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新年の挨拶回り、賀詞交歓会続きですっかりご無沙汰になってしまいました。様々な経営者、社会的リーダーの方々と会うたびに、時代環境の激変と共に個人レベルでの意識の変化が手に取るように感じられます。 もはや、誰しも「他人任せ」にはしていられない。「これをやっていれば安泰」なんて何一つとしてあり得ないし、常に自分自身を進化させなければ淘汰されてしまう。 「安泰」「安心・安全」「平和」・・・これについて考えたとき、ピンと閃きました。扇風機や車輪が高速で回っているとき、あたかも静止して見えるようにコマが安定して立っているのは高速回転しているときだけであるように原子レベルにおいても、光子や陽子・中性子は超高速でスピンしているように本当に安泰なものは、常に高速で動いている。 「気をつけて」いなければ、安全はありません。「注意深く」なければ、失敗し、痛い目に会う。 人生は綱渡り・・・「もう大丈夫」と思った瞬間に転落するのですね!それはきっと、元来、「人」は地上の生き物ではないからなのでしょう。この「三次元」と言われる現象界・・・肉体も当然含まれますね。ここ数ヶ月で摂った食べ物から成っている肉体は3次元。面は同じ2次元の面を認識できないように、「人」が同じ3次元の存在であれば3次元を認識できません。 すなわち、「人」は少なくとも4次元以上の存在。 それなのに、消えてなくなる3次元の存在である肉体の安泰・安全、それに付随するあらゆるものを守ろうとするから苦しくなるのですね。 「恋に落ちる」ことも、ある意味3次元に埋没することなのでしょう。「恋に昇る」と、「愛」が開けるかんじがします。相手を通して、「愛」が流れる。「相手」と「自分」の境界が失せ、「愛」だけがほとばしり、「愛」だけに「なる」。 この変革の流れは只者ではありませんね!!!
2012.01.27
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怒りであろうと、悲しみであろうと、それが本物であれば美しい。逆に、笑顔であろうと、奉仕であろうと、それが偽物なら醜い・・・と、ふと思いました。 今朝は5時起床で仙台~亘理~郡山~宇都宮・・・と寒い東北を回ってきたのですが、その道中にて。出発までまだたっぷり時間があった在来線の車輌に乗りこんだその時、私を含めて3人のうちの一人の携帯に電話が入ったため、彼女が車輌から降りて通話し、終えてから再び車輌に乗り込んだ瞬間、座っていた乗客の一人が立ち上がり、「このバカもんが!」と言い放ったと思ったら、ドアを閉めるボタンをさっと押して、座席に戻ったのです。我々は手動でドアを開け閉めする習慣が無いので、更に話し込んでいたので、ドアが開けっ放しで冷たい外気が車輌に入り込んでいても全く気付かなかったのですね。「バカもん」と来たので、一瞬戸惑ったのですが、本当に申し訳けない気持ちになりました。と同時に、まだ若い男性が素直に感情を表してくれたことに、純朴さというか、なにか清々しいものを感じたのですね。 そういえば、甥っ子がまだ小さかった頃、ぶるぶる体を震わせながら、見る見るうちに顔が赤くなって、「なんでいつも弟に何も言わないで僕だけ叱るんだよ!」と叫び、ワー!と布団に顔をうずめて泣きじゃくったのを今でも鮮明に覚えています。 嘘偽りない、素直な感情の発露は相手に気付きをもたらし、美しくもあるのですね。
2012.01.12
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天上にも天の下にも、唯一我独りが尊い・・・すなわち、この<存在>には、実は「我」意外無い。我がすべて、宇宙すべて=我、ということなのですね。 広大な、様々なきらめきを放つ森羅万象、すべてが「我」「あなた」「彼」「彼女」「あの人たち」すべてが、「我」。 同じ「意識」を通し、「体験」してみたいがために、肉体という所詮消えうせるバーチャルリアリティの世界を創ってみた。 もはや、「人間関係」などというものは幻想にすぎなかったのですね。それはあたかも、「我」が、片手で「自分」、片手で「彼/彼女」を操り人形で演技させているかの如き・・・。 愛と信頼以外は、虚構。 幻。 すべての出会い、すべてのご縁に感謝ですね。
2012.01.10
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子供の頃、夢のようなことを言うと、よく親や教師に「現実を見なさい」「現実はそんなに甘くない」などと言われたものです。 「現実」とは何でしょう? 私は10代の頃から、「すべては消え去るものじゃん」と思っていました。肉体はもちろん、地球だっていつかは太陽が赤色巨星~白色矮星となって膨張して飲み込まれてしまいます。 実際、肉体は摂った食べものと水で出来ており、すべての細胞は3ヶ月で一新、70%が水分なので、まるで「歩く川」のようですね。 そして、自分より大きなものは想像できないように、「自分」はこの地球、この宇宙、この<存在>すべてを想像し、意識できる。 ということは、「自分」が一番大きいのですね。(笑) 生まれたときから映画館で映画を見せられていて、すっかり自分が映画の主人公だと思っていたら、「自分」は「観察者」そのものだった・・・ あたかも映画「アバター」のように、あえて自分からこの肉体を選び、両親や環境を選び、この地球上での経験に埋没しているうちに、すっかり「アバター」と自分を同化してしまっていた・・・ こういうことに気付き、直視することこそが、本当の意味での、「現実を見つめる」ことだと、切に思うのです。
2012.01.08
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新年明けましておめでとうございます。元日は明けてすぐに近所のお寺に初詣をし・・・早朝から初富士を拝み・・・今年の誓いをあらたにしました。「今年の誓い」とは、地上に埋没することなく、上空を飛び続けること。光であり続けること。「この世」はホログラム、「思い」の顕れだと覚醒し続けること・・・。 今朝は曇っていたので、読書と決め込んだところ、9時頃になって陽が射してきました。「影」の「自分」は存在している?この肉体も、いわば「影」のようなものなのかもしれません。すなわち、目に見えるこの世界すべても同様に・・・。 2012年、更に多くの人々が目覚め、気付いてゆく年になることでしょう。そして、そういった人たちが、意識的に変化を起こしてゆく年になることでしょう。
2012.01.02
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