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これまでのセラピストとしての経験から心身の不調の要因として「起こっていることを受け入れない」ということはとても大きいと考えています。頭や気配で知っているけれど心でそれを感じようとしてみると抵抗があったり痛み、苦しみを感じるというとき心ではそのことを受け入れられていません。そのことに気づけないと意識下で葛藤が起こります。無意識にそのことを避けようとしたり封印したりしているとそこで本来感じられるべき痛みや苦しみは薄められもやもやとして潜在意識下に残ります。表面意識では忘れようとしているので実際表面では起こったことや感じたことは忘れられていきもやもやの感覚だけがずっとそこに残る感じです。そういったことが少しずつでも重なっていくといつも心と体が重たいな、だるいな、スッキリしないな、おかしいな、病気かな、という風に認識されるようになります。また、それでも我慢したり無理して日常を続けていくとますます心身は重たく硬くなります。動きがなめらかでなくなり、反応も鈍く、またかたよるために特定の感情はふさがれてしまいます。例えば軽やかな感覚やしみじみとした喜び、感謝などは感じにくくなります。これらの感覚は細やかなバイブレーションを持つので硬直した状態では感じにくいのです。 また、痛み、苦しみを封印していますのでそれを引き出す要因となった不快な感覚は抑圧されたまま実際は無意識でありながら、それと同類の感覚はずっと身にまとったままになります。例えば痛みを恐れて怒りを抑圧してしまったとすれば怒りをなるべく解放されない方向へ自己を向けるようになりそれだけ抑圧されたまま怒りを内包しているので実際は怒りを引き寄せやすく、怒るべき場面、機会に遭遇しやすくなります。それは気づいて解放するチャンスなのですが抑圧が続いているのでますますぎゅっと抑えつけてしまいがちです。そうすると本人はどんどん重荷を大きくしてさらに苦しむという構図になります。こうしたスパイラルには、心身の構造上、誰もがはまる可能性を持ちます。うつ、という病気が今非常に多いのですが元々はこういった心身の正常な防御反応から来ているのではと考えられます。アレルギー反応が外敵からからだを守るための過剰反応だということと似ています。仕組みを解体していくのは手間のようですが本当は近道であり、その作業自体が学びであり人生において実り多いものだと私は感じています。人間が本来身をおくのにふさわしい環境というのは愛という軸、愛という価値観、観点から様々なことが体系付けられているということだと思います。それが大きく欠けている、見落とされている環境では人の心身は機能不全となるのは当たり前のことです。人はパンのみにて生きるにあらず、ということが社会に反映されない限り心や感情というものは厄介な異物のように扱われることでしょう。生産性を上げるということが最上の目的であれば心に幅を持った人間などという存在は無駄だらけな生き物です。機械のほうが優秀です。実際に機械みたいに動ける人が点数を上げ、賞賛を浴びてきたのが世の中ですがそうである限り、権力による支配や、差別などの根源にある意識は浄化されることはないでしょう。基準が違う、ということは今回原発の問題を見ているとまざまざと感じます。「推進」と「脱」では同じ土俵で比較しきれない部分があります。私たちはより崇高な基準というものに目を向けない限り真の前進を選ぶことができません。実際はコスト面やリスクなどの実際的な規準で比較しても「脱」が優位なのですがそこは情報操作でうまいことコントロールされてきていますので見たくない人に真実を伝えることはとても難しくなっています。ともあれ、浮上してきた一つの問題はつまるところ内面に繋がっていて私たちはそこに向き合うことによってのみ真実に近づくことができ真実を受け入れたときにのみ前進することができる。その前進とは、愛への一歩であり、幸せへの一歩だ、とやはりそこへしか繋がっていないと痛切に感じています。
2011.05.27
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みなさんいかがお過ごしですか?昨日は豊崎の美容室で美容師さんから県外から避難していらしている方がたくさんいらっしゃるとうかがいました。関東からの妊婦さんが多く、みなさんストレスを抱えていらして美容室でとても癒されたとおっしゃっているとのことでした。美容師さんは「でも放射能はニュースを見てると大丈夫そうだなと安心していましたけど、違うんですかね?」とおっしゃっていました。あ、そうなのか、と状況を飲み込むのに一呼吸かかりその呼吸で彼女は、そうではないと私が思っていることがわかったようでした。沖縄は距離があるから少し遠く感じますけど、いろんな方のお話が聞けてよかったと思うんです、と彼女は話してくれました。 今回の事故の主役である原発を調べていくと私たちがこれまで知らずに生きてきた上で心身の健全性を損ねてきたものの原因は実はとても身近に、私たちの生活のすぐ下に流れてきた権力の支配とコントロールが大幅に占めるのはないか、と思うに至ります。 これまでに私たちが「なにかどうしようもないおおきなもの」のために個人の意志ではどうにもならない問題として受け止めてきたもの例えば戦争、例えば伝染病、例えば差別、例えばアレルギー体質、例えば鬱のような症状、例えば飢餓、例えば貧困、例えば自然災害の一部まで・・・もしこれらのことが誰かの意志によって意図的にコントロールされていたとしたら当然のことながら何も知らずにいつか消滅することを願って祈ったとしてもそれらはなかなか消滅することはないでしょう。私たちはそれを強要してくるものに対してNOと決意しなくてはならなくなります。そこからしか次への進展は生まれないだろうと思われます。 逆に言えば、私たちの意識レベルが高まり平和と愛の次元で物事を選択し創造するレベルにまで到達したからこそこれらの低次元でのコントロールが明るみに出て私たちにNOという表現をさせる準備ができたといえるのかもしれません。 いづれにしても、私たちは物事をできる限り意識的に捉え検証し、愛という知覚に照らして判断し、選択していかなくてはならない重要な時期に来ていると言えます。内なる神に常に問いかけ、導きを願い勇気を持って進んで行きたいものです。
2011.05.25
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http://www.youtube.com/watch?v=Ev3ACAFNROQ岩上安身さん、地上波に出られたんですね。Ustreamでずっと東電の会見に張り付いていたジャーナリストです。小出さんらへのインタビューでもすばらしい内容を伝えてくれました。 炉心溶融の危険を事故直後から言ってきた科学者、ジャーナリストはことごとくテレビからほされてきましたので情報源をテレビと大手の新聞とされてきた方々は現実に起こっていたことを知らされずに操作された情報を言い聞かされてきたかたちになります。岩上さんがここでしゃべっている内容は本当に当たり前すぎることなのですが知ることでショックを受ける方もたくさんいらっしゃるかもしれないんですね。そんなことがこの狭い日本で起こるということも驚くべきことです。原発の事故の収束は、現状とてもとても困難だと推測できます。政府の発表している工程表は、どううかがってもおかしくつじつまが合わない。時間も労力も、もっとかかると考えるのが普通ではないかと思います。メルトダウンしている核燃料について明確で安全な処理法はなく現状の対処はすべて、優しく言って「手探り」であり手がつけられない状態であるというのが本当のようです。そうなれば個々の人生のプランの見直しも必要になり、対処も腰の据え方も覚悟も違ってきます。 けれども経済面や国際社会での関係を鑑みると危ない、危機だと政府が公言することにも危険があるのかもしれません。海外では現在の日本の何十倍も、何百倍も、放射能に対して危惧しています。 日本が経済上孤立へ向かっていることも事実で消費税10%などというのんきな対策などではどうにもならないのではと懸念せずにはいられません。いっそベンジャミン・フルフォードの勝利に賭けてみたい気持ちにさえさせられます。 私たちは今、どれだけ真剣になってもおおげさではないほどの状況の中にいることは間違いないでしょう。パニックを避けるどころかパニックを乗り越え、何事も乗り越えていく姿勢なしには前進は難しいのではと思われます。 そのためにも正確な情報の開示と(それは政府の体質からしてとても難しく見えますが)受け取る側の心構え(情報に対してオープンでいること) が大切だと思われます。後者に関しては、やはり不要な恐れを鎮めることはどうしても必要です。こんなときだからこそ、瞑想は急務です。 これらのことは逆に言えば、この時期を大切に丁寧に乗り越えれば大きな実りと人生の豊かさを得ることに繋がるとも言えます。
2011.05.22
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沖縄は梅雨明けかな~というほど美しい夏雲の晴天です。ベランダをごしごしデッキブラシでお掃除しました。特にとても放射能を意識してということではないのですが(もともとお掃除が好きなので)先ほどだんなさんが見ていた資料を見たらちゃんと沖縄にも届いていました。ヨウ素131。 文部省の放射性下降物のデータなのですが私の住居に近い南城市で測定されていました。積算値で見ると、札幌が2.6なのに対して沖縄4.8(MBq/km2)ということでしかもこの4.8には4月5日の一日で到達しています。毎日風向きチェックしているつもりでしたがこんな感じで抜き打ち的に集中して訪れるものなのですね。驚きました。北海道意外と数値高いな~大丈夫かな~と思っていたら沖縄のほうが高かったのもびっくりです。と言ってもヨウ素131だけですが。 これから多くの物理的な問題が出てきてますます多くの人が多くのことに対処しなくてはならなくなってくるでしょう。私の苦手な分野である経済の問題も日本にのしかかってくるでしょう。個々としてはますます、問題の分類、整頓が大切になると思います。心配しなくていいこと、すぐに対処しなくていいことはいったん頭の中のリストからはずすようにしましょう。そしてはずしたものについて考えるときは恐れからでなく愛の見地から、考えるようにしましょう。本当に今すぐに対処すべきで実際に行動に移せることは日常の中では意外に限られています。震災のショックから、脳の中では非常事態にまだ対処し続けている場合があります。表面だけが日常モードになって脳がそうなっていないと少しのことで気が立ったり、ぴりぴりとしたりします。また緊急モードから急に刺激の少ない環境に移り対処すべき対象がなくなってしまうと虚無感や罪悪感に襲われてしまったりします。緊急非常モードの意識は荒く自己保存的な波長なので小さなことへのきめ細かい対処も不得意です。ですが今多くの人が日常の中で必要とされていることはとても地味で小さなこと(例えばマスクをしましょうとか拭き掃除しましようとか)ですので根気や忍耐が必要となります。やる気があり前向きで細かいことにも対応できる状態であることができるよう瞑想して内側を光で満たしましょう。 昨日の糸満の美々ビーチの夕日の写真です。ヒーリングのツールになるようアチューメントしておきます。お時間のあるときに「私は高次元波動の光を受け取ります」と宣言して写真を1分ほど眺めた後、2~4分ほど目を閉じてリラックスしてください。お時間が許せばそのまま少しお休みください。それから、今日は「小出裕章さんと斑目春樹さん」の画像を上げておきます。小出さんが原発がどうしていけないとお考えなのかよくわかります。斑目さんに対してちょっと悪意のある編集になっていましたが顔や口調、善悪の判断でなく、真意と意図についてお考えいただけたらいいなと思います。 http://www.youtube.com/watch?v=AksrgkxQ7pA&feature=related
2011.05.21
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この三次元の世界には二極が存在していてそれはどこまでもがそうだ。一つの命題を言えば対極が存在する。すべては相対的にしか存在しえない。一つを推奨するなら、世界を共通の認識のもとに限定しなければ討論は進まない。その二極の世界を超越して絶対に位置しているものを私たちは神と表現したりする。相対的な世界で相対的な討議をし相対的な結論と対処を求め合っている時に神(絶対)を持ち出すのはルール違反だ。インドの賢人なら「浮世の責任だけを神に押し付けるのは間違った認識だ」ときっとおっしゃるだろう。もし今が戦争、弱肉強食、コントロール支配という世界の成り立ちを人間が卒業できるチャンスであるとすればその差し出されたステージにぜひ上がってみたいと思う。二極が対立することは、この次元において間違ったことではない。戦争は二極の対立のためではなく暴力的なビラミッドによって起こっている。健全な対立は、創造活動において必須だ。次のステージへ行くためにもここはしっかりと学ぶべきポイントなのかもしれないと思う。
2011.05.20
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みなさんこんにちは。雨が上がって美しい夏空が目の前に広がっています。干潟は今徐々に満潮に近づいてきています。先日の満月以来、地上のエネルギーがシフトしたようですね。このエネルギーに任せてなるべく不要な重荷を降ろしましょう。お月様が小さく細くなるに従って、私の重荷も小さく軽くなっていきますように、と願いましょう。不思議なことに小さな一つの重荷が降りただけで他の重荷も軽く感じられるものです。人間は多くの重荷を感じているときこの中の一つくらいがなくなったってしょうがないじゃない、と思ってしまいがちです。だからもう、全部、いいや、とあきらめてしまいそうになります。本当は、ひとつだけ片付けば大丈夫ということがたくさんあります。人生に重荷を感じているときに放射能のことなんかに気をつけてなんか生活できないよ!と感じるかもしれません。でも、場所と環境によっては今日はマスクをして出かけるでいいかもしれません。雨が降れば、かさをさすだけ、あるいは、今日は出掛けないから床のふき掃除だけですむかもしれません。今、とりあえず急がなくてはならないことの一つは現在毎日たくさんの放射能を浴びてしまっている子供たちがこれ以上たくさん浴びなくて済むように間違った決まりを直すこと。何が間違っているのか、知らない人には伝えてあげるといいと思います。まだまだ、テレビのニュースしか見ていなくて20ミリシーベルトが安全と感じている人もたくさんいると思います。言葉で伝えるのは難しいので誰かがまとめた映像などを見せてあげるのもいいかもしれません。見るだけで、わかる材料はたくさんあります。今日はこれをアップしておきます。テレビの放送なのでご覧になった方多いでしょうか。ネットワ―クで作る放射能汚染地図~福島原発事故から2ヶ月~私は心身ともにタフでないのでいつも自分を点検して不要な重荷を降ろしまくっています。そうすると、新たな課題に取り組むためのスペースが生まれます。軽くすれば、少しのエネルギーでたくさん進めます。またより道を減らせばそれだけ早く行きたいところにたどり着くこともできます。
2011.05.19
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あまりに多くの事実が出てきているので、わたしなりに少しまとめます。と言っても私の視点は終始「ひとりひとりが幸せ」ですので、その観点からになります。まず今、おおざっぱに言いますとテレビで発表されてきた、政府、東電からの情報は大事なこと(個人が身の処し方を決めるような重要な判断材料)はほとんど嘘と隠蔽だったということです。私はテレビを見ませんので震災直後からニュースはネットで見るしかありませんでした。それが今では「幸いだった」と断言できます。Ustreamというインターネット放送が頼りでした。そしてそこにはまず、報道協会とフリーランスのジャーナリストの対立があり報道協会の在り方は概ね信用できないことがわかりました。理由は根深いですが、表面的なことを言えば彼らは政府のスポークスマンでありスポンサーが必要な立場であり東電は非常に大きなスポンサーであったからです。そしてフリーのジャーナリストは迫害されておりテレビなどからも排除されていましたので彼らの伝えようとすることをキャッチするにはインターネットしかありませんでした。また、原子力資料室というところが小さな会見を始めていてそこには元東芝の社員で原子力発電の格納容器の設計をしていた後藤政志さんが非常にタイトにご自身の知りうることだけを淡々と語っていました。それを見ているうちに、これは、原子力発電というものはとんでもなく危ない代物であり推進を国策として進めてきた人の意図はとんでもない動機と目的に基づくものなのだと思い当たるに至りました。なぜなら、それは多くの国民にとって利益よりもリスクが圧倒的に大きくまた得られるエネルギーに比べて出るごみは莫大でしかも最終的にその処理法もみつかってすらいない。そのごみは人体に有害で、遺伝子が損傷を受けるという致命的な毒物でありこのごみの管理は数万年先の子孫にまでまる投げするしかないというばかげていて幼稚な計画に基づいていて国と企業が結託してその利権にあやかりその背後には世界の核保有問題、つまり戦争ビジネスの駆け引きがからんでいて表には出てこない各国と日本との関係や世界規模の権力と金融が大きく結びついているのだ、という辺りまで視野に入ってきました。当初はUstreamでもNHKの放送をしていましたので見比べてみるとまるで別の世界のことを言っているように見えました。地震と津波の被害はもちろん非常な衝撃でしたので当初はそういったショックの渦の中におそらく日本全体があり情報を受け取る側の混乱は余計にいろいろな真実を見えなくさせているようでした。政府は当初、原発の事故は非常に小規模でであると宣言しました。避難区域はとても狭く設定され、直ちに健康に危害を及ぼすものではないを繰り返しテレビには推進派の御用学者と言われる人だけが出てきてすでに崩壊している安全神話を繰り返し語り続けました。ですが今では原発事故の被害レベルは最大の7と定められ御用学者たちは嘘ついてましたと謝りとうとう当初から善意の専門家やフリーのジャーナリストの間で危ぶまれていたメルトダウンが認められました。その間も、メルトダウンなどの可能性と危険を訴えていたジャーナリストや科学者は流言飛語などと非難、迫害され続けました。メルトダウンの確認に時間がかかったことは仕方ないかもしれませんが卑劣だなと思うのは、これらのことは専門家であれば、いろはのい、というレベルで予測できたことであり国民の命と安全を優先してさえいたならまず避難が最優先だったことは明白なのです。しかしこれらの迫害、情報操作、隠蔽以上に日本国民に対する最大で最初の裏切りとなってしまったのは最初の水素爆発の時点で相当量の放射能は流出していてしまっていたことです。ですから爆発がこわいな、と思っている方は少しポイントがずれていてもうすでにそれ相当のことは起きていると解釈しなくてはならないということです。そのことを政府はひた隠しにしました。データも出さない、安全だと繰り返す。そしてタイミングをずらして後から小出しに事実を明かす。大小取り混ぜてそういったことを繰り返すことで国民の健全な反射と行動力は随分そがれてしまっていると思います。それから皆さんの未来に直接かかわる大切なことで現在まだ改められていない重要な問題は特に子供の被曝許容量の大幅増です。年間20ミリシーベルトというのは事故以前の20倍です。放射線学の権威である小佐古元官房参与の辞任会見の映像あれをご覧になってただ事ではないとお感じになった方は多いのではないでしょうか。あれは多くを物語っていたと感じます。こちらからYTubeで、見られます。冒頭1分です。私が今回の原発事故を通して一番痛切に感じているのは「いくらなんでも、テレビが、国家が、そんなにうそつくはずはない、そこまでわたしにひどいことをするわけない」という思い込みは微塵も通用しない、ということなんです。原発の問題は、私たち一般市民のみならず国家をもそれほどに追い詰めるだけの根拠がある巨大なパンドラの箱だったということです。巨大な利権と地球規模の権力の駆け引きがからんでいます。以前にも言いましたが私たちは知らないうちに、戦争にまで加担していると言わなくてはなりません。これが国内のエネルギー政策の問題であれば国家だってここまで国民を裏切らなくて済んだはずです。何度も言いますが彼らはそこまでばかじゃないし、血の通った人間です。こうまで卑劣な手を使わなくてはならないほどおかしなことはしなかったはずです。ですから今回の菅首相の浜岡を止める決断は奇跡に見えました。ですが現在の停止は暫定的であり、実際に地震が起こったなら耐え得る準備はないようです。燃料棒を抜き、廃炉にしなくてはなりません。私は今回原発の事故に非常に関心を持ち動かされいったい自分はどこまでこのことを追いかけるのだろうと何度も自問しました。私のつぶやきに不快な思いをされた方もいらっしゃるようで予想はしていましたが実際に抗議されるとやはり胸は痛みました。ですが、だからと言ってこのことだけは私も黙ることができません。それがなぜなのか、ようやく最近わかってきました。それは、私にとってこの人生の中で最も大切なテーマである「個々の幸せ」と同時に「愛と平和の世界を創ること」と直結しているからです。このトンネルは、戦争と平和、という出口に直接繋がっています。だから、こんなにも、掘りたかったし掘らずにはいられなかった。それがようやくわかってきました。いろいろなことが同時に起こっています。時間は濃密に縮められ、私たちには多くの重要な選択肢が目の前に差し出されています。私が望んでいるのは今地上に来ている仲間たちとできる限り一緒に差し出された選択肢を検証し、選び、トンネルを掘り平和という出口を目指したいということ。そしてできたらこのからだでそこに広がる世界を実感してみたい、ということなのだろうと思っています。今日のところは以上です。
2011.05.15
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みなさんこんにちは。また原発のお話をします。12日に事故から2ヶ月を過ぎて浜岡の停止が決まったんだな、と思っていましたら福島ではまた事態が進展しました。「メルトダウン」という原発事故の中で最も恐れられていた用語の中のひとつが出てきました。妹が書き込みをしてくれてやり取りをしている間にリアルタイムで報道がありました。妹が爆発の恐れについて書いていましたので爆発を恐れている方が他にもいらっしゃるんだろうなと思いました。事故からずっとネットで情報を追いかけている私の中では爆発の恐れというものはほとんど感じていません。武田邦彦さん、後藤政志さん、小出裕章さんら科学者であり技術者の方々の最悪のシナリオをつないでもそこへ直接向かう道筋はごく細い糸です。武田さんは「爆発が起ころうが起こるまいが関係ない」とまでおっしゃっています。理由はとにかく事故直後の水素爆発でものすごい量が出てしまっているから、だそうです。ですから今後また出たとしても最初よりはうんと少ないのでみなさんが生活する上で気をつけなくてはならないのは最初に大量に出た放射能に気をつけて体内に取り込まないことだそうです。放射性物質には半減期があってものによって徐々にその威力は減っていきますから時間によって対処も変わっていきます。食べ物、水、また場所によっては雨、またチリのように落ちてきて地にたまっているところ、お部屋の床などに気をつけること、子供を授かる可能性のある女性、妊婦さん、小さな子供さんの環境に気をつけてあげることが大切だそうです。武田邦彦さんのブログは読むと安心できるのでは、と思います。リンク貼っておきます。小出裕章さんは信頼できる方々の中でも厳しい見解を出される方ですが今回のメルトダウンとそれにまつわる情報によって爆発という最悪のシナリオの危険は非常に小さくなった、とおっしゃっています。今回の発表を受けてインタビューに答えていらっしゃるのでこちらもアップしておきます。インタビュアーの方もいいです。それから政府・マスコミから目の敵にされていらした広瀬隆さんが国会の勉強会に招かれて講師をなさっているビデオです。普段のほうがもっと勢いがあって楽しいのですが、新しいので載せておきます。5月10日のものです。広瀬さんの講演はいつも感心、感動させられます。最初は広瀬さんや武田さんのことをこのブログに書くことさえものすごく緊張しました。その時はまだ、誰の言うことが正しいかを自分の頭と心に頼って判断するしかなかったからです。今はたった2ヶ月しか経っていませんがその歴史(結果・事実)が多くを物語ってくれています。2ヶ月の間に限りなく多くが実証され、物事は大きく変わってきています。もちろんどの方も、東電と政府が発表した(嘘と間違いだらけの)データに基づいて可能な限り、知識と経験と考察力を駆使してなさっている推察ですから絶対ではありません。ですが皆さんが知ることで不必要な恐れを取り除くこと、また不必要な被害を避けること、今後への展望、身の処し方、決断の材料など多くのことに役立つのではと考えます。
2011.05.14
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みなさんこんにちは。震災から2ヶ月が過ぎましたね。いかがお過ごしでしょうか。私は遠く離れた沖縄にいながらそれでも疲れました。みなさんさぞお疲れだと思います。どうぞご自身に優しさといたわりを振り向けてさしあげてください。毎日本当に知らなければならないこと、考えなくてはならないことがたくさんあります。私一人ごときが考えたところでどうなるんだ、と突っ込まれそうですがそのことに意味はあります。すべての創造は、まずこのアイディアということから始まるということを皆さんも思い出してください。一人のアイディアが世界を変えていきます。今のこの地上の世界は「そんなこと、できるわけないじゃん」と99.99%の人が言ったことを覆した人が築いてきたようなものです。今日から浜岡原発が停止作業に入りました。私は今回の震災と原発事故のあと今後まず事象として起こるべきことは「浜岡原発停止」ではないかと思い当たりました。浜岡原発が止まりますようにとは祈りませんでしたがもし私たちの愛と平和への願いが具象化するならまず浜岡原発が止まるのではと考えていました。しかしそのことを思いついたころにはそれが起こることはとても難しく感じていました。何度かつぶやきにも書きましたが国民の半分が願ったとしてもまだ届かないのではと感じられました。その時の世論やニュース、みなさんの声などを聞いているとそう感じずにはいられませんでした。今それが実現化したことに静かに感動しています。今の段階では原発全体への処し方についての明言はありませんが菅首相からは「白紙」の言葉があり、「自然エネルギーに力を注ぐ」と言及されました。だからと言ってもちろん、現在の福島原発の問題が明るくなるわけではない、というのは理性的な考えではありますがそれは、この浜岡原発停止を全体の未来を考える多くの方が望んだように福島についても具体的に意見を持ち意識をめぐらせていくことが本当に大切だと思います。世界は目に見えない網目によって繋がっています。その網目は私たちの意識という情報を乗せて光よりも早く宇宙に伝えています。瞑想を重ねていくと、きっとどなたもそのことを実感し体験するときが来ます。ですがそのことを体験しようが信じようが信じまいがそれは起こります。信じてみたかったらどうぞ、想像してみてください。そうなっていると仮定して、実際に行ってみてください。そして自分に返ってきたものを注意深く観察していると何が起こっているのか、何が起こったのか、きっとわかると思います。この地上ですべての人が持っているその想像と創造の力を使うのは今です。多くの人は恐れから、起こっていることを無視してしまいます。そうするとその力を使うことができなくなるのです。起きていることを正確に知ることからしかそれは成り立ちません。「真実を知ることのみが、人に正しい力を与えてくれる。それがたとえどのような真実であれ。」村上春樹さんの「1Q84」を、いまだ、という気分になり読んでいます。するとこの言葉にぶつかりました。このことを教わるために私は今この本を読んでいるんだな、と思いました。
2011.05.12
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「1時間読んだら2時間書き留めなさい。2時間書き留めたら3時間考えなさい。3時間考えたらいつもそれを瞑想しなさい。」偉大なるマスター、パラマハンサ・ヨガナンダの言葉です。アメリカから日本に渡ってきたスピリチュアルの教えの元をインドからアメリカに伝えたのはかのヨガナンダです。この言葉は先ほど読みましたがこのところ私の生活のペースはこんな感じです。もっと瞑想の度合いを増やさなくては、と考えていましたが読んで、書いて、考える時間も重要なのだとメッセージがもらえて安心しました。最もヨガナンダのおっしゃる瞑想の時間は一日10時間から17時間に増やす、とかで桁が違います。でも、その偉大なるマスターでも修行時代は「明日こそもっと瞑想時間を増やそう」と思いながら日常の雑務に追われてしまい、1年経っても目標が達成できなかった経験を持たれ朝起きて身支度だけして瞑想だ、と決めても雑務に負けとうとう、身支度よりもまっさきに瞑想と決めてようやく増やすことに成功したというエピソードがあります。それくらい、自己を統制するというのは人間にとって難しいものなんだと改めて思います。ですから、みなさんも瞑想がなかなかできない、と簡単にあきらめないで10日忘れても11日目に復活し、半年忘れても翌日から復活しましょう。私もいろいろな場面でそういうことがありましたが何年やっていなくても「できていない」とか「やめた」とは思わずすごくゆるいスパンで続いていると考えてきました。そのことは私の人生にとってはいいことしかもたらしませんでした。どんな訓練もそうですが何年やっていなくても、一時期真剣に取り組んだものはしっかりと体と潜在意識が覚えていますので復活して数日はひどいありさまでもしばらくすると以前のやっていた頃を取り戻し程なくそれを上回るように上達します。ですから、もうできなくなった、とあきらめないで、粘ってください。特に瞑想はそうです。さて、人生を幸せにするには瞑想はなにをおいても忘れられないものですが読んで、書いて、考えたことを瞑想する、というのは私のセッションのスピリチュアルカウンセリングのスタイルと同じだなと思いました。クライアントさんがおもしろいことをおっしゃっていました。長い時間かけて言葉によってディスカッションしたことのうちいくつかは頭ではなんとなく理解したけれど腑に落ちていないという部分があります。それで、最後にヒーリングと誘導瞑想で統合するというかたちをとります。その時セラピーベッドに横になっていただくのですが何度かセッションしているうちにお話が終わってベッドに横になった瞬間に腑に落ちました、とおっしゃいました。ああ、このことか、と全部おわかりになったそうです。頭で理解し、また理解できなかったことが瞑想によって神の視点から光をあてていただけるようなそんな感じだと思います。とても感動します。考えること、思考は時に私たちの深い理解と逆行し叡智を感じる知覚を阻害してしまうことがあります。ですが、思考の役割を理解し正しい使い方をするためにもやはり言葉による理解が必要です。だから、私たちは理解を魂まで落とし込むために瞑想を必要とし魂にとって本当に必要である理解を身につけそうでない「考えのための考え」を振り落としていくのだと思います。今を考えるためにとても参考になるサイトを主人が長くお付き合いいただいている患者さんから教えていただきましたのでご紹介しておきます。THINKER多くの人が平和を願っても実現しない謎を解くひとつの観点を示唆してくれます。私はスピリチュアルの探求をしながら多くの人がその仕組みを誤解しているのではと感じることがあります。そのひとつが、戦争は人間の怒りが作り出している、という考えです。この現象世界は内面の投影であるという原理からそういった考えが生まれます。ですから多くの方が「怒り」を人殺しの原因となる感情と考え自身の中の怒りを罰し、消滅のために取り組んでこられたと思います。私もずっと以前はそう考え、取り組みました。けれど、よくよく観察しているとどうもその方程式にはミッシングリンクが存在していると思うようになりました。「怒り」が戦争を起こしている、という考えは実在のことで言えばこのほどアメリカによって殺害されたとされるビンラディン氏のような原理主義者の排他的妄信による怒りがテロや戦争を起こし他者を虐殺するというものに象徴されます。ですがあまりに続く虐殺やテロ、戦争にあるとき疑問がわいてきました。彼らは本当に自分たちの信じる神を信じない人を片っ端から虐殺したいほど憎んでいるだろうかという素朴な疑問です。9・11はこの表舞台をすべてをこうあるべく仕組んでいる裏側のシナリオを握る人がいることを知るきっかけをくれました。私は演劇の経験から、対話によって書かれたストーリーから物語を逆算し読み取ることが得意です。9・11は政府やマスコミが公表している台本から読み取るとまるで荒くてつじつまが合わず、動機や細かいディテールがでたらめです。ところが裏側のシナリオでは、すべてがあるべき場所にきっちりとおさまり書いてある通りにきちんと仕上げればかなり説得力のある作品になります。そこにある裏のシナリオで戦争の動機になっていたのは怒りではなく「強欲」と「支配欲」でした。怒りはその支配のために利用された動機付けの一部に過ぎません。強欲と支配はからみあっていて強欲と支配の対象は、地球と地球に存在するすべての命と財産です。私はそれで多くの謎について納得がいきました。今日本で起きている国家の一大事でこの裏シナリオと同じことが起きていると考えることができます。私たちはうちにある怒りや罪悪感などを利用される前に浄化しておく必要はあります。私たちは最善の選択のための判断をするために心を高きものに結び付けておかなくてはなりません。ゆだねる心は大切ですがゆだねる相手を間違ってはいけません。強力な欲によってすべてを所有したがっている存在が持つシナリオに身をゆだねることは間違っています。私たちがゆだねていいのは、内なる光と愛、根源なる神にだけです。私たちは前者に対してNOを言える準備をしておく必要があると私は思います。私は今では、ビンラディンさんが殺されたというニュースをほとんど信じていません。そんな、ばれる嘘を政府マスコミがつくなんて大それたことと思われるかもしれませんがそれがそのまま今日本で行われている政府とマスコミによる情報操作、隠蔽、言語統制です。今つくられている歴史を未来の人びとが振り返ったときどうしてみんなあんなこと信じちゃったんだろうね、人間っておろかで弱いんだ、と彼らはこのままでは言うのではないでしょうか。そんな教訓ではなく、私たちは何か違う遺産を未来に残せないのでしょうか。私たち肉体の命はいつどこでどのように終わるのか誰にもわかりません。そんなことは心配することではないのです。ですから政府に、責任逃れの理由に使ってもらう道理はありません。私たちは、自分で選択して、創造する権利があるということそして、心配からではなく尊重からすべての命に配慮する姿勢を持たなくてはなりません。そのことは今、きっちりと地上の人間たちが学ばなくてはならないことです。その学びのためには私たちのすべてが今いる場所から大きく前進しなくてはなりません。それくらい多くの要素がまだ熟していません。人間が愛というものを今与えられた条件の中から学ぶのには本当にアセンションなしには届かないかもしれません。ですがそのアセンションはある日寝ている間にできちゃった、という風には訪れません。多くの人が、勇気を出して、意識を前進させなければ成就しないことでしょう。それは突拍子もなく困難なことではありませんが多くの人にとっては難儀なことです。多くの人がこれまでの習慣から自由になることを恐れるからです。私たちが、なぜここ、この地球に今やってきているのかをもっとリアルに多くの人が考え、瞑想し、思い出す必要があるようです。読んで、書いて、考えて、瞑想していただければさいわいです。
2011.05.03
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みなさんこんにちは。AZU WORLDにとてもたくさんの方が訪れてくださり感謝しています。私は人間とスピリチュアルの道を探求していますが多くのスピリチュアル業界の方のようにふわっとやわらかく甘い感じ、とか、こうしていればうまくいく、みたいなことを書かないのにそれでもAZUさんの言葉は温かいとかやわらかいオーラだとか優しい、とかおっしゃっていただき本当にありがたく思っています。私は人間が幸せである道を求めています。たまたま条件よく、とか運よく、ではなくすべての人にそれが用意されていると確信しているしそうでなければそんな幸せは偽者だと思っています。最初の入り口は心です。多くの人が、感情というものすら恐れていますが感情を克服するためには感情という領域と親しまなくてはなりません。感情を克服するというと、感情を制御するというイメージを持たれるかもしれませんがそれは違います。感情は内なる神を感じるために存在しています。喜怒哀楽というものは美しいものです。それはちょうど、川の流れが美しいのと似ています。美しい川の流れを眺めていると心が洗われたり、また悠久の時というものに気づきがもたらされたりするでしょう。感情の流れというものもそのようなものです。ところが、川の流れが一部不自然に淀んでしまうと水が汚れ、腐敗してしまうことがあります。人間の感情もそうです。ネガティブな感情のように表現されがちな「怒り」や「悲しみ」はそれ自体は自然で美しいものなのに無理にそれを押さえつけたり、流れ出ないようせき止めたりしていると淀みができ、膠着し、腐敗してしまいます。するとそれは「うらみ」とか「くやみ」というものに変質してしまいます。怒りは良くないもの、と言われる場合の怒りは原因を外側のなにものかのせいに押し付けたりするときに生じるあいつのせいで私は・・・・というような「うらみ」の感情を指しています。仏さまも、例えば餓鬼畜生のような状態の心に対しては怒りの形相で立ち向かうことがあります。本質はひとつである仏の御心も時と場合では叱ったり、ゆるさん、という風にして人間の心に潜む「迷妄」というものを一喝して去らせることをします。神や仏の怒りの奥には悟り、愛、光以外は存在しませんが私たちの次元に降りてきて私たちの目にそう見せています。ですが私たち人間の怒りの奥には浄化されざる利己心が隠れていることが多々ありますので怒りはいけないものと総じて言われています。でも本当を言えば、怒りという表現の奥にあるものだけが重要であり怒りそのものを恐れていては、霊的に前進できません。私は以前キリストの怒りが好き、と書きましたがあんなこと書いて大丈夫だったろうかと時々振り返っています。でも、どうしても、やっぱりそれは大丈夫なんです。厳しさ、という愛はとても高度な愛です。間違いやすくもあり、誤解をさしはさむ余地のあるものですがこの地球の二元性の世界で成長するためには絶対に必要なものだからです。
2011.05.02
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http://www.youtube.com/watch?v=pUU0I74UNp0&feature=related削除される前にあげておきます。2009年のニュースです。真実が見えなくなる前に。
2011.05.01
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