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うまくっているほど完了を創作するべきである 次をつくるために、一度からっぽにする必要がある。 何気ないひとことが寂しさを産んだり継続性をつくったりするのであるが、しかし、このことは喜ぶべきである。 「アルケミスト」の王様が、羊飼いに邂逅して神に祈る言葉のように、 私は叫ぶかもしれない。 命がけのレースは次をつくった時点で一度手放す。 ありがとうという言葉は「有る」ことが「難しい」と書く。 このバランスともいうべき狭間を歩いてきたことがまさにチャレンジそのものである。何かができるか?なんてことは問うべきですらない。 本当にありがとう。 成長を約束して、完了を創作する そう、奇跡は予言しかできないのである。
2008.04.30
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人が自分の人生にリアルな実感をもって「現れる」キーワードとしていろいろなことがいろいろ言われている。 中でも、「広告を出す」とか「マーケティング」は、あまり実は些末なことではないか?と思っている。 かなり前に師匠に「プレゼンス」が大事だと言われたことがある。 プレゼンスとは、存在感とか、「今にいる」ということであるが、 誰かが自分の人生に入ってくる、あるいは、自分がその人の人生に入っていく、ということが起きる背景として、存在している、ことが大事である。 コーチングのセミナーをやっているのに、出前の注文が来たら、やはりおかしいとは言える。(笑)しかし、気づいてはいないが、私たちは、思考のフィルターに囚われることによって、出前の注文が来ていることに気づかない。そして、下手すると自分が出前をしているのだ(汗) 自分の周りに起きている存在や会話、プロセス、いや世界そのものが、自分だ、と仮定してみると、私たちは、「無力だ」と自分を洗脳し続けてはいるものの、実は自分が対処するべき事の大きさに気づくだろう。 時まさに至ったときの考え、という言葉がユーゴーにあるそうだ(孫引きで申し訳ないが)。そして、いま、その感覚が自分にはリアルである。 何かを始めるのにはいいタイミングだし、いい人が集まってきている。 「私」は周りの人との相対的な関係での「私」しかないとしたら、世界に起きていると思えるのも実は「私」の反映だといえるかもしれない(本当は「一部」と言い切りたいところだが、他社性はどうしても課題としてあるのだ) 私はどこにいるのか?ということの質問については、シンプルである必要がある。
2008.04.29
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・・・といっても、Raymond Carver ではない。 物事が動くときはいっきにうごくということをあらためて感じた。 コミュニケーションの動かし方が尋常じゃなく、そして、意味があるような形をもって、一気に方向づく。 だらだら&ハイスピードを交互にやるとだれる。 全てを再構築する時期だとほんとに感じる。 voyager1&2は、ものすごいスピードで惑星をすり抜ける。そして、 そのものすごいスピードのまま映像を地球におくってきた。。。その話しも20年以上も前の話。冥王星が海王星の内側にはいる前に。 人と人が関わるのは、この軌道が交わるほんの一瞬だけなのかもしれません。
2008.04.28
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先週末、Paul Winterという人のコンサートを聴きにいった。 たまたま、とある人にご招待されて言ったという話しはいつぞやの 日記で書きました。 そこで、アンケートを書いたら、CDが当たるという幸運に恵まれて、 CDを聴いている。 For the Beauty of the Earth.というタイトルだ。 サックスは、人が話しているような感じがして、とても気持ちが良い。 鯨の声が入っていたりもして、楽しくなってくる。楽しく、優しく・・・・バリエーションがかなりある。 聴いているだけでいろいろ忘れられる。
2008.04.27
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学者は、時に頭でっかちになって珍理論を言う人がいる。 仮説なら全く問題ないし、そこから未来が開かれることもある。 しかし、昨日のTBSのR30の武田氏の話はなんか、論理的な話しとしても危険だなーと思う。 細かいデータの反論は下記を参考にしていただくとして、お伝えしたいことがあるのは・・・ http://www.news.janjan.jp/culture/0707/0707018158/1.php 全体像が見えているか?「南極の氷が溶ける溶けない」という議論はあるが、それも規模も違う地球規模になると、予測できなかったりする。 上記の鉄田さんのブログによると、そもそも、ねつ造されているらしいというのは、そもそもとして論外なのだが、しかし、些末な微妙なデータにこだわるからあっちこっちにいくのかなとも思う。 昨日、えーと素直に思ったのは、恐竜時代の平均気温と比べてどうのこうのという話しだが、それも、結局、化石などからみた間接的な証拠を集めた「仮説」しかないのと、あとは、「短期間でこれだけ上昇するといろいろな悪影響がある」という話しではないでしょうか。 「日本では、温暖化でいい影響がある」などと平気で言う氏には腹立たしさを超えてあきれてくる。クラゲが巨大化して漁業に悪影響がでているというのは、「日本はいい影響がある」などと言えるのか?と思う。 全く世の中で起きている出来事も知らずに・・・・と思います。 なんで、こんなインチキ教授TVに出すのだろうと私は思ってしまう。 議論もよくよくみると、些末なことが一般的な話しのようにすり替える詭弁であるように見える。
2008.04.26
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セミナーでよくいう形のメッセージで、「この**を学べば、あなたは年収*千万円になります」などと言ってみたり、そこまで、金の亡者的なメッセージではないにしても、「あなたは、このセミナーを受講することで、**ができるようになる」というメッセージがあります。 このことを一般化して言うと、 「この特別なスキルを身につけると、あなたは、特別になれます」ということであります。この特別の中にてきとーな何かを代入すれば方程式のできあがり(もとい、これ自体が方程式だ)です。 さて、メンタルモデルといっても、コンテクストといっても、あり方といっても、信念といっても、信念体系(A-B-C理論とか懐かしいな)といっても、器といっても、背景といっても、パラダイムといっても、何でもいいですが(さらに付け加えると、枠組み、「聴かれる場」、Be、Beingなどがある。。。いま思いつかないが10や30は軽く出てくるでしょう。。。。機能するセミナーの言葉を使えば!)、そのメンタルモデルあるいはコンテクストにあるのは、「特別なことを身につけると特別になれる」ということでわかることは、背後に隠れているのは「あなたは特別じゃない」ということだ。 莫大なセミナーがあり、そして、そのセミナーによってはちゃんと全部のコースを習得するまでに、何百万もかかるのもある。いや、一回は3,40万円だとしても、それに何度も数年間通っているうちに、いつの間にか、200万円とか300万円とかお金を払っているというふうになるのもある。 しかし、なぜ、セミナーという場ではうまくいくワーク(エクササイズ)が娑婆にいって通用しなくなるのだろうか?(娑婆:セミナーじゃないところ、たとえば会社で、とか家庭でという意味合い)ということに対する答えは、「セミナーがだめだめ」というケースもあるでしょうが(ほんとにひどいのもあるしな~ 汗)しかし、そうではなくて、むしろ、そのセミナーいやいわゆる「セミナー」というものがもつコンテクスト(メンタルモデル)の抗しがたい枠組み(こういうとパラダイムちっくですね)があり、その枠組みの中での作業だからではないか?と思われる。 つまり、セミナーとは、一般的に「このセミナーの中で話されることは『特別なことだ』」というコンテクスト(メンタルモデル)を持っている。 つまり、日常生活では「ごくありふれた」或いは「普通である」というコンテクストがあるのだが、セミナーの「特別だ」というコンテクスト相反する。正確に言いましょう。やや理屈っぽくいうと、「特別だ」は、実は、コンテクストではなくて、コンテンツ化するのである。 コンテクストの上で、あるコンテンツは機能するが、そのコンテンツの土台がないまま、セミナーで「特別なこと」を教えられても、「普通」というコンテクストでは通用しなくなる。普通というコンテクストの中に、「特別」というコンテンツが存在する。 これがひどくなると、頭でっかちあるいは、「知っているだけ」「口だけ番長」状態になる。そこまではさすがにいくと、誰でも「だめじゃん」と気づくのだが、少なくとも『知っている』と何かできる、というメンタルモデルがあるので、それはそれで、気づかない構造ができている。 「私はあなたに知らないことを教えて差し上げましょう」という講師のコンテクストは、多かれ少なかれ受講生に、知識だけの人を創り出す。(講師がコンテクストだとすると、受講生がコンテンツになっている) ただし、ときどき、受講生でそれなりに機能するコンテクストを動かせる人がいるので、「知識だけ」とみなさんが気づかないのは、それなりに成果を出す人が数十人に一人だけいるからである。極端に言えば、50人受講して、1人だけうまくいったとする。そして、うまくいった1人は声高に「私はこれで年収*千万円いきました」などとかたる。そうすると、49人の失敗例は無視される。(確率論的に言えば1/50だが)または、「成功した1例になればいいや」というふうになる。実はその1例は例外とも言えると思うのですが、しかし、そんなことは誰も気にしない。 うまいこと伝えられませんが、ようは「特別」というコンテクストを持っている場、あるいは、講師、あるいはセミナーの宣伝文句を見るたびに、私は「やばいな~」と思うのです。もちろん、セミナーの宣伝は誰もが「私のセミナーは世界の問題を全部解決しました」などというのであるから、それはそれでしょうがないとも言えるのだが、しかし、時々、「うそじゃん」みたいな人もいるからどうかなと思うときもあります。 実は、これはセミナーだけじゃなくて、ところどころにある「特別」VS「普通」のコンテクスト(メンタルモデル)の対立の構図ではあります。 特別さは、相手に「できない人」というコンテクストの上にのっける。あるいは、メンタルモデルを伝播する。 普通のメンタルモデル、あるいは、普通ということの背後にあるコンテクストについての探究が整地に行いたいところであるが、そこには、「人を信頼する」というのが含まれていると思う。
2008.04.25
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何がとても大事かというと、多分、「その人にふれた」瞬間である。 それ以上のことは、ないし、多分、それが楽しいから「人とやる」ってことをやり続けるのだと思います。 今日は(昨日か)、その人の深さにふれた瞬間がありました。 セッションじゃなくても、その感覚がある。 とても大事な瞬間です。暖かさや優しさが伝わってくれば、何というか、言い方変だけど、何でも協力するモードになってしまう自分であります。 何か特別なことがなくても、でも、その人と人生で邂逅する瞬間のために生きているとも言えます。今日は多くの「流れ」が交わりました。 明日はどのぐらいの人と「関わる」ことができるのか?と思います。 「どうでもよさ」とも取られかねない日常的な出来事がとても、そして、すばらしく、暖かく感じられる今日この頃である。小さな自分がバカみたいに思える(汗)。 何かが進行するときは、こんなに、静かに動くのだと思います。 呼応する言葉、文章が自分の中に浸透してくるこの流れの中に自分がいる。(ちょっと鈴木やすひろ風に) 失ったものを嘆いても何もはじまらない。きっと15年もしたらまた出会える瞬間があるのだと思う。時まさに満ち足りた時に、世界が現れる。 「いま、ここに」いる人といっしょに始めることから始めよう。
2008.04.24
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昨日は「学習する組織」のメンタルモデルであった。 メンタルモデルとは「心に地図」と言われたりもするが、単に 「心」というくくりで片付けられない、その人の行動原理や「世界」が どう現れるかを決定するようなそんな「背景」である。人材系の人で通じる人に対しては「コンテクスト」といってもいいでしょう。 そのメンタルモデルはその人が「どう感じるか」を決定している。 だから、何をしゃべっているか?も実は、メンタルモデルが主導している、と言える。つまり私たちは「私が考えたから」と自然におもっている自由さが実は構造化された中にいるから、「そうおわされた」にちかいような、感じになっているのである。 参加者の一人で、とある会社の社長さんが話しをしていたが、その話しがリアルにいい。教科書のお手本になるような「メンタルモデルの発動の仕方」が見えた。いやーべんきょうになりますね。4つぐらい同時に(正確には、一言一言で変わってくる)見えたのですが、それがおおって感じました。 ダイアローグはこういったメンタルモデルを浮き彫りにする作用がある。つまり、ゆっくりと自分のプロセスを語ることで、そのメンタルモデルの構造そのものを浮き上がらせるのだ。 結局のところ、コーチングはメンタルモデルの再構築だともいってもいい。そこに手をつけなければその人の行動原理が変わらないから付け刃的な変化なら可能であるが、本質的には変わらないのである。(まるで別人になったように見えますけどね) そんなことで、様々なメンタルモデルが発動したのはとても興味深く聴いていた。 風邪気味の自分としてはまあ切れが良かったといえよう。じゃじゃーん(無意味な擬声語)
2008.04.23
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自分のこと、場の空気のこと、伝えていること、存在。 過去について。今について。 いま、「どこ」にいるのか?自分自身の誇り。 様々な角度から様々な観点を見ている。 条件からではなくて、意図から世界をつくること。 自分自身は何があっても、助けてくれる人がいる。 そういうことを実感した1日でした。
2008.04.22
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土曜日: 午前中プレゼンをしました。プレゼンというかセッションにかなり コアなところに入ってしまいました(場と言うよりも、対個人的に なりがちですね。。。まあ、それはともかく)が、かなりふかい感じでした。自分の一番追求したいテーマなのでかなり盛り上がりました。 午後:元春コミュの人とカラオケいきました。 これは、自分自身、しばらく遠ざかっていた「元春」(曲は聴きますが)ネタですが、今年に入ってから復活して、「好きなことはやろう」という方針でいろいろ、あれこれやっていることのひとつでしたが、思わぬ自分自身がパワーをいただいている感じ。場ができているとあとは何やっても機能するって感じですよね。(たとえ、幹事である自分がダメダメでも汗)元春の歌で「そこにいてくれてありがとう」という歌がありますが、そんな心境ですね。 そもそも、昼飯も食べないで6時間歌いっぱなし(終わったのが21時ぐらい・・・まだ2次会にいったかたも多数いましたが)というのも恐ろしいと思います。おなかへらないんでしょうね(汗) 日曜日: ポール・ウィンターさんのコンサートにご招待されたので聴きに行く。 すごいすごい。全ての曲がジャンルがちがうよう。 明るい曲静かな曲全てはいっている気がする。 おまけに、アンケートを提出したらCDもただでもらえてかなりらっきなー日でした。 ではでは。
2008.04.21
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固定電話の回線が故障しました ある意味、いままで電話機が壊れても回線がダメになったなんて ことは初体験でしたが、これが、焦りましたです。はい。 現象その1.突然電話が鳴るも相手がでない。幽霊回線かよ!的な 感じでした。当然着歴なし。一本だけだったら、まだしも、2回もなるとさすがに?となる。 現象その2.別回線(自宅用)に掛けようとするも、かからず、 というか、ふつう「つー」となるのが鳴らない。げげげ。こりゃおかしい。 現象その3。別回線から壊れていると思われる方にかけるも「話し中」モードになっている。お金引き落としのが空だったか?(ちゃんとお金払っているはずなのに。。。)などと心配になる。 しょうがないので予定を一本キャンセルして、113に別回線から電話する。 そのときはわからなかったが、どうやら、モジュラージャックを抜いてまたさしてなどとしてみると、いちおう、117がかかる。 「あ、治りました」と言って、とりあえず、やめる。 しかし、念のため別回線から該当回線からかけてみるとまた話し中モードになっている。しかも、幽霊電話のように、時報がまだ生きている。。。げげげ、ハードが壊れたか?まだ数ヶ月しか経っていないのに。。。パイ***許すまじ。 いちおう、もういちど113にかけてみて回線調査を依頼する。 どうやら、回線そのものがおかしい可能性がある、とのこと。 1時間後にはこれるという連絡がある。 それで、待つこと1時間、突然、だめだった番号に電話がなり、「すいません、元のマンションのがだめになっていたようで、いま、直しました」とのこと。 回線そのものがだめになったなんてある意味貴重な体験だが、電話機新しいのを買わなくてよかったっす。 あまり固定電話そのものは使わないとはいえ、最後の砦的な部分があるので、壊れて欲しくはないっすね。 激しい雨の影響なのかな。。。。
2008.04.20
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いつから思ったのかは忘れましたが「喚ばれれば応える」というのが自分の信条になっている気がします。 いやだなと思えることにも微笑みで返せるようになりたいとは常々思ってはいるのですが、しかし、毎回でもなく、そのたびに自分の小ささや姑息さに直面します。「何でこんなに自分は小さいのだろうか?」と 思うことしばしばです。 しかし、きょう一回微笑めたような気もします。 とても大事なことを私はなくしていたことを取り戻した、そんな気もします。
2008.04.19
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なんか頻繁に「最近シンクロが起きて・・・」といっているとさすがに、あまりにも慣れてくると、「シンクロ」とも思わなくなってきている。 先ほど、とある人にメールを送って返事待ち。。。。すぐに返事が来ないでしばらく放置。しばらくたって、「今何時かな?」と携帯をみて、ポケットに携帯をいれたら、すぐに連絡が来る。。。。そういえば、カスタマーサポートに電話をして、「コールバックします」と言われたあと、1時間ぐらいたって「そろそろ返事こないかな?」と思って携帯を取り上げた瞬間になったということも起きた。おそるべし。 電話したら「いま電話しようと思っていた」とか「いま、naoさんのmixiの日記を久々に見ていたところ」とかいうのも頻繁に起きる。 このこと自体に何か意味があるとは思えないのだが、このシンクロ的な現象には興味がありまする。「なぜ起きているか?」ということはわかりませんが、しかし、何らかのプロセスの特徴があるのかなーとも思う今日この頃。
2008.04.18
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あれこれ。 昨日久しぶりに電話をして話をしていたら、「ゴシップ」について質問された。そういえば、日本では「ゴシップ」はおろか責任も変なふうに扱われている。。。。おそるべし。リーダーシップ。 また、1年ぶりぐらいにとある人から電話があって、以前私が責任者をやっていたプロジェクトについて質問をうけた。思い出して、プロジェクトのブレイクダウンって必要だなとおもいましたね。今更ながら。ブレイクダウンを意図的に創り出す。 それから、コーチングの国際大会の話しを聴く:結構いい場だった。場がつながる感じがいいっす。Peter SengeがKeynote Speechをするそうです。私はいかないとおもうがおもしろそう。 今日は、出版企画の元間のブレストをしました。形になるかも。ここからが結構大変ですけどね。まあ、なんというか、雰囲気が読めてきたというか。。。 では。
2008.04.17
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少し前まで、じぶんの中で、伝説的な・・・というフレーズが流行っていた。 伝説的なレジメ、伝説的なセッション、伝説的な講座、伝説的な関係性・・・・あんまり伝説とかいうと、少し安っぽいが、しかし、その「伝説的な」はよくよく考えると、しょっちゅう起きているからであった、ということができる。 昨日は、伝説的なセッションを行い、イメージとして何も用意せずに方向付けないで話しをしていたら勝手に前進したり(そもそも、クライアントが伝説的に前進しているのでそれでいいのかもしれない)、先々日は、伝説的なダイアローグの場であった。その前は、普通に話しをしているだけで、勝手に、講演の依頼がくるような伝説的な対話の場であった。。。。なんか、こう書くと、すごいようにも思えるが、多分、誰の世界にでも、毎日のように「伝説的な・・・」が起きているのだと思います。ただそれを認めていないだけ、だと思う。 人生が交わる結節点にいるだけでも幸せだと思う。
2008.04.16
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今日のダイアローグは、突然立ち上がり、混乱というか、異質な要素がうまいこと絡み合った感じがよかったなぁという今日この頃。 深まる感じがよかったですね。 ダイアローグは何かということは正解がないけど、なんかつながった感じがいいですね。
2008.04.15
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のも悪くない。
2008.04.14
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をします。 ・・・こないだ購入したソフトが、「アップデートに不具合があって」 使えないことがわかりました。 それだけでも怒りなのに、3回ほど電話してようやっと、問題が解決して・・・・・しかし、最後に、「いつ修正ソフトを送れるかどうかわからない」・・・かなりのお怒りモードになりました。(確定次第連絡くれればいいのに。。。) さらに、「ご迷惑をかけてすいません。図書券同封するから許して下さい」みたいなことを書いていて、図書券ありません(汗)ばかにしてんのか!とかお怒りモード。 そんなお怒りモードをとある人と話していたら、アメリカ的とはそういうことなのかと納得。ソフトじゃなくて、ハードですが某メーカーのは、ハードが初期不良で壊れていてもすぐに修理しなくて、チェックまでに、2週間とか下手すると2ヶ月かかるそうです。。。。新製品でちゃうじゃん(笑)よくアメリカってそれで納得できるよなぁ。彼らには「サービス」とか「良い物をつくる」なんて精神はないのか(すいません、かなり怒っています)と思ったりしました。unfairと言われてアメリカ人はキレる(ちなみに、イギリス人は、boring=つまんねーやつ)らしいのですが、それはアメリカ人がfair(公平さ)を大事にするというよりも、そもそも、fairじゃないからなのかも、と思います。 互換性なし、updateにもいちいち新しいソフトを購入するぐらいのお金を要求する・・・・おそろしい商売してます。macromediaを吸収しないでほしかったです。(汗)まあ、今度は買わないぞ、とか思う今日この頃でさりました。とにかくひどいねぇ。
2008.04.13
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出会いにはふたつあると思う。 はじめて物理的に会う出会い。 最近、出会いが多いと思う。そして、別れというか、疎遠になる仲も 結構ある気がする。動いている感じ。 もうひとつの出会いは、もともと知り合いだったのが何かのきっかけで急接近する出会いもあると思います。 逆に親しくなくなる・・・もあると思います。 先ほど、何の気なしにお電話いただき、そういえば久しぶり・・・・。 いくつかの流れの中で(ベルセルク風に言うと、「因果律」とでもいおう)出会う人もいるし、別れる人もいる。明示的な人や、何となくの人もいる。 以前どっかで日記に書いたが、「この人とはもう会えないだろう」という別れ方をしたけれど2年後に、再びであった人がいる。ドラマのように。 何か、そういう再開というか、再会というか、あるいは疎遠だった仲が急速に親しくなるような出会いも多い気がします。 そのときに、その人自身が現れるそんなつながり。 そんななか迷いはありますが、まあ、でも、自分のスタイルとして、 「この人がどう自分の役に立つか」とかいうのはあまり好きじゃない。 逆で、「自分がこの人のどう役に立ちたいか」と思えなかったら、本気だせない。多分、言い方はおこがましいけど、「自分が好きなことをやっている」人じゃないと、疎遠になるとおもいます。あるいは、真剣に取り組んでいない人もそうかも。あるいは、これはしょうがないけど、頭悪いなと思うとひっぱたきたくなる人もいる(汗)。頭の悪さは、なんというか「自分って頭が良い」ふりをしている、という意味であります。だいたいそんなの「どれぐらいうそか」はわかるんですけどね。まあ、でも、最近、長い間封印していたをたくな自分も復活してきたので、ある種の分野では、かなり専門的なことも言える。よくよく考えたら、本当に好きだったことは、別に努力とか計画なんてしなくても、一日中そんなことをやっているので、勝手に知識とかその周辺の「世界」が現れるぐらい簡単かもしれませんです。はい。聡明さは、知識量とは全く関係ないとも思います。おっと毒を吐いてしまった(汗) 多分、出会おうとして出会うってのもあるけど、何かに導かれるような感じもいいなと思う。死ぬまで何人と出会えるのだろうか?と思う
2008.04.12
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昔、超人ロックという漫画があった。 超人ロックは、通しで読んだことはないのではあるが(というか、独立した短編集とみるべきかもしれませんが)、ときどきちらっと読む。 その超人ロックの台詞でこんなことがある「あなたの能力が限界になったのではなくて、あなたが限界なだけです」と。 この言葉はとても昔に読んだ気がするがなぜか覚えている。 さて、子育て本も、医療本も終盤が見えてきて、レースで言えば第4コーナーを回ってゴールがそろそろ見えてきたところです。 奇しくも、スタート時期はずれていたが、本日と昨日それぞれ編集の人とお会いして、打ち合わせをした。 どちらも、共著との対話から生まれたひとつの物語であって、以前出したどの本よりも、レベルが上がっているということは言える。(前のがだめという意味ではなくて、自分自身が成長したという意味) 本は実験の産物であり、ただの情報だけだったら、ある意味、雑誌でいいのである。しかし、単行本は、長い間考えられたあるいは版画家が細かい作業をするように、言葉を紡ぎ出す。 その紡ぎ方によって、敢えてとある言葉を隠したり、冗長にしたり、といった莫大な作業を行う。 ある意味、両方とも、いままで書けなかったことが新しく表現されているので、自分の主著になるといってもいいとおもう。 もうすぐ終わると思うと、少し寂しい限りであるが、世間的には、これからはじまるのである。
2008.04.11
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プロとしての必要な要素は何か?とときどき考える。 ・・・と、その話の前に、最近起きたトラブルというかエピソードを。。。。 とある人と交流ができたのはつい数週間前。 いっしょに講座をするとか、営業を(お互いに)しようという話しになった。。。。。そのときに、感じる違和感があったのがそこはまだわからないでいた。 変な言い方ですが、「座った瞬間に相手が自分の役に立とうとしているか、あるいは売り込んでやろうとしているかがわかる」という社長の話をどっかの日記で書いたかどうかは忘れましたが、確かに、この手の仕事をしていて、相手を「評価しよう」とは思わなくてもだいたい力量とかを判断することはとても重要だとは思います。評価というよりも、相手を感じるという方が正しいのかもしれません。座った瞬間にわかる社長ほどではなくても、何らかの感覚がない人は、人と関わることは不可能だと思います。 さて、その違和感に答えが出せずに、その人にHPを数ページをデザイン的にリニューアルしていただくように依頼をしました。 しかし、細かいことは省略しますが、その方に頼めないということを決めてお伝えしました。(先方からその後なんの返信もありませんが) それで、デザインを変更することを友人のデザイナーに依頼したのですが、その人と話しをしていると話しがはずむはずむ(笑) 私も全くの素人ではないのでいろいろな要望を伝えて、それでデザイナーの彼が、技術的に具体的、個別的に「こうやるのはどう?」とか「こういう方法もあるけど、いまいちかもしれないけどどう?」などという話しをざっくり30分ほどして、全てイメージも伝わりましたし、背景とかなんでそういうデザインにして欲しいのか?という話しをしました。結局、最終的に全て彼に任せることができることができました。 そこで、思ったのは、ああ、要は、プロとして楽しんで仕事をしているか?ただ、お金になるから「作業をしている」人の違いなんだな、ということを感じました。 最初に依頼した人は、いわばやっつけというか、ある意味、「これでいいでしょ!」って出してくるのだが、それも、まあ、悪くないけど、でも、わざわざお金だしてまで依頼することか?というふうに思う。こちらの膨大な要望依頼書も、どこがどの部分に反映されているかわからない。(直接デザイナーに依頼したのではなくて、directorに頼んだのですが、そのdirectorがヒアリング能力がないということも言えますが) しかし、友人のデザイナーに頼むと、こちらの期待の6,7倍ぐらいのレベルで返してくる。要は、仕事に対する間口の広さと取り組み度合いだと思いますが、しかも、料金も、お友達価格で安い(笑)。ま、それは安いからいいということでではなくて、予算は抑えているが、少しぐらい高くてもレベルが高いものであればお金を払ってもいいと思ってはいます。 ・・・そんなふうなことを会って話していたら感じました。よくよく考えたら、プロとして仕事を依頼したいのは、質が高いのはもちろんですが、自分の意を汲んで、それを反映してくれないのであれば、なんでわざわざその人に頼むのかな~と思うのです。 友人のデザイナーの彼と話しをしていて、改めて、プロとしての崇高さとか、楽しんで仕事をしている様を感じることができて、ふり返って自分はどうか?と再考する機会を得ました。 プライドがない人には仕事は依頼できないなと思いました今日この頃でございます。
2008.04.10
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とある人とお会いして話しをしていたら、彼女は、最近万年筆を 使っているという話。エリカ様の問題発言でかなりもめた映画のワンシーンで、エリカ様がもっていた万年筆のタイプの親戚みたいなのを持っているという話しになった。(ついでに、言うと、イタリアでサミットが開かれて調印式に、サインにつかった万年筆を首脳が持ち帰ったときに使われたメーカーのものだ。個人的には外見はとても気に入っているが、値段を考えたらご遠慮したものではあるが) しかし、笑えたのは「1本しか持っていない」とか「あまり活用できていない」なんて話しになった。100本もっていればいいっていう話しでもないと思うし(持っていたい人は持っていればいいと思いますので、100本がダメだとも全く思わない。本人が好きだったらどうぞ~ってかんじなだけで)、どのぐらい使っていたら適切か?なんてこともよくわからない。 しかし、そんな謙遜な中に、私のもってるアウロラのものを、ごく自然に、アウロラだと見抜く。ソーレ、マーレ、プリマヴェーラ、オーロと全て「アウロラ(のオプティマ)」的なフォルムをしているので、確かに、アウロラだとわかる人はわかる。・・・しかし、これもかなりマニアックである。アウロラなんてメーカーもしらない人もいるでしょう(まあ、だいたい、アウロラとかペリカンが、良質なメーカーだと知っている時点で、ファッションを超えて「万年筆を使っている」人だ、とはわかりますが) ペンケースの話しになって、「リザードって素材はクロコダイルよりも細かくて」「あ、それって、ファーバーカステルの?」「いや、それはスネークヘッドの限定のやつことを言ってるんでしょ?」「あ、っそうか」 ・・・これだけ万年筆の話しができる女子も珍しいもんだと思って、いかに、旦那さんに仕込まれたもんだと思っていて話しを聴いていた。 そこで、思うのは、その道の専門家同士ってある意味、共通して、通じる土台が共通していると思うのですよ。要は省略してもどれだけ通じるか?というのが大事だと思うのです。逆にその分野の素人が話しをしても、なんじゃそりゃ?って話しになる。 上述のリザードの革素材から、ファーバーカステル、スネークヘッド(という木材)という一連の流れも多分、何を話しているかわからない人にはわからないだろうと思います。(アウロラのソーレとか、マーレとかはともかく・・・・そういえば、「ああ、これがソーレなのね」みたいな話しもあったな・・・これはかなり通じる人にしか通じない、「オレンジ」伝説みたいなものですね) だいたい、そんなのをいちいち言葉にするのは、日本語では、無粋と言われる領域であって、粋と逆ってことである。 なんというか、この一連の省略した言葉の流れには、共通している人同士の喜びってありますよね。この感覚って大事だなって思います。 どうみても、彼女は、万年筆好きからしたら(フリークとまではいかないっす)、「こちら側」「ある境界を越えてしまった」人間である。(笑) あなた、知らないなんてことはないですから!って言ってしまった今日この頃であった。 どれだけ好きかなんて、他人が決めることでもないと思いますし。
2008.04.09
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ダイアローグめもとメンタルモデルの部分がおわりました。 。。。そんなにまだいっぱいいっぱいでもないですか。。
2008.04.08
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最近、複数のクライアント(プレイヤー)の人から、 「わらしべ長者」という話しを聴きます。 コーチング=わらしべ長者説。。。。うーん、いいねぇ。 しかし、なんか、この言葉いいですね。 巻き込まれるかんじがいいっすね。
2008.04.07
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朝、久しぶりに、連絡が取れていなかった人からのメールを見る。 2,3度アラームならしても連絡がこず。。。半年も経っていたが、 思い立って、メールの検索をがーっとかけて、携帯メールをはっけん! 昨晩メールしておく・・・→返事が何と来るじゃないですか、生きてましたのねんのねん。 生きていることは、出会いの連続だと思う。 午前中、相変わらず、「奇跡的な」セッションを行う。すごいぞ、なんでこんなにはやいんだ。ま、いいや、理屈なんて後付け。 午後、関係性がややこしくなっていた人と会ってばーっと会話する→いろいろ協力できそうだし、可能性を探る。かっこよさからじゃなくて、何が貢献できるか楽しみだ、と思う。新たな出会い。 早朝のメールといい、午後の打ち合わせといい、「一度、消えかけた関係性が復活する」日かもしれんです。はい。 途中、アサジョーリのレアなパンフレットを読む(笑)アサジョーリよくわからないけど、つきあってみよう。 A4の巨大なノートにも慣れてきた。 夕方:アサジョーリの定例会。しかし、今日は今日で深い体験だった。 以前もう2年前に言われたことを再度言われて、思い出す。 彼は「許容」「しっかり聴く」という技術を使って、短期間で、3百万の経済効果があったそう。すごい、どんなに、すごいカウンセラー&コーチでも、「聴くだけで300万円稼ぐ」ってすごいと思う。 謎の人物がいなくなったという話しも聴く。なんか、「できすぎ」とかも思いますが、明確にして、あらゆる手段を試して、それでもう試せることがなくなったら「もう手放す」と宣言したら、なんと、問題が解消してしまった、という結果をつくったそうです。教科書的な結果(笑)すごいすごい。表面的な「メソッド化」とはまた違って、なんか、静かな音楽が流れているような鮮やかさが秀逸。本当にすごい人はいるもんだ、と改めて思う。定例会は何も目的もなく、適当に、みんなで言いたい放題(というか「ほーだい」って感じですかね)で話しをしている・・・なんか、でも、このダイアローグというよりも、おしゃべりがいい感じ。人生の深さを感じさせるこの瞬間には、評価や説明ではなくて、ただ、そこに滑り込めるかどうかが問題である(なんか、昨日の正剛風な語りかえ~)。 手軽な真理も、難しい探究も、どうでもよくなった。というときに、この優しさといっしょにもう少しいてみようと、思う。
2008.04.06
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どんな反応が起きようが、現実に起きていることは自分自身だ。 目の前に起きている現実に優しくなることはとても大事だ。 ということをふまえた上で、 昨日、不思議なことが起きた。 自分がとある人に伝えていたことを、TVでビートたけしが言っていた。 「おれのことを扱うのと同様に、おれの友人もおれと同様に扱え」といっていた。これは礼儀でもあるのだが、ただの礼儀だけじゃなくて、芸人は、お客様を相対している。そして、その場を感じながら、対話をして、絶妙なタイミングで笑いを取る、というのが芸人である。 「相手を感じろ」というわけだ。 最近、自分自身(の反映であるが)、周りの人で「教えられないとわからない」という人と何人かとわかった。さすがに、講座の場合、そういう人にどうつかんでもらうか?という観点からインタラクションをするのだが、そもそも、知識ではない「あり方」の講座を提供している側として、「誰かに教えられないと感じられない」という人は、他人の中に入っていくなんて芸当はできない。KYという言葉はそれほど好きじゃないけど、でも、KYな講師かどうかは、少し話しをしていれば多分、数分でわかる。 KYだからというか「感じる」ことができない、「自分自身が選択する」ということができない、「あり方」をつかんでいない、という3重にKYな講師だとすると、ほとんどのところ絶望的である。→だから、自信がもてなくなる。それで、勢い「やり方・テクニック」に逃げるのだが、本質的に変化していないので、そもそも知識がいくつ身についてもものにならない。 ビートたけしはそうはいってはいないが、でも、「人を感じて、見抜く力」がないと、芸人としては成功することができない。 売れていない芸人を「下に見て」いる弟子をたけしはなぐるそうです。(笑)本当になぐっているかどうかは(まあ、たけしならあり得る。。。)ともかく、なんかわかる気がする。 相手を感じるかどうかは、まさに、「何をやってきたか」とか「知識がどれだけあるか」ではなくて、まさに、その場での即興と、あるいは、あり方次第であると言えます。 「どうしてそうなんですか?」子どもに訊かれるのなら、まだわかる。 しかし、プロから「どうして、そうするのですか?」などと訊かれるととてもがっかりする。。。。。「プロじゃなかったのか」と思う。 判断や決断ができなければ、講座中に、流れていく、いろいろな思考を制御しつつ、参加者を感じつつ、また、同時に、参加者に対して、何をどう提供するかを検討しつつ、今の状況から、そして、どういう方向にもっていくのがいいのか、場合によってはやってみたら失敗していたりしたら、それをケアしつつ、それで、他の方法論を試してみて・・・などとある意味、見かけよりも忙しいことをやっていることもあるのだが(考えているというか、「感じている」から、動けるだけなのですが)、KYだったら教えることはできない。 つまり、KYの人は(ああ、やな言い方)「自分にしか興味がない」状態を続けているのだ。相手に興味がないのだ。だから、講座として、参加者に興味がない講師が人前にたったところでうまくいきようがない。という意味なのだ。まだそれがものすごい頭がいいか、特殊な才能があるか、美しいか、・・・何かがあればまだしも、ふつうの人なら難しい。 私は日本でも有数なマーケッティングの大家の人を存じ上げている。そして、そのマーケティングをしている人のお手伝いをしているものすごいうなるほどの知識とでもただの知識ではない「切れ味」を持っている人を知っている。知性は情報量じゃない、ということを証明しているような方だ。 しかし、話しをしていて思いますが、SEOがどうのとか、広告を打ってどうの、みたいな、「売れるためのあがき」という話しは彼らはしない。そもそも、どういうつながりをつくるか、という普段は別々のものをどうつなげて、ひとつのサイクル・循環をつくるセンスがとてもすばらしい。結果的に、巨大な(ちょっと言えないような・・・)プロジェクトに関わることができる。伺っているだけでも、歴史かよ!とかつっこみたくなるような(日本の経済システムは実は身内の骨肉の争いできまっているとか、きわめて人間関係で決まっているなどなど、多分ここでかいても、そんなほら拭くな!と言われるような類のこと・・・汗)事柄ばかりだが、それも、細かい「作業」的なことに囚われていないと思うことがしばしばである。 そういう人は、ある意味、仕事を「お金が儲かるから」という基準でやっているようには見えない。。。。だから常識的な範囲外の仕事が舞い込む。 ・・・・そういった意味で言えば「知識があれば」「情報があれば」「テクニックがあれば・・・」という時代ではないのだと思う。 もう少し直感を信じよう、と思う。
2008.04.05
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8時前に作業する方が作業がはかどる。 夜だとなんか、思い詰めてしまうま。 ある意味、「修正作業」が原稿書くのでは一番きびしい。 思ったことをありったけ書くのはそんなにきびしくないが、それを 修正して、詰めて詰めて、減らしていくのが一番苦しいのですよね。 (ま、編集者との関係性もありますが) そういう意味ではとても心地よい作業ができたのは「朝」のおかげだと思います。やはり5時じゃちょっと早い。6時~ぐらいが一番調子いいっす。
2008.04.04
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と感じる。(いろんな意味で)力が必要と感じる時は、なにかがちがう。鮮やかな現実が示してくれる。
2008.04.03
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自分のせいではない、と思います。 混乱と混沌はまたちがいますが。
2008.04.02
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・・・今日、一皮むけた感じ、と、まだまだ、が共存する。 結果といえば、ものすごい結果をだしている。人の可能性に気づく。うむ。 「絶対時間」というものが流れる気がしますが、ある意味、もう少し、 かき混ぜる部分と、直線的な部分の融合が必要な気がします。 輝きの中にいると簡単な気もする。 表層的あるいは感覚を頼りにすると「うまくいっている」 しかし、この流れとして、もっとできるかも、とも思います。 迷いはないが、他の可能性を生み出す。 推進力を生み出すために。
2008.04.01
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