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本日、味の素の本社でJFS(Japan for Sustainability)の 講演をききにいきましたが、びっくりしたのは、コーヒー一杯に 利用する水は208リットル必要だということです。 地球の淡水の70%が農業や畜産に使われているというのもびっくりですが、コーヒー1杯(スタバ調べ)をつくるためにおよそ208リットルの水が使われているのは驚愕です。 ちなみに、内訳でいうと(およそ) ・プラスチックのふた作成のために、2.5リットル ・カップ作成のためにおよそ6リットル ・水分は1リットル(ふたより少ない・・・汗) ・砂糖を使う場合。砂糖をつくるために8リットル(多分スプーン1杯とかの量だと思われます) ・ミルクのために50リットル(牛を育てるという観点で) ・コーヒーだけで、142.8リットル(豆を育てるという意味で) もの水がかかります。多分そのために働く労働者が必要とする水は 含まれていないと思います。 しかりびっくりだよね。コーヒーとミルクだけで190リットル。げげげ。 ふたとカップだけでも、10リットル弱。 飢餓の問題というとらえ方で見ると、食肉用の牛を育てるために 必要な穀物が全て飢餓で苦しんでいる人たちに分配すると飢餓の問題は 解決されるというデータは聴いたことありますが、たかだかコーヒー 1杯で200リットル(ミルクと砂糖がなくても150リットルぐらいいってしまう。。。)っておそろしいのぉ。 U理論の話しは別の機会に。。。
2008.01.19
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デザインはまる。 昨日はOKだと思ったが、ちょっとでも妥協していることに気づく。 &伝えたいこととデザインのバランスがどうも。。。と思う。 むむむ。はまる
2008.01.18
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久々にSpoken wordsを聴いた。「感動」というのとは違った奇妙な感覚に襲われる。ふしぎ。
2008.01.17
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以前創った新しいサイトのデザインがいまいち気に入らなくて デザインに再度取り組む。 ほぼ満足いく。あとは中身をいれるだけ。 しかし、技術があると楽なのになぁとないものねだり。
2008.01.17
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Poetry Readingという一つの潮流に火をつけたというと 本人には失礼かもしれませんが、佐野元春のWordsのつくりかたには 目を見張るものがある、今回、このSpoken wordsという奇妙なそして 実験的なCDが再発売されていたのは喜ばしいと思う
2008.01.16
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危ないからお立ち台に近づかないで下さい、という文言が目に入った。「お立ち台」って。。。。
2008.01.15
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目黒雅叙園で、エグゼクティブコーチとして活動している おフランス人の方にインタビューを受けました。 podcastとして公開するらしいので、URLがわかったら 告知します。 最近する側が多いのですがされる側でもおもしろいな、と。http://www.e-quilibre.jp/en/bluespace/Entries/2008/1/11_Equilibre_cafe_kondo.html をご参考になさって下さいませ
2008.01.14
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コーチって立場で仕事をしていると普段日常的な発想とは違うことで 物事を検討したりする。 たとえば、「起きていることは、自分に源がある」という発想だ。 これは文字では伝わりにくいが、「***のせい」という感覚とは ちょっと違う。 たとえば、筋肉トレーニングをすれば筋肉がつくというのは自明のこと だが、それぐらい自明で起きていることの源が自分だということだ。 「理由が自分だ」というのもちょっと感覚とは違うのだが、筋トレの 比喩でいくと、腕を鍛えるための筋トレをしていたら、腕に筋肉が つく。他の部位にも若干つく可能性があるが、鉄アレイの上げ下げでは多分脚の筋肉はつかない。 そういうふうに、適切なことを行うと適切なことが起きる。 しかし、自分を取り巻く環境はそういった筋トレのようにシンプルではないか、あるいは、正確には「何と何がつながっているか?」が誰も正確に言い当てられないので、何に手をかけると何が起きるということは なかなか言えない。 しかし、一般的に、こうは言える。 コーチをしていて感じるのは「その人が言っていることがその人自身だ」ということだ。 たとえば、ある課長が「私の部下はみんなバカだ」と言っていたら、実際に、部下がバカの場合もあるだろうが、それが1人や2人ではなくて、10人だったら、と類推してみれば多分それは部下の問題ではなくて、上司の問題である。実際は数の問題ではなくて、「人がどう見えるか?」ということは自分の方にポイントがある。 だから、他人と過去を変えることはできない、とは言うものの技術的には、自分を変えさえすれば、他人は変わる、ということは言える。 コーチングのおもしろいところは、自分を扱うと他人、いやそれどころか、「世界が変わる」ように見えることだ。 そんなのが簡単なコーチングの原理でありテクノロジーなのだが、 最近、とあるコーチングを習っている人と話をしていたら、何というか 「自分が源」というのを使って、都合のいいことを言っている、人がいるな、と思った。 たとえば、誰かにコーチをして、そのコーチをした結果相手が成果を出したとする。 そこで、私は、二つの視点を持つ。「その人が自分で自らコーチングを使って成果を出した」ということだ。そして、「その人に影響を与えられた自分のことをほめてあげよう」という二つの視点だ。 もし、「コーチング」が結果を出したのなら、あるいはコーチングをしているコーチが相手に結果を出したのなら、その結果を出した人は、相手に依存して、また何度も何度もコーチを依頼しなくてはならなくなる。 果たして、それが「ある能力が開いた」とか「技術を習得した」といえるのだろうか?ということなのである。 そもそも、その人に何か自分の殻を破って、いままで予測すらしなかった結果を出す能力が備わっていなかったら、多分、いろいろなことをしても無駄だろう。「成果を出す」という遺伝子はないはずだ。 特徴はあるかもしれない。たとえばじっくり物事に取り組もうというタイプやとにかく動こうというタイプやいろいろな人がとにかくいる。それで、その人のやろうとしていることとその人の特性がうまく絡み合っていなかったら、そこを調整する必要がある。 たとえば、営業をしようとしているのに、対人関係が苦手だったらそこは扱っていかないとうまくいかない。そういったもともとなのかそれとも環境によってそうなったのかわからないがある特性は人によって大きく異なる。 しかし、どうであれ、本人が成果を出す、という前提が欠如したら、そもそもコーチングなんか成立しようがないはずだ。 ある流派では「起きていることの源が自分だ」という前提がある。また、ある流派では「人は完全だ」という前提がある。 流派によって特徴はあるものの、その前提がいつのまにか、信仰の対象というか、盲目的に受け入れるだけで検証するとか試してみるという姿勢が失われると、違和感が残る。 最近、コーチングをしている人ほど、宗教っぽいなと感じることがある。(もっとも自分も相手にそうおもわれているかもしれませんが)もっとシンプルに考えればいいのに、通じないあるいは違和感のある言葉でしゃべっている。それでたいてい部外者は引く。汗 大事なのはその格言(源とか完全とかの)の背後にある精神というか、姿勢というか態度というか(ちなみに、コーチング畑のの人は、beとかbeingとかあり方などと呼ぶ)それが大事なのに、その精神を体現しないで言葉だけを信じていると、危険なことになりかねない。 最近、とある流派の人と話をしていると、「都合がいいな」と思えることがよくあるように感じた。その構造がわかってきたのは、何十行か前に書いた「相手が自らの力で結果を出した」というのが欠けている人は、「自分が相手に結果を出した」というふうに考えているのだ。 たとえば「源泉が自分だ」というのも、間違えると、根拠もなくて、自分が何にもやっていないのに、「私がやった」と言えなくもない。 たとえば、自分があるチームで働いていてそのチームで成果をあげたときに「私の手柄です」と言ったら多分ひんしゅくを買うだろう。(笑) しかし、コーチングをしている人は往々にしてこういう発想をする。もちろん、自分が自分をほめてあげるために「自分が結果を出したのだ、やった」とかいうのならそれはそれですばらしいし、自己承認だとは思うのだが、しかし、だんだん解釈がねじまがってきて「えーそれはただそうなっただけで、源泉とかそういうはなしか?」と思える人もいる。 構造として「結果を出した」と敢えて言わなくてはいけないぐらい結果を出していない。つまり言い方が悪いけど、弱い犬ほどよく吠える、のだ。 この都合のよさが自己承認に結びつき自信になって、それで行動が促進されて、本物の結果になれればいいし、またそういう人もいるだろう。しかし、そこに私が聞き取るのは、他人を利用してやろうというか、「自分を中心に世界が回っている」ということを生きている人は、往々にして、周りは自分の駒としてしか見ていないというふうにみえるということだ。 成功している人はそういう発想している人もいるかもしれないが、自分はそういう生き方いやだなーと思う。 コーチが有名になると言うのは本当はおかしいのかもしれない。コーチは自分がコーチした人が有名になることで喜びを感じるぐらいがちょうどいいのでは?しかし、人によっては(自分もそうか?汗)、「コーチです」と名乗るのは誰でもできるので、そう名乗ることで自分のアイデンティティーを持っている人もいるようだ。 コーチは結局クライアント(プレイヤー)によってコーチと認められなければコーチであるはずがないし、クライアントが結果を出すことを通じて自分の喜びを得るという「支援者」としての特性が強いのに、どこかで、プレイヤーより目立ったりするというのも変な感じもする。(商売的にはともかく) 単純に自分が目立ちたい人は他人を通じてというか自分が目立つためのことをすればいいと思うのです。自我のインフレーションが起きるのはどのような分野でもあり得ることだが、しかし、本来的にこの分野のこととはかけ離れていると思います。
2008.01.13
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久々にフルハルターに行ってきました。活をいれられた体験です。森山さんの生き方にあこがれますね~
2008.01.12
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と言うと、誰でも当たり前じゃないか、というかもしれないが、 なんか最近特に思います。 自分が何か「この人によく思われよう」という動機でつきあっていたり すると、結局そこが破綻するということが最近起きがちである。 逆に、自分にとって何か筋がある方向性を向いていることに向いているときは、勝手に出来事が「起きてくる」。 最近そんなことを思っている。 統合的な方向に向かっているのと、関係ないことは消えていく、そんな感じだ。とはいえ、最初から「関係ない」という判断は実は宛にならないことも多いので動かしてみないとわからないこともある。 人にとっての「現実」は起きてくるものだと思う。 もともとあるものではなく、自分自身が引き起こしているとしか 思えないことが多い。
2008.01.11
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いろいろな人と対話しながらブレストをしています。 講演についての企画を一緒に立てているときに、あーでもない、 こーでもないというブレストをしています。 図らずもいろいろ自分自身がつい「こんなもんかな」と みないようにしていることにスポットライトがあたる。 別の人と別の企画でブレストをしながら、なんというか、 抵抗する自分もいて、今回その自分を「なんで」という「?」が いっぱいあるもののしかし観察しています。 一見わかりやすい説明をするのではなくて、この感覚を浮かんだままにさせておくのがいいのかも。 理解や納得のレベルでは出来事は動かない。所詮あたまでの理解は全身をつくらない。そういう意味では、いま自分が抵抗しているだけなのかもしれないが、「抵抗だ」という言葉もいまは別の新しい構造をつくる危険がある。 素直さが必要かもしれない。
2008.01.10
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を購入しました。 http://takuya-mbh.jp/ 最近、TAKUYAさんのところのは一年待ちで、げげ!って感じなのですが 去年の今頃は、2ヶ月待ちとか言っていたのが、いまでは、半年どころか1年待ちらしいのですが、でも、それはそれで、それだけの価値があると思います。 使えば使うほど、walletは、いい。 コインケースを一緒にしていないのが堅牢性を増していていい。 堅牢をアピールしているわけじゃないとTAKUYAさん自身は言っている のですが、この堅牢性はいい。 「色気」というか、絶妙なデザインと色のバランス、素材が優秀である、ブッテーロなんかは、最近は表に使うのが大流行りらしいのですが、ブッテーロが裏側に使ってある贅沢なwallet。これはいい。 コードバンのプロダクツは一時期もっていたのだが、使ってみると、 しょぼいコードバンだとコードバン自体がよれる。某ディスカウントショップで買った名刺入れはなんと一年もたたずにコードバンがはがれた(汗)おいおい。 薄くて使いやすいし、ごてごてしていない。 次は何を買おうか算段中です。 それにしても、TAKUYAさんと話していると自分の「技術」について いろいろ考えさせられる。見せ方じゃなくて本質なんですよね。多分。 追伸: ペンケースも、ゴムのぼろっちいのじゃなくて(ゴムだと 暑いときに溶ける心配もあるのと、万年筆の素材によっては あまりよろしくないのです。銀製とか:密着性は利点だが、 要は固定すればいいのできつすぎない方がいいと思います。 ゴムの部分一カ所がきつくても全くだめだと思います)、 太さが調整できて、なおかつ厚さもちょうど良い厚さであり、使えば 使うほど愛着が増す。以前使っていた分厚すぎるのが嘘みたいです。 (だいたい1/2ぐらいの厚さになる)物をいっぱい鞄につめこむ 自分としてはすごいうれしいのです。
2008.01.09
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ダニエル・マードンというダスティン・ホフマンをなんちぇってにした ような、謎の日本語を駆使するユーモアあるそしてまじめなフランス人のおじさんの話しを聴いてきて、いろいろ啓発を受けた。 実技なんかも見学させていただき、フィジカルの大切さを知る。 おーーー。すごいすごい。ということで、早速、口コミでならOKと 言われた予約を入れる。 おフランスだからというのではなくて、なかなか楽しい感じ。 ダニエルさんは、兄が医者だったりするそうで、いろいろな理論が おもしろい。 内側からと外側からのpressureってのがあって・・・という話しで 理論と実技が1時間ぐらい見学してとても勉強になりました。 フランス語ふうな英語を話しているのが印象的だった気の良いおじさん という感じの方でした。 血液型で食べるといい食事の傾向までわかってしまうという。。。 おおお。 http://www.aromapressure.jp/philosophy.html なんでもセルライトとかとりながら、そんで、むくみをとると、 8mmもとれてしまった例があるそうだ(ダニエルさん自身は測定は あまり好きではない) 自分自身、そういえばリンパマッサージを受けたいとは思って いたのだが、なんかいいのないかなー、以前とある人にちょっと やってもらったのは、非常に痛くて(わざといたくしていた)、 敬遠していたのだが、体のケアもしていこうとおもいまする。 おそるべしアロマプレッシャー
2008.01.08
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時には「何かをしなくては」という気がせいてみたり、そして、そういう危うさを生きる自分を楽しんで見たり、この雪解けの感覚を大事にしながら、すべてがつながっていく。 多分、本質的なことは、自己主張しないぐらい静かで鮮やかな中に、気づいたら、そうだったというだけで、何か激しさや、対立が起きている間は、「それを楽しんでいる」以外の気の弱い微笑以上のものではない弱々しさの中にはない。 満足しているときには静かな音楽を聴いているぐらい、冷静で、いや、何かに包まれている感じがする。 この瞬間のことを贈り物のようなというような言い方をした人がいたが、時にはもらった何気ない言葉の中に見つける優しさの中に、「ああ、これが自分の全てなんだな」ということを感じさせる満足を感じるときもある。 ある言葉の優しさと存在感の大きさを感じている。 きっとこれは、自分自身への贈り物の言葉の心地よさにしばらくただだそのままで何も考えずに時間が止まったまま感じる静けさの中に漂う気持ちよさ以外に何も表現できる言葉をもたない。 何もなくてもいい、こんな時間の流れの中にいると、自分でいられるような気がする。 圧倒的な静けさの中にいると、何かの表層的な言葉もいらない。ただそれだけでいいのだ。 (注:上記わからないとか、理解できないとかいうレスはしないでおくんなまし。自分もよくわからなくて、言葉が湧いてくるままに書いているだけですんで、理解しようとか納得しようとする試みは多分破綻しするのではないかという予測をたてておきます)
2008.01.07
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そういえばここしばらく大切なパートナーと会っているなとおもう。 12/26は、子育て本に関して対話をした人の紹介で教育業界の元気が いい人と飛び入りの忘年会 12/27は、センゲの自主学習会での2007年最終日 12/28は、とある分野で第一人者の医学部教授(外科じゃないけど)との インタビュー 12/29は、センゲx野中シンポのためのダイアローグの場をつくるために ダイアローグチームのパートナーと会っていた 12/30は、ものすごいセンスのいいAstrologer(という表現を彼に適用 するのは不足だが)にして、精神世界から、プログラミング まで様々な幅広い見方をしている方と対話 12/31は、創造的革職人TAKUYAさんと対話 1/1は、 某コンサルタント(単に有名ではないという意味で伏せ字)と の対話 相手がパートナーと扱ってくれてないケースもあり得ますが(汗)、 でも、年末から正月にかけて大切な人と出会っていますね。 今年はどんな人と出会えるか楽しみです。すれ違うって意味ではないですよ。
2008.01.06
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前の日記で予告しておいて、やはり時間がたつと書けなくなる危険があると思い、ちょっと不十分だが表現を試みてみます。 世界にはすごい能力がある人はいるのですが、聴けば聴くほど「神かあんたは!」ってつっこみたくなる人の話を聴いた。 その話しを言っている人は、別に変じゃないし、精神世界にどっぷり使っているわけでもない。むしろ、ばりばりコンピューターのスキルが高い優秀なSEである。(所属している会社は多分東京の電車に乗って入れば誰でも一度は見たことがある。。。技術系の会社ではかなり有名な会社である) さすがに全部書くと怪しいと思われかねないので、省略するが、彼が言うには、リモートビューイングという手法があるのです。詳しくは下記を参照してください。なんと大学でやってたのか。。。 http://www.kisc.meiji.ac.jp/~metapsi/psi/3-3.htm いわゆる、見えないところに文字を書いていってあるのを あるプロセスを経てみると、案外感じることができるよっていう 実験でして、何というか、話しを聴いていたら私てっきり超能力実験 だと思っていたのですが、実は上記のURLを見るとネイチャーとかに 載っている立派なまともな実験らしいのですが、そのプロセスがかなり 膨大なのです。ただ、ある程度の人はトレーニング次第で「見える」ようになるそうです。 その「神」みたいな人は、そのプロセスをたどっていって、たとえば、SEの私の友人が書いた文字を電話を通じてあれこれやってもらって、「アイルトン・セナ」という言葉から、セナが事故を起こした状況を絵に描いてみたり(本人は、「花火」と言っていたそうですが 笑)して、驚愕の的中率。。。しかし、もっとすごいのは、全てのプロセスをすっとばして、「文字」と「8桁の数字」をいっしょに紙に書いて、8桁の数字を相手に伝えるらしいのですが、その8桁の数字を言うだけで全てイメージが伝わってしまうらしいのです。8桁の数字に意味があるそうです。(CIAだかどっかで実験して、なぜかよくわからんが8桁だと的中率が上がるというのはわかっているらしい。理由は不明) もともとOL→アロマの事業を始めて1年だか3年で3億貯める→頭の上のサハスラーラ チャクラが開いて、一種目覚めたそうなのですが、彼女が 言うには、そこまで見えてきて「いままで、自分が霊能力っぽいもので見ていた物は全て幻だった」ということらしいのです。 プロセスとして、江原さんが言っている言葉も「以前はそういうものが実在としてあったと感じていたが、実はそれも幻だった」というのです。 印象的な言葉として「全て存在していると思ったことは幻で、自分しかいなかった。だから、あなたも幻になってほしくはないから、あなたにいろいろ言う」とSEの人が言ってました。 でも、その「神」みたいな人は気むずかしいらしくて、何かをごまかしたりすると徹底的に言うらしいのです。理解者がほしいというのはあるものの一般的に「よく思われよう」とかいうのはないらしく、また、感情とかを引きずらないので、がーっとか言っても、あとでけろっとしているそうです。さすが神。(笑) あ、念のため言うと「神」と言っているのは私だけで、そのSEの人は神とか言っていませんです。 さすがに、具体的な話しをしたら「へー」とか「ほー」とか思うのですが、しかしそこでわかったことは、 ・ある(意識)レベルに達すると、「何かをする」という次元ではない 物事の起こし方ができるようになる ・エゴ的な意識では物事を見なくなる ・過去が断ち切られて、未来も存在しなくなり、今しかなくなる ・癒し系のことは「見る」だけでできるようになる(消えてしまう) ・全部自分が起こしていることだと気づく(幻との区別がつく) ・感情にとらわれない(彼女は、「感情的」なのは、彼女自身の問題 らしいです。要は感情をためないということです) ・自然と調和している(具体的な話しはちょっと割愛) ・自分を偽ってもすぐにばれる ・携帯電話などの電磁波は嫌いになる ・サビアンシンボル(astrologyで**座の**度というのに全て チャネリングしてイメージにした)が、チャネリングしただけで 膨大な検証データと全く同じことを言っている ・・・まだまだ話しはあったのですが書いていていますぐに思い出せることはこんなことですが、また、SEの友人によると、「自分自身、何もごまかしがない状態で話しをしないと話しすらできないこともある」ということを言っていました。場合によっては塩で清めてから話しをすることもあるそうです。 で、ここからが本題ですが(おい!)私自身も彼女にお会いしたいのですが、SEの彼からかなりプレッシャーをかけられていて、多分、ふつうにお会いするとこてんぱんにされるかなとも思います。 想像するに、自分を「ものすごいわがままな子ども」だとたとえると(実際にそうじゃないかとかいうつっこみは無視)、ものすごい高潔なまではいかなくても、大人の人と話をしていると想像すると、わがまま放題な子どもは大人の気持ちはわかりません。そして、たとえば無茶なことをしたり無礼な振る舞いをしたら、大人に叱られます。そんなイメージを思いつきます。それが、「存在」のレベルで、まだ未熟な人が、成熟してしまった人に話をして、それでその人が「幻でいてほしくはない」という関わりをしたら、徹底的にやられるなーとプレッシャーがあります。 自分としても、その人が神っぽいかどうかというのは、SEの人からの 伝聞でしかないので、どうすごいかもわかりません。 ただ、いま見ているのは判断としては、どうやら別々の断片的な知識として、他のいろいろな人が言っている人、状況、表現にかなり一致しているということです。 で、またずれて本題に戻しますが、その人が神的な状態かどうかはともかくとして、彼からの伝聞でわかったことは、そんな状況になるには、 ・修行みたいなことは不要。日常生活を十分に味わうと何らかの状態になる ・目をつぶって瞑想することはかえって悪影響がある(地球上にある波動というかいろいろなことを拾ってしまうということです) ということらしいということがわかりました。 また、細かい話しのプロセスをおぼえてないので結論だけを書くと、 どうも、「んなもんコーチングのトレーニングじゃん?」ってことを 彼女自身が実践していたらしいのです。 これはおもしろい。全てのコーチが悟りを開いているとは全く思わないですが、しかし、ときどき、「なんでそんなことを感じられるのだ?」というコーチはごくまれにですが、います。どう考えても、「自分は見えています」などとは言わないですが、実は全てのスキルやテクニックは、「見えてるから使えている」としか思えないような人もいます。 何かここにキーがあるような気がします。 また、彼女と話しをしているとそのSEの人は「圧迫感を感じる」というか、頭の頂上(サハスラーラ チャクラの位置)に何か圧力を感じると言うことを言っていました。たしかに、そういうことを感じさせる人っていますよね。あるいは、「いっしょにいるだけで、自分にある何かもやもやが解消する」人がいることも事実あります。 技術じゃないんです。意識的か無意識かわかりませんが、悩みを打ち明けているのでもないのに、悩んでいて、どよーんとしていたのが全くなくなり、軽くなったりする影響を与えることができる人が世の中にいます。 いままでは自分の中で、その「影響力(ちなみに、心理学用語では、本来は「カリスマ」という言葉のことをいいます)」というところがなんかつながった気がします。 ・・・こんなこと書くとあやしいやつと思われるかもしれませんが、また、舌足らずでその場で5,6時間もがーっとあーでもないこーでもないと話していたのをいまピックアップしてみただけなので不十分なのですが、ただ精神世界系だけではなくて、現実世界に根を下ろしていながら、見える人というのもいるんだなと思いました。 不思議な体験だという言葉では終わらせたくはない、何かが見えてきた気がします。 伝聞でしかないですが、一人だけではないですよ、もちろん。 では~
2008.01.05
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(などの表題に反応する人いるんですよね。 ボソ) あとは最終章だ! さすがに2冊書いていると、「同じことやんけ!」とか、 いろいろなつっこみがでてくるが、でも、何というか、自分自身 書いていて、いろいろなことを通り抜けてきたからか(?)、 なんというか、深くなってるなと自画自賛モードです。自我持参ではない。 でわん。
2008.01.04
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align(動詞)あるいは、alignment(名詞)と言う言葉がある。 この訳語はどうも日本語にはない観点なので、訳しにくい。 いまちらっと目を通したリーダーシップ論の中に、alignという言葉を 「連鎖」と訳している。なるほど。 でもなんかぴんとこないな。 背景として、align(ment)には、もともと、「異なった物が方向を同じに向く」という意味合いで使われる。 たとえば組織で言えば、あらゆる立場の人が異なった役割を行っているが、その立場や役割が異なっていながら同じ方向を向く、というのがアライメントという意味合いだ。だから「融合する」というような感じではなくて、違ったまま方向を同じに向けるというのがアラインなのだ。連鎖という言葉もありはありか。。。とも思います。 ちなみに、とある人は、アラインという言葉を「賛成」という意味合いで使っている。 「この議案に対して、アラインする人?」「アラインします」などと使う。 ここで敢えて区別をすると「共感」と「同感」の違いという意味にもとれなくもないな、とおもう。 「共感」という言葉は「あなたと同じではないですが、あなたがそう考えるているのですね?」というのを共感と言う。(心理学とかコーチングとかの文脈で) 時々「共に感じる」などというかなり宗教的(精神世界的)な意味合いで使う人がいるが、そもそも、相手と「共に感じる」なんてことは不可能だ。(「相手に入っていける」感覚がある悟ったような人なら別:これは別の日記で書くかも・・・) 自分と相手の感情は別である。「同じ」と勝手に自分で解釈しているのは可能だが、「相手が悲しい」と感じていることと「自分が悲しい」ことは、言葉では同じ「悲しい」と表現するがまた別のことである。 そういったたとえば相手と悲しいと感じているときに、共感状態とは、「あなたが悲しいと感じているのですね」という状態である。そのときに、「私」がどう感じていることは区別する。(心理学用語で言うところの「離別感」ってやつです) たとえば「上司のことを気に入らない」と思っている人がいるとしよう。話しをしているうちにたとえば、「刺し殺したい」という話しになったとしても、共感的態度で接するとは、「(自分が殺したいかどうかはともかく)上司を刺し殺したいぐらい気に入らない、とあなたは感じているのですね」が共感的態度である。 これが同感だと、「ねえねえ、あの**部長っていやじゃない?」「そうだね」「こないだも、いじめみたいに、おれが書いた報告書について、ねちねちと1時間も説教したんだよ」「ああ、おれもそういうことあった」「な、あいつ、気に入らないから、クビになるようになんかわなをしかけようよ」「いや、そこまでは・・・」などと、同感では相手に対して「同意」することを続けるのだが、どうしても、同意できない部分、あるいは相手と感じていることが違ったポイントが出てくることがある。そのときに、「同感」をしていたら、ある意味相手に巻き込まれたり、同意できないポイントでは相手があなたに裏切られたと感じる自体にもなりかねない。同感は「意見や感じ方があいてと同じこと」であって、共感は「意見や感じ方が相手と関係なく、相手がそういう意見を持っていたり、感じ方をしているということを受け取る」ということである。「受け入れる」と「受け取る」の違いみたいなものである。 日本人はこの共感という態度がなかなかできなくて、共感的態度を取ろうとすると、皮肉に聞こえたり、変な含意がでたりする。多分、前提として、「あなたは私と同じでなくてはいけない」というのが背景にあると、同感はできても、共感はできないのだと思う。相手への尊敬と相手と自分の区別が必要なのかもしれない。 相手の感情に巻き込まれないためには、共感的態度が有効だし、また、その感情のほつれは、実は共感的態度で相手の感情を消すことができる。 話しがずれてますが、alignとは、共感的な態度に似ていて、「異なったものが融合することなく、個のまま存在している」というのがポイントである。 そういう意味で、連鎖という訳語には違和感があるんですよね。 まだ、「統合」という言葉の方がいいと思うのですよね。(統合には、融合という意味合いありますかね?) ちなみに、原文は The task of leadership is to create an alignment of strengths, our weakness irrelevant. (その人の訳では) 「真のリーダーシップとは・・・・、それは個人と組織の多様な『強み』を連鎖させ、弱みを取るに足らないものとすること」 という訳なのだが、幾分、情緒的な感じもするので、私が訳すと、 「真のリーダーシップとは、『強み』が機能するように統合することであり、弱みが(人や組織に)関係がなくなるぐらい取るに足らないものになること」と訳しますかね。 irrevantは、「無関係」という意味合いで、alignmentともあわせると「関係する」と「無関係」の対比あたりを見せると見やすいかなと思います。 strengthsを「関係させる」ことと、weaknessを「関係しないようにする」のがポイントであって、何かそんな意味合いで捉えると文脈が見えやすいと思います。 irrevantは、組織論的な意味合いをこめると、「分断する」というのでも大胆だけど可能かもしれませんね。 上記の文章は、Peter Druckerの受け売りというか、Druckerの組織論の中核でもあるような気もしますが・・・ むしろ、松岡正剛的に言って、「組織は、個々人の総和以上の何かである」的な言い方の方がいいのかもなーとかもいまは思います。ある意味、やや曖昧ですが、「特性」ってことじゃなくて、「つながる」と一つの全体になるんだよという言い方だと、生体型組織という意味合いの議論につながるのに(デカルトさんごめんなさい型組織)・・・とも思います。 どうも、翻訳とかしていると単語にこだわりすぎますかね。
2008.01.03
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定期的に、ブレストというか、対話を重ねているパートナーがいる。 実は、彼とは長いのだが、ひょんなことからいろいろなきっかけで 出会い、深いところ、浅いところ、ビジネスのところ、自己探求、 いろいろなテーマで様々な観点から対話を続けている。 今日、正月早々というのはあったのだが、定期的なスケジューリングに あったため今日も対話をした。 なんというか、彼自身、とある会社の取締役時代に、相手方の会社に 1**億(1億という意味ではなくて、3桁という意味:念のため)という会社の借金を棒引きにしたという体験を持っているためか、ある意味、とらわれが普通の人ともないので、むちゃくちゃなことを時々言う。 そもそも「できるか、できないか」という発想から検討はしない人なので、むちゃくちゃな提案をしてくる。(笑) 今日も、結構むちゃくちゃなことを言われたのだが、自分でもまだ未消化だが、どっかで、なんというか、「やれ」ってことなのかなーと思っている。 コーチング用語そのものではないが、コーチング関連用語(どこまでが・・・というつっこみは受け付けません 笑)として、「降参する」という言葉がありますが、たとえば、コーチと対話している中で、ふっと自分の内側から「100億の収入を得る」という目標が出てきたとする。 当然、「んなもん無理」という反応が多くの人に起きるだろう。経験なければ検討しようもないし、そもそも、1億も100億も変わらないというのが1億以上のお金を稼いだことがない人の感覚ではないか?と思うのだが、比喩的に言えば「100億稼げたらすごくないですか?」的なことを彼は言う(数値目標の話しをしていたわけではないのですが、わかりやすいように、ある数字で示してみました)。そういった目標に対して、反応はいくらでも起きるし、時には反応どころから「へ?」みたいな感じでリアリティーのかけらすらない。そんな感じの自分を受け止めて、そのふっと湧いて出てきた目標というか方向性に自分を「明け渡す」というか、まずはその出てきた方の自分で生きてみようというのが降参するという言い方をする(ちなみに英語だと、surrneder)。 ただ、surrnederの怖いところは、要は「言うことを聴け」的になってしまう危険はあるのだが、自分から自ら「こりゃ、surrenderしろってことか」と思った分には、依存とかそういうのとも違う。 そんなわけで、無茶な(outrageous:out-外側に、 rage-範囲の:非合理とも訳される)ことに降参しなさいと彼には言われてはいないがいま思っている私。。。。うーむ正月早々無茶な課題を出される私。
2008.01.02
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仕事納めが終わってから、年末の2,3日間、正月の2,3日間は、 東京は静かでいい。 車も流れているし、何よりもごみごみしていない。 寂しいと感じることもありますが、それよりも、むしろ何か清々しさ すら感じる。荘厳さというと大げさかもしれませんが、冬の透明な 空気と相まって心が清らかになる。 お盆の時はお盆の時でがらがらで落ち着くのだが、お盆は暑くて 自分自身もダウンしていたりするのだが、正月の時期は外は寒くて 聖なる気持ちになる。 数年前まで、初日の出を見ていたのですが、昨年、今年と見なくなった。何というか、別にその日じゃなくてもいいやと思うのです。 日の出の瞬間は何か感動的だったり、太陽って生き物だなーって感じたりいろいろな反応が起きてきたりしますが、しかし、特に日の出を見る 習慣がない自分としても、わざわざ見に行かなくてもいいなーと思っています。 自宅のマンションは11階もあるので、その頂上に登れば日の出が拝めるのだが、4,5年前に11階にあがったら(多分4,5年は連続してみていた)、だんだん、みなさん、日の出スポットということがわかり、南向きで見るようになる。。。。みんなパジャマ同然で上がっているのでなんか変な感じしますが、ちょっとした感動ではある。しかし、その「自分家から見える初日の出」も最近見ないのである。 前blogだか自著で引用したが、私の最初の本を出す直前に楽しみに していたのに自殺してしまったmilyさんという知り合い(メールで だけ知り合いだが共通の知り合いが何人かいる)が、自分のサイトで 「この部屋にもなにも変わらない同じ朝が来る」と書いていたのを 思い出したわけでもないのだが、何となく、億劫とかじゃなくて、そこに価値を見いださなかったのである。 ちなみに、上記のmilyさんの言葉は、何というか、薬物常習になって しまったmilyさんがはっと気づいて朝「いつも同じだ」と気づいたときに自サイトに書き込んでいたメッセージです。自分自身、特別であろう として無理をしていた時にこのメッセージを見て、なんか心落ち着いたというか、しかし、このときにはmilyさんはこの世にいなかったので、 何でもっと本書けなかったんだ~などと自責の念に駆られつつ見たことだけは覚えている。なんかほっとするというか、でも、自分自身、どうしても、milyさんが落ち着きたかったという遺書だったんだなと見てしまう。全てをあきらめたときに人は聖なる気持ちになる。その静寂さはある意味、激しさがなく、あきらめを通り越した何か穏やかさのみがのこる。 毎日が特別だと感じなくてもいいぐらい私たちは毎日特別だし、私たちは特別な存在なのである。そのことを忘れている、ことに、ただ、気づくだけなのである。 ずっと静かな東京が続けばいいのにと思う今日この頃でありました。
2008.01.01
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