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幸彦と真彦が並んで眠る部屋の天井から、干瀬は二人を見下ろしていた。斤量が隣へやって来た。斤量は干瀬にささやいた。「真彦様も、これで落ち着かれると良いな」干瀬もささやき返した。「”外”へ行くらしいぞ」「私も付いていく。まだ敵はいるからな」「ならばワシは、ここに残り柚木を守ってやろう」二人は真彦の手が幸彦の布団の端を握っているのを見た。干瀬は青い手を伸ばして、真彦の肩に布団を引き上げてやった。「子供達は、まだまだ試練が多いのだな」「お前の目には、哀しみしか見えぬのか?」斤量が聞いた。「いや」干瀬は斤量を見て微笑んだ。「幸せな事もある。ワシはその時まで、真彦と柚木を見守るつもりだ」「私もだ。二人の子供のそのまた子供まで、ずっと見ていたいものだな」「ああ、それくらいの時など、あっと言う間に過ぎてしまう」「我等にはな」二人の背後で羽ばたく気配がした。更紗だった。「真彦様も斤量も、しばらく留守にするのか。更紗は寂しい」干瀬は振り向いて陽気に言った。「ワシはずっとおるぞ」更紗はつんとして言った。「更紗は水は好かぬ」干瀬は肩をすくめた。「まあ、斤量がいない分、働くというのなら、口くらい聞いてやるぞ」干瀬は更紗にいたずらっぽい笑顔を向けた。「ありがたい事だ」執務室の自分の席で書類に目を通していた高遠の元に、部下の滋野(しげの)がやって来た。「朱雀様の車が見当たりません。お一人で村を出られたようです」「そうか」まだ戦いの事後処理は終わっておらず、執務室も盾の詰所も慌しい気配に満ちていた。今後の事を相談しようと、高遠は滋野に朱雀を迎えにいかせたのだが、朱雀のブリティッシュグリーンの車は、すでに走り去った後だったらしい。かつての恋人を自らの手で殺したのだ。その場所から一刻も早く遠ざかりたいと思うのも仕方の無い事であろう。高遠は書類に目を戻した。暗い国道を朱雀の車が疾走して行った。(私がキミの名を呼ぶ時は、すべてを捨てる時だろうな)朱雀は十年前に自分が舞矢に言った言葉を思い出した。(失った人の身代わりでもなく、過去のつぐないでもなく、今ここにいる舞矢、君の為に戦おう・・)摩天楼で交わした愛、あの時にすべてが終わっていたら・・不意に金木犀の香りが車内に漂った。朱雀は車を止めた。暗闇を見通す朱雀の目が、座席の下にあるものを見つけた。それは枯れた金木犀の一枝だった。すがれてはいても香りは微かに残っていた。(命がこの世から消えても、思い出は残るのだろうか。この花の香りの様に・・)朱雀の視界がぼやけた。世にも稀な美貌と剛毅さを兼ね備えた男の目に涙があふれていた。それは”人でない”者になって、初めて流した涙だった。朱雀の命は長い。(私はキミを忘れない。キミのすべてを・・それが私に出来る唯一の償いだ、舞矢・・)朱雀は枯れた花を握り締めた。乾いた音を立て、花は砕けて散った。(終)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/11/25
戦いが終わり、禁忌の山の麓まで降りて来た盾達を出迎えたのは、後続の医療を司る白の組だけではなかった。二人の子供がそこにいた。柚木と真彦だった。傍らの木の上に斤量と干瀬がいた。彼等が忍野と子供達をここまで運んだのだ。だがその姿を見る事が出来る者はほとんどいなかった。子供達は傷ついたそれぞれの父親の許へ駆け寄った。三隅の背の上の忍野は意識がなく、すぐさま担架に乗せられ、運ばれて行った。竹生に抱かれた幸彦は額に応急処置の包帯が巻かれていた。竹生はそっと幸彦を降ろした。幸彦はしっかりと自分の足で立った。真彦はためらわずに、幸彦に抱きついた。幸彦は何も言わずに真彦を抱きしめた。二人の傍らを布をかぶせた担架が運ばれて行った。その中に何があるのか、真彦は感じ取った。幸彦は真彦に優しい夢を送った。暖かい想いが、真彦への愛が、そこにはあった。真彦は幸彦にしがみついたまま、今は泣くまいと思った。幼くても真彦は佐原の家の当主として、村人の前で泣く事をするまいと、小さな胸の誇りを奮い立たせていた。幸彦もそうだった。舞矢を失った哀しみを、二人は互いに支えあう事で、今は耐えようとしていた。この不幸な父と子は、この時、真の意味で親子になれたのかも知れない。三隅に背負われて戻った忍野は、すぐに医療の建物に運ばれた。病室には麻里子と柚木が付いていた。桐生の事は東士夫婦が面倒を見てくれた。そして後処理を久遠にまかせ、三隅と須永も交代で忍野の病室の警護も兼ねて付き添っていた。柚木は何度寝る様に言われても言う事を聞かなかった。寝台の横の椅子に坐り、目を閉じた忍野の顔をじっと見ていた。忍野の身体が『奴等』の毒に侵され、もう長くない事を、柚木は手当てにあたった医療の者達の会話から知ってしまった。今度は竹生様でも治せないらしい事も。忍野の意識が回復したのは次の日の朝だった。忍野が目を覚ましたのに最初に気が付いたのは柚木だった。柚木は何も言わず、布団につっぷし、忍野の頬に自分の頬を押し付けた。忍野は息だけで言った。「ただいま・・」柚木も息だけで言った。「お帰り、お父さん」麻里子は長椅子でうたた寝をしていた。三隅はちょうど席をはずしていた。静かな部屋の中には、朝の薄青い空気が漂い始めていた。柚木は忍野の耳元でささやいた。「お父さん、僕はお父さんみたいな盾になりたい」忍野の口元に笑みが浮かんだ。「なれるさ、お前なら・・きっと」柚木は真面目な声で言った。「僕は、露の家の忍野の息子だもの。強くなって、真彦と村を守るんだ」柚木の本当の父親は風の家の篠牟だった。だが柚木はあえて自分は忍野の息子であると言ったのだ。それが忍野の胸を熱くした。(人間というのは、血のつながりはなくとも情が通い合えば、親子になれるのだ)いつか斤量の言った言葉を、忍野は思い出した。「お前のような息子を持って、私も誇りに思う」柚木はうれしくて、忍野の首にしがみついた。お父さんを失いたくないと今までにない程に強く思った。限られた時間しかないのなら、最後まで一緒にいられるだけいよう・・柚木は幼い胸に誓った。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/11/21
秋に色づく佐原の村を、真彦と幸彦は並んで歩いていた。幸彦の頭に巻かれた包帯が冷え始めた空気の中で一際白く見えた。真彦は母親を失ったが父親を得た。真彦は哀しくはあったが寂しいと思わなかった。奥座敷で真彦は幸彦と日々を過ごしていた。同じ部屋で布団を並べ寝起きした。二人の夢は寄り添い深く結ばれていた。真彦は初めて親の愛を知った。真彦は幼い子供の様に幸彦に甘えた。幸彦は真彦の甘えるにまかせていた。幸彦はそれを舞矢と真彦への償いだと感じていた。「こんなに綺麗な秋を見るのは初めてだな」村を囲む山々は紅や黄色に秋の錦を織りなしていた。佐原の村は美しかった。「お父さんは、あまり村にいなかったのだよね」真彦はこの村の秋以外は知らなかった。「僕は子供の頃に”外”に出て、神内さんの所で育ったからね」夕暮れの風に指がこごえ、手袋をしていない真彦は、片手を自分の上着のポケットに、もう片方の手を幸彦のカシミアのコートのポケットに入れた。幸彦は微笑んでポケットに手を差し入れ、真彦の手を握った。「僕が大人になって、佐原の村に帰って来たのも秋だった」幸彦は立ち止まり、赤く染まった梢を見上げた。「お父さんが連れて来てくれたのだ」真彦はポケットの中で幸彦の手を握り返した。「じゃあ、今度はお父さんが僕を連れて行ってよ」真彦の心は、秋に燃える山の向こうの世界へ思いを馳せていた。幸彦もそれに気がついていた。この古い村。しきたりと因習の中で真彦は孤独でいたのだ。わずかに柚木という友がいたとしても。まもなく柚木も盾の見習いとして宿舎に入る。めったに顔を合わせる事もなくなるだろう。幸彦は梢を見上げたままで言った。「しばらく外で暮らすかい、僕と一緒に」真彦の顔が笑みで一杯になった。真彦はポケットから手をだすと、幸彦のコートにしがみつき、幸彦を見上げた。「お父さんと一緒にいられるの?僕も”外”に行っていいの?」幸彦は真彦を見下ろし、微笑んだ。「親子が一緒に暮らしちゃいけないなんて、誰にも言わせないよ」真彦は幸彦の腰に手を回し、冷たい鼻先をコートにこすりつけた。「お父さん」「何だい」「金木犀は、まだ咲いているかな」「どうだろう」「咲いていたら、持って帰って、お母さんのお墓に飾ってあげたいな。とても良い匂いがするのだもの」真彦が舞矢の事を自分から口にしたのは初めてだった。幸彦は真彦を抱きしめた。「そうだ、お前と”外”にいったら金木犀の木を買って来よう。舞矢の眠るそばにそれを植えよう。そうすれば毎年良い香りがするよ」「うん」コートに顔を埋めたまま、真彦はうなずいた。小さな肩が震えていた。しゃくりあげる気配がした。幸彦は抱きしめた息子の背中をやさしく撫でてやった。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/11/20
青い閃光が舞矢の背後から走り、操られた盾達を撃った。盾達は地面に倒れた。舞矢は悲鳴を上げ後ろを振り向いた。竹生は素早く幸彦の側に跳び、幸彦を抱き寄せると閃光のやって来た方へ走った。「忍野!」地面に膝を着き、黒い戦闘服に身を包んだ忍野は肩で息をしていた。苦痛に耐える顔に冷汗が流れていた。荒い息を吐きながら、忍野はゆらりと立ち上がった。「何故、こんな無茶を」忍野は竹生を見て薄く微笑んだ。「私は盾の長です。戦ってこそ、盾」舞矢は般若の如き形相で忍野を睨んだ。「死にぞこないのくせに!」「キミには分からないだろう、彼等の気持ちが」耳元で声がした。朱雀が舞矢を背後から抱きしめた。「せめて、私の手でキミを・・」舞矢は首を回し、甘えた声で言った。「離して、たかあき・・」朱雀は更に強く舞矢を抱きしめた。「ダメだ。その名を呼んでも。今のキミの言葉は、私の心には届かない」舞矢は急に暴れ出した。「離して!離してよ!」抗い、朱雀の腕に噛み付き、手に触れるものすべてに爪を立てた。だが突然、その身体がびくりと大きく震え、大人しくなった。舞矢の胸から刀の切っ先が突き出ていた。「た・・か・・あ・・き・・・」大きく目を見開き、口から泡を吹きながら、舞矢はその名をつぶやいた。「せめて、私の腕の中で・・キミを」朱雀は舞矢の耳にささやいた。かつて愛をささやいたのと同じように優しく。朱雀は刀を引き抜いた。舞矢の身体は朱雀の腕の中に崩れる様に倒れこんだ。「やりましたね」鞍人は楽しそうに笑った。「ありがとう、礼を言います」虫の息の舞矢は、鞍人の様子が妙なのに気づいた。「兄さん・・?」「お前に死んで欲しかったけれど、さすがに自分で手を下すのは気が引けてね」鞍人は宙に浮かび上がった。「お前に預けた物を返してもらうよ」「何・・?」「お前が私の許に来た時、私がお前に与えた物だ」鞍人は楽しそうに宙を飛び回った。「さあ、もう死んで良いのだよ。妹よ」「そんな・・」「銃に撃たれたお前を生かしておいた力、私の半身、返してもらうよ」舞矢の身体が朱雀の腕の中で重くなった。赤い凄まじい光が舞矢の身体からほとばしり、鞍人に吸い込まれた。鞍人はますます楽しそうに笑った。「そう、この力・・これが私、鞍人の本来の力・・」空中で赤い髪を逆立て、鞍人は狂ったように笑った。「結界など、何するものぞ!」天井の一部が光り、裂け目のようなものが出来始めた。「いけない、あれは・・」忍野は青い火花を散らした指先を裂け目に向けた。鞍人は忍野を睨みつけた。赤い稲妻が忍野を貫いた。忍野はのけぞった。「忍野様!」駆け寄った三隅が忍野の身体を支えた。「では、またいずれ」鞍人の姿は裂け目に吸い込まれていった。建角も素早く後へ続いた。裂け目はすぐに消えた。竹生は腕の中の幸彦を調べた。額の傷以外は大きな怪我はなかった。竹生は安堵した。幸彦が目を開けた。「竹生・・」「申し訳ありません。お側を離れたばかりに、幸彦様にお怪我を」竹生を見上げ、幸彦はかすれた声で言った。「いいんだ。僕が甘かった・・僕は覚悟が足りなかった・・」竹生は幸彦にいたわりを込めて言った。「幸彦様は最後まで舞矢様を愛しておられた。真彦様の為に、それは良い事であったと思います」幸彦は舞矢がもうこの世にいない事を感じていた。舞矢の夢の残渣がそれを幸彦に教えた。そろそろと首を回し、幸彦は朱雀の方を見た。舞矢を抱きしめたまま動かない朱雀の背中に、幸彦は声をかけた。「朱雀、お前に辛い事をさせてしまった」朱雀は振り向かなかった。動かぬ舞矢の上に顔を伏せたまま、朱雀は言った。「私は盾です。『奴等』を異人を殲滅する事、それが生涯の、私の役目です」幸彦は朱雀の哀しみが生み出す痛みを身体に感じながら言った。「僕もだ、朱雀」哀しみを隠し切れない背中を見ながら、幸彦はそれ以上何も言わなかった。第12話(終)最終第13話に続く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆様の応援が励みになります☆クリックよろしくお願い致します。『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/11/14
暗い洞窟の中で、互いに敵の気配を感じ取った。竹生は叫んだ。「急げ!」竹生は風と共に走った。この先に広間がある。そこを戦いの場所にしようとしたのだ。多人数の盾は通路では不利である。そして竹生自身も。広間に雪崩れ込むように一同が駆け込んだ時、大量の黒い羽根が前方より飛んで来た。朱雀は屋敷の庭に舞い落ちた羽根とそれが同じだと判断した。朱雀だからこそ被害を受けなかったが、普通の人間には・・「羽根に触れるな!毒だ!」避けきれずに触れてしまった盾達が次々と倒れた。「くそ!」朱雀の叫びに答えるように、前方から声がした。「少しお会いしないうちに、随分と下品になられた様で」赤い髪の異人がにやにやと笑っていた。細い剣を手にしていた。黒い異人がその隣の立っていた。舞矢の姿は見えない。「舞矢はどこだ」朱雀は鞍人に尋ねた。「さあね。知りたければ私を倒さねば・・それが定番ですよ」鞍人は朱雀に剣を向けた。黒い異人がマントを翻した。再び黒い羽根が襲ってきた。風が吹いた。強い風が羽根を反転させ、羽根は異人達に降り注いだ。竹生の風だった。健角が吼えた。「黒土(くろつち)、行け!」盾の足元が次々と盛り上がり、人型が湧いて出た。黒い人型は一斉に盾に襲い掛かって来た。盾達は応戦した。人型は斬れば崩れて消える。だが次から次へと湧いて来る。三隅は須永に叫んだ。「キリが無いぞ!」「忍野様なら、何か術があるかもしれんが」須永が悔しげに言いながら、黒い人型を叩き斬った。朱雀は鞍人と刃を交わした。鋭い音が洞窟に響き渡った。朱雀は大きく跳び、鞍人の頭上から焔丸を振り下ろした。鞍人は攻撃を受け止め、刃を合わせたまま、朱雀の耳元に口を寄せた。「貴方に妹を殺せますか?あれだけ愛していた舞矢を」朱雀の目が光った。「出来るとも」押し合っていた刃が離れた。鞍人は切り裂かれたかに見えたが、紙一重で交わしていた。鞍人は後方に跳び、宙で止まった。鞍人の口が裂けた。「やれるものなら、やってみろ」鞍人は裂けた口で笑いながら朱雀に向かって来た。竹生は建角を相手にしていた。建角は慌てて叫んだ。「この前より強いじゃないか」竹生は表情を変えずに言った。「あの時は、体調がすぐれなくてな」竹生は優雅にすら見える剣捌きで、建角の剣を跳ね飛ばした。「今日は、まあまあだな」建角は片腕を切り落とされ、悲鳴をあげ、洞窟の奥へと逃げた。人型が生まれなくなった。盾達は勢い付き、敵を倒していった。建角は黒い羽根を撒き散らしながら、鞍人に叫んだ。「こっちは勝ち目がないぞ」鞍人は叫び返した。「勝ち目は、あるのだよ」盾達の後ろで、女の声がした。「ええ、あるわ。盾は武器を捨ててちょうだい」幸彦を数名の盾が押さえ込んでいた。竹生の目が釣りあがった。「沢辺、絹宮、何をしている!どういう事だ」三隅が幸彦に取り付いている盾の名を呼んだ。彼等は空ろな目をしていた。幸彦はがっくりと首をたれている。意識がないように見える。鞍人が得意げに言った。「これが異人となった舞矢の力ですよ。心弱き人間を操れるのです」舞矢は意識のない幸彦の髪を鷲掴みにし、上を向かせた。半面がべっとりと血に染まっていた。舞矢は甲高い声で笑った。「正気に戻ったと言ったのよ。鞍人の手から助けて欲しいと・・そうしたら、簡単に騙されて。馬鹿な男」須永は歯軋りして悔しがった。「これが、舞矢様のする事かなのか」舞矢は居丈高に言った。「ほら、武器を捨ててと言ったでしょう?」三隅と須永が顔を見合わせた。幸彦を人質にされては、どうしようもない。「ここまでか・・」三隅がつぶやいた。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆様の応援が励みになります☆クリックよろしくお願い致します。『金木犀は嘆く』の主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/11/13
異人達は洞窟の奥にいた。はじき出された自分達の領域、『奴等』の支配する場所へ再度移動を試みたが、入る事が出来なかった。”壁”の裂け目を作ろうとしたが、どうしても力が働かない。「どういう事だ」鞍人(くらうど)は建角(たけつぬ)をなじった。建角は黒い顔をむっとさせ、じろりと鞍人を見た。「あいつ等、山の周囲に結界を張り巡らせたな」「結界なら前からあったろう」今度は馬鹿にした顔で、建角は鞍人を見た。「結界にも種類がある。これは俺達の領域を遮断しているのだ」「行き止まりという事か」「そういう事だ」鞍人にもたれかかり、二人の会話を聞いていた舞矢は、甲高い声で笑った。「別にこんな所を通らずに、普通の道を行けば良いじゃない。”外”へ出てしまえば、村人もそう簡単には追って来られないわ」鞍人は愛しげに舞矢を見た。「そうだな、山を降りよう」建角は呆れた。何故この山へ逃げ込んだかと言えば、盾達が追って来たからだ。「眠り過ぎて呆けたか?敵がそこまで来ているのだぞ」鞍人は自分に漲る力を久しぶりに楽しんでいた。純也に戻った時の平和な日々は、綺麗さっぱり鞍人の頭から消えてしまった。あんな退屈な中で良く暮らしていたものだと鞍人は思った。この世界を憎んだのは正解だった。だから妹も結局は自分と一緒に来てくれたでないか。鞍人は余裕の笑みを浮かべた。「蹴散らせば良い事だ。お前と私がいるのだ、たかが人間が何人いようと」「”人でない”者はどうする」建角が言うと、鞍人の口が耳まで裂けた。「蹴散らせば良い、同じ事だ」鞍人は裂けた口で笑った。舞矢は藍染の寝巻きに鞍人の着ていた灰色の仕事着を羽織っていた。建角は胡散臭げに舞矢を見ていた。完全なる狂女に成り果てた舞矢は、すでに異人と同じ気持ちでいた。胸にあるのは朱雀と佐原の村への憎しみだけであった。建角は舞矢が鞍人の妹と知っていたが、何の力もない者を連れているのが不愉快であった。「その女、足手まといにならないか?」配慮や遠慮などという思考は異人にはない。思った事を口にし行動する。鞍人の反応も異人のそれだった。鞍人は黙って片手を建角に差し出した。「ぐわっ!」見えない衝撃に建角は吹き飛び、岩壁に激突した。常人であれば即死であったろう。鞍人は冷たく言い放った。「妹の事を、足手まといなどと言うな。次は殺す」建角は紫に腫れ上がった頬に手を当てた。「仲間に何をする」「仲間?」鞍人は再び裂けた口で笑った。「何を言う。人間であった時が恋しくなったか。私達にはそんな言葉はないぞ」岩壁にめり込んだまま、建角は吼えた。「俺はお前を助けてやったんだぞ!」鞍人は建角に向かい優雅に手を振った。「ぐっ!」見えない拳で鳩尾を殴られ、建角はうめいた。鞍人は冷ややかに建角を見下ろした。「助けただと?私の力を取り戻してくれたのは舞矢だ、妹だ。舞矢の呼び声が私を目覚めさせたのだ」舞矢は二人のやりとりは耳に入らぬのか、宙を見据え、口の中で何かをつぶやいていた。鞍人はつかつかと建角の元へ行くと、大げさな身振りで身体を折り曲げ、建角の顔を覗き込んだ。「人間は馬鹿だからな。妹に本気では刃を向けられないだろう。上手くいけば、極上の餌も手に入るぞ」建角はそれを聞き、鞍人への怒りを忘れたように、にーっと純白の歯を剥き出しにし、黒い顔で笑った。「夢の力を持つ餓鬼か」「ああ、そうだ。”あの方”達には何よりのご馳走になる」「俺も少し喰ってみたい。ああいう子供は美味いんだろう?」「場合に寄っては、私達が喰ってもいいな」二人の異人は、顔を見合わせて笑った。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆様の応援が励みになります☆クリックよろしくお願い致します。『金木犀は嘆く』の主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/11/07
禁忌の山を登りながら、朱雀は先程の幸彦との会話を思い出していた。(僕はお前と友達になりたいな)主従ではなく、友達。(その言葉を、幸彦様は竹生様におっしゃった事があるのだろうか)おそらくないに違いない。竹生がどういう性格か、朱雀にはそれなりに分かっていた。竹生は主従の一線を何があっても越えないだろう。それが互いの孤独を深めると分かっていても。(私は何の為に、ここにいるのだろう)お役目に疑問を抱いた事はなかった。それは生まれた時から当たり前の事であったから。盾の家の名門のひとつ、風の家に生まれた朱雀は盾になる事が宿命だった。父である善衛は当時の盾の長、竹生と三峰の父である義豊の信任も厚く人望もあった。あの不幸な事故・・村を守る為の忌まわしい儀式。その時に両親を失い、朱雀は弟達を養う為に盾である事を捨て”外のお役目”に着いた。その任に着いて外へ出た者は、二度と村へ戻れない。だが人としての死を越え、”人でない者”となった朱雀は、いわば治外法権を得た身となり、再び村に出入りが出来るようになった。”人でない者”・・今は四名。竹生と三峰と行方知れずの寒露。そして朱雀。その誰もが苛酷な運命の果てに人ではなくなり、そして大いなる力を得ても尚、運命は更なる重責を背負わせているのだ。「今は前を見よ、朱雀」朱雀の思いを見透かすように、隣を走りながら竹生は言った。「敵を倒せ、すべてはそれからだ」彼等を野放しにしておけば、人々の心は食い荒らされ、やがて悪鬼と化した人間達が地を埋め尽くす。世界は『奴等』の物となってしまう。『火消し』が姿を隠した今、彼等と戦えるのは自分達だけなのだ。朱雀は黒い戦闘服の胸に亡き弟篠牟の写真を忍ばせていた。篠牟の死を無駄にしてはならないのだ。(舞矢様をお願いします・・)篠牟の最後の言葉が朱雀の胸をよぎった。そうだ、舞矢の始末は自分がつける。舞矢をこの世界に災いなす者にしてはならないのだ。相手は異人であれ、多くの命を奪ってきた自分。(幸彦様の手を汚してはならない)洞窟の前で、竹生は立ち止まった。抱えていた幸彦を降ろすと一同を見渡した。盾の者は久遠以下数十名。中の組率いるは三隅、下の組は須永。皆、複雑な思いを抱いている。長である忍野は『奴等』の毒に倒れ、ここにはいない。刃を向けるは、同じ村の血を引く者、それも佐原の次期当主の母である者。竹生は愛刀を抜いた。宵闇迫る中でも青白く輝く”神星(しんせい)”は人々に勇気を与えた。「敵に情けをかけるな。すべてを救いたくば、異人を倒せ」鬨の声を上げ、盾達は洞窟の中へ進んで行った。第11話(終)第12話に続く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆様の応援が励みになります☆クリックよろしくお願い致します。『金木犀は嘆く』の主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/11/05
佐原の屋敷の庭先から、朱雀は禁忌の山に落ちる夕陽を眺めていた。愛は燃え、愛の時は過ぎ去り、そして闇だけが心に残った。会社の廊下で、散らばった書類の真ん中に、途方にくれたように座り込んでいた舞矢。思わず手を差し延べてしまった。あの時から、朱雀と舞矢の運命は動き出してしまった。出会いは幸彦の方が先だった。なのに、恋に落ちたのは自分と舞矢だった。(私はランスロットの恋を教訓にしなかった)幸彦に仕える者でありながら、その愛する人を奪った自分を、伝説の悲恋になぞらえた所で運命を変える道はなかった。あの日、摩天楼の上で、二人きりで迎えた朝。すべてが終わると思っていたのに。(あの時、鞍人の剣に倒れていたなら、こんな思いはしなかったであろうに)背後に人の気配を感じ、朱雀は振り向いた。幸彦が立っていた。白いシャツに濃い灰色の背広姿であった。青いネクタイの色に、朱雀は幸彦の父マサトを思った。マサトは青い色が好きだった。マサトは良く朱雀を連れ回した。離れて暮らしていた幸彦よりも、朱雀がマサトと過ごした時間の方が遥かに長かったであろう。(私はこの方から、あまりにも多くを奪ってしまったのか)幸彦は穏やかに微笑んでいた。「やっぱり気が進まないのかい」多くの苦しみから立ち直り、今は息子の為に平穏を願う父親として、佐原の家の当主として、幸彦はそこにいた。朱雀は胸に巣食う思いを振り払い、幸彦に言った。「異人を殲滅する事、それが私の生涯のお役目でありますから」幸彦は目をそらし、ぽつりと言った。「建前はいいよ。僕は、お前の本心が聞きたいのだ」幸彦も禁忌の山の夕陽に目をやった。「再会した最初の時から、舞矢の心は僕になかった。それから一度も僕のものであった事はなかった」苦い告白だった。「なのに真彦が生まれた。あの子がお前の子だったら、舞矢も救われていたかも知れないね」「幸彦様、真彦様は大切な佐原のお血筋です」「そう、あの子には何の罪もない。あるとすれば、いつか舞矢が振り向いてくれるだろうとの儚い望みを捨て切れなかった僕だ」幸彦は朱雀を見た。「もっと早く、お前に託せば良かった」今度目をそらしたのは、朱雀の方だった。「いえ、そんな事は。私も舞矢を幸せには出来なかったでしょう」幸彦は朱雀に問いかけた。「愛していなかったのかい?」「私の愛は死にました。篠牟と共に」「死者に引きずられなくてもいいじゃないか。生きている者には、生きるべき世界がある」その言葉には咎める響きはなかった。寂寥だけがあった。(生きるべき世界、それは私には・・)朱雀は首を横に振った。「今の私は死者に近いのです。人の生き血を啜り、偽りの人生を歩んでいるのです」「言葉なんてどうでもいいよ。舞矢を抱きしめてやれて、その胸が温かいなら、そうであるなら舞矢は・・いや、ごめん。僕の言葉こそ余計だ」幸彦の唇が震えていた。大いなる力を持ちながら、それ故に人の負の感情を身にも心にも痛みと感じ、人と触れ合う事が不得手になった幸彦であった。それでも人であるなら、触れ合う事を求めて何が悪かろう。「僕は舞矢を愛していた。お前もそうだったのだろう?」朱雀は素直に頷いた。「私はかつて、彼女の為に命を捨てようとした男です」「だったらいいよ。僕等はその想いを越えていかねばならない」「はい」朱雀は再び頷いた。忍び寄る夜の気配に冷えた風が、二人の髪をなびかせた。「これが終わったら、僕はお前と友達になりたいな」幸彦が朱雀を見て微笑んだ。それはきれいな微笑だった。(幸彦様は、こんな笑顔をされるのか)朱雀は胸がつまる思いがした。この笑顔をずっと見せる事なく、この方は愛する人を愛する子を見守って来たのだ。「二人とも普段は”外”にいるのだもの。それにお前は僕より世間を知っている。ああ、三峰と飲みに行く時に、今度は僕も混ぜておくれ」そんな事を言われたのも初めてだった。自分より年下の主人に、朱雀も笑顔を見せた。「では、三峰に怒られない程度に、色々とお連れ致しましょう」「ああ、楽しみにしているよ」愛する者を葬った痛みは、酒の酔いでは紛らわす事は出来ないだろうと、二人は知りつつ、それ以上は何も言わなかった。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆様の応援が励みになります☆クリックよろしくお願い致します。『金木犀は嘆く』の主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/11/01
寝台で白く清潔な布団に包まれ、忍野は横たわっていた。身体は清められ傷の手当てがされていた。柚木は寝台の側でそっと呼んだ。「お父さん」忍野はゆっくりと目を開き、柚木に微笑みかけた。柚木はその笑顔を見て、自分のした事への悔恨の念にかられ、涙がこみあげてきた。「ごめんなさい、僕のせいで、お父さんが・・」忍野は片手を伸ばした。布団に顔を伏せて泣いている柚木の頭を、忍野は優しく撫でてやった。「私は盾だ。敵と戦うのはお役目なのだ。お前のせいではない」「でも、僕が真彦を連れ出さなければ」「そのおかげで、幸彦様がお戻りになれたのだ。良かったではないか」「でも、でも・・」「ならば、今度からは、まず私に言いなさい」「はい、お父さん」忍野は柚木の髪を撫でながら言った。「お前が、私を信じてくれるのなら」(信じるよ、だっていつもお父さんは、僕達の事を思ってくれているから)柚木は涙でつまって声にならない思いを、胸の内でつぶやいた。老医師は高遠と麻里子に病状を説明していた。「『奴等』の毒ですな」高遠は尋ねた。「治りきっていなかったという事ですか」「左様、体内に潜んでいたのでしょう。おそらく無理な術で弱った身体に、毒が急激に回ったのだと」「忍野さんは、あの人はどうなってしまうのですか」老医師は少し黙っていた。そして言った。「竹生様が毒を抜いたとおっしゃったそうです。ですから多少の延命は望めましょうが」「多少って、どのくらいですか」麻里子が息せき切って聞いた。老医師は首を振った。「それは、竹生様のお力次第でしょう」高遠は思いついて言った。「御岬様の治療ではどうでしょうか」「それは、御岬様に聞いてみないと」老医師の言葉にはためらいがあった。最近の御岬は、皆にあがめられていた為か、やや傲慢な態度が目立ち始めていた。それは一緒に暮らすようになった女、静音の影響もあった。御岬は医療の建物から独立し、村のはずれに建てた家で治療を行っていた。静音は新興宗教の教祖の如くに御岬を扱い、治療にも法外な報酬を要求した。「御岬様のお力は偉大です。それに見合ったものがなければお断り致します」たとえ村の長の高遠の頼みであっても、それは同じだった。「佐原の土地の加護あっての力、それを商売にするとは」村の主だった者達は憤慨したが、他に手立てがない病人は御岬を頼るしかなかった。老医師が治療を依頼しても、静音はそれを御岬に伝えようとしなかった。それを知っている忍野が、以前にも増して御岬の治療を拒む事も目に見えていた。頼るは竹生しかないとしても、竹生に係わる事は”人でなくなる”可能性も出て来る。村人が竹生と距離を置くのは、それもある。かつて竹生の弟だった三峰も、部下だった火高も、”人でない”道を歩く事になった。人の生き血を糧に生きる化け物になる事を喜ぶ者はいなかった。絶望に蒼褪めた麻里子の肩に、元気づけるように高遠は手を置いた。「今の騒ぎが落ち着いたら、朱雀様に相談しよう。”外”の医療に何か手立てが見つかるかも知れん」麻里子はこわばった顔のまま頷いた。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆様の応援が励みになります☆クリックよろしくお願い致します。『金木犀は嘆く』の主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/10/30
幸彦は白い寝巻き姿で、布団の上に半身を起こし、座椅子に背をもたせかけていた。人々は幸彦の足元に半円形に並んで座していた。長老は幸彦と真向かいに座していた。「こんな格好ですまないね。少し疲れが酷くて」「いや、異人との戦いからお戻りになられたのです。どうぞご無理はなさらずに」臥雲の言葉に幸彦は微笑んだ。「ありがとう。でも事態は急を要する」「そうですな」幸彦は一同を見渡した。臥雲、高遠、久遠、霜月始め各家の長が顔を揃えていた。幸彦は言った。「異人は三人、それを滅ぼさねばならない」皆、黙っていた。「鞍人は皆も知っているだろう。それと異界に隠れていたのが、健角(たけつぬ)という色の黒い異人だ」幸彦は側に置いた盆の上の湯のみを取り、一口飲んだ。薬湯の匂いがした。幸彦は湯のみを戻した。「そして、舞矢だ」覚悟していたとはいえ、室内に戸惑と躊躇のざわめきが広がった。精神を病んでいたとはいえ、次の当主たる真彦の母親である。「この件に関しては、僕は先頭に立ち戦いたいと思う。佐原の家の為にも」臥雲が尋ねた。「佐原の当主にお戻りになっていただけるのですか」「真彦はまだ子供だ。力はあっても使い方はまだ知らないのだ。実戦の経験も無い。それに相手には実の母親もいる。一度は皆の懇願を振り切り、当主の座を捨てた僕だ。それでも皆が許してくれるなら、せめてこの戦いが終わるまで、僕は奥座敷のあるじとして戦いに赴きたい。それが真彦に僕のしてやれる数少ない事のひとつだ」高遠が心配そうに言った。「幸彦様のお身体の具合は」「ありがとう、その心配はいらない。今は疲れが酷いが一晩休めば平気だ」「それであれば、幸彦様に当主として指揮をお願いしたい。いえ、真彦様ご成人まで、そのまま奥座敷にいていただきたいと、私は思います」臥雲も頷いた。「真彦様のお命は、奥座敷の住人が守るとしても、実の親が側にいるのが何よりですぞ。ましてや、これから真彦様にとって辛い事が起きるのですし」真彦は二階の自室で眠りの中にいた。幸彦が眠りの夢を送り、誰にも邪魔されぬように斤量が見えない手で部屋を閉ざしていた。「して、策はあるのですか」霜月の問いに幸彦は片手を差し出した。天井に向けた掌の上に、ぽっと青い光の球が現れた。「これが僕の新しい武器だ。僕の父、マサトが『奴等』と異人を倒す為に使った霊力の武器だ。禁忌の山で眠っている時、この技を父の夢が教えてくれた」霜月はそれがどういう物か解っていた。「危険すぎますぞ、それは御命を削ります」幸彦は霜月を見て微笑んだ。「風の技も、結界の技も、皆それぞれに命を削るのだ。先頭に立つ者がおのれの命を削るのを恐れてどうする」霜月は思った。(昔の幸彦様なら、こんな事はおっしゃらなかった。真彦様と舞矢様の事に、幸彦様はとても責任を感じておられるのだ)「朱雀」幸彦が呼びかけた。「はい」朱雀は幸彦から一番遠い場所にいた。「僕が舞矢の命を奪う事に、何か言う事はあるか」朱雀は真っ直ぐな目で幸彦を見た。「ございます」幸彦も朱雀を澄んだ目で見返していた。かつて二人が愛した女を亡き者にする相談をしているのだ。傍から見ても辛いものがあった。朱雀は良く通る声で言葉を続けた。「舞矢様、いや、舞矢は私が滅ぼします」幸彦は言い張った。「この決着は僕がつけるべきだ」だが朱雀は静かに言った。「実の父が実の母に手をかけたとあっては、真彦様が深く傷つかれる。ですから私が・・」朱雀は立ち上がった。「私が舞矢を怒らせたのが、今回の原因ですから」幸彦は目をそらさなかった。「成程、そういう事か。それがお前の覚悟か」「はい」「僕らは何を間違えたと言うのだろう。同じ人を愛しただけなのに」朱雀は幸彦の言葉を苦く感じた。恋の勝者は自分であった。だが自分は彼女を幸せには出来なかった。愛する思いだけで言えば、幸彦の方が遥かに一途で純粋であった。それゆえに傷も深い。自分は逃げたのだ。人でない事を理由に。罪があるとすれば、それは自分なのだ。次の日の夕暮れ、禁忌の山へ向かう一団があった。第10話(終) 第11話に続く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆様の応援が励みになります☆クリックよろしくお願い致します。『金木犀は嘆く』の主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/10/27
朱雀は臥雲(がうん)長老の前に平伏していた。「すべては私の責任です」「もう良い。顔を上げよ、朱雀。舞矢と純也については、我等の監視も甘かった」「ですが、私が舞矢を刺激してしまい・・その結果、鞍人が復活してしまいました」部屋の外から男の声がした。「臥雲様」「吉舎奈(きさな)か、入れ」「失礼致します」吉舎奈は臥雲に仕える者だった。盾ではなく、佐原の家の下働きをしていたが、臥雲に気に入られ、身の回りの世話をするようになった小男だった。年の頃は忍野と同年輩位に見える。「幸彦様と竹生様が、奥座敷にお戻りです」「幸彦様が?」臥雲は洞窟での出来事を朱雀に聞いたばかりであった。「奥座敷まで、長老にご足労願いたいとの事です」「分かった、すぐにお伺いする。そう、奥座敷に返事を」「はい、それと盾の長の忍野様が異人との戦闘にて重傷との知らせが」「何だと」「医療の建物に運ばれましたが、意識が戻らぬそうです」「そうか」「では」吉舎奈は出て行った。奥座敷の用向きは、舞矢と鞍人の事であろうと見当はついた。忍野が動けぬとなれば、村の長の高遠の負担も大きくなる。早急に体制を考えねばならない。おそらく村の主だった者が奥座敷に呼ばれているだろうと、臥雲は思った。臥雲は立ち上がった。「お前も一緒に来い」「いや、私は」拒む朱雀を臥雲は一喝した。「おのれの責任と言うならば、逃げるな。一刻も早く事態を解決せねば、”外”まで災いが広がるぞ」「はい」臥雲に付き従い、朱雀も奥座敷への廊下を歩いて行った。「幸彦様は真彦様を思い、お戻りになられたのであろうな」「おそらく」朱雀は小声で答えた。父親を求める真彦の悲しい叫びを、直に聞いていた朱雀であった。「忍野も柚木を思い、無茶をしたのであろう。親とはそういうものだ、普通であらば」それには舞矢への批難の調子が含まれていた。臥雲は戦いの中で息子達を失っていた。直系で生きている者は曾孫の鵲(かささぎ)だけであった。鵲は盾の年少組で頭角を現し始めていた。風の家の誇りは受け継がれ、盾を支える力となっている。臥雲はそれがうれしかった。歴戦の勇者”疾風の臥雲”と呼ばれた老人は、杖を付きながらも背筋を伸ばし、災禍に立ち向かうべく、磨き上げられた古びた木の廊下を歩いて行った。執務室では、村の長の高遠が久遠と話し合っていた。久遠は盾の長である忍野の代理である。坂の家からの報告、三隅と須永から聞き取った事を合わせても、不明な事だらけだった。久遠は伝令の走り書きに目を通した。「結界の修復ですが、今夜中には終わると」「”盾”はどうだ」「山の周囲を中心に警戒を強めております」佐原の家の家令である郷滋(ごうじ)がやって来た。「お取り込み中の所、申し訳ない」「これは郷滋様」二人は頭を下げた。「幸彦様が奥座敷でお二人を呼んでおられる」「幸彦様はお戻りに?」高遠の表情が明るくなった。「少なくとも、我らには夢の加護はあるわけだ」久遠も頷いた。「そうですね、それは心強い事です。竹生様も当然おられる」「そうだな、すぐに行こう」二人はまだ、幸彦が何故どこから戻ったのか、知らずにいた。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆様の応援が励みになります☆クリックよろしくお願い致します。『金木犀は嘆く』の主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/10/25
竹生は刀を納めた。幸彦は須永に指示し、自分の褥に忍野を寝かせた。幸彦は褥の傍らに腰を降ろした。「忍野、守ってくれてありがとう」忍野は話す事も出来ず、うっすらと微笑んだだけであった。竹生が幸彦の側に立ち、盾達に言った。「幸彦様と私も村へ戻る。須永、忍野を背負えるか?」大柄な須永は頷いた。「はい、私が心してお連れ致します」竹生は幸彦に言った。「幸彦様は私が抱いてお連れ致します。奥座敷まで」「そうだね、真彦の所へ戻らねば」禁忌の山の麓では、宵闇の中で人々が忙しげに動いていた。火が焚かれ、古風な松明の灯が点されていた。三隅は片腕を三角巾で首から吊り、指揮を執っていた。露の家の術師達は境界の裂け目の修復に勤しんでいた。劉生は厳しい目でそれを見守っていた。正成の遺体は自宅に運ばせ、弔いの段取りを部下に言いつけてあった。「山の上から誰か来ます」露の家の術者の一人が叫んだ。さっと緊張が人々の間を走った。普通の人の目には粗末な垣根の破れ目にしか見えない、唯一の禁忌の山の出入り口である所から現れたのは、白く長い髪をなびかせた者であった。夜の闇の中でも、その美貌は誰の目にも強烈な印象を与えた。「竹生様」人々は口々にその名を呼び、その前にひれ伏した。竹生は抱いていた幸彦を降ろした。その後ろから須永が二人の盾を従えて現れた。背中には意識のない忍野がいた「忍野!」目ざとくその姿を見つけた劉生が駆け寄って来た。白の組の者が担架を運んで来た。須永が担架の上にゆっくりと忍野を降ろした。「我が屋敷へ連れて行け」劉生が命じると竹生が言った。「それでは、麻里子も柚木も驚くであろう。まずは医療の建物へ」劉生は竹生の言葉に頷いた。「そうですな」竹生様は何でもご存知なのだと、劉生はあらためて思った。劉生は忍野の様子を仔細に見た。堅く目を閉ざし、やつれた顔の色は紙のように白かった。術の使いすぎで体力を著しく失っているのが、劉生には解った。「無理をしおって、馬鹿めが・・」劉生はつぶやいた。干瀬の膝を枕に真彦は眠っていた。山登りは激しい疲労を真彦にもたらしていた。忍野の姿をした干瀬は、片手で真彦の髪をやさしく撫で、もう片方の手で握り飯を掴んでいた。傍らの皿に沢山の握り飯が載せられていた。握り飯を頬張る干瀬に、真彦の部屋の天井から細く高い声が語りかけた。「お前が新しき同居人か」「ああ、よろしくな」「更紗は、水は好かぬぞ」「そう言うな、斤量に免じて」「斤量に義理はないわ」高い声が無愛想に答えた。干瀬は握り飯をもうひとつ手にした。「母の情のこもった握り飯は、又格別に美味いな」「お前は変わった奴だな」「こちらにずっと居るお前も、変わり者でないとは言えぬぞ」「確かにな」細い笑い声が響いた。「頭は悪くない様だな。真彦様もお前を気に入っている。更紗も我慢してやろう」「それはありがたい」干瀬は握り飯を美味そうに食った。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆様の応援が励みになります☆クリックよろしくお願い致します。『金木犀は嘆く』の主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/10/22
奥座敷の異変はただちに”盾”に知らされた。追って三隅から禁忌の山へ鞍人達が逃げ込んだとの報告が伝令によりもたらされた。三隅始め盾数名が重傷と聞き、久遠はすぐに医療を司る白の組を向かわせた。正成惨殺の知らせを受けた露の家では、長の劉生が露の家の主な者を集めていた。劉生は盾の正装に身を固め、配下の者達に言った。「結界を再度強化せねばならぬ」「異人どもは”壁”の向こうへ逃げましたな」遠見(とおみ)の術で山を観ていた芦名(あしな)が言った。「山のいたる所に小さなひび割れがございます。我等の守る境界だけではありません」「かまわぬ、すべて塞がねばならぬ」「早急に正成の遺体の引き取りと裂け目を塞ぐ者達を、禁忌の山へ向かわせます」朱雀は、麻里子達が露の家で保護されているのを、留守を守る東士(とうじ)に聞き、露の家まで柚木を送り届けた。柚木の事を麻里子は叱らなかった。この件に関しては、叱るのは忍野の役目であると麻里子は思った。(御役目に関する事だもの)麻里子はいつもの陽気な声で、柚木に言った。「ほら、ちゃんと手を洗ってからご飯にしなさい」「はーい」麻里子に抱かれた桐生は、笑いながら兄の柚木に手を伸ばした。その手を掴もうとして、柚木は気がついた。「あ、手を洗ったらな、桐生」勝手知ったる露の家の廊下を、柚木は湯殿の方へ駆けて行った。その後姿を見送りながら、忍野がまだ戻らぬ事に麻里子は不安を感じていた。自分達をここへ呼んだのは義父の劉生だが、何か隠している気配がある。(忍野さんに、何か・・)何事かつぶやきながら、桐生は母の頬に手を伸ばした。麻里子は、母の不安な思いを、桐生が慰めようとしているようだと思った。この子は忍野の子だと思った。どんなに明るい顔をして見せても、麻里子の心に鬱とした思いがある時は、忍野は麻里子をそっと抱き寄せ、黙ってそのまま抱いているのだ。ありきたりな慰めの言葉よりも、その方が麻里子にはありがたかった。その腕の中で、麻里子は思いのたけを存分に話す。忍野はそれを聞いていてくれる。忍野は当主と村を守る盾の長だが、家においては、余所者の麻里子と子供達を世間から守ってくれる盾でもあるのだ。(早く帰って来て、あなた・・)麻里子の心の中で呼びかけた。柚木は何事か真剣に相談している大人達の気配を感じた。木の引き戸の隙間から灯りが漏れていた。板の間のこの部屋は家の大事を話す場所であると柚木は知っていた。劉生の声が聞こえた。「あの様子では、忍野も無傷とは考え難い」(お父さん・・)自分が真彦を連れ出した事が、こんなに大きな騒ぎを引き起こしたのか。柚木は自分に倒れかかって来た忍野を思い出した。いたたまれなくなり、引き戸を開け、柚木は部屋に飛び込んだ。劉生の前に一同は並んで板の間に座していた。劉生は柚木の顔が蒼白であるのを見て驚いた。「何事だ、柚木」柚木は劉生の前の板の間に土下座して、床に額をこすりつけ、泣きながら言った。「ごめんなさい、お爺様。僕が悪いのです」いきなり泣き出した柚木に戸惑い、劉生は長の威厳を投げ捨て、柚木を優しく抱き起こした。居並ぶ露の家の者達は、時に傲岸不遜とまで言われかねない劉生をいつも見ているだけに、その姿を微笑ましく思った。「お前は山で何を見たのだ。儂に話してみよ」柚木は泣きじゃくりながら、幸彦の安否を確かめに真彦と禁忌の山に入った事、途中で異界の者に遭い、忍野と朱雀に救われた事、山の洞窟で竹生と眠る幸彦を見つけた事を話した。「幸彦様と竹生様が、山に」劉生のつぶやきに柚木は頷いた。「伝令によると、盾の一隊が山の上へ向かったそうです」劉生の脇に控えていた者が言った。「異界の者とはやっかいですな」露の家の顔役の一人が言った。柚木が涙を拭きながら言った。「干瀬は、真彦と僕を守ってくれるって。握り飯が美味いって」「その干瀬とやらは、どこにいる」「斤量の友達だから、奥座敷でやっかいになるって言ってた」劉生は柚木の頭を撫でた。「お前を守ると言ってくれたのか」「うん」劉生は脇に控えた者に言った。「台所に麻里子がいるだろう。握り飯を拵えさせて、お前が奥座敷に届けよ」「はい」その者は素早く出て行った。「その手の異界の者は、約束は守る者達だ。大事はない」劉生は言った。「その者達との契約あっての境界だ」劉生は立ち上がった。一同も立ち上がった。「では、我等も山の口へ参る」劉生は次男に呼びかけた。「蔵野」「はい」「家の守りはお前にまかせる」「はい」劉生は柚木を見下ろして言った。「異界の者が守護を申し出る事はめったにない。それと見込んだ者にだけだ。さすが儂の孫だな、柚木」柚木は誉められたのはうれしく、少し笑顔を見せたが、その顔はすぐに曇った。「お爺様、お父さん、大丈夫かな」「竹生様がご一緒ならば心強い。お前は麻里子の所へ行っていなさい。忍野のいない時はお前が母を守るのだ。そばを離れるなよ」「はい」「では、行きなさい」出て行きかけた柚木が立ち止まった。柚木は皆の方に深くお辞儀をした。「どうか、父をよろしくお願い致します」ちらりと柚木は劉生を見た。そしてもう一度頭を下げた。「祖父の事もよろしくお願い致します」劉生は何とも言えぬ顔をして、柚木を見た。居並ぶ者の中には思わず吹き出す者もいた。柚木が出て行くと、顔役の一人が言った。「最強の盾になると予言された子だけの事はありますな。将来が楽しみですな」揶揄する響きはなかった。むしろ柚木への好意が感じられる口調だった。「当たり前だ。篠牟様の子ではあるが、忍野が育てた子だ」その劉生の言葉は長としての言葉ではなかった。孫を溺愛する老人の言葉だった。第9話(終)第10話に続く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆様の応援が励みになります☆クリックよろしくお願い致します。『金木犀は嘆く』の主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/10/21
柚木(ゆずき)真彦と同じ日に生まれた宿命の子。最強の盾になると予言されている。篠牟と麻里子の子。義父の忍野を本当の親のように慕っている。強い風の力を有する。長じて実父の篠牟そっくりの容貌になる。子供ながら名刀”風斬(かぜきり)”を授かる。本当の名前は道也(みちや)。実の父親の篠牟の本名の博道と育ての父親の忍野の本名の朔也から。性格は母親の麻里子さんの陽気さと元気さを受け継ぎ、明るく何事にも好奇心旺盛な子供。佐原真彦(さはら まさひこ)柚木と同じ日に生まれた佐原の家の次代の当主。夢の力を生まれつき持つ。マサトの転生と言われている。マサトの好みがどこかで影響しているのか青色が好き。外見は幸彦似。性格も優しいが未来の当主らしい大胆さも併せ持っている。母親の舞矢が精神を病んでおり、父親の幸彦も離れて暮らしている為、どこか影のある子供。柚木をいつも頼りにしている。忍野(おしの)盾の長。露の家の者。美形で女性に人気の高い青年。術にたけた露の家の跡取。結界の術を操る事が出来る。篠牟への忠誠は誰よりも強かった。篠牟亡き後、麻里子と結ばれ、柚木の育ての親となる。麻里子との間に後に露の家の長となる桐生(きりゅう)を得る。栗橋麻里子(くりはし まりこ)朱雀の会社の末席ながら社長秘書だった。舞矢の親友。明るく元気な女性。交通事故から救われたのをきっかけに篠牟と知り合う。篠牟に一目惚れし、押しの一手で篠牟に迫る。篠牟亡き後佐原の村に移り住み、忍野と結ばれる。「忍野恋歌」 朱雀(すざく)朱雀・篠牟・御岬の三兄弟の長男。”外のお役目”と呼ばれる特殊な役目に就いた為に佐原の村を離れる事が多い。表の顔は大会社の社長。風変わりな言動と性格の人だが、品格を感じさせる容姿を持っている。今も戦闘力は衰えず、現役の盾もかなわない。幸彦と舞矢との関係に悩むトリスタン的立場でもある。篠牟(しのむ)前の盾の長。風の家の分家の出身。眼鏡をかけている。穏やかな性格で文学青年に見えるが、盾の中でも有数の猛者。寒露の良き部下であった。悩み多き憂愁の美青年。『奴等』との戦いの中で絶命。一子柚木をこの世に残す。「金糸雀は二度鳴く」御岬(みさき)朱雀と篠牟の弟。優しい顔立ちの華奢な青年。幼い頃の事故で視力を失い、盾になる事はかなわず老医師の元で医術を学ぶ。彼の手は癒しの手と呼ばれるようになる。笛の名手。彼の笛は特殊な力があるらしい。兄二人に溺愛されていたが、長じて兄を支えたいと思うようになる。余所者の麻里子を「姉さん」と呼び、家族として行き来をしている。狩野幸彦(かのう ゆきひこ)夢狩人。夢を操る力を持つ。佐原の家の当主の血筋。『奴等』をあざむく為、名前を変え、幼少時から『火消し』の神内の元で育つ。引っ込み思案の青年だったが、様々な戦いの中で使命に目覚め、『火消し』の留守を守っている。舞矢を愛し、十年の間見守るが・・奥住舞矢(おくずみ まいや)避暑に訪れた田舎で幸彦に出会った事から、太古からの戦いに巻き込まれてしまう。朱雀の会社の女子社員。幸彦の恋人となる。兄である異人と佐原の村の間で揺れ動いた心は壊れてしまう。幸彦の息子、真彦を産む。三峰(みつみね)人でない者。佐原の村の長であり盾の長であったが、人でなくなる道を選んだ為、村を出る。稀なる美貌の持ち主。温厚な性格で今も人々も慕われている。神内の古本屋の真の経営者(笑)高遠(たかとお)若き村の長。篠牟と共に有能な盾だった。見た目は軽そうな美形だが、真面目で事務的能力が優れている。彼の妻の撫子(なでしこ)は村一番の美人と名高く、それが周囲のやっかみとからかいの種になる事が多い。忍野と麻里子を温かく見守る。郷滋(ごうじ)塚の家の者。父親に代わり佐原の家令を務める。腕っ節は強くないが精神的には強い人。 奥座敷の騒動に冷静に対処していく。目立たないがあらゆる場面で気配りを見せる。鞍人(くらうど)異人のリーダーだった者。真っ赤な頭髪にタキシード姿。軽い口調で嫌味だが、戦闘力は高い。朱雀に軽くあしらわれては腹を立てていた。その存在は消えたはずだったが・・純也(じゅんや)舞矢の兄。露の家の杵人の息子。母親死亡後、舞矢と二人暮しをしていたが失踪。記憶を無くして戻る。佐原の村で父親の杵人と共に静かに暮らしていたが・・・杵人(きねと)露の家の出身。佐原の家の血筋を守る為に、先々代の当主の妹の三笠との間に無理矢理子供を作らされた。種馬の如く扱われたのを不満に思い村を出奔、放浪の途中で気がふれる。”外”の世界の女性との間に純也と舞矢を儲ける。後に村に戻り、息子の純也と暮らし始める。「金糸雀は二度鳴く」霜月(しもつき)霧の家の長。白露と寒露の父親。引退した盾。豪快な武人を絵に描いたような老人。鬼軍曹よろしく若き盾達の指導にあたる。だが心根は温かい。長老の臥雲(がうん)と共に村の重鎮。劉生(りゅうせい)露の家の長。忍野の父親。霜月と共に猛者として名高い盾であった。厳しい父として家庭内に君臨、長男の忍野の孤独に気付かず、死に追いやってしまう。竹生に救われた忍野と和解、孫の柚木と桐生の前では好々爺。忍野の下に蔵野と栗野という双子の息子がいる。白神(しらかみ)盾の者。風の家出身。さらさらの黒髪が美しい青年。戦闘力は忍野に劣るものの頭の回転は早く、忍野を良くフォローしていた。外の盾のまとめ役になった途端、鞍人に襲われ大怪我をするも、その後は無難にお役目をこなしている。三隅(みすみ)盾の者。霧の家出身。細鎖を武器とする。見た目は優男だが気が強い。出自で部下を差別をしない篠牟を尊敬していた。その篠牟を命がけで救おうとした忍野に敬服しその配下に着く。忍野の良き部下。須永(すなが)盾の者。風の家出身。風の力は強くないが剣術に優れている。長身で寡黙な青年。強い風の力を持つ篠牟に憧れていた。三隅と組で動いている事が多い。口にはしないが忍野への忠誠心は高い。久遠(くおん)盾の者。白神と交代で外の盾のまとめ役をしている。 村にいる時は忍野の補佐をしている。忍野の実力を認め、次期の盾の長と噂されながら忍野を支持し、自らは裏方に徹している。斤量(きんりょう)奥座敷に仕える異界の者。低く野太い声をしている。力自慢。やや融通が利かないというか独特な解釈で動くというか、命令する方は苦労する。風から生まれた不死の者。朱雀の部下である進士(しんじ)と種族を超えた友情を結び、時折”外”へ会いに行く。人の姿をした時は童顔で灰色の髪をした若者。本当の姿を見た者は誰もいない。干瀬(ひせ)斤量と同郷の異界の者。本当の姿は青いぶよぶよした肌の化物。人が怖がるので普段は忍野の姿を借りているが肌の青いのはどうしようもないらしい。水から生まれた不死の者。父親になりたいと思っている。忍野の姿を借りたのも忍野と柚木の交流を好ましく思ったせいらしい。ひょうきんで陽気な性格。何かと真彦をかまう。間宮(まみや)ゆりかごの女。厨のまとめ役。陽気な婦人。最近は息子の高遠の嫁の撫子に仕事をまかせ、舞矢の身の回りの世話を主にしていた。料理が得意だが若い盾達がそれを感じてくれていないのが不満。村の守護者にも『火消し』にも恐れず口が聞ける貴重な人。佐原のお母さん的存在。木波マサト(きなみ まさと)青の退魔師。その霊力で『奴等』を倒す。呪いにより少年の姿のままで長い時を生きる。生涯の大半を佐原の村の守護者として過ごす。幾つかの人格を持ち適宜に入れ替わる。青い服が好きで甘い物が好き。佐原の当主さゆら子との間に幸彦を儲ける。竹生(たけお)三峰の兄。”人でない”者。絶世の美貌の持ち主。最強の盾と言われた風の家の者。強き風を操る力故に若くして髪が白かった。幸彦の守護者。『奴等』の毒で瀕死の忍野を救い「私のもの」だと主張した。どこまでが真面目でどこまでが冗談か誰も分からないが、忍野に対して他の者より親しみを感じているのは確からしい。経済観念が皆無なので買い物をさせると凄い事になる。 「焼きたてパンをどうぞ」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆様の応援が励みになります☆クリックよろしくお願い致します。『金木犀は嘆く』の主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/10/20
「邪魔な人ばかりだわ、兄さん」妙にはしゃいだ女の声がした。闇の中から光苔に照らされる広間へ現れたのは、赤い髪の異人であった。その腕には白い着物の女を抱いている。女を見て忍野は驚いて叫んだ。「舞矢様、何故ここに」舞矢は赤い髪の異人の首に手を回し、忍野を悪意のこもった目で見た。「うるさいわね、何でもいいじゃない」「そうだ、うるさいですね」鞍人は忍野を赤く燃える眼で睨んだ。見えない衝撃が忍野を襲った。忍野の前に青い火花が飛び散った。横たわる幸彦の前で忍野は片膝を着き、顔の前に両腕を交差していた。忍野の全身からちりちりと青い火花の残り火が散っていた。忍野の額には玉のような汗が噴き出し、肩で荒い息をしていた。「お得意の結界ですか?大分弱っておられるようですね」鞍人は嘲った。目眩をこらえ、忍野は言った。「純也(じゅんや)、いや、鞍人(くらうど)、舞矢様をどうするつもりだ」鞍人は微笑み、そして言った。「幸せにしてやるのですよ、妹を」穏やかな声が聞こえた。「僕らを滅ぼしてかい」幸彦はゆっくりと褥から起き上がった。「それほどまでに、この村が憎いのかい?舞矢」幸彦は舞矢に言った。舞矢は憎悪に燃える目で幸彦を見た。「ええ、そうよ」幸彦は寂しげに微笑んだ。「では、僕は君を滅ぼさねばならない」舞矢は高らかに笑った。「出来るの?一人の女もモノに出来ない貴方に」幸彦はうなずいた。「ああ、出来るとも」幸彦から発した青い閃光が舞矢を貫いた。舞矢は悲鳴をあげ、がっくりと鞍人の腕の中で首をたれた。「おのれ!」耳まで裂けた口で鞍人は吼えた。その背に切りかかった者がいた。鞍人は攻撃を避けると洞窟の高い天井すれすれまで飛び上がった。岩肌を蹴ると竹生の頭上を越え、黒い顔の異人の隣へ着地した。「忍野様」駆け寄って来たのは須永であった。二人の盾を連れていた。盾達は幸彦と忍野を守るように囲んだ。黒い異人は隣の鞍人に言った。「引くぞ」「ああ」黒い異人は竹生ににっこりと笑った。「では、いずれ」無数の黒い羽根が湧き上がり、竹生と異人の間を遮った。竹生は動かなかった。異人達は自分達の領域を移動していた。次の『奴等』がまだ到達しておらずとも、濃い瘴気と名残の力が彼等を生き生きとさせた。「妹は無事か」「ああ、気を失っているだけだ。大口を叩いた割には甘い奴だな」鞍人は建角が全身から水を浴びたような汗をしたたらせているのに気付いた。「どうした、暑いのか」「いや」黒い異人はいまいましげに言った。「あの白い髪の男・・あれほどの殺気を持つ奴に初めて出会った」「竹生か」「そういう名か」「お前は最初に最強の奴に出会ったのだよ。あれ以上はもういない」建角の黒い唇がめくれ上がり、白い歯が覗いた。「そうか、つまらんな」「ならば、こちらが楽しい宴を考えれば良いさ」赤い髪の異人はそう言いながら、腕の中の妹を愛しげに観た。「特等席で見物させてやるぞ、舞矢」(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆様の応援が励みになります☆クリックよろしくお願い致します。『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/10/20
穴の奥から黒い影が次々と湧き、竹生に迫って来た。竹生は刀を手に静かに立っていた。正眼に構えて微動だにしない。仄かに光る苔に刀身が青白く光っていた。眠る幸彦の傍らで忍野は片膝を着き、奥をうかがった。確かにそれらは斤量や干瀬と別の領域の者であった。単純に言えば幽霊に近かった。(刀でどうこう出来る相手ではない、私の術でなら)だが充分な術を使える体力はもはやなかった。敵の気配を感じる度に頭痛が酷くなった。(それでも、幸彦様をお守りせねば)忍野も身構えた。竹生が動いた。猛烈な勢いで襲い掛かる敵に、青白く刀が閃き、黒い影はまっぷたつに切り裂かれては消えて行った。(あの刀は・・そうか、あれは”神星(しんせい)”)風の家の名刀、聖なる力を宿しているという刀である。(どんな魔も悪も切り裂くという名刀、竹生様がお持ちであったか)竹生が言った。「影など使わず、出て来るが良い」「気がついておいででしたか」黒い影は飛散し、奥からはっきりと人の姿をしたモノが歩いて来た。墨の如く黒い顔の男であった。「異人か!」忍野は叫んだ。竹生は刀を構えなおした。男は闇を切り取ったかの如き黒いマントを纏っていた。竹生も黒いコートを着ていたが、竹生の長く白い髪は闇の中でもきらめき、白い月の美貌を際立たせていた。「黄泉の国に隠れていた生き残りがいたとはな」男はにやりと笑った。「迎えに来たのですよ、仲間を」「そうか」忍野は竹生が何かを知っているのだと気がついた。「そこに餌がありますね、あまり美味そうでないが」異人の目は幸彦に向けられていた。忍野はかばうようにその目の前に立ちはだかった。男は再び笑った。「おや、貴方は毒にやられていますね、匂いますよ」忍野は男を睨みつけた。「綺麗な顔をしていますね。私と同じモノになれば、貴方は生き延びられる。どうです、仲間になりませんか」忍野は叫んだ。「断る!」男は首を左右に振った。「やれやれ、人の好意を無にするとは」「忍野、相手にするな」竹生の声がした。竹生は忍野に背を向け、異人と対峙していたが、その声には優しさがあった。「お前は何もするな」「一人で私達と戦うおつもりですか」嫌な気配が濃くなった。何かが近づいて来る。忍野は頭痛と共に吐き気も強まった。弱った身体にその気配は耐え難かった。「ここで遊んでいたのか、建角(たけつぬ)」背後から聞き覚えのある声がした。竹生は振り向かなかった。誰であるか解っているようであった。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆様の応援が励みになります☆クリックよろしくお願い致します。『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/10/19
結界の口を守っていた正成が叫んだ。「山の上で大きな力が!」三隅は奥座敷の方面の異変を感じていた。「何だ、あの気配は」須永が眉をひそめた。「二つの力、ひとつは風の力だ」三隅は言った。「須永、お前の風なら山を登る助けになるだろう。忍野様が心配だ、お前の組で行ってくれないか」「お前はどうする」「私は残りの者達とここに、正成様と共にいよう。何か良くない気配がやって来る」「分かった」須永が部下を振り向き合図すると、山へ入って行った。三隅は部下達に行った。「悪しき気配が近づいて来る、準備しておけ」盾達はそれぞれの武器を取り出した。三隅も腕に巻いた細鎖をはずした。三隅は気になっていた事を正成に尋ねた。「忍野様は、かなりの力を使われたようですが」正成は難しい顔で頷いた。「はい、お体に負担が大きいと思われます。ただでさえ弱っておられるのに・・」三隅の顔色が変った。「今、何とおっしゃられた」正成は慌てて言いつくろおうとした。「いや・・」部下達に聞こえぬよう、三隅は正成の肘を掴み、少し離れた所に連れて行った。「どうか、本当の事をおっしゃって下さい」三隅の険しい顔に正成はうろたえていた。「いえ、何も」うっかり口をすべらせた事を正成は後悔していた。肘を掴んだ手に力が篭った。「痛!何をなさいます!」正成が悲鳴をあげた。「忍野様のお身体の事ですね。教えて下さい、そうでないと・・」三隅は医療や薬をを司る霧の家の出であるから、人体については熟知していた。三隅は正成の肘の最も痛い箇所をきつく掴んだ。正成は苦悶の表情を浮かべた。「こ、こんな事が知れたら、ただでは済みませんぞ!」「私の事はどうでもいい、忍野様の身が心配なのです」三隅の目は真剣だった。忍野を思う三隅の気持ちが偽りでない事を知り、正成は頷いた。「分かりました、お話致します」三隅は力をゆるめた。「ただし、内密にお願い致しますぞ」「はい」部下の元へ戻った三隅の顔は蒼白だった。(忍野様のお体が、再び『奴等』の毒に・・)もし上で戦いになっていたら・・忍野様の事だ、無理にでも戦おうとするだろう。(須永、急いでくれ)三隅は心の中で叫んだ。「異人が!!!!!うわ!!!!!」叫んだ盾がそのまま倒れ伏した。血の匂いがあたりに広がった。三隅は細鎖を投げた。手首にからまった鎖を、その者はぐいと引いた。人外の力に三隅はよろめいた。「前にも会いましたね、お前」赤い髪の異人が笑った。異人は片腕に女人を抱いていた。「舞矢様!」三隅は叫んだ。「舞矢様を離せ!」異人の腕の中で、舞矢は笑った。「兄さん、早く行きましょう」赤い髪の異人は愛しげに腕の中の妹を見た。「ああ、そうしよう」鎖が千切れ、三隅はよろめいた。他の盾も挑みかかって行った。「雑魚がうるさいな」赤い髪が逆立ち、大地が揺れた。「うわ!!」盾達は異人の周囲から吹き飛んだ。正成は咄嗟に結界の口を閉じようとした。「させないよ」異人が正成の耳元でささやいた。瞬時に正成の隣に移動した赤い髪の異人は片手で正成の首を掴んだ。喉をつぶされ、正成は絶命した。異人は口をくぐり、山へ入って行った。三隅は異人との鎖のやり取りで折れた片腕をもう片方の手で押さえながら叫んだ。「伝令を、屋敷に知らせを!」第8話(終) 第9話に続く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆様の応援が励みになります☆クリックよろしくお願い致します。『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/10/18
あの日、摩天楼のソファの上で最後の愛を交わした時から十年余り、流れた歳月はこれ程に残酷であったのか。「キミは早く良くなって、真彦様の母親として生きてくれたまえ。真彦様はずっと孤独に耐えておられたのだから」奥座敷に現れた朱雀はそう言った。(私を迎えに来てくれたのではなかった)狂える心に嵐が吹き荒れた。舞矢は朱雀にむしゃぶりつき、滅茶苦茶に殴り、叩き、罵った。朱雀は黙ってそれに耐えていた。目の前の朱雀は十年前と少しも変わらなかった。薄いベージュの背広の下に広く厚い胸を隠し、真っ直ぐな目は穏やかだった。そして懐かしい青く甘い香りがした。泣き叫ぶ舞矢を支える腕は強く力に満ちていた。どこまでも朱雀は朱雀であり続けた。昔も今も。「誰もが自分の為だけには生きられないのだ。キミもそうだ。私も私の為に命を落とした弟の分も償いをせねばならない。キミがこれから先、元気で生きていけるように、私は出来るだけの事はしよう」共に生きようとは言ってくれなかった。舞矢は朱雀の中に自分への愛がもう無い事を知ってしまった。確かに異人の元へ行ったのは自分の意志であった。篠牟の死も多くの盾の犠牲も、自分の為に払われた。そして舞矢は十年の空白の中に自分を閉じ込めていた。幼い我が子を省みず、幸彦を傷つけて来た。(それが罪だというのなら、私が朱雀を愛した事が罪だと言うのなら・・)「何故、私を幸彦に逢わせたの?それから皆、始まった」始まったのは、父親の杵人が無理に子供を作らされた時からだ。兄も私も、この村の為に、こんな惨い運命の中を歩む事になったのだ。「お父さん、兄さん、この村なんか、大嫌い!みんな、嫌い!嫌い!嫌い!」泣き叫びながら、舞矢は朱雀の胸を拳で打ち続けた。坂の家の畑で、純也は突然うずくまった。隣にいた杵人は怯えた目をして息子を見た。うずくまり、純也は苦しげに呻き声を上げた。坂の家の顔役の一人の安城(あんじょう)がやって来た。この気の良い中年男は呻く純也の背中をさすり、語りかけた。「純也、どうした。腹でも痛いのか」大地からゆらめく禍々しい気配が立ち登った。杵人の顔色がさっと変わった。「純也、いかん!」ぐわっと口を開け、純也は空を睨んだ。周囲に見えない凶暴な力が広がり、安城と杵人は吹き飛ばされ、尻餅をついた。「何だ、これは!」安城はうろたえ、叫んだ。近くで畑仕事をしていた者達も気配に気づき、慌てて寄って来た。久瀬も急ぎ足でやって来た。坂の家の長である巨躯の豪傑は、騒ぎの中心にいる者を見て叫んだ。「何をするつもりだ!純也」狂気に燃える目が久瀬を見た。その者の髪は逆立ち、炎の如く天へ赤く燃え上がっていた。「私の妹・・舞矢を傷つける者・・許さない・・・」突風が吹き荒れ、久瀬は目を閉じ、手で顔を覆った。目を開けた時にはそこには誰もいなかった。久瀬は周囲の者に大声で尋ねた。「何が起きたのだ」杵人は震えながらつぶやいた。「あれは・・蔵人だ」舞矢は突然、動きを止めた。そして朱雀を見上げた。蒼白の顔は怒りに歪んでいた。朱雀はそこに夜叉を見た。舞矢はすっくりと立ち上がり、朱雀を指差した。「許さぬ、お前もこの村も、すべて許してなるものか!」舞矢は走り出し、窓に体当たりした。散った硝子の破片が傷を作り、舞矢の半面は赤く染まった。庭に転がり落ちた舞矢を、両腕に抱き上げた者がいた。それは赤い髪の異人であった。「蔵人!」朱雀は叫び、割れた硝子窓から庭に躍り出た。異人は朱雀を見た。「貴方にとどめをささずにいた事を、今日ほど悔やんだ事はありませんよ」赤い髪の異人は言った。そしてにやりと笑った。「貴方達は、私を生かしておいた自分達の甘さを悔やむでしょうね」蔵人の口が耳まで裂けた。「妹もようやく、私と同じモノになってくれるようです」「そんな事はさせるか!」朱雀が大きく跳んだ。蔵人も跳んだ。黒い羽根が大量に降り、朱雀の視界を遮った。朱雀は地に下りた。蔵人の笑い声が灰色の雲が漲る天空に響き渡った。「大義の名の下に、人の心を踏みにじる村よ、呪われた村よ。滅びるが良い」朱雀は空に向かい叫んだ。「滅びるのはお前達だ、異人よ!」からかうような声が響いた。「妹を殺せますか?かつてその腕に抱いた女を」朱雀は再び天を睨んだ。「朱雀様!」久遠が盾達を引き連れ、駆け寄って来た。空は青さを取り戻し、大量に降り注いだはずの黒い羽根は消えうせていた。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆様の応援が励みになります☆クリックよろしくお願い致します。『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/10/16
空気の色が変わった。竹生は抱いていた忍野を放し起き上がった。その顔は戦いの予感を感じている顔であった。忍野も半身を起こし禍々しき気配のする方を見据えた。「裂け目が・・向こうから押し広げようとする・・力が・・」忍野は目を閉じ何かを念じた。激しい衝撃が忍野を貫いた。「ああ・・!」忍野は前に身体を折り曲げ、そのまま倒れ伏した。黒い寝具の端を握り締め、肩で荒い息をしている。忍野は再び起き上がろうとした。額には玉のような汗が浮かんでいた。忍野は『奴等』の毒を抜く治療を竹生に受けていた。ただでさえ無理な術で削られた体力は、それでも容易に回復しそうになかった。竹生はそれに気がついていた。「忍野、無理はするな」竹生は片膝を着き、忍野の髪をいたわるように撫でた。「ここは私にまかせよ」「しかし、結界を守るは私の役目・・」「いや、これはお前の守るべき境界ではない。別の何かだ」「別の・・」「あんな所に逃げ込んだ輩もいたようだな」竹生は黒い寝具の下から一振りの刀を取り出した。「では」「ああ」「それならば、なおの事」起き上がろうとする忍野を竹生は制した。「かなりの血と共に毒を抜いたのだ。今は動いてはならぬ」「ですが」竹生は忍野の必死の目を見て頷いた。「ならば、お前は幸彦様を守れ。おそばを離れるなよ」「はい」忍野は苦しげに息をしながら返事をした。忍野は幸彦の元へ這って進んだ。竹生は奥への通路となっている穴の前に立った。かつてこの奥には”封ぜられし者”がいた。それが消えた。そしてこの土地は更に不安定になり、様々な怪異が起きるようになった。その為に村人が入れないように結界が更に強化された。ここは時が澱む場所であった。竹生は幸彦の魂が戻るまで幸彦の肉体を保持しようと、この場所へ運んだのであった。だがこの場所は竹生の思った以上に、別の世界とつながりやすい場所になっていた。「どうやら、やっかいな事が起きたようだな」竹生はつぶやいた。奥座敷では騒ぎが起こっていた。斤量は真彦の部屋を見えない手で覆ってしまった。二階の部屋へは誰も行かれなくなった。階下の物音も気配も上には伝わらなくなった。それでも真彦は舞矢の部屋のあたりから不吉な何かが生じているのを感じていた。「斤量、僕はどうしたらいいの」天井から野太い声が響いた。「今はここにおいで下さい」「子供一人では不安であろう」真彦が振り向くと、忍野の姿をした干瀬が畳の上に胡坐をかいていた。「ワシがここにいてやろう。この姿の者位、ワシも強いぞ」干瀬はにっこりと笑った。「同じ位、やさしいぞ」真彦は干瀬のおっとりとした笑顔に思わず釣られ、少し笑った。(柚木が心細い時は、こうしてお父さんがいてくれるのかな)真彦は干瀬の隣に座り込んだ。「お前の父親もやさしい奴だな」真彦は不思議に思った。「どうして解るの?」干瀬は笑顔で聞き返した。「お前はどうして、夢を操れるのだ?」「わからないよ」真彦が答えると、干瀬は言った。「それと同じ事だ。お前達が自分で気づかずに息をするように、ワシらはいつのまにか多くを知るのだ」「もっと解らないよ」真彦はふくれっつらで干瀬を見た。朱雀は泣き叫ぶ舞矢の前に立ち、沈痛な面持ちでいた。舞矢の身の回りの世話をする間宮が慰めようとしていたが、舞矢は泣き止まなかった。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆様の応援が励みになります☆クリックよろしくお願い致します。『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/10/15
露の家の屋敷の奥に、長の劉生(りゅうせい)は座していた。忍野が斤量に託した知らせにより危機が去った事を知り、露の家の者達は安堵していた。劉生は膝の上に孫の桐生(きりゅう)を抱いていた。桐生は眠っていた。忍野は山へ向かう前に父の元に立ち寄った。その後、劉生は母子だけでは物騒だと、次男の蔵野(くらの)に言い付け、麻里子と桐生を迎えに行かせた。麻里子が夕食をしたためてる間、劉生は桐生の面倒を見ると言い、桐生を自室に連れて来たのだ。眠る赤子は忍野の幼い頃に良く似ていた。桐生を包む淡い光が劉生には見えた。(何と強き術の力を持つ子だ)露の家の直系の血は、腕の中の赤子に脈々と受け継がれていると劉生は感じた。「儂はお前を良き術者にしてやる。露の家のすべてをお前に教えよう」桐生は目を開き、祖父を無垢の瞳で見て笑った。甘い痛みが劉生の胸に広がった。(忍野の事は、こうして抱いてやった事はなかった)その為に起きた悲劇を繰り返してはならないと劉生は思った。「お前は露の家の跡を継ぐのだ。誰にもそれを妨げる事はさせぬ。お前の父にしてやれなんだ事を、お前にはすべてしてやろう」軽くゆすってあやしながら、劉生は赤子に語りかけた。「それがお前の父への、儂の償いだ」襖の向こうから声がした。「劉生様」「正成(まさなり)か、入れ」「失礼致します」廊下に面した襖が開き、入って来たのは初老の男だった。痩躯に短い胡麻塩頭で、灰色の作務衣に似た着物を身に着けていた。正成は長の前に膝を着き頭を下げた。劉生は正成に言った。「禁忌の山に行き、忍野が戻るまで結界の口を守れ。盾もいるはずだ」「はい」正成は何かを見定めるように宙を見据えた。「山は、忍野様の術で覆われております」「ああ、無茶をしおって」劉生はわざと渋面を作った。正成は長年劉生に仕えて来た者であった。聞かずとも何かあるのは察していた。正成は劉生の膝の上の赤子を見て、微かに笑みを浮かべ、再び頭を下げた。「では、行って参ります」劉生は先程尋ねてきた忍野の悲壮な顔を思い起こしていた。尋ねて来たのは、山の結界に触れる許しを長である劉生に得る為であった。用件が済むと忍野は言った。(私の身体は再び『奴等』の毒に蝕まれております)この十年、父と息子は和解し、家族としての行き来もするようになった。忍野に跡をゆずるべく劉生は準備を始めた矢先であった。(私の亡き後、妻と二人の息子をどうかよろしくお願い致します)畳に手を着き、忍野は深々と頭を下げた。(今度は誰も忍野を救っては下さらないのか・・救う術はないものか)失いかけた息子が戻って来た。そして後継ぎを作ってくれた。だがしかし再び息子の命が失われようとしている。劉生は膝の上の孫をあやしながら、心が重く沈んでいくのをどうする事も出来なかった。第7話(終) 第8話に続く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆様の応援が励みになります☆クリックよろしくお願い致します。『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/10/13
竹生は出口の方を見た。「そろそろ戻った方が良さそうだ」真彦は幸彦の頬に自分の頬を寄せてささやいた。「また明日来るよ、お父さん」先程よりその肌が温かい気がして、真彦は離れがたい思いに囚われた。「お父さん、早く目を覚ましてね。そしたら僕と一緒に暮らそう」「お前は少し残れ、忍野」「はい」忍野は竹生に頷いた。柚木が不安げに忍野を見上げた。「お父さん」忍野は微笑んで柚木を見下ろした。「お前は皆と一緒に先に帰りなさい。竹生様がお話があるらしい」「お父さん、早く帰って来てね」「ああ、そうする。帰ったら、お母さんに何か美味い物を作ってくれるように頼んでくれ。干瀬殿の為に」「はい」返事をしながら甘える様に身を寄せる柚木の肩のあたりを、忍野は片手で愛撫した。そうしながら朱雀に言った。「朱雀様、真彦様と柚木をよろしくお願い致します」忍野は朱雀に頭を下げた。「ああ、今なら瞬く間に風が運んでくれるだろう」朱雀はそう言い、真彦に声をかけた。「さあ、帰りますよ、真彦様」真彦はのろのろと立ち上がった。三人の後ろ姿を見送ると、竹生は忍野を軽々と両腕に抱き上げた。人を遥かに超えた力を有する竹生には造作もない事であった。忍野がうろたえて言った。「竹生様、何を」竹生は忍野の顔を覗きこんで言った。「遠慮するな、立っているのがやっとであろうに。私の前で詰らぬ意地を張るな」竹生は片隅の黒い寝具が積み重ねてある上に、忍野を横たえた。竹生の寝具であるのだろう、青く甘い竹生の香りが絹に染み込んでいた。金木犀の香りが消えた今、それは悩ましげに忍野を包み込んだ。素直に身を横たえ、忍野は大きく息を吐いた。「竹生様に隠し通せるとは、思ってはいませんでしたが」竹生は朱雀達の出て行った方を見た。「もう、麓まで風が着いた。力を抜け、忍野」「はい」忍野は目を閉じ、ぐったりとなった。額に薄っすらと汗をかいていた。「柚木の仕業と知られぬ様に、山全体を術で覆うとはな。私の拾った命、もっと大事にせよ」竹生は忍野の傍らに寄り添った。片肘を着き自分の頭を支えた。もう片方の手で閉じた忍野の目の睫毛の先に軽く触れた。「忘れるな、今でもお前は私のものだ」本気とも冗談ともとれる、竹生の言葉だった。その真意を解る者はおそらく幸彦だけであったろう。忍野も戸惑い、返事が出来ずに目を開き、竹生の顔を見た。青く光る魔性の瞳が忍野を見ていた。竹生のしなやかな手は、今度は忍野の戦闘服の襟元をゆるめ始めた。上着の前を開けると、下のシャツのボタンもはずした。淡い苔の光が、濃い蜂蜜色の肌になめらかに照り返ししていた。引き締まった胸から腹を、竹生は指先でたどった。忍野は再び目を閉じ、竹生のするにまかせていた。竹生はぽつりと言った。「『奴等』は執念深いものだな」竹生の指は忍野の腹に横一文字に走る赤黒い傷痕をなぞった。それは古傷であるはずなのに鮮血が滲み出ていた。竹生は傷に顔を伏せると、舌先ですうっとなぞるように血を舐めとった。苦痛とも快感ともつかぬ目眩が生じ、忍野が低くうめいた。「竹生様・・」「私の力とて限界はある」竹生の極上の薔薇の厚い花弁のような舌が忍野の傷を何度も舐めた。人でない身の糧となる赤き血潮を、竹生は恍惚とした表情で賞味していた。くぐもった声が言った。「すべての毒を抜く事は出来ぬようだ」『奴等』の瘴気が忍野の身体を再び蝕み始めていたのだ。忍野はあの裂け目の向こうがどこに繋がっていたか気がついていた。自分もその中へ引き込まれる日が近い事を肌で感じていた。(あれは黄泉の国・・だが今はまだ・・)竹生の舌先に自分への思いやりを感じながら、忍野は静かに言った。「私は盾です。戦いで倒れるなら本望です。ですがそれ以外では、この命、少しでも長らえて妻と二人の息子の為に・・」竹生は顔を上げた。「忍野」「はい」「あの異形の者は、お前の願いを感じたようだな」「干瀬の事ですか」「お前の姿、お前の心、共に引き継ごうとしている」「私の・・」竹生は微笑んだ。「お前は、皆に好かれるのだな」「いえ、そんな事は」竹生は幸彦の方を見やった。「幸彦様もお前を気に入っていた。もしあのままお前がそばにいてくれたらと、思わぬでもない」忍野は苦しさを感じ、短い息をして、言った。「申し訳ありません」「良いのだ。お前が村に残ったからこそ、盾は再び強くなり、村も栄えた。そしてあの子達は良い子に育った。全てを望む事は無理だ。我等は神ではないのだ」(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆様の応援が励みになります☆クリックよろしくお願い致します。『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/10/12
竹生は真彦の耳元でささやいた。「呼び声が届いたようだな」真彦は握っていた幸彦の手が微かに動いた気がした。真彦は胸に耳を押し当てた。鼓動が聞こえた。真彦は叫んだ。「生きてる!お父さん、生きてるよ!」「お前の想いが、幸彦様を絶望の淵から救ったのだ」「ねえ、お父さん、目を覚ます?」「それは私にも分からない」真彦は幸彦の夢を探ろうとした。竹生の鋭い声が飛んだ。「よせ、今はまだ幸彦様を起こしてはならない!」真彦は驚いた。「どうして」「今の幸彦様は不安定なのだ。へたに刺激を与えれば、もう二度と戻って来られぬかも知れぬぞ」朱雀が言った。「しばらくは様子を見るという事でしょうか」竹生は真彦を見ながら言った。「この世に留まりたいと、幸彦様が思い直して下さるなら良いが」「それは真彦様次第と言う事ですか」「真彦と」竹生はそこで言葉を切り、朱雀をじっと見た。朱雀はまだ竹生の言いつけに従っていなかった。朱雀は逃げられないと悟った。「”外”の病院で治療をと考えております」「お前が面倒を見るのだな」朱雀は頷いた。「はい」誰の事を話しているのか名前は出さずとも、そこにいる者達には分かっていた。「お前は母と離れても良いか?」竹生の言葉に真彦は少し考えた。そして答えた。「お母さんが良くなる為なら、いいよ」竹生は更に尋ねた。「お前は父と暮らしたいか」真彦の顔が明るくなった。「いいの?一緒にいられるの?」「それは幸彦様とお前が決める事だ」「反対されないかな」真彦は村の顔役の老人達の顔を思い浮かべた。「父と子が共に暮らすと言うのだ、誰がそれを邪魔出来るのだ」竹生の長い髪が舞い上がった。「佐原の土地が拒むなら、聞きもしよう。だが人の思惑がそれを拒むなら・・」風は吹き荒れ、皆の髪も衣服もなびいた。「私はその者を許す事はないだろう」真彦は、この美しい人でない者に魅入っていた。真彦が物心ついてから数度しか会った事はないが、いつまでも変わらぬその白き髪の美貌の主には、誰もが畏れを抱いているのを知っていた。真彦は竹生を見て、はっきりと言った。「僕はお父さんと一緒に暮らしたい」風が吹き荒れ、竹生の顔が白く長い髪に隠れた。そして雲間の月の如く現れたのは世にも稀なる輝きに満ちた笑顔だった。真彦は竹生の笑顔を初めて見た。それはどんな哀しみも苦しみも忘れさせる天上の微笑だった。竹生は真彦の傍らに跪き、その小さな手を取った。「良くぞおっしゃって下さいました。真彦様」竹生は貴婦人にでもするように、真彦の手の甲に口付けた。「幸彦様のお子様である方、これからは私を”竹生”とお呼び下さい。私は貴方を御父上同様にお守り致します」真彦は間近に迫る美しい顔に、酔ったような気持ちになった。「幸彦様がお目覚めになられるかどうかは、貴方の愛にかかっております。どうか又いらして下さい」ふわふわとした心地の中で、真彦は言った。「でも僕一人ではここへ来られないよ」「僕が一緒に来るよ、僕が柚木を守る」柚木が叫んだ。竹生はちらりと流し目で柚木を見た。柚木は全身に甘い衝撃が貫いた気がした。足元がふらつき忍野に寄りかかってしまった。竹生に出会うと誰もがそうなると知っている忍野は微笑み、息子を支えた。「朱雀」「はい」「斤量と新しき異界の者に、真彦様の送り迎えをさせよ」「はい」「柚木」「はい」名前を呼ばれ、柚木は夢見心地で返事をした。「お前も一緒だ。真彦様の最強の盾よ」竹生に最強の盾と言われ、柚木は誇らしさで胸が一杯になった。「はい、真彦様をお守り致します」忍野は励ます様に息子の肩を軽く叩いた。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆様の応援が励みになります☆クリックよろしくお願い致します。『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/10/11
柚木は忍野の手を強く握り、小声でささやいた。「僕・・真彦に、酷い事をしちゃったのかな」忍野は優しく柚木の手を握り返した。竹生が何を考えているか、解る者はいない。だが短い期間とはいえ、共に暮らした事がある忍野には竹生の機嫌が良いか悪いか、それとなく解る時があった。今の竹生は幸彦を失ったにも関わらず、悲しんでいなかった。むしろ何かの希望を見出したような明るさが無表情の中に漂っていた。幾つかの光の花が舞い踊りながら、朱雀に纏わり着いて来た。朱雀の胸のあたりをしきりに行き来している。朱雀は懐にあるものに気がついた。それを取り出すと真彦の側に行き、泣いている真彦の手に握らせた。朱雀は言った。「幸彦様が貴方に見せたかった花ですよ、真彦様」真彦はしゃくりあげながら手に握った物を見た。折り取られて長く置かれているのに、花は枯れてはおらず、濃く細い緑葉の重なり合う中に赤味がかった金色の小さな星型の花が寄り添い、宙に漂うのと同じ甘い香りを発していた。竹生はその花を見て言った。「それぞまさしく、幸彦様がお前の為にと手折られた一枝だ」「お父さんが・・」真彦は再び、冷たい父の身体にしがみついて泣き出した。「お父さん、僕、お父さんと一緒にいたかった・・柚木の所みたいに、お父さんと一緒に色々な事がしたかった」光の花は真彦の頭上を舞い踊り、更に明るく輝きながら甘い香りを漂わせた。涙まじりの声で真彦はつぶやいた。「お父さん、花をありがとう」崖崩れの様な大音響が洞窟に響き渡った。それは洞窟の更に奥から聞こえて来た。「これは!」忍野は片腕で咄嗟に柚木をかばい、もう片方の手の伸ばした指先を音の方へ向けた。青い火花がちりちりとその指先に散った。朱雀が真彦に覆い被さり守っていた。竹生は動かなかった。「境界の裂け目が広がっている!」裂け目に意識を集中した忍野は眩暈を感じふらついた。「お父さん!」柚木が小さな両手で忍野の身体を支えた。忍野は倒れずに踏みとどまった。忍野は柚木に微笑んだ。「ありがとう、大丈夫だ」(違う、これはあの先にあるのは・・)忍野は眩暈の中で考えた。これは自分の守るべき境界ではなく別の場所に繋がっていると。柚木は奥からやって来る気配を感じた。「何か来るよ!」金の光の花達は、狂った様に宙を飛び回った。広間の奥の穴の暗がりの中から、白い影がすべる様に近づいて来た。朱雀は立ち上がって身構え、そして驚いた顔をして竹生を見た。「竹生様、あれは・・」竹生は静かにその影を見ていた。皆も動かずに白い影を見ていた。空気がどんどんと冷えてゆく。真彦も顔を上げ、その影を見ていた。何故か恐怖は感じなかった。白い影は朧に人の形をしていた。他の者には解らずとも、竹生と真彦にはそれが誰であるか、はっきりと見えていた。影は幸彦の身体に吸い込まれた。するとあたりの空気は再び暖かくなり、花々も安堵したかの如く、ゆったりと舞い始めた。「裂け目が、閉じました」忍野はそう言うと手を下ろした。竹生がつぶやいた。「間に合ったようだ」「そのようですね、竹生様」朱雀が応じた。第6話(終) 第7話に続く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆様の応援が励みになります☆クリックよろしくお願い致します。『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/10/10
背後は闇に飲まれていく。光の花に照らされた足元と先を行く竹生の仄かに光る姿以外、前にも闇が広がっていた。真彦は知らず知らず朱雀の上着の裾を強く握っていた。朱雀は出会った頃の和樹を思い起こした。和樹の父は和樹が生まれる前に『奴等』との戦いの中で死んだ。朱雀が父親代わりとなるまで、和樹は母と二人で暮らしていた。気丈に寂しさに耐えていた子供だった。だが和樹には加奈子という母親がいた。加奈子は和樹を慈しんでいた。真彦は実の両親はいても、愛された記憶はなく、愛する術も知らないのだ。朱雀は寂しさに今父を求める子供の肩をそっと抱き、共に歩いて行った。柚木は忍野と手を繋いでいた。(人間というのは、血のつながりはなくとも情が通い合えば、親子になれるのだ)斤量の言葉を柚木は思い出していた。柚木の本当の父親は、朱雀の弟の篠牟だと柚木は知っていた。忍野も麻里子もそれを隠さなかった。だが柚木は物心ついた時から側にいてくれるこの人が父親だと思っていた。弟の桐生が生まれ、思慮の足りない大人が忍野に「実の子の方が可愛いでしょう」と言うのを柚木は聞いた。忍野はただ微笑んで「子供は何人いても同じ様に可愛いものですね」と答えた。それには心からの響きがあり、柚木は忍野の自分への愛情を感じた。真彦の周囲に欠けているのはそういう愛情だと柚木は薄々感じていた。だからこそ柚木は真彦を幸彦に逢わせてやりたかったのだ。一同の目の前に、不意に開けた場所が現れた。岩で出来た大広間は、くりぬかれた天井が高く、岩壁の窪みに光る苔が宙に舞う金の花々を照り返し、子供達の目にも内部が見える程度の明るさがあった。竹生は奥に立っていた。その傍らに白い褥があった。横たわる横顔が見えた。光の花は褥の上に集まり、数個ずつ寄り添い、花束のようになり、ゆらゆらと揺れながら飛び交っていた。真彦は朱雀の上着を離し、ふらふらと褥に近付いた。枕元に膝を着き、真彦は横たわる者を見詰めた。白い着物を纏い、胸の半ばあたりまで白絹の掛布に覆われている。細い手が胸の上で重ねられている。目を堅く閉じた面立ちは、鏡で見る自分にどこか似ていると、真彦は思った。夢の花々は一層輝き、甘い香りを放った。竹生は真彦に語りかけた。「お前が生まれ、十年が経ち、金木犀の樹は育ち、幸彦様の部屋の窓に届いたのだ。幸彦様はそれを見て、佐原の村にない花をお前に見せようと摘まれた。だが、それを受け取ってはもらえぬだろうと、寂しく笑っておられた。届かぬ想いを、こうして夢に残し、幸彦様は旅立ってしまわれた」恐れに震えながら真彦は言った。「お父さん、死んでしまったの?」竹生は答えなかった。真彦は勇気を振り絞り、幸彦の手に触れてみた。ひんやりとした手触りが真彦の身体の底から哀しみを湧き出させた。幸彦の動かぬ身体にしがみつき、真彦は泣き出した。「お父さん、お父さん・・」洞窟に真彦の鳴き声が木霊した。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆様の応援が励みになります☆クリックよろしくお願い致します。『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/10/09
すっかり夜になった山であったが、空に雲はなく、半分に欠けた月も充分に明るかった。忍野にもかろうじて道が見えた。朱雀が言った。「真彦様、私の背中にお乗り下さい」真彦は恥ずかしいと思った。「え、いいよ、歩けるよ」「これから先は足場も悪く危険です」忍野も言った。「我らの他には人はおりません。柚木ももうしばらくしたら、私が背負いましょうから、ご遠慮はなさらずに」朱雀は説得する様に言った。「お戻りがこれ以上遅くなれば騒ぎになります。連れ出した柚木にどんな処罰があるか分かりません。行きがけに郷滋(ごうじ)に頼んでは来ましたが」郷滋は佐原の家の家令である。朱雀とは旧知の仲であった。真彦が屋敷を抜け出した事をうるさい連中に知られない様に誤魔化せと言い置いて来たのだった。柚木の処罰と言われれば、真彦は意地を張り通す事は出来なかった。「分かった」かがんだ朱雀の背に真彦はおぶさった。忍野は柚木に言った。「私から離れるなよ。お前はまだ夜目が利かないのだから」「はい」柚木も素直に返事をした。一行は山道を急ぎ登って行った。洞窟の奥に、金色の細かな花のような光が宙を幾つも漂い、またたいては消えた。剥き出しの岩肌は歳月に滑らかに磨かれ、もたれかかる白く長い髪の者の背を優しく支えていた。それは岩ですら柔らかくなるような美貌を持つ者であった。金の光に照らされた洞窟の中はいかなる技か床にも塵ひとつなく、生きる事をやめた者の横たわる白絹の褥にも汚れひとつ見当たらなかった。光の花達は舞い踊りながら出口の方へ流れて行った。「着いたか」白髪の者は立ち上がった。洞窟の入口に刻まれた文字はすっかり磨耗していたが、朱雀の目には読み取れた。「私は永遠と共におり、その永遠も私の手から離れてしまう」朱雀は背中から真彦を降ろした。もはや朱雀以外は誰も何も見る事は不可能だった。柚木が洞窟の奥から香る何かを感じた。「良い匂いがするよ」忍野は数日前に古本屋の傍らに見た樹を思い出した。「金木犀の香りだ」「何それ」柚木が聞いた。「村にはない花だ」忍野が答えると、洞窟の奥から声がした。「そうだ、幸彦様のお部屋の窓辺に咲いていた花だ」奥の方に金色の小さな光が見えた。それは幾つにも増えながら、こちらに近付いて来た。光が人の形になった。神の筆の描いた顔は厳かで仄かに慈悲を含み、こちらを見ていた。「竹生様」忍野はその影に呼びかけた。小さな光の花達は、ふわふわと子供達にもまとわりついた。柚木は手を伸ばし、それを捕まえようとしたが、指の間からするりと抜けてしまった。真彦は光を目で追いながら、叫んだ。「これは、お父さんの夢だ」「そうだ、幸彦様が残された夢だ。佐原にない花を、息子のお前に見せてやりたかったのだろう」「お父さんはどこ?」竹生はくるりと踵を返し、奥へ歩き始めた。「着いて来るが良い」四人は光の花に照らされた道を、洞窟の奥へと進んだ。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆様の応援が励みになります☆クリックよろしくお願い致します。『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/10/08
皆のいる方へ歩いて来た忍野に、柚木は駆け寄り飛びついた。「お父さん!」忍野は柚木を抱きしめた。暖かい広い胸と強い腕の中で、柚木は恐怖も緊張も消えていくのを感じていた。二人を見て真彦はとても羨ましかった。真彦の手を握り、微笑んでくれた幸彦の事を思い出した。(あの時、僕もあんな風に、柚木みたいにすれば良かったんだ)そうしたらお父さんは、哀しい顔をして向こうへ行ってしまわなかったかも知れない。(今度逢えたら、絶対そうするんだ)真彦は密かに誓った。忍野は柚木と手を繋ぎ、朱雀と並ぶ真彦の前に進んだ。柚木は父の大きな手を確かめる様に強く握った。その手も暖かく、そして柔らかかった。(無駄な力を入れるから、タコが出来るのだ)忍野が言った事があった。(竹生様の手を見た事があるか?神技と言われた剣を振るうあの方の手は、指先までお美しいぞ)柚木は思った。(僕ももっと強くなるんだ。お父さんみたいに)柚木の手を離すと、真彦の前に膝を着いた。「真彦様、柚木の為にこんな危険な目に合わせ、申し訳ありませんでした」「忍野、いいんだよ。僕は無事だし」真彦は言った。しかし鋭い声で忍野は言った。「柚木!」「はい」いきなりの怖い声に、柚木は驚いて返事をした。「お前は何をしたか、分かっているのか」「何って・・」「もし真彦様の御身に何かあり、夢の加護を失えば佐原の村は滅びる、それを忘れたか」柚木は怯え、か細い声で答えた。「忘れては、いないよ」忍野の怒声は続いた。それは盾の長の威厳ある言葉だった。「はっきりと答えよ、柚木」柚木はびくりと身体を震わせ、背筋を伸ばして言った。「忘れていません」「ならば何故、この様な事をした」真彦が割って入った。「柚木を怒らないでよ。僕が一緒に行くと言ったのだから」忍野は真彦を見て言った。その顔には先程までの父親の微笑はなかった。「真彦様、これは”盾”としての心構えの事ですから」そして立ち上がると、柚木の方に向き直り、言った。「答えよ、柚木」柚木は忍野の突然の叱責に怯えながらも、精一杯気を張って言った。「真彦様を、お父さんに、幸彦様に逢わせて差し上げたかったのです」「お前一人でそれが出来ると思っていたのか」柚木はひるんだ。「いえ、でも・・」「でも、何だ」「どうしても、会わせてあげたかったんです」必死な声で柚木は言った。不意に優しい声が言った。「だったら何故、私に頼まなかった」忍野は柚木の前に膝を着き、その顔を覗き込んだ。「本当に真彦様がそう願うのなら、私もお供したであろうに」柚木は目の前の優しい瞳を見た。「してはならない事なら、私はそう言う。理由もなしに私がお前を諌めた事はあったか?」柚木は首を横に振った。忍野は柚木に微笑んだ。「では、行こうか。幸彦様の所へ」「え・・」柚木は目を見張った。てっきり村へ連れ戻されると思っていたのだ。忍野は真彦の傍らに守る様に立つ朱雀に言った。「朱雀様、この暗さでは貴方の目が頼りです。どうか、もうしばらくおつきあいの程を」朱雀はにやりとした。「柚木のずば抜けた行動力は、伯父の私に似たのかも知れんな」忍野も笑顔で言った。「いえ、きっと母親に似たのですよ」「そうだな、麻里子の大胆さには誰もかなわんからな」大人二人の笑い声の中で、二人の子供も笑顔で頷きあった。(良かったね、真彦)(ありがとう、柚木)第5話(終) 第6話へ続く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆様の応援が励みになります☆クリックよろしくお願い致します。『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/10/06
干瀬は木の上に呼びかけた。「そうと決まれば、しばらくお前の所でやっかいになるぞ、斤量」木の上から声がした。「その姿では皆が怯える。人らしい形を取れ」「うむ」干瀬の体がふるふると震えた。輪郭が歪み伸び縮みした。柚木と真彦は目を丸くしてそれを見ていた。朱雀と忍野は動かなかった。「ふう、これで良かろう」そこにはまったく人間と変わらぬ姿があった。柚木が叫んだ。「お父さんそっくりだ」肌の色こそ青いものの、その顔立ちも背格好も忍野に瓜二つであった。「どうせなら綺麗な男になった方が、ワシとて気持ち良い」干瀬は忍野の顔をして笑った。忍野は決まり悪そうな顔をした。朱雀がからかうように言った。「こちらと向こうとでも、美に関する基準は同じなのかね」「うむ、川の流れや森の木が、どちらでも美しい様にな」干瀬は真面目な声で言った。「この者は性根からして美しい。父親とはこれほどに意志強きものか。よくぞワシに向かって来たな、その身体で・・」朱雀は干瀬の言葉を遮った。「空気が冷えて来たな。いつまでもここにいるわけにはいかん。斤量、こいつと先に戻れ」「承知致しました。干瀬、共に来るが良い」「おお」干瀬は頷き、歩きかけて立ち止まり、忍野に言った。「お前の子はワシが守護してやる。人の短き命では見る事かなわぬ先の先まで、ワシが見てやる。それが姿を借りた礼だ」忍野は手を下ろした。同じ顔が向き合い、互いの目を見ていた。まなざしの中に、それぞれの想いが流れ、交わされた。忍野が頭を下げた。「我が息子、柚木をよろしくお願い致します。異界の方、干瀬殿」「承知した。境界を守る正統よ、柚木なる子は永劫に我が守護の下に置こう」言いながら干瀬が見せた笑顔は、忍野が柚木に見せる笑顔に似ていた。二人して天翔けながら、干瀬は斤量に言った。「人とは、あれほどに哀しい者ばかりなのか」「あの方達は、特別に重い宿命を背負っておられるのだ」夜になりかけた空に風は強く吹き過ぎ、二人の衣をはためかせた。干瀬は銀色の目を光らせた。「ワシはいつか”お父さん”になる」「お前は良く見える目を持っていたな」「ワシは身も心も、あの者と同じになるのだ」斤量は忍野の姿をした干瀬を横目で見た。「そのお前が、入り用になる時が来るだろう」「ワシは守ると決めたら守る」「そうだな」「ワシ等には、ほんのつかの間の時だがな」「それでも人には充分に長いのだ」奥座敷の屋根が見えて来た。斤量が指差した。「あれが今の我が棲家だ」「斤量」「何だ」「お前の棲家に着いたら、何か食う物はあるか」「ああ、上手いものを食わせてやろう」「ありがたい、ありがたい」干瀬は、忍野の顔で干瀬の笑いを、笑った。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆様の応援が励みになります☆クリックよろしくお願い致します。『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/10/05
忍野の指先は異形の者を差し、微動だにしなかった。朱雀も男から目を放さぬものの、面白そうに斤量に呼びかけた。「何だ、お前の知り合いか、斤量」木の上から野太い声が答えた。「如何にも、あれは同じ郷の者で干瀬(ひせ)と申す者」「異界とは案外狭いものだな」「忍野様が開いた所から結界の中が見え、奴が来ているのを知りまして、急ぎ飛んで参りました」斤量は上から何かを干瀬に向かって放り投げた。干瀬の腕が伸び受け止めた。それは握り飯だった。「食ってみろ」干瀬はがつがつと、あっという間に食い終わった。「美味い」「美味いだろう。人など食わずとも、こっちには美味いものはたんとある」指をぺろぺろと舐めながら、干瀬はうれしそうに言った。「そうか、これは何と言うものだ」「これは握り飯と言うのだ。お前が食おうとした柚木様の、母君の麻里子様が拵えて下さったのだ」干瀬は柚木をじっと見た。そして忍野を見た。「この子供は、こっちの男をお父さんと呼んだが、違う匂いがする」朱雀を首で示し、干瀬は言葉を続けた。「向こうの、人でない奴の方が子供に近しい匂いがする」斤量の野太い声がした。「人間というのは、血のつながりはなくとも情が通い合えば、親子になれるのだ」その声には忍野と柚木を気遣う優しさがあった。干瀬は二人を交互に眺めながら言った。「ワシも誰かに好かれれば、父親になれるのか?」異形の者は突然妙な事を言い出した。朱雀が尋ねた。「異界でも、親も子もあるのかね?」干瀬は答えた。「ワシ等は万象から生まれるが、他の者と交わり子をなす者もおる。それらは寿命ある者達だ。ワシは水から生まれ、寿命を持たぬ。風から生まれた斤量もそうだ。ワシ等は子をなさぬ」干瀬は寂しげに言った。「うらやましゅうてならぬのだ、子をなす者が」干瀬は今度は柚木と真彦を交互に見た。魚に似た目がぐるぐる動いた。柚木は思った。(気味が悪いけど、悪い奴ではないようだ)「斤量、この子供達、お前が守護する御子達か?」「如何にも」「何とも数奇な運命を持つ子供等だな」干瀬は一人、頷いた。「斤量が守護するなら、ワシもそうしてやろう」真彦が恐る恐る言った。「もう、僕等を食べたりしない?」干瀬は大きな口を開いて笑った。「するものか。斤量の大切な御子であらば、ワシも大切にするぞ」真彦は笑顔になった。「良かった」干瀬は柚木に言った。「強き風の子よ。お前を守れば、お前の母君は”握り飯”とやらをくれるかな」「お母さんは料理が得意だから、他にも色々作ってくれるよ」「そうかそうか」干瀬はうれしげに飛び跳ねた。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆様の応援が励みになります☆クリックよろしくお願い致します。『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/10/04
「真彦、下がって」柚木は青い肌の者を睨んだまま言った。短刀の切っ先はぴたりと相手に向いている。真彦は後ずさりした。夜のせまり来る山は次第に冷え始めていた。だが真彦が震えているのは寒いせいではなかった。男は面白そうに言った。「元気な子ですね、こっちからいただきましょうか」ずるずると男の両腕が伸び、柚木を掴もうとした。柚木は風に乗って跳んだ。男の頭上から短刀を振り下ろした。大きく弧を描いて戻って来た腕が、柚木を払いのけた。「わっ!」柚木は落下した。「柚木!」真彦は思わず目をつぶってしまった。だが柚木は地面すれすれで止まり、ふわりと浮き上がった。風がクッションとなり、柚木を激突から救ったのだ。柚木の髪が風になびき、小さな身体が宙を翔け、再び男に向かって行った。男の伸びた両腕が柚木の繰り出す剣を受けては払った。柚木は宙に浮いたまま、男に向かって夢中で剣をふるった。青い男は笑った。「不思議な力ですね、ますます面白い」真彦は両手を握り締め、柚木を見ていた。(柚木、頑張って)忍野の鋭敏な感覚が遠い戦いを察知した。「風の力です。柚木が」朱雀は忍野の腰に手を回した。「忍野、掴まれ。飛ぶぞ」「はい」朱雀は片手に忍野を抱え、風と共に舞い上がった。柚木の剣を掻い潜った青い手が柚木の両方の手首をそれぞれに掴んだ。柚木は宙吊りの恰好になった。「放せ、放せよ!」柚木は足をばたつかせ暴れた。だが男の力は強かった。「生きの良いのを喰らうのも、楽しいものだな」ぐわっと男の口が開いた。顔中が口になったかの如くぽっかりと開いた深い青い口の中に、鋭い歯が二重に並んでるのが、柚木に見えた。青い腕がするすると縮み、鋭い歯が柚木に迫ってくる。柚木は力一杯もがいた。「柚木!」真彦が叫んだ。男の頭上から影が急降下し、男の顔面を蹴り上げた。衝撃の波と共に青い火花が飛び散った。男は悲鳴を上げ、柚木を放した。優雅に宙で一回転した身体は地面に降り立ち、その腕に柚木を受け止めた。「息子に触るな、異形の者よ」忍野であった。「お父さん」柚木は忍野の胸にしがみついた。忍野は柚木を見て微笑んだ。「大丈夫か」「うん」(お父さん・・来てくれたんだ)柚木はうれしさと安堵で胸が一杯になった。忍野はそっと柚木を降ろした。青い男は蹴られた顔を押さえ、苦悶の声を上げていた。「真彦様の所へ行きなさい」「はい」真彦の傍らには朱雀が立っていた。朱雀は柚木を見るとにやりとして見せた。良くやったと言うのか、無茶をした柚木を呆れているのか、柚木には判別出来なかった。「柚木!」真彦が柚木に飛びついて来た。「僕、僕・・」真彦は涙で言葉が出て来なかった。柚木は言った。「お前が無事なら、いいんだよ」忍野は左手を肩の高さまで上げ、伸ばした指先を男に向けた。青い火花がちりちりとその指先に散った。男は顔から手を離し、その火花を見た。男はどこか飄々とした口調で言った。「普通の人間なのに、お前も妙な技を使うのだな」「私は佐原の盾の長、露の家の忍野、この山の結界を継ぐ者」男は青い手で顔をこすった。男はひひっと笑った。「境界を守る正統か。道理で我が身にきついわけだ」忍野は力あふれるまなざしで男を見据えていた。「お前の居場所はここではない」男は青いからだをぐにゃぐにゃとゆすり、情けない声で言った。「そうは言っても、戻り方は知らぬ」忍野達の背後の大木の上から、低く野太い声が響いた。「干瀬(ひせ)、何をしている」「おお、斤量(きんりょう)か、久しいな」青い男はうれしそうに言った。第4話(終) 第5話へ続く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆様の応援が励みになります☆クリックよろしくお願い致します。『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/10/03
山道を、柚木と真彦は歩いて行った。明らかに人の付けた道で、手入れはされていないものの、それと分かる程度には痕が残されていた。子供ながら訓練された足を持つ柚木と違い、真彦はすぐにくたびれてしまった。「僕、もう歩けないよ」柚木は木々の間から覗く太陽を計った。「急がないと日が暮れてしまうよ」柚木は座り込んでしまった真彦の手を引っ張った。真彦は泣きそうな声を上げた。「足が痛いんだ」「お前が行かないと、意味がないよ」「少し休もうよ」真彦は柚木にねだるような情けない声で頼んだ。柚木は仕方ないと思い、真彦に言った。「じゃあ、こっちで休もう」それは山の斜面の自然の窪みで、そろそろ冷たくなって来た風も防げる場所だった。二人は並んで腰を下ろした。木々は静かに揺れていた。柚木は周囲の様子に気を配っていた。生き物の気配は不気味なほどに感じられなかった。他の山であれば、この時間には巣に戻る鳥の群が五月蝿く鳴くはずだが、一羽の鳥の飛ぶ姿さえも見かけない。「竹生様の気配は、まだ遠いかい」真彦は目を閉じ、しばらくじっとしていた。目を開けるとため息をついた。「山のどこかにはいらっしゃるけど、遠いみたいだ」「そうか」柚木は水音を聞いた。「近くに川がある、水が飲めるな」「そうだね、喉が渇いたよ」柚木は立ち上がり、真彦を見た。「少しなら、歩けるかい」「うん」真彦は立ち上がった。柚木は真彦を連れ出した無謀さを、段々と感じ始めていた。(僕はまだ、盾の見習にもなっていないけど、真彦を守らなくては)柚木はズボンのベルトに差した”風斬”に手を触れた。斜面に沿って少し降りると、きらきらと光る川面が見えた。二人は顔を見合わせて笑った。大人なら飛び越えられそうな小さな川だった。川岸に着くと、柚木は慎重に水の様子を見た。(魚もいるし、水草もある。毒ではないようだな)少しすくって口に含んでみた。山から湧き出る清冽な冷たい水だった。真彦は柚木のする事を見ていた。外で遊ぶ時はいつでも、真彦は柚木を頼りにしていたのだ。「飲んでも平気だよ」柚木は笑顔で真彦に言った。真彦も笑顔になり、二人は川岸に並んで両手で水をすくっては口に運んだ。二人共疲れが吹き飛ぶような気がした。「こんな所に子供がいるとは」低くもごもごとした妙な声がした。二人が顔を上げると、川の向こう側に一人の男が立っていた。見た事のない顔だった。村の者ではなかった。柚木は咄嗟に真彦の前にかばうように立ち、短刀に手をかけた。真彦は怯えた顔で柚木の後ろに隠れるように身を縮めた。柚木は気丈に言った。「お前は誰だ」男は興味深そうに二人をじろじろと見た。真彦がか細い声で言った「あいつ、普通じゃないよ」男はまるで青いゼリーででも出来ているようなぶよぶよとした肌をしていた。その肌に生理的な嫌悪感を二人は感じた。目も人というより魚の様であった。服は着ているが、どこかおかしな服だった。つるりとして縫い目がない。男が言った。「珍しい力を感じますね、二人とも」べろりと青く長い舌が飛び出し、唇を舐めた。「食べたら、美味そうだ」真彦は悲鳴を上げた。柚木は”風斬”を抜いた。朱雀が立ち止まった。「悲鳴だ、子供の」忍野は山の端を見上げ、叫んだ。「柚木!」二人は再び山道を急いだ。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆様の応援が励みになります☆クリックよろしくお願い致します。『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/10/02
「失礼致します」盾の伝令が客間に走り込んで来た。「どうした」忍野の自宅までやって来るとは余程の事である。「露の家から異変の知らせです。異界の侵入者ありと」忍野の目が鋭くなった。「異人か?」「いえ、”壁”は変化なしと群青の家は言っております」「では、どこだ」「禁忌の山です」忍野が朱雀を見た顔は蒼褪めていた。元より不安定な場所だけに、村人が入れぬように結界を張ってあったのだ。魑魅魍魎がいると言われるのは、他の世界に近いからでもある。忍野は伝令の男に言った。「久遠に指揮をまかせる。私は禁忌の山の偵察に行く」伝令は驚いた顔をした。「長自らですか」「私は露の家の跡取だ。結界については責任を負う立場でもある。それにあの結界は私か、我が父である露の家の長の劉生様にしか扱えぬのだ」「承知致しました」「三隅と須永に山の麓で待機をと伝えてくれ」「はい」「行け」男は素早い身のこなしで出て行った。朱雀は言った。「二人の保護なら私が行こう。お前は執務室へ行くべきだ」忍野は言い張った。「いえ、たとえ血が繋がっていなくても、柚木は大切な私の息子です」朱雀は厳しい顔をしていた。「親子の情に流されてはならんぞ」「朱雀様、あの子達は真彦様の父親に逢いに行ったのです。もし危険な目に合い、それを私が助けにいかねば柚木はきっと傷付きます。まことの父であればと」「忍野、お役目は大事だ」「私は父に愛されていないと思い長年苦しんで来ました。そんな思いをさせてはならないのです、あの子には」朱雀も血の繋がらない息子を持つ身だった。忍野の気持ちが痛いほど解った。「私も一緒に行こう。万が一、『奴等』の罠であったら・・」「ありがとうございます。そうでない事を祈ります」忍野の緊張した顔を見て、朱雀はにやりとして言った。「やれやれ、あの子達は羽根も生え揃わぬうちから、遠くへ飛ぶ意欲だけは満々だな」吊られて忍野も苦笑した。「まったくです」だが忍野の笑みはすぐ消えた。「あの子の髪が白くなる前に、行かねばなりません」「そうだな」風の家の者が持つ力、それを使うと命を削る為、強い力を持つ者ほど短命になる。寿命が近づくと髪が白くなっていく。大きな力を使う事は、特に幼い身体には負担になる。もし侵入者と出会いでもしたら・・「無益な戦いで、あの子の命を縮めてはなりません」忍野と朱雀は禁忌の山へ向かった。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆様の応援が励みになります☆クリックよろしくお願い致します。『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/10/01
「僕、怖いよ」窓の枠に足を掛けたものの、真彦は尻込みした。奥座敷の屋根の上に先に出ていた柚木が、早口に小声で言った。「急がないと、見つかっちゃうよ」真彦は高い場所が怖かった。泣きそうな顔をしていた。「でも・・」「お前のお父さんに、もう会えないかも知れないんだよ?」柚木は真彦の手を掴み、励ますように言った。「大丈夫だよ、僕の風で支えるから」「うん」真彦は目をつぶり、窓の外へ飛び出した。風が二人を取り巻き、二人はふわりと地面に降り立った。真彦は目を開けた。柚木はにやりとして見せた。「ほら、大丈夫だったろう」そしてジャンバーの左右のポケットから自分の運動靴を取り出した。柚木は玄関で靴を履く時、思いついてもう一足の運動靴をポケットにねじこんで来たのであった。「これ、履いて」「ありがとう」真彦は靴下だけの足に素直に柚木の運動靴を履いた。自分の物のようにぴったりだった。二人は屋敷の裏木戸から外へ出た。並んで走り、大きな道から森の方へ入った。いつも二人が遊んでいる場所である。二人は大きな樫の木の根元にしゃがみこんだ。柚木が言った。「どっちの方へ行けばいいのかな」真彦は目を閉じ、しばらくじっとしていた。真彦は心に広がる夢の世界の中で幸彦の気配を探した。真彦は目を開けると、悔しそうに言った。「駄目だ、お父さんの夢はたどれない」「うーん」柚木は片手を眼鏡の蔓に当てた。そしてしばらく口をとがらせて考え事をしていた。真彦は頼る目をして、柚木を見ていた。柚木の顔がぱっと明るくなった。「そうだ、竹生様が一緒のはずだ。竹生様の気配は解るかい?」真彦は再び目を閉じた。村の中でそれは一番強い気配を放っていた。「うん、感じる」「それを目指していけば、いいんじゃないかな」「でもこの方向は、禁忌の山だよ」「そこだよ、きっと。内密にせよって竹生様がおっしゃったみたいだから、人の来ない所に運んだはずだよ」(柚木は頭がいいな。それに良く気がつくし。僕の分の靴とか)真彦はそんな事を思いながら、柚木の話を聞いていた。「早く行こうよ、日が暮れる」柚木は立ち上がり、真彦を促した。「お前は、竹生様の気配をちゃんと感じてくれよ」「うん」真彦も立ち上がった。柚木と真彦は手を繋ぎ走り出した。柚木の手のぬくもりが真彦の怯える心に勇気を与えた。(柚木の手はいつも温かい。きっとお父さんやお母さんがいつも抱いてくれるからかな)二人が生まれてから、麻里子はずっと二人の母親のようなものだった。麻里子は柚木と一緒に真彦も抱き締めてくれた。真彦はそれがうれしく、ちょっぴり寂しかった。舞矢は真彦が側に行っても嫌がらなかった。たまに微笑みかけてもくれる。しかし母親としての愛情を示してくれる事はなかった。間宮や麻里子が散歩に連れて行く以外は、大抵布団に居るか、窓際の安楽椅子に腰掛け、ぼんやりと外を眺めているだけであった。幸彦がやって来ると、真彦は幸彦の側に行きたいと思った。しかし舞矢と幸彦の醸し出す緊張感が、真彦に痛みを与えた。幸彦は真彦に笑顔を見せるけれど、幼い身体で痛みに耐えている真彦は、笑顔を返す事が出来なかった。屋敷の廊下を歩いている幸彦と出会った事があった。真彦が側に行くと、幸彦は立ち止まってかがみ込み、真彦の小さな手をそっと握った。優しい笑顔が真彦を見た。真彦はどうしたら良いのか、解らなかった。妙な恥ずかしさに身をくねらせただけであった。幸彦は寂しげにもう一度微笑んで立ち上がり、向こうへ行ってしまった。幼い頃、怖い夢に良くうなされた。力の使い方が解らないままに、真彦はあらゆる夢を見ていた。遠くから守るようにその夢を追い払ってくれる力があった。今にして思えば、あれがお父さんだったのだ。真彦が眠るまで、暖かい夢がいつも真彦を包んでいてくれた。特別な許しを得て、柚木は忍野と麻里子に連れられて”外”の麻里子の実家に行く事もあった。”外”を知らない真彦は、柚木に”外”の話を聞くのが好きだった。斤量もたまに”外”へ行くらしく、珍しい菓子をくれる事があった。舞矢の代わりに真彦の世話をする”ゆりかご”と呼ばれる女達にそれが見つかると取り上げられてしまう。だから世話係の目を盗んで真彦はこっそりと菓子を味わった。それは斤量と真彦の二人だけの秘密だった。屋敷とその周囲以外の世界を知らない真彦にとって、柚木は物知りで頼れる友達だった。今もお父さんの事を教えに来てくれた。そして本当かどうか確かめに行こうと言ってくれた。柚木にとっての真彦も又、自分の知らない多くを知っている者であった。真彦は、夢の中で多くを学んだ。それは紙に書かれた言い伝えよりもっと多くの事を真彦に教えてくれた。夢の力の不思議、当主としてやるべき事、戦いの記憶・・何世代にも渡る出来事が夢を通して伝えられた。”闇耶”と呼ばれる異形の者達が伝える記憶は、すべて夢の中にあり、真彦はそれと知らずに彼等の記憶を夢を通して見ていたのだ。柚木は将来の盾として村の歴史を学び始めていたから、二人は互いに知る事を教えあったりもした。実際の戦いを知らない二人には、それは本の中の出来事の様に実感のないものではあったが、真彦が夢の力を扱えるようになると、真彦は柚木と一緒に遠い夢へ出かけ、昔の戦いを見る事が出来るようになった。その中で柚木は自分に良く似た盾を見た。黒い戦闘服を纏い、風に舞う姿は美しくさえあった。あれが僕の本当のお父さんだと、柚木は思った。その姿を見せてくれた真彦だからこそ、柚木は”お父さん”に逢わせてやりたかったのだ。誰からも尊敬される盾の長の長男として恵まれているはずの柚木も、佐原の未来の当主として多くの召使に傅かれ贅沢な暮らしをしているはずの真彦も、二人共どこか満たされない思いを抱えていた。その中で大きなものは”父親の不在”だった。二人は禁忌の山の麓に来た。粗末な木の柵があった。それが見掛け通りの物ではなく術の”結界”がそこにある事は二人共知っていた。このままでは入る事は出来ない。「僕が、何とかする」柚木は懐から守り刀を取り出した。生まれた時に授けられたその刀は短刀だが「風斬(かぜきり)」の銘を持つ名刀だった。忍野が子供の時に持っていたものだった。強い術に守られた刀であった。柚木自身も実の父の篠牟の体質を受け継いだのか、術や魔に強い体質を持っていた。(真彦をお父さんに逢わせてやるんだ)柚木は刀をかまえ、木の柵同士を結んでいる綱に振り下ろした。青い火花が飛び散り、柚木は衝撃で尻餅をついた。両手がびりびりと痺れた。「大丈夫?」真彦が心配して声をかけた。「うん」柚木は身軽に立ち上がった。「僕は間違えた」柚木は真彦に言った。「佐原の土地の力に頼むべきだった。お前が一緒ならたぶん平気だ」真彦は足元に流れる力を感じた。「ああ、そうだ。僕等に味方してくれている」真彦は柚木の刀に手を副えた。真彦は心を流れる力に合わせた。「お願い、僕等を通して!」振り下ろされた刀は、今度は縄を断ち切った。二人は顔を見合わせて笑った。そして神妙な顔でお辞儀をした。「土地の力よ、ありがとうございました」二人は柵の隙間を抜け、山に入って行った。そこは時の澱む場所、世界から切り離された場所だった。洞窟の奥は闇が支配していたが、黒衣の美しい者にはそれは問題ではなかった。風の届かぬこの深い洞窟の奥で、その者の白く長い髪はゆるやかに宙に舞い、剥き出しの岩の床に相応しくない綾織の褥に横たわる者の頭上に不可思議な文様を描いていた。竹生は幸彦の傍らに膝をつき、まるで生きている者に話し掛ける様にささやいた。「幸彦様、貴方の息子が、貴方に逢いに来ます」真彦が竹生を感じた時、竹生も真彦を感じたのだ。「嫌ってなどいなかったのです。愛し方を知らないだけで」竹生は遠い目をした。「貴方の息子とそれを守る最強の盾・・これが最初の、彼等の試練」斤量は屋根の上にどっかりと腰を下ろし山の方を眺めていた。「結界を越えてしまった。もう、我等の声は届かない」「追わなくて良いのか、斤量」斤量の背後でさわさわと羽ばたく音がした。斤量は微笑んだ。「赤き魂が、強き良き風が、二人の守護に翔けて行く」「成程、では我等はここを守る事としよう」羽ばたく音は、斤量の背後から遠ざかった。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆様の応援が励みになります☆クリックよろしくお願い致します。『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/09/29
「真彦(まさひこ)、真彦」小さく呼ぶ声がした。机に向かっていた真彦が振り向くと、柚木(ゆずき)が窓を叩いていた。真彦が開けてやると、柚木はひらりと部屋の中へ飛び込んで来た。柚木は風の力が使える。屋根に飛び上がり、いつも窓から真彦を呼ぶのだ。普通なら誰かが奥座敷の屋根に上がろうものなら、屋根の番人が即座に叩き落とすのだが、彼等は柚木には手を出さない。真彦の部屋は奥座敷の屋根裏のような場所だ。本来はちゃんとした奥座敷の中の一部屋が与えられていたが、真彦はこの小さな部屋が気に入り、「成人するまで」という条件付で自分の部屋にしたのだ。真彦は夢の力を持つが故に、人の負の感情を痛みと感じてしまう。だから人がいる場所が苦手だった。奥座敷でも人の気配が一番少ないこの場所が落ち着くのだ。それにここなら柚木が自由に出入り出来る。二人は生まれた時からずっと一緒にいたようなものだった。十年前、二人はこの奥座敷で同じ日に産まれた。「盾の見習の訓練は、どうしたんだい」真彦は柚木に言った。柚木は畳に座り込み、眼鏡の蔓に手をやった。それは柚木の癖だった。柚木の実の父親の篠牟(しのむ)も同じ癖があった。母親の麻里子はそれを見る度に血の不思議を感じていた。柚木はつまらなそうに言った。「あんな技、僕はとっくの昔に出来るもの」真彦は読んでいた机の上の本を閉じ、柚木の隣に座り込んだ。「もうすぐ、僕等は十(とお)の歳になるのだね」柚木は真彦を見て頷いた。「そうしたら僕は盾の宿舎入らなくちゃならない。お前と遊べなくなる。だから今のうちに遊んでおくさ」真彦は笑った。「しょうがないな」柚木は口をとがらせた。「何だよ、それ。盾になるのは、お前を守る為なんだよ?」「ああ、ごめんね」真彦はあやまった。優しげな気弱そうな子供である。柚木も細い身体に本を読むのが似合いそうな雰囲気だが、中身は活発で好奇心旺盛な子供だった。「お前が正式に当主様になったら、僕がお前を守る」真彦はうれしそうに微笑んだ。天井から野太い声がした。「冷たいものでもいかがですか?」天井を見上げ、真彦が言った。「ありがとう、もらうよ」見えない手が二人の前に木の盆を置いた。冷し飴と氷の入ったグラスが二つ載っていた。柚木も天井に向かって言った。「斤量(きんりょう)、ありがとう。今度”外”に行ったら、漫画の続き持って来てね」「はい、承知致しました」野太い声が答えた。真彦が言った。「斤量もお前が好きなんだよ」「そうかな」真彦は寂しそうに言った。「お前は誰にでも好かれるね。羨ましいよ」柚木は飲みかけたグラスを置いて、真彦の肩を掴んだ。「またそんな事言って。斤量はお前の事も好きだよ」天井から野太い声がした。「はい、斤量は、真彦様も柚木様も、お二人共大好きで御座います」「ほら、そうだろ」柚木は真彦の顔を覗き込んだ。「皆、お前が当主様だから、仲良くしちゃいけないと思ってるだけだよ」斤量の声がした。「柚木様も盾になられたら、真彦様を”お前”などとお呼びにならない方が」真彦が言った。「いいよ、うるさい人がいない時なら、柚木だけは僕を”お前”と呼んでいいんだ」今度は柚木がうれしそうに笑った。「斤量は、うるさい人には入らないよね」柚木の言葉に、野太い声が答えた。「私はいつでもお二人の味方です」「だよね」真彦も笑った。二人の子供は互いをつつきあいながら楽しそうに笑った。野太い声は優しい響きをこめて言葉を続けた。「奥座敷で生を受けた以上、お二人共、私の守るべき大切なお方です」竹生と別れた後、朱雀は御岬(みさき)の部屋を訪ねた。まだ表は暗かったが、空気の中に朝の気配が漂い始めていた。御岬は快く兄を向い入れた。夜が兄の活動時間だと良く知っていたからである。「夕方まで、休ませてくれ」御岬は心得ており、厚いカーテンを閉め切った部屋に朱雀を連れて行った。「僕は昼間はいないから、ゆっくりしていってよ」「すまない」「そんな事、言わなくて良いんだよ。僕は朱雀兄さんが来てくれただけでうれしいのだから」二人は御岬の寝台に並んで横たわった。御岬の起床時間まで、まだしばらく時間があったからである。御岬は久しぶりの兄を確かめるように、手をそろそろとその身体に這わせた。朱雀は御岬のするがままになっていた。盲目の弟にとって触れる事が見る事なのだと、良く知っていたからである。「どうしたの、随分と急だね」朱雀は低い声で言った。「幸彦様がお亡くなりになった」「え?」御岬の手が止まった。「まだ村には、何の知らせも来ていないよ」「竹生(たけお)様がしばらく内密にせよとおっしゃった。三峰も同意した」「そんな・・」「ご遺体は村に運んだ。竹生様が誰にも触れられぬ場所でお守りしている」「ああ、それで山の方の力が妙な流れ方をしているのだね」御岬は佐原の村の土地の力を感じる事が出来るのであった。「でも、竹生様の意思に土地の力も協力している。哀しみを抑え、余計な力が動かぬように」「そうなのか」佐原の土地が人知れず哀しんでいる。孤独に押しつぶされた魂を悼んでいる。「佐原の土地は幸彦様を愛していたのだもの。それがなければ、夢の力は働かない」目は見えずとも聡い御岬は言った。「舞矢様の事が原因なのだね」「幸彦様は、疲れておしまいになったのだ」朱雀の声に苦いものが混じっていた。舞矢は朱雀を愛し、幸彦を愛する事はなかった。朱雀が身を引いたのは、人でなくなった事もあったが、篠牟の死が大きな原因でもあった。自ら異人の元へ行った舞矢を助け出す為に、篠牟を始め大勢の盾が命を落とした。舞矢の腹にいる佐原の次代の当主を救う為とはいえ、犠牲は大きかった。(あの時、私が篠牟の代わりになるべきだった)朱雀は今でも悔やんでいた。舞矢の身代わりに異人の元へ向かった篠牟。(兄さん、舞矢様をお願いします)(よせ、篠牟)弟の最期の微笑を、十年が過ぎた今も朱雀は忘れた事はなかった。舞矢の腹に幸彦の子がいた様に、麻里子の腹にも篠牟の子がいた。舞矢と子供を助ける為に、麻里子の子は父親を失った。朱雀は長じて篠牟に似て来る柚木を見るのが辛かった。だが篠牟の命と引き換えに守られた真彦と、篠牟の忘れ形見の柚木の未来を見守るのが、自分のこれからの務めだとも思ってもいた。そして真彦も父親を失った。それが自分に何の関係のない事とは言い切れぬのは、竹生に言われるまでもなく、解っていた事であった。だがもう自分には愛はないのだ。(篠牟が鞍人に刺された時、私の愛は終わったのだ)御岬の寝息が聞こえた。(疲れていたのに、起こしてしまったのだな)久しぶりに逢ったのに、兄弟らしい事は何もしてやれぬままに、今日も過ぎてしまうだろう。生きている弟の事も大切にすべきだと、朱雀は眠る御岬を抱き締めた。その日の夕方、忍野は早めに帰宅した。内密な話があると御岬を通して伝言があったからである。帰宅すると朱雀はもう来ていた。実の伯父である朱雀を、柚木は好いていた。朱雀は忍野と麻里子の間に産まれたばかりの桐生(きりゅう)を抱いていた。麻里子も楽しそうに話していた。「朱雀様、お待たせして申し訳ありません」「いや、こちらこそ急ですまんな」朱雀は桐生をゆすってあやしながら言った。「良い子だな、劉生(りゅうせい)様もお喜びだろう」心優しい忍野は柚木の肩を抱いて言った。「孫はこの子だけでしたからね、増えてうれしいのでしょう」露の家の長の直系の血を引く男子が生まれた事は、露の家にとっては喜ばしい事であった。だが忍野は柚木の気持ちを思い、その事はあえて言わないようにしていた。麻里子は桐生と柚木を連れて客間を出て行った。「朱雀様、今日はどのような事で」「幸彦様がお亡くなりになった」「それは」忍野は言葉を失った。つい数日前に”外”へ三峰を訪ねた折、忍野は幸彦を訪ねたが、留守で逢えずに戻って来たのであった。「竹生様はしばらく内密にせよと。盾にもそれを徹底させてくれ」「はい」「それと、幸彦様亡き今は夢の加護はない。戦いの時はそれに留意を」「真彦様には、まだご無理でしょうからね」(ゆきひこ様・・真彦のお父さんが・・)細く開けた襖の間から客間を覗いていた柚木は、胸の中でつぶやいた。(真彦も、お父さんがいなくなったんだ)忍野が本当の父親でない事は、柚木は幼い頃から知っていた。それで特別に嫌な思いも辛い思いもした事はなかった。実の父親が生きてはいても遠く離れており、精神を病んだ母親と暮らしている真彦より、自分は恵まれていると思っていた。柚木はそっと襖を閉めた。訓練された感覚を持つ二人の大人は、柚木の存在にとっくに気がついていたが、あえて咎める事はしなかった。柚木はこっそりと靴を履き、玄関を出て行った。「朱雀様」「忍野、これも試練なのかも知れん」「はい」遠ざかる柚木の気配がどこを目指しているのか、朱雀と忍野には解っていた。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆様の応援が励みになります☆クリックよろしくお願い致します。『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/09/27
神内の古本屋のあるビルは出入り口が二つある。古本屋の店の横にある表口と建物の裏にある口である。裏口の方が”盾”の使う部屋に近いので、若い盾達は、表のエレベータを待つより、裏口から階段を身軽に上下する方を好んでいた。ビルの谷間を吹き抜ける風の中に、甘い香りが混じっていた。「この香りは何ですか?」盾の長である忍野に付いて来た若い盾が言った。ああ、もうこんな季節なのかと忍野は思った。裏口の側に大きな木があり、金色がかった橙色の細かい花が繁った葉の間に見え隠れしていた。「これは金木犀という花の香りだ」佐原の村には、何故か金木犀はなかった。村を出た事がない盾は金木犀を知らない。ここに来て初めて彼等はこの香りを知るのだ。忍野がここに詰めていた頃より、木は倍も背が伸びている気がした。手を伸ばせば花が摘めた梢が、二階の窓を越えそうになっていた。忍野は裏口の扉の厚い硝子を押しながら、初めてここを訪れてから十年以上の歳月が経つ事を改めて思っていた。布団に半身を起こし舞矢はぼんやりとどこかを見ていた。幸彦はその傍らに座り、舞矢を見ていた。舞矢が持っている湯のみが傾いで、中身がこぼれそうになった。「舞矢、危ないよ」幸彦が思わず手を伸ばすと、舞矢は幸彦の手を払った。ぴしりと鋭い音が響いた。湯のみが舞矢の手から落ち、布団が濡れた。舞矢は横を向いた。幸彦は打たれた手をもう片方の手で包むようにし、哀しい目で舞矢を見ていた。慌てて間宮が布巾を持って来て、舞矢の濡れた手や布団を拭いた。幸彦は立ち上がった。「では、僕は帰るよ」間宮に声をかけると、幸彦は奥座敷を出て行った。その傷心を顕わにした背中が、間宮には気の毒でならなかった。古本屋の定休日には欠かさず村を訪れ、舞矢の元へ来る。だが舞矢は笑顔ひとつ、この十年の間、幸彦に見せた事はなかった。深夜に帰宅した古本屋の事務所兼書斎で、幸彦は神内の椅子に腰を下ろした。竹生はいつもの様に戸口の側に立っていた。「竹生」「はい」「舞矢は、僕を許してくれる気はないらしい」竹生は黙っていた。竹生は余計な事は言わない。「真彦も僕には懐かないのだ。あの子はお父さんの魂を持っているのに、僕が気に食わないらしい。二人とも、杵人や純也には笑顔を見せるのに」幸彦は竹生にすがるような目を向けた。「竹生、僕は疲れたよ」社長室の朱雀に来客があった。夕陽の差し込む室内に入って来たのは幸彦であった。「幸彦様、お久しぶりでございます」朱雀は、専務である義理の息子の和樹に、会社の経営をまかせつつあり、だんだんと自由のきく身になっていた。朱雀の赤い髪は柔らかく額にかかっていた。この長身の美丈夫は、人なつこい笑顔で幸彦を出迎えた。「お前も変わらないね」「幸彦様も」幸彦は弱く微笑んだ。「お世辞はいいよ、僕はもう若くはない」朱雀は蒼褪めた幸彦の顔色も、妙に薄く見える影にも不安を覚えた。だが朱雀を真っ直ぐに見たその瞳は、静かで穏やかであった。幸彦は言った。「舞矢と逢ってくれないか」突然の言葉に、朱雀は返事をためらった。「幸彦様、私は・・」「舞矢は今もお前を愛している。お前は僕にまかせたつもりだろうけれど、舞矢の心は僕にはない。彼女は僕を許してはくれないのだ」目をそらしたのは、朱雀の方だった。「お前が人でないとしても、舞矢だって人である事をやめてしまったようなものだ。カナもいなくなった、和樹も大人になった。何も問題はないじゃないか」朱雀は黙っていた。二年前にカナは病死していた。幸彦は重ねて言った。「お前と一緒なら、舞矢は正気に戻るかもしれない。僕はそうなってくれたらうれしい」「しかし、幸彦様は」「僕はもう、佐原の村へは二度と行かないつもりだ」幸彦はきっぱりと言った。「真彦様は、どうなさるのです」「真彦も力の扱いを覚えて来た。後は遠くにいても夢で伝える事が出来るだろう」朱雀は幸彦の気持ちを変えようとした。「真彦様にも、まだ父親が必要です」幸彦は寂しい顔をした。「そうだね、お前なら良い父親になれるね。僕と違って」「何をおっしゃるのです」「舞矢と真彦をよろしく頼むよ」朱雀の返事を待たずに、幸彦は出て行った。その夜遅く、朱雀は或る気配を感じ、ベランダへ出た。半分に欠けてはいても月が明るい夜だった。人でない朱雀の目には、白い髪をなびかせた黒衣の者が、こちらへ風と共に宙を駆けて来るのが見えた。その者は摩天楼のベランダに降り立つと言った。「お前の車を出してくれ」その腕には幸彦が抱かれていた。朱雀は目を見張った。「これは・・」竹生は感情のない声で言った。「幸彦様は、生きるのをやめてしまわれた」朱雀は叫んだ。「何故、止めなかったのです!」竹生は青い魔性の目を光らせ、朱雀を見た。「お前が、それを言うのか」その目は怒りと哀しみに燃えていた。「私はこの十年、幸彦様の哀しみをずっと見て来たのだ。このまま孤独の中でなおも生きよと、誰が言えるのだ。罪の償いなら、もう充分だろう。充分に幸彦様は村に尽くされ、そして苦しまれたのだ」竹生こそ幸彦を失う事が最も辛いはずだった。マンションの地下の駐車場から、くすんだ緑色の朱雀の車が走り出た。後部座席には動かぬ幸彦を抱いた竹生が乗っていた。「どちらへお運び致しますか」「禁忌の山の麓で降ろしてくれ。あの”封ぜられし者”の洞窟なら、誰にも邪魔されずに幸彦様にお休みいただけるだろう」竹生は幸彦の顔を見ていた。目は硬く閉ざされていたが、苦しみから解き放たれた口元には笑みが漂っているかの様だった。「掟を破り村を飛び出した杵人(きねと)は許され、私の部下だった盾を大勢殺した純也も許された。あの女は杵人と純也には笑顔を見せる。父であり兄であるからか」竹生は荒い声を上げた。「なのに、何故、幸彦様に、純也の心を命がけで救った幸彦様には笑顔を見せぬ。真彦様という子までなした仲ではないか。そこまで思い上がる権利なぞ、あの女にあるものか」朱雀が苦い声で言った。「次の当主である真彦様の母である方を、あの女などと、竹生様でも口が過ぎます」竹生は乾いた笑い声を立てた。すれ違う車のヘッドライトが白い髪をきらめかせた。「怒るという事は、まだあの女を愛しているのか。お前に近づく為に、幸彦様を利用した女を」「竹生様!」朱雀は急ブレーキを踏み、路肩に車を止めた。朱雀は後ろを振り返り、竹生を険しい顔で見た。「何をおっしゃりたいのですか」竹生は朱雀を見ていた。あらゆる表情を含んでいるかの如き白い顔は、今は哀しみと怒りが透けて浮き上がっているかの様だった。「我等を降ろしたら、舞矢の元へ行け。それが幸彦様の最後の願いであったはず」「しかし、私は誓ったのです」竹生は言った。「何に誓った、己の誇りにか?くだらぬ、そんなものの為に、幸彦様の願いを無視するつもりか。お前にもまだ人の心があるのなら、解らぬとは言わせぬぞ」朱雀も負けずに言い返した。「私なりの最善の選択のつもりです」竹生は幸彦の頬を愛しげに撫で、そして朱雀を見た。睨んでいるわけではない。いつもと変わらぬ表情のない顔である。だが朱雀はひるんだ。竹生は静かに言った。「まだ逃げるつもりか、偽るつもりか。あの女の業からはお前は逃げられぬ。受け止めよ、幸彦様は、我等の昼の痛みよりもずっと深い痛みに、耐えてこられたのだ。お前も耐えるが良い」夢の力あるものは、他人の負の感情を身にも心にも痛みと感じるのだ。自分への舞矢の嫌悪、村人の嘲り、幸彦はそれらに耐えながらこの十年を暮らしていたのであった。それを知らない朱雀ではなかった。この十年の朱雀は、表向きは何の不足もない人生であった。和樹とカナとの家庭は穏やかで明るく、昼の痛みの時間を避けながらも、会社の経営は精力的にこなし、業績も順調だった。大学在学中から和樹は経営に携り、卒業後は入社まもなく専務として手腕を発揮し、今や大半の采配をしていた。『奴等』との戦いよりもビジネスの方が、和樹の性に合っているようだった。二年前にカナが死んだ。自宅の台所で倒れていた。クモ膜下出血と診断された。あっけない最期だった。苦しみが少なかった事がせめてもの救いだと、朱雀と和樹は思った。三人で暮らしたアパートを手放し、朱雀は元のマンションへ、和樹も独立して借りた部屋へ別れて暮らし始めた。竹生の声は深い夜の底から響いていた。「憎しみではない、そんなものからは何も生まれぬ。お前もかつて捨てた愛を取り戻しても良かろう。それで舞矢の心が戻るなら、真彦様の為にも村の為にも喜ばしい事だ。それが幸彦様が望まれた事なのだ」朱雀は観念して頷いた。竹生は何もかも見通しているのだ、朱雀の迷う心の奥まで。「解りました。何も変わらないかもしれません。それでも出来る事は致しましょう」竹生は初めて笑顔を見せた。それは誰もが魅せられずにはいられない微笑だった。朱雀の心にも、その微笑は暖かく妖しい火を灯した。愛はいつでも夜に生まれると、外国の詩人が言った言葉を、朱雀は思い出していた。佐原の村に入り、しばらくして、朱雀は車を停めた。朱雀は素早く外へ出て、竹生の為にドアを開けた。竹生は降りた。幸彦を両腕に抱き、竹生は朱雀に言った。「助かった、礼を言う」月明りの照らす道を、竹生は風に乗り、禁忌の山の洞窟を目指し翔けて行った。金木犀の香りがした。一枝の花が、夜に湿った土の上に落ちていた。竹生の長い髪にでもからんでいたのだろうか。朱雀はそれを拾いあげた。甘く重い香りが、朱雀の心にのしかかった。朱雀はそれを懐にしまった。走り出した車の後には、金色にたゆたう香りが残され、佐原の森を翔ける風は、慣れない香りに戸惑いながら、それを吹き散らし、禁忌の山の方へ足早に過ぎて行った。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆様の応援が励みになります☆クリックよろしくお願い致します。『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/09/25
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