Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2022年08月25日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-511
 定理三六 神に対する精神の知的愛は、神が無限である限りにおいてではなく、神が永遠の相のもとに見られた人間精神の本質によって説明されうる限りにおいて、神が自己自身を愛する神の愛そのものである。言いかえれば、神に対する精神の知的愛は、神が自己自身を愛する無限の愛の一部分である。
 証明 精神のこの愛は精神の働きに数えられなければならぬ(この部第五部の定理三二の系 第三種の認識から必然的に神に対する知的愛が生ずる。なぜならこの認識からは(前定理により)原因としての神の観念を伴った喜び、言いかえれば(感情の定義六により)神に対する愛が生ずる。しかも現在するものとして表象される限りにおける神に対する愛ではなくて(この部の定理二九により)、永遠であると認識される限りにおける神に対する愛である。そして、これこそ私が神に対する知的愛と呼ぶところのものである。および、第三部定理三 精神の能動は妥当な観念のみから生じ、これに反して受動は非妥当な観念のみに依存する。により)。つまりこの愛は精神が原因としての神の観念を伴いながら自己自身を観想する働きである(この部第五部の定理三二 我々は第三種の認識において認識するすべてのことを楽しみ、しかもこの楽しみはその原因としての神の観念を伴っている。およびその系 第三種の認識から必然的に神に対する知的愛が生ずる。なぜならこの認識からは(前定理により)原因としての神の観念を伴った喜び、言いかえれば(感情の定義六により)神に対する愛が生ずる。しかも現在するものとして表象される限りにおける神に対する愛ではなくて(この部の定理二九により)、永遠であると認識される限りにおける神に対する愛である。そして、これこそ私が神に対する知的愛と呼ぶところのものである。により)。言いかえればこの愛は(第一部定理二五の系 抜粋: 個物は神の属性の変状(アフエクテイオ)、あるいは神の属性を一定の仕方で表現する様態(モードス)にほかならぬ。および、第二部定理一一の系 抜粋:人間精神は神の無限な知性の一部である。したがって我々が「人間精神がこのことあるいはかのことを知覚する」と言う時、それは、「神が無限である限りにおいてでなく、神が人間精神の本性によって説明される限りにおいて、あるいは神が人間精神の本質を構成する限りにおいて、神がこのあるいはかの観念をもつ」と言うのにほかならない。また我々が「神が人間精神の本性を構成する限りにおいてのみでなく、神が人間精神と同時に他の物の観念をも有する限りにおいて、神がこのあるいはかの観念をもつ」と言う時に、それは「人間精神が物を部分的にあるいは非妥当的に知覚する」と言う意味である。により)人間精神によって説明されうる限りにおける神が*原因としての、自己の観念を伴いながら自己自身を観想する働きである。ゆえに(前定理三五 神は無限の知的愛をもって自己自身を愛する。により)精神のこの愛は神が自己自身を愛する無限の愛の一部分である。Q・E・D・=これが証明すべきことであった。



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最終更新日  2022年08月25日 06時10分06秒
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