犬・イヌ・いぬ(と、愛すべき動物たち) 0
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日本にいる義妹から聞いた話です。小学校低学年の甥っ子に、X君という同級生がいます。幼稚園の時から、一貫して負けず嫌い。同級生、その親たちにもそれは広く知れ渡っています。負けず嫌いなのはまぁ、いいんです。スポーツや勉強など、エネルギーを注ぐ方向性さえ間違えなければ、「できる子」「クラスのヒーロー」となって、「おっ。自分、なかなかいいじゃん!」と、肯定的な自己イメージを上手に築き上げながら、周囲から一目置かれる人として成長できる可能性がありますから。ただ、X君の場合、力を向けるベクトルがちと、おかしくなっているんですよ。例えば、甥っ子が「オレ、昨日、家族でディズニーランド行ってきたんだ!」と休み時間に同級生に話した、とします。そこで、周りの同級生も「あー、オレんちもこの前の春休みに行ったよ~!」「いいなー。」「うちは、来月の開校記念日の休みに行くってお母さんが言ってた~」と、反応。ここまでは大人の集まりでもよくあるやり取りでしょう。そこで件のX君が登場します。「オレなんかなー、昨日とおととい、ディズニーランドのところのホテルに泊ったよ。二日間連続でディズニーシーとディズニーランド両方周ったんだぜ!」しーん。最後の最後に出ました。X君のいつもの、「皆を圧倒する、人一倍どでかい自慢話」が。あぁ、またか。いつものアレだな。小学校低学年の男児たちは、うんざりした様子で軽くうなずき合い、お約束のように話の矛先をスーッとディズニーランドから逸らし、何事も無かったかのようにまた他愛の無い話を続けるか、「おぉ、ドッヂボールやろうぜ!」と、校庭へと駆け出すかするのだそうです。クリスマスが終わって、年が開け、学校が再開された時もそんな感じでした。「オレ、ポケモンYもらった!」(*昨年発売された任天堂の大ヒットゲームソフト。)「オレもさー、兄貴と一緒に使うからってことでWiiU(←ゲーム機。)と、マリオのソフト買ってもらったー!」「今度、やらせろよ~」「いいよー!」そして近付いて来たのが、X君。「オレなんかなー、ニンテンドー3DSに、ゲーム3個もらって、それから2月にプレステ4(←これも、ゲーム機。)買ってもらえるって約束してるんだぞー!」しーん。またかよ。男の子たちは、ちゃんとわかっています。適当に話をはぐらかし、かと言ってX君を排除するでもなく(その辺りがまだ低学年だけあって、みんなかわいいというか、心がやさしいというか。)、そのまま別の話や、別の遊びへと上手に移っていきます。小学校低学年とはいえ、甥っ子や、仲の良い友達は学校から帰った後も、習い事やらスポーツ少年団やらで、放課後も結構忙しいもの。「そういうのって、どーなのよ。」と、批判的な目を向ける方も大勢いらっしゃるとは思いますが、ま、今日はそのことは置いといて、と。ある日の午後。甥っ子が水泳教室から出てきて、迎えに行った母親(義妹)と会った瞬間、なんと例のX君が偶然通りかかる、ということがありました。習い事にほとんど行っていない(甥っ子談)というX君。いつものように、一人、暇そうに自転車で走り回っていたようです。義妹曰く、「X君の○○(甥っ子)を見る目に、なんともうらやましそうな、恨めしそうな、複雑なものを感じてしまった」そうです。X君には中学受験を控えた年頃のお兄ちゃんがいて、親の関心がほとんどそっちに行ってしまっているらしい、習い事らしきものもほとんどさせてもらっていない...という話を伝え聞いていただけに、義妹は「何の悩みもなく、嬉しそうに水泳教室から出てきた○○の姿を、親から放置気味にされているX君に見せつけたようで、ちょっと申し訳ない気持ちになってしまった、と言います。「あ、まずい所で会っちゃったな。」と思ったそうです。それからしばらく経った、ある日のこと。たまたまX君は近くにいなかったようです。ふと、一人が口にしました。「Xの話、うそばっかりだよ。」「そうそう、あいつ、うそつきだよな!」...みんな、口に出しこそしなかったものの、実は気付いていたんですね。X君の、辻褄の合わない自慢話が嘘だらけ、ってことに。気付いていても、上手にスルーしていただけ。(やるなぁ、小学生男子諸君!)今のところは以前と変わらず、みんな仲良く遊んでいる模様。でも、そのうち「あいつと遊ぶなよ」「あいつと口聞くなよ」という、村八分的な構図へと変わってしまうのでしょうかね。X君本人が「こんなことをしていては、みんなに嫌われる。やめなければ。」と気付かない限り...。最近、こちらの本の文庫版をようやく手に入れ、少しずつ読み進めています。【送料無料】平気でうそをつく人たち [ M.スコット・ペック ]子供が精神科の診療に連れてこられたときには、その子供は「見なし患者」と呼ばれるのが通例となっている。この「見なし患者」という名称を用いることによってわれわれ精神療法医は、その子が患者と呼ばれるようになったのは、両親やほかの人たちがそういうラベルをはったからであって、治療の必要な人間はほかにいる、ということを言おうとしているのである。(中略)障害の診断を進めるうちに、その障害の源が当の子供自身にではなく、その子の両親、家族、学校あるいは社会にある、ということを発見することが多い。(「平気でうそをつく人たち」M.スコット・ペック著、森 英明訳、草思社文庫、2011年、pp.110-111)参考過去記事:ある【自己愛母親】サバイバーの物語http://plaza.rakuten.co.jp/backtotheessence/diary/201310130000/本書を読みながら、私自身にもかつて、X君のように「うそに次ぐうそ」の得意な同級生がいたことを思い出しました。中学一年の時、同じクラスだった美少女・Kちゃん。ハーフかクォーターと言っても通じそうな、栗色のふわっとした巻き毛に色白の肌、そして舶来物のビスク・ドールのように大きな、少し憂いを含んだ栗色の瞳。アニメが好きで、イラストを描くのも上手。あんまり乗り気でない私をどうにかして「Kちゃん's ワールド」に引き入れたかったのか、SF小説の文庫本もいっぱい貸してくれました。今思うに、お姉さんがいたこともあって、早熟な子だったんでしょうね。Kちゃんは、私が引っ越してくる前に横浜の某所に住んでいたことを知ると、「私、あそこの駅の近くの幼稚園に通ってた。」と言いました。「え、何て幼稚園?」「☆☆☆幼稚園。」「へー!Kちゃん、☆☆☆幼稚園なんだ~!うちの親も、『一度あそこにいれようかな、って考えたことがある』って言ってたよー!結局、近いからS幼稚園にしたんだけど。」すると、そこからKちゃんの壮大なる虚言サーガが始まったのです。☆☆☆幼稚園は、実は国立の、入るのが難しい、とっても素晴らしい幼稚園。(嘘!横浜市内に国立の幼稚園なんて、昔も今も存在しません!!!)中の敷地はすっごぉーーーく広くって、木でできた遊具がたくさん置いてある。国立だけあって建物も立派で、(だから、国立じゃないって!)毎日子供達が思いっきり体動かして遊べるだけの運動施設も揃ってる。天国みたいに素晴らしい幼稚園だった。(ここまで来れば立派に脳内ファンタジーかな。)今と違い、あの頃はインターネットも無く、事実確認と言えば信頼できる地元民からのクチコミしか無かった時代。同じクラスのKちゃんが、いつも顔付き合わせているKちゃんが、平然と、しかも何度も何度も「☆☆☆幼稚園は国立。入るのに試験があって、落ちる人もいる。」という、嘘を吐き続けていたとは...。私が大真面目に「へー、そうなんだ!すごいねーーー!!」と、毎回感心する様子が、よっぽど面白かったんでしょうかね。彼女がどのような気持ちで嘘を重ねていたのか。私にはよくわかりません。このKちゃんの嘘に、私はなんと20数年間もだまされ続けていました。たまたま横浜市内の幼稚園情報を集めていた時、懐かしい☆☆☆幼稚園の名前が目に入りました。「なんだ、ごくフツーの私立幼稚園じゃないの。国立の幼稚園!だなんて、嘘八百もいいとこだ...。」あまりにも年数が経ちすぎていたせいか、もう怒る気にもなれませんでしたよ。12〜13歳の若さにしてほぼ完成の域に達していた、Kちゃんの嘘つき癖には呆れましたけど。その後、学年が上がってクラス替えをしたことで、Kちゃんとは疎遠に。新学年になって間もない、ある日のことです。突然、私と、それから数名の、「中一クラスの仲良しグループ」に属していた女子生徒が「ちょっと、相談室まで。」と呼び出しを受けました。当時の荒れ果てた公立中学において、「相談室」というのは、「取調べ&尋問室」「お仕置き部屋」と同義だったことは、校内の誰もが知っていました。「え”!?な、何も悪いことしてないけど...。」と大いにビビりつつ部屋に入って行くと...。一年の時の担任の先生と、そして、他のクラスに散らばっていった中一グループの友達が全員揃っていたのです。「絶対他の人には黙っていてね。実は、この一週間、Tさん(Kちゃんのこと)がずっと家に帰っていないの。あなたたち、去年仲良かったから、何かTさんから聞いていない?」いえ、全然。他の子も、同様。どうやら、Kちゃんは一週間程前から家出して、行方知らずとなっていたようです。その後、どういう経緯があって、Kちゃんが無事家に帰ってきたか、詳しくは知りません。もはや知りたいとも思いませんでした。あまりかかわりたくない、というのが正直な気持ちでした。Kちゃんが、足を踏み入れてはいけない、薄暗い世界へと行ってしまったような気がして。今はどうしているんでしょうかね。年端も行かない子供が執拗に繰り返す、嘘。そこに込められた意味を、大人はもっと真剣に探らなければならないな、と思います。悪を直視できなければ、人間の悪をいやすことなど期待できない。悪を直視するということはけっして気持ちのよい光景ではない。(中略)人間の悪をいやす戦いは、まず自分自身との戦いから始まるのがつねである。そして、自己浄化こそ、つねにわれわれの最大の武器となるものである。(「平気でうそをつく人たち」pp. 5-6)
2014.04.09
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前編はこちらです。(ノリさんの見合い相手は元・ミス・ユニバース日本代表の、あの方♪)仕事場では失敗の連続で叱られてばかり。パート女性の輪にも入っていけず、貴子は一人落ち込むばかりの毎日でした。息子の祐希や、客として精肉店を訪れ、知り合いとなった早苗(ノリさんの娘)の優しさが身にしみます。それでも、元々高くなかった彼女の自尊感情(=ありのままの自分にYes!と言えるココロ、ですね)を、プラスへと転じることはできませんでした。音大生だった貴子は、キヨさんの息子・健児との間に予定外(笑)に子供を授かり(それが現在高校3年生?の祐希。)、止む無く学生結婚。(だからまだ38歳という若いお母さんなんですね。なるほど。)以後、「いつかピアノ教室を開きたい」との夢を抱きつつ、専業主婦のままずっとこの年齢まで来てしまいました。若さ。男性に好まれる、可愛らしい外見。エリート銀行員のだんな様。イケメン高校生の息子。都内二十三区内の、広い土地付一戸建て・持ち家住まい ⇨⇨⇨ 将来、確実に転がり込んで来る、親からの資産。周りの「ちょい不幸せ気味」な中年女性達から嫉妬される材料ばかり、です。パート女性達があそこまで悪口で盛り上がったのも、そうした貴子の「外側から見える幸せ」への妬みゆえでしょう。もう一度、第6話予告編で見ましょうか、居酒屋での場面。「あの人が妬ましい」と認めてしまうと、自分たちのミジメな現状にも気付かざるを得ない。でも、それはあまりにも辛すぎる。やりたくない。ならば、同じようなミジメ者同士一致団結し、恵まれ過ぎている人・貴子を仮想敵とみなし、こき下ろせば良い。「自分達は時給分の仕事をまともにこなす、優秀な従業員だ。それに引き換えあいつは...」自分達が上だ。と確認し合えば、しばしの間、おのれのミジメさを忘れられる...。かつて「使えない新人」と呼ばれた時代が自分達にもあったかもしれないのに...。その場にいない人の陰口や噂話。決してほめられたものではありません。でも、職場によっては「ガス抜き」としての機能を果たしてくれるため、100%の根絶が難しい場合もあるのでしょう。必要悪、っていう奴ですね。一方、悪口には参加せず、「またとないカモ」として早くから貴子に注目していた【トモダチ詐欺師】の育代。彼女は、外側に表れた幸せな若奥様、ではない、もう一人の貴子も観察していました。捕食者ならではの鋭い観察眼でもって、貴子の内面を蝕む負の感情をも見透かしていたのです。「外で働いたこともない、世間知らず。」(自己評価、マイナス50点!)「ドンくさい。仕事がのろい。」(同じく、-20点!)「しょっちゅう失敗しては皆に迷惑かけっ放し。」(同上!)「みんなの輪に入りたいのに、それができない。」(-10点!)他人がどう思おうが、貴子自身にとっての自画像は【自己評価・マイナス100点(しかも改善の兆し全く見えず)の、ダメな奴】でしかありませんでした。(結末部分では、その【貴子=ダメな奴】オーラに清田家の全員が同調し、ますます強化する、という悪循環に、なんとキヨさん自身も巻き込まれていた、という事実が、克恵さんの言葉で明らかになります。家族から「ダメな奴」と思い込まれているようでは、「私、これでいいんだ!」という自尊感情が育たないのも当然でしょう。)貴子が放つ【ダメな奴オーラ】に気付きつつも、せいぜいストレス解消のサンドバッグとして使っちゃおう、というレベルで止まっていたのが、他のパート女性達。それに対し、育代は「こいつを弄(もてあそ)んで、甘い汁吸ってやるか。」と、ブラックな企みを実行に移してしまいます。「サイコパスはふつうの人より刺激にたいする欲求が強く、結果として社会的、肉体的、経済的、あるいは法的にリスクを冒すことが多くなる。特徴をあげると、彼らは人を惑わせて危険な冒険に引きずりこむ。共通して病的に嘘をつき、人をだます。あるいは”友人”に寄生虫のように寄りかかる。(...中略...)そしてつねに、いかなる問題にたいしても責任を感じない点は共通している。」(「良心をもたない人たち」マーサ・スタウト著、木村博江 訳、草思社文庫、2012年、p.17)【送料無料】良心をもたない人たち [ マーサ・スタウト ]育代はまさにこの「病的な嘘つき」でした。どんな嘘つきも、最初っから「特大級の嘘」をぶつけてくることは稀です。カモさんの警戒心の強さを確かめる意味もあって、まずは小さな嘘から出してくるんですよ。そこではっと気付くことができれば、被害は最小限にとどめられるんですがね。残念ながら、こうした海千山千的人間にあまり免疫が無いお人よしの貴子。長年、温かな家族に守られてきたことへの代償として、人生経験が不足してしまったことは否めません。育代の言葉をバカ正直に受け取ることしかできない貴子は、さらに大きな嘘へと巻き込まれていきます。「お茶しよう」と自分から誘う。ドーナツ屋のレジで会計、という段になって「あ、大きいのしかないや。次、必ず返すから」。平然と育代は嘘をつきます。次のお茶の時も、「大きいのしかない」の嘘。再度払う、貴子。またその次のお茶でも、「大きいの...」の嘘。性懲りもなく、また払ったそうです。職場が一緒なのですから、借りたお茶代を返す機会なんていくらでもあるはずなのに、おかしいですよね。そう。「おかしい」に目をつぶってはいけなかったんです。「いい人」をやめる覚悟を決めて、キッパリと相手のおかしな言動を問い正すべきだったんです。さっさと逃げるべきだったんです。さてさて。貴子が貸した金を請求して来ない。つまり、「いい人」イメージを捨てるだけの度胸が貴子に無い、と確定できた今、育代は「お試しモード」からいよいよ「本気の詐欺モード」へとギアチェンジします。そして給料日。お嬢さん育ちの貴子が「自分の力で初めてもらったお給料」です。それはもう、特別なお金に違いありません。あまりの嬉しさに、思わず家族全員にケーキを買って帰った程でした。気分高揚中♪につき、ただでさえゆるゆる~のガードが一段と緩くなっている貴子を、天性の捕食動物・育代が見逃すはずがありません。5万円貸して、あなたしか頼れないから...と、頼み込むんですよ。その理由がこれまたふるってましてね。磁気ネックレス買っちゃった,ですって(笑)。チラッと襟元から出したその品、どう見積もっても数千円以下...。「お願い。5万円貸して。次のお給料で必ず返すから。旦那に言えない買い物しちゃったの。代金払わないと明日取立てに来る、っていうの。もうクーリングオフできないって。旦那にばれたら殴られちゃう...。」もう、この言い訳ひとつに含まれる要素だけで「三振バッターアウト!」でいいですよね?距離を置きたくなりません?へそくりで払えないとわかっていて、高額商品を買う。しかも、支払いをズルズルと引き延ばし、取立て寸前。で、極め付けが「ばれたら殴る」ような旦那がいて、事を治めるためには他人を巻き込んでも構わない、と思っている。そう。聞いた瞬間に浮かぶ、「ん!?」「何それっ!?」「あらぁ~???」の、「?」=違和感。それをすぐに打ち消さない、無視しないことが非常に大切です。あなたが感じる違和感。それは相手が「今、嘘をついた。」という、直観からの警告サインかもしれません。「どんな種類の関係であれ、新たなつきあいがはじまったときは、相手の言葉、約束、責任について『三回の原則』をあてはめてみること。一回の嘘、一回の約束不履行、一回の責任逃れは、誤解ということもありえる。二回つづいたら、かなりまずい相手かもしれない。だが、三回嘘が重なったら嘘つきの証拠であり、嘘は良心を欠いた行動のかなめだ。つらくても傷の浅いうちに、できるだけ早く逃げだしたほうがいい。」(同書、pp.210-211)ドーナツ代金踏み倒し。加えて、よくもまぁ、毎回飽きずに...と呆れる程に次元の低い、パートの上司・克恵への中傷。そうそう。昔、運転免許の取得に失敗した、と貴子が漏らしたことに対し、「若い頃からちょっとどんくさかったのね~」と、さりげなく、でも失礼極まりない顔面パンチを食らわしてきた、っていう場面もありました。「庶民派ぶっちゃけ系キャラ」を前面に出しながらも、実は単にガサツで口の悪い、イヤな奴。視聴者にもはっきりと伝わりました。うまいです。この描き方。あーあ。貴子がマーサ・スタウトさんの「三回の原則」を知っていたらなぁ...。「三回違和感アウト→逃げろ!」のオキテに従って、育代との「お茶」を数回程度で打ち切りにしていたら、「5万円貸して」なんて大きな話に発展することも無かったでしょうに。渋々5万円を渡してしまった貴子。誰もが予想した通り、育代はその直後に精肉店でのパートを突然辞め、姿を消します。大切な初給料を取り戻すべく、店長から育代の住所を聞きだし、「5万円返して」と育代に直接詰め寄ったものの、貴子を待ち受けていたのはとんでもない「逆切れ」反応でした。「あなたがもっと前に『返して』と言わなかったから。あなたが金にルーズだったから、こうなった。それに何よ、家まで押しかけてきて!」「盗人猛々しい」って、こういう時に使います。一見、魅力的だが、うそをついて人をあやつり、空涙をながして同情をひき、追いつめられると逆ギレする。文庫版「良心をもたない人たち」の帯に付けられたキャッチコピーです。どこかの誰かに当てはまりそうな一節ですね。幸い、ドラマは勧善懲悪モノのセオリー通りに進行。最後は正義が勝つ!チャンチャン♪で、爽やかに終わります。フィクションですから。そうでもなけりゃ、とてもやりきれませんよ。嘘つきが高笑いをしている陰で、正直者が泣きを見るような世界。悲しいかな、私たち人類は未だにそのような世界から卒業できていないんです。
2014.04.02
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2014.03.28 タイトル・用語共に「隠れ自己愛」を「トモダチ詐欺」に差し替えました。【※ネタバレ注意!】テレビ東京系で1月から3月中旬まで放映された、「三匹のおっさん」(全8回)。久々に「次回が楽しみ!」と言えるドラマでした。古きよき勧善懲悪の時代劇の伝統が現代に甦る、ってね。主演の北大路欣也さん、毎回さすが!の華麗なる竹刀さばきでした。泉谷しげるさんも、喧嘩っ早いけど憎めない愛すべきおじさんを好演されていました。そして、頭脳派・ノリさん役の志賀廣太郎さん。素敵なお声と、必殺技の「エレクトリカルアタック」を使う時の嬉々とした表情、毎回楽しませていただきました。早く続編やらないかなぁ。「三匹のおっさん」番組HPhttp://www.tv-tokyo.co.jp/3biki.ossan/DVD-BOXの発売も決定しているようです。【送料無料】三匹のおっさん ~正義の味方、見参!!~ DVD-BOX有川浩さんの人気小説が原作とあって話がしっかりとしている上、俳優さん達も皆さん芸達者揃い。安心して見られました。(中田喜子さんと藤田弓子さんの共演、往年のNHK水曜夜7時半・「連想ゲーム」つながりで懐かしかったです。で、つい注文しちゃいましたよ、このソフト...。) 【中古】NHK紅白クイズ合戦ソフト:Wiiソフト/TV/映画・ゲーム普段ドラマは見ない私が、小学生の子供と一緒に楽しめた、大変秀逸なファミリー向けドラマでした。ごくわずかながら親としては冷や汗モノ、って場面はありましたけどね...。私自身、特に「うまいな〜、この話の描き方!」とうなってしまったのは、第6話・「最強の敵...おばはん登場!?」。今回、トラブルに巻き込まれたのは、キヨさん(北大路欣也/以下、敬称略)の息子の妻・貴子(西田尚美)。おっとりタイプで、ちょっと世間知らずな専業主婦の彼女が、姑(中田喜子)の挑発に乗ってしまい(?)、近所の商店街の精肉店でパートを始めます。ペースの速い仕事になかなかついていけず、上司・克恵(木野花)には怒られてばかり。他のパート女性達の輪にも馴染めないばかりか、冷たくされる一方で、落ち込む毎日でした。上の動画で展開されているのは、ちょうどそんな時期に開かれた精肉店のパート女性達の、飲み会風景。どうやら貴子は最初から誘われなかった模様です。シゲさん家族が経営する居酒屋・「酔いどれ鯨」で、いつものように一杯やっていたキヨさん・シゲさん・ノリさんの自称・「三匹のおっさん」でしたが、隣のテーブルから聞こえて来た貴子への悪口の数々に、居ても立ってもたまらず、つい口出ししてしまいます。ここでは、パート女性の一人・育代(藤田朋子)の言動に注目していきましょう。「サイコパスはだれかを恰好の獲物と見てとると、その相手をじっくり観察する。どのように相手を操作し利用すべきか、そのためには相手をどのようにうれしがらせ魅了するべきか、考える。」(良心をもたない人たち」 マーサ・スタウト 著、木村博江 訳、草思社文庫、2012、p.126)【送料無料】良心をもたない人たち [ マーサ・スタウト ]飲み会では、ひたすら相槌を打つ役に徹する、この育代という人物。悪口大会には加わらず、周囲の人々に思う存分しゃべらせて、ターゲット候補・貴子の情報収集に徹します。【隠れ自己愛】についての記事中に、「別名・ステルス自己愛」とも呼ばれる...と書きました。そう、「ステルス戦闘機」なんて言葉に使われている、あの「ステルス」。特殊な形状や製造技術を用いることで、敵のレーダーや見張りに引っ掛かりにくした戦闘機のことですよね。それと同じステルス性が、この【トモダチ詐欺】の特徴です。ほとんどの人の目には人畜無害な人物として映り、その場にしっくりと馴染んでいます。まるで空気のように存在感を「消す」ことができるんですね。だから、ほとんどの人の「要注意人物レーダー」には引っ掛かってこないんですよ。で、気が付いたら、目の前に迫って来て、ぴったりマークされている、と。そこで気付いても、時既に遅し、です。この飲み会の場面を見ても、育代のステルス性=自分を消す、という傾向がくっきりと浮かび上がっています。周囲がどんなに盛り上がっていても、自分はうなずくだけで発言はしない。後から誰かに突っ込まれた時に、「私は無実だ。悪口なんて全然言っていない。あなたたちが勝手に盛り上がっていただけじゃないか。」と、白を切るために予防線を張るんですよ。その辺はしたたかに計算し尽くしています。「口を慎む」という行動。表に出ている部分は同じに見えても、裏にある動機は人によって異なります。この時点ではまだ伏せられていますが、木野花さん演じるパート女性のまとめ役・克恵は、良心と正義感の強さゆえに悪口大会へは参加しないで静観する人。対照的に、「どうやったら貴子の弱点を少しでもつかめるか」に全関心を傾けている育代は、「有利な情報は一言足りとも聞き漏らすまい」という理由で、言葉少なになります。似て非なる二者...ですよね。そう。要するに、この育代という人物は「ズルい」んですよ。良心が乏しい上に、自分の損得しか考えていない。身体は大人になってはいますが、良心や責任感や思いやりといった部分は、発達段階の途中で止まったまま。そういう人物です。「...サイコパスは私たちが彼らを知っている以上に、私たちをよく知っている。私たちは相手に良心がないことをなかなか見抜けないが、良心を欠いた人間はだれが善良でだまされやすいか、即座に見分ける。」(同上)東京都23区内にあるゆったりとした作りの土地付二世帯住宅に住む「若奥様」で、貧乏とはおよそ無縁の人生を送ってきた、貴子。見るからにお人よしで騙されやすそう。しかも夫は大手銀行勤務のエリート、と来ている。獲物としてはまさにうってつけの相手です。状況が整ったと判断するや否や、育代は、貴子への「トモダチ詐欺」作戦をいよいよ実行に移し始めます。「...サイコパスは親近感を強めるこつを心得ていて、犠牲者に自分と似たところがあると言って近づく。犠牲者はサイコパスと縁が切れたあとまで、自分の心をつかんだ台詞をよく覚えている。『ぼくと君とは似た者同士だ』『あなたとは心が通じあえるの』などだ。」(同上)育代は、仕事が終わって従業員控え室にポツンと一人でいた貴子をうまく誘い出します。そして、「私はあなたの味方よ」とさかんにアピール。パートの同僚から貴子ひとりを隔離し、まんまとドーナツ屋でのお茶へと持ち込むや否や、育代はその場にいない同僚たちへの悪口独演会を始めました。落ち込んでいた自分に声を掛けてくれたことに恩義を感じた貴子は、つい、それに付き合ってしまうんですね。「悪口って疲れる...」と、内心うんざりしながらも。この辺りで視聴者も気付きます。あぁ、やっぱり。この育代っていうキャラクター、親切振りをアピールしているけど、実はただの腹黒二枚舌なんだな、と。仕事の帰りに貴子と立ち寄ったスーパーでは、山ほど買い物。「バイクで運ぶから平気~」と、背伸びや気取りとは無縁のぶっちゃけ系・庶民派キャラクター。どこのパート仲間にも、ママ友集団にも、必ず一人や二人はいそうですよね、こういう女性って。でも、「よくいるタイプの人」だからといって、ガードを緩めて、心の扉を開け放ってしまっていいか、というと、そんなことはありません。「よくいるタイプの人」。「親しみを感じさせる人」。「とっても話好きな人」。「親密なお友達関係、という雰囲気に持ち込むのがうまい人」。表ではそうしたキャラを巧みに演じ、「カモ」りたい相手の警戒心や疑いを、少しずつほぐしていく。でも、裏では「どうやってこいつから搾取してやろうか」と、始終計算し、損得勘定ばかり気にしているのが、【トモダチ詐欺師】という人種なんです。油断大敵。気を許してはなりません。表の「いい人面(づら)」という包装紙に騙されてはいけませんよ。ギャラこそもらっていませんけど、相手はプロの役者です。だって、もう何十年も同じ役柄をやっているんですからね。履歴書にこそ書けないものの、ベテラン中のベテランです。説得力だけはあります。でも、何もあなた自身がその共演者になる必要はありません。最後に必ず泣きを見る、そんな哀れな共演者の役なんて、引き受ける必要なんて無いんですよ。どうしたらこの手の人の術策にまんまとはまることなく、うまく逃げられるんでしょうかね。【後編】で見ていきましょう。
2014.03.26
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以前こちらでもご紹介した、自己愛性パーソナリティー障害(Narcissistic Personality Disorder、略してNPD)の被害者カウンセリングを得意分野とする、臨床心理学者のリンダ・マーティネス=レヴィ博士のブログ。"The Narcissist in Your Life”(「あなたの周りに潜む、自己愛人間」とでも訳しましょうかね。)http://thenarcissistinyourlife.com/詳しくは過去記事をご参照ください。2013.08.252013.10.13Dr.リンダは、先日投稿された記事の中で【自己愛人間】との蜜月期間→一瞬にして奈落の底に突き落とされ...という、ご自身の恐怖体験を語られていました。その道の専門家でも、「あら、この人、ス・テ・キ...」となって、相手がキラキラ輝いちゃったりすると、判断を誤ることがあるんだな、っていう例ではないかと思います。いわんや素人をや、ですね。気を引き締めなければ。まずは、お読みください。2014年3月6日付の記事をご紹介します。原文はこちら。-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+【自己愛人間の原始的投影が引き起こす、痛みと被害。】自己愛人間は、自分自身が持つ心の毒を、他の人たちへと絶えず投影する。こういう事実を目の前に突きつけられたことは、私自身、数多く経験してきた。【※投影...「心理学で、考え方や行動に心の内面が表現されること。自分の性質を他人の性質にしてしまうこと。投射。」(goo辞書より) 例えば、「この人、本当はあまり好きじゃない...」と感じてしまう時ってありますよね。誰にでも。(人間ですからね。)そんな時、この「投影」という心のメカニズムが癖になっている人は、その「相手が嫌い」という本音が自分の中にあるのを認めることができないんですよ。認められないどころか、逆に、自分が相手から嫌われている、っていう具合に、立場を逆転させてしまうんですね。「あぁ、あの人、私のことを悪く思っているんだわ。嫌っているんだわ。」...と。そして、「自分はネガティブな感情なんかこれっぽっちも持っていない。汚いのは、もっぱらあの人の方。私は、清廉潔白そのもの。」...と、都合の良いこじつけをして、心の平安を取り戻そうとするのです。】自己愛人間ならではの、この種の振る舞いに関しては、どれほど声を大にして語ろうと、語り過ぎということにはならないだろう。彼らの無意識の奥底を探っても、そこにあるのは自己嫌悪。そして、耐え難い程の空虚さ。ただそれだけだ。実は、自己愛人間の心の中では自己嫌悪が激しく渦巻いている。そして、そうした負の感情は、そっくり他人の上へと吐き出されてしまうのが常である。犠牲者となるのは、配偶者、子供、兄弟姉妹、職場の同僚、知人など、自己愛人間と特に近しい関係にある人々だ。【投影】というのは、防衛機制の一種だ。自己愛人間は、内に隠し持つ、攻撃的で、耐え難く、自らを脅かすような類の感情や衝動を他の人へとぶちまけることで、それらを一瞬のうちに消し去ろうとする。無意識にやっていることなので、本人に全く自覚は無い。自己愛人間の口から放たれるこの劫火は、全く予期していない時に、あなたを襲う。攻撃を食らった側がたった一発で打ちのめされ、倒れてしまうのは、この「奇襲攻撃」という性質のためだ。自己愛人間の機嫌がだんだん怪しくなり、「これは逃げた方がいいぞ」とわかるような時は、実際、ある。「離れろ」と、直観が教えてくれることもあるだろう。しかし、全く前触れ無しに雲行きが怪しくなるような時も、やはりある。このような場合が最も始末が悪い。少し前のことだ。私は、とある知人男性から、はらわた直撃の心理的なパンチ(原始的投影)をまともに食らってしまった。【「原始的投影自分の内面にある受け入れがたい感情や欲動を、他者がもっており自分に向かってくるものとみなすのは、高次の「投影」と同じだが、背後に「分裂」がある場合の投影の場合、激しい感情や極端な思考を相手に投影させることになる。これが「原始的投影」である。投影した本人が受け入れがたい、極端な感情・思考を持つものと対峙した場合、投影した本人は迫害的な恐怖を味わうことになる。Wikipedia 「防衛機制」・原始的投影の項より。】...上で書いた「投影」よりも、さらにパワーアップして魔物化が進んだ状態、と考えればいいんですかね?当時、この人物との間柄は極めて良好で、彼と一緒にいる時、私の中では全てがバラ色、順風満帆、であった。会話をしている間も、「うん、なかなかいい感じ。私達、これからいいところ~、ね。」と好感触を得ていた。その間、この男性の気を引こうと躍起になっている第三者がいた。何か引っ掛かるものを感じてはいたが、私は敢えて「気にしない、気にしない。」と見過ごすがままにしてしまった。我ながら迂闊(うかつ)だった、と、思う。突然、何の前触れも無く...地獄のような砲火が、私を襲った。その男性の口から出たのは、私をののしる言葉の数々だった。私は完全に打ちのめされ、致命的なダメージを受け、息も絶え絶えになってしまったが、彼はまさにそれを狙ったのだ。衝撃におののきつつも、私はまず、彼の言葉に込められた原初的なメッセージをひとつひとつ解析していかねばという気持ちに駆られた。「お前が憎い。今すぐ俺の前から失せろ!」...それが、彼の言わんとしていることだった。この男性の中で煮えたぎっていた憤怒、そして相手を圧倒しようという執念。瞬く間に私を突き刺し、私はただ苦痛に悶えるばかりであった。何とか正気を取り戻すと、私は「もう、何を言おうと、何をしようと、無駄だ。」という結論を下した。そして、身の安全のため、その場を離れた。そのとき、イエスは言われた、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。『口語 新約聖書』日本聖書協会、1954年 ルカによる福音書 23:34自分を守るためにも、あの時ああして立ち去ったのは賢明だった。今はそう思う。だって、あの人は、私の言い分を聞くつもりなど毛頭無かったのだから。おまけに、あちらには一緒になって口裏合わせてくれるような味方もいた。あの男性が放つ毒気から即刻、距離を取ること。それが、私にとっては最善の行動だった。ふらふらしとした足取りでともかく車に乗り込んだ私は、今しがた自分に起こったことと、その意味とを考え始めた。気分は最悪なままだったけれども。こうした体験をしたのは私一人だけではない。他にも大勢いる。結婚した相手が自己愛人間だったことで味わった、あの恐怖。自己愛的な母親、父親、兄弟姉妹との関わりで生じた、或いは今もなお生じている、精神的苦痛。そうした状況を実際に体験してきた大勢の人々と話すことで、「そうだ。これは絵空事などではない。実際に起こっていることなんだ。」と、私も日々再確認できている。自己愛性パーソナリティー...現代ならではのパーソナリティーの病...とその実情について、学べることはいくらでも学んでおこう。自分自身をいたわってあげてほしい。自己愛人間が用いる、あの忌々しい投影の罠に引っ掛かってしまってしまった自分を責めてはいけない。責めるどころか、逆に、その正体を見破ったのだから、「よくやったね。」と褒めてあげよう。...あなたが受け取ったのは、自己愛人間の無意識部分から放たれた、悪意に満ちたメッセージなのだ。勝ったのは、あなただ。勝利を祝おう。そして、今後、このような人物とは心理的にも、感情的にも、物理的にも、できる限り距離を置くことだ。毒吐きマシーンにずかずかと土足で踏み込まれることの無いよう、あなた自身の周りにもしっかりとした境界線(バウンダリー)を築き上げるように。付き合うなら、自らの内面をしっかりと見つめていて、簡単に投影の罠にはまったりしないような人々にしよう。「あ、またやっちゃった」という時でも、きちんと自分の非を認めることができるような、そんな人々を選んで付き合おう。あなた自身という人間が「傑作」であることは間違いないものの、まだ完成品ではない、制作の途上にある傑作だ、ということも覚えておこう。直観の声に注意深く耳を傾けよう。ずっと夢見ていたこと、やりたかったことを探しに行こう。そして、自分に言い聞かせよう。夢を現実のものとするもしないも、自分次第だ、ってことを。-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+「知識は力なり(Knowledge is power)」です。「オレオレ詐欺」「振り込め詐欺」という、お年寄りを狙った悪質な犯罪がありますよね。近年、マスメディアで何度も何度も取り上げてくれたおかげで、十年前に比べれば引っ掛かるおじいちゃん・おばあちゃんの数は減っているのではないでしょうか。【参考記事:Naverまとめ より『振り込み詐欺』に騙されない 大阪のおばちゃんが強いわけ】Copyright (C) Shimane Prefectural Police.(私・黒犬べーやんはこの動画の著作権、持ってませんから~。)あはははっ!島根県警、ナイス!!!それにしても、パワフルで陽気なおばちゃん文化には好感持てますねぇ。嘘臭さとか偽善とか見栄とか、そういう東京...っていうか、なりすまし東京人が作り出したメンドクサイこと、スコーンと笑い飛ばしてくれそう。私の故郷・神奈川は、その辺今一つパンチ不足かな~...と思いきや、最後の最後に懐かしいあの俳優さんがっ!!!【自己愛人間】を初めとする【あなたの近くの困ったさん】に対しても、「オレオレ詐欺」「振り込め詐欺」と同じやり方で立ち向かわにゃいかん、のではないでしょうか。上手に情報を仕入れておいて、避けられる事故ならば、避ければよい。何も痛い思いをして自ら体験する必要は無い。私は、そう思います。まずは情報収集から始めましょう。だって、あちらさんの特徴や、手口を知らなきゃ、見分けられないですもん。見分けられなかったら、逃げられない。逃げられなかったら、相手の毒をまともに食らって、泣くしかない...。そうなる前に、手を打っておきましょう。自分の身と心は自分で守らなきゃ、ですよ。
2014.03.12
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※03.11.14 リンクをアップデートしました。(駐妻=駐在員の妻、の略です...。)先日はびっくりしましたね。まさかあんなお店の、それも同じ時間帯に予約が重なっての鉢合わせだなんて。奇遇としか言いようがありません。(これも「見えない世界からの粋なはからい」なのでしょう。おっと、すみません。つい、いつもの口癖が出まして...これだから精神世界にどっぷり浸かった奴はね〜。ははは。)ここ数年、いわゆる駐在組日本人の奥様&母親社会とは距離を置いているもんで、ミナさんにとって私はずっと「無愛想で変わり者の日本人」とうつっていたのではないかな、と思います。多分、他の駐在組の皆さんにも同様の印象を与えているのでしょうね。以前からずっと変わらぬ態度で挨拶してくれるのは、永住組の、ごく一部のママさんだけ、ですから。いくら鈍い私でも、さすがに気付きますよ。おかげで、人を見る目だけは随分養われたかもしれません。既に日本に帰国された駐在員の奥様、そしてその方の言い分を丸ごと信じ、悪口大会で盛り上がるのが三度の飯より好き、っていう方々が、我が家についてのあることないこと、拡散してくれたようですよ。ま、その手の人達とは、どれ程頻繁に会ったとしても、顔見知り以上に発展することはまず無いでしょう。混んだ電車で足踏まれたとでも思って、黙ってスルーします。気にするだけ無駄というものです。【参考記事:「海外のママ友トラブル 噂話を「申し送り」】http://dot.asahi.com/news/domestic/2012101500012.htmlあの日、誰にも聞かれる心配の無い安全な場所で、日本人社会特有の難しさについて、腹を割ってのお話ができたのは、私にとっても幸いでした。「あぁ、自分だけじゃなかったんだー。『何、これ!?』という衝撃を受けたのは。」ミナさんの体験談を聞き、私もまた、救われた気持ちになりました。素敵な偶然に大感謝!ですね。こんな風に、神様は時々、とびっきり粋な演出をなさいます。それにしても、随分とストレスを溜め込んでいらっしゃったんですね。「あまり他の日本人家庭と付き合い無いから...」と恥をしのび、私が告白するや否や、ミナさん、まるで堰を切ったように次々と当地の日本人駐妻社会への不満・疑問を語り始めましたよね。「駐在の奥さん達って、何でこんなに変な人ばっかりなんでしょう?」「どうしても『自分が上、相手が下』と格付けしなきゃ気が済まないんですかね」「お菓子や料理の持ち寄りパーティーで、なぜあそこまでベタボメしまくらなきゃいけないの。」「『○○ちゃん(ミナさんのお子さんのお友達)ね、こんなひどいこと言ってたよ』なんて悪口、子供を使ってうちの子に吹き込むなんて卑怯な真似はやめてほしい。親同士が仲違いしようが、子供同士の付き合いには全く関係無いのに。仲良しのお友達が悪者にされたのを聞いて、うちの子は悲しんでた。」...具体的なディテール(詳細)ひとつひとつが、あまりにも生々しくって、そして痛過ぎちゃって、聞いているうちに私まで一緒に泣きたくなってきましたよ。ほーんと、中学生以下、としか言いようがないですね。クレイジーな狭い人間関係の中で、好き放題やってるお子ちゃま連中の暴走ぶりが止まらない。見かけだけはイッパシの成人女性なもんで、彼女らを諌める人など誰もいません。日本人の母親、一体いつ頃からここまで嘆かわしいレベルにまで落ちたのでしょうか。ここまで来ると、当地の駐妻社会も立派な「カルト教団」と化していますね。まさに、私が「女王様教」と勝手に命名し、何回かに分けて文章にしたような、異常なママ友社会そのもの。今までずっと耐えて来られて、さぞやお疲れになったことと思います。永住組の我が家と違い、ミナさんの場合はだんな様のお仕事の関係上、完全孤立というわけにはいきませんからね。駐在員の奥様同士の人間関係、本当に厄介です。この先もいろいろとご苦労されるのではないか、とお察しします。それでも、思い切って集まりに行く回数を必要最小限にした、とのこと。「ごく少数の仲良しがいれば、それで十分。」...おっしゃる通り。心から拍手を送らせていただきます!特殊な価値観を持つ「駐妻カルト教団」に激しく揺さぶられたものの、「実は仕事を始めたい」と、ご自分なりの目標は忘れなかったミナさん。「私は、こうしたい」「これは譲れない」といった精神の太い軸をミナさんがお持ちだったからこそ、苦しい中でもブレることなく、賢明に判断されたのでしょうね。こちらにもコメントを寄せてくださっているブルーシャ西村さんが、以前、「嫉妬心のある人とは友達になれない」という趣旨の言葉を、ブログ上でお書きになっていました。(ブルーシャさんのブログ内を「嫉妬心」のキーワードで検索すると、考えさせられる内容の濃い文章がたくさんヒットしますので、興味ある方、ぜひ、お試しくださいね。)これ、噛めば噛むほど、深い味がじわじわ~んと出てくる「至言」だよなぁ、と、時々、心の中で反芻しています。ブルーシャ西村さんの最新刊、ただいま予約受付中です絶賛発売中! もちろん、私も買います 買いました(03.11.14追加)。【送料無料】神様に愛されたら、幸せな奇跡が起こりだす [ ブルーシャ西村 ]嫉妬心。自分と相手を見比べて上?下? という、比較をし、ランク付けをすることで湧き起こる、実に厄介な負の感情です。相手と自分を比べる。で、自分が上ならば、一件落着、それでおしまい。相手は自分の存在を脅かさない程度の「小物」ってことで、まぁ、近くに侍らせていても悪くはなかろう、ってな位置に落ち着きます。めでたしめでたし。でも、世の中広いです。そう、上には上がいるんですよ。私達の暮らす、狭いコミュニティの中にも。ただ、そういう人は往々にして謙虚で目立たないんですけどね。「実るほど 頭を垂れる稲穂かな」の言葉通り。人を見ればランク付けしたがる人が、そのような稲穂のような人を前にしたら、一体どうなるでしょうね。「うっ、負けた!」「悔しい!」「ねたましい!」そのようなどす黒い負の感情で、たちまち心が一杯になってしまうに違いありません。(かわうそ君のネタミは、ハワイ旅行にまつわる話題に限定されているので、実に分かりやすいんですがね...。残念ながら、日本人の奥様社会に巣食う嫉妬心の問題は、はるかに複雑かつ深刻です。)たとえば...話の流れで、つい、こちらが無邪気に漏らしてしまった、学生時代の友人との、実に他愛ない逸話。「ほんとのことだから隠す理由も無いし。」と、ポロリ話した過去の経歴や、家族の近況。...なにげな~く出した話題のひとつひとつに、相手が反応し、作り笑顔の裏でどす黒い嫉妬玉を心の中でドカンドカンと爆発させているとしたら、どうでしょうね。さすがに、相手の心の中の問題まではこっちとしても責任取れませんよ。何がきっかけで爆発が起こるか全く予測がつかないので、うかつに思い出話もできません。あ~、しんど。こんな地雷だらけの人間関係、嫌ですよね。いつかこっちがストレス性の病気にやられて、ぶっ倒れそうです。子供たちの成長を見届けないまま病に倒れたり、寿命を縮めたりするのを防ぎたいのであれば、そんな人間関係、い・り・ま・せ・ん。だって、所詮、駐在期間にたまたま近くに住む日本人同士、ってだけの共通項しか無い人達しょう?そんな通りすがりも同然な人達に、残りの人生も、健康も、メタクソに破壊されるだなんて、真っ平御免じゃないですか。ねぇ。ミナさんも当地にいらしてからたくさん目撃されたのですね。あの手の、メラメラと嫉妬に狂って、突然ブチ切れ・逆切れするような、自称「素敵な奥様」たちを。最近では人間の出来た若い人達が増えてきているせいか、40代の人達(同世代なんですがね...。)の人々の幼稚さ・ダメさ加減が一層際立ってきましたね。バブル景気の波に乗ってエリート男性をGET=新興貴族へと昇格!と勘違いしたまま、夢から覚めずに年取っちゃったのかな。ミナさん。そして、ミナさんと似たような、しんどい状況で頑張っていらっしゃる女性の皆さん。「あなた、私より上?下?」という基準でしか人を見られない、そんな心の貧しい人達に無駄なエネルギー費やすの、もうやめましょうよ。確かに、かわいそうって言っちゃぁ、まぁ、かわいそうな人達ですよね。横に手を伸ばした時に、同じ高さで手を伸ばしてくれて、がっちりと握り返してくれる。それが、本当の【仲間】というもの。その素晴らしさを一度も体験する機会が無いまま、年だけ取ってしまったんですから。放っておきましょう。多分、私たちの手に負える人達じゃないです。あの人達が持て余しているご自分の猛毒は、「噂大好き・ランク付け大好き」な似た者同士で、お茶会だの、ランチ会だの開いて、その中だけでシェアしてもらうとしましょう。互いの毒気に当たって、腹下して、共倒れ...と相成れば、おのれの嘘くさい生き方や、歪んだ物の見方に少しは気付く...かもね。外部の人に毒を撒き散らさないようにさえしてくれれば、こちらも一切口出しはしません。どうぞご自由に。地雷でも何でも、派手に爆発させまくってください。別れ際に言ったことの繰り返しになりますけど、...「お互いの足を引っ張って、陰口叩くばかりの人間関係なんて、いらない。あの手の人々が放つ毒気に当たりすぎると、こっちの心も、考え方も、知らず知らずのうちに腐っちゃう。あの人達が何を言おうが、気にしない。私たちは60になっても、70になっても、朗らかに笑っていられるような、好奇心旺盛な、おもろいおばちゃん--->おば~ちゃんを目指しましょう。制約だらけの海外生活。でも、今の環境だからこそできること・学べることだって、いっぱいあるはずです。子供たちの健やかな心のために。そして、将来の自分や家族のために。体力・気力ともに充実させて頑張りましょうね!」ミナさんとご家族が、残りのアメリカ駐在期間にたくさんの良い思い出を作られますように。陰ながらお祈りしています。
2013.11.24
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以前、こちらで「おすすめ」として紹介した、アメリカ人臨床心理学者のLinda Martinez-Lewiさん(Ph.D)のサイト・The Narcissist In Your Life(身近なところにいる、自己愛人間)。【送料無料】Freeing Yourself from the Narcissist in Your Life [ Linda Martinez-Lewi ](すみません、本は買っていないんです...もっぱらブログの方、愛読しています。)アーニー(Ernie)さんと名乗る、中年の男性の方からのコメントです。あまりにも哀しく、そして、感動的な内容だったので、翻訳してご紹介します。原文はこちらです。* … * … * … * …* … * … * … * …* … * … * … * … * …* … * … * … * …* … リンダさん、ありがとう!(以前、違う場所に返信してしまったような気がするので、再投稿します。)この記事は、僕の母親をごく細部に至るまで完璧に描写していました。その母親の子供であるわれわれは、母を主役に展開するドラマの、単なる小道具にすぎませんでした。お察しの通り、僕の母親も身内や友人たちには愛され、尊敬されていた人物でした。よその人に対しては、もっぱら「美しい人」の顔でしか向き合っていませんでしたから。しかし、家での母は、人を操り、都合のいいように使おうとする、いじめ行為の加害者そのものでした。精神も、時には肉体も、母にはひどく虐げられたものでした。僕は母のいじめのターゲットとなった子供でした。ごく幼い時から母親の裏の顔を見抜いてしまい、面と向かってそれを問い正そうとした、というのが大きな理由だと思います。また、母は僕の中に、どこか父の面影を見ていたのかもしれません。何か問題が起こると、決まって犯人にされるのは僕でした。ベルトでひっぱたかれたり、心理的な虐待を受けたりといったことはしょっちゅうです。何ら悪いことをしていないのに、虐待されていました。そんな母を野放しにしていた僕の父親も、母から肉体的に虐待を受けるようになり、遂に家を出て行きました。母は、父が自分の気に食わない答え方をすると、平手打ちで返すようになったのです。それでも母は自分の責任をまんまと逃れたばかりか、逆に、「お父さんは精神に問題があるのよ。だから出て行ったの。」と全て父のせいにしました。これが僕の少年時代を通してずっと続きました。中学時代、僕は児童心理学の専門家のところへ連れていかれました。知能テストでは天才児の領域にも入るような点数を上げたにもかかわらず、学校の成績が振るわなかったからです。面談を終えると、先生は僕の両親だけ自分のオフィスの中へと招き入れ、ドアを閉めました。その間、僕は誰もいない待合室で、ドアの向こうから漏れてくる話し声を盗み聞きしていました。先生は父と母にいくつか質問をし、二人の答に耳に傾けました。すると先生は、僕の母親に向かい、声を一段と低くして「お子さんは、あなたのことを尊敬していませんよ。」と告げ、その理由を説明しました。僕達親子がオフィスを出る時、先生に言われたことで母がどんな反応をしているかが気になり、母の方をちらりと横目で見ました。その表情は、完全なる憤怒以外の何物でもありませんでした。それからの二ヶ月間、僕は、一言たりとも話しかけようとしない一人の女が全てを取り仕切る家の中で暮らさねばなりませんでした。母についての真実を公にしてしまった僕は、裏切り者でしかなかったからです。その日、全てが明らかになりました...これは全て、母の方に問題があるのだ!...と。心理学の先生のところで問題とされたのは、子供である僕から見た母親の姿の方であって、成績不振の僕と、その解決法ではなかったのです。後年、母が死んで、遺品整理のため家を片付けていたところ、あの日、心理学の先生が書いた報告書を発見しました。僕の記憶に間違いはありませんでした...「この少年は、女性に対しマイナスのイメージを抱いている。彼にとって女性とは、威張り散らし、人を操り、嘘をつくような存在である。」と、記載されていました。自分にとっては女性の代表格であった母親。あの報告書は、母親に対して僕が突き付けた告発文、と言っても過言ではなかったかな、と思います。そして、ここからはまさに「論より証拠」といった話になります。母親が育てた4人の子供のうち、1人は企業絡みの悪事に手を染める精神病質者。もう1人は、型で押したような、典型的自己愛人間(自己愛性パーソナリティ障害)。僕を含む残りの二人にも、自己愛的傾向が見られます。個人的な感情を一切脇に押しやって、客観的な目線で両親、きょうだい、そして自分自身を見つめ続けました。その結果、ようやくいろいろなことが理解できたとともに、真実へとたどり着けました。...これは僕にとって、子供時代の傷から回復するための第一歩でもあり、また同時に、自分を癒していくプロセスの始まりでもありました。母が亡くなり、後に残されたのは自己愛的な4人の子供たちだけ。でも、「何一つ欠点が無いのが、私の欠点。」と考えるような人々との間に、正直でオープンな関係を結ぼう、なんて努力は、やるだけ無駄なのです。これは全ての自己愛人間に共通して言えることですけどね。それに、僕の自尊心は本来あるべき健全なレベルにまで上昇して久しいので、これ以上のひどい待遇や、さげすんだ物言いをきょうだいに許すことは今後一切しないだろう、と思います。僕のそうした態度は、他のきょうだいたちにとっては非常に癪に障るようです。彼らの理屈によると、僕は本当のことをしゃべったばかりか、「いつまでも悪いことばかり覚えていて、そこにとどまり続けている」ことから、「毒になる」兄(弟)、なのだそうです。妹たちは、未だに亡くなった母のことを理想化し、ロマンチックな人物像へと仕立て上げていますが、僕に言わせりゃ狂気の沙汰でしかありませんね。【送料無料】毒になる親 [ スザン・フォワード ](「子供時代、あまり幸せじゃなかった」と感じる方、「家族みんなで楽しく笑い合った思い出が浮かんでこない」という方、一度こちらの本をお読みになってみてはいかがですか。ひょっとしたら、その理由がみつかるかもしれません。初めは辛すぎて、なかなかページも進まないかもしれなせんが...。)「毒」同然の扱いを受けている僕ではありますが、素晴らしい女性と結婚して既に24年目を迎えました。二人の子供も無事成長し、今、充実した大学生活を送っています。僕にとって、人生のお手本となってくれるのは、自然です。毎日、「無条件の愛」がどんなものかを身をもって教えてくれる、我が家の愛犬たち。厳しい条件にありながら、立派に成長し、美しい花を咲かせてくれる植物。長い人生の中で幾度となく雷に打たれ、風雪にさらされて枝を折られながらも、それでもなお高く、古く、そして賢くなろうとする、樫の老大木たち。自己愛人間の母親に人生を左右された全ての人が、どうか平和を見出せますように。* … * … * … * …* … * … * … * …* … * … * … * … * …* … * … * … * …* … 【送料無料】シック・マザー [ 岡田尊司 ]人の子の親として、我が身の生き方を振り返り、闇の力(ダークフォース)に呑まれていないか、未消化の怨念や怒りといった黒い感情をそのまま子供に丸投げしていないか、冷静に観察することって大事ですね。これ以上、子供たちの魂を傷つけないためにも。これ以上、哀しい大人たちを世に送り出さないためにも。
2013.10.13
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【女王様教】シリーズに始まり、不定期集中連載(?)として【自己愛人間】を取り上げてきました。今回は、前々からお約束していました通り、【隠れ自己愛人間】を取り上げます。アメリカ人ソーシャルワーカー・エリノア・ペイソン(Eleanor Payson)女史の著書を参考にしつつ、具体的にどのような人物像が【隠れ自己愛】に該当するのか、ご紹介していきましょう。【隠れ自己愛】とは何ぞや?という方は、ぜひこちらの 過去記事 をお読みになってからこちらのページに戻ってきてくださいね。今回取り上げていますのは、アメリカのAmazon.comで2013.9.16現在、全230件のカスタマーレビュー中、なんと194人の読者が5つ星をつけたという(全体の84%!)名著・”The Wizard of Oz and Other Narcissists"です。映画などで誰もが一度は目にしたことがある「オズの魔法使い」のあらすじを絡めつつ、【自己愛人間】(Narcissists)と、その周辺に生きる人々の姿、そして問題への対処法を説いていく、という一冊です。私も書店、図書館...と、自己愛人間/ナルシシストを扱った本は一通りパラパラっと目を通してみましたが、やはりこれがダントツ一位ですね。とにかく、読ませます。しかも、情報量が多い。著者は1983年から夫婦・家族間のカウンセリングの専門家として活躍。かなりのベテラン療法家ですよね。http://www.eleanorpayson.com/index.htm長い臨床経験の中から浮かび上がってきた、エリノアさん流の【隠れ自己愛人間】像、順を追ってご紹介していきましょう!(話をわかりやすくするため、筆者・黒犬べーやんがかな~り肉付けした部分もあります。予めお断りしておきますね。)【隠れ自己愛人間ファイル・その1 〜 医療・カウンセリング等の「先生」 編 〜】目立たないけれど、いかにも「できた人」「優秀な人」という雰囲気が漂う。静かなる自信に満ちた専門家、という印象。その社会的な地位の高さゆえ、医療職に多いタイプなのだが、教会の牧師や神父、学校の教師といった、いわゆる「聖職者」と呼ばれる人々の中にも少なからず、いる。一応こちらが話せば、耳を傾けてくれる...ように、見 え る。基本的に治療は先生のペースで。患者の希望などはあまり聞かない。それでも、テキパキとやるべきことはやってくれているので、「いい先生だ。」と喜び、全面的に信頼を寄せていく患者さん。だが、「先生の言うことに従う良い患者」から少しでも逸脱するや否や、事態は急転直下。質問をした途端、「私のやり方に不満があるのか!」と、普段冷静な先生が、ガッと鬼のような形相に。「いえ、そうではなく、別のやり方も探ってみたいんですが。」と、恐る恐る患者さんが自分の希望を伝えると、先ほどまでの「沈着冷静ないい先生」だったはずの人が、打って変わって取り付く島も無いような冷淡な態度に。「私のやり方に従う気が無いのならば、今後症状が悪くなっても一切責任は持てない。それでも従わないというのであれば、今回限りで治療は打ち切りだ。時間なので、これで。」...何が医者/カウンセラーの逆鱗に触れてしまったのか。全く事情が飲み込めなくて、パニック状態に陥る患者さん。信頼していた先生に一瞬で見捨てられた...。しかも、一番助けが必要な時に...。 *****************************************私の敬愛するがん治療専門医・帯津良一先生の著書に、まさにこの事例が載っていました。これ、「ドクター・ハラスメント」、略して「ドクハラ」というそうです。知りませんでした。【送料無料】人の哀しみがわかる医者になってほしい [ 帯津良一 ]「主治医が患者さんを突き放してしまう瞬間です。患者さんにとっては、これほど残酷な対応はないでしょう。 たとえば、みなさんがホテルを訪れて、フロントからいきなり『あなたは来ないでください』と断わられるようなことは、まずないでしょう。仮に断わられたとしても、別のホテルを探せばいいわけですから、たいしたことはありません。 しかし、これが病院となると、事情は一変します。なぜなら一つの病院で一度断わられたとしたら、別の病院に行くというのがとても困難になるからです。 (...中略...) 『ドクハラ』を受けた患者さんは、当然のことに、非常に不愉快になりますよね。不愉快になると、それだけ免疫力が落ちますので、病状はよくなりません。というより、悪化します。 こういった類の『ドクハラ』が、医療の現場では日常茶飯に起こっているんですよ。」(「医学部進学教室 熱血講義 人の哀しみがわかる医者になってほしい」 帯津良一、イースト・プレス、2012年、pp.117−118)相手が患者さん等の弱い立場にあり、反撃してくる恐れが無いと分かった上でする、非常に悪質な「鬱憤晴らし」ですね。帯津先生の言葉からもわかるように、これは決して珍しいケースではないそうです。アメリカの悩み相談では、【自己愛人間】との関係に悩む相談者に対し、「カウンセリングを受けるのはいいけど、【自己愛人間】のカウンセラーやセラピストだけは絶対に選んじゃダメよ!」というアドバイスもよく耳にします。「自分が悪かったのだから...」と泣き寝入りしている被害者は多いのでしょうね。実にお気の毒です。【隠れ自己愛人間ファイル・その2 〜 身を粉にしてわが子のために尽くす、「献身的な親」 編 〜】(※日本では、圧倒的に女親がこの役割を演じることが多いため、以下の例では「母親」を取り上げますね。)控えめで落ち着いた人、というのが第一印象。子供の教育のためなら、自分の楽しみや服飾費を削ることも厭わない。外見は地味。「今日、4時起きしちゃって」と、うっかり口を滑らせたように見せかけて、周囲の母親を牽制する。誰が見ても、「自分は二の次、子供が一番」という生き方は明らか。「非の打ち所の無い、立派なお母さんだ」と、大半の人は好意的に解釈する。他方、子供の学校の役員やボランティア活動にはしょっちゅう(半ば強迫的とも言えるほど)顔を出す。「熱心な母親だ」と、先生方へのウケは抜群。可能性を伸ばしてやりたい、という麗しい文句の下、息子は毎日、休む暇もなく種々の習い事へと追いやられている。塾だけでは飽き足らないらしく、英検、漢検、算数オリンピック...と、小学生を対象とした各種資格試験も片っ端から受験。もちろん、体操教室やテニススクールなどのスポーツ系習い事も外さない。それでも「まだまだダメ」と不満気なのが、この「母の鑑」。夫の姉夫婦には優秀な娘たちが二人いて、それぞれ世間では難関とされる中学へと進学。姪たちが恵まれた環境で学校生活を謳歌している話を聞くと、普段感情をあらわにしないこの「母の鑑」もさすがにムシャクシャを抑えきれなくなる。そんな時には、家に帰るやいなや、菓子類をドカ食い。夫の姉夫婦一家はもちろんのこと、孫娘達の話を自慢気にする舅姑にも我慢がならないので、夫の実家とは疎遠。「田舎者」の実家の親とも、やはり疎遠。ますます【閉塞的な母と息子の親子心中状態】に拍車がかかる。お坊ちゃん育ちの夫は頼りにならない。全て母親に任せる、という暗黙の掟に従うだけの父親。そう。この母親、身内以外の人の目に触れることはほとんど無いにせよ、我が子の「受験」に関しては、異様な闘志というか、執念を抱いているのだ。義姉一家を見返してやりたい。舅姑に「参りました」と言わせてみたい。大っ嫌いなんだけど、情報収集のため時々ランチに誘って縁を切らずにいるママ友の○○さんに「うわ〜、息子くん、すっごい!」の一言を言わせたい。だが...息子の中学受験は、親子での奮闘もむなしく、全敗に終わってしまった。それからの日々は、息子にとって生き地獄となる。「お母さん、あなたのためにあんなに一生懸命頑張ったのに...。何もかもあなたのために我慢して、毎日毎日お弁当もちゃんと作って、精一杯支えてきたのに...。」と、ネチネチ、いつまでも子供を責めまくる。合格に浮かれる同級生を尻目に、誰よりも落ち込んでいるのは当の子ども自身だというのに。どうやらこの母親の頭には、「私の努力が全部パーになった」という悔しさしか無いようだ。子ども自身の落胆とか、悲しさとか、そんなものはどうでもいいらしい。結局、子どもはこの自称・「献身的な」母親にとって、単なる自分の野望実現のための【道具】に過ぎなかったのだ。あらゆる習い事も、びっしり詰まった休日ごとのテストも、そして、週6日体制で通っていた私立中学受験対策用の塾も、「一流校に通う優秀な息子」という、他人に大いに自慢できるステイタスシンボルを手に入れたいために巧妙に築き上げた、矯正/強制収容所だった。「一流校に通う、優秀な息子を立派に育て上げた、最高の母親」ただ、その肩書だけが欲しかった。「あなたのためなの。」という、母性愛ヅラした大嘘で騙された上、偽りなき母への忠誠心をまんまと利用されたことに気付いてしまった息子。思春期を目前にした多感な少年にとっては、あまりにも辛すぎる事実である。彼はこれからどちらの道を行くのだろう。何にも気付かなかった振りをして、魂があげる悲鳴や、心の傷は全て闇に葬る。欺瞞だらけの女でも、それでも自分にとってはこの世でたった一人の母親だ。そんな大切な母の期待に応えるべく、今度こそは!と雪辱を果たそうとする孝行息子→→→俺ってスゲェ〜!な、真性【自己愛人間】へと成長。という道を選ぶか。それとも、もう母親の野望実現の道具にはならない。操り人形になるのはごめんだ。どんなに苦しくても自分の力で事を成し遂げ、嘘やごまかしでは絶対に手に入れることはできない、本物の幸福を目指す--- という道を選ぶか。全ては彼次第である。********************************************【隠れ自己愛人間】の具体例、まだまだ続きます。
2013.09.17
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flowergreen8さん、こんにちは。書き込み、重ね重ねありがとうございました。>そうゆう人達は自己嫌悪はないのだろうかと不思議に思います>普通あれがいけなかったのかな、こうすべきだったかな>と反省すると思いますが開き直るどころか攻撃ですもんね「反省しない」というのが、こうした人々一番の特徴なのだそうです。自己省察ということをしないんですね、この人たち。二歳児がそうしないのと一緒で。一度、自分の内側を見つめてしまうと、あまりにもいろいろな黒感情が詰め込まれていることに気付いて、パニックになってしまうんじゃないでしょうか。だから、見ないよう、気付かないよう、必死に蓋をして閉じ込めているみたいですよ。以下はあくまでも私自身の、個人的な見方に過ぎませんが、ちょっとお話しさせてくださいね。こうした【自己愛人間】と呼ばれる人達は、心の一番深い部分に長年積もり積もった 人間社会全体への恨みつらみを宿していながら、全く気が付いていない人達、だと思うのです。自分を優遇してくれない、冷たい人達に対しての巨大な恨みつらみが、全ての行動の根本にある...。そう考えると、困った行動の数々への説明がつくんですね。今回の元・ご近所さん女性の場合も、過去世でもそうした「恨みを晴らしたい→怒りをぶつける/悪意ある行動で鬱憤を晴らす→人に嫌われる/裁かれる→恨みがますます膨れ上がる」という悪循環を繰り返してきたんだろうな、なんて、ふと、感じました。(見えない世界から、直観という形でヒントをもらいました...。)そこで思い出したことがあります。第二次世界大戦終わり近くの1944年夏、連合国軍はナチスドイツの支配から首都・パリを奪還。再びフランス人民の手に自由が戻ります。その後、ナチスに協力した(=男女の仲になったり、密告したりなどして「点数稼ぎをした」)フランス人女性達は、売国奴として頭を丸刈りにされ、街中を引き回され、人々の容赦ない罵倒や嘲笑にさらされる羽目になりました。ちなみに、男性協力者の多くは処刑されたそうです。全て身から出た錆、と言ってしまえば確かにそうなのですが。それでも、こうした女性達の中には、言葉では言い尽くせない程すさまじい、人間社会への怨念というものが生まれたのではないでしょうか。街の人々からの嘲笑。そして、屈辱に耐える女性の顔。写真は実に雄弁ですよね。警察署の中庭で衆人環視の中丸刈りにされた後、自宅へと向かう女性の姿を、ハンガリー生まれのユダヤ系報道写真家・ロバート・キャパ がとらえたものだそうです。 画像はこちら。サイズが大きいので、お手数ですがリンク先でご覧ください。http://www.anorak.co.uk/wp-content/uploads/2013/06/PA-14275908.jpgこの写真は、「文藝春秋」2013年4月号に掲載された、沢木耕太郎さんの連載「キャパの世界・世界のキャパ」第三十二回 を目にしたことでその存在を知りました。たまたま義母がこの号を日本からの荷物に入れてくれていたおかげで、知ることができた。偶然、と片付けても良いのでしょうが、私にとっては「必然」だったように思えます。この出会い。舞台となったのは、パリから一時間程で行ける距離にある小さな街・シャルトル(大聖堂で有名ですよね)。沢木さんは、現地に赴かれて街の様子や、関係者にまつわる逸話を取材されました。丸刈りの女性に抱かれた赤ちゃんの運命が気になって調べたところ、既にドイツのテレビ制作者が、ドキュメンタリー番組制作のため追跡調査を行なっていたそうです。「...赤ん坊は三ヶ月の女の子だったという。女性は家に戻ったあとで収容所に入れられ、シャルトルを十年間離れることになる。十年後にまた戻ってきたが、町の人に相手にされないまま四十代の半ばで死ぬ。その後、娘はパリに去ったが、いまでも『そのこと』についてはひとことも語ろうとしない、という。」(「文藝春秋」 2013年4月号、p. 239)同様の写真がこちらにもいくつか。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Bundesarchiv_Bild_146-1971-041-10,_Paris,_der_Kollaboration_beschuldigte_Franz%C3%B6sinnen.jpghttp://www.anorak.co.uk/358341/news/flashback/1944-in-photos-french-shave-heads-of-women-who-collaborated-with-the-germans.html/こちらの動画では、様々な思いを噛みしめている丸刈り女性達の表情が、よりはっきりとわかります。最後のカットでは、額にナチスの鉤十字を描かれた(?)女性も登場します。こちらは7分以上の長い動画。http://collections.ushmm.org/search/catalog/fv4292人間とは、どれだけ残酷で、卑劣で、そして哀しい生き物なのでしょうか。戦争一つが、どれだけ人類全体の魂に深い傷跡を残すのか、我々は二度の大戦を経てもまだ理解していないようです。私は、魂の輪廻転生を物心ついた頃から一貫して信じています。(読者の方に同意していただこうとは思いませんよ。何を信じるかは各人の自由ですもんね。)過去、このような屈辱的な体験をし、それに対して「自分にも非があった」と認めることができないまま恨みつらみを抱えて死んでいった人々は、今の世の中にも少なからず生まれ変わってきている。そう確信しています。既に魂の中に人間社会全体への恨みつらみを蓄積させている赤ん坊が、それを清め、浄化してくれるような親や、環境に恵まれないまま大きくなってしまうと、【自己愛人間】的な大人になるのではないでしょうかね。些細なきっかけで大爆発することで、自分をさんざんいたぶった人間社会に対し、復讐を果たす。しかも、自分が一体何に対して爆発しているのかは、本人も全く理解できていない...。そう思えてなりません。本人自身が、いつか、どこかで目覚めて、「このままではいけない。自分の生き方を変えねば。」と決心しない限り、原因不明の爆発を起こすことで恨みつらみを他人にぶつけていく、という負の行動パターンは止まらないでしょう。子供達にも、そうした恨みつらみが根っこにある生き方は受け継がれていってしまう可能性が大です。負の連鎖ですね。...あくまでも仮説、です。私にとっては納得が行く仮説、に過ぎませんがね。>そして悪い事をすれば潜在的に、、なのですが>私もびっくりしたのですがそうらしいのです!>凶悪犯でも自分は悪くないと思っていたとしても>潜在意識に刻まれて自分を好きになれず>自分を好きにはなれないから人も愛せず、>信頼出来ない人生を歩むのですあぁ、この「潜在意識」、スピリチュアル業界の人達がよく使う「アカシック・レコード」 という表現に置き換えてみたら、すんなりと理解できました。アカシック・レコードっていうのは、要するに、地球上の、ありとあらゆる人間の全ての過去世や、今生での行動や「魂の活動」(上のウィキペディア・リンク先の記事より)が記録されているという、巨大なデータベース...って言っちゃっていいのかな。ま、そういうことになっているらしいです。「魂の活動」が全て刻まれるのですから、実際にやった凶悪な行動、それから、「嫌いだ!」「ぶっ壊してやる!」「憎い!」といった負の感情を魂に刻んでいけば、それがどんどん「自分自身に関するデータ」とごちゃ混ぜになっていって、結果的にはどんどん黒ずんでいく。本来持っていたはずの「大好き!」「大事にしたい!」「幸せ!」という好感情だって、どす黒い感情と混ざることでどんどん汚染されていきますよね。だから、他の人にばかりでなく、自分自身に対してもそうした好感情を抱くことが難しくなってくる。...わかります。実に筋が通っていると思います、この説明。補足してくださってありがとうございました。今、私達にできることは、【他人の人生の負債の責任まで取る必要は無い。自分の人生だけに集中せよ。】これを肝に銘じて生きること、でしょう。つまり、仮に【自己愛人間】や、それに類するヴァンパイアさんたちが私達に向かって魂のゴミを投げようと、こちらに近付いて来たら、逃げる。爆発の被害が及ばないところまで、全力で。間違っても、「真心を尽くせばいつか相手を変えられるはず。」なんて勘違いしないことです。私のように、元々心理療法家/カウンセラーになりたい!なんて願望が強く、そういう思い上がった考えを抱きがちな人は、特に注意しなければいけません。「神様でもイエス様でも仏様でも大天使さまでも、このン十年間ずっと改心させられなかった」人なのです。そういう難物中の難物を、自分がしゃしゃり出て行ってどうにかしよう、なんて、それこそ傲慢の極地でしょう。(←これ、深い自戒の念を込めて書いています。自分は傲慢な人間だ、という事実を直視しながら。)無差別爆弾テロが今にも起きそうなとき、「私も力になれるかも...」なんて、警察の特殊部隊や爆発物処理班を差し置いて、いそいそと近付いていく人はいないですよね?それと同じで、内面に爆発物を秘めた人からはとにかく逃げることです。あなたの生活圏内に置くべき人ではありません。他にもっと付き合うべき人は、いますから。そして、安全なところまで逃げることに成功したら、自分の中にも、【自己愛人間】の双子的要素が無いかどうか、じっくりと内観する。彼らと同じで、どこか自分を「冷遇」(←思い込み、ですが。)する社会に対して、ひねた感情を抱いてはいないだろうか。「周囲が悪いんだ!」的な発想に陥っていないだろうか、と。自分の汚い部分、そう、【魂の暗闇】を直視するのって、苦しいですよね。しんどいですよね。でも、そこで安易な方へと逃げて「私には非は無い。悪いのは、あいつらだ!」と言ってしまったら、おしまいですよ。そう言った瞬間、「実は私は【自己愛人間】の双子でした」と認定することになりますから。【魂の暗闇】から逃げない。目を背けない。偽の人生へと逃げてはいかん。2013.03.08 の、直観養成クラスについての記事でも書いたこの一節、どうも私の今年のテーマみたいですね。今年だけでなく、来年、再来年...と、多分、死ぬまでずっと離れないテーマとなりそうです。また長くなっちゃいました~(汗)。不安定な気候、どうぞお元気で乗りきってくださいね。
2013.09.09
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flowergreen8さんへのお返事に刺激を受けての【後編】、続きます。前編は、こちら。>そして悪い事をした自分は好きになれないそうです>多分、その方も自分の事は根底からは>好きにななれないだろうな~=人にも愛されない>かわいそうだなと思いましたそうですね。本当におっしゃる通りだと思います。向ける対象が誰であろうと、嫌いだ!憎たらしい!ぶっ壊したい!という気持ちを溜め込んでいる、ってことは、猛毒を排出せずにずっとお腹の中に抱え込んでいるようなものですからね。そういう人って、外から見ても異様な雰囲気を放っていると思います。そこそこ健全な人々に囲まれている、まぁ健全な心の持ち主ならば、内側で何かがくすぶっていてあぶない感じのする人には、普通近付いていきませんよね。牙をむき出しにして「ウゥゥゥ~~~ッ。」ってうなっている状態の犬には近付いていかないように。「あ、あの人、ちょっとやばいかも。」と、早めに気が付くだけの健全さを持った人が多い環境だと、毒抱えちゃっているご本人は誰とも近しい関係にならず、自然と孤立するようになります。そうなると、鬱憤晴らしをする相手がいない、ってことで、ますます毒素が自分の中にたまってきて、やりきれない状態になってくる。仕方が無いので、「狙いやすくって、壊してスッキリ気分になれるような、手頃なカモ」をわざわざ自分から出掛けて行き、あらゆるテクニックを駆使しながら捕獲する必要が出てくるわけです。さて。現在では、ほぼ、「完治」したと思っていますが、たった一つ、気になっている後遺症があります。あれ以降、日本人学校に出入りするお母さん方に対しては、完全に心を閉ざす癖がついてしまいました。できれば、一切係わり合いになりたくない。こっちに来ないで。親切そうな人が向こうから話しかけて来ても、反射的に身構えてしまいます。この人も裏に魂胆があって、後で豹変するんじゃないか、って、自分の判断に自信が持てなくなってしまったんですね。「親切そのものに見えた人」の仮面を見破ることに失敗してしまった、という挫折感。そう簡単にはなくなりません。自分の奥から「この人だったら大丈夫じゃないの?」とささやく声が聞こえて来ることは来るのですが、それでも、どうしてもよそよそしい態度に出てしまう。日本人女性が集まる場からは、どうしても遠のいてしまう。狭い海外の日本人社会、特に女同士のつながりなんて、裏で誰と誰がどういう風に通じていて、また、作り笑顔の裏で一体どんな陰口叩いているもんだか、全くわかったもんじゃない。だから、アメリカ人やその他外国の人たちと話す方がずっと楽だし、くつろげます。言葉や出身地が違うと、趣味や関心の似た人たちとしか長話はできませんしね。根強い人間不信。これが【自己愛人間】が残していった中で、一番厄介な置き土産ですね。インターネットで同じような体験をなさった方々の話を読むと、「あぁ、他のみんなもやっぱり同じなんだな。」と安心させられます。でも、いつまでもそうした人間不信を理由に、引きこもってばかりいるわけにはいきません。つい先日も、そうした私のつれない態度に悲しい思いをされた(と、明言されたわけではないのですが...)ある日本人のお母さんから、「最後に会って直接お話ししたかった。」というメールをいただきましてね。現在、闘病中とのこと。病変が急で、こちらも知らなかったこととはいえ、びっくりしました。近い将来、場を設けてゆっくりと会いましょう、ということにはなりましたけど。辛いのは自分だけではなかったのだ。まだまだ自分よりも辛い思いをしている人は、たくさんいる。もしこんな自分でも、誰かの役に立てるのであれば、ぜひ役に立ちたい。そして、少しでも励まし合い、笑い合い、お互いのくさくさ気分を吹き飛ばして明るく元気に生きなければ。家族や、大切な人々のために。何よりも、自分のために。深く考えさせられました。陳腐な言い方ですが、「人は人によって癒される」。これは真実です。少しずつ、恐怖心を乗り越えて、外へと出て行かないといけませんね。自分に出す処方箋としては、こんなところでしょうか。★ 人とは時間をかけて距離を詰める。特に、陰でどんな悪口叩いているか、誰がどこでどうつながっているかわからない日本人母親社会では、人付き合いを腹三分程度にとどめておく。腹三分のチラ見せでも気にせず、態度を変えないような人ならば、少しず~つ、時間をかけてお互いを知るようにする。その過程で脱落していくような人とは、所詮それまでの間柄。去るものは追わず。人間関係に関しては、断然、「量より質」です。★ 子供の学校で自分の友達を探そうだなんて、絶対に期待しないこと。(万が一見つかったら、それは宝くじ当選並みのラッキー!と解釈する。可能性ゼロ、じゃないですよね。)これはよく聞く話です。大人と大人の会話がポンポン弾まない人、「子供」をネタにしての話ばっかりになってしまう人とは、長続きしません。「知り合い」程度の人ですから、べらべらとしゃべり過ぎないで、さっさと帰ってきましょう。★ 自然と対話する時間を大切にする。 動物、植物、(信頼できる)人間。あらゆる生命からのサポートを受け入れる。私の場合は、いつも変わらぬ愛いっぱいの態度で接してくれる、二匹の愛犬と森や野原といった自然の中を歩くことかな。「犬」の姿をまとった、愛情いっぱいの天使ちゃんたちが傍にいてくれたおかげで、この3年間はどれ程慰められたかわかりません。動物たちが私達のためにしてくれていることって、絶好調!と感じ、人付き合いで忙しく外を飛び回っている時にはついつい忘れがちなんですよね。あのような苦い体験をしたおかげで、身近にあった大きな愛と献身とに気付くことができた。それを学べただけでも、今回の一件には意味があった、と言えるかもしれません。flowergreen8さんへのお返事という形で始めながら、またもや、便乗してぐだぐだと吐いてしまって。すみません。でも、こうして書いて、見つめること自体(と、日々のヨガ!)が私にとっては何より効き目のある心理療法なんですよね~。ここまで辛抱強く読んでくださった少数派の皆様、ありがとうございました。最近、近くの本屋の店頭で見つけた一冊です。【送料無料】ささいなことで傷つかない人の人間関係 [ 加藤諦三 ]【自己愛人間】との接触で受けたショックからまだ十分に立ち直っていない、「あいつのせいでこんなひどい思いを...」「悪いのは全てあいつだ!」の段階にある方には、はっきり言ってお勧めできません。加藤諦三さんは、長年、ニッポン放送の人生相談を担当されている方だけあって、日本人ならば「あるある、こういうシチュエーション。」「いるいる、こういう人。」と感じるような事例の使い方がとてもお上手です。半分近くまで読んできましたが、主張されている事の大筋には私も同意できます。ただ、この本は、ある程度底を打った、と自覚している【回復期】にある方向けという気がしますね。「どうしてあんな理不尽な目に...」「あいつのせいで...」という傷が生々しい段階にある方が読んでも、冷静な気持ちではいられないでしょう。まず、ご自分が【自己愛人間】から奇襲攻撃を受けて、どれ程自尊心が傷付けられたか、そこんところをしっかりと見つめる必要があります。これは経験者としての意見です。そうして「絶望と落ち込みのどん底」から逃げないで、「どん底」を這いつくばっているうちに、相手の卑怯さへの怒りがふつふつと湧き上がってくると思うんですよ。その「怒り」、抑えこんではいけません。日記に書きなぐるとか、無料ブログサービスなどで匿名で書きまくるとか(公開・非公開はお好きなように。)、セラピストに聞いてもらうとか、とにかく、自分の中から出すことを最優先してください。抑え込んでいた怒りを言葉にし、何度も読み直し、「あぁ、自分はずっと怒りたかったんだな。ブスリと心を一刺しされて、そのまま逃げられたことに対して、本当に怒っていたんだな。」とすっきり認められるはず。その時、どん底から再び這い上がって、光の方へと力強く上昇していくためのパワーが出てくることに気付くことでしょう。そう、一度本気で怒るってプロセスを経ないと、そのパワーに出会うことはできないんです。この手の陽気なバカロックを大声で歌うっていうのもいいですね!ここまで来たら、後はひたすら上へと上がるのみ。暗闇しか無かった深い深い海の底から離れ、光の方向へ、上へ上へと泳いでいくうちに、だんだんこれまで体験したことの全体像が見えてきます。確かに、自分は深く傷ついた。あまりにもおめでたい世界観のおかげで、痛い目にあった。でも、傷つくことでしかつかめない智恵というものが、この世には存在している。ハッピー★ゴー★ラッキー!!!なだけの毎日からは決して学べない智恵というものが、あった。もうどん底へは戻りたくないですよね。だから、光へ向かって力強く泳ぎ続けていきましょう。そして、助けが必要と感じた時には、どうか、すぐにためらうことなく他人の助けを借りてください。信頼できる友人。病院の先生。プロの心理療法家。インターネットのサポートグループ。溺れる前に、誰かの差し出すロープをつかんでください。でないと、【自己愛人間】の放った毒気が全身に回って、そのままどん底で息絶えることとなりますよ。そんな悲しい運命に自分を委ねないでください。相談に乗れることがあったら、こちらに書き込んでくださってもいいですし、もし、人に見られるのが嫌だったらいつでも気軽にメールをください。アドレスは左上にあります。会ったことはないあなたのこと、私も微力ながら応援しています。
2013.09.08
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2013.08.16の記事 にflowergreen8さんが寄せてくださったコメント。読んでいて、「おぉ!」と、改めて気付かされ、そしてこちらの心に響くお言葉が多かったので、改めてこちらの記事面でお返事させていただくことにしました。(コメントだと、2000字までという字数制限もありますしね。)【自己愛人間】と関わって似たような経験をされた方、もしくは、その寸前まで行きそうになっている方が、偶然こちらのブログに来てくださり、私や(先日コメントしてくださった)ayafuyaさん、そしてflowergreen8さんの言葉からヒントを得て、速やかにダメージから回復されることとなれば、これ程嬉しいことはありません。>とてつもなく、、恐ろしい経験をされたのですね~>読んでいてヒーッ!(怖)と声を上げるほどでした。。>しかもピラミッドの上層階にいらっしゃるような方ですよね。>(語弊があるので少し比喩ってます)ありがとうございます。まぁ、私の場合、一緒に暮らしたり、結婚したりといった密な関係ではなかったため、致命傷にならずに済んだんですけどね。世の中にはもっと辛い思いをされている方がたくさんいることも、よく承知しております。えぇっと、まず、「何、これ!? こんなタイプの人、生まれてこの方見たことない!(驚愕!!!)」という衝撃が物凄かったんですよね。ブルーシャ西村さんのブログ でも何度かコメント書かせていただいたのですが、それ以前の人間関係では、バンカラ気質というか、あまり女オンナしてはいないけれど、他者を思いやり、ユーモアを忘れず、前向きに生きる...といった感じの人々に恵まれてきました。ブルーシャさんの表現をお借りするならば、【花園】に暮らしていました。あの女性と知り合ってからの約1年半。控えめで働き者で、ボランティア活動にも熱心に参加し、「子供思いの良妻賢母」そのもの、ってなイメージを一貫して保っていた人だったのに、突然態度が激変。そして、煮えたぎって抑えきれなくなったすさまじい怒りと憎しみとを、私に向かってダイレクトにぶつけてきたのでした。あそこまで破壊的なエネルギーって、心理療法のプロや精神科の医療に携わる方でもない限り、素人だとそうそうお目にかかれるもんじゃない、と、思いますよ。flowergreen8さんのおっしゃる通り、「ピラミッドの上層階」から来た人だったに違いない、という気がしています。この大爆発、【自己愛憤怒(英語:narcissistic rage)】という専門的な呼び方があったんですね。つい最近知りました。ウィキペディアの説明です。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E6%84%9B%E6%86%A4%E6%80%92あの瞬間、それまでの自分の「自分って、まぁまぁ人を見る目があるよね。」という、(今にして思えば)思い上がりというか、自信が、根こそぎひっくり返されて、木っ端微塵になりました。これが、衝撃の第一波。さらなる衝撃の第二波は、その大爆発の後、何ヶ月もかけてじわじわと押し寄せてきました。大爆発から一週間程経ったある日。向こうがこちらのことをどう思っていようと、一応、ご近所さんで、子供が通う学校の保護者同士であることに変わりはないので、道でバッタリ出会ってしまった時に「こんにちは。」と、5m程先から挨拶をしたのです。そういうオープンな姿勢をこちらが見せ続けていれば、いつかほとぼりが冷めた頃、「あの時は言い過ぎた。今度、落ち着いてまた話をしましょう。」なんて殊勝な言葉の一つや二つを引き出せるかもなぁ~、なんて期待がどこかにあったんですね。全く、しょーもない甘ちゃんでしたよ。(だって、近所で鉢合わせする度に、スーパーで買い物する度に、子供の学校ですれ違う度に、いちいちいや~な気持ちにさせられるなんて、勘弁してくれよぉ全くもう!!!です。しこりとストレスだらけの日常生活なんて、誰だって嫌ですよ。改善できるものならばそれに越したことないですから。)それに対しての、彼女の反応が想像を絶するものでした。「余は非常に不愉快であるっ!」と叫ばんばかりのすっごいふくれっ面でもって、上体は踏ん反りかえったまま、首部分だけをブィン、と、乱暴に一振り。こっちの方には視線すら向けませんでした。もちろん、一言も発することなく。...何、これ。40近い、いい年した大人の、しかも「人の子の親」である大人が取る態度かねっ、これが!?一度「グシャッ!」と壊した水たまりの氷ですから、あちらさんにとって私は、もう用の無い「ゴミ屑」扱い。無視しようが、挨拶をスルーしようが、視線そらして「気付いていないフリ」しようが、所詮「ゴミ屑」なのですから、アフターケアなんて一切無用、ってわけです。そう、「捨ててヨシ!」(笑)。目の前で爆発された衝撃よりも、こちらの方がずっとこたえましたね。他者に対してこんなお粗末な態度しか取れない人と、1年半も付き合って、「友達」と思い込んでいたいた自分の見る目の無さが、ほとほと嫌になりました。いろいろなところで、「性格タイプがどーのこーの」だの、「健全な人になるためには...」などとエニアグラムや心理学の本から仕入れた知識を受け売りしては得意になっていた自分が、つくづく情けなくなりました。救いようのないバカだな、って、自分を罵り、さげすむ声が止まらなくなりました。それからの経緯は既に書いたことなので、省略します。ありがたいことに、全ては遠い過去のこととなりました。後遺症も、たった一つを除いては、ほぼ完治した...と、自信持って言えます。たった一つを除いては。それが何か、は、また後ほど。>その方の感想↓>心が貧しく、かわいそうですね。>人の薄氷割ったって爽快感はつかの間>そうゆう人は、>次はもっと大きな水溜りの薄氷を割りたくなるでしょうそうですよね。「グシャッ!」と割ったことで、鬱憤をぶちまけられて短期的には楽になるかもしれません。でも、いずれまた鬱憤は心の奥でフツフツと煮えたぎってくることになると思います。アルコールに溺れた人が、ビールとか、カクテルとか、そういう軽いお酒ではだんだん物足りなくなってしまい、どんどん強いお酒をあおらずにはいられなくなるのと、仕組みは一緒ですよね。強いお酒と一緒で、その方が痛めつけているのは、最終的には他の誰でもない、自分自身のたましい...なのだと思います。それに気付かない限り、ずっと同じようなパターンを繰り返し続けるのでしょうね。>ご存知だと思いますが、心理学で>悪い事をすれば潜在意識に"悪い事をした"と刻み込まれるのだそうで>自分は悪くない。と思っていたとしても>負い目を背負っていくのだそうですその「悪い事をすれば潜在意識に...」という部分、初めて聞きました。教えてくださってありがとうございます。とても興味深いです。「神様は見ていらっしゃる」といった昔からの教えは、こういう角度からも説明できるのですね!ここを読んで、ちょっと鳥肌立ちました。まさにシンクロニシティー!(←この言葉、最近では安っぽく使われ過ぎるので、意識して使うのを控えているんですが...。)シンクロニシティーと言えば、ポリス。【送料無料】シンクロニシティー [ ザ・ポリス ]ポリス、と言えば...湯川れい子先生による日本語歌詞の、これを聴いとかななきゃね!日本語を母国語とする者としては。(←何て強引な。)1:50からの「空しいものデヨ」という微笑ましい発音にご注目を!《春秋社》ジーン・シノダ・ボーレン 湯浅泰雄監訳 渡辺学ほか訳タオ心理学 ユングの共時性と自己性 【中古】afb(↑シンクロニシティーについて詳しく知りたい方、これは名著ですよ!一読の価値あり、と、自信を持っておすすめいたします!)つい先程聞いたポッドキャスト番組(Georgina Cannonという、カナダ人の前世退行催眠療法家がゲスト)で交わされていた会話と非常に近いものを感じましてね。「人間は、見たもの、聞いたもの全てを、自分の中に溜め込んでいく。だから、自らの力で浄化し、処理していかなければいけない。それを怠ると、後々問題が生じて、にっちもさっちも行かなくなってくる。」「心の中に何をしまっておくべきか。何を処分すべきか。それは、自分で決めて取捨選択していかねばなりません。」長くなってしまったので、【後編】、まだ続けます。
2013.09.08
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現在40代半ばの筆者・黒犬べーやんは、いわゆる「バブル世代」の最後の方に属します。中学生の頃、こんな歌が流行っていました。女性デュオ・あみんによる、「待つわ」。そのお一人は、現在もご活躍中のシンガーソングライター・岡村孝子さんです。当時、この曲を聞いても特に違和感は感じませんでした。切ないメロディーと、美しい女声ハーモニーが印象的で、「あぁ、これは売れるのも当然だな。」と思ったものです。今改めてこうして歌詞だけ読むと、実に湿っぽくて重たい...(さすが昭和)。私がこの歌の中の「あなた」(男性)だったら、正直、引くなぁ。黙って耐える、健気で一途な私!をアピールしてはいるけれど、彼女、実は夜な夜なロウソクの炎に向かって「さっさと振られろ~、一刻も早く振られちまえ~。」と呪文唱えてるんじゃないか。そんな疑念すら頭をよぎります。(岡村さん、ごめんなさい。)「いい子にして受け身で待ってさえいれば、魔法のような奇跡が起こり、いつか望みが叶う。」これは立派な「呪術的思考」(英語:magical thinking)でしょう。自分から行動起こして事態を変えるのではなく、ひたすら受け身で、待つ。で、「楽して夢見て、はい、実現!」って期待して、待つ。占いやおまじないの専門誌・マイバースディ読者の元・少女達や、最近では「引き寄せ信者」の一群も、この呪術的思考に乗っ取られやすい人々、ですよね。(アイタタタ…。)「呪術的思考」だと、さすがに字面が不気味ですので、今回は【魔女っ子思考】といった表現でキュートに行きます。魔法。魔法使い。魔女っ子。この手の言葉、昭和のある一時期、猛烈に流行っていました。ちょうど私の幼児期~小学校低学年と重なりますので、1970〜1975年頃になるでしょうか。当時は、再放送枠も含めると「魔法使いサリー」「魔女っ子メグちゃん」「魔法のマコちゃん」「魔法使いチャッピー」「ひみつのアッコちゃん」「ハクション大魔王」(←あ、これは違うか?)など、いわゆる「魔法(少女)モノ」が5、6種類はテレビで放映されていました。実写の「好き好き魔女先生」、洋モノで「奥様は魔女」もやはりこの時期の放映でしたね。あのー、いくら何でも多過ぎやしませんか?(チャッピーねぇ。ツインテールの髪型にバトンを持って赤い服着た子、という印象しか残ってないなぁ...)当時のマスメディアが執拗に「魔法少女モノ」ばかりゴリ押ししてきたのって、ひょっとしたら、年端の行かぬ少女達を早々と「洗脳」し、白痴化しようという意図があったんじゃ?って思えてならないんですが...。「さぁ、君たち女の子は、『魔法でラクして願いがかなっちゃう☆』という夢の世界で永遠に遊んでいるがいい。賢くなんてならなくていい。余計な知識なんて付けなくってもいい。おじさん達の言うこと黙って聞くんだ。従順にしてりゃ、悪いようにはしないから。」...なんてね。もちろん、番組のスポンサーである玩具メーカーからの猛プッシュが一番の理由でしょうけど。このように、子供達をすっかりとりこにした魔女っ子思考。その後、TVアニメ以外の分野へもどんどん広がっていきます。当時の小学生女子は、魔女っ子アニメを卒業すると「りぼん」「なかよし」といった、付録付き月刊まんが雑誌へと移っていったものです。中でも、常に高い人気を博していたのは、ハッピーエンドの、いわゆる「学園ラブコメ」といったジャンル。平凡で何の取り柄も無いドジっ子女子が、貴公子のようにかっこいい転校生の男の子に求愛され...というのが典型的な筋書き。ドジで、平凡で...っていうのがポイント。要は「お子様版・シンデレラ・ストーリー」です。大ヒット作「キャンディ・キャンディ」も、前半に限ればまさにそういう路線でしたっけ。そう。日本の少女マンガも、魔女っ子アニメも、元を辿ればすべて、「シンデレラ」「白雪姫」「眠れる森の美女」といった、西洋おとぎ話のお姫様ファンタジーへと行き着くんですよ。ヨーロッパのローカル伝承に過ぎなかったはずの物語が、ディズニーのアニメ映画化によって猛烈な速度で全世界へと波及していきました。日本の少女マンガも、韓ドラも、「ハーレクイン・ロマンス」も、全てはそうしたお姫様ファンタジーの変形に過ぎません。現代の少女達、そして元・少女達にとっては、こうしたお姫様物語こそが「神話」なんですね。覚えにくい名前の神様しか出てこないギリシャ・ローマの神話と比べたら、こっちの方がはるかに親しみやすく、かつ、感情移入し易いですもん。ところが、80年代の後半ともなると、他力本願で受け身なヒロイン全盛時代にも徐々に翳りが見え始めます。「受け身で、ただ控えめに待つだけの夢見る少女像」に飽き足らなくなった作り手が、逆の方向性を目指し始めたんですね。その代表格は、武内直子さんの「美少女戦士セーラームーン」。宮崎駿さんによる、「風の谷のナウシカ」。同じく、「千と千尋の神隠し」。いずれの作品にも、優しいだけでなく、強さと賢さとを併せ持った魅力的なヒロインが登場します。(つい先日、長編映画製作からの引退を発表した宮崎駿監督。ありがとう。本当にお疲れ様でした。監督の作品はこれからも世界中の人々に愛され続けることでしょう。)最近では、「他力本願で受け身なお姫様」を最大の売りにしていたディズニーですら、「黙って待っているだけの受け身で弱々しいお姫様は、もう要らない。」といったアメリカ人保護者たちの声に応え、強くて賢い、新時代にふさわしいヒロイン像・メリダを投入せざるを得なくなったみたいですね。2012年の作品、原題は【Brave】。アニメ・マンガのヒロイン像が時代によってどう変わっていったか、というテーマについては、きっと専門家の方々が多々論じていらっしゃるはず。門外漢は、この辺で口をつぐむとします。でも、よくよく考えてみると「白雪姫」も「眠れる森の美女」も、かなり奇妙な話じゃありませんか?森の奥、あるいは茨だらけの荒れ果てた古城の中で死体のように転がっている女性に、運命的な偶然でたまたまそこを通りかかった高貴な身分の美しい若君が近付き、やさしく接吻。魔法が解けて目を覚ました姫と、若君とはたちまち恋に落ち...。な〜んて不気味な話、現実にありっこないです。その若君が死体マニア(ネクロフィリア)の変態さんだった、なんてオチでも付かない限り。そうすれば、「おぉ!きれいな、状態のいいフレッシュな娘の死体がここに!(←げげげ。)」なんて興奮しながらチュッ♪チュッ♪してくれる、っていうのも不自然ではないですけれど。(こ、怖っ...。)一見、いい事だらけなファンタジーの世界。一皮剥けば、案外そこはエロ・グロ・邪悪に満ち満ちているのかもしれません...。【送料無料】大人もぞっとする初版『グリム童話』 [ 由良弥生 ]ただ、たとえ一時期の娯楽用はいえ、除菌済・消毒済のおめでたいマジカルファンタジーを子どもたちに与え、その世界へと引き入れてしまったからには、最後の最後まで面倒を見る必要があります。グロくて酷いこともある現実社会の方にも、ゆっくりと目を開かせてやる。現実を直視するにあたっての、心の準備を手伝ってあげる。こちらを忘れてはなりません。それが親や、先生といった立場にある大人の責任だと思います。たとえば、こんな具合に。「あのね、あれは、昔の人が子供に一時の夢を見せてあげようとしてこしらえた、作り話。ホンモノの世界では、いくら待ってたって王子様は来ないの。自分から歩いていって、何かきっかけを作らないと、待ってるだけで人生あっという間に終わってしまうよ。自分から行動起こして、賢い選択をして、目の前の現実を自力で一つ一つ変えていかなきゃね。来ないかもしれない王子様を待ち続けても仕方ない。あるかどうかもわからない魔法の力をあてにしたって、仕方ない。失敗しても、しんどくっても、いいじゃない。まずはやってみようよ。きっと後になればそうして良かった、って思えるから。怖がらなくても大丈夫。あなたならきっとできるよ!」何度も何度も、やさしく励ますような調子で応援の言葉を繰り返すのです。彼女たちが本来持っているような【自信】を、外部からの圧力という強風から守りつつ、大きく育てるための手伝いをしてあげるのです。そうして「周囲の大人たちにしっかり支えてもらった」との実感を得られた子供達なら、時機が来れば自分の翼を広げて、力強く羽ばたいていくに違いありません。でも、そうした機会に恵まれず、大人になってしまう人って、結構いるんですよね。残念ながら。それは、「失敗してもいいから、まず、自分の力でやってみなさい。」という励ましをもらって、自分の力で何事かを達成するという醍醐味を知らないまま、身体だけ大人になってしまった人達。子供時代の夢物語=魔女っ子思考が支配する世界から卒業できないまま、大きくなってしまった人々なんですね。頭の中はこんな独り言でいっぱいです。「いつか、松潤顔した王子様が・・・」「アイドル並に可愛くて俺の全てを受け入れてくれる癒し系の子が...」「精霊ジーニーのように、何でも願いをかなえてくれるお金持ちが...」「リモコン一つで自在に操れる、最強無敵の鉄人28号が・・」「実家が金持ちで、同期の出世頭No.1のエリート独身男性社員が...」「天才子役タレントとして大売れし、贅沢三昧の毎日を保証してくれるような子供が...」大人になっても、夢を一気にかなえる魔法の力=魔女っ子思考の甘い味を諦められなかった。青少年期の終わりと共に醒めなきゃいけない夢から、醒めるタイミングを逸してしまった。そういう人は、【隠れ自己愛人間(Covert narcissist)】という人種へと変貌する危険性・大です。次回こそ、こちらの本の中身に入りますね。(※楽天市場内での取り扱いが無かったため、Amazon.comの画像を拝借しました...。)
2013.09.04
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隠れ自己愛人間。英語だと、covert narcissist。(covert=隠れた、ひそかな)もしくは、closet narcissistか、stealth narcissist。(←レーダー等の探知機に引っ掛かりにくい「ステルス戦闘機」のstealthですね。)これだけ読んで、みなさん、すぐにイメージ湧きます?私、全くもって見当が付きませんでした。実はこれ、前回・前々回にご紹介したこちらの本で遭遇したフレーズなんですよ。結局、自分のことしか考えない人たち著者:サンディ・ホチキス価格:1,575円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見るこの本の30ページに、何の前触れもなく【隠れ自己愛】という表現がひょっこり出てきた時、「え~~~っ!? 自己愛を ☆隠す☆ だなんて、そんなの、有り得ないでしょ〜。(「宴会好きの人間嫌い」なんて人種が存在し得ないように...。)」と、しばし、戸惑いました。だって、自己愛人間(ナルシシスト)と言えば、【聞かれなくても、自ら進んで『私はすごい!』を周囲にアピールしたがる人】で決まり、でしょう!? 少なくとも、私はそう理解していましたけどね。しばらく前にこちらに書いた【女王様】シリーズも、そうした「逃げも隠れもしない」タイプの自己愛女性の像を念頭に置きながら書いたつもりです。従来型の自己愛人間さんたち。確かに傍迷惑な行動は多いものの、よく目立つ分、避けて通るのも簡単です。「あ、この人と関わったら厄介な事になるぞ。それ、逃げるが勝ちだ!」と、付き合いの浅い段階で気付き、早めに自衛策を立てられますからね。職場や家族などのしがらみ上、どうしても「切れない」「避けられない」場合(ご愁傷様です...)を除けば、毒気を浴びる前に逃げ切ることだって難しくはありません。このタイプは【顕示型】、英語だと、overt narcissist (overt=あからさまな、明白な)の自己愛人間、と呼ぶそうです。まだ数は多くありませんが、ネットで検索するとぼちぼち出てきますよ。素人ブロガーである私としては、一応、その分野の専門家の手によるしっかりした情報をご紹介するのが筋だと思いますので、おすすめサイトを一つ。自己愛性パーソナリティ障害の専門家である臨床心理学者・リンダ・マルティネス=レウィ博士のHP(英語)です。【隠れ自己愛人間】(covert narcissist)についての記事が特に充実しています。http://thenarcissistinyourlife.com/ここ数年、パーソナリティー障害の本や、それにひとひねり加えた一般向きの概説書(エモーショナル・ヴァンパイア・心の吸血鬼、エナジーヴァンパイア、サイキックヴァンパイア...など、呼び方は著者によりそれぞれですが。)も随分読みましたが、そこで話題となっているのは、もっぱら【顕示型自己愛人間】の方。そうした解説本のほとんどが「アメリカ人が書いた、アメリカ人読者向けの本」だ、っていう現状では、記述が【顕示型】にばかり偏るのも致し方ないと思いますね。アメリカ、特に戦勝国となり、「世界の学級委員長」としての地位を確立してからのアメリカは、誰が何と言おうと【外向きアピール自己愛人間】輩出率ナンバーワンの国。ハリウッドのエンタメ業界、プロスポーツの世界でどういう人材がもてはやされるのかを見れば、一目瞭然です。だから一般向きの概説書を書く場合も、数の上では圧倒的に多い【顕示型】についての記述が多くなるのでしょう。でも...。この著者のサンディ・ホチキスさん(Ph.D.を取られたのですから、ホチキス博士、と呼ぶべきですね。)だって、アメリカ人で、心理のプロとして長年活躍されている方...ですよね?ということは...単に私が知らなかっただけのようです(苦笑)。カウンセリングや心理療法など、臨床の現場にいる人々は、以前からこうした一群の人々の存在に気付いていたのでしょう。一度引っ掛かりを覚えてしまったからには、見過ごすわけにいきませんよ。もう少し詳しく調べるとしましょう。まずは、どういう文脈でホチキス博士がこの【隠れ自己愛人間】という表現を使っているか。上の本から引用します。「理想化された世界に依存する人たちがみな、自分を幻想の中心に据えたいわけではない。一部の人たちは脚光を浴びるのを極端に嫌い、他者が放つ威光の輝きに浴する。」「自分は、主役にならない。陰の存在に徹する。」これが【隠れ自己愛】タイプ最大の特徴です。自分マンセーのおめでたい脳内世界を現実世界でも再現したい、という点は、基本的に【外向きアピール】の自己愛人間と一緒なんですがね。でも、そうした本音部分は絶対表に出しません。徹底的に隠し通します。うっかりボロを出した現場を誰か(ごく親しい人限定)に目撃されない限り、外に漏れることはありません。【隠れ自己愛】さんたちは、最初に「輝いている誰かさん」を巧みに捕まえるか、自らの手で好み通りに育て上げる(←相手が子供の場合など)かします。なかなかのやり手なんですね。そして、捕獲した相手を自分の手足のように使い、彼らがすごい事を成し遂げるのを目の前で見届ける。ただ、「こんなすごい人と一緒にいる私は、何てすごい人間なんだ。」と、自分自身に酔いしれたいがために。「いわゆる『隠れ自己愛人間』は、自分が相手の自尊心をふくらませられる、その相手と結びついて、自分自身の誇大感ーーー自分は強大な力を持ち、何でも思い通りになるという感覚ーーーを維持する。」なるほど。つまり、【隠れ自己愛人間】は、正太郎少年がリモコンを手に入れて鉄人28号(ふ、古いよ...。)の偉大な力を自分の分身のように自由自在に操れるようになった、というあの万能感が病み付きになった人。あの快感が忘れられず、何度も同じパターンを繰り返す人々、ってことですね。(↑これは最近のリメイク版。声優さんの顔ぶれから判断して、2004年版かな?)「鉄人28号」は子供向けの作品ということもあり、正太郎少年が正義のために鉄人28号の力を使い、人類の平和に貢献。めでたしめでたし...とまとまるのですがね。この【隠れ自己愛】さんたちの場合、強大な力を備えた(と、彼らが値踏みした。)相手をGETして関係を結び、影の黒幕として相手を「使う」わけですが、それは全て「自分の利益のため」。つかまえた相手が幸せになろうがなるまいが、はたまた辛い思いをしようがしまいが、そんなことどうでもいいのです。単なる「玉の輿願望の強い人」と「自己愛人間」とを見分けるカギは、その辺にあるでしょうね。相手にも、自分同様幸せになってもらいたい、という気持ちがあるかどうかーーー。この気持ちが欠落している人とは、「知人止まり」にしておくのが無難でしょうね。←余計なお世話。「彼らはお世辞の達人であり、忠実な恋人や友人となるーーーだがそれも、理由が何であれ、選んだ相手が特別だという錯覚が支えきれるあいだだけだ。錯覚が支えきれなくなれば、前触れもなく相手への称賛は消滅し、新たな崇拝の対象へと移る。」(以上、「結局、自分のことしか考えない人たち」 サンディ・ホチキス著、草思社、2009年、p.30)それまで「あなたは素晴らしい!」「君が世界一!」と散々褒めちぎり、多大な時間と労力を投資してきた相手でも、一度幻滅を味わってしまったら、ハイ、それまで。見限って、捨てて、別の相手へと心を移すのなんてあっという間です。で、【隠れ自己愛人間】から突然「捨てられた」方の相手は、一体何が起こったのかわけがわからず、いきなり奈落の底へと突き落とされたような衝撃を味わう。その結果、深刻な人間不信に陥り、長期間にわたって苦しむことも珍しくない...と。(そのような体験をされた方、本当にお気の毒でした。心中、お察し申し上げます。ゆっくり養生して傷を癒してくださいね。)さて、話を戻しましょうか。サンディ・ホチキスさんの本には、他にも【隠れ自己愛人間】についてこんな記述が。「隠れ型は、理想化できる相手を触手を延ばして探る控えめなタイプだ。彼らは自分の自尊心を保つために恋愛対象を崇拝しなければならない。というのも、もし相手が素晴らしく、その相手をものにできたなら、自分の不安がきれいに消え去るからだ。(前掲書、p.169)あらまぁ。自分の不安をきれいに消して欲しいから、そのために誰かをGETして、ダーティーワークをやらせる、ってわけですか。自分の心の闇に向き合いたくなくって、他人を巻き込むだなんて、たまりませんね。相手は汚物処理係じゃないんですから。嫉妬心からムシャクシャしたり、自尊心がぐらついても心がもやもやした時は、一人で山にでも登るか、海岸沿いのハイウェイをドライブしながら大声で叫ぶかなどして、何とか自家処理してもらいたいもんです。...まぁね、それができないから、何度も何度も懲りずに周囲を巻き込んでトラブル起こしているんでしょうけど...。結局、見かけはどうあれ、「自分ってすご〜い!」を外向きにアピールする【従来型】の自己愛人間と、その根本をたどれば同じ問題にぶち当たるんですよ。「自分の闇部分なんて、見たくない。」っていう、逃げ腰な生き方に。さて。ここまで読んでくだされば、【隠れ自己愛人間】の恋愛・結婚パターンについておおむね理解していただけたのではないでしょうか。でもね、私、ふと思ったんですよ。「いや、恋愛ドラマだけが【隠れ自己愛人間】の棲息地ってことはあるまい。『俺様男』『女王様』みたいに、典型的なパターンがいくつかあるはずだ。」って。いい本を見つけましたよ。次回から少しずつご紹介していきますね。
2013.08.25
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前編はこちらです。『健康な自己愛は真の自尊心の上に成り立つが、概して自己愛人間(ナルシシスト)にはそれが欠けている。』 結局、自分のことしか考えない人たち著者:サンディ・ホチキス価格:1,575円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見るここでようやく目が覚めました。人生の折り返し地点とも言うべき四十代前半になるまで、健全な自己愛、そしてその基盤となる【真の自尊心】を十分に築き上げて来なかった。直視し辛いこの事実に。しかも、自己愛人間(ナルシシスト)と自分とが、意外に近い立ち位置にあったとは。やれやれ。いえ、別に自尊心の問題から逃げてはいませんよ。そこは真性自己愛人間さんたちと違います。20代の頃はアダルト・チルドレンや機能不全家族に関する本を読み漁っていました。その時から「低い自尊心はダメだ。」と、頭では理解していたつもりです...頭では。特にこの二冊には慰められました。【1000円以上送料無料】アダルト・チャイルドが自分と向きあう本/アスク・ヒューマン・ケア研修相談室【RCP】【送料無料】 才能ある子のドラマ 真の自己を求めて 新版 / アリス・ミラー 【単行本】結婚し、子供が生まれ、日常の雑事や育児に時間に翻弄されてしまうと、自分の内面の課題なんてどっかに行ってしまうんですよ。サボるつもりは無かったんですがね。でも、結果として【魂との対話】が疎かになっていました。自分自身という存在を慈しむ、ということも。そんな時、目の前に現れたのが、例の人。わざわざ車を路肩に寄せ、犬を散歩させていた私に向かって、窓から「こんにちは。」と声を掛けて来ました。(←はっ。私、少し前に「(この人の話は)もうこれでおしまいにします。」と書いたのに。早々と前言撤回です。まっ、いいか!)引っ越して来たばかりで、顔見知りもほとんどいなかった頃。「お友達候補」として向こうから指名してくれた、という喜びで、有頂天になったのでしょう。「どうぞどうぞ、お上がりください。今、ごちそう用意しますから!」ってな感じで、相手の素性も、動機も、何一つ疑うことなく奥の間へと招き入れていたように思います。待望のソウルメイトが来た!にも似た、軽い興奮状態にあったのかもしれません。...全く、どこまで心が「貧乏性」だったんだろう、自分(苦笑)。「子供同士の年が近い、近所の日本人ママ」。それ以上でも、以下でもなかった人でした。出身地や子供の習い事など、いくつか共通点はあったものの、今思えば「だからどうした」という程度。もっと時間をかけて人となりを観察し、「知人」止まりとするか、「友達」とみなすかの判定を下すべきでした。この方、熱心に話に聞き入るフリをしつつ、実は【黒犬べーやんが隠そうとしている、心の古傷】の場所を必死に探していたのです。「どこを一撃すれば、コイツは一番ダメージを受けてへこむだろう?」を突き止めたくって、仕方がなかった。こちらがどういう人間で、何に興味あるかなんて、どーでも良かったわけで。...はぁ、アホらし。そういう人物であったにも関わらず、「好かれ、信頼され、必要とされている。」と信じ込んだ自分。まぁ、彼女、「私は善人!」という自己演出も実に巧妙だったし、出会った最初の頃に「意地悪な人々に責められたかわいそうな私」の話も涙浮かべて披露していたし(←これ、自己愛女性の得意芸らしいです!)、世間知らずの私がコロリと引っ掛かったのもやむなし、なのかもしれません。プロ中のプロなら、素人騙すのなんて簡単ですよね。ある朝、その人から「今日、時間ありますか?」との電話。長めのランチを済ませ、子供が学校から戻るまでの間、他愛の無い話をしていたところ、「その瞬間」がやって来ました。数時間前には「仲の良い友達」を装って「会いたい」と言ってきた人が、一瞬にして豹変。正義の鉄槌を手にした聖女、とでも言わんばかりの顔をして、こちらの弱いところを叩きのめしにかかってきました。怒りを爆発させながら。しかも、その後、極力大人として友好的に接しようとする当方の努力も虚しく、返って来たのは派手なふくれっ面や、あからさまな無視。関係修復なんて望んでいないようでした。要するに、あの日私は「使い捨てられた」のです。あちらさんのお誘いにきっぱりと「ノー」で返すような、そんな使えない奴なんて「ゴミ屑同然、捨ててヨシ。」ってこと。それ以前にも脆弱で頼りなかった私の自尊心。たちまち粉々に砕け散りました。あれから3年近く。今なら冷静に全体を俯瞰できます。【ほぼ常時低空飛行】だった自分の自尊心が、ああいうタイプの人間をおびき寄せた。それは間違い無いでしょう。ゆえに、相手を責めるだけでは何一つ解決しません。【真の自尊心】が足りない、という根深い自分の病を治さない限り、何度も似たような試練が来るはずです。自己愛人間。直接体験したことのない人にとっては、「ああ、単に自分の外見に見とれるナルシーな奴?」程度の認識でしょう。私も、かつてはそうでした。でも、「知らない」 イコール 「存在しない」 と早合点するのは危険です。悪意を持った自己愛人間は、現にいます。 絶対に。「善意そのもの」「魅力そのもの」「謙虚そのもの」といった種々の仮面をうまく使い分けながら、今日もカモを物色中。「いじりがいがある古傷を持った奴はいないかな。」「次は誰をこき下ろして、その鼻をへし折ろうかな。」と、最高にスリリングで甘美な計画を練りながら。人の不幸は蜜の味...ですから。子供の頃、水たまりに張った薄氷にジャンプして、「ぐしゃっ!」という感触を楽しんだことはありませんか?温暖化が一向に止まらない最近の日本(関東地方)では、冬の薄氷も珍しい光景となったようですが...。どうせやるからには、直径20センチとかの小物ではなく、直径1メートルぐらいの大物を狙いたいもの。その方が、音も、感触も、威勢が良くって割りごたえがありますからね。一発で割れる程度に薄く、そこそこの達成感を味わえる程度に大型で、体重を載せた瞬間「ぐしゃっ!」と、派手に音が出る氷。どこにあるかな。...あ、見つけた。せーのっ!(跳躍)「ぐしゃっ!」大きな音を立てて、目の前の氷が粉々になればなるほど、愉快、痛快、気分は爽快。割れた氷にはもう用はありません。さっさと別の氷を探しに行きます。自己愛人間にとって、カモとなる人間はそうした水たまりに張った薄氷のような存在に過ぎません。「ぐしゃっ!」と踏み付け、ひびが入り、粉々に割れるさまを見て楽しむ。割れたら、「さ、次。」とまた新たな標的を探しに行く。誰だってあの人達にカモられるのはご免ですよね。だったら、これまでの人生で築き損ねた【自尊心】という積み木の塔を一ピース、また一ピース...という具合に地道に積み上げていく。それが最良の自衛策です。孤独でしんどい作業ですが、続けていればいつかきっと希望の光が見えてきます。最後に一つだけ。結局、自己愛人間も、低自尊心人間も、【自分はつまらない人間。】という呪いに、人生を狂わされている点では同じです。違いといえば、自己愛人間が「ほらっ!私って、こんなにスゴイんだから!」と、強引な外向きアピールにばかり走り、結果的に他人を粗末に扱うのに対し、低自尊心人間は「全くその通り。自分はやっぱりつまらない人間だ。」という呪いにかかり、完全に洗脳され、自分を粗末に扱い過ぎること。自己愛人間と、低自尊心人間。両者は、同じ母親から生まれ、生後間もなく離れ離れになってしまった双子のようなものかもしれません。
2013.08.16
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日本への里帰りも残り数日、となったある日。某古書店にてこちらの本に出会いました。800円ねぇ。古本にしてはちょっと高いな、と一瞬躊躇したのですが、「これはどうしても買わなきゃ...」という内面の声に促され、即、レジへ。結局、自分のことしか考えない人たち著者:サンディ・ホチキス価格:1,575円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見るここ数年、エモーショナル・ヴァンパイア(心の吸血鬼)や、パーソナリティ障害といった「あなたの隣の困った人々」について、いろいろな本を読み漁ってきました。「サンディ・ホチキス(Sandy Hotchkiss)」という著者名も、頭の片隅に引っ掛かっていたんですよね。こちらがその英語版 'Why Is It Always about You?: The Seven Deadly Sins of Narcissism" です。日本語版の副題にある「自己愛人間とどうつきあえばいいのか」の、この「自己愛人間」。少し前のシリーズ記事【女王様教】をお読みくださった方々には、改めて繰り返す必要は無いでしょうが...一応、おさらいしておきましょうか。【いつだって可愛いのは自分だけ。自分が一番!でないと気が済まない。お互いを支えあい、励まし合う人間関係とは無縁。常に自分がワンランク上で、他人が下。だから、たった一人で孤独に生きていくことには耐えられない。素敵な自分を絶え間なく褒めて称えてくれる誰かがいないと、ダメなのだ。ストレスへの耐性が弱い彼らは、八つ当たり的に毒のあるセリフを吐いたり、破壊的な行動に出たりすることがある。それにより傷付くのは、彼ら本人ではなく、丸腰で接してきた周囲の人々の方。】自己愛人間と関わり、痛い目にあった人々の体験談は、読売新聞の「発言小町」で読むことができます。レス数が500を超えるという長大なスレッドですが、被害状況の生々しいエピソード、そしてそれらに対するコメントも真面目に書かれたものが多く、非常に読み応えがあります。「自己愛性人格障害者の被害に遭った方、教えてください。」http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2009/0621/246924.htm?o=0&p=0さて、本題の「結局、自分のことしか...」に話を戻しましょう。著者・サンディ・ホチキス女史は、カリフォルニア州公認臨床ソーシャルワーカー(Licenced Clinical Social Worker[注])として、個人のクライアントを相手に心理療法・カウンセリングを行う、心の専門家です。2008年にはNewport Psychoanalitic Instituteというフロイト派・新フロイト派といった精神分析(psychoanalysis)の流れを汲む大学院大学(米カリフォルニア州)にて、心理学博士(PsyD)号も取得されたようですね。[注:アメリカでは、心理学で修士号・博士号を取得する以外に、臨床ソーシャルワーカーで修士号を取得し、心理療法家として独立開業、というコースも一般的です。私見ですが、ソーシャルワーク専攻出身の専門家には、夫婦・家族間のカウンセリングや、依存症克服、虐待によるトラウマからの回復といった領域を手がける人が多いように思います。〕この本一番の目玉となるのは、原題にもあるように、自己愛人間が犯す【七つの大罪】を詳しく分析した部分。以下、二重カギカッコ(『』)内の文章はすべて「結局、自分のことしか考えない人たち」 サンディ・ホチキス 著、江口泰子 訳、草思社、2009年からの引用です。【自己愛人間の七つの大罪】1. 恥を知らない「恥ずかしい」「みじめ」という感情を自分の中で健全に処理できない。なので、そういった境遇に陥ることを徹底的に避ける。2. つねに歪曲し、幻想をつくりだす何が何でも「恥」を避けたいと思うあまり、本人にしかわからない「脳内俺様伝説」「脳内あたくし伝説」を作り上げる。その伝説が揺らぎそうになると、すかさず別の人を攻撃してモヤモヤ解消。(鏡の中の自分にうっとり〜。ワンちゃんなら許せます。)3. 傲慢な態度で見下す自分の優越性を脅かすような人は「あぁ、あんなの雑魚だから。」 「あんなの大したことない。私の方がすごいんだから。」と一蹴。4. ねたみの対象をこき下ろす『ねたみは、最善の防御が攻撃だと直観的に知っている。』 (p.41)『だが、自己愛人間のねたみは、優越感を得たいというせっぱつまった要求によって増幅され、ずっと濃い闇をはらんでいる。彼らの心にうごめく他の感情同様、ねたみもまた意識されないか否認されて危険度を増す。』 (p.42)...自己愛人間が自分の闇から目を背ければ背ける程、他人への攻撃が激化するのですね。おぉ、こわっ。5. つねに特別扱いを求める『重要なのは自分の気持ちと要求だけ。欲しいものは何でも手にいれられて当然」『相互関係や助けあいにはまったく無縁。なぜなら彼らにとって他者はただ、自分に同意し、自分に従い、自分をほめそやし、自分を慰めるために存在する(...)。』『わたしの要求に応えられないならあなたに価値はなく、それ相応に扱うし、わたしの意向に逆らうのなら、わたしの憤怒を覚悟しなさい。』『要求を拒まれた自己愛人間ほど恐ろしいものはない。』 (以上、すべてp.44)6.他人を平気で利用する怒りや攻撃性を爆発させるのは、他者の気持ちや欲求を汲み取ったり、共感したりする能力を十分に育てられなかったことに起因する。だから、他人を搾取しても良心の呵責を覚えることはない。『情緒の発達にかんしていえば、彼らは一、二歳児の発達段階に固着している。』(p.49)7, 相手を自分の一部とみなす人には誰でも「ここから先は進入禁止」という心理的・物理的な境界線(バウンダリー)があるものだが、自己愛人間にはそれがわからない。境界線をずかずかと踏みにじり、入って欲しくないところへと入ってくる。「他人は、別個の人格や価値観を持つ、独立した存在として尊重されねばならない。」という基本的なマナーが自己愛人間には、理解できない。ホチキスさんによると、【自己愛人間(ナルシシスト)】一番の特徴とは「健康な自己愛の欠如」だそうです。彼女自身に詳しく説明してもらいましょう。『健康な自己愛は、幼少期に芽生え、精神的に豊かで生産的な成人期に満開を迎える。健康な自己愛があってこそ、わたしたちは自分自身や自己の欠点を笑いとばしたり、内面を深く探って独自のものを創造したり、この世に優れた足跡を残したりできる。』そうか。自虐ネタで笑いを取り、周囲の空気を和ませるのって、健康な自己愛を備えた人ならではの「高等技術」なんですね。ま、度を超えると悪趣味になりますが。人間関係の潤滑油として時々使う程度ならばOkでしょう。『健康な自己愛とは、あらゆる感情を感じられ、他者の感情も共感できる能力であり、夢見る力をもち続けながら現実と幻想を区別する知恵であり、激しい自信喪失に陥らずに夢の実現を積極的に追い求めて楽しむ才能である。』感情豊かで人の気持ちに寄り添える。それが大人。でも、大人になる、イコール 夢を諦める、とはなりません。成熟した大人なら、「目の前の現実に合わせて、上手に夢の形を変えられる」はず。そういう人の視線は常に「現在」」「現実」へと据えられています。美化された過去や、はるか彼方の未来へと逃避したりはしません。例えば、ロックの世界でビッグになりたい!という大望を抱いていたギター少年がいたとしましょう。バンド活動に明け暮れていた彼も大学生となり、迷いながらの就職活動を経た後、そこそこ満足できるような職場に無事収まると「まぁ、いっか。」と、いつしか音楽から遠ざかってしまいます。でも、社会人として余裕が出てくると、「やっぱり俺は音楽が好きだ!」と、かつての情熱がムクムクと復活。売れようが売れまいが関係ないさ、と、吹っ切れたところで仲間を募り、オヤジバンドを結成。週末にライブハウスなどで公演を重ねるうちに、地元ではちょっとした有名人となる。そのうち、CDデビューの話も来るかもしれません。こういう「日々の現実を大切にし、あるがままを受け入れ、最大限に活かす」という生き方とは対極にあるのが、自己愛人間(ナルシシスト)なんですね。何歳になっても、現実がどうだろうと、過去の体験に基づく「脳内俺様伝説」「脳内あたくし伝説」にひたすら固執し続ける。哀れさを通り越して滑稽にすら見えます。『健康な自己愛は真の自尊心の上に成り立つが、概して自己愛人間(ナルシシスト)にはそれが欠けている。』 (「結局、自分のことしか考えない人たち」 サンディ・ホチキス 著、江口泰子 訳、草思社、2009年、p.17)ここを読み、私ははた、と立ち止まってしまいました。真の自尊心。自分自身の中にそんなもんあるのか?と聞かれたら、「さぁ、どうだろう...。」と言葉を濁すしか無いんですよ。どうも、この辺りに自己愛人間と、私自身との関係を読み解くカギが潜んでいそうです。続きはまた後編に。
2013.08.10
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※前回の【5】の続きです。併せてお読みくだされば幸いです。もうひとつ。【女王様】の歪んだ世界観が、周囲の人の道徳観をじわじわと蝕んでいく様子が垣間見られた実話を紹介しましょう。これ、私が実際に経験した会話です。黒犬べーやん:「日本人学校の宿題、やってもやっても終わらなくって、 金曜日の夜は寝るのが遅くなっちゃって可哀想なんだよねー。 [黒犬べーやん・注:当地の日本人補習校は毎週土曜日が授業日です。] 漢字の学習帳とか、ただ機械的に 埋めるだけなんだけど、時間ばっかかかってねぇ〜。」上級生のママさん:「あぁ、そうですよねー。低学年のうちはきついですよねー。」黒犬べーやん:「まぁね、早いうちから始めなきゃダメって頭ではわかっているんだけど、 つい、他の習い事とか現地校[=アメリカの小学校]のこととかが 出てくるもんで、後回しになっちゃって。 これじゃぁいけないよね〜...。」上級生のママさん:「そんなに大変なようだったら、 漢字の学習帳ぐらい、 親が左手で[=ヘタな字で]書いて手伝ってやればいいじゃないですか。」(何の後ろめたさも、ためらいも感じさせず、「至極当然!」ってな顔をして言われたこのセリフには、こちらの背筋が逆に寒くなりました...。)この上級生ママさん、【女王様】のお子さんと子供さんが同学年で同じクラス。母親同士の出身地も近く、私が知り合いになる前から頻繁にランチやお茶を共にしている間柄でした。私の個人情報は、彼女を通じて【女王様】へと全て横流しされていた模様。(...あぁ。「私の話を楽しんでくれているんだな。話、合うなこの人。」とメガトン級の勘違いをして、何でもべらべら喋り過ぎた自分ったら。ほんとにほんとにアホでした。実は【女王様】とその仲間たちの娯楽ネタを収集されていただけなのに〜。)一人の大人が「あの人、トンチンカンな事言ってるよ」、ってだけなら、単なる笑い話で済みます。でもね、冷静に考えてみてください。こうした「親が左手で書いて手伝ってやればいいじゃないですか。」といった発言をしている女性。子育て中の母親なんですよ。母親のトンチンカンな考え方によって歪むのは、まず、子供達です。今は、明るく無邪気な笑顔を見せている子供でも、母親の歪んだ思考や物の見方をそのうち真似るようになります。徐々に「本来どうあるべきか」という正しい道を見失い始めます。子供、特に小学生ぐらいまでの子供というものは、母親のやることを正しいと信じて疑いませんからね。そのけなげな献身ぶり、絶対的な忠誠心には、傍で見ていて涙さえ出てきます。どんな母親でも、ある時期までは「世界一のママ」なんです。だから、何か問題が発生しても、実はおかしいのは自分の母親で、まともなのは他人や世間だった、などと疑ったりはしません。母親の言葉を丸ごと信じます。母親が【女王様】とその仲間たち流の「その場さえしのげればいい」「自分さえ良けりゃいい」といった思考法に毒されちゃっているうちは、「人としておてんと様に恥じない生き方」を示すのは、無理です。親以外の他の人間関係から「何がまともか」を学ぶチャンスに恵まれないと、後々成長して子供さん自身が生き辛くなります。世間とぶつかることが増えていくにつれ、幸せを実感するのが難しくなりますよね。【送料無料】シック・マザー [ 岡田尊司 ] 「一例をあげれば、子どもが先生に注意されたという話をしたとき、 母親が被害妄想的に解釈し、その先生を悪魔の手先か迫害者のように語ったと すると、子どもはそうした認知を刷り込まれることで、先生からの注意に対して、 自分を顧みるという方向には向かわず、先生の方がおかしいという態度をとって 信頼関係を結びにくくしてしまう。 本来は、母親が『お前の行動のこういう点がいけなかったから注意されただけで、 その点を改めればいいことだし、その先生は、お前のことを考えて、 注意してくれているんだよ」と諭すことで、その子も傷つきから立ち直ることが できやすくなるのだが、そうした回復的なプロセスが阻害されてしまいやすい。」(岡田尊司「シック・マザー」、筑摩書房、2011、pp.234−235)モンスターな親がモンスターな子どもを産む。そして、モンスターな親子は他の優しい、無抵抗な親子を食い物にして、ますます狂暴化する。親一人ひとりの意識が変わっていかない限り、日本社会を蝕むこの流れは止まらないでしょう。そして、【女王様】やモンスターペアレントといった人々特有の歪んだ道徳観や価値観に判断力を麻痺させられた人々を待ち受けているのが、3. 孤立化という問題です。(賢明な読者の皆様は、1,2,3,がそれぞれ密接に絡まり合っていることにお気づきだと思いますが。わざわざ番号付けて箇条書きにするほど、それぞれが独立してはいないんです。)他の集団とはちょっと違う、独特の雰囲気を持つ幼稚園〜小学校のママ社会。そんな中でも【女王様ルール】に洗脳されない、まっとうな判断力を備えた人は、ちゃんといます。むしろ、数の上ではそちらの方が多数派だといって良いでしょう。まぁ、あまり目立つ存在ではないかもしれませんけどね。「まっとうであろうとする」人達は、【女王様】の洗脳テクニックに触れると即、違和感を覚えるはずです。エネルギーの質が、その方がこれまで経験してきたような人間関係のそれとは違いますからね。気持ち悪い、嫌な感じ、どす黒く見える...その感じ方は、人それぞれ。でも、危険を察知した時点で、これら「まっとう組」の人々は「うわっ、何、この人!?」とすぐに【女王様】とその取り巻きたちから離れることができます。【女王様】は、そのような「まっとうな判断力」を持った人が嫌いなんですよ。「自分に絶対に近付いて来ない人」「自分から離れていく人」が嫌なのは、自分にはない、「まっとうな判断力」を相手が持っているから、なんですね。なんたって、【女王様】が立派にその一員でいらっしゃるエモーショナル・ヴァンパイア(心の吸血鬼)という人種の【包装紙】をペラリとめくれば、そこにいるのは二歳児レベルの自己中わがまま娘ですから〜。人が持っているおもちゃが自分の手に入らない。そのストレスに耐える力を育てられないまま大人になってしまった、ある意味気の毒な人です。(過度の情けは不要ですけどね。)ですから、離反者、もしくは離反の動きをちょっとでも見せた「生意気」な人々に対しては、2013.05.27の記事で書いたように「あんたがワンランク下ってこと、思い知らせてやる。逆らおうなんて思わない方がいいんじゃないの?」と、相手の自信を凹ませるようなキッツい、でも、その場では言われた本人以外にはわからない程度の微毒を、そっと盛る。それで相手がシュンとすれば、しめたものです。ただ、中にはどうしても【女王様】の歪んだ世界から逃れたくって、脱出を決行する勇者が出てきます。残念ながら、そうした人たちの行く手を阻むのは、ゴシップや誹謗・中傷といった、【女王様】陣営からの復讐。発信源のほとんどは【女王様】、もしくは大臣クラスの取り巻きランク上位の家来でしょう。脱出を試みた勇者に関するあることないことてんこ盛りの噂話を、まずは取り巻き内でスパークさせて、大いに盛り上げる。また、尾ひれをつける。そして、そのうち、離反者の周囲の人々(あまり親しくはないが同じクラスのママとか、ご近所の人々とか)に事あるごとにポロッとそうしたネガティブな噂話を漏らし、徐々に離反者の生活環境を悪意でもって蝕み、じわじわとその人が生き辛くなるように仕向けてやる。当然、離反者に近付こうとする人はほとんどいない...ということになります。そうした陰湿な制裁を恐れるあまり、【女王様】の支配下から抜け出せず、諦めと欺瞞の日々を送る人はたくさんいます。「死ぬわけじゃないし、何が何でも抜け出す」というオプションだって残されてはいるのですが、恐怖心に囚えられてしまい、身動きすら取れません。まさに、カルト宗教にはまった状態。元・統一教会信者の女性が、信者だった頃の様子を語ります。タイトルは、「脱会することに恐怖感を持つ信仰」。...もはや説明の必要は無いでしょう。母親が子供と一緒に過ごす時間なんて、お互いの人生から見ればほんのわずかな年月です。無駄にしたら勿体無いではありませんか。時期が来れば堂々と子供一人で歩いていけるよう、出来るだけのことはしてあげたいですよね。社会の荒波に立ち向かえるだけの健全な自尊心を育ててやりたいですよね。完璧な親になるのは無理だとしても、その時その状況で最善を尽くそうという気持ちだけは持っていたいですよね。限りある貴重な時間です。【女王様教】のようなつまらないカルト宗教に吸い取られないよう、私たち一人ひとりが前向いて、しゃん!と背筋伸ばして、「カモられるのはお断り!」という強い決意と共に生きて行くことが大事です。それが一人の大人として、親という使命を与えられた者として、子供達に対して取るべき責任ではないかな、と思うのです。...そして、陰ながら祈らずにはいられません。一人でも多くの子供が親やその周りの大人からかけられた洗脳状態を解き、幸せで明るい人生を歩んでいって欲しい。大人たちを麻痺させている毒なんかエイヤッ!と力強くはね退けて、まっすぐに生きていって欲しい。...祈ることくらいしかできませんが。ホイットニーの歌も素晴らしいですが、ジョージ・ベンソンのオリジナル版もいいですよ!長い長い取り留めのない文章となってしまいましたが、ここまでお付き合いくださいまして本当にありがとうございました。(来週からは日本に里帰りしてきますので、更新のペースはゆっくりとなります。毎度のお立ち寄り、本当に感謝しております!)
2013.06.13
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五回目となりました、この【女王様教】シリーズ。今回、なぜ、私がカルト宗教という物騒な響きのある言い回しを敢えて使ったのか。シリーズ終盤となりました今、その辺りをもう少しお話ししておこうと思います。【女王様教】という、ママ社会に時折出現する奇妙な現象。外側から観察してみると、いわゆるカルト宗教と共通する点がいくつも浮かび上がってきます。1.支配と服従の問題。 【女王様】を頂点とするヒエラルキーを作り出すことにより、 本来平等・対等であってしかるべきのお母さん同士の付き合いに、 暗黙の上下関係(カースト制)のようなものが生まれる。 そうした不健全な関係が一度固定しまうと、後から崩すことはきわめて難しい。 2.マインドコントロールの問題。 【女王様】に都合の良い現実世界をキープするために、周囲の人々が自分の 本音を殺し、精神を鈍麻させることに慣れ切ってしまう。その結果、取り巻きを長くやれば やる程、【女王様】のプライドを脅かさない程度の骨抜き人間と化してしまう。 【女王様】やその取り巻きの人々の価値観に完全に取り込まれてしまうと、 普通の人々と価値観がズレまくってしまっていることにすら自分で気付かない。3. 孤立化の問題。(価値観・人間関係ともに) 【女王様】とその一座の歪んだ価値観に違和感を覚え、離れようとする者、 あるいは、離れていった者に対しての、容赦無い誹謗・中傷。 悪意に満ちた陰口を周囲に撒き散らすことで、離反者が新たな人間関係 を作りにくくする。 (引っ越して環境を変えられれば一番良いが、それができずに苦しむ人は多い。) 取り巻きの人々は、そうした【女王様】陣営からの執拗な攻撃の様子を見て身震いし、 多少の不満があっても【女王様】の傍にとどまるという道を選ぶ。 そこには、恐怖心によって繋ぎ止められているだけの、不毛なつながりがあるのみ。(こちらの女王様はこんなに笑えるというのにねぇ。こ、殺し屋女王...)まず、1の支配と服従の問題について。ここはひとつ、イメージ重視で直観的に見てみましょう。思い出してみてください。あなたが人生で遭遇した【女王様】風のあの女性、この女性。通りすがりの人から見れば和気あいあいと話に花を咲かせている仲良しグループと映ったかもしれませんが、今、冷静に振り返ってみると、その構図、「【女王様】とその取り巻きたち」というオーラがもわ〜〜〜っと立ち上がっているように感じられませんか?長い時間じっくりと観察する必要はありません。パッと視界に入ったその構図、パッと思い出した人々の様子から受けた印象を大切にしてくださいね。直観に関することは何でもそうですが、あまり頭でっかちに考え過ぎないのがポイントです。常識とか、社会的な地位とか肩書きとか、左脳からの情報は一旦黙らせてください。集合写真を取る時も、決して【女王様】は端っこの、誰かの後に隠れて、顔半分だけちょこっと前の人の肩の後から覗いている…なんて立ち位置にはなりません。必ず、写真の中で中心を占めるか、それか、周囲の人が気を遣って「さ、さ、もっと真ん中に」なんて彼女を目立つ場所へと押しやったりします。もちろん、彼女がその誘いを断るなんてことは有り得ません。【女王様】なんですから。周囲の人は単なる引き立て役。彼女という大輪の花の周りに添えられたかすみ草程度の存在です。少なくとも、彼女の脳内では。そうした【女王様】に引っ張られているようなママ友グループや、女同士のグループと行動を共にしていて、あなた、本当に幸せでしたか?「楽しいな、もっとこのままでいたいな」なんて感じたこと、ありましたか?「一人でいるよりはマシだから」と、楽しげな振りこそしていたものの、本当は家に帰ってくるなりドーーーーっと疲れ切って布団に倒れ込んだり、はたまた、アイスクリームやチョコレートなどの甘いものや、炭水化物系の食べ物(ご飯やパンなど)をドカ食いしたりしていたのではないでしょうか?【送料無料】Emotional Freedom: Liberate Yourself from Negative Emotions and Transform Your Life [ Judith Orloff ](こちらのジュディス・オルロフ先生の本からの受け売りです。)あるいは、家族、特に子供のどうってことない仕草に対し、イライラと当たり散らしてしまい、後で激しく後悔した、とか。思い当たるフシがあれば、あなたは既に【女王様】から毒を盛られている可能性がありますね。そして、本来誰もが持っているはずの【幸せ感知器】が既に狂い出しているかもしれません。母親であるあなたの【幸せ感知器】が壊れている状態で、一体どうやってあなたの子供やあなたの配偶者の幸せ・不幸せを敏感にキャッチすることができるでしょうか?できっこないでしょ。【幸せ感知器】って、理屈とか、世間の常識とか、親の教えとか、そういう左脳的な部分とは全く関係無く、誰もが生まれたときから与えられている直観、つまり「内なる声」を聞くことで精度が上がっていくんですよ。だから、【女王様】のご意向に沿おうとするあまり、「内なる声」を殺し、本音をぐっと飲み込み、やりたいことも我慢して他者のためにご奉仕ばかりしていると、感度が鈍ってくるのも当然。そうなると怖いですよ。今、自分が本当に何をするべきなのか。何が自分にとって最良なのか。そんなことすらも判断できなくなってしまうのですから。運転席に誰も座っていない車が公道を走っているような、そんな恐ろしい状態のまま生きていくなんて、あなた、本当にそれでいいんですか?【女王様】、困ったことに、そういう心が弱まった状態の「カモさん」をいじって遊ぶのが大好きなんですよね。こうした「いじり」は、上記2.の「マインドコントロールの問題」へとつながっていきます。一例を挙げましょう。梅代ママ:「最近、十年ぶりにまた喘息の発作が戻ってきちゃって...。 もうすっかり治ったとばかり思っていたんですけど。 何なんでしょうね、一体。」竹美ママ:「うわぁ、お気の毒。私は喘息は無いんだけど、夫の弟がやっぱり喘息持ちでね。 辛いよね。一刻も早く何とかしたいよねー。 それで、お医者さんには行ったの?」梅代ママ:「うん、松子女王様がね、『今はドラッグストアでもいい喘息の市販薬が買える』 って教えてくれたんで、近いうちに試してみようかな、って、思って。」...あのぉ〜、十年間ご無沙汰だった喘息がある日突然復活して毎日辛い、なんて場合には、市販薬とかでごまかしたりしないで、とにかく「医者に行った方が良い」と勧めるのが筋ではないかな、と思うのですがね。それが友達同士の間柄...でしょう?(あ、そうか。「友達」じゃなく、主従関係でしたっけ。)この方、【女王様】お得意のその場しのぎのテキトーな「アドバイス」を真に受け過ぎちゃいましたね。「ヘタに自己診断するよりは、まず専門家に」という基本中の基本すら見えなくなっている模様です。【女王様】に日頃から毒盛られ過ぎたんですよ。だから、「私のようなつまらない者など、わざわざお医者さんに診てもらう値打ちすら無い」とすら信じていらっしゃるのですね。今、手を打たないと後々さらに厄介なことになるかもしれないのに。【女王様】のアドバイスなんて、所詮、本音は「あんたがどうなろうと、私には関係無い」なんですから。まともに耳を傾けるだけ、損ですよ。自分の身体や心を守り、必要な対策を講じられるのは自分しかないんです。ご自分のために、そして、愛する家族のためにも、勇気を出して目覚めましょう。
2013.06.13
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これまで本シリーズをお読みになってくださった方の中には、私・黒犬べーやんが【女王様】と呼ぶ、特定の女性達を一方的にやっつけているだけじゃないか、実は単に恨みを晴らしたいだけなんじゃないか、と、突っ込みたくなった方もいるかもしれません。まぁ、こうしたタイプの女性とはあまりお近付きになりたくない。それは本音です。素直に認めます。でもね、別に恨みを晴らしたくなる程の被害は受けていませんよ。学んできたことを忠実に実践し(笑)、必要最低限の会話しかしないよう、接触を避けていますからね。唯一受けた被害、といったら、先日、その手の【女王様】タイプと顔を合わせた時に、イヤ〜な気を送られているのを感じた程度でしょうか。(※注意!※「気」とか「エネルギー」とか、こういう話を「アホくさっ!」と思う方はどうぞ他へいらしてください。しばらくその手の話題、続けます。)その女性と挨拶を交わした直後は特に何も感じなかったのですが、帰りの車を運転しながら、「やだな、妙に胸の辺りが重苦しい。気分がすぐれない。今日は疲れがひどいな。」と、普段と違う体調が気になっていました。するとその時。突然パッ!と、数時間前に挨拶を交わした【女王様】タイプの女性の、誇らしげに笑う姿が脳裏に浮かんだんですね。頭の中で電球がパッと点灯。「あーーーーっ、そうか! あの人と至近距離で接触してから、調子狂いだしたんだ!」胸の重苦しさが、一瞬で遠くに消えていきました。次に押し寄せてきたのは、驚く程の解放感。あまりにも瞬時に楽になったので、「これは絶対に見えない世界のガイドさんたちが、『その通り!』と教えてくれたんだ。」と、信じるしかありませんでしたね。誰が何と言おうと、私はそう信じます。...すっごく不思議な体験でしたよ。(;´∀`)…うわぁー…こんなこと、本当に起こるんだな、って。だから、あなたにだって、きっとわかります。霊も見たことない、金縛りにもあったこともない私にだってわかったのですから。直観を大切にしてください。身体の声、心の奥底から発せられる小さな、小さな声に耳を傾けてください。それが、大切なあなたを助けたくって、見えない世界から一生懸命はたらきかけているガイドさんたち(スピリットガイド/守護霊)から届けられたメッセージです。直観とは...とても小さな声です。とても微妙な感覚です。常に不安や恐怖で頭をいっぱいにしていては、せっかくメッセージが届いてもあなたの心の中に響くことはありません。常に誰かとのお茶や買い物などで予定をぎっしり詰め、せわしなく街中を走り回っているようでは、メッセージには気付けません。そう。認めようが、認めまいが、私達が生きているこの地上世界には、目に見えない「気」『エネルギー」「霊」といったものが絶えず飛び交い、私達の生活に影響を及ぼしています。そうした世界をうまく泳ぎ渡っていくために、私達誰もが直観を磨かなきゃいけないんですよ。現代日本における、ホリスティック医療の第一人者・帯津良一先生がおっしゃっている通りです。他人の意見も、みんなの噂も、マスコミで言っていることも、みんないい加減だってこと、東日本大震災後の世論や政府の発表が雄弁に物語っていますよね。時が移れば、コロリコロリと白黒反転しますから。真実を自分の力で追求することを諦め、自分以外の誰か&何かを過度に信頼すると、とんでもない方向へと運ばれてしまい、一番嫌な場所でいきなりドスンと落とされてしまうかもしれませんよ。それとは対照的に、他の誰でもない、あなたのことを守ろうと、一生懸命働いてくれているのが、見えない世界の優しい導き手(ガイド)たち。どうか粗末にしないでください。疑ったり、頭っから否定したりしないでください。見返り求めず、忍耐強く、我々を支えてくれている彼らにだって「悲しみ」という感情はありますから。そうした導き手(ガイド)からの合図に気付くには、まず、瞑想を日々の暮らしに取り入れてみませんか。ヴィパッサナー瞑想や、禅瞑想などの仏教系。それから、ヨガの瞑想やTM瞑想など、インド/ヒンドゥー文化圏から伝えられてきたもの。この他にも、中国からは「動く瞑想」とよばれる太極拳や気功、そして西欧文化圏からは修道院を中心として受け継がれてきたキリスト教の瞑想など、世界各地に昔から伝えられてきた瞑想テクニックがありますよね。一番抵抗の少ないものから入られてみてはいかがでしょうか。私自身試して良かった!と思ったのは、シアトルエリア在住の直観能力者であり、エネルギー療法の専門家でもあります、マリー・マヌチェリ(Marie Manuchehri)さんのラジオ番組で知った方法。この時の放送です。英語オンリーですが、もし、ご興味を抱かれた方がいらっしゃれば...。イギリス出身で、貧しい子供時代を過ごしながらも、裸一貫から努力と創意工夫でもって製薬会社を立ち上げ、大成功。億万長者となった今も、新しい目標に挑戦し続けている実業家であり、作家であるトレバー・ブレイク(Trevor Blake)さんがゲスト出演した時に紹介していた、誰にでもできる瞑想法です。【送料無料】Three Simple Steps: A Map to Success in Business and Life [ Trevor Blake ]価格:1,276円(税込、送料込)実に簡単なんですよ。宗教も、マントラも、道具も、一切必要ありません。朝、目覚めたらすぐ、布団の上に座る。足は組んでも伸ばしても構いません。そして、20分間、何もせずに、ぼぉ〜〜〜〜っと心静かにそのまま座っている。これだけです。(もっとも、早起きが苦手な人間としましては、その「起き抜け・20分のゆとり」を捻出するってーのが一番難しかったりするんですが...。ほほほ。)できる限り、毎日続けてください。あなたの中の何かが静かに、ゆっくりと、変わり始めます。そして、静まった心の状態で、直観が意識の表面に浮上しやすくなった時に、「身体の感覚や、感情の変化が告げているサインに敏感になる」という次のステップに取り組めばいいのではないかな、と思います。2013.05.25の記事での引用と重複してしまいますが、ここは肝心かなめの内容なので、ジュディス・オルロフ先生が挙げている注意点、もう一度繰り返しましょうね。【相手や状況に関するネガティブな直観】★ みぞおちに不快感があったり、胃酸が増したり、不快な既視感がよぎる。 [筆者注:「あ、これ以前にも体験したような...」って意味で解釈してください。]★ 鳥肌が立ち、相手に触れられると本能的にパッと身を引いてしまう。★ 肩こりがし、胸のあたりや喉が締めつけられる。痛みが悪化する。★ 首の後ろが身の毛立つ。★ 倦怠感、暗さ、重苦しさ、動揺を感じたり、エネルギーを吸い取られるように感じる。(「ポジティブ・エネルギー」p.265)そして、こちらもお忘れなく。良い状態って、どんなだったっけ〜?の答は、身体に覚えさせるのです。【相手や状況に関するポジティブな直観】★ 相手に親しみや輝きを感じて安らぐ。 旧来の知人のように感じたり、既視感(デジャヴュ)がある。★ 呼吸が楽になり、胸や肩がリラックスして、腹部の緊張感がない。★ 腕組みして自分を守ったり、少しずつ距離を置こうとせず、 自分が身を乗り出しているのを感じる。★ ハートが開く。安らぎや活力を感じ、開放的になって、生き生きとする。★ 握手、抱擁、愛の行為のさなか、相手に触れられるとくつろぐ。(「ポジティブ・エネルギー」p.265)ポジティブ・エ...著者:ジュディス・オルロフ価格:1,890円(税込、送料込)古本屋さんで探してください。自分を守るための「逃げろ!離れろ!」というサインは、意外にしょっちゅう出ているもの。私達がそれに気付くだけで、大難も小難に変えることができます。まずは、場数を踏んで、練習を重ねないと、ですよね。
2013.05.28
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シリーズ3回目、あなたのすぐ近くにいる【女王様】キャラのあの人を理解するためのヒントを書き綴っています。【1】はこちら。【2】はこちらからどうぞ。凹んだ顔など絶対に外部の人には見せない。いつも一座の華としてのポジションを崩さない。そんな【女王様】にとって、一番嫌なことって、一体何なのでしょう?それはね、「人に背を向けられること」なんですよ。 誰かが自分に背を向け、自分から離れていく。あるいは、相手が明らかに自分の「上」を行っていて、ライバル視すらしてくれない。自分に向かって賞賛の眼差しや言葉を投げかけてくれないのですから、どちらも同じくらい不愉快。【女王様】の目には、そう映ります。【女王様】は、この記事のカテゴリ名が示す通り、エモーショナル・ヴァンパイア(心の吸血鬼)です。「心の吸血鬼の人間的未熟さを理解すれば、闘う上で最大の武器になるはずだ。彼らの突拍子もない行動の多くは、二歳児の行ないだと考えるとたいがい納得がいく。実際の年齢や社会的地位にごまかされてはいけない。少なくとも常軌を逸した行動に出ているときの吸血鬼は、二歳児なのだ。吸血鬼との闘いでは、子供に対するのと同じように接することがもっとも効果的な戦略となる。つまり、『これ以上はダメ』と限度を設定し、突発的事態にもあわてず、ダメなものはダメと一貫して押し通し、簡単な言葉で説明し、よい行ないはほめて悪いことは無視し、場合によっては『一時行動停止』のおしおきを与える。」(あの人はなぜあなたを疲れさせるのか」 アルバート・バーンスタイン、実川元子・訳、角川書店、2001年、p.27)【増補改訂版】Emotional Vampires: Dealing with People Who Drain You Dry [ Albert J. Bernstein ]あの人はなぜあなたを疲れさせるのか / アルバ-ト・J.バ-ンスタイン、実川元子【中古】afbなるほど。二歳児レベルをアクティングアウト(行動化)している人、ならば、「おひとりさま」状態が耐えられないのも当然でしょう。外面とは裏腹に、「ひとりにしないでよ〜(泣)」と内心では叫んでいるんですね。幸い、うまくしたもので、そこそこ長く生きてきた人間が集まれば、中には危険を察知して早めに遠ざかるだけの賢さを備えた人だって、必ずいます。過去に似たようなタイプの人と関わって痛い思いをしたのかもしれませんね。そうした少数の賢明な人は、【女王様】とは一定の距離を置いて付き合います。ばったり鉢合わせしても、型通りのあいさつや、当たり障りの無い話で済ませ、決して会話を長引かせません。見習うべきはこうした人々の行動パターンです。実は、「カモられない」人々が一定数いることは、【女王様】にとってはストレスの種なんですね。彼らが視界に入るたびに、面白くない気分になります。それを解消するため、「ああ、どうせあの人たちは雑魚(ざこ)だから。」と、一蹴する。イソップ物語の「すっぱいぶどう」のキツネの論法、ですね。心理学でいう「合理化」(負け惜しみ)を繰り返すごとに、心の奥には【毒】が蓄積していくこと、彼女は気付いていません。二歳児ですから、ストレスへの対処法も、まぁ、年齢相応です。相手がこちらになびいて来ないのですから、不本意ながらも作戦変更です。もっと簡単にコロッと自分の魅力に参ってしまうような、「カモ」を多く集める方へと自分のエネルギーを向けるのです。「質」が手に入らなきゃ、「量」で勝負するしかない、と。こうして、一人、また一人...と、前回書いたような手順でもって、取り巻き...つまり、ちょっとやそっとでは自分から離れそうもなさそうな、簡単に【素敵な包装紙】の魔法(マジック)に引っ掛かりそうで、自分のプライドに脅威とならない程度の「ワンランク下」と見込んだ人々を、周囲に増やしていきます。それでもやはり、周囲の人全員を取り巻きにすることはできません。カモり損ねた相手に対しては、「あんなの、雑魚だから。」と毒づいて、うっぷん晴らし。それが頻繁になると、素敵な笑顔をキープするのもしんどくなります。だから、溜まった毒は他人に押し付けてスッキリしちゃいましょう。プチッと不愉快にさせられた人々に、プチッと小出しに復讐してやればいいのです。所詮、二歳児ですからねー。毒々しい心の闇と真正面から向き合い、自分の中で処理するなんて、無理、無理。さあ、ここからが吸血鬼としての本領発揮ですよ。巧妙に、しかも、人目につかないところで。じわじわと相手を弱らせるに充分な毒を、ちゃちゃっと盛る。そりゃーもう、名人芸と言って良いほど、手慣れたものです。得意技、その一。「きわめて微妙なこき下ろしでもって、こちらの自尊心を凹ませ、『お前はワンランク下』とのサブリミナルメッセージを送る」、です。女王様:「あらー。お久しぶりね。元気?○○くん(子供)は?」Pさん:「こちらこそ、お久しぶりです。おかげさまで、まぁ、何とか。元気に学校に行ってます。」女王様:「受験したんでしょ?X中学って言ってたような...」Pさん:「...あの、X中はダメだったんですよ。でも、何とか第二志望のY大附属に引っ掛かったんです。今は『ここで良かった』ってすっごく楽しいみたいです。★★ちゃん(女王様の娘)も、受験したって確か...。」女王様:「そういえば、Y大附属って、最近クスリで逮捕された芸能人の××川××太郎の子供がいるって話じゃない?いや~よねぇ、最近は物騒なニュースばかりで。...あ、バスが来ちゃった。それじゃ、また。」Pさん、一方的に情報むしり取られ、しかも、子供の学校にネガティブな事を言われ、質問への答もはぐらかされました。逃げ際に毒針でもってチクリ。刺されたみたいです。(後日談。実は女王様の娘は私学受験したものの、全て不合格。もはやこれまで、と思われたところを、無名私立校の追加募集試験で救われ、毎朝片道2時間もかけて通っている...ということを、風の便りに聞きました。プライドが邪魔して、地元公立中学にだけは行かせたくなかったんですかね。)こちらは昔からの友人・Qさんから聞いた話。少し前まで大手メーカー勤務のご主人の駐在で、某国(本人の希望につき、詳細は伏せます)に住んでいた彼女。その時に遭遇した【女王様】の「自尊心凹ませテクニック」です。Qさん 「もしもし、あの、こちら、××小学校で子供がお世話になっています、○○(名字)ですが...」女王様 「はい...?(当惑した様子)」Qさん 「あの、☆☆☆の母の○○です。」女王様 「あ~~~ら、☆☆☆くんの!(破顔一笑、って感じの声で) ○○なんて名前、聞いたことなかったから『誰なんだろう...』ってわかんなかったもんで!はい、何でしょう?」会話だけ文字にすると、「これ、どこがまずいの?」と言われそうですよね。これだけでは微妙なニュアンスが伝わりにくいとは思いますが...。電話を掛けた側のQさん、「○○なんて名前、聞いたことなかった」この部分に「がーん。」と来たそうです。「あんたみたいな注目度圏外の雑魚、いちいち名字なんて覚えているはずないじゃないの。」そう言われたような衝撃を受け、しばらく落ち込んだ、と言います。【女王様】とはそれ程親しくない間柄だったものの、一応、子供が同じ学校(現地校・日本人補習校)に通い、名簿の類も数種類配布されているので、名字を全く知らない、という言い訳には少々無理があります。共通の知り合いもたくさんいたそうですし。しかも、【女王様】からは、「ごめんなさいね」「失礼しました」など、一切フォローの言葉、無し。せめて、「ごめんね〜!」の一言さえあれば、全く違った印象となったのに、と、Qさんは話してくれました。この方、それまでにも学校行事等で顔を合わせても「目に入らなかった振り」して挨拶しない、声も掛けてこない、という前歴があっただけに、Qさんは、ああやっぱりな、という感じたそうです。直観的に感じていた印象は間違っていなかったな、って。健康な心の持ち主だったら「あ、やっぱり、この人って失礼!ふんっ、無視無視。」で済ませられたのかもしれません。ただ、その会話が起こった頃、Qさんは現地の暮らしに疲れ、半ばホームシック状態。しかも、子供の勉強や受験に関するストレスが加わります。あいにく、仲良くしていた人達は数ヶ月前にみんな帰国してしまっていて、鬱々とした日々を送っていました。そういう時って、ちょっとした無神経な一言が実にこたえるんですよね。「あんたなんて、☆私☆の関心にも引っかからない、つまんない人間よ」っていう、微毒の効いたメッセージ。沈みがちだったQさんの、最も敏感な傷口を直撃してしまったようです。言葉にすると消えてしまうような微妙な心理操作でもって、こちらの自尊心や「いい気分!」に毒を注入していく、というのが、エモーショナル・ヴァンパイア(心の吸血鬼)の常套手段。負けないで。たくさんの人が、あなたと同じ状況を経験しています。そして、乗り越えていますよ。でも、我慢し過ぎないでください。人間、自分がそうありたいと思っている程、強くないんですよ。誤作動起こして、一番大切な家族を悲しませないためにも、信頼できる第三者に打ち明ける機会をぜひ、作ってください。遠くの信頼できる友人。家族。そして、プロの心理療法士やカウンセラー。精神科や心療内科の医師。助けを求めることは恥ずかしいことではありません。自分と、家族を大切にする母親なら誰でもやっている、立派な自己管理(セルフコントロール)です。くじけそうな時にこそ、心をいたわる言葉や本にたくさん接したいものですね。
2013.05.27
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※【1】はこちらです。「ヴァンパイアが患者としてやってくると、私は直観的にそれに気づく。数分以内に、まるで流砂に吸い込まれるように恐ろしく体が重くなるのだ。どんどん沈んでいき、頭がぼんやりしてくる。まぶたがどんどん重くなる。すべてがスローモーションに見えてくる。永遠に思える五十分間の後は、疲れ果てていることもある。(...)私がエネルギーを吸い取られていると感じるなら、他の人たちもそうであることはほぼ間違いない。そして私はひとたび直観的に診断を下したら、自分を守ることを躊躇(ちゅうちょ)しない。」(「ポジティブ・エネルギー」ジュディス・オルロフ、矢鋪紀子・訳、サンマーク出版、2006、p.287)ポジティブ・エ...著者:ジュディス・オルロフ価格:1,890円(税込、送料込)古本屋さんで探してください。【女王様】。この、厄介なエモーショナル・ヴァンパイア(心の吸血鬼)にどう向き合ったらいいかを考えるシリーズ、第二回目です。復習になりますが、【女王様】は基本的に「私って、とっても素敵。だから、下々の者たちは、私からの寵愛を受けることをありがたく思わねばならない。」という催眠術を自分に、そして狙ったカモさんたちにかけ続ける人、です。自己催眠の術を使っている【女王様】は、このように見えます。静かな自信に満ちた顔。おろおろしたり、不安顔でいることは無い。どの角度から見られても「かっこ悪ーい!」「だっさ~。」とは無縁。モデルさんのように完璧に近い身づくろいや、しぐさの数々。常に誰かの視線を意識しているかのよう。でも、あまり人間的なあたたかさとか、自然な伸びやかさは感じられない。深みが無く、どこか人造人間っぽい。特に最後の部分、つまり、「あたたかさ」「自然な伸びやかさ」の無さ。ここ、しっかりと注目しましょう。これだけは、数値化したり、具体的なデータとして捕らえたりすることはできません。直観で把握するしかない領域です。日頃から直観を研ぎ澄まし、上のオルロフ先生のように【女王様】を至近距離から観察する。その後、自分の身体的反応をもって判定するしかありません。こちらも、「ポジティブ・エネルギー」からの引用。【女王様】タイプに限らず、「近付くと危ないよ!」というエモーショナル・ヴァンパイアどのタイプに対しても有効な判定法です。【相手や状況に関するネガティブな直観】★ みぞおちに不快感があったり、胃酸が増したり、不快な既視感がよぎる。 [筆者注:「あ、これ以前にも体験したような...」って意味で解釈してください。]★ 鳥肌が立ち、相手に触れられると本能的にパッと身を引いてしまう。★ 肩こりがし、胸のあたりや喉が締めつけられる。痛みが悪化する。★ 首の後ろが身の毛立つ。★ 倦怠感、暗さ、重苦しさ、動揺を感じたり、エネルギーを吸い取られるように感じる。(「ポジティブ・エネルギー」p.265)常識、周囲の評価といった「頭」の部分から出てくる声は一旦黙らせましょう。大切なのは「あなた自身の反応」です。自分の心(感情)、それから身体に相手の身体が放つエネルギーを直接さらし、どういう反応が起こるか、観察するのです。さもないと、【包装紙】だけが素敵な人と【素敵な中身の輝きがそのまま透けて見える人】この、似て非なるタイプを取り違えて、痛い目にあいますからね。直観の磨き方(...私自身も、まだまだ発展途上なんですが...。)については、また後ほど。【女王様】の特徴、続けましょうか。「自分はワンランク上。」という、不動の信念を抱いている点。これも気を付けたいポイントです。基本的にご自分と同格の人間はいない...はずなんですが、【女王様】のご機嫌を損ねない、「使える奴」として認められる時だけ、例外的にランクアップする場合があります。ま、アップしたと言っても、せいぜい大臣級止まりですけどね。ロイヤルファミリー入りするなんて夢は最初から見ない方が幸せというもの。さっさと諦めてください。例えば、カモさんの配偶者が医者や大学教授など、社会的に地位が高いとされる職業に就いている場合。もしくは、ご本人がそうした方の場合。海外では、大使館・領事館関係者、政府関係者が日本人社会カーストの上位にいますよね。そうした人々は「使える」とみなされ、重宝がられるでしょう。「この人たちは自分を愛するというより、自分に溺れてしまっている。自分の欲望に没頭するあまり、ほかのことに注意を払う暇がない。この種の人格障害者の心理状態は、まるで望遠鏡をのぞいているようだ。自分の欲求は拡大する方向から見ているので大きく映り、ほかのことは反対側から見ているので豆粒のような景色でしかない。ほかの人より自分のほうが優れていると考えている以上に、ほかの人のことをほとんど考えないために小さくしか見えないのだ。ただ、他人に何か求めているときは別だ。」(「あの人はなぜあなたを疲れさせるのか」 アルバート・バーンスタイン、実川元子・訳、角川書店、2001年、p.199)あの人はなぜあなたを疲れさせるのか著者:アルバート・J.バーンスタイン価格:1,680円(税込、送料込)すみません、こちらも古本屋さんでどうぞ...。【話は少し脱線しますが、私・黒犬べーやんの親戚には長らく海外駐在生活をしていた一家がいます。以前からその家のおば様を通して、海外日本人社会におけるカースト制(序列)の存在は聞かされていました。大使館・領事館や政府関係者が上で、銀行がその次。それから、大手商社、大手メーカー...などと続き、航空会社とか飲食店などのサービス業は、末端の方に位置...なんですって。ちなみに、ブルーシャ西村さんが記事でお書きになっていた通り、現地企業に勤めている人や、現地の人と結婚した女性や留学生などはカースト外とみなされるそうです。こんな時代錯誤な序列がもう何十年も続いているんですよ~。ネットで愚痴を吐くことも許されなかった当時の奥様達、さぞや辛い思いをされていたことでしょう。】でも、そこまであからさまに序列化された、ある意味「わかりやすい」社会に暮らす【女王様】なんて、日本人全体から見ればごくごくわずか。周囲のママさんたちを見回しても、【女王様】にとって「使える」レベルの配偶者を持つ人もいれば、持たない人もいる。いろいろな業種の、いろいろな境遇の人がいる。それが世間というものです。なので、ここは【女王様】も百歩譲るしかありません。【女王様が号令かけたら、万障繰り合わせてお茶会に駆けつけ、楽しい『おしゃべり』(←これが曲者なんですが...後述しますね。)に興じる】程度の貢献度でも、まぁOK、とされます。「使える」、いや、「仕える」には変わりが無いことですし、大目に見てやるとしましょう。さてさて。自分がワンランク上と信じ、その素敵な自分に奉仕してくれる「使える(仕える)奴」を常時募集している【女王様】にとって、一番許せないことって、何だと思います? 答は、また次の機会に。この、「名前をなくした女神」という2011年放映のドラマ。ウィキペディア上のあらすじを読む限り、特にこれといって強烈な【女王様】キャラは出ていなかったようですが、どろどろしたママ社会の膿が随所で噴出するような、怖そうな話です...。私は全然見ていないんですけどね。母親達のエゴから生まれる醜いいざこざ。それが幼い子供達の心に与える長期的な影響。決してばかにできないですよね...。いたたまれない気持ちになります。
2013.05.25
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前々回、クンダリーニヨガについて取り上げた際、久々に「カルト宗教」というものの存在について考えてみる機会を得ました。仕事や将来への不安から、恐怖やいら立ちなど負の感情を抱えた人が一向に減らない、そんな最近の日本社会。「気持ち良くなりた〜い」「心癒された〜い」の一心でヨガや瞑想に入る人はたくさんいるのでしょうが、お気楽感覚☆だけ☆で飛び込まず、少し冷静になりましょうよ。カルト宗教がその素性を隠し、ヨガ教室を装って若い人を誘い込み、知らぬ間に入信させた、というニュースもありましたからね。http://news-plus-matome.ldblog.jp/archives/26526446.html(読売新聞の元記事は既に削除されてしまいました。残念。)書店の精神世界・スピ本のコーナーで「ヨガ、やりませんか」と声をかけられても、スルーしてくださいね。まともな教室やサークルはそんなキャッチセールスみたいなことしませんから。相手にしない。関わらない。それが一番です。じっくりとリサーチして、まともな教室・先生を探し出してください。...そんなこんなで、カルト宗教や、3HOという教団が絡むクンダリーニヨガの教えと、さて、どんな具合に折り合いを付けていったらいいものか、などとこの一週間、いろいろ考えていたところ、「なんだ。【ママ友地獄】って、要するにカルト宗教の一種じゃん!」と、ひらめきましてね。きっかけとなったのは、愛読していますブルーシャ西村さんのブログで紹介された「ママカースト」についての二記事でした。(ブルーシャさん、断りなくリンクさせていただくこと、どうぞお許しくださいね。)http://plaza.rakuten.co.jp/bruixanishimura/diary/201304250000/http://plaza.rakuten.co.jp/bruixanishimura/diary/201304280000/こちらのNAVERまとめ・「侮れない階級闘争”ママカースト”」もご参考にどうぞ。http://matome.naver.jp/odai/2136895303333571501ドロドロした話ばかりでうんざりしますが、これらは、嘘偽り無い、真実の記録だと確信できます。脚色・加工はされていないと思いますよ。ええ。実際、私の知人からも、「実家の父親が医者だとどこかから聞きつけてきたらしく、『お父様の出身大学はどちら?』と、自称・『お嬢さん育ちの歯科医の娘』であるママさんから詰め寄られた。一方的に競争相手と目されているらしい。」「配偶者が医者もしくは大学教授、ママ本人がそうした専門職に就く『カースト上位』に位置する人にばっかり話し掛け、親しくなろうとしているママさんがいる。」などの話がぼろぼろ出てきました。こうしたママさんたちって、ブルーシャさんの表現をお借りしますと【包装紙】、つまり、肩書きとか社会的立場や財力といった、外から見てわかりやすい尺度で他人を評価するのが大好きなんですね。そういう人って、悲しいかな、現実にいるんですよ。たくさん。近くの幼稚園。公園。小学校のPTA。同じマンションの中。決して異次元空間の話などではありません。熱中できる趣味や、達成したい目標、「母親役」を超えて、人としていかに生きるべきか、といった視点を大切にしている女性ならば、そういう【包装紙】だけを競い合う、不毛な人間関係には時間を割かないはずです。もっと前向きな、別の人間関係を選ぶでしょう。一方、対照的なのが、子育てと、その周辺の人間関係にしか関心が無い、という【包装紙】グループ。この手の女性達が集まり、群れを成すと、たちまちそこに【包装紙】による序列(カースト)を付けたがるような、歪んだ格差社会の縮図が出来上がってしまう。どうやら、そういう事のようです。【包装紙】好きの人達には、「自分は自分。」という確固たる信念や意志がありません。または、希薄です。本来、我々誰もが持っていてしかるべき「自分ならではの尺度」を育てることを若いうちに止めてしまった彼女たち。ですから、「他人の立ち位置」「他人の幸せぶり」といった自分の外にある尺度を使って、この複雑怪奇な現実世界という魔物に対処せざるを得ません。【『他人』=外にある尺度】でもって現実に向き合う、という生き方が定着してくるにつれ、彼女らは心の奥底で頼れる、力強い親分的存在の登場を渇望するようになります。表向きはどうあれ、誰かに何もかも決めてもらいたいというのが彼女らの本音。ですから、こうしたタイプの女性に向かって、「自分の頭で考えろっ!」とガンコ親父風に一喝しても「え〜、わかんない...みんなはどう思っているの?」と当惑されるのがオチ。で、その「みんな」にしたって、結局「類は友を呼ぶ」で、同じように「あなたはどう?」「主人に聞いてみないと...」と、どうも歯切れが悪い。人任せなんですね。さぁ、そこで待望の【女王様】の出番です。「みんなはどうなの?」が口癖の迷える子羊ちゃんたちを頼もしく引っ張っていってくれて、諸々の難題を一刀両断してくれる【女王様】。満を持しての御降臨です。もう安心ですよ。だって、今後は「子供が学校に行った後の退屈な昼間の時間をどうしよう」という(ふざけんな!級の贅沢すぎる...)悩みも、それから、「誰とお付き合いしたら良いか」という人間関係の迷いも、ぜ〜んぶ【すべて女王様の御心のままに。】というマントラ唱えて一発解決。あー、ラクチン。救い主現れた、ってこういうことなのでしょう。...実は救い主どころか、とんでもなく破壊的なカルト教祖かもしれないんですけど...。【女王様】は、一見、とても魅力的な人。「女王」という表現がまさにピッタリで、VERYのグラビアから抜け出てきたみたい。成金趣味に走らず、かといって決して安っぽくはない素敵な装いと、隙のない完璧なヘア&メイクで登場します。「あぁ、この人、学生時代はきっとJJの女子大生スナップ写真に何度も載ったことあるんだろうな〜。」と、ろくにその人柄を知りもしない段階で「憧れの人」「スタァ」の地位へと祭り上げられることだってしょっちゅうです。外見以外も負けてはいません。【女王様】は、私生活だってとっても素敵。「ママカースト」では中の上〜上位にランクされるような(そこそこの)エリート男性と結婚。そして、お勉強も習い事もとっても良くできる優秀な子供達に恵まれ、誰が見ても幸せファミリーオーラ満開!って感じです。高級住宅街に住み、高級外車をさっそうと乗り回す【女王様】。その女王様が自信たっぷりに言う言葉に間違いなんてあるわけないと思うの。【女王様】とのお茶会に同席している他の人だって、きっとそう思っているはず...。あーあ。また一人、【女王様】ご本人の催眠術にコロリとやられてしまいました。可哀想に。うますぎる話には裏があるかどうか確かめたり...など、一切やっていなかったんでしょうね。「あの人、いつも素敵な格好してる。」「あんな風に私もなりたい!(でも、自分には絶対無理なんだけど...)」「笑顔が素敵でおしゃれでお話も上手。もう、非の打ち所なんて無いって感じ!」上のセリフに共通する点は何でしょう?そうです。すべて、「上っ面=包装紙の部分」だけの印象にとどまっていますよね。それ以上奥深いところへ踏み込んだ観察、つまり、内面の美しさとか、努力家だとか誠実であるとか、人間としての素材部分にまで深く踏み込んだ評価はひとつもありません。「みんなはどうなの?」ばかりを気にする迷える子羊ママさんたちは、特にそうした【包装紙】のまやかしに引っ掛かりやすい。長年修練を積み、「教祖」としての腕前に大いに自信を付けた【女王様】には、こんな事ぐらい全てお見通しです。理屈じゃないんですよ。「カモ」が視界に入ると本能的にそうした「迷える子羊センサー」が瞬時に作動するのです。で、狙った獲物に向けてセレブで素敵なママ光線をビビーッと放てば、はい、信者誕生。チョロいもんです。【女王様】という、実に厄介な人物像。これをドラえもんの世界に置き換えると...外側・出木杉くん。内側・ジャイアン。それも、かなり陰湿な。内村航平さん、お似合い(笑)。もはや説明の必要は無いと思いますが、出木杉くんは勉強も運動も人間性も非の打ち所無し!と、のび太とは正反対です。(←でも私、のび太くんの涙もろくって優しいところ、大好きですよ。)そして、ジャイアンは言わずもがな、「日本一のいじめっ子暴君キャラクター」ですよね。「俺のものは俺のもの。お前のものは、俺のもの。」という迷言=「ジャイアニズム宣言」は永久に不滅でしょう。出典はこちら。【送料無料】ドラえもん(33) [ 藤子・F・不二雄 ]【女王様】が熟知していらっしゃるように、世の多くの人って【女王様】が身にまとっていらっしゃる「素敵なひと」という華麗なる包装紙の表面しか見ていないんですよ。薄っぺらい包装紙一枚の下に隠れされた、その人間の本質的な部分にまで目を光らせる人は、残念ながら少数派のようです。本当はもっとたくさんいた方がいいんですけどね。《知り合う人々の人間性とか、中身だとか、いちいちそこまで突っ込んだ話するの、面倒臭い。それに、いざ中身を開いてみたとしても、「わかんな〜い」というもやもや感が残るだけで、後味悪いだけ。だから、中身なんてどうでもいい。難しいこと、考えなくって済むから。学歴、住居、年収、職業、子供の進学先、親の職業...。包装紙だけ見てるのが、一番楽でわかりやすくっていい...。》【女王様】歴が長ければ長いほど、この、「面倒くさいから包装紙だけで判断しがち」というフツーの人にありがちな悪癖をよく把握しているもの。その動物的とも言える勘には、カルト宗教の大物教祖だって叶わないかもしれません。【女王様教】という、脱会が極めて困難で破壊的なカルト。引っ掛からないためにできること・やれることを、次回考えていきましょう。
2013.05.24
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EFT(エモーショナル・フリーダム・テクニック)についての話が途中で切れてしまったので、久々に「ダブルヘッダー」で行きましょう。前回分はこちら。↓http://plaza.rakuten.co.jp/backtotheessence/diary/201212140000/さて、どのようにこのEFTを使っていけばよいのでしょうか?創始者であるゲアリー・クレイグによる「EFTマニュアル」。【送料無料】1分間ですべての悩みを解放する! [ ゲアリー・クレイグ ]日本語版の監訳者であり、EFT-Japanの代表を務められているブレンダ E.ダランパンさんが日本語で分かりやすく説明してくださっていますよ。(より詳しい情報はEFT-JapanのHPへどうぞ。http://www.eft-japan.com/index.html )EFTの手順を活字で確認したい、という方は、上のHPからEFT-Japanのニュースレター購読(無料)を申し込むだけで、51ページのPDF版マニュアルをダウンロードできます。また、HPの「無料資料」コーナーには、EFTの手順を分かりやすく図解したPDFファイルも用意されています。まずはこちらの図版だけ印刷し、お手元で参照しながら上の動画をご覧になってはいかがでしょうか。私自身がどのようにEFTと出会い、助けてもらったかを語る上で必要な背景だと思いますので、個人的な体験を語ることをお許し下さい。既にこちらのブログでは何度か書きました。今回をもって本当に最後、とします。2年前のことです。ご近所で親しくしていた一人のお母さんに、ある日突然、面と向かって「どうして○○さんは×××しないんですか!」と、激しい怒りと共になじられ、そのまま修復できない間柄となってしまいました。その結果、私の自尊感情はほぼゼロに近い所にまで低下。それまでの私は、「たとえ、これまで生きてきた環境や考えは違っても、正直に自分をさらけ出してコミュニケーションを取ろうと努めれば、どんな人とも仲良くやっていける。」と、かなりおめでたい【信念】を支えに、生きてきました。周囲に留学経験のある日本人や外国人が多かった、ということも関係していたかもしれません。ちょっと特殊な、でも、大変恵まれた環境にいたんですね。【自分なりの誠意をまっすぐに投げさえすれば、ちゃんと先方からポーンと気持ちの良いボールが返ってくる。それが当たり前の人間関係さ、だって、今までずっとそれで順調に来たんだから。】...こう無邪気に信じ込んでいました。しかし、まさかその【信念】が通じないどころか、逆に苛立つような人がいたなんて。しかも、それが、この1年近く一緒に楽しい時を過ごしてきた【はず】の、同世代日本人女性だったとは。青天の霹靂ってああいうことを指すのだな、と、40年生きてきて初めて知りました。自分を支えてきた柱の一本がバキッと折れて、心が半壊しちゃった...。そんな状態が一年近くダラダラと続くことになります。近所でバッタリその人とはち合わせする度に、心臓は凍りついて、ストップ寸前。そして、「どうして○○さんは...」と彼女が言った時の、あの、「私は天使のような清い、真っ直ぐな心でもって、正義の鉄槌をあなたに食らわしているのよ!」という、火のような眼差しが甦ってきて、それはそれは苦しかったです。なぜ、あそこまで彼女が激しい怒りに駆られたのか。それを全く見抜けなかった自分の眼力の無さが不甲斐なくて、また落ち込むのです。信号待ちの交差点や、スーパーや小学校の駐車場で前方にその人の車(珍しい車種なので、すぐに分かりました。)を認めた瞬間にも、やはり同じ反応が起こりました。胸から上の、上半身全体がじーん...と締め付けられたように苦しくなる。情けない自分。もう誰とも仲良くできない、どうしようもない自分。どうして他の人達は日本人同士であんなに楽しそうに盛り上がれるんだろう。私には無理だ...。そんな後ろ向きな脳内会話ばかりしている自分にほとほと嫌気がさしていた頃、たまたま訪れたどこかの掲示板で、EFTを知りました。...いや、導かれた、と言うべきかもしれません。「これ、自分にとって絶対に必要なものだ!」そう確信した私は、すぐさま日本からブレンダさんの著書を取り寄せました。(英語で自己啓発本を読むのが好きな私ですが、自分の心の奥底にはたらきかけたい!って切に願うような時は、やはり日本語に限ります。)【送料無料】心にタッピングEFTエネルギ-療法 [ ブレンダ・E.ダランパン ]ブレンダさんのご本や、EFT-JAPANの無料マニュアルを参考にしながら作ってみた私のセットアップフレーズは、こんな感じです。「日本人の友達を増やせない、人付き合いの下手な自分を情けないと思うけれど、これからはそんな自分を良しとして、一人ででも思いっきり明るい毎日を送れるようになりたいと思います。」前半が、今、自分が抱えている否定的な現実や、苦しい気持ちを表したフレーズ。そして、後半は、「これからどうしたいの?」への答えにあたる部分。セットアップフレーズは、このように、必ず【ネガティブな現状】+【ポジティブな未来】の組み合わせで構成されます。そして、各ツボをタッピングしながら、上のセットアップフレーズの中から選んだキーワード(「リマインダー」)をつぶやきます。「情けない...情けない...情けない...。」 一通りのプロセスを終えた時は、「はぁ、こんなんで果たして効くんかいな?」と、半信半疑もいいとこでした。やってはみたものの、それ程期待はしていませんでした。ところが、その後じわりじわりと効力が表れてきましてね。実は、米西海岸・某中都市に住む我が家の近所(徒歩5分以内)には、日本人駐在員の家族が何組か住んでいるのです。その中でも、特に社交好きで、しょっちゅう日本人ママ達を家に呼んでは盛り上がっているママさんがいましてね。先の一件以来、ご近所とだけは絶対に距離を置くことにしていたので、挨拶以上に付き合いを深める気は全くありませんでした。特に話が合いそうだとも思えませんでしたし。「人は人、自分は自分。」頭ではそう割り切ってみるものの、毎週のようにそのお宅の前に停まったたくさんの車を見ると、やはり心がへこむんですよね。「こちらの楽しそうな様子に比べて、うちは...。」と、たちまち「情けない自分モード」に引き戻されていました。EFTを試した後、これがピタリと止んだのです。「あー、今日もたくさん集まってんなー。よくやるよなー。ま、いいんじゃないのー?仲良きことは美しきかな、と、昔の人も言ってるしね~。」...つまり、【私にはどうでもいい事~。】とまで感じられるようになりました。過敏すぎる感情にブロックがかけられたかのように、晴れて【鈍感】になれたのです!道端で猫が集会やってるのを見かけちゃった、という程度の印象、でしょうかね。しかも、今日に至るまでその効き目はしっかりと続いてるんですよ。いつの間にか、「情けない自分モード」とおさらばできていたなんて。しかも、あんな簡単なステップを2、30分試しただけなのに。...恐るべし、EFT!最近では、ストレスが来たぞ!と感じた時点で、ヨガ、瞑想に加えて、EFTも試してみることにしています。長引かせない。こじらせない。これ、風邪と同じですね。健康な心をキープするには、こうした細かな日常のメンテナンスが欠かせない、ってこと、改めて学びました。そう、負の感情を引きずったままでいるのは、心にも身体にも百害あって一利無し、なのです。先日、子供が、森の中で巨大なナメクジ(大柄な男性の親指ぐらいのサイズです...すごいですよ、こちらのナメクジは!)を見てしまい、その映像が頭に焼き付いて離れなかったことがありました。怖くて眠れないのでは困るねぇ、ってことで、EFTを一緒にやってみました。...30分後、ナメクジの画像を思い出しても、何の心理的反応も起きないほど「効いて」くれました。夜寝る前にもう一度ナメクジの事を尋ねてみたところ、「何も感じない。」「怖くなくなった。」と。大成功でした。以来、おねしょやチックなどで悩む小さな子を持つ親戚にも勧めています。科学信仰の左脳派・ロジックゴリゴリ~な人々からは、「単なるプラセボ効果の擬似科学に過ぎない」と叩かれることも多い、このEFT。まぁ、言いたい人には言わせとけ、です。この体験談を信じるも、信じないも、それはあなたの自由。決して押し付けるつもりはありません。でも、あの30分のタッピングセッションは、確実に私の心の傷に働きかけて、「情けない自分モード」から私を解放してくれました。まさに、自分の中のエモーショナル(感情的)な部分をフリーにするテクニック、ですよー。そして、例の元・ご近所さんとの件も、EFTのおかげで徐々に記憶の彼方へと追いやることが上手に出来るようになってきました。忘れて、忘れて、「満員電車で隣の人に足を踏まれた」レベルの記憶にまで風化させるのが、最終的な目標です。既に必要なことはたっぷりと学んだのですから、後はきれいさっぱりと忘れる。それでいいのだと思います。嫌な思い出を引き寄せる度に、貴重なエネルギーを消耗して、心を曇らせるのはバカバカしいですもの。EFT、効きます。これは、私の中では揺るぎない真実。他の人が何を言おうと、気にしません。大切なご家族のためにも、EFT、一度試してみませんか。そして、一日も早く、スッキリさっぱりしちゃいましょうよ。お母さんの輝く笑顔が子どもたちにとって一番の栄養になる、ってこと、時々は思い出してくださいね。
2012.12.14
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これまで4回にわたって本シリーズをお読みになってくださった方の中には、「私、『ママ友』付き合いがすっごいストレスになっているんだ。」と、改めて実感された方もいらっしゃるのではないでしょうか。そういう発見に辿りついたあなた、どうかご自分に心からの拍手を送ってあげてください。問題から目を逸らさないあなたの勇気、とっても素敵です!日々の雑事に追いまくられて、ついつい自分の事は後回し。「しょうがないんだよね、これが普通なんだよね。子供のため、家族のため...。」こんなマントラ繰り返しながら、毎日毎日、曇りがちな心をごまかしている人がほとんどの現代。(←これ、お母さんだけでなく、お父さんにだって当てはまりますね。)でも、心を晴らすも、曇らせるも、結局は自分が「現状維持でいいや。変えないでおこう。」とどこかで決めて、その状態を長引かせているのです。自分以外の人間を変えるのは事実上無理(そんなことしたら、マインドコントロールという新たな罪を犯すことになりますよ!)ですので、ここは自分の中の何かを変えていかないと、ね。大丈夫。いくらでも方法はあります。医師や心理療法家やカウンセラーなど、心の専門家の助けを借りて、出口を探るのも良いでしょう。冷静な立場から意見してくれる、昔からの友人や家族のアドバイスを求めるのもいいですよね。それも、なるべく遠くの人に。巷には、あなたの心を代弁してくれるような本もあふれていますよ。たとえば、こちら。【送料無料】グサリとくる一言をはね返す心の護身術 [ バルバラ・ベルクハン ]傷付きやすく、自分を卑下しがちな人に対し、もう少し面の皮を厚くして【非人情】になることの重要さを説いてくれます。【あなた】という、この世にたった一つしかない宝物を守るために。(文庫版の他に、草思社から2002年に発行されたソフトカバー単行本もあります。夏に帰国した際にブックオフで250円で買ってきました。)著者のバルバラ・ベルクハンさんによりますと、「陰口大会」「互いの立ち位置の探りあい」「競い合い→嫉妬心、炸裂!」といった、負の感情だけでつながっているような人間関係は、【毒蛇の巣窟】なんですって。なるほど、言えてる!こっちが噛まれる前に、とっとと逃げ出した方が良さそうですよねー。それから、「【いい人】をやり過ぎて、ついつい周りに流されがち」な人には、こちらを。【中古】 思わずYESと言ってしまう自分 NOと言う勇気が、あなたの心を軽くする /ハリエットブレイカー(著者),吉田利子(訳者) 【中古】afbYes・Noテストの多用や、「3週間で変わる訓練プログラム」といったゴール設定が、いかにもアメリカ~ン♪かなぁ。そういう理屈っぽいのは苦手、という人もいるでしょうね。でも、「お人よしの、情にもろい日本人」を地で行くような人には、「これでもか!これでもか!」と「好かれたい病」を様々な角度から解剖するその姿勢がかえって新鮮かもしれません。これも、日本に行った時に中古で購入。私が買ったときもやはり200円だったような...安っ!(翻訳者が気の毒になるくらいです☆)さて、本題です。これからご紹介するのは、インターネットとPCさえあれば、どなたでも無料で入手できて、しかも、一人で試すことができる、という、信じがたい程ありがたいテクニックです。(...と書くと、「FXで一攫千金!」の見出しがついたスパムメールや、二流雑誌の巻末カラー頁にある「黄金の開運財布」の広告みたいで あ や す ぃ ~!って、引かれてしまいそうですが...。まぁまぁ、とにかく先をお読みくださいませ。)EFT(Emotional Freedom Technique:エモーショナル・フリーダム・テクニック) が、それ。【送料無料】1分間ですべての悩みを解放する! [ ゲアリー・クレイグ ]アメリカはカリフォルニア州・名門スタンフォード大学出身の理系技術者であるゲアリー・クレイグさん。ゲアリーさん、長年にわたり様々な心理療法をハシゴしたものの、「NLP(神経言語プログラミング)はまぁまぁ良かったものの、どいつもこいつも、時間も費用もかかり過ぎるくせに、あまり効かないんだよね~。」という結論に到達します。そんな不満を解消すべく、彼が編み出したのが、このEFT。簡単に言ってしまうと、【ツボ療法】と【心や身体の癒し】とを融合した治療法なんですね。子供から大人まで、誰にでもできます。しかも、自分一人で。アメリカでは、退役軍人用の病院でも実際に導入されており、イラクやアフガニスタンといった戦地で受けたトラウマの解消にも効果を上げているそうですよ。その他、子供のおねしょや、腰痛、各種の恐怖症、ダイエット...など、実に幅広く応用されているんですね。詳しい事例は、こちらのHP(英語)でも検索できます。http://eftuniverse.com/そっ、ツボを刺激するんですよ。東洋医学の「気」や「ツボ押し」といった言葉に慣れた我々日本人には、あまり抵抗無いですよねー。肩が凝ったな、とか、目が疲れたな、とか感じた瞬間に、自然と手が伸びている、その辺りの顔や上半身のツボを、指先でトントントン...と、一定の手順に従い、予め決めたフレーズを繰り返しながら優しく叩きます。EFTではこの動作を「タッピング」と呼んでいますね。特別な道具は要りません。落ち着いて一人になれるほんの少しの時間。オンラインで無料で入手できる、基本マニュアル。そして、タッピングするための指先。これら三つの要素さえ揃えば、誰でも自宅で気軽にEFTの効能を100%享受できるのです。どうです、簡単そうでしょう?大きな声では言えませんが、別に本を買う必要すら無いのですよ。(あ、もちろん、手元に入門書があればあったで便利ですけどね!買って損はしません。)【EFTを誰にでも、無料で、できるだけ多くの人に提供する。】これ、創始者のゲアリーさんのたっての希望だそうです。「まずはEFTを実際に試してもらい、その良さを実感して欲しい。そして、心や身体に平和を取り戻して欲しい。」...というわけで、現在、世界中のいろいろな言語で、EFTの基本マニュアルやテクニックの実践例が無料で公開されているのです。ゲアリーさん、ブラボー!!! 素晴らしい贈り物を本当にありがとう!!! EFTの話、もう一回続けます。次は実践編ですよ~。
2012.12.14
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早いですね。もう12月。年末に近付くにつれて、巷では2012年の「世界の終わり」問題が蒸し返されそうな予感ですね。大抵の精神世界ネタには飛びつく私なのですが、この件に関してはあまり関心が湧かないんですよ。「あ、そう。それで?」の反応。最近は、【とにかく学びたい!吸収したい!マスターしたい!】と、そそられるトピックが山積みで、世界が明日終わろうが終わるまいが、どうでもいいよ~ってな心境なのです。死んだら死んだで、またどっかで一からスタートするんだろうし、ねぇ。ガンジーが遺してくれた名言「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい。」を座右の銘としている私としましては、非常にいい感じで事が運んでいるような、そんな気がします。目下の課題は、タロットカードを使っての直観力の養成。これからの時代、何が一番大事かというと、【物事の本質】を見抜く確かな眼力だと思います。周囲の雑音に惑わされず、最良・最善の選択をしていきたいですね。どんな時も、見えない世界の力に支えられていることを信じて。∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽前回、シアトル近辺でご活躍中の医療サイキック(medical intuitive)・マリー・マヌチェリさんを取り上げました。そして、今年初めに出版された初の著書・"Intuitive Self-Healing"より、マークさんという男性クライアントの事例を引用しました。【送料無料】Intuitive Self-Healing: Achieve Balance and Wellness Through the Body's Energy Centers [ Marie Manuchehri ]「他人に優しく、自分に厳しく。」という長年の悪い癖がたたって、第三チャクラ(太陽神経叢チャクラ)はひどく傷付き、第三チャクラの支配下にある消化器官(胃腸)のトラブルに悩まされたマークさん。いろいろな医者にかかってみたものの、原因はわからずじまい。万策尽きて、とうとう奥さんの知人であったEnergy Intuitive(直観で生体エネルギーを読む人、ってことですね。)のマリーさんに助けを求めたのです。「このまま自分に厳しく当たり続けていくと、あなたの2歳のお嬢さんも自然に父親の行動パターンを真似するようになって、お嬢さん自身も将来、自分に優しくできない大人になってしまう。」我々のママ友談義に当てはめるならば、こんなメッセージに翻訳できるでしょうか。【自分を安売りする癖はおやめなさい。子供さんが真似してもいいんですか?】「自分を大切にする・しない」という、いかにも舶来品(笑)といった感じの表現よりも、私にはこの「安売りしない」の方がぐっと心に迫ってきますね。周囲の人々に合わせてわざわざ身を低め、本来あるべき自分の姿を押し殺す。「嫌われたくない」あまり、周囲に出血サービスしまくって、心も身体もヘトヘトに。その結果、心療内科や精神科へ通わざるを得ないような状態まで追い込まれたり、先のマークさんのように原因不明の身体症状に苦しんだり...これは決して珍しい話ではありません。元々、こうした安売りしがちな人って、ガマン強くて、人当たり良くて、他所様の目には「いい人」と好ましく映っているはずです。自分から対人トラブルの種を蒔くようなこともありません。周囲にサービスすることを忘れない「いい人」をやっている限り、あなたの努力を好意的に受け止めてくれる人が大部分でしょう。ただ、そういう人が母親になると、ちょっとややこしくなるんですね。子供絡みの用事でいろいろな場所に出て行くことで、他の親子と接する機会が増えるからです。「子供のため。」この一言で、まるで催眠にかかったように判断力が鈍ってしまうのです。今、これをお読みのあなた。このような思いグセはありませんか?「子供が幼稚園に馴染むためだもの、母親の私がガマンしなきゃ...。」「子供が仲間外れになるのが怖いから、気が進まない人付き合いもガマンしないと...。」「本当はあの人達と一緒にいても全然楽しくない。でも、園関係の付き合いだから仕方ないよね。ガマンしなきゃ...。」もし、この次、あなたの中でそうした【自分・大安売り】のセリフが頭をもたげてきたら、マリーさんのこの教えを思い出してください。【思春期前の子供は、一日の大半を一緒に過ごす大人のエネルギーの在り方を真似て育つ。】これ、事実だとすれば、【自分・大安売り】の悪癖を持つ親のお子さんは、成長して次のようなつぶやきを漏らすようになるかもしれません。「周りの子が意地悪するけど、ぼく(私)さえガマンすれば全てうまく収まるんだ...。」「みんな、私(ぼく)のことを『どうでもいい奴』って感じで粗末に扱う。多分、私(ぼく)は本当にどうでもいい存在なんだろう。」「ぼく(私)のつらい気持ちなんて、どうせ誰に話したってまともに取り合ってくれないんだ。誰にも大切にされていないんだから、仕方ないよな...」よっぽど強靭な魂の持ち主で無い限り、お子さんが【自分・大安売り】のお母さんの根深い信念に影響されずに育つのは相当困難でしょう。そうしたお子さんが、母親の信念から離れ、健全な自尊感情を持つようになるためには、外からの強力な助け(例えば、良い先生、スポーツのコーチ、賢明な祖父母や親類...など)が絶対に必要です。自力での達成は難しいでしょうね。だから、もう止めましょうよ、お母さんたち。自分を不当に安売りして、気が進まないママ同士の付き合いに嫌々応じるのは。ほんの通りすがりに毛が生えた程度の人達に、自分の時間も、エネルギーも、真心も、大安売りして一体どうするんですか。何も返って来やしませんよ。ただ疲れるだけ。しかも、お子さんの心にネガティブな思い癖まで植えつけてしまうとなったら、止めない理由なんて無いでしょう?そういう、通りすがり同然の人々には、ただフレンドリーに挨拶し、天気とか次の園の行事とか、そういった当たり障りの無い話だけする。そして、笑顔で「またねー」とさっさと立ち去る。はい、終了。それでいいんですよ。たとえば、幼稚園の選び方一つとっても、違う文化圏から来たあの人とあなたの間には大きな隔たりがあるかもしれませんよ。あなたが今の幼稚園を選んだ理由は、こちら。・信頼する近所の小学生ママさんが「子供二人を行かせて良かった」と太鼓判押してくれた。・先生方が優しく、子供のことを大切にしてくれる幼稚園との印象を持った。・給食。好き嫌いが多過ぎるので、小学校入学前に少しでも減らしたいと思った。・延長保育。今のところは専業主婦だけど、一人っ子だし、ひょっとしたらこの先弟や妹が生まれることもあるかもしれないので、お友達と園で長く遊べるオプションがあればいいな、と思った。・徒歩通園。せめて幼稚園の3年間ぐらいは、親子でおしゃべりしながら通いたい。でも、あなたとはあまり波長の合わないAさんは、全く違った観点から幼稚園選びをしていますよ。知ってました?・この地域で月謝が一番安かった。・ママ友のBさんやCさんが「一緒に行こう」と言ったから、選んだ。・給食。何と言っても親が楽できる。早起きの弁当作りが苦痛。・延長保育。時間ギリギリまで親が遊んでいられる。・徒歩通園。自転車で乗せてけばタダ。バス代月に5,000円取られるのは痛い。(←あれ?給食代は痛くないの?)あらら。これではあなたとAさんが合わなくても当たり前ですよ~。まぁ、いろいろな人がいますからねー。単に、あまりにも違う文化圏からやって来た親達と子供達が、たまたま同じ幼稚園に居合わせただけ。同じパックツアーに参加した旅行客同士のようなもんですよ。美輪明宏さんは常日頃、「人間関係は腹六分」とおっしゃっていますよね。でも、様々な文化圏から来た人種がごった混ぜに放り込まれるのが、子供の幼稚園や学校。そういう場での人間関係ならば、「腹三分」ぐらいがちょうど良い...。これが私の下した結論です。要は、こじらせなきゃいいんです。ご近所同士の付き合いなんて、所詮そんなものでしょう?でないと、相手の嫌なところばっかり目に付いて、いつか不満爆発!になりますよ。遠くから、ぼぉーっと眺めて、姿を認める程度でちょうどいいんです。後で街角でばったり出会った時に、「こんにちは~♪」とさわやかに挨拶できれば、それで上出来というもの。距離を詰め過ぎてこじれてしまうと、後々悲惨なことになりますよ。顔合わせたくなくても、至るところでバッタリ出くわしちゃうんですから。これ、身体にも、心にも、極めて良くないです。(←経験者は語る...。)笑顔で挨拶。さらりと立ち去る。「合わないな」と感じたら、それ以上深追いしない。この繰り返しで十分です。後は、無駄な人付き合いを避けたことで節約したエネルギーを、自分や家族など、本当に大切な人たちのために使う。何事にも優先順位を付けて、【選ぶ】ことが、穏やかな毎日への近道なのかもしれませんね。<今日のおさらい>「どーでもいい知り合いに、自分を安売りし過ぎるな!真心とエネルギーはもっと別のところに注げ!でないと、枯れちゃうよ!!!」...まだ納得してくださらない方もいらっしゃるでしょう。「そんなことしたら、私も子供も仲間外れのポツーン状態になってしまう。」なるほど。孤独がイヤなのですね。一人が怖いのですね。お気持ち、よくわかります。【送料無料】そんな友だちなら、いなくたっていいじゃないか! [ 斎藤孝 ](これ、まずは大人が読むべき本かも。子供達に実例を示すためにも。)実は、その「一人ポツーンがイヤ」に良く効くお勧めのテクニックがあるんですよ。次回、ご紹介しましょう。
2012.12.08
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前々回、前回、と、ペニー・ピアースさんの「人生を変える波動の法則」からヒントを得ながら、「ママ友」という、まぎらわしい「友達のフリをした単なる顔見知り」という存在について考えてきました。「友達のフリをした」...こういう棘のある表現を使うと、反論が返ってくるであろうことも、重々承知しております。「私は幼稚園のママ友にたくさん助けてもらったし、子供が成長した今も、子供の話という枠を超えて、お互い支えあう存在になっている。『ママ友』を全否定するのは、おかしい!」お言葉を返すようで恐縮ですが、この方が出会えたのは「ママ友」ではなく 「友」 ですよ。濫用され過ぎてすっかり安っぽくなってしまった「ママ友」とは、一線を画す必要があると思います。そういうラッキーな方には、「おめでとうございます!よかったですね!」と、心から祝福の言葉を贈ります。堂々と「子供が通う幼稚園で、似たような波動を持つ素晴らしい【友】に出会えました!」と宣言してください。【ママ友】なんて嘘くさい言葉、使わなくたっていいじゃありませんか。これから後の部分は、残念ながら子供の幼稚園や学校でそうした【友】に巡り会えなかったお母さん、周囲に振り回されてちょっと自信喪失気味の、でも、ほんとは心の優しい、子供思いのお母さんに読んでいただければ、と思います。∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽つい最近のことなのですが、たまたま「購読」(...じゃないんですけどね。耳で「聴く」ものですし。)していたポッドキャストの番組で、とある医療サイキックの女性の存在を知りました。マリー・マヌチェリ(Marie Manuchehri)さん。現在、アメリカ・ワシントン州シアトルを中心にご活躍中です。http://www.energyintuitive.com/ご本人は「Energy Intuitive」と名乗っていらっしゃいます。意訳するならば「生体エネルギーを、直観で読み取る人」とでもなるでしょうか。アメリカって、こうした医療分野でのリーディングを得意とするプロの透視能力者が数多くいますよね。例えば、キャロライン・マイス女史(「7つのチャクラ」他)とか。(最近、サイキックpsychicという語にまつわる負のイメージ...インチキぼったくり電話占いとか...を懸念してか、このintuitiveの語を使う人が増えているようです。そうそう、前回までの主役・ペニー・ピアースさんもintuitiveを自称するお一人でしたっけ。)現在、50代前半の彼女。今のお仕事を始める以前は、シアトルエリアの病院、それも精神的に相当きついと一般に言われているがん病棟やホスピスで、看護師さんとして16年間勤められました。(*注:アメリカでは、日本では通常看護師さんが担当するようなお仕事も、「○○テクニシャン」といった、別の医療職の方々が担当するケースが多いです。「Registered Nurse」と呼ばれる看護師さんは、大部分が四年制カレッジ・大学卒業者なだけに、医療知識も豊富で、社会的な地位もそれなりに高いとされています。)離婚後は女手一つで三人のお嬢さんを育て上げられ、最近では気ままなシングルライフを再び満喫中...と言いつつも、実際のところは、各種講習会やセミナーなどで、全米各地へと飛び回る、実に多忙な毎日の連続だそうです。「怪し気なもの(woo-woo stuff)はご免だわ」と、以前はごく普通の常識人を自認していたマリーさん。ところが、38歳のある日、彼女は自分が手を触れた患者さんの病んだ部分から、<何か>が感じられることに気付きます。その時、彼女が最初に見たのは、赤、黄色、緑...といった、色とりどりの光のボールが目の前にくるくると展開する(チャクラですね...。)奇妙な映像。続いて、患者さんが体験してきた人生の様々な場面や、家族構成、主だった事件の様子...。後で本人に確認したところ、それらのヴィジョンは100%、患者さんの記憶と一致していたそうです。この日、マリーさんのサイキックとしての第二の人生がスタートしました。毎週木曜日のAMラジオ番組・"The Marie Manuchehri Show ----Where Energy and Medicine Meet"、ポッドキャストでは2007年10月11日の第一回目から全部聴くことができるんですね。こちらの番組アーカイブからもダウンロードできますよ~。http://www.energyintuitive.com/podcast/archive.html気さくで、あったかくて、正直で、本当に素敵な方なんですよー。素人の聴取者が相手の生電話相談では、パーソナリティの人柄の良し悪しがモロに出ますからね。隠しようがありません。私、この数週間ですっかり彼女の大ファンになってしまいました!今、初回分からずーっと聴き続けて2008年12月辺りまでようやく到達したところなのですが、あまりにも心にしみる話が次々と紹介されるので、もう、感激しっぱなしです。英語はOK、っていう方ならぜひとも挑戦していただきたいですね。そして、マリーさんのお人柄にじかに触れてみてください。リスナーからの電話相談だけでなく、自然療法医(naturopath)や、各種代替療法の専門家などのゲストが出演する回もあって、とっても勉強になります!(番組でも、いろいろな本を推薦してくださってますよ。読書家さんです。)次の部分は、マリーさんの記念すべき初の著書・"Intuitive Self-Healing"からざっくりと訳してみました。【送料無料】Intuitive Self-Healing: Achieve Balance and Wellness Through the Body's Energy Centers [ Marie Manuchehri ]第四章、「太陽神経叢(たいようしんけいそう)チャクラ 自分を愛せるようになる」からの抜粋です。∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽<マリーさんのカウンセリングルームに現れた、マークという男性。元高校教師。家庭的に問題の多い生徒達の力になってやれない、という自責の念から体調を崩し、教師からセラピストへと転向した過去を持つ。妻と、もうすぐ2歳になる娘がいる。長らく原因不明の消化器系の不調に悩んだ末、マリーさんの元を訪れた。>「マーク、あなた、自分自身に厳しいって思う?」「うん、そう思うよ。」彼の第三チャクラには外から加えられた虐待の形跡は無かった。だが、クレーターのように窪んだその様子から、精神的に自分で自分を痛めつけていることが見て取れた。(中略)...「あなたは、お嬢さんにも自分に厳しい人に育ってもらいたい?」「まさか。そんなこと、思わないよ。」「大変結構。」マークは、自分に何が欠けているのかを理解してくれそうだ。そう考えると私はうれしくなった。彼自身にだって、娘に与えられるのと同じぐらいの安らかな気持ちが必要なのだ。そこまで思い至るには、もう少し時間がかかりそうだったけれど。「マーク、あなたはお嬢さんと同じくらい、大切な存在なのよ。今も昔もこれからも、あなたは素晴らしい、完璧な存在なの。あなたがお嬢さんに抱いている優しさを、まずは今、ここで感じてみて。そして、それと全く同じ気持ちを、今度はあなた自身へと向けて欲しいの。」「いやぁ...そういう気持ちを自分に対して抱くのは、ちょっと...。娘のことは本当に愛しているけれど」「なるほどね。それじゃ、お嬢さんが成長した時のことを考えましょう。今、あなたと奥さんがお嬢さんに注いでいる愛情の量と比べて、大きくなったお嬢さんが受け取る愛情の量の方が少なくなるとしたら、どう?そうなって欲しいのかしら?」「それは嫌だ!」マークは言った。「あなたのお嬢さんは、こんなに小さい頃からでさえ、一日の大半を一緒に過ごす人のエネルギーを真似しながら、暮らしているの。ティーンエイジャーになったら、真似する相手は親から仲間へと変わっていくのだけれど。だから、できるだけ早く、父親であるあなたが、自分に向ける優しい気持ちを、純粋な形で、そっくりそのまま感じ取れるようにならなくっちゃ。そうすれば、お嬢さんだって早い時期から自分に対して同じように優しくできるようになるわ。いずれ、お嬢さんだって、あなたと奥さんの元を離れるでしょう。大人になったお嬢さんは、両親からもらった優しさを心の中に大切にしまって、生きていくの。『君は、僕ら夫婦にとってこの上なく大切な存在なんだよ。』って事を傍にいて直接言ってあげられない時だって、いつかはやって来るでしょう。でも、あなた方親から寄せられた気持ちは、お嬢さんの中でずっと生き続けていくはずよ。」「じゃぁ、僕が、僕自身に対して、娘に抱くのと同じような愛情を持って接するのならば、娘もそれを感じ取って、『自分を優しく扱うのは当たり前のことなんだ。そう思うのが、そう感じるのが当たり前なんだ。』と、考えるようになる。...そういう事なのか?」「その通りよ!」(その後、マークの消化器系は徐々に回復へと向かい、4ヶ月後のセッションでは「薬は続けているものの、痛み自体は90%減った」とのこと。他人の痛みに敏感過ぎて、自分をないがしろにした心優しいパパであったマーク。奥さんとの間には、もうすぐ二番目の子供が生まれる予定だという。)∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽今、ママ友付き合いに悩んでいるお母さんたちへ。お金よりも、物よりも、学歴よりも、親として子供に贈ってあげなければいけないのは、【自分は大切な人間だ。だから、粗末にしてはいけない。】という、健全な自尊感情ではないでしょうか。そうした自尊感情を確立できた子供は、きっと、成長してからもずっと、自分だけでなく、他の人をも大切にしてあげられる。そんな、器の大きな人間になってくれるような気がします。もう一度、ご自分に問いかけてみてください。自分よりも低い波動の人々に、無理をして合わせ過ぎてはいませんか。「私だけガマンすれば...」の一言で、自分の本当の声、【魂の波動】をかき消してしまってはいませんか。まずはご自分を大切になさってください。今すぐに。お子さんに抱く愛情と、同等の愛情をご自分にも注いであげるのです。お母さんが不幸なままで喜ぶ子供なんて、この世に一人だっていやしませんよ。どうかその事を忘れないでくださいね。野生の苛酷な環境の中ででも生き抜く、動物のお母さんたちを見習って、もっと図太く、強く、たくましくなりましょう。一緒に頑張りましょう!
2012.11.12
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前回、ペニー・ピアースさんの本やYouTube動画を紹介しました。【送料無料】人生を変える波動の法則 [ ペニー・ピアス ]正直申しまして、ペニーさんの文章、最初はかなり手こずりました。読むぞ!と意気込んだもものの、内容がすんなりと自分の中に入ってきてくれない。この状況を打破するためには、たっぷりの時間、そしてポッドキャストやYouTubeなどの音声での補足説明が絶対に必要でした。そう、教科書だけじゃわからないから、参考書買ってこなくちゃ~、塾行かなくちゃ~、っていう、受験生みたいに工夫する必要があったのです。前回、ブルーシャ西村さんへのお返事で、「決して簡単に読める本じゃない、時間はかかる...」と書いたのは、そういう「手こずった。」という意味だったのです。(あ、誤解があるといけませんね。この本を問題無くスラスラ読んでしまう人は少なからずいると思いますよ!相性の問題です...。)えーと、ちょっとだけ専門的な話を。ペニーさんって、エニアグラムの性格タイプ分類で行くと、《思考》センターの人だと思います。簡単に言えば、《頭》でもって世界をとらえるタイプの人、じゃないかな、と感じました。(6だと思います。かなり5の要素が強い6。)エニアグラム?タイプ? 何、それ?という方は、こちらのリンクから簡単な説明をどうぞ。http://www.enneagram-japan.com/enneagram/9types/私自身は、《感情》タイプの4です。文字通り《情》《心》の部分でまず外界をとらえ、その後の処理に入るタイプです。情が先で、理屈その他は後から。厳密に言うと、お隣のタイプ・5の特性もある程度は持ちあわせているのですけどね。(これを「ウィング(翼)」と呼びます。)でも、基本はやはり《感情》の4。タイプは一生涯変わらない...というのが、業界の定説です。感情タイプ、特に自分と同じタイプ4の人が書いた文章を読むと、大体「あ、私と同じ《情過多》のニオイがする。」と、ピンと来ますね。たとえば、何度もこちらで取り上げた精神科医のジュディス・オルロフ先生。そりゃーもう、4くささが行間からプンプンです(笑)。ま、オルロフ先生の話はまた今度に~。実は、この春から「ペニー・ピアースの"Frequency"(「人生を変える波動の法則」・原題)を何としてでも読破しなくっちゃ...」という思いに駆られていました。きっかけは、瞑想中に浮かんできた、「"Frequency"を読みなさい。」という、シンプルなメッセージ。この一言が妙に心に残ったのですね。すぐに本屋に走り、一冊手に入れる所まではトントン拍子で進みました。ところが...どうもペニーさんと私との折り合いがイマイチなせいか(自分と違うタイプの作者だと、思考の流れや文章のリズムが違うため、違和感を感じる場合があります。)、秋風吹く頃となっても、まだ第一章辺りをウロウロしていました。まずい。せっかく「あちら側」から誰かさんが「Frequencyを読め。」と親切に忠告してくれたのに。このままではアセンション元年・2012年が暮れてしまう!!!というわけで、今度こそ一気に!と覚悟を決めた私は、iTunesストアを開き、"Penney Peirce"の名前で検索。すると、おやまぁ、次々と彼女がゲストで出演しているラジオインタビュー番組のポッドキャストが出てくるじゃあ~~~~りませんか。20本近くありました。元々ラジオは大好きなのですが、インタビュー番組は特に好きです。インタビューって、多少とっつきにくいテーマを取り上げたとしても、初心者が十分話についていけるよう、質問する側も、話す側も、相当かみ砕いてくれるものです。そこがいいんです。ついつい、自分が一気に賢くなったような気にさせられますもん。家事をしながら、犬2匹と森の散歩道を歩きながら、はたまた車で移動中、カーステレオから流しながら...。毎日、少しずつでもペニーさんご本人による解説を集中して聞けたのが良かったみたいです。しかもこれらはポッドキャストですから、全て無料。いい時代になりましたよね、ホントに...。今日はペニーさんの数々のインタビューの中から、ここは特に名調子だ!と、私が感銘を受けた場所を訳してご紹介します。シリーズ全体のお題でもある「ママ友問題」とどう絡んでくるのか。その辺りも考えながら読んでみてくださいね。∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽《以下の引用は、2011年9月8日放送の11:11 Talk Radioのインタビュー、前半部分より翻訳しました。こちらからダウンロードもできます。》∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽今、私たちは、【恐れ】【縮小】【分離】といった波動を離れ、さらなる進化の段階を迎えています。かつて経験しなかったような【流れ】に乗って、一人ひとりのつながりを再確認するという、新たな波動へと移行しつつあるのです。単なる肉体ではなく、振動する固有のエネルギーから成り立っている存在。それが私たち人間本来の姿です。そして、誰もがその人固有の、様々なレベルの波動でもって振動しています。これは他のあらゆる存在にも当てはまります。...たとえば、岩石の振動スピードは、私たち人間の肉体の振動と比べると遅い、といった具合に。遅い振動が「良くない」ということではありませんよ。ただ、「目覚めている度合いが低い(less conscious)」ということは言えると思いますが。人間には、他人の波動に自分を合わせてしまう傾向がある。私はこのようにとらえています。人間全体が一つの部族のようなものですからね。ヒトの肉体は「音叉(おんさ)」のようなものでして、相手の周波数と自分の周波数とを一致させ、共鳴し合うという性質を持っています。相当強く意識していない限り、私たちはつい、こうした【波動合わせ(frequency-match)】をしてしまいがちです。(この音叉、普段見るタイプとはちょっと形が違いますが、二本の棒が同じ振動で共鳴し合っている様子がよくわかりますよ。) まぁ、これはこれで、他人とつながるための一つの方法です。ただ、多くの人は自分が【波動合わせ】をしているとほとんど意識しないまま、だらだらと続けています。惰性で。たとえば、むしゃくしゃした不機嫌な人。自分が犠牲者だと思っている人。不平不満だらけの人。がいたとしましょう。もし、私たちが【本当の自分】を見失い、【どういう自分でありたいか】、そして【今、私はどんな気持ちでありたいか】といったことを選ばずに、ただ周りに流されてしまうと、今言ったような人たちが発する、より低い波動の方に自分を合わせがちです。特に意図しなくても、知らず知らずのうちに、相手の方に合わせてしまうんですね。朝起きて、さわやかな気分で一日をスタートさせたはずが、この手のネガティブな波動を発する人たちに出くわしたせいで、あなたの波動は下がってしまいます。そして、嫌な気持ちが残る。私たちは、今、この瞬間に固有の、ある一定レベルの波動で振動しています。どんな対象に関心を向けるかによって、私たちの波動は大きく上下に変動します。あなたが外の世界に出て行って他の人と交流する際、全員と仲良く、誰かを遠ざけようだなんてことは夢にも思わず、自分以外のみんなに喜んでもらえるよう気を配ろう、などと考えてはいませんか。そのような心構えでは、あなたは人生の荒波に翻弄されるがままになってしまいますよ。上がったり下がったり、はたまたあっちに揺れたり、こっちに揺れたり...。しかし、人間にはこれとは別の波動も備わっています。私はこれを【魂の波動(Home Frequency)】と表現しました。私たちの肉体の中に備わった魂の周波数、とでも言いましょうか。自分という人間について、格別に良い気持ちを抱いた時。「我ながらよくやった!でかした!」と、自分のことを誇らしく思った時。心の奥底からの楽しみや喜びを味わった時。誰にだってそうした時はありますし、また、思い出として心の中に大事にしまわれているはずです。このような時に表に現れる周波数、これが【魂の波動】です。私たち人間は、関心を向けたものに自然と波動を合わせるようにできています。関心を向ける。それだけで、波動が合わさってしまうのです。ですから、自分以外の、外の人間に関心を向けてしまえば、その人の波動に私たちの波動も一致してしまう。逆に、自分の内側に注意を向け、「本当の私って、どういう人間だろう」と探し続けるならば、そこには【魂の波動】が待っています。あなたの中核を成す、本当のあなたがそこにある。本来あなたに備わっていたはずの波動が、そこにある。気持ち良い波動のはずです。どっしりと安定していて、少しのブレや狂いも無い。ずっと永遠に続いていく感じがする。【魂の波動】をたとえて言うならば、赤ちゃんの瞳に輝く光のようなものですね。とにかく美しい。じっと見つめていると、いつの間にかこちらも声を出して笑ってしまいたくなる。こちらの心が自然と開かれていきますよね。この"Frequency"の本で書きたかったことは、【今、私たちは『選ぶ』ことが必要な時期に来ている】ということです。私たちは「自分の中にどんな気持ちをキープしたいか」を 選ぶ ことができるのです。また、ぜひそうしなければなりません。それを忘れないでいただきたいのです。外の世界で何が起こっていようが、関係ありません。自分の外に波動を合わせる必要は無いのです。他人に合わせたことで最悪の気分になるだなんて、そんなことは全く必要ありません。止めてください。自分の【魂の波動】と、それ以外の波動との違いを見極め、区別できるようになりましょう。そしていつもそこに立ち返るのです。【魂の波動】の方を選び続けるのです。何度も何度も。こうやって【魂の波動】を選ぶことを続けていけば、次第に感情のレベルが上がり始めます。分かりやすく言うと、あなたという人間がさらに愛情豊かで、忍耐強い、そして慈悲深い人間へと変化していきます。精神面についても同じことが言えます。考える内容のレベルが高まり、日頃考える事柄の質も向上していきます。画期的なことを思いついたり、創造力が高まったりするでしょう。寛容さを身に付けたあなたは、これまでにも増して他の人の力となって活躍できるようになります。要するに、ありとあらゆる分野において、あなたの生活の質が格段に向上するのです。
2012.10.31
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(12.09.12 リンク先を変更しました。本文の内容に変更はありません。)「ママ友」という言葉。好き?嫌い?聞く人によって反応がパキンッと二つに分かれる、何とも強烈な、踏み絵のような言葉です。私は自分の口からこの言葉を発したことはありません。だって、「嘘くさい」ですもん、この言葉。「友」じゃないような、どーでもいい程度のつながりの人を、無理矢理「友」のカテゴリ内に押し込めようとしている、そんな嘘くささを感じます。「子供達は友達~、だからあたしたちママ同士だって当然友達よね~」的な、いい年した大人同士の仲良しごっこを連想してしまうんですよね。いやはや、それにしても日本社会の「仲良しこよし」を強要する文化的圧力はスゴイですね。そして、その手のキーワードをこれでもか!これでもか!とゴリ押しするマスメディアのやり方も。ありゃ、立派な洗脳です。「ママ友=仲良し=良いこと」と、自動的に連想が働くように社会全体、特に狭い幼稚園だの小学校だのの母親社会は洗脳されちゃっているんですね。その「仲良しこよし」のママの輪に敢えて背を向ける、というのは、基本有り得ないとされます。流れに逆らうと、「あの人、変。」という理由でもって、午後のお茶会のネタになります。私自身は、とにかく「ママ友社会=めんどくさい」という印象しかありませんでした。たとえば、携帯メールへは必ず一分以内に返事という、暗黙のルール。(そんなにヒマなの?読み切ってしまいたい本とか、無いの?)移動中(歩いている途中)のはずなのに、やはり携帯メールへの返事は速攻で!が基本。(あのー、誰にも邪魔されずに音楽やラジオ聴きながら歩きたい、とか思わないんですか?)いくらダンナさんが夜遅くまで帰って来ないからと言っても、幼稚園児連れて人んちに毎日順繰りで7時近くまでダベって居座る。これってどうよ?(そんなによその家族と離れたくないのなら、いっそケッコンしちゃいなよー。)数年経った今では、「あー、皆、必死だったんだなぁ。ホントは違和感感じていたかもしれないけれど、『子供のため。』とばかりに、必死で社会から期待される【ママ友】像に合わせていたんだな。」と理解できるようになりましたけどね。でも、上辺を取り繕わなくてもよい、ママ抜きの「友」だったら、そこまでめんどくさいことにはならないのになぁ...。こんなことを考え始めたのは、一週間程前のニュース記事がきっかけでした。異例! 都内の小学校で「ママ友」会合禁止令〈AERA〉「学校外での有志による保護者サークル等の開催について自粛をお願いします」...こんなお達しが入学式の席で保護者に配られたそうです。平たく言うと、「ママ友同士でゴタゴタするのもたいがいにしろっ!トラブル起こして学校に苦情持ち込まれるのはもうたくさんだ!いっそ、そんな付き合いなんて最初っから止めてしまえ!!!」ということ。しかも、自粛勧告はもう二年前から出されているのですって。親同士・親子同士の人間関係のもつれによる誹謗中傷、SNS上での個人攻撃など、この小学校の周辺では以前から「ママ友」絡みのトラブルが絶えなかったようです。ま、ここまではどこの学校でも多かれ少なかれ耳にするような話。残念ですが。それが、毎年四月の「ママ付き合い自粛勧告」にまで発展したのは、児童の親同士を巻き込んだ、とある「大事件」が起こったことによります。私立中学の入学試験を受けて、無事合格した児童がいたのですが、その子の保護者になりすまして「入学を辞退します」と、ウソ電話をかけた親が出たらしいんですよ。犯人は、事前に被害者の児童が受験する学校名、そしてそこに合格したという事実を知り得た人物、ということで、同じ学校に通う他の子供の親...と、ほぼ絞り込まれた模様です。恐らくはそのなりすまし親の家庭にも、同時期に中学を受験した子供がいたのでしょう。そちらの子供の結果が「サクラサク」だったか、「サクラチル」だったのか、記事からはわかりません。ただ、「辞退します」と、なりすまし電話を掛けなければどうにも気持ちが治まらなかった。そこまで被害者のお子さんとその家族とが妬ましかった。...これだけは確かだと思います。一体、どれだけ卑怯な行為に出れば気が済むというのでしょうか。善悪の判断もつかなくなる程、嫉妬に狂うなんて。しかも、最大の被害者は相手の「親」じゃなく、そうした大人達のイザコザに翻弄された小学6年生の「子供」ですよ、「子供」。(そういえば、十年程前の、いわゆる「音羽お受験事件」、覚えていますか?妬みの対象となった幼いお子さんの命が奪われるという最悪の結果になりましたね。忘れたくても忘れられない、何とも痛ましい事件でした...。)こんな事件が何件も重なると、学校側としても「どうせ揉め事起こすんだから、母親同士の交流なんて最初っから止めてしまえ!」と言いたくなりますよね。わかります。いい年した大人に「一緒に遊ぶな、つるむな」と、わざわざ印刷物用意して通達しなけりゃいけない、そのバカバカしさ。だからと言って、何もしないでいては、きっとまた新たな被害者が生まれて、その都度学校側が火消しに追われることとなってしまう...。何たる不毛。最近、ペニー・ピアースというアメリカ人女性の書いた"Frequency"(周波数)という本をようやく読破しました。いろいろな方面から仕入れた知識・学びを集大成してくれた、という意味で、「出会うべくして出会った良書」だった、と思います。おかげで、今回のタイトルである【「ママ友」は「友」ではない。】を改めて確認することができました。今回から数回に分けて、この厄介な「ママ友」という、メディアが無理矢理作り上げた、嘘くさいハリボテの人間関係に、ちょっくら蹴りを入れてみようかな、と思います。【送料無料】FREQUENCY:POWER OF PERSONAL VIBRATION(B) [ PENNY PEIRCE ]日本語版は、数々の精神世界本(「聖なる予言」ほか)の翻訳で知られる、山川紘矢・亜希子ご夫妻による訳でとっくの昔に発売済みです。私は持ってませんけど...。【送料無料】人生を変える波動の法則 [ ペニー・ピアス ]ペニー・ピアース女史については、既にいろいろな方が個人ブログなどで紹介されていますが、ごく簡単に紹介しましょう。「直観カウンセラー」として活動中の彼女は、夢や直観に関する著作を発表した後、満を持して2009年に上の「人生を変える波動の法則(原題:Frequency-周波数-)」を出版。以前は個人リーディングセッションなどで、日本にも度々来訪・滞在。最近はもっぱら「家でゆっくりと落ち着く時期に入った」とのことで、アメリカ国内を中心に活動中。年に数回、東海岸の数箇所で週末ワークショップ/セミナーを行う以外は、自宅にて来年出版予定の自著の仕上げに取り組んでいる。」"Frequency"を以下にざっくりとまとめちゃいますね。【精神の周波数(波動)を、できるだけ高いレベルに引き上げて、その状態を保ちましょう。わたしたちが本来持つ、崇高で慈愛あふれる魂を堂々と表に出して、変革の時代を乗り切っていきましょう。恐れ・不安・怒り・嫉妬、復讐、嘘、...などといった、ネガティブな思いぐせはもう必要ありません。「直観」により物事の本質が全て明るみにされるのが、これからの時代。ネガティブな思いグセから出た古い行動パターンは、遅かれ早かれすべて行き詰まります。だから、ネガティブな思いぐせは全て手放してください。そうした心の不要物を極力取り払った状態、すなわちあなた本来の周波数(Home Frequency)に何度でも、いつでも、立ち戻っていきましょう。あなた本来の周波数をキープしながら心を開き、目の前のことに注意を払うこと。道は自ずから開かれます。必要な助けは与えられます。過去にも、未来にも、こだわり過ぎないことです。】下の動画でも同様のことをおっしゃっていますね。*上のビデオに日本語字幕(初挑戦!)を付けてみました残念ながら、この楽天ブログでは直接の埋め込みができません。興味のある方は、下のリンクをクリック!してくださいね。別サイトのウィンドウが開きます。画面左下、Select languageのプルダウンメニュー中のJapaneseを選択して、再生ボタンを押してください。http://www.universalsubtitles.org/ja/videos/BEaPumgUiKEH/info/penney-peirce-frequency/「ママ友」と「友」、どこが違うのでしょう?ペニーさんの用語を使うと、こんな説明になるでしょうか。「ママ友」とは、十中八九、「ネガティブな思いぐせ」の上に築かれた人間関係。一方、「友」は、私たちが本来の周波数(Home Frequency)に立った状態でつながる、噓偽りの無い人間関係。 ...この辺り、具体的に例を挙げてもう少し続けていきます。
2012.10.14
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【ありえない人々(Impossible People)との付き合い方】 http://www.wikihow.com/Deal-With-Impossible-People【注意】 くれぐれもあなたの方から「ありえない人」を怒らせないようにしよう。 この手の人は、「癇癪(かんしゃく)なんて起こさない」し、「誰にでもきちんと接する」人との印象で、普段は(当たり前だが。)通っている。 だが、一度その怒りに火が点くと、信じられない程の物凄い勢いで大爆発を起こす。それは事実だ。あの大爆発に比べれば、あなたがこれまで感じてきたイライラも、もやもやも、実にカワイイもんじゃないか、とすら思えるだろう。もはや理屈なんて通用しない域へと突入、である。理屈に訴えるのではなく、あなたからは「これは小さい子が起こす癇癪と同じようなものだ」と見方を変えて相手と向き合おう。ただし、その気持ちを向こうに見透かされないよう、うまくやること。(下手をすると、「あなた、私のことバカにしてるじゃないのっ!」という猛反撃を呼び込んでしまうから。)こうした対人スキルをサッと使いこなせるようになるためには、ある程度の練習が必要だ。だが、努力するだけの価値はある。場合によっては、「この人、身体の調子が悪いのだな。」と考えるといいだろう。外からの助け、そして、常に誰かに管理されることを必要とする状態、それが「病」である。こう考えれば、あなた一人で対処しきれないのは、ごく当たり前のことではないか。ブラックメ-ル著者:スザン・フォワ-ド価格:1,890円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見る【↑「毒になる親」のSusan Forwardさんのロングセラーですが、またもや日本では入手困難ですか...。アメリカでは版を重ねて、「毒親」よりも部数出ているのになあ。】土壇場での開き直り → 一発形勢逆転! を警戒せよ。何とか「ありえない人」の方に非がある(それも全面的に)、という確証を突きつけることができたとしても、土壇場に来て一転し、開き直る!という手を使われる恐れがある。「はい、そうです。悪いのは何もかも私なのです。何をやろうと、どんな状況に置かれようと、とにかく100%私が悪いのです。」と本気で信じ込み、それを口に出すこともためらわない。これが彼ら特有の対処法だ。背後には、「自分が先に悪者になることで、周囲の人から同情を集めて、その人たちを味方に取り込んでしまおう。」との意図が見え隠れしている。「ありえない人」についてあなたがどう思っているか、絶対に誰にも話してはいけない。あの人からひどい目にあっているんだ~、と、誰かにポロリと漏らしてしまい、たまたまその相手も同じような思いを抱いていた、としよう。その場合、あなたが深く考えもせずに口を滑らせたことが、打ち明けた相手の口からまた漏れて、別の誰かに伝わる、という流れが充分予測できる。そのうち、話は「ありえない人」の耳にも届く。どんな経路で話が伝わったか、そんなことはどうでもいい。「ありえない人」は、何が何でもあなたのイメージを貶めてやろうと、なりふり構わず反撃に出てくるだろう。発信源=あなた、ということは明らかなのだから。とはいえ、複数で立ち向かうのが有効な場合もある。 「ありえない人」をどうしても避けられないのであれば、誰かとタッグを組むような形で、共同戦線を張って対処する方がうまく行くかもしれない。一人が今、この瞬間にやっつけなければいけない事に取り組む傍ら、もう一人がちょっと一息つく、といった具合に。個人情報は漏らさないよう、徹底してガードを!「ありえない人」は、あなたの私生活についての情報が漏れてくる、その瞬間を狙っている。あなたを追い詰める切り札として、いざという時に使えるのならばどんな些細なネタだって構わない。ランチの席であなたが口にしたちょっとしたことも、彼らの耳に入れば話をねじ曲げられた後、他の人々(特に、あなたと「ありえない人」両方に近しい人)へ次々と伝わっていく。他人を操ることにかけては、彼らほどの腕利きスペシャリストはそういない。だから、あなたも「ありえない人」の前だと、つい余計なことをしゃべり過ぎてしまうのだ。「ありえない人」は、一見、普通っぽく振舞うのが上手だ。あなた自身がちょっとやそっとではびくともしない、確固とした【自分】を持っていて、この人物から漂う、そこはかとないもやもや感に気付いてからも付き合える、と言うのであれば大丈夫だが、さもなければ危ない。「なんだ、この人、そんなに嫌な人じゃないんだ。それならば、私が今悩んでいることについてちょっと話してもいいかな...。」 これ、大間違いだ。うっかり犯した過ちは、「よりによってこんな時に...」というタイミングで、再びあなたの身にはね返ってくる。しかも、この上なく卑劣な、腹黒いやり方で。深夜のオフィスで「ここだけの話なんだけど」と、あなたが「ありえない人」に打ち明けた話が、全社員が見守る中で冷酷非情な分析のメスにさらされていく。「ありえない人」ならば、これぐらいは平気でやる。あなたを踏み倒して上に行きたいから。「ありえない人」は、自分がどの程度あなたと親しいか、ということや、自分はあなたを一番上手に扱う方法を知っているんだよ、ということを他の人に話したくてたまらないのだ。使える情報とあらば、絶対に見逃しなどしない。「ありえない人」だけに非がある、との事実を相手に突きつけるのは厳禁。 そんなことをしても、相手からは「違う!」という否定、そして、口を閉ざしておけなかったあなたを逆に責める立てる類の言葉が、山のように返ってくるだけであろう。(ただし、上に書いたような特別な状況なら、他の人に話すのはOKだ。また、ネット上限定の別名を使って、ブログに書き込むのもいいだろう。)言葉以外の、身振りや仕草などにも注意を。下手に誤解を招かない方がいい。身体的な接触をする際は、気をつけること。背中を軽くポン、と触れた程度でも、「ありえない人」の癇に障ることはあるのだ。たとえその人が物腰の柔らかさにかけてはピカイチ、と知られたような人であっても、用心するに越したことはない。「ありえない人」に、この文章や似たようなアドバイスを見せてはいけない。 「ほら、こんな具合に、あなたにはとても迷惑しているんですよ。」なんて、口が裂けても言わないこと。何度でもしつこく繰り返そう(そう、繰り返さなければいけない)。そんなことをしても、あの人たちに言う事を聞かせるなんて、無理と言ったら絶対無理、なのだ。「何とかしてわからせたい」などと、たわけた事を望んでも、結局はまた非難ごうごうの大嵐に見舞われるだけだ。そうなってしまえば、「ありえない人」は一層あなたに対する恨みをつのらせ、二人の仲も泥沼状態へと陥っていく。*「ありえない」のは、あなた の方ではないのだ。これを忘れずに。あなた自身が「ありえない人」になっていないだろうか。ここまで書いてきた付き合い方15か条や、役に立つヒントを実行へと移す前に、一度我が身を振り返ってみよう。さもないと、あなたが自分で自分を傷付けることとなる。別れる潮時を、うまく見極めよう。相手との関わり合いで身も心も疲れ切ってしまった。もしくは、突然見境なく激昂する相手に身の危険を感じていて、身体面こそ無傷ではあるものの、長期間にわたって精神面がダメージを受けているのであれば、その関係は終わりにしよう。できるだけ早く、実行に移せる準備が整ったら、相手との関係をスッパリと断ち切り、それ以降のやり取りは一切拒否すること。恐らく、「ありえない人」の方から何度もコンタクトを取ってくるだろう。それを拒否すれば、また各種のハラスメントや中傷の嵐が待ち構えている。あなたの友達にあなたの話を持ちかけては情報を聞き出し、どんな些細な噂話でもあなたが絡んでいればすかさず取り込み、後はやりたい放題、と、色々なことが起こるだろう。もう一度、この人物に会って話さなきゃいけない。...そんな誘惑に駆られる時もあるだろうが、絶対に負けてはいけない。二度と関わってはだめだ。共通の友人が「ありえない人」の近況を伝えに来るかもしれない。その時はこう答えよう。「あのね、あの人のことはもう耳にしたくないの。もう終わったことだから。」This work is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 3.0 Unported License. ゲシュタルト療法の創始者・フリッツ・パールズの手による「ゲシュタルトの祈り」。優しい映像と言葉に、ほっと一息つくとしましょう。
2012.03.17
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【ありえない人々(Impossible People)との付き合い方】 http://www.wikihow.com/Deal-With-Impossible-People【役立つヒント】 (前回より続く)「ありえない人」との経験を通じて、あなたは貴重な人生勉強をさせてもらっている。そのように考えようではないか。 ああいう人たちにさんざん振り回された後では、他の人との付き合いもそれほど難しくはないさ、と感じられるだろう。難易度最高レベルの困ったちゃんの扱い方について無料レッスンを受けられたのも、彼らのおかげだ。今はしんどいかもしれない。でも、いつかきっと、ここで学んだことを活かせる日はやって来る。「自分は モラル・ハラスメント(モラハラ)の被害者だ」という事実に真正面から向き合うことで助かる人もいる。 モラル・ハラスメントについて詳しく知りたい人は、このトピックを専門に扱った書籍を参照されたい。 【黒犬べーやん・注】モラル・ハラスメント(モラハラ)=WikiHow原文の英語はemotional abuse(精神的虐待)。英語圏の用語をそのままカタカナ化することの多い日本ですが、精神的・心理的虐待の訳語としては「モラハラ」がすっかり定着した感があります。フランス人精神科医 マリー・フランス・イルゴイエンヌ女史の手による、これらの本がロングセラーとなったためでしょう。【送料無料】モラル・ハラスメント【送料無料】モラル・ハラスメントが人も会社もダメにするなぜ邦題が「モラル・ハラスメント」になったのかの経緯については、日本語版訳者の高野優氏による説明をどうぞ。http://booklog.kinokuniya.co.jp/scripta/archives/2009/07/post_3.htmlちょうど「セクシャル・ハラスメント(セクハラ)」という言い回しが社会に定着してきた、そんな時期(1999年)に上の本が出版されましたね。この「モラル・ハラスメント」のおかげで、友人の一人が地獄のような日々から解放されました。「絶対読んで!」と言われてから早十年近く...。そろそろ重い腰上げて二冊イッキに大人買いしようかなぁ。 「否定的な注目でもいい。誰からも注目されないよりはましだ!」とでも言わんばかりに、愚かしい行動に出る人もいる。そんな人に対しても、あなたは優しく、気さくな態度で接してあげよう。 本当は寂しくてたまらない。でも、どうやったらみんなに関心を向けてもらえるのか、やり方がわからない。そういったタイプならば、あなたが示す思いやりを嬉しく思い、自分から変わろうとしてくれるだろう。一方、他の人を怒らせるのが生きがい、といった、どうしようもない奴がトラブルメーカーの場合、話は別だ。前者の不器用な寂しがり屋さんと同じように、こちらが親切にしてやっても、このタイプには通じない。それどころか、「ん!? こいつ、なかなか爆発しないな。ちょっと、一体どういうことなんだ、これは!」と、先の展開が読めないことに業を煮やし、ブチ切れするのだ。いずれはあなたに見切りをつけて、どこかへと立ち去っていくことになるだろう。あなたにとっては、「愛ある行動」がカギだ。置かれた状況によっては、それは途方もなく困難な選択になるかもしれないけれど。この手の人たちには、反対意見で返してはいけない。 相手の方が間違っているとわかっていても、何とか「あなたのおっしゃることで合っていますよ」との肯定メッセージで答えてみよう。例えば、「ありえない人」から「あなた、お金を寄付したんですってね。どうせ人気取りか何かのためにやったんでしょ。」と来たとしよう。あなたはそこで、「そうですね~、そうかもしれないですね~。」と、そのまま流してみるのだ。常に言い争いの火種を探し回っている「ありえない人」も、あなたから「それ、正しいかも~。」と肯定されてしまっては、出鼻をくじかれて戦意喪失...となるだろう。【送料無料】アタマにくる一言へのとっさの対応術【送料無料】グサリとくる一言をはね返す心の護身術(↑この二冊、著者がドイツの人ということで、アメリカ在住の私はつい最近まで知りませんでした。今、ものすごく気になっています!合気道のテクニックからヒントを得た言い返し方なんですって。面白そう~!アメリカの「困った人対策本」同様、日本人がそのまま取り入れるのには難しい部分もあるのでしょうが、ぜひ読んでみたいです。あぁ、円高なのに欲しい本が次から次へと...。) 「ありえない人」を、あなたの生活圏内から締め出してしまうこと。 これが一番健全な対処の仕方だ。何といっても、これに勝る方策は無い。あなたをメチャクチャにするような人物との関係を長引かせることで、これ以上自分をいじめるのは止めにしよう。我慢をしないことだ。あなたはもっと良い目にあってしかるべき人なのだから。この人物を「直す」ことは不可能だ、ということをくれぐれもお忘れなく。「ありえない人」から手ひどく扱われたり、誹謗・中傷攻撃を受ければ、他の人も次第にあなたに同情を寄せ始めることだろう。あなたの方からは何一つ行動を起こす必要はない。あなたが全く手を下さなくとも、「ありえない人」は自らの墓穴を掘ることになる。醜態を目の当たりにすれば、周りの人々だって良くは思わないようになるだろう。たとえ「ありえない人」の怒りがあなた一人に向けられていたとしても、他の人もあなたと同じように不快感を覚えるだろう。何一つポジティブな要素が見当たらないような時でも、気持ちはポジティブな方向へと向けるようにしよう。 「あの人だって、神様には愛されているんだから。」このようなシンプルな言葉を唱えるだけでも、イライラは治まるものだ。もっとも、あなた自身は、その人のことなんてこれっぽっちも愛していないのだろうけど。別にそれでも良いのだ。参考書籍:"Toxic Co-Workers"(「毒になる職場の同僚」)2000---邦訳未刊--- Alan A. Cavaiola, Ph.D.とNeil J. Lavender, Ph.D.の共著。厄介な人々と付き合わねばならない人にとって、役立つアドバイスが満載である。無視すること。 声を大にしてわめき散らす人は、実は人からの注目が欲しくてたまらない人だ。こういう人にお灸を据えてやりたいのであれば、本人が望んでいるような注目を一切与えないこと、これに限る。あなたの気を引くのはどうやら難しそうだ、となれば、その人だって、自分の望むような形で関心を向けてくれる他の誰かを見つけて、そちらへと場所変えしていくだろう。何もあなたがその「誰か」になる必要は無いのだ。(次回は【注意】の項へと移ります。)This work is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 3.0 Unported License.
2012.03.10
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【送料無料】境界性パーソナリティ障害=BPD前回、上の本を7割程読んだところ、と書き込みしました。読み終えてから、改めてこの英語版WikiHow・「ありえない人」シリーズをおさらいすると、アドバイスの大筋は一致していますね。素人・玄人、いろいろな人が力や経験を出し合って寄せ書きしたWikiHowではありますが、あなどってはいけません。そこそこ上手にまとめられていて、かなり良心的な内容ではないかな~、と思います。(だからボチボチ日本語に直してみよう!と決めたわけですが...。)特に、前半部「付き合い方・15か条」で再三繰り返している、「相手から怒りや非難・罵倒をぶつけられても、それをそのままぶつけ返すな。」 については、心から肯けます。相手は恐らく境界性(ボーダーライン)パーソナリティの人ですね。確かに、怒りなどの【負の感情】を相手にぶつけ返さないって、大切...でありますが、また同時に、大変なことでもあります。並々ならぬ忍耐力、精神力、そして人一倍のストレス耐性が要求されますから。何も考えず、エイヤッと投げ返すことができたら、どんなにか楽になるだろうね、こんなイヤ~な気分にさせられたんだから、一発仕返ししたいよね、と、悪魔が耳元でそっとささやく時だってあるでしょう。やられたらやり返せ...なんて、ジャイアン(「ドラえもん」の剛田武)よろしく、血の気タップリの報復につい出たくなる。ええ、そんな気持ちだって、よ~くわかります。(他人を責める方が、自分を責めるよりも簡単だ、という性格タイプもありますからね。たまたま私の場合は、自責傾向~私ってダメダメ~が際立って強いので、攻撃は内向きのことが多いですが。)でもね、そこをグッとこらえるのです。だって、あなたはもう大人なのですよ。スーパーのレジ前でも遊園地の出口でも、所構わずかんしゃく爆発させる嵐の2歳児ではないのです。一人前の大人として、自分の衝動にギューーーッとブレーキをかけねばなりません。時間はかかるかもしれません。でも、きっといつか、こらえてよかった、反撃しなくて良かった!(自分、エライ!!!グッジョブ!)...と、明るく語れる日が訪れますよ。そして、ふっと心がほぐれた時に、頭の中をこんな考えがよぎっていくことでしょう。「あの人の非難攻撃って、私を狙ってきたように 見えた けど、実は、あの人の人生〇十年を、影から背後霊のように操ってきた、【苦しみ】という巨大な魔物に向けて放たれたものだったのか。」「あの時、本当に彼がやっつけたかったのは、自分をがんじがらめに縛っている魔物・【苦しみ】の方だったのだな。」「彼女、どうしたらうまく自分の内に棲む敵と闘えるのか、全くわからないみたい。しかも、耳も目もすっかり塞いじゃって、外からの情報をシャットアウトしている。だから、ただ闇雲にその怒りやら、非難やらを目の前の私にぶちまけるしかなかったんだ。」「自分の中に巣食っている【魔物】と私とをごっちゃにされたとあっては、こちらの言い分は聞いてもらえないだろう。元通りの付き合いは無理かな~。」...そこまで落ち着きを取り戻せたら、後は【Part2】の第10か条目・「いずれ袂を分かつことになる」のプロセスへと一目散に進むしかないのでしょうね。家族やパートナーなど、なかなか疎遠になることが難しい人々の場合は別でしょうが、単なる「知人」(いわゆる)「友人」「同僚」のカテゴリに属する人であれば、私だったら、もう、ここで見切りをつけます。心理や精神医療の専門家ではないので、これ以上の重責は担うことができません。できないことは安請け合いしちゃいけないのです。餅は餅屋に。心理療法はプロに。 「あの人はなぜあなたを疲れさせるのか」の著者・アルバート・バーンスタイン博士だって、こう言っています。 「あなたの知っている人に心理療法を施してみよう、なんてゆめゆめ考えるな。相手も、あなたも、どちらもおかしくなるのが関の山だから。」自分の苦しみは自分で何とかする。また、相手にもなるべく自分の力でもって解決してもらうよう、促す。そうした「自助努力」の交際ルールを守れない相手ならば、「元気でね。さよなら。」と心の中で別れを告げてもいいですよね。【Part1】の3.「世の中には、どう頑張っても反りが合わない人々もいる。」にある通り、あなたとその人が単に相性が悪過ぎただけかもしれません。うまく行かない人間関係を解消する、というのは、決して「人でなし」な行為ではないですよ。むしろ、自分の身の程を知り、なおかつ引き際を知っている、賢明な人のやることです。そのことで、相手と自分をさらなるダメージから守ることができるのですから。「あちらさんにも、いろいろな面でもっと相性の良い人間関係が用意されているはず。だから、自分はそのためにサッと席を空けて、次の人に譲ってやるのだ。」...このように考えれば、少しは気持ちが楽になりませんか?自分自身を、そして自分の大切な人々を守るため、どうか積極的に解決法を探っていってください。心の自由を、取り戻してください。上に紹介したような本など、心のケアに必要な情報は世の中にたくさん出回っています。ネット時代の今、専門家の手による情報サイトや被害者サポート掲示板だって、いろいろあります。どこから手を付けてわからなければ、心理の専門家と会って、話を聞いてもらうのが近道だと思います。例えば、こんなユーモア満点の先生に会えるようなカウンセリングだったら、どうです?行きたくなりません?あ、別に回し者じゃないです~。でも、この先横浜に戻って生活することがあるならば、ぜひこちらのクリニックにお世話になりたいなぁ。HPの「モンキークリニック」は架空の存在ですけど、ちゃんとHP中に本物のクリニック@横浜市都筑区 の案内がリンクされていますよ。http://monkeyclinic.seesaa.net/...期間限定・戦場カウンセラー...ならぬ、「かうんさるー」(トップページ・左下にリンクがあります)、ウケちゃいました!個人的には、フレネミーについての解説、とても興味深かったです。この日記の一番下の方に登場する、「演技性パーソナリティ障害」と関連付けての説明、新鮮でした。そっか、自己愛性じゃないのですね~!http://monkeyclinic.seesaa.net/article/219766335.htmlさ、それでは「ありえない人」シリーズ、先を急ぎます。【ありえない人々(Impossible People)との付き合い方】 http://www.wikihow.com/Deal-With-Impossible-People【役立つヒント】★重要!!!★問題となっている人物があなたにとって大切な人で、長期間にわたって係わり合いを持たねばならないような場合は、一度専門家と会って相談することを彼らに勧めてみよう。泣き寝入りはしない。一人で犠牲者の立場にとどまらないこと。「ありえない人」に立ち向かう前に、あなた自身が感情を上手にコントロールできるよう、ノウハウを学ぶ必要があるだろう。仕事、家族関係、その他の関係で「ありえない人」をどうしても避けられないのであれば、何か他に興味を持てることを見つけるのはとても大事だ。サポートグループ、各種セラピー、宗教的な見地からのカウンセリングなど、必要に応じて利用しよう。上とは逆に、彼らに「犠牲者」役を取られてしまい、★あなた★がさらに落ち込む、というシナリオも避けたいものだ。「難しい人」が「私、犠牲者なんです」と周囲にアピールすると、あなたの立場も危うくなってくる。これは実に大きなストレス源となる。相手がそうした言動を見せる度に、あなたの中に罪の意識、そして「えっ?! どういうこと、これ?!」という混乱状態が蘇ってくるからだ。相手の手口に気付いたら、あえて一歩引いてみよう。あなたの方から「ありえない人」の機嫌を取ってやったり、譲歩してやったりすることで、彼らは間違いなく自分から墓穴を掘っていく。結果は、「自業自得」である。人間ならば、誰もがある程度は性格面での「障害/不具合」を他人の前で露呈するということがあるもの。どこからどこまでが「普通」で、どこからが「おかしい」のか。線引きは人によって違う。単にそれだけのことだ。**「演技性パーソナリティ障害」:この障害を持つ人は、性別に関わらず「ドラマクイーン」(どうでもいいような話を大袈裟に膨らまし、過度に劇的なストーリーに仕立て上げる話し方をする人。)と呼ばれることが多い。人の注目を集めることが生きがいで、自分に関心を向けるためになら何でもする。住む所も、着るものも、子供の学校も、全て「イケてる」かどうかが決め手となる。 **「受動攻撃パーソナリティ障害」:受動攻撃タイプの特徴は、敵意を直接ではなく、遠回しに表現することである。表立って攻撃はしないが、他人の神経を逆撫でするのが得意だ。...例1:夕食に招かれた客が、無邪気に放ったセリフ。「素晴らしいご馳走だね。安い肉の切り身でも、こんなに美味いもんが作れるとは。知らなかったよ。」...例2:「私のことは心配しないで。大丈夫だから。」と、口ではそう言う相手を前にして、「全然大丈夫じゃないよ~、この人。」と、内心気がかりなあなた。もし、相手の言葉を額面通りに受け取って、「そうなの。じゃぁね。」と、そのまま立ち去ってしまえば、後から大問題となるのは火を見るより明らか。「あぁ、あの時にちゃんと手を打って置けばよかった。」とそこで悔やんでも、後の祭り、である。(以下、次回へと続く)This work is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 3.0 Unported License.
2012.03.03
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そもそも、「ありえない人」(impossible people)...って、何ぞや?まずは、こちらのブログでしつこく(笑)ご紹介してきました、「エモーショナル・ヴァンパイア(心の吸血鬼)」の範疇に属するような、そんな「あなたの周りの困ったチャン」な人達、であることは間違いないですよね。ご自身の霊的能力や、夢、生体エネルギーなど、従来の精神医療では「異端」とされてきた領域を、患者さんの治療に積極的に取り入れているジュディス・オルロフ博士(Dr.Judith Orloff) 、それから、ピリリと辛口のユーモアでもって読者を愉しませつつも、バッチリ教育してくれる臨床心理学者・アルバート・バーンスタイン博士。私の知る限り、アメリカで「エモーショナル・ヴァンパイア」と言えば、このお二人が代表的な「その道の権威」ですね。特に、オルロフ先生はメディアへの露出が多いので、一昔前の「エナジー(エネルギー)・ヴァンパイア」よりも、最近ではもっぱら彼女が用いる「エモーショナル・ヴァンパイア」の呼称が主流となりました。そして、「人格障害」「パーソナリティ障害」(personality disorders)という、従来型の心理学・医療用語でもって、種々の「ありえない人」を解き明かしている方々。こちらはあまりにも多過ぎて枚挙にいとまがありません。実際に読んだ日本語入門書の中で、「この一冊!」を問われたら、京都医療少年院に勤務されている医師・岡田尊司さんの下の本を推します。PHP新書の入門書も良書なんですけどね。でも、こちらの平凡社新書の方は社会全体との関わりにも詳しく言及されており、タイトル通り、現代をダイレクトに反映した視野の広さが魅力です。【送料無料】人格障害の時代印象として、「人格障害の時代」は当事者以外の人々向きでやや辛口、「パーソナリティ障害」は当事者&家族向き、口当たりはマイルド...ってとこでしょうか。「境界性パーソナリティ障害」 (英:borderline personality disorder、通称「ボーダーライン」「ボーダー」「ボダ」←ネット掲示板用語?) (※本日より、岡田先生その他の人々の例にならい、「人格障害」ではなく、「パーソナリティ障害」に用語を統一いたします。)...って、耳にされたことある方は多いと思います。が、 「高機能境界性パーソナリティ障害」 ...って、皆さん、ご存知でしたか?つい最近まで、私、全く知りませんでした。境界性/ボーダーライン、で思い浮かべるものといったら、感情の起伏の激しさ、自傷行為(リストカットなど)、見捨てられることへの恐怖、薬物・アルコールなど嗜癖に関する問題(なんか80年代の超人気アイドル・少女Aさんを彷彿とさせますね...)それら、「教科書的な」境界性パーソナリティ障害(以下、BPDと略)の特徴って、低機能BPDの患者さんに当てはまることが多いのだそうです。世に出ているパーソナリティ障害の解説書でも、説明は低機能ボーダーラインに関するものがほとんどです。そして、医療現場、それも精神医療の専門家達の間でも、高機能ボーダーラインを的確に診断できる人材はごく少数と言います。世界の最先端を行くアメリカでさえ...!素人がなかなか気付かなくても、そりゃー仕方ないよ、ってくらい、まだまだ未知の領域なのです。...【高機能】境界性パーソナリティ障害を持つ人は、【ごく普通の人として、ごく普通に日常生活や仕事をこなすことができる。場合によってはかなりの社会的地位を確立しているので、外見だけではその問題の深刻さが全くわからない。】というのが特徴です。だから、職場ではバリバリと第一線で活躍しまくるあの人も、ボランティア活動に献身的に励んでいる「いい人」の彼女も、学校では成績優秀な模範生として通っているあの子も、ひょっとしたら「そうかも」しれない。「対人操作」に非常に長けていて、自分を傷つける(低機能に多い)よりも、唐突な「こき下ろし」「非難」「責め立て」によって、ごく身近な人々を傷つけます。「自分はどこもおかしくない」と頑なに信じ込み、心理療法や医師の診察を拒み続けるため、家族は苦労します。比較的若年層が多い低機能グループと異なり、高機能の場合、必ずしも年齢が若いとは限りません。50代、60代の人もいます。従来の診断基準に引っ掛かっておらず、医療の網からボロボロと漏れていた...単にそれだけのようです。この文章を読んでいらっしゃる方なら、おそらくは一人や二人、「ありえない人」と過去に出会った実体験をお持ちなのではないでしょうか。と、勝手に推測します。でなければ、こんな【不愉快な】トピックなんて、サッとスルーして「見なかったこと」にしてしまうでしょ(笑)?で、あなたはその、「ありえない人」との間に、こんな経験をしませんでしたか?「心地良い春の日差しを楽しんでいたところ、突然、空がどす黒く変わったかと思うと、ドドーン!!!と強烈な雷に自分のハートを直撃されて、息の根を止められた。」...わかりにくい比喩、すみませんねぇ。でも、素人の自分がこれ以上出しゃばって知ったかぶりをするのは、倫理的にダメ!A big no-no! だと思うのですよ。これ、長い年月と、多大なる努力を積み重ねてプロフェッショナルの称号を手にされた方々に対しての、私なりの敬意の表し方です。(2012.01.16の「臨床心理士はつらいよ」 前・後編をご参照ください。) 世間の人には、「あのようなちゃんとした人」があなたをターゲットにしてそんなことするなんて、全く信じられない、嘘みたいな話、と聞こえてしまうのです。もし、誰かに窮状を訴えたとしても、「あんないい人を悪者扱いするなんて!あなたの方に非があったんじゃないの?」と、軽くあしらわれてしまう。そのくらい、外からは「わからない」のです。この「高機能境界性パーソナリティ障害」の別名、それは"invisible borderline"、(見えないボーダーライン)だそうです。もし、何かここで引っ掛かるようでしたら、ぜひ、この「高機能境界性パーソナリティ障害」について、徹底的にリサーチされることをお勧めします。「高機能」「境界性」「ボーダーライン」「ボダ」などのキーワードを色々と組み合わせて、ググッてみてください。何か、「あぁ、そうだったのか!」と合点がいく記述に出会えると思います。幾人か、個人のブロガーさんが詳細に解説されていたので、詳しくはそちらに譲りたいと思います。こちらの「ソレア心理カウンセリングセンター」の記事、「境界性パーソナリティ障害(BPD)の方を周囲から見守る人のための5つのパワーツール」の文中、真ん中よりちょっと上の 4)高機能BPD の項を読んでみてください。http://www.solea.main.jp/?eid=652292#sequel です。 (他の記事も勉強になります。リンクフリーとのことで、紹介させていただきました。ありがとうございます!)上の記事中に紹介されていた、ランディ・クリーガー女史の著書(ポール・メイソンとの共著)です。【送料無料】境界性パーソナリティ障害=BPDこれは、境界性パーソナリティ障害を患う方ご本人のため、ではありません。 それは予めお断りした方が良いでしょう。【周囲の人向け】に、対応の仕方を指南してくれるマニュアル本です。「困ったチャン」に好かれやすい、と、うすうす感じている方(境界性パーソナリティに限らず。)なら、一読の価値があると思います。どのような性格が「ヴァンパイアさん、カモ~ン!餌はこっちだよ~!」になってしまうのか。そして、それをどのように改善していったら良いのか。その辺りを詳しく順序立てて教えてくれます。まだ私も7割程(英語版なのでノロいです...)しか読んでいませんが、それでも、すんご~く役に立った、種明かししてもらって良かった、と、感じる場所がたくさん見つかりました。「アダルトチルドレン」「共依存」「低い自尊心」...このようなキーワードにビクッと反応しちゃう方ならば、きっとこの先の人生を生きていく上で、頼もしい盾と鎧のような存在となってくれるでしょう。あくまでも、 ☆自分☆ と、 ☆自分の大切な人々☆ をを守るための、盾と鎧です。相手を傷つけ、死に至らしめるような銃や刀は要りません。持つ予定も無いです。人知れぬ苦しみへの理解、思いやり、そして離れたところから「早く助けを求めて、平和な日々を迎えてね。」と祈る心。それだけあれば十分ではないでしょうか。そして、前に進むのです。"Sometimes God holds your shoulders so lightly that you don't feel it. "「神はあなたの肩を抱いている。けれど、それがあまりに軽やかなので、あなたは気付かないこともあるのだ。」 (ジュディス・オルロフ「ポジティブ・エネルギー」矢鋪紀子 訳、サンマーク出版、2006、p.65)
2012.02.25
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前回、前々回に引き続き、「付き合い方15か条」です。いい英文和訳の練習になってます。たまにはこういうのもやらなきゃ、ですね。(これヘンだよ、とお気づきのところがありましたら、ぜひコメント欄などでご教示ください。よろしくお願いします。)【ありえない人々(Impossible People)との付き合い方】 http://www.wikihow.com/Deal-With-Impossible-People12.管理する人(マネージャー)になろう。関係が切れるまでの間、あなたに託された任務とは、「ありえない人」を管理する立場となることだ。あなたがこの人を管理することで、被るダメージを極力減らすことができる。管理する人(マネージャー)であるあなたにとって、問題を解決する最良のリソース、それは【沈黙】だ。(このような状況では、まさしく「沈黙は金」だ。)相手をおだてて、いい気分にしてやるのも良い。だが、くれぐれも「ありえない人」を「直して」してやろう、なんて望みは一切捨て去るように。「ありえない人」が理性の声に耳を傾けることは、ない。無理なのである。(たとえ聞こえてきても、聞く耳を持たない。)あなたとの間で起こっているいざこざに関して、責任の一端は「ありえない人」の側にもある、などと説得を試みない方がよい。無駄だから。こうした人は、自分自身の欠点に気付かない(仮に気付いたとしても、それを直そうだなんて考えたりはしない)。彼らの弁では、これには実に筋の通った理由があるという。「私には間違ったところなど一切、無い」というのが、それだ。あなたの方が、こうした彼ら特有の思考法を理解してやらねばならない。その際に、相手を責めたり、怒りに我を忘れたりしないよう、気を付けよう。これも「言うは易し、行うは難し」であり、ついついそうした行動に出てしまう時も「ある」かもしれない。だが、時間が経つにつれて、あなたはよりよい管理スキルを身に付けていくことだろう。13.「ありえない人」は、投影(*注)のメカニズムを用いることに気付こう。 【*投影: 「心理学で言う投影(とうえい)とは、自己の悪い面を認めたくない とき、他の人間にその悪い面を押し付けてしまうような心の働き。 また、良い 投影の場合は、自分の中の良い経験を、相手も同じではないだろうか?と良い方 に感じてしまう。(Wikipedia「投影」の項より)】「ありえない人」を相手に会話すると、「あんたの方こそ、カクカクシカジカという行動をしょっちゅう(いつも)しているじゃないか!」と逆に非難の矛先がこちらに向いてくる。このメカニズムを理解すること。たとえば、「ありえない人」がふと、この文章を目にしたとする。すると、その人は「あぁ、これはあの人(=あなた)のことを書いた文だ!」として受け取るのだ。「ありえない人」の中にある欠点は常にあなたの方にある欠点とみなされ、「ありえない人」が犯した過ちは常にあなたが犯した過ち、として受け取られることになる。こうした彼ら流の物の見方に対しては、あらかじめ心の準備をしておくこと。「ありえない人」の頭の中では、悪いのは何でもかんでも【あなた】の方だ、と決まっているのだ。これを忘れないように。こういう人は、裏付けとなる理屈など次から次へといくらでもひねり出せる。また、「じゃぁ言ってみてよ」などとこちらがうっかり口を滑らせようものなら、それこそ大変だ。相手は、【あなた】の方こそ「ありえない人」じゃないか、と反撃してくるだろう。そして、あなたの中では自分が「ありえない人」と間違った印象で捉えられることを知ると、「あんたがそう思っているだなんて、こりゃまた、たいそうな皮肉だこと。」と言いつつ、嬉々として語り続けることだろう。14.彼らの真逆を行こう...「ありえる人」(possible person)になるべし。寛容さ、忍耐強さ、謙虚さ、そしてある程度親切心をも持ち併せた(これはなかなか難しいかもしれないが)人間の模範として生きよう。私達の誰もが、周囲の人々から何らかの影響を受けている。その人達が四六時中完璧な人間である必要は、無い。これはあなた自身にも当てはまる。あなたも、人類という仲間の一員だ。だから、他人には敬意を贈ろう。もし、お返しに敬意が戻ってこなかったとしても、それは哀しいけれど、先方の問題だ。他人には理解を示そう。そうすれば、あなたにも理解がお返しに与えられる。突き詰めて考えるに、こうした「ありえない人々」の心に唯一届くのは、こうした接し方だけと言ってもいいのではないか。全てが変わることはないかもしれない。それでも、きっとあなたにとっては何かが変わると期待してよいだろう。ポジティブ・エネルギー著者:ジュディス・オルロフ価格:1,890円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見る(これまでに何度もご紹介してきた、大ファンの精神科医&霊能力者・ジュディス・オルロフ先生の代表作です。なぜか絶版なのが残念。アメリカでは、最新刊"Emotional Freedom"と同じくらい、着実に部数を伸ばし続けているというのに...。古本ならまだ入手できそうです。)15.「やられたらやり返せ」は禁物。怒りをぶちまけるな。【次回、「役立つヒント」の項へと続きます。】This work is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 3.0 Unported License.
2012.02.18
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前回の続きです。【ありえない人々(Impossible People)との付き合い方】 http://www.wikihow.com/Deal-With-Impossible-People6.「ありえない人」の場合、他の人達と同じやり方は通用しない。これに気が付こう。 こうした人々には、ある意味、相手が子供だと思って接する必要がある。筋の通った理性的なやりとりをしよう、なんて望みは全て捨て去ること。起こりようがないのだから。少なくとも、あなたとの間では。あの人はなぜあなたを疲れさせるのか著者:アルバ-ト・J.バ-ンスタイン価格:1,680円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見る(著者のアルバート・バーンスタイン氏も、「ヴァンパイアは2歳児と思って扱え!」と何度も強調していますね...。ちなみに、この本、6月に増補改訂版がアメリカで発売されます!きっと、人気と需要、どちらも大いにあるからなんでしょうね。日本では、とうの昔に絶版・品切れになってしまったというのに...。改訂版では、職場での人間関係が中心だった初版に、家庭や私生活でのさまざまなケーススタディが加わるみたいですよ。発売されたら、またご紹介します。)今まで、「ありえない人」との間で二人の関係について50回も意見を戦わせ、礼節ある話し合いをしようと試みた挙句、どんな結末になったかを思い出してほしい。多分、いくら話し合っても、その度に「とにかく全部あんたが悪い!」と責められて終わったのではないだろうか。レンガの壁に頭をガンガン打ち付けるような、そんな不毛なことはそろそろ終わりにしよう。決めるのは今だ。 7.自尊心(=自分を大切にする心)を守ろう。あなたを「諸悪の根源」に仕立て上げたい---。こんな下心のある人物と定期的に顔を合わせるのであれば、こちらとしても何か対策を講じなければならない。さもないと、あなた自身、良い自己イメージを保つのが難しくなる。「この人に何を言われようが、それが真実とは限らない。」そう自分に言い聞かせるのだ。「ありえない人」の場合、他の人々に比べてとりわけ「事実の取り扱いが苦手」という傾向が往々にして見られる。だから、根も葉もない話に基づいて攻撃されても、そんなものは即刻、却下しよう。あなたは、そんな極悪非道の人間ではないのだ。相手はそう信じたいのだろうけど。ただし、くれぐれも「声を荒らげて」自衛することだけはしないように。「ありえない人」をさらに煽って、ますます攻撃が激化するだけだから。8.怒りには用心せよ。「ありえない人」にとって、あなたから向けられた怒りは「格好のプレゼント」だ。そう考えれば、怒りに用心することの大切さがうまくわかってもらえるだろうか。相手は、あなたがついカーッとなって言ってしまったこと、やってしまったことの一つ一つを捕らえては、あなたに不利に働くよう、後からしつこく蒸し返してくる。「ありえない人」はびっくりする程の記憶力を備えているものだ。だから、あなたに不利になるようなありとあらゆる不満を、よくもまぁ、ここまで、と呆れてしまう程、ずらずらと並べ立てることができる。この手の人を相手にすると、あなたがうかつにも口を滑らせてしまった怒りの言葉(そもそも、さほど深く考えて言ったことではないのに。)も、今から5年後になって再度蒸し返してくる恐れがある。相手側に非を押し付けるのに「これは使える」と感じたものは何でも、ここぞとばかりにガッチリ掴み取る。それが彼らのやり口だ。9.「自衛」は諦めること。はっきりと理解しておきたい。「この手の人々を打ち負かすことは、不可能である」と。「ありえない人」の称号には、それなりの理由があるのだ。彼らの頭の中では、あなたこそが諸悪の根源。どんなに言葉を尽くして説明したって、あなたの言い分に耳を傾けさせるのは無理だ。あなたの意見など、何の価値も無い。だって、既にあなたには「有罪」の判決が下ってしまったのだから。もはや打つ手は何も無い。10.あなたと「ありえない人」は、いずれ袂を分かつことになる。 この人物は、あなたから見れば友人、家族の一員、親、はたまた結婚相手かもしれない。だが、いずれあなたの方から別れを告げる時が訪れるだろう。「ありえない人」との関係を続けるというのは、文字通り、「ありえない」からだ。もし、今すぐこうした人物から物理的に距離を置けない(もしくは、そうするつもりが無い)場合でも、心の中では離れるようにすること。あなたの心は、既にこの人間関係からは遠ざかっているのだ。後は、その事実を現実世界に反映させ、物理的にも遠ざかるという作業をすればいいだけだ。11.あなたまで「ありえない人」の「クローン」とならないように。ぼやーっとしていると、知らず知らずのうちにあなたの方が加害者の行動パターンを真似てしまうという恐れがある。これは避けねばならない。そして、「この人はこういう人なんだな」と理解をした上で、相手へ向けた非難は一切慎むこと。以上の点に注意すれば、「ありえない人」の行動は読み取りやすくなるだろう。あなたがどんなことをしてあげようと、この人物がこれまで歩んできた過去は、少しも変えることはできないのだ。 (以下、Part3へと続く)This work is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 3.0 Unported License.
2012.02.18
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2012.02.14(日本時間)時点での原文を訳してみました。ウィキペディア同様、素人ボランティアによって随時加筆&更新中なので、みなさんがアクセスされる時には、多少内容が変わっているかもしれません。そうです。これは、執筆も、翻訳も、あくまでも「素人ボランティア」による寄せ書きのようなもの。したがって、深刻な問題や精神疾患が絡んでいる恐れがあると判断されましたら、早めに専門家に相談されるよう、あらかじめお願いしておきます。(←これ、一応ディスクレイマーdisclaimerって奴ですよ...。)今回の「ありえない人」(impossible people)への対処法、このブログでも過去に取り上げましたエモーショナル・ヴァンパイア(心の吸血鬼)に興味をお持ちの方でしたら、読んで損はないかな、と思います。知は力なり、です!日本人的には「ほんとにそこまでやるか...!?」と、たじろぐ部分も無きにしも非ず、なんですけどねー。まぁ、「アメリカ(英語圏)の一般市民は、厄介な人に出くわしたらこんな具合にやり過ごしてるのね。」ってな感じで、比較文化の読み物としてとらえてくだされば良いかな、と思います。 Emotional Vampires: Dealing with People Who Drain You Dry著者:Albert J. Bernstein価格:2,856円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見る【ありえない人々(Impossible People)との付き合い方】 http://www.wikihow.com/Deal-With-Impossible-People ~前書き~ 「人格障害」を患う人のほとんどには、「自分障害」と呼ばれることのある、ある種の症状が見られる。なぜ、「自分障害」なのか。これは、「自分には何にもおかしなところは無い」と信じ込んでいる、そうした人々特有の考え方に由来する。「これが私だ」「昔から私はこうだった」と考える彼らは、自己保存の本能により、「ずっと今のままでいたい」と望むのである。 人格障害の持ち主は、私達が「有害な人」という言葉を聞いて思い浮かべるような人物像と重なることが多い。 本記事では、このような相当手強い人々...もっと言ってしまうならば、「ありえない」(手に負えない)人々...とうまく付き合っていくために、役立つヒントや、取るべき手段の数々をご紹介していこう。~付き合い方・15のステップ~ 1.「ありえない人」は、現実に存在する。その事実に対してはどうすることもできない。これをしっかりと認めること。第一のステップ、それはひとえに【現実を直視せよ】ということに尽きる。もし、あなたを悩ませている人が「ありえない人」ではないか、と思うのであれば、多分それは正しい。疑わしいと感じたら、以下に示されているような手順で事を進めること。後になって頭痛に悩まされることが無いように。2.この手の人に対してケンカを吹っかけるようなことはしない。機嫌を損ねると、さらに厄介な行動に出てくる恐れがある。足元をしっかり固めて、自信を持って立ち向かうこと。3.世の中には、どう頑張っても反りが合わない人々もいる。それを忘れずに。あなた以外のみんなと仲良く付き合っているような人物でも、あなた一人にとっては「ありえない人」だった、というケースもあり得る。人間関係は、濃淡はさまざまであるにせよ、白でもない、黒でもないといったグレー(灰色)の領域を含むものだ。だが、中には「水と油」のように、どうしても混じり合うことのできない類の人々もいる。もし、あなたが「ありえない」と感じた人から、「他の人はみんな私のことが好きだ」と言われたとしても、それはさほど珍しいことではない。この時、相手はそうした物言いによって、「悪いのはあんたの方だ」と、あなたに罪をなすりつけようとしている。そんな言葉を真に受けてはいけない。この人物が他の人達とどれ程仲が良かろうが悪かろうが、そんなことはどうでもいい。あなたとこの人物とを組み合わせると、ひどい結果になる。これは紛れも無い事実だ。だが、相手を責めても現実は変わらない。それは覚えておこう。4.問題はあなたではなく、相手にあるのだ、ということを理解しよう。これは驚くほど難しい作業になるかもしれない。「ありえない人」は、相手を責める技術の達人だからだ。それでも、相手があなたを激しく責めれば責めるほど、おそらく相手側に非がある可能性もそれだけ高まる、と言えよう。ただし、このことを逆手に取って、相手に反撃する際の武器として利用するのは慎んでもらいたい。相手を責めるのは、「ありえない人」のすることであり、「責める」という行為は彼らの十八番だ。事実だけに目を向けること。それがあなた自身を守ることになる。以上を踏まえた上で、あなたと相手のどちらに問題があるのか、簡単に見分ける方法があるので紹介しよう。「あなたが、過ちを犯したと自らの責任を認め、これを機にもっと人間として向上しようと決意しているのならば、多分あなたの方に非は無い。」覚えておこう。「ありえない人」にとっては、自分が 「間違ったことをする」なんて、ありえない ...のである。5.相手に対しては穏やかに接するように。冷静さを保ち、怒りにまかせて暴言を吐いたりしないこと。とにかく泣くのは「厳禁」。涙は、相手の厄介な振る舞いの呼び水となるだけだ。関わりを持たない。無視しよう。そして、たとえどんなことがあっても、相手に対抗して罵り合ったり、非難したり、不満をぶつけたりはしてはならない。面と向かっての悪口も、陰での悪口もダメ。そんなことをしては、相手と同じレベルにまで落ち込むだけだ。何かポジティブな見方を付け加えよう。どんなことでも構わない。自分の置かれた状況や、相手との間で交わされた会話の中から、何かしらポジティブな要素を見つけてみるのだ。ポジティブな面に集中することで、視点を別の方向へと向けていこう。とにかく、落ち着きを失わずに!それから、立場の異なる者同士では、話に最も多くの真実を含む側が、最後には必ず勝利を収めるものだ。これは覚えておくといいだろう。「ありえない人」が、一体どんな類の「ゲーム」をしているのかを「暴き出す」のが最善の策となる。本人、もしくは相手グループに対して、「どうして○○さん/皆さんは×××するのですか?」と直接尋ねてみれば、たいていの場合、どんな「ゲーム」が行なわれているかが明らかになる。(相手の「ありえない」振る舞いについて、別の表現で言い換えることにより、その振る舞いが引き起こす結末に相手の目を向けさせるようにするのだ。)【黒犬べーやん記す...例えば、いつも「うちは散らかっていてダメ」「だんなが夜勤明けだからうちはダメ」 との口実で、言いだしっぺにも関わらずママ友グループのランチ会・会場提供を拒み続けるメンバーに対しては、こんな質問をぶつけてみる。「あれー?そういえば、私達、まだ一度も○○さんの家にお邪魔したことがないよね?どうしてこうなっちゃったんだろう?うちはもう3回ぐらい会場提供したと思うけど。ねー、△△△さん家でも何回かやったよね?」】このような質問をぶつけることで、両者間の対話が一段上のレベルへと引き上げられ、相手グループ、そして上手く行けば、個人の「ありえない人」が「より高い次元の真実」に反応し、答えを返してくれる可能性も生まれる。ただし、個人相手の場合だと、その人が前にも増してひどい混乱状態に陥ってしまい、さらに混乱した答えが返ってくることも多いのだが。この手の人物と、「自分から進んで」一対一の対決をするのは避けよう。相手があなたを追い詰めようと、こちらへ向かってくるのに気付いたら、あなたの方から第三者を加えることをまずは提案してみる。「提案」でダメなら、「要求」するのだ。この作戦により、「ありえない人」の悪だくみが出鼻をくじかれる、ということはよくある。この時にありがちなのは、「私とあなた以外の人なんて必要無い。」と、相手から一方的に決め付けられる、というパターンだ。しかし、あなたは「今の状況を理解するために、私には第三者の助けが必要だ」と相手に要求して一向に構わない。そうするだけの自由は100%あなたのものだ。一歩たりとも後に引かず、「もう一人、必要だ」と主張しよう。いじめっ子というのは、多勢に対しては立ち向かえないものである。 【以下、続く】This work is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 3.0 Unported License.
2012.02.14
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前回、「エモーショナル・ヴァンパイア(あなたの周りの困ったさん)との係わり合いによって最もダメージを被る部分、それは...自尊心(self-esteem) である。」と、自分なりに学んだ、と書いて〆としました。「自尊心」って、一体なんでしょうね?他の人からの承認や、友達の数(数じゃないと思うんですけどねぇ~。)、肩書きや経歴、得意技の有無、外見的な魅力...などなど、そういった【外から見える基準】をぜ~んぶ、身ぐるみはがされても、それでもなお残る【私はこの世界にとって、大切な、かけがえの無い、愛すべき存在だ】と認められる心、だと思います。我が家の小学生の子供は日本人の両親を持ち、アメリカで生を受けました。4歳になる直前に一度日本に引越しをし、そちらの幼稚園で一年半程お世話になった後、再び渡米し、現在に至ります。ですので、私も、アメリカ流の子育てと日本流の子育ての両方を、少しずつ「お客さん」的立場で見学するチャンスに恵まれました。(威張る程ディープに潜入取材したわけじゃないですけどよく言われていることですけど、アメリカ人の親御さん、本当に"I'm proud of you."(君のことを誇らしく思うよ。)と、"I love you."(と、ハグ&キス)を多用するんですよね。特に、私が住んでいるような地域(そこそこ生活にゆとりがあって、教育熱心な人達が住みたがるような、郊外住宅地)では、そんな心あたたまる光景があちらこちらで見られます。うちの子が利用するスクールバス停留所で、いつもお子さんを見送っていくお父さんがいるのですけど、必ず別れ際に"Learn something."(何か学んでこいよ。)と声をかけるのです。最初は「えー、学校だから勉強やるの当たり前じゃん」と、それ程ピンと来なかったのですけど、今は「あぁ、いいなぁ~...。」と、聞く度にその前向きな一言に感心させられます。「学ぶ(learn)」のは、勉強だけとは限らないのです。お友達とのトラブル解決法、図書館や遊具の使い方、担任の先生からの励まし、カフェテリアで働くおばさんたちの親切...。子供が、一日学校にいる間に巡りあう【人生で大切な、素晴らしいこと】に一つでも、二つでも、気付いてくれることを願わずにはいられない...。人の子の親として、私もぜひ見習って、真似したい類の「口癖」だなぁ、と思いました。このお父さんの話とは全然違いますけど、アメリカ流の「必要以上に子供を褒め過ぎ」な傾向については、今年初めから話題になっている本がありますね。著者はイェール大学教授の中国系アメリカ人(自称「タイガー・マザー」)エイミー・チュアさん。褒めすぎアメリカ流とは対極にあるご自分の子育てを振り返った、辛味と苦味のミックスされた回顧録とでもいいましょうか。その極端な「中国式教育法」は、米国内の子育てサイトでも大変な反響を呼びました。【送料無料】タイガー・マザー(詳しい内容については、こちらのリンクからどうぞ。)...まぁ、センセーショナルな部分だけが一人歩きしていますけど、下のお嬢さんに反旗を翻された後に書かれた、チュアさんのほろ苦い後悔の部分も読まずに語る資格は無いと思います。...というわけで、これにて終了。(実は読んでませ~ん☆)ただ、チュアさんのこの言葉には、素直に納得できました。(http://sankei.jp.msn.com/world/news/110619/amr11061919510002-n2.htm)「アジア式は子供に厳しすぎて選択の自由がなく、逆に欧米式では子供は大切にされすぎて選択肢が多すぎる。私は子育てを通じてバランスをとる大切さを学んだ。しかし、運動会ですべての子供にメダルを与えたり、子供に2時間勉強させるだけで児童虐待と騒いだりするのは行き過ぎだ」これまでの報道や、インタビューなどを読む限り、チュアさんが「鬼ババァ」の如くお嬢さんたちをオールAの超優等生にするために奮闘しているのは、「できないよ~」「無理~」との思い込みを、一に努力、二に努力、三四が無くて、五に努力!!!でもって打ち砕き、自分の中に眠っている可能性を最大限に開花させる。・・・それが真の喜び、そして、【自尊心】(self-esteem)を生むのだ!!!・・・そこんところを自らの体験で理解してもらいたい。だから、鬼母をやるのだ。...こう解釈すれば、ある程度は共感できます。(だって、最近の首都圏の中学受験なんて、このタイガーマザー・チュア教授ですら「ごくフツーの教育熱心なお母さん」に見えちゃうくらい、物凄~い世界ですからね!驚きませんよ~。←身内の体験談聞きすぎて、感覚麻痺したかも☆)要は、「欧米式とアジア式のバランスを取ることが大切」ですよね。全くもって、おっしゃる通りです。話を再び「日米テキトー子育て比較」へと戻りましょう。先程も書いた通り、うちの子は日本で約1年半程、平穏無事な幼稚園生活を送りました。当時は、あまりにも親同士の距離が近過ぎることに恐れをなして逃げまくっていたのですが、今にして思えば、「子供が同い年というだけで集まった、ママさんという特殊な女性の集まり」を観察する絶好のチャンスでした。あんな濃密な母親集団が形成されるのって、幼稚園時代だけですもん。毎日会わなきゃいけないんですもんねー。(もちろん、話していて心地良い人も数人いましたよ。そのうちの一人とは今も連絡を取り合っています。)一つ気がついたことがあります。「〇〇〇(子供の名前)、全くダメなのよ~。ホント、空気読めないんだって。」「他のみんなはできているのに、うちはいつまで経ってもできなくってね~。」(成績・スポーツなどの出来を褒められて)「いや~、そんなことないよー。×××の方は散々だったしさぁー。」謙遜、が行き過ぎて、子供の価値を【おとしめる】域にまで入り込んでいるコメントが多すぎるのです。そのお母さんが特別口が悪いというわけではありません。ごく普通の人達です。特に、話題の中心であるお子さんが近くでウロチョロしている時なんて、「あ、こんなこと、本人の耳に入ったらまずいんじゃない???」と、傍で見ているこっちがハラハラしてしまいます。幼稚園のお母さん達以外にも、昔の友人や親類たちにも、やはりこうした傾向は根強くありましたね。日本って、相手からもらった【ほめ言葉】の贈り物を受け取った時に、『ありがとうございます。』の一言だけ返して、そのまま大切に懐に納める、っていう優雅なしぐさを身に付けている人が本当に少ないんだな~、って、つくづく感じました。「ポジティブシンキングの本家本元」(笑)アメリカから戻ってきたせいか、そうした親達の心無い言葉の数々、余計に違和感を感じましたね。確かに、...ほめられたら、脊髄反射的に、ワンツーパンチ☆と自分を凹ませて、ちょとぶざまな姿にしてから相手に「はいっ!」と差し出す...って調子のやりとり、子供絡みでない、大人同士(日本人同士)の時にはしょっちゅう交わされますよねー。かく言う私だってついやってしまいます。子供に関する話題の時には極力意識して避けるようにしますけど、自分に向けられた言葉だとつい、昔からの癖で、ね...。で、後味悪くなります。なんだ、悪癖直ってないじゃん、って。これって、【自分が弱い】と認めている動物が、自分よりも強そうな相手を前にしたら、コロリン!と引っくり返って、お腹見せちゃう行動と同じようなメカニズムが働いているんでしょう。狭い共同体の中で生きていくことを余儀なくされてきた日本人が、「あいつは生意気だ」と目をつけられ、村八分にされないためにも、ある程度必要な自衛手段だったのかもしれません。...そうした「私はあなたの攻撃に値しない、弱くてぶざまな存在です。だからいじめないでください。」的な言い回しって。少なくとも、日本人特有の考え方だけが通用するような、そんな閉鎖的な村社会で暮らしていた時代は、身を守るために有効な手段だったのでしょう。要するに、【自尊心(self-esteeem)】に満ちあふれたような、「自分は、できる!」「私は大切な存在なんだ!」といった基本姿勢をしっかり確立したような人(特に、若年者)は、ぶっちゃけた話、日本の中では嫌われる率が高かった...のですね。(出る杭は打たれる、ということわざからも明らかです。)だから、親の世代が子の世代に「お前は大したことない、だから偉ぶるな。目立つな。」というメッセージを、ある種、渡世術のつもりで小さい頃からずーっと、執拗に、脳味噌に送り込んできた、とも言えます。「可愛い我が子を、世間の爪弾き者にしたくない」という意味では、これはこれで親心、なのかもしれませんがねぇ。でも、あなたの子供さんたちは、これからの時代、世界中を股にかけて飛び回り、国境をスイスイと飛び越えながら、伸び伸びと暮らしていくかもしれないのですよ!そんな豊かな可能性に満ちた子供たちに対し、親がいつまでもいつまでも「敵ににらまれたら、腹を見せろ」「生意気に思われないよう、あえてぶざまな姿をさらせ」といった、時代遅れのメッセージを送り続けてよいのでしょうか?答えは、断固、「NO!!!」ですね。「人から褒められたら、あえてぶざまな姿をさらせ」、と小さい時から執拗に洗脳されている、日本の子供たち(若者達)が、海外に飛び出してある日突然、【ゆるぎない自尊心(self-esttem)】をドドーンと築き上げる...なんて、できるはずありませんよ!!! そんな教育ばかりされていたら、「私ってダメダメ」「俺なんて、所詮...」と信じ込む大人に育つのがごく自然な流れというものです。私が尊敬する精神科医・ジュディス・オルロフ博士に登場していただきましょう。「科学の世界でも、自尊心の効用はさかんに語られています。自尊心を高めることが、ストレスを緩和し、エンドルフィン値を上げ、心身の健康維持に役立つことが明らかにされています。自分についてポジティブな気持ちを感じるとき、身体はより満ち足りた状態になっています。一方、低い自尊心を持ち続けることで、鬱病、摂食障害、自殺、それから疲労や腰痛などの慢性的な身体症状のリスクは逆に高まります。」(Orloff, Judith. Emotional Freedom. New York: Three Rivers Press, 2009)どうです?これでも、【自尊心(self-esteem)】低めのままでいいや、って、諦めちゃいますか?身体面にも悪影響が出るんですから、そろそろ何とかした方がいいと思いませんか?
2011.11.04
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おとといはアイアンガーヨガ・レベル1の秋期(前半)クラスの最終日でした。今日の担当は、凜とした雰囲気の中に、時々お茶目な部分を覗かせてくれるCindy先生です。(日本人体型の我々には望むべくもない、そのスラ~ッと長いおみ足でもって決める三角のポーズ、いつも見とれてしまいます...。)クラスを始めるにあたって、Cindy先生はいつもの如く、アイアンガーヨガの創始者・B.K.S.アイアンガー師の著書"Light on Life"(邦訳未刊)から、こんな言葉を読み上げてくださいました。もしあなたが幸せに満ち、心地良さにあふれ、他者への思いやりを忘れずに振舞えるようであれば、行く手を阻む障害もやがて小さくなっていく。もし、情け心を出し惜しみし、相手に対し批判の目ばかり向けていれば、行く手を阻む障害はますます大きくなっていく。(Iyengar, B.K.S., with John J. Evans and Douglas Abrams. Light on Life. Rodale, 2005)あらま、これって、立派な「引き寄せの法則」じゃないですか!我々が自分の中に抱く思いの質が、外の現実世界を形作るのだ...ってことを指しているのですから。この一節を聞いた途端、「よっしゃー!!!」...心の中で、ガッツポーズしちゃいましたよ。今の自分に与えられた激励メッセージだな、って、直感的に思ったのです。「君は今、正しい軌道に乗っかっているよ。この調子で進みなさい。」って、背中をやさしく押されたような、そんな天界の【親心】のようなあたたかさが胸いっぱいにしみわたりました。喜びいっぱいの瞬間で幕を開けたその日のクラスは、期待を裏切ることなく、最後の最後まで快さと穏やかさとに満ちた、素晴らしい1時間30分となりました。最大の山場が大好きなアサナ(ポーズ)のショルダースタンドっていうのも、心地良さ度UPに貢献したのかな~。ちなみに、ショルダースタンドって、こんなポーズです。http://yogajo.jp/pose/detail/87.html私の場合、眼精疲労には抜群に効きます。ヨガなんて知らなかった高校生の頃から無意識のうちにこれを繰り返し、数年後には視力が0.1前後から1.0まで上がってましたよ、いつの間にか。(しかも間に大学受験を挟んでいるというのに!)さて、前置きが随分と長くなりましたが、本題に入りましょう。「エモーショナル・ヴァンパイア リターンズ」シリーズ、今日も続きます。前回の日記、最後の部分では「もし、心を☆ドピーカン☆級のポジティブに保ち続けていれば、エモーショナル・ヴァンパイア(心の吸血鬼=あなたの周りの困ったさん)も、『どうも調子狂っちゃう』と諦めて、早々退散してくれるかも???」と、まぁ、何と言うか、「トンデモ仮説(笑)」を打ち上げてみました。ブログ一回分あたりの制限字数に達してしまったため、言いたいことが尻切れトンボとなってしまったのですがね。何を言いたかったのか?つまりですね、「確かに、ヴァンパイアさんたちはなかなか手強いぞ。 こっちが泣きを見るようなことがないよう、何らかの対策は必要だ。でも、だからと言って、敢えて真っ向から闘いを挑むようなことはしたくない! 」...ってことです。小学生の頃よく言っていた「バカって言ったらそっちがバカ~!」レベルの低次元にまで落ちてしまう、そんな気がしてならないんですよね。 2011.8.06の日記でも何冊かご紹介しましたように、ここアメリカ、特に心理学・精神医学畑の専門家の手による著作には、「悪いのはあっちだ!泣き寝入りせず、さぁ、立ち上がれ!」型の対処法を説くものが目立ちました。一年前、自分では仲良しと信じきっていたご近所さんとの関係が完全にぶっ壊れてしまったのですが、さすがにそんな情けない事実を子供に知らせたくはありませんでした。ですので、家の中ではできるだけ平静を装い、「大丈夫だよ」を取り繕ったんですね。怒り、悔しさ、心の傷み...など、あらゆるネガティブな感情をを無理矢理封印した、ということです。相当ストレス溜まりました。何でもいいから、この監禁状態から抜け出したい...。表には出さなかったものの、もがく日々が続きました。そんな私の気持ちをグッと楽にしてくれたのが、以前何回かにわたって紹介したアルバート・バーンスタイン博士の著書"Emotional Vampires"(邦題・あの人はなぜあなたを疲れさせるのか)です。確かに、心がズタボロに疲弊している時って、そういった「悪いのはあっちだ」的論調に触れることは、「応急処置」としてならば、有用だと思います。孤独な闘いを続ける自分だけのために元気に声上げ(足も上げ☆)ながら踊ってくれるチアリーダーさんたちのように、とても頼もしく、そして、嬉しく感じられるものです。「この著者、私の気持ちをわかってくれている!味方だわ!!!」...ってな具合に、すっごーくいい気分にしてもらいました、バーンスタインさんには。そうやって少しばかり元気を注入してもらえてはじめて、実は自分がずっと怒りを押し殺していたんだな~、ってことを、少しずつ、意識するようになってくるんですね。「そーよね!私は悪くないのよね!あの人の方がおかしいのよね!プンプン!(よくぞ言ってくれた!)」と、溜め込んでいた怒りのはけ口を与えてもらったことで、かな~り救われたのは事実です。落ち込みのどん底から這い上がるためには、あの「プンプン!」という怒りのエネルギーが大きな助けとなったこと、今ではよく理解できます。バーンスタインさんの本は、ブラックなユーモアが随所でピリリと利いているのが最大の魅力ですね。身の周りの困った人達を「吸血鬼」としていくらか戯画化しながらも、決して下卑た調子にはなりません。読む側の被害者意識や、好戦的な態度を過度に煽ったりせず、心理学者としてニュートラルな立場を貫いている点は、大いに評価して良いと思います。Amazon.comで評価が高いのにも納得です。これは「ずっとキープ」の一冊になりました。ただ、他の本は...というとですねぇ、2010.09.23に既に書いた通り、「何か違うんじゃないか...?」という違和感を感じるものが多かったです。書き手が、冒頭のアイアンガー師の言葉の通り、「情け心を持ち合わせることなく相手に対し批判の目を向けていれば、行く手を阻む障害はますます大きくなっていく」...どうも、読者に対し、勝ち目の無い不毛な闘いばかりを煽っているような、そんな気がしてなりませんでした。やっぱり、筆致にユーモアが感じられないとこんな調子に陥りやすいのでしょうかね。精神科医(私の大好きな「ポジティブ・エネルギー」他の著者・ジュディス・オルロフ博士は違いますけどネ☆)や心理学者といった肩書きの人に、そのような見方をする人が多いのが興味深かったです。商売柄、人間の暗部・ネガティブな部分に焦点を当てることに慣れすぎてしまっているからなのでしょうか?健全な方向へと向かうベクトルがどうも欠けているなぁ、と、読んでいて物足りなく感じるようになっていったんですね。そうした陣営からの見解ではありますけど、こちらの本はなかなか面白かったです。ストレスマネジメントを専門とする臨床心理学者・ハリエット・ブレイカー博士の"Who's Pulling Your Strings?"(誰があなたを操っているのか?)です。 Who's Pulling Your Strings?: How to Break the Cycl...著者:Harriet B. Braiker価格:3,192円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見る上↑の本の邦訳は出ていないのですが、「思わずYESと言ってしまう自分―NOと言う勇気があなたの心を軽くする(原題:The Disease to Please)」 他一冊の翻訳ならば、中古で入手可能のようです。残念ながら、2004年にまだ55歳という若さで肺炎により急死されたとのことです。まだまだご活躍が期待されていたのでしょうに。詳しい内容の紹介は次回に譲るとしますが、私なりにこの本から一つだけ吸収したものを挙げよ、と問われたら、これですね。「エモーショナル・ヴァンパイア(あなたの周りの困ったさん)との係わり合いによって最もダメージを被る部分、それは...自尊心(self-esteem) である。」些細なきっかけで「私ってダメダメスパイラル」の底へと落ち込みやすい自分にとっては、とても有り難い助けとなった一冊でした。後編へと続きます。
2011.10.29
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今まで、本とは「目で読むもの」と信じて疑いませんでした。そんな自分が、最近、急にその素晴らしさに目覚めたものがあります。オーディオブックです。アメリカではもっぱらこちらの呼び名を使っていますね。日本だと、「CDブック」(大昔は「カセットブック」だったんですけどね...。)と呼んだ方がピンと来る、という方もいるかもしれません。 ただ、昨今はiTunesストアや専門のオンラインショップ(Febeフィービー なんてところが代表格でしょうか。)で、音声ファイルダウンロードとして売られるケースも多いので、「耳で聞く本=オーディオブック」の名称が徐々に浸透していくのではないかな~、と、思われます。オーディオブックの何がいいのかって?それは、「車の運転中でも本と付き合うことができる」ってこと、これに尽きます!(郊外住宅地は、車依存度が極めて高いのです。これは日本の地方都市でも同じでしょう。)ドライブ中だけじゃありません。洗濯物干し、食器洗いに食事の支度、犬の散歩、子供の習い事を待っている時間...など、今まで「読書は無理ね。」と諦めていたような、そんな半端な時間でも本が読み進められるなんて、もう、最高っ!!!(自他共に認める重度の活字中毒者ですので~...。枕元には常に5,6冊、寝しな用の本を置いておかないと落ち着かない程なんです。)何で今まで試さなかったのかなぁ。きっと、「オーディオブック=活字を追うのが辛くなったお年寄りか、視覚に障害を持つ人のためのもの。(ゆえに、自分には関係無い。)」っていう、変な思い込みが根強くあったからかも。そんな思い込みを打破してくれたのは、「引き寄せの法則」シリーズでお馴染み、エイブラハムとエスター&ジェリー・ヒックスでした。これまでに何回かご紹介しましたよね。彼らの本を買い揃えていくだけでは飽き足らず、セミナーやワークショップでの質疑応答を収録したCD・DVDを地元の図書館で片っ端から借りては聴いて(見て)いくうちに、はたと気が付きました。「あれ!?...ひょっとして、活字を追うよりもCD聴く方が、内容がくっきりと脳味噌に刻み込まれているんじゃないの???」そうでした!私は、2011.6.21に書いたように、NLPという心理学によると「聴覚型」の特徴が一番強いのでしたっけ。だったら、CDで本の朗読を聴く方が、目だけで情報を入れるより心地良く感じられるのも、何ら不思議はありません。思い起こせば、小学生5年生の時に「英語話せるようになりたい!」と一念発起して始めたのも、NHKのラジオ基礎英語でしたし(テキスト代オンリーなので、何しろ激安!!!)、高校の時に好きで聴いていたのも、文化放送で深夜に放送していた「旺文社 大学受験ラジオ講座~通称・ラ講~」...といった具合に、何故か「音声型」の学習スタイルに惹かれるという傾向が一貫してありました。ラジオっていう媒体がすごく(今でも)好きなのも、聴覚型の特徴かもしれませんね。そういえば、中学に入りたての頃、雑誌「中一コース」だか「中一時代」だかの広告で見た、「睡眠学習」(=寝ている間に、暗記したい内容を吹き込んだテープを再生するのだそうです。)の機械、すんごぉーく欲しくって親に何度も頼んだのですが、買ってもらえなかったなあ(笑)。そりゃそーだわ。あんな怪しげで、高いオモチャ...。15年程前に販売は終了したそうです。もし、これを読みながら「自分も聴覚型かも?」と思われた方がいらっしゃれば、オーディオブックはいいですよ~。...でも、もう、皆さんとうの昔に試していらっしゃるかな。脱線しましたが、とにかく、今、このエイブラハムによる「マスター・コース」(達人コース、ってところでしょうか。)CD11枚組を毎日少しずつ聴いています。一言で言って、「圧巻」です。 【送料無料】The Teachings of Abraham: The Master Course Audio価格:6,300円(税込、送料別)硬軟いろいろな質問がセミナーの参加者から投げかけられ、エスターがエイブラハムのメッセージを「恐山のイタコ」スタイルとでも言いましょうか、そんな感じの同時通訳でもってガンガン伝えていきます。ごく最初の頃には、「これはヤラセじゃないのか?(台本、あるのか?)」との疑問を抱いた時もありました。でも、そんな疑問はすぐにどこかに消えて無くなりましたよ。だって、「こんなに深くって、しかもめちゃくちゃ説得力のある答え、近所の優しいおばちゃん風のエスターが一瞬で組み立てて、一分の隙も無い程完璧なロジックでもって次々とまくし立てるなんて、不可能だっ。有り得るはずがないっ。(←ごめんね☆エスター!)」...これは、明らかに人間よりもはるかに優れた知性を持つ存在がエスターに答えさせているのだっ!!!」...今では、そういう確信に至りました。こうした公開チャネリング/質疑応答には、必ず「サクラ雇って、あらかじめ打ち合わせた質問だけを答えているんだろう!」と意地悪い突っ込みを入れる輩がつきものです。ただし、YouTubeのコメント欄やAmazonのレビューなどを読むと、「自分も、その後に質問した人も、どうしても聞きたいことがあったからメモを用意して来たことは来たが、決して事前に質問内容をエスターとジェリーに伝えるようなことはしなかった」等、「サクラ説」はきれいに否定されていますけど。私も、ヤラセ質問は無いでしょ、まさかね、って思います。あの、揺ぎない確信でもって、結論にまでダーッと話を引っ張っていくエイブラハム特有の疾走感は、事前の計算だとか、小細工だとかとは全く相容れないものだと思いますね。万が一、ごく一部にそうしたサクラからの質問が混じっていたとしても、もう、そんなことどーでもいいです。いろいろな人の質問に対し、エイブラハムがこれだけ満足の行く説明をビシッ!バシッ!と決めてくれるんだから、つべこべ言わずに黙って中身だけ聞けばぁ~?」と言いたくなります。11枚CDセット、まだ半分程しか聞いていないのですが、Amazon.comで他の皆さんがどんな感想を抱かれているのか、ちょっと読者レビューを覗いてみたくなりました。そして、Kitty Kellieさんというペンネームの方が2008年6月13日に投稿したレビューを読んでいくと、一つピン!と来ました。このレビュアーの女性がエイブラハムの教えに接し、上の11枚CDセットを聞くようになってからというもの、「(...)私の口から出るアファーメーションは、ポジティブな方向へと変わってきました。職場の同僚からは『スージー・クリームチーズ』のあだ名まで頂戴し、(※筆者注:クリームチーズ、白くって甘くてトロリンとして滑らかでおいしい、ってイメージですよね。)『ちょっとお黙りなさいよ、あなたってば、あまりにもポジティブ過ぎるのよ!』とさえ言われるようになったのです!びっくり!エイブラハムとヒックス夫妻が、私の人生にどれほどの違いを生み出し、そしてどれほどの大きな恵みをもたらしてくれたことでしょう。」この一節を読んだ瞬間、自分の中で「点と点とが直線でつながった」感覚が湧き上がって来たのですよ!「ポジティブであれ」「自分が気分良く過ごせることが一番大事」「自分の波動を高くキープする」など、「内面をポジティブに保つ」ことがいかに大切であるかは、宗教や精神世界ではもはや常識に近い、と言っても過言ではありません。じゃぁ、なぜ、「ポジティブが大事」なんでしょうか?それは、「ポジティブ(肯定的・前向き・正の要素) = ネガティブ(否定的・後ろ向き・負の要素)の割合をできるだけ少なくした状態」だから、です。...な~に今更当たり前のこと言ってんの、と鼻で笑われそうですが、私、これまでに幾度も書き続けてきた「エモーショナル・ヴァンパイア」と、またもや関連付けてしまったんですね~。そして、素人なりにこんな仮説、立ててみました。【もし、心を極力浄化し、明るい光に満ちた状態をキープできるよう努力していけば、暗闇の感情(嫉妬心、怒り、恨み、復讐心...等々)と仲良しこよしのエモーショナル・ヴァンパイアは『あの人、ポジティブ過ぎて近寄り難い!そばにいることに耐えられない!』と、早々と退散してくれるんじゃないだろーか?】「引き寄せの法則」によれば、「類は友を呼ぶ」、すなわち、暗く淀んだ心は、同じように暗く淀んだ部分がある別の心を引き寄せる、のですからね。...ってことは、その逆を行って、☆天然ドピーカン☆ってくらいの真夏日状態に自分の心を近付けていけば、エモーショナル・ヴァンパイア...平たく言えば、「あなたの周りの困った人達」...との関わり合いの大半は避けられるのではないだろーか???もう少し、この辺りを次回も詳しく書いていこうと思います。
2011.10.21
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はい、またまた戻って来ました。毎度お馴染みのエモーショナル・ヴァンパイア(心の吸血鬼)シリーズ。職場で、ご近所で、はたまた親族関係で、望まぬときに鉢合わせしてしまう、あなたの周りのちょっと困ったさんたちのことですね。2011.8.06にパート1を掲載しましたので、その続編、ってことになります。ここ数回の日記の内容からみなさまもお気付きでしょうが、今、「エイブラハム」(チャネリング by エスター・ヒックス+質問者・ジェリー・ヒックス)の「引き寄せの法則」(Law of Attraction)にどっぷりはまっている最中であります!次から次へと知りたいこと、読みたいこと、聞きたいこと、そして実生活で試してみたいことが芋づる式に出てきてしまって、うれしい悲鳴を上げています。自分ちの裏庭をちょっと掘ってみたら、なんとそこには秘密の地下図書館(しかも私好みの蔵書がギッシリ)が隠されていた!!! ←往年の「水曜スペシャル」(川口浩探検隊で名高い...。)的なハチャメチャな展開(笑)...まぁ、それに近い、ちょっとした興奮&ワクワク高揚感を久々に味わっておりますです。「退屈」って、何、それ一体?...今、「退屈」は私の辞書にはありましぇ~ん。半年程前に、彼らの「ヴォルテックス」(The Vortex)を初めて手に取り、赤ペン片手に何とか最後まで読破した時は、「ふむふむ、なるほど~。確かにそうだよな~。」と、『腑に落ちた』気分に、...つまり、「形だけおベンキョした気分に」...一応はなっていました。個人的に、この「ヴォルテックス(渦)」という、最近のヒックス夫妻&エイブラハムが多用しているキーワードには、今一つピンと来るものが無いもんで(しばらく寝かしておいた方がいいのでしょうね)、正直に評価するとこちらの本は「★四つ」(良)ってところかな。もちろん、これはあくまでも自分の経験や思考に照らし合わせて、の評価ですので、みなさんにそれを押し付けようとは思いませんよ。現に、アメリカのAmazon.comの読者レビューでは、「エイブラハムの本は何冊も読んだけど、今一つ物足りなかった。でも、今回、この"Vortex"を読んでようやく本当に理解できた気がする。自分にとっては、これがヒックス夫妻の最高傑作!」と、手放しで評価する人もいました。読む人が違えば、「ストンと腑に落ちる」ツボもそれぞれ違います。いろいろな見方、考え方があるから、面白いですよね。エイブラハムもあちこちで言っていますが、「絶対にこれが唯一無二のNo.1」ってのはないんです。私にとっては、エイブラハム&ヒックス夫妻の初期の作品群・「引き寄せの法則シリーズ」の方が心にグッと来る要素が強くて、メッセージもわかりやすいように思えます。今日引用したいのは、次の「引き寄せの法則」からの一節です。【送料無料】引き寄せの法則ジェリーは1970年代のある時から約9年間程、新聞も、テレビも、ラジオも完全に遮るという、いわゆる「ニュース断ち」の生活を送ったそうです。同時に、メディア情報だけでなく、自分が耳に入れたくないことを話すような人々からも距離を置いたのですが、その9年間は彼の人生にとって健康を回復し、素晴らしい人々と出会い、金銭面でも豊かになれる、という、大変に実り多きものとなりました。エイブラハムは、こうしたジェリーの「自分にとって重要なことだけ焦点を定めた」努力を、大いに肯定した後、世の人の陥りがちな「惰性での行動」について、テレビを例にとって説明します。「テレビは価値ある情報をたくさん提供しているかもしれないが、それよりもはるかに多くの、あなたがたが体験したいこととはほとんど無関係な情報を送ってくる。あなたがたの多くは、ただテレビがあるから、ほかのことを決意していないから、座って見ている。だから、テレビを見るというのは普通、意図的な行動というよりも惰性の行動(原文:an action by default)なのだ。」(「引き寄せの法則」エスター・ヒックス ジェリー・ヒックス著、吉田利子訳、ソフトバンククリエイティブ株式会社、2007年、pp.229-230)ここの「惰性の行動」というフレーズ、【デフォルトでの行動】、と直訳した方がすんなりわかる、という読者の方もいるでしょう。コンピュータ用語のデフォルト、とは、「ユーザー側で、特に指定したり、選択したりといった行動をしない場合に、コンピュータが勝手に判断し、選ぶオプション」...ですよね。そのニュアンスです。エイブラハムは続けます。「そのようなはっきりした意図のない、決意のない状態では、やってくるものの影響に無防備に身をさらしてしまう。自分が何について考えたいかというはっきりした意識を持たずに、自分が欲していない周りの世界の出来事の志向という刺激に文字どおり爆撃されていると、自分が選択しなかったものをたくさん経験のなかに取り込んでしまう。」「これが惰性によって創造する、ということだ。はっきりした意図もなしに何かに思考を向け...それについて考え、したがって、それを---欲していてもいなくても---引き寄せてしまうのだ。」(同書、p.230)いやぁ~、ここんところは、読んでいて「からくり見たり!」と叫びたい程、痛快な気分でした。以前からこちらで書き続けている「エモーショナル・ヴァンパイア」にそのまんま当てはめられるな~、と、直感したのです。「自分がどういう人間関係を望むかというはっきりした意図」を持たないまま、「惰性で---by default デフォルトで--- 周りの世界の人間模様に身をさらしてしまう」と、...欲しくもないのに、選んでもいないのに、「こっちだよ~!」と、そうしたヴァンパイアさんたちを招き寄せてしまうのだわっ。...突然、黒い霧が晴れたかのように、自分の心の在り方と、ここ数年の間に出会った印象的な(苦笑)人々との間に相関関係が見えてきました。そうです!望んでいいんですヨ!どういう類の人間関係が欲しいか、どういう友人が欲しいか、はっきりと言葉に出して、願いを大きくふくらませていいんです!それは、決して、世の人が「悪」として非難するような類の「ワガママ」ではありません。エイブラハムは、そういう「ワガママ(Selfish)」な願いこそ、本当の自分(Self)のために必要なリクエストだ、として大いに奨励しています。この辺は、「引き寄せの法則」シリーズで何度も強調しているポイントです。誰だって、服やバッグを買いに行くときに、ただ漫然とお店に入るよりも、「大体こんな感じの生地で、色やデザインはこんなで...」と、大まかなイメージを抱いて出掛けた方が、お目当ての一品にスムーズに辿り着けるでしょう?服やバッグについてやっていることを、どうして【人間関係】についてもやらないのでしょうか?再び、話をテレビに戻してみましょう。何事も反復練習です。深夜、これと言ってやりたいことが無いまま、ど~でも良い番組しかやっていないとわかっていても、ボーっとテレビを眺めている。罵り言葉やイジメまがいのドタバタで満ちた自称「お笑い」番組や、世界の裏側で起こっている残虐行為の生々しい映像に無防備に身をさらしつつ、無駄に時をやり過ごす...。そういう時間の使い方を「選ぶ」人は、世の中に大勢いるでしょう。はい、私だって、漫然とテレビのワイドショーをハシゴして、ど~でもいい芸能ネタをかじって時間無駄にした、なんてこと、多々あります。海外に来てからは、テレビがネットサーフィンにそっくり入れ替わっただけで、やっている事は同じですね(汗)。でも、別の時間の使い方だって、選べるんですよね。デフォルトで行動することをやめれば、もっと幸せな時間が手に入るかもしれない。...人間関係にも、同じくらいの「意図」と「願い」を持ち込んで、構わないのです。ただ向こうからやって来る人達を、テレビの無意味な映像同様、惰性であれもこれも、と受け入れちゃぁ、そりゃー、玉石混交、いろいろな人がやって来るのは当たり前。人間って、そうやって自分の意図をヨッコイショ★と、望ましい方向に向けていかないと、あらゆる否定的な想念やら、雑音やら、社会の歪んだ「常識」やら、にいとも簡単に洗脳されてしまうのでしょうね。「惰性/デフォルトで生きる」方が、一見ラクチンそうに思えるし、しかも世の多数派の意見とも衝突しない。で、ついついそちらに流れがちになってしまう。人間ってそういうものみたいです。でも、そうした生き方を続けていては、自分にとって「エモーショナル・ヴァンパイア」と感じられる人々が、モグラたたきゲームのモグラさんたちみたいに、あちらにヒョコリ、こちらにヒョコリ…と、いつまで経っても出現し続けることでしょう。大切なのは、自分を取り巻く人間関係についても、意図的に考え、そして心が本当に喜ぶ方向へと願いを向けること。これが、今のところ、エモーショナル・ヴァンパイアに対して、私が一番納得できる【対処法】です。色々な人格障害本を読んでみましたが、どうも「加害者VS被害者」の図式から脱却できないようで、「何か違うんじゃないかな...」と、無批判にご紹介することをためらっていました。エイブラハム流で、「惰性の人間関係をやめる」っていうのが、一番しっくり来ます。即効性があるかどうかは、これから人体実験してみることにしましょう。きっと、うまく行くんじゃないかな。引き寄せの法則に長年親しんでいらっしゃる方には、「なんだ、今まで知らなかったの?(笑)」と言われそうですが、まぁ、これを書いている私にとっては、今・この時・この境遇でしか答えは導き出せなかったのですから、これもまた良し、です。何はともあれ、結果オーライ!ですね☆ 結果だけじゃなく、その旅の途上も「全てオーライ☆」にしていけるよう、これから自分の「思いグセ」「心の悪癖」に注意を払っていくようにしましょう。(←その「思いグセ」「心の悪癖」に気付かせてくれるのに大変有効なツールが、先日紹介したエニアグラムなんですよね~。求めれば、いくらでも必要な知恵は与えられる...みたいですヨ。)
2011.09.23
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しばらく間が空いてしまいましたが、エモーショナル・ヴァンパイア(心の吸血鬼)について最近考えていることを少しまとめてみることにします~。(ええ、まだまだ取り上げますよ!この話題。)エモーショナル・ヴァンパイアについての基本的な説明は、2011.6.13の米国人精神科医・ジュディス・オルロフ博士の著書からの引用、2011.5.21と2011.4.30の同じく米国人心理学者アルバート・バーンスタイン博士による「あの人はなぜあなたを疲れさせるのか」(原題・Emotional Vampires)で扱っています。もしおヒマなら覗いてみてくださいね。エモーショナル・ヴァンパイアとは、「なぜか一緒にいるだけでこちらが疲れてしまい、損な目に合わされる、ある種の困った性格パターンを持つ人々。こちらの善意や元気を吸い取る。精神科で『人格(パーソナリティ)障害』と診断される、ほんの一歩手前の段階。…でも本人には、他人を困らせているという自覚症状はほとんどなく、また、そうした人格のゆがみを治そう、という気もさらさら無い。」こんなところでしょうか。ここ数ヶ月の間、上の二人の著者(ジュディス・オルロフ、アルバート・バーンスタイン)を皮切りに、アメリカで手軽に入手できるような人格障害関係の概説書をいろいろと入手し、読み比べてみました。そんな中、特に面白かった本といえば、【送料無料】Say Goodbye to Your PDI (Personality Disordered Individual): Recognize People Who Make You Miserableこちらの本は、ユーモアたっぷり効かせた「あの人はなぜあなたを…」より更に一歩踏み込んだような強い調子で、「人格障害を持つ人は、こちらが何をやっても変わらない。いつか変わってくれる、なんて希望なんかさっさと捨てて、まず、逃げろ!関わるな!」と、【徹底抗戦】の立場を貫きます。著者のStan Kapuchinski博士は、精神科医としての豊富な経験から、何も罪のない善男善女がこれ以上人格障害の困ったさんたちと関わって「惨めな思いをしないよう」(Stop Your Misery、って、すごい副題ですよ~。)、本書を著したのだそうです。ご本人の分身(?)である「精神科医ドクター・ボブ」が各人格障害の患者さんを相手に繰り広げる「ダメな対応」、そして「望ましい対応」両方のシナリオなんかも、臨場感たっぷりに紹介されています。医療専門職、心理カウンセラー、ソーシャルワーカーなど、こうした人格障害ちっくな「みんなに迷惑振り撒いている人」と仕事の上で関わらねばならない人々には、こうした切り口が特に参考になるでしょうね。もう一冊、上の本と似たような【徹底抗戦】の立場を取る本で読んで良かったな~と思ったのは、こちらです。残念ながら、Amazon.comのKindle版でしか入手できません。http://www.amazon.com/Difficult-Personalities-Its-Them-ebook/dp/B0055DYWWE/ref=sr_1_22?s=digital-text&ie=UTF8&qid=1312618398&sr=1-22著者のWilliam T. O'Donohue博士は、臨床心理学者として非常に幅広い活躍をされている方のようです。ネズミの実験で知られるスキナー箱にその名を残した行動心理学者・B.F.スキナーについての解説書に始まり、犯罪心理学や人格障害といった今、流行りの分野に至るまで、とにかく精力的に本を書きまくっているっていう印象ですね。著書だけで35冊を数えるんですって。その他にも編者として関わった本も数多くあるそうです。現在、臨床活動の傍ら、ネバダ州立大学レノ校で教鞭をとられているようです。ただ、今回の電子書籍"Difficult Personalities: It's Not You; It's Them"(超訳しますと:「扱いにくい性格の人々:君じゃない、悪いのはあいつらだ」)、内容はかな~り強烈(上の著者たちの【徹底抗戦】を更にデラックスボンバー!なバージョンにした感じ。機会があったらいずれ紹介します。)で読み応えガッツリ!なのですが、最初から最後まで、とにかくずさんな校正ミスが多過ぎて、ちょっと辟易しました。電子版で安価($6.99)に出してくれたのは嬉しいですが、外国人の私にでも突っ込めるような初歩的な文法ミスや校正漏れが多いって、ちょっと、センセー、ケチらないで腕利きのフリー編集者でも雇った方が良かったんじゃないでしょうかねぇ。せっかくの力作が台無しですよ~。…ともかく。確かに、アメリカ人には受けそうです、こうした【徹底抗戦】を謳うタイプの本は。「人格障害者/エモーショナル・ヴァンパイアに不当に迷惑かけられていてはダメだ!泣き寝入りしないで、戦え!自分の身は自分で守れ!」…ってところでしょうか。まぁ、何てったって、ここ・アメリカは「自衛のために一家に一丁銃を持つ」人がゴロゴロいる国ですから…。安さとデカさでアメリカNo.1!なスーパーセンター、ウォルマートの店の奥にだって、ガラスケースで覆われた銃コーナーがあるくらいですしね。夜中の押し込み強盗でも、エモーショナル・ヴァンパイアの心理攻撃でも、対処法は同じってことなのでしょう。そんな感じで【徹底抗戦】タイプの本や、その他もうちょっとニュートラルな解説書(大学の心理学の教科書に近い、って感じ。正直、あんまり面白くない…。)をボチボチ読み終えたあたりで、ちょうどタイミング良くこちらの本を手にすることができたんですよ。それも、なんと、地元の公立図書館で。推測するに、この辺りに以前住んでいた日本人の人が、帰国の際にでも寄付していったのでしょう。感謝☆現在、京都医療少年院に勤務されている精神科医・岡田尊司さんの本、こちらは2006年の出版です。【送料無料】パ-ソナリティ障害がわかる本日本で、人格(パーソナリティ)障害関連書を出版している臨床家の方々は他にも幾人かいらっしゃるようですね。たった一人の著書を読んだくらいで「日本ではこうなのね!」と決め付けてしまうのは、いささか乱暴だよね、と思いまして、以下、私が日本側の見方、として引き合いに出しますのは、あくまでも岡田尊司氏という一人のお医者さんの見解です。あらかじめお断りしておきます。(人格障害については、都立松沢病院精神科勤務の林直樹さんという方の著作が好評を博している、とのことですので、次回の里帰り時には是非入手するつもりです。本当は、日本の本ももっとお取り寄せしたいのですが、今、泣きたくなる程の円高ドル安ですので、しばらくの間高い買い物は自粛せねばならなくなりまして...。)上の「パーソナリティ障害がわかる本 『障害』を『個性』に変えるために」に加え、岡田氏のもう一冊の著書「パーソナリティ障害 いかに接し、どう克服するか」を併せて読んでみると、これまで紹介してきたようなアメリカの【徹底抗戦】スタイルとは随分異なるアプローチを取っているんだな~、と、軽い驚きを覚えました。この本について、Amazonか楽天の読者レビューでどなたかが書いていましたけど、とにかく、「優しい」んです。岡田先生の眼は。そして、その眼はあくまで人格障害を持つ人の方に向けられている、という印象が強いです。少なくとも、私が読んだ上の2冊においては、ですけど。パーソナリティ障害の罠にはまってしまった人が、頑張って這い上がるよう努力していけば、「障害」を克服することも夢ではない。そうすれば、いつかきっと独自の個性へと脱皮できるようになる。だから、希望を捨ててはいけないよ…。ヴァンパイアに痛めつけられている被害者を助けたい、というよりは、患者さん、そしてその周囲の人の心を楽にしてあげたい、との思いから本を書かれている、という感じがしましたね。これ以上鞭打ってはいけない、とでも言うかのような。けれど、これだけでは、ヴァンパイア/人格障害の人に有効な対処策を知りたい!これ以上嫌な思いはしたくない!と願う【被害者】は浮かばれません。「何で、悪いことしていない私がこんな目にばかり遭わなきゃいけないの???」…このような疑問に対しては、残念ながら岡田氏の本はあまりはっきりとした答を出してくれないんですね。う~む。アメリカ式の【徹底抗戦】を訴える本ばかり偏って読むと、冷酷非情な自己チュー野郎になりそうな気もするし、かといって、岡田尊司氏や、それに近い立場の「優しく見守る」本だけ読んでも、被害者の立場にある人はもやもや感だけが残りそうだし…。こうして考えてみると、「エモーショナル・ヴァンパイア」「人格(パーソナリティ)障害」について、一般向けに解説本を出すのって、案外難しいものなんですね。被害者救済を第一の目的とし、「困ったさんたち」への対処法と防御法とを説く本にしたいのか。それとも、「何とか克服したい(もしくは、『させたい』←家族とか親しい人の場合ね。)」と願う人々の立場に立って、「大きな人間愛でもって見守りましょう。多少のつまづきは赦しましょう。」という、人格障害を抱えた人達自身が希望を見出せる本にしたいのか。まず、著者がどちらの立場に立ちたいかをはっきりさせる必要があると思うのです。選ぶ方としても自分の目的に合ったタイプの「人格障害本」を読まないと、欲しい情報が全然見つからない、買って損しちゃった、っていうことにもなりかねません。理想は両方のタイプの本を読み、双方の見方を理解できるようになることなんですけど…。でも、現実にはなかなかその域まではたどり着けないものですよね。要はバランス、なんでしょうけどねぇ。
2011.08.06
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前回、ジュディス・オルロフ博士の「エモーショナル・フリーダム」についての言葉を引用しました。心が自由である、というのは、外から愛を受け取り、自分から外へと愛を与えることができる、そういう力を自分のものとすること。愛が自由に行ったり来たり、風通しバツグンの心持ちになれることが、【心が自由になる】ってことなのですね。何を見ても聞いても、笑顔が自然とこぼれてくるような、軽快な心持ち。ネガティブな感情(恐れ、不安、怒り、嫉妬...)に汚される心配が無いから、伸び伸びと振舞うことができる。他人に対しても、何の気負いもなく、さらりと助けの手を差し伸べることができて、それに対して何の見返りも求めない。(以前、「オーラの泉」に森公美子さんが出演された時、彼女のお父様が常日頃よりおっしゃっていた言葉があまりにも素晴らしかったので、今もしっかり覚えています。「返ってくるのは笑顔で十分。」...いつもこの言葉が自然に口を突いて出てくるような人間でありたいものです。)ここ2日間、そうした「心の自由」(emotional freedom)のありがたみが骨身に沁みて理解できました。夏風邪を引いてしまったのですよ。朝方、急に冷えたためか、それとも疲れがたまっているからか(PCに向かいすぎ!という線もアリですね。)、とにかく喉が痛いし、食に対する興味もゼロだし、身体はだるいし、と、明らかに体調不良であったにも関わらず、それを押して歯医者に行ってしまいました。1時間と少々かけてたっぷりと歯垢・歯石を除去するという、3ヶ月に一度のお決まりのコースに果敢にも耐えたわけですが、これがどうやらいけなかったみたいですね。帰ったら熱が出ました。後はもう、ひたすら「辛い!眠らせろ!何もやりたくない!」。一家のおかあさんとしては全くもって失格です。家族には迷惑をかけてしまいました。丸一日どよ~んと横たわっていたら、ようやく調子が戻ってきました。「人間って、日頃普通にあるものを失くして初めて、そのありがたさに気付くんだなぁ...」と、しみじみ思いましたよ。風邪ならそのうち元に戻るさ、と、楽観的に構えていられます。でも、これが心の問題だったら?...やはり、何とか手を打ちたい、一刻も早く元の伸び伸びした状態に戻りたい、って焦りが出てくると思います。第一、「とにかく眠らせろ」しか頭にない、ツッケンドンな母親のままでいては、子どもがかわいそうですから。何も悪いことしたわけじゃないのに、返ってくるのは極悪サービス(食事、話し相手、工作の手伝い、宿題コーチ...等々。)だけ、なんて不条理すぎますもんね。不条理なんて~のは、もう少し大きくなったら外の世界でゴマンと体験することになるはずですので、せめて自分のおうちにいる時ぐらいはほっとできる場所を作ってあげたい、と、志だけは高くかかげています。(現実は、「漢字ノートやったのーっ?!」と鬼婆声で吼えまくり...。とほほ。)今回から、ジュディス・オルロフ博士の最新ベストセラー・"Emotional Freedom"から、著作権侵害にならない範囲で「エモーショナル・ヴァンパイア」(心の吸血鬼)を扱った部分を紹介していこうと思います。オルロフ博士の著作に興味を抱かれた方、こちらのビデオも参考になさってくださいね。(5月23日にご紹介したパート1の続編です。日本語字幕あります。)http://suprememastertv.com/jp/bbs/board.php?bo_table=healthy_jp&wr_id=137&url=link2_1&page=#v(2011.8.6 修正。。。残念ながらYouTubeで上のビデオが見られなくなりました。リンクからSupreme Master TVのページに行ってご覧ください。)第五章 エモーショナル・ヴァンパイアとの闘い:自分の敏感な部分を理解し、保護するための方法「自由になりたければ、人間関係について無知なままでいるわけにはいきません。世の中にはポジティブで、気分を高めてくれ、元気を与えてくれる人たちがいます。その一方で、前向きな気持ちや晴れやかな気分を吸い取っていく人たちもいます。自分の敏感な部分を守りたいのならば、何としてもエモーショナル・ヴァンパイア(心の吸血鬼)の存在をつきとめ、それらと闘っていかねばなりません。」後日掲載しますけど、オルロフ博士は決してエモーショナル・ヴァンパイアを「完全な悪者」「絶対悪」として扱ってはいないんですね。ただ、その存在に気付き、予め防御策を練っておくことが大切なのだ、と、主張しています。「ヴァンパイアは至るところにいます。職場の同僚、ご近所さん、家族、友人、など。エネルギー精神医学の領域で患者さんの治療に携わりながら、《他人を疲れさせる人》からこっぴどく痛めつけられた患者さんが次々とやって来るのを私は目の当たりにしてきました。これは一種の伝染性精神疾患とも言うべきなのでしょうが、まだ伝統的な医学の視野には入っていません。こうした《心に傷を負った状態で歩いている》人々、それも、通常だったら賢く、知性に恵まれているはずの人々が、慢性的な不安、うつ状態を諦めとともに受け入れてしまっている例があまりにも多いことに、私は慄然たる思いを禁じえません。」これ、知人から聞いた話です。子どもが幼稚園に入園し、慣れない土地で知り合いも少なかった彼女(純子さん・仮名)は、誘われるがままに、ボス格として君臨していたママさんと行動を共にするようになりました。素直で人を疑わない、お嬢さん育ちの純子さん。ボスママが入り浸っているパン作り教室にも一緒に通うようになりましたが、次第にボスママから純子さんのプライベートに色々と突っ込みが入るようになりました。「出身校は?」(→純子さん・「〇〇大学」...ボスママにとってはあまり嬉しくない、有名校でした)「やっていた楽器は?」(←純子さん・「ピアノを結構本格的に大学入学時までずっと」)「実家のお父さんの職業は?」(←純子さん・「医者です」)...ボスママが探りを入れる度に、純子さんは正直に全部答えていたのですが、その答えがイチイチ気に障るものだったらしいです。...で、その後、ボスママは容易に軍門に下る気配の無い純子さんに対し、一転して陰湿な嫌がらせ作戦を展開してきました。そこからは、親子でまるで針のむしろのような居心地の悪い毎日でした。「このままだと本当におかしくなってしまう。」事の重大さをようやく理解しただんな様にも後押しされ、彼女は4月の進級時に思い切って子どもを遠くの幼稚園へ転園させることを決意。現在は、前とは180度変わって平和な日々を過ごしているそうです。お子さんの心の健康のためにも、ママが環境を変える決断を下してくれて、本当に良かったと思います。何よりも、純子さんご自身、「心が壊れちゃう」という最悪の結末を避けられて、本当に良かったです。「なぜ、問題に気づかないのでしょう?それは、われわれの大部分は、他人を疲れさせる人々について教わったことも無ければ、そうした人々の魔の手からどうやったらうまく逃げられるか(真に自由を手に入れたいと欲する人にとって、これは欠かすことのできない社交スキルなのですが)について、誰からも教わった経験が無いからなのです。」私の知る限り、日本人でこのようなヴァンパイア的な人々に対して警鐘を鳴らしているのは、美輪明宏さん(魔界人について)と、そして、お気に入りブログに登録させていただいている、NY在住のブルーシャ西村さんのお二人ぐらい、でしょうか。(そのくらいブルーシャさんの文章は革命的な内容なんですよ!ニューエイジ系、心理学系の本はかなり読んでいると自負する私が自信を持ってお勧めします。こんな骨太なスピリチュアル系は見たことないです!!!)注:ブルーシャ西村さんは、スピリチュアリズム専門の作家さんではありません。サルヴァドール・ダリ、ジャン・コクトーのように、ジャンルの垣根を超えてご活躍なさっている芸術家さんです。美輪さんの「魔界人」についての記述、数年前、私がかな~り能天気だった頃は「いやぁ、こんなネガティブで、何の夢も希望も無いような人間観はちょっと...」と敬遠していました。その後、すったもんだあって、少しばかり経験積んだ今では、「うん。確かに、理解できる。」と、全く見る目が変わりましたね。...「エモーショナル・ヴァンパイア」と通じる部分がたくさんありますので、日本人との付き合いを100%避けるわけにいかない方ならば、読んでおいて損はしないと思います。【送料無料】強く生きるために「以下、私がヴァンパイアについて信じるところを述べます。彼らの手口を認めるわけにはいきません。だから、我々の方としても、ヴァンパイアに対抗するためには上手に作戦を練る必要があるのです。『主の祈り』文中、『私たちも私たちに負いめのある者をみな赦します』という慈悲深い御言葉には心底より同意する私でありますが、その一方で、われわれを無意識に、もしくは悪意でもって脅かす侵害行為は防がねばならない、との立場は崩しません。他人を疲れさせる人々に対しはっきりした対決姿勢を打ち出すことは、自己管理であると同時に巧みなコミュニケーションの一つのあり方です。われわれの自由を長続きさせたいと願うならば、練習を積み重ねていかねばなりません。」(Orloff, Judith. Emotional Freedom. New York: Three Rivers Press, 2009)「罪を憎んで、人を憎まず」を合言葉に、人間として相手への最低限の敬意は払いつつ、思慮深く、そして柔軟に行動できるようになりたいですね。まずはオルロフ博士のような達人からそのノウハウを学んでいきましょう!(この項、つづく。)
2011.06.13
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前回は「エモーショナル・ヴァンパイア」の本題に入る前に、何とか出版に漕ぎ着けてもあっという間に市場から姿を消してしまう翻訳本と、それを取り巻く出版不況への嘆き節で終わってしまい、まことに失礼しました。書き上げた後、「翻訳」「出版」「電子書籍」のキーワードで、検索してみました。紙での流通がダメなら、最後の頼みの綱は電子出版しか無いと思ったのです。かく言う私、アマゾンのKindle愛用者でして、この「エモーショナル・ヴァンパイア」関連の本は電子版で購入しました。夜、布団の中で寝転んで読むのに、軽くていいんですよ~。 そしたら、やっぱり出てきましたね!ちょっと前、4月のニュースですが、絶版本を何とかして復活させたい、と、切実に願う人達は、ちゃんと次なる作戦を考えているようです。現時点ではまだ洋書に限られているとのことですが。でも、ほんの少し、希望が見えてきた...かな?それとも、日本ではよくありがちな、出版業界内の悪しきかばいあい体質によって、日本語書籍は最後まで電子化・オンデマンド化の流れを拒み、時代の流れから置いてけぼりになるのでしょうか。(...これって、いわゆるガラパゴス化ですかっ!?)注目したいところです。http://www.excite.co.jp/News/net_clm/20110421/Godo_201104_amazon_12.htmlさて、今日のお題・【自己愛性人格障害】へと移ることにしましょう。「人格障害」って何?をおさらいするのに便利なサイトを見つけましたので、リンクを貼っておきます。元々はアメリカの製薬会社が社会奉仕活動の一環として編纂し、一般向けに公開されている歴史の長い病気診断マニュアルですので、信頼性は高いと思いますよ。書籍版も市販されています。【送料無料】メルクマニュアル第18版 メルクマニュアル 家庭版105章 人格障害http://merckmanual.jp/mmhe2j/sec07/ch105/ch105a.htmlも一つどうぞ。「犬のための人格障害講座 わん!」http://watchan.net/pd/index.htmlいやはや、犬のためとありますが、われら人間族にとっても大いに役立つ情報でありますよ~。(ケアン・テリアのドクター・ワトソン君、かわいいっ!)こちらでは、アメリカの精神医学界には欠かせない診断マニュアル・DSM-IV-TR(精神疾患の分類と診断の手引き 第四版)からの引用が参照できます。参考文献へのリンクもあって、読み応えありますね。ワトソン君、そしてご主人さま、リンクフリーとのお言葉を信じて勝手に紹介させていただきました。どうもありがとうございました。自己愛性人格障害の項はこちらです。http://watchan.net/pd/narcissistic.html「あの人はなぜあなたを疲れさせるのか」で、バーンスタイン博士はこの【自己愛性ヴァンパイア】、すなわち「自分にベタ惚れ、私しか見えない(=他の奴らの気持ちなんか知ったこっちゃない!)」を、こんな特徴を持った人と定義しました。・同年代の人に比べて、多くの業績を成し遂げている。・自分は他の人より優れている、才能がある、頭が良い、と、固く信じて疑わない。・人と競い合うのが好きだが、情けない負け方ばかりしている。・いつか必ずすごい事をやってやろう、有名になってやろう、という夢を持ち、他人に対してもあたかもその夢が本当にかなったかの如く、自分を丁重に扱うようにと暗に期待するような態度を取る。・他の人が自分のことをどう思っているか、自分に対してどんな気持ちを抱くか、といったことにはほとんど興味無し。気にするのは、相手から何か手に入れたいとたくらんでいる場合に限られる。・有力者・有名人の名前が、話のあちこちに出てくる。・「イケてる場所」に住み、「イケてる人達」とお付き合いすることを非常に重んじる。・目的達成のためには、他人を利用することをも辞さない。・大抵の場合、「その人にしかできないようなポジション」にちゃっかり収まっている。・「私って特別だから」と考えているので、ルール違反は当たり前。むしろルールの方を逆に変えてもらいたいとさえ思っている。・何か他人にしてもらいたい時、その人がすんなりそれに応えてくれないとイラつく。相手方にだって、そうしないだけの理由がちゃんとあるというのに。・スポーツ、芸術、文学について意見を言うときは、いつも「自分がその立場にあったらどうするか」ばかり語りたがる。・自分に向けられた批判のほとんどは、自分に嫉妬する人から来たものだ、と考えている。・自分を崇拝してくれない人は、自分を拒絶したも同然、とみなす。・自らの過ちをどうしても認めることができない。ごくまれに過ちを認める場合もあるのだが、そうした場合、ほんの些細なミスでも大きな落ち込みへと発展してしまうことがある。・自分よりも有名な人、人気ある人の事を話題に出して、「あの人実は大したことないんだ」と語ることがよくある。・「私、みんなから不当な扱いを受けているの」「僕は誤解されているんだ」といった不平不満が多い。・自分のことを過大評価しすぎているきらいはあるが、実際、この人物はかなり頭も良いし、才能もある。・・・以上の項目のうち、5つ当てはまるものがあれば、その人が【自己愛性ヴァンパイア】であることはほぼ確実。(人格障害、の域に落ちるところまでは行かないかもしれませんけど、ね。一緒にいると妙に疲れて、エネルギーを吸い取られる類の「プチ困ったさん」です。)10個以上当てはまったら、「この人にお仕えする召し使いの一人に間違われないよう、気をつけなさいよ!」...だそうです。おぉ、こわ...。(バーンスタイン博士、なかなか楽しい人なんですよ。) さてさて。上の項目のうち、あなたの思い浮かべた人物と照らし合わせて、「あれ?これは違うでしょ?」という文がいくつかありませんでしたか?それは、【自己愛性ヴァンパイア】には微妙に異なる、二種類の変種が存在するから---です。上のチェックリストには、その両方のタイプについての文が混じり合っていたのですよ。どちらの自己愛性ヴァンパイアタイプも、【自分が大好き、一番大好き】っていう点に違いはありません。ただ、「勝ち」「負け」の用語があまり望ましくないことは承知の上、はっきり言ってしまうと、片方は「自分が大好き、自分に大甘、だから他人にも甘えっぱなしで、結局大したことな~んにもやれていない」...の負け組人生タイプ。(☆まぼろしの伝説の偉人)嫌なことでも努力してやり抜く、我慢する、といったことができないのが、こちらの人々です。(だって自分が可愛いんだもん!)自分が嫌いなこと、イコール、「どうでもいいこと」と短絡的に考えてしまうんですって。なるほど、これでは社会生活を営む上で、「職を転々とし...」「自分探しの旅に出て...」なんて末路をたどりかねませんね。それでいて、他人には「こんな素敵な私なんだから、あなたも私に免じてちょっとは我慢しなさいね!」と暗に要求するのですから、付き合わされる人はたまったもんじゃありません。で、もう一方のカテゴリは、「自分が大好き、だから努力して人一倍輝いて人よりも抜きん出ている自分が大好き。」の、勝ち組でなきゃ我慢できないタイプ。(☆スーパースターは宇宙の中心)(カッコ内の☆は、いずれもバーンスタイン博士による呼び名。楽天ブックスの書籍紹介・目次より)このスーパースターについて、個人的な経験も織り交ぜながら、次回もう少し書き足したいと思います。
2011.06.03
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4月30日の日記でご紹介したアルバート・J.バーンスタイン博士の著書「あの人はなぜあなたを疲れさせるのか」、こちらが原書になります。【送料無料】Emotional Vampires: Dealing with People Who Drain You Dry日本語の訳(「あの人はなぜあなたを疲れさせるのか」アルバート・J・バーンスタイン著、実川元子訳、角川書店、2001年)が絶版で入手困難とわかって以来、はて、どのように皆さんに内容をかいつまんでお伝えしようかな...と迷っていたところ、運良くこの本の要点をまとめてくださっているブロガーさんに巡り会うことができました。(ひまりさんのブログ 「幸せな陽だまりの虹 http://sunnyplacejena.blog105.fc2.com/ )ご本人にコンタクトしたところ、関連する箇所へのリンクを快くOKしてくださいましたので、興味のある方はぜひ参考になさってください。(その節はありがとうございました!"お話し"できてうれしかったです。)本の冒頭部、「人格障害とは何ぞや」、そして「人格障害と精神障害との違い」を要約した部分は、こちらです。http://sunnyplacejena.blog105.fc2.com/blog-category-36.html#entry301この本のタイトル「エモーショナル・ヴァンパイア」(心の吸血鬼)とは、簡単に言ってしまうと、人格障害(パーソナリティ障害)っぽい部分を多分に持った人達の別名です。お医者さんに連れ込む程はっきりした病気ではないし、お巡りさん呼ばなきゃいけない程危険な犯罪行為に走るわけでもない。でも、「何かあの人と一緒にいると、妙に疲れる。」そういうグレーゾーンに位置する人々です。人格障害というのは、従来の精神障害(統合失調症、鬱病など)とは違います。自分が、あるいは周囲の人たちが「何か、前とは違う。」と気付いて病院や専門家の元に連れて行く...というのが、精神障害・精神疾患を患う人々。「エモーショナル・ヴァンパイア」、つまり、人格障害っぽい部分の多い人には「何かがおかしい、前とは違う」といった自覚症状は 一切 ありません。「何かがおかしい」と気付くのは、周りの人だけです。エモーショナル・ヴァンパイアな人の人生では、似たり寄ったりの負けパターンで彩られた筋書きのドラマが、何度も何度も再放送され続けます。壊れてしまう...まで。本人が気付いていないのですから、止めようが無いのです。ひまりさんのブログから引用しますと: 自分の精神が病んでいる人たち = 神経障害者・精神病患者 他人の精神をおかしくする人 = 人格障害者本人はピンピンしているのに、周りが生気を取られてヘトヘトになっていく。まさに、吸血鬼ドラキュラが誰かさんの血を吸い尽くして、また夜の闇へと消えていく姿そのものですねぇ。ただ、私達一人ひとりが心に留めておかねばならないことがあります。誰だって、時と場合によっては、エモーショナル・ヴァンパイアに変身してしまう可能性があるのです。大上段からえらそーに講釈垂れていては、いかんのですよ。(★自戒!★)「自分は絶対にそんな邪悪な心の吸血鬼にはならない!」と、強く断言できる人がいたら、むしろそんな人こそ思いっきり怪しい!と疑ってかからねばなりません。「本当にそう思う?ぜったい?ゼェーーーッタイ、絶対にならないなんて、言えるの???」と、激しく問い詰めた方が良いと思います。あなた、自分にウソついてませんか?自分の中の醜い部分から目をそむけて、「聖人」「天使」気取っていませんか?エモーショナル・ヴァンパイアになった人というのは、外部から邪悪なウィルスが飛んできて、罪の無い人間を攻撃し、倒す...といった類の感染症とは全く別物の病に侵された人、と考えましょう。誰もがある程度は人格障害チックな部分を心の中に秘めているものです。「種を持っている」、とでも言いましょうか。その種を発芽させ、枝も幹もどんどん伸び放題になるに任せてしまうのか、もしくは、小さな芽のままでそれ以上養分を補給することなく立ち枯れ状態にするかのか。どちらを選ぶかは、自分次第です。なる人もいれば、ならない人もいる。はたまた、状況次第でなってしまう時もあれば、ならない時もある。地球上で人間やっている間は、他人事だなんて考えない方がいいと思います。がん細胞にたとえてみると、分かり易いかもしれませんね。「暴飲暴食や、ジャンクフードばかり食べるといった不健康な食習慣、プラス、ストレスいっぱいの日常生活が長年の間積もり積もって、胃にがん細胞が発生し、それが内側から全身を蝕んでいく。」「自分だけは絶対がんにはならない」と断言できる人がほとんどいないのと同じで、「自分だけは絶対ヴァンパイアにはならない」と自信持って言える人も、ほとんどいないはず。自分の日常、そして、過去を振り返ると、「...あの時私ヴァンパイアしてたなー。〇〇〇ちゃん、本当にごめんね...。」と、懺悔したくなる記憶の一つや二つ、きっと出てくるはずです。(まぁ、厳しい精神修養を経て、高い意識を達成することができた一握りの「マスター」たちは別格なのでしょうけど。そんな次元をとうに超越しちゃっている、というか...。毎日一歩ずつ、いや、1cmずつでもいいから、その境地に近付きたいものです。)誰にだって「もしかしたら自分も...」があり得るのです。だからこそ、私達は身近な「困ったちゃん=エモーショナル・ヴァンパイア」の言動パターンから学ぶ必要があるのですね。幸い、バーンスタイン博士や、私の大好きなジュディス・オルロフ博士といった、こころの専門家たちが、分かりやすくカタログ化してくれています。先人達の努力に感謝しつつ、ここはちゃっかり学ばせてもらいましょう!以下、バーンスタイン博士の「あの人はなぜあなたを...」に登場する順番に、ひまりさんがまとめられた内容のリンクを挙げておきます。※カッコ【 】内は、実川元子さんの翻訳による各章のタイトル、および小見出しです。楽天ブックスの商品紹介ページより。★反社会性人格障害タイプ【愛すべき不良-反社会性吸血鬼(命知らずは危険な子ども/中古車セールスマンにだまされるな! ほか】 http://sunnyplacejena.blog105.fc2.com/#entry302★演技性性人格障害タイプ【永遠のヒロイン-演技性吸血鬼(大根役者は大げさに演技する/受動攻撃の武器は涙と沈黙)】 http://sunnyplacejena.blog105.fc2.com/#entry303★自己愛性人格障害タイプ【私しか見えない-自己愛性吸血鬼(まぼろしの伝説の偉人/スーパースターは宇宙の中心)】 http://sunnyplacejena.blog105.fc2.com/#entry304★強迫性人格障害タイプ【品行方正の鑑-強迫性吸血鬼(完璧主義者と厳格主義者)】 http://sunnyplacejena.blog105.fc2.com/#entry305★偏執性人格障害タイプ【陰謀がポリシー-偏執性吸血鬼(妄想を追いかける人たち)】 http://sunnyplacejena.blog105.fc2.com/#entry306ひまりさん、重ね重ねありがとうございました。この情報が少しでも多くの人達に「スッキリ!」感をもたらしてくれますように。
2011.05.21
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あの人はなぜあなたを疲れさせるのか価格:1,680円(税込、送料別)上の本は、アルバート・J・バーンスタイン博士という、アメリカの心理学者が2001年(原著)に出版した"Emotional Vampires"の邦訳です。。(残念ながら新本での入手は難しいみたいですね。でも、これ、吸血鬼どうのこうの...と、一見ふざけた本のように見えますけど、結構使える本だと思いますよ!代表的な人格障害と「あなたの周りの困ったちゃんたち」とをリンクさせて、きちんと説明してくれています。対処法も詳しいです。)こちらの日記でも、「エネルギー精神医学」を提唱し、薬物療法中心の精神医療に、直感的な診断手法や治療を大胆に取り入れているジュディス・オルロフ博士のことは、既に何回か触れました。もともと、オルロフ博士の本に引き寄せられたのは、上の本の原題である"Emotional Vampires"と称される「あなたの周りの困ったちゃんたち」について詳しく説明されていたからでした。「エモーショナル・ヴァンパイア」って、一体何なのでしょうか?上に紹介した本の邦題、「あなたを疲れさせる人」。これに尽きると思います。名訳!首筋に噛み付いて真っ赤な血をチュルチュルリ~~~と吸う、あの有名なドラキュラ伯爵と違い、この「エモーショナルヴァンパイア」は、私達の生きるエネルギー、特に感情面での上向き・前向きなエネルギーを好物とする魔物であります。優しさとか気遣いなんていうのも大好きですね。一見して誰にでもわかるような被害を与える、というわけではありません。おまわりさんに来てもらわなきゃいけないような犯罪行為を犯す、っていうわけでもありません。(それは「サイコパス」の領域に入るのかな?犯罪心理学はあまり詳しくないんだけど...。)「...なんかあの人と話すと、後で妙に疲れて肩が凝るのよね...」「あの人が来るまでは話に花が咲いていたのに、来た後はなぜか皆イヤーな気分になってしまった」「あの人と会うと、家に帰ってすぐ、無性にやけ食いしたくなる。特に甘い物とか炭水化物が欲しくなる。」...そんな、微妙~な「ぐったり感」を人々に押し付けながら、自分だけがエネルギー充電されてますます元気になってしまうような魔物的人間のことを指す言葉だそうです。美輪明宏さんの著書に頻繁に登場する「魔界人」であることは、間違いなさそうですね。オルロフ博士の最新刊"Emotional Freedom"、そしてその前著の"Positive Energy"(邦訳あり:4月7日の日記に商品リンクを貼っています)の2冊では、それぞれ違った角度から、この「エモーショナル・ヴァンパイア」を取り上げ、人物像、そして対処法を詳しく説明してくれています。オルロフ博士が2004年に「ポジティブ・エネルギー」でこの「エモーショナル・ヴァンパイア」を取り上げて以来、読者から大変な反響があったそうです。そのため、2009年の"Emotional Freedom"では、アメリカ精神医学会作成の診断マニュアル・DSM-IVの人格障害と一部のヴァンパイアと、を関連付けて、上に紹介したバーンスタイン博士の著書・「なぜあの人は...」により一層近付いた内容となりました。(でも、二人が取り上げている人格障害は必ずも顔ぶれが一致していないんですよね。そこがまた、面白いところであります。両方読んで損はしません!)今日は、「ポジティブ・エネルギー」の方からオルロフ博士の2004年度版ヴァンパイアを、簡単に紹介します。★手元に原著しかないので、訳語は私が付けました。★1. 愚痴りや屋さん "The Sob Sister"(いつもいつも自分を被害者・犠牲者の立場に追い込み、愚痴や泣き言ばかり。聞いてくれる相手がうんざりしているのにもお構いなし。「これはこうしてみたら?」など、建設的なアドバイスをしても、「そうね、でもカクカクシカジカ...グジグジ、だし。」と、結局何のアクションも起こす気は無い。で、同じ話がエンドレスで何度も何度も繰り返される。)2. 「悪いのはあんた」の非難屋さん"The Blamer"(「あんたがちゃんとやらないから、こんなことになった」が、このタイプの基本姿勢。自分は悪くない。悪いのは、いつも相手。あるいは、他の誰か。政府も悪い。国も悪い。みーんな、悪い。相手に反論の余地を与えず、ただグサグサと非難だけを投げつける。)3. メロドラマの大女優さん "The Drama Queen"(「ちょっとー、もう、最悪なのよぉー!ねぇー、聞いてよぉ!!!」の、大袈裟な出だしで始まる劇的な身の上話、もしくは単にその日の出来事を延々と語り続ける。相手が逃げたそうな顔をしていても、一切目に入らないそぶり。女王様のお話を聞けるだけであんた幸せと思いなさいよー、とでも言わんばかり。自分に注目が集まらないと大騒ぎ。アップダウンの激しさに、周囲はくたくたに疲れきってしまう。)4. マシンガントークのうざい奴さん "The Constant Talker or Joke-teller"(聞いている人の興味・関心などどうでも良い。ただ、自分の話とか、自分のジョークの面白さだけに酔いしれているだけ。黙っていられない。傍にいる誰もが「少し静かにしていてくれるといいのに」と、内心不愉快な思いを抱く。一対一の会話の他に、公共の場で大声張り上げて延々と携帯電話でしゃべり続けたり、ゲタゲタ大笑いしたりする輩も、このカテゴリーに分類される。)5. おんぼろ物件 "The Fixer-Upper"(Fixer-Upperというのは、不動産用語で「あちらこちら修理が必要なところがわんさかある、そのままじゃとても住むに堪えないような『難あり物件』のこと。修理代は売主から一切出せないので、現状のまま売るけれど、その分お値段下げておきますよ、っていうような家に、こういう"Fixer-Upper"というキャッチコピーが付いていたりするのだ。人間の場合でも、これと同じ。要するにあっちもこっちも欠陥ばかり、の問題人間、ということ。ネガティブ思考に凝り固まって、「自分は~できない」「どうせ~無駄だ」なんて口癖を持つ。1.の愚痴り屋と違う点は、愚痴り屋はただ延々と言葉の上で愚痴るだけだが、この5.おんぼろ物件の方は、誰かを捕まえては「何とかしてくれよぉ!」と、執拗に助けを求めること。...ちょうど、のび太くんが「ドラえもぉ~ん!!!何とかしてよぉ~!!!」って言う、あの感じですね。)5.1 おんぼろ物件ばかり狙う人= 【共依存】の罠から出られない人(上のFixer-Upperのサブカテゴリ。「ドラえもぉ~ん!何とかしてよぉ~!」を千里の彼方からでもいち早く聞きつけ、あるいは空耳でも何でも「私が何とかしなきゃ!」と使命感を抱き、救援活動に着手。「この人は磨けば光る素材よ」「私の愛で立ち直らせてみせる!」などと、あまりにも勝ち目の無い賭けばかりして、愛とエネルギーとを浪費している。自分さえ努力すれば、相手はかならずや大変身し、二人には素晴らしい未来が約束されると信じて疑わない。...が、そのような奇跡は起こらないまま、ただ虚しく年月だけが流れ去る。)6.外面だけはナイスな社交家さん "The Outwardly Nice Socializer"(上の6タイプと違い、これは「一瞬のひき逃げ事故」のように、あっという間にエネルギーを一吸いしては去っていく、そんなヴァンパイアである。出会いや接触はほんの短時間だったのに、「妙に外面の良いあの人」、そんなところか。少し話しただけで、どうも気分が悪くなる。まるで船酔いしたみたい。身なりも、話題も、特別怪しいところがある人でもないのに、どういうわけかこっちの元気を吸い取られてしまったみたいだ。でも、原因はよくわからない。...あぁ、確かにいますよね、この手の人。人と交わるのが大好きで、いろいろベラベラ喋ってくれるタイプですね。私の場合、「なんかこの人に気を許したら、後でやばいことになりそうな気がする...。」「裏に何かあるんじゃないの?気をつけなよ!」と、直感/直観が一生懸命ささやいてくれるんですね、こういう人と接触すると。オルロフ博士は、「幼い頃にあまりかまってもらえなかったため、エネルギーの場が互いに触れ合った相手から一瞬でエネルギーを吸い取ることを身に付けてしまった人」と、本タイプを定義しています。7. 急所をブスリ!の刺客さん "The Go-for-the-Jugular Fiend"(「あら~、それ素敵な服じゃない?それとそっくりな服、こないだしま○らで1980円で売ってたの見たわよ。」←しま○らでなくても、とにかく「激安で服買うならココ!」っていうイメージの店名出す点がポイント。...「やめなさいよー、あんたにはあんなカッコいい男なんて無理に決まってんじゃない!現実を見ろってばー!」...気の置けない友達面して、実はすっごく失礼。侮辱的。いわゆる「フレネミー」は、このタイプ。表面的に友達の顔をしているが、実は裏では嫉妬だの競争心だのがメラメラ、グログロ、あぁ醜い。)フレネミーについては、雑誌・an.anの特集記事が非常にわかりやすかったので、リンク貼っておきます。http://xbrand.yahoo.co.jp/category/lifestyle/4823/1.html8.雑踏・人混み "Crowds That Drain"(これはわかりやすい。世の中には、他人のエネルギーの波動に敏感な『エンパス』Empathという、共感能力の高い人々がいて、そういう人々が混雑した所に行くと、周囲の人々が放つネガティブな心のエネルギーを知らず知らずのうちに吸収して、疲れきってしまうのだという。)9. その気は無いのに、結局は壊し屋さん "Unintentional Sappers"(家族・親しい人々のように、同じ住空間を共有している人たちが、知らず知らずのうちに私たちのエネルギーを奪っていく、ということが実際、ある。心に苦しみや傷をかかえている場合、特にその傾向が強まる。たとえ一番大事な人たちであっても、時と場合によっては自分のエネルギーをブロックして、守らなければならない時がある。自分だけの空間を尊重するということは、決してわがままではない。)個々のタイプへの対応は、少しずつ、何回かに分けて紹介していこうと思っています。
2011.04.30
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