月夜茶会

月夜茶会

2009.08.12
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 美奈子は、ペンションのドアを開けた。

 玄関ホールの奧はカウンターになっていて、脇には暖炉があった。
 カウンターではエプロン姿の男が皿磨きの最中だった。
「いらっしゃい」
 美奈子を出迎えたのは、まだ40前だろう、中年と呼ぶには若い男。
 背が高く、スラッとした容姿は精悍さを感じさせる。
「部屋、ありますか?」
 美奈子は努めて平静に訪ねた。
「シーズンオフですから、他にお客様はいませんよ」

「ご主人?」
「はい―――湖見物ですか?」
「はい」
 美奈子はドアを閉め、頷いた。
「シーズンは紅葉の頃……失礼ですが、季節外れですよ?」
「……忘れたい思い出なんですけど、でも、この湖が忘れられなくて」
「ああ……」
 沈んだ声の客の態度に配慮したんだろう。主は美奈子をカウンターに誘った。
「ウェルカムドリンクになります」
 よく手入れされたティーカップに入った琥珀色の飲み物。
 美奈子は一口、口をつけた。

 口の中に清涼感が広がっていくような、不思議な味だった。
「おいしいですね」
「ありがとうございます」
 主は軽く頭を下げた。
「当宿自慢のハーブティーです。裏の畑でいろんなハーブを育てていまして」


 ―――それでか。

 美奈子は、宿に入る時、嗅いだ“とてもいい香り”の正体を悟った。

「では、宿帳にご記入を―――部屋にご案内します」
「はい」


 案内された部屋は角部屋。
 ベッドが二つ。
 手入れされた部屋には汚れ一つ無い。

「いい部屋ですね」
 美奈子は素直にそう言った。
「ありがとうございます」
 無邪気なまでに喜ぶ主が頭を下げる。
「夕食は地物野菜をふんだんに使った自慢料理です。露天風呂もありますのでご利用下さい」


「桜井さん」
 水瀬との接触があったのは、美奈子が料理に舌鼓をうち、露天風呂を満喫しているまさにその時だった。
「―――っ!!」
 露天風呂の岩陰から突然顔を出した水瀬に、美奈子は思わず風呂に体を沈めた。
「な、なななっ!?」
 慌ててタオルで前を隠す美奈子に、水瀬は何でもない。という顔で言った。
「宿の中に異常は発見出来なかった。宿の中は安全だと思う」
「……」
「お料理、おいしかった?」
「―――ねぇ」
「何?」
「私、異常を見つけた」
「な、何?」
「女の子が入浴してるってのに、平気な顔して顔を出す男の子よっ!」

 ガンッ!
 美奈子の投げつけた洗面器が、水瀬の顔にクリーンヒットした。


 翌日

「よく眠れましたか?」
「はい」
「朝食のご用意を」
「いえ」
 美奈子は言った。
「朝食は食べないんです。チェックアウトお願いします」
 美奈子は、手続きを終えると主に言った。
「ハーブティー美味しかったです」
「―――またお越しを」

 ドアの向こうは、相変わらずの霧の世界だった。

 まるで霧の中を泳いでいるような錯覚さえ覚える世界で、美奈子は湖を目指して歩く。

 背後を振り返ると、10メートルほど後ろにぼんやりと人影らしきモノが見える。
 手はずでは、変装した水瀬のはずだ。

 ―――さて?

 旅行客に変装した水瀬は、美奈子の背後を、距離を詰めないように注意しながら歩く。
 カッ
「―――あっ」
 それは、本当に一瞬だった。
 石に足を引っかけた。
 それだけだ。
 水瀬は、すぐに視線を美奈子にむけた。
「――― えっ?」
 水瀬は目を見開いた。
 前を歩いていたはずの美奈子の姿が―――消えたのだ。


 ザザッ

 水瀬の変装した旅行客が小走りに通り抜けていく。
「やっぱり、あなたを狙っていたらしい」
 水瀬が通り過ぎた藪の中から、そんな声が小さく聞こえたのは、それからしばらくしてからだ。
「―――お知り合いで?」
「……いえ」
「霧が晴れるまでもう一度、宿に戻りませんか?ハーブティーをごちそうしますよ?」
 美奈子と、宿の主だった。

 ―――心配で追跡したんです。

 美奈子を追いかけてきた理由を、主はそう告げた。
 たしかに、傷心旅行を装っていたし、後ろからは不審者が追跡していた。
 すべてでっち上げだが、かといって否定出来ない美奈子は、主の言うとおり、素直に宿に戻った。

「木陰から手招きされた時は、正直びっくりしました」
「この辺は私の庭のようなものですから」
 主はハーブティーを勧めながら答えた。
「でも―――ありがとうございました」
 美奈子はハーブティーを飲んだ。
「……霧が晴れるまでは、しばらくかかるでしょう」
 主は窓の向こうに広がる霧の世界に視線を送った。
「霧の中にいると」
「……」
「世界が本当に狭く思えますよ」
「……そうですか」
「ええ……」
 主はチラリと時計を見る。
「駅に行っても、次は2時間後です。クッキーもありますからしばらく話し相手になってもらえますか?」
「私の方こそ」
 美奈子は、体がホワホワと浮き上がるような、不思議な感覚に身を任せつつある自分に全く気づいていない。
 一体、それほどおいしかったというのか。
 それとも単に美奈子が意地汚いのか。
 ハーブティーを何杯も飲んだ美奈子が、主の話が毎年の宿泊客の話題になった時、言った。
「3人、行方不明になってるそうですね。もしかして、さっきみたいに誘ってどこかに連れて行ったんじゃないんですか?」
「……やっぱり」
 主は冷たい視線で言った。
「何かご存じでここに来たようですね」
「……へ?」
 妙に頭がぼんやりする。
 世界がグラグラして、横になりたくてしかたない。
 美奈子は何とか姿勢を保とうと、カウンターを両手で掴もうとするが、力が入らない。
「あ……あれ?」


「私には娘がいたんです」

 それは、本当に現実なのか?
 それとも夢か?
 目の前がぼやけ始めた美奈子の耳に、聞こえてくる主の声が、本当に主の声か、美奈子は地震がなかった。
「私は娘を愛していた。子を成す程ね。ところが、娘は事故で死んだ。死んだ時はそれは悲しかった。
 愛した娘と離ればなれになるのが、この身を裂かれるより辛かった。悔しかった。
 だから私は“あること”をして、娘と一つになったのです」

「……」
 美奈子は、自分がカウンターの椅子から転げ落ちたことさえ気づかない。

「でもね?私は娘と一つになったことで、神からの罰を受けました」

 カウンターの向こうから出てきた主の手には、薪割り用の手斧が握られていた。
 床に倒れる美奈子を前に、主は舌なめずりしつつ、斧の刃を確かめた。

「若い女性の肌を見ると―――食欲が抑えられなくなるのです。
 吹き出す血を全身に浴び、生ぬるい血潮を飲み干さなければ、喉がかわく。赤黒く蠢く肉を喰らわなければ空腹を満たすことが出来ない!」

 ハァ……ハァ……

 荒い息の下、男は震える手で続けた。

「私は女性の血肉を求め、飢えるという神罰を受けた!さぁ、あなたも私と一つに―――!」

 手斧が美奈子めがけて振り下ろされようとしていた。


「……御苦労様」
「桜井さんには、悪いコトしたわね」
「今回のことは、記憶操作して、消しておくよ」
「事件に巻き込まれて記憶消されるって……この娘、これで何回目よ」
「前の壁に埋められていたミイラ化した死体見た時で5回目だから」
「ホント……お気の毒」
 場所はA市内の病院。
 廊下に置かれた長いすに座る水瀬に、横に座る理沙が言った。
「飲まされたのは、香草(ハーブ)というより麻薬だそうよ」
「……やっぱり?」
「先生に聞いたけど、一定の種類をあわせると合法の香草(ハーブ)が麻薬と同じ成分を産み出すんだって」
「……後遺症は?」
「ないけど……あの子飲み過ぎたらしいわね。普通なら一杯か二杯が限界なんだそうよ?2、3日は静養が必要だって。ご家族にはどう説明する?」
「事件調査が長引いたってことにする。桜井さんもうまく言いくるめて、近くの温泉に泊まって……宿のご主人は?」
「水瀬君の一撃喰らって、今集中治療室。発狂している可能性が高いから、精神鑑定の手配している」
「……そう」
「愛する子供失って狂った―――そんな所よね」
「……うん」
「愛する子供を食べてしまうなんて……」
 理沙は両手で体を抱きしめるように身震いした。
「私には信じられない」
「青頭巾」
「……へ?」
「ペンションの名前。出来すぎだよ」
「なにが」
「江戸時代に書かれた『雨月物語』に、『青頭巾』って名前の話しが出てくる。
 旅をしていた改庵禅師が、宿を求めて里に入り大きな家を訪ねると、禅師を見た人達から「鬼が来た」と騒ぎ立てられ、逃げられる。
 どうやら、理由は自分の僧衣にあるらしい。
 何とか誤解を解いた改庵に、家の主がわけを話した。
 近くに山寺があって、徳の高い阿闍梨がいた。
 だが、一人の稚児に迷い、これを寵愛するようになった。
 この稚児が病で死ぬと、阿闍梨は腐敗し、腐臭を放ってもなお、稚児の遺体に寄り添ったままになった。
 挙げ句が、気が狂ったまま死肉を食らい、骨を舐め尽くし、食い尽くした。
 そのの地、阿闍梨は鬼と化し、墓をあばいて屍を食うようになったので、皆が恐れているという」
「……」
 似てるでしょ?と、水瀬は冷たい笑みを浮かべた。
「―――で、そのなんとかいう、狂った坊さんはどうなったのよ」
「結局、改庵禅師に教化……まぁ、宗教的な正しい教えを受けて成仏した……ってところかな」
「あの宿の主には、いなかったわね」
「そこが物語と現実の違いだよね」
 水瀬はポツリと言った。
「現実の残酷さって、そういうところにあると思う」

「警部補」
 背広姿の若い刑事が、理沙に近づいてきた。
「ペンションのハーブ畑から白骨化、もしくは白骨化しかかっている女性の頭部が4つ、それに砕いた骨と内臓の痕跡がみつかりました」
「……骨と内臓がいい肥料になったでしょうね」
 ちらりと水瀬を見た理沙は言った。
「水瀬君。絶対に今回のこと、桜井さんの記憶から消しておいてね?」
「どうして?」
「人間の骨肉で育ったハーブティー。飲みたい?」
「……消しておく」
 水瀬は、げんなりした顔で頷いた後、刑事に尋ねた。
「内臓と頭部と骨は見つかったけど―――筋肉は?」
「ハーブを育て始めたのは2年ほど前だそうです」
 刑事は、それだけ言った。
「―――もういい」
 水瀬は吐き気を抑える仕草で首を左右に振った。
「どういうこと?」
 理沙は刑事と水瀬の言いたいことがわからないらしい。
「理沙さんも肉料理すればわかるよ」
「はぁ?」
「ハーブティーはね?おまけなんだよ。理沙さん」
 水瀬は言った。
「どういうことよ。どうして、主はハーブなんて育てたの?客寄せじゃないの?」
「違うよ。ハーブを育てた理由は―――多分、一つ」
「何よ」


「―――肉料理に変化をつけるため」


 どういう心の闇が主に生まれたのかは知らないし、知りたくもない。
 どちらにせよ、その後しばらく水瀬と、話を聞いたルシフェルは肉を食べる気になれなかったという。






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最終更新日  2009.08.12 18:22:59
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