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やっとの思いで大型免許を取得して念願のオートバイが来た。 みんなからは非難轟々で“いい年をして”とか“危ないよ”とか色々な声が耳に入る。それはもっともな反応で私がその人でもそう言ったと思う。何せバイクは金食い虫だし何より危ないのである。それは若い頃のバイク体験で重々わかっていることである。今回初ツーリングに行ってそれを再確認した。我が家に来たバイクの名は“隼”正式名称はGSX-1300Rで、排気量1300cc(ホンダフィットと同じ)で逆輸入車。馬力は175馬力とモンスターマシンなのである。300km走行を想定しているため空力特性を考慮してかなりイカツイ近未来的なデザインになっている。 後輩と二人(男)と二人で三河路ツーリングである。朝9:00和泉庵(うどん屋)の駐車場に集合、私は車体のカバーを外してよっこいしょと単車を広いところまで動かす。なぜかと言うと走り出す前に暖機運転をしなければいけないのでアパートの近くだとエンジン音がうるさいので近所迷惑なのである。 やや民家を離れそこまでは押して行く。キーを差込みクラッチを切ってセルを回す、ツーリングに行く朝はこの動作がなんだか一番高揚する。“キュキュキュキュ”“ブオーン”とエンジンがかかり不安定ながらアイドリングを始める。その間にメットとグローブを装着して準備体操!水温系がやや動いたところまで暖機して、バイクをまたいで早速クラッチを切ってニュートラルから一速にギアを入れる。2.3回アクセルを煽ってクラッチをつなぎソロソロと出始める。 集合場所までは10分である。集合場所には後輩がもう待っていた、奴のバイクはオフロードのバイクでDT250ランッツア。我々は23号線に乗っていざ蒲郡市へ。蒲郡は三河湾スカイラインという有料道路がありバイクマンの聖地である。今日も日曜と言うこともあって沢山のバイク野朗は集まっており、それに加え何かのミーティングであろうかフェラーリ数台、ポルシェ、ロータス、ロードスター、プジョーと言ったコアな面々が己の車自慢に集合していた。もちろんそれらは全部別の組でお互いの覇権を争っていた。その中で一番の勢力だったのは珍しくもロータスであった。(ピュロスしかわからんだろうなー)僕らは逃げるようにそこを出てワインディングを流す事にしたのだが、後ろからブンブン若いニーチャン達が後ろから追っかけてくる。その度に道を譲りあげくには後輩にまで抜かされる始末な私。やはり7年のブランクは感を鈍らせているばかりか、心に恐怖心を植えつけていた。コーナーで車体を倒しこむのが怖くてしょうがないのであるが、オートバイが極端に大きくなったのも災いしている。なんとかワインディングを降りて一路浜松へ向かった。浜松ではバイクショップへなんか買いに行くのであるが、具体的にあれを買うとか何を買うというのは無くただ行くだけで楽しいのである。まあ新車を買うとオートバックスに行きたくなるのと一緒である。帰りはご飯も食べずに高速を帰って来たが、やはりそこでも僕はビビリが入っていた。“俺はいま高速を生身の体で走っているのだ”という気持ちがあり、つくづく車はいいなと再確認した。まったく慣れるのにどのくらいかかるのか?いつになれば人並みに乗れるのか?その日は来るのか?まだまだ悩みは一杯である。今度はあなたのところにツーリングに行きます。
2003年06月09日
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私たちの無謀とも思える海外スキー合宿もそろそろ終わりに近づこうとしていた。正直行く前僕は飛行機と初めての海外と言うことで“ビビリ”が入っていた。そもそも14時間のフライトもきついし、言葉もドイツ語でしゃべれない。どうしようかと思ったが着いてしまえば日程に追われる毎日で、気が付いたら帰る日が近いことに気が付いた。正直旅行記が売りのこのホームページもこのツェルマット記については書くことが困難であった。なぜなら毎日が単調でスキーしかやることがなく、そしてツェルマットの売りは景色にある以上その景色が写真で紹介できないとなると、旅行記もただのどこいったというレポートになってしまう。写真を加工して小さくすれば良いのだが、この日記を読んでくれている面子には紅茶パンさんをのぞいて実物の写真を見てもらっているので今更という気がしてやる気にならなかったのが実情である。やや脱線したが旅行の何が困ることかと言えばやはりお土産である。まして新婚旅行ともなればお土産を買っていかないわけにはいかない。しかし今回はスキー旅行であるがために問題となることが一つあった。それは荷物の重さである。基本的にスーツケースは20kgまでで板は5kgまでというのが決まっていて、今はこの検査がかなりきびしい。1kgオーバーするごとに¥6000取られるのである。いけないことであるが荷物の下着やスキーのインナーなどは古いものを持っていって、向こうで捨ててきたのであるがそれだけではまず足りないのである。機内持ち込みのリユックにも荷物をパンパンにいれて、着る物はスキーの板にぐるぐる巻きにして分散をした。X線を通せば僕のスキーの板はパンツやシャツでグルグルで実物とかなり違って見えただろう。最終日は午前中はフリーである、滑りたい人は滑ってもいいのだがそんな奴は今更いないと思う。われわれも朝から買い物や昼食をして時間をつぶした。スイスフランも使い切らなければ換金のしようがないからである。午後の集合時間に合わせホテルに帰り、重い荷物をもて集合場所へ。そこから電車で麓の町までいってそこからはバスである。ツェルマットは自動車乗り入れ禁の街だからで、みんなそうしている。ガイドの一人は旅したくをして我々と途中まで一緒した。聞けばこれから人がいないのでフランスのシャモニーにガイドに行くそうだ。うーん大変な仕事である。やはり毎日スキーが出来ていいななんて思っていたが、楽しみはたまにあるから楽しいのかもしれない。確かにガイドは僕らがヒーヒー行って楽しそうに滑っているところで、淡々とただ滑っていく。見ていて滑るのが楽しいといった感じではない気がする。そこからチューリッヒまで4時間、飛行機の待ちに1.5時間、チューリッヒからソウルまで14時間、ソウルから名古屋空港まで1.5時間という厳しい現実が待ち受けている。つらい時間になりそうだ。いざツェルマットを離れるとなると以外と寂しいもので、もう少しいてもいいかななどという気になってくる。しかもやっと時差にも慣れたのに・・チューリッヒからやっと飛行機に乗り出発するがやはりやることがなく、寝ても1時間ぐらいで起きてしまう。食事は行きの便と同じでおいしくない。そうなるといよいよやることは無く、もって行ったスキーや車の本がたよりである。外人は真ん中のシートを4人前ぐらい占領して大の字いや小の字ぐらいで寝ている。まあ183cmの私がエコノミーで座って眠るよりかよほど快適そうに見え、実際快適なのだろう。私もあのように振舞えたらもう少し人生楽に生きられると思ったが、なかなか出来そうに無い。やっとの思いでソウルのインチョン空港に着いたがそこで4時間の乗り換え・・・もう早く名古屋に帰してくれーと僕の叫びが空港内に響いたとか響かないとか。インチョン空港は近代的な空港で広く綺麗でお土産もたくさん売っていた。しかーし!私はもう現金は無いし、まして両替でスイスフランというと名古屋で変えてもらってくださいと言われる始末。口が渇いてもジュースも飲めず、買い物はカードで出来るのであるが今更韓国のりやキムチを買ってもどうしようも無く、どこに行ってきたんだ!と言われるのが落ちである。まさか500円程度であろうジュースをカードで買うわけにもいかず、ひもじい思いをしていた。やることはソファーで寝ることとインターネットコーナーで自分のページに書き込みをいれることしか無く、それもいい加減飽きても来る。結局僕らは4時間を無為に過ごしたが、それにしてもインチョン空港は日本人観光客が多く一杯の手荷物を持っていながら、まだ免税店で買い物をしていた。うーん日本人のたくましいこと(OLの)。もう一つの困ったことと言えば、我々はスイスフランが換金しにくい事は知っていたので出来る限りスイスで使い切ってきた。帰りの道中では多分5フランなかったと思う。その結果道中で飲み物を買うことも出来ずかなりひもじく寂しい時間をすごした。名古屋空港にやっとの思いで着いたときに今までスイスの綺麗な空気を吸っていたせいか、かなり空気が汚く思えた。それも多分数日でなれてしまうのであろうが、今更ながらやや都会?の暮らしも恐ろしいものである。そのとき私の連れ添いが“あっ”っと声をあげた。どうやら分けてしまってあったスイスフランのトラベラーズチェックをバックの中から発見したらしい。しかも500フランも・・・今までひもじい思いをしてスイスフランを減らしてきたのはなんだったんだろう。幸いなことに銀行の空港窓口が空いており、時間的にも間一髪で換金できた。そんなむかつく気持ちを押さえてタクシーへ。そのまま連れ添いの実家により早速、刺身定食を食べさせてもらった。あらかじめ寄ることを伝えておき、その際になんか日本食を食べさせてもらえるように頼んでおいたのである。そのとき食べたカレイの刺身がおいしいこと!ありきたりながら“やっぱ和食だねー”とつくづく思った。その後は自宅で泥の様に眠ったことは言うまでもない。
2003年06月05日
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ツェルマットのスキーエリアは広大で日本の比ではないのは容易に想像がつくと思うが、そのコースが日本よりも楽しいとは限らず、単調なコースが多いのである。スイスやフランスのスキー場はもともと山岳リゾートの冬季営業方法としてのスキーであるのに対して、カナダやオーストリアなどはスキーリゾートの為のスキー場である。前者は美しい景色と夏は山岳登山のエリアとなるのに対し、後者は純粋にスキーを楽しむ為に最初から作られているので、リフトの利便性やコースの面白さがかなり違う。現地のスキーヤーもそれがわかっていて、スキーシーズンになるとドイツ、フランス、オーストリア、イタリアなどからバケーションという日本には無い制度でやってきては、お金を落としていく。スイスは観光大国なので非常に観光客を大切にするし、物価も観光地料金である。水は買うものでエビアンなどは大体5フラン(500円)ぐらいでやや高い。昼食もなんだかんだで一人25~30フランはするので長期に滞在すると結構つらい。スキー場での滑り方もかなり違い、外人のリゾーターは長めの板でロングクルージングをスイースイーっと楽しんでいるのに対し、私たち(私だけかも)は板も持参して小回り三昧で板も短く(今日本では短い板が流行り)、大回りはカービングと言って競技ライクな滑りで向こうの人から見れば滑稽なのかもしれない。でも確実に日本人のほうが上手い!多分向こうの人はスクールなんてものには入ったことが無いようで、スクールの役目は技術向上の場ではなく子供を預けるための託児所の様相が強い。スクールの先生は子供を引き連れてゲレンデをゆっくり滑っている。私たちの班に新婚さんが入ってきた事があり、その新婚さんは結婚式が終わってその足でスイスに来たというつわもので、自称モーグラーでコブが大好きらしい。少しでも隙やコブ(コブと呼べるような物は無く起伏に近い)があるとすぐガイドに言って「ちょっと攻めさしてもらっていいですか?」と単独行動をしていた。僕はすごいなーと思いつつ少々引いていた。なにせ何にも無い整地斜面でもかたくなに小回り(モーグラー仕様の)をしていてすごい運動量だった。よくあれで疲れないなー、さすが新婚と思っていたら3日目から奥さんがくたばったらしく出てこなくなった。ホテルでもモーグルしたのですか?とは聞かなかったが・・・我々のスキー合宿は朝起きてバイキング~スキー~昼飯~スキー~夜飯~買い物~就寝という計画的な毎日で何の変化も無い。確かに景色はすばらしいしスキー場も広大だが何か僕の中では足りないものがあった。それは何かいまだにわからないでいるのだが・・昼はスキーに明け暮れ、夜はお土産選びでクタクタである。まあ新婚旅行なんてそんなものかも知れませんがね。私たちのスキー合宿もとうとう終わりを告げる時が来た。やっと時差に慣れたというのにもう帰るわけで、そしたらまた時差ぼけが待っている。
2003年05月26日
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ガイドは「はい行きますよー」とどんどん滑っていってしまう。さすがに上から下まで何十キロとあるスキー場のガイドはちんたらはしていない。だいたい滑り出して分岐点や看板の所で待っていることが多く、そこまでゆうに10kmほどある。思っていたよりしんどいく、空気が薄いのか息が上がってしょうがない。そもそも日本のスキーヤーはロングコースを滑ることには慣れていなく、短い距離をガシガシ滑っては止まるというパターンが多いので、なかなか一気に滑り降りると言う動作に慣れていなく初日はそれでかなり疲れた。足はパンパンで乳酸が溜まりまくりである。それに行ったときは2週間ほど雪が降っていなく、パウダーなんて雪とは程遠く結構アイスバーンであった。持って行ったスキーが柔らかいスキーなのでそのような硬い斜面は苦手とするところである。さすがに本気で滑るとガイドを抜いてしまうので、なるべく一番最後にスタートすることにした。ちなみに上級、中級、初級(ご老人)と朝に組み分けがされる。我々の上級はファミリー(父親はスキーイントラ、息子は元気一杯の高校生)1組と我々夫婦、あとスキー好きな夫婦(中年)と新婚カップルの10人弱で、それはリタイヤや体調不良の人もいるのでその日によって変動する。うちの嫁さんも4日目ぐらいにへばって中級への降格を願い出たが、「今日はゆっくり滑るので大丈夫ですよ」とすかさず却下された。ガイドいわく「日本人は滑っていてすぐにわかる」と言うことだった。なぜならこの広大なゲレンデでちまちまショートターンをやってるのは大体日本人だそうだ。日本のゲレンデはもともと小さいのでショートターンを多用することが多くなってしまうのでしょうがない面もある。でも一番ショートターンが上手い民族であろう。現地やあちらのスキーヤーはどういう滑りなのかというと、だらだらと長い距離をゆらゆら滑っている。向こうの人にはスクールに入って技術を高めようという観念は無いようだ。現にスクールは存在するのだが入っているのは子供ばかりで、親が滑るために預ける託児所代わりらしい。向こうの人にとってはスキーはあくまでもリゾートで日本人の様にコブや小回りを多用したりはしない。であるから僕は外人の前ではわざと小回りで滑るようにしてやった。そうするとみんなじろじろと見ていくのがわかる。大回りも外人の様に閉脚ではなくしっかり開脚でレーサーの様に滑ってやった。やはりオガサカのレーシングの板で来ればよかったと心の底から思った。向こうはリフトと言うものはあまり無くて、Tバーといった簡易リフトが多い。永久氷壁の氷河が底にあるためリフトが立てられないらしい。それに比してゴンドラやロープウェイはでかい!一回が100人は乗れる大きさであり、距離も半端でなく山のてっぺんまで運ばれる。総じて外人のスキーウェアーは色的に地味で日本人のウェアーは原色系で派手目なのだが、私のウェアーはまた派手で上着がスカイブルーでズボンがオレンジである。ロープウェイに乗っているとどうも外人の目が気になるのである。こちらを見てはこそこそ話している、「なんでだろう~♪」と思っているとどうやらガイド曰く、たうりんさんのウェアーはフランスのナショナルチームの正規モデルらしく、ウェアーには“フランスナショナルチーム”とか“ルノー”とか書いてあるらしい。それで板はサロモン(フランス製)で日本限定モデルなので外人は知らないモデルなので、こやつ只者ではないといったひそひそ話しらしい。僕は軽い優越感に浸りながらフランスナショナルチームとして恥じないすべりを最後の日まで強いられることになった。そもそも明らかに東洋人なのだからフランスチームの訳ないと思うのだが・・・急斜面でショートターンをするとみんな道を空けてくれてじっくりとすべりを観察される。“旅の恥は掻き捨て”なのでがんがん滑ることにした。志賀高原では劣等性な私なのだがツェルマットではナショナルチームなれるわけである。まあ一生に一度あるかないかの事なので甘んじて楽しむ事にした。
2003年04月08日
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ああもう朝か・・・zzz僕はなぜかぼんやりと眼を覚ました。嫁様はまだ寝ているようであたりも真っ暗だった。時間を見たらなんと午前3時ちょうど!ええー!ってかんじである。何故起きてしまうのか疑問なまま二度寝もできずゴロゴロしてはまんだりとしていた、どのくらい経ったのだろうか?カーテンを開けるとうっすらと明るくなって来て、遠くにマッターホルンが朝日を浴びて綺麗に写っていた。どうやら雲はなく快晴の様であったが、僕の体は長旅と睡眠不足でドロドロであった。思わずそのマッターホルンをデジカメで写してテレビをつけた。なんだか訳のわからない番組で何をしゃべってるのかもわからない。初日は9時に近くのケーブルカーの駅に集合で、朝食は7時からである。普段の朝は時間が無くて困るのに、眠れなかったときは異様に時間のたちが遅いもんである。7時ジャストに嫁さんを起こして朝食に行く事にした。朝食はビュッフェスタイルで、ハム、チーズ、ヨーグルト、パン、ゆで卵、ジュースなどが並んでおりそれを自由に取ってくるのだが、やはりハムやチーズは癖がありなかなか馴染めなかったが、パンやジュースはかなりおいしい。パンはいつも焼きたてでかなりおいしい。あとチョコレートドリンクがおいしくて、いわゆるこちらで言う“ミロ”であるのだがあちらのはかなり甘い。これは気にいったのでがんがん飲んでいたら、ふと袋の後ろを見るとカロリー450kclと書いてあって“まじかよ!”と思ってその日以降から飲むのをやめた。私はスキーを滑る前に今回の旅行ではダイエットを目標に掲げていたので、ハイカロリーな物は食べないようにしていたつもりだが、いかんせんスイスやイタリアでのダイエットはまず不可能に近かった。朝食を終え9時集合なので少し早く出ようと30分前に出発してみるが、日本人の嫌なところで我々が行ったときにはもうみんな集まっていた。日本人は余裕が無くていけねーやと痛感した。初日はやや標高の低め(低めと言っても3500mぐらい)のスネガというスキー場に行くことになっており、2日目で真ん中のゴルナーグラード、3日目で一番高いクラインマッターホルンの予定でそれは高山病対策のためのプランなのである。最初のスネガエリアまではトロッコ電車の様なのんびりとした電車で約40分かけて登っていく。景色はそりゃあもう“ハイジ”である。山は森林限界で木は段々無くなっていき、あたりはもちろんだが雪ばかりである。その中にひときわ大きく聳え立っている山がありそれが有名はマッターホルンで、近くで見ればややきついとんがり山っといった感じであるが、標高は4000mを越えている。麓には山小屋がありそこから片道3時間ほどで山頂に着くが、その道程は険しく岩肌がむき出しの岩山なので落ちたらひとたまりもない。毎年30~40人は滑落して天国に召されるらしい。そうこうしているうちに電車はスネガの頂上駅に到着して、ガイドが「はい降りますよー」と言うがあちらはリゾート地なのであくせくしたところはなく、みんな板を担いでゆっくり降りる。やっと来たのだ海外のスキー場に!僕はちょっと興奮した。電車から降り立ってあたりを見渡すと一面雪と山とサンサンと照りつける日差しと新鮮な空気がそこにはあった。そこからまずひとところに集まり、これから滑るところの説明やら写真やらスケジュールを話し始める。回りの外人が“日本人め”って感じで見ていく。そういえば日本人って群れて行動するなーなんて思いながら僕はガイドの説明などまったく耳に入らなかった。僕が考えていたのは新品の板がどんな感じかと、その外人どもにジャパニーズスキーヤーのIKIZAMAをどう見せてやるかだった。相変わらずみんな写真を撮ったり景色を眺めたりしている。一応そうは言っても僕も写真をパシャパシャ撮っていた、僕の体の中には生粋の日本人の血が流れているようだ。さあそろそろ出発である、板を雪に置きブーツの底に着いた雪をストックで叩き落とす。このしぐさはスキーをやっている人にしかわからない描写であろう。ステップインのビンディングに足をいれ装着する。サロモンデモ9パイロット170cmで日本特別仕様のオールラウンドモデル。本当は外人にジャパニーズスキーの真髄を見せるにはジャパニーズスキーブランドの勇であるオガサカスキーを履いてこようと思ったのだが諸事情で断念した。オガサカのスキーで奴らをぶっちぎってやるのが僕の夢であった。ちなみに私は尊皇攘夷の志士では無いので外人が嫌いなわけではありません。でもアルペンスキーで日本がまったくスイス、オーストリー勢にかなわない事はは事実であるので、小さい島国のサムライスピリッツを少しでも見せてやりたかったのだ。
2003年04月03日
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結局私は一睡もせずにチューリッヒに降り立った。長い戦いだった・・・ハリーポッターの後の映画は韓国映画らしくてぜんぜん意味不明であったし、数時間なんとか眠ったがその後はなんだかもんもんとして雑誌やら音楽を聴いて過ごしていた。テレビのモニターには映画や機内の案内を放送していないときは壮大なナビゲーション画像がいつも映っていて、今自分がどの辺を飛んでいるのかわかる仕組みになっている。ソウルを飛び立ってユーラシア大陸を横断してヨーロッパへと向かっていく。正直チューリッヒ近くになり高度を下げたときはかなりの喜びであった。機体はなんとか無事に着陸して私はヨーロッパの地に降り立った。よく言われることであるが、ソウルはキムチの臭いがしてアジアは臭かったりすると聞いたことがあるが、果たしてスイスはどんな臭いなのであろうか?やや期待に胸を膨らませて機から降り立ったが何のことはない普通の香水だかなんだかわからない臭いがした。もともと香水をつけない人が多い日本ではなかなか嗅げない臭いで、向こうの人は結構コロンやら香水やらをつけている様だ。気分が悪くなるものではないが、やや気にはなった。まあ外国の臭いと言ったところか・・・私はまずトイレに行ったがその綺麗さには恐れ入った。正直うちの病院のトイレの方が汚いのである。スイスは観光大国なのでトイレにはかなり気を使っているとの事。それは標高4000mの高地でも変らなかった。私たちは旅行終わりまでトイレで困ることはなかった、なかなかありがたいところだ。入国手続きを済ませてフロアーに出ると、私たちのツアーの係員が待っていて声をかけてきた。私たちは最初からそのツアーのシールやらワッペンを胸やスーツケースに付けているので、発見が容易だったのだろう。27歳ぐらいの女性で元気のあるガイドっぽい人だった。その人に導かれるままに空港を後にしてバスで4時間かかるツェルマットまで向かうことになった。バスに乗り込むとスイスの説明や次の日の説明があったらしいが、飛行機で眠っていない私はバスでついにヒュプノスにとっつかまって眠りの淵へと連れ込まれた。道中いろんな事があったらしく、バスのまま鉄道に乗ったりしたらしい。ヨーロッパでは普通のことであるらしいが、省エネの為山岳地帯などは鉄道が通っており、それには人だろうが車だろうがバスだろうがなんでも乗り合いである区間乗るらしい。陸地を行くフェリーに車やバスが乗るようなものだ。そんなものも爆酔していた私はつゆ知らず、あっという間にツェルマットの一つ手前の駅にバスは到着した。ツェルマットは環境地帯で排気ガスを排出するものは乗り入れできない。だから街で走っているものは電気自動車と馬車である。諸外国のリゾーターもその駅に車を止めて電車でわざわざツェルマットに入る。私たちも例外ではなくそこでバスを下ろされ荷物を降ろしていざ電車へ乗り込んだ。電車は10分ぐらいで到着してやっと!ツェルマットに到着した。時間は現地時間で22:00・・・時差が8時間あるので何時間かかったかよくわからない、というより頭が滑らかプリンになっているので思考力が無い。私たちが泊まるアルペンリゾートと言うホテルのお迎えの電気自動車が迎えに来ていた。ガイドさんの次の日から始まるスキー合宿の集合時間などの説明があり、聞き終わるとそれぞれのホテルに散っていった。我らのホテルは私たち夫婦を家族ずれの3人組の田中さん(仮名)との2組である。何でも田中さんは息子さんが高校入試が終わっての春休みを利用した旅行らしい。息子さんはなんでも野球特待で高校に行ったらしく、将来はプロ野球の選手になるらしい。お父さんは某スキー場のイントラらしくスキーは上手かった。でも中坊の分際で海外スキー!しかもヨーロッパ!ツェルマットだあ~!と思ったが何も言わないことにした。中途半端な時間に着いたのでツアー会社が夜食を用意してくれていた。夜食はハムやチーズの盛り合わせと炭酸水とパンで、ぜんぜん食欲が無かったが貧乏性の私はつい食べてしまった。でもそれはかなりまずくハムもチーズもかなり臭いのである。こちらのはみんなそんな感じであるらしい、それに炭酸水って・・炭酸水は最後までなじめなかったがハムやチーズは段々食べれるようになった。慣れって恐ろしいもんである、最初はとても食べられなかったものが段々食べれるようになるのである。パンと水とハムを少しかじった私はその日はもう寝る事にした。とは言っても現地時間でもう0:00ほどである。体は疲れているのでなんだか時差も関係なく眠れそうだった。
2003年03月20日
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私の敬愛するスイスナショナルチームのジャイアントスラロームのスペシャリストであるミカエルフォングリューニゲンが前回のワールドカップを最後に引退した。彼はスイスチームのエースでワールドチャンピオンである。今回私はスイスのツェルマットに贅沢にもスキー旅行兼新婚旅行に行くことになり、フォングリューニゲンにでも会って「ようがんばったね」って言ってやろうと思って旅にでた。名古屋発7:30大韓航空ソウル経由チューリッヒ行きの飛行機に朝早起きして乗ることに成功した私は、これから体験する長旅の事などつゆ知らず座席に着いた。ただ大韓航空と言う事が心に引っかかったまんま・・・ソウルまで1.5時間そこからチューリッヒまで12時間あとバスでツェルマットまで4時間!なんじゃそりゃ!って感じである。さすがにチューリッヒ行きに便は外人ばかりで僕はさながら幕末の勤皇の志士みたいな気分である。どんな気分かって?いつ腰の物を抜くかわからない状態だよ。このところ北海道ぐらいにしか飛行機を使っていないのでかなり長いデスロードである。私は漫画を10冊あと空港で買った車の本2冊の12冊で往復の旅路を退屈と戦わなければならない。実は僕は飛行機やバスで眠れない人種なのである。私の連れ添いは寝るのが趣味、仕事、生きがい、人生、すべて、みたいなやつでそれに関してはプロ中のプロでさながら睡眠界のゴルゴ29歳である。もしかして今回も仕事料をスイス銀行に預けに行くのであろうか・・・私はやや緊張しながらも漫画をいつもなら読まない様なところも隅々まで眼を通し、あたりを見渡しては休憩を入れながら出来るだけ時間をかけて読んだ。連れ添いは着々と自分のペースで事を運びもう既にトランス状態から深い眠りへと順調にフライトを進めていた。私の唯一の助けは漫画と数回訪れる機内食である。まずは朝ごはんが出た、軽いパンと少々のおかずであまりおいしくないが私にとっては貴重な暇つぶしであり、あとはたまに訪れる映画が頼みの綱である。音楽もあるがジャパニーズポップスなんてのも一チャンネル有るが同じ歌がエンドレスで元ちとせの「この街」なんて200万回ぐらい聞いて暗記できた。そうこうしているうちに夕食で夕食は大韓航空らしくチキンかビビンバ!僕はチキンで連れ添いはビビンバにした。それは結構本格的でコチュジャンも添付していた。まあ食事も書くことが無いまま過ぎて行き、連れ添いはまた深淵の底に潜っていった。私はせまいシートでもぞもぞしながらいたたまれない時を過ごしていたら、ビデオが始まった。ラッキーじゃあー!何が始まるのか楽しみにしているとよく見かける顔が現れた。現在飛ぶ鳥を落とすラドクリフ君である。「ああハリーポッターの賢者の石か」おやなんかストーリーが違うぞ??トビーが出てるということは秘密の部屋か!まだ見ていなかったからラッキーである。映画リストにはナースのお仕事ザムービーも入っていたが、もうそれでもいいやと思っていた矢先の事なのでうれしかった。結構充実した2時間あまりを過ごさせていただいたが、映画が終わると照明が消えて必然的に“寝ろ!”という事になって一層暇になった。でも仕方がないので私も寝ることにした・・・・zzz・・
2003年03月18日
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“たうりん君スキー検定の最終章が書いて無いよ”という指摘を今回少なからず受けた。もちろん私は執筆してアップしたつもりだが、どれどれ日記を読んでみるとやはり書いていないようだ。でも本当に書いた覚えがある、しかしそのデーターは既に無く何処を探しても見当たらない。今回はつたない記憶をたどりながらもう一度書くことにしました。皆様には大変ご迷惑をお掛けしております。では始まり始まり~♪午前の試験が終わって食事を終えた私は他の受験者が午後の為の練習に出かけるのをよそ目に、自分の冷えた足先を暖めるのが最優先事項であった。ぶっちゃけ今更試験の練習なんかしてもまあ合格率には変化は無いだろうという、自己解釈的な考えから練習はやめてぶっつけ本番で望むことにした。午後からは規定種目と言い、三人の検定員の前で1発本番で滑る従来どおりの試験体制であり、まあ一番の難所である。種目は大回り、中回り~小回りのリズム変化の2種目である。斜面は午前中より急斜面になりコブも入ってくる。ゲレンデは雪やコンコン降っても降ってもまだ降りやまずといった具合で、コブ斜面の上に深雪が積もった斜面。我々はまずスキースクールの前に集合していざ戦場へ。斜面の上は1人スターターが付き、前走が一人残り検定員3人はゴール地点へ。ゴールまでは約150mですり鉢状の斜面。私は2番目スタートで最初の種目は大回り。まあ大回りはいつもどおりの感じで行くことにした、今更作戦変更もないだろう。そもそも午前中の点数がわかれば作戦の立てようもあるのだが、自分が受かってるのか受かっていないのかわからないのですべりも変えようが無いのである。前走がスタートして試験が始まった。理想的には前走の様に滑ってくださいというのが前走のある所以であるが、僕はあまりとらわれないようにした。1人目がスタートしてコースの状況を見させていただく事にする。終盤で結構コブにはねられて体制を崩している、「ははーんあの辺に地雷ありと」地雷はよけるに越したことは無いがすべてよけきれないので、1発2発は食らう覚悟が必要だ。試験はちゃっちゃっっと進んでいくのでたちまち私のスタート。下で旗が振られスタートの合図、私は午前の作戦通りスピードをつけてスタートし2発ほど地雷を踏んだがなんとかゴールした。正直転倒だけは避けたいのでやや攻め切れずに守った滑りになった。そのままリフトまで行き次のリズム変化のためにまたスタート地点まで。最後の種目も2番手スタート。リズム変化とは最初中回りでスタートして段々ターン弧を小さくしていき、最後は小回り(ウェーデルン)で滑るもので一番難易度が高い。難しいのは中回りからいきなり小回りでは無く、回転弧を段々小さくして小回りに移って行くことと小回りに行くときの大きな反動の処理がミソとなってくる。前走がスタートして滑り降りた、どうやらコブは少ないようだ。1番手がスタートし無難に滑っていく、しかしゴール直前に地雷を踏んだらしくかなり吹き飛ばされていた。「おおーくわばらくわばら」すぐに私のスタート、今回は雪も多くコブの状況もわからないので無難に行く事にした。中回りはスムーズに行くことが出来ターン弧を段々小さくして小回りへ、、でも下のほうは上から見た感じではわからなかったがかなりの深雪で下にはコブという名の地雷が埋まっていた。小回りで板を振ろうとしても深雪で邪魔されてなかなかターン出来ず、そのうちにコブにに跳ねられてしまった。なんとか体制を立て直してゴールはした物の、手痛いミスである。午前の種目が70点オールで来て午後の大回りが70点だとすると、今のリズム変化が69点の場合不合格になる。しまったー!!練習では上手くいけていたが思わぬ所で足をすくわれた。試験は無事?終わり結果発表は1時間後、疲労困憊した私はその時点で滑るのをやめレストハウスでお茶でもすることにした。もちろん他の受験者は練習しに行った、僕は「若いっていいなー」と思った。果たして勤勉な若人と不真面目なおじさんとどちらに勝利の女神は微笑むのだろうか?毎回そうだがこの1時間がつらい!まるで生きた心地がしない。思い返せば昨夜は緊張して眠れずハルシオンの力を借り、北海道では検定の種目を練習して過ごした時間が無となるか有となるかの降魔が刻である。さすがに緊張してきた、何回時計を見ただろうか、何通メールを送っただろうか。そんなときに限ってメールの返事は無く、心臓がレッドゾーンに入ったまま時間はゆっくり過ぎていった。このままではオーバーヒートしてしまう、時間は発表の15分前、僕は躊躇したが結果の張り出されるスクールの前に行くことにした。そうするとスクールの側面のガラスに紙が張ってあった。まだ遠くて見えない、いや目を凝らせば見えるのでは、だが体が目がそれを受け入れなかった。ゆっくりと近づきよく見ると、上から3つに赤い丸が名前であろうところの前に書いてある。まるで選挙の当確の造花の様だ。さらに近づくと上から1級受験者のゼッケンと名前、その横に点数が書いてあった。「俺って何番だ?」「すんません(他の受験者に)僕って何番でしたっけ?」「たうりんさんは3番じゃあないですか」「3番!」結果には3番の前に例の花丸が書いてあり丸の中心は“合”の字が!!ということは合格!花丸を貰ったのは小学生の時のそろばん7級以来である。たうりんは恥ずかしながらそろばんは7級である。「おおおお~合格ら~」点数は大回り71点 中回り70点 総合滑降71点 大回り71点 リズム変化70点という結果であった。見事トップ当選を果たすことが出来た。合格するとスクールの中に入れてもらえ賞状とバッジと登録を済ませる。検定員のあんちゃんが「たうりんさんよかったですね次ぎ目指してがんばってくださいね」僕は心からありがとうございますと言えた。どのくらいぶりだろう心からありがとうって言ったのは、結婚式でも言わなかったが・・登録を済ませると皆はまた滑りに行った。僕はもちろんコーシーを飲んだ、もう今日は滑るのいいやってなもんである。僕は友人の田島氏に電話をして状況を聞き、あちらも帰るところだと言うので早々に迎えに来てもらうことにした。僕は改めて合格発表の張ってあるガラスの前に立ち、いつまでもその結果を眺めた。結果は5人中3人合格してイントラは1人すべった。全員の点数が書かれているので顔を思いだしながら回想した。僕がいつまでもその紙を見てるのでスクールのおねえさんもはがす事が出来ず困っている様だった。賞状とバッチをもって本日行きつけのレストハウスに行って迎えが来るまで待つことにした。うーん皆の視線がバッチに突き刺さるねーなんて思いながらしばしの優越感に浸ることにした。やがて田島号が迎えに来て長い一日が終わった。ありがとう音無荘、ありがとうハルシオン、そしてありがとうロシニョール9DO。家に帰った私は家で黄門様よろしく賞状とバッチをそんなもの見たこと無い風邪をこじらせて弱っている奥さんに見せびらかした。奥さんは“ははー”とひざまづき、なんとなくうれしさから奢りたくなって関係ない奥さんに焼肉をおごった。水戸黄門はその都度みんなに飯でも奢ってるのだろうか?
2003年02月23日
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昨日は久しぶりにヘブンス園原にスキーに行ってきました。いやーこれが結構近い!我が家を出てからスキー場までジャスト2時間!もちろん高速は使いましたが、それにしても早い!でも昨日は結構混んでいましたねー。あそこは山頂にゲレンデがあるタイプのスキー場なので、まずはゴンドラで山頂に行かなければなりません。それがちょっと不便です。なぜなら子供の雪遊びでもゴンドラ料金が必要なのです。だから結構割高かも。ゲレンデはお世辞にも広いとは言えず、われわれにはつまらないです。人も結構います、主にファミリースキーヤーばかり!板を見ればわかります。板は平板、ウエアーはデモパン、靴はリアエントリー(わからんひとには全然わからんと思う)。うーんスキー博物館だー!スピードを出して滑ろうと思っても子供やファミリーにブロックされなかなか滑れず・・きつい!まあ昼を過ぎれば空くかもと思いつつも全然・・休みながら4時半まで滑ってゴンドラに乗り帰り支度を。帰りに昼神温泉の湯ったりーな昼神(¥400)によって長風呂して帰りました。この湯ったりーな昼神がまたいい!ピュロス結構いいぞ、安いし広いし綺麗だ。我々は名古屋インターで下りて、夜飯のラーメンの本○邸(かなり有名店)に行きましたが、油ぎっしゅで辛かった。でもまあまあ安くて近くて良いスキーでした。みなさんもどうぞ。<終> From: Reply-To: Date: Sat, 08 Feb 2003 15:07:48 +0900 (JST) To: ??????@dab.hi-ho.ne.jp Subject: 8日の日記
2003年02月08日
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私は白樺湖ロイヤルヒルスキー場へ、田島、紅茶パンは2イン1スキー場へ。私を降ろし田島のオデッセイはさっさと走り去る・・・9:30時間ばっちり、いざ全日本スキー連盟のスキースクールの受付へ!「すみません今日1級の検定受けたいんですけど」「はい、何級ですか?ではここに必要事項を記入してください」「ではたうりんさんですね、あなたはゼッケン3です、10時にまたこの事務所の前に集合してください」「はい」僕はとりあえず検定バーンでも滑っとくかと思いリフトへ、今日のロシの板はまだ1度しか履いていないので癖などをつかんでいないのと、斜面の状況がまったくわからないので下見がてら滑ってみる。斜面に立つと大雪のため深雪が30cmぐらい積もっている。そのためか上級コースのリフトが動いていない。(ラッキーか~)とりあえず滑れるところを滑っておこう、まあまさかあのゲレンデでは検定はやるまい。リフト沿いのコースを2本ばかり滑って、体力温存の為検定まで休むことにした。試験なんて待ってる間が長くて始まってしまえば時間が経つのは早いもんである。10:00少し前にスクールの前に集合して(もちろん屋外)始まるのを待った。やっとそのスクールの校長らしき人物が出てきて始めの挨拶となった。「今日は天気も悪くゲレンデの状態も悪いので・・・」おっ!採点が甘くなるのか?「しっかりとカービング技術を出して滑って下さい」おいおいマジかよ・・・その後1級、2級と分かれて午前の検定種目が始まった。「えー1級を採点します○○ですよろしく」検定員もたいへんだよ~こんな天気じゃあ、同情するね(ちびまるこちゃん風に)あんたが落ちて同情されるのである(キートン山田風に)「ではまずリフトに乗りましょう」結局受験者は私を入れて5人で、うち3人はそのスクールのインストラクター・・・出来レースかよ!(サマーズ三村から引用)そしてなんと更なる不幸がガチンコスキークラブに起こることに!(ガチンコより)「では向かいの急斜面で検定を行います」おいおいマジかよー僕の中で何かが壊れた。「まずはカービング(ずらしの無い難しいターン)の大回りです、まあこんな雪ですが普段のすべりを見せて下さい」「では番号に関係なく滑ってきてください」番号関係無しかよ!僕はなるべく真ん中ぐらいで滑ることにした。最初はそのスクールのイントラが滑ってそのすべりを参考にさせてもらった。イントラの滑りはあまりたいした物ではなく上手くまとまっているが、雪のせいもあるだろうがダイナミックさにかけるものだった。あの滑りが合格点かどうかは検定員しかわからない、どうするたうりん・・・真似をして無難にまとめるか、いっちょうキレた滑りで存在感をアピールするか・・・でも大雪なだけに転ぶ可能性も・・・ええいままよ!俺のゼッケンは3番!うーん3番のご利益のあるもの??????そうだミスター長島の3番や!長島さん俺に力を!(もはや思考力が無く野球人に助けを求めている)僕は人より勢いを付けて飛び出しおもいっきり開脚で滑った。スピードもタイミングもまずまずで、滑り終わり検定員が「申し分ないですね」「イエス!げっちゅうー!」(もちろん心の中で)普通はなんか滑りに関して注意されるものである。よしよし風がきたー!作戦的中!後の4人はやはり守った滑りで、検定の場合落とす試験なので滑りが合格点というだけではなく、人と違うことをしないと受からない。スキー検定の場合全員合格と言うのはまずありえないのである。5人受ければまあ合格者は良くて2~3人であろう、悪くすれば0人ということもよくあることである。次の種目はカービング中まわり、結構難しい種目で大雪では不利である。私は2番手にスタートし、相変わらずスピードに乗せたターンをキビキビと演技した。午前中最後の種目の総合滑降、スタートからゴールまで大回りや小回りを織り交ぜてその斜面にあったスピードとターン弧で滑る総合技術。これも落ち着いてしっかり滑ることが出来た。しかし実際自分の点数がどのくらいかは知らされず、70点合格だがこの辺の採点は自動車学校と同じで、70点合格だからといって80点は絶対に出ない。上手く滑って71点で悪い滑りで68点とかである。大体は70点取れればいいところで、5種目で350点以上合格。午前中の検定は自分なりに満足のいく滑りであった。まあ良くて70点オールだろう、ということは午後の2種目は1点も落とせない。しかし午前の検定を終えた私の足はもう限界に来ていた。昼休みでレストハウスに入って一応何か食べるためにラーメンを頼んだ。緊張のため食欲がない、でも食べないと力が出ない、でも午後の検定の事を考えるとうつ状態である。ラーメンをすすりながら冷たく感覚の無くなった自分の足をさすった。しかしまったく足先に感覚が無く動きもしない。こんなことでは午後から滑れないので、昼食より足をなんとかしなければー!そんなときにカイロは無くストーブも無い、手で叩いたりさすったりしたが一向に良くならない。挙句の果ては卓上の一味を靴下に入れて、あとは手に取ってすり込んだ。他の受験者は早々にご飯を食べ午後の検定バーンに滑りに行った。検定バーンが知らされているのでイントラは有利である。僕はそんなの知らないし足が凍傷寸前で映画八甲田山状態である。もう13:30まで休むことにした。今日履いているロシの今年のモデルの板は難しく乗りにくいのでこれが終わったらネットオークションで売るつもりだった。しかしピンチにすがる物もなく、すでに長島さんにもお願いしてしまったので神頼みも頼む相手もいない。僕が頼もうとするとみんなそっぽを向くのである。そこで僕が頼んだのは「ロシの板よ!もし1級受からせてくれたらお前を一生使い続けるよだから頼む!」そのときロシの板のトレードマークのトリコロールの鶏が光った気がしたのは僕だけだろうか・・・
2003年01月15日
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行く面子は田島、紅茶パンさん、僕の三人だ。僕は田島のA病院に向かいそこに車を止めて田島の車で出かける。行き先は白樺湖。宿の名は音無荘・・・微妙・・・素泊まり¥3500、朝食つき¥4500、2食付で¥6500である。私の今までのスキー&宿の経験上この上なく危険な香りがする。まあ背に腹は変えられないので、朝食つきの¥4500で申し込んだ。その日はあいにくの寒波到来!非常に危険である。中央道閉鎖、チェーン規制、1/5日だけに規制ラッシュとネガティブな条件ばかりで我ながら良くこんな日にいくな~と思う。まあ今更しょうがないのでいざ白樺湖へ。途中で紅茶パンさんを拾っていく。われわれの目算では13:00に安城を出発して、約3時間後の16:30ごろ到着の予定である。その日はあいにくの大雪で、高速道路は真っ白で諏訪のインターを降りて白樺湖方面に向かう道は立派なアイスバーン!なんとか白樺湖の音無荘に着いたら17:00で、18:00からナイターに行くために夕食を食べに行くことにした。田島と紅茶パンさんはナイター行く気満々!僕は検定のプレッシャーでそれどころではない。それに今無理して腰でも痛めたら元も鈎も無い。普通なら検定種目をもう一度練習しておくところだが、今更じたばたしてもしょうがないだろう。でも内心はドキドキだった。小洒落た洋食屋で小洒落たご飯を食べ宿に行き、田島たちはナイターへびびってる僕は一人部屋でお留守番。いつも立ち去るものが美しい(中島みゆき 悪女より)、取り残されたものは暇を持て余すのみ。僕はいつもは見ない“動物奇想天外”を見出したがもちろんびびって集中できない。そんなこんなで田島たちはナイターから戻り感想を聞くと、かなり寒く深雪らしい。ということは明日の検定は深雪の中でやることに・・・もちろん不利である。音無荘の石鹸しかない風呂に入り、久しぶりに石鹸で頭を洗った。石鹸で頭を洗うと手ぐしも通らないほど“キュキュ”である。いつもの通り風呂の後は飲みタイム!紅茶パンさんはノリノリで気合十分、私は明日のことを忘れたい為に飲む!ひとしきりビールを飲んだ後僕は、緊張のため眠れないのでハルシオンを1錠奢って飲んだ。小心者である。そんな小心者の体に10分ほどでハルシオンは優しく効き始め、気が付いたらもうすでに朝だった。うーんいい薬だなー。さあ今からが勝負!9時から検定受付で10時開始。僕はあまり早く行くとゼッケン1番を貰ってしまうので(1番から試験を滑る)9:30頃行くことにした。
2003年01月14日
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僕は今でも悪夢を見る、どんな夢かと言うと何気なく高校に朝登校すると、実はその日は期末試験の日で自分は忘れていて勉強をまったくしていないというベタな設定である。それほど我が母校のS.H高校はたうりん少年には嫌な思い出だったらしい。自分は試験というものにはめっぽう弱く、緊張してしまって普段の実力の半分も出ない。まあ多かれ少なかれ誰でもそんな節はあると思うのだが、自分はかなりプレッシャーに弱いたちである。そんな僕が何を血迷ったかスキー検定に挑むことにした。以前書いたと思うが日本のスキー検定には2つの団体があり、一つの方はもう持っているのだが、素人さんでもわかる全日本スキー連盟の1級はまだ持っていない。別に無いといけないわけではないのだが、スキーをやっていると「何級か持っているのですか?」なんて聞かれることが多いこと。その都度2つの団体を説明するのもめんどくさいので今回1級でも取っておこうかと思ったわけである。まあ一般の方に1級と言えば水戸黄門のそれに近いものがあり、スキー業界でも大体の所でスキー学校のへっぽこイントラぐらいにはなれる。だがしかしその上にはテクニカル、クラウンといったもっと上の称号があるので志賀高原辺りでは1級なんて六本木のBMWぐらいの価値でしかない。そもそも1~5級はバッジ検定と言い、テクニカル、クラウンはプライズ検定と言って、取得することによってプライズ(称号)が頂ける。まあイギリスで言うエルトンジョンがサーの称号を授与されたようなもんでありがたい事なのである。前置きが長くなったが、僕は年末休みも終わりに近づきそんなときにバッジ検定をやってるスキースクールをスキージャーナルにて探した。結果白樺湖ロイヤルヒルスキー場でどうやらやっているようだ。そうと決まれば友達の田島(実名)に連絡して一緒に行く算段を練った。奴は4日は仕事なので、仕事が終わった昼過ぎに出発することになった。「じゃあ明日は1時に病院集合ね」なんて話をつけて床に就くのだが、元来小心者の私としてはなかなか眠れない訳で・・・寝ては起きてはとまんだりとした時間を無理やり与えられ、眠れないまま一夜を過ごした。苦痛な時間をなんとか消費し終えた後、スキー支度をして奴が待つA病院に向かった。ちょっとその前にスキーは柔道と違って、板や靴を使ってするスポーツで道具が必要なのである。私の数あるスキー板の中から1級に受かりやすい板をチョイスしなければならない。現在はカービングスキー全盛なのでカービングスキーは当たり前なのだが、どのくらいのカービングスキーにするかが問題である。カービングがきつければ曲がりやすいが、自由性が削られる。カービングが緩いと自由性は高いがカービング性能が落ち、結果高得点が出ない。ということは緩いカーブで無難にかわすか、カーブをきつくして攻めるかである。私は今年購入したロシニョールの158cmでカーブのきついモデルにした。一か八かの選択だ。もともとこの板は買ってまだ一度しか乗っていなくまだ上手く扱えない、板の素性もハードでトップモデルの部類に属し操作が難しい。自動車の仮免をフェラーリで受けるようなもんである。しかしスキー検定は減点法のテストなのだが、実際には合格率は低く言われた通りに滑れば受かるといった車の試験などとは違い、落とすための試験である。大体白馬あたりではシーズンになると(2~3月)50人ぐらい日に1級を受けるが、受かるのはせいぜい5人程度だ。そのほとんどが基本に忠実に滑ろうとして後の45人にまぎれてしまい点数が出ない。合格する人は、基本はもちろんのことその中でも速さや、ダイナミックさなど人と違った要素をミス無くアピールしたものだけが合格点を収める事が出来る。であるからしてある程度のリスクは覚悟の上で、そういったバリバリの実践モデルの板の力が必要なのである。先日、そのロシニョールの板に乗った感想は“難しい”の一言であった。だから今回1級に滑ったらオークションで売るつもりだったので、最初で最後のチャレンジである。入念にワックスを塗り車に積み込んだ。
2003年01月07日
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いまだ山田での生活は続いている訳だが、2日目の夜飯はとんかつ!疲れた体にはありがたいメニューである。2日目以降は朝9:30から滑り始め0:00昼食17:00一度帰宅して夕飯そして再び19:00~21:00までナイター、帰宅後は風呂そして飲み会と深夜1:00頃まで続く。3日目の夕食はなんとすき焼き!今までの溜まっていたものを爆発させるかのような衝撃であった。その量はかなり多くしかもおかわりOKである。いつも思うのだがスキーなど過酷なスポーツの時ほどしゃぶしゃぶやすき焼き焼肉といったスタミナ食が求められるがそれが叶えられることはかなり少なく、いまいち不完全燃焼に終わることが多かった。その反動が出たのか我々はかなりそのすき焼きを食いまくりその結果はすぐにナイターゲレンデの私のウエストのホックに現れた。もともと一杯一杯だったサイドホックが悲鳴を上げ、コブを越えるごとに“パン”とはじけた。楽しい事はすぐ終わるもので我々が最終日を迎えるまでにさほど時間はかからず、すぐに山田とはお別れの時がやってきた。昼まで滑って14:50分のバスで千歳へ向かい、車内で珍しく一度も目覚めなかった。千歳で今まで遊んでいたつけをお土産に変えて六花亭、ロイズなど北海道のメジャーブランドを買いあさり職場への免罪符とした。ちなみに北海道の土産のお勧めは“北華楼”のシュークリームでありかなりおいしい。しかし一日しかもたないのでなかなか人に買っていける物ではないが・・こうして我々の現実逃避旅行も終わりを告げ、名古屋空港を出てやけに暖かい愛知県にうんざりしながら帰途についた。今回思ったがチマチマ御岳とか岐阜のスキー場に日帰りで行くのなら、月に1度北海道にどーんと行った方が良いかもしれない。その方が心身ともに良い気がする。でも明日から1泊2日で乗鞍にスキーに行くのだが・・・追伸・・・私や紅茶パンさんのすべりが見たい人はMPEGで送りますのでメルアドを書いて送ってください。もれなくウィルスをつけて発送いたします。(嘘)
2002年12月27日
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われわれは山田に14:00に到着し15:00より滑り始める事にしました。15:00から21:00のナイター終了までのコースである。そもそも北海道は日の入りは早いのか知らないが、15:00ぐらいからナイターの明かりがともり始めそのままナイタースキーへと流れ込む。もちろんナイター券は必要ない。リフト券は4日券で¥17000、これが安いか高いかは疑問なところだが事スキーになると“ポン”っと出せてしまうところが恐ろしい。普段は数百円の違いで電気店をはしごするくせに・・・そうすると夕食は21:00からとなるわけだが、その辺もさすが山田は二つ返事でOKである。いざウエアーを着て板を私は2本担いで送迎車に乗り込んだ。僕はスキーの板フェチである。スキーの板を乗り比べるのが趣味で、スキーの板は一日見ていても飽きない。人に言わせればたかがスキーの板でサイズも今では10cmの違いがあるかないかの世界なのに、何故そんなにも執着するのか自分でもわからない。これは心材が木で出来ているとか、補強材にチタンが使ってあると言った一般の方からすればどうでもいいことを考えたりする。1本は今年のモデルでオガサカのトップ機種であるケオッズTR160cm、目新しい機能としてはフロントリードファンクションと言ってスキートップの形状が丸くなっており、ターン早目から雪面を捉えられる構造になっている。2本目は対ナイター用または外国用として購入したダイナスターのスキークロス66でこれはスキークロスゲーム用に開発された高速安定性の良いモデルである。これらのうんちくはこれを読んでいる人にはまったく関係ないものであるが、筆者の自今満足を満たすために書いた物である。まずは自分の新品のデイナスターであるが、さすがに競技用ということで重量が重めである。前評判どおり大回りに特出した板であるが小回りも十分いける結構いい板である。ルスツは基本的に北海道一の広さを持つスキー場で、本州のスキー場では味わえない広さと雪質である。雪質に関しては正直勘違いする雪で、自分が上手くなった様な錯覚に陥る。いつもの事であるが、北海道から帰って岐阜あたりのスキー場に行くとたいてい泣ける。「こんなの自分じゃあねー!」って思う。それほど本州と北海道の雪質は違うのだが、本州では志賀高原あたりがかなり北海道に近いがそれでも劣るし、北海道でも海辺のルスツ、ニセコあたりは道内でも雪質が悪く、逆にフラノあたりは最高らしい。一度滑ってみたいものだがいかんせんフラノは遠い!千歳か時間はかかるのでなかなか手が出ない。4人乗りクワッドリフトに乗り山頂へ、逸る心を抑えられないまま皆より先にスタートを切る、エッジの感覚やスキーの硬さを確認しつつ丁寧に滑っていく。スキー場独特の乾いた冷たい空気を切り裂きながらシュプールを描いていく。現代のスキー技術はカービング(切れ、彫りこむという意味)がトレンドである。昔は急斜面をショートターンで“ざっざっざっ”とテンポ良く滑ることが上級者の証であったが、今ではなるべく雪煙の立たない滑った後に板を通った雪面の軌跡が切り裂かれたような後が出来るすべりが理想とされています。その方がアルペンスキーの時に早いターンが出来るからです。そのためにスキーの板は短くてグラマーなカービングスキーになったというわけです。私自身は滑るときにショートターンロングターンを問わず気にかけていることがあり、ターンに入るときは重心を前よりにしてスキートップを雪面に食い込ませます。そこから段々一つのターンの中でも重心を真ん中-後ろと言った具合に変化させながら滑ります。重心前でターンに入りかかと(後ろに)段々体重を移動させターンを仕上げる。その方がより深く早く滑れるからです。とこんなことを書いてもわかる人がいないのですそろそろスキーシーンは割愛させていただきます。4時間も滑れば足の乳酸はたまり放題で太ももでカスピ海ヨーグルトが作れるぐらいになります。山田に帰りまずは失った栄養やミネラル、水分、カロリーをすばらしく豪華な山田のサッパーから摂取する作業に移ります。今日の献立はエビフライとチキンカツにうどん汁と北海道を肌で感じる・・いや舌で感じることの出来る夕食でした。その後はもちろん乳酸を分解するべくジャグジーへ。山田の風呂は2つあり、1人用と2人用で友人田島(男)と風呂に降りていくと、2人用は使われており1人用しか空いておらず渋々1人用に男二人で入った。風呂は現代科学の粋を集めた24時間循環風呂!いつでも入り放題。温泉でも無いのにややヌルヌルしてるのがまた温泉気分を彷彿とさせてくれる。体に良い菌がたくさんいる証拠である、ヤクルトみたいなもんかな。そんなかんなで一日が過ぎていく。一日の締めくくりは田島のいびきで睡眠が妨害される事で終わって行く。それまでに我々はアルコールを反省会と称してしこたま飲んでいることは言うまでも無い。
2002年12月24日
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名古屋空港集合は7:15分と言うことは、友達の家から空港まで1時間、友達の家まで30分、すなわち5:45分に自宅を出なくてはならない。そうすると起床は4時台であろうか・・・憂鬱である。このごろは早起きが一番体にこたえる。前日荷造りを済ませて何度も確認し直す。誰もが経験があると思うが何度確認しても忘れ物があるか心配である。行きは行きで名古屋の渋滞、空港に着けば高校生の修学旅行の群れ。「おいおいこの時期と言うことは我々同様北海道でスキーかー?」との思いもすぐ払拭された、どうやら行き先は沖縄!「くー!今での高校生はおしゃれだねー」「くそー飛騨ハイランドでもいってやがれ!」管理人の修学旅行はスキーでしかも飛騨であった。列に並んで荷物を預けると、漫画と朝飯を買って機内へ。何度乗っても飛行機は嫌いだ。今回は男2人女3人の北海道湯煙殺人事件ではなくてルスツ格安プランの旅である。私も32歳になって格安プランと言うのはどうかと思ったが、背に腹は変えられんとの満場一致で3泊4日ペンションプラン¥34500である。機内サービスでスープにしようとスチュワーデスさんが5mぐらい先から身構える俺。隣の奴がキウイジュースなんて訳のわからない物を頼んでついそれにしてしまう小市民な俺。以外に濃厚な味で手こずらせるキウイジュース、これらが絡み合っていざ非現実の世界、北海道へ!板は北海道ということで広大な斜面を大回りでつっぱしる為の板と、小回り用のショップで借りた板と2本立て。荷物はかなり重く肩が抜けそう。千歳からバスに乗れば約2時間少々で銀嶺の世界、そこにいけばどんな夢も♪かなうという都ルスツ。バスはルスツリゾート本館前で降ろされる、我々の宿泊する宿はペンション山田・・・。リゾート本館は荘厳な感じでかなりメルヘンチック、それに比し山田といえば天竺というよりしなちくといった感じ。でも職員(家内工業)の対応は悪くない。支配人(親父)はいつも僕らをルスツまで送迎してくれる(送り迎い)無口な紳士(無愛想なおやじ)。料理長は板場をすべてまかされている流れ板ゆみこ(仮名、おばちゃん)、メイドはそこのドーター(おやじの娘)。みんなで我々を迎えてくれるリーズナブルな宿(チープな)。山田での宿泊は我々男が18号室、おんなどもは20号室。いつもかぎは入り口に出しっぱなし(ノーセキュリティー)。部屋はジャパニーズコモンスタイルな様式、床はtatami、寝床はsenbeibutonである。あとは応接セットはchabudai、テレビは14型曲面ブラウン管採用の一品。申し分ない。風呂についても書かねばなるまい。浴槽は2個、1つはやや大きめ2人用、1つは1人用でいずれも今最新のお湯24時間循環風呂!是非一度水中出産してみたいものだ。レジオネラ菌もすくすく成長している。おっと着いただけでこんなに書いてしまった、続きはまたということでこうご期待!
2002年12月19日
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日曜は今年初となるスキーである。楽しみのようなそうでないような・・・なぜ楽しみでないかというと、今回は日帰りのスキーなのだが、朝4時起きである。これがこの頃辛い!支度をして風呂に入って12時まで寝ても4時間睡眠。そうこうしてるうちに現在当日の0:27分・・・日記を書いている僕・・・人間寝なければいけないと思えば思うほど寝れない物である。友人などは運転もあるので途中で眠くて事故なんてあってはいけない、だからちゃんと睡眠を取るため眠剤をのんで10時ぐらいに寝てる様だ。たかがスキーに眠剤まで!とお思いの諸兄はお有りだと思うが我々には切実な問題である。であるから僕は日帰りスキーは嫌いである。泊まりの方が疲れずにいい!まあ今回は北海道の前の足慣らしであるから我慢しよう。なんか眠るいい方法はないだろうか?
2002年11月30日
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これが家のりりーです。もう天寿を全うして10年くらい経ちますでしょうか・・・ああまた犬が欲しい。でも外出や泊まりに(スキー)に行けなくなってしまう。それにマンション犬ダメだし・・・動物可のマンションにすれば良かった。目が白いでしょ?白内障だったんです。もうおじいさん犬でした。リリーよ安やかに眠りたまえ。南無・・・
2002年11月21日
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この10月の三連休で引越しをしました。何度やっても引越しというものは辛いものです。今はごみ問題がうるさいため、ゴミが捨てれずになかなか部屋の掃除ができません。まあしょうがないことなんですが・・・同時に9年連れ添ったアパートを引き払わなくてはなりませんので、色々な手配や手続きが必要になってきます。1月前に不動産屋に連絡をして修復費用の精算をしなければいけません。それが昨日ありました、それは精算だけに凄惨なものでした。不動産屋の担当者が来てあちこちを見回って出た金額が、敷金¥160000に対し追い金が¥78000だった。ということは¥238000補修費用にかかると言うことである。人によってはほとんど敷金帰って来るというのになんちゅうことじゃー!まあ確かにあまりきれいには使っていなかったが、¥78000追い金というのはちと横暴というもの。内訳はと言えば、3部屋に壁紙の張替え、畳12枚交換、ルームクリーニングなどです。それで¥238000ってボッタクリバーだってもう少し安いぞ!ここから反撃開始、それまでは静かに向こうのおっちゃんの話を聞いていたがもう我慢ならん。そもそも自然使用で使っていてくすんだとか、冷蔵庫の裏の黒ずみなどは最新の裁判の判例でも支払い義務無しと判決が出ているのでなんで僕が払わなければいけないのだ!と強く抗議。向こうはここにシミがあるからと主張、そんなシミは知らないと反撃。向こうはふすまに汚れがあると主張、自然のものであずかり知らぬものと反撃。私も何件も査定をしているが普通このような事例では払うのが当然と言って来た。あなたの言う普通とはあなたの業界の普通であってわれわれ一般人の普通では無いしそれらの解釈の違いについては判例として法律で証明されていると言ってやった。それに契約書に書いていないことについて払う義務はないとつけたし。向こうはかなり困った様でパソコンをはじき出した。観念したのか「わかりました、では追い金なしの返金¥2400で」心の声「イエス!もらった!ここらではんこうを押すか?」私のこころが揺らいだ・・・そこにまだ値段の入っているルームクリーニング¥30000の文字が目に入った。心の声「¥-78000からよく¥+2400まで挽回したここらで勘弁してやるか・・・否!さらにより高みを目指そう、それがやぶへびになろうとも!」「そのルームクリーニングはなんで私が次の人の為にそちらの言い値の額でしてあげなくてはいけないのですか?そんなのでは今日印鑑は押せませんなー」「契約時に退去の時口答でルームクリーニングが必要ですと申しましたが」「いや私は聞いていませんよ、じゃあ契約書のどこにそんなことが書いてあるのですか?」「・・・・・」「そもそも値段の告知が無いのに後でつけた値段の物なんて払えませんよ!」「だったらその時に退出時に¥30000ルームクリーニング代としていただきますと書いておいて下さい」「・・・・・・・・・わかりましたルームクリーニングは無しと言うことで」「では結果的にいくらになります」「お返し分で¥34000になります」心の声「交渉は駆け引き!即答は避けよう」「・・・・・・・じゃあこれで結構です、家賃の引き落とされてる口座に振り込んでください」「わかりました」心の声「ゲッチュー!きょうは寿司食いに行こう」実際¥-78000が最終的に¥+38000になるこの事実。結局その金額なんて向こうの言い値であり法的に拘束力があるものでは無いようです。そう考えるとあいつらかなりもうけているなーと思いました。もうそんなバブリーな時代のそろばんを使っていては時代遅れになりますよね。でもそういうトラブルが多いのか今の契約書はその辺の金額や免責事項がきっちり書いてあるそうです。皆さんもお気をつけになって下さいませ。おっちゃんはその日会社に帰って「今日の客は立ち悪かったよ、たかが7万でゴネやがって、素直に払えっての」っていってるだろうな。おっちゃんあんま深酒したら体にさわるでー、ほどほどにな。あー今日の寿司はさびがきいてやがるなー。
2002年10月18日
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心の旅 歌 チューリッヒ 作詞、作曲 財津たうりんあーだから今夜だけは枕抱いて寝たい あー明日の今頃は僕は宿の中旅立つ僕の眠気を知っていたのか 遠く離れてしまえば交代すると言ったいつもいつの時でも 僕はかわれやしない みんな静かになって孤独な旅が始まるあーだから今夜だけは枕抱いて寝たい あー明日の今頃は僕は宿の中にぎやかだったやつも 今は声を静めて 何をやっているのか 何を寝てやがるのかもしも許されるなら 眠りについた君を コンクリに詰め込んでこのまま連れ去りたいあーだから今夜だけは枕抱いて寝たい あー明日の今頃は僕は宿の中注:チューリップの“心の旅”に類似してますが偶然の一致です。
2002年09月02日
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我々は睡眠時無呼吸症のおっさんの騒音攻撃受けながら、何とか本土への上陸を果たした。上越はもう夕方で薄暗かった。我々は車を駐車場から出しとりあえず夕飯に向かった。なんとなく海の物に飽きた我々はなんだかくどい物が食したくなり、くどい物の代名詞である我らが中華(ラーメン+餃子)を食べに行くことにした。しかしそこに土地勘の無い我々は、まずガソリンを入れてそこの店員さんに聞くことにした。「この辺で旨いラーメン屋ない」「ラーメン屋ですかー、それなら近くにありますよ」旨いと言われるラーメン屋の場所を聞くと、一路私たちはラーメン屋へと車を走らせた。しかしもともと土地勘が無いわけだから、ラーメン屋探しは難航した。でもわれわれには強い見方がいた!ベジータである。やつはめっぽう見知らぬ土地に強く、一度通った道や通った事の無い道でも何故だかすいすい行くことができ、その正確性もかなり高い。そんじょそこらのカーナビなんか目じゃあない。その現象を私なりに分析してみると奴の生業は野菜売りであるが、多分その辺の畑の野菜と交信出来るのであろう。まあ霊と交信できる人が存在する様だから野菜と交信できる人がいてもおかしくはないであろう。ベジータは神がかり的な力を発揮してどんどんラーメン屋に向かいとうとうラーメン屋に付くことが出来た。まるで動物と話ができた「ニルスの不思議な冒険」かよ!と思った。スタンドの兄ちゃんを100%信じることが出来ないわれわれは恐る恐る店内に入った。店内はにぎわっていてよく混んでいる。程なく席に座りメニューをみた。やや高めである、私はみそチャーシューと餃子、ベジータはラーメンとチャーハン、ピュロスはオロチョンラーメンと餃子。ピュロスは食に対しては変った男で、昔から餃子の王将に行って“餃子定食と餃子”を頼むほどのやつである。ケーキバイキングとケーキセットみたいなもんである。奴の注文するパターンは見切っているが、その深いところまでは私と言えどもまだ理解できない。まあオロチョンラーメンに意義があるわけではないが・・・ちなみにみそチャーシューは¥1000!以外と高いでしょ?まあそれよりも空腹と疲れでそれどころではないし、これからまだ愛知まで帰らなければならないことを考えると、ここで力を付けておかねばならなかった。ラーメンの味は結論からするとかなり旨かった。非常に満足であった、ベジータも無表情にラーメン+チャーハンを平らげていたが、旨かったのかはその表情からは読み取れないでいるまあそんな奴です。お金を支払って外に出るともう暗くなんだか一抹の不安が心をよぎった。そもそも新潟市の上越に21:00を過ぎていることが自殺行為であった。愛知まではゆうに6時間以上はかかるであろう、しかも解散場所から自宅までは1時間かかる訳だから単純に7時間かかる。ということは到着は朝方の4時頃になることは容易に予測がついた。上越インターまでの道をまたうちの野菜の精にお願いしてナビをしてもらった。やっと上越インターから高速に乗った時には、やつは超能力を使い果たし後部座席でかぼちゃの様に丸くなって眠りについた、魔法が解けたのである。魔法が解ければ馬車はかぼちゃに戻るもんである。我々の不思議な冒険もそろそろ12:00を迎えようとしている。現実の世界へと車を走らせた。運転手は私たうりん、助手席はナビピュロス、あと後部にかぼちゃ1ヶ。私とピュロスは夢から覚めるをいやがる子供の様にアニメソングで盛り上がった。もちろん曲目はアニソン界の“アニキ”こと水木一郎さんの歌を歌いまくった。疲れと妙な一体感でナチュナルハイ状態だった我々はなんと上越~豊川間を3時間半で着てしまった。日常という現実から逃げる旅行に行ってワープで帰ってきた。我々の旅は終わった、最後にいい年をして無理な日程の旅行に出かける無謀さ、車の長旅で早々に寝てしまうやつ、そんな輩に1曲贈ります。
2002年09月01日
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我々は金を強奪しそこねた後アルコール共和国という“いかにも”な所に向かった。そこは点在する造り酒屋の総称で、酒をつくる工程を説明してくれたり、酒の直販もしてくれて試飲も出来ると言った場所だ。我々はもうすでに帰りのお土産モードである。ついたそこは古い感じの造り酒屋で大きな酒倉であった。我々は酒造りのビデオを見せられたあと、多分それが本音であろう直販場に連れて行かれた。じつはその直販場を通らなければ帰れないのだが・・・ 今まで眠っていたベジータの目の色がそこにきて光を取り戻した。そう、やつは家で待っているワイフの実家に貢物を持っていかなければいけないのだ。やつにとっては死活問題で、それをしないというのは直接“死”につながる。やつの家での地位は大黒柱なんてとんでもなく、せいぜい戸のつっかい棒程度である。しかしやつは下戸のため酒のことはよくわからないのか、私に助言をもとめてきた。私はやつの家での立場をよく理解しているつもりなので精一杯の助言をしたつもりだ。程なく共和国を後にして、向かうはフェリー乗り場である。もはや旅は終わろうとしていた。その前に昼飯であるが、検討の結果ガイドブックで絶賛?されていた海鮮丼屋にいった。絶賛されているはずの店の中には客は一人もいず、われわれのみだった。だいたいああいう人気店のうたい文句は“地元の人も良く行く”であるはずなのに、われわれのみというのはどういうことだ。そんなわれわれの予知能力にも似た予感をあとにお品書きを見た。相変わらず海鮮もの屋のくせにカツ丼などが羅列されている。おのおのが注文をしようとしたとき店のおばちゃんの「海鮮丼がいいよ」その一言でわれわれの少しばかりの自我は消し飛んだ。えらく時間がかかったあと3つの海鮮丼はやってきてわれわれの胃袋に攻め入った。 率直な感想「うーん海鮮丼って以外とくどくて飽きるね」(ふかわりょう風にポーズをつけて)胃袋に仕事を押し付けた私たちは、たらい舟に乗りに行った。たらい舟は今更説明は要らないと思うが、ちなみに“千と千尋の神隠し”でも登場した。これもベジータの強烈な推薦であった。やつはこの旅行で初日のスタミナ道場とたらい舟に異常な執着をしめしていた。たらい舟は10分ぐらいで¥450、安いので文句はない。船は3人乗りで一人は漕ぎ手のおばちゃんである。乗船は私とベジータで行くことになり、ピュロスは見学である。安定性のないたらいに乗り込むと早速スタート。漕ぎ手のおばちゃんはたらいよりも足腰に安定性の無い感じで、大丈夫かと心配したがさすがに上手い。しかしかなりぶっきらぼうであった。「おばちゃん、たらいって転んだり転覆するの?」「せん」「おばちゃん、佐渡って冬は雪降るの?」「降らない」えらい単語上手である。5分ほど漕いだときおばちゃんが「にいちゃんらも漕いでみるか?」と一言。おいおい俺に言ってるのか!おれは地元の桜淵では手漕ぎボート界のアイルトンセナと言われとっただぞ!まかせとけ!と引き受けては見たもののまったく進まない。漕いでも漕いでもくるくる回るばかりでぜんぜん進まない。ベジータに代わってみるもののやつも進まない。「おばちゃん進まんよ」「もう暑いから代われ」とシャープな一言。あとはおばちゃんに艪を預けて降車場に着いた。レンタカーのタイムアップが近づいている為フェリー乗り場に向かった。レンタカーを返しお土産を買って乗船した。われわれはいい場所を確保するため走って場所をとりに行った。もちろん2等客室であるため大広間みたいなもんである。その広いスペースに私達3人とおっさんが1人だけである。ラッキー!広く使えると思ったが我々はすでにジョーカーを引いていた。本州までの2時間半これからの運転にそなえて寝ようと思ったそのとき、おっさんのほとんど病気に近いいびき攻撃が始まった。やられた!先を越されたのだ。ああいうのは先に寝たほうが勝ちである、しかし我が方にもウィナーがいた。ベジータである、おっさんの攻撃が始まる前にやつはすでにノンレム睡眠に突入していた。帝国軍からワープで逃げるハンソロみたいなもんである。逃げ遅れた私とピュロスは船内を徘徊したりしていた。いい場所をとった意味がなかった。
2002年08月23日
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朝起きると相変わらずけだるい感じがする。旅館でも朝はいつもそんな感じだ、スキーに行っても旅行に行ってもなんだか寝たり無い感じがする。爽快感がないのだ、しかし朝食の時間は決まっているのでしぶしぶ起きるわけだがなんだかやるせない。みさきの朝は例に漏れずけだるかったが朝食がそんな気持ちを払拭してくれた。チェックイン時に朝食は和食か洋食か選択を迫られた。ピュロスもベジータも和食との事なので私は洋食にしてみた。和食が嫌いなわけでもなかったがただイギリスでの生活が長かったせいか朝はトーストとパンが体に合っているようだった。もちろん嘘であるが。和食はイカソーメンががっつり付いていてそれは旨そうだった。洋食もグラタンなど付いてそれはそれでよかった。ほどなく朝食を終えると今日のスケジュールのため荷物をまとめて旅立ちの準備をせねばならない。本日のメインは佐渡と言えば金山だ!金を掘りに行くのである。我々は一路佐渡金山資料館に向かった。資料館は佐渡の金山の歴史が勉強できるありがたい施設である。我々は¥700の金子を払いいざ佐渡金山へ入っていった。外はうだるような暑さだが中はなんと10℃前後で寒いぐらいだ。 どんどん中に入っていくといたるところに当時の風景がモーター仕掛けの人形などで再現してある。もちろん台詞入りだ。「早く休みてー」とか「早く女にあいてー」とか妙にリアルな人形がしゃべってくれる。いつの世も仕事の愚痴は一緒である。 あまりの充実感に私は感動していたが、他の連中が楽しかったのか感じ取ることは出来なかった。 洞窟を抜けるとその先には金山資料館!お決まりである。そこで我々は信じられない体験をすることになる。ご存知の方もいるかも知れないが、資料館の一角に12kgほどの金塊がガラスの箱の中に収められていて、手が入るだけの丸い穴が開いていてその穴からその金塊を抜き取る事ができれば記念品をくれるというアトラクションだ。意外と人気コーナーらしくいつも人が集っていた。我々は人が空くのを待って早速挑戦した。穴は確かに手が片方入るだけの物でその穴は金塊の直径をほぼイコールである。それに金塊は12kgあり到底引き出すのは無理である。やはり幾多の強者どもが夢破れて去っていった。ほんとに出せるのか?子供などは持ち上げることすらかなわない。半場あきらめた時ピュロスは俺に言った、「俺はこれの攻略法を知っている!」なっ何―!そのときの奴の風格たるや北斗の拳でサウザーの秘密を見破ったトキの様だった。ラオウ「あわてるなサウザー!うぬの体の秘密はこのトキが知っているわ」そんな北斗の拳の一説が俺の中でリフレインした。どうやらピュロスは探偵ナイトスクープという番組でその攻略法をやっていたそうだ。そのときの探偵は桂小枝ではなく北野であった。奴らはなんでもある攻略法ももって成功したらしい。その攻略法とは金塊を穴の所に持ってきて穴に立てかけ、そこから両手の指だけを差し入れてそのまま指で水平に浮かせてそのまま引き抜くといったものだ。でも12kgの金を指4本のみで水辺に浮かせるのは至難の技である。私が挑戦したときに2~3度金塊を浮かせたときに周囲の観客は「お~」っとどよめいた。 しかし金を引き出すまでにはいたらず、金を穴に立てかけるに留まった。 ピュロスにタッチすることにするが、すぐに子供が触りたがるので子供に触らせずすばやく変わり身の術を行った。ピュロスは私よりも筋力は無いのだが、手指が細く長くこのチャンスには絶好のエクスキュージョナーである。ピュロスはなにげなく指を差し入れると、何も無かったかのように水平に金塊を持ち上げて引き抜いてしまった。その間刹那ほどの時間だったろう、周りのギャラリーからは歓声と拍手が巻き起こった。するとすぐに監視カメラで監視していた係員が飛んできて、抜き取ったピュロスを奥の事務所へと連れて行った、ほとんど連行に近かった。なぜならやつの手には12kg末端価格にして1500万円ほどの金塊が握られているのである。そのまま奪取して逃げることも可能なのである。金は再びケースに戻され鍵をかけられた。ピュロスは住所などを聞かれその記念品とやらを手に帰ってきた。記念品は1gの金の板である、末端価格で1200円ほど、我々は“してやったり”と 民衆を掻き分け出口へと向かい、佐渡金山をあとにした。われわれの指名いやミッションは終わった。あとはフェリーの時間までお土産を見たりして時間をつぶし佐渡を離れることとなった。
2002年08月14日
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「ホテルみさき」これが私たちの今日泊まる宿だ。インターネットでピュロスとあーだこうだと言って選んだ宿で、食事と露天風呂が売りの宿である。 私とピュロスは部類の温泉好きで露天ともなればへいきで1時間は入っている。一泊二日¥12000で着いてみるとなかなかいい宿だった。平日の為客は我々以外には2組、計6人ぐらいだった。部屋はお金をケチったのでオーシャンビューではないが小奇麗な部屋であった。まあ男3人でオーシャンビューでもなんかキモいもんがある。夕食は7:00にした、なぜなら日没が6:59で露天から太陽が水平線に落ちてゆく落陽が拝めるからだ。部屋に入るとまずはその旅館の案内をくまなく読む、どんなラッキー情報が書かれているかもしれないからだ。おおっと早速発見!「板長のおすすめオプション料理!」ズワイガニ1パイ¥5002ハイで¥800!「おおー」これは頼むしかない!との満場一致で早速ダイアル9をプッシュ!「すんません000号室のピュロスですが、夕飯にかにをオプションで2×3人前=6ハイで」「お客さんそんなに食べれませんよ」なに~!お客がいいてんだからいいだろ! とは言わずに。「じゃあ全部で4ハイで・・・お願いします」かにも頼んだことだしとりあえずサンセット&露天かー!ということで風呂にレッラゴー!風呂は貸切状態で内湯とサウナにそこそこ入りいざ露天へ。露天はアウトドアであるが男風呂の方はいつもと言っていいほど、外界から我々の如意棒とドラゴンボールを隠す(封印)垣根が低い!女風呂はどの角度からも見えないようになっているが男風呂は丸見えである。みさきも例に漏れず前の海岸の釣り人やカップルから丸見えである。まあ我々も大人なのでそんなことには目くじら立てずにおとなしく入っている。逆に言えば大人だから隠さんとまずい物があるのだが・・すると水平線に赤い太陽が沈んで行くのが見える、それを3人でまっぱで言葉を発せずに見ていた、お互い何を思って見ているのか、そんなことはどうでもいい気がした。 大人は日ごろのいろんな事を腹に溜めているのである。僕はと言えば心の中で「水平線の終わりには、あーあー」とトリトンの歌が流れていた。大分寝不足と疲れで頭がやられている証拠である。夕食が7:00で日没が6:59で夕食に間に合う訳がない。急いで洗って服を着て部屋に帰った。するともう仲居さんが部屋食の準備をしていた。なかなかいい料理である。 注文どおりかにが4ハイ、それとは別に標準装備でかにが付いていた。「くそーやられた、先に言えよフロント!」標準装備でアルミホイールが付いているのに、オプションでアルミホイールをつけたようなものだ。全国津々浦々カニ食う時はみんな無口!ほとんど会話もなく食事をしたが、旨かったものと言えばカニもそうだがアワビご飯と普通の白飯が旨かった。さすが米どころ佐渡と言ったところだ。夜は近くのコンビニに買い物に行って(かなり離れている)、佐渡の夜は更けていった。もう脳みそがカニ味噌と入れ替わったので何を夜しゃべったのか覚えていない。ZZZZZ・・・・
2002年08月09日
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フェリーに乗り込んだ僕は3人で2等客室のある区間を陣取った。2等客室は大広間でみんなそれぞれ雑魚寝である。もともと私はそのような電車とか飛行機とか公共の乗り物では眠れないのだがさすがにその日は落ちるように眠った。しかし道中寝ていたベジータはなんだか元気になってきて船内をウロウロしていたようだ。野菜の行商にでも行ったのか?フェリーは2時間半で佐渡に着き空港のような渡り廊下を通って佐渡に我々は降り立った。暑い!の一言。 佐渡の船着場は何にもなく静かなところで、そこいらでたらいの船が浮いている。我々はそこでレンタカーを借りることにした。 車はマツダファミリアで男3人ではやや狭かったか、まあそんなものだろう。 なぜか元気一杯のベジータがハンドルを握り、一路昼飯を食うべく目的地の両津市に向かった。普段意見をあまり言わないベジータが、両津市にある刺身などを食わせる和食どころを強行に行きたいと言ってきたのでさぞ良いところだと思い行くことにした。道中は少し前の台風のおかげで道が土砂崩れを起こしていて通行止めになっており、迂回を余儀なくされた。その迂回路がスパルタンな道で、ベジータの無謀な運転と相成って私もピュロスもゲロゲロになり折檻の対象となりあわれベジータは海のモズクとなりました。両津市についてやっとお目当ての店が見つかり早速入ることにしたが、ピュロスはベジータの運転のおかげで昼飯リタイア。われわれはかまわず店内に、メニューを見ると海の物を食べさせる店かと思いきや周りの人が食べてるのは“みそラーメン”とか“カツ丼”だった・・・私とベジータはガイドブックにも載っていた和定食を注文した。さて何が出てくるか・・・ うーんなんでもない刺身定食・・・この後この食堂を強行に勧めたベジータに車の運転でくたばったピュロスとともに私のメリケンパンチがベジータに炸裂したのは言うまでもない。昼食を無言で食べ終わると車に乗り込み次の“2つ亀”にむかった。2つ亀はその形が亀に似ているからそう言われるようになったようだが、景観はよく海水浴場にもなっているところだった。 降りてゆくと下は海水浴場になっており人が泳いでいた。しかーし!われわれ32才男の目を引くような女性は皆無だった。 ピュロスは水を得た魚のように元気になり荒涼とした山に登ると言い出してどんどん登り始めた、私と言えば足を柔道で捻挫しているため岩場を登るのは断念して彼らを見守ることにした。彼らはズンズンと登りあっという間に頂上までたどりついた、元気なやつら・・・。 そんなこんなで車は一路宿「みさき」へ正直佐渡はあまり見るところがなく、泳いだり釣りをしなければあまりやることがないところである。海はきれいなのだが岩場であまり泳ぐところも無いように見受けられた。あとは宿の食事だけが頼りである。
2002年08月06日
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僕は仕事を早く切り上げると急いで待ち合わせ場所に向かった。今日は高校時代の友達と佐渡へ旅行に行く日だ。待ち合わせ場所は家から1時間少々の豊川である。途中のトンかつ屋で味噌カツ大盛りを食べて腹ごしらえを済まして一路豊川へ。とある駐車場に車を止めてそこから友達の車に乗り換えて21:00出発。車はちなみにマーク2だ、正直長距離巡航できる車がこれしか調達できなかったと言うのが本当のところである。それにしてもなぜ佐渡なのか?我々は何かイベント事があると友達同士で旅行に出かける。最初は東北、次に伊豆、この前が尾道、そして今回が佐渡。ほとんど思い付きである。佐渡までは東名音羽蒲郡インターから中央道、長野道、上信越道、北陸道を通って直江津に出て、そこからフェリー、高速が6時間フェリーが2.5時間で結構な道のり。MDをセットしてお茶を買い込みいざ出発!最初は私の運転。ああっと!ここでメンバーの紹介、私は言わずと知れた当管理人のたうりん、名前負けしているので体力は無い、身長183cm80kg好きなタイプは竹内結子。それとこれもおなじみピュロスくん身長182cmぐらいかな63kgぐらいか?ここで新人のベジータα身長174cmぐらい63kgぐらいかな・・・好きなタイプは小川範子!?もうすでに危険なタイプの人間である事が伺える。車内はベジータを除いては2人ともノリノリで、フォーク、アニメ、テクノ、ハード&パンクといろいろで盛り上がっている。ベジータはすでに事切れている。車は順調に一路新潟へ向かっている、私の体力も底をつき姨捨サービスエリアで休憩&ドライバーチェンジ、ドライバーはピュロス。私は後部座席でしばし仮眠を取ることにした、行程としては2/3は来ているので後少しで到着であろう。そんなことも考える暇もなくZZZZZZZ・・・・・・・。やけに暑くて目が覚めた、そこは直江津市の佐渡行きのフェリー乗り場。時間は午前3:00すぎで一番のフェリーは7:30である。それまで仮眠することにする、でもマーク2の中にでかい男が3人!しかもバッテリーが少なくアイドリングでもエアコンは御法度とピュロスが言う。汗だらだら・・・うーん眠れない・・・・でもいつの間にかZZZZZ・・・・。7:00前に起床し疲れの取れないまま乗り場へ、普通フェリーは片道¥2000ぐらい、高速フェリーは¥6000、迷わず¥2000でチケットゲット!いざフェリーに乗船、気分はヤマトの古代進!実際は沖田艦長で体力はエンプティー。 朝飯でエネルギーチャージ! うう寂しい・・・。ヤマト発信!
2002年07月31日
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先日柔道の帰りに飯でも食べようと言うことになり、いつも行くサイゼリアではなく違う所に行くことになった。今の時期で行く店を決定する重要な条件は“カキ氷”である。カキ氷があるかないかが店の決定に大きく左右する。そんなわけで近くのアラ○カに行くことにしたが、私がもたもたしているうちに営業時間ぎりぎりになってしまった。腰を痛めた為チームドクターの所で治療を受けていたのだ。時間切れではしょうがないので違う喫茶店である大正浪漫の香りがする喫茶店に直行した。まずは腹ごしらえではなく、当柔道教室では食事よりもカキ氷なのである。「白玉金時ミルク2つ」と男二人とは思えない注文をした。周りは大正浪漫を満喫している女の人かカップルばかり、でもそんなことにへこたれる我々ではない。なんだかんだと柔道の文句などを言いながら白玉氷を平らげた我々は、次のターゲットに移ることにした。私は独身者なので当然家に帰っても夕ご飯があるわけではなく、同じく軽はずみさんもその日は夕飯は無いようだった。いまさら場所を変えるのは面倒なのでその大正浪漫で食べる事にした。どれどれメニューは?中にはサンドイッチやドリア、グラタンなどが書かれていた。写真ではなく絵なのである、そこが大正浪漫なのだ・・・ちなみにとんかつ定食や焼肉定食は無く女子供の食べるようなものばかりだった。私はしょうがなくから揚げドリア、軽はずみさんはホットドックいわば“ぬくとい犬”を注文した。(ピュロス専用笑いどころ)もちろん食後はアイスコーシーである。私は数年ぶりに食べるドリアなるものに手こずっていた。科学が進歩してもドリアは熱いのだ、世の中の食道がんや舌癌はほとんどドリアのせいと言っても過言ではない。そんなこんなでもはや23時で閉店の時間、客はほとんどいなくなり私たちを残すのみとなった。しかし私はまだドリアが半分も残っている、でも照明は消された・・・早く帰れと言うことなんだろうが熱いドリアを出したほうが悪い。店員さんを捕まえて「食べ終わるまでいいですか?」と確認をとってラストスパート。ほどなく食べ終わり会計も済ませる頃には店内外の照明はほとんど落とされていた。まだ悪口いや話したり無い我々は店を変える勢いだったがいかんせん近くに店が無いのだ。仕方なくその浪漫の駐車場に隣接するコインランドリーに入り込んで占拠した。エアコンの効いてないその中は蒸し暑くとても気持ち悪かったがしかたがない。中であーだこうだといろんな話をしていたが、そのとき以前軽はずみ氏のホームページで話題になったおっさんの話題になった。われわれ柔道家に対するにわかアマレスラーのおっさんの柔道の試合におけるレスリング技の有用性についてのご意見だったが、レスリング素人の私には技に対する理解が難しいため軽はずみ氏に技の解説を求めた。軽はずみ氏は快く解説してくれて、おまけに体を張った解説であった。もちろん私の体もつかっての解説ではあったが、そのコインランドリーは防犯カメラが設置してあり我々を狙っているように思えた。閉店時間の23時を過ぎての進入および意味不明の体制、しかも男同士ということでカメラの向こう側でそれを見ている人はどう思った事だろうか。そんなことにはらはらしながら夜はふけていき、いい時間になったのでそこから家まで1時間はたっぷりかかる私は帰ることにした。まあよくもそんなに話すことがあるなーと思うが意外とあるものである。これからはもっと暑くなり氷のおいしい季節となるのでこういう機会が増えるだろうがこれからもがんばっていきたい。何をがんばるのかわからないが・・・こんな風にオフ会は行われている。
2002年07月19日
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さて今回は小児の眼について書きたいと思います。人間の眼の発達としては、出生してまもなくはほとんど光がわかる程度でしか有りませんが、やがて発達を続けて3歳時には0.8~1.0の視力が有ると言われています。そして成人と同じ程度に眼が発達するのは約8歳から10歳だと言われています。人間は出生後から発達を続け、眼の機能も10歳頃に成人と同じレベルまで完成されるということです。従ってその出生後より10歳までの間は、眼の発達にとっては大変重要な時期と言えます。以前3歳児検診と言う物が無かった頃は、何か病気になっても知らずに育ってしまい、成人してから異常に気づいても、もう手遅れだったと言うことが多々ありました。その様な事例から3歳児検診でも眼科的検査も必要ではないかという専門家の意見から、近年になり3歳児検診でも眼科検査が義務づけられるようになりました。今ではそのおかげで病気を早期に発見することが可能になり、小児の視力低下につながる病気を軽減することが出来るようになりました。その病気の大半は近視、遠視、乱視、弱視、斜視などですが、これらの名前は皆さんも一度くらいは聞いたことがあるのではないでしょうか。たかが近視、乱視、遠視といった聞き慣れた病気も、発達期の子供の目には大きな影響をもたらします。どう言う事かと言いますと、もし3歳ぐらいの子に遠視があったとします。それがもし片目に遠視があり、もう片目は正常(正視)な眼だったとすると、正視の眼の方はすくすくと視力も育って行きますが、遠視のある方の眼は遠視のために見えにくくなります。見えにくい為にクリアーな映像が脳に運ばれない為、そちらの方の眼が成長せず正視の方の眼に置いてけぼりをくってしまい、視力の成長に左右差が出来てしまいます。これが遠視性不同視弱視と言う病気です。もちろん眼鏡をかけても悪い方の眼は視力が上がらず、治療をしないと一生そのままの悪い視力のままです。遠視が両眼にあったとしても、今度は両方の視力が悪くなる遠視性弱視になります。この現象(弱視)は乱視がある眼でも起こりますし、頻度は低いのですが強い近視の眼にも合併します。この弱視をもう少し簡単に説明しますと、学徒の片足に骨折などでギブスを巻いた場合、ギブスを巻いていない方の足は常に使っているために、筋肉が増強されますが、ギブスの足は使っていないために筋肉が萎縮して足が細くなります。これと一緒の状態が眼にも起こると言うわけです。さてこれらにはどう治療して行くかと言いますと、まずはその子の正確な屈折(遠視や乱視の値)値をある特殊な目薬を使って検査します。その上でちょうど合った眼鏡を作ってかけさせますと、徐々に視力が上がってきます。それでも視力が上がってこないものには、アイパッチと言って絆創膏みたいな物を片目(良い方の眼)に付けさせて片目で生活してもらいます。そうして弱い方の眼を積極的に使わせて、視力の向上をねらいます。幼稚園などで厚いメガネやアイパッチをした子供を見かけた事は有りませんか?その子達はこれらの治療をしているというわけです。しかしこの治療にはタイムリミットが有ります、それは眼の成長が止まる8~10歳ぐらいまでに行わなければなりません。しかも10歳に近づくにつれて効き目が薄くなっていきます。治療を始めるのは早ければ早い方がよいのです。ですから視力検査が出来る様になる3歳をねらって、3歳児検診をするのです。そして異常の有る眼は早めに治療することが3歳児検診の目的なのです。あと遠視が有る場合には弱視だけでは無く、斜視(眼が外や内を向いているもの)も引き起こします。斜視は単独で起こってくる物ももちろん有ります。斜視とは眼の視線がずれている物の事ですが、遠視が無くても出現する物も少なくは有りません。その場合ずれている方の眼は使われていないため、遠視性弱視同様に弱視になります。すなわち生まれて10歳までに、片目または両目に眼の成長を阻害するもの(遠視、乱視、斜視、先天白内障、眼瞼下垂など)がある時に眼の成長が障害され弱視になります。その治療は10歳までの出来るだけ早い時期に行うことが望ましく、10歳ぐらいまでは少なくとも治療を続けなければなりません。やや弱視の話に偏りましたが、弱視は親が日常子供を観察していても気づきにくく、病気を抱えたまま育って行ってしまうことが多いのです。ある日母親が何となく子供が物にぶつかるのでと言って来院して、視力検査をしてみると片目の視力が全く無かったなんて事も、今までに経験があります。子供は片目でも器用に生活していけますし、大人の様に訴えもしませんので、親としては最前の注意が必要です。例えば間歇性外斜視と言う病気があります。簡単に言うとたまに外に外れる斜視の一種と言うことになります。これは疲れたときや眠いときなど緊張の糸がとぎれたときに斜視が出現する物です。この間歇性外斜視の特徴的な症状としては、眼が外に外れるということはもちろんのこと、以外にも明るいところで片目をつむると言うことです。なぜなのかは分かっていませんが、間歇性外斜視の子は表に出たりすると眩しがって片目を細めたりします。このような症状の有る場合は一度専門病院に受診した方が良いと思われます。あと何か薬品が眼に入ってしまった時などは、眼科を受診する事は当然ですが、家で出来るだけ流水で洗うことが大切です。酸性の物よりアルカリ性の物の方がより眼に侵襲が強いため、学校で石灰などが入ったときなどはすぐに水道水で10分ぐらいは洗った方が良いでしょう。打撲や外傷などの場合はあまり患部に触らずに(圧迫せずに)、眼科に受診して下さい。あと以外と知られていないのが、なんらかの眼の病気で、例えばものむらいなどでで眼が腫れた場合に眼帯をしたくなりますが、10歳までの子供に眼帯は禁忌です。なぜならば眼帯をすることによって、眼の成長を阻害されて形態覚斜断弱視という弱視になってしまう事があります。ばい菌は入らないようにと、良かれと思った物が裏目に出てしまうことも有りますのでお気をつけ下さい。総じて子供は訴えが少なく、曖昧なため何か気になる症状が有るときは専門医に相談してみた方が良いと思います。
2002年07月12日
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ヘルニアは突然に・・ 作詞 作曲 小田 たうりん何から伝えればいいのか わからないまま腰に激痛浮かんでは消えてゆくありふれた悲鳴だけ腰があんまり痛いのだから ただ素直にいてーと言えないで多分もうすぐ足もしびれ僕は たそがれあの日あの時あの場所で腰を曲げなかたら 僕らはいつまでも元気な腰のまま誰かが甘く誘うスキーにもう心揺れたりしないで せつないけどそんな風に腰は使えない明日になれば腰もきっと今よりもっと痛くなりその痛みが僕の中で限度 超えてくるあの日あの時あの場所で技をかけなかったら 僕らはいつまでも健やかな腰のままいまー僕の髄核が飛びでた 言葉止めて 腰をなでて (ふうふうー)僕はわすれないこの日を(わすれないー) 夜の柔軟わすれないあの日あの時あの場所でコブを攻めなかったら 僕らはいつまで元気な腰のまま※小田和正の“ラブストーリーは突然に”に似ていますが偶然の一致です
2002年07月03日
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我が輩は腰痛持ちである。ヘルニアはまだない。いつから腰痛なのかとんと見当もつかない。テニスをやったりスキーをやったりすると“ぴきっ”っときて机の下でひーひーと言っている。思い起こせば高校のある晴れた日の朝、朝ご飯を食べ終わってふっと立ち上がろうとした瞬間に激しい痛みが腰に走ってそのまま気を失った。朝から体を張ったギャグをかましたと思われていた、かわいそうな腰痛発作初体験の僕。それからそれがギャグでないと5分後に気づいた俺の家族。そして僕は三途の川からヘッドスライディングで帰ってきた僕は、何があったのかわからずにいた。そう腰痛はいきなりやってくる、それはこれを読んでるあなたがコップを何気なく取ろうとして腰をかがめた時、下に脱ぎ捨てた履き古しの靴下をいつもはあしの指で挟んで取っていたのに、今回にかぎりけなげにも腰をかがめて取った時などに訪れる「あなたの知らない世界!」by新倉いわお(笑える人だけ笑ってください)腰痛はもちろん椎間板ヘルニアや脊椎すべり症や筋筋膜性腰痛などがある。ヘルニアは椎間板の間の髄核が“ちゅる”っと出てしまい、神経を圧迫して痛みや足のしびれがでる。主に腰痛で多いのが筋筋膜性腰痛である。腰の筋肉が疲労や過度の運動のために炎症や疲労物質が溜まって神経を圧迫する。これがまた結構どころかかなり痛い、動けないほどである。発作は1~2週間続き反復する事が多く、湿布や薬は対症療法でしかなく根本治療ではない。詰まるところ安静しか無いようだ。病院で働き始めた頃ちゃんと専門医に診てもらおうと整形外科のドアを叩いた。「腰が痛いのですが」「いつからですか」「かれこれ高校時代からです」「なんかスポーツでも?」「柔道を少々・・・」「そりゃあだめだー!最悪」「えっ?」「やっぱ柔道とラグビーはだめだね」「そうすっか・・・」どうやら柔道は最悪らしい、まあ健康にいいとは思っていなかったが一番悪いとは・・・、どうせなら最悪なら女にもてるラグビーでもやっときゃあよかったと思っても、僕の青春と椎間板は戻ってこない。戻ってこーい!青春はいいからせめて椎間板!聞くところによると人間の椎間板や脊椎は垂直からかかる力に500kぐらいまで耐えられるそうです。でも腰を曲げた状態などではすごく弱いようです。早速MRIを撮って診察へ。Dr「うーん・・・たうりん君大分ネガティブだねー」「そうですか、どきどき・・」「ここ見て、ほら黒いでしょ?ここは通常椎間板で白く写るんだね」「はあ」「でもほら!黒いでしょ?これは椎間板がすり減って無くなっちゃったんだよね」「それってやばいですか?」「うーんやばいね、今は筋肉があるからいいけど無くなってきたら・・・」「・・・・」「クッションが無いから骨と骨ががちんこです」「そうなると?」「うーん神経症状が出るね」「先生うれしそうですね・・」「そんなことないけどね、大丈夫だよ今は・・・」「くれぐれも筋肉は落とさないように」「もし落ちたら?」「アウトーッ!」それはイチローをセカンドで刺すよりむずかしいんじゃあねえか?僕は幸も椎間板も薄いとは・・とほほ・・今でも毎日腹筋とストレッチはかかさずやってます、電気治療器も買いました。危ないときは早めに薬をのんでやってるのですがちょっとしたことで“ぴきっ”ってなります。なんかやるせなくなってきます、理想的には減量してストレッチで体を柔らかくして、格闘技などはやめて、ある程度の運動で筋力アップして、なんだか味気ない生活です。人間は体に悪いことをしてるときが生きてるって感じます。腰が痛くなると正直パンツもはけんし、靴下もはけません。いい大人が朝ふりちんでパンツを履くのに七転八倒するのは情けないの一言につきる。これからは姿勢を良くして、ストレッチも筋トレもがんばって腰痛を克服しよう。
2002年07月02日
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金比羅さんにこんな店がありました。 高松は良い町で落ち着いていてごみごみしてなくてよかったですよ。みなさんもどうぞ。
2002年06月27日
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次の日は朝から岡山駅から瀬戸大橋を渡って高松へ、今回の旅行(仕事です)のメインのうどん&金毘羅様参拝である。まず高松に渡った私はこれまた事前にインターネットにて調べておいた28ページにもわたる讃岐うどん情報を取り出し観光案内へ。お姉ちゃんに“このうどん屋の中で駅から行ける所をピックアップして”とわがままな注文。観光案内のお姉ちゃんは嫌な顔せずやってくれました、ありがとうございますいける店舗は3店舗!時は11:30!“行くか!”3店行くことにした、順番決めまずは人気店。かけうどんにかき揚げ&イカ天のトッピング¥400なり。 倉敷の店とはやや麺の固さやつゆの濃さが違いこれはこれで旨い!でもこの時点で私はジョーカーを引いていた、後二店あるのに調子こいててんぷらを二点トッピングしてしまったのだ。次に2店目、3階建ての店で階が上がるごとに値段も上がるタイプ。ちなみに補足だが讃岐うどん屋では基本的にセルフが基本です。お盆をもって流れて行き最後に勘定というスキー場の昼飯タイプである。行ったのはもちろん1階のセルフの安い店。冷やしかけうどん+ナス天290(安い)なり、ここは麺がやや固くかなり歯ごたえがあり、つゆはやや濃い味。これはこれでおいしくお土産に生めんを買ってしまった。最後は小汚い店でぶっ掛け¥210で、その頃にはもう味はよくわからずただ流し込むだけであった。炭水化物ばかりでエネルギーを得たところで、高松駅に向かい一路金毘羅へ。久しぶりに乗った鈍行列車、僕のほかに客はポツポツ、大丈夫かなーとの僕の思いも乗せて電車は金毘羅のある琴平へ。僕の心のBGMは「思えば遠くに来たもんだ」海援隊がながれていた。 1時間の旅も終わりを告げ電車は琴平に、それから金毘羅さんまでお土産屋さんの並ぶ参道を歩き5分ほどで登り口へ。ここから階段を上がり本殿まで1300段の階段を上がる。道にはお土産屋さんが立ち並び、もうすぐ金毘羅さんになりそうなおばちゃんが 「あんちゃんどこから来たね?」「愛知です」「それはとおから来たね、仏像買ってかんかね」「・・・・」「あんちゃん仏像持ってると?」「いや・・持っていないです、残念ながら」「じゃあ一個買ってきなさい」確かに何故か金毘羅は神道なのに密教系の仏像ばかり売ってる。「ごめん、ばあちゃん俺キリスト教徒なんだ、残念だね」「そうかそうか悪かったの」僕は今日だけ十字を切った。階段はまだまだ続き、中の院などを通り過ぎ本殿へ。本殿は改装中・・・おいおい洒落になんねーなー!でもいいか「神様も新しい家に住みたいだろう、リフォームだな」と階段で乳酸が頭まで回って思考能力が落ちていて訳のわからん事で納得した。¥5お賽銭にいれて(¥5ついてはノーコメント)、パンパン!「みんなが幸せでありますように」と願ってとりあえずお守りを買って、金毘羅さんにアディオスしてきた。 帰りは高松からフェリーで岡山へ。フェリーに乗り(¥300安い!)デッキで海を眺めていた。心のBGMは「さよなら」オフコース---「シングルアゲイン」竹内まりあ---「22歳の別れ」風と悲しい歌ばかり。 火曜サスペンスの見すぎでフェリーに乗ると身を投げたくなり、自分を不幸な立場に設定する症候群。岡山にてキビ団子を買いホテルに。誰をこのキビ団子でお供にしたろうか・・などと考えつつ眠りについた。スペシャルサンクス----ピュロス&奥さんN子(N子!児島は田舎だなー)
2002年06月25日
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いや~行ってきました岡山!今回は半分仕事みたいなもんですが有意義な旅行でした。まず午前4:30に愛知県を出発して東名阪自動車道へ、それから西名阪~中国道と走りました。でもやっぱ電車にすればよかった・・・辛いです。男3人のドライバーとはいえ大変ですね。大阪のあたりは渋滞も激しく運転は荒いし走りにくいです。なんとか11:00に岡山倉敷に行き、少々仕事をして倉敷の名所の美観地区へ。ここは昔ながらの街並みが残る、言わば高山とか妻籠馬籠みたいな感じでしょうか。一通り見た後飯を食いに倉敷駅へ。飯は行く前からリサーチしていた“ぶっ掛け”うどん!普通のうどんに少なめで濃厚なつゆ、歯ごたえのある麺にてんぷらのトッピング!これでなんと¥280なり!向こうの人の定番らしくお客さんは昼時にはいっぱいになるらしい。正直こちらには無い味でかなり旨い!ホテルに戻り荷物をおいてさすらいの旅へ。岡山から車で瀬戸大橋のある“児島”へ。海辺の町でもちろん狙いは“たこ飯”!その中でも一番という店に入り、たこづくし懐石+船盛+ビールを食べたが全部で一人¥4000ほどでとても食べきれない量でした。飯を食べたら次はお風呂ということで、海の見える高台にある観光ホテルに直行し¥900支払い外来風呂。これがまた瀬戸大橋を望み最高の夜景で、説明書きにマニラの夕日に続く世界2位の夕日だとコメントしてありました。
2002年06月24日
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「私の記憶が確かならば・・・」って言うセリフがだいぶ前のテレビで流行っていましたね。僕の記憶が確かなら、現在の日本の失明率の第1位は糖尿病による網膜症だったと思います。糖尿病と言う名前は、まあ大体の方が聞いたことのある言葉だと思います。糖尿病と言えば成人病の王様みたいな物ですが、ほとんどの人が将来なる可能性を秘めている病気です。そんなわけで今回は全身病(成人病)と眼の病気について書きたいと思います。この本の読者の方、このページの読者の方がどのくらいの年齢層の人かわかりませんが、若い方には全く関係ないとは言い切れませんので、若い方も飛ばさずに見てやって下さい。眼と言っても体の一部な訳ですので、もちろん体が病気になればその影響を少なからず眼も受けるわけです。眼は基本的には脳の一部ですので、頭の血管が詰まれば、眼の血管も詰まる可能性が有るわけです。もちろんその逆もあり得るわけですが、そうなると脳梗塞であったり、眼底出血になるわけです。すべての全身病が眼に障害をもたらすとは限りませんが、特に血管系(糖尿病や高血圧など)や炎症系(膠原病など)の病気が、眼にも出てくることが多い様です。さて糖尿病と言う病気とはどんな病気でしょうか?人間は食べ物から栄養やエネルギーを摂取して生きています。それは糖と言う形で蓄えられたり、燃やしてエネルギーにしたりしていて、いわば車で言うとガソリンの様な物でしょう。人間は飢餓状態の時に蓄えの脂肪を糖に変えてエネルギーにしたり、それが多いすぎる時にはホルモン(インシュリン)を分泌して糖をコントロールしたりしますが、糖尿病と言う病気はそのインシュリンが上手く分泌されずに、血液中の血糖値をコントロール出来なくなる病気です。そうすると長い間に高血糖状態が続き、血管が弱くもろくなって行きます。血管から酸素や栄養をもらっている大事な臓器の血管が正常な機能が果たせなくなり、やがてその臓器自体も壊れていってしまいます。頭の血管がもろくなれば脳出血ですし、心臓は心筋梗塞、腎臓は腎不全、眼は眼底出血と言う病気で出てきます。糖を上手くコントロール出来ない原因としては、カロリーの取りすぎや遺伝的要因が言われています。糖尿病による障害を眼の病気で考えてみると、血管がぼろぼろになってしまう訳ですから血管から血液やその他の物質がしみ出てしまいます。いわゆる眼底出血という状態になります。そして血管が詰まってその血管が栄養している部分が、壊死または瀕死の状態に網膜が陥ります。すると体の反応により新しい新生血管という、細くもろい血管が生まれて来ます。この血管は破れやすい為にすぐに眼底出血を起こします。眼底出血を繰り返し、その出血が大きくなっていき硝子体出血になり、その後網膜剥離と発展していき失明に至ります。あと新生血管の為に眼圧が上がって来て、新生血管緑内障となればこれも失明の確率が高くなります。では防ぐ為にはどうしたらいいのでしょうか?幸か不幸か糖尿病は発症してもすぐにその様な状態になるわけではありません。血糖の状態にもよりますが、無治療で眼底出血に至るのには5年ぐらいかかると言われています。軽い糖尿病の場合症状が乏しい事が多いため、皆さん知らずに病気が進行していくといった事が多いようです。ですから積極的に人間ドックなどを受診していただき、血糖の高い人や尿に糖が出ていると言われた方は、早めに内科の先生に受診する事をお勧めします。内科の先生の指示に従えばいいのですが、眼科にかからなければいけないことも頭に置いておいて頂いた方がいいと思います。治療法は最初は食事療法に始まり、それでも血糖が悪い人は内服治療となります。それでも血糖の下がらない人や、遺伝的にインシュリンの出にくい体質の方には、インシュリンを自己注射してもらいます。食事療法にいたっては一生続く訳ですが、これも大変なものです。「一日の食事を1600カロリーにしてください」なんて言われたりすれば、三食で1600カロリーとなれば一食500カロリーぐらいになります。だいたいカツ丼一杯で800~1000カロリーぐらいですので、そのつらさは明らかです。食べられるのに食べられないということは辛いことですよね、そんな悲しいことはありません。食事療法と共に運動療法も重要になってきます。まあ成人病にかかわらず健康のためには、食事と運動を気を配る事は大切なことです。僕はなかなか続きませんが、週に一度ぐらいスポーツジムに通っています。はじめにエアロバイク(自転車こぎ)を50分ほどやりますが、苦労して50分汗をかいたあとに「あなたの総カロリー量は」なんてバイクの液晶に出てきますが、大体300カロリー未満です。そして300カロリーだと食物に換算すると、ご飯で茶碗1杯半とかケーキ1/2個だとかビール1/2本なんて出てきます。そうすると「今日の晩飯はご飯1杯までか・・」なんて考えたりします。何となく人生につやが無くなりますね。少々脱線しましたが、糖尿病になると大変ですと言う事が少しは分かって頂けましたでしょうか?でも糖尿病になってしまっても悲観する必要はありません。言い換えればカロリー制限や内科や眼科の先生の言うことを守っていれば良いのです。ガンやウイルス性の病気と違って、病気自体を自分でコントロールする事出来るので、悪化させるのもくい止めるのも自分次第なのです。ガンは自分で治療をがんばっても、進行を止めてはくれませんので。
2002年06月19日
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現代社会において“眼”を使うことは、一日の内で増え続ける一方です。例えばパソコン、事務仕事、テレビ、ゲームなど数え切れません、人間の感覚機能の80%が視覚に頼っていますから“眼”の負担も増える一方です。僕が小学生の頃にクラスにメガネをかけていた子が何人ぐらいいたか?と考えると、1~2人だった気がします。今は(僕の主観的な意見ですが)5人ぐらいいるクラスもあるのではないでしょうか?ここ20年ぐらいで数%近視の割合が増えているのは、近業作業が多い事による環境要因のせいだと言う意見が専門家の中にも多く、僕もその意見には賛成です。もちろん近視の原因はそれだけでは有りませんが、環境も大きな要因だと考えられています。話がやや脱線してしまいましたが、それらの生活の中で眼の疲れを訴える方が後を絶ちません。この読者みなさんも一度ぐらいは眼の不快感、疲労感などを感じた方が多々いるのではないでしょうか?今回はその身近な症状、眼精疲労について書きたいと思います。眼精疲労には大きく分けて、1 調節生眼精疲労遠視、近視、乱視などの屈折異常によって引き起こされ、それらをメガネ、コンタクトレンズなどで矯正していない物、またはその矯正が適切でないものなどによって引き起こされる眼精疲労を言います。2 筋性眼精疲労斜視や斜位、輻湊不全など眼の動きが、眼の位置が悪いために起こる眼精疲労。3 症候性眼精疲労緑内障、結膜炎、ドライアイ、副鼻腔炎など病気が原因による眼精疲労。4 神経性眼精疲労神経症、うつ病などの精神的な理由によって起こる眼精疲労。などが有ります。そのほかにも三叉神経痛など神経痛などによるものも有ります。僕らが一番外来で遭遇するのは1の調節性眼精疲労ですが、大体がメガネが合っていないか、メガネが必要なのにメガネをかけていないなどが有ります。あとコンタクトレンズ使用者では、コンタクトの度は合っているのだけど、コンタクトのフィッティング(眼に対してコンタクトの大きさ、カーブが適正に合っているか)が合っていないケースなどが多く見受けられます。これらはメガネを適正な度数でかけさせ、コンタクトを調整すれば多くは軽快します。一般論ですが、メガネを処方する上で疲れにくくする為には、近視では度数を一番良い視力が出るレンズで弱めに、遠視では度を強めに、乱視は乱視用レンズを入れると歪んで見えて疲れやすいので、やや弱く処方すると良い様です。メガネは度が強ければ良く見えて、弱くすると見えない訳ではありません。その人の度数に合っていないと意味が無く、やたらにレンズを変えても効果は有りません。これらは眼科の先生かメガネ屋さんに相談されるのをお勧め致します。次に筋性眼精疲労ですが、これは眼の位置、動きに関係するものです。そもそも人間は有る程度“眼のずれ”が有る物です。どういうことかと言うと、全身麻酔をかけたり、死んだ人の眼を開けて見てみると、たいてい眼が外にはずれているはずです。もともと人間の眼の位置は外にはずれていて、意識が有るときや、生きているときは、筋肉の力で眼の向きを正面に保っています。疲れたりした時やボーっとしている時に物が2つに見えたり、人から見て眼が外にはずれていたりするのは、正面に向けようとする筋肉が“さぼって”いるから起こる現象です。もともと人より眼のずれが大きい人や、正面に向ける筋肉の力が人より弱い人が、近くを見る作業を長時間行ったり、眼をよく使ったりすると、結果的に眼を正面に向けようとする筋肉に負担がかかる為、眼精疲労が起こったりします。これらの人には、1時間近業作業を行った時に15分程度の休息を取ってもらうか、眼のずれが大きい人には、プリズムメガネと言う特殊メガネを装用して頂く方法も有ります。(プリズムメガネは全員に適応となるわけではありません)あとドライアイがある人は、本を読んだり、パソコンをやったりすると、どうしても瞬きをする回数が少なくなり、涙の蒸発が早くなって、その結果眼が疲れたりしますので、そのような方はドライアイ用の点眼薬を点眼してもらったり、瞬きを意識して多くしてもらう事で良くなることが多いです。次に症候性眼精疲労では、病気が背景に有るために起こる眼の疲れです。これまで書いてきました物は比較的重要度としてはやや低い物で、頻度は多いのですが、失明につながる様なことは有りません。しかしここで出てくる眼精疲労は、知らずにいると失明や目が悪くなったりしますので気をつけた方がいいでしょう。たとえば緑内障などは、眼の中の眼圧(内圧)が高くなって起きる、慢性の進行性疾患です。緑内障は自覚症状が乏しく、ほとんど自覚しないまま病気が進行します。中には眼精疲労を訴えて来院して、緑内障を指摘される患者さんをよく見かけます。その場合にはもちろん緑内障の治療を行って行くわけですが、緑内障は完治する病気ではないので、進行を止めることしかできません。ですから発見が早いにこしたことは無いのです。また以外に多いのは、もともと副鼻腔炎(蓄膿症)があり、その炎症が眼の後ろに波及して、眼の後ろが炎症を起こして、眼が痛かったり疲れたりします。それには耳鼻科での蓄膿の治療が必要になってきますが、眼精疲労で見つかることも少なくありませんので、あまりに頭痛や眼痛、充血、眼が重い感じが続いたりする場合には、一度眼科に受診してみた方が良いと思います。最後の神経性の眼精疲労は、精神的な物で眼の疲れや眼痛(眼の裏の痛み)などが出現するものです。たとえば何となく体がだるい、疲れやすい、何となくおなかの調子が悪いなどと言った様に、病気と言う病気は発見されないのですが、何となく調子が悪い事を訴える事を、医学用語で不定愁訴といいます。原因が無いのに症状を強く訴える事を差して言いますが、頭痛や腹痛などの一部がそうですが、その中に眼精疲労も含まれる事があります。症候性や調節性眼精疲労などは原因が有りますが、いくら原因を探しても見つからないのに、不安定な訴え、症状、何となく調子が悪いがそれが何処とははっきりしないなどの特徴が有ります。これはある時眼が痛かったり、疲れたりするとそれが気になってしまい、症状がどんどん悪くなって行く様に感じられる物です。このような方は眼科に受診して、“異常有りません”と診断してもなかなか納得せず、なにか悪い病気が無いかと自分で疑ってしまい、なかなか症状が収まりません。眼精疲労は症候性眼精疲労で緑内障などの病気が無い場合は、病気が悪くなったり、失明したりしないので、気を楽にかまえる事で意外と治ってしまう事も多々有りますので、病気が無ければあまり気にしない様にした方が良いと思います。長々となってしまいましたが、現代人にとって眼を使う事や眼精疲労は切っても切れない物なので、上手くつき合って行くことも大切だと思います。僕は眼が疲れた時は、お風呂に入った時に暖かいタオルで眼をしばらく暖めます。それだけでも大分良くなる物ですよ。みなさんも是非試して見て下さい。あと眼の回りをマッサージして、血行を良くしてやるのも効果的だと思います。ゲーム、パソコン、テレビ、活字など眼には酷な環境が多い今日この頃ですが、なるべく眼をいたわってあげて下さい。
2002年06月15日
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皆さんこんにちは、いかがお過ごしでしょうか。さて今回のお題は目薬についてお話したいと思います。だれでも一度は目薬=点眼薬は使った事が有るのでは無いでしょうか?私なんか思い起こすと、小学生の頃プールから上がった時に、こども目薬を点眼する事が流行りまして、プールの日はみんなこぞって色々なキャラクターの付いた目薬を持ってきた物です。その為母親に目薬を泣いてねだった記憶が有ります。もちろん何か症状の様な物があった訳では有りませんが、差していれば気が済みました。皆さんもそんな経験有りませんか?実際私も眼科と言う仕事に就いてなければ分からなかった事ですが、今考えるとあまり意味のある事では無かったと思います。薬と名が付く物には何らかの効果や効能が有る物で、効果の無い薬は無用の物です。病気が有るからそれを治す為に薬を用いる、病気や症状の無い人には薬などいりません。今、結構目薬が若い人の中で密かな人気を呼んでいるようで、鞄やバックの中に市販の目薬を入れている人をよく見かけます。目薬産業も結構な売り上げが有ると聞きますが、現在目薬を使っている方は、上手く目薬が差せているのでしょうか?ある有名な大学病院で目薬がちゃんと差せているか?と調査したところ、50%以上の人がちゃんと差せていなかったそうです。それでは効く目薬も効きませんね。ではどうやって差したら良いかといいますと、1 まず手をきれいに洗う。2 きれいな布またはガーゼ、ティッシュを用意する。3 片手で下瞼を引いて、もう片方の手で点眼薬を持って一滴目の中に、点眼する。4 点眼後は瞬きをせずに、しばらく目を閉じてあふれた点眼液を清潔な布で 拭き取る5 1分程度、両目頭を押さえて圧迫する。この時大切な事は点眼瓶の先が目に直接触れないようにすると言うことで、触れてしまうとそこから雑菌が点眼薬の中に入って汚染されてしまいます。汚染された点眼液は、ばい菌を目に差している様な物です。目頭を押さえるのは、薬が目頭を押さえる事によって眼内に長く貯留する為、薬の効き目が良くなり、鼻から薬が吸収されるのを防ぐ事が出来ます。よく目薬をした後になんだか喉の奥で変な味がしませんか?それは点眼液が目から鼻に流れて喉に排出されて、点眼液の味がするためです。よくたくさん差せば良いと、ぼたぼたと何滴も差している人がいますが、これも全く無意味です。なぜかと言うと、点眼液の量は一滴約0.03~0.07mlと言われています。そして結膜嚢(目の中の点眼液が入り込む隙間)の貯留量は約0.03mlと言われています。と言うことは、目薬を1滴垂らすとほとんどは目に残らずに、滴となって流れ出てしまうと言うことです。であるからして2滴も3滴も落とすのは全く目には効いていないと言うことです。そして種類の違う複数の目薬を使用している方は、1種類差したら次は5分から10分空けて点眼すると良いです。連続して目薬を差すと成分は混ざってしまい、どちらの目薬もほとんど滴となって流れ出てしまうからです。一般的に眼科で薬を使う事になると、普通点眼薬が一番使われる手段になりますが、色々外来をやっていると様々な点眼薬にまつわる話を聞いたり経験します。例えば、「急に眼が見えなくなった」と来院される患者さんがいまして。眼を診察してみると、異常なほど瞳(瞳孔)が開いています。おかしいと思いよくよく聞いてみると、冷蔵庫に有った目薬を眼がおかしかったので差したとの事、その目薬は孫が以前検査を受けた時に眼科で処方された物だった。小児で遠視、乱視、近視(強い)が疑われる人には、ピントを合わせる力を麻痺させる薬を用いて検査を行う事が有ります。もちろん正常な人が差せば、薬によっては2週間余りもピントが合わせられなくなり、見づらく、眩しくなってしまいます。もちろん薬の効き目が消える2週間余りも、そういう状態が続き治す手だては有りませんので、我慢して頂く事になります。それから結膜炎(流行目と言って感染性が強いもの)で家族が眼科で貰って来た点眼薬を、眼がおかしいからと言って使い結膜炎をまんまと貰ってしまうケースをよく経験します。たとえばそれが飲み薬だったらどうでしょうか?他人が貰って来た薬を、体が調子が悪いからと言って貰って飲むでしょうか?どうやら目薬はやや軽く考えられていて、万能薬の様に捉えられているように思います。当たり前の事ですが、他人の目薬はむやみに使わない、冷蔵庫に保管してあるからと言って開封後一ヶ月以上経った目薬を使わない。(物によっては開封後2週間以内に使い切りの物も有ります)たくさん差せば良いと思い、回数を守らなかったり、あふれるほど点眼しないと言った事を守って下さい。でないとせっかく効く薬も台無し、または毒にもなり得ますのでお気を付け下さい。最後に点眼中毒についてお話ししたいと思います。点眼中毒とは何かというと、正式にその様な病名が有るわけでは無いのですが、たまたま眼が赤いとか、違和感が有ったり、疲れ目に対して市販の点眼薬を買って使い、調子が良いのでそのまま使い続ける人がいます。たまに外来で見かけるのですが、「充血が取れない」と言って来院されます。抗生物質などを使っても充血が引かず、おかしいと思い話を聞いて見ると、点眼するとすっきりすると言われる市販の目薬を、以前よりずっと使っているとの事でした。試しにその薬を止めてもらうと、症状はやがて良くなりました。疲れ目だったり、充血で市販薬を買って点眼していると、その様な薬の中には充血を引かす為に、血管収縮剤が入っている物が有り、最初はその収縮剤のおかげで充血は良くなるのですが、やがてその薬を使わないと血管が収縮しなくなって来ます。そうするとまたその点眼薬を多用する様になり、その薬が無いとすぐ充血する様な眼になってしまいます。いわば中毒症状です、その場合はその薬を止めればやがて良くなってきます。心あたりの有る方はお気をつけ下さい。市販薬のすべてが悪い訳では無いので、お近くの眼科の先生に相談されると良いと思います。たかが目薬と言わず、気を付けて使いましょう。
2002年06月12日
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昇段審査は基本的に月一のペースである。わが愛知県では名古屋会場、東三河会場、西三河会場と3会場ある。私はもともと東三河出身なので東三河に登録してある。しかし仕事で西三河に住んでいるので西三河で受験することも可能である。前回の試合が終わったあと次の月も2時間あまりをかけて、3段を取るべく日曜の朝に車を走らせた。会場に着くといつもの男くさーい臭いと雰囲気。相変わらず嫌である。僕は正直言って男は嫌いだ、まあ男だから男が好きとなると色々ネガティブなことがある。であるからいつからか僕は柔道で寝技を使わなくなった。男と寝そべるなんてなんだかいい気がしない。技が崩れて寝技になりそうになっても“立て立て!”とアピールする。投げても押さえ込んでも同じ一本なのだから好き嫌いの問題ではないが嫌なものは嫌なのである。話は本筋に戻って三段戦の申し込みを済ませた。後はひたすら待つだけである。自分の前を通り過ぎる黒帯の強そうなやつを見ると「こいつが相手かな?」とか考えて震えている。まさしくチキン野郎である。しかし待てども待てども呼び出しが無い。11:30を越えた頃アナウンスで「チキン野郎さん事務局までどうぞ」とアナウンス。「げっ!とうとう来た!」帯を締めなおして事務局に行くと、「チキンさんどうやら3段戦のエントリーは今日は無いね」「えっ?」「悪いけど今日は帰っていいよ」がーん!初段以下、初段、二段まではたくさんいる、しかし三段戦となるとあまり相手がいないらしい。その日はぶつけようも無い怒りや空しさを抱えながら家路についた。でもなんだか“ほっ”とした自分がいることも確かだった。また次の月に行ったところまた相手はいなくて空振り・・・そんな空振りが5月も続くころには僕のやる気もうせていた。実際大事な休みを朝早くから出かけて空振りすると、実際柔道をするより疲れるもんだ。僕は1.5点とった時点で昇段試験から遠のいてしまった。でも柔道の練習は続けていたので体力増強とスキー、あと少々の柔道の為にトレーニングを行った。メニューは週1~2回ジムでエアロバイクを50分、筋トレを全身20×3セット、柔軟体操をやり、理想値として体脂肪17%ぐらいをめどに続けた。最初はつらかった筋トレもやるごとに回数がこなせる様になるものだ。まあ一月もやれば体重は2キロぐらいは調節できる、でもあまり大幅なダイエットは体力を落とすので月1kgぐらいが理想的だから、そのぐらいを目標に食事も普通の食事を取って制限無く生活した。その間も昇段審査はサボり続けて、一年半ぐらい三段戦から逃げ回ったが毎回の親父五段からの「はやく三段取れよ」という呪いの言葉を聴かされ続けた。「くそーうっせーなー、相手がいないんじゃー」と反論するも、涼しい顔で西三河まで行けとこきやがった。まあ会場までは30分ぐらいなので近いには近いのだが、知り合いもいなしなんと言っても心細い。仕方ねーなーと思いつつまた早く起きて今度は西三河に行くことにした。試合から離れていたから試合の前日なんかはドキドキして眠れないのだ。チキン野郎ぶり全開である。試合当日寝れずに6:30に起きてしまった・・・もう既に試合場に着く前に疲労困憊の状態、そそくさと受付を済ませると胴衣に着替えて待った。相変わらずいつ呼ばれるかわからない。皆は友達同士なのか同じ学校なのか打ち込みをしてアップをしているが、行き場の無い私は便所の前に座っていた。心臓はドキドキ、体調は最悪、トイレは近いがそれは幸いトイレの前に陣取っていたのでラッキーだった、トイレ行き放題。11:30をまわりやっと呼ばれた。「三段戦を申し込んだ人は受付まで・・」「うっ!嫌な予感・・」「三段戦の者ですが・・・」「ああ、ええと・・三段戦は今のところ3人君を入れて申し込みがきてるけど、3人でもやる気ある?」「はあ・・やります」ここまできてやらんわけにはいかない、そのためにトレーニングをつんできたのだから。「ではもう少しで始めるから付いて来てください」ここで相手が判明!一人はやや小柄で元気そうな26歳、胸にO柔道教室の紋章!♪胸に付けてるマークは・・さっきから後輩だか教え子だかにえらい激を飛ばしてるやつがいたが、それが奴だった・・たぶんO柔道教室の師範代だろう、ちっ!野郎看板背負ってやがる。前回の高校生とはスキルも経験も違う、まずい相手だ。もう一人は大柄で体重0.12トンぐらい、こいつもO塾の看板・・・。こやつもこの辺でまあ有名な道場の師範らしい。一気にブルーになった。おれも一応背負っているがK柔道教室なんかほとんど夏休み体験スポーツ教室のレベルである。しかも胴衣に刺繍もなくもちろん体に紋紋などない色白の好青年でチキン野郎の30歳(涙)僕らは初段、二段に方々の横を通り過ぎて道場の下の方へ・・おいおい一番奥かよ・・・今度は僕は3人中3番目、ある意味ラッキー!何故かって?相手の得意技がわかるんだな~、僕は心で叫んだ「北斗神拳に一度見た技は通用しない」試合が始まり1番対2番、1番は小柄で背負い投げ系変則的に組んでくるタイプ、2番は体が大きいから見たまんま内股系、しかーも!1番2番でお互い体力を奪い合ってくれる、またまたラッキー。その試合は1番の背負い投げ一本勝ち、うーんあの背負いはやっかいだな注意っと。しかも今まで試合をしていた生徒の応援付き、うーん人望厚そうだねー。「先生ファイィィーー」おお!懐かしい響き、感動してる場合じゃあない。次は私の試合!わがK柔道教室は生徒はしょぼいが講師は一流やでー、なんたってK.T組直系親父五段会軽はずみ組若頭さぼり部長とは俺のことだー!「はじめ!」審判の始めの合図。ふふふ前回はトータル1分でカラータイマーがなったが、こっちとらトレーニングでなんと3分になったんじゃい!元気な掛け声と共に間合いを取る1番君、生徒には気の毒だが・・・瞬間的に奥襟をとってそのまま払い腰!「おりやぁぁぁぁぁーー」小生は投げるときそこまでしんでもというぐらい掛け声を出します。「一本」いや~決まった決まった「3番です」と審判に報告して戻ろうとすると、「ああ3番は残って」「えっ?」しまった~!そういえば連ちゃんだったー、がしかし今までの疲労困憊君ではない。フェニックスは蘇ったのだぁぁぁ!お次は0.13トンで内股なやつだ、比較的僕は内股には免疫があるからまあ大丈夫だろう。「はじめ!」セオリー通り奥襟を持って右半身に、相手の内股!難なくかわす。「さあ行かせてもらうか」相手は僕の払い腰を見てるから多分警戒されている、ならば払い腰と見せかけて右の支え釣り込み足!「技あり!」そのまま嫌いな押さえ込みへ「押さえ込み!」「一本」さすがに息が上がらないなー、これもトレーニングのおかげかーと関心しながら、本日の上がりは2点ゲット!これで三段いただき~。帰りは行きと違い上座までの道のりを、「おらおらどかんかい」といわんばかりに歩いていったが、みんな道を空けてくれる空けてくれる。さっき投げるときに大声だして道場中に響いたからね。いまはトレーニングもさぼりぎみでフェニックスもにわとりぐらいになりました。
2002年06月10日
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最初の相手の身長はやや低めで小柄、機敏な背負い投げタイプで元気は二重丸。足を使って飛び込んでくるアウトボクサータイプなので動かれるとやっかいだ。「とっとと捕まえて自分のペースで振り回そう」相手「さあこい!」チキン「こっちはカラータイマー既に赤点滅なんじゃー」相手は顧問の前なのか積極的に前に出てくる、チキン「ラッキー★」普通に組むと見せかけて右ボディーブロー、ガードの下がったところに奥襟を取った。相手は激しく逃げようとする。チキン「逃がさんよ」(ジャブローのシャア専用ズゴックにつかまったジムのイメージで)右の足払いから払い腰!!顧問「一本!」ウルトラマンでバルタン星人いきなりつかまえて、有無を言わさず至近距離からのスペシューム光線・・正義の味方の戦い方じゃあねぇぇぇ・・・でもそんなことは言っていられない。審判から一本の告知を受け、礼を終え審判に「一番です」と申告しにいった。すでにカラータイマーは鳴りっぱなしで、ネズミ捕りの前のネズミ捕りレーダーの鳴り方の様!審判涼しい顔で「では一番三番!」チキン「えっ!?」「それって連ちゃん?休憩なし?おいおいプロ野球でもダブルヘッダーでも休み時間入れるぞ!」「つまるところアウェーってこと・・・」僕の心の叫びも届かずそのまま開始線へ・・・審判無常にも「始め!」基本的にヒーローもので怪人怪物が一度に複数出てくることはない。なぜならヒーローは一人だからだ、対処できん・・・おやじ一人でやってる飲食店の様・・あっ!でもマジンガーZは最終回で一杯敵が出てきたなー、でもそんときはマジンガーはボロボロだったけど、グレートマジンガーって助っ人が来たんだよね。ウルトラマンもセブンや父やキングが助に来てたなー。そんなことを考えながらも相手は待ってくれない、もちろん助っ人も無し。二人目は大柄!体重見た感じ0.1トン、元気はいっぱい、夢いっぱい!。パワー型のインファイター内股巻き込みタイプ、相撲で言うとつっぱり押し出し小錦タイプ。最悪・・・こうなりゃあ戦略無しのガチンコだー!僕はカラータイマーを投げ捨てた。がっちり奥襟を互いにつかみ合ってがっぷり四つに組んだ。某テレビ局のガチ○コなんてテレビの取っ組みあいなんかまだ甘い。相手は容赦なく襲い掛かってくる。内股!右手を切ってしのぐ、こちらも力を振り絞って払い腰!ヘロヘロ・・・ぜんぜん効かない・・どうしよう?!その間も相手の攻撃は続く。さっきはいきなりのスペシューム光線で勝ったから、やつには光線は見切られている。ということは“裏の裏はおもてだったりして”なんて大黒まきの歌にあったようにスペシューム光線を打つと見せかけて、相手がかわそうとするところをウルトラ光輪で・・。われながらナイス!払い腰と見せかけて体を戻して支え釣り込み足!!相手は崩れ落ちた、「審判の判定は??」審判「・・・・」チキン「スルーかよ!!」技ありぐれえつけろよ!、でもここはアウェーだった。その後も2回ほど倒したがすべてスルー・・・。外野で見ていた僕の友達からの声援「チキンもっと技かけろー!」「僕はもうかけれましぇん(涙)」(101回目のプロポーズ武田鉄也風で)引き分け、アウェーの恐ろしさを知った。そんな訳で今日の上がりは1.5点・・まだ3~4点には足りない。このチキン野郎シリーズまだ続きます。次回チキン野郎に衝撃的なできごとがぁぁぁぁ!!次回フェニックス(不死鳥)伝説編へ。ps-おいこら!ワールドカップ日本代表!ホームなんだから勝てよー!
2002年06月05日
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二段戦から10年という月日がたち、僕は平和と自由を謳歌していた。柔道から遠ざかった僕は勉学?に勤しんでいた。社会に出てから何を思ったか、また柔道を始める事となった。今考えればその時すでに僕はジョーカーを引いていた。柔道は特殊なスポーツで、練習自体も辛いが試合はもっと辛い。ほかのスポーツで息が上がらなくても柔道では上がる。ほかのスポーツは試合中楽しくても柔道は楽しくない。たとえばテニスなんかはゲーム性が強く、競技中は脳内麻薬物質がバンバン出るのに対し、柔道は活性酸素がバンバン発生する。3~5分相手と組み合って休む間もなく動くというのはものすごく疲れる。僕はいま中学生と練習するだけで息が続かない。現役の頃は20人連続でも大丈夫だった。もちろん今でも体力が無いのはいうまでもない。そんなコンディションの中、我が道場主の口から悪魔のような言葉が発せられた。「3段ぐらい早く取れよ!」僕の平和と自由はぶち壊された。最初は逃げまくっていたがさすがに逃げられなくなった。渋々T市にある武道館にわざわざ日曜日に時間をかけて2時間の片道時間をかけて、三段戦に通うことにした。三段戦はまあ三~四点あれば申請すれば取得できる。二段の13点とは大違いだ。その分レベルも高いのでまだ二段の13点の方が全然楽である。ある日曜日、そんな日に限って快晴である。場所はT武道館で開始は9:00受付である。三段戦の受付をする、さすがに三段戦になると受験者がいない。結局11時までまって僕を入れて3人、「ちっ!全勝しても合格しない・・」。自分の三段戦は1級-初段-二段-三段と一番最後である。基本的に初段以上は黒帯なので道場内の100人以上の男臭い連中はほとんどが黒帯。だからどいつが三段戦なのか見当もつかない。だいたいのやつがふてぶてしく「こいつ強そうかな?」なんて見ていると大体二段戦辺りである。思いっきり僕はチキン野郎です。そんな時受付から「今から三段戦始めます、選手は集まってください」との地声でのアナウンス、「なりもでかいが声もでけえな」なんては思っても口には出さない。みんな帰り支度をしていてその中を受け付けまで行くわけである。いままでふてぶてしかったやつも「さささっ」と道を空けてくれる。「君たちは三段戦かね?」「ええ」やっとどんな選手か分かった、相手は現役高校生でA高校の2人組み。相手は仲良し同級生、しかも審判はそこの柔道部の顧問・・・。かたや28歳チキンな僕・・・四面楚歌かよ!(サマーズ三村風に)「ではこちらへ」道場の下席の方にと導かれる。ここからは僕の心の葛藤です。相手は二人、高校生、体力は人生で一番あり!、審判はその顧問=アウェー、「判定は不利だな」「しかも試合から遠ざかっている僕」多分ピッチ(道場)に立っていられるのは一人1分が限界だな・・・一人1分でかたずけないと2人目がやばい。「おいおいウルトラマンでも3分じゃねーか、1分かよ!」前回最初にスペシューム光線を出すやつはいないと書きましたが訂正します、ほんとはやばいときにはバンバン出します、いや出さざるを得ません。「よーし組際にフェイントからの払い越し(スペシューム光線)だ!」僕は道場の隅に行ってきずかれない様に「ショワッチ!」と袋を高くあげて柔道着に着替えて変身した。(スギューンと赤いバックからウルトラマンが出てくるシーンを想像してください)昇段審査は番号を付けられる、僕はおっさんだからか嫌がらせか1番、高校生は2番3番である。「では三段戦をはじめます、ではお互いに礼!」「正面に礼!(ここは柔道関係者だけ笑えばいいです)、では1番、2番!」相手は小柄な背負い投げタイプ、動かれると厄介だ!「はじめ!!」審判の掛け声。ピコーンピコーンもう僕のカラータイマーは鳴っている。
2002年06月03日
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僕は小学校3年から柔道をやっている。毎週土曜日午後4:30から6:00まで練習をする。当時は週休2日ではないのでもちろん土曜は授業がある。昼で学校が終わり、今から遊ぶぞーという夕暮れ時の4:30から柔道の練習がある。小学生にとってはゴールデンタイムといっていい。20才ぐらいのトゥナイトを見るときのように楽しい時間である。しかし何の因果か柔道・・・しかもきつい!練習の内容はきつく練習後は疲れて食事など出来ないほどである。小学生は7級ぐらいから始まるのかな?最終到達点は1級です。3級から紫帯になる。大人は5級ぐらいからはじまり3級から1級が茶帯でそれから初段戦に13人に勝つと筆記試験と型の試験を受けてやっと初段黒帯である。試合は月1回4人と当たる総当たり。勝ちは1点引き分けは0.5点まけは0点である。しかし愛知県は抜群と言って1回に3点以上とると13点の所を10点に負けてくれる。最短で行けば4-4-2点で3ヶ月で取得できる。まあそんなに上手くはいかないが。ちなみに自慢ではないが僕は初段、二段とも3回で取得している。あれは2段の試合、後一人勝てば今日2段がもらえるという要の試合。相手は地区最強をほこるs高校!相手は5厘刈り、僕は坊ちゃん刈り・・・ビジュアルで負けている。しかもあいては身長185cm90kgぐらい、おまにそり込み付き。僕は思った「なんで柔道ってこんなスポーツなんだ・・」「サッカーとかテニスにしときゃあ今頃彼女の一人もいたかもしれない・・・」そんな独りよがりもつかの間、試合が始まり審判の「はじめ!」のかけ声。「ええい!やったろうじゃねーか」僕の必殺技は払い腰(見たい人はここまでhttp://plaza.rakuten.co.jp/karuhazumi/ 2番目が僕です)、払い腰はあとにとっておこう・・・最初はあの手この手でなんとかしたいところだ。最初からスペシューム光線を打つウルトラマンはいないだろー。決着がつかないまま残り1分を切った。相手も以外と強い、さすがS高校。でも引き分けでは2段は今月貰えない、なんとか勝ちたい!(これは実話です漫画ではありません)「一かばちか払い腰だ!」僕はそっと眼を閉じ祈った「もし神様がいるのなら少しだけ僕に力を・・・」腹は決まった、いきなり払い腰ではよけられる、足払いをフェイントにひるんだところを払い腰でしとめる。あと残り30秒!「いけーぇぇぇ!!」(機動戦士ガンダム アムロ風に)大きなモーションから足払い!相手はがっちりガード「ふっ甘いな!そんじょそこらの高校とは違うのだよぼうや!」(機動戦士 ガンダム ランバラル風に)足払いはスルー!そしてその反動で払い腰へ・・・「うわーーーぁぁぁ!!」(またまたアムロ風)二人のからだはもつれて畳みへドシーン!審判を見上げる!審判は右手を垂直に上げ「1本!」終わった・・結果は1本勝ち。見事に2段をもらった。柔道をやっていてこれほどうれしかった事はなかった。S高校監督「なんでお前あんなやつに負けたんだ」と監督に怒られている。俺は試合場を後にしながら「ぼうやだからさ・・」短期集中連載「柔道ハイスクールロックンロール・・3段編」近日掲載!こうご期待!
2002年05月29日
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僕はスキー好きですが、以外とスキーって知られてないんですよね。オリンピックの時期になると、とたんにスキージャンプやモーグルやノルディックなどが話題になる。でも基礎スキーや競技スキー(アルペン)は全く話にものぼらならない。何故だろう?まあ理由は簡単、勝てないのと知名度が低いからだ。ゲレンデがあってスキーやスノボをやったことが有るという人は多いと思う。でもジャンプやモーグルはたまたノルディックなどをやったことがある人が世の中にどのくらいいるだろうか?まずジャンプは北海道や長野では地元の人でやっている人はいます。でもスキーヤーとしてはあのジャンプ競技はしゃれになりません、こわいっす!生身の体で120mもジャンプできません。あとノルディックも辛いです。モーグルもやはりすごいです、とても出来ません。オリンピックのモーグル競技などもあの凄さを見たくて見ている様な気がします。さてアルペンは私も少しかじっていましたが、これが結構おもしろいです。旗を立ててただスピードとタイムだけで勝ち負けを決める。潔いです。地理的なものか日本勢はやや苦戦しています。日本人で優勝した人はいまだかっていません、現在は木村選手や皆川選手が海外を飛び回ってワールドカップを転戦しています。アルペンではオーストリア勢が強く、多くのチャンプを排出しています。彼らは0.01秒の戦いをしていますが、有名な話は長野五輪のジャイアントスラロームを志賀高原の東舘山でやったとき、レースが終わったあとコースが一般開放されて一般スキーヤーがコースに立った時、立っていることさえ出来なかったそうです。アルペンレースのコースは基本的に塩を蒔いてわざと氷にしてその上を滑ります。その中で0.01秒で競うのですから並ではないです。基礎スキーについてはご存じ1級などを取得したり、ゲレンデを安全に楽しく滑るためのカテゴリーです。皆さん以外と知りませんが、日本にはスキー団体が2つありSAJ(日本スキー連盟)、SIA(日本職業スキー教師協会)がありまして、1級というのはSAJです。SIAというとシルバー,ゴールドといったメダル検定になります。SAJでは3級-2級-1級と取得するとそこから2つに分かれます。1つはスキー教師など指導を中心とした準指導員-指導員となります。もう一つは技術を主体としたテクニカル-クラウンがあります。1級というと上級者でスキーが上手いという認識がありますが、スキー技術の基本の終了ということになっています。だから応用技術はそれより上の技術になります。気の遠くなる話です。年1回日本技術選手権大会という基礎スキーの全国大会がありますが、本戦に出場することはスキーヤーのあこがれでもあります。その大会を勝ち上がりその上の選考会に合格(認定)されれば、はれて全日本デモンストレーターという肩書きになります。これは現在のスキー技術を体現出来る技術をもつ人になり、インストラクターの先生になります。現在は21名います。長くなりましたが私の目標はクラウンを取りゆくゆくは技術選に出られればと思います。僕は柔道3段ですが、人がみれば柔道3段で黒帯となれば”すごいなー”と思われると思いますが、スキーにしてみれば1級ぐらいだとおもいます。基本の終わりだと言うことです。まだまだ先は長いです。
2002年05月27日
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今日は柔道の練習の日だ。昼まで寝て起きて5時には柔道に出かけるのだが、道場までは遠く1時間ちょっとかかる。今日は天気も良かったので、車をオープンにした。オープンカーはいい!このときだけは。僕は183cm身長があるから低く狭い車は辛い!でもそれをうち消すだけのものはオープンにはある。今日もオープンにしながら大声で歌を歌いまくる。カーステはいらない。でも対抗車の人に見られて少し恥ずかしい。今日はフォークソング特集で行くことにした。今風でいえばフューチャリングフォークである。何を隠そう僕はフォークファンである。風を切り、シフトを上げていく、ブオーン野太いエキゾーストノートのバックには神田川・・・のれねー!イチゴ白書をもう一度、卒業写真、妹よ、22才の別れ、なごり雪、そして神田川にフェードインした。あなたはもう忘れたかしら・・・中略いつも私が待たされた、洗い髪が芯まで冷えて・・・・なんかおかしくないか?<ここからは下手でもいいので古畑任三郎のまねで>「え~~ちょっと待ってください、おかしくないですか・・・」「え~~普通男女で風呂に入った時は、だいたい男の方が早いです」「その証拠に宿などでは部屋のキーは男が持っていきます」「なぜなら男の方が早く部屋に戻ってくるからです・・」「え~しかし歌の歌詞ではいつも私が待たされたと書かれています~これはおかしいです。」「普通こういうことはありません~」「でもいつも遅いということは、出られない理由があるはずです~」え~~みなさんもうおわかりですね、からくりはCMの後で・・。と悪のりはここまでにして(ちなみに筆者はかなり古畑のまねが上手い)種明かしをしましょう。どうやらこの神田川の青年は将棋だか囲碁が好きらしく風呂から上がったあとその辺のじいちゃんと碁を打っているから女より遅れてしまうと言われています。皆さん知ってました。これは作曲者がなんかのテレビでいってました。神田川にはモチーフになる人物カップルがいたそうです。どうですか?知らなかったでしょ。「え~~皆さんも旅館に彼女と行ったりしたら、彼氏に部屋の鍵を渡すのは少し考えてからのほうがいいのでは・・古畑任三郎でした」ちゃら ららら ららららら~♪
2002年05月25日
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今から20年ほど前に、知り合いの家から一匹の居候が我が家に招かれた。名はリリー。貰われて来たときすでにリリーと言う名が付いていた。前の買い主が付けたのだろう。それから僕とリリーの共同生活がはじまった。ちなみにチワワという犬は、家族でも一番偉い自分を養ってくれる人には従順であるがそれ以外には反抗的である。もちろんその当時10代である私は、やつにしてみればアウトオブ眼中である。平気で噛みつきやがる。でも微妙な距離を置きながら僕らの共同生活は続いた。やつは小さいくせに大きな犬にむかっていったり、自分より大きい犬に恋したりした。当然結果は木っ端微塵である。飼い主に似たか・・・僕の家は自営業で料理屋だった。そこで看板犬を勤めていたわけだが、今だったら目覚ましテレビあたりには出れたかもしれない。自分に餌を(店の売り物だが)くれるお客を渡り歩き、脂肪を重ねた。体が贅肉で重くなるのにそう時間はかからなかった。事実走るのも俺より遅い。たまに近所の悪ガキの小学生に蹴られたりして泣いて帰ってくる。でも僕はそいつがかわいかった。なぜなら店を営む僕の家で、加えて一人っ子の僕には遊び相手はやつだけだったからである。散歩は僕の仕事で日課であり、やつにとっては義務だと思っていたと思う。そんなやつとの暮らしも僕が高校を卒業して岐阜の学校に通うようになり、遠距離恋愛?いや別居生活になった。僕は人の眼を診る仕事を志した時、家に帰ると職業病なのか犬の眼まで診るようになった。やつの顔には白い物が混じり、家に来たころの顔つきではなく”年”を感じさせた。眼を診ると白内障だった。言うまでもなく白内障はおじいちゃんおばあちゃん病だ。こいつも年食ったな・・・でも相変わらず餌をくれる客には良くしっぽを振っていた。ある日やつは元気が無く餌にも来なかった。心配になり獣医につれて行くと、一丁前に採血した。その結果は最悪、肝機能は高値、腎機能は数字を振り切っていた。獣医は首を振るばかりで、なんでそうなのか言うことはなかった。悪いことは自分にもわかる、人間も犬も一緒だから。何の薬かわからない点滴をうけ、自宅療養にした。いっこうに元気になる気配も無く、どんどん弱って行きやがて虫の息になった。でも僕が顔を見せると体を横たえたまましっぽを振った。もうやつの好きな焼き鳥も食べられなかった。「もういいんだよ」と思った。僕は無い知恵をしぼった、楽にしてあげたかった。思いついたのは、腎機能、肝機能、炎症反応が悪いのは血液検査でわかっているわけだから、どこかに強い炎症があるのは明白だった。言葉は話さないが、とても痛かっただろう。せめて痛みを和らげてやりたかった。そこで僕は人間用の鎮痛剤のロキソニンという薬を投薬した。体重から考えて人間と同じ量では多すぎる。半錠にした。それをやつの好きだった焼き鳥をかみ砕き、その中に埋め込んで口に持っていった。やつは動かない体を揺さぶって一生懸命それを食べた。長い夜を越え朝になって見てみると体が冷たくなっていた。結局そのロキソニンがやつの苦しみを少しでも楽にしたのかわかることはない。ひょっとすると腎機能が悪いため、腎臓で排泄される薬は寿命を短くしただけだったのかもしれない。罪悪感とも達成感とも言えない感じが今でも残る。いま何やらチワワが流行なのかコマーシャルによく出てくる。あいつはあんなタレント犬みたいにスタイルは良くないけど、それを見るたび思い出す。犬は欲しいがもう一度飼えるか自信がない。おっとバックでかぐや姫が神田川を歌ってやがる。今時かぐや姫かよ・・・ああそうかこのビデオ1トンから借りたビデオだ。モニターが曇ってきたからもうこのぐらいにするか。ちっ!今年のアレルギーはキツイや。涙が良く出る。
2002年05月24日
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今日はなんだか天気も悪く、いつも自転車で通っている職場も車で行った。いつもの通路を通り更衣室に入った。いつもの服に着替え何気なく靴を職場用の靴に変えようと、はいてきた靴をロッカーに入れようとしたとき「信じられない出来事がーーー!!!」(ガチンコ風)腰に激しい痛みがー!”ピキッ”・・・・ぎっくり腰だった。もともと腰痛持ちの自分でも毎回嫌である。思い起こせば高2の冬・・・朝起きて日常という名のコーヒー牛乳を飲み干して、退屈と言う名の空間に出かけよとしてコタツから出ようとした瞬間!強烈な痛みが僕を襲いそのまま倒れ込んだ。「またまた何ふざけてんだー」という家族の言葉に反応する事もなく、5分ばかりの時間が過ぎた。気が付くとあわてた家族とひどく痛い腰が周りを囲んでいた。それが僕の最初の腰痛・・・柔道と言う理不尽に体に悪いスポーツを小3からはじめ、高2の頃には体はボロボロだった。そんな事も忘れる10年と言う月日が経ち、僕は大きくなり183cm80kgという微妙は身体になった。相変わらず腰痛は付いて回っていたが、なんとかだましだまししのいでいた。「一度整形外科にかかってみたら」という言葉に何気なくまあ一度かかってみるかと受診したところ。おきまりのMRI。その白黒のフィルムを見ながら知り合いの整形外科医のG先生は「うーん・・・○○くんネガティブだね」「えっ!?」「ほらこの骨と骨の間、これが椎間板ね、ほら白いでしょ」「ええ」「でもここと、ここの椎間板が黒いでしょ?これは腰に負担がかかって椎間板がすり減った所ね」「すっすりへったって?」「うーん、まあ無いんだね」「無い?」「うん・・良く椎間板ヘルニアって椎間板が飛び出てくる病気あるでしょ?、あれじゃあなくて○○君のは飛び出てるのでは無くて、無いの椎間板が」「なくなるんですか?」「うん50才以上の老人に多いね」「・・・・」「どうなるのですか?」「骨と骨のショックアブソーバーが無いから、直接骨が当たって将来麻痺や痛みが出る」「なんとかならんですか?」「うーん・・筋肉は落とさない方がいいね」「落ちるとどうなるんです?」「つらいね」「そうすっか・・・・」でも今でも僕は元気にがんばってます、一見は・・・・。腰痛は辛いよ~なんたってパンツや靴下がはけない。かがめないのである。そんな痛い日は七転八倒して朝パンツと靴下をはきます。人には見せられないです。みなさん腰は大切に。
2002年05月23日
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いまからテニスに行って来ます。なかなか雨や仕事でいけませんが、暇を見つけては行くようにしてます。でもこの頃体力の衰えが顕著に現れて、なんだか悲しくなってきますね。人間は120回/分ぐらいの心拍数を保って運動して20分ぐらいすると、有酸素運動になり脂肪の燃焼させるモードになります。それまでは血液中の糖分を分解してエネルギーにしている訳ですが、テニスはなかなか運動のパターンからか、痩せにくいスポーツかな?って思います。テニス人口は多いはずですが、なかなか痩せないなーって思っている人多くないです?やはりダイエットにはジムに行ってせっせと有酸素運動をして、合わせて筋トレも行うのが理想的なんですが、得てしてジムは運動自体がつまらないですよね。話し相手でもいればいいのですが、一人なんかで行くと孤独ですからね。でもジムって不思議なところで、行ってみると筋肉モリモリな人はそれ以上に、そうでない人はいつまでたっても体型が変わらない・・・もう何ヶ月もジムで会うのに痩せてないなーっていう人いませんか?そういう人は方法論が間違っているのでしょうか。有酸素運動を定期的に続けていれば体がそのカロリー消費モードになって、基礎代謝が上がって太らない体になっていくようです。そうなってくるとしめたものですが、なかなかそこまで行くのに数ヶ月かかりますね。でも運動を一度止めると元のカロリーを使わない体に数日でもどるそうですよ。なかなかうまくいかんなーと思いながら毎回自転車を漕いでますが、悲しいのがエアロバイクで50分漕いだ後に画面に消費カロリーが表示されます、それがまたご飯1.5杯とたまご5つ、コーラ2本分であなたの消費カロリーは300kカロリーですなんて出てきます。むむむご飯のおかわりはできんちゅーことか・・。50分自転車漕いでコーラ2本!沈んだ心を奮い立たせて筋トレして、帰る頃は筋肉ブルブルで“震える子犬”みたいになって帰ります。人間は血管などを酸化させて錆びさせる、活性酸素って物質があり、運動したりストレスがたまったりすると増加します。2時間ぐらいジムに行って400キロカロリー消費して、活性酸素をためて帰りにコンビニ弁当買って、なんだか体にいいのか悪いのかわかんないですね。普段から節制できればいいんだけどねー。ストレスがたまると暴飲暴食してしまいますね・・・プチストレス溜まったら“ミウ”飲んでーがんばってくるかー!
2002年05月22日
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とうとうホームページまで作ってしまいました。これから職業の眼科的知識や趣味のスキー、車、柔道などの話を思ったままてきとーに書いて行きますので、どなたでもかまいませんのでネタ振りよろしくお願いします。日記も絶え絶えになると思いますがご容赦下さい。スキー場や板、車の話などバカなお話致しましょう。病院の休み時間にスキージャー○ルとかスキーグ○フィックなんか読んでると周りのみんなから白い眼で見られます。いまは来シーズンのマテリアルのチェックが急がしい時ですよね。僕は柔道なんて体一貫でやるスポーツをやっていたので、マテリアルを選ぶなんていう作業は楽しくてしょうがないのです。今でも板は2本持っていますが、何本でも欲しくなってしまいします。今はオガサカのFC-X 165cmとロシの9DS167cmです。どちらも良い板ですが、高速大回り用の板が欲しいところです。あーあ~お金がいくらあっても足りませんね。これからちょくちょくスキー、車(外車が多いかも)、柔道の話をしていきますので、お気軽に書き込んでくださいね。これからよろしくー。
2002年05月20日
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