「至極の女性」 0
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神の存否-29 エチカの第一部「神の定義」の「第八:永遠性とは、存在が永遠なるものの定義のみから必然的に出てくると考えられる限り、存在そのもののことと解する。 説明 なぜなら、このような存在は、ものの本質と同様に永遠の真理と考えられ、そしてそのゆえに持続や時間によっては説明されないからである、たとえその持続を始めも終わりもないものと考えようとも、とあります。 通常一般的に使用されるときには存在の無限的持続性を意味合いとして使用されますが、宗教や哲学の用語法では、常に在るものの在り方を云います。特に時間に対比して用いられること屡々です。時間が、移り変わり過ぎ去りゆくものに関わり、その在り方をいうのに対して、永遠は不変なものの在り方をいうからです。更には、哲学ではこれを「不朽( sempiternitas)」として「永遠(aeternitas; eternity)」と区別する場合があります。不朽は普通には時間的遍在を意味するのですが、永遠は過去・現在・未来という抑々が分節をもたない無時間性、若しくは超時間性を意味します。無時間的永遠とはスピノザの神の存在証明に持ち出す数学的真理などを永遠の真理という場合がそれにあたります。超時間的永遠を初めて語ったのはパルメニデスで、彼は一者について生成を否定し、それは同時に全的に存在するとした。この思想を受けてプラトンは著「ティマイオス」において、永遠の世界としてのイデア界を語ります。彼は永遠を存在の知的世界に、時間を生成の感性的世界に対応させ、生成の感性的世界には存在は属さないことを強調し永遠を存在の知的世界を顕揚します。このプラトンの永遠の思想はキリスト教思想に大きな影響を与え、永遠の生命の考えを中心とする教義の確立に預かります。其の経緯はアウグスチヌスを経て、トマス・アクィナス著ボエチウスの「三位一体論」において、永遠を神に、不朽を世界に帰して両者を区別しました。彼らが永遠を語った「全てを同時に」という思考は、謂わば、パルメニデスヘの回帰であるとも云えます。キリスト教では、神による世界創造は或る時点に起った事件なのではなく、時間もまた世界とともに創造されたと云うのです。近世ではスピノザや観念論者たちがそれぞれの神や絶対者の存在に関して永遠を語っていますが、そこでいわれる永遠は、所謂、生命と結びついたキリスト教的なそれではなく、真理の無時間的永遠に近似しています。此処で重要なのは永遠には「0」が無いことです。「ゼロ点(特異点)」を容認しない重力量子論には追い風となります。哲学・思想ランキング
2021年04月20日
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神の存否-28 エチカの第一部「神の定義」の「第七:自己の本性の必然性のみによって存在し・自己自身のみによって行動に決定されるものは自由であると言われる。これに反してある一定の様式において存在し・作用するように他から決定されるものは必然的である、あるいはむしろ強制されると言われる。」に関して「自己の本性の必然性のみによって存在」の意の中の「本性」ですが、スピノザの「本性」は一般的概念としての捉え方や、他の哲人とは語彙を異にします。スピノザの「本性」とは実在を根幹に置かれます。即ち、本性なるものは他からの影響力を一切受け付けない「一(唯一)」のものです。其れ故に、他者の干渉はなく、唯一、自己の必然性から何らの束縛もなく決定されたものが「自由」なのです。仮に、因があれば果があれば、果は因に依拠しています。其の因を究極的に問えば、信教や神学哲学では「神」となり、スピノザ哲学では「実体」となります。スピノザ哲学では「神」とは其れ其のものが自己自身のみによって行動に決定されるもが実体であり、唯一の「自由体」を可能としたものだと云うことです。量子重力理論から鑑みれば、現代科学の先端を走る量子コンピューターのAIを深読みすれば、量子宇宙論の世界の極小単位「空間粒子」の情報因子が詰まった世界、其れが我々人間が在する宇宙だというわけです。量子コンピューターのAIを更に、深読みすれば神は当に全ての情報因子の親元だとも云えます。哲学・思想ランキング
2021年04月18日
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神の存否-27 スピノザの「無限」の語彙の意味するところは、物質や精神のみならず人間の象徴を超えたものを意識しているようです。片やの量子宇宙論ですが、量子宇宙論は宇宙誕生直後の宇宙が極々小さかった時代をも扱う宇宙論のことであり、かって古代の印度大陸で発見された「0」より、ユークリッド幾何学で使用された「0」、ニュートン力学における「0」の定義をもってしては、もはや、21世紀の宇宙観測物理学で次々に発見され、発表される現象に立ち行かず、さしものアインシュタインの相対性理論でさえ、矛盾を孕むことになります。とは云え、片や対抗する量子論も相対性理論を超えたかと云えば、完璧性には程遠く新理論を待つことになります。取り分け宇宙の究極の起源や最終段階に来たすと想われる超ブラックホールの世界の物理科学理論の組み立てには連続性を抱え込んだ相対性理論、量子論にも「真説」と証されるものがなく、量子理論の「無限」の概念に、相対性理論を呑み込んだ量子宇宙論の誕生となりました。量子宇宙論の特筆すべきは、過去の思考の無限大や無限小の定義を覆したことにあります。世界には空間的無限小なる「0」は無く、無限大としての「∞」の連続性を否定しています。詰まりは、新たな時間と空間の問題を投げかけます。極小に素粒子はおろか単一因子「空間粒子」なるものを持ち込みます。空間粒子なるものは如何様の世界であれ全てを充たすものであり、無限解像度の有機液晶画面を呼び覚ませます。哲学・思想ランキング
2021年04月17日
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神の存否-26 スピノザのエチカの第一部「神の定義」の「第六 神とは、絶対に無限なる実有、言いかえればおのおのが永遠・無限の本質を表現する無限に多くの属性から成っている実体、と解する。 説明 私は「自己の類において無限な」とは言わないで、「絶対に無限な」と言う。なぜなら、単に自己の類においてのみ無限なものについては、我々は無限に多くの属性を否定することができる〈(言いかえれば我々はそのものの本性に属さない無限に多くの属性を考えることができる)〉が、これに反して、絶対に無限なものの本質には、本質を表現し・なんの否定も含まないあらゆるものが属するからである。 此の「第六:神とは、絶対に無限なる実有」に関して、先ずその「絶対に」の語彙を問えば、通説では、他に比較するものや対立するものがない意で用いられます。即ち、一にして他者がないことを強調する意味合いなのでしょう。スピノザの「無限なる実有」に冠して用いられれている「無限」の意を問えば、古代ギリシァ哲学では、アナクシマンドロス( Anaximandros/紀元前610年頃 - 紀元前546年)により万物の根源としての「無限者(ト・アペイロン)」が主張され、また他の哲学者たちによって一般に世界は無限に近いものであると考えられ、中世では、キリスト教神学において神は無限であるのに対し、宇宙は有限的な完結した世界であるとされていました。しかし時代を経て、中世末期から近世初めにかけて、ニコラウス・グザーヌス、ブルーノ等により再び世界は時間・空間的に無限であるとされています。カントでは、純粋理性の二律背反として世界が時空間的に無限であるか否かが問題とされましたが、ヘーゲルは、悪若しくは否定的)無限と真無限とが区別します。カントルやデデキントからは、集合論の立場から有限集合・無限集合・真無限・仮無限の問題が考察されました。東洋思想に於いても、中国やインドなどでは古くから有限・無限の思想がみられ、老荘思想の荘子では、我が生は有涯にして、知は無涯なりとも表現されています。スピノザの「無限」の語彙は物質や精神のみならず人間の認識や象徴を超えたものと意識しているようです。然し乍ら、後半の真の認識として「直覚知」を持ち出している部分は、日本の西田幾多郎にも影響を与えたところが鑑みられ、スピノザの「無限」は神の属性無しには考えられるものではないということを示します。では、世界の物理化学理論の最先端を行く量子宇宙論は「無限」を如何様に捉えているのでしょうか。哲学・思想ランキング
2021年04月16日
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神の存否-25 スピノザのエチカの第一部「神の定義」の「第五:様態とは、実体の変状、すなわち他のもののうちに在り且つ他のものによって考えられるもの、と解する。」としますが、此の「様態」なるものをスピノザは何の様にその語彙を捉えているのでしょう。通俗的には事物の在り方についての諸規定を意味する。然し乍ら、このような諸規定のうちでもその事物にとって不可欠な基本的性質(本質)が属性とよばれるのに対し、様態はその事物にとって付帯的、偶有的であるような諸性質、諸規定を意味するのが一般です。スピノザは、属性を人間に知らしめているいるのは実体の本質であり、唯一の実体である「神の属性は思惟と延長」であると解きますが、此の厳格な区分はスピノザ独自と言ってもよく、夫々の思想家により多少なりとも異なります。「属性と様態」は本質と偶有性とも言い換えても不都合はないように見えますが、実のところは、其の区分は其れ程には朗らかではありませえん。此等の言語の解釈、語彙・定義付けは古代ギリシァのアリストテレスにまで遡り、その解釈は中世、近世の哲学でもさまざまに議論されている問題です。例えば、デカルトでは精神と物体が実体とされ、思惟(しい)と延長がおのおのの属性と看做されるとともに、情意・判断・欲求が精神の様態として、将又、位置・形・運動が物体の様態として考えられています。スピノザでは神が唯一の実体であり、思惟と延長がその属性であり、それらの変容したもの、すなわち個々の人の心や個々の物体が様態とされていることに注意が肝要です。此れを、先端物理科学の量子重力理論に置き換えて思考すると、スピノザの神が唯一の実体とは、宇宙を基本構成する唯一単体の究極極小の情報因子である「空間粒子」の統合体とも解釈できます。「空間粒子」其のものに情報因子があり、其の変容が世界を構成していると解きます。世界は量子コンピューターのマトリックスに近似しているのかも知れません。哲学・思想ランキング
2021年04月15日
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神の存否-24 スピノザのエチカの第一部「神の定義」の「第四:属性とは、知性が実体についてその本質を構成していると知覚するもの、と解する。」としますが、此の属性とは、一般哲学的には存在者の本質的で恒常的な特性をいうとあります。アリストテレスは属性が実体と不可分であるとし、スコラ哲学では全知全能などが神の内的属性とされました。此等の語彙を継承してデカルトは実体内在性の点で属性を様態や性質と区別し、恒常変化せぬ神には属性しか考えられないとし、精神と物質の属性として思惟と延長をあげています。スピノザは、属性で人間に知らしめているいるのは実体の本質であり、唯一の実体である神の属性は思惟と延長であると解きます。即ち、人間の知性がそれそのもの自身のうちに在り且つそれ自身によって考えられるもの、言いかえればその概念を形成するものに他のものの概念を必要としない実体を知性がその本質を構成していると知覚するものだというのです。先端物理学から云えば「量子重力理論」の「空間粒子」に当て嵌めて考察すれば、宇宙は全てが単一の空間粒子に埋め尽くされているのであり、「類い」としての属性なるものはその属性であり、且つ、真実実相としての実体の表現であり、実体が持つ変態の様相に過ぎないことになります。哲学・思想ランキング
2021年04月14日
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神の存否-23 スピノザのエチカの第一部「神の定義」の「第三:実体とは、それ自身のうちに在りかつそれ自身によって考えられるもの、言いかえればその概念を形成するものに他のものの概念を必要としないもの、と解する。」は、一般的には哲学用語では実体( substance)は、古代ギリシアから使われている古典的な哲学用語として基本的には「真に実在するもの」を意味します。伝統的なヨーロッパの存在観においては、独立自存する「実体」なるものが先ずあって、実体どうしの間に、第二次的に関係が成立するものと考えられてきた。これに対して、関係こそが第一次的な存在であり、所謂通説の実体は「関係の結節」ともいうべきものにすぎないと考える立場が、仏教の大乗の縁起観などに古くから存在します。然しながら、実体そのものに対しては不可知論的立場から、実体としての物体そのもののうちに実在する第一性質である延長、形態、運動など(primary qualities)と、物体によって我々人間の心の内部に生ぜしめられる第二性質である色、音、味、香など(secondary qualities色)を区別するのに実体を用いたのに対し、特に、イギリス・スコットランド・エディンバラ出身の哲学者で経験論の立場を徹底するデイヴィッド・ヒューム(David Hume/1711年4月26日 - 1776年)などは、経験に与えられることのない実体の想定を否認し、従いて、実体を想定してのみ意味をもつ第一性質、第二性質の区別をも否定したと同様の立場から、実体とは、それ自身のうちに在りかつそれ自身によって考えられる、即ち、因果を超越したものと見做します。量子宇宙論では「空間粒子」なるものが、宇宙を究極に細分したものは只々一種類の宇宙を充たすもの、謂わば、情報シナプスから構成されていると捉えられ得るとします。さすれば、スピノザの言う実体は「真には神に在り、実在するものは空間粒子からなる情報因子」だとも憶えます。哲学・思想ランキング
2021年04月13日
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神の存否-22 スピノザのエチカの第一部「神の定義」の「第二:同じ本性の他のものによって限定されうるものは、自己の類において有限であると言われる。例えばある物体は、我々が常により大なる他の物体を考えるがゆえに、有限であると言われる。同様にある思想は他の思想によって限定される。これに反して物体が思想によって限定されたり思想が物体によって限定されたりすることはない。」とは何を意味するのでしょう。「同じ本性の他のものによって限定されうるものは、自己の類において有限であると言われる。」を「量子重力理論」の「空間粒子」に当て嵌めて考察すれば、宇宙は全てが単一の空間粒子に埋め尽くされているのであり、「類い」なるものは、真実実相の表現であり、実体が持つ変態の様相に過ぎないことになります。「同様にある思想は他の思想によって限定される。」との著述は、「空間粒子」を全ての情報が其処から導き出される情報因子として捉えれば、其処から導き出される情報は、「空間粒子」の持つ根源的情報の粋を脱することは不可能であり、全ては宇宙を統べる情報因子であるデジタルな「空間粒子」の可能性にかかります。此のことから、現代IT科学の最先端を走る量子コンピューターは、次なる人類の進化を担っているかも知れません。哲学・思想ランキング
2021年04月12日
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神の存否-21 スピノザのエチカの第一部「神の定義」の「第一:自己原因とは、その本質が存在を含むもの、あるいはその本性が存在するとしか考えられえないもの、と解する。」を読み解けば、自己原因とは生じるものでもなければ滅するものでもない「恒常有」を意味し、其の本質としての存在には永遠が基本的に備わります。此れを量子宇宙論の超超ミクロの世界単位「空間そのものが量子(空間粒子)」であるとするのを組み込めば、世界は唯一つのものから成り立ち、其処から生まれ生成されていると思われるものは「空間そのものが量子」の見せる技であり、「空間そのものが量子」なるものは、永遠が基本的に備わる神の情報であり、神の身体を具現した形態だとも云えましょう。其れ故、空間粒子の最小単位は可能ならば更なる空間なるものの縮小を引き起こすかも知れないにしても無くなる筈はなく、世界を飲み込む超ブラックホールの最終章は「ゼロ」更には「虚」にはなり得ません。スピノザの第一定義する自己原因は生まれること無く滅することのない「恒常有」だからです。宇宙の最終章は「量子重力理論」を鑑みれば、宇宙を充たすものに「無としての零」は無いことからして、神なる宇宙は必ず再起動します。ところが豈図らんや、物理科学全般には物の消滅と生成を説くのが全般です。然し乍ら、量子理論を鑑みれば世界が情報因子としての「空間粒子」なるものを一にして成り立たせているのならば、一見しては、宇宙の其の果ての終末と再起動は、人間の眠りなるものを表象させるかも知れません。私的には此れを「神の呼吸」と表現します。哲学・思想ランキング
2021年04月11日
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神の存否-20 先ず最初に「量子重力理論」を、スピノザに当て嵌めて検討するには、スピノザの神の定義が如何なるものかを見なければなりません。スピノザの神についての定義は八つに分かたれて挙げられています。 一 自己原因とは、その本質が存在を含むもの、あるいはその本性が存在するとしか考えられえないもの、と解する。 二 同じ本性の他のものによって限定されうるものは自己の類において有限であると言われる。例えばある物体は、我々が常により大なる他の物体を考えるがゆえに、有限であると言われる。同様にある思想は他の思想によって限定される。これに反して物体が思想によって限定されたり思想が物体によって限定されたりすることはない。 三 実体とは、それ自身のうちに在りかつそれ自身によって考えられるもの、言いかえればその概念を形成するものに他のものの概念を必要としないもの、と解する。 四 属性とは、知性が実体についてその本質を構成していると知覚するもの、と解する。 五 様態とは、実体の変状、すなわち他のもののうちに在りかつ他のものによって考えられるもの、と解する。 六 神とは、絶対に無限なる実有、言いかえればおのおのが永遠・無限の本質を表現する無限に多くの属性から成っている実体、と解する。 説明 私は「自己の類において無限な」とは言わないで、「絶対に無限な」と言う。なぜなら、単に自己の類においてのみ無限なものについては、我々は無限に多くの属性を否定することができる〈(言いかえれば我々はそのものの本性に属さない無限に多くの属性を考えることができる)〉が、これに反して、絶対に無限なものの本質には、本質を表現し・なんの否定も含まないあらゆるものが属するからである。 七 自己の本性の必然性のみによって存在し・自己自身のみによって行動に決定されるものは自由であると言われる。これに反してある一定の様式において存在し・作用するように他から決定されるものは必然的である、あるいはむしろ強制されると言われる。 八 永遠性とは、存在が永遠なるものの定義のみから必然的に出てくると考えられる限り、存在そのもののことと解する。 説明 なぜなら、このような存在は、ものの本質と同様に永遠の真理と考えられ、そしてそのゆえに持続や時間によっては説明されないからである、たとえその持続を始めも終わりもないものと考えようとも、とあります。哲学・思想ランキング
2021年04月10日
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神の存否-19 量子重力理論や超弦理論の登場からやや時間を経て、かっての私の頭脳を悩ませた愛読書であるスピノザ著「エチカ」が思考に再浮上します。特に量子重力理論によれば、宇宙をマクロからミクロの世界に突き詰めていけば、最後は空間構造の極小そのものが重力場となる。言い換えれば、空間構造そのものが一種の力場「重力場」に充たされているということ、宇宙には「何も無い空間」なるものは存在しないこと。此れが、根本的に「神の存在」を予感させます。即ち、あなたを形作る身体には、「何も無い空間」なるものは存在しないから、其れ自身の形態が保たれているわけです。此のことから、量子重力理論をスピノザ著「エチカ」の第一部「神の定義」に当てはめて考察すれば、スピノザの云う神存在の正否が見えてくるかも知れないと思い付き、スピノザ著「エチカ」の第一部「神の定義」に「量子重力理論」を当て嵌めて、宇宙をマクロからミクロの世界に突き詰めていけば、最後は空間構造の極小そのものが重力場となる、そのものの質、「宇宙」や「神」其のものの真相及び真否、乃至は、存否が伺えないものかと期待して、スピノザ著「エチカ」の第一部「神の定義」を量子重力理論に検めて読み込んでいきます。哲学・思想ランキング
2021年04月08日
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神の存否-18 量子重力理論や超弦理論の宇宙構成の在り方は我々ニュートン力学に馴染んだものには異質に映ります、然し乍ら、最新の宇宙科学理論は物理科学技術を駆使して人間の眼には隠された世界の謎を解き明かそうとしています。先ずは、ニュートン力学が示す一次元・二次元・三次元の世界、更には我々人間が属し体験していると認識する四次元空間は地球の下等生物の次元感覚よりは人間の次元認識は高等とするものの其の実態は、人間身体及び感覚器官は宇宙構成から見れば未発達としか想えません。特に、量子重力理論の「空間そのものが量子(粒子)」であるとの考察は宇宙空間そのものが量子に充たされていること、最小単位は唯一絶対の量子、無限に刻めれどゼロにはならない、強いて名付ければ超極限小の「空間粒子」なるものに宇宙は充たされていることになります。逆説的に云えば、粒子に満たされない真の空間、将に何も無い「虚空」ともいえるものは無い、即ち、今まで我々が思考していた、何も無い「真空」は人間の創造した「虚空」に過ぎないと云うことです。「空間・重力・時間」は一体である」との説明はよく見聞きしますが、空間と重力は認識可能にしても、変化を前提にする時間は理性を勝ち得た人間特有の概念を表象するものであり、世界の側には「空間・重力・時間」の区別は存在しないのかも知れません。端的に云えば宇宙は何が知らの情報の生成した結実なのかも知れないと思わせます。世界は量子情報を齎す単一の空間粒子の海に充たされ、我々は其の情報を実体として受け取っているのかも知れません。哲学・思想ランキング
2021年04月07日
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神の存否-17 粗略に問えられれば「量子重力理論」は、宇宙空間は「空間」どころか、病気のときに御世話になる「氷嚢」のようだとも喩えられます。中には氷粒があろうが全体的にはエネルギー消費は一定です。当然に「氷嚢」外部にはエネルギーが放出される筈ですが、此のことからは、ブラックホールの「特異点」、乃至は、量子物理学の理論上の究極の実在を予期させます。更には、「量子重力理論」に加えて「超弦理論」超ひも理論、スーパーストリング理論とも呼ばれるものともなると、もはや、宇宙は無生命としての物質界ではなく、或る種の生命態系を匂わせることに尽きます。先例に記した、「あなたは自分の身体の空間部分を意識していますか、其の空間には空間以外には何ものも無いのでしょうか。」を「あなた」を「神」に置き換え「自分の身体」を世界に置き換えてみれば、興味深い新世界が開けるかも知れませんが、独断的思考を展開すると狂気と見做されることになるかも知れません。哲学・思想ランキング
2021年04月06日
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神の存否-16 量子重力理論の主要な研究対象としてブラックホールが挙げられる例が多い。ブラックホールの内部では一般相対性理論では物理学的には破綻をきたすと考えられており、そこから特に特異点では時空を量子化した理論が有効であるとしています。この面から最近の進捗にはホログラフィック原理が挙げられます。これはブラックホールの内部の情報量の保存限界はその体積ではなく表面積に依存するというものです。これはひも理論の柔らかくひらひらしているようなメンブレーンに合い通じるものがあります。ブラックホールの内部の情報量の保存限界はその体積ではなく表面積に依存することは宇宙が球ではないことの証かもしれません。時空と重力の基本原理である相対性理論と、素粒子と原子を記述する量子力学。この二つの原理を満たす時空の理論である量子重力理論が現代物理学の最先端の研究なのです。此処に更に立ち上げられたのが「物理学者の夢」と言われ、あらゆる力学現象が説明でき、物理学における最終理論になると注目されている理論、「超ひも理論」や「万物の理論」とも呼ばれる超弦理論です。宇宙内外に限らず神存在の実在を基本的な背景とするならば、「量子重力理論」のダークマターやダークエネルギーには注目せざるを得ません。例えば、あなたは自分の身体の空間部分を意識していますか、其の空間には空間以外には何ものも無いのでしょうか。哲学・思想ランキング
2021年04月05日
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神の存否-15 一般相対性理論と量子力学が相互の理論の正当さを主張すれば必ず顕れるのが、「 此の矢は如何なる時点でもその瞬間には止まっている. いつの時点でもその瞬間は止まっているならば,、いつも止まっている。 従いて矢は止まっていて動かない。ゼノンのや矢の運動の連続性のような無限点である「ゼロ点」や、位置情報のみを表象させる「0点」が、一般相対性理論を無限の世界に引きずり込む彼のブラックホールの質量無限大、体積ゼロの「特異点」を浮上させます。とは云え、量子論ならばと云えば、実はうまくいかない理由はある程度わかっています。これは質量を持つ物体の「大きさ」が一般相対論と量子力学で反対の振舞いをすることに関係しています。一般相対論によるとブラックホールの大きさは質量に比例しますが、片や、量子力学によれば物体は波のように振舞い、その波長はその物体の質量に反比例します。つまり、物体の大きさの目安となる長さは、重力では質量に比例し、量子論では質量に反比例するという具合に完全に反対になっていて、これが重力と量子論を一緒に考えることが難しい原因だったのです。此処に現在新たに唱えられる一般相対論と量子力学を統合する理論「量子重力理論」が誕生します。哲学・思想ランキング
2021年04月03日
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神の存否-14 現在最先端を突っ走る「量子重力理論」、アインシュタインの一般相対性理論と従来の量子論との矛盾点を解消するとされる理論です。20 世紀の初頭から前半は理論物理学史上に大きな転機が訪れた時代です。なかでも、一般相対性理論と量子力学の発見は、それ以前の物理学に自然観に鉄槌を下し根底から覆す程の大事件でした。通常に物理科学では一般相対論は星の運動や宇宙の発展などの大きいスケールの物理現象を理論的に調べるのに用いられます。一方、量子力学は原子や分子などの極々微細なスケールの物理現象を考える際に要となる理論です。アインシュタインの作った一般相対性理論の予想に従ったブラックホールは最新観測天文学では、我々の銀河系の中心には太陽の100万倍もの質量があるような巨大なブラックホールがある筈だと報じられています。片や、量子力学によると物体の運動は決った軌道を持たず、様々な軌道を描く運動を足し併せることによって,観測できる最終状態の確率が計算できると思考します。此の原理に従えば、例えば水素原子から放出される光がある決った波長を持つ輝線スペクトルとして観測されることを理論的に説明することが出来得るのです。然し乍ら、いざ、単発では物理現象を矛盾点無く説明できる一般相対性理論と量子力学が相互の理論の組み立てを行おうとすると顕著な矛盾点が浮上します。哲学・思想ランキング
2021年04月02日
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神の存否-13 宇宙全体の95%をも占めているダークマターのその占有を上回るダークエネルギーの登場は比較的最近の1998年となります。大質量の恒星が、その一生を終えるときに起こす大規模な爆発現象である超新星( supernova)が、これまでの理論で予想される速度よりも速く遠ざかっていることが発見され、宇宙が膨張する速度はどんどん速くなっていることがわかったのです。かつての宇宙論では、いずれは宇宙全体の重力で膨張にブレーキがかかり、膨張は遅くなっていくと思われていたため、重力に逆らって加速しながら宇宙を押し広げる未知の力は観測上では発見できず、ダークエネルギーと名づけられました。現在は様々に観測される時代の銀河間の遠ざかるスピード、つまりは宇宙の膨張のスピードを観測することで、ダークエネルギーが時間とともに、何の様に変化するものなのか、其れには変化がないのか等々、その現代にまで発見でき得なかった性質を探る試みがなされています。ダークエネルギー(暗黒エネルギーともよばれる))とは、宇宙の膨張を加速するもとになる未知のエネルギーのことであるのは述べた通りですが、はからずも、アインシュタインが引力である重力によって宇宙が潰れずに静的状態を保つために導入した宇宙項とよく似た性質をもっているのには注意か肝要です。哲学・思想ランキング
2021年04月01日
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神の存否-12 現在の先端物理科学である「量子物理学理論」は、宇宙即ち世界の在り様の見えないものを見る分野だとも云えます。取り分け、ダークマターは見えないのに重力がある暗黒物質、ダークエネルギーは現在は宇宙全体に均等に分布していて、宇宙の膨張スピードを上げる暗黒のエネルギーで、宇宙の理の根元を印すに足る究極の実体を表現若しくは顕現させる要となるものです。最新の観測では、この二つが驚嘆すべきは何と宇宙全体の95%をも占めていることが分かりました。とは云え、その正体はと問えば、何方も推測の域を出ていません。実は、人間の眼には見ることを得ない重力を持つ何かの存在は80年以上も前から知られていました。宇宙を観測すれば銀河団の中の銀河たちの動きが、銀河団相互の重力だけでなく、他の重力の影響も受けているように見えたからです。その重力を及ぼしている未知の物質をダークマターと呼ぶようになりました。極最近では、ダークマターの重力の影響でその背後にある銀河が歪んで見える現象「重力レンズ効果」が発見され、その存在が信じられるようになっています。また、この現象を多く見つけることで、ダークマターが宇宙にどのように分布しているのかといった、地図づくりも進められている状況に立ち入りました。哲学・思想ランキング
2021年03月31日
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神の存否-11 見えないものを見る。此れ程に難しいことはないと云えましょう。夢見は眼球が動いていることからも視床核神経から視覚脳が働いていると見られ、謂わば幻視とも云うべきもの。現実世界の在り方を見るのは古史以前は其の幻視が宗教を齎したのかも知れません。古史上では見えない物を見ようとする形而上哲学や物理的観測が出来ないために思考で憶測した唯物論、神の発現とも取れる神格の顕現及び神託、 哲学で、感覚・知覚と異なる知的精神作用で対象を心に浮かべて其の起因をよく考える思惟、此の「思惟」はネーデルラントのスピノザを始め西田幾多郎にも顕著に取り上げられています。今現代の物理科学の最先端ではアリストテレス以来、形而上の領域を諸科学によって置き換えられていったが、最後に狭い領域が残り、それが大きく認識論と存在論に大別され、現在もこの分類が残存します。認識論ではヒトの外の世界を諸々の感覚を通じていかに認識していくかが問題視されます。認識という行為は、人間のあらゆる日常的、あるいは知的活動の根源にあり、認識の成立根拠と普遍妥当性を論ずることが存在論でしょう。然し乍ら、哲学における方法論は思弁に尽きるため、仮説を立て実験によって検証するという科学的方法論は長年取り入れられることはなかったことから、哲学論は基本的に仮説の羅列に過ぎず、単に主観的な主張であり、客観性の保証が全くない内観法が哲学者の主たる武器であったことが、先端物理科学に遅れを取る因となります。哲学・思想ランキング
2021年03月30日
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神の存否-10 シッダールタは、釈尊の出家以前の名である。生に苦しみ出離出脱を求めたシッダールタは、苦行に苦行を重ねたあげく、河の流れから時間を超越することによってのみ幸福が得られることを自習して世界を学び、遂には一切を在るが儘に愛することを覚ります。所謂、悟り解脱の境地に達したのです。西洋宗教が見得ざるものを神の顕現や預言としての奇跡に由来するのに対し、シッダールタは解脱以降は自らの精神が世界を捉えた「直覚」を語ります。その真髄は世界にある限りの、在りと汎ゆるものは「人格的神性」や「神格性」から生じたものでは在る筈もなく、当時は無限の世界として捉えていた天空や人現精神が思惟、即ち、対象を心に浮かべて其の起因をよく考えること。また、浄土の荘厳(しょうごん)を明らかに見ることを知ります。此の事実は何かしらの人類生存の理の予言をしているのかも知れません。釈尊になった、シッダールタは究極の精神起因なるものの原泉である実体を見通したのかも知れません。其れ故に、釈迦は所謂、事物または表象からある要素・側面・性質を取り分け抜き出して把握する抽象的な概念を超えた「絶対的因」に気付かされ己を虚しゅうする術、世界との同化作用に入った人類最初の思索家と云えます。此事実が齎す啓示は全て現代に在する人間が、釈尊の一応にしても思考受け入れば、精神的安寧は保証されます。哲学・思想ランキング
2021年03月28日
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神の存否-9 「神」に人格性を帯びた「神格」を賦与した宗教はシッダールタの解脱以前の印度大陸にも「神存在」は説かれています。覚りを得た釈迦は、其れ等の神を政治的意味合いもあったようですが認容していました。其れ故に、「神存在」にも戦いや滅びがあることを説いています。永遠なる存在を唯一神のなかではイスラム教を除いては、屡々、神を擬人化することからも、基本的には西欧の神は「全き実体=実有」ではなく神其のものが自己の実体を制限しているように想われ、意思や精神の実体に敢えて不完全性を持ち込んでいるとさえ解します。例えば、真理が絶対そのもので,仏陀を通じて開顕されるということは、真理がキリスト教などの〈神〉の地位に代わるものであることを示すことを考察すれば容易に解ります。シッダルタとナザレのイエス、後の釈迦とキリストを比較すれば、先ずは、絶対の実体の紹介者・仲介者・預言者及び教主としての立場は共に同様ですが、仏教は絶対者が非人格的な真理であること、覚者たることが万人に開かれているのは、絶対者が非人格的な真理であることを釈迦が解き、ダルマ((dharma/法)を要としたことです。仏教は此れにより人間精神の小世界を脱却し無限の世界に飛躍しました。哲学・思想ランキング
2021年03月27日
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神の存否-8 絶対とは「思考においても実在においても一切他者に依存せずそれ自体として自律的に存在し自己のうちに存在の根拠を有するものをいう」のが通例であり、絶対存在とは「思考においても実在においても一切他者に依存せずそれ自体として自律的に存在し自己のうちに存在の根拠を有する一の実体」。他には「絶対者」も哲学や信教では多くに著されていますが、意味合いは多分に混沌としており、決定的な解釈論は見受けられません。例えば仏教では真理がこそが絶対であるとしていますが、唯一神教などでは、預言などを通して「神」に人格性を帯びた「神格」を賦与しており、「絶対・者」の意味合いが強く込められており、真理が神の新たなる創造であるかのようです。此れは、仮に神が一としての完璧ならば「神」が人類に干渉するなどは到底考えられないことからの認識から出ているともとれます。哲学・思想ランキング
2021年03月26日
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神の存否-7 現在に照らして人間認識論の立場から絶対存在を観相してみれば、過去から現世そして未来の世界。過去はなくして現世のみの世界でしょう。過去は無くして現世のみの世界であれば未来への変状も当然に予想し得ず未来も無くなります。未来への予測が「人格性を与えられた神格的な絶対」であれば、現代の相対性理論と量子理論の折衷から育った量子宇宙論には、今ははや、古典的であり立ち行くすべもない時代が来ており、新しい創世理論への期待が待たれます。現代までの絶対存在を説くものの流れとしては、絶対存在と絶対者を敢えて区別しなかった形而上哲学、物の実体即ち絶対存在を認めるものの、其の創造に関わる無限の他者としての絶対者を主張する唯一神教の類い、なかでも、神秘主義(mysticism)の絶対者の言及には通常の表現を許さない経験が示唆されているいます。神秘主義とは物の実体には重きを置かず、神・最高実在・宇宙の究極的根拠などと考えられる絶対者を,その絶対性のままに人間が自己の内面で直接に体験しようとする精神的な立場をい云い、その根本特質は、術語的には神秘的合一(ウニオ・ミュスティカ/unio mystica)といわれる絶対者と自己との合一体験にあり、さまざまなバリエーションをもって広く宗教史のうちに顕れています。物質的実体は神の創造としての実体であり、其の実相は精神の実体にに有るとしますが、「実体」即ち「有」として在るものを否定したかの如き思考は「実体の空虚」を俎上させる可能性無きにしも非ずです。哲学・思想ランキング
2021年03月25日
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神の存否-6 ヘーゲルの生きた世界では、「絶対者(the Absolute)」、言い換えれば「絶対存在(Absolute existencethe)としても語彙的には同様に思えますが、神仏調和説における絶対的存在としての仏や菩薩と、その化身である神という形を取ることにより、神仏の調和の理論的裏づけとしたものもあり、一概には同一視は出来得ません。あらゆる有限の区別・対立・制約を離れ、感性的現象の世界を越えてそれ自体で存在し、しかも、世界を根底において成り立たせているものとすることには極端な神に人格を賦与するとした宗教を除いては異論がないでしょう。西洋哲学ではスコラ哲学やライプニッツ及びスピノザなどの神=実体説、あるいはフィヒテの絶対我、あるいはヘーゲルの絶対精神、あるいはショーペンハウアーのいう絶対意志などの説が乱立しますが、近世では波多野精一の西洋哲学史要(1901)の近世哲学史に著せる「絶対者は自然及精神として発現す。従て哲学は自然哲学と精神哲学との二に分る」とのとおり完全に自然哲学と精神存在論からの探求が中心であり、近世に於いて物理科学は「絶対存在」の追求という面では神学哲学や形而上哲学等々の追っ掛けとしての地位に甘んじていました。哲学・思想ランキング
2021年03月24日
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神の存否-5 ヘーゲル哲学の絶対者への探求のカテゴリーは、二つの異なった方向へ延長することができ得ます。その一は、人類の神化に通ずると想われる方法論です。その二は、ヘーゲル文献や生き方を通した推理からして我々人間を通しての絶対者の自覚に通ずる精神存在論からくる認識論です。然し乍ら、物理観測科学が現代とは比較すべもない時代ゆえに証明が実証すべくもなく観念論に成らざるを得ませんでした。今はIT現代の分析技術の急速な高度化により、絶対者への存否の探求のカテゴリーは、三つの異なった方向へ延長することが必要となります。一つは我々人類の精神存在論からくる究極の精神としての存在。二つは全ての物質全般の創造因。三つ目は精神と物質両者其のものを充たす「結果であり経緯であり原因である」、即ち、従来の宇宙の時空論に囚われない究極の物理科学が描く世界「量子重力理論(quantum gravity theory)」にて絶対存在を解釈し得る時代に突入します。哲学・思想ランキング
2021年03月23日
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神の存否-4 ドイツ観念論を大胆な直感で世界を語る天才シェリングシェリングとは友人にして、古代ギリシアの詩の世界を愛するヘルダーリンとも交友を結んだ、規則に縛られた神学校の環境を好まない点で意気投合し互いの思想に影響しあった、ドイツ観念論の重鎮ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel/ 1770年 - 1831年)は、シェリングの神の存在様態について異論を述べます。ヘーゲルは、有限者に対立するものは絶対者ではなく、それ自身自らの一種の有限者にすぎない。真の絶対者はあらゆる差別を含んだ同一者、有限者を含んだ無限者であるとします。彼において絶対者は、「発展的に歴史的世界において自己を実現してゆくもの」であり、謂わば精神として把握しており、個物の実体性や様態及び属性には其程の重き立ち位置を与えていません。(the Absolute の訳語) 哲学で、あらゆる有限の差別・対立・制約を離れ、感性的現象の世界を越えてそれ自体で存在し、しかも、世界を根底において成り立たせている絶対的なもの。たとえば、神・実体(スコラ哲学、ライプニッツ、スピノザなど)、あるいは絶対我(フィヒテ)、あるいは意志(ショーペンハウアー)などに対して、絶対精神に重きを置いているので、先端物理科学が神の存否を定義化するのには難があります。哲学・思想ランキング
2021年03月22日
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神の存否-3 世界大百科事典第2版の「絶対者(the Absolute)」の解説にはシェリングとヘーゲルを登場させています。フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・シェリング(Friedrich Wilhelm Joseph von Schelling/1775年1月27日 - 1854年8月20日)は、ドイツの哲学者であり、フィヒテやヘーゲルなどとともにドイツ観念論を代表する哲学者のひとりですが、彼は神の存在様態について、神は人間の存在根拠に他ならない。神のうちには、神の部分であって神そのものではない「神のうちの自然」があり、神自身と対立している。自らを隠し閉ざそうとする神のうちの自然は、自らを現そうとする神自身にとっての「根底」(Grund) であって、生まれ出ようとする憧憬と隠れようとする力との二つの方向性が神のうちに相争う。神は、自身のうちなるこの対立を自ら克服し、愛をもってこれを覆う。かくして神とその被造物は顕れ出る。そして被造物の頂点である人間のなかに、この目もくらむ対立は自由の可能性として再び現れてくるのである。ここでシェリングは、彼がそれまで積極的に肯定してこなかった神の人格性を強く主張しているます。また、いまやシェリングにとって、必然性と自由の対立は、同一期においてそうであったように、たんに絶対者において、したがって本質においては無差別である観念的対立とはいわれていない。実在するもののうちにたしかに対立はあって、その対立を可能にする場とそのありよう、さらにはそのような対立を超えるものの可能性が、いまや問題とされてくるのであるとします。絶対存在に人格を超えた神格性を与えたところが特徴です。哲学・思想ランキング
2021年03月20日
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神の存否-2 絶対的真理の存在論的証明は、人類の曙以来問われ続けられてきた課題です。通常我々が聞き及んでいる絶対的真理の存在は、古史以来の哲学にも多く見られるように「絶対者(独:Absolute/仏:absolu absolute/英:the Absolute)として表現されています。小学館デジタル大辞泉では、哲学では他の何ものにも依存せず、無制約的にそれ自身において存在する最高の超越的実在として絶対的なもの、無制約者と記されています。世界大百科事典第2版の解説には、如何なる他のものにも依存せず、自立的・自発的且つ自在であり、条件や制約による制限を知らず、完全で究極的な存在をいうとあります。古代の記史以降に顕われる、人間とは無関係に存在しその法則に人間が介入しえない世界という意味での自然を意味でフュシス、「自然対社会」という対概念は,古代ギリシアの哲学者によるフュシス(physis)対ノモス(nomos)という対概念以来のもので,対してノモスは習慣や法律や制度など人間が人為的につくったものを意味しました。他にはコスモスとしての宇宙、善のイデア等の実体、一者(to hen)とも呼称されます。然し乍ら、中世以降、取り分け西洋文明の以来の神や其れに準ずるものは,人間を超越する狭義の絶対者として語られます。近世以降になっては精神・理性・自我性・人間性、更には人間に無条件の服従と承認を迫る理念、知や信念などが人間界における絶対者として登場します。「絶対(absolutus)」とは元来は解き離された意を意味し、ここから独立的・自存的の意味となります。此等の定義に対し日本大百科全書(ニッポニカ)の解説では、絶対者とは相対者の反対概念として顕れます。其れそのもの自身において存し、他の何ものによっても制約されず且つ限界づけられないものを云い、場合によりては「無制約者(das Unbedingte)」とも呼ばれることがあるとします。哲学・思想ランキング
2021年03月19日
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神の存否-1 他の全ての汎ゆる何ものにも依存しないで自立・自在若しくは自存し、自発な存在であり、他物からの影響を受けること一切無く、己の存在を己が維持することが可能であり、他からの制限や制約などといった事柄には関与せず、全く自立した究極的な「もの」としての存在、此れを「絶対存在」と呼称しますが、絶対存在という語彙も、形而上哲学・唯物的哲学・神学哲学はもとより、人間の獲得した心性に重きを置く精神の深奥に「真」を求める自己に内奥する精神から世界の理を究めんとする修養型の「覚り」の分野、将又、現在最先端の量子物理学理論にも究めんとする目標には相違がない筈です。我々人類が理知を求めて新しく目覚めたとされる人類の「世界の真相」を究めんとする欲求は此処に極まったとします。なかでも、思考的には慣行とする絶対枠に囚われない物理科学の最先端の「量子物理学理論(Quantum physics)」は、従来の哲学や神学及び物理学に鉄槌をくだし、我々の過去の世界観から解放を齎すかも知れません。世界は制約ばかりではなく無限の可能性を秘めていることに期待してください。哲学・思想ランキング
2021年03月18日
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