の知恵の及ばぬ抵抗を世代交代の激しさによって勝ち得ていくのだ。新しい農薬の開発は人体実験(?)の必要姓から虫の世代交代の早さには勝てるはずもない。安全・安心の食料を得るためには益々、新農薬の開発はむつかしくなっている。農薬の登録制度も厳しくなっているので農家も使用に際しては十分な注意が必要である。 さて、私が担当してきた特殊害虫は日本本土に侵入したら多大な被害を受けるであろう病害虫をさしている。特に沖縄と鹿児島県の奄美地域、東京都小笠原地域を特殊地域に指定しているようだ。かつて発生した、ミカン類の害虫のミカンコミバエウリ類の害虫、ウリミバエは日本の特殊な技術によって生物的防除(不妊虫放飼)が成功した事例として関係者では高く評価された私もその担当者として携わった関係で感謝状をいただいたこともある。ところで、今も撲滅できない本土への持込禁止の特殊病害虫にサツマイモの害虫 アリモドキゾウムシ雑食性の アフリカマイマイがあるこれは、根絶がなかなか難しいらしく延々とつずきそうだ。 ミカンの害虫として侵入したカンキツグリーニング病については国や県の機関でその防除方法などについて喧々諤々であるらしい。 私はその侵入の最前線でミカンの焼却駆除の現場に立会い住民との交渉に駆け回ったものである。切る倒され、焼却された何かの記念に植えられた数々の大木をこの目で見てきた。切り倒される老木を恨めしそうな目で見ていた今は亡きHさんを忘れることができない。どうしてもと私が頼み込んでクレーン車も投入するほどの大木だった。Hさんはそれから一月ほどで亡くなった。あの時は元気だったのにとグリーニング病の駆除の度に思い出すが、これも仕事だからと割り切っている。 割り切れないことに日本本土とは、どこで線引きされているのか・・・沖縄への侵入は止むを得ないとしてもとか鹿児島県はどうなのか鹿児島県の奄美はどいうなのか熊毛地区は本土に侵入となると九州最南端の南薩摩を指しているのだろうかなどとかんがえてしまう。 北からの侵入害虫はいないのだろうかなどとやっかむのは良くないだろうが虫けらのごときと無視される住民もかわいそうである。それさえも認識していない住民の一人として、国の税金を投入してもらっているのではなく国の防人として食料自給の最前線で働いている特殊病害虫の担当者の活躍も意識のなかに入れてもらいたい。 虫の友達として人間様に一言。 泡さん 虫がよすぎる。オオゴマダラがタマゴから幼虫になった。次は蛹になるのが待ちどうしい。春になったら乱舞がみられるだろう。今日は、歩こうツアーの方が来島する。
2007.01.24
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見送りに行って偶然20年ぶりに訪れた病害虫の担当に出会った。お互いがすぐにわかってあの時のことが甦った。つもる話が多くまたの機会に話すとしよう。食卓で妻と話しこんでブログの時間を失してしまった。天気がいいので今日の彼らの虫の調査が楽しみだ。彼らの行動を無視することができないので時間をもらって虫探しをしてみよう。私は不害虫の担当でもあることだし・・・。時間がないので前に撮った写真をアップ。 朝日と夕日
2007.01.23
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夕食会のあとカラオケボックス「チャレンジ」にはいり山田・青木夫妻と先生と私の夫婦7人で歌いまくった。家に着いたのは12時を回っていたので3時間ぐらい閉じこもっていたのであろう。信さんはプロ級の歌い手でいろいろのバリエーションで聞かせてくれた。先生はセミピプロ級、ご夫人の歌にあわせて何でもありで歌を引き出すのがうまい。私も負けじと頑張って歌った。上手くなったとおほめを頂くとうれしくなっていっぱい歌ってしまった。上手下手はあるとしても、気にしないで思いの歌をぶちまけると気分爽快になるものらしい。何度も歌っている歌は節回しもはぎれよく少しは感情もこめて歌えるようになった。最後は「月がとっても青いから」を歌って先生を送って家路についた。妻が一週間にいっぺんぐらい練習しようと酔っている一月一度ぐらいならつきあうのもいいだろう。なんて思いながら、山田・青木夫妻に感謝しながらぐっすりと眠ることが出来た。今日は、パークゴルフを青木夫人と楽しむ予定をしていた。天気になーれ。上は今咲いてる庭の花下は ハスノハキリの鉢で植え場所がまだきめられない中はサボテン類を増やそうと思っているエリア
2007.01.22
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よく降ってくれた。おかげで、特別に変った島内案内も出来ず与論島ビレッジで昼食に 鶏飯を食べた後長崎さんらとビックリ広場の中身の展示物を見せてもらった。剥製や貝殻など 私の欲しい物がいっぱいあった。なかでも木の幹や根っこの彫刻は気に入った。絵は記録としての価値が十分あると思われ山田西高作品として残しておくべきだと思う。 これからプリシアリゾート、ピキにて夕食会2次会はカラオケの予定どんな会話がでるか楽しみ。
2007.01.21
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ネズミの水浴び 出かけようとしたら近所の子供が見つけてくれた毒えさでも食べたのだろうか記念撮影 午前中はパーマカルチャーの庭いじり。ビオトープ園のドランムカン炭焼き跡地を整理して薬草(野草)のスペースにするため珊瑚石を並べ替える作業をしてたら飛行機を迎える時間がきたので作業着そのままで飛行場に行った。企画課の職員とともに高橋先生を迎えプリシアでチエックインをすませ昼食はギリシャ村の「海カフェ」でパスタを注文しそこのお嬢さんと四方山話などしながら穏やかな昼のひと時を過ごした。2階から眺める景色はいつも見ている与論とは違う異国にいるような錯覚を覚えた。天気がよく、ブーゲンビレアなどの南国の花も鮮やかで自宅の庭とは趣向も違ってとてもくつろげた。経営主の心意気が感じられギリシャ村を主催する彼にエールを送りたい。彼は30年以上前に与論に移住した人の一人でこの島をこよなく愛し島づくりに情熱を注いでいる。同じ年なので気軽に話しかけることができいろんな活動の場でよく会うことができる。これからも、お互い協力しあいたいと思う。天気が崩れないうちにとパークゴルフをすることになった。前回から1年以上たっているので初心者といっしょでスコアのつけ方を教わりながらプレイを楽しんだ。 スコアは風に流しておみせすることができません。 パークゴル場のある 風花にある雨乞いの 拝み所の写真を載せてみます。 今、大雨が降っていて、昨日の判断は良かった。さて、今日はどうすごそうか・・・。 一枚の写真・もなりざ 今日したことを、思い出そう。眠れない夜に。風がぴゅうぴゅうとささやきかける:ねこのねずみがさわいでいるよ。 人間さんわたしの ささやかな 楽しみうばわないでちょうだい・・・、 三角すけーる。うちけえぴっけえ。 かぜのおとは なみのおと おとならしく ねなさい 泡 盛 廃
2007.01.21
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久しぶりに寝坊してしまった。昨夜は、外間先生の講演録画テープを聴きながらコタツで寝てしまった。婦人会活動から帰ってきた女房と花壇コンクールの採点方法などについて持論をきかれたので検討していたら午前様になってしまった。面白い夢などみながら3度ほど目がさめたが起きたら夜が明けていた。雨が止み、寒くはなく例年の冬の天気になりそうだ。女房もバタバタと出勤の準備をしている。台所の音を聞きながらパソコン前に座っている姿は去年の今頃の僕からは想像できない変身である。今日は、僕の人生を変えてくれた高橋先生を迎えてこれからの夢を大いに語ってみよう。ごはんが呼んでいる。パパイヤはメス、オス、中性があるようです。花の違いが分りますか。
2007.01.20
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みきわめ合格 風呂(銭湯)上りあと、レバニラ定食で夕食をすませ「狩」をききながら記す。指導員をみて、今日はいけると思った。検定コースは往路が易しい気がする。進路変更がないので注意された坂道でのセカンドギア入れと安全確認をしっかりやること・・・、かねての指導員はいいかげんなものだ。今晩は大いびきをかいて寝られるだろう。 学校で卒論用紙を求めた。学科の案内板に呼び出しはなかったから内山、永島教授の単位はもらえるだろう。入門口座6~10を求む。「観光地計画の手法」日本観光協会発光4千円余はとても手がでなかった。レクイエムに曲が移っている。久久振りに聞く・・いい音楽だな。双眼鏡は倍率が思わしくない、7~14倍、50ミリは値段が張りすぎる他の店をあたってみようか古本屋で小説を買うのはよして庭園学一・二、緑化ハンドブック、公園大法、農業ハンドブック全部で2万円ぐらい必要だろう。ああ大変だ。 トックリキワタの果実 品種が違うみたいホウオウボクの種 マメ科
2007.01.19
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生き方の知恵を授ける「那間小ことわざカレンダー」が取り持つ縁でお手紙を頂いた。以前、ブログで紹介した方からである。 先日はお世話に成り感謝しております。すぐ入院して家には2月中旬になると思います。毎日札幌も雪が降っている。与論が羨ましいです。暗いのに牛にえさをやって来たのは良い思いでとなり、花と野菜が6ケ月も早く出来て食べられている様子は別の世界のことです。当地に行ってみた人でないと判らないでしょう。私は沖縄の別の島にも花見等歩きまわり、幸せ者です。弟のおかげですし、皆様の好意の大きさには頭が下がります。教育委員の方にも後日便りします。乱筆乱文にて取り急ぎお礼まで。 早起きは三文の徳 が取り持った縁である。情けは人のためにあらずといわれるがいろいろな出会いがあり私の人生を楽しくさせてもらっている。夕べは札幌から移住してこられた長崎夫妻のお宅で ペペランチーノを頂いた。パスタの食べ方を知らないので教えてもらい同席の「びっくり広場」の持ち主の方と夕食を楽しんだ。赤ワインが飲みたかったけれど当分は我慢することにする。 さて、明日は高橋先生が来島する。講演のあとは郷土研究会の仲間を交えて懇親会天気が気にかかる。今朝も雨模様なので、浜辺のヒーリングは無理のようだ。先日撮った 夕暮れの漁港の様子を載せてみようプリシアリゾートにかかる夕日
2007.01.18
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カニステル エッグフルーツともいう味と食感がタマゴの黄身に似ているまったぶ(大蛇) 与論島では、はぶがすめないと地形の専門のかたのはなしをきいていただけに、きょうの(16日)沖縄の新聞紙に蛇のながさの大記録をみたので書いています。この頃わたしの島で、アカマタとおもわれる蛇が道路上で息絶えているすがたが散見されている。先日、民宿のおかみさんから、お布団をたたんでいたら細いひもがもがいているがどうしたらいいものかと妻に電話があってでかけていくと、丁寧に頭がつぶされてあった蛇にであった。私は爬虫類にがてであったので、息絶えた蛇を目の当たりしてほっとしたが、アカマタとは違う、うろこのいろとしっぽのほそさに興味を引かれ頭を掴んだ。死んでいると思って安心してたところ、蛇くんは右手にからみついた。おどろいた数名のものどうしで、蛇のなまごろしは、うんぬん・・・となって、完全に頭をつぶし息たえることでした。心配になって、思い悩んだあと、家に持ち帰った。結局は私の家の水瓶壷(みずがめ)にかくまうこととした。あしたの朝、水がめでおだぶつになった長いひもは、一メートル5センチでした。弔いながら畑の隅に埋めましたが 、もしかしたら、ガラスヒーバーでしょうか。明後日、動植物の好きなかたがたとであえますのでお尋ねしたいと思います。なにかの縁があるでしょうか。お話を期待しつつおまちしております。 お伝えすること、わすれていました。アサギマダラがたびたびやってまいりました。福田先生の文献をおうかがいしますと、マダラチョウのことがいまだはっきりとはわからないと書いておられます。渡る蝶のことの記録ですが、環境を考える仲間にとってはこれからもたいへん重要な調査になっていくと思います。東洋のガラパゴスのの著作者もお見えになって琉球弧の生物について語り合い、世界遺産についても検討しますが、開発と保護はおなじ目線でとらえたいとは私の持論です。異論もいろいろあるでしょうが、生活の基盤はそこに住む住民でしょうし、蝶や虫、海の生物、星や砂、その地域に根ざした文化など、「与論島まるごと博物館」構想が住民の工夫で外からの知恵や力をお借りしながらすこしづつ、すこしづつとおもうあきのひより。 泡くんの独り言 11月27日 朝日と夕日
2007.01.18
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小祝慶子さんをネットで検索したところ日本でのパーマカルチャーの実践活動に取り組んでいる団体にであった。途中までしか見ていないがビル・モリソンの理念を都会の方々が田舎で理想郷つくりにとりくんでいるようだ。 ここまで書いている途中、イエスタデイの曲に変わってなぜか指が止まってしまった。ビートルズメロディーはやはりいいなー あらためて、「パーマカルチャー」を読み直してみようと耕地課の書籍棚に眠っているのを借りてきた。植物の好きな方はたぶんこの理念に賛同すること請け合いである団塊の世代の人に是非にと薦めたい書籍で停年ごの生活に生かしていただきたい。日本の高度成長と豊かさは団塊の世代に負うことは確かであるが公害等又自然を破壊したのも私たちの世代であると思うその上に立っての繁栄であるならば私もその償いと言おうか反省に立って少しでも自然回帰の生活を試みたいと考える。幸い私には先祖から頂いた小さいながらも農地を持っているこの農地の活用をビルモリソン理念に頼って造形できればと考えた屋敷周りから初めて、徐々に周りの農地に波及させ将来的には集落営農集団にまで活動の場を広げることができれば理想である。島の9集落あるうちの3集落が機能すれば島全体が「パーマカルチャー営農集団」で産地育成ができないだろうか。私の島では市町村合併はもうありえないが集落の再編成は必要であると思う議員・農業委員会・民生委員等人口に比べ9集落代表は多すぎる。 横道にそれたのでこの話は又の機会で・・・。 私のパーマカルチャーはオーストラリアで実際に活動しているジルジョーダンさんの講演を聞いてから本気で取り組もうと考えた。まず雨水をいかに大切に活用することから始めることにして熱帯魚(プラティ)を飼うことにしたドラムカンに雨水をためボウフラ退治にグッピーを泳がせそれが高じて水タンクの池を作って周りに水辺の植物を配植し、山羊とアヒルを飼った。ここまできたらあとは鶏とブタも飼わなければならないがやはり隣近所との共生も必要であるのでよく考えたゾーニングをしなければならない現在の段階はここまでである。 果樹園は収入源として経営をつづける苗木の生産を少しづつ取り組んで経営にまで高めて生きたいと考えている。賛同してくれる都会からの移住者には私が農地を取得するか賃貸借により農地を借りそれを一坪農園形式またはオーナー農園にするなどの営農で住宅と農園が混住する田園を想像しているが・・・。海と畑と住居が歩いて5分でいける住環境が私の地所にあるので是非賛同者を集め 海原塾(うんぱる)、海原学校を開きたい 理想卿は過去にも有名な作家が手がけたが原住民が提案してみるのも面白い。でも理想卿は理想卿でしかないので現実に住める故郷づくりをわが大字古里小字川久保1283番地から始めよう。 夜半 雨が降ってたが止んだようだこれから潮風を浴びてこよう。
2007.01.17
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今年のマンゴーの花(時期早々) これに実がついたらお楽しみ ピンポン玉ぐらいのが着いてくれるかもしれない 19年の記念植栽にビワ(茂木)と ハスノハキリ植えました 生長が楽しみです。後ろに移っているのは バジルハスノハギリは沖縄に行った時自生の苗木をいっぱいみかけました。この苗木は鹿児島で買ったもの。高くつきましたが、与論島ではここだけと思う。 酔っ払いの苑 竹酔苑の植物を時々紹介したいと思います。意味不明の文章は読み流してください。 のーしまごー と のーむらごー しまご- いじゅんごーわたしのこどものころ あなごー といって 家々の畑の隅に天水をためる小さな井戸があった飲み水であるあなが ごー になったら みずがもれるので いろいろなくふううがされたとおもう。 しゅうぱがりるとは 共通語でいえば しおみずを あらいおとすとの意味であろうかあるいは しゃきんを へんさいして ほっと したともとれる ましゅについてしょっきり というすもうことばもあるが 人生において しおとの えんは ふかい。 さらりーめんづまんの ひとりごと。 深層水 塩製造工場を見学したので 酔い日記から転載
2007.01.17
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写真と記事は関係ありませんウンニーマイを神様にお供えしたとき(鏡開き)の写真です15日に供えるのが当たり前だそうですが日にちを間違えて作ってしまいました。和洋折衷とか言って・・・いいのがれしましょう。サツマイモとお餅をこねて作ります。お餅が食べられない使用人のためのまかないだったようです。そのころは水粥みたいでお餅はなまえばかりだったかもしれません。リサイクルセンターにストックヤードが完成し10月1日からビンとカンとペットボトルのリサイクルが本格的に行われるようになった。ビンは無色・茶色・その他に分類され沖縄の再生工場に搬送される。ペットボトルはフタとラベルをはずし水ですすいできれいにした形で月一回、空き瓶の回収日に収集され15キロの四角いベールんされストックヤードで保管されていた。保管場所が満杯になるので再生工場と連絡をとり初めての出荷を行うため地元の運送店とリサイクル担当でJRコンテナに積み込み作業を実際に体験することになった。紙上の計画書と実際はやはり体験してみないと分らないことだらけであった。関係者の協力のおかげで無事積み込み作業が終わり初仕事だというので居酒屋やぐらで懇親会とあいなった。議会事務局、企画調整課が先客で満杯の隅の座敷で今後のリサイクルセンターの活動方向などについて課長補佐の熱のこもった乾杯に賛同しながら仕分け業務の直接の担当M先輩の日ごろの業務に対する熱意を感じ感謝しながら飲んでるところ議会の方や企画の職員などいつものごとく座敷は入れ替わり立ち代りの大混乱になった。議員のFさん献奉終えたところお暇しようとしたらFさんも一緒に出るといわれ 昨日の講習会の受講を受けに行ったら実践講座をしているところであった。私たちも加わって練習した流石にFさんは郷土歴史の案内人、様になっていた郷土研究会の会長さんも参加していたので遅れて参加したのだけれど気持ち的に 良かったと思った。これから郷土歴史のツアーガイドとしての心構えと練習をつんでいきたいと思った。 船倉の朝日
2007.01.17
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「ガイドとしてお客様への接し方と話し方」をひまわりバスガイドセンター所長の西原せつ子先生から教えていただいた。さっそく今朝は鏡に向かって笑顔をつくる練習をしてみた。お辞儀の仕方も・・・。今日は窓口で「ありがとうございます・・ 」を実践してみよう。 今年初めて見た夕日が撮れたので載せてみよう。 仕事中に女房からの携帯がなった。オオゴマダラの幼虫とタマゴを見つけたとのしらせであった。「やったー 」蝶の楽園目指しての一歩が進んだ。32の蛹から30頭が羽化したが島内に飛び散って昨日見かけたのは1頭だけだったが確実に産卵しているのが確認できた。成虫になるまでの様子を写真に記録したいとデジカメ向けたが成虫の蝶の写真はなかなかチャンスに恵まれず幼虫は ぼけて写っている。写真の勉強をしながら成長記録を紹介していきたい。あわせて私の庭竹酔苑の四季も紹介しながら庭づくりについてアドバイスをいただき「私のパーマカルチャー」をブログ日記にしたい。よろしくお付き合い下さい。夕日の写真を撮る前に青海荘から電話があり、犬を探してくれたお礼にお土産を頂いたとのことでもらいに行った。旅の情けといおうか袖触れ合うも多少の縁お客さまのおもてなしは女将さんの心であったのだろう。ツアーガイドを受講しながら実践することの本当の意味がわかった。めったに見ることが出来ないリュウゼツラン(園芸種であろうか)の花 青海荘の玄関植え込みにて(15年ぐらいで咲いた)オオゴマダラの幼虫チレットの住みか
2007.01.16
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先進地視察いい加減にやめろ先進地は誰に学んだのか先進地といわれる先進地になれ 公費を使って沢山先進地視察研修をさせてもたった。鹿児島県内はもちろん、九州は全県、沖縄も離島までも未だといえば、四国と北海道である。北海道は鹿児島空港で台風のためひっかえした苦い思い出がある。高知の園芸地帯には行きたかったが一度もチャンスはなかった。海外は台湾に優秀農家の引率でいかせてもらった。園芸を担当していたせいで大田や筑紫の大消費市場や福岡などの地方市場の見聞も広めることが出来た。自由行動は許されなかったが少しの時間を利用して情報の収集につとめたつもりでいる。 昨夜はぐっすり眠ったがなくなった妻の父と話をすることができた。夢の内容は農業先進地視察で普及員と会ったが私がお世話になった普及所長であった。停年になり地域活動に参加している様子であり自分が定年後何をすべきかを示唆しているととる事にしよう。出水地区の農業政策にはいつも注意を払って野田に行く時は「ゆっくり走ろう野田たんぼ」「村づくりは人づくりから」「自ら興す心が村興す」などなどの標語が農村新興運動を担当していた父と私は新農業構造改善事業などについて熱い思いで語ったものだった。あれからずい分経って私がその担当、経営構造対策事業に携わることになるのだがその事業は町政の変換もあり実現することが出来ずアグリベンチャー事業に転換され私の役場人生のなかで大きな悔いを残す事業となった。今となってはあれでよかったと慰めてはいるが事業で出来なかった一部でも自分でやれたらと思い現在にいたっている。 小さなことでもいいから村おこしの役にたちたい。百円市場を立ち上げた時の担当をしていたので野田郷の道の駅を見習って私もこの島で何か一ひねりアイデアをだしてみたい。 農業集落排水事業を導入した時も野田町の事例に学んだ経緯がある。写真の浄水場の後ろに小さな山に登ったことなどおもいだしながら妻の邪魔が入ったので書記止め。
2007.01.15
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午前中はビオトープエリアの園路修正に暇をつぶした。クロトンを移植したり邪魔になっているドラセナを切り払った。そのあと小さな池を砂で埋めた箇所の石を並べかえたり草むしりをしたら昼のチャイムがなり独りでうなどん食べてたら女子駅伝の放送があったのでこたつで暖まって観戦していた。 来客があり外にでると先日会った草木染工房の増田さんだった。マンゴーハウスや庭を案内してもどると最終ランナーへのたすき渡しだった。京都が優勝するのを見たあとコタツで寝てしまった。4時過ぎに起きて、デジカメの練習にと竹酔苑の庭木や果実の写真をブログ用に撮影した。竹酔苑はこれからすこしづつ、すこしづつ手を加え1年で大体の形を整えることにする。細部の石組みや園路の植栽はじっくり時間をかけて楽しみながらやるとしよう。 夕日が撮れるかと思い西に軽トラックを走らせたが厚い雲に阻まれてシャッターチャンスはやって来なかった。仕方ないので船倉海岸で足腰鍛えるため砂を運んだ。いい砂(小砂利)がいっぱい集まっているので明日もでかけよう。1袋500円のつもりで運ぶと五千円もうかった、マラソンの練習にもなると考えると美味しくない納豆食べるよりダイエットになるし潮風を吸って健康にもよい。いい事ずくめの健康法である。 暗くなって、携帯で妻の捜索がきてので帰って、犬と散歩風呂すませ夕食たべてTVはおもしろくないのでパソコンへにげる昼寝したので今日は眠くならないので書き込みしたらおやすみします。先日撮った朝日とヨロンのポスター前で ハイ泡盛 トックリキワタの果実 食べれないと思う はいポーズ 泡盛ポーズ
2007.01.14
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弘伸(弟)の手紙届く・時計の修理新城にて200円 S.52.1.14.金(晴れ) この世はママ成らぬ、11時間目もみきわめがもらえなかった。どうしてだろうか?自分ではうまく運転できているつもりだけれど・・・でも進路変更などに難点もあるようだ。あせらずに落ち着いていこう。気落ちして家路についていたら、あの娘に会った。ゆっくり追いついたらにっこり笑って、「早くしらせてくれれば良かったのに・・」などと気楽に話してくれた。人間らしい会話だ・・・、独り暮らしはやはり寂しいものだ。数日来、ストレスがたまっている感じ、イライラ落ち着かない。気分転換が必要みたい。 「カサブランカ」小説を新城の古本屋にて発見「オーディオ百科」1,100円 欲しいけど高すぎる 昨日から「オーディオ百科」を読んだらついつい引き込まれとうとう全部読んでしまった。解りやすく説明してあるのが魅力だ。パーツの役割などの復習になったし、グレードアップの意味も理解した。オーディオマニアと呼ばれる者は音楽の追求よりも機械の追求にあるという。となると僕はマニアにはなれそうもない。グレードアップを目指すならばプレイヤーは高級品からスピーカーは最後でいいということであった。 (PM 10:15) それから 1年後 S.53.1.13.金 月報等、仕事がさばけている。朝、夕は気象庁の3名様に道路上であいさつ、帰宅してからは、クリーニングにズボン取りに行った。南周りでM商店でお米とオールドを買って帰った。おばさんがとても親切にしてくれた。カボチャの出荷でグループ小屋はごった返ししていた。疲れていて、うたた寝した。9時前に風呂にはいり夕食は少し、VALCAN(離れ)に引き上げバーブラストライサンドをテープNo5に録音A面で30分テープが終わってしまった。「ラブ」の名曲が印象深いうとうとしいて、最後にテープを裏返したら「悲愴ソナタ」だったのでききほれて2楽章のところにEが訪ねてきた。 それからスシ喰いに・・、ヨロンinnでコーヒーを飲んで、若竹でビールを・・、楽しい晩だった。友達っていいものだナ。 14日 朝食を食べてないので飛行場に来てきつねうどん前田さんの話を聞きながら食べた。さて今日は気象研修の契約が取り交わされるであろうから日程とか内容がわかるはずだ。鹿児島空港で20日間奄美空港で10日間そろそろ身のまわりの準備をしなければならない。 バトミントンをしたら汗をかいて快い疲労のため居眠りしてしまう。 18日 与論発ジャンピングシートにて天気が悪く雲を抜けるのが大変だった。鹿児島の夜景はすばらしかった。明日から飛行場研修業務頑張ろう。 ジャピングシートとはパイロットの後ろの席で 操縦する様子や通信している様子が見聞できる。 研修のため乗せてもらった。 おまけ。
2007.01.14
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船倉の斜路 小雨の中雑木の剪定をした。びろうの枝、三角ヤシの枝、おおばいぬびわの枝、あこうの枝など下枝をはらったら明るくなった。ついでに赤線(旧道)の整地をして園路を作った。オニヤブソテツを探してきてこの前整理した石組みに配植したり池周りの草を払ったりしたあとハスノハキリを今年の記念樹として定植した。10メートル以上の高さになるといわれるので場所選びに苦心した。あと一本は畑の隅に植えようと思う。与論ではまだ見かけたことがないので育てば珍木になるだろう。ビワ(茂木)も果樹として植えた。畑が次第に雑木林に変わっていってしまう。それもまた楽しい。うれしい知らせの電話がきた。捜していた猟犬(イングリッシュ・セター)が見つかったとのこと。飼い主の気持ちが暖かく伝わってきた。旅の情けはお互い様だ。よかった、良かった。 この船の向こう側にビワの木を植えた。今は野菜など作っているがいずれは果樹と花木を植栽する予定。
2007.01.13
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与論 昭和45年度(第3号) 鹿児島県立大島高等学校与論分校 1970 随想 与論の将来の展望与論島の将来の展望 与論町長 龍野通雄 面積は狭く、岩盤だらけであるが、緑と碧い空、純白の砂浜とエメラルドの海、何と美しい島だろう。悠々幾千万年この美しい自然環境は連綿と続いてきたのである。 明治、大正、昭和と百年余の間には与論でも数限りない出来事があった。台風、高潮、疫病、飢饉、日清日露の大戦役、第一次世界大戦、大牟田大量移住、南洋群島開拓移住支那事変、満州開拓団移住、第二次世界大戦敗戦、祖国日本と行政分離、米軍政下、猛運動による日本復帰与論高等学校開校等々。この変遷のなかにあっても、この自然の美しさは昔も今も変らず光輝いている。この島に生を受けた我等町民は何としあわせなことだろう。人誰しも我が家が楽しく、健康で笑顔の絶えないものたらしめようと願い努力しない者はないのである。人その個々はすべての面で差はあるにしても、わが与論島出身者ほど、島をこよなく愛し、祖先に孝行をつくす者は他に類をみないであろう。 敗戦の憂き目から早25年、変れば変るものだ。敗戦当時誰が今日の与論を予測し得たであろうか。勤勉なる町民性を遺憾なく発揮し、今日の隆盛が実現したのである。このように目まぐるしく急速に進歩発展する時勢の明日の、来年の、十年後の予測することは容易なことではない。本県の場合国鉄新幹線が昭和55年頃には鹿児乗り入れが実現するとみており、東京鹿児島間を七時間たらずに短縮されるという。航空便にいたっては空港の整備にともない現在の半分以下となろう。 船舶も年々大型化、快速化し、昭和の初期鹿児島まで5日以上も要していたのが僅かに18時間余、将来は更に半減されるであろう。一方陸上においては終戦直後米軍の払い下げトラック一台であったのが、現在ではどうだろう。乗用車その他実に千五百十台余となっている。人間夢をもつことは大事である。 兎が餅をつくという美しい童話の月の世界は科学の進歩により、ついに人類が月面上に降り立つにいたった。我々は与論の将来の夢を描き、町民すべての福祉のため努力しなければならない。このことは現世代に生をうけている我々の責務ではなかろうか。 港は大型港湾が建設され五千トン級以上の豪華船、快速船が横付けされ、人客の往来はますます頻繁となろう。また、フェリーボートからは自家用車で家族連れがそのまま目的地に直行し、道路は舗装され諸車の通行は快適となろう。飛行便も頻繁となり、又、自家用飛行機の発着も多くなろう。 要所には近代的なホテル、旅館、宿泊所、休憩所、海中公園センターが設置され諸所に海水浴場など整備され、海上では水上スキー、ヨット、高速船、グラスボートなど疾走し、島全体が国民休暇村的な役割を果たし、明日へのエネルギーの蓄積保養をなし得る。 電話は集団自動電話が全戸に施設され、行政放送施設が全町に普及し、行政情報の伝達が迅速になる。部落は集落の再編成がなされ住宅は集団化さし、電気、水道、ガス等集約投資により安い料金で利用できるようになろう。そして農耕は自家用車により往復することとなろう。 整備された集団耕地には、畑地かんがい施設がなされ、適期適作はもちろん、他産地にない高級園芸作物などが早場生産され、ミカンコミバエ等病害虫の根絶により亜熱帯や熱帯の柑橘類がいたるところに実り、観光客への提供、都市周辺への出荷がなされよう。 農作物の作付け、収穫、出荷は農業協同組合が一元的に実施、または農業生産請負の事業も実施されることが予想され、グループによる協業化も進むであろう。 部落の集落が整備されることに伴い一部においては放牧の協業化も進むことも予測される。 保健医療、福祉については、町営の総合病院施設の充実はもちろん、母子健康センター、養護老人ホーム等が集中され、一大総合センター的管理化におかれることとなろう。 つづく・・・・・。
2007.01.13
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眠れぬ夜は過去の夢でもたどることにしよう。忘却とは・・・・捨て去ることの寂しさよ。 用意のふかいところに誤りなく志望のあるところいつか実現の機会が生まれてくる 上原 敬二著 「樹木の移植と根回」 新しい日記にむかうと何を書こうかと迷ってしまういつもとは違った事を書かなければならない気がしてない知恵などをしぼってみる・・・。この日記を手にしたのはふとした思い付きからで、例年のように随筆形式で続けようと思いコクヨのノートを捜したがみつからず気紛れを起こして日記風につづってみたくなった。「旅」3年日記は高校時代に書いたものと同じ型式のもので懐かしさも伴って又田舎暮らしになったら長い文章を書く暇もなかろうなどと考えると毎晩寝る前に1日あったこと読んだ本、耳にした感動の言葉、目にした美しい花、心うつ音楽、などなど・・・簡単に箇条書きのようでしかし付き固められたような言葉で書いていこうと思う。これまでのように書きたい欲求がわいたときは「随筆」と題をあらためたノートに思いを写すことにする。学生から、社会人へ、「旅」発つ年である。 道を求むるなら そこに道はある。 S52.1.1.土(晴) さわやかな朝日、9時半起床。パンとコーヒーで朝食シーツ、下着洗濯、76,軽音楽ハイライトをききながら・・・昨晩、「晶子源氏」桐壺をよんだが、歌の意味がわからず困っている「凱旋門」を見た。イングリットバーグマンに益々魅かれる「カサブランカ」には及ばないが名作でもある。バーグマンのプロフィールを手に入れたい。今度神田に行った時あったてみようN響「合唱つき」音楽の最高峰だ。トライアングルの音が印象的。もう昼すぎ、軽音楽のことが頭にある。シャンソン、カンツオーネ、サルサ、フォルクローレ・・・今年も音楽中心か・・。 N響 森正指揮ショパン、ピ協奏曲一番、中村演奏を聞きながら記している。昼過ぎから「箒木」を読む左馬頭の女定めが味なもの5時ごろから随筆を書いていたが調子に乗って3Pほど、図にのって古傷つついてうみを出した感じ教育TVで「オーケストラの少女」じっくり聞くとなるとやはりクラシック音楽にはかなわないレオポルトストコフスキーが出演ディアナ・ダーvィン美声がすてき(モーツアルトのハレルヤ)シャンソンを録音する。
2007.01.12
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叔父さん家族の見送りなど所用のため有給休暇をもらった。かねての出勤時間までの間に犬と散歩天気も良かったので朝日を待って撮ったのが船倉海岸からの眺め私の一番好きな立ち寄り場所である 見送りをすませたあと草木染の工房に立ち寄って昨日の続きの説明をきいていたら企画課長らもやってきて詳しいはなしから特産品開発に夢がわいてきた一緒に聞いていた女房に習い事を勧めることにして楽しみが又増えた。マンゴーの染め汁はいい色に思えた帰ったあと門松を片付け墓の門松も持ち帰り畑で焼き払うことにした来年もこのような片付けをしていきたい。正月用品のかたづけに鏡開きの日をあてて我が家の新しい行事としよう。鏡開きの日には我が家ではうんにーまいをお昼に神様に供えることにしているお芋と餅をこねたおかゆみたいな食べ物である正月の残り物を上手に処理する工夫であろうとおもわれる。いわれについてはいずれ書くとしよう。一坪農園をいじったあとは民生委員の新年会に参加した。社会福祉協議会のメンバーとの久しぶり懇親会だった以前民生委員の担当をしていたこともあり色々お世話になりました。建物を造ったとき担当が病気療養だったのでその間私が工事の現場などの連絡業務をしたことなど懐かしくおもいだされた。私にはとても民生委員の推薦の声はかからないだろうなと思いながら早めにおいとました。 月あかりが見えたので天気がいいのだろう。そろそろチレットと散歩にでかけよう。
2007.01.12
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与論島には鬼火たきの風習はないと思う。竹を燃やすトンド焼きをブログで紹介してたので門松を片付けた後燃やすことにした。ついで焼畑農業の続きをしてイギリスのトマトを植えた。キャベツも植えてみた。果たして収穫できるだろうか。トックリキワタの花と果実果実のなかから綿がとれる
2007.01.11
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最近は楽しい夢をよく見る。夢のなかで夢のつづきを予測する夢をみて夢から覚めたときは不思議な気持ちがした夢のような生活がしたいとはよくきくが今の私のしていることがまさしくそれであるという気がする役場の仕事から解放され新しい希望に向かって準備をしているその間の無責任状態が夢みたいな夢をみさせてくれるのだろう。 アルフレッドハウゼ楽団のタンゴの曲を聴きながら書いている。学生の最後のころと似ている。あのころ与論でこんな暮らしができるとは夢にも思っていなかった。文化生活とは縁を切る思い出田舎暮らし(農作業に汗して働く)にどっぷりつかって本や音楽を聞く暇もなく世間づきあいに明け暮れるだろう運命を受け入れたつもりでの跡取り人生を受容したつもりでいる。でも今おもえば大分反発した生活が今の結果であろう。高校生のころであろうか石坂洋次郎の「陽のあたる坂道」を読んだ上品な会話にひかれた学生になってそんな住宅街を求めて散歩したもちろん庭つくりの手法を学ぶためでもあった洋館のたたずまいなど楽しみながら与論にはどうしても持ち込めないそれらもろもろは永遠のあこがれであったそれから30年たった交通手段通信機器の発達によりいつでも都会が身近にあるむしろ田舎ぐらしのほうがわずらわしさがなくていいのではと考えるようになっている。田園都市に住むのを憧れていたのにその都市の住民が田舎暮らしを求めてやってくる時代になった今こそ学生のころに学んだことを自分の家の周りに生かせたらと本気でおもっているランドアンドランドスケイプの仕事がこれから待っているあと十年かけて夢を持って羽ばたこうと思う 変な夢をみてしまった。
2007.01.11
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黒花墓地 竹家の墓地はここから 船倉墓地に移動したが本来はここが一族の墓地である かぎりなくさびしけれども われは すぎこしみちをすてて まことにこよなきちからのみちをすてて いまだしらざるつちをふみ かなしくもすすむなり ・・・そはわがこころのおきてにして またわがこころのよろこびのいづみなれば (さびしきみち)より 日本の詩集 4 発行所 角川書店 ISSHINDO(東京神田) 久しぶりに詩集を開いてみた 暇つぶしに古本屋街を歩き回ったことが懐かしい 母と妹を連れて長野旅行をしたとき 九段に泊ったときほんの少し覗いて以来 ご無沙汰している古本屋街はまだあるだろうか 定価より古本が高くて不思議に思ったことなどや 与論島関係の本を見つけたときの感動など 懐かしくおもいだされる。 「与論島」も もう古本でならんでいることだろう。 それもうれしいきがする。 カラオケ歌いすぎて声がしゃがれてしまった。弟と張り合って懐メロを歌いまくって調子にのった罰があたったのだろう。来島した親孝行息子(浩太郎)も喜んでくれたのが幸いであった。帰宅したのが1時だったので昨日は生活のリズムをくずしてしまった。写真を載せた後砂浜の掃除にいってこよう。ついでヨロンマラソンの体力づくりで砂浜を300メートルぐらい走ることにしよう 私の後に 道が出来る 消しては書き 消しては書き渚のシントバット 歌いながら走る 走る 海岸掃除に使う愛用車ドラゴン号と船倉の船揚場(斜路) 手前の砂山を除去するのが私の朝の体力づくりである潮時によって酔ってくる砂の粒が微妙に違うので潮目を読む能力を生かすことが出来る得意技を発揮できる場面である。そろそろ時間なので犬つれてさあー今 銀河のむこーへ 飛んでいこう。
2007.01.10
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昨日の波を撮った海岸の真東の船倉海岸は昨日とは打って変って穏やかな顔をしていたむいこ離れとよばれる小島は沖縄上陸戦争のさい軍艦と間違えられ艦砲射撃をうけたときいているこの小島は人工の手が入っていないとおもわれるので植生調査をしておきたいなぜかひとが入れない恐れ多い島なのであろうかその名前からして私の先祖の持ち物ではなかったろうかと創作の夢をふくらませている。 昨日は叔父さん家族の来島祝い二次会はカラオケボックスで歌いまくった午前様のおかげで今朝は朝の散歩はぬきにして写真をアップして出かける準備をしよう
2007.01.09
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熊本に住む叔母さん家族の迎えに行くことを宿泊所の女将さんから聞いてビックリした。連絡なしで驚かそうとの魂胆に仕返しくらった感じがしたがあわてずにシラン振りして偶然を装って宿泊所から出てきた3人を案内した。第一の目的の父と母を見舞ってもらった。口の利けなくなった母に涙して話しかける叔母のほうを不憫に思うのはなぜなのだろう。認識できて話そうとするみたいだが私にはよみとれなかった。この親不孝息子と胸を刺されるおもいで布団をめくり足首をみるとむくんでいるチョットやばい思いがした。 親父は廊下を運動していたので、叔母の家族が訪ねてきたこと告げると驚いていた。風邪が治っていて元気を取り戻したようだが月ごとに小さくなっていくように思える。 畑で元気に働く姿はもう取り戻しようはないせめて意識がはっきりして長生してもらうしかないと身を攻めるがしょうがないとあきらめる 今日はお墓参り。 夜は親戚に声かけて宿泊所(与論島ビレッジ)で新年会をしよう。福雄おじさんが生きていたら自宅で蛇皮線と太鼓の大宴会になるところであったが私も断酒しているので女将さんも親戚だからみんなも集まりやすいようにと心積もりしよう3泊4日なのでゆっくりとくつろいでもらえると思う学生時代途中下車の宿泊のお礼をしなくては。 亡き福雄叔父をしのんで鳥年生まれであったので 島歌よ風に乗り 鳥とともに海を渡る・・・・・僕とそっくりの叔父さんから私の蛇皮の音聞いてください
2007.01.08
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一番の寒さであろう。東京の人も震え上がる寒さだ。でも風下の方角では波も穏やかで暖かい。数日前から滞在の下北沢のお客さんは夏と冬が同時に体験できると言っていた。 期待してた闘鶏はおきのえらぶ島から定期船が遅延したため盛り上がりに欠けたが戦いぶりをみて軍鶏の人生があわれにかんじたのは僕一人ではなかろう。
2007.01.07
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急に寒くなった。日本全国寒波の襲来というので与論島も日本列島の一部であるとの証明かどんより曇り小雨交じりの風もふいていたので一坪農園造成はおあずけにして海からの贈り物の砂を頂いて畑の隅に敷いたテリハボクの種が落ちて自然に芽がでたら鉢に移植して育苗できないか楽農を考えてみた昼食後は品覇海岸からハマボウフウを掘り取り栽培実験の圃場に継ぎ足しで植えた成功すること間違いないと確信しているがどう売るかを今後検討していきたい 下北沢のお客さん(奥さんと娘さん)と札幌の方々と私と7人で与論島ビレッジで夕食会満客で離れの掘りごたつの間で話が弾んだ娘さんはセビリアに住んでいるという音楽など文学など都市と田舎の交流のはなしなどなど鍋のなかがからっぽになってもつきそうにないアルコールなしで酔えるなんてすばらしい今日はお礼に島内案内をさせてもらうことにしている闘鶏もあるというので私も本格的なのは初体験で楽しみにしている 桜一輪はピンぼけ簡単モードのピントは枝にあったのかあひる(本当はバリケン)は動くのでなかなかシャッターチャンスが難しい一頭は私が飼っていて名前はバリケンワットというしばらく結婚させたあと連れ帰る予定だが・・・5頭のうち3頭は野犬に食べられてしまった当時に書いたアヒル農法にかける思いを再度載せてみる アヒルが5ひきやってきた 本町における農業事情を考えるとき,果たして現在の作目で生き残っていけるだろうかと頭をひねっている。 平均耕地面積が,1,2ヘクタールの面積の中で,さとうきびを基幹作物におき,肉用牛,野菜,花卉,果樹の複合経営を推進するとしている。これといった産業もなく観光産業が衰退する中において,年々人口が減っていてやがて6,000人 を切ることも予想される。観光と商業は一体とみなすとすると,かなり商業は苦しいと言わざるを得ない。お土産品店も大分淘汰されてきている。又,景気が低迷している中,公共事業が減り建設業も不振を続け土木業者などお互いに凌ぎを削っているという。 農業者の高齢化が進むで中,後継者は帰って来れるるだろうか。認定農業者の育成のためにさまざまな施策がとられつつある昨今。農業政策の中で,さとうきびを無くす事が出来ない事情を抱えていて,それに変わる作物も見つからない今,今後どうすればいいのだろうか。産地間競争の激化のなかで,農作物の値段が上がるとは思えない。奄美の他産地に比べて本町では,右肩上がりに売り上げが伸びてきているのは喜ばしい事である。が,兼業農家が多いから今の所得で何とか生活を維持してきてるといえるだろう。この不況が長く続くとなると農地を多く持たない農家は出稼ぎに出るしかないと思われる。又,専業農家として生き残るためには,今ある作物のなかでの経営を見直し,所得を上げる技術を必要としている。困ったことに,サトイモの需要が伸びず単価が上がる望みも薄い。それに加え連作障害等で反収も計画どおりには伸びず,花については何とか高所得品目としてのびてはいるものの,いつまで続くものか安心はできない。小さい面積から高所得を上げるには,施設栽培,高技術による単価の高い作物の導入であろう。適地,適作,適技術により所得の上がる経営技術指針が待たれるところである。畜産は上のいい条件を生かせる品目と思われる。飼料作物の面積を確保し,機械化による作業効率の向上をを図るとともに,品種改良による高値販売の畜産経営が可能となる。だだ,し尿等による環境問題がにわかに浮上してきている。最近の農業のテーマとして,環境にやさしく,安全で安心して食べられる食材の提供が叫ばれている。土づくりを基本にした生産である。花卉の生産はその本来の生理からして農薬をなくしてはつくれない品目と見るべきであろう。そうなると,野菜と果樹栽培における減農薬栽培技術の確立にかかってくることだろう。付加価値という言葉をよく聞くが,他産地より高く売る工夫が必要になってくる。見た目の悪い品物も金に換える工夫とか。 近年熱帯果樹についての取り組みがなされてきている。台風の被害を受けない適地の造成が必須条件である。又土産品,加工品の開発が待たれるところでもある。長年かかったが,モズクソバの開発は高い評価をうけていいだろう。パパイヤ漬も生産から加工まで有利な条件を生かせる品目である。パッションフルーツ,アテモヤ等の加工品としての開発も期待できる。何と言っても有利な事は,観光と農業を結びつけることによって付加価値を高めることが出来ることだ。又,海産物も大いに利用したい。観光を今後どう生かしていくかが島の経済にとって重要さを増している。観光地づくりをしても,どういう仕方で人が集まるか,若い者達の知恵を絞って,未来にゆめを託してほしい。 アクセス,飛行場の拡張等の問題がある。滑走路を延長しジェット機が利用出来る空港建設を最重要課題に取り上げるべきだと思う。地元の同意がとれれば,用地等については県が負担してくれるから島の経済にとっても有利だと思える。このまま島の経済が冷えきってしまうと飛行機も飛ばなくなることも考えられる。次期世代を担う若者達がより集い,将来にむけての話し合いがなされなければならない。 ヨロン島の将来をイメージし,もっと夢を描いてみたらどうだろうか。 その場が,アグリルネッサンス会議でできればとおもう。 産業課に出戻りしたころ(平成10年) のこと メモ用紙より 平成15年夏に転記 与農技連絡会とさよならするにあたり思ったこと 竹 酔 日
2007.01.06
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出勤する時、隣で13歳の祝いがあるのでと予定を聞かれ従弟の長女の祝いを楽しみにでかけた。人事異動があったので職務分担の相談があってしかるべきと思っていたが新課長が個別及保健センターともに対応したらしく退庁間際に以下の趣意の文書がくばられ事もなくすんなりと事務分掌が決まった。 新しい事務分担表の配布について(基本的な考え方)1.新しく入ってこられた職員の資質等を考慮したこと。2.保健センターで抱える業務の実態及び将来的な課題等を検討した結果、 一般事務に精通した職員1名の補充が喫緊の課題である。3.障害者自立支援法の施行に伴う関連業務(但し,重度心身障害を除く) について、町民の利便性を第一義として、保健センターを 一括窓口とすること。4.これらの課題解決のため、事務に精通した阿野さんを保健センターに異動すること。5.竹盛窪さんが来る3月退職に伴う欠員補充が不透明であること。 正職 主幹兼係長 氏名 竹 盛窪 副職 係長 竹田 1.公害及び生活環境保全に関すること2.自動車等リサイクルに関すること3.清掃センターに関すること4.行旅病人及び行旅死亡人に関すること と成った。主な仕事は新しく来た課長補佐が引き継ぐことになった次第である。前の課長補佐は何を担当してたのだろうか、あるいは私のこれまでの事務は仕事量が少なかったのだろうか・・・とかの質問は棚に上げて引き受けてくれた同僚に感謝し残り少ない日々を誠意いっぱい勤め上げようと思って喜び勇んで帰宅した。 風邪ぎみで体の節々が痛くお祝いの時間まで仮眠出かけたらすでに配膳されていた。久しぶり(断酒してたので)の西家での宴会であるここにお邪魔したら最後いつも二日酔いするまで痛飲していた。気の合う叔父である。 他にも年祝いがあるので、ごく身内だけで祝うことで弟夫婦に農協の職員のごく親しい酔っ払いの流れがきた。床の間と一対の杯を床の間に供える儀式おじいちゃんの喜びの杯を頂く写真を載せてみる13才祝いは男の子は赤ふんどしをして女性の24歳祝いは大なべのフタ(はまんた)を被ってお祝いするものだとされる。女性が24歳になってもお嫁にいけないのは世間に恥ずかしくて顔をかくして歩かねばならない裏をかえせば年頃になりましたので誰か早くもらいに来てくださいとのアッピールであろうか。私の女房のはまんたを被った写真を載せたいがすでに効果を発揮してあるのでよして、成人まえの末娘にハマンタをかぶらせて写真を載せてみよう。 まだまだはやいとはおもうけど。
2007.01.05
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朝の月夜を犬のチレットと散歩した。楽園荘前を通る時、右手下の動く物体にビックリした。座っていた人だったのである。話かけると、沖縄が好きで何度もきているが与論は2度目でいいところだねと色々はなしてくれた。夕張から弟家族と旅行しているとのこと宝くじを10万円分買ったから当たったら与論島に住みたいなどなど・・・「与論島ことわざカレンダー」を見かけたので教育委員会でもらおうと思っているとの事だったので家にもどり使用済みのをあげることにした。ついでに写真も撮らせてもらった。 早起きは三文の徳をした。デジカメ練習になった写真を載せようポーズをとってもらうべきだった。犬はちょんぎれてしまった。 赤碕海岸与論の先人が最初に上陸したといわれる岩場与論ヘッドと名づけようか砂に記された足跡をとりたかった私のシルクロード
2007.01.05
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正月そうそう関西大学の森先生から日本民族建築学会大会発表研究論文を頂いた。1 与論島及び南西諸島の床の神祭祀の中に 同島古里地区でも床の神は祖先神より格が高く、土地の神、家の神として信仰されている。当地に住むT氏によると、新しく分家した家では先祖を祭る神棚がないのでとくに床の神を丁寧に祭るという。 与論島の床の間における祭祀儀礼は十分の量の情報が付随した事例ではないが、現在行われている点で貴重であり、現段階では、床の間で祭る神霊は土地の神の性格をもつ家の神という概念で理解できよう。 この報告論文のあとで昨日載せた写真をみたらまた違う雰囲気がかんじられるだろうか。琉球にはニライカナイの思想があり私の屋敷にはそれが顕著に生かされている昨日は庭いじりを楽しんだが主庭となる石組みに手がけた先祖から頂いた屋敷にいかにして自分の思想を表現できるかが私の一生の仕事だと思っている。今日は 仕事はじめ。残り少ない日々を有意義に過ごしたい。 右ソテツ下は神様に供え物をする石古い家の時は 手水鉢を置く石だった80センチ埋め立てして形も崩れてしまったのでサンゴ石を拾ってきて何とか繕いしようとしている。石組みの好きなかたのアドバイス待っています。昨日は灯篭の奥をいじりました。灯篭はとってつけですのでいずれは取り去る予定。 も一度 山羊を見てください。
2007.01.04
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満月の月を眺めながら朝日の撮影場所を頭に描きながらついで浜砂の様子を確かめるため海岸をうろついていると西側に雲がかかってきた。やばいと思い高台の琴平境内に上ったが西空には厚い雲がかかってしまていた。 朝日は大丈夫か気にかかった。日の出までに縁取りに使えそうなサンゴ石を集めて軽トタックに運んだ。そろそろ朝日があがるのでカメラを構えると電池切れ。残念、でも、結局朝日も雲が厚くシャッターチャンスはなかった。これで、簡単に朝日・夕日が拝めるものでないことがみにしみてわかった。 今日は、昨日のつづきの畑つくりするつもりでいたが庭石をいじって過ごした。次第に形ができつつある。落ち着いたらいずれ・・・。 与論で一番の聖地といわれる赤崎の拝所赤崎うがん を撮影してきたので合掌 真ん中の石は いび と呼ぶが意味やいわれについてはわかりません。 次は前浜海岸沖縄が日本に復帰するまで密貿易に使われた海岸上手く撮影できませんでした。
2007.01.03
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3時半に目が覚めたかぜもなく穏やかな夜半に月が冴えている正月だからと月下の独酌で酔いたいけれど犬のチレットつれて「おーいお茶」のボトル持って散歩した頭上の星は双子座のカストルとポルックス5月28日生まれの私の星座だ ふとおもいついた。落日(?)の月と昇る朝日を撮ってみよう 昨日撮った山羊の写真を載せます昨日の山羊は海洋少年の踊る山羊 狂は神に近い山羊と空港山羊 月下の講釈 犬のチレットと朝散歩 7時前だから明るくなっていた 台風27号といえば どこにいるやら 雲と風の流れが違う ちりちりばらばらではないと 電話が届いたゆうべ (地理知里薔薇腹) 眠れなくて 隣の新築の工事現場で酔い 酔いつぶれでした ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 朝・スッキリ 上空は 上弦の月 私が酔えば 月も酔う 月が酔えば 私の影も酔う 時すぎれば 月も酔い 花も酔い 歌うならまさしく酔う 父・母をたずね なみだながら 酔いしれる 妻を大切にしようか そうあるべきと 友のいう まーあま それでもいいかな H。16.12.5 竹 酔 日 千里千里1,000里通信 様 2005年5月 出版予定 与論島(琉球の原風景の残る島) 関西大学教授 高橋 誠一 共著 市井のひと 竹 酔人
2007.01.03
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写真は 鳩の湖どんな旱魃でも水が枯れたことがないといわれる。 下の写真の場所に 鳩の湖がある 午後から畑をつくってみた。先日焼畑したところにサンゴ石で囲いをいれてみた。体験農業者に一坪農園で分譲すると面白いなどと考えながら。機械を使わず、スコップと鍬とつるはしだけでの作業で結構たのしめた。形ができていくことが喜びに直接結びつくからだろう。疲れたので写真載せて早寝しよう。
2007.01.02
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忘れえずして忘却を誓う寂しさよ慈雨のため外にでることがはばかられる。過去に書いたメモのなかで真面目なやつを載せてみます。 今日は書初めのひなのでまーあいいか。亜阿草界の木 水と土の学校 (凸凹池に住んでたどじょう) 先ほど紹介のありました竹ともうします。名前は盛窪といいます。小学校の頃は凸凹と呼ばれておりました。盛上がったり窪んだりしたデコボコ道歩くの大好きな僕の心臓が今デコボコデコボコデコボコと波うっています。校長先生とは小中高とも一緒で,こちらに座っているN町民生活課長とも中高を通して良きライバルとして,スポーツに勉学に励みました。これから退屈な話となるかと思いますが喋らせて下さい。 私の受け持ちは「農業面からの環境への取り組み」です。 農業に欠かせない要素は色々ありますが,今日は水と土の2つの面から考えてみたいと思います。「川は流れてどこどこいくのでしょうか・・・」それではまず,水について話してみます。 みなさん,不思議だと思いませんか,中学校の隣の池の水を。こんな高いところに池ができるなんて。学問の神様,菅原道真を祀った神社があったので菅原池と呼ばれています。私が中学の頃はこの2倍以上の広さあったのです。神社の跡地に今もある古井戸のみずは,どんな干ばつに遭っても水が涸れたことがなかったと言われていました。(現在は地形の変化により涸れる事もあります)物知りの人に「何故なのと尋ねた」ところ,「ヤンバル(沖縄)の井戸と地下でつながっているから」と教えてもらった。本当なんでしょうか,冗談でしょうか,皆さんも考えて見て下さい。 さて,この池の水の一生はどうなるでしょうか。池の水は太陽に温められ,蒸発して雲にかわり,風にのって流され,海上にでて雨を降らします。又,池からあふれた水は,地上水となり,低いところへ低いところへと流れて海へとどきます。もうひとつ,池から溢れた水は鐘乳洞に流れ込み,地下水となり地下の道をたどり海へ帰ります。あとひとつ,溢れた水は土のなかを浸透し地下の水盆にたまり井戸から汲み上げられ,飲み水や生活用水,農業用水に使われています。 与論には川がないとよく言われますが,私はよく冗談めいて「与論島には少なくても,4つの川がありますよ」と農業関係者の視察案内で説明しています。 1つめは,菅原池を源とする川で,中学校の前の側溝を東に下り,西区集落にある麦屋川でいったん止まり,農業用水に利用された残りは南に下り,ふたたび人工のため池に蓄えられたあと,前浜の海岸に溢れていきます。 2つめは,菅原池を溢れ出し南へ流れでて地下をくぐり,城集落の屋川の湧水となったあと再び地下を通り,島水川や四川からゴーゴーと音をたてて海にそそぎでています。 3つめは,伊野波川地帯を水源とし,製糖工場のとなり,ウプインジュ河口から茶花の海岸を汚している川の水の事です。 4つめは,那間小学校の位置する増木名原を水源に,大雨のあとだらだらと流れてクズレ橋の下をくぐり抜け大金久海岸にながれだす水のことです。 ところで,30年前の海は海草やウニなどがいっぱいあり,魚は手でつかんで採れる程いっぱいたと聞きます。今はどうですか。皆さんもご存じのとおり生物の少ない海に化けてしまいました。 さて,私たちの毎日の生活を考えてみるとしましょう。手を洗ったり風呂に入ったり洗濯や炊事をしたり,もちろんオシッコもします。学校で手を洗ったり足を洗ったりした水や,もしかしたらオシッコも,使った水の一部は菅原池に流れています。こうした日々の暮らしに使う水を生活雑排水と呼んでいますが,これが海を汚している原因の一つと考えられます。したがって雑排水をいかに浄化するかが海の再生についながる大きな役目と思われます。 中略 次は土の話に移らせて下さい,母なる大地を構成する土壌はどんな役目をしているでしょうか 。そう,植物の根を支える役目をしています。与論に分布する土について考えてみたいと思います。与論の土はおおまかに3つの種類に分類することができます。那間,古里などの褐色をした土。立長,東区に見られる赤みを帯びた土。もう一つは中学校近くのピャーヌパンタで見られる灰色の土です。土の種類によって植物の分布に違いがあるようです。松林などは酸性の土で良くそだちます。みかんの木はアルカリ性の土壌でも良くそだつようです。化学的な成分等詳しいことにについてはあとで山下先生や久保先生聞いてみてください。 しばらく,自分の体験を話します。私は今から23年まえに与論に帰って来ました。父母の仕送りの学生暮らしの恩返しと思い,勤めから帰ったら父の農業の手伝いを一生懸命やりました。与論かぼちゃを植えるため,化学合成された肥料をたっぷり撒いて,果実がみのるころまでに農薬を何回もかけて,収穫したあとは雑草を枯らすため除草剤を散布しました。そのころはかぼちゃもたくさんとれ,収入も良く,農業の生産に貢献していて良いことをしていると思いこんでおりました。ところが,産業課というところに配置換えされ,農業のことを本格的に勉強するようになって親父の農業の仕方,化学肥料と農薬の使いすぎはちょっとおかしいと感じました。その後親父とは栽培方法に意見が合わなくなり,自分で別の畑にビニールハウスを建て,花や果樹栽培を始めてみました。肥料農薬の使用を少なくする栽培を試みてみました。おかげさまで今年は無肥料,無農薬栽培のマンゴーを美味しく食べることができました。汚された土で作られたミカンと農薬や化学肥料で汚染されていない正常な土でつくられたミカンとの間には,うま味の差があるとききます。私の栽培した美味しいマンゴーを水にに浮かべてみると沈んでいきます。本当かどうか皆さんも是非実験してみて下さい 土が汚染されていく仕組みについては皆さんもきいているとおもいます。サトウキビや野菜,花などに撒かれた肥料や農薬が,土の中の虫やカビなど,有効な微生物なども殺してしまいます。又,地下に染込んだ肥料農薬や生活雑排水が井戸に流れ込み,私たちの飲み水を汚しています。 町民の皆の創意の力と科学のおかげで,淡水化プラント施設ができて,おいしいみずがのめてほんとうによかったですね。(島人の いのちはぐくむ ましみずの たえざるながれ とわにいのらん 山 市郎 翁 ) (いつまでも・あるとおもうな・かねとみず・ためて・たくわえ・ひでりしのぎに) ひといき さて,本題に戻って,今日私に与えられた課題,町役場、産業課で対策を取っている自然環境を守る取り組みについて話しさせて下さい。私は職務で特殊病害虫対策及び環境保全型農業を推進する係を担当しております。 中略 次に,環境保全型農業について 与論島には,4,500頭のモウモウちゃんが飼われています。家畜のウンコやオシッコがどのようにして海にたどり着くかもうお分かりのことと思います。そのシッコやウンコを適正に処理し,有機物として農家に使ってもらえるようにと,平成15年度に堆肥センターを作る計画です。又,農薬や化学肥料を使わなくても,さとうきびやさといもを作れるための栽培技術を確立するため実験農場を作り,農薬や化学肥料をへらす運動をおこなっています。それから農業用ビニールを適正に処理してもらうため,お金を補助し畑のすみなどに使用済みビニールを放りっぱなしにしないようにお願いしています。又,赤土が直接海に流れないようにため池をつくったり,なるべく地表に緑を多くするよう農家によびかけています。 本町は他の市町村に先駆けて環境の町づくり宣言をしているので「パナウル王国の環境憲法」がみんなの協力で 実行に移されれば,昔のちゅらさる(美しい)海が再生され,魚や貝ウニなどたくさん採れるようになるでしょう。 私はやたらめったらに木を植えることが好きです。ある森の好きな人から聞いた話ですが,人は一生のうちで5本の木を植えなさいと言います。一本の木が肩を組んで林をつくり,林がもう一本の木を担ぎ上げたら森になり,森と林が手をつなげば,森林ができるといいます。みなさんもいっしょに森林を作ってみませんか。森林が海を豊かにするそうです。皆さん一緒になって,たくさんの木をうえましょう。いよいよ最後になりますが,「沈黙の春」を書いたレーチェルカーソン女史の言葉をおかりして終わりにしたいと思います。 「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない。美しいものを美しいと感じる感覚,あたらしいもの,未知なるものにふれた時の感激,思い遣り,哀れみ,賛嘆や愛情などの,さまざまなかたちの感情が,ひとたび呼び覚まされると,次はその対象となるものについてもっと知りたいとおもうようになります。そのようにして見つけ出した知識は,しっかりと身につきます。発表の機会を与えてくださました町岡校長先生に感謝するとともにこれからも地域社会と学校が連携し,またこどもたちが与論に帰って来たくなるような町づくりに努力することを約束し終わりにしたいと思います。生徒のみなさん長い時間聞いて下さってありがとうございました。 添付資料 水の流れと土壌の分布
2007.01.02
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寝すぎた。 初夢見すぎてどれが鷹だったかなすびだったか思い出せない。 楽しい夢だったが努力が足りなくてゴールに到着できなかったようなそんな思いを残す夢だった。向上心の裏返しの夢として夢占いは 良しとしよう。 それにしてもカラー映像ではなかった。 今朝は暖かい雨がふっている。農作物が喜んでいる。農具の手入れをして、道具祭りの真似事でもするとしよう。倉庫の片付けなど・・・。 以前撮った映像で日の出を乗せてみます。
2007.01.01
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