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慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名においてアッサラーム アライクム今日の日没よりインシャーアッラー、イスラーム暦12月である巡礼月ズ=ル=ヒッジャになります。暁章の第二節ワ ラヤーリン アシュル(十夜にかけて)と至高なるアッラーは仰せになっていますが、これはラマダーン月の最後の十日間ともズルヒッジャ月の最初の十日間とも学者の間では解釈されています。この十日間はいつもにもまして善行が強く勧められています。断食・・とくにアラファの日(第九日目)に断食する者は、過去一年とこれから一年の罪を赦されると言われています。タクリール(ラーイラーハ イッラッラー)、タフミード(アルハムドリッラー)、タクビール(アッラーフ アクバル)をたくさん言いましょう。ファルドの礼拝はもちろん、ナファールの礼拝をしましょう。聖クルアーンを読誦しましょう。サダカをしましょう。親類との交わりをいつもより頻度を多くしましょう。十日めのイードの礼拝の後、動物を屠る意図を持つものは今晩から屠る時まで、爪を切らない、髪を切らない、毛を剃らないことにしましょう。分類はハナフィー法学ではムスタハブ(奨励)です。夜はラマダーンの最後の十日間の夜が最も優れ、日中はズルヒッジャの十日間の昼間が最も優れているとイスラーム学者は言っています。sunnipathイードの礼拝アッラーのご加護と祝福がありますようにワッサラーム
2005年12月31日
アッサラーム アライクムイスラームに関するたくさんのサイトがネット上に、ムスリムによるものやノンムスリムによるものなど、多々あり、そこから様々な考えがあることを発見したり情報・知識などが得られたりと、とても便利になりました。マーシャーアッラーでも時としてあまりに枝葉末端に拘ったために基本を忘れてしまうこともあるようです。なので、改めてイスラームの基本って何かということに焦点を当ててみたいと思います。私たちが入信するときに言う言葉はアシュハド ア=ッ=ラー イラーハ イッラ=ッ=ラーフワハダフ ラー シャリーカ ラフワ アシュハド アンナ サイイデイナー ムハンマダン アブドフ ワ ラスールフ(私はアッラー以外に神はなく、唯一の御方であり、何も並び称されるものはないことを証言します。また、我らが指導者ムハンマド様がアッラーの僕〈しもべ〉であり、使徒であることを証言します) アッラーが唯一神であること、ムハンマド様(彼の上に祝福と平安あれ)がアッラーの命に従う下僕であり、アッラーの言葉を伝える預言者であり、アッラーから経典を与えられた使徒であることこの2点が基本です。 ムスリムとノンムスリムの大きな違いは礼拝するかしないか(ハンバリー派は特にこの点を強調しています)なのですが、その礼拝時にムスリムはこの句を唱えます。 義務の礼拝を一日5回する時に、ハナフィー派の場合はウィトルという礼拝をワージブ(ファルドとよばれる義務の次にくるやはり義務の行為)と捉えているので、一日に最低11回はこの上の句を言うことになります。 この句を証人たちの前で唱え、入信するとそれまでに犯した全ての罪が赦され生まれたての赤ん坊のような無垢な状態になります。礼拝と礼拝の間に犯した小さな罪は、礼拝をすることによって浄化されます。やはり礼拝中にこの句を言うことで毎回私たちはシャハーダ(信仰表明)をしているからかもしれません。アッラーフ アアラム入信時には以下のちょっと長めの句も言います。アーマナ ビ=ッ=ラーヒ ワ マラーイカティヒ ワ クトビヒ ワ ルスリヒワ=ル=ヤウミ=ル=アーヒリ ワ カドリ ハイリヒ ワ シャッリヒ ミナ=ッ=ラーヒ タ`アーラー ワ=ル=バ`アセ バ`アダ=ル=マウト(私はアッラーと天使と諸経典と預言者たちと最後の日を信じ、至高なるアッラーからの禍福の運命を信じ、死後の世界を信じます) 聖クルアーンに書かれていることは信じる、つまり疑わないそして従うということです。 聖クルアーンの第33章40節に《ムハンマドは、あなたがた男たちの誰の父親でもない。しかし、アッラーの使徒であり、また預言者たちの封緘である。》と書かれています。 アッラーは預言者たちをこの世にたくさん御遣いになったけど、預言者ムハンマド様(彼の上に祝福と平安がありますように)が最後の預言者だということです。また何度もアティーウッラーハ ワッラスーラ《アッラーと使徒に従いなさい》と聖クルアーンに出て来ます。聖クルアーンに書かれたこと、預言者ムハンマド様(彼の上に祝福と平安がありますように)の言行をまとめたハディースに従えということです。そうすれば《そうすればあなたがたは、慈悲を受けられるであろう》(3-132)《アッラーとその使徒に従う者は、確かに偉大な幸福を成就する者である。》(33-71) 《あなたがたが信者ならば、アッラーと使徒に従え》(8-1)ともあり、極端な言い方をすれば聖クルアーンを書き換えたり自分の都合のいいように勝手に解釈したり、預言者ムハンマド様(彼の上に祝福と平安がありますように)のスンナ(言行)を無視したりする者は、ムスリムとは言えないということになります。逆に聖クルアーンに従いスンナに倣って生活しているムスリムを聖クルアーンを勝手に解釈したあとに作り出した自分たちの信条や法と異なるからという理由で不信仰者呼ばわりする者も、ムスリムとは言えないのではないでしょうか。アッラーフ アアラムほとんどの法学派ではアシュハド アッラー イラーハ イッラッラー、ワ アシュハド アンナ サイイデイナー ムハンマダン ラスールッラー(私はアッラー以外に神はなく、我らが指導者ムハンマド様がアッラーの使徒であることを証言します)と言って入信した者が礼拝を怠ろうとラマダーンの断食をさぼろうと不信仰者になってしまうことはなく、ムスリムであると考えています。(そうは考えない法学派があります。)ただし、礼拝と喜捨はムスリムの証であることを示すが如く再三に渡り、聖クルアーンに書かれていますし、ラマダーン中の斎戒も明記されています。アッラーの命に従っていないことは火を見るより明らかです。 それでも懲罰は私たちの役目ではなくアッラーの役目です。私たちがするのは罪を犯さないように、お互いに励ましあい、助け合い、アッラーがお喜びになる行為を率先しあい、知識を与え合い、お互いに愛し合うことです。もうすぐ巡礼月です。アッラーの御前では、財産も肌の色も美醜も体型も関係なく、一様に等価であり、それを証明するかのように縫い目のない二枚の布であるイフラームに包まれた巡礼者は、平等に一列に並んで礼拝します。アッラーは私たちの姿かたちを見るのではなく、心を見ます。心がいつも汚れなく、感謝する気持ちとアッラーを畏れ敬う気持ちで満たされていますようにワッサラーム
2005年12月10日
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