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やっとの思いで大型免許を取得して念願のオートバイが来た。 みんなからは非難轟々で“いい年をして”とか“危ないよ”とか色々な声が耳に入る。それはもっともな反応で私がその人でもそう言ったと思う。何せバイクは金食い虫だし何より危ないのである。それは若い頃のバイク体験で重々わかっていることである。今回初ツーリングに行ってそれを再確認した。我が家に来たバイクの名は“隼”正式名称はGSX-1300Rで、排気量1300cc(ホンダフィットと同じ)で逆輸入車。馬力は175馬力とモンスターマシンなのである。300km走行を想定しているため空力特性を考慮してかなりイカツイ近未来的なデザインになっている。 後輩と二人(男)と二人で三河路ツーリングである。朝9:00和泉庵(うどん屋)の駐車場に集合、私は車体のカバーを外してよっこいしょと単車を広いところまで動かす。なぜかと言うと走り出す前に暖機運転をしなければいけないのでアパートの近くだとエンジン音がうるさいので近所迷惑なのである。 やや民家を離れそこまでは押して行く。キーを差込みクラッチを切ってセルを回す、ツーリングに行く朝はこの動作がなんだか一番高揚する。“キュキュキュキュ”“ブオーン”とエンジンがかかり不安定ながらアイドリングを始める。その間にメットとグローブを装着して準備体操!水温系がやや動いたところまで暖機して、バイクをまたいで早速クラッチを切ってニュートラルから一速にギアを入れる。2.3回アクセルを煽ってクラッチをつなぎソロソロと出始める。 集合場所までは10分である。集合場所には後輩がもう待っていた、奴のバイクはオフロードのバイクでDT250ランッツア。我々は23号線に乗っていざ蒲郡市へ。蒲郡は三河湾スカイラインという有料道路がありバイクマンの聖地である。今日も日曜と言うこともあって沢山のバイク野朗は集まっており、それに加え何かのミーティングであろうかフェラーリ数台、ポルシェ、ロータス、ロードスター、プジョーと言ったコアな面々が己の車自慢に集合していた。もちろんそれらは全部別の組でお互いの覇権を争っていた。その中で一番の勢力だったのは珍しくもロータスであった。(ピュロスしかわからんだろうなー)僕らは逃げるようにそこを出てワインディングを流す事にしたのだが、後ろからブンブン若いニーチャン達が後ろから追っかけてくる。その度に道を譲りあげくには後輩にまで抜かされる始末な私。やはり7年のブランクは感を鈍らせているばかりか、心に恐怖心を植えつけていた。コーナーで車体を倒しこむのが怖くてしょうがないのであるが、オートバイが極端に大きくなったのも災いしている。なんとかワインディングを降りて一路浜松へ向かった。浜松ではバイクショップへなんか買いに行くのであるが、具体的にあれを買うとか何を買うというのは無くただ行くだけで楽しいのである。まあ新車を買うとオートバックスに行きたくなるのと一緒である。帰りはご飯も食べずに高速を帰って来たが、やはりそこでも僕はビビリが入っていた。“俺はいま高速を生身の体で走っているのだ”という気持ちがあり、つくづく車はいいなと再確認した。まったく慣れるのにどのくらいかかるのか?いつになれば人並みに乗れるのか?その日は来るのか?まだまだ悩みは一杯である。今度はあなたのところにツーリングに行きます。
2003年06月09日
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私たちの無謀とも思える海外スキー合宿もそろそろ終わりに近づこうとしていた。正直行く前僕は飛行機と初めての海外と言うことで“ビビリ”が入っていた。そもそも14時間のフライトもきついし、言葉もドイツ語でしゃべれない。どうしようかと思ったが着いてしまえば日程に追われる毎日で、気が付いたら帰る日が近いことに気が付いた。正直旅行記が売りのこのホームページもこのツェルマット記については書くことが困難であった。なぜなら毎日が単調でスキーしかやることがなく、そしてツェルマットの売りは景色にある以上その景色が写真で紹介できないとなると、旅行記もただのどこいったというレポートになってしまう。写真を加工して小さくすれば良いのだが、この日記を読んでくれている面子には紅茶パンさんをのぞいて実物の写真を見てもらっているので今更という気がしてやる気にならなかったのが実情である。やや脱線したが旅行の何が困ることかと言えばやはりお土産である。まして新婚旅行ともなればお土産を買っていかないわけにはいかない。しかし今回はスキー旅行であるがために問題となることが一つあった。それは荷物の重さである。基本的にスーツケースは20kgまでで板は5kgまでというのが決まっていて、今はこの検査がかなりきびしい。1kgオーバーするごとに¥6000取られるのである。いけないことであるが荷物の下着やスキーのインナーなどは古いものを持っていって、向こうで捨ててきたのであるがそれだけではまず足りないのである。機内持ち込みのリユックにも荷物をパンパンにいれて、着る物はスキーの板にぐるぐる巻きにして分散をした。X線を通せば僕のスキーの板はパンツやシャツでグルグルで実物とかなり違って見えただろう。最終日は午前中はフリーである、滑りたい人は滑ってもいいのだがそんな奴は今更いないと思う。われわれも朝から買い物や昼食をして時間をつぶした。スイスフランも使い切らなければ換金のしようがないからである。午後の集合時間に合わせホテルに帰り、重い荷物をもて集合場所へ。そこから電車で麓の町までいってそこからはバスである。ツェルマットは自動車乗り入れ禁の街だからで、みんなそうしている。ガイドの一人は旅したくをして我々と途中まで一緒した。聞けばこれから人がいないのでフランスのシャモニーにガイドに行くそうだ。うーん大変な仕事である。やはり毎日スキーが出来ていいななんて思っていたが、楽しみはたまにあるから楽しいのかもしれない。確かにガイドは僕らがヒーヒー行って楽しそうに滑っているところで、淡々とただ滑っていく。見ていて滑るのが楽しいといった感じではない気がする。そこからチューリッヒまで4時間、飛行機の待ちに1.5時間、チューリッヒからソウルまで14時間、ソウルから名古屋空港まで1.5時間という厳しい現実が待ち受けている。つらい時間になりそうだ。いざツェルマットを離れるとなると以外と寂しいもので、もう少しいてもいいかななどという気になってくる。しかもやっと時差にも慣れたのに・・チューリッヒからやっと飛行機に乗り出発するがやはりやることがなく、寝ても1時間ぐらいで起きてしまう。食事は行きの便と同じでおいしくない。そうなるといよいよやることは無く、もって行ったスキーや車の本がたよりである。外人は真ん中のシートを4人前ぐらい占領して大の字いや小の字ぐらいで寝ている。まあ183cmの私がエコノミーで座って眠るよりかよほど快適そうに見え、実際快適なのだろう。私もあのように振舞えたらもう少し人生楽に生きられると思ったが、なかなか出来そうに無い。やっとの思いでソウルのインチョン空港に着いたがそこで4時間の乗り換え・・・もう早く名古屋に帰してくれーと僕の叫びが空港内に響いたとか響かないとか。インチョン空港は近代的な空港で広く綺麗でお土産もたくさん売っていた。しかーし!私はもう現金は無いし、まして両替でスイスフランというと名古屋で変えてもらってくださいと言われる始末。口が渇いてもジュースも飲めず、買い物はカードで出来るのであるが今更韓国のりやキムチを買ってもどうしようも無く、どこに行ってきたんだ!と言われるのが落ちである。まさか500円程度であろうジュースをカードで買うわけにもいかず、ひもじい思いをしていた。やることはソファーで寝ることとインターネットコーナーで自分のページに書き込みをいれることしか無く、それもいい加減飽きても来る。結局僕らは4時間を無為に過ごしたが、それにしてもインチョン空港は日本人観光客が多く一杯の手荷物を持っていながら、まだ免税店で買い物をしていた。うーん日本人のたくましいこと(OLの)。もう一つの困ったことと言えば、我々はスイスフランが換金しにくい事は知っていたので出来る限りスイスで使い切ってきた。帰りの道中では多分5フランなかったと思う。その結果道中で飲み物を買うことも出来ずかなりひもじく寂しい時間をすごした。名古屋空港にやっとの思いで着いたときに今までスイスの綺麗な空気を吸っていたせいか、かなり空気が汚く思えた。それも多分数日でなれてしまうのであろうが、今更ながらやや都会?の暮らしも恐ろしいものである。そのとき私の連れ添いが“あっ”っと声をあげた。どうやら分けてしまってあったスイスフランのトラベラーズチェックをバックの中から発見したらしい。しかも500フランも・・・今までひもじい思いをしてスイスフランを減らしてきたのはなんだったんだろう。幸いなことに銀行の空港窓口が空いており、時間的にも間一髪で換金できた。そんなむかつく気持ちを押さえてタクシーへ。そのまま連れ添いの実家により早速、刺身定食を食べさせてもらった。あらかじめ寄ることを伝えておき、その際になんか日本食を食べさせてもらえるように頼んでおいたのである。そのとき食べたカレイの刺身がおいしいこと!ありきたりながら“やっぱ和食だねー”とつくづく思った。その後は自宅で泥の様に眠ったことは言うまでもない。
2003年06月05日
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